大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成4年(オ)608号 判決 1996年10月29日

上告人

永福寺

右代表者代表役員

熊谷精海

右訴訟代理人弁護士

塩谷國昭

被上告人

堀合正民

堀合道三

堀合英行

佐々木靖章

主文

被上告人堀合正民、同堀合道三及び同佐々木靖章に対する本件上告を棄却する。

被上告人堀合英行に対する本件上告を却下する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人塩谷國昭の上告理由一について

被上告人堀合道三が本件第一墳墓についての墓地使用権を放棄したとは認められないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。論旨は、帰するところ、原審の専権に属する事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

同二について

原審の適法に確定した事実関係によれば、本件墓地は、明治五年ごろ以降、旧永福寺の管理下にはなく、北田清次郎らが旧岩手郡米内村(現盛岡市)から委託を受けて管理し、宗派を問わず埋葬することが認められていた共同墓地であったところ、被上告人堀合正民、同堀合道三及び同佐々木靖章の各先代は、それぞれその当時の管理者から、本件墓地につき自己の属する宗派の方式によって埋葬し典礼を行うことができることを内容とする墓地使用権の設定を受けたものであるが、昭和一七年に本件墓地の管理者が交代し、真言宗に属する寺院である上告人が、本件墓地を同寺の寺院墓地として管理し、本件墓地における他宗派の方式による典礼の旋行を拒絶するに至っているというのである。

そうすると、上告人は右墓地使用権設定契約上の地位を承継したものというべきであるから、本件墓地が上告人の寺院墓地という性格を有するに至ったとしても、同被上告人らは、従前どおり本件墓地において自己の属する宗派の方式によって典礼を行うことを妨げられないものと解するのが相当である。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見解に立って寺院墓地使用権に関する原審の判断を論難するものであって、採用することができない。

被上告人堀合英行に対する上告について

上告人は、被上告人堀合英行に対する上告理由を記載した書面を提出しないから、同被上告人に対する本件上告は不適法であって却下を免れない。

よって、民訴法四〇一条、三九九条ノ三、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人塩谷國昭の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。以下項を分けて述べる。

一、墓地、埋葬等に関する法律(以下墓地法という)第五条、同第八条に定める「改葬」と同法施行規則第六条に定める「分骨」を混同し、当事者間に争いのない「改葬」許可証による焼骨の移転と墓所の移転について、「分骨」と解釈している。

(一) 改葬、分骨と墓地使用権

1、改葬と墓地使用権

「改葬」については、墓地法第五条、同第八条に定められている。一般に「改葬」とは、例えばA家が従来から使用してきた墓地(旧墓地という)に埋葬されている焼骨を他の墓地(新墓地という)に移転して埋葬することを言い、いわゆるA家の墓所は新墓地に代わることになる。

この「改葬」の手続きについて、墓地法第五条、第八条が定めている。

右の例で、A家が旧墓地から新墓地に「改葬」をした場合、A家の旧墓地についての墓地使用権はどうなるのかについて検討する必要がある。

慣行としては、旧墓地については寺院(もしくは墓地の経営者)に返還してしまうことが大部分であろうが、一部では別の家へ承継させている例もあるようである。しかし、A家が旧墓地を新墓地とともにA家の墓所とすることはない。そのような場合は、後に記す分骨となる。

「改葬」がなされると、墓地使用権者は、他への承継など特別の意思表示(寺院、墓地経営者の承諾が必要なことが多いであろう)をしない限り旧墓地についての使用権を失う、のが慣行である。

法理としては、「改葬」は、焼骨の埋葬場所の移転(その手続きが墓地法に定められている。)と旧墓地の使用権者による墓地使用権の放棄であろう。墓地使用権者は、特別の意思を表示しない限り、慣行に従っているとみなされるから、墓地使用権を放棄したものとみなされる。

2、分骨と墓地使用権

「分骨」については、墓地法施行規則第六条に定めがある。墓地法では「改葬」と「分骨」とを全く別の手続きとして定めている。

右に記したとおり、「分骨」は、旧墓地から新墓地への焼骨の一部の移転であり、右の例では、A家の墓所は新旧の二ケ所の墓地となる。旧墓地の墓地使用権者は旧墓地の墓地使用権を維持したまま新墓地の墓地使用権を持つことになる。

