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札幌高等裁判所 平成7年(う)113号 判決 1997年3月18日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官大林宏作成の控訴趣意書、被告人作成の控訴趣意書並びに主任弁護人村岡啓一及び弁護人薄木宏一連名作成の控訴趣意書二通にそれぞれ記載されているとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、右両弁護人連名作成の答弁書に、弁護人及び被告人(以下被告人を含めるときは「弁護人ら」という)の控訴趣意に対する答弁は、検察官友枝眞卿作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

なお、以下の検討に当たっては、共犯者の甲野花子を「花子」と、被害者の甲野太郎を「太郎」と、甲野夏子を「夏子」という。

第一  <省略>

第二  各控訴趣意中、量刑不当の主張について

検察官の論旨は、第一次的、第二次的と区別して主張はしていないものの、当審におけるその立証態度などにかんがみると、要するに、第一次的に、原判決は、花子の大学の先輩で、当時すでに社会人、女性経験も豊富であった被告人が、当時未成年で一途に被告人のことを思って家出までして被告人との同棲の道を選んだ花子を焚き付けて共犯に引き込み、本件犯行に及んだもので、強盗殺人の動機形成及び計画立案、殺害を含む強盗殺人の実行行為、その後の死体遺棄、有印私文書偽造・同行使・詐欺の犯行や犯行後の罪証隠滅行為等において、被告人が果たした役割と花子が果たした役割との間には歴然たる差異があり、被告人が主導的、積極的役割を果たし、本件犯行の主犯であることは明らかであるのに、これらの事実(以下「主導性」ないし「主導性に関する事実」という)を認めず、更には、被告人の反社会性は既に固定しており、矯正はもはや不可能であるのに、矯正可能性を肯認し、他方で遺族感情を過少評価した結果、第二次的に、原判決は、(原判決に主導性や矯正可能性の点に事実の誤認がないとしても)本件において被告人の果たした役割や遺族感情を過少評価し、他方で、花子には、犯行当時未成年である等、特別の事情があったから、本件において花子は無期懲役に処せられたのに、この事情のない被告人の刑責を花子と同等に評価した結果、被告人を無期懲役刑に処したもので、その量刑は軽過ぎて不当であり、死刑に処するのが相当である、というのである。

他方、弁護人らの論旨は、明言はしていないものの、誤認したと指摘する事実の内容や弁論等を併せて考えると、いずれも要するに、検察官の主張とは反対に、本件犯行等において花子に主導性があったことは明らかであるのに、これを認めなかった原判決の事実認定には誤認があり、右誤認は量刑事情として重要な事実の誤認であるから、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というに尽きるものと解される。

ところで、本件は、被告人が同棲中の花子と共謀の上、花子の両親である太郎(昭和二一年九月生)及び夏子(昭和二一年六月生)を殺害してその直後に現金等を奪った強盗殺人、その後死体を遺棄した死体遺棄、強取した定額郵便貯金証書等を利用し、四回にわたって関係書類を偽造・行使し、郵便貯金解約等の名目で現金を騙し取った有印私文書偽造・同行使・詐欺から成り、原審の認定した量刑の基礎となる事実を前提に考慮しても、原判決が「検察官の死刑求刑にもそれなりの根拠があることは否定できない」と判示しているように、死刑選択の可能性もある重大事犯であるから、もし、原判決に主導性及び矯正可能性につき検察官主張の事実誤認が認められるときは、量刑不当の論旨は理由があるということになろう。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて、まず、主導性及び矯正可能性に関する事実誤認の主張につき検討し、次いで右検討の結果を踏まえて原判決の量刑の当否について判断する。

一  事実誤認の主張について

1  原審が認定した主導性に関する事実と誤認の有無(総論)

(一) 主導性に関する原審の認定・判断は、原判決が補足説明及び量刑の理由において認定・判示するとおりであるが、大要以下のとおりである。すなわち、被告人と花子はそれぞれ独自に強盗殺人の動機を持ち、両名で協力して殺人計画を練り、実行の準備をしたものであり、両名の性格や行動傾向からして、本件一連の犯行は、被告人又は花子が相手に引き摺られて従属的に犯行に加担したといった形態の犯行でなく、両者がいわば一心同体となって、計画を立案し、犯行を敢行したものである。もっとも、太郎夫婦の殺害行為については、被告人がほとんどを行って致命傷を与えており、被告人に実行行為面での主導性が認められる。しかし、花子も殺害行為においても夏子に対する攻撃に出ていたばかりか、睡眠薬の準備、遺書の作成等本件の事前の準備、事後の偽装工作、金銭取得行為等の重要部分を行っていて、本件で重要な役割を果たした。

(二) そして右認定・判断は、原審において取り調べられた関係証拠によって、すべて正当として是認でき、原審は、以下のとおり、より慎重な配慮のもとに証拠の価値判断や取捨選択を行ったものと認められ、改めて花子が本件当時未成年であったことを考慮に入れても、その認定・判断の過程において経験則違背のかどは見いだせない。

