大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成9年(オ)1122号 判決 1998年12月18日

長野市大字南堀字村東一三八番地一

上告人

ホクト産業株式会社

右代表者代表取締役

水野正幸

右訴訟代理人弁護士

高井正直

栗林正清

長野県下高井郡山ノ内町大字平穏二八四一番地四

被上告人

志賀高原農業協同組合

右代表者代表理事

畔上晴光

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(ネ)第八七三号種菌有償譲渡行為差止等請求事件について、同裁判所が平成九年二月二七日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人高井正直、同栗林正清の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、結論において是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原判決の結論に影響のない事項についての違法をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

(平成九年(オ)第一一二二号 上告人 ホクト産業株式会社)

上告代理人高井正直、同栗林正清の上告理由

第一、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

1.即ち原判決は、やや不適切な事実摘示をした第一審判決とほぼ同様な、種苗法一二条の五第一項三号の解釈を採用した(原判決三二丁裏から三三丁裏二行目まで)が、右条項の右解釈は、同項の文理上にない概念で右条項立法の目的を不当に限定し、かつ右条項の趣旨・意味を、形式的・論理的にのみ把握した、いわゆる非難されるべき概念法学的な法解釈に過ぎず、種苗法全体の立法目的にも背馳する不当な解釈である。

2.イ.原判決(三三丁)は、「種苗法一二条の五第一項三号は、その(注.同法一二条の五第一項一号)例外として、両親が純系の別々のものである場合には」と指摘する。

右の言葉のうち、「両親が」という表現はやや不適当ではあっても、「両親品種が」を意味するものとして観照できるが、次に続く「純系」という言葉及び表現の意味内容及びその使用については、看過することができない。

ロ.「純系」は純粋種の特殊な場合と考えられており、純粋種は「近親交配又は自家受粉によって生じた固体で、目的とする遺伝子構成に関し雑種性を有しないもので、普通は目的とする1ないし数対の遺伝子に関しホモ(注.同型又はホモ接合体)の個体」と定義づけられ、従って「純系」とは「すべての遺伝子についてホモになった個体で純粋種の特殊な場合」と学術上定義されている(岩波書店発行「岩波生物学辞典」第三版五七七頁)。

ハ.きのこは、学術上菌類であって、植物体ではないと分類されているが、少なくとも農業栽培上は通常の栽培植物と同様な商品として扱われ、また種苗法適用においても、きのこは通常の栽培植物と同じ扱いを受けていることは公知の事実である。

また、通常の栽培植物について、「全ての遺伝子(いわゆるゲノム)、もしくはDNAの塩基配列の全て」が客観的に把握・解明分析されているものはいまだにない、というのも科学的な公知の事実である(大腸菌等、菌類であるものの少数については、ゲノムが分析されていると仄聞したことがあるが、いうまでもなく大腸菌は比較的構造が単純な原核生物であり、通常の植物体等の真核生物と比較し、ゲノムを解明するについては大腸菌の方が容易であることは明白である)。

とすれば、原判決のいう「純系」という用語は、科学的に確立した意味ではなく、もう少し常識的な意味で使用したと考えざるを得ない。

ニ.原判決が参照したのは、おそらく乙第一一号証ノ二及びこれに添付された高校の生物参考書の各記載であろう。

これらに記載されている純系の意味には、二つの意味があり、一つは上告人が右、ロ及びハで記載した同じ意味のもの(乙第一一号証ノ二に添付された書面の二枚目の頁、最下部の記載)であり、他の一つは例えばエンドウの草丈の高低にかかる遺伝子につき同型又はホモの意味であり、ごく限定された範囲での使い方の例であり、右二つを混同してはならない。

ホ.従って、原判決のように「両親が純系の別々のものである場合には」と指摘したのは、おそらく被上告人が提出した証拠を普遍性ある客観的なものと軽信したためであろうが、少なくとも本件のエノキタケ一般、及び全てのきのこについて、「純系」という全ての遺伝子の解明されたものはもちろんのこと、一部の遺伝子についてもホモまたは同型が明らかにされたことはないのである。

