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最高裁判所第二小法廷 昭和49年(行ツ)8号 判決 1978年12月08日

上告人

江戸川区

右代表者

中里喜一

上告人

小島土地区画整理組合

右代表者

須賀直太郎

外三名

上告人

須賀鎌吉

外七名

右一三名訴訟代理人

重富義男

外二名

被上告人運輸大臣

福永健司

右指定代理人

齊藤明

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人重富義男、同古山昭三郎、同大江忠の上告理由について

本件認可は、いわば上級行政機関としての運輸大臣が下級行政機関としての日本鉄道建設公団に対しその作成した本件工事実施計画の整備計画との整合性等を審査してなす監督手段としての承認の性質を有するもので、行政機関相互の行為と同視すべきものであり、行政行為として外部に対する効力を有するものではなく、また、これによつて直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定する効果を伴うものではないから、抗告訴訟の対象となる行政処分にあたらないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。また、所論違憲の主張は、本件認可が直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定するものであることを前提とするものであつて、その前提を欠く。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を論難するにすぎないものであつて、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(大塚喜一郎 吉田豊 本林譲 栗本一夫)

上告代理人重富義男、同古山昭三郎、同大江忠の上告理由

第一点〜第三点<省略>

第四点 原判決は、全国新幹線鉄道整備法第四条ないし第九条第一三条、同施行令第一条、第三条、同施行規則第一条、第二条および日本鉄道建設公団法第一条、第二条、第四条、第一〇条、第一九条、第二六条ないし第二九条の二、第三五条、第三六条、同法施行令第一〇条の解釈を誤つた違法があり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、民事訴訟法第三九四条に該当する。

一 すなわち、原判決は、同判決理由第二項において

「そこで、まず、本件認可が抗告訴訟の対象となる行政処分にあたるかどうかについて判断する。

(一) 新幹線鉄道の建設手続を全国新幹線鉄道整備法および同施行令、同施行規則についてみるに、新幹線鉄道の建設は、日本国有鉄道または日本鉄道建設公団が行なう(法第四条)のであるが、運輸大臣はまず、鉄道建設審議会の諮問を経て、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線名、起点、終点および主要な経過地を定めた基本計画を決定して、これを公示し(法第五条、令第一条)、次いで、日本国有鉄道または日本鉄道建設公団に対し、建設線の建設に関し必要な調査(輸送需要量に対応する供給輸送力、地形地質、施設車両の技術開発、建設費等に関する事項の調査)を指示し(法第六条、規則第一条)、さらに、前記審議会の諮問を経て、走行方式、最高設計速度、建設に要する費用の概算額、建設主体等を定めた前記建設線の建設に関する整備計画を決定し(法第七条、令第三条)、日本国有鉄道または日本鉄道建設公団に対し右整備計画に基づいて当該建設線の建設を行なうべきことを指示し(法第八条)、右指示を受けた日本国有鉄道または日本鉄道建設公団は、整備計画に基づいて工事実施計画を作成して、運輸大臣の認可を受け(法第九条)、それに基づいて建設を行なうことになつている。

なお、右工事実施計画には、線路名、工事の区間、線路の位置(縮尺二〇万分の一の平面図、縮尺横二〇万分の一、縦四、〇〇〇分の一の縦断面図をもつて表示する。)、線路延長、停車場の位置、車庫施設および検査修繕施設の位置、工事方法(最小曲線半径、最急勾配、軌道の中心間隔、軌条の種類、枕木の種類および間隔、道床の構造、列車の制御方法通信設備の概要等工事の実施に必要な事項)、工事予算、工事の着手および完了の予定時期を記載するほか、線路平面図、線路縦断面図、停車場平面図、建設工事の工程表等の書類を添付することになつている(法第九条第一、二項、施行規則第二条)。