すなわち、本件で主導性に関する事実は、犯罪事実そのものではないけれども、前述のように、死刑選択の決め手となるといってもよい重要な事実の一つである上、本件犯行中、強盗殺人は、その動機形成、計画立案が被告人と花子の間で秘かに行われ、実行行為も深夜に、住宅内という密室で行われ、しかも当時の居住者であった被害者両名が死亡しているため、目撃者や関与者等は見いだせず、これらを供述できる者としては被告人と花子しかおらず、その後の死体遺棄、詐欺等の犯行でも、部分的な関与者、目撃者等はいても、これらを供述できる者は前同様被告人と花子だけであり、しかも、被告人と花子の供述には、強盗殺人の動機形成及び計画立案、殺害を含む強盗殺人の実行行為、その後の死体遺棄、有印私文書偽造・同行使・詐欺の犯行や犯行後の罪証隠滅行為等において、主導性につき、基本的な部分から細部まで大きなくい違いがある。本件のような事犯にあっては、共犯者間で責任転嫁の供述がなされる危険性があることは否定できない。原審は、原判決中で正当に指摘しているとおり、前述の諸点を十分認識、自覚した上で、より慎重な配慮のもとに、両名の供述の信用性を検討し、前記の主導性に関する事実を認定したことが明らかである。とりわけ、原審が右信用性判断に当たり、「被告人、花子の供述は、そのまま全体として信用できるものではなく、部分的な供述の信用性を供述内容の合理性、他の状況証拠との整合性等多面的な角度から慎重に検討し」たことは誠に至当である。

主導性につき、原審の認定した事実に基づき、所論に即して付言すると、強盗殺人の実行面での被告人の前記主導性も、花子が被告人にほとんど匹敵する重要な役割を果たしており、もし花子が強盗殺人の直前までに翻意した場合には、被告人一人では右犯行を実現することはできなかったものと考えられ、量刑判断上、その刑責において花子との間に検察官のいうほど歴然とした差異は認められない。

以上の判断は、当審における事実取調べの結果によっても動かされない。

以下、所論にかんがみ、主導性に関する事実を含め、検察官又は弁護人らが事実誤認を指摘する諸点について説明を加える。なお、以下の検討においては、特に断わらない限り、原審で取り調べた各証拠を「関係証拠」という。

2  被告人及び花子の性格、行動傾向等

(一) まず、検察官は、花子が被告人との交際開始後、その生活の大部分を被告人のそれに合わせるようになったのみならず、その性格も一変させ、従来の素直な娘から、派手好みで気が強くなるなど、生活面・精神面での被告人の影響は顕著であるとして、花子の本件への加担は被告人の影響によるものであり、これを認めなかった原判決には誤りがある、と主張する。

しかし、関係証拠によれば、原判決が補足説明の第二の「四の3、被告人と花子の交際状況」や同「四の5の(三)、花子の精神的動機」において認定・判示した、被告人との交際の前後における花子の性格や行動状況等に関する事実はすべて正当として是認できる。右事実、なかでも、花子には被告人と交際する以前から男友達がおり、被告人と交際を始めた後、右男友達との間にできた子供を堕胎する一方で、被告人との同棲を開始していることなどにかんがみると、花子は、所論がいうような素直な女性であったとはみられない。花子の右変化は、原判決が説示するとおり、花子自身の派手好みの性格が、被告人との同棲により親の監督から離脱したことから明確な形となったとも考えられ、被告人の影響のみの結果とみることには疑問が残る。被告人の一方的な影響下に服装その他を変化させ、ひいては本件を犯すに至ったと解するのは相当でなく、検察官の右所論は採用できない。

(二) 次に、被告人の性行等に関し、検察官は、本件は、被告人の自己中心的で冷酷な性格の発現であり、被告人の主導性を推認させるものである、と主張し、他方、弁護人は、医師山上晧による精神鑑定の結果によれば、被告人には、演技性人格障害及び自己愛性人格障害という人格障害が認められ、右人格障害からする対人関係上の行動の特徴は、詐欺犯との親和性が認められるとしても、殺人等の粗暴な犯罪との親和性がない。このような被告人が太郎夫婦殺害という極めて粗暴な犯罪に関与したのは、山上鑑定が指摘する太郎夫婦との折衝等によるストレスと花子に対する強い恋愛感情の影響であり、花子の愛情を失うまいとして、花子の自我確立のためのイニシエーションとしての「親殺し」の行動化に追従したものであり、これを認めなかった原判決には誤りがある、と主張する。

確かに、山上鑑定によれば、被告人には弁護人指摘の人格障害があり、対人関係において、自己中心的で共感性に欠け、平気で他人を利用する特徴を示すとされ、関係証拠によって認められる本件前後の被告人の行動には、右人格障害の特徴を窺わせるものもある。

