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最高裁判所第二小法廷 平成8年(行ツ)77号 判決 1996年9月13日

長野県伊那市大字伊那部一九七二番地

上告人

北原卓夫

右訴訟代理人弁護士

鶴見祐策

毛利正道

松村文夫

長野県伊那市西町三五四五番地一

被上告人

伊那税務署長 内川幸親

右当事者間の東京高等裁判所平成六年(行コ)第三号所得税青色申告承認取消処分取消請求事件について、同裁判所が平成七年一二月一一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人鶴見祐策の上告理由、同毛利正道、同松村文夫、同鶴見祐策の上告理由及び上告人の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切ではないか、右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田博 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)

(平成八年(行ツ)第七七号 上告人 北原卓夫)

上告代理人鶴見祐策の上告理由

第一、憲法違反・法令違背(所得税法一五〇条一項一号の法律解釈の誤り)

一、原判決は、上告人が「昭和六二年一二月二三日に伊那税務署に来訪したときを除き、その前後を通じ、一貫して、民商関係者の立会のもとでなければ帳簿等の調査に応じない旨の対応に終始し、伊那税務署において調査を受けて以後も、右と同様の理由をもって、同日調査未了となった昭和六〇年及び同六一年分の帳簿書類の提示を拒否する姿勢を明確にしていた」との事実認定を前提として「民商関係者の立会のもとでなければ帳簿書類の調査に応じないとの対応に終始して、古屋係官の調査に応じなかったのは、いわれなく帳簿書類の提示に応じなかったものと評すべきであって、そのため、税務署長が右帳簿書類の備付け、記録、保存が正しく行われていることを確認することができないときに当たる」と判示している。

上告人は、この部分の事実認定については容認することができず、原判決の重大な事実誤認と考えるほかないのであるが、青色申告承認取消事由を定めた所得税法一五〇条一項一号の意義についても、法解釈を誤り、憲法違反の評価を免れない。

二、原判決は、「同法(所得税法)一四八条一項所定の備付け等の義務とは、ただ単に帳簿書類が存すればよいというものではなく、これに対する調査がなされた場合、税務職員においてこれを閲覧検討し、帳簿書類が青色申告の基礎として適格性を有するものか否かを判断しうる状態にしておくことを意味し」「同法一五〇条一項一号所定の帳簿書類の備付け、記録又は保存が大蔵省令で定めるところにしたがって行われていないこととの趣旨は、青色申告制度の趣旨に照らせば、税務職員によるその確認ができない場合を当然に含むものと解釈されるというものであり、別個の取消事由を創設するものではない」と述べている。

1 しかしながら、調査の相手方が検査拒否することにより、税務職員において、大蔵省令の定めるところに従った帳簿書類の備付け、記録及び保存が現実になされているかどうかを確認できなかった場合にも、ただちに所得税法一五〇条一項一号が定める青色承認取消事由に該当すると解することは、右条項の文言に照らして、とうてい不可能事と言わなければならない。同法一五〇条一項一号は「その年における第一四三条に規定する業務に係る帳簿書類の備付け、記録又は保存が第一四八条一項に規定する大蔵省令で定めるところに従って行われていないこと」と定めている。そこに書かれているのは「帳簿書類の備付け、記録又は保存が行われていないこと」であって「帳簿書類を提示しないこと」とは明記されていないからである。

2 租税法の解釈において最も重要な原則は、憲法三〇条、八四条が定める租税法律主義である。その淵源が、市民革命の旗印とされた「代表なくして課税なし」の政治理念に求められることは言うまでもない。租税法律主義とは、納税義務者、課税物件、課税標準、課税物件の帰属、税率等の課税要件はもとより納付、徴収その他、国民と課税庁との間の一切の租税法律関係について、国民の代表機関である国会の制定した法律において、能うかぎり詳細かつ明確に規定されなければならないとする原則である。ここから課税要件明確性の原則はもとより、税法の解釈にあたっても国民の権利擁護の観点からの厳格性が要求され、国民の利益に背く方向での類推解釈や拡張解釈は許されないとする派生原則が導き出されてくるのである。

とりわけ本件で問題とされている青色申告の承認取消は「種々の特典を剥奪する不利益処分」(最高裁昭和四九年四月二五日第一小法廷判決(昭和四五年(行ツ)第三六号・判例時報七四二号)、同年六月一一日第三小法廷判決(昭和四七年(行ツ)第七六号・判例時報七四五号)参照)であるから、その要件の法解釈にあたっては、明文に反して納税者の不利益に働く方向で条文の意義を類推したり、拡張解釈したりすることは強く戒められなければならないのである。

3 そこで、改めて所得税法一五〇条一項一号が定める帳簿書類の「備付け」「記録」又は「保存」という文言の意義を検討してみなければならない。

まず条文が「備付け」「記録」「保存」を概括する形で規定していないことを注意すべきであろう。それらの相互の関係を「又は」と表示していることらかも明らかなように「備付け」「記録」「保存」は、それぞれ別個独立した行為概念とされている。そもそも所得税法一五〇条一項を見ると、その各号が掲げる取消事由が、いわば個別的で限定的なものとして定められている(ちなみに三号の後段は概括的な表現になっているが、とくに取消事由の通則的な位置づけを与えられているわけではない)ことがわかる。一号ないし三号の各義務違反が定められているのであるが、その規定の仕方からみて明らかなように、これらは各々性質を異にする別個の行為とされているのである。旧所得税法二六条の三第一〇項では、取消事由を同じ項に一括して表示していたのであるが、現行法では号を分けて類型化したので、この関係が一層明瞭になったのである。

4 そこで問題は一号の「帳簿書類の備付け、記録又は保存」であるが、これらの行為が所得税法一四五条一号の規定と照応しており、同条の意義と統一的に理解されることは言うまでもない。そして一四八条一項が委任するところの施行規則(大蔵省令)によれば、これらの行為について義務の根拠規定がそれぞれ別個に規定されていることがわかる。五六条ないし六一条、六三条及び六四条がそれである。したがってそれらの行為の態様や性質においても異なることが明らかである。このことに言及した判例として、大津地裁昭和四九年四月一〇日判決(昭和四八年(行ウ)第一号・シュトイエル一四五号五五頁)を指摘することができる。同判決は「『備付け義務』『記帳義務』および『保存義務』はそれぞれ性質が異なり、また根拠法例としても別個の条文(規則五六条ないし六四条)に基づく別個の義務」と判示しており、この事件の上級審もこれを肯定している。この見解を否定する判例は見当たらない。

そうだとすると、これらの行為は相互に区別されるべく十分な自己完結的な概念として定められているのであって、一個の行為が帳簿書類の備付けとも保存とも評価できるというような概括的で、いわばヌエ的な解釈が許容される余地は本来あり得ないわけである。

5 このように見てくると「帳簿書類の備付け、記録又は保存」とは、それぞれ行為の態様や性質を異にし、自己完結的な個別概念として理解されるべきであるから、法解釈としては文言の通常の用法に従って、それらの行為の意義を把握するほかはない。そして「帳簿書類の不提示」とは、「帳簿書類の備付け、記録又は保存」があるにもかかわらず、それを税務職員の提示要求に応じない行為なのであるから、これらの個別概念と全く重なり合う関係にないことも明らかである。そもそも帳簿書類が存在するのに「提示がない」ということと、もともと帳簿書類の「備付け、記録又は保存」の「いずれもがない」ということは全く相いれない概念であることは言うまでもない。「提示がない」とは提示すべきものの存在を前提としているが、「備付け、記録又は保存がない」とは文字どおり提示すべきものが存在しないことを意味しているからである。これを国語的な用法をもって読み替えることは不可能である。いわんや所得税法一五〇条一項は、税務職員による任意調査としての帳簿書類の検査要求に対して被調査者である青色申告の納税者が、自らの立場を主張し、要求を提示して、これに即応しなかった場合等については、何事も定めていない。これを青色申告の承認取消事由としていないことは明らかである。このような場合に同条一項一号が定める帳簿書類の「備付け」等がなかったものとみなし、これを直ちに「備付け」等がないものと同視して青色申告承認取消という制裁の事由とするならば、それはまさしく文理に反する類推解釈、拡張解釈にほかならず、租税法律主義の観点からとうてい許されないもとの言わざるを得ないのである。

三、よって原判決は、所得税法一五〇条一項一号の法解釈を誤ることにより、憲法第三〇条及び第八四条に違背する判断を行ったものであり、少なくも判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背であるので破棄されるべきであると信ずる。

第二、判例違反

一、かりに百歩譲って文言の表現からやや離れた解釈が可能であるとしても、その許容される範囲は最小限度にとどまるべきであり、極めて慎重であることが要請されていると言わねばならない。

この点については、同種の事案で確定した東京高裁平成五年二月九日判決(同裁判所平成三年(行コ)三〇号、平成三年(行コ)一四八号、平成四年(行コ)一〇八号)が、原審である東京地裁平成三年一月三一日判決(判例時報一三六七号)の判断を全面的に支持して「右のような青色申告承認の取消事由が法規上明文をもって規定されていないこと、また青色申告承認取消処分が納税者に対して一定の不利益を課する処分であること等からすれば、右のような取消事由の認定に当たっては、一定の慎重さが要求されるものというべきである」とされ、帳簿書類の提示拒否と認められるのは「税務当局側が帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を行ったにもかかわらず、その確認を行うことが客観的に見てできなかったと考えられる場合」に限られるとの見解を示していることが注目される。租税法律主義の原則を踏まえながら、文理との間隙を埋める法解釈をするにあたって慎重でなければならないことを明らかにした限度で参考に供されるべき判例であろう。

二、原判決は、これを青色申告承認取消を行うか否かの判断を処分庁の合理的な裁量の問題に移し変えたうえ「税務当局の行う調査の全過程を通じて、税務当局側が帳簿の備付け状態等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を行ったか否かを判断し、そのような努力を怠ったと認められる場合には、裁量権の濫用があったものとして違法となる」としているのは、本来的に要求される「慎重さ」の要件につき、これを実質的には緩和する方向を目指したものにほかならない。

前記高裁の確定判決の判旨に反するので破棄されるべきである。

第三、判例違反

一、原判決は、本件青色申告承認取消処分の通知書に記載の理由について、原審判決を引用して「細かい事情はさておき、結局、昭和六〇年分の帳簿書類の一部と昭和六一年分の帳簿書類のすべてにつき記録方法の調査ができない状態にあったことが記載されていることは理由の記載自体から明らかである。このような事実の概要の記載があり、かつ、被告が、右に指摘した解釈を前提に同法一五〇条一項一号に該当するとの判断を示したことが明らかである以上、本件の理由の記載は、具体性を備えていると評価せざるを得ない」と判示している。

二、しかしながら、具体性の有無や程度を問題とする以前に、いかなる事実が処分理由として掲げられているかが検討されなければならない。本件処分理由によれば、帳簿書類のうち昭和六〇年分の一部と昭和六一年分について、上告人が「提示しませんでした」「提示の求めに応じませんでした」とし、「このことは、青色申告に係る帳簿書類の備付け、記録又は保存が所得税法一四八条に規定するところに従って行われていないことになります」と記載されているにすぎない。 所得税法一五〇条二項は「処分の基因となった事実が同項各号のいずれに該当するかを付記しなければならない」と定めているが、前記の最高裁昭和四九年四月二五日第一小法廷判決(判例時報七四二号)および同年六月一一日第三小法廷判決(判例時報七四五号)は、青色申告承認の取消にあたっては「基因事実自体についても処分の相手方が具体的に知りうる程度に特定して摘示」すべきことを明らかにしている。従って当該承認取消処分が基因となる事実について、これを単に所得税法一五〇条一項一号に該当すると記載しただけでは足りないことは言うまでもない。前述のとおり、同号に要件として定められている帳簿書類の「備付け」「記録」又は「保存」のないことは、それぞれ自己完結的な概念であり、その行為の態様は個別独立のものであって、相互に重なり合う関係にはないのである。そうだとすると、処分通知書には、処分の理由として「備付け」「記録」「保存」がなかったことのいずれの態様によって義務違反が問われたかについて、具体的な事実をもって特定しなければならないのである(ちなみに松沢智「租税実体法」七二頁は、備付義務、記録義務、保存義務はそれぞれ性質が異なり、また根拠も法令も別個の条文に基づく別個の義務であるから、今後(注・右判決後)は備付、記録、保存のそれぞれを特定してその内容を具体的に記載すべきだとされている)。そのような特定がなされない限り、所得税法一五〇条二項が要求する理由付記としては不十分であるから、その青色申告承認取消処分は同項の規定に反するものとして取消しを免れないのである。

三、そこで本件処分の理由によれば、「このことは」とした後に、「備付け」「記録」「保存」の言葉が概括的に羅列されているのみで、控訴人のいかなる時点の、いかなる行為が、それら「備付け」「記録」「保存」がないことのいずれの行為に該当するのか、その個別的、具体的な説明は何らなされていない。上告人において帳簿書類の「不提示」があったと言うのであれば、それが何ゆえに「備付け」がないことに該当するのか、「記録」や「保存」がないこととの区別において、その判断の根拠が具体的な事実をもって示されることが必要である。このことは「記録」や「保存」についても同様である。条文の文理に従うならば、「備付け」がなければ、それにだけで処分理由は成り立つのであるから「記録」や「保存」の有無を論ずるまでもないが、かりに「備付け」があったとしても「記録」がなければ処分理由は成り立つし、「記録」があっても「保存」がなければ、やはり処分理由として成り立つという関係にある。

しかし、ここで重要なことは、相手方の一個の行為が「備付け」もないし、「記録」もないし、「保存」もないことになるという論法は、とうていあり得ないことである。本件処分通知書の記載によると「備付け」「記録」「保存」がないとは述べているものの、それに該当する具体的な行為として明らかにされていないのである。すくなくとも、その該当する事実は、他の行為と識別できる程度に個別的に記載されるべきである。それがされておらず、そのため、その文意を統一的確定的に理解することが不可能なままの記述に終わっている。要するに所得税法一五〇条一項一号の条文のみが表示されているにひとしい。理由付記として法が要求する体制をなしておらず、その不備は明白と言わなければならない。

四、よって青色申告の承認取消にあたっては、通知書に「処分の基因となった事実が同項各号のいずれに該当するかを付記しなければならない」とする所得税法一五〇条二項の要件を欠くことに帰するので、本件青色承認取消処分は違法とされなければならない。

原判決の判断は、前記最高裁判決の趣旨に反していることが明らかであり、法令解釈を誤ったものであるから破棄されるべきである。

第四、法令違背

一、原判決は、「昭和六〇年分の帳簿書類の一部と昭和六一年分の帳簿書類のすべての記録方法の確認ができなかったことから、昭和六〇年分以降の青色申告の承認に限ってこれを取り消した本件処分は適法なものというべきである」とし、本件税務調査について「古屋係官は社会通念上当然に要求される程度の努力をしなかったとまではいえない」と判示している。

しかしながら、本件において上告人は、昭和六二年一二月二三日、昭和五九年分から昭和六一年分まで三年間の帳簿書類を税務署に持参し、古屋係官に提供して閲覧させているのであるから、当該係官において所定の帳簿書類の「備付け」「記録」「保存」を確認することは極めて容易のはずであった。むしろ「努力」をしたかどうかを問うよりも、古屋係官の対応が適切であったかどうかが問題とされるべき事案であったと言わなければならない。

二、そこで古屋係官の対応であるが、青色申告承認の条件を充たす帳簿書類の備付け、記録、保存の有無を確認するために、どういう方法をとるのが通常であったかを検討してみる必要があろう。

古屋正輝は、当日、帳簿書類を見る前に独自の反面調査を実施していたと証言している(第一審平成三年四月一一日証人調書三五項など)。従って上告人の事業に関する資料が同係官の手元に集約されていたことは明らかである。そして当日、上告人が持参した帳簿書類は、指定した各年分の現金出納帳、売上帳、仕入れ経費帳、請求書であった。売上に関する領収書控は、上告人の妻が持参して提示している(同平成三年一〇月三日証人調書七二・七三項)。これだけそろっていれば、青色申告に必要な帳簿書類が存在していることを確認するには十分であった。その備付け、保存は、即座に確認できた。古屋も「眼で見て確認した」(同証人調書八三項)と述べている。

ところが、古屋は「最初に帳簿をコピーをさせてくれ」と言ったが、上告人が断った(同平成三年四月一一日証人調書四九項など)ので、「職員二名の応援を求めて書き写し始めた」(同証人調書五二項)という。これはまことに異常である。最初から全部をコピーする必要もなければ、もちろん筆写の必要もないからである。まず各帳簿を通覧したあと、関連する帳簿を照合し、数値や計算の正確性を調べ、手元の資料との符号を確認すれば足りるのである。特段の必要もないのに、わざわざコピーを求めたこと自体が、調査の必要性に疑念を抱かせ、相手方に不審をつのらせる行為であった。そのうえコピーを断られた古屋は、複数職員の応援を頼んで帳簿書類の全部を頭から筆写し始めるという突飛な行動に出たのである。そのような調査方法は所得税法二三四条の質問検査権の行使としては「客観的な必要性」を欠くばかりでなく「社会通念上相当な限度」を超える違法なものであることは明白である。この古屋係官の行為自体が常識はずれも甚だしいのである。上告人に対する悪質な嫌がらせであり、挑発と受け取られても仕方がないものであった。

三、のみならず、係官らが検査した帳簿書類の記載には誤りはなく、記録として正確であった。このことは、証人古屋も「青色申告の適格はあった」(同平成三年四月一一日証人調書七一項)と認めている。そうだとすれば、仮に昭和六〇年分の一部と昭和六一年分の帳簿書類を検査できなかったとしても、検査を終えた帳簿書類の体制と内容から、それら残りの帳簿書類についても記録の点で何ら問題がないことは容易に推認できたのであって、それらが「記録」の名に値しない不正確なものであると疑わせる根拠は何もなかったと言わざるを得ない。

にもかかわらず、被上告人が明文に反して「記録」がないものと見なし、所得税法一五〇条一項一号を拡張適用して本件処分を行ったのは、明らかな法規違反と言わねばならない。少なくとも青色申告承認取消処分にあたって要求される「慎重さ」を甚だしく欠くものと評価するほかないものであり、違法な処分として取り消されるべきであった。

四、本件処分を適法とした原判決の判断は、この点においても判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背があるので破棄されるべきである。

以上

(平成八年(行ツ)第七七号 上告人 北原卓夫)