(二) ところで本件においては、日本鉄道建設公団が昭和四六年四月一日、被控訴人から成田新幹線の建設を行なうことの指示を受けたのであるが、同公団は、日本鉄道建設公団法に基づき、鉄道の建設等を推進することを目的として設立された法人であつて(同法第一、二条)、その資本金は政府および日本国有鉄道の出資にかかり(同法第四条、なお、日本国有鉄道は政府の全額出資であるから――日本国有鉄道法第五条――実質的には政府の全額出資といえる。)、その総裁および監事は、運輸大臣が任命し(同法第一〇条)、国鉄新線および新幹線鉄道に係る鉄道施設の建設を主たる業務とし(同法第一九条)、その業務は運輸大臣の監督を受け(同法第三五、三六条)、毎事業年度、事業計画、予算および資金計画につき運輸大臣の認可を受け、また財務諸表につき事業年度終了後その承認を受けることを要し(同法第二六、二七条)、残余利益は、所定の積立金を控際した残額を国庫に納付することになつており(同法第二八条)、政府は公団の債務につき保証できることになつている(同法第二九条の二)ほか、所定の法令の規定については、同公団を国の行政機関とみなして、これらの規定を準用することになつている(同法施行令第一〇条)。さらにまた、新幹線鉄道の建設に必要な資金について、国はその助成その他必要な措置を配慮しなければならず、地方公共団体も援助に努めることになつている(全国新幹線鉄道整備法第一三条)。してみれば同公団は、日本国有鉄道と同じく、形式的には、国から独立した法人で(前記公団法によれば、単に法人と規定するのみで、特に公法上の法人とは規定していないが、多分に公法的色彩を有するものと考えられる。)国の行政機関とは区別されなければならないが、実質的には、国と同一体をなすものと認めるべきで、一種の政府関係機関とも称すべきものであり、機能的には運輸大臣の下部組織を構成し、広い意味での国家行政組織の一環をなすものと考えるのが相当である。」

旨判示している。

二 右に掲記した原判決の判断のうち、特に第(二)項の点を中心に論及する。

原判決は、右第(二)項において、日本鉄道建設公団法の諸規定を列挙したうえで、まず同公団は、形式的には、国から独立した、多分に公法的色彩を有する法人で、国の行政機関とは区別されなければならない旨判示するものであつて、もとよりこの点につき上告人らも異存はない。

しかるところ、原判決は、右の判断に続けて、同公団は、「実質的には、国と同一体をなすものと認めるべきで、一種の政府関係機関とも称すべきものであり、機能的には、運輸大臣の下部組織を構成し、広い意味での国家行政組織の一環をなすものと考えるのが相当である。」旨説示しているのである。

右に明らかなとおり、原判決は、日本鉄道建設公団と国との関係につき、形式面と実質面の二面的な考察を試みたうえ、形式面においては、同公団の国からの独立性を、また実質面においては、同公団と国との一体性をもつて、同公団の性格付けを為しているものであるけれども、そもそも、同公団と国との関係の把握にあたり、かかる二面的考察をすることが方法論的に正当であるか否か疑問である。しかのみならず、原判決を一読して明らかなごとく、原判決が、かかる二面的考察を試みた所以は、本件認可を行政機関相互間の内部的な行為と同視すべきである旨の結論を導くためのステツプとして、かかる考察が是非とも必要であつたからに外ならない――換言すれば、かかる結論を導く為には、同公団と国とが同一体である旨の根拠を示すことが不可欠である――のであつて、この点において、原判決のかかる二面的考察は頗る作為的なものであるとの感を禁じ得ない。けだし、原判決も判示しているとおり、同公団は、日本鉄道建設公団法において、鉄道の建設等を推進することを目的として設立された法人であることが明文で明らかにされているのであつて(同法第一、二条)、この一事を以つて、同公団が国から独立した法人であつて、国の行政機関とは截然と区別されなければならない――すなわち、同公団を国の行政機関と混同し、同一視し、一体化することは断じて許容されない――にもかかわらず、原判決は、尚且「実質的」考察との名目の下に敢えて同公団と国とが同一体をなすと強引に論定したもので、明らかに二律背反に陥つている。原判決のかかる自己矛盾を裏付けるが如く、原判決は同公団を目して、「一種の政府関係機関とも称すべきもの」、「機能的には運輸大臣の下部組織を構成」するもの、あるいは「広い意味での国家行政組織の一環をなすもの」と性格付けないし位置付けし、以つて、同公団の行政機関性の付与をめざしているが、右の性格付けないし位置付けの仕方は、至つて曖昧である。かような次第であつて、同公団が日本鉄道建設公団法によつて、法人格を付与されている以上、同法人を国の行政機関と同視することは、仮に実質的見地に立脚して考察することが許されるとしても法的に不可能なことである。換言すると、同公団は、法律的には独立の公法人であり、運輸大臣を機関とする行政主体である国に対しては行政客体なのである。