しかし、右鑑定自体「現在被告人がおかれている極めて困難な状況を反映し、これによって性格障害の特徴が強調されている面がある」「人格障害の程度も、それほど高度のものであるとはいえないであろう」と認めている上、右鑑定は、あくまで精神医学の見地から被告人の人格や性格上の特徴を指摘するにとどまるものであって、関係証拠から認められる現実の行動等を通じてなされる検討・評価を妨げるものでないことは当然である。そして原審で取り調べた関係証拠を精査しても、本件が、検察官の所論のように、被告人の自己中心的で冷酷な性格の発現であり、被告人の主導性が推認される、との結論を導く証拠は見いだせず、また関係証拠によれば、原判決が補足説明の第二の「四の4、被告人の本件犯行の動機」で検討するとおり、被告人には、被害者らに花子との生活を邪魔されたくないという明確な精神的動機(被告人は、利欲的動機といずれが大きかったかについての変更はあるが、精神的動機の内容については捜査段階及び原審公判廷を通じて、右のような精神的動機の存在を認める供述をしている)と、後記4のとおり本件に対する明瞭な利欲的動機が認められる上、太郎夫婦殺害行為のほとんどを行い致命傷を与えている点で実行行為における主導性が認められる(花子との程度の差が歴然としたものではないことについては後述する)ことなどからして、その性行から花子に追従したとは到底みられず、弁護人の所論のようにいうことはできない。また、花子の「親殺し」の行動化という点についてみても、弁護人の所論は、一つの仮説としては理解できるものの、本件犯行がその表われであると認めるまでの証拠はない。

3  殺害計画

(一) 次いで、検察官は、小樽計画以下の一連の計画に先立ち、被告人らが話し合ったとして被告人が供述する、交通事故に偽装する案は、被告人が以前乙川秋子に持ちかけた夫殺害と共通し、動機も被告人に強く認められる上、被告人は捜査段階では、自分が発案者であると認めていたことなどからして、本件犯行の発案者は被告人と認めるべきであり、これを認めなかった原判決には誤りがある、と主張する。

しかし、被告人が右女性を含む、これまで交際していた女性らに、その夫等の殺害を持ちかけたという点は、もともと、その旨述べる右女性らの供述が反対尋問を経ていないものであるなど正確性の保証がない。加えて、その内容は、所論にかんがみ再度検討しても、やはり具体性を欠くというほかはないし、そこで述べられているのは、いずれも犯行後逃走するというものであるところ、本件で被告人は、札幌を離れることは考えずに本件犯行に及んでいる点で相容れないものがある。更に、発言のきっかけは相手の愚痴などに触発されたとみることもでき、しかもそれらの話はそのまま立ち消えとなり、その計画、準備にも至っていないのであって、原判決が説示するように、被告人には殺害といった重大な事柄を不用意に発言する傾向があるとはいえても、所論のように本件との関連性までは肯定できない。また、被告人の自白については、所論のように解する余地もあるが、原審公判廷で否定しており、他にこれを裏付ける証拠もない。

(二) 他方、弁護人らは、新川計画として実行された本件に至るまで、小樽計画、利尻計画と殺害計画が練られていたところ、両親へのわなの設定、両親を行動不能に陥れる行為、殺害行為、殺害後の対外的交渉のうち、殺害行為自体は被告人も分担するが、それ以外の行為はすべて花子が中心となっていることなどからみて、花子こそが殺害計画の実質的発案者で、計画を維持していたものであり、これを認めなかった原判決には誤りがある、と主張する。

関係証拠によれば、確かに、花子が計画実施の全般にわたって重要な役割を果たすことになっており、実際、小樽計画をみても、小樽計画で使用する予定のスタンガンの威力を実験するに際し、花子も被告人と終始行動をともにして被告人を補助したり、計画の下見のため小樽に同道するなどしてた事実が認められる(なお、関係証拠を再度検討しても、所論指摘の諸事実については、原判決が補足説明の第二の「三、殺害計画の立案」において認定しているもののほかは、これを認めることが困難である)。しかし、花子の右のような役割は、花子の両親を殺害し、両親の有していた財産を取得するについては、いずれにしろ花子が種々の役割を分担しなければ実現しないものであるから、これを担当することになるのは当然である。これらのことから、原判決が補足説明の前同「三、1小樽計画の(二)(2)小括」で適切に説示するとおり、花子は被告人と一心同体になって、積極的に小樽計画を企図していたと認められるものの、更に所論のように言い切ることまではできない。結局、この点についても、検察官そして弁護人らの所論はいずれも採用できない。

4  動機

(一) 検察官は、本件動機に関し、額に汗して働くことを惜しみ、情婦ともいうべき花子とともに贅沢で享楽的な生活を送りたいがために、まず太郎夫婦の殺害を決意したのは被告人であり、これに対し、花子には独自に両親を殺害しなければならない動機は見当たらず、被告人の心と体をつなぎ止めることにあったもので、花子と被告人との間には歴然とした差異がある、と主張し、弁護人は、被告人には被告人独自の利欲的な動機がないのに対し、花子には利欲的な動機とともに、自我確立のためのイニシエーションとしての「親殺し」という精神的動機も存在したとして、ともに、相互に固有の動機を有していたとする原判決の認定は誤りである、と主張する。

