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札幌地方裁判所 昭和46年(ワ)1226号 判決 1980年4月17日

原告 旭範雄

被告 平進 外二名

主文

1  被告平進、同平義博は各自原告に対し、一一〇万円と、うち一〇〇万円に対する昭和四六年一〇月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告平進、同平義博に対するその余の請求、及び同岩原厳に対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、原告と被告平進並びに同平義博との間においては、その一五分の一を同被告らの負担とし、その余は原告の負担とし、原告と被告岩原厳との間においては全部原告の負担とする。

4  この判決は1項に限り仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一  被告進が昭和三〇年当時肩書住所地で平病院の名称で診療所を経営していた医師であること、同年秋の某日夕方、原告が腹痛のため、右平病院に赴いて被告進に診療を求めたこと、及び同被告は、原告の腹痛は穿孔性虫垂炎と化濃性腹膜炎を併発しているためであると診断して、第一回手術を行つたことは当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に被告進、原告(第一、二回)各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告進は、原告の腹痛の状況、白血球数の増加等の臨床症状から、原告が虫垂炎に罹患しているものと判断して、直ちに下腹部(虫垂部)の開腹をしたところ、原告の虫垂部は、炎症をおこしており、また腹腔内に滲出液や膿が貯留していたため、前記のとおり穿孔性虫垂炎と化膿性腹膜炎と診断し、その程度状況から虫垂を切除するのは適当でないと判断してこれを切除することなく、腹腔内の排膿をし、さらにより排膿を進めるためゴムドレーンを患部に挿入して手術を了したこと、その結果原告の腹痛等の症状は消失し、結局原告は全快したことが認められ、これに反する的確な証拠はない。

右事実によれば、原告は右当時少くとも虫垂炎に罹患しており、またそれに起因して腹腔内に膿等が貯留していたため腹痛をおこしていたものであり、これが被告進の第一回手術によつて治癒したものと推認するのが相当であるから、同被告の第一回手術は正当な医療行為として是認し得るものというべきである。

もつとも、鑑定人恩村雄太の鑑定の結果及び成立に争いのない甲第一一号証によれば、原告の虫垂は化膿性腹膜炎をおこす程の穿孔性虫垂炎を惹起したことはないことが認められ、この事実によれば、前記被告進の診断には一部誤りがあつたといわざるを得ないが、他方、いずれも成立に争いのない乙第四、第五号証の各二及び弁論の全趣旨によれば、たとえ穿孔性虫垂炎が惹起されていなくとも、虫垂炎の場合細菌や毒素が透壁性に虫垂外に出て、虫垂炎性腹膜炎をおこすことがしばしばあること及び原告は腹痛をもよおした(虫垂炎に罹患した)後約一日半の間医師の診療を受けることなくこれを放置していたことが認められ、右事実並びに前認定の原告の腹腔内の状況からすれば、原告は右虫垂炎性腹膜炎に罹患していたものと推認され、そうすると、原告の疾患を治癒させるためには第一回手術とこれに伴う前認定の医療措置がやはり必要であつたものと解するのが相当である。

以上によれば、第一回手術について、被告進に不法行為があつたことを前提にする原告の本訴請求部分は、その余の点を判断するまでもなく、失当というべきである。

二1  原告が昭和三八年九月ころ腸閉塞症を発病し、その治療のため被告進が第二回手術を行い、さらに右第二回手術後の同年一〇月七日、被告進がその子であつて当時平病院で診療行為に携つていた医師である被告義博と共に第三回手術を行つたことは当事者間に争いがなく、被告進及び同義博(第一、二回)各本人尋問の結果によれば、被告進は、第二回手術後一旦は原告の腸閉塞症状が寛解したものの、まもなく再び同症状が強く発現したため、当時たまたま帰省していた被告義博が外科を専門としていた(なお、被告進の専門は産婦人科である。)ことから、同被告に再手術(第三回手術)を担当させることとし、同被告が執刀して右手術を行つたものであり、その際被告進は、手術の補助的行為を分担したにすぎなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、右第三回手術にあたり、原告と被告進との間に、原告の罹患していた腸閉塞症の治療を目的とする診療契約が成立したことは当事者間に争いがないけれども、前記のように平病院の開設者が被告進であること並びに右の事実関係からすれば、被告義博は同進の単なる履行補助者であつて、右診療契約の当事者でないことは明らかであるから、被告義博が同契約上の責任を負担する旨の原告の主張は採用の限りでない。

