大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成3年(あ)1094号 決定 1995年1月10日

本店所在地

東京都新宿区二十騎町二番一二-二〇三号

中央産商有限会社

右代表者代表取締役

種子田益夫

本籍

宮崎県小林市大字細野四二九番地

住居

東京都渋谷区広尾二丁目三番二六号

会社役員

種子田益夫

昭和一二年一月二一日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成三年九月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人関根栄郷外九名の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない(なお、所論にかんがみ記録を調査しても、本件有価証券売却益、受取手数料、受取利息について、いずれも被告人中央産商有限会社の所得であると認定した第一審判決を是認した原判決に事実誤認があるとは認められない。)。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部垣雄 裁判官 大野正男 裁判官 尾崎行信)

最高裁平成三年(あ)第一〇九四号

法人税法違反上告事件

○ 上告理由書

被告人 中央産商有限会社

被告人 種子田益夫

右被告人らに対する法人税法違反被告事件の上告理由は次のとおりである。

平成四年八月六日

右主任弁護士 関根栄郷

右弁護士 勝尾鐐三

右弁護士 石井春水

右弁護士 安田道夫

右弁護士 神宮壽雄

右弁護士 山崎宏征

右弁護士 福島啓充

右弁護士 菊池章

右弁護士 矢作健太郎

右弁護士 横井大三

最高裁判所第三小法廷 御中

目次

第一 原判決には、本件有価証券売却益、受取手数料、受取利息収入の帰属主体の認定にあたって、証拠の取捨選択ないし価値判断を誤った結果、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認、審理不尽の違法があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する・・・・・・六

一 本件株式の売却益の帰属に関する原判決の判断の誤り・・・・・・六

1 喜田株の取得主体及び売却主体について・・・・・・六

(一) 本件譲渡契約書の体裁、内容について・・・・・・八

(二) 九三〇〇万円という売却価格について・・・・・・五〇

(三) 被告会社による喜田株取得の動機、特に伊勢化学の分割と宮崎工場の経営について・・・・・・五八

(四) 本件譲渡契約書作成後の喜田の一連の言動について・・・・・・六八

(五) 喜田株に関する喜田の供述の信用性について・・・・・・八八

(六) 九三〇〇万円の資金の流れ及び帳簿上の処理・・・・・・九三

(七) 本件株式の売却代金の使途について・・・・・・一一四

2 大和久株の取得主体及び売却主体について・・・・・・一一九

二 受取手数料及び受取利息の帰属に関する原判決の判断の誤り・・・・・・一三六

三 被告人の供述の信用性について・・・・・・一四三

四 証拠により認定されるべき事実・・・・・・一七六

第二 仮に喜田幸治・被告会社間に喜田株の「売買」があったとしても、右は単純な売買ではなく、譲渡担保であるにもかかわらず、原判決は、これを単純な売買であるとした点において、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認・審理不尽の違法があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する・・・・・・一九一

第三 原判決の量刑は不当に重く、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する・・・・・・一九九

第一 原判決には、本件有価証券売却益、受取手数料、受取利息収入の帰属主体の認定にあたって、証拠の取捨選択ないし価値判断を誤った結果、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認、審理不尽の違法があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。

一 本件株式の売却益の帰属に関する原判決の判断の誤り

1 喜田株の取得主体及び売却主体について

原判決は、

「所論は、喜田株は、被告人が喜田から預かり、その後同人の承諾を得て旭硝子に売却したものであるから、その売却益が被告会社に帰属するいわれはない。原判決は、被告会社と喜田の間に本件譲渡契約書どおりの売買契約が成立した旨判示し、これを前提として喜田株の取得主体及び売却主体は被告会社である旨認定しているが、被告人が原審公判段階で供述しているように、本件譲渡契約書は、被告人と喜田が、立場の違いによる内心の意図の違いこそあるとはいえ、他の債権者から喜田株を守るという共通の目的の下に、通謀して作成した内容虚偽のものであるから、これをもって前示認定の根拠とすることはできない。このことは、(一)本件譲渡契約書の体裁や内容が杜撰で真実の売買取引のために作成されたものとは到底考えられないこと、(二)九三〇〇万円という金額が喜田株の売買価格としてはあまりに低過ぎること、(三)被告会社には喜田株を取得する動機がないこと、(四)本件譲渡契約書作成後の喜田の一連の言動は、喜田株を売却した者としては、極めて不自然・不合理であること、(五)喜田は、原審公判段階だけでなく、喜田株に関する民事訴訟の法廷や検察官の取調べなどにおいても、喜田株は被告人に預けただけである旨ほぼ一貫した供述をしていること、(六)その他九三〇〇万円の資金の流れや帳簿処理の状況、旭硝子から入金のあった喜田株を含む本件株式の売却代金の使途若しくは享受状況等に照らしても明らかである。」と弁護人が一、二審で主張する要旨をまず摘示したうえ、「しかし所論のとおりの事実関係であるとすれば、喜田株の売却益は、被告会社はおろか被告人にも帰属せず、総て喜田に帰属すべき筋合いであって、被告人においてこれを保有する権限は全くないことになる」(判決書一五丁裏、一六丁表)と論難している。

しかし、この論は、あくまりにも短絡的に過ぎるものである。

すなわち、弁護人は、本件譲渡契約書は、通謀虚偽表示によって作成されたものであって、五五年五月三〇日付の契約書が存在しても、「その時点で」「その記載の売却代金」で真実の売買がなされたものではないと主張しているのであって、「他の時点で」「他の売買代金で」喜田株の売買がなされたことまでも否定しているものではないのである。

弁護人は、るる述べるように、本件譲渡契約書作成時点で、九三〇〇万円で喜田株が売買されたとするには、あまりにも不自然な点が多く、それを否定しているわけである。

事案の全体をみるとき、本件株式の権利移転について、いくつかのパターンが考えられる。

それは、<1>被告人が喜田より預り保管中の本件株式を旭硝子に売却したとするもの。この場合は、他人の物の売却であり、喜田の承諾をえていたか否か、また民法五六〇条の売主の権利取得義務について、いつの時点をもって、被告人が本件株式の権利を取得し、買主たる旭硝子に権利移転をしたのか、その対価はいくらであったか等が問題となる。

また<2>として、ある時点で被告人は、喜田から本件株式を買いうけ、所有権を得たのち、それを旭硝子に売却したとみるものである。その場合、売買の時点はいつか、売買代金はいくらか等が問題となる。

<3>は、担保として預り保管中の株式を返済期限到来により担保権の実行をして所有権を取得し、それを旭硝子に売却したとみるもの、この場合、被告人、喜田間に、いつ、いかなる内容の担保契約があったとみるのか、その被担保債権額はいくらか、清算義務等が問題となる。

<4>は、被告人、喜田間で本件株式の譲渡担保契約が締結されているとみるもの。この場合も契約の内容、被担保債権額、清算義務等が問題となる。

五五年一〇月一八日付で、喜田が被告人宛に提出した一〇億二八四八万四三二七円の借用証や旭硝子の坂部専務と喜田被告人とのやりとり、旭硝子への株式売却後の清算の話し合い等が、被告人、喜田間の法律関係を解明する鍵になるものである。そしてこの法律関係の見方によっては、株式売却益の帰属主体が喜田となる場合も考えられるのであって、原判決が弁護人の主張を論難すること自体、失当である。そして、いずれのパターンの場合も被告会社を株式売却益の帰属主体と考えることには無理があるのである。

このように、被告人、喜田間に、いかなる契約がなされたとみるべきかは、五五年秋から五六年一月までの間の、関係者の行動を些細に検討しなければならないのであり、一、二審ともこの点の審理を尽しておらず、その結果、重大な事実誤認をなしているものである。

次に原判決は、本件譲渡契約書の真正について、論述しているので、その摘示する項目に従って反論する。

(一) 本件譲渡契約書の体裁、内容について

(1) 原判決は、弁護人が、本件譲渡契約書の体裁、内容が極めて杜撰であり、到底、真実に譲渡契約がなされたものとは認められない、と主張することに対して、「本件譲渡契約書が他の債権者を欺くための仮装であるとするならば、一見してその杜撰さを看破されるようなものであっては、およそその目的を達し得ない筈である。これに対し、互いに信頼し合っている仲での相対取引であれば、契約書の多少の不備は契約の成立、履行によって何らの障害にもならないものといえる。してみれば、所論が本件譲渡契約書の体裁、内容の不備について縷々指摘しているのは、本件譲渡契約書が他の債権者に対する仮装を目的としたものではなく、事実の取引を表していることを立証しているに等しいものと評すべきである。」(判決書一六丁裏、一七丁表)と述べ、本件譲渡契約書が仮装のものではないと認定している。

しかし、この一見もっともらしい論法は、説得力を持ちうるものであろうか。本件譲渡契約書が他の債権者を欺くための仮装であれば、その杜撰さを看破されるようなものであっては、その目的を達しえない、との説明も、なるほど、杜撰でなければ、それにこしたことがないのは当然であるが、実際問題として、倒産寸前の混乱状態のなかで、暴力団がらみの債権者からの追求をまぬがれるため、とりあえず資産保全の応急策として、例えば、不動産の賃貸借契約書を作成し、賃借権を主張するとか、仮装の譲渡契約を作成する等ということは、まま行なわれることであり、それが裁判等、法的手続の中で耐え得るような整合性をもった書類として作成されることは、むしろまれなことであって、多くの場合は、杜撰な書類である。しかし強引に自力救済をはかろうとする債権者に対して、とりあえず、その書類を示して対抗するのが実情である。

原審は、このような経済社会の実情を知らず、理屈を述べているにすぎないと云える。

また、原判決が、互いに信頼し合っている仲での相対取引であれば、契約書の多少の不備は契約の成立、履行にとって何らの障害にもならない、と云っている点についても、「契約書の多少の不備」であれば、一応納得できるものであるが、本件の場合多少の不備と云える程度のものだったであろうか。弁護人は、後述するように、契約書に重大な不備があったことは明らかであると思料するのであり、原審がなにゆえ多少の不備と認定したか理解できないところである。

次に原判決が契約書は杜撰でないと認定した根拠として述べていることについて、反論する。

原判決は、

<1>「喜田自身においても、自己の保有する伊勢化学の株式の正確な株数を確かめないまま、総数約八九万株と認識し、これを一括して被告会社に売却する意思で、被告人と協議した上、約定成立に至ったものであり、その代金九三〇〇万円と決めたのは、もっぱら喜田側の必要とする資金の額に合わせたものであって、一株当たりの単価を決めた上でこれに売買株式数を乗じて売買代金額を決定するという方法を取ったものではない。」

<2>「弘中弁護士は、検察官に対する供述調書中で、本件譲渡契約書の作成の経緯について、次のように述べている。すなわち、昭和五五年五月三〇日の一週間位前、被告人から電話で『株の譲渡契約書を作って欲しい。売主は喜田幸治で買主は私がやっている中央産商有限会社です。株は伊勢化学株式会社の株で売買代金は総額九三〇〇万円ですが、株数についてはあとで端数が付くかも知れないので、とりあえず空欄にしておいて欲しい。この契約には先生も立会人になって欲しい。』旨依頼されたので、自ら文案を作成して事務員にタイプを打たせたが、契約日、株式数、目録の内訳については、まだ、被告人から聞いていなかったため空欄とし、契約書の第三条は、伊勢化学の登記簿謄本を確認しておらず、株式譲渡に制限があるかどうか判らなかったことから念のために記載し、第四条は被告人の要望で記載しておいたものであり、同月二九日か三〇日にこの契約書を被告会社の事務所に持参し、喜田と被告人に内容を確認して貰った上、調印の際に、日付と株数を手書きで記載した、というのである。右供述は十分措信できるものと認められ、右供述によれば、所論指摘の諸点のうち<1>ないし<3>の別紙株式目録に関する部分を除けば、何ら「杜撰」と避難されるようなものではない。」(判決書一七丁裏、一八丁表)と云っている。

まず、<1>の記述中、喜田自身、自己の保有する伊勢化学の株式の正確な株数を確かめないまま、総数約八九万株と認識していたこと、代金を九三〇〇万円と決めたのは、もっぱら喜田側の必要とする資金の額に合わせたものであって、一株当りの単価を決めたうえで、これに売買株式数を乗じて売買代金額を決定するという方法を取ったものではないことは、その通りである。

しかし、「これを一括して被告会社に売却する意思で、被告人と協議した上、約定成立に至ったものであり」との記述は、まさにそこが争点となっており、根拠らしき根拠としては、つきつめれば本件譲渡契約書の存在と、捜査段階における被告人の供述しかなく、それが、不自然極まりなく、真実、譲渡がなされたとは認めえないことは、弁護人がるる主張する通りである。

原判決が認定したように、喜田が株の譲渡に当り、正確な株数を確かめないまま、総数約八九万株と認識した程度で、売却するであろうか。また被告人が買取るであろうか。売買代金をもっぱら喜田側の必要とする資金の額に合わせただけのものであるとすることが、不自然ではないであろうか。いったい弁護人の主張する真実とを対比し、どちらが自然であり首肯しえるものであろうか。後述するように真実の譲渡契約がなされたとするには、あまりにも常識にはずれたものであろう。

次に<2>の記述中、弘中弁護士の供述部分について、原判決は、十分措信できるものと認められると述べているが、弁護人としても、弘中弁護士の供述を措信できないものと云っているのではなく、その当時における弘中弁護士の作業を説明するものとして、まさに十分措信しうるものと考えているのである。但し、弘中弁護士も認めるように、弘中弁護士は、当時、喜田株売買に至る経過、そのネゴシエイションについて全く関与しておらず、当事者間の真意を理解する立場にはなかったのである。従って、この譲渡契約者の作成の真正についての判断に当っては、弘中弁護士の供述が措信しうるかどうかは関係ないことである。

また原判決は、譲渡契約書について、「所論指摘の諸点のうち<1>ないし<3>の別紙株式目録に関する部分を除けば、何ら杜撰と非難されるようなものではないと述べている。この<1>ないし<3>とは、具体的には、「<1>契約書作成の時点では、売買の目的物を特定する別紙株式目録が白紙で、後日補充されており、また、契約書の作成日付及び本文第一条中の日付・株式総数が空欄で、後日鉛筆で補充されていること、<2>株式総数が手書きであるのに、売買代金はタイプ印書されている上、本文第一条中の株式総数と別紙株式目録の株式総数とが一致していないこと、<3>別紙株式目録の記載は杜撰であり、喜田の保有に属しない株式まで含まれていること」と指摘している部分である。そうすると原判決もこの部分が杜撰であることは認めていることになるが、およそ株式の売買契約書で、売買の対象物たる株の特定が杜撰であり、しかも小額の株ではない極めて多額の取引に当って、原判決のように、信頼していた関係等というあいまいな事情で売買対象物の特定があいまいなまま取引をするであろうか。

原判決は、この点について、

「確かに、別紙株式目録には、本件譲渡契約書本文と整合しない点などがあるといわざるを得ないが、右目録は、被告会社の関係者が喜田から交付された株券の明細書に基づいて後日補充したものであることが窺われるところ、喜田の関係供述等によれば、(a)喜田が自己の保有する伊勢化学の株数について、正確には八九万〇四〇〇株であるのに丁度八九万株と思い違いをしたり、(b)同人が喜田株を被告会社に引き渡す際、別に保管していた知人の未亡人柘植竹子名義の伊勢化学株二万株まで間違えて一緒に引き渡してしまったり(この点は、その後被告人が間違いに気付き、喜田を介し柘植竹子に対し改めて一〇〇〇万円の代金を支払ってこれを取得したというのであり、同人所有の右二万株が喜田保有株の一部として売買の対象となったものではない。)、(c)その他、計算違いや転記の際の誤りなどから、所論指摘のような本件譲渡契約書の本文との不整合等が生じたものに過ぎないと認められる。したがって、かかる不整合等の存在は、何ら喜田株売買の事実を否定するものとはいい得ず」(判決書一八丁)と述べている。

しかし売買の対象物である株式の目録を後日補充するとか、喜田が自己の保有する伊勢化学の株数について思い違いをするとか、知人の株二万株を間違えて一緒に引き渡してしまうとか(この株について、いつ引渡してしまったものか審理不尽で不明となっている)、その他計算違いや転記の際の誤りがあることが、原判決がいうように「所論指摘のような本件譲渡契約書の本文との不整合性等が生じたに過ぎないと認められる」として片づけることができる問題であろうか。客観的にみて到底首肯しえないところである。次に述べる本件譲渡契約書作成の経過をふまえて考えれば、弁護人が主張するように本件譲渡契約書は、債権者対策のために通謀虚偽表示によって作成されたものであることが明らかに認められるところであり、それを前提として事案を検討すれば、契約書の杜撰であることの事情も万人が納得するところとなるのである。

(2) 株式譲渡契約書を作成した喜田幸治側の理由

喜田幸治が、架空の株式譲渡契約書を作成するについては、当時の喜田幸治及び伊勢開発をとりまく状況の中で、その必要性と必然性があったものである。

すなわち、伊勢開発は、親会社である伊勢化学の人員整理の受皿会社として設立され、土木工事の受注、廃水処理の機械を販売することなどを営業目的としていた。設立当初、伊勢化学は郡山化成株式会社に売却したプラントの据付工事を請負ったが、赤字となり、その後、山梨県上野原の山林から砂利を採取して販売しようと計画したが失敗、その他、足利寺自然公園墓地造成工事を受注するため業者に多額の紹介料を支払ったり、共輪寺納骨堂設立計画を進めるに当たり、立替金、謝礼や手形貸付などで多額の出資をしたりして、出資ばかりを重ねていった。

このように土木関係の仕事は話しとしてはあるが、まとまらなかったり、出費ばかりを重ねて、会社経営を悪化させるばかりのものであったため、喜田幸治は、会社運営上の経費を生み出すため商品売買を行うこととし、第二営業部を開設し、「くらしのポール」というアルミ製の室内装飾品を販売することにしたものである。

しかし、この「くらしのポール」についても、販売総代理店となるための保証金、仕入代金、前払金などで、一億円以上をつぎこんだが、その商品は、ほとんど売れずに、更に赤字を増大させていった。

そして資金繰りのため、融通手形の交換、手形借入れ、更には鰻などの商品を手形で仕入れてバッタで売るなどして、会社経営はいわゆる火の車の状態で自転車操業をしていたのである。

すなわち資産として決算書に計上されている受取手形、売掛金、仮払金、前払金のほとんどが回収不能や架空のもので実体のないものであり、伊勢開発は設立当初から営業による収入は殆どといってよい程無く、ただ出費を続けて赤字を増大させていたのである(弁一三六、破産管財人報告書など)。

被告人が伊勢開発に融資をした最初は、昭和五五年一月で、それは全く別のルートで手形割引をしたものであるが、同年二月からは、喜田幸治からの依頼で融資をはじめ、その金額は当初三、〇〇〇万円であるが、この時期には既に伊勢開発はいつ倒産しても不思議ではない状態であった。しかし、喜田幸治はそれを隠して、優良企業である伊勢化学の社長であることを背景にして被告人に近づき、被告人から次々と金を引き出していったのである。そして後記のごとく同年五月下旬に被告人は、右伊勢開発の経営の実態を知ったわけであるが、その伊勢開発及び喜田幸治の実情を有賀延興が伊勢化学の株を預かる際の事情として第一審公判廷で次のように証言している。

「喜田さんがお待ちだった全株だとおっしゃった株式を一時私預かっておりました。それは当時喜田さんが非常にいつ何が起きるか分からんと、暴力団に追っかけられて家にもいられないというようなお話だったので、危険だから私がお預かりしましょうと、私の自宅に大きな金庫がございますので、その中に入れてお預かりしていました。」

この有賀証言にある伊勢化学の株を預かった時期については具体的に証言がないが、この株は、江戸英雄から昭和五五年五月六日に喜田幸治が返還を受けた四九万株のことではなく、武蔵野信金江古田支店に質権設定された四〇万株のことと認定できるものである。

ところで資料三九の貸付稟議書によれば、伊勢開発が武蔵野信金江古田支店に二億五千万円の借入申込をしたのが昭和五五年五月七日になっており、さらに同稟議書には「担保拘束方法その他条件」欄に、「別紙有価証券四〇〇千株質権設定」と記載されている。また被告人の第一審公判廷における本人尋問の結果でも、喜田幸治より株券四〇万株を預かったが、その時期は昭和五五年四月に五、〇〇〇万円を貸付けた際で、事実上の担保として預かったものであり、武蔵野信金江古田支店から伊勢開発名義で二億五千万円を借り入れるにあたり同支店に喜田幸治とともに右株券を持参して、銀行員に右株券を見せた旨を供述し、喜田幸治も第一審公判廷では武蔵野信金江古田支店から伊勢開発の名義で二億五千万円を借り入れる際、同支店へ行き、被告人が右株券を銀行員に見せていた旨それに照応する証言をしている。ということはおそくとも昭和五五年五月七日以前に有賀延興は喜田幸治から預かった株を喜田幸治に戻しており、喜田幸治はそれを被告人に渡したものであるから、有賀延興の証言する「喜田が暴力団に追いかけられて家にもいられない」状況というその時期は、昭和五五年四月頃とみれば間違いないと思料される。

また、上原鹿蔵証人は、伊勢開発の負債につき、「当初は三億かそこらと思っていたんですが、それがだんだんと整理していくうちに商品を買ってきてはバッタで売ったりなんかしましたから一六億ぐらいになっております」と証言している(第一審昭和六二年九月一六日付証人尋問調書)。

さらに福元公成が当時記載していたと認められる手帳(昭和六一年一二月一八日付福元の検察官調書添付資料、以下福元手帳という)の昭和五五年五月二一日欄には、「伊勢開発手形乱発、数億円か」との記述があり、大蔵事務官作成の負債整理資金使途調査書では、同年五月二六日に被告人が弘中弁護士に弁護費用として一〇〇万円を支払っていることが明らかである。この事情について被告人は、第一審公判廷で「喜田らの話ではこの当時伊勢開発は三億五~六、〇〇〇万円位あれば会社を維持できるとの話であり、また伊勢開発の手形を同社の社員であった三年前、高柳らにパクられた(詐欺)との話だった。そこでパクられた手形については弘中弁護士に依頼して刑事告訴することにした」旨の供述をしている(第一審昭和六三年八月二四日付本人尋問調書)。

事実、弁護人が弘中弁護士より提供を受けて、第一審公判廷に証拠として提出した弁四〇号証昭和五五年六月付告訴状、弁四一号証昭和五五年六月付告訴状、弁四二号証昭和五五年六月三日付手形パクリ屋等にかかわる手形詐欺事件図面では伊勢開発が高柳節夫、三前栄造、吉川太兵衛、柴田悦二、福井巴らを詐欺事実で水上警察署に告訴していることが認められるのである。

更に福元手帳昭和五五年五月二六日欄には「T氏タケシTeLあり、伊勢開発大詰め」、同年五月二七日欄には「T氏社長TeL伊勢開発不渡り、一九時四五分上京T氏事務所で話し合い、社長T氏弘中二時まで」、同年五月二八日欄には「八時三〇分伊勢開発(T・喜田)話し合い決裂、T事務所へ(喜田と)なだめる。夕方帰県」と各記述がある。この記述は短文ながらその当時の伊勢開発、及び喜田の身辺の極度に緊迫した状況を如実に物語るものといえる。

この時期の伊勢開発の状況につき被告人は、「予定していなかった手形が取立かなんかに回すとか回ったということだった…。自分が伊勢開発の事務所へ行き何げなく三橋の机の引出しを開けたらたくさんの手形の耳が出てきた。これは喜田、三橋らが自分には内緒にしていたものだった。驚いて、宮崎から経理担当者を呼んで整理させたところ、その手形金総額は九億四千万円余の膨大な金額になり、被告人はその実態を知ってびっくりした。」旨を供述している。(弁三八、三九号証 関東銀行、一六銀行手形一覧第一審昭和六三年八月二四日付及び同年九月二八日付本人尋問調書)。

また伊勢開発(新商号エービーシー土木株式会社)の破産申立事件(東京地方裁判所昭和五五(フ)第八六号)における代表取締役上原鹿蔵の審問調書(弁四八号証)によれば、負債総額は一六億一、三三二万二、六一七円であると申し述べている。この金額は正確なものではないとしても、いずれにせよ、そのような多額の負債をかかえ四苦八苦していたのが実情であったことが認められるのである。

すなわち、融資の発行や、手形によって商品を購入していわゆるバッタで処分して当座の資金を得ること、手形割引の名目で資金を得る、支払期日の迫った手形のジャンプ等々、まさに伊勢開発は倒産寸前の末期症状を呈していたのであり、一方債権者には暴力団、右翼、市中金融業者らがおり、彼らは喜田幸治を追いかけ回していた。その債権者らは当然伊勢開発の資産が皆無であることは熟知しているのであって、このような場合債権者らは、喜田幸治ら役員の個人資産や親会社とみられていた伊勢化学をねらって債権回収を計るのが常套手段である。そして喜田幸治の個人資産といえば、まさに本件の伊勢化学の株式しか無かったのであり、同株に債権者のねらいが集中することは、関係者において容易に想像されたところであると言えるのである。

事実、伊勢開発の破産申立後に喜田幸治その他の役員個人や、伊勢化学宛に責任追求がなされ、法的にも民事訴訟が次々と提起されている。

すなわち、

<1> 弁四九号証は伊勢開発株式会社債権者有志一同の作成名義での書面であり、宛先は空欄になっており不明ではあるが、文面からして旭硝子宛のものとも認められるところ、その内容は、伊勢開発は伊勢化学の事務所を使用し、隣接しており、両社の社名も並んでおり、社員も伊勢化学のOBや在籍者もおり、代表取締役も同一である。誰しもが伊勢化学と伊勢開発は完全に一体の会社と認識し、取引する側は伊勢化学が全面的に責任を負うものと判断して信用してしまう。伊勢開発は取込詐欺まがいのことをしたり、幻のゴルフ場で融資を釣ったり、そのあげくに計画倒産をした。喜田社長は刑事上、民事上、社会的制裁には潔く服してもらいたい、などというものである。まさに、伊勢開発倒産当時の同社をとりまく債権者らの見方を如実に示した資料である。

<2> 弁五三号証は、金銭消費貸借抵当権設定契約公正証書であり、債権者中森正彦、債務者喜田幸治で、債務額八〇〇万円のものであるが、これは喜田個人が公正証書に基づく債務名義のある金銭債務を負担していた事実を物語る。

<3> 弁五四ないし五六号証は、東京地方裁判所、昭和五五年(ワ)第七八三一号損害賠償請求事件の訴状等の資料であり、原告株式会社ユニヴァーサルコンサルタント、被告喜田幸治、上原鹿蔵、大和久正己で一、五〇〇万円の損害賠償を求めている事件である。その請求原因は、喜田ら伊勢開発の役員三名につき商法二六六条ノ三による取締役の個人責任を求める内容のものである。

<4> 弁五八号証は、東京地方裁判所、昭和五五年(モ)第七二三一号債権仮差押え申請事件の仮差押決定書であり、第三債務者を伊勢化学工業株式会社として、同社の喜田幸治に対する基本給、扶養手当、賞与、役員報酬、退職金等に対して仮差押えをなしたものであり、弁五九ないし六二号証は、その裏付けとなる喜田幸治個人の連帯保証債務等である。

<5> 弁六四ないし、六九号証は、東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第八一〇五号売買代金請求事件の訴状、準備書面、和解調書等の関係書類であるが、これは原告丸善、被告伊勢化学工業株式会社となっており、その請求原因では、伊勢開発が原告宛に商品代金として振出した約束手形について、その支払いを伊勢化学に求めているものであり、その理由として伊勢開発は、資本構成、役員構成からしても被告会社である伊勢化学に完全に支配された子会社であるうえ、被告伊勢化学の土木、食品業務を担当する一部門として企業活動も完全に支配されている。従って、いわゆる法人格否認の法理により被告伊勢化学に対し売買代金債権を主張しうるものであると述べている。

<6> 弁七〇ないし七二号証は、東京地方裁判所、昭和五五年(ワ)第八〇九〇号損害賠償請求事件の訴状、取下書等の書類である。この事件は原告東京エイアンドアイ株式会社、被告喜田幸治、大和久正己、上原鹿蔵、三橋繁雄、浅沼茂政、高柳節夫とする損害賠償請求事件で、請求原因では、まず、主位的請求として、被告らは伊勢開発の経営状態を知り自己破産申立をせざるを得ない状況にあって、手形を振り出しても決済する見込みがないのに、商品代金支払いのための損害を与えたもので、民法七〇九条、七一九条により損害賠償を請求するというものであり、予備的請求としては、被告らに対して、商法二六六条ノ三により伊勢開発の役員である喜田幸治、大和久正己、上原鹿蔵に対して取締役の個人責任に基づき損害賠償を請求するというものである。

このような状況から明らかなように、その当時喜田幸治は、伊勢開発にからむ問題で民事上、刑事上の責任を追求されている立場にあったものである。その喜田幸治が今後事業家として、且つ、それまでの名士という地位を保って生きていく手段としては優良企業である伊勢化学のオーナー社長としてその地位を保つ以外に方法がないことは明らかである。反面、債権者としては喜田幸治が「命の次に大事なもの」と思い、且つ資産的価値のある伊勢化学株をねらってくることは容易に想像しうるものであった。それがゆえに、有賀延興に株券を預けて守ろうとしていたのである。

従って喜田幸治としては、被告人が債権者対策のため架空の株式譲渡契約書を作成しておこうと言った時、一も二もなくその方法に賛同して同契約書に調印しているものであって、それは、喜田幸治のおかれた環境の中でその善し悪しは別として必要なことであったし、かかる架空譲渡契約書を作成する必然性もあったものである。

(3) 譲渡契約書を作成した被告人側の理由

本件の架空譲渡契約書を作成することについては、被告人にとってもその必要性があったものである。その事情は次のとおりである。すなわち、被告人は前記の如く福元公成の紹介で喜田幸治と知り合い、喜田幸治が宮崎県下で優良企業といわれている伊勢化学の代表取締役であったことから、同人と交際をしておけば、将来何らかの商売上のメリットがあると考えて交際をはじめ、例えば、昭和五五年一月九日東京駅で喜田幸治、福元公成と待ち合わせ、共に夕食をとったあと、銀座のクラブに飲みにいく等しているのである(福元手帳一月九日欄記載)。

その後、被告人の経営する丸益産業は、昭和五五年一月二九日第三者からの依頼で伊勢開発の振出手形一、〇〇〇万円のものについて手形割引をしたが、同年二月に入り、被告人は喜田幸治から直接三、〇〇〇万円の融資の申込を受けた。被告人としては、前記のような伊勢開発の実情をまったく知らないため、よい客がついたとの感覚でその融資申込に応じて二月六日に伊勢開発に対して丸益産業で三、〇〇〇万円を貸付けた。

ところが、その直後である同年二月中旬、再び喜田幸治は被告人に対して五、〇〇〇万円の融資申込をなしてきたが、被告人としては、まだ喜田幸治を疑うことをせず、その融資申込に応じて、同年二月一五日、二、五〇〇万円(但し利息を天引して手取り二、一五九万五、八九一円)、二月某日九〇〇万円、二月二〇日、一、六〇〇万円、合計五、〇〇〇万円を貸付けた(弁二八号証、伊勢開発総務部長三橋繁雄名義、丸益産業宛預り証、第一審昭和六三年八月二四日付本人尋問調書)。

被告人は、当時それ程資金力があるわけではなく既に合計九、〇〇〇万円の融資をしたことで、喜田幸治の要望を充分に受け入れ、これで終わるものと思っていたところ、同年三月中旬、再び喜田幸治より五、〇〇〇万円の借り入れの申込みを受け、内心どうなっているのかと思ったが、喜田幸治の説明では共輪寺納骨堂建設工事や足利寺の墓地造成工事のために資金がいるとのことであった。そこで、被告人は丸益産業と取引のあった武蔵野信金江古田支店に交渉をして、伊勢開発名義で五、〇〇〇万円の手形貸付の申込をなし、丸益産業で裏保証することによって、同年三月一八日、同信金から手形貸付で五、〇〇〇万円の融資を受けさせた(資料三九、貸付稟議書の当金庫との取引状況欄記載、資料四〇、貸付稟議書、資料四二、借入申込書)。