以上により、明らかなとおり、原判決は、本上告に理由第四点冒頭に掲記した日本鉄道建設公団法、同法施行令上の各条および全国新幹線鉄道整備法第一三条の解釈を誤つた違法がある。

三 次に原判決は、前項で検討した判断(日本鉄道建設公団が実質的には国と同一体をなす旨の判断)を論理的前提(ステツプ)として、次のとおり判示する。

「以上みてきたところによれば、新幹線鉄道は、運輸大臣が日本国有鉄道または日本鉄道建設公団に指示して建設させるものであり、法第八条にいう「指示」とは、運輸大臣がいわば下級行政機関である日本国有鉄道または日本鉄道建設公団に対し整備計画に基づいて当該建設線の建設を行なわせる趣旨の「指揮」または「命令」に近い法的性質を有するものと解せられ、従つて法第九条にいう工事実施計画に対する運輸大臣の「認可」は、右運輸大臣の指示に基づいて新幹線鉄道の建設にあたる日本国有鉄道または日本鉄道建設公団が工事実施にあたり作成した工事実施計画の前記整備計画との整合性、その他当該建設線の建設に関する運輸大臣の方針との適合性等について、監督庁としての、運輸大臣が審査のうえなす「承認」、いわば下級行政機関に対する上級行政機関の監督手段としてなす「承認」にあたると解するのが相当であつて、講学上の行政行為としての認可もしくは許可にはあたらないというべきである。

右「認可」はいわば行政機関相互間の内部的な行為と同視すべきものであつて、行政行為として外部に対する効力を有するものではなく、またその行為によつて直接国民の権利義務を形成し、もしくはその範囲を確定する効果を伴うものではない。それ故本件認可は、抗告訴訟の対象となる行政処分であるということはできない(ついで付言すれば、右認可の性質が前叙のとおりであるから、当然ながらその拒否に対し、認可申請をなした日本国有鉄道または日本鉄道建設公団もその取消を訴求することは許されず、またその利益も有しないというべきである。)。」

四 先述のとおり、原判決の右判示は、日本鉄道建設公団が「実質的には、国と同一体をなすものと認めるべきで、一種の政府関係機関とも称すべきものであり、機能的には運輸大臣の下部組織を構成し、広い意味での国家行政組織の一環をなすもの」との判断を論理的前提として導き出されたものであるところ、既述のとおり、右論理的前提自体が既に明らかに誤つたものであるから、右前提に基づいて出された結論も同様に正当でないことは、今更特に述べるまでもない。すなわち、原判決は、そもそもその論理的前提を誤つた為に、敢えて法文上の文言に違え、全国新幹線鉄道整備法第八条にいう「指示」とはいわば下級行政機関に対する「指揮」または「命令」に近い法的性質を有し、また同法第九条にいう「認可」はいわば下級行政機関に対する監督手段としてなす「承認」にあたる旨法文を敢えて曲解して、正に不自然極まりない牽強附会をなし、以つて、本件認可が「いわば行政機関相互間の内部的な行為と同視すべきものであつて、行政行為として外部に対する効力を有するものではない」旨論結し、よつて本件認可が行政内部的行為と同視できることを理由にその行政処分性を否定しているのである。

しかして、日本鉄道建設公団が法律上国から独立した公法人であつて、運輸大当を機関とする行政主体たる国に対する関係では、行政客体であることは、既に本第二項において詳論したとおりであつて、かかる点よりして原判決が本件認可を行政機関相互間の内部的な行為と同視することは、断じて許容できないものである。従つて、原判決が括孤書きで、判示する運輸大臣の認可拒否に対し、認可申請をなした日本国有鉄道または日本鉄道建設公団もその取消を訴求することは許されず、またその利益も有しないとの判断も明らかに誤りである。けだし、被上告人の同公団に対する本件認可は被上告人の、独立の法人たる同公団に対する意思表示(同公団に対し今後工事実施計画にもとづいて建設工事を実施していく権限を付与するとの意思表示)であつて、右認可によつて同公団は、爾後鉄道建設工事を推進していくことができるのであつて、かかる性質を有する本件認可が被上告人の同公団に対する具体的な処分として、行政処分性を有することは全く疑う余地がなく、従つて、本件認可が仮に拒否されていたとすれば、同公団が運輸大臣のかかる拒否処分の取消請求訴訟を提起できたことも明らかであるからである。

