大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和41年(オ)846号 判決 1968年4月19日

上告人 大和信用株式会社

被上告人 国

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人栗山茂、同山崎新一の上告理由について。

株主優待金が所得税法上利益配当に該当するものと解すべきか否かは、優待金の特殊な経済的法律的性格からみて微妙な事実認定とこれに対する専門的な法律的判断を必要とする事項であつたところ、税務当局としては通常公務員に要求される注意義務を尽してこれを積極に解しこの旨の通達を発して本件各決定および滞納処分に及んだものであつて、この解釈の誤りをもつて一概に過失に基づくものとはいい難く、また税務当局が最終的に自己の法令解釈が司法的判断により排斥されるべきことを認識しえた筈であるのに敢えて前記の措置に出たものと判断することはできない、したがつて税務当局としては本件各決定にさきだちその根拠法規の新設に努力し、法規上の疑義を一掃した後に始めて徴税措置をなすよう取り計うべきであつた(いわゆる立法義務違反)とする上告人の主張は採用しえない旨の原判決の判断、その他上告人主張の税務当局の過失を認めがたいとする原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の事実認定及び判断は、その挙示する証拠関係、事実関係から正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立つて、原判決を非難するに帰し、採ることができない。

上告代理人近藤綸二の上告理由について。

税務当局が本件滞納処分を完了するに至つた当時にあつては賦課処分は未だ取消されることなく存続し、これにもとづいて着手された滞納処分自体にも手続上違法の廉がなく且つ徴収を猶予し滞納処分の続行を一時停止するのを相当とすべき特殊の理由も存しなかつたのであるから、税務当局が徴税手続を進めて終局的な換価処分にまで及んだからといつて、これを不当であると非難することはできない、しかもその処分の根抵をなす税務当局の本件各決定、処分に関する解釈判断について右当局側に過失の責を帰せしめえない本件においては、滞納処分の執行を完了したこと自体についても、過失を見出すことはできない、その他本件各決定および滞納処分について税務当局に過失が存したことを認めうる証拠はない旨の原判決の判断、その他上告人主張の税務当局の過失を認めがたいとする原判決の事実認定及び判断は、その挙示する証拠関係、事実関係から正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。

論旨は、独自の見解に立つて、原判決を非難するに帰し、採ることができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 奥野健一 草鹿浅之介 城戸芳彦 色川幸太郎)

上告代理人栗山茂 同山崎新一の上告理由

第一、本訴に先行する取消訴訟の経緯

(一) 原告は昭和二十七年一月から昭和二十八年三月までの間(以下第一期という)に金四千六十一万七千二百五十八円の金員を又同年四月から六月までの間(以下第二期という)に金千四百八十八万七百三十円の金員を、それぞれ一部の株主に対し株主優待金名義で支払つたところ、日本橋税務署長は、右優待金は所得税法第三十七条の配当所得に該当するという前提で原告は同条の規定で徴収して納付すべき所得税を納付しなかつたからこれを同法第四十三条によつて支払者たる原告から徴収することとして、第一期分に付いては、昭和二十八年九月十一日付で源泉徴収所得税額を金八百十二万三千四百五十一円と算出し、それに源泉徴収加算税額金二百二万九千二百五十円を課して同月十九日に右決定を原告に通知し、第二期分に付いては同年十月三十一日付で源泉徴収所得税額を金二百九十七万六千百四十円と算出し、それに源泉徴収加算税額金七十四万三干五百円を課して同年十一月六日に右決定を原告に通知した。

原告は、

(1)  右各決定について本件優待金を配当所得と解するのは昭和二十八年三月三日の国税庁長官の新たな通達によつて初めてなされたものであつて、所得税法第四十三条による源泉徴収の義務は商法上の会社の利益配当金を支払う場合にあるというのが従来の有権的解釈であり、又実際の取扱いであることそしてこれを所得税上会社の配当とみなすには新たな立法措置を要すること。