「分骨」の場合は、旧墓地の墓地使用権を失うことがないから、墓地使用権についての理論上の問題は生じない。

(二) 墓地使用権者の意思は「分骨」であるが、手続きとしては「改葬」の手続きをした場合の旧墓地についての墓地使用権の帰趨

本件の問題である。第一審原告堀合道三が、昭和五三年に、同人が墓地使用権を有する永福寺墓地内の墓地(第一審判決においては本件第一墓地と略称した。本上告理由書においても、以下、この略称を踏襲する。)から、静岡県所在の富士霊園内の墓地へ焼骨を移転するのに、墓地法第五条第八条に定める「改葬」の手続きをしたことについては、第一審原告堀合道三と第一審被告との間に争いはない。

しかし、右堀合道三は、その意思は「分骨」であったと主張している。仮に、右堀合道三の意思が、その主張とおり「分骨」であった場合、本件第一墓地についての右堀合道三の墓地使用権はどうなるか、が問題である。

先ず、焼骨については、公法上の問題であり、墓地法所定の改葬手続きを経由した以上は、「改葬」である。この点については意思表示の問題は生じない。

墓地使用権については、意思表示の錯誤の問題が生じる余地がありそうである。しかしながら、旧墓地は「改葬」により焼骨が無い状態(「改葬」の意味はこのようなことである。事実上、焼骨が多少残っていたとしても、宗教上は、旧墓地に埋葬されていないことになる。)となっているから、「分骨」ということは有り得ない。

墓地使用権者の意思は、①焼骨を他の墓地に移転する、②新墓地とともに旧墓地も、墓所として祭りたい、ということである。しかしながら、この①の意思による手続きがなされると、墓地法上では②ということはありえないのである。

右の堀合道三の主観的な「分骨」の意思は、焼骨について「改葬」がなされてしまえば、墓地法上、尊重する余地のない意思と言うほかはない。

事実上の視点からも右の結論は支持されよう。

即ち、寺院墓地は財産権的色彩が少なく宗教的色彩が濃い。それまでの墓地使用権者が祭っていた焼骨が移転して空になった墓所について墓地使用権を認める理由は少ない。第三者への墓地使用権の移転を除けば、その理由は無いと思われる。

近時の墓地使用権は財産権的色彩が濃くなっているようにも見えるが、それらは寺院墓地ではなく、共葬墓地の場合である。

堀合道三の表示した意思は、改葬許可証を持参して埋葬の証明をえたのであるから、本件第一墓地についての墓地使用権の放棄であった。

右堀合道三は、特別に、この墓地使用権について第三者に移転する旨の意思を表示しない限りは、墓地使用権を放棄したものとみなされることになる。右堀合道三が、そのような特別の意思表示をした旨の主張、立証はない。

本件第一墓地については、右堀合道三は、墓地使用権を失ったと解する他はないのである。

(三) 原判決の法令違背

原判決は、第一審判決をそのまま引用している。第一審判決は、右堀合道三が、第一審被告方へ「改葬」許可証の用紙を持参して、埋葬の証明を求めるという「改葬」の手続きを経由したにもかかわらず、同道三の意思が「分骨」であり、かつ第一審被告の意思も「分骨」であったと事実認定をして、結果として「分骨」であったとしている。

墓地法、同法施行規則は、「改葬」と「分骨」とを明確に区別し、それぞれ別の手続きを定めている。原判決は、墓地法、同施行規則の定めに反し、右堀合道三の経由した「改葬」手続きを無視したうえ、同人の主観的な意思だけをもって、「分骨」と「改葬」とを区別している。

「分骨」と「改葬」については、公法上の規制とも密接に関連するので墓地使用権者の主観的な意思だけで、その区別をすることができないことは、右に記したとおりである。

原判決は、「改葬」と「分骨」について区別した手続きを定めた、墓地法第五条、同法施行規則第六条に違反し、墓地使用権についても、その解釈を誤っていると言わざるを得ない。これらの法令違背は判決に影響を及ぼすことが明かである。