(二) まず、被告人の動機に関し検討すると、関係証拠によれば、原判決が補足説明の第二の「四の4、被告人の本件犯行の動機」で、被告人の成育歴、Aプロダクションズ設立の経緯・経営状態、本件当時の被告人と花子の生活状況、本件により取得した財産の費消状況などに関し認定・判示するとおりの事実が認められる。そして、これらによれば、被告人には、被害者らに花子との生活を邪魔されたくないという精神的動機(なお、弁護人のいう、被告人は、花子の愛情を失うまいとして本件犯行に及んだものであるとする点については、前記2の(二)で検討したとおりである)と、相当額の金員を得たいという利欲的動機が認められる。

しかし、関係証拠を更に検討しても、その動機が検察官主張のようなものであったと認めるような証拠はない。また、弁護人の所論にかんがみ検討しても、本件前後のAプロダクションズの経営状態は相当苦しく、被告人は相当額の金銭を欲しており、これは、強盗殺人の犯行の直後から、現金騙取の犯行を敢行していたり、原判決が認定する本件により取得した財産の費消状況がこれを裏付けている。

なお、弁護人は、原判決の利欲的動機に関する認定・判断に対し、①原判決は、白井美和からの二〇万円入金を前提に白井美和の退任登記を放置していると指摘し、また、マスターズの那須貴絵に対する未払い給料の請求を挙げているが、右入金は認められない上、白井や那須に対する請求は、被告人の認識においては当然の権利行使であった、②Aプロダクションズの経営に関し被告人は何も悲観していなかったので、これを利欲的動機の根拠とすることはできない、③利得した金員の費消を検討するについては、死体遺棄や罪証隠滅費用を含めるべきでなく、これらを控除すると、花子や被告人の個人的な欲望のために費消されたものはない、などと主張する。

しかし、①については、仮に白井からの入金の点を除いても、右の者らに対する請求をした時期が本件に接近した時期であることは、やはり利欲的動機を推認させる重要な事実であり、所論の警察沙汰になるとの懸念については、時期の点はさておいても、被告人らが小樽計画において、それ自体相当の犯罪に当たるというべき、帰宅途中の女性を連行して同女にスタンガンを押し当てる実験をしていることなどと対比すれば、被告人らが警察沙汰になるなどということを気にしていたとは認められない。②についても、被告人は、花子とともに、強盗殺人の犯行の直後から金融機関等で金員を騙取していることなどからみて、被告のAプロダクションズの経営に関する認識はともかくとして、当時被告人らが経済的に困窮していた事実を優に肯認できる。③も、原判決が適切に認定するとおりの費消状況が認められ、花子の服飾品に費消された分は、花子の利欲的動機であると同時に、花子にそのようなものを買い与えたいという点では、被告人の利欲的動機でもあるといえる。また、死体遺棄費用等を入れて検討することも、現実に生じた事態に対処した事情もその動機を推認させる事情になり得るから、これを含めることに支障はない。

(三) 次に、花子の動機をみると、関係証拠によれば、原判決が補足説明の第二の「四の5、花子の動機」で認定・判示するとおり、花子は、本件後、自分の自由となった金で積極的に買い物をしていたことが窺われ、犯行後購入した電子手帳に今後の購入希望商品を記載したショッピングリストが入力されていたことなどからみて、利欲的動機があったことは明らかである。更に、花子の側に専ら非のある親子関係の軋轢や被告人との関係を引き裂かれたくないという気持ちからくる精神的動機も認められ、検察官の指摘する点を考慮し再度検討しても、やはり花子にこれらの動機があることは明らかである。しかし、これらは、いずれも被告人との交際開始後に生じたものであり、被告人との関係を抜きにして、単独でも両親の殺害を含む本件犯行に出るといった強い動機であったとまで解し得る証拠はなく、弁護人の所論のようにはいえない(弁護人のいう、花子の「親殺し」の行動化が採用できないことについては前述のとおりである)。

5  本件犯行の準備

(一) 弁護人らは、花子の事件関与の積極性を窺わせる事実であり、被告人の供述とも一致する、①遺書は花子が一一月中旬ころ作成したものであること、②被告人と花子は、ともに吉田ビルを出て被害者方に赴いたこと、③被害者方で、花子は計画どおり太郎らに睡眠薬入りのお茶を飲ませたとみるべきことについては、これを認め得る証拠があるのに、原判決がその認定をしていないのは誤りである、と主張する。

(二) しかし、所論にかんがみ関係証拠を再度検討しても、①遺書に関しては、時期を特定するのに役立つ他の証拠はなく、弁護人らの指摘も説得的ではあるものの、被害者らを殺害後、その勤務先に病休の電話をするなど種々の工作をしていることも併せ考えると、遺書が最終的に完成したのが殺害後となったという可能性も否定できず、更に、②及び③についても、この点に関しては被告人と花子の供述がくい違っているところ、いずれの供述もその裏付けとなる証拠を欠いており、これを確定することは困難であるから、原判決が補足説明においてこれを事実として確定しなかったからといって誤りであるとはいえない(なお、原判決は、③について、量刑の理由中では、被告人に有利にの原則に随って被告人の供述に沿う事実を認定しているのであって、右認定は、後記6の末尾で説示したと同一の理由により、正当である)。

