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札幌高等裁判所 昭和46年(行タ)1号 決定 1972年2月16日

申立人 第一小型ハイヤー株式会社

被申立人 北海道地方労働委員会

〔緊急命令申立〕 札幌地方昭和四一年(行ク)第四号 昭和四一年一〇月二一日決定(〔参考資料〕参照)

〔緊急命令変更申立〕 札幌高等昭和四五年(行タ)第一号 昭和四六年一月二六日決定(〔参考資料〕参照)

主文

当裁判所が、当庁昭和四五年(行タ)第一号緊急命令変更申立事件について、昭和四六年一月二六日付でした緊急命令変更決定を取り消す。

被申立人の緊急命令変更の申立を却下する。

理由

申立人は主文同旨の決定を求めた。その理由は別紙のとおりである。

ところで当裁判所は、さきに、控訴人申立人、被控訴人被申立人、参加人第一ハイヤー労働組合間の当裁判所昭和四五年(行コ)第三号不当労働行為救済命令取消請求控訴事件(原審札幌地方裁判所昭和四一年(行ウ)第九号事件)について、札幌地方裁判所が昭和四一年一〇月二一日にした参加人組合の組合員坂下邦雄を原職(運転手)に復帰させるべきむねの緊急命令を、原職(配車係)に復帰させるべきものと変更する決定をした(当庁昭和四五年(行タ)第一号事件)。その理由は要するに、申立人会社が坂下を配車係から運転手に降職した処分と、のちの解雇処分とが一連の争議行為に関してなされ、この二つの処分につき被申立人委員会が昭和四一年七月一四日の同日にいずれも不当労働行為として救済命令を発しており、命令は形式的には二個あるものの、実質的には一挙にもとの配車係の職を回復させようとしたものといえるから、緊急命令もまたこれにそうものであることが妥当であると考えたこと、および坂下の健康状態が運転手には不適当で、配車係ならば適当である点を考慮したことであつた。

しかしながら、右のうち第一の理由は、申立人指摘のとおり失当といわざるを得ない。すなわち、形式的に救済命令が降職処分についてのものと解雇処分についてのものと二個存在し、かつ、その取消請求訴訟も併合されず、降職処分についてのものが当庁第二部に(当裁判所昭和四四年(行コ)第二号事件)、解雇処分についてのものが当第四部に(右当裁判所昭和四五年(行コ)第三号事件)分かれて係属しているため、当第四部で与えられる救済は、解雇処分の取消すなわち運転手の職の回復にとどまるのである。したがつて、さきにした緊急命令変更決定をそのままおくと、当第四部が右昭和四五年(行コ)第三号事件について言い渡した判決と矛盾し、いわば仮の身分を定める緊急命令事件において、本案事件において与えるより大きな救済を与える結果となつて不当である。(結局、配車係への復帰については、当庁第二部の事件を本案として、同部に別に緊急命令を申し立てて、判断をあおぐほかない。)

以上のとおりであるから、申立人のその余の理由につき判断するまでもなく、当裁判所がさきにした緊急命令変更決定を取り消し、被申立人の右変更申立を却下することとし主文のとおり決定する。

(裁判官 渡辺一雄 神田鉱三 岨野悌介)

(別紙)

一、本件決定は、救済命令の範囲を超脱した重大な瑕疵にもとづく違法なものである。いわゆる緊急命令は、労働委員会の救済命令の全部、又は一部に従がうべき旨を命じ得るものであるところ、(労働法第二七条八項)本件決定は、救済命令に存在しない訴外坂下の配車係えの復帰を命じたもので、明らかに訴外坂下の原職の認定を誤り、救済命令の範囲を超脱し、受訴裁判所の権限を超えた違法たるを免がれない。

すなわち、御庁に係属中の昭和四五年(行コ)第三号不当労働行為救済命令取消請求事件において争われている救済命令は、申立会社が昭和三八年一一月二八日になした解雇処分についてのものであり、訴外坂下は昭和三七年五月七日配車係から運転職に降職され、解雇時には運転手として勤務していたものであり、したがつて本件救済命令における原職とは運転手以外のなにものでもない。(別に配車係えの復帰を命じている救済命令の存在することからしても右は明白である。)

