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札幌地方裁判所 昭和49年(ワ)1210号 判決 1982年11月08日

原告 野上ふさ子

<ほか三名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 入江五郎

同 高野國雄

被告 北海道

右代表者北海道知事 堂垣内尚弘

右訴訟代理人弁護士 齋藤祐三

同 宮永廣

右指定代理人 池田壽

<ほか三名>

被告 国

右代表者法務大臣 坂田道太

右指定代理人 片桐春一

<ほか一名>

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

〔請求の趣旨〕

一  被告らは、連帯して、原告野上ふさ子に対して金五〇万円、原告福嶋コハナ、同堀篭文夫、同前田光枝に対して各金三〇万円及びこれらに対する昭和四九年一二月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言。

〔請求の趣旨に対する答弁〕

一  主文第一、二項と同旨。

二  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

〔請求原因〕

一  原告福嶋は、北海道静内郡《番地省略》に居住するアイヌ人である。

原告野上、同堀篭、同前田は、原告福嶋宅に寄居し、原告福嶋が高齢で盲目の状態なので、同原告の生活の面倒を見て親交を持ちながら、アイヌ語、アイヌ史、アイヌ文化等を研究していた。

二  肖像権の侵害

北海道警察本部所属の私服警察官数名は、昭和四七年一〇月下旬、国鉄函館駅の待合室及び青函連絡船内の船室で、原告野上を包囲し、無断で、同原告の写真数十枚を撮り、原告野上が強く抗議したにもかかわらず、執拗にまとわり付き、更に同原告の写真を撮った。また、静内町で買物中や札幌地下鉄大通駅などでも、無断で、原告野上の写真を撮った。警察官らは、原告野上の膨大な枚数の写真を持ち歩いて私人に提示し、同原告が犯罪者であるかのように触れ込みながら、「聞込み」をしている。

三  住居権の侵害

1 静内警察署の警察官である長谷川竹雄、須藤勝は昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ、長谷川は同月七日午前一〇時ころ、須藤は同月一六日午前九時二〇分ころ、いずれも原告福嶋が拒絶したにもかかわらず、勝手に原告福嶋宅に上がり込んだ。

2 北海道警察本部所属の警察官らは、昭和五〇年七月二八日、原告野上が外出して不在であることを見計らって、原告野上宅に不法に侵入し、家宅捜索をした。このような住居不法侵入行為は、数回以上にわたって繰り返されている。

四  プライバシーの侵害、殺人未遂等

1 長谷川は、昭和四九年一月一七日、国鉄静内駅で、原告堀篭の行動を監視した。

2 長谷川、須藤は同年八月一八日、須藤は同月二〇日、二二日、二七日、二八日、二九日、いずれも原告堀篭宅に来て、原告堀篭の居室内を監視した。

3 長谷川は、同年九月一五日、静内町の豊畑橋付近の路上で、制服を着用して、原告福嶋の長男である福嶋市太郎が乗っていた乗用車を停止させ、原告らの行動を監視した。

4 長谷川、須藤及び北海道警察本部所属の山田俊夫ら警察官数名は、同年九月一六日から同月二〇日までの間、原告福嶋宅の周辺に来て、原告らがいる居室内の様子を監視した。

5 原告野上が同年九月一八日に原告福嶋宅から静内町市街までバスに乗って買物と入浴に出掛けたところ、行きは右北海道警察本部所属の警察官数名が車でバスを追尾し、帰りは私服警察官二名がバスに乗り込んで監視を続けた。その態様は、買物中も監視を続け、買物かごの中を探り、国鉄静内駅で購入した新聞名を調べ、銭湯から出てくるまで外で待つという程の執拗さであった。

6 原告野上、同前田が三浦広に対する殺人被告事件の証人尋問を傍聴するために同年九月二〇日午前一〇時ころ原告福嶋宅から静内簡易裁判所まで出掛けたところ、北海道警察本部所属の山田俊夫ら警察官数名は、同日午後四時ころまで右原告らの行動を監視した。その態様は、余りにも執拗であったので、原告野上、同前田は、三浦広の弁護人である入江五郎、高野國雄両弁護士に同道してもらい、静内警察署長江口幸男に抗議した程であった。

7 北海道警察本部所属の警察官らは、同年夏ころから、原告野上宅の出入りがよく見える場所に家屋又は一室を借りて、常時、原告野上の行動を監視し、同原告が外出すると、その後からついて来て尾行している。例えば、私服警察官一名は、昭和五二年八月六日、原告野上が数十回にわたって抗議したにもかかわらず、同原告から一メートル足らずの至近距離で密着して尾行し、他の私服警察官一名は、この状況を遠方から観察していた。原告野上を尾行した右私服警察官は、弁護士高野國雄法律事務所までまとわり付いて来たので、高野國雄弁護士も、これを目撃している。

8 また、北海道警察本部所属の警察官らは、入れ替わり立ち替わり二〇台以上の乗用車で、原告野上の尾行、追跡をしている。その車のナンバーは、原告野上が確認できた車だけでも、次のようなもの(いずれも札幌ナンバー)がある。

?―24(濃紺色、トヨペットGL、コロナマークⅡ)、12―73(白色)、13―68(濃緑色)、97―98(白色、ライトバン)、16―34(白色)、20―89(白色、ライトバン)、9―73(濃紺色)、30―77(濃緑色)、89―88(銀色)、40―22(白色、ライトバン)、83―75(灰色)、87―73(白色)

右乗用車の中でも、「札55ね?―24」の車は、最も悪質であり、原告野上は、この車に危うく轢き殺されそうになったことがある。すなわち、原告野上は、昭和五一年三月二九日午後六時過ぎころ、札幌市中央区大通西一二丁目の信号機のない交差点を横断していたところ、右車両が突然南方向から現れ、同原告の体をかすめて横切り、交差点を左折して行った。その際、原告野上は、右手にかすり傷を負ったが、前後の状況から判断して、同車には、殺人の意図があったものと見受けられる。そのほか、原告野上は、同市中央区北一条西四丁目の交差点で、信号を無視して飛び出してきた北海道警察本部の尾行車に轢かれそうになったこともある。

五  名誉毀損、侮辱

1 長谷川、須藤は、昭和四九年八月一六日午後四時ころ、原告堀篭の勤務先である静内サウナに来て、何らの根拠もないのに、「八月一五日から一六日にかけて静内町開拓記念『北辺開拓の碑』を壊したのは、お前だろう。その日のアリバイを聞きたい。」などと言い、須藤は、四本の指を示しながら、「あれだけのことをすると、これだけ食らうぞ。」と言った。

2 長谷川は、同年九月二日午後一時三〇分ころ、原告福嶋宅で、原告野上、同堀篭、同前田に対し、「お前ら、どこから来た。共同謀議のために集まったんだろう。いい隠れ家を見つけたものだ。三菱もお前らがやったんだろう。今度は北海道か。ばあさん(原告福嶋に対して)、こいつらは、ろくでもない連中なんだ。こいつらのえせ親切にだまされているんだ。」などと口汚くののしった。

3 長谷川は、同年九月七日午前一〇時ころ、原告福嶋宅で、原告野上、同前田に対し、「この野郎でない女郎は、ただの女ではない。大きな組織の人間で、浅間山荘や、この間の三菱の爆破をやっている連中だ。」などと暴言を吐いた。

六  暴行、脅迫

長谷川、須藤は、昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ、原告福嶋が「あなた達が来ると、私は死ぬ思いをするので帰ってくれ。」と言ったのに、これを聞き入れず、「一連の事件の捜査をする。」と言って、原告福嶋宅に上がり込んだ。原告堀篭は、右住居侵入行為が違法なので、右両名が家の中にいる様子を証拠に取っておこうと思い、カメラで写真を撮ったところ、長谷川、須藤は、「肖像権侵害の現認で逮捕する。」などと脅迫し、矢庭に須藤が原告堀篭の襟首をわしづかみにして、自動車に乗せて静内警察署まで連行しようとした。そこで、原告堀篭は、これを拒絶したところ、須藤は、更に二度にわたって足払いをかけ、原告堀篭を路上に転倒させ、後頭部を平手で殴り、右大腿部、腰部を膝頭で蹴り上げるなどの暴行を加え、無理矢理同原告を静内警察署まで連行した。また、長谷川、須藤は、同日、原告福嶋宅で、原告野上に対しても、同原告の襟首を締め上げ、居室内に突き飛ばし、数回にわたって襟首をつかんで小突き回すなどの暴行を加えた。

七  違法な捜索、差押え

1 静内警察署司法警察員江口幸男は、被疑者不詳に対する暴力行為等処罰に関する法律違反、軽犯罪法違反被疑事件について、昭和四九年九月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、原告ら宅の各捜索差押許可状を請求した。静内簡易裁判所裁判官武田覚太郎は、同日、右請求を受けて原告ら宅の各捜索差押許可状を発付し、その執行として、北海道警察本部警備課司法警察員佐々木章は、同月二二日、原告野上宅で、別紙三の(一)の品目欄及び員数欄掲記の物件四四点を、静内警察署司法警察員長谷川竹雄は、同日、原告福嶋宅で、別紙三の(二)の品目欄及び員数欄掲記の物件七点を、北海道警察本部警備課司法警察員山田俊夫は、同日、原告堀篭宅で、別紙三の(三)の品目欄及び員数欄掲記の物件七三点を、北海道警察本部司法警察員鈴木忠雄は、同日、原告前田宅で、別紙三の(四)の品目欄及び員数欄掲記の物件一〇八点を、それぞれ押収した。

2 静内警察署司法警察員江口幸雄は、前記被疑事件と原告らを結び付ける具体的な証拠が何もなく、原告ら宅には証拠物又は没収すべき物が存在する可能性が全くなかったにもかかわらず、何か容疑事実が出てくるかもしれないと憶測して、原告ら宅の各捜索差押許可状を請求した。

3 静内簡易裁判所裁判官武田覚太郎は、前記被疑事件と原告らを結び付ける具体的な証拠が何もなかったので、違法な見込捜査の下に原告ら宅の各捜索差押許可状が請求されていることを察知して、直ちに右請求を却下すべきであったのに、漫然とこれを看過し、原告ら宅の各捜索差押許可状を発付した。

