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札幌高等裁判所 昭和47年(う)344号 判決 1973年6月19日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官石黒久提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人泉敬提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、いずれもここにこれを引用し、これに対しつぎのように判断する。

検察官の論旨は要するに、原判決は、本件公訴事実につき、被告人の所為は刑法三六条一項所定の正当防衛に該当し罪にならないとして無罪を言い渡した。しかし、被告人の所為が正当防衛に該当しないのに拘らず、これを肯認した原判決には、証拠の取捨選択を誤り事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つた違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、とうてい破棄を免れない、というのである。

よつて、一件記録ならびに当審事実調べの結果を調査し検討するに、原判決書中、第二の一ないし六記載の各事実、すなわち、本件被害者佐野鉱治(当時三五歳)、その内妻佐々木涼子(同二二歳)、佐野の仲間武田一郎(同二三歳)らが、原判示の日時、バー「朱園」に至るまでの経緯、同店内における佐野らの言動、被告人と同人らのやりとりの状況等本件発生直前に至るまでの事実関係は、いずれも肯認することができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

そこで、右本件直前より本件発生に至るまでの間の事実関係につき、以上検討を加える。

原審および当審において適法に取調べられた関係各証拠によれば、被告人は、佐野、武田らに執ように因縁をつけられ、困惑ないし不安を感じたため、「朱園」の近くのスナック「ABC」に赴き、同店経営者横山義和(当時二八歳)に助力を依頼し、同人共々「朱園」に戻り、同店出入口に最も近い席に横山、その右隣りに被告人が座り、さらにその右側に座つていた佐野と被告人が横山のことでひとことふたこと言葉を交した。すると、同店カウンター奥付近の椅子にかけていた武田は、被告人が佐野に因縁をつけ、或いは喧嘩を売つているものと妄断し、被告人に対しコップに入つていたビールを浴せかけたうえ、「てめいやるのかこの野郎。」などといいながら被告人の近くに歩み寄り、やにわに被告人の胸ぐらをつかみ顔面を数回殴打し、さらに被告人のうしろに廻りそのえり首をつかんで持ち上げるようにした。すると、こんどは佐野がこれと呼応するように被告人の大腿部付近を足蹴りにし、さらには顔面を平手で二、三回殴打したうえ被告人の胸ぐらをつかんできた。そのころ、横山は被告人に対する佐野、武田らの暴行を制止しようとしたが、武田から顔面を殴打され、二人はそのまま同店出入口の方に数歩移動した。

その間に佐野から胸元をつかまれた被告人は、同人の手をふりほどこうとして同人ともみ合ううち、両者は半回転してその位置が入れ替り、同時に佐野の手もふりほどかれ、こんどは、佐野が出入口を背にし、被告人がそれと向い合うような形でカウンターにほぼ平行して対峙することとなつた。その際被告人は佐野の手にいつの間にかビールビンが握られ、また、武田も同店出入口の方から「生意気な野郎だ、ぶつ殺してやる。」などといいながら佐野の後方に歩み寄つてくるのを目撃した。そこで被告人は、身の危険を感じると同時に、それまで隠忍自重してきた感情が爆発し、「黙つていればいい気になりやがつて」といいざま、とつさに右手でカウンター上のビールビンの注ぎ口の辺を握りカウンターにぶつけたところ、ビンは手から抜け落ちたため、さらに別のビンを同様に取り上げ、佐野の方に向きなおりながらビンを振り廻すようにしたところ、佐野のビンとぶつかり双方のビンは割れた。被告人は、かまわず割れたビンでそのまま佐野の頭部を殴打し、引き続き下から振り上げるように突き出したため、佐野に対しその右下顎角部を通つて前後の方向に走る長さ約一〇糎、深さ約3.6糎、右外頸部静脈を切断する創傷を負わせ、そのため、同人は、昭和四六年一一月一四日午後一〇時二〇分頃、同店内において失血のため死亡するに至つたものであることをそれぞれ認めることができる。

