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最高裁判所第二小法廷 昭和27年(オ)1023号 判決 1955年7月29日

上告人 平田信一(仮名)

右訴訟代理人弁護士 花井茂樹(仮名)

被上告人 古川道夫(仮名)

右法定代理人後見人 古川一郎(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人花井茂樹の上告理由について。

民法応急措置法(昭和二二年法律七四号)三条は「戸主、家族その他家に関する規定は、これを適用しない」と規定し、同六条は「親権は、父母が共同してこれを行う」と規定しているから同法施行後にあつては、本件のように、父の分家によつて、子の後見が開始するということのあり得ないことは所論のとおりであるけれども、同法には、特に、後見に関する規定はなく、その他同法には同法施行前、右のごとき事由のため開始した後見が同法の施行により当然に終了するものと解する根拠となるべき法規は存しないのであつてむしろ右の後見は同法の施行にかかわらず、その後も存続し、従前親族会によつて選任された後見人は、依然、その職を失わないものと解するを相当とする。

(昭和二七年(オ)第九〇九号事件、同二九年七月一六日第二小法廷判決参照)

論旨はこれと反対の見解に立つて、原判決を論難するものであつて、採ることができない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長 裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 池田克)

○昭和二七年(オ)第一〇二三号

上告人 平田信一

被上告人 古川道夫

右未成年に付後見人古川一郎

上告代理人弁護士花井茂樹の上告理由

一、原審において問題となつた争点は、憲法施行前家を去つたため親権を行い得なかつた被上告人の父健一は、憲法の施行に伴つて親権を回復し、選定後見人一郎は、後見人の地位を失うに至つたかどうかにある。原審判決は、これを消極に解したのであるが、かゝる解釈は、新憲法の精神に違反するものと信ずる。のみならず、本件訴訟の先決事項として父健一が生死不明のため親権を行うことができないことによる後見人選任の請求事件において、名古屋家庭裁判所は、上告人と同様の見解の下に、従前の選定後見人一郎は新法施行によつてその地位を失つたものとして、あらためて同人を後見人に選任したのであつて、かように本問についての下級裁判所の見解は、二途に出で、帰一しないのであるから、速かに正しい判断を明らかにせられ、国民の拠るべきところを示されたい。

二、そもそも、旧民法第八百七十七条第一項が、子はその家にある父の親権に服すとした趣旨は、母の親権を制限すると共に、子と家を同じくしない父の親権を制限するにあつたことは自明である。然るに新憲法第二十四条は、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を保障し、家族に関する事項について新たな法律の制定を予定したのであつて、これを承けて応急的に制定せられた措置法は、その三条に、民法の規定中従前の戸主、家族その他家に関するものは、これを適用しないことを明らかにし、第六条第一項は、親権は父母が共同してこれを行う、と定めているのであるから、新憲法の趣旨は、親権に関して、ただに性別による制限だけでなく、家を去つた父母は親権を行使することができないとする制限もまたこれを撤廃するにあるものと解すべきである。或は応急措置法第六条第一項をば母の親権に対する従前の制限を廃したに止まるとし(第一審判決)又或は母の親権の制限を撤廃するのが眼目である(原審判決)とするが如きは謬見と考える。

三、而して、応急措置法はその施行前父が家を去つたため後見が開始し、後見人の選任せられていた場合について、別に除外例を設けていないのであるから、同法の施行によつて、その父も親権を行使し得ることとなり、これによつて親権を行う者がないために開始した後見の存在の理由消滅し、後見人がその地位を失うべきは、当然のことでなければならない。応急措置法には、その施行前既に開始している後見について何等規定するところがないことから、原審判決が試みているように、同法の施行によつてかような場合における後見は何等の影響を受けることなくその儘存続するものといわなければならぬとし、同法には既に開始している後見を覆して迄親権を復活せしめようとする意図あることを得ないと断ずるが如きは、まさに本末を顛倒する論である。もし、新法施行後も父をして親権を行使し得ざらしめるような重大な制限を設け、後見を存続せしめようとするのであるならば、むしろそのことを明定しなければならなかつた筈である。

四、原審判決はまた、新民法附則第四条但書の規定の精神から見ても応急措置法施行前開始した後見は応急措置法の施行によつて覆されることはなく其の儘存続するものであつて、此の後見が存続する限り応急措置法施行前他家に在つて親権を有しなかつた父母は応急措置法が家を廃止したからと謂つて親権を回復するものではないと解するのを相当とする。として、応急措置法に明文はなくてもかような趣旨に解すべきものとするが如くである。しかし後見は元来必要が生じて初めて置かれるものであり、必要がなくなれば自から終了すべきものであるから、後見の存否を論証することによつて、親権の制限の有無を決すべきではなくて、親権の制限の有無が先づ論ぜらるべきである。原審判決の説明は、この点において承服し難いばかりでなく、右第四条但書の単に「従前の規定によつて生じた効力を妨げない」とする規定から、応急措置法施行前去家によつて親権を行い得なかつた者は、新憲法施行以後においても引続き親権を制限せられるというような、積極的な重要な意味をひき出し得るや否や甚だ疑問であり、かゝる結論は、家を異にするによる親権の制限を撤廃した新憲法の精神に相反するものであつて、このような趣旨を含むものとして民法第四条但書の規定を応急措置法の解釈に類推せんとすることは、許さるべきものでないと信ずる。

五、更に原審判決は、新民法の附則第十九条が、旧民法第九百四条の規定によつて選任された後見人あるときは、その後見人は新法施行のため、当然にはその地位を失うことはない、と定めていることを援いて論拠としているが、右経過規定は「新法施行の際現に」かような後見人の存在する場合に関するもので、応急措置法の施行によつてすでに後見人がその地位を失つている場合に適用のないことは勿論である。而して同条但書に新法施行によつて後見が終了し、又は新法による法定後見人があるときは、当然その地位を失うとあるのは、条理上当然の事理を規定したものに他ならないが、この規定の精神は、応急措置法の施行の際にも当て嵌まるべきものである。原審判決のように、本件の場合後見が終了しないとすることは一応急措置法が同一家籍の制限を撤廃し、婚姻中でない父母についても親権を認めた結果、婚姻中でない父母についての一方親権者の死亡や、継親、嫡母が親権者であつたが応急措置法施行によつて親権消滅した場合にも、実親が存する限り、後見は開始しないことと理論的統一を欠くものといわなければならない。

六、かように見て来れば、新憲法施行前、家を去つたため親権を行使し得なかつた父は、選定後見人がある場合でも新憲法の施行によつて親権を回復し、後見人はその地位を失うと解するのが、理論上当を得たものであること明らかである。現に、被上告人の側においても、進んで戸籍簿上昭和二十二年五月三日父古川健一親権を行うに付き後見終了の届出(昭和二十六年九月二十九日受附)をし、受理せられているのは、この見解が一般の常識にも合するものとして、広く肯認せられるものであることを示している。もしそれ、未成年者と現実に共同生活を営まない父を親権者とすることによつて、実際上の不便を生ずるとするならば、親権喪失又は親権辞任の方法によつてこれを救うことができるであろう。

以上

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