従って、被上告人の利用した「純系」という品種の存在は、たとえ狭義の意味であっても論理そのものとしてはともかく、実在するエノキタケあるいはひろく栽培品種のきのこはもちろん、全てのきのこ一般につき、「両親が純系の別々のもの」が明らかになっていないのであって、それが当然に存在している、あるいは利用されているかのように表現・指摘する原判決は、いかに門外漢の裁判官といえども、形式的・論理的操作の結果の誤りとして非難を免れ得ない。

ヘ.また右「純系」の言葉を原判決が援用・利用したのは、恐らくその言葉の後に指摘する「両親の優性な特性が現われ、兄弟間では特性が均一となること(雑種強勢)を利用して生産された一代雑種の種子、胞子の有償譲渡等に品種登録の効力が及ぶこととしたものであると認められる」という文章のためであることは、理解できる。

右の原判決の記述は、被上告人が第一審で提出した平成七年一〇月一〇日付準備書面八頁の記載と、ここで援用する乙第四号証二七頁の記載に基づくものであろう。

もっとも原判決が、「兄弟間では特性が均一となるもの」と記載したのは、乙第一一号証ノ二の中村技官作成の回答書二頁の文言に依拠したものと思われる。

(右回答が中村技官の証人喚問前またはその際に提出してあれば、反対尋問によりその記述内容を十二分に弾劾できたものであるが、被上告人の書証の提出は、証人申請まではせいぜい乙七号証までであり、その余はいずれも、人証の取調が事実上終了した平成七年五月以降の最終的な場面になって提出されたものである。しかし、この点はいずれも事実認定にかかるものであるため、これ以上論及しない。)

しかし、雑種強勢では「兄弟間では特性が均一になる」というのは、如何なることを指摘しているのか、それぞれの言葉の意味が正確に表現されていないためはっきり理解できないが、恐らく右論述は、中村技官が、「三回繰返し」は「時間的前後の意味だけではなく、三つの場所で同時にやっても同じである」と証言した程度の信用性しかないと断言する。

(なお、原判決の利用する経験則の粗雑さは、「一ブロック一五本で三回繰返し」の意味は「同時に三ブロック行なう意味か」「時期を異にして三回行なう意味かは、本件に現われた証拠のみではいずれとも決し難い」と断定するところに、典型的に表現されている。

「繰返し」という言葉の意味を理解するために、当事者の提出した証拠以外に自分たちが今まで利用してきた通常の国語の意味すらも考えない態度は、裁判官としての良識を疑いたくなるものがある。)

仮りに、右の如く兄弟間では特性が均一になることが正確としても、なぜ「雑種強勢」という概念を、種苗法一二条の五第一項三号の解釈に入れる必要があるのだろうか。

もともと、右条項の存在理由は「雑種強勢の利用」のためのものではない。

「交雑品種の親となりうる固定品種を育成するのには長年月と多大な労苦を要すること、親品種が存続し続けなければ交雑品種は存続しえないこと等を考慮して」右条項が設けられたものである(乙第一五号証六六頁)。

この点は、両当事者の主張として争っておらず一致するものであって、被上告人の主張とその提出した証拠の一部が、原判決のように法解釈の限定をいうにすぎない。

争いない前提をほとんど考慮せず、争いあるところに自己の論理を一般化したのが原判決であり、その法解釈の正当性と妥当性の根拠に十分な批判を受ける資格は、十分にあるのである。

ト.種苗法一二条の五第一項三号の規定は、右に述べたものであり、健全な国語の理解能力を有するならば、固定品種を親品種として利用する場合は、雑種強勢を利用する場合もあろうが、それに限定されるものではなく、親品種の特性をそのまま利用する形の一代雑種でも、当然に右規定の効力が及ぶと解釈しなければならない。