ところで、以上認定したところは、所論でいう事実関係と大幅に異なるので、所論にかんがみ右認定の経緯につき若干補足説明を加える。

まず所論は、佐野が被告人の大腿部を足蹴りにすることは、両者が座つていた椅子の位置関係等から物理的に不可能であるという。しかしながら、右足蹴りの際、両者が果して座つたままであつたのか否か、座つていたとしてもどの様な状態で座つていたのか、証拠上必ずしも明らかではなく、所論のように単に椅子の間隔がわずか二〇ないし三〇糎しかなかつたことの故をもつて、右行為がただちに物理的に不可能ということはできない。また、目撃者のいない点は、同店内が薄暗く充分に見とおしのきかないことや、同店内に居合わせたものの位置関係等に徴すればあながち不自然とはいえない。かえつて、証人向井弘に対する当裁判所の尋問調書によれば、同証人は、犯行直後現場にかけつけ佐野の手当てをした際、被告人から佐野にももを蹴られたとしてその痛みを訴えられた旨供述しているのであつて、これに被告人が捜査段階より一貫して述べている同趣旨の供述を併せ考えると、被告人は、佐野より顔面を殴打された際、同時に大腿部付近も蹴られているものと認めるのが相当であり、これを否定する所論は肯認し難い。

つぎに所論は、被害者佐野が本件当時ビールビンを所持していた事実を認めるに足る証拠はない、というのである。なるほど、佐野がビンを所持していることを直接肯定する証拠は、被告人の捜査段階以来の供述を除くと、武田一郎の検察官に対する供述調書のみであり、同店内に居合わせたその余のものはいずれも右事実を目撃していない。しかし、関係証拠を総合すると、佐野がビンを手にしていたとしても、その時間は極めて短時間にすぎなかつたものと認められるうえ、同店のマダム橘田麗子はそのころカウンター内で恐しさのあまり泣きながらオロオロしていたというし(原審における佐々木涼子の証人尋問調書)、佐野の内妻佐々木涼子は、佐野が被告人に殴る蹴るの暴行を加えた際、止めに入つて佐野に突き飛ばされ、「ボーッとして被告人と佐野がもみ合つてその位置の入れ替つたのさえ知らなかつた。」ほど(同尋問調書)であるから、同人らは佐野の動静を充分に認識していなかつたともいえ、横山義和も佐野の背後である同店出入口付近にいたのであるから、これまた充分に目撃しえなかつたとしてもあながち不自然ではない。これに対し、武田一郎は横山を追い、いつたんは同店出入口付近まで行つたが、被告人がビールビンを所持する直前には、前記認定のように佐野の付近まで戻つて来ていたものと認められるから、佐野の挙動を容易に目撃しうる位置にいたのであり(橘田麗子の検察官に対する昭和四六年一二月二五日付供述調書によれば、被告人と佐野の位置が入れ替つた際、武田はその中間位にいたとさえいう。)、しかも、武田は佐野の舎弟分にあたるから、ことさら佐野の不利益になるような虚偽の供述をなす必要性は乏しく、この点に関する同人の検察官に対する供述調書は充分信用しうるものである(ただし、同供述調書中被告人が佐野より先にビンを持つたとの供述部分は、これを裏づける証拠はなく措信しえない。)。また、被告人は、本件後向井医師より右手掌小指下の負傷につき治療をうけているが、その傷は自己が本件後佐野の右手に握られていたビールビンの口片(当庁昭和四八年押第二八号の一)をもぎとる際生じたものであり、もぎとつた右破片は自己のポケットに入れた旨一貫して供述し、同供述は右傷の形状からもその信用性を推認しうるばかりか、当裁判所の佐々木涼子、橘田麗子に対する各証人尋問調書の内容とも符合し、けつきよく佐野が本件犯行時ビールビンを所持していたことは、優にこれを肯認しうるところである。