上告代理人毛利正道、同松村文夫、同鶴見祐策の上告理由

もくじ

第一 本件の特徴と上告理由・・・・・・六七八

第二 租税法律主義違反・・・・・・六八四

一 これを認める最大判昭三〇・三・二三・・・・・・六八四

二 明文のない不利益処分は許されない・・・・・・六八四

三 刑罰法規と同一の厳格さが必要・・・・・・六八五

1 原判決・・・・・・六八五

2 青色申告の承認取消処分の著しい不利益性・・・・・・六八五

3 刑罰での罰刑法定主義と同一の配慮が必要・・・・・・六八六

4 刑罰で認められない類推適用は青色申告承認取消処分でも認められない・・・・・・六八七

四 備付け・保存を確認している本件に原判決の理論は適用しない・・・・・・六八八

1 古屋係官も認める、「備付け・保存は確認済み」・・・・・・六八八

2 法文と正反対の解釈は無理・・・・・・六八八

3 備付け・記録・保存は各々独立の概念・・・・・・六八九

第三 判例違反-春日判決論理の排除は許されない-・・・・・・六九〇

一、二 春日判決の重み・・・・・・六九〇

1 地裁判決・・・・・・六九一

2 高裁判決・・・・・・六九一

3 納税者の帳簿提出義務に先行する税務職員の義務を認めた・・・・・・六九一

4 民商事案についての春日判決・・・・・・六九二

5 国民主権から導かれる判断・・・・・・六九二

三 原判決は重大な後退・・・・・・六九三

1 裁量権乱用論の問題に格下げした・・・・・・六九三

2 立証責任の点で正反対になりうる・・・・・・六九三

3 最決昭四八・七・一〇は「裁量」とはいわずに、「合理的選択」と明記している・・・・・・六九四

第四 憲法三一条違反、最決昭四八.七.一〇違反・・・・・・六九四

―朴撰な不意打ち処分は許されない―

一、二 ずさんな調査・・・・・・六九四

1 上告人への調査を開始するまで上伊那民商会員に対する調査の経験が全くない古屋係官が、民商担当となった・・・・・・六九五

2 そのため、立会人多数がいるだけで今後の対処がわからなくなってしまった・・・・・・六九五

3 肝心の立会人の同席を認めるか否かの点について、趣旨を反対に受け取られるような曖昧な告知をした・・・・・・六九五

4 時間が少ないというならもっと簡潔に帳簿調査を行うべきなのに、あえて時間のかかる異例の帳簿全部の書き写し作業を開始した・・・・・・六九六

5 古屋係官の考えていた、三年分の売上・仕入関係の全ての帳簿書類の書き写しを行う必要がある旨を上告人に告知していない・・・・・・六九七

6 本件原処分をなす前に、その旨並びにこれを回避する方途を告知していない・・・・・・六九八

7 立会人を同席させてほしいとの要望に対して、これを認める意志が全くなかったのに、その旨をはっきりとは告知していない・・・・・・六九八

8 本件原処分をする前に、上告人に当然なすべき面接をしていない・・・・・・六九九

9 民商会員である青色申告者に対する伊那署における従前の調査の事情を何ら見聞していない・・・・・・六九九

10 全ての帳簿書類の一時間三五分にわたる提示という、判断難しい事態に直面しながら、上級官庁に指示仰ぐことをしていない・・・・・・六九九

11 本件原処分をなすうえでの最重要文書である決議書に誤った記載をしている・・・・・・七〇〇

12 急ぐ理由何らないのに、昭和六三年三月一一日付で処分をした・・・・・・七〇〇

13 原処分の後は、他の税務職員と同様の調査をするようになった・・・・・・七〇〇

三 一般税務職員の水準にはるかに劣る重過失のある調査・・・・・・七〇一

1 事実のまとめ・・・・・・七〇一

2 不慣れと独断・思い込みによるずさんな調査・・・・・・七〇二

3 寝耳に水の不意打ち処分・・・・・・七〇三

四 行政がおかす必然の過ちの一つ・・・・・・七〇三

1 オンブズマン制度の発達・・・・・・七〇三

2 肥大化した行政国家では行政上の過ちは必然・・・・・・七〇四

3 本件原処分は、現代行政が必ずおかす何%かの誤りの一つ・・・・・・七〇四

五 最決昭四八・七・一〇 広田決定・・・・・・七〇九

1 決定要旨・・・・・・七〇九

2 その読み方・・・・・・七〇九

3 この最決の基準に遠く及ばない本件原処分・・・・・・七一〇

六 とりわけ原処分をなす旨を告知すべきであった・・・・・・七一一

1 原処分をなす旨、その理由、これを回避する方途を告知すべき・・・・・・七一一

2 告知・聴聞の機会を保証する判例の蓄積・・・・・・七一一

(一) 松山地決昭四三・七・二三・・・・・・七一一

(二) 浦和地判昭四九・一二・一一・・・・・・七一二

(三) 大阪地判昭五五・三・一九・・・・・・七一二

(四) 最一小判昭四八・一〇・二八・・・・・・七一二

(五) 最一小判昭五〇・五・二九・・・・・・七一二

(六) 最大判一九九三・七・一・・・・・・七一三

3 青色申告承認取消処分の場合は、事前に告知・聴聞の機会を保障すべき・・・・・・七一三

4 具体的に必要とされる告知・聴聞の方法・・・・・・七一五

第五 立会を一切否定する原判決は許されない・・・・・・七一六

一 原判決の論理・・・・・・七一六

二 税務職員の「合理的な裁量」を否定する原判決・・・・・・七一七

三 最決昭四八・七・一〇違反・・・・・・七一八

1 行政庁の恣意独断に歯止めをかける「合理的選択」の語・・・・・・七一八

2 右最決の基準から見ると・・・・・・七一九

(一) 具体的事情に基づいた客観的必要性は・・・・・・七一九

(二) 納税者の私的利益との衡量は・・・・・・七二〇

(三) 「合理的な選択」をなした?・・・・・・七二一

(四) 直接の問題は、立会の有無・程度について協議を尽くすことを怠ったということ・・・・・・七二一

四 第三者の立会を求めることは憲法上の権利・・・・・・七二一

1 監視役・証言者としての「信頼出来る第三者の立会い」を求めるもの・・・・・・七二一

2 憲法上の権利である・・・・・・七二二

(一) 密室性をなくすことがポイント・・・・・・七二二

(1) 質問検査権は、権力的作用としての要素が強い・・・・・・七二二

<1> 開始するのに十分な根拠とその告知が必要・・・・・・七二二

<2> 納税者の要望を最大限受け入れるべき・・・・・・七二三

<3> 犯罪が生まれやすいがゆえに看視が必要・・・・・・七二三

<4> 納税者の財産権を保障するために、実態を十分把握する調査がなされる必要あり・・・・・・七二三

<5> 諸外国の実情からみても、公正な手続きであることが求められること・・・・・・七二四

<6> とくに青色申告取消処分の影響大であるから、慎重に・・・・・・七二五

(2) 税務調査の場で、告知・弁解・防禦御の機会を十分保障するには、信頼出来る第三者の立会を認めることによって密室性を打破することが必要・・・・・・七二五

(3) 現場の実情は立会を求めている・・・・・・七二五

(4) 税務運営方針を生かすためにも・・・・・・七二七

内部努力(?)だけでは事態は改善されず

(5) 記帳補助者や民商役員・事務局員らの助言が必要・・・・・・七二七

・ 納税者が萎縮して、主張すべき点を主張しないまま高い修正申告をしょうようされることのないよう、助言者が必要

・ 税理士も会計担当事務員の雇う余裕がない零細業者が結集して、民主商工会を結成しているその実情をふまえるべき

(二) 憲法上の権利として認めるべき・・・・・・七二八

二九・三一・一三条、国民主権

五 従来、民商事務局員の立会いを認める慣行があった・・・・・・七二八

1 10年前は公然と認められていた・・・・・・七二九

訴訟になった金子の例では、立会人同席の調査が7回実施されている

(被上告任側の訴訟資料で明らか)

2 最近も、本件原処分まで立会人二名以内の調査は認められていた・・・・・・七三〇

3 日々の記帳を補助していなくとも、民商事務局員の立会い認められてきた・・・・・・七三〇

(一) 金子の別訴における係官証言調査により、一〇年前は民商役員(当然記帳補助の実態なし)の立会い認められていたこと立証済み・・・・・・七三〇

(二) 三浦事務局長の代も同様・・・・・・七三一

(三) 古屋係官も、立ち会った民商事務局員が記帳を補助していたか否か確認していない・・・・・・七三二

(四) ことに上伊那民商については、日々記帳を補助していない民商事務局員の立会いを事実上認める慣行があった・・・・・・七三二

六 「守秘義務違反のおそれ」は、立会いを否定する根拠にならない・・・・・・七三二

1 果たして万能か・・・・・・七三二

2 守秘義務も「正当な理由」があれば免除される・・・・・・七三三

3 そもそも制限的にみるべき・・・・・・七三四

4 本人が答えることは全く自由・・・・・・七三四

5 取引先の秘密・・・・・・七三五

(一) 本人にもいえない事実は、対象外・・・・・・七三五

(二) 取引先と取り引きしていること自体もしくは取り引き単価など・・・・・・七三五

(三) 取引先がその納税者本人との間で取引していること自体若しくはその取引全額の多寡・・・・・・七三五

<1> 通常秘密とはいえない・・・・・・七三五

<2> 秘密といえるとしても、特別事情ないかぎり、立会人排除の理由にならない・・・・・・七三六

<3> いざというときは、国税庁文書のとおり、必要な場合だけ退席する方法を借れば足りる・・・・・・七三六

<4> 古屋係官が唯一かかげた例は、民商事務局員の立会いを排斥する理由にならない・・・・・・七三六

6 第三者の立会いと守秘義務とは十分両立する・・・・・・七三六

7 「税理士法違反」「妨害の恐れ」は、立会いを拒否する理由にならない・・・・・・七三七

第六 判例違反-付記理由に違法あり・・・・・・七三七

一 原処分の「基因となった事実」・・・・・・七三八

二 理由付記についての諸判例・・・・・・七三八

1 最二小判昭三八・五・三一・・・・・・七三八

2 最一小判昭四九・三・二五・・・・・・七三九

3 最三小判昭四九・六・一一・・・・・・七四一

4 最二小判昭五一・三・八・・・・・・七四一

5 最一小判昭五四・四・一九・・・・・・七四二

三 判例の求めるもの・・・・・・七四二

1 青色申告の更正処分の判例も引用できる・・・・・・七四二

2 判例によれば、調査によって判明している判断の対象となる具体的事実を明記すべき・・・・・・七四三

四 本件原処分の付記理由は違法・・・・・・七四三

1 本件で記載されるべき事実の内容・・・・・・七四三

2 原判決の論理は、諸判例によって否定された原判決などと同じもの・・・・・・七四四

第一 本件の特徴と上告理由

一 本件の特徴的事実

<1> 上告人は、昭和五一年頃から建築鉄工業を営み、その頃から上伊那民主商工会の会員となって昭和五五年頃から青色申告をしており、昭和五九年ないし六一年の係争年当時、従業員一名、年間売上高二千万円程度の小規模な零細企業であったところ

<2> 被上告人の古屋係官は、それまで民商会員の調査を担当したことがないまま、昭和六二年七月初めに伊那税務署に初めて赴任したものであるが、上司から民商会員の調査の担当を命じられると共に、同月一〇日頃、上告人の青色申告決算書の仕入高と売上髙との比率が同業者より低く、したがって売上高が過少ではないかとの疑いから、上司から上告人に対する税務調査を命じられた。これは、上告人にとって初めての税務調査であった。

<3> 昭和六二年七月二九日 不意の自宅への臨場

昭和六二年九月一七日 事前通知を経た臨場調査

民商会員ら一五・六名が立会

同年九月二五日 交渉のために自宅に臨場

同年一〇月七日 妻への電話

同年一二月一七日 自宅に臨場して妻に告知

という経過を経て、

<4> 昭和六二年一二月二三日、上告人は青色申告の取消処分を受けては困るとの気持ちから、事前に連絡した上で、妻と二人で伊那署を訪ね、当初午後二時五分から同五時までの予定で古屋係官ら三名の税務職員に対し、昭和五九年ないし同六一年分のすべの帳簿書類を無条件で提示したところ、古屋係官らは、午後五時までには三年分終了する予定で、売上・仕入関係のすべての帳簿書類を昭和五九年の始めから全て書き写し始めたところ、年末を控え納期の迫っていた仕事の都合で午後三時五〇分にその提示をやめて辞去した。そのため、古屋係官らは、昭和五九年分の全部と同六〇年分の一部の帳簿書類しか書き写すことはできなかった。

<5> 上告人としては、これだけ提示した以上青色申告の取消処分はありえないと思ったが、その後、数回にわたり、古屋係官から上告人への電話もしくは同係官の上告人の妻への面会などがあり、上告人において「帳簿書類を見せる時は立会人のいる所でお願いしたい」と告げたり、古屋係官において、「このまま調査に応じなければ青色申告の承認が取消される可能性があります」と告げられたことはあったものの、古屋係官と上告人が直接面会する機会がないまま、かつ、本件原処分をすることを事前に告知することもないまま、昭和六三年三月一一日付で帳簿書類の確認ができないことを理由に、所得税法一五〇条一項一号の取消事由があるとする、本件原処分たる青色申告承認取消処分がなされたものである。

二 訴訟の経過

1 意義決定・最決を経て、一九八九年一二月二五日に長野地方裁判所に青色申告承認取消処分取消請求訴訟を提起し、一九九三年一一月二五日に原告敗訴の判決がなされた。

(一) 一審の訴訟では

<1> 東京高判一九九三年二月九日のいわゆる春日判決が示した、納税者の帳簿提示義務に先んじて、税務当局に、調査の全過程を通じて帳簿の備付け状況などを確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を尽くす義務がある、この義務を尽くすことが青色申告の承認取消事由の発生する要件であるとの判旨に違反した原処分であったこと

<2> 所得税法一五〇条一項一号の「記録」とは、記録方法のことを示し、青色申告取消のための調査においては、記録方法の調査をすれば足りるところ、昭和六二年一二月二三日の調査においてそれは終了していたこと

<3> かりに、青色申告取消事由はあったとしても、原処分は処分庁が裁量権を乱用してなした違反なものであったこと

<4> 原処分の付記理由が誤っており、処分庁の判断の公正を担保することができないため、違法な処分であることなどを主要な争点として主張した。

(二) また、訴訟追行の中での特徴として

<1> 納税者の権利を守り「納得のいく納税」を保障する立会権と題する原告第二準備書面やこれを裏づける膨大な書証の提出により、信頼できる第三者の立会を求めることが憲法上の権利であることを強く主張・立証してきた。

<2> 本件では、不服審査段階で原処分が取消された全国の事例についての書証(甲三ないし二四号証)や、同じ上伊那民主商工会会員に対する一〇年前の調査において、立会が認められていたことを示す訴訟記録(甲四七・四八・五七)が証拠として採用されていたこと

<3> 上告人と同じ民商会員一〇名の陳述書が提出され、上告人に対する調査が同じ民商会員に対する調査からかけ離れたものであったことを裏付けたこと

<4> 上告人が再三にわたって申請した証人春日大森前統括官(従前の民商会員に対する調査の方法)、三浦一郎民商事務局長、北野弘久日大教授をいずれも却下したことが掲げられる。

(三) 一審判決の特徴

<1> 「本件処分に至る具体的経過」の事実認定において、著しく偏頗な判断がなされた。

<2> 春日判決で示された、税務職員がその義務を尽くすことが青色申告取消事由発生の要件になる旨の判断を否定し、単なる裁量権乱用の一判断基準に格下げしてしまった。

<3> 妻だけ一人残して調査を受けさせるべきであったとか、青色申告の適格性の調査のために反面調査をなすことが必要不可欠であるなどあまりに納税者に不利益な判断が目立った。

2 控訴審は、一九九四年九月一二日の第一回口頭弁論に始まり、上告人申請の三浦一郎民商事務局長の証人調を実施しただけで、一九九五年四月二四日に結審し、同年一二月一一日に、控訴棄却の判決がなされた。

<1> そこでは、納税者の妻一人で調査を受ける義務がある、青色申告の適格性の調査のために反面調査が不可欠とするなどの余りにひどい判示は削除された。

<2> 主張としては、春日判決の基準の正当性と、これを本件に適用した場合に青色申告承認取消事由があるとはいえないことを特に強調して争ったが、調査の一連の経過の中で、全ての帳簿書類を一時間三五分にわたって提示し続けた昭和六二年一二月二三日の事態を過小評価し、「(その)時を除き、その前後を通じ、一貫して民商関係者の立会のもとでなければ帳簿等の調査に応じない旨の対応に終始し」たことをもって、「いわれなく帳簿書類の提示に応じなかったと評すべき」とされた。

<3> また、立会いについては、税務職員の裁量の問題としつつも、その示す基準からみると、事実上民商関係者の立会はすべて排除できるものとなっている。

<4> 結審の日の弁論において、その直前に出された京都地判一九九五年三月二七日の北村国家賠償請求訴訟でたんす・引き出しを勝手にあけて女性の下着まで調べるなどしたと判断された例を取りあげ、税務調査の場でも時として人権侵害がありうること、それに対する監視役としての立会が必要であることを強調したが、原判決はこの指摘に対し、故意に耳をふさいだものとなった。

三 上告理由

1 第一、租税法律主義違反(憲法三〇条・八四条違反並びに理由不備)

原判決は、上告人が帳簿書類の備付け・記録・保存を法令どおりに完備していたとしても、納税者が正当な理由なく帳簿書類の提示を拒み、その確認ができなかったときは、所得税法一五〇条一項一号の「帳簿書類の備付け・記録又は保存が法令どおりにおこなわれていないこと」に該当することになるとして、本件原処分を適法と判断している。しかし、これは、法の明文にない取消事由を勝手に創設するものであって、租税法の大原則「租税法律主義」に違反するものである。

2 第二、判例違反(審理不尽・法令違反)-春日判決論理の排除は許されない-

東高判一九九三・二・九いわゆる春日判決が定立した、調査にあたって税務職員が社会通念上当然に要求される程度の努力をまず尽くす義務を履行することが青色申告の承認取消事由があるとするための要件との判断は、国民主権を尊重した重要な意義をもつものである。しかるに、本件第一審、第二審判決ともこの論理を採用せず、右の如き税務職員の義務が履行されたか否かは、青色申告承認取消事由の存否に係わるものではなく、取消事由の存在を認めた上で単に裁量権乱用論の判断基準の一内容になるにすぎないと判示した。しかし、このような判断は、憲法の国民主権主義に反するものであり、春日判決の論理は擁護発展されなければならない。

3 第三、憲法三一条違反、最決昭四八・七・一〇違反、理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号違反)

-朴撰な不意打ち処分は許されない-

本件原処分とその事前手続きである質問検査権の行使は、民主商工会の会員に対する税務調査に不慣れであった古屋係官が事実上独断でなした、税務職一般の水準にはるかに劣る、重過失であるものであった。これは、憲法三一条によって求められる適切な手続きの要件を欠くものである。とりわけ、古屋係官が上告人にたいして、事前に本件原処分を行う旨を告知しなかったことは、告知・聴聞の機会を充分保障すべきとする近時の判例の流れに反する違法なものである。

4 第四、憲法三一条違反・最決昭四八・七・一〇違反・理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号違反)

-立会を一切否定する原判決は許されない-

原判決は、上告人が民商関係者の立会を求めたことをもって青色申告承認取消事由に該当すると判示した。しかし、原判決は税務行政の現場において時として人権侵害がありうるという事実からあえて目をそむけ、その人権侵害が起こらないように看視する第三者の立会を事実上一切否定するものであってとうてい受け入れることはできない。

5 第五、判例違反―原処分の付記理由は偽りである―

本件原処分通知書に記載されている内容は、「昭和六二年一二月二三日に、昭和六〇年分の一部と同六〇年分の帳簿書類の全部を提示しなかった」というものであるが、事実は全く逆で、「それらの帳簿書類も全て一時間三五分にわたって提示したが、古屋係官らがその部分を書き写さなかった」のである。(このことは原判決も認める)。青色申告承認取消通知書や、青色申告の更正処分通知書における付記理由についての近時の判例からみると、処分庁の恣意的判断を許さないために、具体的事実の認定と、これが取消事由に該当するとの判断をきちんと区別して書くべきであり、この判例理論からすると、本件原処分は、判断の分かれ目になり得る重要な事実についてその記載方法を誤り、偽りの認定事実を記載したものであり、取消を免れない。