二、仮に、本件命令が正当であるとしても申立会社においては履行出来難いものである。

すなわち申立会社においては、昭和三七年頃はハイヤー営業を主として行なつていたものであるところ、現在はほとんどタクシー営業に変つており、配車係なる職種は昭和三八年頃以降存在しない。したがつて本件命令は混乱をもたらす以外のなにものでもない。

よつて速やかに取消さるべきものであるので本申立におよんだ次第である。

命令書

(北海道地労委昭和三七年(不)第一一号 昭和四一年七月一四日 命令)

申立人 第一ハイヤー労働組合

被申立人 第一小型ハイヤー株式会社

主文

1 被申立会社は、申立組合の運営に介入してはならない。

2 被申立会社は、申立組合の組合員坂下邦雄を配車係に復帰させなければならない。

3 申立組合のその余の申立てを棄却する。

理由

第一、認定した事実および判断

1 当事者

被申立人第一小型ハイヤー株式会社(以下会社という)は、札幌市内において、ハイヤー、タクシー業を営む株式会社である。申立人第一ハイヤー労働組合(以下組合という)は、昭和三一年一一月会社従業員により結成された労働組合であつて、全国自動車交通労働組合連合会(以下全自交という)に加盟している。

2 昭和三七年春闘要求について

昭和三七年二月六日、組合は会社に対し、全自交の統一要求として、五、〇〇〇円の賃上げ、産業別最低賃金一五、〇〇〇円、運転手の基本給二五、〇〇〇円の月給化など、数項目の要求を提出するとともにこれらについて、全自交と全国乗用自動車連合会の統一交渉を求めた。しかし、会社は統一交渉を拒否し、四月七日以降ようやく組合との間に交渉が開始されたが、進展を見ず、その間、組合は全自交指令による統一時限ストを反復するなど、はげしい闘争を展開した。

3 第二組合結成について

(1) これよりさき、同年二月五日、上記春闘要求を確認するため開催された組合臨時大会において、かねてから及川執行委員長ら組合執行部の行き方を過激であるとする一部組合員から、執行部不信任動議が提出され、役員改選の結果、これら批判分子の数名が新たに執行委員に選出されたほか、当時病気入院中の西村じゆん吉が副執行委員長を退いた。

(2) 三月三〇日、午後六時ころから、市内中の島夕鶴旅館に西村をはじめ、勤務中の者をふくめ、組合員約三〇名が参集し、執行部の批判、及川執行委員長の排げきなどについて話し合い、集会後、西村は会社の営業車で森下社長(当時)宅を訪れたが、その際の車の使用は社用扱いとなつている。

(3) その後、四月五日、春闘要求をめぐり組合の内部結束をはかるため、組合の全員集会が開催されたが、及川執行委員長らに反対する約二〇名が退場するなどのことがあつて、これらのものは、同月一一日、第一小型ハイヤー新労働組合(以下第二組合という)を結成し、翌一二日、組合に三五名の脱退を届け出るとともに、相前後して会社に結成届を提出し、会社は即日社報でこれを受理した旨を公表した。

第二組合の執行委員長は西村であり、その組合員数は約六五名、一方申立組合は三〇数名に減じた。

(4) 四月二七日、第二組合の臨時大会が開催された際、社長以下の会社幹部が出席して、会社案による新賃金体系の説明をおこない、このため、同日午後三時から予定されていた組合との団体交渉は行われなかつた。