法文にない概念を利用して法文の意味を限定するには、合理的な理由がなくてはならないが、右条項の適用につき、雑種強勢に限定しなければならない合理的理由を見つけることは、困難であるし、恐らく今後も不可能と思われる。

従って、原判決の種苗法一二条の五第一項三号の解釈には、重大な疑問があるといわざるを得ない。

3.イ.種苗法一二条の五第一項三号の解釈にあたり、原判決のように自らの作り出した幻の要件である「純系」なるものを入れたのは、単に誤りとしかいえない。

右条項における解釈は、基本的には「固定品種」の概念を正確に把握すれば足りたのである。そして「固定品種」の概念は、両当事者とも一致した認識を有しているのである。

つまり、種苗法第一条の二第一項四号において、「同一の繁殖の段階及び異なる繁殖の段階に属する植物体のすべてが次に掲げる要件を満たす場合におけるその植物体のすべてを」固定品種と定義づけ、「要件」として左記のものを掲げている。

一、重要な形質にかかる特性において十分類似していること

二、1または2以上の特性によって他の植物体と明確に区別されること

ロ.右の法律上の定義から考えれば(簡略化して表現すれば)、一定の安定的な形質を有した品種で、他の品種と明確に区別されるものが、固定品種として登録の対象となるのであり、ここでは特定の遺伝的形質において、いわゆるヘテロ(異型もしくはヘテロ接合体)であるとか、ホモ(同型もしくはホモ接合体)であることが必要とされるものではないことは明らかである。

そして、登録された固定品種を親品種として利用し、交雑して生まれた子品種に登録品種(親品種)の効力を及ぼすのが、種苗法一二条の五第一項三号の意味である。

ハ.繰返しで重複であることを重々承知しているが、もう一度種苗法一二条の五第一項三号の立法趣旨を考えて頂きたい。

そこで「純系」なる要件を入れて考えるのは、自己の判決の結論を決定した上で、そのために用いた論理操作であり、我田引水・自画自賛の典型ともいえる論理である。

確かに原判決の指摘するように、いわゆる狭義の「純系」なる固定品種の性質を利用し、いわゆるF1すなわち交雑種を育成し、親品種より優れた形質をもつ子品種(交雑種)が生じることもある。

しかし、それは単に固定品種を親品種として利用し、交雑させた場合の一部にしか過ぎないのであり、もともとは固定品種を親品種として交雑させた結果(いわゆる子品種)に対し、固定品種が登録品種の場合、右条項の意味は、その登録の効力を及ぼすものとしたものである。

ここで、「純系」あるいは「雑種強勢」という考えや要件を入れる必要が、どこにあるのだろうか?

親品種育成の努力を、せめて子品種までの範囲では認めようとしたののであり、決して遺伝子にかかるホモまたはヘテロの問題に矮小化できるものではないのである。

4.イ.原判決が、右のように禍誤ある論理の道筋を辿ったのは、第一審判決次のように述べているところに影響されたものと思われる。

第一審判決書三二頁において、「このような形での保護はその反面において品種育成の方法を制限し、結果として新品種開発を阻害する効果をも有するもの」と主張する。

この主張は、論理のみを考え、その実態を知らぬ人が陥りやすい欠陥を有している。

その欠陥とは、「その反面において品種育成の方法を制限し」という論理の前提にある。

つまりこの前提とは、新品種なるものは、登録された固定品種を利用する(一代のみならず、二代、三代にわたり交雑種を育成していく)ことにより、開発されることが多い、あるいは通常であり、次から次へと開発されうるものである、という考えである。

しかしこれは全く、新品種開発にたずさわらず、かつ現場を知らない人たちが考えやすい、落とし穴に入った考えである。栽培現場の人たちや、栽培を研究する人たちからすれば、一笑に付されるものである。

ロ.従来品種(登録の有無をとわず)を、他の品種と交雑させたことで生じる子孫品種の中に、親品種等である従来品種よりすぐれた、あるいは異なる(本来は市場性ある商品価値ある)特徴ある品種が、容易に出現するものではない。