また、所論は、仮に佐野がビンを所持していたとしても、原判決が認定するように、同人のビンと被告人のビンが空中でぶつかつて割れるという様なことは実際上稀有であり、真実は被告人が所持するビンをカウンターで割り本件犯行に及んだか、或いはビンで佐野の頭部を殴打してビンが割れたかのいずれかである、というのである。まず、被告人がビールビンをカウンターにぶつけて割つたものであるか否かの点については、一応これにそう証拠として、橘田麗子の捜査段階から原審に至る間の各供述、佐々木涼子の検察官に対する供述調書および司法警察員作成の昭和四六年一二月一七日付実況見分調書が存在する。しかし、右各証拠により認められるカウンターの傷は、その形状からみるかぎり、ビン類をぶつけてできたものであることまでは容易に推認しうるものの、果して被告人がぶつけたものか、或いは犯行後武田が暴れた際ぶつけたものか必ずしも明瞭でないのみならず、仮に被告人の行為によるものとしても叙上のように被告人は一本目のビールビンを握つた際、カウンターにビンをぶつけているのであるから、或いはその際の傷ともいえないではなく、しかもカウンターの傷自体からは、ビンをぶつけたとの事実は推認しえても、その結果ビンが割れたか否かまでの事実を認定する決め手とはなりえない。また、カウンターにぶつけ、或いは佐野の頭部を殴打したためビンが割れたとの所論にたつと、本件現場にビールビン二本分の破片が存在していたにも拘らず、ビンの割れる音は一度しかしなかつたとの事実(右認定に反する証拠はない。)をどの様に解釈するのであろうか。ビンとビンがぶつかつて割れたからこそ一度の割れた音で二本分の破片が現場に存したことになると考えざるをえない。横山義和の検察官に対する昭和四六年一二月二一日付供述調書、原審における同人に対する証人尋問調書、武田一郎の司法警察員および検察官に対する各供述調書中のビンとビンが当つて割れる様な音がしたとの供述部分も右認定を裏付けるものである。なお、所論は、ビンとビンが空中でぶつかり割れることは極めて稀有であるというが、互いに争う者が共にビンを所持していた場合、ビンを用いて攻防をなし、そのためビンがぶつかつて割れることは通常容易にありうることであつて、決して稀有な事態とはいえない。

また、所論は、佐野の左側頭部の九個の創傷は、被告人がビールビンをもち殴打したことによつて生じたものであり、原判決の認定するように、被告人と佐野の各所持するビンが衝突し、その破片が佐野の頭部に落下して生じた傷ではない、という。原判決が佐野の頭部の創傷につき所論のような趣旨の認定をなしていることは、原判文上明らかである。そして、医師田島重喜作成の鑑定書、同人の原審証言を総合して検討すると、佐野の左側頭部の創傷は、既にみたとおり、佐野のビンとぶつかつて割れ被告人の手中に残つたビンの破片で、被告人が佐野の頭部を殴打したため生じたものとみるのが相当であり、このかぎりでは所論は正当である。従つて、この点に関する原判決の認定は事実を誤認しているといわざるをえないが、後にみるように右誤りはなんら判決に影響を及ぼすものではなく、もとより破棄理由とはならない。

さらに所論は、被告人は、酒に酔つた佐野、武田のいやがらせ的暴行に挑発され、攻撃の態勢さえ見せていなかつた佐野の左側頭部を殴打し、さらにその右頸部を突きさしているのであり、被告人の攻撃は一方的かつ積極的なものである。佐野の身体に防禦創が見当らないのもそのあらわれである、というのである。なるほど、佐野の身体に防禦創が存しないことは所論指摘のとおりである。しかしながら、このことからは、被告人の行為が瞬間的であつたことは容易に推認しえても、それが一方的であり、逆に佐野、武田らが、何ら攻撃的態度を有していなかつたことまで推認せしめるものではない。むしろ、前叙のとおり武田が「生意気な野郎だ、ぶつ殺してやる。」と怒号し、佐野もビールビンを所持している以上、それまで右両名から一方的に因縁をつけられ、暴行されていた被告人としては、それまでよりも一層強度な攻撃がなされるものと予想し、ビールビンを所持してこれに対応する行為に出るのは相当な行動であり、これを目して被告人の一方的攻撃と評価することはことの真相に合致しないものである。

けつきよく、所論でいう事実関係のうち以上の認定に反する部分は、いずれも当裁判所の首肯しえないところである。

そこで、さらに進んで、右認定の各事実に基づき、被告人の本件所為が正当防衛行為に該当するか否かにつき、所論に即して以下検討を加える。

まず急迫不正の侵害の有無についてみると、所論は、(1)、佐野、武田の被告人に対する暴行は軽微であり、酔払いのいやがらせ程度にすぎず、(2)、佐野が仮にビンを所持していたとしても、被告人が佐野らの暴行に対し憤激し「おとなしくしていればいい気になりやがつて。」といつてビールビンを持つた時点からは、両者間の喧嘩斗争に発展したものである。(3)、しかも佐野は手に持つたピンを下げていただけで、攻撃的態度はみえなかつたのであるから、双方がビンを持つた以後は被告人の一方的攻撃といえる。従つて、本件当時被告人に対する急迫不正の侵害が現在した旨認定した原判決の判断は失当である、というのである。