二、寺院墓地と墓地使用権についての法令違背

(一) 寺院墓地使用権の内容

1、昭和三〇年代頃から、寺院墓地使用権者が、当該寺院から離壇、改宗した後に、その寺院墓地において、新しく信徒となった宗派の典礼方式によって埋葬蔵をすることができるか、という問題が提起され、広く議論されることとなった。

この問題については、昭和三五年二月一五日の内閣法制局第一部長による厚生省公衆衛生局長に対する回答(乙六三号証に掲載されている。)、昭和三八年六月二一日津地裁判決などにより、大方の見解は一致するようになってきたと言える。

即ち、墓地使用権について、その内容を埋葬蔵と宗教的典礼とに分け、埋葬蔵する権利については、離壇改宗によっても消滅しないが、宗教的典礼については、墓地経営の寺院の行う宗教的儀式、典礼に従わねばならない、との見解である。

竹内康博「寺院墓地使用権の法的性格」(乙第六三号証)は、寺院墓地について、①寺院墓地への埋葬蔵には慣習上自宗派による儀式・典礼が結びついている関係において、寺院の宗教感情が強くまつわりついており、それを無視することはできない、②共葬墓地の供給が多くなっており、その取得も以前と比較すれば容易になっている、③寺院と壇徒を結ぶきずなとして墓地が重要な役割を果たしており、これから派生する供養料、お布施などの収入が寺院経済の大部分担っている場合が多い、ことを理由として、寺院墓地使用権は離壇、改宗によって、直ちに消滅する権利ではないが当該寺院の承認のない限り、埋葬蔵に際し、当該寺院の行う儀式・典礼に従わねばならないという負担付きの権利であると考えられる、としている。この見解は、おそらく現在の通説的な立場にあると思われる。

墓地使用権について、それが物権であるかどうか、などの議論がなされたが、それはいずれも、右の埋葬蔵の権利に着目した議論であり、埋葬蔵の権利については、確かに物権に近い権利であると言える。

しかし、宗教的典礼については、寺院墓地の性格により、使用権者独自の儀式・典礼を行うことはできず、当該寺院の儀式、典礼に従わねばならないのである。

墓地への埋葬蔵と宗教的典礼を一体として扱うと、右の津地裁判例などと矛盾するのである。

2、設定を逆に、寺院が転派した場合に置き換えて検討する。

A宗派のM寺院が、A宗派からB宗派に転派した場合を想定する。

M寺院は、B宗派に転派したことを理由に、A宗派当時の壇信徒に対して、M寺院墓地から改葬することを要求できない。右の壇信徒は墓地使用権を根拠に従前同様に埋葬蔵することができる。

しかし、宗教的典礼については、M寺院の寺院墓地である以上は、M寺院の宗教活動と矛盾することは許されず、M寺院の行う典礼に従わねばならない。

この事例について、右のA宗派当時の壇信徒は、A宗派の典礼を施行することができ、M寺院は、それを拒否できないとする考え方も想定できないではない。原判決はそのような立場である。

この立場は、埋葬蔵と宗教的典礼を一体的にとらえるわけである。この点で右1において検討したことと矛盾することになる。1記載の壇信徒の離壇改宗の場合に、何故埋葬蔵ができるのか説明できない。

そして、この立場では寺院が転派をし、寺院墓地に墓地使用権を有する壇信徒も別の宗派に改宗した場合を解決できない。

(二) 原判決の法令違背

原判決は、「本件のように墓地管理者が交替した場合、墓地使用権者は従前有していた自派の宗教によって埋葬し典礼を行うことができることを内容とする墓地使用権を新たな管理者にも対抗することができ、新たな管理者の施行する典礼に従わなければならない義務はないものと解するのが相当」と判示している。

右(一)において検討したように、原判決は墓地使用権についての独自の見解を示し、それにより上告人敗訴の判決をしている。原判決は、墓地法第五条、第一三条に違背している。その違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

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