6  本件強盗殺人の実行

(一) まず、太郎の殺害について、弁護人らは、包丁を持ち出した上、太郎を包丁で刺殺するよう被告人に指示したのは花子であるのに、これを認定していない原判決は誤りである、と主張する。

誰が包丁で刺殺するよう指示したのか、という点については、互いに相手方であるとして被告人と花子の供述が対立している。そのうち、花子の供述は、包丁を持ち出したのは誰であるのかということに関連して述べる状況や場所等について不合理な変遷を重ねていて信用できない。他方、被告人は一貫して花子から手渡されたと供述しているが、これを裏付ける証拠はない。包丁が花子の両親である被害者方から持ち出されていることを考えると、持ち出したのは花子であるとしても不合理とはいえないが、仮にそうだとしても、持ち出しの契機・原因が明らかでないことから、直ちに花子の主導性を窺わせることにはならない。

また、花子の指示についても、被告人は一貫して所論に沿う供述をしているが、その信用性については、原判決が補足説明の第二の「五の2、殺害計画の実行」において、適切に検討するとおり、被告人が犯行直前に逡巡したとか、花子の方が一方的に犯罪実行に積極的であったなど、本件の計画性に照らして不自然な供述部分を含んでいて、全面的には信用できず、関係証拠を再度検討しても、他にこれを補強するような証拠もない。

(二) 次いで、夏子の殺害に関し、検察官は、夏子の第二創又は第三創の成傷者は被告人であるとし、他方、弁護人らは花子であるとして、原判決が夏子の第二創又は第三創の成傷者を認定していないのは誤りである、と主張する。

しかし、この点は、解剖結果や被告人及び花子の供述等の関係証拠によれば、原判決が補足説明の第二の「二の3、夏子の殺害状況」及び同「二の4、成傷器と成傷者の特定」において詳細に検討するとおりであって、その成傷者については、少なくともいずれかの創については被告人と認められるが、他の創については花子の可能性も否定されないことから、被告人か花子かは認定できないといわなければならない。検察官は、仮に、創の一つが花子の刺突行為によるものであるとすると、花子は掛け布団の上から夏子の背部を突き刺したことによって、男性の被告人が露出した夏子の背部を突き刺したのと同じ深さである約五センチメートルの創を負わせたことになって不自然であると主張するが、夏子が掛け布団を掛けていたと認めるだけの証拠はなく、また、関係証拠(原審甲三九六)によれば第二創又は第三創は、包丁で刺したのであれば、それほど深い傷とはいえないとされるから、あながち不自然であるとまではいえない。

ところで、本件では、花子が使用した包丁が、夏子の死体の上膊外側に折り曲げた左前腕部と死体左胸部付近の布様の物との間に挟まれた状態で発見されている。検察官は、これを根拠に、被告人の供述に従って花子の刺突行為があったとした場合、右包丁の発見状況からすると、その状況は、夏子が仰向けになって掛け布団を掛けていたところを、花子が掛け布団の上から夏子の左脇腹付近を右包丁で刺して手放し、異常に気付いて目覚めた夏子が時計の針と逆方向に身を転じて右包丁を左前胸部付近に抱え込む形になったところ、今度は被告人に攻撃・刺殺されて布団ごと梱包され、右包丁が同一場所に固定されたまま燃やされたとするほかないところ、このようなことになる認定には無理があるから、花子が第二創又は第三創を負わせたとはいえない、と主張する。

これに対し、弁護人は、その梱包の状態などからみて、被告人らが夏子の死体を梱包する過程で右包丁が移動する可能性はなく、体の右側を下にし側臥の状態で寝ていたと考えられる夏子を、花子が自ら述べるように、その左脇腹からお尻の辺りを刺したため、夏子が左手で右包丁を取り上げ、そのまま、左上腕部と左脇腹の間に挟み込んだと考えられるとして、花子がその成傷者であることの根拠とする。

しかし、この点についても、原判決が補足説明の第二の「二の4の(二)」で正当に指摘するとおり、いずれの主張にも確実な裏付け証拠がなく、どちらともいうことができない。検察官は、当審で、所論を裏付ける証拠として、右発見状況に関する司法警察員作成の平成七年四月二六日付け捜査報告書と、包丁が夏子の左脇下から発見されるのはどういう場合であるのかダミー人形を使用して実験した結果に関する司法警察員作成の同年五月一八日付け及び同年六月二三日付け各捜査報告書を証拠として提出し、これらについて弁護人は、右実験の結果はかえって弁護人の主張を裏付けるものである、という。