第二 租税法律主義違反(憲法三〇条・八四条違反)

一 周知のとおり、最高大判昭三〇・三・二三は、租税法律主義についての次のとおり述べている。

「思うに、民主政治の下では国民は国会における代表者を通じて、自ら国費を負担することが根本原則であって、国民はその総意を反映する租税立法に基づいて自主的に納税の義務を負うものとされ(憲法三〇条参照)、その反面において新たに租税を課し又は現行の租税を変更するには法律又は法律の定める条件によることが必要とされているのである(憲法八四条)。されば日本国憲法の下では、租税を創設するのはもとより、納税義務者、課税標準、徴税の手続きは全て前示のとおり法律に基づいて定めなければならないと同時に法律に基づいて定めるところに委せられていると解すべきである」

二 明文のない不利益処分は許されない

国民主権主義の下では、刑罰権について国民の人権保障の見地から憲法三一条等において刑罰法定主義を定めているのと同様に、国民の財産権(憲法二九条)に制約を加える租税の分野についても、憲法三〇条・八四条が国民と国家との間に生ずる一切の租税法律関係について、国会が制定した法律により疑う余地がない程度に明確に規定されていなければならないことを定めている。右最大判はこのことを認めているものである。

この租税法律主義によれば、税法の解釈にあたっては、国民の権利を擁護する観点から文理に従った厳格性が要求され、国民の利益を損なう方向での類推解釈や拡張解釈は許されない。

とりわけ本件の青色申告の承認取消は、「種々の特典を剥奪する不利益処分」(最一小判昭四九・四・二五・判例時報七四二号二三頁)であるから、その要件の解釈にあたって明文に反して納税者の不利益に働く方向で類推・拡張することは認められない。

三 刑罰法規と同一の厳格さが必要

1 本件原判決は、所得税法一五〇条一項一号所定の「帳簿書類の備付け、記録又は保存が大蔵省令で定めるところに従って行われていないこと」との趣旨は、青色申告制度の趣旨に照らせば、税務職員によるその確認ができない場合を当然に含むものとの解釈されるから、帳簿書類不提示について、所得税法の明文のない独自の取消事由を創設するものではないと述べる。

2 しかし、青色申告の承認取消の不利益処分性は著しい。

(一) 例えば、前掲最一小判昭四九・四・二五の原審である大阪高判昭四四・一二・一六いわく(判例時報七四二号二五頁)

「青色申告の承認取消は、一旦与えられた特典を将来にわたって全部剥奪する一種の制裁的機能を持つものであり、いわば一時的な不利益を与えるに過ぎない更正処分に比較すると、その利害侵害は甚だ大きいといわなければならない」

この、更正処分との対比でも不利益処分性著しいことは、右最一小判昭四九・四・二五も「承認取消処分と更正処分の性質・内容の違いを考慮すれば」としてこれを認めているほどのものである。

(二) また国会答弁でも「非常に慎重に」取り扱っているといわざるを得ないほど不利益処分性著しい。所得税部門を主管する国税庁直税部長が、昭和五九年三月三〇日に国会で次のように答弁しているとおりである(甲五六号証)。

青色申告承認の取消というのは、納税者に非常に重大な影響を与える場合がございます。納税者ばかりではなく、その取引先も含めまして、場合によっては企業の存立にかかわる場合もあるわけでございます。そういう点も勘案いたしまして、私ども青色申告承認の取消については慎重に行っておるわけでございます。従いまして、委員今御指摘のように、現実の青色承認取消の数はそんなに多くはございません。

先程青色承認取消につきましては、慎重に運営し、青色の記帳については指導的態度をもって臨んでおるということを申し上げました。しかし、このことは青色申告の記載事項につきまして、個々の事項につきまして、多少の書き間違いと申しますか、間違いがございましても、強いてとがめだてをしないということでございまして、全体としまして帳簿がどうにもならない程度に達しておるというときは、数は少ないが取消しはしておるわけでございます。

それからもう一点重要なことは、私ども青色申告承認の取消というのは、その取消事実の発生しました時までさかのぼって取消すので、非常に慎重にいたしておるわけでございます。

本件承認取消処分は別として、青色申告承認取消処分は一般に公権的解釈としてこのように「非常に慎重にいた」さなければならないと述べざるを得ない重大な不利益処分なのである。

3 このように青色申告の承認取消処分の重大な不利益処分性は、刑罰とくに同じ財産に対する不利益処分である罰金刑に劣らないものである。その刑罰法規の解釈にあたっては、罰刑法定主義(憲法三一条)の見地から、言葉の意味の解釈として可能な範囲内の解釈は許されるが、行為者に不利益な方向で、法文の言葉の意味を超える類推解釈は許されないと一般に解されている(たとえば、吉川経夫著「改定刑法総論」四四頁以下)。

これと同じ視点から所得税法一五〇条一項一号をみると、その「帳簿書類の備付け、記録又は保存が大蔵省令で定めるところにしたがって行われていないこと」とは、あくまで現実に帳簿書類の備付け・記録又は保存が法令のとおりに行われていないことを指すのであって、その概念の中には税務職員によってその確認ができない(が実際には法令のとおりに備付け・記録・保存がなされていた-本件一審原告第八準備書面第三、一記載のとおり、本件ではまさにこれらは完備していた-)場合は含まれないこと明らかである。

4 刑罰規定で認められないことは、青色承認取消し処分でも認められない

(一) 国民に不利益を与える課税処分については、次の諸点から刑罰規定と同様の制約がなされるべきである。

<1> 租税法律主義も、罰刑法定主義もともに一二一五年のマグナ・カルタに端を発している。

<2> いわゆる成田新法に関する最大判一九九二・七・一が「憲法三一条の定める法定手続きの保障は、直接には刑事手続きに関するものであるが、行政手続きについては、それが刑事手続きではないとの理由のみで、その全てが当然に同条による保障の枠外にあると判断することはできない」と述べている。さらにこの判決での園部裁判官並びに可部裁判官の各意見では、財産についての不利益処分たる行政処分に憲法三一条の保障が及ぶと明言している。

<3> 刑事手続きにおける捜査・押収の厳格さを定める憲法三五条の所得税法の質問検査権への適用について、いわゆる川崎民商事件に関する最大判昭四七・一一・二二も同様の趣旨を述べている。

<4> 第三者所有物の没収に関して憲法三一条違反と明示した最大判昭三七・一一・二八並びに非訟事件手続法による過料の裁判について憲法三一条の保障が及ぶことを前提とした最大決昭四一・一二・二七によれば、行政処分であっても相手方の意思と無関係に一方的に財産的利益を剥奪する処分については憲法三一条の適用もしくは準用があるとするのが最高裁の判例の趣旨であるとの判例解説もなされている(右最大決昭四一・一二・二七についての「最高裁判所判例解説」五八三頁)。

(二) このような憲法三一条が不利益処分たる行政処分にも及ぶとする判例の基本的な考え方からすれば、少なくとも更正処分よりも不利益処分性著しい青色申告の承認取消処分については、憲法三一条を可能な限り適用していくべきである。

(三) 仮に所得税法一五〇条一項一号が刑罰法規であれば、この条項に「実際には帳簿書類が完備しているが、取消処分の前の段階で税務職員がそのことを確認できなかった」場合まで含むとすることは不可能である。

となれば、刑罰と並ぶ重大な不利益処分である青色申告承認取消処分に関する右条項についても租税法律主義の見地からこれと同様の結論を導き出すべきである。

(四) このような結論では、行政に支障が出るというのであれば、これまでに条文を改正して「確認することができない場合」を取消事由と創設することがいくらでもできたはずである。青色申告制度が創設された昭和二五年の所得税法改正時から本件取消処分がなされた昭和六三年まで三八年間も放置してきておいて、この放置に伴う犠牲を納税者に押し付けることは許されない。

四 備付け、保存を確認している本件に原判決の論理は通用しない

1 本件では、税務職員である古屋係官が昭和六二年一二月二三日に一時間三五分かけて上告人の帳簿を検査した際に、青色申告者に必要な帳簿書類の備付け・保存については確認済であり、同人自身がこれを認めている(同人に関する一九九一年一〇月三日証人調書第八三項)。

2 その本件について原判決は、「税務署長が右帳簿書類の備付け・記帳・保存が正しく行われていることを確認することができないときに当る」として、所得税法一五〇条一項一号に該当すると結論づけている。しかし、右にみたように、本件では「備付け・保存」については完備していることを古屋係官において確認しているのであり、このような場合まで「備付け・保存が確認できないときに当る」とすることはあまりに無謀である。「備付け・保存がなされている」ことが明確な場合にも、「備付け・保存がなされていない」とみなすというのであり、このように解釈する結論が、明文と一八〇度反対になるということが許されるはずがない。

このようなひどい解釈になるのは、本来租税法律主義に違反して、法にない取消事由を創設する判例を、次々と無批判に積み重ねて来ているためである。

3 備付け・記録・保存は各々独立の概念

そもそも、所得税法一五〇条一項一号の「備付け」「記録」「保存」は、大蔵省令においてそれぞれ個別の行為として五六条ないし六一条、六三条および六四条に規定されており、それらの行為の態様や性質は相互に画然と区別され独立の概念として確定されている。

従って、それらの義務を怠った場合には、それぞれ別個の義務違反が成立する関係にある。このことは、大津地判昭四九・四・一〇(シュトイエル一四五号五五頁)が「前記のとおり備付け義務・記帳義務および保存義務はそれぞれ性質が異なり、また根拠法例としても個別の条文に基づく別個の義務」と判示しており、これに反する判例は、この事件の上級審を含めて全く見うけられないことによって明らかである。

また理由附記に関してであるが、松沢智「租税実体法」(七二頁)において、義務はそれぞれ性質が異なり、また根拠も法令も別個の条文に基づく別個の義務であるから、今後は備付け・記録・保存のそれぞれを特定してその内容を具体的に記載すべきだとされているが、これも同じ見解に立つものであろう。

そうだとすると、ひとつの行為が、そのいずれにも該当するとか、あるいはいずれとも特定できないけれども、いずれかに該当するなどという解釈はあり得ない。

つまり、帳簿書類の「備付け」「記録」又は「保存」がなされているのに、帳簿書類の提示がなかったから「備付け」「記録」又は「保存」がなかったと推認したり、それと同視するというような便宜的な法解釈が許されるはずがないのである。

五 以上のとおり

1 原判決やこれと同旨のそれまでの下級審の見解は、憲法三〇条・八四条の租税法律主義に反するものであり、従って、帳簿書類を税務職員が確認できなかった場合には、所得税法一五〇条一項一号に該当せず、そのため、取消事由が存在しないものというべきである。

2 また、少なくとも備付け・保存が完備しており、かつ、その確認がなされている本件に対して、「備付け・記録及び保存が確認できなかった」と認定する原判決は、憲法三〇条・八四条に違反するものである。

3 結局、本件承認取消処分は、根拠条文を欠く違法なものといわざるを得ない。

第三 判例違反―春日判決論理の排除―

一 いわゆる春日判決(東京高判一九九三・二・九、平成三年(行コ)第三〇号、甲七六号証)は、税務職員が社会通念上当然に要求される程度の努力を尽くす義務を履行することが青色申告の承認取消事由があるといえるための要件であると判示した。これは国民主権に立脚した当然の判断である。本件においても、上告人が少なくともこの春日判決の論理を採用するよう強く求めた。

しかるに原判決は、これを否定した一審判決の判断をそのまま維持した。これは、不当かつ違法である。

二 春日判決の重み

1 東京地判一九九一年一月三一日(甲三四号証)は、次のように明確に述べる。

青色申告承認の取消事由が法規上明文をもっては規定されていないこと、また青色申告承認取消処分が納税者に対して一定の不利益を課する処分であることなどからすれば、右のような取消事由の認定にあたっては、一定の慎重さが要求されるものというべきである。即ち、納税義務者の帳簿書類の提示拒否の事実の有無は、一定の時点においてのみ判断されるべきものではなく、税務当局の行う調査の全過程を通じて、税務当局側が帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を行ったにもかかわらず、その確認を行うことが客観的に見てできなかったと考えられる場合に、右のような取消事由の存在が肯定されるものと考えるのが相当である。

2 その控訴審であった東高判一九九三年二月九日は、「理由」の部分冒頭において、「次のとおり付加・訂正・削除するほかは、原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する」と明示した。

すなわち、右東京高裁も、前記東京地裁の判示事項を、自己の判決理由として、そのまま引用したのである。

この東京高裁の判断は、決して傍論でなく、勝敗を分ける判断であり、それが確定したことのもつ意味は大きい。

3 この春日判決が持つ価値は、本件一審被告準備書面(三)二一頁において明言されているとおり、

<1> 税務当局からの要求があれば帳簿書類を提示すべき義務を負っている納税者義務に対して、

<2> その帳簿提示義務に先んじて、税務当局に、調査の全過程を通じて、帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される程度の努力を尽くす義務があると判示しているところにある。被調査者の人権を意に介しない調査例が横行している状況下だけに、ます税務当局として努力を尽くすことを求めていることは重要である。

4 特に、右判示が民商事案について下されたということが大切である。

納税者の権利をきちんと主張する、税務当局からみた「調査妨害者」に対しても、まず税務当局において社会通念上なすべき義務を尽くす必要があるのである。

5 国民主権からみて当然

(一) 戦後の税制改正において、所得税・法人税等我国財政の基幹となる税制について、戦前の賦課課税方式を継続せずに申告納税制度を採用したことは、国民主権に基づくものである。

けだし、申告納税制度とは、「納付すべき税額が納税者のする申告により確定することを原則とし」、「当該税額が税務署長の調査したところと異なる場合に限り、税務署長の処分により確定する方式」であって、「納付すべき税額がもっぱら税務署長の処分により確定する」賦課課税方式とは対立する概念であるところ(国税通則法第一六条)、申告納税制度は、国民(法人の場合も、究極的には株主等の社員個人)が自主的になす申告を第一義的に尊重する制度であるから、これは国政を支える主権者たる国民が納税の面で、その権利を行使するもの、すなわち国民主権の行使ととらえることが最適である。

(二) 所得税法がこのような申告納税制度を採用している以上、前記国税通則法第一六条のとおり、納税者がそれによって納税額が確定することを原則とする確定申告をなした以上、この確定申告に対して税務署長として異議を差しはさむ手続である質問検査権(所得税法二三四条)は、主権者である納税者の立場を尊重して謙抑的になされるべきであり、納税者の人権や私的利益に対して最大限の配慮がなされるべきである。

そのため、

青色申告者に対する質問検査権の行使にあたっても、納税者が帳簿の提出を拒否したというためには、主権者たる納税者に対して公務員としてまず礼節ある態度をとりこれを尽くす必要があり、取消処分は、それにも拘らず納税者が提示を拒んだ場合のみに許されると解すべきである。

すなわち、春日判決は、納税者の調査応諾義務に先んじて、調査官に努力を尽くす義務があることを認めたが、これは国民主権から見て当然のことである。

三 原判決は重大な後退

1 このように国民主権に立脚した春日判決の判断を本件においても当然に採用するように主張したのに対して、原判決は、「右のような点は、裁量権乱用の有無の判断において考慮されるに過ぎない」と判示してこれを拒否した一審判決を、そのまま踏襲した。

2 しかし、第一に、立証責任の問題がある。すなわち、春日判決の判断によれば、税務職員が当該社会通念上当然に要求される程度の努力を尽くす義務を履行したことを課税当局が立証しない限り、青色取消事由が存在しないことになる。

これに対して、原判決の論理によると、(一審判決五八頁の「場合に限り」を訂正して、「場合には」と改めている等必ずしも明確ではないが)行政事件訴訟法第三〇条「行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえ又はその乱用があった場合に限り、裁判所はその処分を取消すことができる」の趣旨からすると、おそらく、税務職員が右義務を尽くさなかったことを納税者が立証しない限り、承認取消処分が取消されることはないことになるであろう。

先においてのべた、青色申告の承認取消処分の重大な不利益処分性を踏まえるならば、この点で大きく後退する判断を採るわけにはいかない。

3 第二に、いわゆる荒川民商広田事件に関する最三小決昭四八・七・一〇は、次のように述べている。

質問検査権の範囲・程度・時期・場所等実定法上特段の定めない実施の細目については、質問検査の(具体的事情にかんがみた客観的な)必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべく、(事前通知や理由開示なども)質問検査を行う上の法律上一律の要件とされているものではない

ここでは「裁量」といわずに「選択」と表現されている。後にみる、青色申告取消処分通知の理由付記に関する一連の最高裁判決なども踏まえると、これは、重大な不利益処分たる青色申告の承認取消処分の事前手続ともなる質問検査権の行使にあたって、これを税務職員の「裁量」に委ねてしまうことの危険性に配慮したものと思われる。

春日判決の定立した税務職員の義務について、これを青色取消事由存在の一要件とする立場から、裁量権の乱用の判断要素に「格下げ」してしまうことは、右最決昭四八・七・一〇の趣旨にも反するものである。

第四 憲法三一条違反、最決昭四八・七・一〇違反-朴撰な不意打ち処分は許されない-

一 本件原処分とその事前手続である質問検査権の行使は、民主商工会の会員に対する税務調査に不慣れであった古屋係官が事実上独断でなした、税務職員一般の水準にはるかに劣る、重過失あるものであった。憲法三一条や最高裁昭和四五年(あ)第二、三三九号、昭和四八年七月一〇日三小決定(判例時報七〇八号一八頁、いわゆる荒川民商広田決定)など一連の最高裁判決は、合理的な選択による調査手続を求めているところ、本件原処分は、税務行政一般において実施されている水準にはるかに劣るものであるから、この「合理的な選択による調査手続」を踏まえない違法な処分といわざるをえない。

以下詳述する。

二 ずさんな調査

1 上告人の税務調査を担当した税務職員古屋正輝は、昭和六二年七月一〇日頃に伊那税務署に赴任して、直ちに上告人に対する調査を担当するよう上司から指示され、同月二九日から上告人の臨宅調査を開始しているところ、伊那税務署に赴任するまでは職務上そもそも商工業者に対して税務調査を行うことがほとんどない立場であり、さらに民商会員に対する調査の経験は全くなかった(古屋証言調書第一回一一四項)。そのような古屋係官を被上告人は民商会員の調査の担当者にしたのである(古屋証人調書第二回一一丁)。

2 昭和六二年九月一七日の事前通知をなした第一回目の臨宅調査において、上告人の側は上伊那民主商工会の会員に対する、事前通知をなした通例の第一回の臨宅調査とほぼ同一の対応をしていただけであるのに、古屋係官の方は署に帰って整理しないと今後の対応策を立てられないという状況であった(原審控訴人第五準備書面三七頁以下)。

3 同年九月二五日に上告人宅に寄った古屋係官が第三者の立会いを認めるか否かについて上告人の妻に話した内容が

「ご主人や奥さん自身が記帳すべき内容に不明な点がある場合に、第三者の方がその内容の相談を受けており、税務署に対して説明できるような場合には、その第三者の方に記帳内容をお聞きするケースも考えられます。ただし、北原さんのお宅では、記帳されたのが奥さんで、奥さんに聞けば全てわかるのであれば、第三者の立会いは必要ありません」(一審における被告準備書面(一))