これは、借入申込名義は伊勢開発であるが、実質的には被告人、ないし丸益産業において支払保証をなしているものであって、被告人ないし丸益産業の伊勢開発に対する貸付金と評価されなければならないものであった。

しかし、同年四月に入ると喜田幸治はさらに五、〇〇〇万円の融資申込みをなしてきた。被告人は、この申込みにも応じて同年四月一八日から月末にかけて合計五、〇〇〇万円を貸付た。被告人は、これまでの貸付けについては伊勢開発の振出手形の割引の形で融資しており、喜田幸治あるいは伊勢開発から何らの担保も取っていなかったが、融資額も二億円近いものとなり(武蔵野信金江古田支店よりの手形貸付五、〇〇〇万円を含む)、その債権回収も心配になったことから、喜田幸治から伊勢化学の株式四〇万株を受取って、これを自己が保管することにした。被告人と喜田との間で、その株式についてどのような契約になるかについて明確な合意があったとは認定しえないが、喜田幸治としても、これまでの多額の借入れにつき何等の担保も提供していなかったのであるから、伊勢化学株を被告人に渡すのは実質的に担保となることは認識していたと認められ、また被告人の方も、この伊勢化学株を預かることによって、実質的に担保にしようとしていたのであるから(第一審昭和六三年八月二四日付被告人の本人尋問調書)、当事者の暗黙の合意として伊勢化学株が喜田幸治から被告人に担保として提供されたと認められるものである。但し、担保といっても更に法的にいかなる担保か、すなわち質権設定か譲渡担保か等についてまで当事者間に合意があったとは認められず、要は被告人が預かって保管することによる事実上の債権確保の手段だったものお思われる。

いずれにせよ、この時点で伊勢化学株四〇万株は、被告人の手元に来た。

ところが、この五、〇〇〇万円の融資実行の直後から喜田幸治は再び融資の申込みをしてきた。

ここにいたり被告人は、あまりにも異常であると考え、これまで伊勢化学という優良企業をバックにした心配のない会社と考えてきた伊勢開発及び喜田幸治に対して疑問を抱き、伊勢開発の土木建築部門の担当者である上原鹿蔵をよんで伊勢開発の営業、経営状況を聞いた。しかし、上原鹿蔵は、自分の担当している土木建築部門の営業状況や資金需要を説明したもので、伊勢開発が前記のように多額の手形を発行したり、詐欺まがいな行為をしている商品販売部門の実情を話さないまま、今後三億六、〇〇〇万円位の資金があれば会社は正常に経営されていく旨を被告人に説明し、資金援助を求めた。被告人としては、右の三億六、〇〇〇万円余の資金援助によって伊勢開発が正常に経営されていくのであれば、自己の貸金の回収もできるものと思って、同規模の資金援助をすることを覚悟して、昭和五五年五月七日付で武蔵野信金江古田支店に伊勢開発名義で二億五〇〇〇万円の運転資金の借入申込をなした。

(添付資料三九、貸付稟議書)。

同貸付稟議書の純与信額の欄には、与信額として三億円と記載されている。同借入は、昭和五五年五月二四日に実行されたが、被告人は、この借入枠の中で支店運用をしながら伊勢開発に対し資金援助をするつもりでいた。しかし、その後も被告人に説明していない手形が振込まれる等から被告人が追及したところ、喜田幸治側から商品販売部門で手形を詐取された等の話が出てきて、それにつき弘中弁護士に依頼して刑事告訴手続きをとることにしたことは前記のとおりである。

福元手帳の昭和五五年五月二一日欄の「伊勢開発手形乱発数億円か、T氏、喜田氏、協力体制にあり、グランドパレス泊」の記載はこの頃の状況を指している。

ところが、その後被告人は前述のように、伊勢開発の事務所へ言った際に、何気なく三橋総務部長の机の引出しを開けたところ、多数の発行済手形の耳を発見し、驚いて三橋を追及するとともに、急拠、宮崎から経理担当者を呼び寄せて、この発行済手形の耳を整理させた。それが弁三八、三九号証の手形一覧であり、弁三九号証の最終頁には「五五年五月二九日現在、一六銀行発行分六億三、七九三万九、二二八円、関東銀行手形発行分二億八、九一九万六、七五四円、合計九億二、七一三万五、九八二円」と記載があり、九億二、〇〇〇万円余の発行済手形があったことを表わしている。

被告人は、この金額を聞いて愕然とし、喜田幸治および、紹介者である福元を呼び付けて追及するとともに、専門的立場からの助言を得るため弘中弁護士をも呼んで話し合った。福元手帳の昭和五五年五月二七日欄に「T氏社長TeL(伊勢開発不渡り)十九・四五上京、T氏事務所で話合、社長・T氏・弘中二・〇〇まで」との記載があり夜中の二時まで話し合ったことが認められる。

被告人としては三億円余の資金援助を考えればよいと考えていたところ、実際には一〇億円近い手形が発行されていたことを知ったのであるから、まさに青天のへきれきのような事態であって、これまで被告人を欺してきた喜田幸治、三橋らに腹を立ててこの事態の打開策を強く求め、且つ、弘中弁護士の意見を聞いたのである。弘中弁護士は専門的な立場から、伊勢開発の負債額と資金状況を聞いて、破産申立をせざるを得ないのではないかと助言した。被告人としては、既に暴力団まがいの債権者が喜田幸治を追いかけまわしている状況や、多額の発行手形債務の現実を考え、自らの手に負えるものではなく伊勢開発を破産申立せざるを得ないのではと考える反面、自己の債権の回収を計ることができるかどうか、それをあきらめざるを得ないものか等を思い悩むとともに、何らの対策もなく、ただ被告人に頼む頼むの一点張りの喜田幸治に対し立腹していたものである。

福元手帳昭和五五年五月二八日欄には「八・三〇 伊勢開発(T・喜田)話合い決裂、T事務所へ(喜田氏と)なだめる、夕方帰県」との記載があり、これは被告人と喜田幸治の話し合いが、前夜から引続いてなされ、一旦は決裂したが、喜田幸治、福元公成が被告人の事務所へ行き、被告人をなだめて伊勢開発の整理に協力させるようにしたことを物語っている。

これにつき被告人は第一審公判廷において、話し合いが決裂したあと喜田幸治と福元公成が事務所へ来て、今後の伊勢開発の負債整理と資金援助をしてくれるのであれば、現在江戸英雄に八、〇〇〇万円の担保として渡してある、伊勢化学株四九万株を、江戸英雄に返済する八、〇〇〇万円を追加融資してくれることを条件に被告人に預けること、伊勢化学にからむ利権(後のカラブリアンとの契約等の趣旨)を被告人に提供する等と言って涙ながらに頼んできたので伊勢開発の整理をしてあげる気になった旨を供述している。

この時期の伊勢開発及び喜田幸治の末期的状況の中で、被告人としては、法的な破産手続きに移行させることもやむを得ないと考えるにしても、自己の債権回収の確保を優先したいと考えることも当然であり、その方策を思い悩んでいたと推認されるのである。その中で喜田幸治が、江戸英雄に預けてある伊勢化学株四九万株を、江戸英雄に対する返済金八、〇〇〇万円を融資することを条件としているとはいえ、被告人に預けると言ったことは重要なことであった。

すなわち、伊勢化学株については、昭和五五年五月二四日武蔵野信金江古田支店から二億五、〇〇〇万円を借入れるに当たり、伊勢化学株四〇万株を担保として提供して質権設定がなされている。資料四五の昭和五五年五月二四日付の丸益産業株式会社名義の有価証券担保差入証には「一株三、〇〇〇円、大和証券調査部」と手書きの記載がある。これは武蔵野信金江古田支店において伊勢化学株への質権設定に当たり、大和証券に株の評価額を調査させ、その結論を同信金の担当者が記載しておいたものと思料されるのであり、一株当り三、〇〇〇円とすれば四〇万株で一二億円となるものであった。被告人としては、この評価額を武蔵野信金江古田支店の担当者から知らされてはいないが、同株が二億五、〇〇〇万円の担保として認められたことを認識しているのであり、伊勢化学株が、かなりの価値を有するものとは思っていたものである。従って自己の債権を確保する方法としては、喜田の唯一の資産であるこの伊勢化学株を預かることによって事実上の担保とする必要があり、且つ、他の債権者からの追及をかわし、自己が優先的に弁済を受けうる形にしなければならないと考えることも自然である。

事実、被告人は、第一審公判廷において、「喜田さんはとにかく助けてくれと、不渡り出ないようにしてくれという一心、私も不渡りするわけにいかないし、今まで出ておる金をまずどういうふうにして確保するかということで頭いっぱいですね。伊勢開発が助かるということよりも、まず、今まで出ておる銀行に責任を負っている問題、自分の出ておる金、こういうものは何もないんですから、この中からどう確保するかということの、助けるということを喜田さんに言いながら自分の確保のことを精一杯考えていたと思います。…」と供述している(第一審昭和六三年八月二四日付本人尋問調書)。こうして被告人は、喜田幸治が江戸英雄に対し返済しなければならない八、〇〇〇万円の追加融資を条件に、江戸に預けてある四九万株の伊勢化学株を被告人に預けるという話にのり、その株券を自己の手元に保管することにしたが、自己が保管しているというだけでは債権確保の手段としては不十分であることは明らかである。すなわち、そのままではあくまでも喜田の所有資産であることが明白であって、他の債権者からの差押え等の追及は免れえず、喜田幸治が個人破産の宣告を受ければ、その株は全て破産財団に組み込まれ債権者らへの平等弁済の原資となってしまうものである。

被告人としては、これまで出捐した金、及び今後支出していくであろう整理資金や、整理手続に要する費用等について、それを確保する手段や目途がなければ、喜田幸治の要請に応じて、整理を引受けるわけにはいかないことは当然であるから、まず、伊勢化学株について、他の債権者の追及をまぬがれて、自己が優先的に弁済を受けうる状態を作らねばならず、そこで考えだしたのが、架空の株式譲渡契約書を作っておき、他の債権者が伊勢化学株をねらってきた場合には、売却済であるとしてその追及を免れるという手段であった。またその架空譲渡契約書の成立を第三者に信用させるため、情を知らない弘中弁護士に右契約書の作成を依頼し、且つ、被告人、喜田幸治の契約書調印の際、同弁護士に立会わせ証人的役割をはたさせたものである。

一方、喜田幸治は前記のとおり、被告人に、一〇億円余の負債をかかえ且つ暴力団等も債権回収に入っている伊勢開発及び喜田幸治自身の債務の整理をさせるには資産価値のある伊勢化学株を被告人に預けるという条件を提示しなければ被告人が乗ってこないと考えて、その条件を提示して結局被告人を納得させたのであり、被告人から債権者対策用に架空の譲渡契約書を作成しておこうという提案に対して、この提案は喜田の意図とも合致するものであったため、一も二もなく賛同して、その手続を進めたものである。

この点につき被告人は、第一審公判廷で、「どうしてでも破産にもなるかもしれないという一抹の大きい不安がありますし、もし自分で整理しきれないときに破産になるかもしれない。そのときには、その株そのものをはき出さなくちゃならないので、債権者のほうには私のものだということで、悪いことですけれども、私が自分で出している金の確保もありますので、それを債権者に見せて自分のものだといえるようなものを、弁護士を入れて作っておけば、真実味があるだろうと思って。」と端的に供述している(第一審昭和六三年九月二八日付本人尋問調書)。

すなわち、この時点では被告人及び、喜田幸治の立場の違いによる内心の意図の違いはあるが、いずれにせよ他の債権者から伊勢化学株を守るという点では一致しており、その手段の善し悪しは別として、当事者にとっては、このような架空の譲渡契約書を作成する緊急の必要性があったものである。

(4) 被告人と喜田幸治間の合意内容

右に述べたような経緯の中で、被告人と喜田幸治との間に成立したと認められる合意は、第一に伊勢化学株を「預ける」「預かる」であり、第二に債権者対策のために「架空の譲渡契約書を作成する」ということである。

被告人と喜田幸治の間における伊勢化学株に関する合意は、本件の関係証拠から摘出すると、五つあると思われる。

即ち、第一は、昭和五五年四月、被告人が伊勢開発に五、〇〇〇万円を融資するにあたり、喜田幸治から伊勢化学株四〇万株(正確には有賀株等も含まれており、四〇万株以上と推定できる)を預かる時点における当事者の合意。

第二は、武蔵野信金江古田支店より伊勢開発名義で二億五、〇〇〇万円を借入れるに際し、右四〇万株に、質権設定がなされているが、前記貸付け稟議書、担保差入証でも明らかなとおり、昭和五五年五月七日に借入申込をするに当たり、右株券が同金庫に担保提供されることを前提として提示され、同月二四日には、被告人個人および丸益産業株式会社名義で担保提供がなされているが、この武蔵野信金江古田支店に対する担保提供の合意。

第三には、昭和五五年五月二六日頃から同月二八日頃までの流れの中での合意、即ち、被告人が、伊勢開発において一〇億円近い手形債務を負っていることを発見して立腹し、喜田幸治、三橋らを追求するとともに、伊勢開発への資金援助および負債整理から手を引くか、あるいは継続するか、伊勢開発で破産申立をするか等の深刻な検討がなされ、福元手帳昭和五五年五月二八日欄の「八・三〇伊勢開発(T・喜田)話合い決裂、T事務所へ(喜田氏と)なだめる夕方帰県」と記憶のある喜田幸治と福元が被告人の事務所に行って被告人をなだめて成立した合意。

第四は、本件の株式譲渡契約書の調印時点における合意。

第五は、昭和五五年六月七日、江戸英雄に八、〇〇〇万円を返済することにより伊勢化学四九万株(この数字も正確ではないが)の返還を受け、被告人がその株券を受取り保管した時点における合意である。

まず、第一の四月の合意については、当事被告人は、伊勢開発ないし喜田幸治に対して既に多額の融資をしていたが、喜田幸治から何等の担保提供も受けておらず、さらに融資の申込を受けたので、その担保になるものとして、喜田幸治から伊勢化学株四〇万株を現実に預かったものであり、喜田幸治は、有賀延興に保管させていた喜田一族の株および有賀延興の株を併せて有賀延興に持ってこさせて、被告人に預けたものである。

この株について法的に如何なる担保権が設定されたかは、前記のとおり当事者間に明示の合意がなく判然としないが、少なくとも担保含みで被告人に預けられたものであることは疑問の余地がなく、法的に評価すれば担保含みの寄託といえる。

第二の武蔵野信金江古田支店への担保差入れについては、右第一の寄託の延長として、被告人および喜田幸治間に、既に被告人に預けてある伊勢化学株を武蔵野信金江古田支店宛に二億五、〇〇〇万円の借入のための担保として提供することの合意があったもので、その合意に基づき五月二四日に武蔵野信金江古田支店に被告人および丸益産業株式会社名義で担保として差入れられ、株券も同支店に現実に引渡されて、旭硝子に売却する直前まで同支店に保管されていたものである。即ち、被告人、喜田幸治間のこの合意は、あえて法的に構成すれば、右のような形で被告人に寄託されている伊勢化学株につき担保提供(質権設定契約)するという内容の担保提供を承諾する契約が成立したものと言える。

次に第三の、昭和五五年五月二八日、被告人の事務所において、喜田幸治および福元公成が被告人をなだめる際に、被告人および喜田幸治間で成立した合意は何かであるが、被告人の第一審公判廷における供述、喜田幸治の証言を併せ考えると、喜田幸治はこの時、被告人に対して、江戸英雄に八、〇〇〇万円の担保として預けてある伊勢化学株四九万株を、江戸英雄に対する返済金八、〇〇〇万円を追加融資してくれることを条件に「預ける」と言ったものであり、被告人はこの喜田発言を受けて、伊勢化学株四九万株を「預かる」ことにしたものであると認められる。これによって被告人はなだめられ、伊勢開発の整理に資金援助を含めて協力することになったものである。この合意は、あえて法的に構成すれば、条件付寄託の予約契約(寄託は要物契約であるから)、あるいは、後記の第五の合意と併せて、寄託契約の成立とみるべきものであろう。その寄託の目的物は、伊勢化学株四九万株である。

次に第四の本件株式譲渡契約書調印時の合意であるが、経過を見れば、被告人は、江戸英雄に対する返済金八、〇〇〇万円を追加融資することが条件だったとは言え、四九万株を預かることになったが、自己の債権確保のためには不十分であり、他の債権者からの追及を免れるためには、被告人、喜田幸治間で架空の譲渡契約書を作成しておく必要があると考え、その旨を喜田幸治に電話をして話し、喜田幸治もその趣旨に賛同して、伊勢化学株の、既に武蔵野信金江古田支店に担保差入れしている四〇万株と、将来江戸英雄に八、〇〇〇万円を返済することによって返還されるであろう四九万株の、合計八九万株について譲渡契約書を作成することにして、被告人において、弘中弁護士に依頼して書面を作成させ、当事者双方が調印したものである。その調印日については、同譲渡契約書には、昭和五五年五月三〇日と記載され、且つ、五月三〇日の確定日付があるが、被告人は第一審公判廷において、五月二九日夕刻に調印し、翌日公証人役場で確定日付を受けた旨供述している。調印が夕刻であることは検察官も論告中で認めているところであるが、公証人役場で確定日付をとるには夕刻の調印後では無理であり、被告人の供述するようにその翌日に確定日付をとったと解するのが自然である。とすれば、契約調印日時は、昭和五五年五月二九日夕刻となる。

この五月二九日の調印の時点では、弘中弁護士の昭和六一年一二月一六日付検察官調書、被告人の第一審公判廷における供述、喜田幸治の証言によっても、伊勢化学株の売買について通常なされるべきであろう具体的な話合いは全くなく、ただその書面の記載を確認して、喜田幸治は自署押印し、被告人は被告会社のゴム印と代表者印を押捺し、弘中弁護士も弁護士印を押捺して立会人となっている。

即ち、この場では通常無ければならない、「売りましょう」、「買いましょう」という意思表示は全く無いままに調印して、本件の譲渡契約書を完成させている。

この被告人が喜田幸治に電話をし、債権者対策のため架空の譲渡契約書を作成しようと話して、喜田幸治がこれに賛同し、二九日の夕刻、この書面に調印した行動をどう評価するかであるが、厳密に言えば、結局被告人と喜田幸治とは、債権者対策のため、売主喜田幸治、買主被告会社とする架空の株式譲渡契約書という内容虚偽の書面を作成することについて合意したものであるといえる。

この場合の合意の当事者は、あくまでも喜田幸治と被告人であって、喜田幸治と被告会社ではない。喜田幸治と被告会社との間には、何の意思の合致も存在しないものである。

被告人が、被告会社の代表者の地位をあわせ有しているところから、この譲渡契約書に調印したこと自体をもって、喜田幸治と被告会社との間において売買の意思表示があったものとする見解も、或いはあるかもしれないが、喜田幸治は、被告会社を相手として如何なる意味でも意思表示をしたという気持ちを有しておらず、売買の意思表示は成立していないと言うべきである。

一歩を譲って、喜田幸治と被告会社との間において売買の意思表示が成立したとしても、被告会社の代表者である被告人および喜田幸治の内心の意思は、債権者対策のための架空の売買であって、双方がそれを充分知悉しているものであるから、虚偽表示で無効というべきである。

第五に、昭和五五年六月七日、江戸英雄に八、〇〇〇万円を返済することによって返還を受けた伊勢化学株四九万株を被告人において受領して、以後保管していた行為についての評価ではあるが、これは前記第三の喜田幸治において被告人をなだめる際の合意である条件付寄託の予約契約の履行としてなされた寄託契約の成立とみればよいものと思われ、同時に被告人と喜田幸治との間で八、〇〇〇万円の賃借の成立(この金額は、その後被告人と喜田幸治との間で確認された負債整理資金の確認額一〇億二、八四八万四、三二七円の中に加入されて、被告人の喜田幸治に対する債権となっている、資料五七、昭和五五年一〇月一八日付借用書)があったものである。要は、本件は、昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書の調印により、単純に株の売買があったものと評価すべき事案ではなく、前記のように、伊勢化学株については、その時点、その場面によって各々の理由により別個の当事者の合意があったものであり、それを仔細に検討しなければ実体的真実は顕現されないのである。

弁護人らが強調したいことは、伊勢化学株八九万株という多量で財産的価値も高く、且つ、伊勢化学の設立以降、喜田一族、江戸英雄らと旭硝子との関係が微妙に絡みあって、喜田幸治にとって財産的価値以上の意味合いがあり、喜田幸治のいう「命の次に大事な株」を売り買いするとすれば、当然当事者の間で様々な事項について、言葉に出して協議した上で、「売ります」「買います」という言葉が交わされなければならない筈だということである。

ところが、関係証拠からみて、被告人と喜田幸治との間で出た言葉は「預けます」「預かります」という言葉である。即ち、表示された言葉としては、まさに預託の意思表示のみであるということである。

例えば、昭和六一年一二月一二日付、喜田幸治の検察官調書は、検察官が公訴事実を立証する供述を得たものと位置づけて、証拠申請して採用されたものであるが、同供述調書を仔細に検討すると、本件株式譲渡契約書作成に際して当事者間に表示された「言葉」が如実に顕わされている。

即ち、検察官は、喜田幸治に昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書の作成の経緯を供述させて、一見株を売却したものである旨の供述を得ているようであるが、同検察官調書には、行を変えた上で段落をつけて供述させている部分がある。これは供述調書作成の際、当事者間の具体的表現、言葉のやりとりを供述させて記載する手法として通常使われるものである。従って、当事者間の言葉のやりとりを知るには、その部分を点検しなければならない。以下、項を改めて次に詳述する。

(5) 喜田幸治の検察官に対する供述について

ア 本件有価証券売却益についての帰属に関する喜田幸治の検察官調書における供述を検討すると、昭和六一年一二月一〇日調書(甲一九)第五項においては、

問 種子田が伊勢開発の資金繰りのために昭和五五年一月から倒産の六月までの間に約一億五、〇〇〇万円の金を出してくれたのは、種子田としてはどういう採算を考えていたからなのでしょうか。

答 私は、昭和五五年一月に種子田さんに借入を申込む際、伊勢開発を助けてくれ、伊勢化学工業は年間二〇億円からの経常利益をあげているから、将来必ず返済できるという話をしました。それに、当初は五、〇〇〇万円貸して欲しいという申込みをしただけで、伊勢開発の負債総額を種子田さんに話していませんでしたので、種子田さんとしては、ずるずると段々大きな額を出さなければならなくなり、困ってしまったのだと思います。そこで五月下旬頃には、後に話す様に私が持っていた伊勢化学工業の株を渡してくれと要求される様になったのです。

というのであって、被告会社の名前も売買の話も出ておらず、担保的な意味で種子田から株を渡してくれと要求されたということだけである。

同年一二月一二日付調書(甲二〇)は、喜田幸治が伊勢化学の株式を渡すことに関して唯一の詳しい供述を内容とするものであるので、これを詳細に検討する。

まず、その第一項の供述は次のとおりである。

私は、昭和五五年五月末に私が持っていました伊勢化学工業の株八九〇、四〇〇株を代金九、三〇〇万円で種子田益夫が経営する中央産商有限会社に売り渡しておりますので、そのことについてお話します。

私は昭和五四年五月頃、江戸英雄さんから期限一年の約束で八、〇〇〇万円借入し、私の持っていた伊勢化学工業の株四〇万株を担保に差し入れておりました。昭和五五年五月にはその返済期が来た訳ですが、江戸さんはちょうど自宅を新築中でしたのでお金も必要なことだろうと思い、私はぜひとも江戸さんに八、〇〇〇万円返済したいと思いました。

そこで私は、五月二〇日頃中央産商に種子田を尋ね、

江戸さんに八、〇〇〇万円借りて伊勢化学工業の株四〇万株を担保に差し入れているが、早く返済したいので返済資金を貸してもらえないだろうか。これからも色々と面倒を見ていただくので、私の持っている伊勢化学工業の株八九万株全部を預けます。

と言って、八、〇〇〇万円の借入れ申込みをしたのです。

すると種子田の方では、

大切な株を私に預けてくれるなら面倒をみましょう。伊勢開発の倒産は必至であるから、株の名義は私の方に移しておいた方がいいだろう。

と言うのでした。

私も財産としては、伊勢化学工業の株しかありませんので、これを伊勢開発の債権者に取られたくはありませんでした。

当時は種子田を信頼しておりましたので、種子田の方の名義にしておいた方がいいだろうと思いました。

種子田は、

八、〇〇〇万円で売買したことにしよう。

と言っていました。

私としても、八、〇〇〇万円で種子田に買ってもらっておけば後日私の方で買い戻す機会もあるのではないかと思い、種子田に株を売り渡すことにしたのです。

右供述は、「私は昭和五五年五月末に私が持っていました伊勢化学工業の株八九〇、四〇〇株を代金九、三〇〇万円で種子田益夫が経営する中央産商有限会社に売り渡しておりますので、そのことについてお話します。」で始まり、「私としても八、〇〇〇万円で種子田に買ってもらっておけば後日私の方で買い戻す機会もあるのではないかと思い、種子田に株を売り渡すことにしたのです」で終わっている。この供述で先ず気が付くことは、初めは中央産商に売り渡したことが、終わりでは種子田に売り渡したことになっている点であるが、この点については後に触れることにして、売り渡したことについて供述しているその内容は、「江戸さんに八、〇〇〇万円借りて伊勢化学工業の株四〇万株を担保に差入れているが、早く返済したいので返済資金を貸してもらえないだろうか。これからも色々面倒をみていただくので私の持っている伊勢化学工業の株八九万株全部を預けます」と言って八、〇〇〇万円の借入申込みをしたところ、被告人から「大切な株を私に預けてくれるなら面倒をみましょう。伊勢開発の倒産は必至であるから株の名義は私の方に移しておいた方がいいだろう」「八、〇〇〇万円で売買したことにしよう」と言われ、喜田幸治としては、財産として伊勢化学工業の株しかなく、これを伊勢開発の債権者に取られたくなく、当時被告人を信頼していたので被告人の名義にしておいた方がいいと思ったというのであって、この内容から明らかな如く、喜田幸治と被告人の間では売買に関する合意などは一切なく、そこにあるのは、まず喜田幸治が被告人から江戸への返済資金八、〇〇〇万円を借入れること、今後色々面倒をみてもらうことのために伊勢化学工業の株八九万株全部を預けること、債権者対策として被告人の名義にしておくこと、そのためには八、〇〇〇万円で売買したことにしよう、という当事者の合意のみである。

この内容からすれば、初めの「売り渡しておりますので、そのことについてお話します」は「売り渡したことにしてありますので、そのことについてお話します」であり、終わりの「買ってもらっておけば後日私の方で買い戻す機会もあるのではないかと思い、株を売り渡すことにしたのです」は「買ってもらったことにしておけば後日私の方で受け戻す機会もあるのではないかと思い、株を売り渡したことにしたのです」でなければならない。

次に、第二項には、

その後五月下旬頃、種子田が

伊勢開発の債権者が押しかけて、伊勢化学工業の株を持ち出すといけないから、株券を早く預けてもらった方がいい

という話がありました。

とあり、第三項には、

五月二〇日頃、種子田の方に伊勢化学工業の株を売り渡すことを決めてから五月三〇日までの間に、種子田の方から伊勢開発の手形決済資金として一、三〇〇万円を出してもらいました。

種子田の方から、この一、三〇〇万円についても売買代金に加え様という話がありましたが、私もそれに異存はありませんでしたので売買代金額は九、三〇〇万円と決まったのです。

江戸さんに対する返済資金八、〇〇〇万円はまだ受け取っていませんでしたが、種子田が、

伊勢開発の債権者が来るといけないから早く売買契約書を作ろう

というので、五月三〇日に中央産商の事務所で売買契約書を作りました。(中略)

当時の私の気持ちとしては、種子田さんに株を売り渡したものの、私の方に資金が出来たらばなんとかそれを買い戻したいという気持ちがあったのです。

ですからその様な念書を書く様なことはしなかったと思います。

(中略)

種子田の方からこの株を買い戻すと言っても伊勢開発の負債整理資金を出してもらっていますので、それを返済しなければとてもこの株を返してもらえないと思っていました。

とあり、これらを総合しても、確定的売買を裏付ける当事者の合意は全く存在せず、かえって喜田幸治が、株は預託したものであり、売買契約書は仮装のものであることを主張していた事実を優に認め得るものである。

そして喜田幸治の言う預託は、伊勢開発への資金援助および負債整理資金の担保のためであり、喜田幸治においてこれらの負債を返済しなければ株を受け戻せないと認識していたものである。

次に、調書上の表現自体からしても、帰属が中央産商なのか種子田個人なのかについて、驚くべき不一致がある。

先にも述べたように、昭和六一年一二月一二日付調書(甲二〇)第一項には、冒頭部分では「種子田の経営する中央産商有限会社に売り渡しておりますので、そのことについてお話します」とあるが、終わりの部分では「種子田に株を売り渡すことにしたのです」となっており、

昭和六一年一二月一二日付調書(甲二二)第一項では、

昭和五五年一二月下旬頃、旭硝子の坂部専務から電話があり

種子田が(喜田さんの)株を売りに来ているが知っているか

という問い合わせがあったのです。

私はそれまで種子田から(中央産商に)買ってもらった伊勢化学工業の株を売り出すという話は聞いてませんでしたので

聞いていない

と言ったところ、坂部さんの方では、

株は株券を所持している者の権利だから万一どこかへ持って行かれると混乱するので旭硝子で買っておきたい

と言うのでした。

私は、確かに坂部さんの言う様に種子田が他に持って行ってしまったのではこまるが、旭硝子に買っておいてもらえば後日私が資金を得た時に話し合いにより買い戻せる時もあるのではないかと思い了承したのです。

私は坂部さんからの問い合わせにより初めて(種子田が)私から買った株を処分しようとしていることを知った訳ですが、私はそのことを種子田さんの方に直接確認したりはしませんでした。

となっている。

甲二二で特に注意すべき点は、喜田幸治から株を買った主体が、夫々わざわざ後から挿入されていながら、その主体が異なっていることである。即ち、先には「中央産商に買ってもらった」という部分の「中央産商に」が挿入され、後では「種子田が私から買った株を」という部分の「種子田が」が挿入されているのである。

これら指摘した箇所は、喜田幸治から株を買った主体を記載してある最も重要な部分であり、検察官ないし検察事務官の誤記とかいうことでは到底すまされないものである。のみならず、被告人は被告会社の代表者としての種子田であるかの如く、検察官は冒陳ないし論告で主張されるが如きであるが、右指摘の箇所においては明確に「中央産商」と「種子田」を書き分けているのであるから、検察官の主張は皮肉にも検察官調書によって完全に崩れ去っているといわなければならない。

これらの調書上の表現による以上、取調検察官は結局、喜田幸治から伊勢化学の株式を買った主体が、被告会社であるか被告人個人であるか確定し得なかったものと言わざるを得ないことになる。

イ 以上述べたように、本件有価証券売却益の帰属に関する喜田幸治の検察官調書は、その内容において極めて杜撰極まりないものであるが、アで指摘した喜田幸治の「株は被告人個人に預けたのであり、売買契約書は債権者対策のために作成した仮装のものである」旨の供述部分は、取調検察官にとっては公判維持上根本的な弱点になるところであるにも拘らず、結局はこの点についての喜田幸治の供述を否定し得なかったことを物語るものであって、この供述部分はまさに信憑性があるものであると言わなければならない。

喜田幸治は、本件法人税法違反事件について東京国税局が査察に入る以前に、被告人に対して、伊勢化学の株式を預託したことを前提として、精算請求の民事訴訟を提起しており、その主張は検察官調書の前記供述部分と同一趣旨であり、且つ、第一審公判廷における喜田幸治の証人尋問の前に右民事事件において原告本人としてやはり同一趣旨のことを供述しており、第一審公判廷における供述も含めて、その主張・供述は一貫しているものである。この点からしても、前記供述部分の信憑性は極めて高いものであるというべきである。