2  次に、前記被告進及び同義博(第一、二回)各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、第三回手術前後の原告の症状及び被告進、同義博の行つた第三回手術の具体的内容は以下のとおりであつたことが認められ、これに反する証拠はない。

(一)  原告は、右手術の前日ころから腹部が膨満し、排便、排ガスがなく、呼吸は早く浅く、また脱水症状を呈するなど、一般状態がかなり悪化していたため、手術はできるだけ短時間に行つて、その体力の消耗による生命の危険を防止するとともに、早急に一般状態悪化の原因である前記腸閉塞症状の解消をはかる必要があつた。

(二)  被告義博は、まず原告の腹部正中切開を行つたところ、腸管は閉塞のため膨満しており、また小腸管や腸間膜は全体にわたつて癒着し合つていて移動性がなく、さらに通過障害がおきるとともに小腸の一部で絞扼のため壊死している箇所があつた。また盲腸及び回腸部(回盲部)において癒着が特にひどく、かつ盲腸及び回腸の末端部が屈曲して通過障害をおこしていた。

そこで、同被告はまず小腸部の癒着の剥離をできるだけすすめるとともに、通過障害をおこしている小腸管は側々吻合によつてその通過障害を除去し、また約一〇センチメートルの壊死している腸管を切除して端々吻合した。そして通過障害をおこして閉塞していた回盲部については、回腸端の閉塞部分で切断して、その断端をそれぞれ盲管としたうえ、中枢端をその盲端から約一〇センチメートル余らせて横行結腸中央部に側々吻合し、一方末梢端はそのまま留置した。なお、中枢端を横行結腸に側々吻合するに際しては、通常は盲端から二ないし五センチメートルの部位で吻合すべきものであるが、被告義博がこれを一〇センチメートル余らせて吻合したのは、同部分の癒着を剥離する時に損傷が生じてしまつたためであつたが、同被告は同部分を横行結腸に固定した。

(三)  ところで、原告の上行結腸は、機能的には病変等何らの異常がなかつたので、特段の事由のない限り回盲部の閉塞部分を切除して、これを上行結腸に吻合することが、臓器の正常な状態により近く、より適切な処置であるところ、原告の場合には、前記のとおり回盲部の癒着がひどく、しかも上行結腸はその先端(中枢側)が回盲部の奥(深部((後背側)))にあり、これが横行結腸に近づくにつれて徐々に身体の表面(腹側)に出てくる位置にあることから、右のような吻合をするためにはこの癒着を剥離して上行結腸に到達しなければならなかつた。しかし、被告義博は、そのような剥離作業をするには、原告の一般状態が重篤であることに鑑みて不適当であると判断し、結局身体の表面部に位置していて最も吻合が容易かつ速やかにできる前記横行結腸中央部に吻合をした。

(四)  以上のようにして、被告義博は第三回手術を終えたが、右手術には約二時間を要した。そして右手術によつて、原告の手術時の腸閉塞症状及び一般状態の重篤状況は改善されるに至つた。

以上の事実が認められる。なお、いずれも原本の存在及び成立に争いのない甲第一ないし第四号証、証人山脇昂の証言によれば、原告は、昭和四六年二月一二日旭川市の大西病院で第四回手術を受けたが、その際原告の回盲部には癒着がなかつたことが認められるが、前記のとおり同部分は第一回手術で切開された部分であり、前掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、右手術を契機として同部分に癒着が生ずる可能性が十分考えられること、また一度癒着が生じた部分が、その後に治療行為がなされ、さらに腸内容物が通過することによる消化作用等の機能を果さないまま空置され、期間を経た場合には、生体反応によつて癒着が消退することが十分あり得ることが認められることに鑑みて、右事実をもつて前記認定事実を覆すことはできないものと解する。さらに、前記甲第一号証には第四回手術時において、回盲部中枢端が吻合されていた横行結腸の部位が、中央部よりかなり下行結腸寄りになつていた旨の図面記載があるが、右図面は略図であるうえ、被告義博本人尋問(第一回)の結果及び弁論の全趣旨によれば手術後の時間の経過によつてその位置が五ないし一〇センチメートル移動することがあり得ることが認められることに鑑みて、右書証は、前記認定の妨げになるものとはいえない。

3  以上によれば、被告進及び同義博が行つた第三回手術は一般状態が重篤であつた原告の腸閉塞症状を一応治癒させるための緊急の治療行為としては、適切妥当な措置であつたと評価できるものというべきである。