というものであった。

何と曖昧なことか。

この日の連絡について古屋係官は、第三者の立会いを認めないとの趣旨を述べたと証言するが、上告人の妻は全く逆に自分は判らないところがたくさんあって民商に常日頃相談しているから民商から立ち会ってもらえるものかと思ってか、上告人に対して「立会いが大勢でなくて今まで相談してきた事務局と妻のいるところなら調査できるとの古屋の話だった」と報告している(上告人供述)。

このように立会人の同席を認めるか否かというキーポイントになる点について、上告人の妻に対してこのようにいずれともとれる曖昧な告知をしている(原審控訴人第五準備書面七〇頁以下参照)。

4 同年一二月二三日の税務署内での帳簿調査の時に、古屋係官はその日を逃がすと立会人の同席しない状態での帳簿書類の調査に応じる可能性は少ないと考えて(原判決認定事実)、売上と仕入関係の帳簿書類を三年間分全部書き写す方法を措った。

しかし、一二月二三日は長くても午後五時までの三時間しか調査の時間がなかったのであり、しかも調査の理由が上告人の青色申告決算書上の仕入高に対する売上高の比率が同業者のそれよりも過少ではないか、そのために上告人の売上高が実際よりも過少に記載されているのではないかとの疑問を持っていたところにあった(古屋証言調書第二回八丁)のであり、上告人が故意に数字をごまかしているという具体的な疑いを持っていたわけではない。

そうであれば、慣れた税務職員であれば、

<1> まず提示された帳簿書類を順次パラパラと開き

<2> 次いで原始記録から青色申告決算書までの記帳経過を、いくつかの取り引きをアトランダムにピックアップしてチェックしていく

<3> 続いて、資料せんや反面調査の結果と帳簿書類を突き合わしてみる

<4> 必要箇所のみメモする

との一連の調査を行うはずであり、さすれば、年間売上高二千万円程度の零細な建築鉄工業者である上告人の仕入高・売上高の調査は一時間余りで十分できた(その調査の結果、具体的な疑いが発生したならば、そのことを告知して次の段階の調査に入っていけばよく、このように具体的疑いを上告人に告げているにもかかわらず、上告人が調査を拒んだ場合には、その時点で青色申告承認取消事由が発生すると解することも可能である)。

古屋係官が税務調査に不慣れなために、異例の、上告人からはその真意を疑われる、三人がかりによる三年間全部の仕入・売上の書き写し作業を始めたのである(この点、原審控訴人第五準備書面八三頁ないし八八頁参照)。

5 右同日、上告人が仕事上の都合で書き写し作業の途中で帰ると言い出した時とそれ以降、古屋係官は、自分では一二月二三日に昭和五九年分の売上と仕入の関係帳簿書類全部を書き写したと同じ程度に同六〇年・六一年分についても書き写す必要があると判断していたにもかかわらず、そのことを上告人に一言も告知していない(原判決は書き写し作業が途中であったことは上告人も判っていたというが、そのことによって三年分全部の書き写しが必要とは必ずしも理解できず、現に上告人はそこまで理解していなかった。また、被上告人は、「やっぱり全部見ないと結果が出ないんでいつ見せてくれるか、というようなこと」を言ったという上告人供述を掲げるが、「全部見せる」ことと、三年間の仕入・売上関係の全部の帳簿書類を書き写す)こととは同義ではあり得ない)。この旨と、そのための調査に応じなければ取消す旨告知されていれば、例えば、急いで署に行くなど、上告人の態度が変わった可能性が強いのである(三浦証言)。このように必要かつ簡単にできることを実行しなかったことは、古屋係官の不慣れを裏付けるものである。

6 古屋係官は、本件原処分をなす前にその旨並びにこれを回避する方途を上告人に告知していない。これを回避する方途としては、一般的には<1>立会人がゼロ又はごく少数の下での帳簿調査の実施、あるいは<2>納税者を署に呼び出して所得金額についての税務職員の調査結果に基づいた数値による修正申告の慫慂などがあり、これらは実際に青色申告者を含む民商会員に対する通常の税務行政としてなされていることである(三浦証言)。

また、本件原処分前に「取消す」と断定的に明示して告知することは可能であるし、かつ、多くの係争事例においてその旨実践されているのに、本件においては、古屋係官は、上告人が三年分全ての帳簿書類を一時間三五分にわたって三名の税務職員に対して無条件で提示し続けた一二月二三日(これ以降、青色申告の承認取消処分の可能性について、上告人と古屋係官との間に食い違いが生じた)以降においても、一二月二三日より前の二回と同じ取消の可能性の告知しかしなかった(原審控訴人第五準備書面一〇二頁ないし一一〇頁参照)。

これも古屋係官の不慣れによるものである。

7 昭和六三年一月一一日、上告人が古屋係官との電話で、「帳簿書類を見せる時には立会人のいるところでお願いしたい」と述べた(一審判決認定事実)のに対し、古屋係官は「記帳補助者としていわゆる立会いですか」と問うており(一審被告準備書面二二頁)、民商事務局員一・二名程度の立会人の同席を明確には否定していない。しかし、古屋係官は、証言では民商事務局員の立会いも否定する考えだったと明言している。

このように考えていることと、告知していることとがくい違っていては進むべきものも進まない。これも不慣れのせいである。

8 本件では、昭和六二年一二月二三日以降において上告人に対して面接していない。しかし、一審原告第五準備書面添付判決文のとおり、八事例中五事例において、取消処分をなす直前に改めて納税者本人に面接している(原審控訴人第五準備書面一一二頁参照)。

面接と電話・伝言とでは、納税者本人に対するインパクトが大きく違うこと当然であり、したがって面接して、処分する旨とその処分を回避する方途を告知すべきであった。

9 古屋係官は、民商会員に対するそれまでの青色申告の適格性の調査がどのようになされてきたか署内の誰からも聞いていない(同人調書第二回二二ないし二三丁)。本件第一審原告第四準備書面に添付した「税務調査における第三者の立会」(福井大学教授首藤重幸)を見るまでもなく、過去における同種事例についての慣行の存否は本件原処分の肯否についても大きく影響を及ぼすはずであり、通常の税務職員ならば、署内の上司や同僚にその旨を確認するのが当然である。

古屋係官は、これすら実施しなかったのである。

10 古屋係官は、昭和六二年一二月二三日より前には関東信越国税局に対して上告人への対処について指示を仰いでいるが、一時間三五分にわたって三年分全ての帳簿書類を提示し続けた一二月二三日以降においては何ら指示を仰いでいない(古屋証人調書第三回六七・六八項、なお、六三項も参照のこと)。

しかし、それまでの全国や伊那署における青色申告承認取消処分の実例からみて、一二月二三日の事実が存在する場合にどのような判断をなすべきかはかなり難しい判断である。

一二月二三日の、他の民商会員の場合と比べて特に変わったところのなかった時期に上級官庁の指示を仰いでいながら、肝心の判断に苦しむ事実に直面して何ら指示を仰がなかったというのである。開いた口がふさがらない。

11 古屋係官は、青色申告の承認取消決議書(乙1号証)の記載を誤った。

後に詳述する、青色申告の承認取消処分の理由付記についての判例の蓄積や、前掲最決昭四八・七・一〇に「処分のための事実認定と判断が要求される事項があり…」との判示部分からすれば、右決議書には判断の公正を担保するために、事実認定とこれに対する判断を区分して記載すべきである。

この点からすれば、昭和六二年一二月二三日の事態については、「あなたは三年分全ての帳簿書類を提示して一時間三五分経過後に、係官が書き写している途中で提示を打ち切りました。そのため、昭和六〇年分以降の帳簿書類についてはその記録の確認ができませんでした。このことは、昭和六〇年分以降の帳簿書類を提示しなかったことになります」と明記すべきであった。

また、決議書後段の昭和六三年二月四日の事態については、事実に反する記載になっているが、まさに初歩的な誤りである。古屋係官は、このように本件原処分をなす上で最も重要な決議書すら著しく不適切なものを作成しているのである。

12 古屋係官としては、昭和五九年分について取消処分をしない以上、忙しい三月の確定申告期に本件原処分をなす必要は全くなく、その後落ち着いて調査を続けることができた。現に、甲四八・四七号証の同じ上伊那民主商工会会員であった訴外金子福治の事例や、他の少なくない事例において、申告期を過ぎてからも調査が続行している(原審控訴人第五準備書面一一二頁)。

13 上告人に対する本件原処分以降の民商会員に対する古屋係官の調査ぶりは次のとおりであった。

(一) 昭和六三年五月から開始された西村佐喜男に対する調査では、一年分の売上帳の一部だけを提示したところ、青色申告承認取消処分はなく、一年分の修正申告で終結(甲七四号証五、4、<1>、甲五八号証)。

(二) 昭和六三年九月三〇日から開始された小松登志子に対する調査では、記帳補助者ではあり得ない民商事務局員二名の立会いのもとで調査を実施した(甲七三号証、甲七四号証三、3、<2>イ参照)。

(三) 一九九〇年七月二四日から開始された柴久人に対する調査では、帳簿の一部と預金通帳を提示しただけで、預金通帳以外の証憑類は持参していない。その結果、青色申告承認取消処分はなく、修正申告で終結(甲五九号証・甲七四号証、五、4、<2>)。

(四) 同じく、一九九〇年七月二四日から開始された矢沢輝海に対する調査では、証憑類全てと帳簿書類の一部は全く提示しなかったが、青色申告承認取消処分はなく、修正申告で終結(甲六〇号証、甲七四号証、五、4、<3>)。

(五) 以上の事実からみて、本件原処分以後古屋係官は他の税務職員と同様の調査を実施するようになったといえる。

三 一般税務職員の水準にはるかに劣る重過失ある調査

1 以上の指摘をまとめると、古屋係官の上告人に対する本件原処分までの一連のプロセスは次のとおりである。

<1> 上告人への調査を開始するまで民商会員に対する調査の経験が全くなかった古屋係官が、民商担当となった。

<2> そのため、立会人多数が同席しているだけで今後の対処がわからなくなってしまった。

<3> 肝心の立会人の同席を認めるか否かの点について、趣旨を反対に受け取られるような曖昧な告知をした(昭和六二年九月二五日)。

<4> 時間が少ないならもとっと簡潔に帳簿調査を行う方法を措るべきであるのに、あえて時間のかかる異例の帳簿全部の書き写し作業を開始した。

<5> 古屋係官が考えていた、三年分の売上・仕入関係の全ての帳簿書類の書き写しを行う必要がある旨を上告人に告知していない。

<6> 本件原処分をなす前に、その旨並びにこれを回避する方途を告知していない。

<7> 立会人を同席させてほしいとの要望に対して、これを認める意思が全くなかったのに、その旨をはっきりとは告げていない(昭和六三年一月一一日)。

<8> 本件原処分をする前に、上告人に当然なすべき面接をしていない。

<9> 古屋係官は、従前の民商会員である青色申告者に対する伊那署における調査の実情を何ら見聞きしていない。

<10> 全ての帳簿書類の一時間三五分にわたる提示という、判断難しい実態に直面しながら上級官庁に指示仰ぐことをしていない。

<11> 古屋係官は、本件原処分をなす上での最重要文書である決議書に誤った記載をなしている。

<12> 古屋係官は、急がなければならない理由は何らないのに忙しい確定申告時期に本件原処分をなした。

2 以上の事実によると、古屋係官の上告人に対する調査が不慣れと独断・思いこみのため、税務職員が一般に実行している税務調査の水準から大きくはずれたものになっていたといわざるを得ない。

また、本件原処分以降における古屋係官の民商会員に対する対処が他の税務職員並みになったところをみると、古屋係官が意図的に本件調査手続を実施してきたとは考えにくい。

このようにみてくると、古屋係官の一連のずさんな調査経過は、不慣れ・独断・思い込みなど重大な過失によってもたらされたものとみるべきであろう。

いずれにしても、本件原処分にいたる税務調査の経過が一般の税務行政の水準に大きく劣るものであったことは確かである。

3 このような朴撰な調査の結果、上告人は本件原処分の通知をまさに寝耳に水と受け取ることになった。昭和六二年一二月二三日に対象三年分の全ての帳簿書類を一時間三五分にわたって三名の税務職員に対して提示し続けたことによって、伊那署及び全国の事例からみて青色申告承認取消処分はあり得ないと思ったことがその後の古屋係官との対応によって何らくずれることなく処分通知を受けたのである(詳細は、原審控訴人第五準備書面七九ないし九九頁参照)。まさに不意打ちであった。

四 行政がおかす必然の誤ちの一つ

1 オンブズマン制度の発達

近年よく見聞きするオンブズマンとは、「違法ないし不正な行政活動に対し非司法的な手段で国民を守る(公的)役職」のことであり、一八〇九年にスウェーデンで始まり、現在では世界一五ヶ国にある(別表<1>平成七年度日本税理士連合会公開研究討論会「税務行政手続改革の課題」参考資料二一四頁)。そのうち、園部逸夫著「オンブズマン法」に紹介のある国々についての年間申立件数と同認容数を別表<2>に掲げた。これによると、年間申立件数の六・四%ないし三五・三%にあたる件数について申立が認容されていることになる。認容数の絶対数では、オーストラリア五、六六一件、フランス一、二五五件などである。また税金関係の申立件数も各国とも相当数である。

一方、日本では総務庁の行政相談の受付件数では一九九三年で二三万件(表<3>、表<1>と同一の資料一八九頁)、国税庁における税務相談への苦情申立件数は、九六〇件(表<4>、同じく二〇八頁)となっている(但し、我国の制度は、独立性と、調査・勧告・権限が備わっていないためオンブズマンとはいいにくい)。

2 このように少なくない国々にオンブズマンが設けられ、かなり活発にその運用がなされているのはなぜか。

園部逸夫著「オンブズマン法」によると大要次のとおりである(とくに三頁・二三頁)。

「現代国家における問題は、三権の中で行政権の組織と機能、そしてそれが国民生活に及ぼす影響が突出し肥大化しているという現象である。今日のように行政が多様化し複雑化すれば、どんな優秀な機関であっても人間が動かしている限り、必ず何%かは行政に間違いが生じ得る。行政という巨大な列車がレールを踏みはずさないようにコントロールするにはその間違いを事後的・司法的解決を待たずに、外部からの実効性のあるコントロールがどうしても必要である。現代の国家が国民の信頼を一挙に失うことにならない安全弁としてオンブズマンが必要なのである」

すなわち、肥大化した現代の行政ではどんなに努力しても何%かの間違いは必然的に生ずるのであり、この間違いを早期に正すようにしないと国家としての安全性が損なわれるというものである。まさに卓見である。

3 本件原処分に至るまでの調査の経過を見ると、まさに、それまで民商会員調査の経験が全くなかった古屋係官が不慣れの地において直ちに民商会員への調査の担当者に指定され、未経験の上に上司などからの従前の事情を聞くことも不十分なまま独断と思い込みによって朴撰な調査・対応をなし、それによって上

表<1>

オンブズマンと課税庁

<省略>

表<2>

オンブズマン実績

<省略>

表<3>

行政相談受付数の推移

<省略>

表<4>

相談・苦情の受理状況

<省略>

告人に対し本件原処分の不意打ちを加えたのである。

これは、現代行政が必ず侵す何%かの誤りの一つというにふさわしい。このような誤りは、最後の紛争解決のこの司法の場において直ちに訂正(取消)されるべきものであり、このことによって国家の安定が保てる。

五 最決昭四八・七・一〇広田決定違反

1 この決定いわく

<1> 税務官署では一定の処分をするために必要な事実認定と判断に必要な範囲で調査をすることができ、その一方として質問検査権がある。

<2> 質問検査権実施の細目については、

<3> 当該調査の目的、調査すべき事項、申請、申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみて客観的な必要性があると判断される場合に

<4> その必要性と、相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、

<5> 権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべく、

<6> 事前通知や理由開示なども、質問検査を行う上での法律上一律の要件とされているものではない

2 右最決によると、

<1> 質問検査は、一定の処分をすすめるための事実認定と判断に必要な範囲でのみなされるものであること

<2> かつ、具体的な実情に基づく客観的な必要性がある場合にのみ質問検査できること

<3> しかも客観的必要性があれば何でもできるのでなく、その必要性と相手方の私的利益とのバランスからみて社会的に相当といえる調査方法、内容でなければならないこと

ということになる。これは憲法一条、三一条により、主権者である納税者に、公僕である税務職員が礼節を尽くして対処すべきところからして当然の基準である。

<4> 以上の範囲内にとどまる限り、税務職員の合理的な範囲に委ねられているといえるが、その範囲をこえることは許されないこと

3 要するにこの最決は、日本国憲法の下における税務職員であればこの程度の行動規準を設定しても彼らにとって酷すぎるということはなく、ほとんどのケースで基準内の税務行政を実施することが十分できるとみたものであろう。 しかし、本件原処分とそれに至る税務調査の場合は、

<1> 仕入高に対する売上高の比率が同業者より低いというだけの調査理由では、三年分の仕入高・売上高に関する全ての帳簿書類を書き写すという必要性はなかったこと

<2> 昭和六二年一二月二三日以降においてもう十分帳簿を見せたと思っている上告人に対して、更なる調査の具体的必要性を告知し、更には応じなければ取消す旨事前に面接してきちんと告知する、更には昭和六三年三月一六日以降まで調査を続行するなどして、相手方たる上告人の私的利益に十分な目くばりをすべきであったのに、これらを怠ったまま、不意打ち的に本件原処分をなしたこと

<3> 判断の公正を担保すべき取消処分決議書において、事実認定とこれに対する判断をきちんと区別して記入すべきなのにこれを混同して記入したため、判断の公正が担保されたかについて大きな疑いを生じさせていること。

等、右最決の設定した基準に遠くおよばないものであった。

当然のことながら、所得税法一五〇条1項一号の取消事由は、正当な調査に対して帳簿書類を提示しないことによって発生するものである(但し、予備的主張)。

本件原処分は、右のとおり、正当な調査に基づかないものであるから、青色申告承認取消事由が発生しないことになり、したがって本件原処分は取り消されるべきである。

六 とりわけ原処分をなす旨を告知すべきであった。

1 本件においては、原処分を下した時より前の時点で、

<1> 原処分をなすこと

<2> その理由

<3> 原処分を回避するために上告人が措るべき態度(例えば、立会人のいない状態で、書き写していない売上・仕入関係の全ての帳簿書類の書き写しをまずさせることなど)

を上告人に対して告知し、上告人に、原処分を受けるか、これを回避すらために求められる態度に応ずるか

いずれかの選択をなさしめるべきであった。

2 告知・聴聞の機会の保障を求める判例の蓄積

(一) 松山地決昭四三・七・二三(判例時報五四八号、六三号)

公有水面埋立法では、事前の利害関係人の利益を保障するための手続的規定が全く設けられていないところ、右判決は、利害関係者に告知・聴聞の機会を与えないでなされた公有水面埋立免許の効力について、「およそ国民の財産権を剥奪するような行政処分をするにあたっては、相手方に告知・聴聞の機会を与えることが憲法三一条によって保障された適正手続の要請するところである」として、右埋立免許を違法として取消した。

(二) 浦和地判昭四九・一二・一一(判時七七四号四八頁)