この供述部分は、被告人と喜田幸治の間に伊勢化学の株式が売買されたとするには余りに不自然な表現である。否、寧ろ、売買を否定する言葉と言えるものである。真実に伊勢化学の株が売買されたとすれば、右のような表現になりようがなく、「売ります」「買います」「売買条件は…」などという、売買契約成立のための端的な表現がなければならない筈である。

それにも拘らず、売買契約成立のための端的な表現がなく、寧ろ、前記のような表現がなされたというのは、まさに第一審公判廷で喜田幸治および被告人が言ったように、本件株式は喜田から被告人に預託されたものであったと見るのが自然である。

従って、ただ単に売買契約書の存在することをもって、本件株式の売買がなされたものと見ることは、明らかに誤りである。

このような状況をふまえたうえで、本件譲渡契約書の杜撰さをあらためて見れば、なぜ杜撰なまま作成されたかが初めて理解できるのである。

(6) 次に、本件譲渡契約書の杜撰さをあらためて摘示する。

ア 譲渡の目的物であるはずの株式の目録が白紙であった。

株式の譲渡契約において最も重要な事項の一つに、譲渡目的物である株式の特定があるが、本件譲渡契約書には「株式目録」と表題が付された目録用紙が五枚添付されているものの、右譲渡契約書作成当時右目録用紙は白紙であった。

右譲渡契約書には、公証人藤原高志の昭和五五年五月三〇日付確定日付の証印および契印が押捺されているが、最後の二枚の右目録用紙には何らの記載が存しないに拘らず右契印のみ存することが明らかである。右譲渡契約書作成当時右目録用紙に既に目的たる株式の記入がなされていれば、最後の二枚は全く不要であることが明らかなのであるから、右譲渡契約書に添付することなど断じてあり得ないところである。しかし、現実には、これらが添付され、しかも確定日付の契印まで受けているのである。

イ 右譲渡契約書の作成日付および本文第一条中の日付・株式総数が空欄のまま作成されていた。

ウ 株式総数の欄は、手書きであるのに、売買代金額の欄がタイプされていた。

およそ、株式の売買というものは、一株の単価が取り決められてこれに株式数を乗じて売買代金額を算出するという交渉過程を経るものである。従って、株式総数が不分明であれば、売買代金額も必然的に確定しえないことは論をまたない。本件においては、株式総数の欄は、手書きであるから、弘中弁護士の事務所においてタイプされた時点においては、正確な株式総数が把握されていなかったものと考えざるを得ない。被告人もその旨供述している(第一審第一七回公判における供述)。ところが、売買代金額の欄は「9300万円」とタイプされていることが、証拠上明らかである。この事実は、本件譲渡契約書が、株式の単価を全く定めることなく売買代金額が記載されたことを物語っており、真実売買が行われたものとすれば極めて不自然かつ不合理なことである。

右の点から窺われることは、喜田幸治と被告人との間において、売買代金に関するネゴシエイションが全く存在しなかったということである。この点につき、喜田幸治は、第一審公判廷において、証人として、「(この株式譲渡契約書は)五月三〇日、中央産商の社長室で見ました。そのときが初めてです。事前に、契約書の内容は聞いておりませんでした」(喜田幸治の第一審第一四回公判における証人尋問調書)、「種子田さんとの間で、一株いくらにしようという話は、出ていません」(同証人の第一一回公判における証人尋問調書)、「(五月三〇日、中央産商の社長室に行ったとき)そのときに、(被告人から)聞かされた内容を申し上げますと、九、三〇〇万円のうちの八、〇〇〇万円というのは後日江戸さんの株をひきとると、八、〇〇〇万円で・・・・それは確か六日か七日だったと思います。それから一、三〇〇万円は、同日に手形が回ってきて、その手形決済に一、三〇〇万円を使って、それを合わせて九、三〇〇万円ということにしよう、というように聞かされました」旨(前同調書)証言している。右喜田証言は、要するに、本件譲渡契約書調印より前には、書面の記載内容を知らされておらず、従って、代金額も知らされていなかったこと、調印の場で初めて九、三〇〇万円という金額が記載されていることを知ったこと、その際、被告人から右金額とした次第を前記の如く聞かされたこと、一株いくらという単価については勿論代金額についても何らネゴシエイションが存在せず、被告人が一方的に定めたものであることを証言しているのであり、本件譲渡契約書の前記不合理さを充分説明するものとして首肯し得る証言である。

ところで、架空の契約書であるとしても、一株の単価を定めた上総代金額を算出した方が外形上自然な訳であるのに、何故本件の如き結果となってしまったのかという点について検討すると、被告人の供述によれば、「(弘中先生に株式譲渡契約書の作成をお願いしたとき)、金額も分からんものは書けんと、売買契約書で金額のないものは書けんということで、……弘中先生は真実のものと思って作ってくれたんでしょうけれども、私自身は架空なものですから金額は言えない状態でしたけれども、とにかく金額も分からないようなものは作れないと言われたものですから、とっさに八、〇〇〇万円江戸さんに払う金と、月末に一、三〇〇万要ると、それは引受けていましたから、その分を合わせて、とっさに九、三〇〇万円と言ってしまった訳です」「喜田さんとの相談もなく、とっさに弁護士さんに言ってしまった訳です」(第一審第一七回公判における被告人供述)旨供述しているとおり、弘中弁護士とのやりとりの中で、偶然にそのようになってしまった、ということが真相と思料されるのである。

ところで、検察官提出の供述調書等を検討してみても、右代金額の点については、格別特段の合理的事情を看取し得ない。弘中徹の検察官調書(甲四七号証)の中には、本件譲渡契約書の作成状況が記載されているが、同書には、単に右作成の客観的経緯の記載がみられるだけで、前記喜田証言、被告人供述に矛盾する点は認められないのみならず、右特段の事情の存在を窺わせる記載もない。

喜田幸治の検察官調書(甲第二〇号、二九号、三七号証)にも、本件株式はあくまでも預けたもので、契約書は「売買したことにしよう」と言われて作成した旨の記載があるだけで、代金額を交渉した場面の存在を窺わせる記載は全く存しない。

エ 本件株式譲渡契約書は、二通作成されたが、売主とされる喜田と買主とされる被告会社の双方が所持することなしに被告人が二通とも保管していた。

高額の株式の売買が実際に行なわれたものとすれば、売主・買主の双方がこれを所持するのが、我が国経済取引における常識である。ところが、本件にあっては、喜田及び被告人が一致して証言するとおり、喜田は、はじめからこれを受領せず保管していないのである。検察官調書中にも、右契約書の作成通数、保管方法に関する記載が全くみられないが、これは検察官が意図的に調書中において触れなかったものと推認せざるを得ない。喜田が保管していなかったという事実は、本件譲渡契約書が架空であることを如実に物語る。

オ 後日、補充された本件譲渡契約書末尾添付の株式目録の記載は杜撰である。

目録記載の株数を単純に集計すると九一万四〇〇株となり、本文記載の八九万株と不一致である。

目録を更に検討すると、重複して記載されているものがある。即ち、目録一枚目表の千株券の九行目に

いE 〇三九 一枚 一、〇〇〇株

という記載があるが、同二枚目表の千株券の五行目に

いE 〇三四~〇三九 六枚 六、〇〇〇株

という記載があり、「いE〇三九」という記番のもの一枚が重複している。

更に、同目録一枚目裏の一万株券の欄の一乃至二行目の

いF 〇二三 一枚

いF 〇二四 一枚

という記載は、同二枚目一万株券の欄の四行目

いF 〇二三~〇二四 二枚

という記載と重複している。

右重複に係る二万一、〇〇〇株を差引くと、合計株式数は、八八万九、四〇〇株となり、やはり、本文記載の株数と一致しない。

そこで、弁三三号証の伊勢化学の株式名簿と右目録の記載を突合してみると、右株主名簿には、喜田一族が当時所有していた株式中に「いE〇三九」という記番号の株式は全く存在せず、その代わり、千株券

いE 〇四九 一枚

が喜田正子において所有されているのに、右目録に記載されていないという事実がある。

また、右株式目録中に記載されている

へE 〇〇七九 千株券一枚

はE 〇〇二五~〇〇二八 〃 四枚

にE 〇一七二 〃 一枚

ろE 〇六九七~〇六九八 〃 二枚

はE 〇〇二九 〃 一枚

にE 〇一六二 〃 一枚

へE 〇〇六五 〃 一枚

〃 〇〇六七 〃 一枚

〃 〇〇八〇 〃 一枚

いE 〇〇三六~〇〇三八 〃 三枚

にE 〇一六三 〃 一枚

へE 〇〇六六 〃 一枚

にC 〇一七三~〇一七五 百枚券三枚

ほC 〇〇六七~〇〇七二 〃 六枚

〃 〇〇九九~〇〇一〇二 〃 四枚

にC 〇一四二~〇一四五 〃 四枚

〃 〇一七〇~〇一七二 〃 三枚

という記番号の株式合計二万株は、当時、喜田側の人間ではあるが一族ではない柘植竹子が所有していたものであることが、株主名簿の記載から明らかとなっているが、右二万株は、旭硝子側に売却されていない。右二万株は、被告人において、昭和五六年一月ころ、右柘植から買取り、同五六年七月以降、丸益通商株式会社、富山勝治、古里盛雄、多田静夫、中物産、尾崎清光等の名義に順次名義書換をなした。なお、右二万株は、その後の株式配当により増加し、三万四、一五五株となっており、その後喜田幸治との民事訴訟の中で被告人より精算金の一部として喜田幸治に交付されている。

右のとおり、前記株式目録には、柘植の二万株が記載されているが、この二万株は、旭硝子には渡っていないことが明らかである。してみると、旭硝子には、一体何株が渡ったのか、もし九三万三、〇〇〇株が渡ったものとすれば、右二万株の代りに一体誰のどの株が渡ったものであり、その取得経路と原価はいかなることになるのであろうか。前記のとおり一、〇〇〇株不足する分についても同様の疑問が残る。

いずれにしても、ことほど左様に本件株式目録は、杜撰極まりないものであり、到底実際に株式売買を行なおうとする者の作成するような代物とはいえない。

カ 本件株式譲渡契約書末尾添付の株式目録には、明らかに喜田幸治の所有に属さない株式が含まれている。

前記オ記載のとおり、右株式目録には、柘植竹子所有の株式二万株が含まれており、同株式は、喜田幸治が証言する如く、単なる名義上右柘植となっているものではなく、実質上も右柘植のものであって、右喜田には、何らの処分権限もないものであった(喜田幸治の第一審第一二回公判の証人尋問調書)。

右柘植の二万株を別として、いわゆる喜田一族の株式と一口に言われるものも、その全てが実質上喜田幸治が所有するものではない筈である。何故ならば、伊勢化学は、同人が創業したものではなく、同人の父が創業したもので、その後同人及びその兄弟が経営を承継したものであるから、少くとも、右父親から兄弟が相続により承継した株式は、当該兄弟及び更にその一般承継人に帰属する筈である。少くとも、これを買受けようとする者は、右の点に意を用い、実質上の権利者の承諾を受けようとする筈である。

しかし、本件一件記録上、そのような形跡は全くみられない。宮崎工場を分割して事業を経営しようとするため株を取得しようとする者が、かようないい加減な対応をする筈がない。現に被告人は、旭硝子に売却後、その名義人の一人である喜田富美子らには、後日、株式代金を支払って後始末をつけている。

この事実に対して、第一審判決は「被告人が後日右株の名義人に金銭の支払いをしたとしても、それは旭硝子に対する本件株式の譲渡による利益の分配金あるいは喜田から有名義人の意向を聞かされるなどした被告人種子田ひいては被告会社の柘植らに対する贈与的支出であり、当該株式譲り受けの原価とはならない」(第一審判決二二丁表三行ないし八行)と記述しているが、原判決は記述していない。

かりに昭和五五年五月三〇日に真正な株式売買がなされたとすれば、何故に名義人に対して被告人が利益の分配金あるいは贈与的支出をしなければならないのか、その合理的根拠、証言はなにか。第一審判決は、その理由、根拠をまったく摘示しないまま、かかる認定をしているのであり、まったく理解に苦しむものであるし、原審はこの点をどのように判断したのであろうか。重要な判断の遺漏がある。

客観的証拠関係からして到底合理的理由の見いだせないこの利益配分、あるいは贈与的支出説と、弁護人が控訴趣意書、上告理由書において説明する各事項とを比較すれば、いずれが不合理であるかは、歴然とするものであり、弁護人の通謀虚偽表示による譲渡契約であったとの主張が実体的真実に合致するものであることが理解されると信ずる。

キ 株式譲渡契約書は作成されたが、対応する株券の移動はない。

一般に、株式の譲渡は、その旨の合意と株券の引渡によってなされるが、本件にあっては、四〇万株は、事前に全く別異の理由、即ち、援助資金の金策の担保に供されるべく被告人に引渡されており、残りの四九万四〇〇株(実際の株数は前記オ記載の諸点から四九万四〇〇株ではないと思われるが、便宜上このように表示しておく)は、この時点で江戸英雄の下に喜田の借入金の担保として預け入れられていたものである。本件においては、株券の移動と無関係に、単に前記株式譲渡契約書のみが作成されているだけである。検察官主張のように長年の夢を実現する、即ち実業の世界に進出するための株式の取得であるとすれば、株券の移転と符節を合わせて慎重に契約書を作成する筈であろう。

ク 本件株式譲渡契約書には、明らかに無用の条項がある。

伊勢化学の株式については譲渡制限は存しない。にも拘らず、本件株式譲渡契約書第三条には、右制限の存在を前提とした承認条項がある。これは、伊勢化学の分割を計画していたとの検察官の主張を前提とすれば、極めて不自然である。右分割に強い意欲を持ち、そのために株を取得しようとする者が、当該会社の法人登記簿乃至定款すら閲覧しないということは考えられない。これらを閲覧していれば、右制限の有無は、すぐ判明する。従って、前記承認条項の存在は、被告人が、当時、法人登記簿や定款すら点検していなかったことを物語るといわざるを得ない。

しかも、右契約書の末尾の署名押印の承認者の欄を見ると、サインが手書きで代表取締役印さえ押捺されていないのである。

承認権は取締役会にあるので、右第三条が直ちに努力を有することは法律上はないが、当時弘中弁護士によって右のようにタイプされた以上、被告人としては、右承認者の欄も法的に必要なものと信じていたものと考えられる。然るに、右のとおり押印がないままとなっている。右契約書が実際の契約書であれば、同所に押印を求めずにこれを放置することはあり得ないところである。

ケ 本件株式譲渡契約書によれば、買主の要求あり次第株式の名義変更が可能であるものと敢えて明記されているに拘わらず、実際には、全く名義変更がなされていない。

被告人が大和久正己から購入した四万二、六〇〇株については、後記のとおり、同被告人は、昭和五五年のうちに名義書換を了し、同年末の中間配当金を受領しているのに対し、右譲渡契約書の対象たる株式については全く名義変更がなされていないのみならず、右中間配当金も喜田幸治において受領されているのである(被告人の第一審第一八回公判における供述)。仮に、右株式が実際に買取った株式であれば、しかも伊勢化学の宮崎工場の分割を受ける目的で買取ったものであれば、直ちに名義変更を了した上、被告人において、被告会社の名において直ちに旭硝子との間で分割の交渉を開始すべきが当然である。しかし、名義変更も、右のような形での交渉も全くなされていないのである。

(二) 九、三〇〇万円という売買価格について

弁護人は、本件譲渡契約書の九、三〇〇万円という売買価格についても、到底真実の売買価格とは認められない旨を主張しているが、原判決は、「非上場株である喜田株の売買価格は、前示(4)(5)のような経緯で従前からの喜田と被告人との信頼関係及び力関係に基づいて決定されたものであるから、純粋な利潤追求を目的とした取引の場合と比較して九、三〇〇万円という売買価格の妥当性を論ずること自体が相当とは考えられない上、被告人や喜田の検察官に対する供述をみると、被告人は、『喜田が、十六銀行は、伊勢化学株を額面でしか評価してくれない、と言っていたし、伊勢化学の負債の四分の一も引き継がされるので、八九万株で九、三〇〇万円はさほど安くないと思った』旨供述し(昭和六一年一二月六日付供述調書)、一方、喜田は、『金融機関に担保として差し入れても、よくて額面(一株五〇円)にしか評価してもらえなかった』し(同年同月一二日付供述調書、本文一〇枚綴りのもの)、『喜田株を譲り渡しても、いつか買い戻そうという気持ちがあったので、価格については被告人の言うとおりの金額で納得した』旨供述し(同年同月一五日付、本文四枚綴りのもの)、更に、弘中弁護士も、検察官に対し、被告人から喜田株を被告会社が九、三〇〇万円で買うと聞いて、随分高い金額で買って大丈夫かなと思っていた旨供述している状況であって、少なくとも、被告人や喜田は、九、三〇〇万円という金額を必ずしも極めて低いものとは認識していなかったことが認められるから、仮に右価格が客観的にみて低額であったとしても、これをもって売買の事実を否定することはできないところである。」と述べ、さらに「ちなみに、所論指摘の諸点について検討しても、<1>武蔵野信用金庫において採用したという大和証券調査部名義の一株当たり三、〇〇〇円という評価は、その責任者も算定の根拠も曖昧なものであって、その数値に疑問がない訳ではない上、同信用金庫は、伊勢化学の株式四〇万株のほか既に担保となっている伊勢開発の山林等を考慮して、所論の金額(一株当たり六二五円に相当する。)の融資を決定したものであり、<2>大和久株の売買価格については、前示(10)のような経緯から、実質的には大和久の退職金を加算する趣旨で決められたものであり、<3>旭硝子が山一証券に評価させたという一株二、三六六円という数値は、本件譲渡から半年後のものである上、純粋に経済的な観点からなされたものであるから、所論指摘の諸点をもって、喜田株の売買価格が極めて不自然であることの証左とすることはできず、所論は採用できない。」として、弁護人の主張を排除している。

しかし、株式売買代金額とされている九、三〇〇万円という金額は、余りにも低きに失し、この金額で売買の合意が成立することは考えられない。換言すれば、喜田側がこの金額で売却することは全く考えられない。以下詳論する。

(1) 当時における伊勢化学の資産・収益等の状況は極めて良好であり、一株当たりの評価は桁違いである。

伊勢化学工業は、昭和二三年六月ころ法人成りした株式会社でヨードの製造販売を業としてきたが、国内における市場占有率が三五パーセントで、生産額の九〇パーセントを輸出しており、世界的に競争相手が少なく、企業としては安定した部類に属する状況にある。この長期間において赤字を計上したことは、前後二回・短期間のみであり、この赤字も石油ショック等に起因する外的要因によるものであって短期間のうちに対応策を遂げ赤字から脱却しているなど、その企業の体質には強じんなものがあり、今後とも安定成長が望める有望な企業である。そうであるからこそ、旭硝子が途中から資本参加して役員を派遣していたのみならず、本件株式が相当な高額であるにも拘らずこれを取得し、その経営支配権を手中に納めようとしたものである。具体的に、右会社の業況を数字でみてみると、次のとおりである。

総資産 約六九億七、五一一万円

総負債 約五一億七、三七七万円

売上高 約八八億六、一七五万円

経常利益 約一六億〇、六六七万円

税引前当期利益 約一五億四、七八〇万円

(以上昭和五五年度決算、弁第三一号証)

発行済株式総数は、当時四〇〇万株であるから、税引前当期利益の一株当たりの金額は、約三八七円となり、税引後の当期利益六億九、二八〇万二、五二二円の一株当たりの金額は、約一七三円となる。資産をみても、それぞれ広大な工場敷地を有しているから、その含み資産は相当額に上がる筈である。

理論上、配当しようと思えば、一株当たり毎期約一七三円近い高配当が可能な高収益な株式会社である。

(2) 伊勢化学という会社の経営支配権については、前記のとおり旭硝子がこれを手中に納めたがっていたものであり、喜田幸治としては、真実喜田側の八九万四〇〇株を手放す決心をするならば、自ら直接旭硝子に九、三〇〇万円をはるかに超える高額で売却し得た筈である。喜田からこの旨持ちかけられれば、旭硝子は、一も二もなく買取ったことは、事案の経緯に鑑み明らかである。

(3) 検察官の主張によれば、本件株式譲渡は、代金九、三〇〇万円の単純な売買とされているが、被告人側から伊勢開発に対する一連の資金援助・負債整理と完全に切り離して、喜田が九、三〇〇万円で本件株式の単純売却に応ずることなど全くあり得ないことである。

喜田幸治が第一審公判廷において証言するとおり、同人の収入は、伊勢化学から得る役員報酬・賞与と株式配当金のみで、保有資産には、本件株式を除けばさしたるものがなく、自宅も借家であるから(検察官の反対尋問に対する証言)、本件株式を売却すれば、同人は丸裸になると表現しても過言ではない。

一方、伊勢化学は、前記のとおり、毎年十数億円の利益を生み出す会社である。喜田幸治にとって、本件株式は、財産を生み出し得る唯一の源泉であり、命の次に大事なものである。しかも、喜田は、正当な方法ではないが、伊勢化学を運営する過程において、多額の金員を捻出し得る方法を熟知していた。例えば、その一は、昭和五五年七月七日ころ、喜田幸治の指示により出金された二、三〇〇万円がある。これは、伊勢化学が、株式会社にっさくに対し、宮崎工場の架空杭井工事を発注した形式をとって、右工事代金名下に株式会社にっさくに金員を支払った形をとり、この金員を被告人側に渡したものである(甲第三四号喜田幸治の検察官調査)。その二は、昭和五五年六月一日付「一手販売に関する基本契約」である。これは、伊勢化学が販売するヨードを、必要もないのにカラブリアン・ジャパン社を通すことにして取引額の五%を同社に取得させ、その半分を被告人側の丸益産業に支払わせて取引させるというものである(甲第三〇号喜田幸治の検察官調書)。現に丸益産業は、昭和五五年七月二八日から翌年二月三日までの間、前後九回にわたり、合計四一二万円をカラブリアン・ジャパン社から得ている(甲第四三号有賀延興の検察官調書)。その三は、カラブリアン・アメリカからの借入である。これは、喜田幸治の口ききによって、約四億円を借入れることに成功したものであるが、形式上は無担保である。しかし、無担保、かつ、無条件で米企業が四億円もの金員を貸出すことはあり得ないのであり、これは、恐らくヨードの輸出価格を将来同額相当値引するとか、幾らかのマージンを与えるとか何らかの隠れた約束がなされたに違いない。何となれば、その後、返済がないのに、催促等のトラブルが発生した形跡が全くないからである(甲第三〇号喜田幸治の検察官調書、甲第四三号証有賀延興の検察官調書)。なお、ここで重要なことは、喜田において、その口きき一つで四億円もの金員をいとも簡単に金策し得たという点である。その四は、本件受取手数料絡みの鉱区の件である。これは、喜田幸治が、被告人に利益を得させるべく、すでに伊勢化学において出願準備済みの鉱区の一つを同被告人側の名で申請されたものであり、ゆくゆくは、伊勢化学が同所に工場を増設する際高価に買取るか又は借上げる形にして、売買代金又は使用料名下に金員を被告人側に与えようとしたものである(被告人の第一審公判廷における供述)。このような一連の方法は、一種の背任的行為ではあるが、オーナー経営者の場合には蓄財方法等の一つとして世上まま行なわれがちな行為である。喜田は、右に取上げただけでも、昭和五五年の一時期に合計四億二、七一二万円を捻出した訳である。このように、喜田は、協力体制にある江戸英雄らの株式と合わせて伊勢化学の株式の半数を押さえ、その代表取締役社長の地位にあるかぎり、右程度の金員は容易に捻出し得るのである。右は被告人側のための金策であるが、気持一つで自己のために金策することも可能である。旭硝子側が副社長以下に参画していてもこの程度のことができたのであるから、伊勢化学を二つに分割すれば、更に容易になし得る訳である。

持株を失えば、右のような操作は一切なし得ないところとなる。右のような意味においても、命の次に大事なのである。

たったの九、三〇〇万円で、右のような価値ある全株を手放す者がこの世にあるであろうか。喝取もしくは強取されたというならともかく、九、三〇〇万円で任意に売却する者など断じてあり得ない。

九、三〇〇万円で手放してしまえば、援助資金及び債務整理資金に関する十数億円に上ると見込まれる負債だけが残るのであり、喜田は、この負債の泥沼から脱出する糸口さえなくなるのである。事実売却するとすれば、これらのこれまでの負債及びこれから生ずる負債との兼ね合いが必ずや話題にならなければならないのである。代金額の決定にも右の兼ね合いが反映しなければならないのである。

(4) 当時の株価に関する客観的なデータの一つとして指摘すれば、武蔵野信用金庫の下した評価が認められ、これによれば、一株当たり三、〇〇〇円とされている。

昭和五五年五月二四日付丸益産業株式会社名義の有価証券担保差入証(資料四五)の右上部分に、手書きの

というメモ記載があり、これは、担保評価に当たった武蔵野信用金庫が当時大和証券調査部にて鑑定した伊勢化学の株価評価の内容とみられ、これによれば、一株三、〇〇〇円と評価されたのである。それゆえに、二億五、〇〇〇万円の融資が実現したのである。同融資の他の物的担保たる山林は、弁五号証不動産鑑定評価書によるまでもなく、大して資産価値の認められないものであり、同融資が、専ら、本件株券の担保価値に基き実現したことは明らかであるといえる。

原判決は、「大和証券調査部名義の評価は、その責任者も算定の根拠も曖昧なものであって、その数値に疑問がないわけではない」旨述べているが、それであれば、その点につき審理を尽くすべきであり、当時の正当な価格について確定すべきである。

(5) 大和久正己の株式を購入した価格は、一株当たり五〇〇円である。

大和久正己から被告人が伊勢化学の株式を購入した時期は、昭和五五年六月ころと認められ、検察官主張の喜田株の取得時期と概ね同時期であるにも拘らず、大和久からの取得価格は一株五〇〇円である。八九万株を九、三〇〇万円で買ったとすると、一株当たり一〇四円四九銭強ということになるが、この株価の著しいくい違いは、極めて不合理である。

この点についても、原判決は大和久株の売価価格は実質的には大和久の退職金を加算する趣旨で決められたものと断定しているが、それでは大和久の退職金をいくらと算定したのか、その根拠は何か、を示しておらず、はなはだしい審理不尽と云わざるを得ない。

(6) 旭硝子では、山一証券経済研究所に株価の評価を依頼し、昭和五五年一二月四日付の同研究所の評価書を徴しているが、これによれば、伊勢化学の株価は、一株二、三六六円である。

この点についても、原判決は「本件譲渡から半年後のものである上、純粋に経済的な観点からなされたものであるから」といって否定している。しかし、弁護人に云わせれば、「わずか半年後」のことである。わずか半年で、一株につき約二、二六二円の差額がでるということが経済取引の中で理解できることであろうか。常識的にみて、正常な取引とは到底思えないであろう。原判決は純粋に経済的観点からなされた取引ではないから、廉価でもよいと云わんとするのであろうが、すでに述べたように喜田にとって命の次に大事な株式の売買ともなれば、純粋に経済的観点で価格が決められるのが自然であり、そのような観点でなく契約がなされたということは、別の事情があったと考えるべきであり、かえって弁護人の主張を裏付けるものである。

また、原判決が被告人や喜田の検察官に対する供述の中の、「十六銀行は伊勢化学株を額面でしか評価してくれない」とか「金融機関に担保として差し入れても、よくて額面でしか評価してもらえなかった」との部分を引用しているが、これも株を担保にする場合と、売買とではまったくその様子を異にするものであり九、三〇〇万円の価格の正当性の根拠となるものではない。

(7) また、本件譲渡契約書にあげられている八九万株(正確には八九万〇、四〇〇株)の内容を検討すると、大まかにみて江戸英雄に八、〇〇〇万円の担保として預けてある四九万株と武蔵野信金江古田支店に二億五、〇〇〇万円の融資の担保として差入れしてあった四〇万株である。通常担保価値を考えるとき、担保物の時価の六〇パーセントないし七〇パーセントとして評価するのは高い方であって、それ以下の場合が多いであろう。

原判決の認定するように九、三〇〇万円が売却価格であるとすれば、喜田は少くとも八、〇〇〇万円の担保価値があった四九万株と二億五、〇〇〇万円の担保価値(他に山林が担保になっているが、それが大して資産価値が認められないことは前述のとおりである)のあった四〇万株を僅か九、三〇〇万円で手放したということになり、株価に変動があること、武蔵野信金に他に山林が担保に差し入れてあったことを考慮しても、全く常識では考えられないことであり、原判決の認定が著しく経験則に反するものであることは明らかである。

(三) 被告会社による喜田株取得の動機、特に伊勢化学の分割と宮崎工場の経営について

弁護人は、被告会社において喜田株を取得する動機がなく、第一審判決が決定しているような伊勢化学の分割、宮崎工場の経営という話が、本件譲渡契約の真正を裏づけるものではないことをるる主張したが、原判決は、「所論は、宮崎工場分割構想については、被告人の査察・捜査段階の供述以外に、その存在を窺わせるものが皆無であり、被告人の右供述は、査察段階の途中で初めて捏造したものであるから、到底措信できない、と主張する。しかし、弘中弁護士は、検察官に対する供述調書中で、昭和五五年一〇月ころには被告人が『喜田の方から伊勢化学の株式を四分の一手に入れたので伊勢化学の宮崎工場を分割してもらって経営してみたい』と言っているのを聞いたが、その時になって初めて、本件譲渡契約書作成時に第四条に『伊勢化学の事業発展のために協力する』と規定したのはそのような経営参加の意味であったと判った旨明確に供述しているのであって、同弁護士は、喜田株に関する民事訴訟における証人としても、昭和五五年夏ころに被告人から伊勢化学の宮崎工場を経営する話を聞いたが、被告人は張り切っていた旨供述しており、同弁護士が、査察段階で虚構の事実を創作した被告人と意を通じて虚偽の供述をしたものとは到底考えられず、被告人が、昭和五五年夏又は秋の時点で、弘中弁護士に対し、わざわざ嘘をついたものと疑うべきいわれは全くないのであるから、この点に関する同弁護士の供述は極めて信用性が高いものというべきであり、また、右供述に現れているように、本件譲渡契約書に被告人の要望で挿入された第四条の存在は、宮崎工場分割構想の存在を間接的に裏付けるものと認められる。のみならず、被告人は、検察官に対する昭和六一年一二月六日付供述調書や大蔵事務官に対する同年二月二二日付質問てん末書(二〇枚綴りのもの)等の中で、喜田から宮崎工場経営の話を聞いた時には、それが実現すれば、これまでのブローカー的な仕事から転換することができ、実業家として地元宮崎に錦を飾ることができると思った旨、自己の心境を率直に吐露する供述をしており、その後に喜田から説明されたという伊勢化学の経営状況等に関する供述を含め、十分に措信できるものと認められる。したがって、喜田が、本心から宮崎工場分割構想を考えた上で被告人にこれを話したのか、客観的にみて実現の可能性があったのかについては、疑問がない訳ではないけれども、少なくとも、被告人が、喜田からの勧めで宮崎工場分割構想を実現する気持ちになり、これを念頭に置いて行動したものであることは、否定できないところであって、右構想の存在自体を否定し、これを査察段階において被告人がわざわざ創作したものである旨の所論は、到底採用できない。」(判決書二一裏、二二丁)として、すべてを否定している。

しかし、ここでまず、注目しなければならないことは、「時期」の点である。弁護人も伊勢化学の分割案(二分割案か四分割案かは別として)が存在したことは否定するものではなく、むしろ肯定している。しかしその分割案が出てきたのは、五五年夏頃からであった。弘中弁護士の供述も、検察官調書では「五五年一〇月ころ」、民事訴訟の証人尋問では「五五年夏ころ」となっているのである。

弘中弁護士は、本件譲渡契約書の調印に立会っており、しかもその後も継続して、伊勢開発の整理に関与し、被告人や喜田とも多数回にわたって会っている。その弘中弁護士が、五五年夏ないし一〇月ころにはじめて伊勢化学分割案を聞いているのである。ということは、株式譲渡契約書作成の当時には聞いていないということになる。仮に原審がいうように被告人が被告会社において真実宮崎工場等を経営する動機をもって本件株式を購入したとすれば、当然に本件譲渡契約当時、すなわち五五年五月ころ被告人は弘中弁護士を含め回りの者にそのことを話していなければならず、それを弘中弁護士に五五年夏ないし一〇月ころまで秘匿する理由はまったく無い。