4 原告ら宅の各捜索差押許可状には、被疑事件の具体的な事実や適用法条が記載されていないので憲法三五条に違反する。

5 原告らが押収された物件は、いずれも前記被疑事件と何らの関係もない。また、原告堀篭が押収された別紙三の(三)の番号一四、一六、一七の物件は、令状記載の「差し押さえるべき物」のいずれにも当たらない。

6 原告らが押収された物件の中には、アイヌ問題に関するチラシ、パンフレットや太田竜の著書が含まれている。これは、原告らの思想を調査するものであり、憲法で保障されている思想の自由を明らかに侵害する。

7 北海道警察本部所属の警察官らは、被疑者不詳に対する爆発物取締罰則違反、殺人、同未遂被疑事件について、昭和五二年八月五日、原告野上宅、同堀篭宅の家宅捜索をした。右家宅捜索は、違法かつ不当なファッショ的弾圧であり、その各捜索差押許可状を発付した札幌地方裁判所裁判官の責任も重大である。

八  違法な逮捕、勾留等

1 静内警察署司法警察員江口幸男は、原告野上に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の容疑で、昭和四九年一〇月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、同原告の逮捕状及び原告野上宅の捜索差押許可状を請求した。静内簡易裁判所裁判官武田覚太郎は、同日、右請求を受けて原告野上の逮捕状及び原告野上宅の捜索差押許可状を発付し、静内警察署司法警察員長谷川竹雄は、同月二一日、原告福嶋宅で、原告野上を逮捕し、その際、同原告が所持していた別紙四の(一)の品目欄及び員数欄掲記の物件一一点を押収した。また、同日、原告野上宅では、別紙四の(二)の品目欄及び員数欄掲記の物件一六点が押収された。次いで、札幌地方検察庁検察官三谷紘は、原告野上に対する前記被疑事件について、同月二三日、札幌地方裁判所裁判官に対し、原告野上の勾留及び接見等禁止の処分を請求し、同裁判所裁判官清田賢は、同日、原告野上の勾留状を発付し、接見等禁止決定をした。更に、三谷は、同年一〇月三一日、札幌地方裁判所裁判官に対し、原告野上の勾留期間を同年一一月二日から翌三日まで延長することを請求し、同裁判所裁判官田口祐三は、右請求を認容したので、原告野上は、同年一一月二日、処分保留のまま釈放されるまで一三日間にわたって身体を拘束された。

2 静内警察署司法警察員江口幸男は、原告野上が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が全くなかったにもかかわらず、同原告の逮捕状を請求した。

3 静内簡易裁判所裁判官武田覚太郎は、前記被疑事実と原告野上を結び付ける具体的な証拠が何もなかったのに、これを看過して、原告野上の逮捕状を発付した。

4 札幌地方検察庁検察官三谷紘は、原告野上を勾留する理由が全くなかったのに、これを看過して、同原告の勾留、接見等禁止の処分及び勾留期間の延長を請求した。

5 札幌地方裁判所裁判官清田賢は、原告野上を勾留する理由が全くなく、直ちに勾留等の請求を却下すべきであったのに、これを怠り、原告野上の勾留状を発付し、接見等禁止決定をした。

6 原告野上が逮捕された際及び原告野上宅で押収された物件は、いずれも前記被疑事件と何らの関係もない。

九  損害

原告らは、被告北海道、同国の公権力の行使に当たる公務員による以上のような違法行為によって計り知れない精神的苦痛を被った。その慰謝料は、原告野上について五〇万円、原告福嶋、同堀篭、同前田について各三〇万円が相当である。

なお、被告らの違法行為は、原告らに損害を与えるについて客観的に関連しているので、被告らは、原告らに対し、連帯して、これを賠償すべき義務がある。

一〇  よって、原告らは、被告らに対し、国家賠償法一条一項、四条、民法七一九条に基づき、前項の各慰謝料及びこれらに対する昭和四九年一二月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

〔被告らの主張及び請求原因に対する認否〕

一  アイヌ関連事件捜査の経過

1 アイヌ関連事件の発生と太田竜の動向

(一) 昭和四七年九月一九日午後三時ころから同月二二日午前一一時ころまでの間、北海道静内郡静内町字真歌、真歌山公園内で、シャクシャイン顕彰会(会長神谷与一)が管理する英傑シャクシャイン像台座の「北海道知事町村金五書」なる刻文のうち「知事町村金五書」の七文字が金槌様の物で損壊される事件(以下「シャクシャイン像損壊事件」という。)が発生し、この事件を切っ掛けに、アイヌ民族にゆかりの深い施設に対する汚損、損壊、人物に対する殺人未遂等の事件(以下「関連事件」という。)が別紙一のとおり相次いで発生した。

(二) これより先、太田竜こと栗原登一(以下「太田」という。)は、自らを世界革命浪人(ゲバリスタ)と称して世界革命を提唱し、その一環として武装闘争によるアイヌ共和国(以下「アイヌ共和国」という。)の建設を繰返し主張(「辺境最深部に向って退却せよ」=昭和四六年一二月一五日三一書房発行、「アイヌ革命論」=月刊誌情況昭和四七年二月号・四月号、「アイヌ共和国独立の夢想」=月刊誌話の特集同年七月号など)していた。

(三) 太田は、アイヌ共和国独立の展望として次のとおり公表している。

(1) アイヌ共和国独立の勢力配置として、共和国側に同胞(アイヌ人)と人民(志願して共和国に加入し、盟約し、この共和国の世界観を学び実践する人間)がある(アイヌ共和国情報部発行「アイヌ革命論」二七八頁、三一六頁)。

(2) 人民に志願する者は、志願、誓約、教育、訓練、演習、実戦の六つの段階を反復する(同書三二三頁)。

太田は、一九七一年人民に志願した(同書三〇六頁)。

アイヌ共和国人民志願者の中で、太田は、この演習の段階を一九七三年二月ころまでに通過し、これに続いて二、三の志願者も通過した。若手の志願者は、演習の段階でモタついている。彼らは「……から出動して……を撃つ」というコツを会得できないでいる。ここでは「実物教育」あるのみである。これらの諸君が体得できるような段取りと舞台装置を反復して提供しよう(同書三二八頁)。

実戦とは、例えばノツカマプの丘に立つ灯台の壁に、シャモ侵入来のペウタンケの火を燃そう(WSSR、アイヌ、アイヌネノアン)

二〇二〇年に向けて同胞よクナシリ蜂起の志を継ごう

ノッカマプの丘に火燃えよ。ポンヤウンペよ

と真紅の文字を書き記す行為。なんびとかが単独でそうした行為をなしたとするなら、それは一つの実戦である。

この決定的な試練の火をくぐるものだけが真の勇者となる(同書三二八頁、三二九頁)。

(3) アイヌ共和国の存在形態としては、

第一  その本部、基地、原点。

第二  その最前線すなわちシャモ征服者との日常的な暴力闘争が行われている

第一線。

の両戦線が存在している。情報部は、この両極の交通網を建設しなければならない(同書二八一頁)。

(4) アイヌ共和国は行動を開始する(同書三一六頁)。

(四) 太田は、昭和四七年五月ころ、アイヌ民族独立の気運を促進するという目的で「北方民族研究所」を設立し(同年五月一五日付け「週刊読書人」)、更に、同年八月ころにアイヌ共和国独立の作戦計画を立てるための北海道演習旅行を同志と共に行うと公表(同年七月一〇日付け「週刊読書人」)して同年八月ころ来道し、同月二五日、札幌医科大学で開催された第二六回日本人類学会、日本民族学会連合大会シンポジウムの席上、結城庄司(シャクシャイン像損壊事件の容疑で昭和四九年一〇月二一日逮捕)らと共に、右シンポジウム演壇を占拠して、アイヌ解放同盟、北方民族研究所名で公開質問状を出すという事犯を惹起させた。

(五) その後、シャクシャイン像損壊事件が発生したが、右事件の捜査を進めているうち、別紙一の番号2ないし18の関連事件が相次いで発生した。右関連事件は、その犯行場所に、アイヌ共和国独立を呼び掛けるビラが貼付されていたり、同趣旨の落書がされていたこと、対象となった施設や人物は、太田が雑誌「映画批評」、「北方ジャーナル」等で別紙二のとおり損壊(解体)や殺傷を強調していたものであること、太田は、右雑誌等で、既に敢行されたこれらの事件を賞讃していたこと、更に、太田については、シャクシャイン像損壊事件が発生したころ、結城らと静内町市街の旅館に宿泊したこと、昭和四七年九月一九日に行われたシャクシャイン顕彰会にも参加したこと、過激な論文を公表して、太田の影響下にある「アイヌ共和国人民志願者」に対し、犯罪を敢行すべき旨の指示を与え、かつ、実行させているとの風評があったことから、アイヌ共和国独立闘争を実戦する太田らアイヌ共和国人民志願者によって敢行されたものであるとの容疑が深くなった。

なお、原告野上は、昭和四七年八月二〇日に静内町市街の旅館、同年九月から一〇月にかけて札幌市街の旅館に、いずれも太田と共に宿泊したことから、アイヌ共和国人民志願者の一人と推認された。

2 原告らの容疑

(一)  昭和四八年一月四日から五日にかけて、国鉄静内駅前の歓迎塔等に「旭川風雪の群像、北大北方資料室爆破万才」、「アイヌ共和国独立万才」などと書かれたビラが貼付される事件(別紙一の番号4)が発生した。

そこで、静内町には前記各事件に何らかの関係がある者が居住していると推認されたので、静内警察署では、管内アイヌ系住民、アイヌ問題研究家について聞込み捜査を継続し、東京から来たという若者が原告福嶋宅に出入りしているとの聞込みを得たので、同月一六日午後二時ころ、同署警部補長谷川竹雄、巡査部長須藤勝が原告福嶋宅に赴き、右聞込み事実を確かめたところ、昭和四七年一二月二九日から同四八年一月三日までの間、太田、後藤和夫及び原告野上が「アイヌの昔話を聞きに来た。」と称して原告福嶋宅に宿泊したこと、一月一三日ころ、再び原告野上が「しばらくお世話になりたい。」と称して原告福嶋宅を訪れ、現に滞在していることなどの聞込みを得た。