なお、上記大会では会社案が了承され、一両日後、会社は、第二組合との間に新賃金協定を締結し、五月一日から協定にもとづく新勤務割を実施した。

(5) 組合は、会社が組合の分裂を策して、第二組合を結成せしめたと主張する。そこで二月末頃当時入院中の西村が反及川派の行動の指針とするため作成したと認められる甲第七号証(いわゆる西村メモと称せられるもの)によれば、西村は、春闘要求をめぐる組合内の動向を分析して、及川対策について会社に進言するにとどまらず、進んで、会社職制の協力を期待していたことがうかがわれ、さらに、夕鶴旅館の集会後西村が直ちに社長宅を訪れていること、その際の車の使用が社用扱いとされていること、当時西村は病気欠勤中であるにかかわらず、後記坂下の場合と異なり、その行動が不問に付されていること、その他、第二組合結成後の一連の経緯を総合すると、結局、会社は、春闘問題の早期解決をはかるため、西村を中心とする組合内の批判勢力とれんけいを保ちつつ、その活動を援助していたと判断され、会社の行為はその限りにおいて組合に対する支配介入といわざるを得ない。

(6) しかし、それ以上に進んで会社が第二組合を結成せしめたとの証拠はない。また、組合は、会社が職制を使つて組合員に第二組合加入を勧誘したと主張するが、その疏明は十分でない。

4 及川委員長の解雇

(1) 五月八日、会社は及川委員長を、下記理由により、懲戒解雇した。

(ア) 一月二九日より二月一日にいたる四日間無届欠勤をなし、始末書の提出を求められたが、これに応じない。

(イ) 四月二八日午前八時より正后までの時限ストにさいし、菊水支店前で職場集会が開かれたが、同支店待合室兼運転手控室にスト参加者を多数立入らせ、会社より再三退去を命じられたにかかわらず、これに従わず会社業務を妨害した。

(ウ) 五月四日正后よりの組合大会にさいし、稼働中の営業車一二台を、豊川稲荷境内に集合せしめ、約七時間にわたり該自動車乗務者の業務を放棄せしめた。

(エ) 同月八日午前八時より四時間の時限ストに際し、営業車四台をほしいままに長時間持ち出させた。

(オ) 同月七日および八日両日にわたり、会社事務所入口に組合員をして数十枚におよぶビラ貼りをなさしめ、会社業務を妨害した。

(カ) 日常における勤務状態は、組合運動に名をかりた怠業であり、生産阻害者である。

(2) 組合は、及川の解雇をもつて、同人の活溌な組合活動を忌避しておこなわれた不当労働行為であると主張し、会社はこれを否認するので、これについて判断する。

上記会社の理由中、(イ)ないし、(オ)各記載のような組合員の行為があり、これらが、いずれも、及川の指示にもとづく組合の行為としておこなわれたものであることは、証拠により明らかである。ところで、これらの行為は組合活動としても正当な範囲をいつ脱しているものと考えられ、会社は執行委員長としての同人の責めを問い、これに同人の平素の行状を加味して、就業規則にもとづき懲戒解雇したものであると認められるので、組合の主張は採用できない。

5 坂下邦雄の降職

また、組合は執行委員坂下邦雄が私傷病のため入院加療中のところ、上記四月二八日の菊水支店前の職場集会に参加したことを理由に、五月七日配車係から運転手に降職されたことをもつて、不当労働行為であると主張する。同人には会社主張のような行為のあつたことが認められるが、これをもつて降職処分に付することは失当である。特に、同じく病気欠勤中の西村が、上記の如き組合活動をおこなつておりながら、不問に付されているのにくらべ、公平を欠く取扱いというべきであつて、結局、坂下の運転手えの降職は、同人が申立組合の組合員であるが故になされた不利益取扱いである。

6 木下修らの出勤停止および訓戒

つぎに、五月六日午前三時半頃、木下修、谷地政和、佐藤寛一、末崎茂ら執行委員四名および古川辰夫ら、組合員六名が、勤務中、会社の営業車一〇台を無断使用して、森下社長宅および新田総務部長宅付近の電柱に組合の宣伝ビラをはつたことが認められる。かかる行為は職場規律に反するものであつて、他に特に同人らの組合活動を忌避したとの証拠もないのであるから、これに対し同月七日、会社が木下ら執行委員四名を一〇日間の出勤停止処分に、古川ら六名については、訓戒処分に付しても、これをもつて不当労働行為となしえない。