すなわち原判決が摘示している弘中弁護士の供述は、むしろ株式の譲渡契約書作成当時、伊勢化学の分割案などという話がなかったことの一つの証左となるである。さらに原判決の認定したような伊勢化学分割案なるものが虚構であることについて次に述べる。

(1) 伊勢化学の分割

伊勢化学の分割と一口にいうが、本件一件記録上現れている分割に関するストーリーには、二とおりのものがある。しかも、両者は、両立し得る関係にはなく、いずれかが真実であり、残りは虚偽である筈のものである。その二とおりの話とは、左の二説である。

A説(伊勢化学の四分の一に相当する宮崎工場を分割する説)

これは、被告人の検察官に対する供述調書の中において供述されているもので、検察官の冒頭陳述もこの考え方に基づいて構成されているのであるが、その内容は、次のようなものである。

即ち、「喜田側で持っている全株式約八九万株余をまとめれば伊勢化学の全株式の約四分の一に相当するから、同株式を持つ者は、伊勢化学から同社の総資産のうち約四分の一に相当する宮崎工場の割譲をうけることを同社に要求することができる。そこで、被告会社において、喜田幸治から、喜田側の右約八九万株の譲渡を受けたうえで、被告会社が伊勢化学から同社宮崎工場側の割譲を受け、これを経営すればよい。被告人は、喜田幸治から本件株式譲渡に際し右の如き申し入れを受け、かねて実業界に打って出ることが同被告人の夢であったことから、これを承知し、自ら宮崎工場を経営する目的の下に、被告会社の名で、右喜田から約八九万株の株式を購入した。」という概要のものである。この説は、右内容を骨子とするもので、被告会社が喜田から本件株式を単純に買いとったものであるとの結論を最も容易に導き易い説である。そして、この説は、被告人の検察官調書等にみられるだけで、他に補強証拠が皆無である。

B説(伊勢化学を折半的に二つに分割する説)

この説は喜田幸治が終始一貫して供述・証言している説で、旭硝子側の坂部武夫、友澤潤二郎らもその検察官調書の中において同旨の分割の話が存した旨供述しているほか、被告人の第一審被告人質問における供述内容とも合致している説であるが、その内容は、次のようなものである。

即ち、「伊勢化学の株主構成の概要は、旭硝子が五〇パーセント、喜田側が二五パーセント、江戸英雄等が二五パーセントである、従って、喜田側の二五パーセントと喜田の後ろ楯である江戸らの二五パーセントを合わせれば約五〇パーセントになる。そこで、喜田側が江戸等の賛成を得た上で、旭硝子と交渉し、伊勢化学を対等額で二つに分割し、その一つを旭硝子で、他の一つを喜田側と江戸等の連合で、それぞれ別会社にして独自に経営して行く、具体的な分割方法としては、宮崎工場、新潟工場及び千葉県内六工場中の一工場を喜田側と江戸等の連合が取得し、千葉県内の残り五工場を旭硝子側が取得する」という内容のものであり、右のようなプランを考え出したのは喜田幸治、考え出した時期は本件株式譲渡契約書の日付より大分後の昭和五五年七月ころ、旭硝子側と右の内容で現実に交渉したのは更に遅い同年秋ころである。

この説においては、喜田幸治が被告人又は同人の会社に対し喜田側の株式を譲渡することは内容的に全く含まれていないし、全く予定されてさえいない。この説の内容を実現しようとした喜田幸治の狙いは、従来から伊勢化学に出向してきている旭硝子側の役員を一掃することによって、自ら会社経営を私物化しその収益をもって被告人側に対する返済資金を捻出することにあった。従って、喜田が株式を手放すことなど全く考えられない訳である。

(2) 右二説は、内容が全く異なる。

右二説は、伊勢化学という会社を分割するという点では共通しているが、分割の内容が異なるだけでなく、分割を求める主体、従って分割された後の工場を経営する主体が全く異なる。A説によれば、分割を求めるのは、被告会社であり、分割される宮崎工場のオーナーは、被告会社である。法技術上の対処として将来新会社が設立されるなどのことがあったとしても、そのオーナーは、やはり被告会社である。はっきりしていることは、喜田幸治は、オーナーの立場に立つことが全く不可能であるということである。即ち、同人が分割後の宮崎工場にかかわることがあり得るとすれば、その関係は雇われ役員又は従業員としてしかあり得ないということである。

B説によれば、分割を求めるのは、喜田側と江戸等の連合体である。分割される三工場のオーナーは、当然右の連合体である。三工場を経営する新会社が別途設立されることになるとすれば、喜田幸治は、新会社の約五〇パーセントの株主となる筈であり、喜田側と江戸等の従前の関係からみて喜田幸治がそのオーナー社長として君臨することが当然予定されている。

なお、形式論理的に組み合わせを考えれば、被告会社が喜田側から約八九万株を譲り受けたうえ江戸等と連合を組み、旭硝子との間で対等に伊勢化学を二つに分割するという説が成立する余地も論理的には存するが、本件記録上そのような説が存したとの証拠は全くないので、論議の対象としない。

(3) 右二説の内いづれが真実であるかは、株式の譲渡が存したか否かという点と密接な関係がある。

A説が本件譲渡契約書の作成当時実際に存した話であるとすれば、喜田が被告会社に本件約八九万株を譲渡したことになるはずである。また、喜田は、伊勢化学の株主ではなくなるはずである。株主でなくなれば、その時点から喜田は、伊勢化学(又は分割後の宮崎工場)のオーナーではなくなるのであるから、これを私物化する余地はなくなる。株式の譲渡を受けた時点から伊勢化学(右同)は、被告会社の持物になるのであるから、被告人としても喜田幸治としても、伊勢化学(右同)が上げる収益は、被告人側のものであって、喜田幸治がこれを自由になしうると考える余地はないことになるからである。従って、株式の譲渡後、喜田が、伊勢化学の収益をもって被告人側に対する債務の返済をなすなどということは、あり得ないことになる。

一方、B説によれば、当然のことながら、喜田幸治は、伊勢化学の株式を被告会社に対しては勿論誰に対しても譲渡していないことになる。喜田幸治は、オーナーの地位を維持することになる。従って、分割後の会社を私物化する余地が生まれる。従前からの江戸等と喜田との関係からみれば、喜田は、江戸等の了解を得たうえでのこととなろうが、分割後の会社の収益をもって、自己又は伊勢開発の被告人種子田側に対する債務の返済をなすことが事実上可能となる。

以上のように、A説かB説かという論点は、株式の譲渡の存否に直結し、かつ、分割後のオーナーが誰になるかに直結しており、従って、将来その収益をもって被告人側への返済をなし得るか否かについての結論を左右するのである。

(4) 宮崎工場分割説(前記A説)は、虚構である。

宮崎工場分割説(前記A説)は、被告人が供述していたところである(質問てん末書の途中から検察官調書まで)。他に、同説を供述・証言するものはいない。書証・物証もない。

被告人は、本件株式譲渡を受けるに際し、喜田幸治から、宮崎工場の分割の話を受けて、自ら同工場を経営することを決心し、そのために本件株式を被告会社において購入したこと、その後旭硝子と宮崎工場の分割について交渉を重ねたことを自白しているわけであるが、右喜田は、本件株式譲渡の時点で分割の話をしたこと自体を否定し、その後出たことのある分割の話の内容についても右を否定し、前記B説を一貫して主張しているのである。しかし、喜田の右のような主張については、原審は、同人が本件株式に絡んで民事訴訟を提起しこれが係属中であったから、強いて虚偽を主張しているとみている。

しかし、分割交渉の相手方である旭硝子の坂部武夫や友澤潤次郎らが、現実に交渉した分割問題の内容が前記B説であった旨断言していることについては(同人らの各検察官調書)、どのように考えるのであろうか。右の坂部や友澤らは、この点につき、強いて虚偽を述べる理由も必要性もなければその可能性もない。従って、旭硝子側との交渉の中で論ぜられた分割問題というのは、前記B説のいう分割論であったことは、これを認定せざるを得ないと思料する。原判決は、坂部や友澤の各検察官調書の右供述部分について、些細な点(分割案の工場の数)をとらえて、喜田の供述と符合しないので「そのまま措信できない」と一蹴しているが、二分割構想であったことは否定しえない事実であり、これは証拠の取捨選択を誤っている。旭硝子ほどの大会社であるならば、本件分割問題につき十分検討したが税務対策上これに応じられないとの理由で拒否回答した以上、この点に関する検討資料がファイルとして社内に残されている筈であり、残らずとしても右は骨の折れる検討作業であった筈であるから、その任にあった者である友澤や坂部が記憶を誤る筈がないのである。これらの点は、同人らの証人尋問をなせば、明白になる筈であった。

なお、弘中弁護士の供述調書中に、被告人が宮崎工場経営に意欲的な発言をしていた旨の供述があるが、被告人の発言を聞いた時期からしてそれは被告人が旭硝子の坂部専務に対して、伊勢化学の分割案(二分割案)を持ちこみ、且つ、伊勢開発への資金援助を申し入れている時期と思われる。

この時期、被告人が自己の貸付資金回収の手段として、思いつき的に、そのような発言をする可能性はあるが、何ら具体的準備も、具体的行動もなされておらず、本件譲渡契約書作成時における被告人の株式買取りの動機を認定する証拠とは到底なりえないものである。

また、次のような事実からも前記A説の分割案が虚構であることが認められる。

ア 被告人は、検察官調書において、「開発銀行から融資を受ける等のため、工場を経営する会社に中央産商を充て、本件株式の譲受けも中央産商で行うことにした」旨の供述をしている。

しかし、被告会社は、資本金三、〇〇〇万円の有限会社であり、ハンバーグ等の製造及び食肉加工等を主たる目的としていた会社である。その食肉加工等の本業も軌道には乗っておらず、検察官主張のとおり、ありもしない売上を計上し、粉飾をしていたような会社である。このような状態の会社が、開発銀行等の政府系金融機関から融資を受けられるなどとは到底考えられないことは、被告人においても充分知悉していたものである。

政府系金融機関から融資を受けるため、被告会社を受皿会社にしたなどという供述は、あとになって考え出されたことであり、伊勢化学が政府系金融機関から融資を受けていたことにヒントを得たものである。

また、開発銀行等政府系金融機関から融資を受けるという目的を持ったにも拘らず、小規模会社の形態をとる有限会社を受皿会社にいたということは、素直には受けとり難い。

被告人の経営する会社には、株式会社もあり、それを受皿会社に充てることも十分考えられた筈である。

この理由も、あとで考案された理由と考えるのが自然であり、被告人の検察官調書は虚構に基づくものである。

イ 被告人は、「宮崎工場を分割し、実業の世界に乗り出す為に本件株式を中央産商で取得した」旨の供述をしているが、被告人は、その具体的方法等につき、一切弁護士、会計士等に相談したことがなく、分割・経営をどのように進めるかの研究さえしていない。

「宮崎工場を分割する」と一口に言っても、その方法は法律的・経理的・人事的にかなり複雑な問題を含んでいる。

それにも拘らず、被告人は、事前にこれらのことについて、一切弁護士にも会計士にも相談をしたという形跡が存在しない。被告人の周りには弁護士も会計士も存在しており、いつでも相談に応じてもらえた筈である。

それにも拘らず、相談の形跡が一切ないということは、企業を分割し、宮崎工場の経営に乗り出すこと自体が虚偽であると見るのが妥当である。

また被告人は、本件株式を取得したとされる昭和五五年五月三〇日以前に、宮崎工場を分割し経営するために必要と考えられる準備行為のうち、ひとつもこれを実行していない。

その準備行為として考えられるものの中には、通常、<1>工場の視察 <2>工場の土地・建物等の所有関係並びに担保設定関係の調査 <3>試掘権等の設定状況 <4>工場独自の採算性 <5>工場の人事・労務の実情 <6>工場独自の諸問題 <7>工場独自の負債の明細 <8>スタッフによる検討 <9>社員・事務所の準備 <10>分割の可能性の模索、特に江戸、旭硝子、三鬼陽之助との接触、等々が考えられる。

しかし被告人は、昭和五五年五月三〇日以前において、これらのひとつをも実行していない。

宮崎工場を分割し、実業の世界に乗り出そうという者が、これらの調査を全くせずして、株式を取得するなどというような非常識なことが果たしてあり得るのだろうか。

結局のところ、宮崎工場を分割して実業の世界に乗り出すという供述は、これらのことからも全くの虚構であることが明らかである。

ウ 被告人は、宮崎工場を経営する会社として被告会社を充てることとし、株の譲受けも被告会社で行った旨の供述をしているが、この株式取得における代金の支払、および帳簿処理については、後に述べるとおりであり、予め本件株式の譲受人を被告会社と決定していたということとは、明らかに矛盾する。

エ 被告会社および丸益産業の定款変更

丸益産業株式会社の商業登記簿謄本の目的欄をみると、昭和五五年六月七日に「沃素、臭素及びこれ等の化合物並びに医薬品の製造、加工及び売買」「ニッケル、コバルト等の金属及びこれ等の化合物の製造、加工及び売買」の目的が追加されている(弁第八三号証、資料一〇六)。

因に、これは前述のとおり、被告人がヨードの「一手販売に関する基本契約」によって、カラブリアン・ジャパン・リミテッドからヨードの販売手数料を受領するために、目的欄を追加変更したものであり、丸益産業株式会社がヨードの販売手数料を受領することになるや、直ちに行われたものである。

しかし、被告会社の商業登記簿謄本の目的欄を見ても、ヨードに関する定款変更はなされていない(弁第八四号証、資料一〇七)。

もし仮に、被告会社が事実宮崎工場を分割経営するということになったなら、被告会社も直ちに定款変更されていて然るべきであろう。昭和五六年二月二一日、被告会社は定款変更しているのにも拘らず、ヨードに関する目的は追加されておらず、「競争馬の生産、飼育及びレース出走による賞金の獲得」等が追加されているのみである。

また資本金、役員等についても、何らの変化がなく、本件株式を取得するにつき、被告会社をもって宮崎工場を経営しようとしたという供述は、全く虚偽のものであることが明白である。

以上のとおり、検察官に対する被告人の供述は、本件株式売買の受益者を被告会社とするために作り出された虚構なのである。

(四) 本件譲渡契約書作成後の喜田の一連の言動について

弁護人は本件譲渡契約書記載の日である昭和五五年五月三〇日以降の喜田の行動で、喜田が本件株式を売却処分したとすることとは明らかに矛盾する多くの事実が存在すると主張し、そのことから、喜田と被告会社間に本件株式売買の合意が成立していなかったことが、明白に推認できる、と主張している。

これに対して原判決は、「関係証拠によれば、喜田は、喜田株を売却する当時、被告人を信頼し、被告人を頼りにしていたものであり、江戸の信用を失墜することのないよう喜田株を被告会社に売却してその代金で江戸からの借金を返済した上、将来に亘り被告人や江戸の協力を得て、伊勢化学の株式のほぼ半分を支配していた旭硝子と対抗しようと考えていたことが認められ、また、喜田の検察官に対する昭和六一年一二月一五日付供述調書(本文四枚綴りのもの)にも現れているように、同人は一旦、被告会社に喜田株を売却しても、いずれ買い戻したいと考えていたことが窺われるのであって、喜田が被告会社に対する喜田株の売却によって伊勢化学の経営の実権を喪失するものと考えていなかったことは明らかである。したがって、喜田が売却後も伊勢化学を支配できる者の一人として行動するのは当然であって、所論指摘の喜田の一連の言動(必ずしも、所論のとおりの事実関係とは認め難いものもある。)を理由に同人の喜田株売却意思を否定することは相当でなく、所論は、その前提において失当といわなければならない。

また、所論指摘の喜田株の名義変更の点について検討すると、被告人の大蔵事務官に対する昭和六一年二月二二日付質問てん末書(二九枚綴りのもの)その他の関係証拠によれば、被告人は、喜田株取得後は、喜田の協力の下に分割した宮崎工場を経営するつもりでいたところ、喜田株の名義を変更して被告会社がこれを取得したことを外部に明らかにすることは、伊勢化学の代表者であり大株主であった喜田が持ち株を全部売却してしまったことを意味し、同人の立場上困るであろうし、喜田の協力の下で伊勢化学の分割協議を進める際にも、喜田株取得の事実を秘して喜田の意向を表面に出した方がよいと考えたためであると認められる。したがって、名義変更をしなかったことをもって、喜田に売却意思がなかったとか、被告会社に取得意思がなかったことの証左とはいえず(名義の変更がなされない以上、喜田らが中間配当金を受領するのは当然である。)、所論は採るを得ない。」(判決書二〇丁裏、二一丁)と判示している。

しかし、喜田は、多年、伊勢化学、伊勢開発の代表者として、その経営の実務に携わってきた、経済人である。その喜田が、<1>売却の当時被告人を信頼し頼りにしていた、<2>いずれ売却した株を買戻したいと考えていた、程度の理由で被告人や江戸の協力を得て、二分の一の株式を保有する旭硝子と対抗し、将来に亘って伊勢化学の経営の実権を維持できる等と楽観的見方をするものであろうか。常識的に考えて、保有する総ての株式を第三者に売却したということは、すなわち、その会社の実権を喪失するということになるのではなかろうか。また、喜田は、その当時、本件株式以外全く資産らしきものを所有せず、その自宅さえを持たず、本件株式が唯一の資産だったものであり、もし、株式を売却したのなら、原判決の如き考えを喜田が持つ筈がない。又、売買契約書作成直前の喜田と被告人の関係は、「被告人を信頼し、頼りにしていた。」というような単純な関係では必ずしもなかった。

喜田は本件株式を売却したとは考えておらず、被告人に担保的意味で寄託したと考えるのが自然である。

昭和五五年五月三〇日付株式売買契約書に何らかの意味をもたせるとしても、被告人側が負担している、または、これから負担する負債整理資金を被担保債権とする根譲渡担保契約以上の意味を持たせて解釈することは不可能である。喜田としては、被告人に対する担保的意味の寄託または、根譲渡担保契約と解釈していたと考えられる。

さもなければ次に述べる株式売買契約書記載の昭和五五年五月三〇日以降の喜田の行動が理解出来ず、右契約が売買でなく、担保的意味を有する寄託、または、根譲渡担保契約と解することによって、自然に解釈できるのである。

(1) ヨードに関する一手販売に関する基本契約

従来、伊勢化学は、その商品であるヨードをアメリカに販売する場合には、カラブリアン・アメリカ・リミテッドに販売しており、この場合、輸出については三菱商事が間に入っており、また、輸出に関する事務連絡等の事務手続きはカラブリアン・ジャパン・リミテッドに依頼し、三%乃至は五%のマージンをとっていた。

また、ヨーロッパに輸出する場合は、全て三菱商事が間に入っており、三菱商事が一定の手数料をとっていた。

尚、これらの事情については、喜田幸治の検察官調書(甲三〇号証)、および有賀延興の検察官調書(甲四二号証)により明白である。

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、昭和五五年六月一日頃、この伊勢化学の商品であるヨードの販売手数料に着目し、これを被告人に支払うことにより、従来被告人が喜田個人および伊勢開発に対して有していた貸付金および立替金等の債権、並びに将来に向けて立替える立替金支払請求債権に充当しようと考えた。

喜田幸治は、伊勢化学から直接被告人に右販売手数料を支払うことは、従来被告人が伊勢化学から販売手数料を一度も受け取ったことがなく、また輸出手続等の実務にも精通していなかったため不自然であると考え、そこで従来より伊勢化学と販売について実務のあったカラブリアン・ジャパン・リミテッドを利用しようと考えた。

伊勢化学のヨードの過去における輸出実績は、六〇億円から八〇億円にものぼり、最低でも六〇億円は下らないという実績であった。

喜田幸治は、この販売を一手にカラブリアン・ジャパン・リミテッドに扱わせることにし、五%の手数料をカラブリアン・ジャパン・リミテッドに支払い、右カラブリアン・ジャパン・リミテッドは受領した手数料の半額である二・五%を被告人に支払うという三者間の約定が出来上がった。

その結果、伊勢化学とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとの間に「一手販売に関する基本契約」(資料一一二)が調印され、被告人が立会人となって署名捺印をしている。尚、この契約書の文案はカラブリアン・ジャパン・リミテッドの有賀延興に任され、右有賀延興は知り合いの弁護士である平本祐二弁護士に書面の作成を依頼している。

この三者の約定に基づき、カラブリアン・ジャパン・リミテッドの有賀延興は、自社が伊勢化学より受領した手数料のうち半分を、被告人の経営する丸益産業株式会社に送金して支払った事実も存在する。(資料一一三)。

このように、三者の間で約定されたことが実行されれば、カラブリアン・ジャパン・リミテッドは年間最低でも三億円の手数料を受領することになり、また被告人はそのうちから最低でも一億五、〇〇〇万円もの金銭を受領できるという、大きな利権である。

このように大きな利権を、カラブリアン・ジャパン・リミテッドおよび被告人に継続的に認めていくには、伊勢化学が極めて利益率の良い会社であることのみならず、喜田幸治がオーナー社長の地位を維持していくことが必要条件であり、そうでなければ到底継続的に実現できる筈のないことである。

原判決判示の如く、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に被告会社に本件株式を真実処分していたとするならば、喜田幸治のオーナー社長たる地位はなくなり、次期総会においては取締役の地位さえ喪失することは必然であり、それのみならず、本件「一手販売に関する基本契約」についての背任性が、他の株主等から強く追求される可能性が大であって、とても契約を調印できるような状況にはなかった筈である。

喜田幸治が本件「一手販売に関する基本契約」を調印できたのは、この三者における約定に基づいて、被告人に支払うことが十分可能であると考え、且つ、自己の伊勢化学のオーナー社長たる地位が不変であると考えたからに他ならない。

喜田幸治は、本件「一手販売に関する基本契約」が他の株主等の目に触れた場合、自己の保身上極めて不利になることは十分承知しており、そのため喜田幸治は、本件「一手販売に関する基本契約書」調印後、この契約書を廃棄処分にしている。

被告人は、検察官調書(乙第七号証)において、被告人、喜田幸治、有賀延興との三者会談の結果、「伊勢化学のヨード輸出は、全部カラブリアン・ジャパン・リミテッドを通し、カラブリアン・ジャパン・リミテッドに五%のマージンを落とす。それを中央産商とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとで分ける」という決定をした旨の供述をしている。

しかし、マージンを、分けることになったのは、被告会社とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとではなく、被告人とカラブリアン・ジャパン・リミテッドとの二者である。

このことは、喜田幸治の検察官調書(甲第三〇号証)にも明らかなとおり、この「一手販売に関する基本契約」の成立した趣旨は、被告人が喜田幸治および伊勢開発に貸付けていた貸付債権、および立替金請求債権並びにこれからの立替金請求権の支払に充当するべく立案されたものである。

被告人の第一審公判廷における供述でも明らかなとおり、被告会社が喜田幸治および伊勢開発に対して有していた債権は殆どなく、あっても被告人の名義的債権に過ぎなかったものである。

被告会社が伊勢開発等に債権を有していなかった事実は、検察官提出の甲第一三六号証「破産管財人による債権届出表」に被告会社の名前がなく、被告人、丸益産業株式会社の名前が存することからも明らかである。

喜田幸治および伊勢開発に債権を有していない被告会社に、年間最低一億五、〇〇〇万円、一〇年間で一五億にもなる大きな利権を与える必要性も理由も存在しない。

有賀延興の検察官調書(甲第四二号証)にもあるとおり、有賀延興は喜田幸治より「のぶさん(有賀のこと)、この五%の半分を種子田さんにやるんだよ」と言われている。

また、喜田幸治の検察官調書(甲第三〇号証)においても、「伊勢化学の取引先であるカラブリアン・ジャパン・リミテッドに五%の口銭を払いその半分を種子田に支払うことにより、伊勢開発の債務整理資金を種子田に返済したことにしようと考えたことがあります」と供述している。

更に本件「一手販売に関する基本契約」でも立会人として署名捺印しているのは被告人個人であって、被告会社ではない。

本件「一手販売に関する基本契約」の実行としてカラブリアン・ジャパン・リミテッドより手数料を受領しているもの、丸益産業株式会社であって被告会社ではない。

本件「一手販売に関する基本契約」における手数料受領者として被告会社が登場してくるのは、被告人の検察官調書(乙第七号証)のみである。

被告人は大蔵事務官に対する質問顛末書(乙第三八号証)において、「伊勢化学のヨード輸出に関し、何%かのマージンを支払ってもよいと言われたので、多額の融資を行った」旨の供述をしており、喜田幸治および伊勢開発に対する債権者が被告会社でないことから、本件「一手販売に関する基本契約」における手数料の受領者も被告会社である筈がないものである。

被告人が前記検察官調書において、手数料受領者を被告会社と述べたのは、本件株式の譲渡益の帰属性を何とか被告会社にしてもらおうとしていたところから、喜田幸治および伊勢開発との法律行為の当事者を被告会社としなければならないと考え、手数料の受領者を被告会社と供述したものに過ぎない。

本件「一手販売に関する基本契約」に基づく手数料の受領者が、被告人なのかあるいは被告会社なのかの点はともかくとして、被告人および伊勢化学の喜田幸治、カラブリアン・ジャパン・リミテッドの有賀延興の三者において、前述のような販売手数料に関する企画が立案され、一部実行されたことは、右三者の検察官調書によっても明白であり、その継続的実現は喜田幸治の伊勢化学におけるオーナー社長としての地位が不動なものであって初めて可能性の発生するものである。喜田幸治が真実本件株式を被告会社に売却する意思を有していたならば、このような発想は起こり得ようもなく、また調印されたとしても、実行可能性としては極めて低いものと言わざるを得ない。

喜田幸治としては、右のような手段で被告人側の債権を支払うことによって本件株式は、当然に自分のところに帰って来ると考えていたものである。

以上のとおり、昭和五五年五月三〇日時点で喜田幸治は本件株式を処分する意思を有しておらず、また、被告会社の代表者である被告人がこの時点で本件株式を取得する意思を有していなかったことは明白である。

(2) 試掘権の設定

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、被告人と謀り、被告人のために宮崎県東諸郡高岡町ほか合計一九件の試掘権を、昭和五五年八月頃、福岡通商産業局へ出願している。尚、その明細は、後記一覧表のとおりである。

本件出願について、被告人は全くその手続等が分からず、専ら伊勢化学の喜田幸治が被告人のために設定した。

被告人が用意したものは申請人名義のみであり、被告人の名義にすると、被告人と伊勢開発および喜田幸治との従来のつながりから、第三者をして疑念を生じさせることを慮り、自己の使用人であった多田静夫の名義を使用することとし、その旨を喜田幸治に伝えている。

喜田幸治としては、被告人の伊勢開発および喜田幸治に対する債権の支払の手段として、高利益を上げている伊勢化学から金銭を支出するためには、予めこのような利権を被告人に与えておかなければ、伊勢化学の出金の理由がつかないと考えたからである。

これは、あくまでも伊勢化学の被告人に対する債権の支払手段として考え出された利権であり、国税当局も認めているとおり、本件試掘権に独自の価値が存するものではない。

因に伊勢開発および喜田幸治に対して債権を有していたのは、前述のとおり、被告会社ではなく、被告人である。

喜田幸治は、自己が伊勢化学のオーナー社長としての地位を継続させることができるならば、他の意見を排しても、この試掘権の買収を理由に、伊勢開発らに対する被告人の債権の支払用資金を伊勢化学から捻出できると考えたものである。

もし仮に、原判決判示の如く、喜田幸治が本件株式を既に被告会社に譲渡していたとするならば、既にオーナー社長としての地位を喪失しているわけであり、次期総会には代表者の地位のみならず取締役の地位さえも喪失することは必然であり、そうするとこのような立案が実行できる筈がない。先のヨードに関する「一手販売に関する基本契約」の場合と同じく、オーナー社長としての地位を喪失し、代表者が他の者に代わることがあれば本件試掘権設定の趣旨が洗い出され、特別背任罪の追及さえされかねない状態である。

喜田幸治が被告人に対してこのような利権を予め与えておいたのは、喜田幸治が今後も伊勢化学のオーナー社長としての地位を継続・保持できると考えていたからに他ならない。

即ち、昭和五五年五月三〇日時点において、喜田幸治が被告会社に対して本件株式を処分する意思を有していなかったことは、このことからも明白である。

尚、喜田幸治がオーナー社長の地位を喪失した後になって、伊勢化学は本件試掘権を一億円で取得している。しかし、これは本件試掘権の価値を認めて伊勢化学が取得したのではなく、別の理由によるものである。

即ち、被告人は、本件株式を旭硝子に譲渡するに際し、自己が伊勢開発及び喜田幸治に対して有していた負債整理資金一〇億円余(資料五七)の債権を、伊勢化学の親会社であるところの旭硝子に対して、立替えて支払ってくれるよう条件を出していたものである。尚、被告人はその後の負債整理資金等を合わせて、合計一一億二、〇〇〇万円の金額を提示している(喜田幸治の第一審公判廷における供述)。もし、この条件が認められなければ、約一五億円で売買が成立している本件株式の売買も白紙にするとの条件であった。

何とか本件株式を手に入れたかった旭硝子としては、被告人の負債整理資金一一億円余の資金捻出を種々検討したが、中々合理的な解決策は見い出すことが出来なかった。何となれば、本件負債整理資金は被告人の伊勢開発及び喜田幸治に対する債権であり、法的には旭硝子は局外者であるからである。

そこで、旭硝子としては、やむを得ず、いくつかの方策をとることになったものである。

五億円については、本件株式売買代金に上乗せするということで処理をし、一億円については、本件試掘権を一億円で伊勢化学に買取らせるというものである。また、二、四〇〇万円については、伊勢化学が被告人の経営する西日本開発に対して、宮崎工場坑井追加工事という架空工事をでっちあげ、これによって支払うというものである。

本件試掘権は、設定当時より伊勢開発または、喜田幸治の被告人に対する債務の支払手段として考えだされて、結果としてもそのように実行されたものである。

原判決が認定するように、被告会社が宮崎工場の経営に備えて、本件試掘権を取得したというようなものでは断じてない。

本件試掘権の移動状況を契約書で見てみると、

(一、〇〇〇万円) (二、四〇〇万円)

(一億円)

<1>多田静夫 → <2>被告会社 → <3>中物産有(代表者は種子田) → <4>伊勢化学となっている(資料六八、多田静夫の検察官調書(甲第一〇七号証)添付資料<1>)。

しかしこれらの契約書は、後日、譲渡税を圧縮するため考え出された方便に過ぎず、全く事実のことではない。

本件試掘権を被告会社で取得したと供述しているのは被告人のみであり、被告人が本件試掘権の帰属を被告会社と言いはったのは、本件株式の譲渡益を何とか被告会社に帰属させたいと考えたため、これらの権益の帰属者も被告会社と供述したものに他ならない。

原判決は、本件試掘権の帰属者を被告会社であると認定しているが、その証拠としては、被告人の供述のみである。

喜田幸治が本件試掘権を設定させた理由を考えるならば、本件試掘権の帰属者は被告人であり、原判決は重大な事実誤認をしていると言うべきである。

(3) 日さくに対する水増し発注

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、昭和五五年六月下旬頃、伊勢化学の掘さく業者であり、発注先である株式会社日さくに対して水増し発注をし、その水増しされた分二、三〇〇万円を右株式会社日さくより被告人に支払わせている。

尚、右二、三〇〇万円は、被告人の指示により、丸益産業株式会社に入金されている。

これらのことは、喜田幸治の検察官調書(甲第三四号証)、および濱口昌の検察官調書(甲第六九号証)により明白である。

出願権明細書

喜田幸治としては、このような手段によって、被告人の伊勢開発および喜田幸治に対する債権の支払をなそうとしたものである。

この事実からも、この当時喜田幸治が伊勢化学のオーナー社長であり、且つ、今後もオーナー社長としての地位を継続・保持できることを前提として行ったものであると考えられる。