この判決は、自動車運転免許取消処分の聴聞手続においては、争点となる事実認定について、処分庁の有する主要な証拠を開示したり、相手方の反論・反証の機会を与えることが必要として、そのような機会を与えないでなした免許取消処分を取消した。

(三) 大阪地判昭五五・三・一九(判時九六九号二四頁)

道路運送法に基づく一般乗用旅客自動車運送事業免許(タクシー事業免許)の取消処分をなすための聴聞手続においては、法令上明文の規定がなくとも、事案の公示後聴聞前に処分原因となるべき具体的違反事実を被処分予定者に告知しなければならないとして、この告知を欠いた聴聞手続に基づく事業免許取消処分を取消した。

(四) 最一小判昭四六・一〇・二八(判例時報六四七号二二頁)

この判決は、個人タクシー事業の免許申請の拒否を決する聴聞手続については、具体的な聴聞方法を定める法令はないものの、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもっともと認められるような不公正な手続をとってはならないとし

<1> 具体的審査基準を設定して、これを公正かつ合理的に運用すべく

<2> 特に必要な場合には、申請人に対して、その主張と証拠の提出の機会を与えなければならない

と判示し、このような審査手続を措らなかった原処分を取消した第一・二審判決を維持した。

(五) 最一小判昭五〇・五・二九(判例時報七七九号二一頁)

このいわゆる群馬中央バス事件上告審判決は、一般乗合自動車運送事業の免許に関する運輸審議会における公聴会について、「関係者に対し、決定の基礎となる諸事項に関する諸般の証拠その他の資料と意見を十分に提出してこれを審議会の決定に反映させることを実質的に可能ならしめるようなものでなければならない」と判示した。

(六) 最大判一九九三・七・一(判例時報一四二五号四五頁)

いわゆる成田新法事件におけるこの判決において、園部逸夫裁判官は「行政庁の処分のうち、少なくとも不利益処分については、法律上、原則として弁明・聴聞等何らかの適正な事前手続の規定を置くことが必要である」とし、可部恒雄裁判官は、「私人の所有権に対する重大な制限が行政処分によって課せられる事業については、当然憲法三一条の保障が及ぶと解すべきであり、かかる処分が一切の事前手続を経ずして課せられることは、原則として憲法の許容せざるところ」と判示した。

3 青色申告承認取消処分の場合は事前に告知・聴聞の機会を保障すべき

(一) 右諸判例個々の事案は、むろん、本件と異なる面を多々有している。しかし、一致していることは、相手方に重大な不利益を与える行政処分をなすに際しては、その処分をなすこと並びにその理由を相手方に告げて、これに対する反論・反証の機会を十分相手方に対して与えるべきとする、国民主権に基づくデュープロセスの観点である。

右2(四)の判例に関する最高裁判所判例解説(六三一頁以下)が、「元来、聴聞制度は国民の権利保護のための重要な制度であり、事実認定につき行政庁の独断恣意を疑われないため最適な手続であること、特に基本的人権に関係のある事項に関する不利益処分における事実審型聴聞は尊重されるべきであること」、「処分にあたり手続を重視し、とくに各法律の手続規定の運用には十分留意すべきであるとする点において本判決が行政庁に与える影響も無視することはできない」と指摘するとおりである。

(二) 一方、青色申告承認の取消処分は、

<1> 更正処分と対比しても、被る不利益性が著しいこと(本書面第二参照のこと)

<2> 更正処分の如く、一時に大量になされる課税処分(前記成田新法事件上告審判決に関する「最高裁判所判例解説」二五三頁)ではなく、「非常に慎重に」ごく少数しか下されていない処分であること(甲五六号証など参照)

<3> 右取消処分に対する事後的救済手続(異議申立・訴訟など)はあるものの、諸外国と異なり権利としての執行停止制度がなく、かつ、その解決までにすこぶる長期間を要するものであること(原審控訴人第五準備書面一二七頁参照)

などの特徴を有している。

この特色からみて、質問検査権の行使についても、更正処分の事前の手続としてのそれ以上の慎重さが求められ、実質的に相手方に対して告知・弁解・反論・反証の機会を十分に保障することが不可欠と解すべきである。

(三) 告知・弁解の機会を保障せずになされた青色申告承認取消処分は、取消されるべきである。

(1) 更正処分については、国税通則法二四・二五条が、税務署長が「その調査により」更正・決定を行う旨規定しているが、調査手続に違法がある場合の更正処分の効力については考え方が分かれている。多くの判例は、調査手続に重大な瑕疵がある場合に始めて更正処分の違法事由となりうるとしている。

(2) この点については、行政解釈としては、手続の瑕疵は結果に影響を及ぼす場合に限り、取消原因とされるべきとする考え方が有力である(前記群馬中央バス事件についての最高裁判所判例解説二五六頁、最高裁判所事務総局編「租税関係行政事件執務資料」一九四頁)。

この点、本件の如く青色申告の承認取消処分、中でも帳簿書類の不提示を取消原因とする処分の場合は、税務職員が質問検査権を不適切に行使することと取消原因が直結していることになるがゆえに、右行政解釈を青色申告承認取消処分に準用する考えをとったとしても、取消原因と認めることに何ら支障がないことになる。

4 具体的に必要とされる告知・聴聞方法

(一) 前記2(三)の大阪地判昭五五・三・一九は、聴聞前に処分原因となるべき具体的違反事実を被処分予定者に告知しなければならないとしている。

また、一九九三年一一月に公布された行政手続法は、聴聞の期日前に、名宛人に対して、「予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項」、「不利益処分の原因となる事実」を掲げなければならないとされている。

(二) このような趣旨からみると、少なくとも青色申告の承認取消処分の中でも本件の如く、税務職員の求めに相手方が応じないことが取消原因を構成する処分をなす場合には、その前に

<1> 取消処分をなすこと

<2> その理由

を述べ、合わせて

<3> これを回避するために相手方として措りうる方途

を明示することが、必要とされていると解すべきである。これが、最決昭四八・七・一〇の広田判決の求めるところである。

(三) 本件の場合、このような手続は全くなされておらず、上告人は全く寝耳に水の状態で、本件原処分の通知を受けたものである。

このような告知・弁解の機会の保障が税務職員にとって容易なものであることは、全国における各種訴訟事例並びに税務職員作成文書である甲四八号証によってはっきりしている伊那税務署管内での従前の事例によってはっきりしている(原審控訴人第五準備書面一〇六ないし一一〇頁)。

このようなこととの対比からみても、本件原処分は、適正な手続に基づかない違法な不意打ち処分として取消さなければならない。

(四) なお、右<3>の処分を回避するために相手方として措りうる方途とは、本件に則していえば、例えば、

<1> 立会人なしの状態で、残り約一年半分の売上・仕入関係の全帳簿書類をまず示すこと

<2> あるいは、立会人は民商事務局員一名のみ認める(但し、その場合でも必要な場合は中座してもらう?)

などがありうるであろう。

第五 立会を求めたことが青色申告取消事由に該当するとの原判決の判断には、審理不尽・理由不備・判例違反・憲法違反の誤りがある。

一 原判決は、上告人は、「昭和六二年一二月二三日に伊那税務署に来訪したときを除き、その前後を通じ、一貫して、民商関係者の立会の元でなければ帳簿等の調査に応じない旨の対応に終始した」、「このことは、いわれなく帳簿書類の提示に応じなかったものと評すべき」として、青色申告取消事由の存在を認めた。

しかし、まず第一に、原判決が認定して事実によれば、昭和六二年一二月二三日以降において上告人が民商関係者の立会を求めたのは、昭和六三年一月一一日に「電話で帳簿書類を見せる時には、立会人のいるところでお願いしたいと述べた」時だけである。

その回数や「お願いしたい」との言い回しからみても、「立会のもとでなければ調査に応じないとの対応に終始した」ことはない。原判決のこの見方は、昭和六二年一二月二三日の全ての帳簿書類の一時間三五分にわたる提示という上告人の積極的行為を過小評価せんとするものであると共に、事実に基づかない判示といわざるをえない。

第二に、それにしても上告人が昭和六二年一二月二三日以降においても民商関係者の立会をお願いしたことは事実である。

しかし、このことは、そのことゆえに青色申告取消事由が発生することを根拠付けるものとは全くなりえない。以下詳述する。

二 原判決は、税務職員の「合理的な裁量」を否定するもの

1 原判決は、第三者の立会を認めるか否かは、諸般の事情に応じた、税務職員の合理的な裁量に委ねられているとし、本件における民商関係者の立会につき

<1> 帳簿書類の作成やそれに先立つ取引行為に直接関与した者ではない

<2> 取引先の営業情報が第三者たる立会人に漏れる恐れがある

<3> 民商関係者の立会は、一定の示威運動の趣旨を含んで行われる場合があること

以上の三点いずれにも該当するので民商関係者の立会を拒否した古屋係官の判断は、合理的裁量の範囲内のものと判断している。

2 しかし、この原判決の論理並びに民商事務局員や同役員が、会員の記帳や取引行為に直接かかわることは原則としてありえないという組織活動の方針と実態からすると、民商関係者の立会は右<1>ないし<3>いずれの要件を満たすものになって、常に必ず認められないことになってしまう。

しかし、一方、古屋係官は、昭和六三年八月からの民商会員小松登志子に対する税務調査の際には、二名の民商事務局員の立会の元で帳簿調査を実施したことを認めている(古屋証言並びに甲七三・七四号証)。

原判決の定めるメルクマールによれば、「合理的裁量」からいえば認められないはずの民商事務局員立会の下での調査がなされているのである。

これでは、全く同一の条件であっても、民商事務局員の立会を認めることも認めないこともどちらも自由ということになってしまう。このような裁量が「合理的」であるはずがない。「合理的な裁量」というためには、条件が異なればそれに応じて対応を変える、その一方、同一の条件の場合には同一に対応するというものでなければならない。

原判決の如く、同一の条件下において全く正反対の態度をとることを認めるということは、不平等・不公平を積極的に認めるものであり、かつ、「恣意・独断」を認めるものである。

三 最決昭四八・七・一〇広田決定違反

1 再三述べているとおり、右最決は、質問検査権行使の詳細は、具体的な事情に基づく客観的な必要性と、調査を受けるものと私的利益との衡量による税務職員の合理的選択に委ねられる旨判示している。

ちょうど同じころになされた前掲最判昭五〇・五・二九群馬中央バス事件判決において、原審の「聴聞の手続・方法は行政庁の裁量に委ねられている」との判示を大幅に変更して公聴会の審理手続に違法があったと判示されている(同上告審判決の最高裁判例解説二四二頁)。

このことからみても、右広田決定にいう、「合理的選択」とは、「合理的裁量」と同義語ではなく、行政庁の恣意独断をより狭くする方向であえて選択された言葉とみるべきである。

立会人同席の調査を認めるか否かの判断が、税務職員の「裁量」によって決しうるとする原判決は、この広田決定にも反するものである。

2 具体的に広田決定の示す基準でみてみると、

(一) 調査の客観的必要性

<1> この点では、古屋係官は、上告人が提出済みの青色申告決算書上の仕入高に対する売上高の比率からみて、売上高が過少ではないかとの疑いをもっており(古屋証言調書第二回八丁)、

<2> 現に昭和五九年分については売上高・仕入高関係の帳簿書類全てを書き写しただけで経費については何も検査しないまま、青色申告の適格性があると判断していること

<3> 書き写さなかった残りの昭和六〇・六一年分の売上高・仕入高に関する全ての帳簿書類を書き写していれば、原処分がなかったと古屋係官が明言していること(同人証言調書第四回六六項)。

<4> すでに昭和六二年一二月二三日になした書き写し作業の際には、古屋係官は「内容については質問しませんでした」と明言していること(同人証言調書第一回五五項、なお意味の分からないものについて三回の質問のみあった-原審控訴人第五準備書面一一七頁参照)。

以上<1>ないし<4>の諸点からして、古屋係官がとりあえず、必要と判断していた調査は、売上高・仕入高関係の残りの帳簿書類を書き写すことであり、その調査においては具体的に上告人の取引先の秘密が漏れるおそれは皆無もしくはほとんどないと考えられる(むろん、これは百歩譲って、古屋係官証言のとおりに残りの帳簿書類を書き写すことの必要性を認めたとしてもということである。)三木義一立命館大学教授は、その鑑定意見書(甲八八号証)の中で、この点を最も重要な根拠として、本件原処分を違法と論じている。

(二) 納税者の私的利益

(1) この点では、何よりも、立会人がいない状態では時として違法な人権侵害が必然的におこり得るとの認識が必要である。原審での結審となった一九九五年四月二四日の口頭弁論において、その直前の同年三月二七日に下された京都地裁北村判決(甲一〇四号証)を示し、まさに勝手に女性の部屋に入ってタンスや引き出しをあけ、下着まで調べるなどの典型的な事例であり、したがって、このような人権侵害が生じないように、看視目的で信頼できる第三者の立会が必要と口頭でも弁論した。しかるに、原判決は、行政庁の行うことには間違いはありえないとばかり、一方的に論断しており、現代の肥大化した行政国家においては時として人権侵害がおこることが必然との認識から故意に目をおおっている。

しかし、このような、行政への過度の配慮は、現代国家の安定にとって命とりになりうることを銘記すべきである。

(2) 立会うことを予定していた者も、それまで二〇〇名ほどの税務調査に立ち会い、面前での帳簿調査を経験していながら、これまで守秘義務違反の問題をおこした話もない上伊那民主商工会三浦一郎事務局長一人であった。調査を妨害されるおそれも全くなかった。

(3) 上告人は、税務調査を受けたのは今回が初めてということもあり、「言葉の通じない外国へ一人で放り出されたような感じ」であり、しかも、昭和六二年一二月二三日の調査の際に異例かつ大がかりな書き写し作業を受けて、「いままで民商運動で定着してきていた合意のもとで進める調査方法や納税者の権利をないがしろにしようとしているのではないかとの不安もつきまとっていました」(いずれも、原審控訴人第六準備書面二六・二九頁)。

このように上告人が立会人の同席を求めたことには十分理由があったのである。

(三) この二つの要素の衡量によれば、上告人が立会人の同席を求めたことに問題はなく古屋係官としては、「合理的な選択」として民商三浦一郎事務局長の同席を認めて調査をすべきだったのである。にもかかわらず、違法に「不合理な選択」をして調査を打ち切り、原処分をしたのである。

(四) しかも本件で第一次的に直接問題としていることは、本件で立会を認めなかったということではない。立会を認めるか否かについて双方の考え方・条件などについて十分煮つめる機会を作るよう努力すべきだったのに、これを怠り、性急に原処分を下したことを問題にしているのである。

古屋係官が、昭和六三年一月一二日以降において事前通知したうえで上告人方に臨場し、そこで立会を求めたであろう上告人と三浦一郎との間で立会の肯否について協議をするか、若しくは少なくとも上告人を伊那署に呼び出して同様の協議をなすかすべきだったのである。さすれば、立会人三浦一郎一名ないし立会人のいない下での残りの帳簿書類の書き写し調査がまず実現した公算がきわめて高かったのである(原審控訴人第五準備書面一二一ないし一二三頁参照)。

3 以上のとおり、古屋係官が立会人の同席要求に何ら配慮を示さないまま原処分を強行したことは、広田決定に示す「合理的選択」の範囲を大きく逸脱するものであり、したがって、上告人が立会人の同席を求めたことが、「正当な理由なく帳簿書類の提示に応じなかった」(青色申告取消事由)ことに該当するなどということはありえない。

四 第三者の立会いを求めることは納税者の憲法上の権利である

1 この点について、第一・二審で、原告第二準備書面や甲第二九号証など膨大な資料によって、納税者に立会いを求める憲法上の権利があると詳細に主張・立証したにもかかわらず、原判決は「独自の議論であって採用できない」と一行判示しただけである。極めて不誠実である。

我々は、第三者の立会いを、代理人たる税理士や弁護士の立会いと同等に認めようと主張しているのではない。タンスの中を勝てにかき回すというような違法行為が出現することのないよう監視し、仮にそのような事態が生じた場合には証言者となる、そのような役割として第三者の立会いが必要と主張しているのである。原審で、三浦証人が裁判長の質問に対して、「係官が乱暴な言動をしないように監視することが、立会いの主要な目的」と明言したとおりである。三木鑑定意見書は、一般に税務調査は密室で行われるので税理士のような専門家がついていない場合には、当該調査が「社会通念上相当」な範囲で行われたかどうかの立証は極めて困難である。その公正さを担保する制度的歯止めとして第三者の立会いは有益な機能を有し、従って、第三者の立会いを求めること自体が不合理な要求であるかのような主張は誤りとしている。

以下本件で立会いを求めたことの正当性について従前主張したところをまとめる。

2 立会人の同席を求めることは、納税者の憲法上の権利である

(一) 密室性をなくすことがポイント

(1) 質問検査権は、申告によって確定した納税義務を打ち破る手続であると共に、更正処分や青色申告承認取消処分をなす事前手続でもあり、全体として権力的作用としての要素が強いという特性をもっている。

そこから質問検査権のあるべき姿として、次の事を指摘できる。

<1> 申告納税制度を打ち破る例外的手続であるから、それを開始するに十分な根拠とその告知が必要であること。

<2> 承諾があって初めてなしうる調査であるから、納税者の希望する条件を最大限受け入れるべきであること。

<3> 不答弁罪・調査拒否罪もしくは公務執行妨害罪などの犯罪が生まれやすく、若しくはそのような犯罪を仕立てあげられやすい調査手続であるから第三者による看視が必要であること。

<4> 納税者の財産権を保障するため、納税者の実態になるべく近い更正処分をなす必要がある。そのための事前手続だということ。

a 一審原告第二準備書面に添付した国税庁統計年報書の統計資料によると、一九八三年から八八年までの六年間平均でみて、原処分が一部でも取消されたものは、異議決定三・三%、最決七・九%、訴訟五・七%となる。少なくとも、単純合計一六・九%の原処分が間違っていたのである(最近は、この比率がさらに高まっている)。

不服ながら途中であきらめた納税者も多数いるのであろうし、裁判所が納税者の声を聞き入れないために実体に合致しない原処分が最後まで生き残り続ける場合も少なくないだろう。加えて問題なのは、係官が一方的な調査の結果に基づいて、修正申告を納税者に押し付けるケースが目立っていることであり、その多くが不満ながら、争う方法がないまま泣き寝入りしている。

b また、民主商工会に加入している業者やその同業者の人々は、零細な個人業者が圧倒的であるため、原処分を受けても仕事に追われて不服申立ての手続をする時間的・経済的ゆとりがない。最初から、若しくは途中であきらめるケースも多い。このような負担の大きさからみて、不服審査の諸制度があるからといって、原処分の事前手続をいいかげんにやってよいとはとてもいえない。

c しかも我が国は諸外国と異なり、原則として執行停止とならず、原処分を受けたら直ちに税額と加算税、これと連動する地方税・国民健康保険料などをただちに捻出して支払わなければならない。この負担は大きく、不服申立てをなす余裕もないまま倒産してしまうこともありえる。

いわゆる先進国二二ヶ国が加盟するOECDが、一九八八年に加盟各国にアンケート調査をなした結果(甲九三号証八六ページ)によると、アメリカ・カナダ・ベルギーを始め、過半数の一二ヶ国において不服申立中の納税執行停止の制度がある。我が国の立ち遅れは明らかである。

d このような実情からみて更正処分は納税者の真実の事業所得に合致した内容になるよう最大限の考慮が払われなければならない。そのためには、更正処分をなす上での事前手続となる質問検査権行使の場合において、納税者が「こわい税務署」に対しても弁解・反論が十分できるよう、その機会を保障しなければならない。信頼できる第三者が立ち会うことを保証することがそのための最高の近道である。