7 組合員に対する乗務拒否

(1) さらに、五月一一日、組合員伊藤昭宣は午後五時から午後一二時頃まで自己の担当車をあたえられず、この間別の車に乗車しようとしたが、車検証が見つからなくて乗車できなかつたこと、同じ頃、組合員小泉昭、多賀一也の両名がそれぞれ担当車外の車をあたえられたことは、いずれも業務上の都合または手違いによるものであると認められ、また、同月一六日、一七日の両日、組合員高木繁蔵が堀支店長の指示により乗務させられなかつたのも、業務以外に車を使用することが多かつたのでその反省を求めるためであつて、以上いずれも同人らが組合の組合員であるがための不利益扱いとは考えられない。

第二、法律上の根拠

以上の通り、会社が組合内の批判勢力の活動を援助した行為は労働組合法第七条第三号に、坂下邦雄の運転手への降職は同条第一号に、それぞれ該当する不当労働行為であるからこれを救済することとし、その余の組合の請求は、いずれも理由がないから、棄却されるべきである。

よつて、労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条を適用して、主文のとおり命令する。

命令書

(北海道地労委昭和三九年(不)第六号 昭和四一年七月一四日 命令)

申立人 第一ハイヤー労働組合

被申立人 第一小型ハイヤー株式会社

主文

1 被申立会社は、申立組合の組合員飯村平、同鳴海晋三、同木下修、同末崎茂、同谷地政和、同坂下邦雄、同多賀一也、同伊東昭宣、同小島要、同佐藤寛一に対する昭和三八年一一月二八日付懲戒解雇を取り消して、原職に復帰させ、解雇後原職復帰までの間に同人らが受けるべき諸給与一切を、支払わなければならない。

2 申立組合のその余の申立てを棄却する。

理由

第一、認定した事実

1 当事者

被申立人第一小型ハイヤー株式会社(以下会社という)は、札幌市内において、ハイヤー、タクシー業を営む株式会社である。申立人第一ハイヤー労働組合(以下組合という)は、昭和三一年一一月会社従業員により結成された労働組合であつて、全国自動車交通労働組合連合会(以下全自交という)に加盟している。

2 昭和三七年春闘の経過

昭和三七年二月六日、組合は会社に対し、全自交の統一要求として五、〇〇〇円の賃上げ、産業別最低賃金一五、〇〇〇円、運転手の基本給二五、〇〇〇円の月給化など、数項目の要求を提出するとともに、これらについて全自交と全国乗用自動車連合会との統一交渉を求めた。

しかし会社は統一交渉を拒否し、四月七日以降ようやく組合との間に交渉が開始されたが、進展をみるにいたらず、一方、同月一一日組合内の批判勢力によつて、第一小型ハイヤー新労働組合(以下第二組合という)が結成されるや会社は、同月末これとの間に会社案による新賃金協定を成立させ、五月一日から協定にもとづく新勤務割を実施した。

その後、五月八日にいたつて、不法な組合活動を指導したとの理由により及川執行委員長が懲戒解雇されたほか、その前後に組合員の懲戒処分が続出するなどのことがあつて、春闘要求にはさらにこれらの処分撤回要求が加えられ、組合からの申請にもとづき同月二二日当地労委の団体交渉促進についてのあつせん案が示されたが、交渉は依然進まなかつた。

これらの経過を通じて、組合は全自交指令による統一時限ストを反復するなど、はげしい闘争を展開してきたものである。

3 ビラ貼りと本社占拠

(1) 組合のビラ貼りは争議の進展に応じ随時おこなわれたが、六月六日、組合は第二組合結成、及川執行委員長の解雇など、一連の事実を不当労働行為として当地労委に救済を申立てるとともに(昭和三七年道委不第一一号事件)同月七日から会社施設にビラ貼りを始めた。このビラ貼りは本社、薄野支店、菊水支店の各施設の内外を問わず、備品、窓ガラスにいたるまで行なわれ、七月中旬まで連日にわたつて続けられたが、会社は暴力団とつながりがあると目される加藤某にビラはぎを委託し、このため、同人はい下のビラはぎ人夫らと組合員との間に傷害事件など、とかくのまさつが生じた。