もし原判決判示のとおり、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日当時、本件株式を被告会社に処分していたならば、まもなく代表取締役および取締役の地位も喪失するであろうことは自明であって、そうすればこのような出金は、特別背任罪として追及されることが当然に予想され得るものである。

それにも拘らず、喜田幸治が被告人の伊勢開発らに対する債権の処理手段としてこのような方法をとり得たということは、喜田幸治自身が今後も伊勢化学のオーナー社長としての地位を継続・保持できると考えたからに他ならない。

即ち、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日時点において本件株式を処分する意思が全くなかったことは、このことからも明白である。

(4) 旭硝子に対する伊勢化学の分割案の提供

伊勢化学の分割案については、既に詳述したところであるが、本件譲渡契約書作成後の喜田の言動の一つとして再論する。

伊勢化学の株式は、従来、旭硝子が二分の一、喜田幸治一族で四分の一、江戸英雄関係で四分の一という割合で保有されていた。

昭和五四年から昭和五五年頃の伊勢化学は、経常利益二〇億円を出す優良な会社であった。

工場としては、千葉県内に六カ所、新潟県に一カ所、宮崎県に一カ所の計八工場を有していた。

伊勢化学の代表者であった喜田幸治は、自社の二〇億円の経常利益と八工場という面に着目し、右工場を二分割にし、即ち、宮崎工場、新潟工場、および千葉県内の工場一カ所の合計三工場を喜田幸治および江戸英雄側が取得し、残る千葉県内の五工場を旭硝子側が取得して、伊勢化学をその保有する株式によって二分割にし、独自に経営しようというものである。

こうすることによって、喜田幸治としては、伊勢開発に絡む自己の不始末を共同出資者である旭硝子に察知されることもなく、自己が新しく経営する分割された新会社の利益中より種々の手段をもって、被告人の伊勢開発らに対する債権を処理できると考えたものである。

尚、喜田幸治としては、伊勢化学の資産・負債を二分割するため、自己の経営する新会社は年間経常利益一〇億円と考えていた。

喜田幸治は、この案につき、共同で二分の一を保有する江戸英雄の合意をとりつけなければ実現が不可能であるため、まず江戸英雄に、伊勢開発の負債整理で被告人に債務を有していること、伊勢化学を旭硝子とで二分割し、自己の経営することになる新会社の利益からこの負債を整理したい旨相談をもちかけた。

喜田幸治が江戸英雄に対してこの相談をもちかけたのは昭和五五年七月頃であり、江戸英雄は従前より喜田家の相談役的立場であったところから快く喜田幸治の提案を了承している。

その結果、喜田幸治は、当時旭硝子の専務取締役であった坂部武夫に対して、この伊勢化学の二分割案を申し入れ、右坂部武夫も個人としてはこれに賛成し、社内で検討してみることを約束してくれたものである。

昭和五五年一〇月になっても、旭硝子側から前向きの回答が得られないところから、喜田幸治は被告人を交え、三井不動産の江戸英雄の部屋で、江戸英雄と共に、被告人に旭硝子へ強力に交渉してもらうことを話合ったこともある。

このような事実は、喜田幸治の検察官調書(甲第二四号証)、坂部武夫の検察官調書(甲第四八号証)によって明らかである。

このように喜田幸治は、本件株式が売却されたとされる昭和五五年五月三〇日以後である昭和五五年七月より一〇月にかけて、伊勢化学の二分割案を真剣に討議し、旭硝子に対して提案している。

もし仮に、原判決認定のとおり、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に本件株式を処分しているのであれば、江戸英雄や旭硝子に対する伊勢化学の二分割案というものは全く実現不可能なことであり、このような分割案が江戸英雄に対して相談され、旭硝子に対して提案されたということは、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に本件株式を処分などしておらず、自ら所有していることを前提としている行為であると言える。このことからも、喜田幸治と被告会社との間において、昭和五五年五月三〇日に本件株式についての株式売買の合意が成立していないことは明白である。

(5) 本件株式の名義書換および配当金受領者

原判決により被告会社が旭硝子に売却したとされる本件株式九三三、〇〇〇株は、大きくいって二つに分類されるものである。

その一つは、いわゆる喜田株とされる喜田幸治一族の保有していた株であり、その株式数は八九〇、四〇〇株である。

もう一つは、大和久正己が保有していた株であり、その株式数は四二、六〇〇株である。

被告人は、大和久正己より取得した四二、六〇〇株につき、昭和五五年七月、名義を自己が経営する「西日本開発株式会社」「ひわまり商事有限会社」および「被告人の子供たち」の名義に変更している(乙第四一号証、資料七七)。

それにも拘らず、被告人は、喜田株八九〇、四〇〇株についてはその後一貫して株式の名義書換をしておらず、また喜田幸治もこれをさせていないものである。

このことから言っても、昭和五五年五月三〇日に喜田幸治が被告会社に本件株式中、八九〇、四〇〇株を売却していないことが明白である。

国税当局も捜査段階において、この点に疑問を有しており、被告人に何ゆえ喜田株八九〇、四〇〇株について名義書換をしなかったのかという質問をしている。

これに対し、被告人は、

<1> 喜田さんは伊勢化学の代表者であり、大株主でもある。

旭硝子と企業分割の話を進める上で、大株主として交渉する必要があった。

<2> 喜田さんは代表者であり、全株を売却してしまったと知れると、立場上困るであろうと考えた。

<3> 現に株は所有しているわけだから、名義にはこだわらなかった。

等々の理由を申し述べている(乙第四一号証)。

しかし、被告人の列挙した理由は、被告人が本件譲渡益の帰属を何とか被告会社にしてほしいと期待したため考え出された理由に他ならない。

<1>の理由については、旭硝子に本件株式譲渡契約書を示さなかった時点ならば納得できたとしても、その後においても名義書換をせず、最終的には、昭和五六年二月本件株式を処分するまで名義書換をしなかった理由にはなり得ない。

また、<2>の喜田幸治が本件株式を売却したことが他にもれると、立場上困るだろうとの理由も、一方では本件株式譲渡契約書を共同経営者である旭硝子に提示していることを考えると、そのような配慮が被告人に働いたとは考え難い。

さらに、<3>の現に株式を占有しているので名義にはこだわらなかったとの点であるが、右理由が真実であるならば、何ゆえ四二、六〇〇株の大和久正己株について名義変更を行ったのか、理解に苦しむところである。

いずれにしても、これらの理由は、本件株式譲渡益の帰属を被告会社にしようとして、国税当局と被告人とが考え出したのちの理由に他ならないと思われる。

尚、伊勢化学は、昭和五五年一二月一五日、一株につき五円の中間配当を実施している(弁第三一号証、資料七四)が、当然のことながら、被告人は、名義書換をした大和久正己株四二、六〇〇株については、中間配当金を取得している。

しかしながら、被告人は、喜田株八九〇、四〇〇株については何ら中間配当金を得ておらず、この中間配当金は喜田幸治一族において受領されている。その金額は四四五万二、〇〇〇円である。

被告人は、大和久正己株四万二、六〇〇株についての中間配当金二一万三、〇〇〇円の支払通知を受けており、本件株式について一株当り五円の中間配当金があることは熟知していたものである。

それにも拘わらず、喜田幸治は当然の権利として四四五万二、〇〇〇円もの中間配当金を受領し、株式の所有者とされる被告人は、これに対して一言の苦情も言わず、双方とも当然のこととして処理している。

伊勢化学の法的処理としては、名義書換がなされない以上、旧株主に支払うことをもって免責されることは当然である。

しかしながら、旧株主である喜田幸治と、新株主である被告人との間においては、当然のことながら、喜田幸治は四四五万二、〇〇〇円もの不当利得をしていることになり、喜田幸治は受領した中間配当金を被告人に引き渡すべきである。

ましてや、被告人が大蔵事務官に申し述べたように、喜田幸治の立場を慮って名義書換をしなかったということならば、なおさらのことである。

しかし、両者の間では、一度もそのことについて話合いが持たれたこともなく、喜田幸治が中間配当金を受領するのは当然のこととされていた。

このことは、喜田幸治が昭和五五年一二月に至っても本件株式の保有者であると自認しており、また、被告人もこれを認容していたからに他ならない。

即ち、このことからも、原判決認定のように昭和五五年五月三〇日、喜田幸治が本件株式を被告会社に処分したということは、誤りであることが明白である。

(6) 喜田幸治の一〇億円余の借用書の作成

喜田幸治は、被告人の求めに応じ、昭和五五年一〇月一八日、被告人の喜田幸治および伊勢開発に対する負債整理資金立替金返還請求債権を主たる債務とし、準消費貸借契約により、一〇億二、八四八万四、三二七円也の借用書に署名捺印している(資料五七)。

これは、被告人が、昭和五五年一〇月までに喜田幸治に貸付けていた債権、伊勢開発の負債整理のために立替えていた金員等、喜田幸治より支払を受けねばならない金員が一〇億二、八四八万四、三二七円となっていたものである。

被告人は、この段階において、喜田幸治より確認をとっておくべきだと考え、弁護士弘中徹を立会人として、第三者より回収した伊勢開発の手形・債権証書等一式書類を示して、喜田幸治に確認を求めている。

尚、被告人が、現実に支出した金額と借用書金額とに差が生じたのは、伊勢開発が振出した手形等を回収した場合は、その支出した金員に拘らず、手形額面で喜田幸治が責任を負うという両名の合意があったためである(資料五五)。

もし、原判決認定のとおり昭和五五年五月三〇日に九、三〇〇万円で本件株式を喜田幸治が処分していたならば、当然のことながら、九、三〇〇万円が本件確認債権額の中に入っているのか否かについての双方の話合いがあるべきところ、弁護士立会の確認であるにも拘らず、そのような話題は一切出さず、被告人が喜田幸治に支払った九、三〇〇万円も右一〇億二、八四八万四、三二七円に包含されたまま、確認書が作成されたものである。

もし、九、三〇〇万円で本件株式が売却されていたということが真実であるならば、被告人が主張する確認債権一〇億二、八四八万四、三二七円から、九、三〇〇万円が控除されねばならない筈である。

そのような作業が一切なされず、話題にさえもならなかったということは、原判決認定の昭和五五年五月三〇日における九、三〇〇万円による本件株式売買行為が虚偽のものであったという他はない。

(7) 本件株式を被告人が旭硝子に処分するに際してなした、喜田幸治の承認および喜田幸治の委任状作成

旭硝子の専務であった坂部武夫は、本件株式売買の話が煮詰まった段階で、被告人から、本件株式売却について「喜田幸治が被告人を代理人とする」旨の委任状を取得しようと試みている。

このことは、旭硝子の専務であった坂部武夫が、本件株式の所有者は依然として喜田幸治であると知悉していたからに他ならない。

旭硝子の坂部武夫は、被告人に喜田幸治の委任状を取得するよう指示し、被告人は喜田幸治に委任状を作成させ、これを坂部武夫に提出している(資料五八)。

この委任状には、喜田幸治が被告人を代理人と定め、

<1> 喜田幸治の進退の件

<2> 種子田益夫に対する返済の件

<3> 伊勢化学を旭硝子と分ける件

<4> 役員増員の件(喜田ほか二名、旭硝子三名、社員三名)

らの事項が委任されている。

委任状の作成日付は昭和五五年一二月一八日付である。

もし仮に、原判決認定の如く、喜田幸治が昭和五五年五月三〇日に本件株式を被告会社に処分しているならば、喜田幸治からこのような委任状を取得する必要性は、旭硝子にとっても、また被告会社にとっても、全くなかったものと言わざるを得ない。

株主でもなくなった喜田幸治が、何の理由をもって、伊勢化学の種々の問題や、伊勢化学を旭硝子と分割する件につき、被告人を代理人とする必要があったのであろうか。

旭硝子の専務であった坂部武夫、および被告人がこのような委任状を喜田幸治からとりつけたのは、所有者が喜田幸治であることを両者とも熟知しており、そのため、本件株式を旭硝子が取得した後になって、真実の所有者である喜田幸治から何らかの異議の申立てが出されることを慮って、それに備えるため作り出されたものであると見るべきである。

尚、旭硝子の坂部武夫は、更に念をおして、喜田幸治に本件株式の取得について了承を求めている。

これについて喜田幸治は、「この株は被告人に預けてあるものであって、自分の所有するところのものである」旨主張したのであるが、旭硝子の坂部武夫はこれに対し、「株式は現に持っている人本人の権利であり、預けたと言っても、それは通らない。この株が種子田の手元から方々に散らばるようなことがあると、伊勢化学としては非常に困るし、この際旭硝子で買取っておき、後は悪いようにしないから話合いましょう」などと申しむけて、喜田幸治の了承をとっている。

尚、前記の委任状には、株式売却についての委任事項が欠落している。これは、売買の形式の上で、喜田幸治と被告会社間の本件売買契約書を利用しようと、被告人及び旭硝子の坂部武夫が了承し合ったため、右委任状中、株式売却の件の委任事項が欠落していると考えられる。尚、旭硝子としては、喜田幸治には江戸英雄らがついており、そのため、喜田幸治より直接買取るよりは、本件売買契約書を形式上利用し、被告会社を通じて買取った形にした方がより良いと考えたものと推定できる。

喜田幸治作成の右委任状に、株式売却の件の委任事項が欠落しているからと言って、昭和五五年五月三〇日喜田幸治から被告会社に有効に本件株式が譲渡されたことを推認せしめるものではない。

さらに、旭硝子の坂部武夫は、本件株式取得について、江戸英雄にも連絡を入れ、その了承を求めている。

このことからも、旭硝子側が、本件株式の真実の所有者は被告会社や被告人ではない、ということを熟知していたことが推認されるものである。

(五) 喜田株に関する喜田の供述の信用性について

原判決は、喜田株に関する喜田自身の供述の信用性について、次のとおり判示した。

すなわち、

「所論は、喜田は、本件譲渡契約書の作成後、検察官の取調べを受けた際をも含め、一貫して、喜田株を被告会社に売却した事実を否定し、被告人に預けただけである旨供述しているのであるから、右供述の信用性は高く評価すべきものである、と主張する。

しかし、喜田が喜田株を被告会社に売却し、本件譲渡契約書を作成するに至った経緯は、前示(4)(5)及び(7)のとおり認められる。そして、喜田は、弘中弁護士から売却意思の確認を求められ、これを肯認した上で本件譲渡契約書に署名しており、その後、前示(12)のとおり、旭硝子が被告会社から喜田株を買い取るに際し、坂部から確認を求められた際にも、喜田株については本件譲渡契約書のとおりである旨回答して被告人の行動を是認し、被告人に異議も述べていないし、売却代金が幾らであるかについても関心を示していないのである。更に、喜田は、昭和五五年五月下旬ころ有賀延興に対し、「実は江戸さんから金を借りていて、返さないと信用にかかわるし、ほかにも金が必要なので、あの株(伊勢化学株の意)を種子田さんに売った」旨説明している事実が窺われる(有賀の検察官に対する昭和六一年一二月一五日付供述調書、本文八枚綴りのもの)。これらの事実に照らせば、喜田に、喜田株売却の意思がなかったものとは、到底認められない。」

と判示した。(判決書二五丁裏、二六丁表)

しかしながら、江戸英雄は、喜田に対し、一度も金の催促をしたことはなく、八、〇〇〇万円という金銭の返済は必要ではなかった。また、他に金が必要だという理由も、八、〇〇〇万円を除けば、僅か一、三〇〇万円にすぎず、「命の次に大事なもの」と喜田のいう本件株式を、右代金で確定的に売却処分するはずがなく、また、これを売却処分する理由としては、極めて薄弱というほかなく、喜田から前記のような説明を聞いたとの有賀の供述は信用し難い。

また、原判決は、「なお、有賀は、被告人が喜田に対し、電話で『本当に親戚の株も一緒でいいんですね』というのを聞き、その後、被告人から『今のことを覚えておいて下さい』と言われたと述べていることは、所論のとおりであるが(有賀の検察官に対する同日付供述調書、三枚綴りのもの)、被告人は、喜田一族の中に喜田株の売却に不満を抱く者がいて、旭硝子への売却に際しトラブルが生ずることを惧れ、喜田に念を押したに過ぎないものと解されるから、右有賀の供述は、必ずしも所論の根拠となるものではない。」(判決書二六丁)と判示した。

しかし、株券を譲渡するには、株券を交付することを要し(商法二〇五条一項)、逆に、株件の交付がなされれば、特段の事情のない限り、善意取得により譲受人は保護されるのであるから、もし、仮に、本件株式譲渡契約書により、昭和五五年五月三〇日に、九、三〇〇万円でもって、名義が喜田の親戚の者とされている株式をも含め八九万株の譲渡代金とする旨の合意が成立していたものとすれば、このような会話が出るはずはない。

被告人が、喜田に対し、その親戚の者の名義の株式につき、これを旭硝子に売却して差し支えないかを確認したということは、とりも直さず、本件株式譲渡契約書に基づいては、いまだこれらの株式が被告会社の所有に帰していなかったことを裏付けるものというべきである。

次に、原判決は、「喜田は、伊勢開発がエービーシー土木株式会社と社名を変更した上で破産宣告を受けた後、旭硝子の関連事業部長である友澤にその間の事情を聴かれて『伊勢化学の株式は命の次に大事なものだ。今は最も信頼している人に預けてある』旨述べた事実が窺われるが(友澤の検察官に対する昭和六一年一二月八日付供述調書)、喜田としては、友澤に対しては伊勢化学の株式を全部手放したとは打ち明け難い立場にあったことから、預けた旨の弁解をしたものと解すべきであって、この点も所論の根拠とはなし得ない。」(判決書二六丁)と判示した。

しかし、右判示は、喜田が前記のような供述をなした前後の事情を無視し、一見、もっともらしい論評をしたにすぎない。すなわち、

もともと、旭硝子は、二分の一の大株主として、伊勢化学に湯原副社長外何名かの幹部社員を出向させていた。旭硝子の関連事業部長である友澤は、昭和五五年ころになって、その出向者の一人である足立総務部長から、伊勢開発の債権者たちが押しかけて来るようになった旨の報告を受け、また、喜田からも、伊勢開発の事業内容等につき事情聴取を行っていたところ、昭和五五年六月中旬に至り、伊勢開発が倒産し、エービーシー土木株式会社と社名を変更して、破産申立てをしていることが判明し、心配になり、喜田の所有する伊勢化学の株式について喜田に尋ねた際、喜田は、前述のように「伊勢化学の株は命の次に大事なものだ。今は最も信頼している人に預けてあるから、御心配なく。」と返答したものである。

真実、喜田が、伊勢化学の株式を、最も信頼している人に「預けた」のか、それとも売却して「全部手放した」のかは、直ちに旭硝子側に判明する状況にあったものである。にもかかわらず、喜田が友澤に対して、前記のように「今は最も信頼している人に預けてある」旨供述したのは、それが、喜田の立場上真実を打ち明け難いためにした一時逃れの弁解ではなく、まさに、真実この時点では、喜田は、喜田株を売却などしておらず、担保として預けていたからにほかならないからであった、とみるのが、真相に合致するものというべきである。

また、原判決は、「なるほど、喜田は、喜田株に関する民事訴訟を提起する前から被告人に対して金員の支払いを求め、同五七年六月ころ以降、旭硝子の友澤らをも含めた話合いが続けられていたことが窺われるが、所論援用の友澤らの関係供述(友澤の昭和五六年一二月八日付供述調書に添付された「伊勢関係4者会談要旨メモ」を含む。)によっても、右会談において、喜田が喜田株を被告人に預けたことを前提として、被告人に対し、旭硝子から受領した喜田株の売却代金と伊勢開発の債務整理資金との精算を求めたものとは認められないところである。」(判決書二七丁)と判示した。

しかしながら、右は、「伊勢関係4者会談要旨メモ」を含む友澤らの関係供述の解釈を誤ったものというほかない。すなわち、

右四者会談なるものは、旭硝子側からは友澤が、伊勢化学からは荒川社長らが出席し、数回にわたって開かれたものである。その上、田澤潔を書記役につけて、「伊勢関係四者会談要旨メモ」(甲第五〇号証末尾添付)を作成するほど、大々的なお膳立てのもとに進められたのである。右要旨メモを一読すれば、被告人が「儲けたので喜田が気の毒であるから五億円分けてやる」というような雰囲気は全く看取されず、反対に、喜田側も、明らかに精算義務の履行を請求している事実が窮知できるのである。

なお、原判決は、「喜田が、原審第一一回ないし第一五回公判期日において、喜田株につき所論に副う証言をし、これに先立つ喜田株に関する民事訴訟においても、同趣旨の供述をし、この間、昭和六一年一二月中旬には、検察官の事情聴取に対しても、必ずしも被告会社に対する売却の事実を認めたとはいい難い供述をしていることは、所論指摘のとおりであるが、喜田株に関する民事訴訟提起後の段階における喜田の供述は、右訴訟における自己の利益擁護の意図からなされていることが明らかに看取される上、内容的に不自然な点や曖昧な点が多く、そのままには措信できない。喜田の供述の信用性に関する所論は、総て採用できない。」(判決書二七丁)と判示した。

しかしながら、喜田が、民事訴訟を提起する約三年も前ころから、既に被告人に対し精算義務の履行を請求していたことは、先述のとおりであり、喜田が民事訴訟提起後にその利益擁護の意図から、ことさらその供述を変更したとする前記原判決の説示は、著しい事実誤認というほかない。

(六) 九、三〇〇万円の資金の流れ及び帳簿上の処理

(1) 原判決の判断とこれに対する反論

原判決は、「本件の事実関係について」の項の中で、喜田株の資金関係等について

「(8) 被告人は、同年六月上旬ころ旧知の吉田得次から六、〇〇〇万円を借入し、別途三、三〇〇万円を調達して、合計九、三〇〇万円を前記伊勢化学の株式の代金として喜田に支払い、同人は、右金員の中から八、〇〇〇万円を江戸(同人の秘書役の池田映一を介して)に返済し、江戸から担保として差し入れてあった伊勢化学の株式四九万株に相当する株券を受け出して、これを被告会社に引き渡した。

(9) 被告人は、被告会社が喜田から取得した伊勢化学の株式(以下『喜田株』という。)について、被告会社の昭和五五年一一月期の決算に当たり、従業員の落合教示らに指示して、被告会社が代表者の被告人から借り入れた三、三〇〇万円と別の借入金六、〇〇〇万円をもって右株式を購入した旨の伝票処理及び総勘定元帳への記帳処理をさせた。」(原判決六丁裏~七丁表)

「(15) 被告人は、本件株式の旭硝子に対する売却によって被告会社に多額の法人税が掛ることを避けるため、旭硝子側の教示に従い、被告会社が本件株式九三万三〇〇〇株を被告人ほか四名の個人に対し(但し、うち四万三〇〇〇株については、被告会社から昌和商事株式会社を経由して被告人に)、代金合計一億二、五〇〇万〇、一三五円で分散売却し、右五名の者がそれぞれの株式を旭硝子に売却した旨仮装し、内容虚偽の株式譲渡契約書を作成した上、被告会社の決算に備え、落合に指示して、被告会社の本件株式の売却益として、右五名への売却価格の合計額から喜田に支払った九、三〇〇万円を差し引いた三、二〇〇万〇、一三五円を公表計上させ、被告会社の有価証券売却益を圧縮した。」

(原判決九丁表)

と判示する。

そして原判決は、

「(六) その他九、三〇〇万円の資金の流れや帳簿処理の状況、旭硝子から入金した喜田株を含む本件株式の売却代金の使途若しくは享受状況等について」(原判決二七丁裏~二九丁表)において、弁護人の主張に対し、次のように判示している。

「まず、所論は、『原判決は、喜田株の取得資金とされる九三〇〇万円について、被告会社の昭和五五年一一月期の決算に当たって会計伝票及び総勘定元帳への記帳処理がなされている旨判示して、これを被告会社が喜田株を取得したことの根拠としているが、被告会社の右の伝票及び記帳処理は、被告人が旭硝子の田澤潔から教えられ、被告会社の担当者に指示して、翌五六年二月上旬以降に改ざんさせたものであって、このことは、昭和五五年六月三日付の伝票が24A、12Aと枝番号で起こされていることや、帳簿や伝票の日付や金額に明白な間違いが存在し、急場しのぎの雑な記帳処理がなされていることに徴しても明らかであるから、これらの記帳処理をもって被告会社が取得主体であることの根拠とはなし得ないものであり、更に、右九、三〇〇万円の借入・返済に際し、被告会社の銀行口座を全く経由していないことからも、被告人に被告会社の計算で喜田株を取得する意思のなかったことが明らかである。』と主張する。

そこで、関係証拠を検討すると、なるほど九、三〇〇万円の資金に関する被告会社の会計伝票及び総勘定元帳への記帳処理が、当該取引の時点ではなく後日になってからなされたものであることは、否定できないところである。しかし、関係証拠によると、被告会社においては、経理を担当する落合らが、日常的なものについては自己の判断で、はっきりしない場合には被告人の指示を受けながら、その都度伝票を起こし記帳処理するものの、最終的には、決算整理の段階で被告人に確認の上処理していたものであり、その結果、伝票を枝番号で起こすこともまま存在したことが窺われる。被告会社の昭和五五年一一月期の総勘定元帳(当庁平成元年押第二四五の6)の記載をみても、所論指摘のもの以外にも、例えば、借入金科目の四月二五日の欄、同月三〇日の欄、五月一五日の欄など、伝票を枝番号で起こして処理したと解される例が散見される。それ故、本件九、三〇〇万円の資金に関する経理処理も、単なる補正の遅延にほかならないと認めるのが相当であって、内容虚偽の改ざんであるとする所論には賛成できない。この点に関し所論は、本件九、三〇〇万円の資金に関する経理処理は、田澤らの教示による改ざんであって、このことは被告人が原審公判段階において供述するとおりである、と主張するが、田澤らにそのような教示までする必要があったとは考え難く、被告人の右供述はたやすく措信できない。なお、被告人が自己又は被告会社若しくはその他の関連会社の顯名、仮名の口座を適宜使用して資金を運用していたことは、関係証拠上明らかであり、九、三〇〇万円の資金の借入・返済について被告会社の口座が使用されなかったとしても、そのことが被告人に被告会社として取得する意思がなかったことの根拠になるものとは考えられない。」

として、弁護人の主張を排斥している。

結局は、原判決は第一審判決とは異り、九、三〇〇万円の資金に関する被告会社の会計帳簿への記帳が後日なされたものであることは認めたものの、これは単なる補正の遅延にほかならず、弁護人主張のような内容虚偽の改ざんとは認められないというのである。その理由として、被告会社では決算整理の段階で被告人に確認の上処理していた結果、伝票を枝番号で起こすこともまま存在していたことが窺われ、現に、九、三〇〇万円の資金に関するもの以外にも伝票を枝番号で起こして処理したと解される例がみられることをあげている。

確かに、被告会社において決算段階で修正したものや、原判決指摘のように枝番号で伝票を起票しているものは、右九、三〇〇万円の原資にかかわるもの以外にも存在し、更には、原判決摘示のもののほかにも存することは、弁護人も承知しているところである。しかし、原判決の枝番号による伝票がすべて補正の遅延にすぎず、改ざんではないとの判断には到底納得し難い。枝番号による伝票がすべて補正伝票と窺われるとすること自体、何らの証拠もなく問題であるが、本件九、三〇〇万円に関する伝票に関しては、被告人が決算期ではなく期後における改ざんと明確に第一審公判で供述していて、これに反する証拠は存しないのに、これが補正の遅延と認定したことは論理法則及び経験則に反するものというべきである。

しかも、原判決は、右改ざんについて、被告人が第一審公判において田澤らにそのような教示までする必要があったとは考え難く、被告人の右供述は措信できないと判示するが、原判決は他方において「被告人が坂部らに教示されて初めて原判示の売却益秘匿の方法を知ったものであることは、所論のとおりであって、これを否定する坂部、田澤ら旭硝子関係者の供述は、到底措信できない」(原判決三五丁表)と判示して、弁護人の主張を認めているのである。そうであれば、田澤らが改ざんについて教示したとみるのがむしろ自然であり、原判決は何の根拠も示さないまま右のように判示するのは、論理的にも経験則上も大きな矛盾を犯しているものといわざるを得ない。

更に原判決は、九、三〇〇万円の資金の借入、返済について、被告会社の口座が使用されなかったとしても、そのことが被告人に被告会社として取得する意思がなかったとの根拠になるものとは考えられないとし、その根拠として、被告人が、被告会社その他関係会社の顯名、仮名の口座を適宜使用して資金を運用していたことは証拠上明らかであることをあげている。

しかし、原判決は、被告人が喜田株を取得する動機について「被告会社として宮崎工場を経営する方がよいと判断」したことによるものと明確に判示しているのである(原判決五丁裏)。そうであれば事柄が重要であるだけに、取得資金、返済資金について、被告会社の経理帳簿上、そのことを明確にしておくのがむしろ当然であり、これがなされなかったところにこそ大きな問題があるのである。これほど重要な点について資金の借入、返済につき被告会社の口座が使用されなかったとしても、被告人に被告会社として取得する意思がなかったことの根拠になるとは考えられないとする原判決は、明らかに経験則に反するというべきである。

原判決は、検察官の主張及び第一審判決を是認するために無理をしているとしか思われない。しかも、弁護人の主張を排斥する原判決の判示内容、根拠を見ると、本件検察官が有罪の立証をすべきものであるのに、逆に弁護人が被告人らの無罪であることの立証をすべきであり、その立証が不十分であるかの如く、すなわち立証責任が転嫁されてしまっているような印象を受けてならない。

そこで九、三〇〇万円の資金の流れについて、詳述しておきたい。

ア 株式譲渡代金であると原判決が認定する九、三〇〇万円の金員の実際の流れは、検察官の立証のみによっては極めて曖昧であった。

査察官作成の調査書においても、単に会計伝票の仕分内容が明示されているだけで、九、三〇〇万円自体の金員の具体的詳細な移動状況は、極めて分り難い内容となっていて、不分明と言って過言でない内容であった。

しかし、右金員の実際の流れを確定することは、極めて重要である。ある物の売買がなされた場合に、その買主が誰であるかの確定につき疑問が生じたとすれば、その確定作業の重要な一内容として、当該売買代金の実質上の負担者の探究が不可欠であることは、捜査・立証上の常識である。この点、本件捜査・立証に際し、右の点が曖昧にされたままになっていることは、極めて異例なケースと言ってよい。捜査官・検察官が、これらの点を調べることを失念したとは考え得ない。後述するこの点に関する具体的な事実関係を解明した上で、これを正確に把握していた筈である。有能な査察官が、右の如き初歩的調査を失念又は省略することは考えられないからである。従って、査察官を検査官も、後述する真相を把握し承知の上で、敢えてこれを記録上あからさまにしない挙に出たものと推測される。この点をぼかした理由は、右の点の真相が、検察官の主張と根本的に相容れないからである。

イ 即ち、被告会社が実際に本件株式を買ったものであるならば、被告会社がその代金を用意し、支出していなければならない筈である。ところが、本件においては、被告会社は、本件当時、その代金を用意することは勿論、その支出もしていないのである。世の中には、何らかの理由によって、簿外で購入するという例もあるが、本件では、簿外で購入したという形跡もないし、検察官もそのような主張をしていない。簿外で購入するなら、簿外で処理するに足りるだけの合理的事情ないし合理的必要性等の特段の事情の存することが必要であるが、そのような事情も全く存しない。

かえって、本件においては、検察官の冒頭陳述及び被告人の捜(調)査中の自白内容によれば、被告会社が本件株式を取得した動機・目的は、専ら伊勢化学の発行済み株式の約四分の一を入手することによって、伊勢化学からその有する宮崎工場の分割を受け、被告会社の名において右宮崎工場を経営し、ヨード製造業を営み、被告人の男子一生の夢たる実業界への進出を実現しようとしたことにある、と明確かつ断定的に特定されているのであるから、本件株式を簿外で取得することなど全くあり得ないところである。被告会社の名前を前面に押し出して、広大な物的施設たる工場を経営しようというのであるから、本件株式の取得は、公明正大なことであり、誰はばかることなくその代金を作り、その支払いをなすべきが当然な筈である。簿外処理であるとか、何らかの操作を加えるといった姑息な手段をとることはあり得ない筈である。

