大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和50年(あ)1802号 決定 1979年6月13日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人石川芳雄の上告趣意第一点は、判例違反をいう点を含め、その実質はすべて事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

同第二点は、憲法三二条、三七条、七六条、七七条、三一条違反をいう。

地方裁判所における審理に判事補の参与を認める規則(以下単に「参与規則」という。)は、裁判所法二六条一項の規定により一人の裁判官で事件を取り扱う場合において、当該事件を取り扱う裁判官が判事(特例判事補を含む。以下同じ。)であるときに、判事補(特例判事補を除く。以下同じ。)を参与させ、その判事補(以下「参与判事補」という。)をして当該事件の審理に立ち会わせたり、事件について意見を述べさせるなどして、将来よき裁判の担い手となるように判事補を指導養成することを目的とするものであるところ、参与判事補は、評決権をもつものでないことはもちろん、訴訟指揮権や発問権を有するものでもなく、その意見は判事に対し法律上も事実上もなんら拘束力を有するものでもないし、また、参与判事補には除斥、忌避及び回避の規定の適用もないうえ、参与判事補の交替は弁論・公判手続の更新とつながるものではないから、参与判事補は、形式的にも実質的にも裁判体の構成員となるものではなく、したがつて、参与規則はいかなる意味においても二人合議制(所論のいう制限された二人合議制を含む。以下同じ。)を採用したものではない。

そうすると、参与規則が二人合議制を採用したものであることを前提とする憲法三二条違反の主張はその前提を欠く。また、参与規則が二人合議制を採用したものでなく、参与判事補の意見は、前示のように判事補養成の一方法として述べさせるものである以上、そのことによつて偏頗・不公平のおそれのある組織や構成をもつ裁判所による裁判がなされるものでないことは明らかであるから、憲法三七条、七六条違反の主張もその前提を欠く。さらに、参与規則は、二人合議制を採用したものでなく、なんら被告人の重要な利害や刑事訴訟の基本構造に関する事項を規定しているものでないことが明らかであるから、憲法七七条、三一条違反の主張もその前提を欠く。所論は、適法な上告理由にあたらない。

同第三点は、量刑不当の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(木下忠良 大塚喜一郎 栗本一夫 塚本重頼 鹽野宜慶)

弁護人石川芳雄の上告趣意(昭和五〇年一〇月二九日付)

第一点 <省略>

第二点 原審の判決および訴訟手続には、次の諸点において憲法第三二条、第三七条、第七六条、第七七条および第三一条の各違反があり、刑事訴訟法第四〇五条第一号に該当するから、原判決は、速やかに破棄されなければならない。

一、原判旨三は、控訴趣意がその第二点において第一審公判経過においていわゆる参与判事補の参与した事実をもつて憲法および刑事訴訟法令の違反であるとしたのに対し、まず、「それは受訴裁判所の裁判官として参加するものではなく」「参与判事補を審理に立ち会わせても、受訴裁判所の構成、ことにそれが一人制の裁判所であることにはなんら変りがない」から裁判所法第二六条第一項はもとより、「憲法第三二条にも抵触するものでない」としている。しかしながら、原判旨も承認するとおり、いわゆる参与判事補の「審理への立ち会いは、単に参与判事補をして、記録、証拠物をとおして『間接』に事件の審理に参加せしめようとするにとどまらず、『直接』裁判所の審理にあずかり参加せしめようとするものである」というのであり、「その参加した事件に関し、その審理に立ち会い、記録、証拠物を調査して得た成果につき、裁判所の求めに応じて意見を述べ」る裁判官であるとされているのであつて、「受訴裁判所の構成員たる裁判官でない」とか、「受訴裁判所の構成、ことにそれは一人制の裁判官であることにはなんら変りはない」とかの判旨は、所詮、形式論の域を出でない。問題は、現に「裁判官」の身分を有する者が受訴裁判所の審判に際し、特定の被告事件につき「直接」に「審理にあずかり参加」し、当該事件につき「意見を述べ」、その意見の範囲は事実認定、法令の適用および量刑の全部にわたり受訴裁判所裁判官の「心証形成」ないし「判断」に影響を及ぼし得るという実体にある。原判旨は、参与裁判官の「意見」は「参与した事件について、審理に立ち会い、記録、証拠物を調査し、あるいは判例、学説を調査するなどして得られた事実上、法律上の意見で」あつて、「裁判のために供せられる訴訟資料」たる「鑑定」や「証言」とは異り、少年法第八条第二項にいわゆる「家庭裁判所調査官の意見」や、「判例、学説」と同じであるとし、「裁判官の心証形成に資するものではなく、裁判官の判断を形成するうえでの参考に資するものであ」るとする。判示にかかる「心証形成」に資すると「判断形成上の参考」とは、その間若干広狭の差異はあるにせよ、用語の問題にすぎず、また、前記判示「訴訟資料」にせよ「意見」にせよ、畢竟、裁判官の当該事件の審判における心理作用ないし思考内容に重大な影響を及ぼし得る点においては、共通の性質を有するものであり、当該審判の経過および結果に及ぼす作用において、心証形成が証拠調を前提とせねばならぬ点以外では、径庭がない。原判示「訴訟資料」や調査官の「意見」は、参与裁判官の「意見」と異り、性質上当然に当該事件の全域に及び得べきものでなく、殊に、判示家庭裁判所調査官のごときは、「審判に必要な調査」(裁判所法第六一条の二第二項)を、「少年、保護者又は関係人の行状、経歴、素質、環境等について、医学、心理学、教育学その他の専門的知識」に基き調査する職能(少年審判規則第九条)の者で、その調査ないし意見の範囲は、参与裁判官のごとき全面的、漠然かつ広汎なものでないのみならず、抑も少年事件は刑事訴訟と異り訴訟事件でない。もしそれ参与裁判官の参与を「判例、学説」の参看と同視するがごとき判旨には、「判例、学説」が法廷に出席し審判に立ち会い被告事件につき判断をなし得るかを反問せねばならぬ。なお、原判旨は、別に、参与裁判官の立会に関し、民事訴訟法第三五八条の四に定める司法委員の関与および昭和三五年条約第七号第一七条第九項gに定める合衆国政府代表者の裁判立会権に言及して、参与判事補の参与が公判の審理に必要、有益であるとの合理的理由がある限り公判出席が違法でない根拠の一としている。しかしながら、前者は刑事訴訟とは心証形成の本質を全く異にする民事訴訟の手続の過程に属し、しかも簡易裁判所の特質に由来する特殊の例外とされつゝ、なお法律による裁判ということができるかにつき疑義を免れないとされている制度であり、また、後者は、単なる立会権にすぎず、法制上、事実上および法律上の意見を述べて審判に「参与」するまでのものでないから、いずれも、参与裁判官の参与とは同日の談でない。原判旨は、また、参与判事補は、「意見を述べ得るにとどまり、参与した事件について審判する独自の権限を有するものではないから」「受訴裁判所の構成、ことにそれが一人制の裁判所であることにはなんら変りがない」としているが、「裁判官」たる国法上の身分を有する者がその身分ないし地位に基き特定の被告事件の審判に「参与」するところに問題があるのであつて、審判する独自の権限を有しないとか受訴裁判所の「構成員」でないとかは形式的、立法技術的な末節にすぎない。「参与」の仕方によつては、参与判事補は、合議体の構成員たる陪席裁判官とその実質においてさまで軒輊なきにいたり得るのであり、かくて、本件第一審において「一人制の裁判所」であるべき受訴裁判所は、実質的には、「制限された二人合議制」とも称し得べき危険を包蔵する裁判機構であつたところに、憲法第三二条違反が免れたいことを、控訴趣意第二点は切言しているのである。