(2) 六月一九日午前九時頃から組合は夏期一時金要求春闘未解決組合支援のための決起集会を菊水支店前で開き、市内の友誼団体も加え約一〇〇名位が集つたがここでも加藤の輩下らとの間にビラはぎをめぐつてもみあいが生じ、暴力沙汰に発展した。げつこうした一部組合員は責任追及のため本社におしかけ当初会社責任者に面会をもとめたが果されなかつた等の事情もあつて、そのまま本社事務室に居すわることとなり、この占拠は後記八月四日の仮処分執行まで続けられた。

4 ロツクアウトから仮処分執行まで

このような本社事務室の占拠、ビラ貼りなどにより会社事務がほとんど停止状態にあること、また組合員の運行する営業車が会社の指揮管理をはなれ、売上げが減少してきたことから、六月二二日会社は組合に対しロツクアウトを通告した。

しかし組合は同日菊水支店の運転手仮眠室から布団を持ち出したうえ、引き続き本社事務室を占拠し、営業車六台(その後第二組合員二名がその担当車を所持したまま組合に復帰したため、その数は八台となつた)を確保して営業行為をおこない、かつ、ビラはり行為を継続していたため、同月二七日、会社は札幌地方裁判所に立入禁止等の仮処分を申請した。

ところで地裁における手続中、いつたんは和解の成立をみたが、和解条項の履行につき意見の一致をみないまま、会社は七月二八日再度組合にロツクアウトを通告して、前同趣旨の仮処分を再び申請し、同月三一日に決定をみて、八月四日に執行された。その結果、本社事務室からの立退き、車両の返還は実現したが車検証、エンジンキーは見当らないとして引渡されず、後記ロツクアウト解除後返還された。

5 争議の終結

その後も交渉は続けられ、その間組合は春闘要求を撤回して全自交、全道労協(全北海道労働組合協議会)等上部団体もまじえ事態収拾のため、処分撤回、立上り資金、終戦処理について話し合いが進められたが、歩みよりが見られず、ようやく翌三八年八月一二日、当地労委会長から争議解決に努力するようにとの勧告があつて、同月二二日から団体交渉が再開され、同年九月六日会社組合間に(1)組合は会社の指揮管理の下に正常な業務に服する。(2)労使双方は就労の日より二ケ月間一切の争議行為をおこなわない。(3)会社はロツクアウトを解除する等を内容とする確認書が取り交わされた。これにより、同日会社はロツクアウトを解除し、組合員は同月一七日以降全員就労して、ここに長期にわたる争議はようやく終結した。

6 執行委員全員の解雇

就労後の組合員の稼働状況はきわめて良好であり、懸案事項についての会社、組合間の団体交渉も引き続きおこなわれてきたが、未解決のまま、一一月一五日森下正好は社長を退任し、吉野常男が社長に就任した。その後同月二八日、会社は副執行委員長飯村平、書記長鳴海晋三、執行委員木下修、同末崎茂、同谷地政和、同坂下邦雄、同多賀一也、同伊東昭宣、同小島要、同佐藤寛一の一〇名に対し、上記ビラはり(ただし六月七日以降七月中旬までのもの)、本社事務室占拠、菊水支店運転手仮眠室からのふとん持出し、車両八台の占有の各違法行為を企画、指導、実行し、会社に重大な損害をあたえたとの理由により、懲戒解雇した。

なお、これら一〇名は、さきに会社により解雇された及川執行委員長を除いて、組合の執行委員の全部である。

第二、判断

1 組合は、会社主張の各行為は、会社の不当労働行為および先制ロツクアウトに対する組合の防衛措置であつて、正当な組合活動であり、鳴海等一〇名の解雇はこれにより組合のかい滅を企図した不当労働行為であると主張し、会社はこれを否認し、違法な争議行為の争議責任を問うものであると主張するので、以下この点について判断する。

