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最高裁判所第三小法廷 昭和46年(あ)1878号 決定 1972年4月21日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人小林茂美の上告趣意第一点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(第一審判決判示第一の事実につき、被告人の過失と被害者の致死の結果との間に因果関係を認めた原判決の判断は、その認定の事実関係のもとにおいては、正当である。)。また、記録を調べても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項但書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。((関根小郷 田中二郎 下村三郎 天野武一 坂本吉勝)

<参考・原判決の理由>

弁護人岩崎明弘が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人ならびに被告人提出の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

弁護人の控訴趣意第一点(事実誤認)について。

所論は要するに、原判示第一の事実につき、被告人の過失と被害者松浦クマの死亡との間には因果関係はないのに、因果関係ありとして業務上過失致死罪を認定した原判決には事実誤認の違法がある、というのである。

よつて記録および原審で取調べた証拠を検討して考察するに、原判示第一の事実は所論の点も含めて原判決挙示の証拠により優に認めることができ、当審における事実取調べの結果に徴するも右認定を左右するに足りない。すなわち、

(1) 原判決挙示の証拠によると、被告人は深夜普通乗用自動車を運転して原判示道路を時速約四〇キロメートルで進行中、対向車の前照灯に眩惑されたにもかかわらず減速、徐行の措置をとらなかつた過失により、道路を横断歩行中の松浦クマの発見がおくれ、自車右前部を同女に衝突させ対向車線上に跳ねとばして両下腿骨骨折等の傷害を負わせたこと、被告人が右事故を起こしたのにそのままその場を立ち去つたため、対向車線上に転倒横臥していた被害者はその後間もなく対向車線上を反対方向から進行してきた渡辺国明運転の普通自動車に轢過され、外傷性心臓(右心房)破裂により死亡したことが明らかであり、所論も以上の点は争わぬところである。

(2) 右のように被害者の死亡した直接の原因は被告人運転の自動車の衝突によるものではなく、渡辺国明運転の自動車の轢過によつて生じたものであることは所論指摘のとおりであるけれども、被告人の司法警察員(二通)および検察官に対する各供述調書ならびに司法警察員作成の実況見分調書三通(うち一通は謄本)によると、本件道路は商店街にあつて直線道路で見通しはよいのであるが、深夜であつたため照明は薄暗くなつており昼間程には自動車の交通は頻繁ではないが、なお、かなりの交通量があつたと認められるから、自己の過失ある行為によつて路上に転倒した被害者をそのまま放置するにおいては、被告人が逃走したあとで現場付近を通行する自動車によつて轢過される虞れの強いことは容易に予測されるところであるから、被告人の前記過失ある行為と被害者の死亡との間には因果関係があるというべきである。もつとも、第一次の事故後に現場付近を通過した前記渡辺国明も路上の障害物の早期発見につとめ、被害者を轢過することのないように注意すべき義務のあつたことはいうまでもないが、前記認定のような現場の情況および路上に人が横臥していることは稀な事例であることに照らすと、被害者が轢過される危険性の大きいこと、したがつて、前記因果関係を否定することはできない。原判決が右と同旨に出て業務上過失致死罪を認定したのは相当であつて、所論のような事実誤認の違法はなく、論旨は理由がない。

弁護人小林茂実の上告趣意

原判決は判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認をなし、量刑も甚だしく不当であつて破棄されなければ著るしく正義に反するものである。

第一点 事実誤認について。

(一) 原判決は、判示第一の事実につき業務上過失致死と認定するが、被告人の過失と被害者松浦クマの死亡との間には、刑法上の因果関係はなく、従つて、業務上過失致死と認定したのは事実を誤認したものである。

本件は原判決も判示するとおり、被告人運転の普通乗用車の右前部と、被害者の両下腿部分とが衝突し、よつて、同女に両下腿骨骨折の傷害を負わせたこと、同女の死因が外傷性心臓(右心房)破裂によるものであること、並びに同女の死因たる致死傷は被告人車の衝突によるものではなく、渡辺国明運転の普通乗用車から同人の過失により、心臓部分を轢過されたため生じたものである。

(二) 然しながら、右被告人の行為と被害者の死との間には、刑法上、因果関係はないのである。

業務上過失致死罪において、被告人の行為と被害者の死との間に因果関係ありと云う為には、行為と死の結果との間に、一般的見解において、定型的な普通可能とされる関係、即ち、相当因果関係がなくてはならない。

例えば、甲が乙に怪我させた。丙が自動車で乙を病院に運搬する途中で顛覆して乙が死んだ。この場合にも甲の行為によつて乙が死んだことになる。

又、甲が汽車に乗ろうとして急いでいる乙の足を踏んで怪我をさせた為に、乙は一汽車遅れて出発したが乙の乗つた汽車は脱線顛覆して乙は事故で死亡した。

以上の二例においても甲は乙の死に対して原因力を与えたことになる。

しかし、かかる場合に刑法上因果関係ありとは云わないのである。(木村亀二著、刑法読本一、八八頁)。

(三) 本件における死は、正に右二例の如き偶然の事実により発生したもので、被告人の過失により被害者を負傷させた行為自体から定型的に発生可能と考えられるものでもなく、又、故意に被害者を放置した行為自体から定型的に発生可能と考えられるものでもないからである。

事故発生現場は繁華街とはいえ、当時深夜で殆んど車の通行もなく、交通は頻繁ではなかつたこと、現場はアスファルトで見通しも良く容易に発見可能であること、且つ、轢過を回避しようと思えば容易に出来る状況であつたことが認められ、社会通念上、被告人の行為と被害者の死との間に相当因果関係ありということは考えられない。

即ち、被害者を死に致らせた渡辺国明の過失行為は違法行為、犯罪行為であり、従つて、偶然的なものであると考えるべきである。

第二点 <略>

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