(二)  その後、静内警察署管内では、御殿山公園内の北辺開拓の礎汚損事件(別紙一の番号5)が発生したので、長谷川、須藤は、昭和四八年二月ころから同四九年九月ころまでの間、月に三、四回原告福嶋宅に赴き、原告福嶋又は同原告の長男である福嶋市太郎から、来訪人物の有無などについて聞込みをした。その結果、次の事実がわかった。

(1)  アイヌ共和国人民志願者と推認される原告野上は、昭和四八年一月一三日ころから同年二月一三日ころまでの間、原告福嶋宅に長期滞在したほか、その後も、単独又は原告堀篭、同前田、原田正司、岩田きぬ子、坂本信二(ちなみに、坂本は、昭和四八年八月一日から同月一八日にかけて、白老町役場前の路上で、「白老町長はアイヌ民族を商品化し侮辱している。」と書いた横断幕を張って坐り込んだことがある。)らと共に、原告福嶋宅に宿泊した。

この間、原告野上は、様似町、浦河町、釧路村、阿寒町、旭川市等に旅行して、アイヌ人宅を訪問している。

(2)  原告堀篭は、昭和四八年一〇月ころに数日間及び同年一二月から昭和四九年二月まで原告福嶋宅に滞在し、静内町のアパートに転居した後も、一日置きぐらいに原告福嶋宅を訪問した。

なお、原告堀篭は、昭和四八年九月一八日に東京地方裁判所で行われた橋根直彦(太田は、同人をアイヌの勇者と讃えている=アイヌ革命論三四七頁)に対する殺人被告事件の公判期日において、「アイヌを差別待遇する公判粉砕アイヌ共和国」と書いた横断幕を同裁判所庁舎内に張ったため、建造物侵入罪の現行犯として逮捕されたことがある。

(3)  原告前田は、昭和四八年二月ころ、「小・中学校の同級生である野上の誘いで来た。」と称して原告福嶋宅に現れ、同年四月ころまで滞在し、その後、静内町のアパートに転居したが、日曜日ごとに原告福嶋宅を訪問した。

なお、原告前田は、同年九月二二日、静内町で開催されたシャクシャイン祭反省検討会において、前記橋根直彦に対する殺人被告事件の裁判闘争に支援を求めるビラを配布した。右ビラには、裁判支援の会の連絡先が「東京都新宿区所在、ミヤコビル内小林一雄(太田のペンネーム)」と書かれている。

以上の捜査結果から、原告野上、同堀篭、同前田は、アイヌ共和国人民志願者であって、太田のいうシャモ征服者に対して日常的な暴力闘争を行っている最前線において、太田から提供された、いわゆる舞台装置の上で実物教育を受けている者か、実戦に参加している者であり、原告福嶋は、太田のいう同胞であって、原告福嶋宅はアイヌ共和国人民志願者の連絡準備等をする拠点であると考えられた。

そこで、関連事件(別紙一の番号1ないし9、11ないし17)は、原告野上、同堀篭、同前田が太田論文に示唆されて敢行したとの容疑が深まり、右原告らに捜査の焦点が向けられた。

(三)  とりわけ、昭和四九年八月一五日午後五時ころから翌一六日午前一一時五分ころまでの間、御殿山公園内で発生した北辺開拓の礎損壊事件(別紙一の番号15)については、次のとおりの事情が存在した。

すなわち、右事件は、通称「北辺開拓の礎」なる記念碑がハンマー様の物で損壊された事件であるが、犯行現場に「シャモ侵略者稲田一族に報復を開始するアイヌモシリ」と書いた紙片が置かれていた。そこで、この事件も、アイヌ共和国人民志願者による犯行と推認され、その一人と推認される原告堀篭の動静を捜査したところ、同原告は、事件発生時の同月一六日午前零時三〇分ころから午後零時ころまでの間、居住先である静内町のアパート静和荘一一号室に不在であったとの聞込みを得た。

また、同月一九日、長谷川らが原告福嶋宅に赴いた際、玄関内の下駄箱の上に白い粉末の付着したハンマーが置かれていたので、長谷川は、福嶋市太郎から事情を聴取したところ、同日午前一〇時ころには原告堀篭が福嶋宅に来たこと、その際、原告堀篭が右ハンマーに手を掛けていたので、市太郎は、同原告が右ハンマーを外部に持ち出して返還にきたと思った旨供述した。

そこで、長谷川は、原告堀篭が市太郎らに無断でハンマーを持ち出し、右損壊事件に使用したとの疑念を抱き、右ハンマーの任意提出を受け、北海道警察本部犯罪科学研究所で鑑定したところ、ハンマーに付着した白い粉末は、右損壊事件で損壊された記念碑の粉末と同種類のものであることがわかった。

更に、同月三一日、静内町内の北海ハイヤー株式会社運転手から、右損壊事件が発生した同月一六日午前零時三〇分ころ、原告堀篭の勤務先である静内サウナから出て来た若い男を犯行現場である御殿山公園入口付近まで乗車させたとの聞込みを得た。

その当時、原告堀篭の所在は不明であった。

(四)  以上の捜査結果から、原告野上、同堀篭、同前田について関連事件(別紙一の番号1ないし9、11ないし17)の容疑、特に北辺開拓の礎損壊事件に対する原告堀篭の容疑が濃厚になったので、静内警察署では、北海道警察本部警備課の応援を得て、昭和四九年九月一六日から同月二〇日までの間、原告福嶋宅から約二〇〇メートルないし三〇〇メートル離れた隣家の物置及び農道から、原告福嶋宅に出入りする者を確認(特に原告堀篭の所在確認)するための張込みをするとともに、同月一八日、原告福嶋宅を出てバスに乗った原告野上を尾行し、同月二〇日には、原告野上、同前田を尾行した。

3 原告らに対する強制捜査の状況

(一)  前記のとおり、関連事件(別紙一の番号1ないし9、11ないし17)は、アイヌ共和国人民志願者と推認される原告野上、同堀篭、同前田が組織的、計画的、集団的に敢行したと考えられたことから、右原告らの周辺に太田論文など犯行の原因、動機となったもの、犯行の計画、準備、連絡文など犯罪の組織性、計画性を明らかにするもの、ペンキ、スプレーなど犯行に使用した物、その他犯行の証跡を示す証拠物が存在すると認められる状況にあった。

そこで、アイヌ共和国人民志願者の連絡準備等をする拠点である原告福嶋宅及び北辺開拓の礎損壊事件の容疑が最も濃厚な原告堀篭の居宅以外に、原告らの周辺のいかなる場所に証拠物が存在するかを明確にする目的で、原告らの行動確認及び身辺捜査をした。その結果、(1) 原告野上は、昭和四九年二月、原告福嶋宅から札幌市西区八軒五条東五丁目、第一紫雲荘に転居し、同年八月ころ、来道した太田が一〇日間右原告野上宅に宿泊したこと、(2) 原告前田は、昭和四八年一一月ころ、夫である前田兼三の居住する原告前田宅に戻ったこと及び同年二月ころ、太田が原告前田宅に宿泊したことが認められた。

以上の捜査結果から、原告ら宅に証拠物又は没収すべき物が存在すると認められたが、これら証拠物は、任意捜査によっては蒐集が期待し得ないため、原告ら宅を捜索して差し押さえる必要があった。

そこで、静内警察署長江口幸男は、関連事件(別紙一の番号1ないし9、11ないし17)のうち、太田が公刊雑誌等で具体的に犯罪の実行を繰り返して慫慂し、かつ、その後比較的短期間内に犯罪が発生したことにより、同人の慫慂で原告野上、同堀篭、同前田らアイヌ共和国人民志願者によって犯罪が敢行された容疑がより濃厚である北辺開拓の礎汚損事件(別紙一の番号5)、シャクシャイン像落書事件(同8)、ノッカマップ灯台落書事件(同9)、金田一京助歌碑汚損事件(同13)及び原告福嶋宅を拠点として原告野上、同前田と緊密な連絡の下に原告堀篭によって敢行された容疑が濃厚な北辺開拓の礎損壊事件(同15)に絞り、昭和四九年九月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、暴力行為等処罰に関する法律違反(一条)、軽犯罪法違反(一条三三号)で、原告ら宅の各捜索差押許可状を請求し、同裁判所裁判官武田覚太郎から、その発付を受けた。同月二二日、原告ら宅を捜索し、別紙三の(一)ないし(四)のとおり証拠物を差し押えた。

(二)  右捜索によって原告野上から原告前田宛の手紙(別紙三の(四)の番号二一)が原告前田宅で発見されたが、この手紙には、シャクシャイン像損壊事件が太田、足立正生、結城庄司、新屋英行らによって敢行されたこと、川島和雄が太田らに総括されたことなどの記載があった。そこで、北海道警察本部は、川島から事情を聴取したところ、川島は、昭和四七年九月一九日か二〇日の夜、静内町内の市毛旅館で、太田、足立、結城、新屋、原告野上、結城の妻及び学生風の男三、四人でシャクシャイン像台座の損壊を謀議し、同日夜、太田、足立、結城、新屋、秋山洋及び川島が右損壊を実行した旨供述した。また、北海道警察本部は、昭和四九年一〇月一六日、右損壊容疑で、秋山を逮捕して取り調べたところ、秋山も川島同様の自供をした。

以上の捜査結果から、静内警察署長江口幸男は、太田、原告野上、結城らが共謀してシャクシャイン像を損壊したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ、罪証隠滅、逃亡の虞があるため逮捕の必要があると判断し、同年一〇月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、右損壊に係る暴力行為等処罰に関する法律違反(一条)で、太田、原告野上、結城、新屋、足立に対する逮捕状及び原告野上宅の捜索差押許可状を請求し、同裁判所裁判官武田覚太郎から、その発付を受けた。同年一〇月二一日から同月二四日にかけて、太田らを逮捕し(足立は逃亡して未逮捕)、かつ、同月二一日、原告野上宅を捜索し、別紙四の(二)のとおり証拠物を差し押さえた。