そこで検討すると、右実験の結果は、包丁を左脇腹部と左腕の間に刺した以外、故意に移動しない限り、包丁は左脇下から移動しないことが判明したというのに過ぎず、どのような経緯を経た結果、右発見時の場所に包丁があったのかということを合理的に絞り込めるものではなく、結局、右証拠によっても本件犯行当時の実際の夏子の姿勢、更には花子の刺突行為の有無を確定することはできないのであって、右各所論は、やはり推論の域を出ないものであるといわなければならない。

ところで、検察官は、夏子の殺害行為に関し、原判決が、補足説明において、第二創又は第三創の成傷者について、少なくともいずれかの創については被告人と認められるが、他の創については花子の可能性も否定されないので、被告人か花子かは認定できないとし、また、被告人が夏子に対し刺突行為をしていた際、花子が夏子の下半身を押さえ付けていたかどうかについても積極的な認定は困難というほかはないとして、いずれの事実も認定できない旨判示する一方で、量刑上は、疑わしきは被告人に有利にの原則に従い、被告人の供述を前提とするとして、花子が確定的殺意を持って包丁で一回刺して創を負わせ、夏子の下半身を押さえ付けたと判示しているのは、公訴事実の認定に関する立証責任分配の法則を誤って量刑上の事実認定に適用したもので不当である、と主張する。

しかし、検察官指摘の事実は強盗殺人の実行行為(公訴事実)として犯罪事実証明の対象となると同時に強盗殺人の実行行為における主導性に関する重要な事実として量刑事実証明の対象にもなるところ、当該事実が犯罪事実証明の側面では、合理的な疑いを超える程度の立証がなく、その認定ができない場合に、量刑事実認定の側面においても、疑わしきは被告人に有利にの原則が適用されるというべきであって、これと同旨に出た原判決の判断は正当であり、何ら誤りはない。

7  本件犯行後の状況

(一) 検察官は、本件殺害行為後の、①死体梱包及び積載行為、②血液の拭き取りと金品物色行為、③死体遺棄の準備行為、④死体遺棄行為、⑤罪証隠滅工作、⑥賍物の管理処分等といった行為においても、被告人が主導的に発案、実行しており、その主導性は明らかであるのに、原判決には、その差異を十分認定していない誤りがある、と主張する。

(二) 関係証拠によれば、確かに、①においては、被告人の発案で、油圧式ジャッキ等を用い「てこ」の原理を応用して死体をギャランに積み込んだり、②でも、被告人の発案で、塩や冷水を使って血液を拭き取り、③において、死体を遺棄する土地の購入契約をし、④では、実際の遺棄行為を行ったり、⑤及び⑥でも、重要な行為を行い、率先して行動するなど、被告人が積極的に行動していたことは明らかである。

しかし、他方、花子も①及び②では、被告人と協力し合ってこれらを行っており、ことに金品物色では、屋内の状況を知っているのは花子であるので、その積極的な行動は不可欠である。③では、遺体が積まれたギャランを四トンパネルバンに積み込むのを熱心に業者に依頼するなどし、⑤では、遺書を作成したり、周囲の者に対し被害者らが自殺したかのように演技するなどし、⑥でも、花子が担当した金融機関等からの金銭取得行為は大きな位置を占めるなど、全体として花子も相当重要な役割を果たしているのであって、これらにおける被告人と花子の果たした役割についての位置づけに関する原判決の判断は相当であり、所論のようにはいえない。

8  矯正可能性

(一) 検察官は、被告人は人妻に対してその夫を殺害しようと持ちかけたり、本件のような方法で死体を遺棄したことは火葬による埋葬であると供述したり、自己に不利益な供述をした関係者に対して恐喝まがいの手紙を郵送したり、鑑定人に対して花子の弁護人に殺意に近いものを感じると述べたりするなど、被告人の犯行前後の言動をみると、その性格は冷酷にして危険であり、反社会性はすでに固定化するに至っているから、矯正はもはや不可能であるのに、指摘の事実を認めながらその評価を誤った末、被告人の矯正可能性を肯認した原判決には事実の誤認がある、と主張する。

(二) 確かに、関係証拠によれば検察官指摘の事実(但し、人妻に対して夫殺害を持ちかけた点については、それが具体性に欠け、正確性の保証がない上、相手の発言に触発された面もあり、そのまま立ち消えになっていることからも明らかなように、必ずしも被告人の人格の発露であるといえないことは前記3の(一)で説示したとおりである)のほか、被告人の性格は自己中心的で、共感性に欠け、他罰的・抗争的で興奮しやすいことが認められる。

しかし、右のような性格は、前述のとおり、被告人に認められる人格障害の特徴であり、鑑定自体、鑑定時に右特徴が強調された面があることや人格障害は高度のものであるとはいえないとしていることから見ても、強盗殺人等重大事犯を敢行した犯罪者に、多かれ少なかれ、認められる特性であることからしても、右性格特性や検察官指摘の事実の存在が直ちに被告人の矯正可能性に結び付くと判断するのは疑問であって、特に、無期か死刑かを選択する量刑基準として矯正可能性を持ち出すのであれば、死刑を選択された裁判例における被告人の多くが殺人等の前科を有し、かつ無感動・非感動的性格の持ち主であったことを思い起こすべきである。この意味で「検察官のように被告人には矯正可能性がないと断定してしまうのは早計であ」ると説示して矯正不可能であるとの認定を避けた原判決の認定・判断は正当であり、右認定・判断に経験則違反のかどは一切認められない。また当審で検察官が右認定・判断を覆すに足りる証拠の取調べを請求していないことは後記のとおりである。