しかしながら、被告人に対する佐野、武田の殴る蹴るの暴行が決して酔漢のいやがらせ程度のものでなかつたことは、被告人の口唇部が右暴行で切れ腫れ上つていたこと(被告人の当審供述)のほか、前叙のように佐々木涼子が佐野の行為を制止しようとして突き飛ばされている事実や橘田麗子が何らなすすべもなくカウンター内で泣きながらオロオロしていた事実に徹しても明らかである。また、佐野らの一連の暴行に対し憤激した被告人がビールビンを所持したからといつて、そのことからただちに以後の行為が喧嘩斗争であるとするのは相当ではない。喧嘩斗争か否かは両者間の行動を全体的に観察することを要し、その間の一部分のみをとらえてこれを評価してはならないというべきである。さらに右(3)、の点についても、佐野がビンを所持していたのは、同人らによる被告人に対する前記暴行に引き続く一連の行為の流れの中におけるものであり、従つて、仮に佐野が所持していたビンを下にさげていたとしても、その事実をそれまでの暴行行為と切り離して別個に評価することは、本件の実態を無視するものといわねばならない。また、その際には叙上のように武田も「……ぶつ殺してやる。」と怒号しながら、被告人の方に向つてきているのであり、これに、右暴行以前における同人らの言動、人相、風体等をも参酌すると、ビンを所持した以後における被告人の所為が一方的なものであるなどとはとうていいえない。以上認定したとおりの事実関係のもとにおいては、少くとも被告人の生命、身体に対する侵害の危険が間近かに切迫していたといわざるをえず、これを否定する所論は肯認できない。

つぎに、防衛意思の存否についてみると、所論は、被告人は憤激、憎悪の情のみをもつて本件所為に及んだもので、被告人に防衛意思があつたとはいえない、というのである。なるほど、被告人が本件所為に及んだ際、佐野、武田らに対し憤激、憎悪の情を抱いていたことは、関係証拠上これを否定し難い。しかしながら、いわゆる正当防衛の成立のため必要と解される防衛意思は、急迫不正な侵害行為の存在を認識し、これに対してなんらかの手段を用いこれを排除する意思をいい、その際、相手方の侵害行為に対し憤激、憎悪の情を抱いて反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない(最高裁判所昭和四六年一一月一六日判決、刑集二五巻八号九九六頁)。そして前記認定の事実関係、すなわち、佐野、武田が、バー「朱園」内において、同店のマダム橘田麗子やたまたま居合せた初対面の被告人に対し執ように因縁をつけたうえ、さしたる理由もなく被告人に殴る蹴るの一方的暴行を加え、被告人が胸ぐらをつかまれた手をふりほどこうとして抵抗するや、こんどは佐野がビールビンを所持し、武田も「生意気な野郎だ、ぶつ殺してやる。」などと怒号しながら、共々被告人に対し危害を加えるような気勢を示したため、被告人もそれまでにおける同人らの言動に対して憤激し身の危険を避けるべく、とつさにビールビンを所持し佐野に叙上の傷害を負わせるに至つた、という事案の経緯にてらすと、被告人の本件所為は防衛意思に基くものと判断するのが相当であり、これを否定する所論は正当でない。

さらに、被告人の本件所為が防衛上やむをえないものであつたか否かについてみると、所論は、(1)、被告人が本件現場から逃避することは容易であり、(2)、佐野の攻撃意思を放棄させることも必ずしも困難ではなかつた。(3)、また仮りに、佐野がビールビンを所持していたとしても、被告人は一方的に佐野の身体の枢要部に対しビールビンで攻撃を加えたものである。要するに被告人の本件所為は、とうてい必要にして相当な行為であつたとはいえない、というのである。