因に、本件認可は、市町村農地委員会の農地売渡計画についてなされた都道府県農地委員会の承認が行政庁内部の意思表示であつて、行政処分性が認められないとの判断を受けた最高裁判所昭和二五年(オ)第三二九号、同二七年一月二五日第二小法廷判決、民集第六巻第一号三三頁の事案および消防長の知事に対する建築許可の同意または拒絶は、行政機関相互間の行為であつて、抗告訴訟の対象となる行政処分でないとの判断を受けた最高裁判所昭和二九年(オ)第三九一号、同三四年一月二九日第一小法廷判決民集第一三巻第一号三二頁の事案とは全く事案の内容を異にするものであることはいうまでもない。

かくして、原判決が、本件認可を行政機関相互間の内部的な行為と同視して、抗告訴訟の対象となる行政処分に該当しないとしたことは、全国新幹線鉄道整備法第四条ないし第九条、同施行令第一、三条、同施行規則第一、二条の解釈を誤つた違法がある。

第五点 原判決は、行政事件訴訟法第三条および同法第九条の解釈、適用を誤つた違法があり右誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、民事訴訟法第三九四条に該当する。

一 本件認可が、行政事件訴訟法第三条所定の行政処分に当るか否かの判断に当つては、何よりもまず、憲法第二五条、第一三条ならびに第三二条によつて憲法上保証されている国民の基本的人権(環境権および裁判を受ける権利)を司法的にいかに救済していくかの見地からのアプローチが、正に重要かつ不可欠であるというべきところ、既に本上告理由第二点(憲法第二五条、第一三条違背)、および同第三点(憲法第三二条違背)で詳述したとおり、原判決は本件認可が行政事件訴訟法第三条所定の行政処分に当るか否かの判断を為すにつき、憲法第二五条、第一三条ならびに第三二条によつて保障された国民の基本的人権の司法的救済の必要性につき、いささかの配慮・斟酌もせずに、本件認可の行政処分性を否定したものであつて、かかる原判決は、右憲法上の諸規定に違背し、為に行政事件訴訟法第三条の解釈を誤つたものといわなければならない。

二 ところで、原判決は、本件認可の行政処分性を否定する理由として、次の二点を掲げている。すなわち

(1) 本件認可は、行政機関相互間の内部的な行為と同視すベきであつて、行政行為として外部に対する効力を有するものではなく、またその行為によつて直接国民の権利義務を形成し、もしくはその範囲を確定する効果を伴うものではない。

(2) 抗告訴訟の対象となる行政処分といいうるためには、それが違法、無効であつても、正当な権限のある機関により取り消されるかまたは無効が確認されるまでは事実上有効なものとして取り扱われている場合でなければならないところ、本件認可はかかる適法性の推定を受け、正当の権限を有する機関が取り消しまたは無効を確認するまでは有効として取り扱わるべき性質を有するものと考えることができない。

以上二点である。

しかして、右第(1)点に関しては、そもそも本件認可を行政機関相互間の内部的行為と同視すること自体が無理であつて、かかる判断が誤りであることは、既に本上告理由第四点で指摘したとおりである。

また第(2)点に関しては、その判断に理由不備の違背があることは、既に本上告理由第一点で指摘したとおりである。

そこで、ここでは、以下に右二点を理由として、本件認可が抗告訴訟の対象とならないとすることの可否を論ずる。

三  で、行政処分の概念に関し、原判決の引用する最高裁判所昭和三七年(オ)第二九六号、同三九年一〇月二九日第一小法廷判決の判旨を掲記する。

「行政庁の処分とは、……公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうちで、その行為によつて直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているものをいう」のであつて、「かかる行政庁の行為は、公共の福祉の維持、増進のために……正当の権限ある行政庁により、法に準拠してなされるもの……であるから、法律は、……一方このような行政目的を可及的速かに達成せしめる必要性と、他方これによつて権利・利益を害された者の法律上の救済を図ることの必要性とを勘案して、行政庁の右のような行為は仮に違法なものであつても、それが正当な権限を有する機関により取り消されるまでは、一応適法性の推定を受け有効として取り扱われるものであることを認め、これによつて権利・利益を侵害された者の救済については、通常の民事訴訟の方法によることなく特別の規定によるべきこととしたのである。」

