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最高裁判所第二小法廷 昭和24年(れ)2214号 判決 1950年2月17日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人松永東、同名尾良孝の上告趣意第一点について。

所論公訴棄却の判決は、その公訴にかかる強盗の事実については既にそれと連続犯の関係にある窃盗の事実について別に公訴が提起せられてあったがために、一個の連続犯に対して重ねて公訴を提起することは、許されないとの理由によってその公訴自体を不適法として棄却したものであって、その公訴にかかる強盗の事実について何ら、実質上の審判をしたものでないことは、本件記録上あきらかである。しかして、かかる公訴棄却の判決は、その確定した後においても、その対象となった事案について、訴訟条件を具備した上は更に実質上の審判をすることは、亳も差しつかえないところである。本件において、右強盗の事実は、さきに起訴された窃盗の事実と連続犯の関係に立つことは前述のとおりであるから、右窃盗の事実を審判する裁判所は、右強盗の事実をも、審判する権限を有することは当然であって、このことは、右強盗の事実について、前に述べたような公訴棄却の判決がなされたかどうか、右公訴棄却の判決が既に確定したかどうかにかかわりのないことであるのみならず、右強盗の事実について検察官から、さきに窃盗の事実の繁属した裁判所に対していわゆる「連続犯通知」がなされたかどうかにもかかわりのないことである。本件においては、検察官は、右強盗の事実について、第二審裁判所(窃盗事件の控訴審)に対し「連続犯通知」をしたのであるが、いわゆる「連続犯通知」なるものは、検察官が起訴状記載の公訴事実と連続犯の関係にある他の事実を探知した場合にこれを裁判所に通知し、同事実に対する裁判所の審判を求めるもので、これは単に裁判所の職権作用を促すに過ぎないものであって所論のように新なる公訴提起の性質を有するものではないのであるから、これまた、所論公訴棄却の判決の有無、若しくはその判決の既に確定したか否かに、亳もかかわるところはないのである。所論は畢竟本件公訴棄却の判決の本質を理解せず、また、いわゆる「連続犯通知」をもって、公訴の提起と同一視する謬見にもとずくものであって採用することはできない。

同第二点について。

記録について審査するに所論鈴木頼治及び前島益太郎に対する各司法警察官の訊問調書は、いずれも綱野和男に対する窃盗被告事件の書類であってこの事件は、本件とは別に起訴されたのであるが第一審において本件と併合審理せられ、綱野は第一審判決に対し控訴の申立をしなかったために、原審においては、本件被告人のみが審理判決せられたものであることがわかる。それで、原審においては、本来別事件であった当時に作成せられた前記各司法警察官の訊問調書は、その原本が公判廷に証拠として顕出せられたものではなく右調書の謄本が証拠として顕出せられたものであると思われる。(同謄本は記録第三九丁以下及び第四五丁以下に添付せられてある)従って原判決においても、右謄本が犯罪事実認定の証拠として挙示せられているのであって原審公判調書には、右各訊問調書について証拠調をした旨記載せられ、原本とも、謄本とも記載されてはいないけれども、右に述べたような前後の関係からみて右は所論各訊問調書の謄本について証拠調が行われたものと解するのが相当である。してみれば、原判決には、所論のように証拠調を経ない証拠を犯罪の証拠とした違法はないものといわなければならない。

しかして、右各訊問調書の謄本は、その原本を作成した司法警察官と同一警察署(鴻巣警察署)に在勤する司法警察吏、巡査中島常吉が適法に認証作成したものであることは記録添付の右各謄本に徴してあきらかであって、このように適法に作成された書類の謄本はそれが謄本であるからといって、それがためにその証拠能力を否定すべき何らの根拠もなく、かつ、右謄本については、原審公判において適法に証拠調を経たものと解すべきことは、前段説明のとおりであるから、被告人に対して、「謄本作成の正確性に関しても、これをただす機会は十分に与え」られてあるものというべく、従って原判決が右謄本を証拠としたことについて、所論のような違法があるものということはできない。論旨はすべて理由がない。

よって、刑訴施行法第二条、旧刑訴第四四六条に従い主文のとおり判決する。

右は全裁判官一致の意見である。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)

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