(2)  従つて原告が従来の解釈に則つて所得税法第四十三条により源泉徴収しなかつたのは同法にいわゆる「徴収して納付すべき所得税を納付しなかつたことについて正当な事由」を有する者に該当するから(法第五十七条第五項)源泉徴収加算税を賦課すべきでないこと、等を理由として昭和二十八年十一月十日付で再調査の請求をしたところ日本橋税務署長は同月三十日付で之を棄却した。よつて原告は同年十二月二十八日付で東京国税局長に対し同一理由で右税務署長のした各決定につき審査の請求をした。同国税局長はそれより三年三月余を徒過した昭和三十二年三月五日付で各請求を棄却する旨同月七日に原告に通知したものである。よつて原告は昭和三十二年六月六日に右国税局長の決定の取消を求める訴を提起し、第一審、第二審とも勝訴の後、昭和三十五年十月七日最高裁判所第二小法廷言渡の判決で右取消の訴は確定した。同判決は右優待金は「所得税法九条二号にいう利益配当には当らず、従つて被上告人はこれに付き同法三十七条に基く源泉徴収の義務を負はないものと解すべきである」と判示したのである。

(二) いわゆる株式相互金融制度は、昭和二十四年秋にその端を発したものであるが、戦後金融に困ぱいしていた中小企業者たる一般庶民の需要に投したため、原告が違法に課税された昭和二十八年前半には、その取扱資金は約二百億円と推定されるに至つたのである。そのため相互金融等他の市中銀行に対し強力な競争者となつたのは、今日投資信託会社が市中銀行の事業を圧迫しているのに比すべきものがあつた。財務当局はこれら市中銀行の圧迫におされて相互金融制度の業者が支払う株式優待金を、しかもその創設当時にさかのぼつて配当金と看做すことにし昭和二十八年三月三日の国税庁長官の通達を発するに至つたのである。そして右通達に基いて、即ち所得税法に「みなし」規定を挿入する等の立法行為をしないで、税務署長の単なる処分で立法行為にかわる効果を発生せしめようとした違憲な措置に出たのである。それが原告の訴訟手続によつて違法として前記のように取消されたものである。

(三) かように本件優待金が所得税法第九条二号の利益配当でないから原告が優待金を支払つたとしても、それは所得税法四十三条の支払者にはならないし従つて同条にいう「徴収して納付すべき所得税」は存在していないのである。それを日本橋税務署長は所得税法上徴収して納付すべき所得税が存在していることにして、前記第一期分と第二期分との納税額として一三、八七三、三四五円を違法に算出し之に加算税を附加してその納付について滞納処分の手続をとつたのである。さればこの滞納処分は何等所得税法四十三条に根拠をもたない違法な公権力の行使であることは明である。即ち日本橋税務署長は昭和二十八年十一月二十四日にその違法に通告して来た納税額一三、八七二、三四五円に対する滞納処分として原告の各種の財産の全部を差押え以て原告の営業継続を完全に不能に陥らしめたのである。しかも原告の資産状態から見て差押処分丈けで租税債権の取立が確保されているにもかかわらず、東京国税局長は原告の各財産を審査請求の審理中昭和三十年から同三十一年に亘たり、それぞれ公売により換価処分に付し回復すべからさる損害を加えたのである。

第二、故意、過失の存在

原判決は、「株主優待金が所得税法上利益配当に該当するものと解すべきか否かは、優待金の特殊な経済的法律的性格からみて微妙な事実認定とこれに対する専門的な法律的判断を必要とする事項であつたところ、税務当局としては通常公務員に要求される注意義務を尽してこれを積極に解しこの旨の通達を発して本件各決定及び滞納処分に及んだものであつて、その解釈の誤りをもつて一概に過失に基づくものとはいいがたく、」云々と判示している。原判決が踏襲した第一審判決も、本件処分の違法性を判示した最高裁判所の判文を掲げた上「当裁判所もこれと同一の見解に立つが、右最高裁判所の判文自体からも窺えるように、これは複雑困難な事実認識ないし法律解釈を含むものであつて、その解決には高度の専門的知識を必要とししかく簡単に結論に到達しうる問題ではない」と判示した。