二 訴え変更不許決定の申立て

請求原因第三項2、第四項7・8及び第七項7の事実は、請求原因の追加として原告らの昭和五二年八月一六日付け準備書面で始めて主張されたが、当初の請求原因事実と異なる日時、場所、態様、行為者に関する新たな事実に基づく不法行為を主張するものであるから、単なる攻撃方法の追加にとどまらず、訴訟物の追加であり、訴えの追加的変更に該当する。ところで、右請求原因の追加は、追加前の訴訟物と追加後の訴訟物の各事実資料の間に審理の継続的な施行を正当化する程度の一体性、密着性が肯定できず、審判の基礎たる事実資料の同一性が存在しないので、請求の基礎に変更があり、しかも、右請求原因の追加を認めて審理を続行すれば、本訴の進行を著しく遅滞させることになるので、民訴法二三二条に定める訴え変更の要件を欠くものである。それゆえ、右請求原因の追加(訴えの追加的変更)は、不適法であり、同法二三三条に基づき、訴え変更不許の決定がされるべきである。

三 請求原因に対する認否

1  請求原因第一項のうち、原告福嶋が北海道静内郡《番地省略》に居住するアイヌ人であること、原告野上、同堀篭、同前田が原告福嶋宅に寄居していたこと、原告福嶋が高齢で盲目の状態であることは認めるが、その余の事実は知らない。

2  請求原因第二項(肖像権の侵害)の事実を否認する。

3  請求原因第三項(住居権の侵害)1のうち、静内警察署の警察官である長谷川竹雄、須藤勝が原告ら主張の日時ころ(ただし、原告らが「九月七日午前一〇時ころ」と主張しているのは、「同日午前一〇時三〇分ころ」のことである。)原告福嶋宅に上がったことは認めるが、その余の事実は否認する。長谷川、須藤は、聞込み捜査をするため原告福嶋宅に赴いたが、住居権者である原告福嶋又は同原告の長男である福嶋市太郎から、原告福嶋宅に上がることを拒絶されたことは一度もない。

同項2の事実を否認する。

4  請求原因第四項(プライバシーの侵害、殺人未遂等)1の事実を否認する。同項2のうち、長谷川、須藤が昭和四九年八月一八日、須藤が同月二九日、いずれも原告堀篭宅へ行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、同月二九日には、長谷川も、原告堀篭宅へ行っている。同項3のうち、長谷川が原告らの行動を監視したことは否認し、その余の事実は認める。同項4のうち、北海道警察本部所属の山田俊夫ら警察官四名が原告ら主張の期間中原告福嶋宅の周辺で張り込んだことは認めるが、その余の事実は否認する。ただし、張込みをした場所は、原告福嶋宅から約二〇〇メートルないし三〇〇メートル離れた隣家の物置及び農道である。同項5のうち、原告野上が昭和四九年九月一八日に原告福嶋宅から静内町市街までバスに乗って出掛けたこと、行きは北海道警察本部所属の警察官らが車でバスを追尾し、帰りは私服警察官二名がバスに乗ったこと、原告野上が買物をしたり国鉄静内駅で新聞を購入したことは認めるが、右警察官らが買物かごの中を探ったこと、原告野上が購入した新聞名を調べたこと、銭湯の外で待っていたことは否認し、その余の事実は知らない。同項6のうち、原告野上、同前田が昭和四九年九月二〇日に原告福嶋宅から出掛けたこと、北海道警察本部所属の山田俊夫ら警察官が右原告らを尾行したこと、原告野上、同前田と入江五郎、高野國雄両弁護士が静内警察署長江口幸男に抗議したことは認めるが、三浦広に対する殺人被告事件の証人尋問が静内簡易裁判所であったこと、原告野上、同前田が右証人尋問を傍聴するために出掛けたことは知らない、その余の事実は争う。

およそ犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察には、これを遂行すべき責務(警察法二条一項)がある。

それゆえ、一般に警察官が行う犯罪捜査は、たとえ任意捜査であっても、高度の公益目的を有する職務行為であり、その方法、態様、程度が一般的、社会的に許容される限度を超えない限り、適法として評価されるか、或いは違法性を阻却されるから、仮に捜査対象者に対して何らかの不快な感情を与えたとしても、プライバシーを違法に侵害したとはいえない。

原告野上、同堀篭、同前田については、多くの関連事件を組織的、計画的、集団的に謀議し又は実行した者であるとの疑いがあり、関連事件を犯した者と密接な連繋を有することの可能性が推認され、関連事件を犯した者と秘かに連絡を取り合うことが予見されたうえ、これら関連事件における犯行の謀議、準備、連絡等が原告福嶋宅でも行われたと考えられる状況にあった。そのため、北海道警察本部としては、原告らから事情を聴取するとともに、原告福嶋宅に出入りする者を把握し、かつ、原告らの挙動を確認して原告らと接触する者を追求することにより、共犯者の割出し、証拠の蒐集、保全等の捜査を緊急、迅速に行う必要があり、しかも、この捜査を早急に遂げることによって同種事件の続発を防ぐ必要があった。

本件において警察官が行った一連の職務行為は、右に述べたとおり共犯者の割出し、証拠の集蒐、保全等の緊急性、必要性があるために行った犯罪捜査であり、かつ、その方法は、犯罪を犯し又は犯した者と密接な関連を有する原告らに対しての事情聴取、尾行、張込みであって、社会通念上必要不可欠な捜査方法として認容されており、その方法、態様、程度についても、一般的、社会的に許容される限度を超えない相当なものであったから、その違法性を云々される余地はない。

同項7及び8の事実を否認する。

5  請求原因第五項(名誉毀損、侮辱)1のうち、長谷川、須藤が昭和四九年八月一六日午後三時ころ(原告らは、「同日午後四時ころ」と主張している。)原告堀篭の勤務先である静内サウナへ行き、同原告から八月一五日夜半から翌一六日朝までの行動について事情を聴取したことは認めるが、その余の事実は否認する。同項2のうち、長谷川が昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ原告福嶋宅へ行ったこと(なお、須藤も、原告福嶋宅へ同行している。)は認めるが、その余の事実は否認する。同項3のうち、長谷川が昭和四九年九月七日午前一〇時三〇分ころ(原告らは、「同日午前一〇時ころ」と主張している。)原告福嶋宅へ行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  請求原因第六項(暴行、脅迫)のうち、長谷川、須藤が昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ原告福嶋宅に上がったこと、その際、原告堀篭が右両名にカメラを向けて写真を撮ったこと、原告堀篭が長谷川、須藤と共に自動車で静内警察署へ行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

長谷川、須藤は、当日午後一時三〇分ころ、原告福嶋宅に赴き、福嶋市太郎から事情を聴取しようとしたが、同人が不在であったので、その帰りを待つ間、原告福嶋や居合わせた原告野上、同堀篭から事情を聴取していた。ところが、午後三時三〇分ころ、原告堀篭が突然玄関口の方へ行き、茶の間で原告福嶋らと話し合っていた長谷川らにカメラを向け、写真を撮って立ち去ろうとした。そこで、須藤は、原告堀篭について北辺開拓の礎損壊事件の容疑があるため右事件の事情を聴取する必要があること、同原告が写真を撮った理由を尋ねる必要があることから、戸外に出た同原告の後を追って、写真を撮った理由を尋ねた。しかし、原告堀篭は、「写していない。」、「お前らだって僕を写したことがあるじゃないか。」、「うるさい。」などと言いながら、須藤に続いて戸外に出てきた原告野上にカメラを渡して立ち去ろうとした。須藤は、質問に答えるよう原告堀篭の翻意を促すべく同原告の前方に回って更に質問を続けようとしたところ、原告堀篭は、「どけ」と言いながら、両手で強く須藤を突き飛ばそうとした。須藤は、とっさにかわして、原告堀篭の腕を払いのけたが、たまたま路面が砂利道で同原告がサンダルを履いていたことから、原告堀篭は、身体の安定を失って尻餅をついた。

須藤は、原告堀篭からカメラを受け取った原告野上に続いて原告福嶋宅に入り、原告堀篭も入ってきたので、茶の間で、再度写真を撮った理由を尋ねたが、原告堀篭が答えなかったので、原告福嶋と雑談しながら市太郎の帰りを待っていた。その後、午後四時一〇分ころ、原告前田が原告福嶋宅に入ってきたので、長谷川、須藤は、約三〇分間、原告前田を交えて雑談し、この時間になっても市太郎が帰ってこないので、同人からの事情聴取を後日に延ばし、原告堀篭から事情を聴取することにした。しかし、原告野上らが同席するところでは率直な事情聴取が期待できないと推測し、須藤において原告堀篭に対し、「事件のことや写真撮影したことなどを落ち着いたところでゆっくり聞きたいので、警察署まで同行してくれないか。警察がいたのでは、久し振りに来た林(前田)さんも、野上さんとゆっくり話もできないだろう。」と言ったところ、原告堀篭は、「僕は何もしていないので、どこへでも行きますよ。」と言って応じ、原告福嶋宅横に停めて置いた警察車両の後部座席に進んで乗車した。そこで、長谷川、須藤は、原告堀篭を静内警察署に同行したうえ、同署で、約三〇分間にわたり、北辺開拓の礎損壊事件発生当夜における同原告の行動等について事情を聴取した。

7  請求原因第七項(違法な捜索、差押え)1の事実を認める。同項2及び3の事実を否認する。同項4のうち、原告ら宅の各捜索差押許可状に被疑事件の具体的な事実や適用法条が記載されていないことを認める。同項5の事実を否認する。同項6の前段の事実を認める。

原告らは、本件捜索被疑事件と原告らを結び付ける具体的な証拠が何もないと主張する。しかし、本件捜索被疑事件が太田のアイヌ共和国革命に共鳴し、その指示又は慫慂に基づいて犯行を決意したアイヌ共和国人民志願者によって敢行されたものであること、これらアイヌ共和国人民志願者の謀議連絡等の場所として「基地」が北海道内に実在することを推測させる太田の各著書、論文が存在するほか、原告野上、同堀篭、同前田がアイヌ民族にゆかりの深い静内町で太田と接触しており、同町に存在する原告福嶋宅が基地の一つである旨の聞込み、尾行、張込みによる捜査結果があること、一連のアイヌ関連事件は、太田がその身辺にいる者をして敢行させている旨の聞込みがあること、北辺開拓の礎損壊事件については、原告堀篭が損壊に使用したと認められるハンマーが原告福嶋宅で発見されたこと、右ハンマーに付着した白い粉末が右損壊事件で損壊された記念碑の粉末と同種類のものであることの鑑定結果などがあり、原告らの右主張は失当である。