たしかに、安定性に欠け、品質に問題がある、収量の少ない、栽培条件が安定しない、いわゆる市場性のない、商品価値のないものは生じるであろう(乙第一一号証ノ二の三頁3)。

(そのような品種も全て登録されうるならば保護の対象となるが、実に意味のないことである。)

ハ.しかし、栽培農家等が栽培して販売できる品質を有する新品種なるものは、厖大な時間と費用と手間をかけた上で、かつたまたまの幸運に恵まれて得られるものである。

登録された固定品種を利用して、たまたま一回や二回交雑させたところで、そこから登録されうるに足りる新品種が生み出されるものではないのが実態であり、実情である。

ましてや、子品種に親品種の登録の効力を及ぼしたからといって、第一審判決が「結果として新品種開発を阻害する効果をも有する」と指摘するのは、ほとんどそのような効果を持たない実態を無視した、論理の一般化による暴論でしかない。

仮りに、たとえ何らかの阻害効果があるにしても、親品種育成の努力を無視した、親品種利用のただ乗りこそ否定されるべきが正義であり、公平の理念の要求するところである。

また、登録された親品種の登録権者が、その子品種を開発するのは自由であって、子品種が親品種よりすぐれていれば、当然子品種の育成に努力し、結果として新品種開発を助長することが期待できるのであって、第一審判決の論理、及びこれに影響された原判決の論理構成は不当という他はない。

ニ.登録された親品種を利用して、登録されうるに足りる新品種が開発されたとしても、それは滅多に発生しない幸運の結果であり、一般的には親品種の遺伝的素因に制約されているため、親品種とははっきり異なる栽培条件、あるいは商品としての価値ある孫以下の品種が生まれるのは、あまり期待できない。

むしろ品種登録の有無をとわず、野生品種等あるいは系統の異なる品種との交雑こそが、新たな遺伝的素因の組入れ、その変化をもたらし、これまで存在しなかったもので、かつ商品としてすぐれた新品種が得られる確率が、論理的には高いというものである。

登録された固定品種を利用しての新品種開発は、本来広く行なわれている新品種開発の範囲の中では、一部を占めるものに過ぎない。

ホ.ましてや、登録された固定品種を一方の親品種として、他の品種と交雑させる通常の交雑種より、登録された同じ固定品種を親品種とする交雑(即ち自殖交配)による子品種の育成などは、新品種開発という形容詞をつけるのは、大げさすぎるともいえる。

即ち、自殖交配によって生じた子品種に受け継ぐものは、親品種と全く同一の遺伝因子の存在しかないからである。そのため、雑品種と子品種の変異の幅は、きわめて限定されたものにすぎないのである。

ヘ.このような実情と実態をふまえた論理過程こそが重要であり、単に「登録された固定品種を利用しての新品種の開発」という論理だけが肥大し、新品種開発を阻害してはならないという根拠から、種苗法第一二条の五第一項三号は限定的に解釈すべきである、というのは、まさに保護すべき対象を極めて限定した法解釈をもたらし、ひいては種苗法による登録品種の保護は全く期待できないものとされ、種苗法の第一の立法目的である品種育成者の保護を無視した結果を、司法が積極的に助長するものといえないだろうか。

5.イ.原判決(三三丁表終りから三行目)には、「えのきたけにおいては栄養生殖で種苗が取扱われるものであることが認められ、控訴人主張の自殖交配によって得られた種子又は胞子をそのまま種苗として譲渡するものではないから」として、種苗法一二条の五第一項三号の規定するところではないと判断する。