しかしながら、司法警察員作成の実況見分調書、原裁判所の検証調書その他関係各証拠によれば、バー「朱園」の出入口は、一般道路に通ずる正面出入口のほか、同店北西奥の経営者橘田昇方居室へのドア、同店カウンター内の調理室に通じるドアがあるが、そのうち、正面出入口や北西奥の出入口方向への逃走は佐野、武田がいて困難であつたし、調理室に通じるドアに行くには、高さ約一〇八糎、巾約六〇糎のカウンターを乗り越えなければならず、しかも、同カウンター上にはビールビンやコップ類が散在し、佐野、武田らがかなり酩酊していたこと(ただし行動能力が著しく失われていたとは認め難い。)を考慮しても、これまた逃走困難な状況にあつた。所論のように、被告人が佐野、武田らの攻撃をかわし、本件現場から容易に避難しえたとはとうてい考えられない。つぎに、右(2)、については、被告人は、佐野、武田らより前叙の暴行を受ける以前に、同人らの店内における目に余る振舞をみかね、「お客さん静かに飲もうや。」とたしなめた際、逆に武田から「何をこの野郎。」と怒鳴られているばかりか、前記横山義和も、佐野、武田らの被告人に対する暴行を制止しようとしたところ、武田から顔面を殴打されているのである。従つて、これらの事実のみよりみても、被告人が本件所為にさきだち、同人らの攻撃意思を放棄させることが困難であつたことは明らかであり、これが容易であつたとする所論には賛成し難い。さらに右(3)、についてみると、佐野の受傷部位である頭部や頸部が身体の枢要部に属することは所論指摘のとおりである。ところで、当該行為が防衛上やむをえない行為であるか否かは、加害行為およびこれに対する反撃行為の各態様その他行為時の具体的状況を総合して客観的に考察し、防衛手段として相当な範囲内の行為であつたか否かによりこれを決すべきであり、防衛行為から生じた結果がたまたま侵害されようとした法益より大であつても、そのことから、ただちに右の相当性を欠くものと解するのは正当でない(最高裁判所昭和四四年一二月四日判決、刑集二三巻一二号一五七三頁)。これを本件についてみると、原判決もいうように、佐野、武田らは一見してやくざ風で、体躯も被告人と同程度かそれ以上の大柄であるうえ、バー「朱園」内での言動も酒の酔いも加わり極めて粗暴であり、しかも本件直前には、被告人に対し前記のような暴行のあげく、ビールビンを所持し或いは「……ぶつ殺してやる。」と怒号し、なおも攻撃を続行せんとする気配が存したのである。これに対し、被告人が素手で反撃防禦することは至難であり、対抗上とつさにビールビンを所持したことはむしろ自然のなりゆきである。そして右のような状況下で被告人がカウンター上からビールビンをつかみ、佐野の方に向き直りざま、ビンを振り廻すようにして、同人に殴りかかつた行為は、佐野、武田らの攻撃を抑制し自己の身を守るためやむをえなかつたものと認められる。右のビンを振り廻した際、佐野のビンとぶつかり、割れたにも拘らず、そのまま手中に割れ残つたビンで同人の頭部、頸部に傷害を与えた行為は、結果的にみると重大であるが、以上の行動は一瞬のうちになされた一連のもので、しかもその際、被告人が頭部を殴打し或いは頸部を突き刺すという事実の認識を果して有していたか否か甚だ疑わしく、その意味では、振り廻したビンの破片が佐野の頸部に刺さり、右側外頸静脈を切断するに至つたことは、佐野自身は勿論、被告人にとつても誠に不運な事態であつたといえる。従つて、佐野の死亡という結果そのものは極めて重大であるが、被告人の本件所為自体は、当時の具体的状況にてらすと、必ずしも防衛手段としての相当性を逸脱していたものとは断じ難く、その他一件記録を精査し当審事実調べの結果を検討しても、被告人の本件所為が、所論のように必要性、相当性を欠くものと認めるに足る証拠はない。

以上の次第で、被告人の本件所為は、刑法三六条一項にいわゆる正当防衛に該当し罪とならないから、これと同旨の原判決の判断は正当としてこれを肯認することができ、原判決には所論のような事実誤認、法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(岡村治信 太田実 宮嶋英世)

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