ウ 従って、もし当時被告会社の手持資金に不足があったとすれば、被告会社の名において堂々の借入れをすればよろしい筈である。そして、当該借入金は、被告会社の公表経理されているいわゆる表の預金口座に堂々と振込を受けるなどして受入れれば良い筈である。そして、公表の預金口座に九三〇〇万円を集中して代金を準備し、これを原資として、小切手、預手、振込み又は現金等で支払えば良い筈である。

ところで、本件においては、詳細後記のとおり、借入れをなした事実はあるものの、これを被告会社の名においてした事実はなく、しかも、当該借入金は振込送金されているのに、被告会社の預金口座ではなく別人の口座で受入れており、さらに、九、三〇〇万円という金員を特定の預金口座に預金として集中している事実はあるのに、その特定の口座が被告会社のものではないという事実がある。更に加えるに、このようにして集められた金員の出金の状況を検討してみても、形ばかりにせよ、被告会社を通したという形式すら存せず、被告会社を全く経由しないで支出されているのである。

エ 被告人に本件九、三〇〇万円の支払いは被告会社のためになすものであるとの意思あるいは株式売買代金であるとの意思が少しでも存していたならば、右のような資金の動かし方をする筈がない。被告会社の帳簿を見れば、日々大量の金員が動いており、しかも関係会社相互間の資金移動も比較的多く見られるところであるから、被告人は、それなりに資金の各会社への帰属とその処理に意を用いていたことは明らかであるからである。被告人が、右のような資金の動かし方をしたのは、九、三〇〇万円を貸金であると考えていたからに外ならない。資金については、いろいろな会社名義で従来から貸付けていたから、どの会社名義の預金に資金を集めてもよかったのである。

オ 以上に述べたことは、実際の資金の流れとこれに伴なう問題点であるが、次に会計伝票及び帳簿の各経理処理について述べてみたい。実際の資金の流れが前記のとおりであることからする当然の帰結とも言えるが、当時、被告会社は、右九、三〇〇万円につき、何らの経理処理をしていない。株式取得の点についても何らの経理処理をしていない。被告会社が九、三〇〇万円で買ったのであれば、実際の資金が被告会社の内部を通るし、内部を通れば資産勘定たる預金口座の入出金に変化を生ずるから、必然的にその旨の経理処理がなされるのであるが、本件では、資金が通っていないので、全く何らの経理処理がなされていないのである。この点は、突き詰めて論ずれば、経理処理をなす意思があれば、資金の動かし方として形ばかりにせよ、被告会社の預金口座を一旦は通した筈であり、逆に言えば、被告会社が本件株式を買ったとの意識が全くなかったから、資金の流れにおいて被告会社を形式的にせよ通さず、従って株式を九、三〇〇万円で買ったとの経理処理もしていないのである。このように、資金の流れ方及びこれに連動する経理処理の有無という点は、当時における被告人の本件株式売買の意思、特に被告会社のためにする意思を即物的に論証するのに誠に重要な論点なのである。

カ なお、検察官が、第一審公判の最終段階に至って弁護人の求めに応じて開示された被告会社の会計伝票及び帳簿には、被告会社が九、三〇〇万円で本件株式を購入した旨の経理処理がなされている。しかし、これは会計伝票の起票も帳簿への計上も、いずれも翌期に入り、当期の法人税申告期限を徒過しながら遡ってなされたものであり、しかもこれは、単なる計上漏れの補正の遅延というものではなく、実際は、実態に反する虚偽の伝票の差し込み等による会計帳簿の遡及的改ざんなのである。ところで、本件調査・捜査の段階において、右会計伝票、帳簿が改ざんされたものであるとの事実は、伝票の番号の記載の不統一(ナンバーリングと手書き)、不連続(同じ番号のものにAを付してもう一つの伝票を作る方法)等の事実によって、容易に看破し得た筈である。かくの如き経理操作を専門に扱う査察官や経済係検察官にとっては、右は容易なことであると考えられるからである。弁護人らは、昭和六一年一一月二九日付落合教示の検察官調書末尾添付の資料を何度めかに見直したときに、資料<4>の伝票写のみが添付されていて関連する株式取得の伝票写が添付されていないことに疑問を持ち、何故添付されていないのであろうかという理由につき検討するうち、右伝票の番号が手書きで「24A」とされているのに資料<18>の伝票の番号はナンバーリングで記されていることに気付いた。そこで、経理担当者を追及するなどして当時の経理処理の仕組み、実態の解明に尽力したところ、右のとおり、後日作り直した事実が明らかになってきた。そこで更に、何故後日作り直さなければいけなかったのかにつき調べを進めた結果、昭和五五年五、六月当時には被告会社の預金口座を九、三〇〇万円が経由した事実すらないということが浮かび上がってきた次第である。そこで、検察官に伝票、帳簿等の開示を求め、右の事実を確認することができたのである。見ることができる伝票が若干の枚数では、右に気付かないこともあり得るが、すべての伝票、帳簿を全体的に観察点検すれば、右改ざんの点は、プロなら直ちに看破し得る。落合教示の前記検察官調書に株取得に関連する伝票が一部しか添付されていないという事実の裏には、関連する全部の伝票を添付すると、改ざんの事実が露見しやすいとの配慮が窺われるとの疑念を捨て切れない。

なお、右検察官調書の本文の内容、特に第六項の供述記載は、昭和五五年五、六月当時、前記九、三〇〇万円が被告会社を経由した事実が全くないとの事実、及び、右当時会計処理が全くなされていないとの事実と明らかに矛盾し、これら事実を単純に無視して作成されていること及び後記の伝票、帳簿の改ざんの事実につき全く触れていないことなどから、検察官の作文か、または、右落合が無批判的に検事に迎合して作成されたものであることが明らかであり、右のような供述部分を有する以上、右落合の検察官調書は他の部分を含め全体として信用できないことを付言しておきたい。

以上に概説したとおり、資金の実際の流れ、及び、経理処理がなされた時期というテーマは、いずれも、互いに関連し合いながら、昭和五五年五、六月当時、被告人において、被告会社のため(又は被告会社の計算において)、本件株式を購入する意思が存しなかったことを浮きぼりにし、これを如実に物語る重要な論点であるので、以下にその実態を詳述する。

(2) 資金の流れ

ア 検察官は、本件九、三〇〇万円のうち六、〇〇〇万円は、被告会社が吉田得次から借入たものと認定している。

しかし、実際の資金の流れは、次のとおりであり、借入名義人が被告会社でないのみならず、借入金自体も被告会社には全く入金されていない。

即ち、昭和五五年六月五日、宮崎銀行東京支店の小林一郎名義の普通預金口座に吉田得次から「イシハラタカシ」名義で五、六四〇万円が送金されている(五、六四〇万円という金額は、六、〇〇〇万円に対する月六分の一カ月分の利息である三六〇万円が天引きされて、送金されてきたことによる)(資料一一六、弁第九〇号証、資料一一八)。そして、小林一郎名義の右口座から右入金日である六月五日に、うち五、四〇〇万円が払戻されて、平和相互銀行池袋支店の丸益産業株式会社の普通預金口座に入金されている。

イ また、その翌日である六月六日には、被告人は、自己がかねて被告会社に貸付けていた金員(代表者勘定)の中から三、四〇〇万円の返済を受け、(代表者勘定)て、同金員を小林一郎名義の口座に入金した上、同日、同額の三、四〇〇万円を払い戻して、右丸益産業株式会社の口座に入金している。

ウ このようにして、被告人は、平和相互銀行池袋支店の右丸益産業株式会社の普通預金口座に、同口座の前残と合わせて九、三〇〇万円に上る資金を集めた。そして、同日、同口座から九、三〇〇万円が現金で払い戻されて、うち八、〇〇〇万円が喜田幸治の江戸英雄に対する借金の返済として右江戸の代理人池田映一に対し被告人により立替支払われているのである(資料一一五)。

右のとおり、本件九、三〇〇万円は、前記吉田からの借入金のうちの五、四〇〇万円、被告会社から被告人への代表者勘定(返済)として小林一郎名義の右口座に振込まれた三、四〇〇万円、更に、丸益産業株式会社の右普通預金口座の残高中の五〇〇万円の三口の資金が合体して、その原資となっているのであって、これらの資金を被告会社が支出した事実は存しない点に注目すべきである。

そして、これら資金の手当及び預金口座の移動及び払戻等は、すべて被告人の判断及び指示によってなされているのである。

エ ところで、丸益産業株式会社の右口座について、国税局及び検察官は、被告会社の簿外口座とみている節がある(例えば、乙第四号証の問一一の質問の中で、「九、三〇〇万円は平和/池袋の丸益産業(株)名義普通預金口座(簿外口座)から六月六日に払い出されており、帳簿上は六月三日に支払っている」との記載がある)。

もっとも、国税局は右のうち後記の被告会社の帳簿に記載されている三、三〇〇万円(正確には三、四〇〇万円)について、「三、三〇〇万円は簿外の借入金を代表者勘定で受け入れたものである」(甲一一……有価証券売却益調査書一四頁)としているので、小林一郎名義の預金口座を被告会社の簿外口座とみているかどうか必ずしも明らかではない。しかし、平和相互銀行池袋支店の丸益産業株式会社の口座の入出金の状況をみると、これが被告会社の簿外口座と認定するのは、明らかに誤りであり、かつ、右三、三〇〇万円(正確には三、四〇〇万円)を、被告会社の簿外の借入金と認定することは正しくない。

すなわち、小林一郎名義の普通預金口座は、その入出金の状況及び被告人の公判廷の供述等からして、被告人個人の預金口座であるとみられる上、六月六日、被告会社から小林一郎名義の口座に移った三、四〇〇万円については、被告会社の帳簿上代表者勘定として処理されているからである(弁第九一号証の一六、資料一二〇参照)。

オ 被告会社が本件株式を買ったのが本当であり、右九、三〇〇万円がその代金であるとするならば、何故、前記吉田からの振込を前記小林一郎口座で受入れるようなことをするのであろうか。被告会社は、平和相互銀行目黒支店に当座預金口座をもっているほか、他の銀行口座も有している。前記のような動機・目的の下に本件株式を買ったのであれば、右のいずれかの被告会社の預金口座で受入れれば良いのである。例えば、右平和相互銀行目黒支店の当座預金口座に受入れたとすれば、同口座には、同日付代表者勘定名下に出金して前記小林一郎口座に振込送金されて前記九、三〇〇万円の一部を構成することになる三、四〇〇万円が残高としてあった訳であるから、前記のような煩雑な預金の移しかえを何らすることなく、単純に九、三〇〇万円を集めることができた訳である。しかも、そのようにした方が、経理処理も容易で明快である。

更に、前記のように集められた九、三〇〇万円は、その支払いに際し、被告会社の預金口座を通過させられた事実すらないのである。

カ 次に、右のうち、吉田得次から借入れた六、〇〇〇万円の返済状況を見ると、昭和五五年九月二日、平和相互銀行目黒支店から多田静夫名義で、鹿児島銀行本店の「吉田トクジ」名義の普通預金口座に六、〇〇〇万円が振込送金されて、返済されていることが明らかであり(弁第九二号証)、かつ、この返済資金は被告会社から出金されていないのである。

ところで、右借入金が、被告会社が実際に借入れたものであり、しかも、本件株式の取得資金として借入れたものであるならば、何ら隠しだてする必要はないのであるから、被告会社の名において返済すべきが当然である。更に、被告会社において返済資金を作るべきである。被告人が返済資金を金策したとしても、一旦、代表者勘定名下に被告会社の預金に入金するなどすべきである。しかし、実際の事実関係は、右のとおり、被告会社は出金しておらず、送金名義人にすらなっていないのである。この事実にも注目すべきである。

また、小林一郎名義の口座から出金された前記三、四〇〇万円、及び丸益産業株式会社の口座から出金された前記五〇〇万円についても、その後返済等またはうめ合わせ等のための資金移動は、形式的にせよ全くなされていない。

キ 吉田得次から借入れた六、〇〇〇万円に関する利息の支払についてみると、最初の一カ月分の利息については、元金から三六〇万円天引されていることは前記のとおりであるが、その後昭和五五年九月二日六、〇〇〇万円を返済するまでの間の同年七月七日及び同年八月六日、いずれも三六〇万円が各月の利息として支払われている。これらの金員は、被告人が、被告会社から従来貸付けている金員の返済を受け(代表者勘定)、前記吉田に対し、支払いをなしたものである。

ク 原判決は、以上の弁護人主張の実体には全く目を向けず、問題の九、三〇〇万円について「九、三〇〇万円の資金の借入、返済について被告会社の口座が使用されなかったとしても、そのことが被告人に被告会社として取得する意思がなかったことの根拠となるものとは考えられない。」と判断しているが、これは明らかに経験則に反する認定であり、到底承服し難い。

(3) 被告会社の帳簿上の処理

ア 以上のような九、三〇〇万円の資金の動きに対し、被告会社の帳簿の記帳をみると、次のとおりである。(資料一一九)。

すなわち、まず九、三〇〇万円の出金についての処理は、

六月三日付の伝票(弁第九一号証の四の伝票番号24Aのもの及び伝票番号12Aのもの、資料一二〇)によれば

借方 貸方

<1> 有価証券 三、三〇〇万円 代表者勘定 三、三〇〇万円

<2> 有価証券 六、〇〇〇万円 借入金 六、〇〇〇万円

と仕訳されて、総勘定元帳に記帳されているのである。

この処理と真実の資金の流れとの間には不一致がある。

すなわち、右<2>仕訳は、有価証券を借入金六、〇〇〇万円によって取得したとするものであるが、右借入金六、〇〇〇万円とは一体何を指すのかが全く明らかではない。右<2>の借入金が吉田得次からの借入金であるとすると、小林一郎名義もしくは右丸益産業株式会社の預金口座からの入出金が被告会社の簿外か否かは別としても、吉田得次から借入れたのは六、〇〇〇万円ではあるが、これから一カ月分の利息三六〇万円が天引されているのに、この天引利息の処理が帳簿上全くなされていない上、小林一郎名義口座への五、六三〇万円の入金、あるいは同口座からの五、四〇〇万円の出金及び同額の丸益産業口座への入金のいずれとも金額が一致していないのである。

イ また、右の<1>の仕訳についてみると、これは被告会社が代表者から三、三〇〇万円を借入れて有価証券を取得したとするものである。

しかし、前記資金の流れによって明らかなとおり、本件で問題となっている九、三〇〇万円は、五、四〇〇万円と三、四〇〇万円の二口の資金が平和相互銀行池袋支店の丸益産業株式会社の口座に入金され、これに同口座にあった資金が五〇〇万円加わっているのであるから、三、三〇〇万円という金額は真実の資金の動きとも全然一致していないのであり、そのころ被告人個人が被告会社に三、三〇〇万円を貸付けた事実も、そのような証拠も何ら存しないのである。

しかも、九、三〇〇万円を出金したのは、六月六日であり、喜田側に渡ったのはそれ以降であるにも拘らず、被告会社の帳簿上は、九、三〇〇万円の出金前である六月三日と記帳されており、この点でも真実と不一致が生じているのである。

ウ そこで、何故に、右のように理解困難な経理処理がなされているのかについて検討してみると、実際の資金の流れを全く無視して吉田得次からの借入金の金利の天引分を考慮せず、吉田得次からの借入れ金額を六、〇〇〇万円とすると、残額は三、三〇〇万円となるところから、九、三〇〇万円という金額に単純に合わせるために、右のような借入金六、〇〇〇万円と代表者勘定名目の三、三〇〇万円という二口の経理処理をして、表面的なつじつま合わせをしたにすぎないものと思料されるのであり、何故に、このような表面的かつ目茶苦茶なつじつま合わせをしたのであろうかという点につき、重大な疑問を抱かずにはおられない。この点は、前記のとおり、被告会社が、翌期になってから会計伝票等を遡及的に改ざんしたために、このような結果になっているのであり、詳細は、後記(4)において述べる。

エ 次に、右吉田得次からの借入金とされている六、〇〇〇万円の返済に関する被告会社の伝票(弁第九一号証の三三、伝票番号24A)及び元帳を見てみると、九月五日付で

借方 貸方

<3> 借入金 六、〇〇〇万円 代表者勘定 六、〇〇〇万円

と仕訳されている。

右処理は、被告会社が代表者から六、〇〇〇万円を借用して、吉田に対する借入金を返済したという趣旨である。しかし、この六、〇〇〇万円は前記のとおり多田静夫名義で吉田得次に送金したものであり、当時、被告人が被告会社に対し、六、〇〇〇万円という金員を実際に出金した事実もない上、実際に送金して資金移動した日付である前記九月二日という日付とも一致していないのである。

オ 次に、前記七月七日及び八月六日の利息支払の経理処理をみると、

借方 貸方

七月七日(弁第九一号証の二一、伝票番号45)

<4> 支払利息 三六〇万円 当座 三六〇万円

八月六日(弁第九一号証の二八、伝票番号87)

<4> 支払利息 三六〇万円 当座 三六〇万円

となっているのである。

つまり、右二回分の利息は、被告会社の当座から支出されているのである。

しかし、ここで注目すべきことは、右<4><5>の伝票上借方の「支払利息」の記載はいずれも従来「代表者勘定」となっていた、即ち、代表者への返済とされていたのに、これに線を引いて「支払利息」と訂正されていることである。これは、実際は、前記(2)キ記載のとおり、被告人が、被告会社から、右各三六〇万円の返済を受けて、前記吉田からの個人的借入金六、〇〇〇万円の支払利息に充当していたものであることを示しており、ただ、翌朝になって、伝票を遡及的に改ざんした際、右のように線を引いて訂正したことを如実に物語っているのである。

(4) 会計帳簿の改ざん

ア 国税局の調査及び検察官の捜査の過程では、何故か全く触れられていないのであるが、右の伝票及び帳簿上の記載は翌期になってから改ざんされたものであり、その時期は、昭和五六年二月初頃である。

右改ざんの事実は、第一審第二〇回公判における被告人の供述及び被告会社の右伝票、元帳等の体裁及び記載内容等によって、明らかである。

すなわち被告人は、旭硝子との間で同会社に九三万株余を売却する旨の合意が成立したころ、旭硝子の田澤部長から本件株式が被告会社の帳簿上計上されているか否かを尋ねられ、計上していない旨を返答したところ、同部長から、それでは早急に本件株式を購入した事実等を被告会社の帳簿上に記載しておかなければいけないとの指示・指導がなされた。

旭硝子側は、前記昭和五五年五月三〇日付株式譲渡契約書が架空のものであることを察知していたが、架空とはいえ同契約書が存在すること、被告人が株券を現実にその支配下においていること、同被告人は右株券を旭硝子に引渡す気でいること、喜田幸治なら何とか言い含められると見込まれること等の諸事実を奇貨として、この際、正常取引とはいえないが、強引に右株券を自己の手中に納めてしまおうと考え、それには、架空とはいえ同契約書が正当なものであるような外形を整えさせ、同契約書を正当なものと誤信したと主張し得るだけの状況作りを遂げようと考え、被告人に対し、右のように指示したものである。右事情を理解した被告人は、右指示を受入れなければ旭硝子は買取りに応じない気配であったところから、急拠、会計伝票等を遡及的に改ざんして右指示に応じることとした。しかし、時間的に余裕がなかったことから、昭和五五年一一月期の決算及び税務申告期限である昭和五六年一月末日を徒過した昭和五六年二月初頃に至り、急拠被告会社の帳簿及び伝票の書きかえ作業をなした。

イ 右書きかえ、即ち改ざんの内容は、本件株式を被告会社が喜田から九、三〇〇万円で購入し、被告会社がその代金を支払った、という趣旨の伝票類を新たに作成し、伝票綴に差込むことであったが、前記のとおり、実際の資金の流れは、右趣旨に全く沿わない実態であったので、これを無視し、単純に表面を糊塗して辻つまを合わせて済ませることとし、当時存した被告人個人の吉田得次からの借入六、〇〇〇万円という事実をここにすり替えて、被告人ではなく被告会社が右吉田から右金員を借入れたことにしたのである。実際に借入れた手取額は五、六四〇万円であったが、右天引の点も無視した。通常、借入金の相手方勘定は、預金又は現金等の資産勘定となるのが自然であるが、そのような実態がないので、相手方勘定を直接有価証券とせざるを得なかった。そして、右六、〇〇〇万円と九、三〇〇万円との差額三、三〇〇万円については、真実を一切無視して被告人が被告会社に貸付けた金をもって充てたとの事実をねつ造して、代表者勘定名下に処理することとした。かくして作成されたのが、前記<1>及び<2>の伝票である。委細を無視したから、作成日付も、適当に入れたので実態に合っていない。これを従来から正規に作成されていた伝票綴に遡って差込むこととした。

ところで、被告会社では、かねてから毎月会計伝票を作成しており、しかも、月ごとに、作成順に、会計伝票一枚ごとに、ナンバーリングを用いて一連番号を付することになっていた。従って、右<1>及び<2>の伝票に付する番号に問題が生じた。右両伝票の日付である昭和五五年六月三日付の他の伝票が綴られているところに右<1><2>の伝票を綴り込まなければならないが、その前後の他の伝票には、既にナンバーリングで一連番号が付されているから、右<1><2>の伝票に番号のつけようがなくなったのである。その月の全伝票をすべて作り直す方法もあったが、被告会社では、その手数を省き、単に、右<1>の伝票は、六月分のナンバーリングの「12」番の伝票の次に入れることにして、<1>の伝票の上部に手書きで「12A」と枝番を付した番号を付したのである。同様に、<2>の伝票は、ナンバーリングの「24」番の伝票の次に入れることにして、「24A」と手書きで番号を付したのである。従って、他の伝票は、ナンバーリングで番号が表示されているのに、右<1>及び<2>の伝票だけは番号が手書きなので、一見して不自然である。

吉田得次からの借入六、〇〇〇万円も、被告会社の借入として右のように処理した以上、その返済についても新たに伝票を起こす必要が生じたので、前記<3>の伝票を遡った日付で作成した。借方「借入金」の相手方勘定としては、通常、現金、預金、手形等が来るのが自然であるが、そのような実態がないので、代表者勘定を用いるほかなかった。この伝票についても、右<1><2>の伝票と同様の番号の問題が生じたが、右同様に、九月分のナンバーリングの「24」番の伝票の次に入れることにし、手書きで<3>の伝票の上部に「24A」と記載して済ませた。

右借入金の利息については、前記のとおり、被告人は、被告会社から返済を受けた(代表者勘定)金員をもって支払っていた事実が存した関係上、それぞれ支払った当時に、伝票が作成されていた。訂正前の<4><5>の伝票が右のようにして作成されていた伝票である。即ち、いずれも

借方 貸方

代表者勘定 三六〇万円 当座預金 三六〇万円

という仕訳の伝票である。完璧に改ざんするためには、右<4><5>の伝票は、これをすっかり作り直すべきであったのに、被告会社では、時間的余裕がなかったためか、右両伝票については作り直すことなく、単に、借方「代表者勘定」なる文字の上に線を引いて、その上部は「支払利息」と書入れて、訂正の形で処理した。従って、伝票の番号は、ナンバーリングのままとなっている。

右のような伝票の改ざんと符節を合わせて、総勘定元帳も作り直すなどの改ざんを遂げているが、改ざん作業がスムーズに進まなかったのか、総勘定元帳は日付の順序等が前後したりしている。

以上の一連の改ざんを遂げた上、これと符節を合わせる内容の法人税確定申告書を提出した。右改ざん等に時間を要したので、期限後申告となっている。

(5) 結論

ア 以上のとおり、被告会社は、九、三〇〇万円を全く金策しておらず、従って、その支払いもしておらず、支払いをした形を作るため預金口座を通すという操作すらしておらず、伝票等の公表経理への計上も翌期に改ざんしてなしたものであり、その内容も虚偽である。従って、被告会社が、本件株式を喜田幸治から九、三〇〇万円で購入したとの事実は、全くの虚偽であることが明らかである。

イ なお、昭和五六年二月初に至って、被告会社の帳簿に九、三〇〇万円に関する記帳をした事実はあるが、被告人が、旭硝子の前記指示により記帳及び帳簿操作をするに至ったという経緯からして、被告会社で喜田株を九、三〇〇万円で取得したものと認識して、それ故に記帳したものとは到底認められない。従って、単に被告会社の伝票、元帳に株式取得に関する出金等の記帳があることをもって、被告会社が喜田株八九万株を取得したものと断ずることは誤りである。

ウ また、昭和五五年一一月期の被告会社の法人税確定申告書に保有有価証券として、本件八九万株が計上されていること、および翌期の右同申告書に九三万株の五名に対する売却益が計上されている事実が存することも確かである。しかし、これも被告人としては、右伝票及び元帳への記帳と平仄を合わせるため、右申告書へ計上して申告したものであって、これをもって右株式八九万株が被告会社に帰属すると速断することも誤りである。

被告会社の伝票、元帳及び法人税確定申告書に収入がある旨記載がある分について、国税局及び検察官はその実態を調査した上、被告会社には粉飾決算があったものとして、その分について、これを減算しているところである。従って、被告会社の帳簿や申告書の記載は、元来、信用性が全く存しないものというべきであり、本件八九万株の取得の有無及び売却益についても、実質的に判断すべきであって、伝票や元帳、もしくは確定申告書に記載されているか否かの形式のみで判断することは誤りである。

エ 原判決は、右の公表帳簿の期後の改ざんを他にも枝番号の伝票が存ることから補正の遅延と速断して、それ故に本件株式が被告会社に帰属することの認識を有していた根拠としているが、これは帳簿及び伝票の記載を正しいものと形式的に断定したものであって、これまで詳述した諸点に照らし、到底納得できない。

オ なお、本件株式売却益の帰属に関しては、当時旭硝子が公表帳簿上どのように処理したかも重要な問題と思われるが、これについては何ら明らかにされていないことを付言しておく。

そして本件株式売却益の帰属については、法人税法の実質課税の原則に従い、以上詳述した事情を考慮し、その実質を充分把握して判断さるべきことであるのにこれをしなかった原判決は、経験則に反して事実誤認をなしたものであり、この点においてこれを破棄しなければ著しく正義に反するものと信ずる。

(七) 本件株式の売却代金の使途について

(1) 原判決は「なるほど、関係証拠によると、喜田株を含む本件株式の売却益は、被告会社だけでなく、被告人個人及びその余の関連会社も享受していて、その割合を形式的にみれば、被告会社の享受分が少ないともみられるが、関係証拠に明らかなように、被告会社だけでなく、その余の関連会社も総て被告人がワンマン的に経営し、各会社の資金運用についても被告人がほとんど専断的に決していたものであるから、所論指摘の使途状況はむしろ当然とも言えるのであって、これをもって売却益が被告会社に帰属しないことの理由とは言い難く、所論には賛成できない」(判決書二九丁)と判示しているが、これに対し、反論する。

(2) 原判決は「……本件株式の売却益は、被告会社だけでなく、被告人個人及びその余の関係会社も享受していて、その割合を形式的にみれば、被告会社の享受分は少ない」と判示しているが、なぜ形式的と判断したのか、その理由を明らかにしていない。国税局は、多数の査察官を投入し、莫大な資料に基づいて認定した実質的な利益の使途を明確にしているのであり、決して形式的なものではない。その調査結果が、甲第一八号証株式譲渡代金使途調査書等である。同関係証拠を精査すると、被告人が、旭硝子等から受け取った株式譲渡代金等の総額二二億〇、二三九万九八七円になるところ、右売却益は、被告人外被告会社並びにその関係会社において形式的でなく実質的に使用され、収益を得ているのである。その実質的収益の享受分並びにその割合を多い順に掲示すると左記のとおりとなる。

<1> 被告人個人が使用し、実質的収益が同人に帰属する金額並びにその割合

金一〇億一、四〇五万八、九五〇円 四六パーセント

(その内訳)

架空名義の預金 金三億五、九〇〇万円

貸 付 金 金三億一、〇〇二万円

代表者勘定 金二億四、八八二万八、九五〇円

被告人の個人費消分 金 八、八四一万円

その他 金 七八〇万円

<2> 被告会社の事業資金として使用され、実質的収益が同社に帰属する金額並びにその割合

金四億六、七一五万九、三八八円 一七・二パーセント

<3> 伊勢開発負債整理資金として使用されたもの並びにその割合

金三億三、九二〇万一、七三四円 一五・四パーセント

<4> 丸益通商株式会社の事業資金として使用され、実質的収益が同社に帰属する金額並びにその割合

金二億七、三九五万六、〇七九円 一二・四パーセント

<5> ひまわり商事有限会社の事業資金として使用され、実質的収益が同社に帰属する金額並びにその割合

金二億三、八三一万五、八〇四円 一〇・八パーセント

<6> 丸益商事株式会社の事業資金として使用され、実質的収益が同社に帰属する金額並びにその割合

金 四、三〇〇万円 二パーセント

<7> 西日本開発株式会社の事業資金として使用され、実質的収益が同社に帰属する金額並びにその割合

金 三二九万七、一七六円 〇・一五パーセント

<8> 株式会社丸益産業との事業資金として使用され、実質的収益が同社に帰属する金額並びにその割合

金 三六万六、〇〇〇円

(3) 前記<1>の内訳につき、なぜ被告人個人に実質的収益が帰属するのか、その理由を説明する必要があると思料するので、この点について詳述する。

<1> 預金 三億五、九〇〇万円の実質的収益の帰属について

これは被告人個人が主として武蔵野信用金庫に預け入れた定期預金であるが、それぞれ架空名義で預金されて、被告人の支配管理下にあり、且つ、被告人個人が自由に処分できる預金であって、被告会社に帰属するものでは無い。これは被告人が、本件査察調査・捜査に当たって帰属主体を被告会社にするために、この預金も被告会社に帰属すると供述した証拠となるものも、全く無く、反対に乙第四六号証一五頁「個人的目的に消費した額は一億六、八〇〇万円くらいになり、その他、合計三億円くらいの株式譲渡代金を個人的に使い、大変贅沢をし、最低でも貴局の計算したものは使っている」旨供述していることから判断すると、右預金の終局的収益は被告人個人に帰属するものとみるのが自然であり合理的である。

<2> 貸付金 三億一、〇〇二万円の帰属について

貸付金は全て被告人が同人並びにその従業員落合教示名義を使用して、それぞれ貸付けたもの(甲第九号証受取利息調査書六頁)で、一列を挙示すれば三和薬品に対する金八、〇〇〇万円の貸付金は、株式譲渡代金の一部を宮崎銀行本店田中食肉センター株式会社名義の口座を経由し、昭和五六年三月二六日貸主種子田益夫として金銭消費貸借公正証書を作成し(甲第九号証三頁)て、貸付け、その受取利息合計二、七四五万円金額を被告人が受取り(乙第一号証昭和六一年二月一三日被告人の収税官吏に対する質問顛末書によると領収書も種子田個人名義で提出されている)、実質上の利益を被告人個人が得ている。

その他南日本商事、尾崎清光、富永吉武、富山勝博、東貞光外に対する貸付金についても右と全く同じく被告人個人が貸付け、利息も全て種子田個人が享受しているもので、これらの貸付金が被告人個人に帰属するものであることは関係証拠上明白である。

<3> 代表者勘定名下の二億四、八八二万八、九五〇円の収益の帰属について

代表者勘定は、代表者被告人が被告会社に対して金員の貸付をしたり或いは貸付けた金銭の返済を受けたりする一時的な勘定科目であるが、本件の代表者勘定を関係証拠により精査してみると、被告人が個人的に費消したと思料せられる金員を、被告会社の代表者勘定の科目に入れ込んで処理したものにすぎないものであり、その収益の実質上の享受者は被告人個人であることは明らかである。

(4) 以上のとおり、株式譲渡代金等の使途総額金二二億円余のうち、被告会社において実質的、終局的利益を享受した金額は金四億六、〇〇〇万円余で、全体の僅か二一・二パーセントにすぎない。

他方、被告会社以外の被告人個人並びに被告人の関係会社の事業資金として使用され、それ等の者が得た利益は、実に一七億三、〇〇〇万円余に上り、使途総額全体に対し、七八・八パーセントとなる。