<5> 諸外国の実情から見ても信頼できる第三者の立会いが認められるべき

a 一審原告第二準備書面においては、アメリカ・カナダ・フランス・イギリス・ドイツなどで次々に納税者権利憲章が制定されており、立会人や録音を認めることなど納税者の権利保護が具体的に図られていることを述べてある。

b とりわけ重要なことは、立会いや録音は納税者権利憲章によって初めて認められたというものではないということである。甲九四号証は、一九九一年に全商連が弁護士・税理士・国会議員を始めとする二六名の税制視察団をアメリカ・カナダに派遣した時の調査記録である。これによると、資格のない第三者の立会いは、アメリカ・カナダで、調査現場の録音は、アメリカで、各々権利憲章制定前から自由に認められてきているとのことである。

c 特に、適正手続条項を始め、日本国憲法の「母体」たるアメリカ合衆国憲法の下で、明確な規定もないままに、立会い・録音が従前から認められてきていることは、日本国憲法の下でも立会権が認められるとする主張の根拠になることである。

<6> 特に、青色取消処分は、相当期間遡って、しかもある年分以降すべてにわたって取消すという重大な不利益が生ずるものであるから、質問検査権の行使も慎重になされるべきである。

(2) これらの諸点からみて、質問検査権行使の場において、納税者に告知・弁解(反論)・防禦の機会を十分保障することが極めて重要である。

そして、ここでの最も重要な点は、税務調査の場において、そのような告知・弁解・防禦の機会を十分保障されるための最大の保障が、調査の現場における信頼できる第三者の立会いを認め、これによって、税務調査の密室性を打破するということである(甲第一号証・七二号証参照)。

このようにすることによって、

<1> 当該税務調査自体を明るく充実したものにすることが可能になると共に、

<2> それでもなお不幸にして不当な税務調査がなされた場合、後の不服審査での証人を確保することによって、事後的に救済することを可能とするのである。

(3) 現場の実情は立会いを求めている

<1> 現在、増差税額主義の下で、ひどい強権的な税務行政が行われている。甲第二九号証商工新聞の記事に多数あるようにひどい税務調査を受けた納税者が民主商工会に駆け込み、入会して、民商役員らと共に立会いのうえ調査を受けるなり、交渉・不服審査して成果を得ている実情からみても、ひどい税務行政をやめさせるには、信頼できる第三者の立会いがどうしても必要ということがよく判る。

<2> ひどい税務調査の一例を古屋係官自らが証言した。同人は、一九八九年六月二八日に来署した小林悟の父から小林悟名義の修正申告書(その場で古屋が記載した)を提出させたところ、その金額が大きく間違っていたことが後に判明したとして、古屋係官自らが減額更正処分をした(控訴第一準備書面末尾別表参照)。また、タンスや金庫を無断で開けられたケースとして、これを経験した納税者二名が、甲第八六・八七号証として陳述書を提出している。立会人がいないとこういうことが起こるのである。

<3> 甲九五号証は、一九九五年三月一三日付の商工新聞である。そこには、前年七月に、納税者が遠方の実兄の通夜に出席していて不在、妻も通夜に出席するために出かけようとしていたところに署員が来て、「葬儀が終わってからにして」との申し入れに耳をかさず、二時間にわたって、タンス・金庫をかき回したというひどい事例が載っている。市議会において、市長が「極めて遺憾」と表明し、幹部職員二名を署に派遣して、市長の意思を正式に伝え、法務局人権擁護委員会でも幹部三名が署に調査に出向いたとのことである。

同じ紙面には、同年二月九日から一週間、全国で「税金一一〇番」を実施したところ、「寝室まで入り~、引き出しを開けさせられ~、預かり証なしに書類を全部持っていかれた~」など聞くに耐えないひどい調査実例が、一、三六〇件も寄せられたの記事も掲載されている。

事態は、なんら改善されず、一層深刻になっている。あまりのひどさに、全商連が一九九五年二月一六日に大蔵大臣宛に「税務行政改善のための要望書」を提出したほどである(甲九六号証)。

<4> 一九九四年一〇月に施行された行政手続法の第一条(これは、税務調査にも適用される)は、「行政運営における公平の確保と透明性(行政の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう)の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的として」同法が制定されたと明記している。

透明性の確保、すなわち税務行政の過程が国民にとって明らかでなければならないとすることは、情報公開の精神に基づくものであり、憲法上の要請である。税務行政のひどい実情からすると、この透明性を確保するためには、信頼できる第三者の立会いを認めることが必要不可欠となっている。

(4) 税務運営方針を生かすためにも

税務運営方針は、国税庁が昭和五一年四月一日に発した全国の税務職員に対する部内通達である(甲第二六号証八四頁以下に全文掲載)。甲第三三号証国会審議録によれば、現在もこれは生きており、国税庁としてはこれを守っていかなければならない指針とし理解しているとのことである。

しかし、現在の税務行政の実態からすれば、残念ながら、この税務運営方針は、絵空事である。

右甲第三三号証一四頁によれば、国税庁として、税務運営方針を税務大学校や研修・会議等で税務職員に徹底していると答弁しているのである。制定して一四年間経過しているのにこの始末である。

もはや、税務署内部の努力(?)だけでは、事態は全く改善されない。信頼できる第三者の立会いを認めるという外部的力を借りなければ、ひどい税務調査は一向に直らず、よりひどくなっていくだけなのである。

(5) 記帳補助者や民主商工会役員・事務局員らの助言が必要

現実の税務調査においては、納税者の記帳・計算・申告について実際に相談を受けて指導したり、計算・記帳を手伝ったりした者(記帳補助者)や納税者が税務に関する相談・申告を目的として加入している民主商工会の役員・事務局員の同席すら認めないことが多くなってきている。通常二名一組の調査官を前にして、納税者が一人だけでは萎縮してしまって意を尽くせず、言うべきこともいえないままとなることも多く、右記帳補助者らの同席は、真実の所得を明らかにするという(「税負担の公平」からくる税務署としても認めざるを得ない)観点からも最低限必要である。

我国には、多数の零細業者がおり、彼らは、税理士に依頼して帳簿を作成してもらう資力もなく、自分で正確な帳簿を作成する余裕もなく働いている。彼らが結集して民主商工会が結成され、その役員や事務局員から指導を受けてようやく記帳・申告している納税者の実情をふまえるべきである。

(二) 憲法上の権利として認めるべき

以上の如く立会権を確立する強い必要性があるとすると、これは単に「立会権拒否は不当」というにとどまらず、立会権を憲法上の権利として確立することが必要である。

憲法上の根拠としては、

<1> 憲法二九条……………財産権の保障

<2> 憲法三一条……………適正手続の保障

<3> 憲法一三条……………自由幸福追求権

<4> 憲法一条・一五条……国民主権

等が互いに連関して立会権を構成しているものとみるべきである。

以下詳細は、一審原告第二準備書面に譲る。

五 従来、少なくとも上伊那民主商工会の事務局員の立会いを認める慣行があった。

1 一〇年前は、公然と認められていた

(一) 甲第四七号証は、金子福治と被上告人に係る長野地方裁判所昭和五六年行ウ第八号青色申告承認取消処分取消等請求事件の訴状であり、甲第四八号証は、右事件について被上告人が提出した税務調査の経過をまとめた書面である(右事件は、取下により終了している)。

(二) 右四八号証によると、次の事が判る

a 金子福治に対する調査は、昭和五二年九月七日から、翌々年の五四年二月二六日までの間、一年半にわたってなされている。

b 甲四八号証によると、右事件では、立会人同席の調査が

<1> 五二・一〇・一八 午前 立会人 一七名

<2> 右同日 午後 立会人 一五名

<3> 五二・一二・五 午前 立会人 一〇名

<4> 五三・四・一七 午前 立会人 七名

<5> 五三・五・一二 午前 立会人 八名

<6> 五四・二・一九 前・午後 立会人 二名

<7> 五四・二・二六 午前 立会人 二名

以上のとおり、七回なされている。

c しかも、このうち<4>・<5>については、一応「立会人は認められない」とは告知しつも、立会人が多数同席したままの状態で、「これから調査に入ります」と告知し、具体的な質問に入っている。また、<6>・<7>は、民商事務局員と役員の二名同席の下で、立会人の排除について一言もふれないまま、具体的な調査に入っている。

2 最近も民商事務局員の同席は認められていた

昭和六〇年頃以降つい最近まで、上伊那民主商工会の青色申告をしている会員に対する調査に際しては、事前通知を受けた第一回目の臨宅調査(これは、春から遅くとも九月頃までの間になされる)の時は、五・六名ないし十数名の立会人が同席して、事前通知、調査理由・立会人等いわゆる権利問題について折衝することを常にしていた(これは古屋調査官も認めている)。

そして、第二回目以降の調査については、各納税者の判断により、

<1> 民商事務局員二名以内の立会い、(これは被上告人は認めていた)の下で、帳簿類を示す

<2> 重要な権利である立会人数名の同席をあくまで求め、被上告人係官が臨宅調査を拒否して反面調査に入ると、やむなく、三・四ヶ月経過した頃に帳簿類を示すとの対応がなされて来た。

現に、一審原告第八準備書面別表によれば、昭和六一年の関佳己、昭和六三年の宮下宗司・小林登志子の各税務調査の際は、上伊那民主商工会事務局長三浦らが立会った下で、帳簿調査がなされている。

3 実際に日々の記帳を補助していなくとも、民商事務局員の立会いは認められて来た

(一) 一〇年前の金子福治の調査を担当した脇坂義宣調査官の法廷での証言(甲第五七号証五一丁以下)によると、

同人は、伊那税務署当時、民商会員の調査を一〇件弱担当した。いずれも最初は民商会員の立会いがあったが、彼からは全部立退いてもらい、「本件で登場する西村・小林・国永ら」が記帳補助者として同席していた場合もある

と述べている。そして、同人が作成した甲第四八号証によると、小林は、上伊那民主商工会の事務局長、西村は、同じく事務局次長、国永は同じく副会長と明記されている。

上伊那民主商工会は、数百名の会員がおり、かつ、会員の自主記帳を促すという会の方針から、役員や事務局員が直接、会員の日々の記帳を補助することは不可能でもあり、かつ実施していない。にも拘らず、民商の役員・事務局員の立会いが認められて来ていたのである。

(二) これは、三浦事務局長の代になっても同様である。

<1> 小松登志子については、同人が甲府市に店舗を構えていて、伊那市在住の上伊那民主商工会の事務局員が日々記帳する条件が全くないのに、古屋係官が事務局員立会いの帳簿調査を二回実施している(甲第七三号証参照)。

<2> 同じく別表にある宮下宗司については、同人が民商の自主計算指導員を務めるほどの経理事務能力を持っていたこともあり、日々の記帳はもちろん、決算時においても民商事務局員が相談にのることは一切なかったにも拘らず、三浦事務局長の立会いが認められている。

<3> また、伊那市の丸喜商事レイ(有)の場合は、調査が始まってから民商に加入した法人だから、民商が対象年度の記帳を補助できる条件は全くなかったが、二名の民商事務局員立会いの下で調査が進められた(甲第七四号証)。

<4> このように、実際には、言葉の厳密な意味での記帳補助者でないにも拘らず、税務署から「名目上の記帳補助者」として扱われて現在でもその立会いが認められているものは、伊那税務署管内において、民主商工会法人会員への民商事務局員の立会い、商工会議所事務員・同指導員らの立会い(古屋証言でも認めている)、上伊那土建組合役員・事務員の立会いなどがあり、長野県内の民商では、長野民商・佐久民商・上田小県民商・須坂北信濃民商・松本民商などにおいて、個人会員の場合も民商事務局員の「名目上の記帳補助者」としての立会いが認められている(甲第七四号証)。

(三) 他の点についてはまことに明確に証言する古屋調査官も、こと実際の記帳補助者ではない民商事務局員の立会いについては、「従来の実務を署内で聞いたときには、立会った事務局員が本当に記帳補助者であったかどうか調査官においてきちんと確認しているか否かは聞いていない」(第二回二二丁)、「小松登志子について、立会った民商事務局員が日々記帳を補助していたか否かの点については記憶ない」(第四回五八項)と言葉を濁らせている。

(四) 以上の点からみて、上伊那民主商工会の会員の場合実際には日々記帳を補助していない民商事務局員が立会って帳簿調査を受ける慣行があったものというべきである。このような事情の下では、たとい立会権が憲法上保障されているといえないとしても、上告人が立会人の同席を認めてほしいと要望したことは決して不当とはいえない。原審控訴第一準備書面第六で引用した、首藤論文を参照されたい(むろん、慣行の存在が否定されたとしても、原処分が違法であることは変わりない)。

六 「守秘義務違反のおそれ」は立会いを否定する根拠にならない

1 果たして万能か

第三者の立会要求に対して、税務署は、「税理士などの守秘義務を負っている者以外が立会うと、納税者若しくは取引先の秘密が漏れることになり、これは税務職員に課せられた守秘義務に違反するおそれがある」として立会いを拒む。確かに、法律には次のとおり定められている。

国家公務員法一〇〇条

職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様である。

所得税法一〇九条一二号

第一〇〇条の規定に違反して秘密を漏らした者は、一年以下の懲役又は、三万円以下の罰金に処する。

同法二四三条

所得税に関する調査に関する事務に従事している者又は従事していた者が、これらの事務に関して知ることのできた秘密を漏らし又は盗用した時は、これを二年以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する。

税務署は、第三者の立会い問題に限らず、青色申告決算書の提出命令を求める件等でもまるで金科玉条の如く持ち出す。しかし、本当にそれほど万能なものか。

2 「正当な理由があれば免除される」

東京高裁昭和五九年六月二八日判決(判例タイムズ五二八号八五頁)は、国税局の職員が記者会見で、「双葉病院が数千万円の過少申告をし、脱税した金を他事業に流用していた」と答えた事件について、「守秘義務は、これを免除すべき正当理由があれば免除されるのであって」、「双葉病院には法人税法違反の事実があるものと認めたので、その職責上租税犯罪の一般予防、納税道義の向上等もっぱら公益を守る目的で新聞記者の取材に応じ本件公表をしたものであり、右公表は社会通念上相当と認められる限度を超えたものではないから、守秘義務に違反したものではない」と判示した。この判決は、一般論としても「守秘義務は、これを免除すべき正当な理由があれば免除される」としているのであって、守秘義務を金科玉条の如き主張する税務当局には大きな牽制となるものである。立会権について、これが憲法上の権利といえるほど重要な権利ということになると、立会権の行使が守秘義務を免除すべき正当な理由に該るということは十分言える。

3 そもそも制限的にみるべき

戦前は、官吏服務規律の中に官秘密を守る義務が規定されてはいたが、刑事罰は規定されていなかった。しかし、戦後、「秘密を守る義務は、従来の如き独善的な秘密行政の弊害を排するために特定事項に限るように改めること」とする民間の有力意見(公法研究会)があったにも拘らず、その存廃について国家ではほとんど審議がないまま、戦前の規定がそのまま踏襲され、どさくさにまぎれて刑事罰まで追加されたのである(有倉遼吉「国公法一〇〇条・一〇九条・一一一条論」法律時報四四巻七号八頁以下)。このような制定経過そのものからみても、秘密を守る義務の価値については、疑問がある。

また判例上は、これまでは、主に国民の知る権利との関係で秘密を守る議論が論じられて来たが、秘密とは「非公知の事項であって、実質的にもそれを秘密として保護するに値するものと認められるもの」とされ、少なくとも文言の上では制限的に解せられて来ている。

この点では、徴税虎の巻事件に示されるとおり、所得税法の規定も同様である。

このように、守秘義務については基本的に制限的に解されるべきものである。

4 本人が答えることは全く自由

(一) 右のように、基本的に制限的にみるべきだとはいっても、それは国になどの公の秘密についていえることであって、現代では、個人のプライバシー保護という見地が重要であり、したがって、社会的責任を問われるべき大企業の場合はともかく、中小零細企業については、場合によれば取引先の名称自体まで「秘密」として保護されるべきである。従って、第三者の立会いとの関係では、ていねいにみていく必要がある。

まず、税務調査の場で、本人が話す内容について。

(二) その場で本人が話す内容を、立会人がこれを聞くことはいかなる意味でも自由である。法は、いずれも「知り得た秘密」を漏らすと定めているから、税務職員が実際に把握した後、その秘密を漏らすことを禁止しているのであり、本人が話すことによって、税務職員が聞くと同時に立会人が聞くことは、税務職員の守秘義務の範囲外のことである。

(三) また、立会いを依頼した納税者は、自分に関する営業上の秘密をその立会人が知ることを承諾していること明らかであるから、税務職員としても本人が放棄している秘密を守る必要はない。したがって、これを理由に立会いを拒むことはできない。前記高裁判決にいう、「守秘義務が免除される正当な理由ある時」に該る。

5 取引先の秘密はいかに

(一) 取引先にとって、守られるべき秘密とは、「取引先に関する営業上若しくは個人的事柄であって、いまだ多くの人に知られておらず、かつ、実質的にみて、多くの人々に知られないように保護されるべき価値を持つもの」ということになろう。

(二) このうち、例えば、その取引先が当該納税者本人との取引で支出したようにして、お金を捻出し、これを女遊びに使っていたという場合、その取引がその浮かせた女遊びに使っていたということ自体はその取引先自体の重要な秘密であるから、立会人はおろか、納税者本人一人であっても告知してはならないことである。このように、納税者本人に漏らしてはならない秘密は、立会人排除の理由にはならない。

(三) ある取引先がその納税者本人との間で取引していること自体若しくはその取引金額の多寡はどうか。

<1> 通常考えられる範囲では、そのようなことは、取引先にとって、「他人に知られないように保護されるべき価値を持つもの」とはいえないであろう。すなわち、通常は、「秘密」ともいえない。

<2> かりに秘密といえる場合であっても、よほど強い秘密保護性を有する場合でない限り、立会権を認めることによって得る権利(これは、民主的税務行政が一般に広がるという点では社会的価値でもある)の方がより大きいであろうから、この場合も立会人を排除する理由はない。

<3> かりに具体的個別的事案において、当該取引先にとって重要な保護すべき秘密で、納税者本人には知れてもよいが立会人には知られては困る事情がある場合はどうか。

その場合は、その配慮が必要な時だけ、その理由を告げて、立会人の退席を求めるべきである。

国税庁が昭和四七年に発表した「税務調査の法律的知識」によっても、

質問検査権の受認義務者でないものが、税務職員の了解があって、立ち会っている場合でもその調査が取引先等の秘密にわたる事項の調査に及ぶ場合は、その立会いを遠慮してもらうことは当然である。

と述べられている。ここで、この方法が公認されているとおりに、具体的個別的必要性が生じた場合だけ立会人から退席してもらえばよい。

<4> 古屋係官証言で出された唯一の例、納税者の取引先Aが、立会人の中にいる時に、納税者と他の取引先Bとの間の取引単価がAとの関係で秘密になるということは確かか。

民商の会員が立ち会う場合は、これに該当するかも知れないが、民商事務局員は専従であって、納税者の取引先ではあり得ないから、この場合に、民商事務局員の立会いを認めない根拠とはならない。