優待金制度というのは、戦後発生した経済現象であつて、税法上これをどう処理するか、税法上に明文がなく欠陥があるから所得税法九条二号にいう利益配当に当るかどうか疑わしい問題なのであつたのである。そもそも憲法が保障する租税法律主義(憲法三〇条、同八四条>は罪刑法定主義と同様、疑わしいときは納税者若しくは被告に有利に解釈されなければならないのである。これは租税も刑罰も明示の法規の内にのみ成立するからである。されば疑わしき場合に拡張解釈をして積極に解して課税したりすることができないことは租税法律主義の初歩的原則なのである。それを政府は所得税法上にこの疑いを解決する明示の法規を設けることなく通達だけで利益配当にあたるとしたのである。それ故最高裁判所の判決で本件優待金を所得税法九条にいう利益配当にあたるとした税務当局の拡張解釈に基く処分(その基礎をなす通達)は違法なものとされたのである。

更に原判決は「租税法規に固有の抽象的技術的な性質と課税対象たる社会経済現象の多様性、流動性の故に、法規上は単に一般的基本的事項を定めるにとどめその具体的細目的事項については通達をもつて解釈運用の実際上の統一をはかり、課税の公平を期するよう処置することは、立法技術上および行政運営上やむをえない」というに至つては、通達限りで、法律でなくても納税者に納税義務を課し従つて支払者に源泉徴収の義務を課するのを是認する趣旨であつて、国家行政組織法一四条の通達が政令(内閣法一一条)でさえ法律の委任がなければ義務を課することができないとしている限界をこえるのもやむをえないとするものである。通達限りで納税義務を課し従つて原告会社に源泉徴収の義務を負わしめたことは、その旨の特段の規定(優待金を利益配当とみなすという)を税法中に挿入せしむべき立法措置を省略したからである。それはとりもなおさず立法義務の懈怠に外ならないのである。この明白な事実を無視して原判決は「税務当局としては通常公務員に要求される注意義務を尽してこれを積極に解してこの旨の通達を発し」と判示し、又第一審判決が「本件課税処分および滞納処分について、税務当局の過失を認めるに足る証拠はない」と判示している。何れも利益配当とするという特段の規定がないこと、そして通達限りで課税処分をせしめたこと自体が立法義務の懈怠即ち過失であることを理解しえなかつたによるものである。

本件公務員の不法行為が立法義務の懈怠に出でたことは、本訴に先行する取消訴訟において被告側は税務当局はその権限、上実質課税ができるから特段の規定を必要としないと主張して税務当局自ら立法義務を否認していたものである。

前記最高裁判所判決は「所得税法中には、利益配当の概念として、とくに、商法の前提とする、取引社会における利益配当の観念と異なる観念を採用していると認むべき規定はないので、所得税法もまた、利益配当の概念として、商法の前提とする科益配当の観念と同一観念を採用しているものと解するのが相当である。」即ち「所得税法中には……規定がない」と判示している。これは税務当局が所得法上の効果を発理せしめるにはその旨の規定の存在の必要とすることを意味するのである。

かような明かな立法義務の懈怠があつたにも拘わらず原判決は「税務当局としては反対に通常公務に要求される注意義務を尽してこれを積極に解しこの旨の通達を発して(中略)その解釈の誤りをもつて一概に過失に基くものとはいい難く」と判示するに至つては、行政組織法一四条の通達の機能を知らず憲法所定の租税法律主義を正解しない判文であつて、もとより破棄を免れない。