このことは実質的所得者課税の原理上、全体を被告会社の収益と評価することができないことを意味するもので、敢えて言えば、収益を享受する者としては被告人個人と認定するのが合理的である。

原判決は「喜田株を含む本件株式の売却益は被告会社だけでなく、被告人個人及びその余の関連会社も享受していて、その割合を形式的にみれば、被告会社の享受分が少ないともみられる」と判示していながら「被告会社だけでなく、その余の関連会社も総て被告人がワンマン的に経営し、各会社の資金運用についても被告人がほとんど専断的に決していたものであるから、所論指摘の使途状況はむしろ当然とも言えるものであって、これをもって売却益が被告会社に帰属しないことの理由とは言い難く、所論には賛成できない」と判示している。

確かに、被告人は、被告会社だけでなく、その余の関連会社も総て、ワンマン的に経営し、各会社の資金も専断的に運用していたことも事実であるが、右のように専断的に思うがままに資金を運用して実質的利益を受けるのは、被告会社やその余の関連会社ではなくて、被告人個人であるはずであり、原判決挙示の売却益が被告会社に帰属する理由付けとはならないばかりか反対に売却益が被告人に帰属する理由付けとなるものである。

通常、社会経済生活を営むに当たって、法律名義と経済的実質とは一致するものであるが、被告人のように超ワンマン的経営をする人物については、法律上の形式をどのようにするか、またどの会社の名義を使用するかは単なる思い付きに過ぎず、法形式と経済的実質が異なるのは常態である。

即ち、被告人は、同人の個人的利益を得るために前記の架空名義の預金をするときと同様に思い付きで、被告会社の名義を使用して、法形式を整えたに過ぎないものであって、終局的実質的利益の享受者は前記のとおりの実質的収益の使途から判断して、被告人であると認定するのが合理的であるから、実質所得者課税の原則上外形的法形式名義に拘ることなく被告人に租税を負担せしめるべきである。

そもそも、税金は法律上の権利者であるか否かを問わず実質的に収益を享受した者をその収益の帰属者として負担させることが、税法の根本理念である負担公平の原理に合し、且つ社会正義の要請に適うものである。

売却益の帰属者と目される法形式上のものが、その経済的利益を実質的、終局的に取得していない場合において、右の者に課税することは、収益を得ていない者に対して不当に租税を負担せしめる反面、実質的収益の所得者をして不当にその負担を免れしめる不公平な結果を招来することになる。

本件の場合においては、右と同じような不当な結果を招来せしめるものであるから、所得帰属の外形的法形式名義に拘ることなく、その経済的利益の実質上の享受者たる被告人個人に所得税法所定の所得の帰属者として租税を負担せしむべきである。

2 大和久株の取得主体及び売却主体について

(一) 原判決の大和久株に関する判断には経験則に反する重大な事実誤認がある。

(二) 原判決の認定した事実及び判断

原判決(七丁表、裏)は大和久株の事実関係について、次のとおり判示する。

すなわち、

「(10) 被告人は、同年六月ころ喜田から、伊勢化学の取締役であった大和久が同人所有の伊勢化学の株式を売却してもいいと言っているがどうか、同人とは伊勢化学で一緒に苦労した仲であり、同人には満足な退職金も支払われていないので、価格については考慮してやって欲しい旨言われ、喜田からの依頼であり、宮崎工場を分割して経営するためにも必要と考えてこれに応じることとし、大和久と交渉した結果、被告会社として、大和久の希望である一株当たり五〇〇円の価格(代金合計二、一三〇万円)で同人から伊勢化学の株式四万二、六〇〇株(以下「大和久株」という。)を取得したが、右の売買については契約書などを作成せず、右大和久株の取得資金については、被告会社の同年一一月期の総勘定元帳の代表者勘定及び当座預金科目に公表計上した。」

と判示する。

そして、弁護人の主張を、

「所論は、『11株式のうち大和久株は、被告人が個人的に大和久から取得して旭硝子に売却したものであって、このことは、被告人の原審公判段階の供述に現れているほか、<1>大和久自身が大和久株は被告人に売却した旨供述していること、<2>大和久株取得のための出金について、被告会社では昭和五五年一一月期に代表者勘定として経理処理していること、<3>被告会社の確定申告書には保有株式として大和久株が記載されていないこと、<4>被告人は、大和久株について、当初、査察官に対し、自分が取得した旨供述していたものであり、その後、被告会社が取得した旨供述を変更しているものの、右供述変更の理由につき納得できる説明がないことに徴して変更後の供述は不自然であり、変更前の供述こそ信用されるべきであること、<5>大和久株の名義は、大和久から取得した後、西日本開発株式会社をはじめとする二社三名に分散して変更されていて、名義変更されていない喜田株と異なる取扱いがなされていることなどの諸点に徴して明らかなところである。』と主張する。」

(原判決三〇丁表、裏)

と要約した上、次のとおり判示して弁護人の主張を排斥している(原判決三〇~三二丁)。

すなわち原判決は、

「しかし、被告人の査察・捜査段階の供述とその余の関係証拠によれば、大和久株の取得状況は、前示(10)のとおりであり、被告人は、喜田を介して大和久に伊勢化学の株式を売却する意向があることを知り、喜田からの依頼でもあり、招来の被告会社による宮崎工場の経営に備える気持ちから、これに応じたことが認められる。右にみた大和久株取得の経緯及び動機のほか、被告人が大和久株の引渡を受けたのち、これを被告会社の金庫に保管し、その後、旭硝子に対し喜田株と一括して売却し、売却益についても喜田株と区別することなく経理処理していること、他面、関係証拠を検討しても、大和久株のみを被告人が個人的に購入する理由や必要は見当たらないこと等の諸点を併せ考えれば、大和久株を購入して旭硝子に売却した主体は、被告会社と認めるのが相当であり、これと相容れない被告人の原審公判段階の供述は措信できない。そして、関係証拠を検討するに、(ⅰ)大和久の検察官に対する供述調書によれば、同人は、喜田からの紹介があったため被告人を信用して大和久株を売却したものであるが、その際売却の相手方が被告人個人であるか被告人の関係している会社であるかは気に留めていなかった旨述べているのであって、所論<1>のように被告人個人に売却したものと明確に認識していたものとはいえない。(ⅱ)確かに、大和久株の取得資金に関する被告会社の経理処理は、所論<2>指摘のとおりと認められる。しかし、被告人の大蔵事務官に対する昭和六一年二月二二日付質問てん末書(二〇枚綴りのもの)等及び落合の検察官に対する同年一二月一六日付供述調書(一〇枚綴りのもの)によれば、被告会社においては、落合らが被告人の指示に基づいて伝票等の処理をしていたところ、被告人の指示が支払い先やその内容にまで及んでいる場合には、落合らとしてもそのとおり処理できるが、被告人から具体的指示がない場合には、代表者勘定で処理せざるを得ない状況であって、大和久株については被告人が使途も言わずに出金させてしまったため、代表者勘定として処理するほかなかったものであることが認められるから、かかる経理処理の存在を理由として被告人を取得主体と認めることはできない。(ⅲ)所論指摘<3>のとおり、被告会社の昭和五五年一一月期の法人税確定申告書には同社の保有株として大和久株が記載されていないが、これは、被告人が落合に計上方を指示するのを失念していたに過ぎないと認められるから(被告人の検察官に対する昭和六一年一二月二二日付供述調書、七枚綴りで二項までのもの)大和久株の取得主体が被告会社であることを否定するものとは到底いえないところである。(ⅳ)大和久株の取得主体に関する被告人の査察官に対する供述に変更が存し、この変更の理由について具体的説明がなされていないことは、所論<4>指摘のとおりであるが、被告人は、変更後、査察官や検察官に対し被告会社が大和久株を取得した理由について詳細な供述をしており、右供述は納得できるものと認められるから、変更前の供述に信用性があるとする所論<4>には賛成できない。(ⅴ)被告人の大蔵事務官に対する昭和六一年二月二二日付質問てん末書(二〇枚綴りのもの)によれば、被告人が被告会社の取得した大和久株の名義を西日本開発株式会社、ひまわり商事有限会社名義及び三名の個人名義に分散して変更したのは、将来伊勢化学の分割につき旭硝子と協議する際、株主の数が一人よりも数人の方が力が強いと判断したためであることが窺われ、一方、喜田株については、前示のとおり、名義変更をしないことにそれなりの理由と必要があったことが認められるのであるから、所論<5>の点も大和久株の取引主体が被告人個人であることの根拠になるものとは考えられない。

その他所論が指摘するところを参酌して関係証拠を再検討しても、大和久株の取得主体及び売却主体を被告会社と認定判示した原判決に誤りはなく、所論は理由がない。」

というのである。

(三) 原判決の問題点

大和久正己は昭和五五年五月ころ、その所有する伊勢化学株式四万二、六〇〇株を、被告人に代金二、一三〇万円で譲り渡したものである。そして、被告人は、この株を喜田株八九万株とともに旭硝子に売却したものであるが、大和久株の売却益が被告人個人に帰属することは明らかである。しかるに、原判決は、大和久株の売却益は被告会社に帰属する旨判示する。第一審で取調べられた関係証拠及び原審で取調べた証人番重賢嘉の証言を併せ検討すると、原判決が重大な事実誤認をしており、破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

すなわち、原判決は一方において、喜田株八九万株の取得主体及び売却主体については、喜田との株式譲渡契約書や被告会社の公表帳簿の処理、税務申告の際の記帳などの書面等、客観的に存するものを真正ないしは補正の遅延であると認めて、被告会社であると認定している。

他方、大和久株の取得主体及び売却主体については、右のような契約書等客観的にこれが被告会社と認めうる証拠が殆ど存しない。むしろ帳簿の記帳等において、これを否定すべき客観的外形的証拠が多く存するのである。しかるに、原判決は大和久株につき関係者の供述の方に重点を置き、被告人をはじめ関係者の供述も、右主体について被告人個人とするものと被告会社とするものと二つに別れているのに、検察官及び第一審判決と同様、このうち被告会社とする被告人らの供述のほうに信用性を認めて、大和久株についても被告会社であると認定しているのである。

しかし、これは明らかに経験則に反する事実認定をしたものであり、その結果重大な事実誤認を犯したものというべく著しく正義に反し、破棄を免れないものと信ずる。

(四) 原判決が、大和久株を取得し、かつ売却した主体を被告会社と認めた根拠とこれに対する反論

(1) 原判決は、大和久株を取得し、かつ、売却した主体を被告会社と認めているが、その根拠として

ア 喜田を介して大和久に伊勢化学の株式を売却する意向があることを知り、喜田からの依頼でもあり、将来の被告会社による宮崎工場の経営に備える気持から、これに応じたという大和久株取得の経緯及び動機

イ 被告人が大和久株の引渡を受けたのち、これを被告会社の金庫に保管していたこと

ウ その後、旭硝子に対し喜田株と一括して売却し、その売却益についても喜田株と区別することなく経理処理していること

エ 他面、大和久株のみを被告人が個人的に購入する理由や必要は見当らないこと

などを挙げている。(原判決三〇丁裏、三一丁表)。

そしてこれと相容れない被告人の第一審公判における供述は措信できないとしている。

(2) 原判決に対する反論

しかし、右アについては、宮崎工場を被告会社が経営するために備えるとの認定自体問題であるが、仮にそうであったとしても、株式取得が被告会社でなければならない理由は全くないのである。かえって、原判決が「将来伊勢化学の分割につき旭硝子と協議する際、株主の数が一人よりも数人の方が強いと判断したためであることが窺われる」としているとおり(原判決三二丁表)、会社や個人で分散して取得しておく方がよい場合もあるのであり、そうであれば、株の一部を被告人個人で取得することはむしろ自然であり、かつ、大和久株については取得してから後、名義を変更しているからそのことは明らかである。そして、この点から右エはむしろ根拠がないものというべきである。

また、右イについては、私物でも会社に保管しておくことはよくあることであり、まして被告人はいくつもの会社をきりまわし、個人としても活動していたのであるから、被告会社の金庫にたまたま株券を保管していたことがこの株式の取得主体や、売却主体を認定する根拠とはなり得ないことは明白である。

また、右ウについては、旭硝子へ喜田株と一括売却したことは事実であるが、取得主体が異るとはいえ、同じ伊勢化学の株式であるため一括して売却したにすぎないし、その売却処理にあたり旭硝子からの教示による課税上の問題から五名に分散した際、大和久株を混入したにすぎないものと考えられる。被告会社は被告人が経営する会社であるため混同があり売却益が区分されずに使用されたにすぎず、これをもって大和久株の取得主体及び売却主体を被告会社と認定するには根拠が極めて薄弱といわざるを得ない。

(五) 原判決の弁護人の主張に対する判断と反論

原判決は前記のとおり弁護人の主張を排斥しているが、その要旨は、

ア 大和久の検察官調書では、売却の相手方が被告人個人であるか、被告人の関係している会社であるかは気にとめていなかった旨述べていて、弁護人主張のように、被告人個人に売却したものと明確に認識していたものとはいえない。

イ 大和久株取得資金につき、代表者勘定で処理されているとはいえ、落合の検察官調書によると、被告人から具体的指示がない場合には代表者勘定で処理せざるを得ない状況であったから、この経理処理の存在を理由として、被告人を取得主体と認めることはできない。

ウ 被告会社の昭和五五年一一月期の法人税確定申告書には、自社の保有株として大和久株が記載されていないとはいえ、落合の検察官調書によれば、これは被告人が落合に計上方を指示するのを失念したに過ぎないと認められるから、大和久株取得主体が被告会社であることを否定するものとはいえない。

エ 被告人の査察官に対する供述の変更理由の具体的説明がなされていないとはいえ、変更後、被告人が大和久株を取得した理由の詳細な供述をしていて、その供述は納得できるものと認められるから、変更前の供述に信用性があるとする弁護人の主張には賛成できない。

オ 大和久株の名義は、取得後二社三名に名義変更されているのに対し、喜田株が名義変更されない取扱となっているとはいえ、大和久株については将来伊勢化学の分割につき旭硝子と協議する際、株主の数が一人よりも数人の方が力が強いと判断したためであることが窺われ、他方、喜田株については名義変更しないことにそれなりの理由と必要があったことが認められるから、取得主体が被告人個人であることの根拠になるものとは考えられない。

というのである。

しかし、右アについて、大和久は、検察官調書で種子田に売ったと供述しているのである。そして、大和久の売却の相手方が被告人個人か被告人の関係している会社であるか気にとめていなかったとの供述もみられるが、それは被告人個人とする大和久の供述をいわゆるボカスために捜査官が誘導したものと考えられ、この点に信をおく原判決には到底納得し難い。

また、右イ及びウについては、事柄が極めて重要であるだけに、落合が代表者勘定で処理せざるを得なかったもので、この処理が正しくないとか被告人が落合に計上方指示するのを失念したなどとする被告人及び落合らの供述に信を置くことはできない。この点については、むしろ被告人の大和久株の取得主体が被告会社であると変更した後の供述に合わせるため、経理担当者の落合が捜査官に迎合して真実に反する供述をしていることを看破すべきであるのに、原判決はこれを漫然と看過しているのである。

原判決は、喜田株の取得資金の九、三〇〇万円について「被告会社においては、経理を担当する落合らが、日常的なものについては自己の判断で、はっきりしない場合には被告人の指示を受けながら、その都度伝票を起こし記帳処理するものの、最終的には、決算整理の段階で被告人に確認の上処理していたものであり」と判示しているのである(原判決二八丁表裏)。そうだとすればこの判示と前記判示部分とは明らかに矛盾する。

大和久株については、期末においても代表者勘定のまま処理されていたものであり、被告人の具体的指示がなかったとの前記判断には多大の疑問がある。

また、右エについて、これほど重要な事実の変更に関する供述がなされたのに、その変更の理由の供述がなされないということはありえないし、それが納得できるものでなければならない。被告人の変更後の大和久株を取得した理由が詳細で納得できるから信用性があるとの原判決は、誠に皮相的であり到底納得できない。むしろ、被告人の査察官に対する当初の「大和久株を大和久から私が買ったもの」との供述こそ利害の考慮も誘導等もなく自然であり、信用性が高いものと考えられる。もしそうでないなら、当初査察官に対し、何故「大和久株は私が買ったもの」などとする供述をしたのか疑問であり、この点を解明すべきが当然である。

右オについて、仮に大和久株の名義変更と喜田株について名義変更しないことのそれなりの理由があるとしても、それだから取引主体が個人であることの根拠となるものと考えられないとするのは余りにも独断である。

(六) 中間配当取得の点について

弁護人は、第一審の弁論においても、控訴審における控訴趣意書及び弁論においても、大和久株取得後、その中間配当金を被告人が取得しており、被告会社が取得していないことが大和久株の売却益帰属を判断する上で極めて重要であることを指摘していたのである。しかるに、原判決は第一審判決と同様この点に関する判断を全くしていないのである。

この点について、原審で番重証人も調査ミスであり、検察官の捜査段階でも指摘されたと自認しているところである。もっとも都合の悪いところを殊更はずしたとの見方もできないわけではない。しかし、その検察官もこの調査ミスについて何ら関係者に説明させず、証拠化しないまま大和久株の譲渡益は被告会社に帰属するとして処理してしまった誤りを犯しており、第一審判決も原判決もこの中間配当の点につき看過ないし無視して、この点について判断を回避したままで譲渡益の帰属を判断したものであって到底承服し難い。

大和久株の取得については、売買契約書もなく、被告会社の公表帳簿上、取得資金は代表者勘定つまり被告人が被告会社から借用した処理になっているのである。また、被告会社の保有株として帳簿上も税務申告にも計上されていないのである。

したがって、大和久株の取得主体、売却益の帰属主体を判断する上において、被告人をはじめ関係者の供述もさることながら、中間配当を誰が取得していたかは客観的にみて極めて重要な要素といわなければならない。それにもかかわらず、原判決がこの点につき正面から判断せず、「その他所論が指摘するところを参酌して関係証拠を再検討しても、大和久株の取得主体及び売却主体を被告会社と認定判示した原判決に誤りはなく」と判示して、中間配当取得の点について、何ら具体的な判断をしていないのは到底承服し難いし、この点を判断しないで事実を認定したところに重大な事実誤認があるというべきである。

要するに、大和久株と喜田株とでは、取得経緯、時期、経理処理、名義変更の有無、契約書の有無、資産としての計上の有無等大きな差異があり、関係者である大和久の供述の内容、被告人の供述に変更があるところから、大和久株についての原判決の判断は、合理的にみて疑いの容れない程度に証明されたものと言えるだろうかとの強い疑念がある。第一審判決は、代表者勘定の処理自体は被告会社が大和久株を取得した根拠にするという致命的な誤りをしてしまっていたものであり、原判決は、この点について落合の検察官調書により代表者勘定の処理がなされているとはいえ、被告人の具体的指示がなされなかったので、この代表者勘定として処理するほかなかったとの理由により、代表者勘定の処理自体では取得主体を被告人と認めることはできないとして、第一審のような判示はしなかった。しかし、それでは大和久株の中間配当を被告人が得た点は、それが重要な点だけに、どう判断するのかと関心をもっていたところ、原判決はこの点について何ら判断をしていないのである。このような判断で被告人をはじめ一般人が納得するのであろうか、多大な疑問がある。

そこで以下において、大和久株の取得原資、関係者の供述等について検討する。

(七) 原資と被告会社の帳簿処理について

被告人が、大和久正己から伊勢化学の株式を取得するにあたり、被告会社からその取得資金を出して購入していることは明らかである。

しかし、この関係の伝票及び元帳(資料一一九)の処理をみると、

昭和五五年六月二七日

借方 貸方

代表者勘定 一、六三〇万円 当座 一、六三〇万円

また、昭和五五年一一月二〇日

借方 貸方

代表者勘定 七三〇万円 当座 七三〇万円

となっており、被告会社の当座から合計二、三六〇万円が代表者勘定として支出され、これが大和久株取得資金となっていることは明らかである。もっとも大和久株取得の際、一株五〇〇円で合計四万二、六〇〇株であったから、金額合計は二、一三〇万円である。

ところで問題は、株式取得資金が被告会社から出金されているとはいえ、当時代表者勘定として処理し、以降もそのままになっていることである。

また、大和久から取得した株式については、喜田株八九万株の場合と異り、売買契約書は作成されておらず、代金と引きかえに株の授受が行われていること、更に、喜田株の八九万株の場合と異り、被告会社の法人税確定申告書の保有株式として大和久株が記載されていないことに特徴がある。

他方、昭和五六年一月二七日付の被告会社の伝票(伝票番号一五二)には

借方 貸方

伊勢株

貸付金 二一三四八三五〇 落合 一九万株 有価証券 九、三〇〇万円

〃 一四六〇六七三五 種子田 一三万株

〃 二五〇〇〇〇〇〇 〃 四万三、〇〇〇株

〃 二一三四八三五〇 種子田 一九万株

フジノ

〃 二一三四八三五〇 種子田 一九万株

昭吾

〃 二一三四八三五〇 古里 一九万株

と記載されている。

つまり、伊勢株を被告会社が五名に売却し、その代金については五名に対する貸付金として処理した伝票であるが、これによれば大和久株も被告人に売却された旨の記載がなされているのである。

そして、大和久株は昭和五五年七月に西日本開発株式会社へ二五、〇〇〇株、ひまわり商事有限会社へ二、六〇〇株、種子田安郎へ五、〇〇〇株、種子田吉郎へ五、〇〇〇株、種子田益代へ五、〇〇〇株がそれぞれ名義変更されていて、喜田株八九万株が名義変更されないまま売却されたのと動きを異にしている。

国税局の調査書によれば、「大和久正己からの伊勢株の購入は、簿外となっているものの嫌疑法人から種子田益夫ほか四名に譲渡したとする昭和五六年一月二七日に嫌疑法人が公表に計上した譲渡利益の計算において、大和久正己から取得した株式分も含まれているから嫌疑法人の所有株であったと判断される。また、代表者種子田益夫も『嫌疑法人のもの』と供述している」(甲第一一号証、九頁)とし、更に「大和久正己から取得した四二、六〇〇株は譲渡契約書、領収書などの物証は存しないが、種子田益夫の供述、譲渡人大和久正己の申述書に基づき一株当り五〇〇円で総額二、一三〇万円として確定した」(甲第一一号証、六頁)として、大和久株が被告会社に帰属するものであると判断している。

ところで、国税局及び検察官は、被告会社の昭和五六年一月二七日付の被告会社が伊勢株を五名に売却し、その代金について被告人ら五名に対する貸付金として処理した伝票に大和久株も含まれていることを根拠として、大和久株も被告会社の所有株式と判断されるとしている。

しかし、この伝票の処理については、そもそも国税局及び検察官は、右五名に対する売却事実はなく、架空の処理であり、そのために挿入した伝票であると判断して、伝票の記載自体を否定しているのであるから、自ら否定した経理処理伝票のうち、大和久株が含まれている部分だけを取り出して、これが正当なものと評価すること自体矛盾というべきであって、当局にとって都合のよい部分だけ正しい記載であるとして、所有株式判断の根拠とすることには到底納得し難いし、これを根拠にしなければならないということは、それだけ大和久株の帰属に関し、国税局・検察官主張の根拠が薄弱であることを如実に物語っているというべきである。原判決はこの点において同様の誤りを犯している。

(八) 関係者の供述

次に、被告人の供述を見ると、被告人は国税局の調べの当初「大和久株四三、〇〇〇株は、昭和五五年七月大和久から私が買ったもの(昌和商事から私が買ったのは誤りで当初から私が買ったもの)」と供述していたのに「乙第三六号証、問一〇の答)、その後「ヨード製造を中央産商で行うため取得したのだから中央産商のもの」(乙第四一号証、問九の答)と供述し、大和久株を買った主体は被告人ではなく被告会社であると変更するに至った。

しかし、何故被告人が当初被告人個人で買ったと供述したのか、その後被告会社が買ったと供述を変更した理由については、何ら具体的な供述がなされていない。

そして、大和久株については、被告会社の帳簿に一切計上されていない。この点について被告人は、「落合に購入事実、代金支払を言わなかったので、落合も計上できなかったものと思う。」(乙第四一号証、問九の答)とか、「大和久株は、私の経営の西日本開発、ひまわり商事、私の子供名義に昭和五五年七月変更したので、落合が個人的なものと判断して、代表勘定で処理したものと思います。」(同問一〇の答)と供述し、また大和久株を、右西日本開発等へ名義変更した理由について、被告人は、「取得資金は、中央産商から出ておりますので、本来であれば、中央産商名義にすべきもの」だが、「将来分割問題で株主権行使に一人より数人の方が強いと判断したもの」とか「思いつきでやったもの」(乙第四一号証、問二一の答)と供述する一方、昌和商事の名前で売った点について「中央産商で買ったもの」だが「中央産商の帳簿に計上されていなかったので、旭ガラスに譲渡する際、中央産商の名前を出すことができなかったので、昌和商事の名前を使っただけである」(乙第四八号証、問六の答)と供述している。

そして、被告人は、検察官調書において「大和久株は、喜田から大和久が家を買う資金が要るから退職金を含めた金額で買ってやってくれと頼まれて買うことになったが、大和久から買ったのは、中央産商が宮崎工場経営のために集めたものであるから、中央産商のものである」旨供述しており(乙第七号証六項、乙第九号証六項)、また被告会社の法人税確定申告書に大和久株が記載されていなかった点について「大和久から中央産商が買った四万二、六〇〇株は、昭和五五年一一月期の申告の際には、中央産商の保有株にのってなかったが、これは私が、落合に計上しておくように指示するのを忘れただけのことです。」(乙第二一号証二項)と供述している。

いずれにせよ、大和久株について、被告人は被告人個人で買ったと供述したのに、後に合理的な理由ないし説明のないまま、被告会社で買ったものであると供述が変更されていること、しかも被告会社の帳簿及び法人税確定申告書に大和久株の記載がない点について、被告人が指示を忘れた上に、落合が同人の判断で被告会社の取得株としなかっただけのことであるなどとして、いとも簡単に供述していることが、かえって不自然であると言わなければならない。

すなわち、原判決判示のとおり、被告人が被告会社で伊勢化学の宮崎工場を経営し、実業界への進出を計ろうとして伊勢化学株を取得したものであれば、なぜ、この大和久株について、被告会社で取得した処理をしなかったのが多大の疑問があり、単にその処理を忘れたとかいう問題ではすまされない重大な問題である。

そして、大和久株については、証拠上、喜田株以上にこれが売却益の帰属に関し被告会社であると認定する検察官の主張に多大な疑問があり、中間配当受取状況等からしても、むしろ被告人が当初国税局で供述したとおり、右売却益は被告人に帰属するものと思料する。

なお、被告人の検察官調書には「中央産商からダミー五個人に売ったときの契約書には、大和久株も含まれていました。」とあるが(乙第二一号証第二項)、これは明らかに誤りであり、契約書上四万三、〇〇〇株は昌和商事から被告人へ売ったことになっていることを付言しておく(乙一九号証の添付資料<3>の昌和商事株式会社と種子田益夫との間の株式譲渡契約書参照)。

(九) 検察官の論告についての反論

なお、原判決及び第一審判決は、判断過程が検察官の論告と類似しているので、検察官の論告について反論をしておくこととする。

検察官は、大和久株の売買益が被告会社に帰属する根拠として、<1>大和久株購入資金が被告会社の当座預金から代表者勘定で支出したとして公表計上されていること<2>被告会社から被告人ほか四名に売却したとして処理した際、被告会社の総勘定元帳に大和久株を含めて公表計上していること<3>被告人は旭硝子の坂部に大和久株を含めて一括買取らすよう求めていることなどをあげている。しかし右<1>については、先に述べたとおり代表者勘定として支出されているのであり、これにより被告会社が取得した根拠とはなりえない。第一審判決はこの検察官の誤った主張をそのまま是認してしまっており、この点で重大な事実の誤認を犯している。また、右<2>については、これこそ右<1>の関係からも誤った経理処理であって、これをもって売却益が被告会社に帰属する根拠とはなりえない。また、右<3>については、一括して買取を求めたとしても、大和久株は前記のとおり、被告人個人が買取ったものであるから、旭硝子に一括買取りを求めたとしても、これをもってその売却益が被告会社に帰属する根拠とは全くなりえない。大和久正己自身も大和久株は被告人に売ったものと供述しているところである。(大和久正己の検察官調書、甲第三九号証参照)。

(一〇) 結論

以上述べたところから明らかなように、本件大和久株については、喜田株と異なり、譲渡契約書は作成されておらず、原審のこの株式の売却益が被告会社に帰属するとの判断は、喜田株八九株の売却益の帰属に関する判断自体極めて問題であるが、株式数こそ少ないとはいえ、それ以上に問題である。国税局及び検察官が、喜田株の譲渡益を被告会社に帰属するとして、告発ないし起訴処理するにあたり、大和久株をも無理して抱き合わせ処理すべく、被告人らの供述を、その線に符合させるよう押し付けて変更させたものであって、その供述は信用性がないものと断ぜざるを得ない。そして、被告人の大和久株は被告人に帰属するとの国税局における最初の供述及び第一審第二〇回公判における供述が、他の客観的証拠及び大和久正己の供述等に照らし信用性が高いものと認められる。したがって、大和久株の売却益が被告会社に帰属するとの原判決は誤りであり、当然破棄されるべきであると確信する。

原判決は、以上の諸点を看過ないし無視し、検察官の主張及び第一審判決をそのまま是認したため、経験則に反する重大な事実誤認を犯したものといわざるを得ない。

二 受取手数料及び受取利息の帰属に関する原判決の判断の誤り

1 受取手数料収入について

(一) 原判決は、受取手数料収入について、「被告人は、被告会社による伊勢化学の宮崎工場の経営に備え、多田取締役の了解を得て、同人の名義で昭和五五年八月八日福岡通商産業局長宛に本件試掘権を取得したが、その後、宮崎工場の分割構想が消滅したため、本件株式の売買交渉に絡めて本件試掘権の買取り方を旭硝子に要求し、同社との交渉の結果、伊勢化学に買い取らせることに成功し、同五六年三月三一日伊勢化学から代金一億円の支払いを受けた。

被告人は被告会社の右収益の一部を秘匿しようと考え、落合に指示して、被告会社が多田から本件試掘権を一、〇〇〇万円で購入した上、ペーパーカンパニーである中物産有限会社(以下、「中物産」という。)に二、四〇〇万円で売却したように仮装させ、その差額一、四〇〇万円のみを被告会社の総勘定元帳に記帳させて公表計上し、同年一一月期の確定申告の際にも、営業外収入の項に受取手数料としてその旨を記載させて、実際の収益一億円との差額八、六〇〇万円を除外した。」(判決書九丁裏、一〇丁表)と認定したが、右認定には重大な事実誤認が存在する。

すなわち、本件試掘権を取得したのは、被告会社ではなく被告人である。

(二) 被告人が本件試掘権を取得した経緯は既に述べた通りである。

原判決は前述のごとく判示した理由に、「多田の名前で本件試掘権を取得したこと及び、右多田が被告会社の設立手続きに参画し、途中一時辞任したことはあるものの当初から被告会社の取締役であったこと、並びに被告人が個人で本件試掘権を取得したものであれば、多田の名前を借りる必要が全くないこと」(要旨)(判決書三六丁裏、三七丁表)を挙げている。

しかし、多田は単に被告人に「名前を貸してくれ」と頼まれて名義を貸したのが実情であり、多田は、被告会社のみならず、被告人の経営するいくつもの会社の取締役として名前を貸しているものである。

多田の名前が本件試掘権の名義人となったということは、本件に関し、全く意味のないことであり、本件試掘権が、被告会社に帰属する理由とはならない。

原判決は多田が「被告会社設立手続に参画し・・・」と判示し、いかにも多田と被告会社が特殊な関係にあるかのような表現をしているが、多田は被告人の使い走りをしている人間であり被告会社における重要な人間ではない。

また、被告会社程度の会社の設立手続は商法所定の手続に則って行われているものではなく、実情は被告人が名義を借りた人達の印を司法書士の事務所に持参し、形式的に設立手続を遂行するのが実情である。多田がことさら被告会社の設立手続に参画した事実もまたその証拠も存在しない。