9  結び

その他、検察官及び弁護人らの所論にかんがみ証拠を検討しても、原判決に各所論指摘の主導性及び矯正可能性に関する事実誤認は認められない。

なお、当審において、検察官が、主導性や矯正可能性に関する事実誤認を前提にした量刑不当を第一次的に主張しながら、これを裏付けるための証拠調べ請求を、被告人の花子に対する不誠実な行動が収録されているというビデオテープ(当裁判所は不必要として却下した)のほかは、被告人質問及び捜査報告書程度にとどめ、被告人と花子の供述の信用性の判断を含め、原審で取り調べられた証拠の評価に委ねたことは、検察官の立証意欲の点はともかくとして、検察官においてすら、原審で取り調べた関係証拠の評価に経験則違背があることの主張のほかは、主導性や矯正可能性に関する原判決の認定を覆すに足りる証拠方法をもはや見いだせなかったことを窺わせるもので、注目に値する。因みに、右捜査報告書が主導性についての原審認定を覆すに足りないことは6の(二)で説示したとおりである。

二  量刑判断に関する検討

そこで、右一で検討した点を踏まえて、主導性及び矯正可能性に関する事実を含めて原判決が正当に認定・判断した量刑事情をもとに、原判決の量刑の当否を検討すると、本件は極めて重大な事犯で犯情も非常に悪質ではあるものの、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は、これが軽過ぎて不当であるとまではいえず、これを是認することができる。もとより重過ぎて不当であるといえないことは当然である。その理由は、以下のとおりである。

1  本件一連の犯行は、被害者夫婦を殺害しその財産を奪うことを目的として、事前に、殺害方法等に関する入念な下調べや実験をしたり、犯跡隠蔽のため手の込んだ被害者夫婦の自殺偽装の事後工作を検討したりした後、複数の殺害計画を経て敢行された、極めて計画性の高い犯行である。被告人らは、浅慮にも被害者夫婦に偽って同棲生活を始め、そのため一人娘である花子のことを気遣い、その所在を確かめようとする被害者夫婦に自分らの幸せな生活を壊されると逆恨みし、あろうことか、その財産にまで目を付けて一攫千金を狙い、被害者夫婦を殺害しようとしたもので、自分らの幸せな生活や欲望を実現する方法は、他にいくらでもあったのに、何らその努力もせず本件に及ぶなど、その動機は、利己的で、人命を軽視した著しく無思慮かつ短絡的な、極めて悪質なものであって、酌量の余地はどこにもない。犯行の態様も、確定的殺意のもと、最も安全であるべき自宅の寝室で寝入っていた全く無防備の被害者夫婦を、太郎に対しては一撃で、夏子に対しては数度の刺突行為により殺害し、悠々と金品を強奪した後、その死体を布団巻にして車に積み、ガソリンを掛けて車ごと火をつけ、原野に掘削した穴に落とし、その上に砂利を敷くなどして埋め隠して遺棄し、更に所期の目的に従い、詐欺等の犯行を繰り返し続行し、被害者夫婦の全財産を奪おうとするなど極めて冷酷、残忍で凶悪なものである。被告人らの理不尽な行為により、被害者夫婦は非業の死を遂げたばかりか、財産的損害も、強奪した現金が二十数万円、強奪した預貯金証書、生命保険証券等を利用して騙取した現金が約四五〇万円余りと高額にのぼる。被害者夫婦は、いずれも社会人として、また親として非のない誠実な生活を送り、永年大きな愛情をもって花子を養育してきたのに、その花子と愛人の手にかかって働き盛りの人生を絶たれたのである。被害者夫婦の無念さはもとより、その親、兄弟姉妹ら遺族に与えた精神的苦痛も計り知れない。加えて、被害者夫婦の娘も犯人であるという本件の特殊性を考慮しても、みるべき慰藉の措置が講じられていないことは、やはり看過できない。また、本件は、大学在学中の一人娘が愛人とともに自分の実家で両親を殺害するなどしたという衝撃的な重大事犯であって、学校関係者はもとより、広く一般社会に与えた影響も甚大である。被告人らは、見るも無残な本件強盗殺人や死体遺棄の犯行を犯したばかりか、被害者夫婦殺害後も、自殺を装い警察官や被害者夫婦の縁者をも巻き込んで湖の捜索を行なわせ、本件で不正に得た現金で、死体遺棄のための土地を購入したり、ブランド品を購入するなどして、短期間で多額の金銭を使ってしまうなど、その行動に、被害者夫婦に対する人間的思いやりや、重大事犯を犯したという悔悟の念等は全くみられない。その上、被告人においては、捜査・公判を通じて自己弁護的で花子に責任を転嫁しようとする他罰的言動や内容虚偽の言動に及んだり、原審公判廷において、被害者夫婦の死体遺棄行為は埋葬のつもりであったと公言し、当審公判廷でも花子の嘘を暴くことが被害者夫婦の冥福につながると述べるなど、その供述、態度等には、被告人が犯行後現在まで、重刑が予想される心身ともに不安な状況にあったことを考慮に入れても、本件を真に反省し、改悛している情を看取することができない(もっとも、右反省状況の点は、本件のように死刑か無期かの選択が問題となる事犯においては、矯正可能性判断の一事情となるとはいえても、死刑と無期とを分かつ重要な量刑事情とまではいえない)。