上告代理人近藤綸二の上告理由

一、原判決の理由中上告人の最も理解に苦しむ点の一つは、上告人が日本橋税務署長の為した源泉徴収所得税額および加算税額の各決定通知をうけたるにより、同署長に対し、昭和二十八年十一月十日付で再調査の請求をしたところ、同署長は同年十一月三十日付で直ちにこれを棄却しておるに拘わらず、上告人がこの棄却の決定に対し、東京国税局長に同年十二月二十八日付で為した審査請求については同国税局長は実に昭和三十二年三月五日まで満三年二ケ月余決定を為さず放置し、以てその間上告人に訴訟提起のための普通条件(当時の国税徴収法第三十一条ノ四)の完成を事実上阻んだ後棄却の決定を為しており、しかもその間に税務当局は上告人の営業用不動産は勿論、営業用動産、電話加入権、貸金債権の差押等、国税滞納処分による差押処分、公売処分を敢行したという驚くべき事実を認定しながら税務当局の故意過失を否認しておることである。斯る判断が通常の法律常識と甚だしくかけ離れたものであることは明らかである。

若し税務当局に於て、上告会社が株主に支払いたる所謂株主優待金が利益配当金と同一性質のものであると為すその解釈に自信があつたなら、何故審査請求を三年余も放置しておいたのであろう。(審査請求の理由には後に裁判所の採用した主張が詳細述べられておる。)少くともその解釈には充分研究の余地あり必ずしも全面的支持を期待できないものであることを認めておつたればこそ審査請求に対する決定を故意に遅延せしめたと見るべきである。何故ならその間に当時の国税徴収法および所得税法の規定を盾にとつて滞納処分敢行という暴挙をしておるからである。しかもこれ等の規定中当時の国税徴収法第三十一条ノ二第三項及び同法第三十一条ノ三第二項には「相当の理由」があるときは滞納処分の続行を停止することもできる旨定められており、本件の場合の如き当に之に該当するものと判断するのが常識であることを考慮すれば税務当局の行為の真意を了解するに苦しまざるを得ない。何故に少くとも審査請求に対する判断のなされるまで滞納処分の実施を猶予しなかつたのであるか不可解至極である。そこには取急ぎ徴税しなければならない理由はなかつた筈である。けだし大蔵当局が当時上告会杜の如き形態の庶民金融機関の出現を極度に嫌悪しておつたことは顕著の事実であつて、脱税にこと寄せて上告会社を壊滅せしめんとしたと考えざる限り、斯る非常識なる暴挙が賢明なる大蔵当局によつて敢行された理由を発見するに苦しむのである。

故に税務当局のとつた一連の行為の過失は勿論、寧ろ故意に基くものと認定すべきであるに拘らず、第一審判決も原判決もこれ等の事実を認定しながら、故意過失なしとしておるのである。

只原判決は言訳的に「当該状況の如何によつては時として右処分が後日違法として取消されるときの危険をあらかじめ自から負担してなしたものとしてこれに基く損害賠償の責を負わしめるのを相当とする場合もありうるからである。」と述べて居るが、本件の如きは当にいうところの損害賠償の責を負わしむるべき場合となさざるを得ない筈である。

二、第一審判決も原判決も口を揃えて、本件の中心問題である株主優待金の性格認定には高度の専門的法律知識を必要とするとして税務当局の過失なきことの一根拠としておるが、我国に於ける大蔵省系官僚は諸外国の例に見ざる有能の法律家によつて構成されておることは公知のことであり、これ等有能の法律家であり、しかも特に税法の解釈に多年従事した人々にとつて、この問題が理解されなかつた筈はないのである。又もし真に善意であれば法制局の意見を求むるが如き処置にいづべきは当然なされねばならないことであつたのである。

裁判所の判決理由を見ても決して、いうが如き高度の法律知識を必要とする程の問題ではないのである。

かような明白に故意過失の存する事案に於て、公務員の故意過失を否認することが正しいとされるなら、国民が国家賠償法により国に対し、賠償を請求なし得る場合は殆んど皆無となるといつて過言でない。

以上の理由を以て原審判決は到底破棄を免れ得ないものと思料する次第である。

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