6 以上の如く解すれば、第三者の立会いと守秘義務とは十分両立する。守秘義務に名をかりた不等な立会拒否は許されない。

7 「税理士法違反」若しくは「妨害のおそれ」等は制約根拠にならない

(一) 税理士法違反のおそれの点については、

<1> 看視のため黙って立ち会っていること

<2> 記帳補助者として単なる書類の説明をすること

<3> 納税者から助言を求められて答え、あるいは納税者にたいし助言することはなんら税理士法違反にならない(甲二六号証四七・四八ページ)

また、税務職員の違法行為がなされた時に口頭でこれを注意・制止することは、禁止されている「税務代理=納税者の個別的納税義務に関連することを発言すること(国会答弁)」には該らない。

本件における九月一七日の調査においては三浦が多数回発言しているがこれは<1>初回の示威運動という意味での立会いであったためと、<2>三浦と古屋係官が中学当時からの知り合いであったために多弁になったという事情があった。<2>の点からみると、民商の運動方針からの逸脱であった。

(二) 妨害のおそれについては、少なくとも民主商工会の立会いは、調査を妨害するためではなく、調査が法に従って適正になされるようにするためになされるのであり、立会拒否理由に該らない。違法な調査がなされた場合に、そのような調査がなされないよう求めることが、妨害に該るはずがない。

逆にいえば、適正な調査がなされさえすれば、「妨害」と感じられるような事態は起こりえないのである。

七 以上、いずれの角度からみても、上告人が立会人の同席を求めたことをもって青色申告取消事由に該当するとする原判決は違法であり、取消を免れない。

第六 判例違反-付記理由に違法あり

一 本件原処分の「基因となった事実」並びに同処分決議書には、全く同一の次の文章がある(甲三五号証、乙一号証)。

昭和五九年分から同六一年分までの所得税の調査に関し必要があったので、当税務署の所得税・資産税第二部門の古屋国税調査官が、昭和六二年一二月二三日、当税務署において、昭和五九年分ないし同六一年分のあなたの事業に関する帳簿書類の提示を求めたところ、あなたは昭和五九年分の帳簿書類及び同昭和六〇年分の帳簿書類の一部を提示したのみで、その他帳簿書類は提示しませんでした。(中略)

このことは、昭和六〇年分以降の青色申告にかかる帳簿書類の備付け・記録又は保存が所得税法一四八条に規定するところにしたがって行われていないことになります。したがって、所得税法一五〇条1項一号の規定に該当しますので、昭和六〇年分以降の青色申告の承認を取消します。

このうち、(中略以降の)後半の部分は、判断の部分であること明白であるから、前半の部分は後掲判例の趣旨からすれば、その判断の対象たる具体的事実でなければならないというべきである。しかるに、昭和六二年一二月二三日には、上告人は対象三年分の全ての帳簿書類を一時間三五分にわたって無条件で提示し続けたのであって、「その他の帳簿書類については提示しませんでした」という事実はない。帳簿書類の全てを提示したのか、一部しか提示しなかったかは判断の分かれ目になる重要な事実であり、このような事実に偽りがある原処分を適法とした原判決は、後記判例の趣旨に徴して違法なものとして取消さなければならない。

二 青色申告承認取消の理由付記並びに、青色申告の更正の理由付記についての諸判例

1 最二小判昭三八・五・三一(最高裁昭三六(オ)八四号、判例時報三三七号二頁)

この判決は、

「売買差益率検討の結果、記帳額低調につき、調査差益率により基本金額修正・所得金額更正す」

との理由が付記された青色申告書についてなされた更正処分通知書について、次のように判示して、原判決を棄却し、原処分を取消した第一審判決を支持した。

<1> 「一般に、法が行政処分に理由を付記するべきものとしているのは、処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服の申立に便宜を与える趣旨に出たものであるから、その記載を欠くにおいては処分自体の取消を免れないものといわなければならない」

<2> 「どの程度の記載をなすべきかは、処分の性質と理由付記を命じた各法律の規定の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべき」

<3>(青色申告者への更正処分に関する改正前の)「四五条一項の規定は、申告にかかる所得の計算が法定の帳簿組織による正当な記載に基づくものである以上、その帳簿の記載を無視して更正されることがないとしている理由には、特に帳簿書類の記載以上に信憑力のある資料を摘示して処分の具体的根拠を明らかにすることを必要とすると解するのが相当である」

<4> 前記本件の付記理由では、「いかなる勘定科目に幾何の脱漏があり、その金額はいかなる根拠に基づくものか、また調査差益率なるものがいかにして算定され、それによることがどうして正当なのか、右の記載自体から納税者がこれを知るに由ないものである。

2 最一小判昭四九・四・二五(最高裁昭四五(行ツ)三六号、判例時報七四二号二三頁)

この判決は、

「法人税法二五条八項三号に該当する」

と記載されている青色申告承認取消通知書の付記理由について、次のように判示して原処分を取消した原判決の結論を支持した。

<1> (法人税)法が承認取消の通知書に付記を命じたのは、「承認の取消が右の承認を得た法人に認められる納税上の種々の特典を剥奪する不利益処分であることにかんがみ、取消事由の有無についての処分庁の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、取消の理由を処分の相手方に知らせることによってその不服申立に便宜を与えるためであり」

<2> この点において、青色申告の更正における理由付記の規定などとその趣旨・目的を同じくする

<3> 「そこに要求される付記の内容および程度は、特段の理由のない限り、いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して当該処分がされたのかを、処分の相手方においてその記載自体から了知しうるものでなければならず」

<4> 「承認の取消は、形式上同項各号に該当する事実があればかならず行われるものではなく、現実に取消すかどうかは、個々の場合の事情に応じ、処分庁が合理的裁量によって決すべきものとされているのであるから、処分の相手方としては、その通知書の記載からいかなる態様・程度の事実によって当該取消がされたのかを知ることができるのでなければ、その処分につき裁量権行使の適否を争う的確な手がかりが得られないことになる」

<5>(税務調査の過程で、処分の相手方は具体的な取消事由を十分了知できるから取消事由を付記させる必要はないとの主張に対し)「税務調査の過程において帳簿書類の不備などが指摘されたとしても、これにより処分庁が最終的判断としていかなる事実を取消事由と認めたのかを知りうるものではなく」

<6>(具体的場合に処分の相手方が処分の理由を承知していたような場合は理由付記不要との主張に対し)「右付記を命じた規定の趣旨が、処分の相手方の不服申立に便宜を与えることだけでなく、処分自体の慎重と公正妥当を担保することにもあることがらすれば、取消の基因たる事実は通知書の記載自体において明らかにされていることを要し、相手方の知・不知にかかわりない」

3 最三小判昭四九・六・一一(最高裁昭四七(行ツ)七六号、判例時報七四五号四六頁)

これは、右最一小判昭四九・四・二五とほぼ同一の事案について、これと同じ判断を示したものである。付加されている若干の点を掲げると、

<1> 「承認の取消を行う処分庁としては、既に具体的な取消事由についての調査を経ているはずであるから、これを具体的に処分の相手方に通知すべきものとしても、さほど困難な事務処理を強いられるものとは考えられない」

<2>(青色申告承認申請に対する却下処分について書面による通知・理由付記が要求されていないこととの対比をいう主張に対し)「法自体が処分の性質に差異を認めて書面による通知などを要求していない拒否処分との対比を論ずることは、当をえない」

4 最二小判昭五一・三・八(最高裁昭四七(行ツ)八八号、判例時報八一一号四四頁)

これは、青色申告法人への更正通知書に

「土地評価減一、三〇八、五一二円。北九州市八幡区本町五丁目秋田商会木材(株)より譲り受けた下関市幸町八の三宅地六七・八九坪の譲り受け価額が時価に比し著しく低い価額であり、時価との差額は贈与を受けたものと認められるから評価減をなしたものとして益金に加算する。時価二、二四三、四一五円。譲り受け価額九三四、九〇三円。差引一、三〇八、五一二円。」

と記載されていた事案について、次のように判示して、原判決を棄却して、原処分を取消した。

「右更正の基礎となった本件土地の時価がいかなる根拠・基準にもとづいて算出されたものであるかを知ることは全く不可能であるから、右の程度の記載では理由としてはなお不十分である」

5 最一小判昭五四・四・一九(最高裁昭五〇(行ツ)八四号、判例時報九二八号五二頁)

この判決は、青色申告法人の更正通知書に

「(1) 主要取引銀行である千葉銀行館山南支店の取引は、館山食品の借入金による松井一貫個人名義により取引されていること。

(2) 館山支店は昭和三九年一月館山食品の倒産時に設置されており、取引内容も債務整理関係のみで貴社の支店とは認められないこと。

(3) 館山食品貸付金勘定より期末一括して支払利息に振り替えた下記のものについては館山食品の負債整理のためのもので会社の損金と認められません。

(4) 館山食品に対する未払い家賃は債務未確定のため」

とあった事案について、更正の付記理由として不備はないとした原判決を取消し、原処分を取消した。

具体的事案は省略するが、注目される判示部分としては、次のとおり。

「(右<1>ないし<3>の更正について)右更正理由の記載からは、右各支払利息が何ゆえに館山食品の負債整理のためのものであるとされるのか、また館山食品の負債整理のためのものであると何ゆえに上告会社が現実に支払った利息を損金として計上することが許されないかについてその具体的根拠を全く知ることができない上、右各支払利息を館山食品の負債整理のためのものと認定した資料の摘示もない」

三 判例の求めるもの

1 右の判例のうち、1、4、5のものは、青色申告の更正処分通知書の付記理由に関するものであるが、右2の判例が青色申告承認取消処分における理由付記の制度と右制度とがその趣旨・目的を同じくすると述べているところから、これらの判例も引用の対象にできると考える。

2 これらの判例並びに前記最決昭四八・七・一〇広田決定が処分のための事実認定と判断に必要な範囲で調査がなされると判示しているところから、次のことが求められていると解すべきである。

(一) 理由付記を求める法の趣旨は、

a 処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制すること

b 処分の理由を相手方に知らせて不服の申立に便宜を与えることにある。

(二) したがって、理由付記の程度は、

a 調査によって判明している具体的事実関係

b 場合によっては、そのような事実認定をなした根拠・理由

c 右認定事実が当該取消事由に該ると判断した旨とその理由が明確に記載されていなければならない。

(三) このことは、特に

<1> 右最判昭四九・四・二五が、合理的裁量によって取消されない場合もあるのだから、処分の相手方にそれにもかかわらず取消した理由がよく分かるように記載しなければならない旨述べていること

<2> 右最判昭五一・三・八や最判昭五四・四・一九が、きわめて詳しい認定事実とその理由の付記を求めていることなどによって根拠付けられる。

四 本件原処分の付記理由は違法である

1 右判例の趣旨からすれば、原処分においても「あなたは三年分全ての帳簿書類を提示して一時間三五分経過後に、係官が書き写している途中で提示を打ち切りました。そのため、昭和六〇年分以降の帳簿書類については書き写すことができず、その記録の確認ができませんでした。」

と真実の具体的事実を明確に書き、その上で、

「このことは、昭和六〇年分以降の帳簿書類を提示しなかったことになります。したがって~」という、判断を記載すべきである。

なぜならば、

<1> そうでなければ、決裁権者である被上告人が、右のとおり事実を把握した上で決議をなしたものか否か分からず、したがって、判断の公正を担保することができないからである。

<2> 対象三年分の全ての帳簿書類を実際に提示したのか否かは、被上告人としての取消事由の有無の判断に大きな影響を及ぼすおそれのある事柄である。

<3> しかも右判例のとおり、かりに取消事由に該当する場合でも合理的裁量によって取消さない場合もありうるものであり、全ての帳簿書類を一時間三五分にわたって提示した本件の場合は、合理的裁量によって取消処分をしないことも十分にありうる事案である。

<4>一方、原処分を受けた上告人の側においても、事実とあまりに違う記載に接すると、乙七号証などをみて判るとおり、後の不服審査においてそのことが問題である旨大きくとりあげるは必定である。このようないわば、(正しく記載されていたならば費やさなくて済む)無駄な争点にエネルギーを費やさなければならない立場に上告人を立たせるべきではない。

2 しかるに原判決も認める第一審判決は、「細かい事情はさておき」、「事実の概要の記載がある」という、曖昧な理由で原処分を適法と判断した。しかし、前記一連の判例は、これと同様な見地から、原処分を維持した下級審判決を蹴って厳しい(しかし、主権者からみた場合当然の)基準を定立している。このことを忘れた原判決は直ちに取消されるべきである。

(平成八年(行ツ)第七七号 上告人 北原卓夫)

上告人の上告理由

――原判決には審理不尽・理由不備の違法があります――

私は、長野県上伊那郡高遠町の桜の名所・高遠城跡から約一〇キロほど奥へ入った長藤という地域で七人の兄弟の末っ子として生まれました。中学を卒業して高遠町を離れ就職、そして現在の妻と結婚しました。途中、妻と子ども二人を長野県伊那市に残して愛知県で鉄工業の技能を修得し、昭和五一年に独立、上伊那民主商工会(以下「民商」といいます)の大変な援助と指導をえて、やっとの思いで借金をし、土地と工場兼自宅(自宅といっても工場の一角ですが)を持つことができました。以来、昼は借金を返すため、夜は生活のために必死の思いで仕事をしてきたつもりです。

この時から、生きていくことを最優先させ、筋を通す民商運動に共鳴し、いっしょに活動しながら今日にいたっています。そして、本件で係争中に民商の副会長にもなりました。生活も決して楽ではありませんが、忙しい仕事の最中に時間をさいて民商運動に参加しながら、民商の活動は「助け合い」「人助け」「人間を大切にする」運動だと誇りを持ち、日々確信を深めています。

このたび高裁の判決を受けましたが、その内容は、私が大切にしている民商をあたかも反社会的な存在であるかのように見ているとしか思えません。地元の中小零細企業者にとって今やなくてはならない民商を、そういう目でみれば公平な審理ができるはずはないと思います。高裁判決はそういう基調で貫かれているように思いますので、法解釈等の技術論などではなく、理不尽を正したいという強い思いから上告を決意しました。

以下、そういう思いを具体的に述べます。

一、私は、東京高裁判決の論調や税務署側の主張に共通するものとして、民商への敵視が前提となっており、差別や偏見に基づいているのではないかと疑わざるをえません。ひいては、納税者全般(庶民)を「税金をごまかしていて当然」であるかのように見下したり、犯罪者やそれに近い者として扱っても当然であるかのように考えているのではないかと疑いたくなります。

<1> 税務調査が「任意調査」であるという一般論は、一応自他ともに認めるところだと思いますが、実際の現場での「調査」は任意調査の限界をこえたり、納税者を犯罪者扱いすることが多いと言わざるをえません。それは、私の裁判で提出してきた武田長一郎さんや佐藤喜代子さんの陳述書などでも明らかですし、昨年(一九九五年)三月二七日の北村人権侵害国家賠償請求裁判での京都地裁判決でも明らかにされています。一般の庶民感覚でも、税務署等による調査を「怖いもの」「警察の捜査と同じもの」とみてしまうのは常識で、そういう意味で調査に抵抗感のない人は絶無に近いと言って良いと思います。

現場における税務調査のこういう権力的な傾向を肯定するかのように、税務署側は裁判の中で「ひとたび調査の対象にされたら、納税者の側に疑われる理由のないことを証明する義務がある」かのように主張していましたし、高裁判決でも、私が帳簿書類等を自主的に税務署へ持参して提出した日(昭和六二年一二月二三日)に、途中で帰らざるを得なかった時の様子を、「帳簿書類を持って帰ってしまったもの」などと地裁判決を書き直してまで記述するなど、理由の如何を問わず、税務署の調査を最優先すべきものと絶対視しているようにみえます。

こういう発想や論調は、任意調査のあり方や申告納税制度の趣旨を理解しないものと判断せざるをえませんし、当然の帰結として、納税者の権利を主張したり、任意調査の限界をこえる言動に意見する民商運動を「調査を妨害する反税団体」として敵視することにつながってくると思います。

<2> そして、高裁判決は、私が陳述した、調査は「言葉も通じない外国へ一人で放り出されたような感じ」という心情をまったく理解していないとしか思えず残念です。しかし、こういう心情は私だけでなく、調査を経験したほとんどの人が抱いている感情だと思います。国民主権を前提とした申告納税制度に基づく任意調査のあり方について具体的な実態を見せようとせず、国民の心情を理解しようとしない高裁判決の内容は心外としか言いようがありません。

<3> 私は、この間の裁判を通じて、全国的にも税務署が「所得税金額等が正しいか否か」ということを究明するための調査から逸脱し、「税金を取る」ことを成績にするいわゆる「増差主義」などと称する立場に変質してきてしまっている感をつよくしています。そう考える第一の理由は、税務署員による「修正申告書偽造事件」が意外に多いということです。常識的に考えて、署員が悪質な脱税者等からワイロをもらって税額に手心を加えるという行為は個人的な利益を得るためのものとして、同じ犯罪でもその動機や心理をうかがうことはできます。しかし、修正申告書を偽造し、自分のポケットマネーを出してまでわざわざ不利益をこうむる行為は、その裏に「成績をあげるため」という動機が働いていなければできないことです。第二に、私の裁判のなかで提出されている宮下宗司さんの陳述書で次のように述べられている点です。帳簿等の調査を終えた署員から翌日の電話で「問題はなかったが、上司がもう一度行けというので行きたい」といわれ調査に応じたというのです。担当署員は問題がないと判断しても、上司が「何がなんでも税金を出せ」と指示していたとしか考えられません。

もし、このような成績主義が税務調査の基調にされていたら、能率の悪いていねいな調査などできるはずもなく、納税者を犯罪者扱いしたり、権利擁護を主張する民商を妨害団体扱いするのも当然だと思います。私は、高裁の陳述でも「社会の常識が通じる税務調査であってほしいという願いから」裁判でがんばってきたことを述べましたが、高裁判決には、私の最大の願いに踏み込むような表現は一言もなく残念です。

<4> 一方、税務署長まで経験した元大蔵省主計局次長の中島義雄氏が莫大な黒い金を受け取りながら「税法を知らなかった」などとうそぶき、悪質な申告漏れを侵していたことが問題となっています。また、住専問題での大蔵省の対応も問題になっています。

国民の実情や心情を無視したり、国民主権を尊重しない行政等は腐敗を必然のものとするようです。仮に司法の分野が日本の政治経済や行政の後進性を擁護するようなことがあれば、社会にさらなる混乱をもたらすことは疑いありません。残念ながら、私にとって高裁判決はそういう延長線上にあるように思えます。もっと人間性に富んだ審理をお願いしたいと思います。

二、高裁判決は、前記のような偏見や予断に基づいているせいか、立会問題について私がもっとも主張したかった部分を意図的に欠落させ、問題をすり替えているのではないかと思われます。

<1> 調査に立会人が必要な理由について、私は、最大の目的が違法・不当な調査をさせないための監視にあることを明らかにし、なぜ違法・不当な調査が行われる可能性があると判断しているのか、その根拠となる証拠等も提出し、膨大な量の主張も重ねてきました。しかし、高裁判決はそのことについて一言も触れていません。単に「法解釈」というか技術論に終始している感じです。

たとえ、百歩譲って立会に守秘義務による制約等があったとしても、税務当局によって人権が侵害されることを防ぐことのほうが、はるかに重要な意味をもつはずです。世界の先進諸国では納税者の権利を保障することを最優先にしていますし、日本国内でも自治体による納税者権利憲章制定の決議が増えています。私のこういう考えは常識にかなっていることだと思います。