上告人は、原判決における右の論理内容を正確に把握することに、やや困難を感じるのであるが、右内容を以下に検討する。

ロ.「えのきたけにおいては栄養生殖で種苗が取扱われるもの」という部分はその通りである。

きのこにおいては、種苗は種菌と呼称されていることはともかくとして、別に異論はない。

ハ.次の「自殖交配によって得られた種子又は胞子をそのまま種苗として譲渡するものでない」という内容については、大きな疑問が生じる。

一つは表現の問題で、「種子又は胞子」とあることである。

自殖交配によって得られるのは、いわゆる二核菌糸であり、一核菌糸である胞子そのものではない。胞子が、不和合性因子の存在によりそれぞれ適合する胞子と結合し(交雑)、二核菌糸が生じ、これに一定の栽培条件が与えられ、子実体であるきのこが発生するのである。

したがって、少なくとも「胞子」という表現は、必ずしも正確ではない。

ニ.二つめは、「そのまま種苗として譲渡するものでない」と指摘することの実質的意味である。

たしかに、形式的には「自殖交配によって得られた二核菌糸(種菌)をそのまま譲渡するものでない」ことは、きわめて正しい。

がしかし、なぜそのまま讓渡しないのか。

一つは、それだけでは譲渡する価値ある量に種菌がないからであるし、その前には、自殖交配によって得られる二核菌糸である種菌はさまざまであり、その中でも品質、及び栽培条件等のことを考慮し、一つの種菌を選抜していく作業が行なわれるからである。

自殖交配によって得られた種菌全てをそのまま譲渡するのは、研究用の対象としてならともかく、一定の品質あるきのこを栽培するためには、自殖交配によって生じた多くの種菌から一つを選抜し、その種菌を栄養繁殖によって増殖して販売するのであり、栽培業者はこれをさらに二、三倍に増殖させて、栽培ビンに接種するのである。

ホ.もし、原判決のように考えるならば、全てのきのこ類の登録された固定品種につき自殖交配を行ない、その中から親品種と少々異なるもの(温度条件さえ少し違えば、原判決の事実認定論理を利用すれば)を選抜することにより、登録された親品種と見た目には全く区別できない、現場の栽培条件が全く同じの自殖交配株を、堂々と商品として販売できることになろう。

それが一体どんな効果を有するか、多少の想像力さえあれば、十分に理解できると思われる。

6.上告人が準備書面一一の四頁で主張した(「胞子(種菌)」という表現は不適切ではある)ように、種苗法一二条の五第一項三号は、交雑による生産と栄養生殖による生産とを、区別していないのである。

なぜ栄養生殖による生産は、保護されないのか。また、保護されるとしても、なぜそこでの種菌だけに限定しなければならないのか。

この段階の種菌だけが保護され、それらの中から選別した結果の一部である一つの種菌を栄養生殖によって増殖させた場合には、右条項の効力が及ばないとする意味は何なのか、上告人には到底理解することができない裁判官の論理構成である。

まさに、種菌の同一性、及びその自殖交配の結果得られる種菌、及びその増殖後の譲渡には、当然に種苗法一二条の五第一項三号の保護を与えなければ、少なくとも種菌の保護に関しては、種苗法はほとんど無意味の存在となることは明白である。

第二、原判決の用いた経験則違反については、追って提出する上告理由補充書で主張する。

一言述べれば、原判決と第一審判決の大きな違いは、事実摘示の内容であり、思考方法、実質論理の構成、法解釈の基準のたて方等においては、形式的にはともかく実質的にはほとんど逕庭がない。

第三、第一で詳述した如く、種苗法一二条の五第一項三号の法解釈につき、原判決が誤りをした以上、上告人の主張する自殖交配の結果得られる(子品種)種菌の増殖、及びこの有償譲渡につき、右条項の適用が可能であり、したがって本件において、夜間瀬一号、TKなる品種がM-五〇の自殖交配の結果得られた(子品種)種菌と同一であれば、上告人の本訴請求は認容されるべきは明らかである。

右自殖交配の事実認定を原判決は全くしていない以上、この事実認定のため、原判決を破棄の上、原審級へ差戻しされるべきは当然の結論と思料する。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例