大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和49年(う)17号 判決 1974年8月29日

被告人 古川栄一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人三井政治提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対しつぎのように判断する。

控訴趣意中事実誤認、法令解釈適用の誤の主張について。

論旨は要するに、原判決は、本件各金員が原判示大矢健のための選挙運動の報酬として供与されたものである旨認定しているが、被告人は、大矢健事務所に勤務しその職務として大矢の後援会活動に従事していたものであつて、本件各金員はこれに対する給与として支給されたものである。右後援会活動を選挙運動に該当するとした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、法令解釈適用の誤がある、というのである。

そこで一件記録ならびに原審において取り調べた証拠を調査し、当審における事実調の結果を併せて検討すると、関係証拠によれば、本件衆議院議員選挙は昭和四七年一一月二〇日公示され、同年一二月一〇日施行されたが、同選挙が正確な施行時期はともあれ、近い将来行われるであろうとの風評はかなり早くからあらわれ、日刊の一般新聞紙上においても昭和四六年秋頃には早くもその時期を予測し、或いは選挙気運が高まり始めた旨の記事が散見され、同年末から昭和四七年初頭にかけては北海道における各選挙区の立候補予定者の記事もでて、その中に大矢健の氏名も掲載されていたこと、これよりさき大矢健およびその支持者らは本件選挙における大矢の当選を期するため、大矢健後援会の結成ないしその活動のかたちで選挙区内の有権者に働きかけることを企図し、昭和四六年中に旭川市内に後援会事務所を設け、同選挙区内でそれらの運動を展開していたが、本件選挙の気運が高まり始めた昭和四七年始め頃、右後援会事務所では大矢健の公認申請時期等につき関係者間で論議が交され、けつきよく、昭和四七年二月七日大矢健は当時の後援会事務長藤原利雄を通じて自由民主党旭川支部長に同選挙における同党候補としての公認申請をなし、立候補意思のあることを明らかにしたこと、同年四、五月頃に至ると年内選挙の呼び声は一段と強くなり、これを予測する記事、大矢健が既に右公認申請をなしている旨の記事等もでて、これらの事実はほぼ一般周知のものとなり、その頃にはいわゆる沖縄恩赦などの問題もからみ選挙気運はさらに一段と高まりを見せ、各立候補予定者の選挙活動は活発化して、大矢派でも体制の強化を図る必要が生じたこと、そのため、当時の事務長藤原利雄に代つて新たに岩田尊雅が事務長に就任し、従来大矢健の関係する日誠総業株式会社旭川営業所等の職員として同会社から給料を貰い、大矢健後援会の仕事に携つていた人たちの身分をすべて同後援会事務所の職員に切り替え、さらに多数の職員を新規に採用したうえ、これに旭川市議会議員の間宮保、板東徹を最高幹部として配し、同後援会事務所の体制を整備、強化して、以後組織的、集中的な後援会作り等の運動に突入したこと、被告人も昭和四七年七月始め頃右後援会事務所に採用され、同年一一月一九日まで同事務所の他の職員と共に右運動に専従し本件各金員を給料として受領していたのであるが、その運動の態様は、オルグと称する被告人ら職員が予め割当てられた選挙区内の各担当地区に大矢健の表示を含む名刺を持参して赴き、同地区内の知人、有力者らを訪ね、地区後援会の役員に就任方等を依頼して後援会結成の下準備をしたうえ、準備会、役員会、結成大会等の具体的計画や会場の設営等をなし、さらには地区内の有権者宅を訪問して後記のようなパンフレツトを配布したり、後援会への加入や結成大会等への出席の勧誘等の職務に従事していたこと、そして右結成大会その他各種の会合において、大矢健をはじめ前記間宮、板東らは必ずこれに臨席し、大矢健の経歴、人柄、抱負等の紹介、後援方の依頼等をするなどしたほか会合出席者には多くの場合これと同趣旨の記載のあるパンフレツトやタオル、軍手等を配布したこと。一方、被告人らに勧誘された後援会員らは、その大半がそれまで大矢健とは何らの関係もなく、しかも同会の趣旨に共鳴して入会したとも認め難いうえ、後援会を維持するための会費の徴収などはもとよりなされず、役員を委嘱されたものの中には全く本人の不知の間若しくはこれを拒否しているのに一方的に決められたものすら散見されるのみならず、むしろ、これらの人達はこぞつて被告人らの行為を本件選挙のための投票とりまとめないし投票依頼の趣旨と受けとめていたこと、右のような運動は本件選挙公示の前日まで選挙区内全域に亘つて繰り拡げられ、とりわけ、大票田と目される旭川市内では激烈を極め、同市内の地区別後援会の大半は結局岩田事務長が就任して以後の比較的短期間に一挙に結成されたものであり、しかも、このようにして誕生した各地の後援会は同選挙終了とともに殆んどその活動を停止し、大半はその実体すら失うに至つたこと、そして右運動の全過程を通じ被告人ら関係者があからさまな投票依頼等の行為をなしたとまでは未だ記録上確定しえないが、後援会本部で発行した機関紙「健風」の文面、各種会合での被告人らの挨拶内容、短期間のうちに選挙区内全域に貼り廻らされたポスター類に徴しても、右運動が本件選挙における大矢健の当選を目的とし、多数人に対し暗黙裡に投票依頼ないし投票勧誘を行う趣旨のもとにされていることが明瞭に観取されることなどの事実がいずれも明らかに認められる。

以上のような後援会結成の時期、それに至る経緯、態様、結成後および選挙終了後におけるその活動状況、会費徴収の有無、入会前後を通じてみられる後援会員と大矢健との相互関係等の諸事情を総合して考察すれば、被告人らが大矢健後援会の名のもとに一体となつて右一連の活動が正当な後援会活動に該当するとは到底認め難く、その実質がこれに藉口してなされた、大矢のための投票ならびに投票とりまとめを目途とする選挙運動とみるべきことは否定しえないところである。

本件各金員は、被告人が大矢健後援会事務所に勤務し、その給料としてこれを受領していたことは、所論のとおりであるけれども、その職務内容じたいが叙上のごとく選挙運動に該当するものである以上、特段の事情の認められない本件においては、名目は給料であつても、その実質は選挙運動の報酬として被告人に供与されたものといわねばならない。

原判決には所論のような事実誤認、法令解釈適用の誤はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意中量刑不当の主張について。

よつて審案するのに、本件は、被告人が原判示の日時、場所において、大矢健のための選挙運動の報酬として、岩田尊雅から前後五回にわたり、給料名下に現金合計三六万九、〇〇〇円の供与を受けたという事案である。

被告人は、本件当時大矢健後援会事務所に勤務し、その職務として約五ヶ月もの間、前叙のような選挙運動に専従していたものであり、本件金員はかかる組織的職業的になされた被告人の所為に対する報酬として供与されたものである。

その回数、金額、選挙運動の態様、社会的影響等にてらせば、被告人の犯情が所論のように必ずしも軽微であるとはいい難く、被告人を懲役八月執行猶予三年に処した原判決の量刑が重きに失し不当であるとは思われない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例