原告らは、原告ら宅には証拠物又は没収すべき物が存在する可能性が全くなかったと主張する。しかし、一般経験則上、犯罪の容疑が肯認される者の住所、居所、連絡場所等については、証拠物等が存在する可能性が高いと認められるところ、原告野上、同堀篭、同前田には、本件捜索被疑事件の容疑が認められ、また、原告福嶋宅は、その連絡場所と推認されたのであるから、証拠物等が存在する可能性は十分認められる。

原告らは、原告ら宅の各捜索差押許可状には、被疑事件の具体的な事実や適用法条が記載されていないので憲法三五条に違反すると主張する。しかし、憲法三五条は、捜索、差押えについて、捜索する場所及び差し押さえる物を明示することを要求するにとどまり、それ以外の記載事項は、すべて刑訴法に委ねられているところ、同法二一九条一項は、捜査上の秘密保持などを考慮して、犯罪事実、適用法条の記載までも義務づけていない(最高裁昭和三三年(し)第一六号同年七月二九日大法廷決定・刑集一二巻一二号二七七六頁)から、原告らの右主張は失当である。

原告らは、原告らが押収された物件は、いずれも本件捜索被疑事件と何らの関係もないと主張する。しかし、原告らが押収された物件は、その存在又は内容から犯行の原因、動機、背後関係、共犯関係、関連人物の行動等を明らかにする直接的又は間接的な証拠であって、別紙三の(一)ないし(四)の差押えの必要性欄掲記のとおり差押えの必要がある。また、原告堀篭が押収された別紙三の(三)の番号一四、一六、一七の物件は、原告堀篭宅の捜索差押許可状の差し押さえるべき物の表示中、第一の一の文書類に当たる。

原告らは、原告らが押収された物件の中には、アイヌ問題に関するチラシ、パンフレットや太田竜の著書が含まれており、これは、原告らの思想を調査するものであり、憲法で保障されている思想の自由を明らかに侵害すると主張する。しかし、これらの物件は、その思想故に押収されたものではなく、犯行と関連する文書であるからこそ押収されたものであって、思想の自由とは何ら関係がない。

同項7のうち、前段の事実は認めるが、後段の事実は否認する。

8  請求原因第八項(違法な逮捕、勾留等)1の事実を認める。同項2ないし6の事実を否認する。

裁判官の職務上の行為について国家賠償法の適用があるとしても、当該裁判官の特定の判断に対して上級審に不服申立てがされ、これに対して上級審が不服申立てを棄却する旨の判断を示した場合には、右上級審の判断が明文の規定を無視しているとか、学説、判例に著しく反していて不当であるとかの特段の事情がない限り、当該裁判官の判断には何らの違法もなかったことになると解すべきところ(最高裁昭和三九年(オ)第一三九〇号同四三年三月一五日第二小法廷判決・判例時報五二四号四八頁)、札幌地方裁判所裁判官清田賢の原告野上に対する勾留認容の裁判に対し、昭和四九年一〇月二四日、原告野上の弁護人から準抗告の申立てがされたが、準抗告審は、翌二五日、勾留の要件が充たされている旨の判断を示した。右判断には、明文の規定を無視しているとか、学説、判例に著しく反していて不当であるとかの特段の事情が認められないから、清田裁判官の判断については、何らの違法もなかったというべきである。

仮に右のような主張が許されないとしても、原告野上には、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が認められ、同原告の生活状況からみて、刑訴法六〇条一項三号に該当し、かつ、釈放すれば関係人に働きかけて罪証を隠滅する虞という同項二号に該当する事由も認められたので、同条に定める勾留の理由は十分存在した。

シャクシャイン像損壊事件は、悪質かつ複雑な事案であり、昭和四九年一〇月二四日の川島和雄の逮捕をもって足立正生を除く本件共犯者の本格的な取調べが可能になったけれども、各共犯者間の供述に食い違いがあったうえ、本件関係者らの取調べが未了であり、加えて、原告野上は、当時、黙秘権を行使していたので、本件関係者らを取り調べた結果、更に弁解を尽くす機会を与える必要があり、同原告の処分を決するには、これらの捜査を完了する必要があった。それゆえ、原告野上には、刑訴法二〇八条二項にいう「やむを得ない事由」があり、勾留期間が延長されたものである。

原告野上が逮捕された際及び原告野上宅で押収された物件は、原告野上らアイヌ共和国人民志願者によって組織的、計画的、集団的に敢行された容疑が認められるシャクシャイン像損壊事件の背後関係、共犯関係を含む全貌を明らかにする直接的又は間接的な証拠であって、別紙四の(一)及び(二)の差押えの必要性欄掲記のとおり差押えの必要がある。

9  請求原因第九項(損害)の事実を否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、「アイヌ関連事件捜査の経過」と題して被告らが「アイヌ関連事件の発生と太田竜の動向」の項において主張する事実(ただし、原告野上が昭和四七年九月から一〇月にかけて札幌市街の旅館に太田と共に宿泊した旨の記載部分は、その宿泊日を同年一〇月二日及び同月一四日と改める。)を認めることができる。

二  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

1  静内警察署は、昭和四八年一月四日から五日にかけて同署管内に発生したビラ貼り事件(別紙一の番号4)について聞込み捜査を継続し、東京から来たという若者が原告福嶋宅に出入りしているとの聞込みを得た。そこで、静内警察署警部補長谷川竹雄、巡査部長須藤勝は、同月一六日、原告福嶋宅に赴き、右聞込み事実を確かめたところ、昭和四七年一二月二九日から同四八年一月三日までの間、太田、後藤和夫、足立正生及び原告野上が「アイヌの昔の話を聞きに来たのだ。」と言って原告福嶋宅に宿泊したこと、一月一三日、再び原告野上が「しばらくお世話になりたい。」と言って原告福嶋宅を訪れ、現に滞在していることなどの聞込みを得た。

2  その後、静内警察署管内では、北辺開拓の礎汚損事件(別紙一の番号5)が発生したが、長谷川、須藤は、昭和四九年九月ころまでの間、月に数回原告福嶋宅に赴き、原告福嶋又は同原告の長男である福嶋市太郎から聞込みを得たり、原告福嶋宅の来訪人物、滞在者などについて動向調査をした結果、次の事実がわかった。

(一)  原告野上は、昭和四八年一月一三日から同年二月一三日ころまでの間、原告福嶋宅に滞在し、その後も、単独又は原告堀篭、同前田、原田正司、岩田きぬ子、坂本信二こと中村修大(ちなみに、中村は、同年八月一一日から同月一八日にかけて、白老町役場前の路上で、「白老観光コンサルタント株式会社は、アイヌを商品化し侮辱するために白老町当局によってデッチ上げられた会社なので、白老町長に対して同社の解散を要求する。」との趣旨を書いた横断幕を張って坐り込んだことがある。)らと共に、原告福嶋宅に宿泊した。

また、原告野上は、様似町、浦河町、釧路、旭川市等に旅行して、アイヌ人宅を訪問している。

(二)  原告堀篭は、昭和四八年一〇月に数日間及び同年一二月から昭和四九年二月四日まで原告福嶋宅に滞在し、静内町のアパート静和荘一一号室に転居した後も、一日置きぐらいに原告福嶋宅を訪問した。

なお、原告堀篭は、昭和四八年九月六日に東京地方裁判所で行われた橋根直彦に対する殺人被告事件の公判期日において、「アイヌを差別待遇する公判粉砕アイヌ共和国」と書いた横断幕を同裁判所庁舎内に張ろうとして、建造物侵入罪で現行犯逮捕されたことがある。

(三)  原告前田は、昭和四八年二月下旬、「小・中学校時代の同級生である野上さんの誘いで来た。」と言って原告福嶋宅を訪れ、同年四月一〇日ころまで滞在した後、一たん帰京し、同月三〇日から前記アパート静和荘三五号室に転居したが、日曜日ごとに原告福嶋宅を訪問した。

なお、原告前田は、同年九月二三日、静内町で開催されたシャクシャイン祭終了後の懇親会場で、前記橋根直彦に対する殺人被告事件の裁判闘争に支援を求めるビラを配布した。右ビラには、裁判支援の会の連絡先が「東京都新宿区西新宿七の十一の十五、ミヤコビル6F、小林一雄(太田のペンネーム)」と書かれている。

以上の捜査結果から、捜査当局は、原告野上、同堀篭、同前田は、アイヌ共和国人民志願者であり、原告福嶋は、太田のいう同胞であって、原告福嶋宅はアイヌ共和国人民志願者の連絡準備等をする拠点であると考え、原告野上、同堀篭、同前田が太田論文に示唆されて関連事件(別紙一の番号4、5、8、9、13、15などを)敢行したとの容疑を抱くに至った。

3  特に、北辺開拓の礎損壊事件(別紙一の番号15)については、次のとおりの事情が存在し、原告堀篭の容疑が濃厚になった。

すなわち、右事件は、通称「北辺開拓の礎」なるレリーフ像がハンマー様の物で損壊された事件であるが、同像の台座の上に「シャモ、侵略者稲田一族に対し報復を開始する。アイヌモシリ」と書いた紙片が置かれていた。そこで、この事件も、アイヌ共和国人民志願者による犯行と推認され、その一人と推認される原告堀篭の動静を捜査したところ、同原告は、右事件発生時の昭和四九年八月一六日の早朝、居住先である前記アパート静和荘一一号室に不在であったとの聞込みを得た。

また、同月一九日、長谷川らが原告福嶋宅に赴いた際、玄関内の下駄箱の上に白い粉末の付着したハンマーが置かれていたので、長谷川は、福嶋市太郎から事情を聴取したところ、同日午前一〇時ころに原告堀篭が原告福嶋宅に来たこと、その際、原告堀篭が右ハンマーに手を掛けていたので、市太郎は、同原告が右ハンマーを持ち出して使用してきたと思った旨供述した。