右のとおり、本判決は、行政処分の把握につき、公定力観(適法性推定論)に立脚している。猶、本判決は、行政事件訴訟特例法時代の末に出されたものである。

しかして、行政事件訴訟法下の現行法制にあつては、抗告訴訟の目的・性質に新しい別の要素が加わるようになつたものと見られ、特に抗告訴訟の対象である「行政庁の処分」(行訴法第三条第二項)には、前掲判例が説示するような公権力行使の実体を有するもの(実体的行政処分)だけにとどまらず、新たに厳密にはかかる実体的行政処分の要素を具備しておらず、特に公権力行使の実体をもたないけれども、国民個人の法益に対し、継続的に、事実上の支配力を及ぼす行政庁の行為(形式的行政処分)も包含されると解釈することが可能かつ必要になつてきているのである。

かかる解釈の必要性は、殊に非権力的な事業実施行政における行為において顕著である。すなわち、かような行政庁の公権力行使の実体をもたない非権力的な事業実施行為によつて影響を受ける国民の権利・利益等各種法益の救済のための特別な手続的保障(たとえば事前参加とか事後争訟等)は現行法制上いまだきわめて不備であるために、当面国民の法益救済のためには一般の行政争訟制度に頼らざるを得ない。また権力的手段と非権力的手段とが複雑に混合している現代行政においては、権力行政は抗告訴訟で、非権力行政は当事者訴訟で行なうべきであると類型的に割り切つてしまうことは、国民生活に重大なかかわりをもつ公役務活動の適法性を司法的に確保することが、著しく困難ならしめる結果となる。かくして、国民の法益救済のためには厳密には公権力行使の実体を有しない非権力的な各種の行政上の行為についても、解釈上、一定の要件のもとに抗告訴訟の対象性・行政処分性を肯認することが是非とも必要とされるのである。

また、現行法上、かかる解釈をなすことの可能性については、現行法制が、抗告訴訟の対象に関し、戦前とられていた所謂列記主義を排して、概括主義の建前をとり、行政処分に当る範囲如何につき解釈に委ねているのであるから、右の範囲如何は、法律の規定以外に条理解釈をもつて決することが必要とされるところであつて、かかる判断にあたつては、当該行為の性質・効果ばかりでなく、抗告訴訟制度の目的・性質および国民の権利の司法的救済・保障の原理をも十分考慮しなければならないことになるのであるから現行法上、所謂形式的行政処分も抗告訴訟の対象性を有すると解釈することは、十分可能なことといわなければならない。

かようにして、行訴法第三条にいう行政処分に該当するか否かは、国民に対する権利・利益の司法的救済を認めることが妥当であるかどうか(救済の必要性)という見地から技術的に定められるべきであるということができる。<中略>

四 次に抗告訴訟における原告適格につき論及する。

行政事件訴訟法第九条に「法律上の利益」とは、同法が、保護に値するとしている利益であつて、これは、実体法的保護法益よりも広く、実体法的には所謂反射的利益にすぎないとされる事実上の利益であつても、訴訟により保護されてしかるべき国民の実質的・具体的な利益をいうものと解すべきである。<中略>

かようにして、行訴法第九条の「法律上の利益」は可及的に広く解釈することこそ、国民の権利・利益を司法的に保護・救済する所以であると考える。

五 ところで、本件においては、本上告理由第一点に指摘したごとく、上告人らは、本件認可によつて、その所有権、用益等財産的権利のみならず、環境権が侵害されるに至るだけでなく、行政目的ないし事業目的達成が著しく困難又は不可能になることを理由にかかる権利・利益の司法的救済を求めて、訴を提起したものであるところ、第一審および控訴審判決は、いずれも本件認可の行政処分性ひいては原告適格を否定して(その理由付けは異るけれども)、実体判決を拒否したものである。しかして、原判決および第一審判決のかかる立場は、前叙のとおり、国民の権利、利益を広く司法的に救済するべく制定された現行法の建前を正解しなかつたものといわなければならない。すなわち本件認可は行政事件訴訟法第三条第二項にいう「公権力の行使に当たる行為」であり、上告人らは、同法第九条にいう「当該処分……の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」であることを正当に肯認することこそ、国民の裁判所に対する期待に適うものであると確信する。

以上いずれの点よりするも原判決は違法であり破棄さるべきである。

以上

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