2 上記認定した事実によれば、会社の解雇理由中にあげられるビラ貼り、本社事務室の占拠、菊水支店運転手仮眠室の布団持出しおよび車両占有の各行為は春闘要求をめぐる会社とのきびしい対立抗争のなかでおこなわれたものであつて、会社側の組合対策の不手ぎわ等が必要以上に組合をしげきしたという事情も認められないではないが、いずれも、正当な争議行為の範囲を超えるものと判断され、これを企画、指導、実行した組合の執行委員がその責めに任ずることも、止むを得ないと考える。

3 しかし本件の場合にあつては、昭和三八年九月六日争議終結のための確認書が会社、組合間に取り交され、会社はロツクアウトを解除して、組合員も全員就労し、その稼働状況もきわめて良好であつたと認められ、労使の間がようやく正常化をたどろうとしていた矢先きに、会社は突然鳴海ら一〇名を解雇したものである。

4 会社は確認書成立の過程では将来の責任追及を留保したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。のみならず、これらの行為はいずれも昭和三七年六、七月頃のものであり、会社が違法行為の責任を問うのであれば、及川執行委員長をその違法行為の直後に懲戒解雇したごとくにその行為のあつた時に同人らを処分しえたはずであるにもかかわらず、これを一年余にわたり放置し争議終結後社長交代を機としてにわかに処分をおこなつた会社の意図は理解できないところである。

5 さらに同人らが組合執行委員の全部であることは、上記の通りであるが、当時の組合員が二五名にしかすぎないことを考えると、執行委員全員の解雇は、争議責任の追及としても、いかにも行き過ぎであつて、争議終結後の追い討ちの感を深くし、結局、同人らの解雇は組合の壊滅を企画しておこなわれたものであり、労働組合法第七条第一号の不当労働行為であると判断せざるをえない。

よつて主文第一項の救済をあたえることとし、なお組合の請求する陳謝文の掲示は、その必要を認めないのでこれを棄却する。

6 以上の次第で、労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条を適用して、主文のとおり命令する。

緊急命令申立事件

(札幌地方昭和四一年(行ク)第四号 昭和四一年一〇月二一日 決定)

申立人 北海道地方労働委員会

被申立人 第一小型ハイヤー株式会社

主文

被申立人は、原告第一小型ハイヤー株式会社・被告北海道地方労働委員会・参加人第一ハイヤー労働組合間の当裁判所昭和四一年(行ウ)第九号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決確定にいたるまで、右参加人組合の組合員飯村平・鳴海晋三・木下修・末崎茂・谷地政和・坂下邦雄・多賀一也・伊東昭宣・小島要および佐藤寛一を原職(いずれも運転手)に復帰させ、かつ右一〇名に対し各復帰の日からそれぞれ各人が受けるべき給与相当額を支払わなければならない。

緊急命令変更申立事件

(札幌高等昭和四五年(行タ)第一号 昭和四六年一月二六日 決定)

申立人 北海道地方労働委員会

被申立人 第一小型ハイヤー株式会社

主文

札幌地方裁判所が、同庁昭和四一年(行ク)第四号緊急命令申立事件について同年一〇月二一日付でした緊急命令のうち、坂下邦雄の原職(運転手)復帰を命じた部分を、次のとおり変更する。

被申立人は、控訴人被申立人、被控訴人申立人、参加人第一ハイヤー労働組合間の当庁昭和四五年(行コ)第三号不当労働行為救済命令取消請求控訴事件(原審札幌地方裁判所(行ウ)第九号)の判決が確定するまで、右参加人組合の組合員坂下邦雄を原職(配車係)に復帰させなければならない。