しかし、高裁判決は、立会に「一定の示威運動の趣旨を含んでいる場合がある」などと一部の言葉尻をとらえ、これをことさら強調することによって、立会が調査妨害であるかのように描いています。現実に各地で行われている多くの人権侵害の実態を意図的に視野の外に置き、こういう判断を下す態度は行政にすりよった恣意的なものと言わざるをえません。そして、こういう恣意的な裁判所の判断が人権侵害事件を助長する大きな要因の一つになっていることは間違いないと思います。裁判所が「人権擁護の最後の砦」たりうるよう強く要請したいと思います。

<2> また、高裁判決は、古屋署員が「他の税務調査に際して第三者の立会を認めて調査した事例のあること」を証言したことによって、立会を認めるかどうかは「具体的な場合における裁量権の行使の問題」だから「合理性を欠く点があったとは認め難い」としています。私は、この判断は言い訳にもなっていないし、場合によっては担当裁判官が証拠として提出されている小松登志子さんの陳述書を読んでいないのではないかと疑っています。つまり、まじめに審理したとはとても思えないのです。

高裁判決は、立会について、第一に「帳簿書類の作成やそれに先立つ取引行為自体に直接関与した」という「具体的な調査との関連性がない」、第二に「守秘義務との関係が問われる事態となる恐れがある」、第三に「民商関係者の立会は、民商の活動の一環として、一定の示威運動の趣旨を含んで行なわれる」という三点の根拠をあげ、「これらの諸点に鑑みると、古屋係官が立会人のいない状態でなければ調査できないとの態度をとったことに合理性を欠く点はない」としています。

いったい、小松登志子さんの調査と私に対する調査との間に、三つの点でどこが違っているというのでしょうか、とくに第一の点では判決の不合理性は顕著です。小松登志子さんは県外(甲府市)に店を構えていたため、民商の三浦事務局長をはじめ、どの民商関係者も帳簿書類の作成や取引行為自体に直接関与することなど不可能だったことを具体的に陳述しているではありませんか。そして、小松登志子さんが民商事務所を訪問するのは年二回程度だったとしているではありませんか。私や私の妻のほうがはるかに多く民商の事務所を訪れ、具体的な相談にのってもらい、指導をうけています。第二及び第三の点は、立会人も同一人物つまり民商の三浦事務局長(小松登志子さんの場合は太田事務局員も立会人として同席)であり、まったく同じ条件です。担当裁判官以外、だれがみても私の調査に対してだけ立会を認められないという合理的な理由など見出せないのではないでしょうか。

このような不可解な理由で「裁量権の行使の問題」として立会を排除できるのなら、結局は署員の独断や偏見に基づく差別的な扱いも自由だということを認めるに等しいと言えないでしょうか。どう考えてもまともな審理を行なったなどとは考えられません。

<3> さらに、立会を認めるかどうかの判断基準の一つとして、判決の「帳簿書類の作成やそれに先立つ取引行為自体に直接関与した」かどうかが問題だとする部分は、現場のことや現実を知らない人の空論だといわないわけにはいきません。

調査に際して、商工会等の職員が立ち会うことを認められていますが、彼らも日常的な帳簿書類の作成や取引行為自体になど関われるはずがありません。多くても年に何回か納税者自身が作成した帳簿書類等に目を通して助言したり、依頼によってはそれをコンピューターに入力するだけです。こういう実務は税理士も同様だと思いますが、判決でいう行為を実行できる立場にある第三者とは使用人(事務員)でない限り不可能だといって差し支えないと思います。

そういう現実論から言えば、私の妻は年間を通じて民商の指導を具体的に受けており、一定の計算等も手伝ってもらっていたわけですから、商工会等の職員と大差はないといえます。なお、判決では、私の妻は申告が近づくと民商に相談にいっている程度だとしていますが、申告期には相談にいく回数は多くなるものの、年間を通じて民商へ相談に行っています。また、帳簿等の記載内容は妻が把握していたとありますが、高裁で私自身が述べたように、妻は取引の内容についてはほとんど判りません。

三、何度も繰り返すようで恐縮ですが、高裁判決は、民商関係者の立場が「一定の示威運動の趣旨を含んで行われる場合があること」をあげ、あたかも民商が調査妨害を運動の趣旨としているかのように描き、ひいては民商を反社会的な存在であるかのような印象で評価しているようにみえます。しかし、税金関係の問題に留まらず、民商は地域社会や地域経済にとってかけがえのない存在になっており、社会的にも認知された団体であることを裁判所に知ってほしいと思います。予断や偏見は捨ててほしいのです。

そのことを証するいくつかの証拠も提出されていますので、以下いくつかの点についてだけ箇条書き的に述べます。

<1> 二〇年以上前から労働保険事務組合「上伊那民主商工会」として長野県知事の認可のもとに労働保険(労災保険・雇用保険)の事務全般について一〇〇社以上から委託を受けており報奨金も受け取っています。なお、「一人親方」の労災適用についての業務を行なえる事務組合は、上伊那地域では民商の他には一つあるだけです。

<2> 民商の西村光世事務局次長は、大規模小売店舗審議会関東審議部会による意見聴取会議に、地域の代表として正式に推薦され参加し意見を述べています。(別紙資料を参照してください)

<3> 民商では上伊那の二市八町村に対し、中小零細業者の経営と生活の安定を求め、毎年のように申し入れ・交渉を行ない、具体的な政策提言をしてきています。昨年一〇月には伊那市長からの呼びかけで「伊那市商工関係団体懇談会」にも招かれて私も出席し、地域経済振興についての具体的な提言を行なっています。(別紙資料を参照してください)

なお、伊那市では民商の提案を受け入れ、今年三月に中小企業振興条例が制定される予定です。

<4> 長期にわたる不況で、電機産業を主力とする上伊那地域は、大企業の海外進出等によって産業空洞化がすすんでいます。地元中小業者は深刻な危機に陥っていますが、銀行などの貸し渋り、行政や商工会等の冷たい対応などによって、経営にとってもっとも大切な資金ぐりなどの経営対策や融資対策で専門的な相談にのってくれるところが民商以外になくなりました(税理士等の専門職もこの種の相談にはのってくれません。)

民商ではこうした中小業者を救済する大規模な運動に取り組んでおり、とくに「なんでも相談会」には会社員や年金生活者等も含め相談者が殺到しています。最近では借入金や住宅ローンの「金利引き下げ運動」に取り組んでいますが、地元新聞でもこれに注目し民商を大きく報道しています。(別紙資料を参照してください)

四、申告納税制度は、戦前の賦課課税制度への反省から、戦後民主主義の一つの柱として出発しています。これは国民一人ひとりの国(税務当局)との信頼関係を前提に成立していますが、その申告納税制度の趣旨をもっとも方針に徹底しているのが民商ではないでしょうか。

<1> まったく同種・同規模の営業であっても、その人の能力や条件等によって所得に格差がでてくるのは当然で、それを実態に基づいて自分で計算し、申告することによって税額等が確定される方式を申告納税制度というのだと思います。実態を知らない他人が勝手に売上や経費を左右できないことは当然ですが、売掛金や買掛金・未払費用の処理、減価償却の計算、未完成工事等にかかる前受金の処理や未成工事支出金の計算など、一定の知識を要するものは自分で学習して身につけるか、税理士等の専門職に依頼するしかありません。

商工会や税理士等によるいわゆる業務の多くは、日々の記帳や資料整理についての指導は行なうものの、それ以上の実務については請け負うことを主としており、それによって収入を得ています。請負によって収入を得るには数多くの業者を対象とすることになるわけですから、一件あたりの実務に多くの時間をさけなくなってくるのが通常です。しかし、例えば未完成工事にかかる計算は複雑で、事業主本人あるいは工事現場を管理しているものでなければわかりませんし、場合によっては本人でさえわからなくなることすらあります。商工会や税理士等の他人がこれらの部分を計算するには当事者から具体的な説明を受けるしか方法はありませんが、それには結局事業主の自覚や学習・知識が必要となります。しかし、現実はこの事業主の自覚や知識が不足しており、結局、税務調査などで指摘される多くの非違はこういう部分に集中する結果となっています。

<2> 世間一般では「税理士や商工会等にまかせておけばオールマイティ」と思われていますが、実際には事業主がかなり立ち入った知識や実務まで身につけないと正確な決算や申告はできないということです。民商ではそのことをストレートに説明し、税理士等に依頼することとは無関係に、会員が自分で計算できる力を身につけられるよう集団指導によって励ましあいながら学習することに力点をおいています。具体的には民商の三浦事務局長による「申し述べ書」に民商の行なっている日常的な税務対策の運動が述べられていますが、申告納税制度の趣旨は、まさに民商運動においてこそ実践されているものと確信しています。

高裁判決の立場は、俗論にとらわれて、申告納税制度の現実的で具体的なあり方を見失っているのではないでしょうか。そうでなければ、私や妻が努力して計算できる力を身につけようと、民商の指導や援助を受けてがんばっているのに、努力せずに税理士等にまかせて安穏としている人のほうが立派であるかのような印象をうける表現をしたり、民商が「反税団体」であるかのような表現をしたりすることはできないと思います。

<3> 中小業者の多くは「税務署に申告するため」という立場から決算をみており、民商会員とて例外ではありませんが、民商でがんばっている会員は、自主計算・自主申告の運動によって鍛えられ、数字で自分の経営を管理する能力を身につけてきています。不況で経営管理のずさんな者から倒産していきますが、民商会員にそういう倒産が極めて少ないという現実はそのことを証明していると思います。ひいてはこのことが地域経済を守っていく原動力になっていると思います。

五、私の青色申告承認を取り消す旨の原処分の理由が事実と異なった記載になっていることについての高裁判決は、私には「こじつけ」としか思えずまったく理解できません。

<1> 昭和六二年一二月二三日に私がすべての帳簿書類等を提示し、原処分庁は三人がかりでこれを自由に手に取って検査したにもかかわらず、原処分では「一部を提示したのみで、その他の帳簿書類については提示しませんでした」と日を特定してまで記載しています。そして、翌年二月四日には、私と面接していないにもかかわらず、私の自宅において「私が」提示しない旨主張し、提示の求めに応じなかったとしています。

判決は、これを「細かい事情はさておき」とか「二月四日に控訴人に面接したようにもとれないではない書き方で、若干正確性を欠くことは否定できないが」などとして、常識では間違いであっても「概要の記載があり」とか「大筋において間違いはなく」などと判断しています。そして、その前提として、所得税法第一五〇条の解釈があるとしていますが、それは税法に明文化されているものではありません。高裁判決の立場は、私に原処分庁の心の中まで理解できないほうがおかしい、と言いたいのでしょうか。

私は異議申立の段階からこれを事実誤認の不当な処分として問題にしていたのですから、仮に高裁判決のいう通りであったなら、原処分庁が自らこの記載ミス(あるいはあいまいな表現)を撤回し、改めて真意を記載したものにすれば良かったではないかと思います。そういう処理ができる立場にありながら、それができなかったのは行政のメンツとしか思えません。そのメンツを高裁が追認しているとしか思えず、高裁判決は行政にすり寄っているのではないかと不信を大きくしています。

<2> 古屋署員は、民商会員に対する調査は「初めて」であり、商工業者に対する調査もあまり経験がなかったことを証言しています。つまり、税法の解釈や適用方法について、また少なくとも民商会員に対する調査方法について熟知していなかったわけです。ですから、私との経験で民商会員に対する調査方法を身につけ、私以後の調査では小松登志子さんのように柔軟な対応に変わったのだと思います。こういう言い方は失礼かもしれませんが、その「未熟さ」ゆえに記載ミスを侵したかもしれませんし、署長にいたる決裁も記載された文面のみを鵜呑みにしてなされたかもしれません。そういう可能性も否定できないのに、判決が極めてあいまいな理由でいとも簡単にこういう判決をだせることが不思議です。

六、私に対する調査方法や青色申告取消処分が、他の人に対するものとは大きく違っているのに、裁判のすべての経過をみても「私だけがなぜ」という根拠はいっこうに見えてきませんし。それどころか、不合理な点や論理ばかりが目につきます。

以下、そのことについて若干述べます。

<1> 昭和六二年一二月二三日に古屋署員が私の帳簿書類等のすべてを書き写すという異常な調査方法をとったことについて、高裁判決は「古屋係官が、その機会を置いては控訴人から帳簿書類の提出を受けられる可能性は少ないと考え、とりあえずこれらを書き写し」たのだから正当だとしています。つまり、帳簿書類等をゆっくり検査する時間が取れないと判断したから書き写すことにしたのは正当、ということですが、これはどう考えても論理が逆です。

時間が充分とれないと判断すれば、すべてを書き写すなどという異常に時間のかかる方法など採用せず、他の調査で行なっているようにポイントをしぼって書き写せばよかったはずです。しかも、「特に売上金額につき詳細な調査をする方針であった」というのですが、私の仕事は商店や大きな事業と異なり、一件の仕事を完成させるのに時間がかかりますので、一ヶ月にできる仕事量はしれており、月の取引は平均で八件程度です。売上を特に調査するのであれば、すべての請求書控をチェックし、反面調査の資料と突き合わせたとしてもこの程度の量です。三人がかりでこの程度のこともチェックできなかった最大の理由は「書き写す」ことにしたためであることは明らかです。こういう調査方法を不合理と言わずに何というのでしょうか。

<2> 少なくとも、民商会員に対する調査では、原処分庁は最終的には本人を税務署へ呼び出すなどして当局の考え方を明確に示し、本人の判断を仰ぐようにしています。おそらく会員以外の者に対する調査でもそういう方法を採用し、修正申告に応ずるか否かを具体的に慫慂しているはずです。ところが、私に対する調査だけはそういう働きかけは一回もありませんでした。昭和六二年一二月二三日についても、古屋署員からそういう働きかけがないので、こちらからそういう場を設けようとの判断で税務署へでかけました。以後も明らかになっているように、そういう場は設定されていません。

こういう調査方法というか対応の仕方は他に例がないはずです。古屋署員も私の調査以後は必ず本人を税務署へ呼び出してきちんと当局の考え方を示しています。なぜ私に対してだけはこういう異常な調査方法が採用されるのでしょうか。まったく理解できません。

<3> 昭和六二年九月一七日に私は初めて古屋署員と面接したわけですが、このとき彼は頑として調査理由を言いませんでした。途中で立会人の伊藤さんが、今までの慣例に従って別室で私にだけ理由を述べるよう水をむけても、まったく応ずる様子もみせませんでした。この問題だけでもこの日に延々と時間を費やしているのですが、いざ裁判になってみますと、いとも簡単に調査理由が示されました。こんなに簡単に明らかにできることを最初の時点で頑として明かさなかったのは何か理由があるはずだと思いますが、この点は裁判でも明らかにされていません。単なる嫌がらせだったのでしょうか。

そして、調査理由は所得が「やや過少ではないかとの疑念」があったからで、「特に売上金額につき詳細な調査をする方針であった」ようですが、そうであれば、昭和六二年一二月二三日以降は、少なくとも昭和五九年分については問題がないことを知っていたわけですから、その旨説明し、当初の「疑念」は緩和されてきているが調査としてはまだ不十分であることをわかるように説明してくれればよかったのにと思います。私はその年分について調査結果がどうであったかのか尋ねたわけですから、そういう常識的な対応がなぜできなかったのか疑問です。しかも、このことが判決によれば調査非協力の根拠の一つにされているようです。どうにも納得できません。

<4> 一二月二三日に私がコピーを断ったことを、判決では「これを拒否した」と、あたかも調査非協力であるかのような表現にしていますが、コピーをとらせる義務が私にあったのでしょうか。当時、民商会員の調査ではコピーをとりたい旨税務署側から申し出ることは一切なかったと聞いています。古屋署員もコピーを断ったからといって不機嫌な様子もみせず当然のことのように受け止めているようでした。ところが、裁判になるとこのやり取りが調査非協力の意味合いを帯びてくるのですから不思議です。

税務署は、納税者が申告書控を紛失等した場合、「提出した申告書のコピーをほしい」旨お願いしても絶対にコピーをさせません。税務署員から求められたら納税者にはコピーさせる義務があり、納税者がコピーを求めたら税務署がそれを拒否することが当然なのでしょうか。こういう不公平というか特権意識的な感覚は絶対に承服できません。

また、所得税法では、署員は求めがあったときは身分証明書等を提示することが義務づけられていますが、納税者がその際にコピーをとりたい旨申し出れば税務署は無条件でそれに応じてくれるのでしょうか。コピーを断わられたら「不当な調査だ」などと決めつけてもいいんでしょうか。

<6> 私は一二月二三日に自主的に税務署へでかけるにあたり、年末で時間が取れないので前夜はほぼ徹夜で仕事をして時間をつくりました。古屋署員の求めに応じて一時間早くでかけることにも応じました。さらに、立会の要求を一切取り下げ、説明されていない調査理由も一切聞かないことにしました。いわば私の主張をすべて保留して調査に協力することにしたのです。

ところが、古屋さんは「コピーをとらせろ」「書き写させてもらう」などと、私がいままで聞いたこともないようなことを次々に求め、私の不安を次々とかきたててきました。私としてはすべてを譲歩して調査に協力したつもりが、かえって悪い結果を招いたとしか思えません。私にはこれがどう考えても不合理です。

<7> 私が知る範囲では、あらゆる面で古屋さんの調査方法が異常であったとしか思えませんが、そのことを明確にするためには、当時の担当統括官であった春日大森氏を証人として調べることが必要不可欠であるように思います。昭和六二年の一〇月頃までは国税局に相談しながら調査を進めたとしているのに、私が調査に協力した一二月二三日以降は相談していないようですが、何とも不自然で理解し難い話です。現場の調査官を指揮する統括官の果たす役割は絶大なはずです。公正な審理をするためにも、疑問の余地のないようにするためにも、春日大森氏の証人調べをするようお願いします。

七、税務調査におけるトラブルは年々増加しています。法解釈や法的な議論について、私はよくわかりませんが、細かいことを議論している間に、税務署は今までの慣行を次々と破り、すべて立会を理由に民商会員に対する更正処分を乱発するように変わっています。私のように税務署にでかけ、一人だけで帳簿書類等を提示してもまともに検査しようともしない例が増えています。裁判所が立会問題について、たとえ一定の限界があったとしても人権擁護の姿勢を明確にすることによる効果は絶大なものになるはずです。そのことによって、ほとんどのトラブルがなくなり、行政コストも良くなるはずです。どうか国民・納税者の立場にたった踏み込んだ審理をお願いします。

上伊那民商の会員で、この三年間だけでも実質五人が異議決定で一部取消になっています。本来、更正処分は間違っていてはならないものだと思いますから、こういう事態は異常だと言わねばなりません。行政手続法は不利益処分に対する厳格性を求めていますが、今の税務行政はそれに逆行するものとしか思えません。国民主権に基づく申告納税制度の趣旨が明確にされ、国民主権を尊重するようにならない限り、本来の納税環境の整備や納税に対する国民の自覚の高揚は期待できなくなってしまうと思います。

繰り返すようで恐縮ですが、人間や人権を重視した本来の申告納税制度が名実とも充実したものになるよう、最高裁判所の突っ込んだ本質的な審理をお願いいたします。

以上

(添付資料省略)

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