そこで、長谷川は、原告堀篭が市太郎らに無断でハンマーを持ち出し、右損壊事件に使用したとの疑念を抱き、市太郎から右ハンマーの任意提出を受け、北海道警察本部刑事部犯罪科学研究所で鑑定したところ、ハンマーに付着した白い粉末は、右損壊事件で損壊されたレリーフ像の粉末と同種類のものであることがわかった。

更に、同月三一日、静内町内の北海ハイヤー運転手から、右損壊事件が発生した同月一六日午前零時三〇分ころ、原告堀篭の勤務先である静内サウナがある新田商事ビルの出口から出て来た若い男を犯行現場である御殿山公園付近まで乗車させたとの聞込みを得た。

その当時(同年九月一〇日過ぎ以降)、原告堀篭の所在は不明であった。

4  ちなみに、原告野上、同堀篭、同前田がアイヌ共和国人民志願者であり、太田の指示に基づいて原告福嶋宅を拠点として活動しているという捜査当局の推理が客観的であったことは、後日、次の事実からも裏付けられた。

すなわち、昭和四九年九月二二日に原告前田宅で差し押さえられた原告野上から原告前田にあてた封書(別紙三の(四)の番号二二)には、次のとおり記載されている。

あなたに是非来てほしい……道東と道南に一人づついることが絶対に必要です(太田さんは四・五人を「送りこむ」とか言っていましたが……)……我々自身の手による情報活動を直ちに始めなくてはなりません……同時に「共和国」を建設するという行動でもあります……林さん(原告前田のこと)が様似、浦河、東静内、新冠、門別、富川等豊畑を拠点にして歩いてみて下さい。

そこが我々の情報活動の拠点となるべきこと……林さんにやってほしいと思うのですが、こういう場所は多ければ多いほどいいので、静内に誰かが来るなら、林さんは道東に拠点を作るようお願いします。

こちらから先手をとって情報活動を行うべきです……静内のアジトの件について。そこには二つの必要条件があります。一つは、そこが情報部の活動の拠点となり得る定着性(印刷とか蔵書)他方は必要に応じて、どこへでもすぐに車を走らせることのできる移動性……また、目下、静内は非常に警戒が厳しいので、他に(札幌か帯広に)既に住んでいる人によって補足的なもう一つのアジトが作られればいいと思います。もしそういう協力者(程度でいい、前田さんのような)が札幌にいるのだったら、連絡をつけてほしいと思います。

また、前同日原告野上宅で差し押えられた原告堀篭から原告野上にあてた親書(別紙三の(一)の番号二七)にも、次のとおり記載されている。

小林さん(太田のこと)が居ましたら知らせてもらいたいのですが、静和荘にだれかを入れるとのことでしたが詳しい日時が決りましたら知らせてもらいたいのですが、よろしく

更に、坂本信二こと中村修大も、後日、北海道警察本部所属の警察官に対し、太田から手紙で指示されて原告福嶋宅へ行き、ここが将来アイヌ共和国建設のための拠点、連絡場所になっていることを知った旨自供している。

三  肖像権の侵害(請求原因第二項)について

請求原因第二項の事実については、原告野上ふさ子本人の供述中にこれに沿う部分があるが、右供述はたやすく措信できないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

四  住居権の侵害(請求原因第三項)について

1  請求原因第三項1のうち、静内警察署の警察官である長谷川竹雄、須藤勝が昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ、長谷川が同月七日午前一〇時三〇分ころ、須藤が同月一六日午前九時二〇分ころ、原告福嶋宅に上がったことは、被告北海道の認めるところである。しかし、原告福嶋が長谷川、須藤に対して原告福嶋宅に上がることを拒絶したことについては、これに沿う《証拠省略》があるけれども、これらの記載及び供述は、《証拠省略》と対比して措信できないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  請求原因第三項2の事実については、これに沿う《証拠省略》があるけれども、右記載及び供述は、何の裏付けもなく措信できないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

五  プライバシーの侵害、殺人未遂等(請求原因第四項)について

1  請求原因第四項1の事実を認めるに足りる証拠はない。もっとも、《証拠省略》には、長谷川が昭和四九年一月七日(原告堀篭が主張する同月一七日ではない。)の早朝国鉄静内駅に張り込んでいた旨の記載があるが、右記載は、《証拠省略》と対比して措信できない。

2  請求原因第四項2のうち、長谷川、須藤が昭和四九年八月一八日、同月二九日、いずれも原告堀篭宅へ行ったことは、被告北海道の認めるところである。しかし、須藤が同月二〇日、二二日、二七日、二八日に原告堀篭宅へ行ったことについては、これを認めるに足りる証拠はない。もっとも、《証拠省略》には、長谷川(原告堀篭が主張する須藤ではない。)が右の各日に原告堀篭宅に来た旨の記載があるが、右記載は、《証拠省略》と対比して措信できない。《証拠省略》によれば、長谷川、須藤は、同月一八日午後一時ころ、原告堀篭宅へ行き、約三〇分間にわたり、原告堀篭から、北辺開拓の礎損壊事件(別紙一の番号15)が発生した同月一五日夜半から翌一六日朝にかけての同原告の行動等について事情を聴取したが、途中、同原告が出勤時間だと言ったので、事情の聴取を打ち切って引き上げたこと、右両名は、同月二九日午前九時三〇分ころにも、原告堀篭宅へ行ったが、原告堀篭から入室及び事情の聴取を拒絶されたので、アパート廊下から事情の聴取に応ずるよう約三分間説得しただけで引き上げたことが認められる。これによれば、長谷川、須藤は、北辺開拓の礎損壊事件について容疑が認められる原告堀篭から事情を聴取するために右両日原告堀篭宅へ行ったものであるから、その行為は、正当な情報収集活動であって違法とはいえない。

3  請求原因第四項3のうち、長谷川が昭和四九年九月一五日に静内町の豊畑橋付近の路上で制服を着用して原告福嶋の長男である福嶋市太郎が乗っていた乗用車を停止させたことは、当事者間に争いがない。しかし、《証拠省略》によれば、長谷川は、当日、交通安全運動の一環として自動車運転者に対する事故防止のための協力要請ないし交通取締りを実施していたので、そのために右乗用車を停止させたことが認められるから、これをもって原告らの行動を監視したという原告らの非難は当たらない。

4  請求原因第四項4のうち、北海道警察本部所属の山田俊夫ら警察官四名が昭和四九年九月一六日から同月二〇日までの間原告福嶋宅の周辺で張り込んだことは、被告北海道の認めるところである。しかし、《証拠省略》によれば、右張込みは、そのころ北辺開拓の礎損壊事件について容疑が認められる原告堀篭の所在が不明であったので、同原告が原告福嶋宅に出入りする可能性があり、その所在を確認して、同原告に対する容疑を解明する必要があったことから実施したもので、当初は原告福嶋宅から約二〇〇メートル離れた農道に乗用車を停めて張り込んだが、それでは目立って対象者に発見され易いとの配属から、後に原告福嶋宅から約三〇〇メートル離れた隣家藤川宅の物置に場所を移して張り込んだことが認められる。これによれば、右張込みについて犯罪捜査のための合理的必要性がなかったとはいえないし、その方法、態様、程度が不当であったことを認めるに足りる証拠もないから、これを違法な監視と断ずる原告らの非難は当たらない。なお、長谷川、須藤が前記期間中原告福嶋宅の周辺で張り込んだことについては、《証拠省略》に一部これに沿う記載があるが、これらの記載は、《証拠省略》と対比して措信できない。

5  請求原因第四項5のうち、原告野上が昭和四九年九月一八日に原告福嶋宅から静内町市街までバスに乗って出掛けたこと、行きは北海道警察本部所属の警察官らが車でバスを追尾し、帰りは私服警察官二名がバスに乗ったこと、原告野上が買物をしたり国鉄静内駅で新聞を購入したことは、被告北海道の認めるところである。《証拠省略》によれば、右尾行は、原告野上が原告福嶋宅から出掛けたので、北辺開拓の礎損壊事件について容疑が認められる原告堀篭と接触するかもしれないと予想して実施したもので、対象者に察知されないよう、行きは歩行中の原告野上の約一〇〇メートルないし二〇〇メートル後方から、同原告がバスに乗ってからはバスの約五〇メートル後方から、いずれも乗用車で追尾し、原告野上がバスから下りて歩行中は私服警察官三名が交互に同原告の約二〇メートルないし三〇メートル後方から追尾したり、道路の反対側を歩いたりして同原告の行動を確認し、一時同原告を見失ったけれども、再び国鉄静内駅で発見し、帰りは私服警察官二名がバスに乗って尾行したことが認められる。これによれば、右尾行について犯罪捜査のための合理的必要性がなかったとはいえないし、その方法、態様、程度が特に執拗であるなど不当であったことを認めるに足りる証拠もないから、右尾行を違法であるとはいえない。

6  請求原因第四項6のうち、原告野上、同前田が昭和四九年九月二〇日に原告福嶋宅から出掛けたこと、北海道警察本部所属の山田俊夫ら警察官が右原告らを尾行したこと、原告野上、同前田と入江五郎、高野國雄両弁護士が静内警察署長江口幸男に抗議したことは、被告北海道の認めるところである。《証拠省略》によれば、右尾行は、原告野上、同前田が当日午前九時五五分ころ原告福嶋宅から出掛けたので、北辺開拓の礎損壊事件について容疑が認められる原告堀篭と接触するかもしれないと予想して実施したが、午後二時五〇分ころ、右原告らに察知され、同行していた高野國雄弁護士からも抗議されたので中止したことが認められる。これによれば、右尾行について犯罪捜査のための合理的必要性がなかったとはいえないし、その方法、態様、程度が特に執拗であるなど不当であったことを認めるに足りる証拠もないから、右尾行を違法であるとはいえない。