理由

申立人は主文同旨の決定を求めた。その理由は別紙のとおりである。

一件資料によると次の事実が明らかである。

被申立人会社の労働組合である第一ハイヤー労働組合(以下単に参加人組合という)の組合員坂下邦雄は、被申立人会社の配車係であつたが、昭和三七年以来の参加人組合と被申立人会社との間の一連の労働争議に関連して昭和三七年五月七日に配車係から運転手への降職処分をうけ、かつ昭和三八年一一月二八日には他の組合員とともに懲戒解雇処分をうけた。右二つの処分に対しては参加人組合から不当労働行為救済命令の申立がなされ、これをうけた申立人委員会において、第一の降職処分に対し昭和四一年七月一四日坂下を配車係へ復帰させることを命ずる救済命令(昭和三七年道委不第一一号事件)が発せられ、またこれと同じ日に、第二の懲戒解雇処分に対し原職復帰を命ずる救済命令(昭和三九年道委不第六号)が発せられた。被申立人会社は右第一、第二の救済命令に対し札幌地方裁判所に救済命令取消請求訴訟(同庁昭和四一年(行ウ)第一一号および同年(行ウ)第九号事件)を提起し、第一の訴訟については昭和四四年三月一〇日被申立人会社敗訴の判決があり、現在当庁(第二部)に控訴事件(当庁昭和四四年(行コ)第二号事件)として係属中である。また、第二の訴訟についても昭和四五年四月一〇日被申立人会社敗訴の判決があり、現在当庁(第四部)に控訴事件(当庁昭和四五年(行コ)第三号事件)として係属中である。ところで、第二の救済命令については、札幌地方裁判所において、昭和四一年一〇月二一日に坂下邦雄ら懲戒解雇された組合員を原職に復帰させることを命ずる緊急命令(同庁昭和四一年(行ク)第四号)が発せられたのであるが、右命令においては、原職をいずれも運転手と限定していたため、被申立人会社は、昭和四五年一二月一六日にいたり、緊急命令にしたがつて組合員らを就労させるに際し、坂下に対しても運転手として就労することを要求している。

以上のとおり認められる。

これによれば、右緊急命令は、坂下が懲戒解雇された当時の職が降職処分の結果運転手とされていたため、同人を解雇当時の運転手に復帰させることとしたもので、形式的には矛盾はない。しかし、同人の争議当初の本来の原職は配車係であるうえ、第一の降職処分と第二の懲戒解雇処分は一連の争議行為に関連してなされており、かつ、これに対する救済措置として、申立人委員会において昭和四一年七月一四日の同日に右二つの処分をいずれも不当労働行為として救済命令を発しているのであるから、同人に、一連の争議によつて失われた職を回復させる措置をとる場合に、同人の原職とは、実質的には配車係を意味すると解するのが妥当であろう(申立人委員会がそのように考えていたことは、別紙申立の理由からも明らかである。)。したがつて、緊急命令において、坂下の原職を配車係とすることもできたと解せられる。

さらに、疎明によると、現在、坂下は、糖尿病、慢性肝炎で通院加療中であり、運転手として勤務することは病状を悪化させるおそれがあり、事務的な業務ならば、適当であることが認められるから、現在の健康状態からいつても、同人を本来の原職である配車係に復帰させるのが相当である。

以上の理由から、申立人委員会の本件緊急命令変更の申立は相当であると考えられる。もつとも、坂下の配車係への復帰は、右緊急命令の変更でなく、第一の降職処分に対する救済命令についての新たな緊急命令によつてなすことも考えられるが、この緊急命令は、同人が被申立人会社において従業員の地位を有することを前提として、運転手から配車係への復帰を命ずる救済命令について発せられるものであるところ、坂下については、前記のごとく別途に懲戒解雇処分がなされており、これについて原職復帰の緊急命令が出されているのであるから、前記降職処分の適否のみを問題とする緊急命令よりは、より本質的な解雇処分の適否を問題とする緊急命令について、右にのべたような、同人の本来の原職が配車係であつたことおよび同人の現在の健康状態を考慮して、右緊急命令を変更することの方が適当である。

そこで札幌地方裁判所のした右緊急命令を一部変更することとして主文のとおり決定する。

(別紙)

申立の理由

一 申立外第一ハイヤー労働組合員飯村平・同鳴海晋三・同木下修・同末崎茂・同谷地政和・同坂下邦雄・同多賀一也・同伊東昭宣・同小島要および同佐藤寛一は、いずれも被申立人に雇用される従業員であつたところ、昭和三八年一一月二八日付をもつて懲戒解雇された。