4(一)  原告は、被告進、同義博が右手術の際回盲部中枢端を横行結腸に吻合したことにより、盲環となつた上行結腸及び回盲部末梢端を閉鎖又は切断し、また虫垂を切除すべき債務、注意義務があつたと主張するが、前判示事実並びに弁論の全趣旨によれば、そのような措置は有効にその機能を果す能力を有する臓器を永久に機能させないようにしてしまうことになる点において適切でないばかりか、原告の手術時の一般状態が重篤であつたこと及び回盲部の癒着が高度であつたことに照して不可能であつたか、極めて困難であつたものと解されるから、この点についての原告の主張は失当といわざるを得ない。

(二)  そこで進んで、被告進、同義博には、第三回手術後において、いわゆる根治手術をするか、又はその必要性を原告に告知(教示)すべき債務、或いは医師としての注意義務があつたとの原告の主張について、検討を加える。

前掲各証拠と、いずれも成立に争いのない甲第七号証の二、第九号証、原告本人尋問(第一、二回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(1)  被告進、同義博が、第三回手術においてした、原告の回盲部中枢端を横行結腸に側々吻合する手術は、一側性腸空置術といつて上行結腸や回盲部分が病巣のため完全閉塞されているとか、同部分の病巣が炎症を伴つて高度に癒着しているとか、患者の全身状態が不良で病巣部腸管の一次的切除が不可能の場合に、同部分を腸内容が通過することを避ける手術方法であること。

(2)  ところで、右一側性腸空置術においては、回腸を切断するので正常な経路を経て腸内容が病巣に達することはないが、病巣から吻合部に至る部分には腸内容が逆流することがあること。しかし一方、回腸を切断するので腸内容が病巣部を刺激することが避けられ、これによつて病巣部付近の炎症等は消褪し、二次的手術が容易となるという長所があること。

(3)  前記のとおり、本件の原告の場合、その回盲部には高度の癒着があつたものの、上行結腸には特に病変、病巣はなかつたのであるから、同手術の欠点である前記腸内容が逆流することなどが原因でおこり得る盲のう症を解消するため、患者の全身状態が良好になつたり、回盲部の癒着が軽快したりした後において、上行結腸に回腸中枢端を吻合し直す根治手術をする必要性がない訳ではなかつたこと。

(4)  しかしながら、原告は第三回手術後四、五〇日間平病院に入院した後、まもなくの昭和三九年五月ころ就職のため札幌市に転居したが、被告進、同義博はそれまでの間原告が後記(5) のような症状を生じていることを知らなかつたこと。

(5)  第三回手術を終えて平病院を退院後、原告は前記盲のう症の症状である下痢等の請求原因2(三)記載の諸症状に悩まされ、以後第四回手術までの間しばしば医師の診察を受けたが、いずれの場合も原告の回腸が横行結腸に吻合されていることがわからず、対症療法しかなされ得なかつたこと。

以上の事実が認められ、被告義博本人尋問(第二回)の結果中これに反する部分は、前記甲第七号証の二、証人山脇の証言及び弁論の全趣旨に照して採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  以上の事実、特に(二)の(4) の事実によれば、被告進、同義博が根治手術をし得なかつたことについての相当の事由があつたものというべきであるから、これをしなかつたことについての原告の前記主張は失当である。しかしながら、前記(二)の(3) の事実に照らせば、被告進、同義博は、医師として、少くとも一側性腸空置術を施術したことにより、これに伴つて原告に盲のう症が生じ得る可能性があることを予見し、或いは予見し得たというべきであるから、そのような場合には根治手術をする必要があることを原告又はその近親者等に説明(教示)すべき注意義務を負うに至つたものと解するのが相当であり、それにもかかわらず、右被告らがそのような説明をしなかつたことは弁論の全趣旨により明らかである。

してみると、この点において、被告進には診療契約上の債務不履行(不完全履行)があり、被告義博には右注意義務に違背した過失があつたものといわざるを得ないので、被告進は民法四一五条に基づき、被告義博は同法七〇九条に基づき、それぞれこれによつて原告の被つた損害を賠償すべき責任があるというべきである。

5  原告は、医師としての資格も能力もない被告岩原が第三回手術に関与したことを主張し、それが不法行為に該当する旨を主張するが、仮に右関与の事実を肯認できるにしても、前判示のように、右手術それ自体がその時点において適切な治療行為であつたと評価できる以上、その関与と原告の被つたと主張する損害との間に因果関係を認めることはできず、従つてこの点に関する原告の主張は失当である。

三  損害<省略>

四  結論<省略>

(裁判官 尾方滋 田中優 矢村宏)

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