7  請求原因第四項7の事実について、《証拠省略》には、原告野上の主張に沿う記載がある。また、原告野上ふさ子本人は、原告野上の主張に沿う供述をしている。しかし、右記載及び供述は、その裏付けを欠くものであって、たやすく措信できない。付言するに、原告野上ふさ子本人は、私服警察官一名が昭和五二年八月六日に地下鉄に乗っていた原告野上を尾行し、札幌地下鉄円山公園駅から弁護士高野國雄法律事務所があるビルのエレベーターの中まで同原告の後を付いて来たので、原告野上及び高野國雄弁護士がエレベーターの前に立っていた右私服警察官に抗議したところ、同人は、「このビルに用事があって来たのだ。」と称して帰って行った旨供述するが、仮に原告野上の後から付いて来た者がいたとしても、その者が原告野上の主張するように私服警察官であったことを認め得る的確な証拠はない。

8  請求原因第四項8の事実について、《証拠省略》には、原告野上の主張に沿う記載がある。また、原告野上ふさ子本人は、原告野上の主張に沿う供述をしており、《証拠省略》は、原告野上に対する尾行や張込みの状況を撮影した写真であると供述している。《証拠省略》によれば、原告野上が北海道警察本部の尾行車と主張する車のうち、?―24、97―98、20―89の三台は同本部の所有であることが認められる。しかし、前記の記載及び供述は、その裏付けがないので、たやすく措信できないし、原告野上が尾行や張込みをしたと主張する者が北海道警察本部所属の警察官らであるかどうか、同本部の所有と認められる右三台の車などが原告野上を尾行したり張り込んでいたものであるかどうかについて、これを認め得る的確な証拠もない。

六  名誉毀損、侮辱(請求原因第五項)について

1  請求原因第五項1のうち、長谷川、須藤が昭和四九年八月一六日午後三時ころ原告堀篭の勤務先である静内サウナへ行き、同原告から八月一五日夜半から翌一六日朝までの行動について事情を聴取したことは、被告北海道の認めるところである。北辺開拓の礎損壊事件(別紙一の番号15)について原告堀篭の容疑が認められることは、前認定のとおりであるところ、前掲甲第五号証の一には、右事情聴取の際、須藤が原告堀篭に対し「あれだけのことをすると、これだけ食らうぞ。」と言って、四本の指を示した旨の記載がある。しかし、右記載は、《証拠省略》と対比して措信できないし、他に右事情の聴取が不当な言動によって行われたことを認めるに足りる証拠はない。

2  請求原因第五項2のうち、長谷川、須藤が昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ原告福嶋宅へ行ったことは、被告北海道の認めるところである。《証拠省略》には、長谷川が当日原告野上、同堀篭、同前田が主張するようなことを言った旨の記載がある。しかし、《証拠省略》は、原告野上、同前田が別々に書いたメモであるというのに、その記載内容が酷似しているので、右原告らが相談し合って書いたものと思われ、その信用性に疑問があるのみならず、その場に居合わせたという原告堀篭が書いた《証拠省略》のメモには、長谷川の右発言について何らの記載もないこと、《証拠省略》と対比して措信できない。

3  請求原因第五項3のうち、長谷川が昭和四九年九月七日午前一〇時三〇分ころ原告福嶋宅へ行ったことは、被告北海道の認めるところである。《証拠省略》には、長谷川が当日福嶋市太郎に対して原告野上、同前田が主張するようなことを言った旨の記載がある。しかし、《証拠省略》は、原告野上、同前田が別々に書いたメモであるというのに、その記載内容が酷似しているので、右原告らが相談し合って書いたものと思われ、その信用性に疑問があること、《証拠省略》と対比して措信できない。

七  暴行、脅迫(請求原因第六項)について

請求原因第六項のうち、長谷川、須藤が昭和四九年九月二日午後一時三〇分ころ原告福嶋宅に上がったこと、その際、原告堀篭が右両名にカメラを向けて写真を撮ったこと、原告堀篭が長谷川、須藤と共に自動車で静内警察署へ行ったことは、被告北海道の認めるところである。《証拠省略》には、原告野上、同堀篭の主張に沿う記載がある。また、原告野上ふさ子本人は、右原告らの主張に沿う供述をしている。しかし、これらの記載及び供述は、長谷川、須藤の原告野上に対する暴行について、《証拠省略》があるのに、《証拠省略》には、原告野上に対する暴行についての記載がないこと(ただ、《証拠省略》に「この時の行動(B)〔須藤のこと〕を野上さんが写真に撮ってカメラを家の中へ持って行く。A〔長谷川のこと〕が妨害する。」と記載されているにすぎない。)、原告前田が当日原告福嶋宅に来た後における長谷川、須藤の暴行についても、《証拠省略》があるのに、《証拠省略》には、「田村さん(原告堀篭のこと)4・30(?)事情聴取の為30分余り署まで連行され、途中頭等なぐられ、帰って来て頭痛をうったえる。」との記載しかないこと、原告野上ふさ子本人は、被告らが法廷の場を利用して違法に情報収集活動を継続しようとしているとの理由から、同原告本人の供述に対する被告らの反対尋問に答えることを一切拒絶したこと(このような原告野上の態度は、請求原因第六項の事実に限らず、他の本訴請求原因事実についても一貫している。)、《証拠省略》と対比して措信できない。

かえって、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、長谷川、須藤に暴行、脅迫はなかったことが明らかである。

長谷川、須藤は、当日午後一時三〇分ころ、原告福嶋宅に赴き、福嶋市太郎から事情を聴取しようとしたが、同人が不在であったので、その帰りを待つ間、原告福嶋から雑談を聞いたりしていた。ところが、午後三時三〇分ころ、原告堀篭が玄関口の方へ行き、茶の間で原告福嶋と話し合っていた長谷川、須藤にカメラを向け、写真を撮って立ち去ろうとした。そこで、須藤は、戸外に出た原告堀篭の後を追って、同原告を呼び止め、写真を撮った理由を尋ねたが、原告堀篭は、「そんなもの写していない。」、「うるさい。そんな必要はない。お前らだって、前に僕を写したことがあるじゃないか。」などと言いながら、戸外に出てきた原告野上にカメラを渡して立ち去ろうとした。須藤は、原告堀篭の前方に回って、更に「なぜ写したんだ。理由を言ってみれ。」と言ったところ、原告堀篭は、「どけれ」と言って、両手で須藤の胸元を突き飛ばそうとした。須藤は、とっさに体をさばいて、左手で原告堀篭の右手を払ったところ、原告堀篭は、身体の安全を失って、その場に尻餅をついたが、すぐ立ち上がった。須藤は、戸外に出ていた原告野上、長谷川に続いて原告福嶋宅に戻り、数分してから原告堀篭も戻ってきたので、茶の間で、再度写真を撮った理由を尋ねたが、原告堀篭がこれに答えなかったので、長谷川も交えて原告福嶋と雑談していた。そうするうち、午後四時一〇分ころ、原告前田が原告福嶋宅に入ってきた。しばらくして、長谷川が原告堀篭に対し、「久し振りに林さん(原告前田のこと)が来たのに、警察がいたんでは野上さんとゆっくり話もできないだろう。堀篭さん、お前さんには、もう少し聞きたいことがあるんだが、一緒に署まで行かないか。」と言ったところ、原告堀篭は、「僕は何もしていないから、どこへでも行きますよ。」と言って応じ、原告福嶋宅横に停めて置いた警察車両の後部座席に進んで乗車した。そこで、長谷川、須藤は、原告堀篭を静内警察署に同行したうえ、須藤が約二〇分間にわたって同原告から北辺開拓の礎損壊事件(別紙一の番号15)発生当夜における同原告のアリバイ等について事情を聴取した。

八  違法な捜索、差押え(請求原因第七項)について

1  静内警察署司法警察員江口幸男は、被疑者不詳に対する暴力行為等処罰に関する法律違反、軽犯罪法違反被疑事件について、昭和四九年九月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、原告ら宅の各捜索差押許可状を請求した。静内簡易裁判所裁判官武田覚太郎は、同日、右請求を受けて原告ら宅の各捜索差押許可状を発付し、その執行として、北海道警察本部警備課司法警察員佐々木章は、同月二二日、原告野上宅で、別紙三の(一)の品目欄及び員数欄掲記の物件四四点を、静内警察署司法警察員長谷川竹雄は、同日、原告福嶋宅で、別紙三の(二)の品目欄及び員数欄掲記の物件七点を、北海道警察本部警備課司法警察員山田俊夫は、同日、原告堀篭宅で、別紙三の(三)の品目欄及び員数欄掲記の物件七三点を、北海道警察本部司法警察員鈴木忠雄は、同日、原告前田宅で、別紙三の(四)の品目欄及び員数欄掲記の物件一〇八点を、それぞれ押収した。

右の事実は、当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

第一項及び第二項1ないし3で認定したような捜査結果から、北海道警察本部は、関連事件(別紙一の番号1ないし9、11ないし17)は、太田の提唱するアイヌ共和国独立構想に共鳴するアイヌ共和国人民志願者が敢行したものであり、右人民志願者と推認される原告野上、同堀篭、同前田の周辺に太田論文など犯行の原因、動機となったもの、犯行の計画、準備等を記載した文書、連絡文、ペンキ、スプレーなど犯行の証跡を示す証拠物が存在すると判断し、アイヌ共和国人民志願者の連絡準備等をする拠点である原告福嶋宅及び北辺開拓の礎損壊事件(別紙一の番号15)の容疑が最も濃厚な原告堀篭の居宅以外に証拠物が存在する場所を明確にする目的で、原告野上、同前田の行動確認及び身辺捜査をした。その結果、(1) 原告野上は、札幌市西区八軒五条東五丁目、第一紫雲荘に住居を有し、昭和四九年八月、来道した太田が一〇日間右原告野上宅に宿泊したこと、(2) 原告前田は、夫である前田兼三の居住する原告前田宅に戻っていること及び昭和四八年二月、太田が原告前田宅に宿泊したことがわかり、原告ら宅には証拠物が存在すると考えられたが、これら証拠物は、任意捜査によっては蒐集が期待し得ないため、原告ら宅を捜索して差し押さえる必要があった。そこで、静内警察署司法警察員江口幸男は、前記関連事件のうち、太田が公刊雑誌等で具体的に犯罪の実行を慫慂し、その後比較的短期間内に犯罪が発生したことにより、同人の慫慂で原告野上、同堀籠、同前田らアイヌ共和国人民志願者によって敢行された容疑が認められる北辺開拓の礎汚損事件(別紙一の番号5)、シャクシャイン像落書事件(同8)、ノッカマップ灯台落書事件(同9)、金田一京助歌碑汚損事件(同13)及び北辺開拓の礎損壊事件(同15)について、昭和四九年九月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、暴力行為等処罰に関する法律違反、軽犯罪法違反で、その資料を提供して、原告ら宅の各捜索差押許可状を請求し、同裁判所裁判官武田覚太郎から、その発付を受けた。