二 申立外第一ハイヤー労働組合は、右解雇をもつて労働組合法第七条第一号および第三号の不当労働行為であるとして申立人に救済申立てを行ない、右申立ては昭和三九年道委不第六号事件として申立人に係属した。

三 申立人は、昭和四一年七月一四日、右一〇名に対する懲戒解雇を取消して原職に復帰させ、解雇後原職復帰までの間に同人らが受けるべき諸給与一切を支払わなければならない。その余の申立ては棄却する、旨の命令を決定し、同命令を被申立人に同月一五日交付した。

四 しかるに被申立人は右命令のうち前記救済の部分を不服として昭和四一年七月二八日付をもつて右救済部分の取消しを求めて札幌地方裁判所に行政訴訟を提起し、同庁昭和四一年(行ウ)第九号不当労働行為救済命令取消請求事件として係属した。(この行政訴訟事件は昭和四五年四月一〇日に申立人および参加人第一ハイヤー労働組合の勝訴判決があり、被申立人の控訴により御庁昭和四五年(行コ)第三号事件として係属し、次回期日は昭和四六年三月一日である。)

五 そこで申立人は、昭和四一年九月二日付をもつて札幌地方裁判所に労働組合法第二七条第八項による緊急命令を申立て、その申立てにおいて「坂下邦雄の原職は、申立人訴外第一ハイヤー労働組合、被申立人第一小型ハイヤー株式会社間の昭和三七年道委不第一一号不当労働行為救済申立事件につき、当地方労働委員会が昭和四一年七月一四日付でなした救済命令に基づき配車係であると思料する」旨付言したが、同庁は昭和四一年一〇月二一日付をもつて、右坂下邦雄についてもその原職を運転手であるとする旨の決定を行なつた。(別添札幌地方裁判所昭和四一年(行ク)第四号緊急命令申立事件の決定書のとおり。)

なお、右昭和三七年道委不第一一号不当労働行為救済申立事件については、昭和四一年七月一四日付で主文「一、被申立会社は、申立組合の運営に介入してはならない。二、被申立会社は、申立組合の組合員坂下邦雄を配車係に復帰させなければならない。三、申立組合のその余の申立てを棄却する。」との一部救済命令を発し、被申立人は同命令の救済命令の取消しを求めて、札幌地方裁判所に行政訴訟を提起し、同事件は同庁昭和四一年(行ウ)第一一号事件として審理され、昭和四四年三月一〇日、申立人および参加人第一ハイヤー労働組合の勝訴判決があり、被申立人の控訴により御庁昭和四四年(行コ)第二号事件として係属し、昭和四五年七月三〇日弁論を終結し、判決言渡期日は追つて指定するとなつている。

六 被申立人は前記緊急命令が発せられたにもかかわらずこれを履行せず、そのため申立人は三度にわたり札幌地方裁判所に緊急命令不履行通知をなし、同庁は昭和四二年一月二六日および昭和四五年八月三一日、それぞれ被申立人を過料一〇〇万円に処する旨決定した。

七 被申立人は昭和四五年一二月一六日に至り、ようやく右緊急命令に従い、右一〇名を就労せしめることにしたが、同命令は坂下邦雄を含めてその原職はいずれも運転手としているとの理由のもとに右坂下邦雄に対して運転手として就労すべきことを要求している。

八 しかしながら、そもそも右坂下邦雄の原職は、昭和三七年道委不第一一号不当労働行為救済申立事件において申立人が判断したとおり配車係であり、加えて現在の同人の健康状態は運転手としての就労に堪え得ないものであつて、これを強行した場合その健康に悪影響を招来することが医師の診断により明らかにされているものである。

九 以上の次第から、申立人は昭和四五年一二月一七日開催の第六一九回公益委員会議において、労働組合法第二七条第八項の規定により右緊急命令の変更を申立てることを決議した。

よつて、前記申立ての趣旨の御決定を得たく、ここに本申立てに及んだ次第である。

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