2  本件は、前記一で検討したとおり、被告人が花子と一心同体となって犯したとみるべき事案であるが、動機面での明瞭性・積極性はもとより、ことに殺害行為の実行面において、被告人の方が花子より主導的であったことは明らかである。しかし、その程度の差は、検察官のいうような歴然としたものではないといわなければならない。

すなわち、花子においても、固有の動機を持って、本件で実行に移した新川計画も含めて、被告人とともに数次にわたり、殺害計画の立案、検討、準備をし、強盗殺人の実行に先立ち、その意図を隠して実家に戻り、睡眠薬入りの茶を勧めるなどして被害者らを休ませた後、被告人を実家に導き入れ、殺害行為においても、前記一で検討したとおり、確定的殺意をもって夏子の背部を包丁で一回刺して創を負わせ、右刺突行為の直後、一時的な気持ちの動揺から犯行現場を離れたものの直ちに戻り、その後夏子の下半身を押さえて被告人の殺害実行を容易にするなど、実行行為の一部を分担し、更に強盗殺人の犯行後も、犯行隠蔽工作や財産取得行為を積極的に行うなど、本件の全般にわたって、被告人にほとんど匹敵する重要な役割を果たしていたというべきであり、もし花子が強盗殺人の直前までに翻意した場合には、被告人一人では右犯行を実現することはできなかったものと考えられる。

3  ところで、死刑は、究極の峻厳な刑であるが、死刑制度が厳然と存置されている現行法制のもとでは、最高裁判所が示した「犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」(最高裁昭和五六年(あ)第一五〇五号、昭和五八年七月八日第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁)との基準に異論を挟まねばならない特段の理由はなく、本件でも右基準に従うこととする。

4  そして、本件が二名の殺害を含む強盗殺人等の重大な事犯であり、一連の残虐非道な行為において、被告人が重要な役割を果たしていることなどにかんがみると、一般予防の見地からも、被告人に対し極刑をもってその罪の償いをさせるべきであるとの検察官の所論には、相当の根拠がある。

しかし、被告人の本件における罪責をみると、前記のとおり、被告人にほとんど匹敵する形で本件に加担した花子の罪責と歴然といえるほどの差異がなく、また、花子の存在なしには本件はあり得なかったというべきところ、花子については、既に無期懲役の判決が確定していること、被告人には前科がなく、一応社会人としてそれなりの生活を送ってきていること、先に説示したとおり、被告人に矯正可能性がないとは断定できないこと、被告人の家族の尽力で、本件の金銭的被害の全額が弁済供託されていること、母や親族が被告人の更生に熱意を傾けていることなどの諸事情を併せ考えると、当審において、遺族が再度、被告人には死刑が相当である旨供述する等、依然として被害感情が融和していないことを考慮しても、本件が、被告人に対し、死刑という極刑を選択することがやむを得ないと認められる場合に当たるとはいい難い。

なお、検察官は、本件犯行の主導性は被告人にあり、花子は、被告人に従属したに過ぎないことのほか、花子が犯行当時未成年であったこと及び被害者の一人娘であって、遺族感情に複雑なものがあることを指摘し、花子には特別の事情があったから死刑を免れることになったが、被告人にはそのような特別の事情は存しない旨強調する。しかし、主導性・従属性の主張については、花子が犯行当時未成年であったことをも考慮に入れて考察した結果、花子も被告人にほとんど匹敵する形で本件に加担したとの判断に至ったこと、尊属殺人の規定は刑法から削除されたものの、尊属を殺害した場合の犯情については、犯行の動機・経緯に照らして一概に断定できないものがあることなどを考慮すれば、花子が未成年であったことや被害者が花子の両親であったことが死刑と無期とを分かつ特別事情であるとの検察官の見解には賛同できない。

また、知見によれば、近時、行刑上、無期懲役刑においては、受刑後およそ一五年ないし二〇年の経過で仮釈放が検討され、相当数の仮釈放がなされているようであるところ、本件における被告人の刑がそのような運用にそぐわないものであることは当然である。しかし、だからといってこのことが本件で死刑を選択すべき理由とはならない。

三  以上のとおりであって、検察官並びに弁護人及び被告人の論旨は、いずれも理由がない。

そこで、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の不負担につき刑訴法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

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