二、原判旨は、控訴趣意中憲法第三七条違反の旨の主張に対し、参与判事補の「意見は受訴裁判所をなんら拘束するものではなく、事件の審判は、あくまでも参与させた裁判官一人が、公平かつ良心に従い独立して行い、憲法及び法律にのみ拘束される」としている。まず、この判旨後段は明らかに存在と当為との混同である。しかも、同条項にいわゆる「公平な裁判所」とは、最高裁判所判例によれば「偏頗や不公平のおそれのない組織と構成をもつ裁判所」(例えば、昭和二五年四月七日大法廷判決)とされるところ、原判旨のごとく仮りに受訴裁判所の「構成員」でないにしても、少くも該判例にいわゆる「組織」には参与判事補が含まれると解すべきのみならず、前項に縷述したとおり、参与判事補の参与による本件第一審公判審理は、「制限された二人制合議裁判所」であり、単独制と二人合議制との選択が第一審事件ごとに参与裁判官の有無につれ一、二になるというのは、参与事件と然らざる事件との間に組織上および審判上の不公平を来すことは自明である。かりに然らずとするも、本件自体の審判においても、参与判事補の参与または意見陳述が、参与なき場合と比して、少くも事実上、審判の経過または結論を左右する可能性の極めて大であることは、これまた「公平な裁判所」の保障を全うする所以でない。さらに原判旨が「参与判事補に意見を述べさせたからといつて、裁判官をしてより適正な判断を可能ならしめる余地があり得るということはできても、所論のような偏見を与える危険があるということはできない」としているのはきわめて注目に値する。この論理は、反面、不「適正」な「判断を可能ならしめる余地」もあり得ることを承認しているものに外ならないとともに、参与判事補の意見が公判裁判所の事実上および法律上の判断を左右し得べき事態の起り得ることを承認したもので、それこそ、控訴趣意第二点中に指摘した「予断偏見」の危険あるに帰するとともに、到底「公平な裁判所」の憲法上の保障にそうものと謂うに足りない。

三、叙上のごとく、参与裁判官の参与という法制は、被告人の重要なる利害に関するものであることは、その「参与」が、性質上、当該被告事件における事実認定、法律の適用および刑の量定にわたる審判の全域を網羅しているところからも、多言を要しない。しかも、それは、「制限された二人合議制」の実質を有するものであるとすれば、刑事訴訟の基本構造にさえ関する。憲法第七七条に基く刑事訴訟規則は、訴訟手続の個々の技術的部分で、かつ、被告人の重要な利害に関しないものについてのみ定め得るはずであり、あくまで技術的な局部的手続規定の域を出で得ないはずのものである。参与裁判官制度は、仮りに原判旨のごときものであるとしても、なお、一片の裁判所規則をもつて創設し得べきものでないことは、現に、原判旨が参与判事補と同様のものとして例示する家庭裁判所調査官についてさえ少年法に、同じく司法委員についてさえ民事訴訟法中に、それぞれ明文をもつてその根拠が定められているところからも明白である。況や、参与裁判官制度の内容が当上告趣意において上叙指摘のごときものである上は、仮りにこれを是とするとも、少くも立法として、到底、裁判所規則のごときをもつて賄い得る限りでない。かくて、昭和四七年最高裁判所規則第八号「地方裁判所における審理に判事補の参与を認める規則」は、それ自体、明らかに憲法第七七条に抵触する違憲立法であり、該規則による参与判事補の参与した本件第一審の審判は、憲法同条、および、延いて同第三一条にも違反するものと謂わざるを得ない。

第三点 <省略>

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