右に認定した事実によれば、本件捜索被疑事件と原告らを結び付ける具体的な証拠がなかったとか、原告ら宅には証拠物又は没収すべき物が存在する可能性がなかったとはいえないし、原告ら宅の各捜索差押許可状の請求及びその発付については、犯罪捜査のための必要及び被疑者が罪を犯したと思料される状況があり、その要件を具備するものと認められる(付言するに、捜索差押許可状の請求及びその発付に当たって要求される犯罪の嫌疑の程度は、捜索、差押えが比較的犯罪捜査の初期の段階で行われること、法文上、通常逮捕状の場合には、「相当な理由、〔刑訴法一九九条二項〕として嫌疑の相当性が要求されているのに対し、捜索差押許可状の場合には、単に「罪を犯したと思料されるべき資料」〔刑訴規則一五六条一項〕の提供が規定されているにとどまることから、通常逮捕状の場合の理由よりは嫌疑の根拠が弱い場合も含まれると解すべきである。)。

3  原告ら宅の各捜索差押許可状に被疑事件の具体的な事実や適用法条が記載されていないことは、当事者間に争いがない。しかし、憲法三五条は、捜索、押収については、その令状に捜索する場所及び押収する物を明示することを要求しているにとどまり、それ以外の記載事項は、すべて刑訴法の規定するところに委ねられているところ(最高裁昭和三三年(し)第一六号同年七月二九日大法廷決定・刑集一二巻一二号二七七六頁)、同法二一九条一項は、捜素差押許可状に被疑事件の具体的な事実や適用法条まで記載することを要求してはいないから、原告ら宅の各捜索差押許可状にこれらの記載がないことをもって憲法三五条に違反するとの原告らの主張は理由がない。

4  原告らは、原告らが押収された物件は、いずれも本件捜索被疑事件と何らの関係もないと主張する。しかし、原告らが押収された物件は、捜査当局において別紙三の(一)ないし(四)の差押えの必要性欄掲記のとおり差押えの必要があるとして押収したものであるところ、これらの物件は、アイヌ共和国人民志願者によって組織的、計画的、集団的に敢行された容疑が認められる本件捜索被疑事件の証拠として右事件と何らかの関連を持っている蓋然性があるから、原告らの右主張は理由がない。また、原告堀篭が押収された別紙三の(三)の番号一四、一六、一七の物件は、原告堀篭宅の捜索差押許可状の差し押さえるべき物の表示中、第一の一に記載されている「犯行の準備・計画・指令・指示・檄文・連絡文および連絡先の住所・電話番号などを記載した日記帳・メモ・ノート等文書類」に当たるものと解される。

5  原告らが押収された物件の中にアイヌ問題に関するチラシ、パンフレットや太田竜の著書が含まれていることは、当事者間に争いがない。

原告らは、これは、原告らの思想を調査するものであり、憲法で保障されている思想の自由を明らかに侵害すると主張する。しかし、《証拠省略》によれば、これらの文書類は、太田の提唱するアイヌ共和国独立構想に共鳴するアイヌ共和国人民志願者によって組織的、計画的、集団的に敢行された容疑が認められる本件捜索被疑事件の原因、動機、背後関係等を捜査する必要、筆跡鑑定を行う必要などから押収されたものであって、原告らの思想を調査するために押収されたものではないことが認められるから、原告らの右主張は理由がない。

6  北海道警察本部所属の警察官らが被疑者不詳に対する爆発物取締罰則違反、殺人、同未遂被疑事件について昭和五二年八月五日に原告野上宅、同堀篭宅の家宅捜索をしたことは、当事者間に争いがない。しかし、原告野上、同堀篭が主張するように右家宅捜索が違法かつ不当な弾圧であることについては、準抗告申立書、特別抗告申立書、弁論の全趣旨によって成立を認める札幌救援会名義の抗議文に右のような趣旨の記載があるけれども、これらの記載は、その文書の性質上、原告野上の不服申立てないし札幌救援会の反対意見の表明にすぎないものであり、原告野上が申し立てた準抗告が準抗告審で棄却されたことは、《証拠省略》の文面から明らかであるし、特別抗告が特別抗告審で認容されたことを認め得る証拠もなく、他に原告野上、同堀篭の右主張を認めるに足りる証拠はない。

九  違法な逮捕、勾留等(請求原因第八項)について

1  静内警察署司法警察員江口幸男は、原告野上に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の容疑で、昭和四九年一〇月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、同原告の逮捕状及び原告野上宅の捜索差押許可状を請求した。静内簡易裁判所裁判官武田覚太郎は、同日、右請求を受けて原告野上の逮捕状及び原告野上宅の捜索差押許可状を発付し、静内警察署司法警察員長谷川竹雄は、同月二一日、原告福嶋宅で、原告野上を逮捕し、その際、同原告が所持していた別紙四の(一)の品目欄及び員数欄掲記の物件一一点を押収した。また、同日、原告野上宅では、別紙四の(二)の品目欄及び員数欄掲記の物件一六点が押収された。次いで、札幌地方検察庁検察官三谷紘は、原告野上に対する前記被疑事件について、同月二三日、札幌地方裁判所裁判官に対し、原告野上の勾留及び接見等禁止の処分を請求し、同裁判所裁判官清田賢は、同日、原告野上の勾留状を発付し、接見等禁止決定をした。更に、三谷は、同年一〇月三一日、札幌地方裁判所裁判官に対し、原告野上の勾留期間を同年一一月二日から翌三日まで延長することを請求し、同裁判所裁判官田口祐三は、右請求を認容したので、原告野上は、同年一一月二日、処分保留のままで釈放されるまで一三日間にわたって身体を拘束された。

右の事実は、当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

昭和四九年九月二二日に原告前田宅で実施した捜索によって原告野上から原告前田宛の手紙(別紙三の(四)の番号二一)が発見されたが、この手紙には、シャクシャイン像損壊事件(別紙一の番号1)が太田、足立正生、結城庄司、新屋英行らによって敢行されたこと、川島和雄が太田らから徹底的に総括されたことなどの記載があった。そこで北海道警察本部は、同年九月三〇日、同年一〇月一日及び同月三日、川島に任意出頭を求めて取り調べたところ、川島は、昭和四七年九月一九日か二〇日の夜、静内町内の市毛旅館で、太田、足立、結城、新屋、秋山洋、原告野上、結城の妻及び学生風の男三、四人で、シャクシャイン像台座の損壊を謀議し、同日夜、川島が運転する自動車に太田、足立、結城、新屋、秋山が乗車して真歌山公園入口付近まで行き、太田らが右損壊を実行した旨供述した。また、北海道警察本部は、昭和四九年一〇月一六日、右損壊容疑で、秋山を逮捕して取り調べたところ、秋山も川島同様の自供をした。

以上の捜査結果から、静内警察署司法警察員江口幸男は、原告野上が太田らと共謀してシャクシャイン像を損壊したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ、罪証隠滅、逃亡の虞があるため逮捕の必要があると判断し、同年一〇月二〇日、静内簡易裁判所裁判官に対し、暴力行為等処罰に関する法律違反で、川島、秋山の司法警察員に対する各供述調書その他の資料を提供して、原告野上の逮捕状及び原告野上宅の捜索差押許可状を請求し、同裁判所裁判官武田覚太郎から、その発付を受けた。その後、原告野上は、右1に記載したとおり、逮捕、勾留、接見等禁止及び勾留期間延長の処分を受け、一三日間にわたって身体を拘束された。

右に認定した事実によれば、原告野上がシャクシャイン像損壊事件を共謀したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ、右事件は多数の共犯者が存在する複雑な事案であることから、釈放すれば同原告が関係人に働きかけて罪証を隠滅する虞があるし、同原告の生活状況からみて逃亡の虞があることも肯定し得るから、原告野上について逮捕、勾留の理由がなかったことを前提とする原告野上の主張は理由がない。なお、《証拠省略》によれば、前記接見等禁止決定は、原告野上の弁護人から準抗告の申立てがされた結果、準抗告審において違法として取り消されたことが認められる。しかし、裁判官の判断に過失があったかどうかは、普通の裁判官であるならば通常犯さないような過誤を犯したかどうかによって判断されるべきであり、自由心証主義を基本とする刑訴法の下で証拠に対する心証のとらえ方の相違によって結果を異にするような事案においては、準抗告審が原決定をした裁判官とその判断を異にしたからといって、直ちに当該裁判官が有責違法な裁判をしたものと断ずることはできない。ところで、本件において、準抗告審は、原告野上について勾留当時罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があったことを認めており、右の理由の強弱を判断する点についてのみ原決定とのそごをきたしたにすぎないから、接見等禁止決定をした札幌地方裁判所裁判官に過失があったとはいい難い。

3  原告野上は、同原告が逮捕された際及び原告野上宅で押収された物件は、いずれも前記被疑事件と何らの関係もないと主張する。しかし、原告野上が押収された物件は、捜査当局において別紙四の(一)及び(二)の差押えの必要性欄掲記のとおり差押えの必要があるとして押収したものであるところ、これらの物件は、アイヌ共和国人民志願者によって組織的、計画的、集団的に敢行された容疑が認められるシャクシャイン像損壊事件の証拠として右事件と何らかの関連を持っている蓋然性があるから、原告野上の右主張は理由がない。

一〇  以上の判示によれば、原告らの本訴請求は失当なのでいずれも棄却することとし(なお、訴え変更不許決定の申立てについて付言するに、当裁判所は、請求原因第三項2、第四項7・8及び第七項7の事実についての主張は訴えの追加的変更に該当するけれども、請求の基礎には変更がなく、本件訴訟の経過に照らして本訴の進行を著しく遅滞させるものでもないと認めたものである。)、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安達敬 裁判官 飯村敏明 秋葉康弘)

<以下省略>

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