さらに、原判決は、被告人個人が本件試掘権を取得したものならば、多田の名前を借りる必要性が全くなかった筈だと断定するが、被告人には、多田の名前を借りる必要が存在したのである。

本件試掘権は、すでに述べたように、喜田又は伊勢開発の被告人に対する債務金を伊勢化学から出金させる為に仕組んだものであるから、被告人としては、名義を分散して、伊勢化学、または伊勢開発の債権者等から疑惑の目で見られないよう用心をする必要があったものである。

仮に原判決のとおり被告会社が本件試掘権を取得したのならば、何故多田の名前を借りねばならなかったのか、説明に窮する筈である。

原判決によれば、「被告会社は、宮崎工場の経営に備えて本件試掘権を取得した」のであるからなおさら、被告会社名義で堂々と取得すれば良いのであって、多田の名前を借りたことが不自然である。また、「被告会社が宮崎工場経営に備えて取得した」というならば、その実体がなければならない。被告会社には、本件試掘権について、一度の現地調査も一銭の経費も出捐していない。これで「宮崎工場経営に備えて取得した」等とどうして言えるのだろうか。

本件試掘権の取得の準備はすべて伊勢化学において、その費用でなされているものであり、申請の段階になって、前述の理由から喜田が被告人のために、多田の名義で取得させたものであって、原判決は、重大な事実の誤認をしているというべきである。

さらに原判決は「本件試掘権は被告会社が宮崎工場経営に備えて取得したものであるから、宮崎工場分割構想が消滅した以上被告会社においてこれを保有する理由もなくなるので右構想に代わって浮上した本件株式売却交渉の条件とすることは極く自然の成り行きであって、試掘権及び本件株式が共に被告会社に帰属することの現れと認められる。」と判示するが、これは、前述のとおり、被告会社が本件試掘権を宮崎工場経営に備えて取得したと誤った認定をしたことから惹起された事実誤認である。

元々、本件試掘権は伊勢化学から喜田の被告人に対する債務金を出金させるために仕組まれたものであり、本件株式売却の際、右計画が現実となったものである。

原判決は、「被告人の脱税のみが目的であるなら、本件試掘権は、被告人が多田から取得して中物産に売却したことにすれば足りる筈で、これを被告会社の経理に公表計上していることは、たとえその内容に虚偽があるとしても、本件試掘権及びその売却益が被告会社に帰属することの一つの証左というを妨げない。」と判示する。しかし、被告人が本件試掘権の移転の経路を、多田-被告会社-中物産-伊勢化学とし、多田-被告人-中物産-伊勢化学としなかったのは、税金に差があるからである。法人ならば、過年度、当年度の損金が譲渡益を上回っている限り、譲渡益があったとしても課税はされないが、個人を中に入れた場合はそうはならず、課税されるので、被告人を入れなかったものである。

どの点から見ても、原判決は、重大な事実誤認をしていると言わざるを得ない。

2 受取利息について

(一) 原判決は、受取利息につき、

「被告会社においては、本件株式の売却益及び本件試掘権売却益(受取手数料収入)の一部を三和薬品株式会社(以下、「三和薬品」という。)ほか四社に貸し付けたり、定期預金、通知預金等として運用し、昭和五六年一一月期において合計七一三〇万六一八二円の受取利息を取得したにもかかわらず、その総てを除外した。」(判決書一〇丁)と判示している。

その理由として、

<1>本件株式売却益及び本件受取手数料を原資としていること

<2>原資が被告会社に帰属していること

<3>原資を被告人が被告会社から借り受けて運用した等の特別の事情が認められないこと

等を掲示している。(判決書三八丁)

しかし、既に述べた如く、本件株式売却益や本件手数料は被告人に帰属しているものであり、この点において、原判決は、重大な事実誤認をしているものである。

(二) 原判決が認定した被告会社の除外したとされる利息収入、預金収入の内訳は次のとおりである。

<1> 三和薬品株式会社 二、七四五万円

<2> 有限会社花園観光 一、六七九万九、七二七円

<3> 南日本商事株式会社 一、一二〇万円

<4> 鬼沢商事株式会社 七八〇万円

<5> 株式会社ドリーミーエメ 二一〇万円

<6> 普 通 預 金 九三万一、〇一七円

<7> 通 知 預 金 一三六万四、一五九円

<8> 定 期 預 金 四三万六、〇九七円

<9> 定 期 預 金 三二二万五、一八二円

右貸付金、預金は、いずれも被告会社に帰属するものではない。

例えば、<1>の三和薬品株式会社に対する貸付金を例に検討する。

この貸付金額は金八、〇〇〇万円であり、貸付人は被告人個人、借入人は三和薬品株式会社、貸付年月日は昭和五六年二月四日である。なお、この金銭消費貸借については、被告人と三和薬品株式会社との間において、昭和五六年三月二六日、金銭消費貸借契約公正証書が作成されている(福島敏昭の昭和六一年一二月三日付検面調書添付資料<2>-1)。

金銭の借入先である三和薬品株式会社においても、また、この債務を連帯保証した福島敏昭においても、債権者を被告会社と認識したことは全くなく、明白に被告人であると供述している(福島敏昭の昭和六一年一二月三日付検面調書)。

原判決は、「金員貸付の相手方らは、いわゆるワンマン会社である被告会社の代表者としての被告人と被告人個人とを明確に区別することのないまま、金員の貸付を受け、利息を支払うなどしていたことが窺われるから、右相手方らの供述や貸付書類上の記載は必ずしも本件受取利息収入の帰属が被告人であることの証左とはし難い。」(判決書三八、三九丁)と判示しているが、前記のとおり、右金銭消費貸借契約は、国の公証人が立会い、貸主が誰で、借主が誰なのかを両者確認の上、契約書を作成しているものである。

原判決摘示の如く、借主である三和薬品が、貸主が、被告会社なのか被告人なのか、明確に区別することなく、右貸金を借入れたなどという事情は全く窺えない事例である。

三和薬品が一方的に借用証書を差入れたような事例ならば、原判決の指摘するような事情も全く窺えないわけではないが、右の事例は、公証人役場において、公証人が両者の立場を確認し、公正証書を作成しているものであり、原判決の摘示は重大な事実誤認をしていると言うべきである。

利息については、三和薬品株式会社から約束手形が振出されており、この約束手形については、被告人が関東銀行東京支店の落合教示名義の口座で取立てているものである。

右債権は明らかに被告人の三和薬品株式会社に対する債権であり、その果実である利息は、当然に被告人に帰属するものである。

更に、<2>の有限会社花園観光他の貸付金についても同様の事情であり、被告人が各会社に貸付けており、利息の領収についても、領収書を被告人名義で発行し、交付しているものである。

被告会社の名義はどこにも登場してこず、借入人においても、被告会社を相手としている認識が全くない。

金銭消費貸借契約は、貸主・借主の合意で成立し、果実である利息はその結果発生するものであるから、原資が被告会社に帰属するからといって、当然にその利息が被告会社に帰属するというものではない。

明らかに右債権は、被告人の各会社に対する債権であって、その果実である利息も当然に被告人に帰属すると言うべきである。

(三) 被告人は本件利息収入等につき、種々の理由をつけて、被告人に帰属するものではなく、被告会社に帰属するものである旨供述していたことがあるが、これは被告人において、有価証券譲渡益を何とか個人帰属から法人帰属へ切り換えてもらうために考え出された理由であり、全く事実に反するものである。

このことを以て、本件利息収入が被告会社に帰属すると判断することはきわめて危険である。

(四) 原判決は、本件利息収入が被告会社に帰属する理由として、その原資である有価証券譲渡益および受取手数料収益が被告会社に帰属し、その運用益であることを最大の理由として掲示している。右有価証券譲渡益等が被告会社に帰属しないことは既に述べたので、この点については、ここでは論じないこととする。仮に百歩を譲って、右有価証券譲渡益が被告会社に帰属するとしても、当然にその運用益である利息が被告会社に帰属するというものではない。

原判決は、「被告人が被告会社に利息等を支払って実質的に原資を借り受けて運用したと認むべき特段の事情が存在しないので、本件利息収入は被告会社に帰属する」と判示している。しかし、被告人は、被告会社に多額の貸付債権を有しており、その返済を受けることは十分可能であり、被告人が被告会社から利息を支払って原資を借りている事実が存在しないからと言って、本件利息収入等が当然に被告会社に帰属するというものではない。また仮に、被告人が被告会社より借り受け等の手続きをとらず、金銭を勝手に使用運用したとしても、その果実である利息が当然に被告会社に帰属するものではない。さらに、原判決は株式売却益の帰属については、株式売買契約書に被告会社と記載されていること、及び、被告会社で公表計上していること等の形式面から被告会社に帰属すると認定しているにも拘らず、利息収入については、金銭消費貸借公正証書等の形式面を無視し、原資が被告会社に帰属すること、その原資の運用益であること等の実質面をとらえ、被告会社に帰属すると、判示しているが、同一判決内において採証方に矛盾があり、とうてい是認できるものではない。

いずれにしても、原判決は明らかに事実誤認をしていると言うべきである。

三 被告人の供述の信用性について

原判決は、被告人種子田の査察・捜査段階における供述の信用性は否定するに由ないとしてその信用性を肯定し、弁護人らの主張に沿う被告人種子田の第一三回公判期日以降における供述変更は、合理的理由がなく、その供述内容は信用性に乏しいとして、これを排斥しているが、弁護人の主張及び被告人種子田の供述には変遷はみられるものの、変遷したことについては、それぞれ首肯し得るに足りる合理的理由が存するのであり、各時点の供述につき、そのときどきの背景事情との相関関係において、立体的にこれを捉えるならば、そこに一貫して伏在する実体的真実が存するのであって、被告人種子田の査察・捜査段階における自白こそ虚偽であり、第十三回公判期日以降における変更後の供述こそ実体的真実を物語っているのである。

そこで、以下、まず、原判決のこの点に関する判示の誤りを指摘し、次いで、やや冗長になるかもしれないが、被告人種子田が査察・捜査段階において虚構の自白をなすに至った真の事情、及び第十三回公判期日以降真相を供述するに至った事情を明らかにする。

1 原判決は、その理由中第一、二「被告人の供述の信用性について」と題する項において、種々判断を示しているが、その多くは、弁護士の主張を正確に理解せず、的外れな判断を示したもので、誤っている。以下具体的に反論する。

(一) 原判決の「被告人は、・・・・特に、喜田株の取得主体については、一貫して、被告会社である旨供述していたのであり(この点を争う所論は、理由がない。)」との説示(判決書一〇丁裏)に対する反論

確かに、書面化され、書証となっている質問てん末書、供述調書自体を表面的にみる限り、右取得主体については被告会社である旨一貫して供述しているようにみえる。しかし、控訴趣意書においても詳述した査察調査の進展状況、査察官の各種調査の進行状況、質問てん末書の内容の変遷状況、メモ(弁第三六号証)、「答弁書」(弁第三七号証)等を総合的に判断すれば、喜田株の取得主体についての供述は、原判決が認定判断するように単純に一貫していたというようなものではなく、相当な変遷と揺り戻しが存したことは明白であり、右説示には到底承服し難い。

詳細は、後述する。

(二) 原判決の「被告人の原審公判段階の供述は、・・・・喜田から預かっていた伊勢化学の株式を同人の了解を得て売却したに過ぎない、と言いながら、喜田株を含む本件株式の売却益について所得税法違反に問われることを心配したなどとしている点に矛盾があり」(前同一一丁表)、「所論の如く、被告人が、喜田から預かっていた伊勢化学の株式を同人の了解の下に旭硝子に売却したものとすれば、右売却代金のうち喜田株相当分約一九億一〇〇〇万円は、同人の収益となる筋合いであり、これが被告人に帰属すべきいわれはない。・・・・所論ダブルパンチの事態なるものは起こり得べくもなく、従って、被告人が、所得税法違反の利害得失を考慮する余地もないことになる。」(前同一二丁裏)旨の各説示に対する反論

右各説示部分のみをみると、もっともな論旨のように一見感じられるが、事実関係の本質を全く理解せず、弁護人の主張を曲解してなされた全く的外れな説示である。即ち、右説示は、いずれも、被告人が「預かっていたものを了解を得て売却したものである」という本件の真相を本件査察当時査察官に対しありのままに供述し、主張することに何らの妨げもなかった、ということを当然の前提としている。この前提が存するならば、被告人は、右真相をありのままに供述し、これを信用して貰うよう尽力すれば足りた筈であり、それ以上被告人自身の課税問題を心配しなくてもよい筈である、ということになろう。しかし、この点に関する我々弁護人の主張も被告人の供述も、右とは異なる。即ち、その骨子は

「本件査察当時においては、被告人は、預かっていた株式を了解を得て売却したものであるという本件の真相をありのままに査察官に供述することができない状況にあった。その理由は、喜田がかねて提訴し係属中の民事訴訟が存したためである。そのため被告人は、喜田株は喜田から買い取ったものである旨の虚構の主張をなしていた。右買い取りの主体については、本件株式譲渡契約書が存在することを奇貨として、被告会社であると主張していた。ところが、負債整理等のため支出済みの金員を右買い取りの原価として認容されたい旨の主張を同時になしこれに固執していたところ、思いもかけず、査察官が、「喜田株の買い取りの主体は被告会社ではなく被告人個人であって、被告会社は、これを取得もせず売却もせず単に名義だけ介在したように処理したに過ぎないのではないか」との心証を形成するに至り、そのような観点から被告人を追及するに至った。しかし、この段階に至っても、被告人は、喜田株は喜田から預かったに過ぎないものであるという真相をあかすことはできなかった。即ち、誰が喜田から買ったと供述するかについては選択の余地があるとしても、喜田株は、買い取ったものであるとの一線は、守り切らなければならないと考えていた。その理由は、前記係属中の民事訴訟に対抗するためであった。買い取ったものであると主張する限り、その主体が被告会社であれば法人税、被告人であれば所得税の課税問題が生じるが、右民事訴訟に対抗するためには、本来根拠のない課税を甘受するのも止むを得ないと覚悟を決めていた。課税を甘受しても、民事訴訟に全面敗訴する場合を想定すれば、かなり得であるとの判断をしていたことはいうまでもない。従って、本来いずれも由ないこととはいえ、法人税と所得税のいずれが得かの利害得失を考慮することは不可避なことであった。そのような考慮の一つとして、仮りに被告人が買い取ったと自白(虚偽)した場合における民事訴訟への影響の有無、大小を課税額の大小と共に検討することも極めて自然なことである。被告人が買い取ったとの立場に立つことを選択した場合、民事訴訟において「被告人」が「買い取った」との事実を証明する直接の物証、書証は何等なくその証明には困難を伴なうと見込まれるのみならず、喜田と取引関係に立った者が被告人であることを自ら先行して認める立場に立つ訳であるから、争点は、買ったか、預かったかに絞られてしまって、被告人を「被告」に選定して訴を提起してきた原告たる喜田を利してしまい、かくてはダブルパンチの事態を招来する危険があるとの心配をなしたものである」

というものである。従って、被告人が所得税法違反に問われることと法人税法違反に問われることとの利害得失を考慮した結果、所得税法違反(被告人が喜田から喜田株を取得しこれを旭硝子に転売したとの構成による所得税法違反)に問われることを断固避けようとしたことは、課税額及び民事訴訟対策上、極めて自然なことであって、何等矛盾ではないのである。また、仮りに、預かっていたものを売ったとの真相を主張したとしても、課税当局は、実質課税の原則の下に、被告人(又は被告会社)に対して課税をなした筈である。何故なら、被告人(又は被告会社)は、売却代金を喜田に引き渡さず、その全額を事実上自己のものと同様に運用していたのであるから、実質的にこれを利得していたと評価される余地があり、課税当局は、査察当時、現に、被告人に対し、右のとおり評価する旨を言明していたからである。その当時の右言明によればいずれ民事訴訟に敗訴して売却代金の大半を喜田に支払って引き渡す事態が生じたとしても、それは喜田に支払った日の属する課税期において損金になるか否かの問題が生じるだけで、遡って被告人(又は被告会社)の本件課税期の所得が修正(又は更正)されることはなく、かつ、個人所得税の場合右支払った課税期の損金にはならないとのことであった。従って、この意味においても、ダブルパンチの可能性があったことを付言しておきたい。

(三) 原判決の「また、所論の事実関係を前提としても、被告人が、査察官に対し、ことの次第をありのままに述べることが、所論<1>(a)の如く、喜田株に関する民事訴訟における被告人の敗訴に繋がるものとは到底考えられない」(前同一二丁裏)との説示についての反論

<1> 右説示は、失当である。査察官に述べたことは、質問顛末書に録取され、次いで告発後検察官調書に録取され、その骨子は、公判廷において冒頭陳述の形で公開され、判決の理由中に記載され朗読される。本件第一審、原審の公判廷に毎回傍聴に訪れていた者らは、正に本件争点に関する被告人側の主張、裁判所の判断を把握しようとする関係者であった。更に、言うまでもなく、刑事確定記録は閲覧が一般に許されており、これら記録から民事訴訟の証拠資料を得ることは弁護士にとって通常のことである。従って、査察官に対し供述する内容と民事訴訟における主張内容とは、基本的な部分において合致する必要があり、これを使いわけることは無理である。

<2> ところで、ことの次第をありのままに述べるということは、喜田が被告人を「被告」として選定したことが正しいということを承認することになって、入り口における当事者に関する大きな争点を消滅させて喜田を利することになるほか、喜田から預かった株式をいわば代理、代行として旭硝子に売却したものであることを事実上認める(もしくは、譲渡担保として預かり中の株式を売却したことを認める)ことになるから、実質的に売却代金の所有権は喜田に帰属し、原則として、その全額を喜田に引き渡すべき義務を負っていることを認めざるを得ない(もしくは同様義務を前提とした清算金支払義務を負っていることを認めざるを得ない)局面を迎えることを覚悟しなければならなくなる。

<3> ここにおいて、被告人に、右引き渡しを拒絶し得べき部分があるとすれば、それは、抗弁事由の存する限度においてということになり、抗弁である以上、その主張を立証し得た限りにおいてということになる。抗弁事由としては、反対債権による相殺、又は、譲渡担保におけるが如き清算、もしくは、喜田側が訴状等で主張したような委任事務の清算などの理論を構築して対抗することになろうが、これらのいずれにおいても、その根幹となるのは、反対債権の存否及び金額である。即ち、本件株式売買代金額とされた賃金九、三〇〇万円を含む貸金返還請求権、伊勢開発の負債の整理のため支出した金員の立替金返還請求権、及び、負債整理に対する被告人の報酬請求権が根幹となる。これら反対債権につき、以下簡単に論ずることとする。

<4> 右のうち貸金返還請求権は、右九、三〇〇万円及びそれ以前の貸金約一億五、〇〇〇万円余であり、その存否及び金額の証明は比較的容易である。

しかし、二番めの右立替金返還請求権は、問題がある。整理した負債については、各債権者から手形、小切手その他の証書を回収しているので、これら証書上の金額を集計すれば、整理済み負債の合計金額は直ちに判明するから、名目上の総額は立証できる。しかし、整理に要した実際額、即ち、立替額は、これとは別である。実際額は、右名目額を下回っている。これが被告人の整理に関する手腕・力量を示している。整理は、右の実際額を支払って、右証書類を回収したもので、その差額が被告人の報酬になることが見込まれていた。喜田との間では、右名目額を立替額とみなして、清算をなすとの合意をしていた。右実際額は、喜田に特に伝える必要がないものとして当時内密にされていたし、各債権者との間においても実際額の受領を証する書面は強いて作成せず残していない。従って、右実際額を直接証する資料はなく、専ら被告人の記憶に頼るしかない。これを立証することは、容易ではなかった。各債権者に右証明につき協力を求めようとしても、負債整理時に値切った事情や各債権者の税務上の事情などからも、右協力を十分に得られる見通しは乏しかった。第一審において検察官から提出された甲号証中の伊勢開発勘定調査書は、実質上、右実際額は明らかにしようとする趣旨で作成されているものである。右調査書によれば、被告人は、右実際額を合計一二億九、〇一一万円余と申立てたのに対し、査察官が反面調査の結果として認容した実際額は、このうち六億七、四一二万円余とされている。しかも、査察官の調査によれば、負債整理のため喜田側から被告人側に七億九、七〇〇万円が交付されていたとも認定されているので、差引計算後の実際立替金はゼロとされており、かえって被告人側に返還すべきものが発生している状態にあるものとされている。査察官が右調査書で認定した各立替金の金額及び右七億九、七〇〇万円の性質(負債整理の資金として交付されたものか否か、また右立替金と差引計算されるべきものか否か等の性質)については、到底その認定に承服できるものではなく、これらは重大な事実の誤認を犯しているものである。しかしながら、喜田との民事訴訟において、右実際額を証明しようとすれば、右調査書で認容された程度の金額の立証すら容易ではないと見込まれていた。有能な査察官が公権力を行使して調べても右の程度なのである。民間人の被告人が任意に証明しようとしても、これを下回るものしかなし得ないかもしれないと心配したとしても、それは無理からぬところであるといわなければならない。喜田との間においては、昭和五五年一〇月一八日付準消費貸借による借用証(金額一〇億二八四万四、三二七円、種子田益夫宛)(第一審の尋問調書添付資料五七号)が存する。これは、その作成日付の時点までに完了していた整理済みの負債の名目金額の合計額である。喜田との間では、名目額で清算する約束であったから、右準消費貸借は、同約束に基く支払請求権を基礎とする意味では基礎たる債務が不存在とはいえず、有効と解したいところであるが、実際の立替金の額を基礎とすべきとの見解も考えられなくはなく、そのような見解に立てば基礎たる債権の額につき議論される余地が大となり、この辺りの議論となると、前記調査書にも記載されている仮受金(喜田側から被告人側に交付されたとされる整理資金)の額、性質にも関連して、果たして被告人の喜田に対する立替金に関する返還請求権が実際に存したのか否か、存したとしてその実際の額は如何(差引計算後の額如何)、といった点が、証明可能性とも相挨って、被告人側としては、敗訴(または大部分敗訴)の危険を招く重大な要因として受けとめざるを得なかった訳である。

最後に、前記三番めの報酬の点であるが、報酬についてはこれを約した書面は存しなかった。

<5> 以上の次第であるので、貸金返還請求権を除けば、見通しが明らかでなかったものである。喜田は、一九億三、二八九万円余の一部として、とりあえず五億円の支払いを求める訴を提起してきたものであるから、状況如何によっては一七~八億円の支払いを命じられる敗訴判決も十分考えられたわけである。

2 被告人及び弁護人の主張の変遷の概要

(一) 被告人種子田及び弁護人は、第一審第一回公判期日において公訴事実については、これを全部認め、あわせて検察官提出にかかる書証及び証拠物に対して、その取調べにつき同意した。ただし、主任弁護人は、書証については同意はするが、その供述内容の信憑性については、弁護人からの証人申請によりこれを争うこともあり得ることを留保した。

(二) 昭和六二年三月一八日の第二回公判期日において弁護人は喜田幸治外一六名、合計一七名の証人尋問申請をした。その立証趣旨は夫々の証人に関する立証趣旨に記載したとおりであったが、さらに本件事案に対する弁護人の主張及び争点を明らかにし、前記証人申請の必要性を裏付けるため、昭和六二年四月二二日冒頭陳述書を提出した。

右冒陳の要旨は、被告会社が喜田幸治から伊勢化学の株式八九万〇、四〇〇株を買取ったことを前提として、その売却益の認定にあたっては、第一点として、被告会社は、伊勢化学の右株式を伊勢開発株式会社及び喜田幸治に対する資金援助ないし債務整理に関連して取得したものであり、その取得原価とされる九、三〇〇万円は、そもそも形式的な数字にすぎず、取得原価としての適否の判断にあたっては、当事者の意思の検討は勿論、資金援助額、債務整理への見通し、その予想額、現実の出金額等の確定が必要であり、その上で取得原価との関連性の有無が検討されるべきであること、第二点として、検察官の冒陳によれば、昭和五五年五月頃までの伊勢開発にたいする融資額は一億五、〇〇〇万円とされ、また伊勢開発の負債整理に六億七、〇〇〇万円余りを出捐したに過ぎないのに、他方昭和五六年一一月までに伊勢開発から合計七億九、〇〇〇万円余りの仮払いを受けているとされるが、現実の出捐額は検察官の主張をはるかに上回るものであり、かつ、仮払いの内五億円については、被告人種子田側に帰属していないこと、第三点として、喜田幸治は、本件に関する東京国税局による査察着手前である昭和六〇年三月四日、東京地方裁判所に種子田個人を被告として五億円の支払い請求の民事訴訟を起し、東京地方裁判所民事第一二部に昭和六〇年(ワ)第二、二五〇号として係属するところとなり、右訴訟における喜田側の主張は、種子田との間に成立した伊勢開発ないし喜田幸治の債務整理に関する委任契約の内容として、本件株式の旭硝子への譲渡代金に対する精算を要求するものであり、本件株式の譲渡を処分精算型の譲渡担保として、その精算金の支払を求める法的構成と解する余地も十分考えられることから、法的構成の整合性が検討されるべきであることを主張した上で、第四点として、本件犯行の動機、状情について、旭硝子への株式売却は旭硝子からの強い要望によるものであり、かつ、株式譲渡課税を免れるために旭硝子側から種々教示を受け、被告人としてはその当時は勿論、その後も課税は受けないものと信じきっていたものであり、まず状情面で、旭硝子側の教示ないし指示の具体的内容、経過が明らかにされるべきであり、その結果、被告人種子田の犯意自体にも影響なしとはいえないことを主張したものであった。

右冒陳と前記証人申請との関連をみるに、証人申請一、二、及び五乃至一四の各証人は、冒陳第一点乃至第三点に関する立証であり、証人申請三、四は冒陳第四点に関する立証であった。

(三) 右証人申請の必要性を判断するため昭和六二年四月二二日、同年五月二〇日の二回にわたり、被告人本人質問が行われ、その結果、昭和六二年六月一九日の第五回公判期日より弁護人の前記証人申請に基づく証拠調が開始され、証人申請七、大和久昇、同八、柿崎武二、同九、審良裕正、同一〇、圷光衛、同一一、小林範凡、同一二、上原鹿蔵、同一三、有賀延興、同一四、佐野勝義、同六、三橋繁雄の各証人の証拠調が行われ、昭和六三年一月一九日(第一一回公判期日)より喜田幸治証人の証拠調が開始された。

喜田幸治の証言内容については、既に詳述したところであるが、その最も重要な点は、伊勢化学の株式八九万四〇〇株は、被告会社に売ったものではなく、被告人種子田個人に預けたものであること、昭和五五年五月三〇日付の株式譲渡契約書は、債権者対策のため作成した仮装のものであること等の点であった。

喜田幸治証人の尋問に際しては、前記民事訴訟事件において、すでに喜田幸治の原告本人尋問の第一回が昭和六二年一二月二四日に行われており、かつ訴状、準備書面等による喜田側の主張もあり、喜田幸治の供述するところは予め予想し得るところであった。

しかし、これとやや異なる内容の喜田の検察官調書がその後作成されていたこともあり喜田の言うことには信用性がないのではないかとの予断もあった。

そこで弁護団としては、喜田幸治との数回かつ長時間にわたる事前打合を慎重に遂げ、同人の証人尋問をなした。ところが、弁護団としては、慎重かつ詳細な検討を加えた結果、意外にも、喜田幸治のいうところこそ真実ではないかとの結論に達したのである。

(四) 右の次第により、弁護人は被告人種子田本人に対し、喜田幸治のいうところ、すなわち、伊勢化学の株式は、被告会社に売却したのではなく、喜田幸治が被告人種子田個人に預けたものであること、昭和五五年五月三〇日付の株式譲渡契約書は、債権者対策のため作成した仮装のものであることの二点を主要点として、その真実であるかどうかについて、追求したところ、被告人種子田は、喜田幸治のいうところはいずれも真実であること、それならばなに故に、第一回公判において公訴事実を認めたのかの点については、第一点としては、公訴事実を争えば、保釈にならないと思っていたこと、第二点としては、喜田幸治との前記民事訴訟との関連で被告人種子田個人が喜田幸治から伊勢化学の株式を預かったことを認めれば、民事訴訟が不利になると思ったこと、第三点として国税局の調査の段階で、同被告人の方から国税局に嘆願して個人の所得税法違反事件から、被告会社の法人税法違反事件に変更してもらった経緯があり、国税局担当者に対する信義からその主張を変えられなかったこと等を、はじめて弁護人に対し供述するにいたった(第一審第一六回公判期日、第二〇回公判期日における被告人本人供述参照)。

(五) こにいたって弁護人は、公訴事実に対する認否を変更する必要があると考え、そのための冒頭陳述書の作成に着手し、事前に裁判所に対してもその旨の申入れをなしていたところ、折柄、昭和六三年四月二七日の第一三回公判において更新手続きがなされたため、その時に被告人種子田、弁護人の意見陳述の場面で公訴事実に対する認否の変更を行い、同日付意見陳述書を提出したものである。

3 被告人種子田の供述の変遷の概要

(一) 被告人種子田の本件株式売買に関する供述を、国税局調査段階(質問てん末書)、検察庁取調段階(検察官調書)、第一審公判(公判廷における供述)の各段階を通じて検討すると、次のように変遷している。

まず、質問顛末書(乙第三四号乃至四八号証)においては、初期の昭和六〇年四月一六日付(乙第三四号証)、同年四月一七日付(同第三五号証)、同年五月一四日付(同第三六号証)においては、伊勢化学株式を喜田幸治から被告会社が購入し、次いで、被告人種子田個人が被告会社から購入し、最後に旭硝子が被告人種子田個人から購入したのである。すなわち売却益は個人に帰属する旨供述していたものが、同年九月一九日付(同第三七号証)以降の供述では、喜田幸治から購入したのは被告会社であるが、旭硝子に売却したのは個人ではなく被告会社である、すなわち売却益は被告会社に帰属する旨供述を変え、検察官調書では、そのまま一貫して被告会社に売却益が帰属するものであることの供述を維持し、さらに第一審公判においては、第一審公判において公訴事実を認めながら、第一三回公判において公訴事実記載の株式は、被告人種子田が個人として喜田幸治から預かり、これを旭硝子に譲渡したもので、右株式譲渡は、被告会社としてなしたものでない、すなわち売却益は被告会社に帰属するものではなく、個人に帰属するとして公訴事実に対する認否を変更したものである。

(二) 右のように供述を変更するに至ったいきさつについては、第一六回公判及び第二〇回公判において被告人が述べているところである。

それによると、第一点は、被告人種子田は、昭和六〇年四月一六日国税局から所得税法違反で査察を受け、その後継続して調査を受けたが、国税局の査察前に喜田幸治から伊勢化学の株式を被告人種子田個人に預けたものをだまって売ったということで一八億余のうちの五億について一部請求訴訟を提起されていたため、被告人個人が喜田幸治から株を取得し旭硝子に転売したとの趣旨で本件の脱税を認めると、民事訴訟でも負けるおそれがあり、そうなると個人の所得税と喜田幸治への支払とダブルパンチを受ける危険があったこと、等から国税局の調査中途の段階から個人から法人(被告会社)へ切り換えて貰うようお願いをしたところ、国税局の担当者から、個人から被告会社に切り換える場合のポイントをメモにより示唆され、これに基づき昭和六〇年九月一八日付の答弁書を作成して提出した結果、国税局が、苦労して所得税法違反から法人税法違反に切り換えてくれたものであること。第二点は、この経過において国税局担当官との間で将来覆さない約束があったことから、検察庁の取調べの段階では、前記答弁書及び供述変更後の質問顛末書通りの筋書に基づいて供述したものであること、第三点は、本件第一回公判においては、法人税法違反の事実を認めないと保釈されないと思い公訴事実を認めたものであること、等に要約できる。

第一点については、被告人種子田のいう民事訴訟は本件に関する昭和六〇年四月一六日の東京国税局査察着手前である昭和六〇年三月四日に喜田幸治から被告人種子田に対し訴訟が提起されており、訴状(第一一回公判証人喜田幸治尋問調書添付資料七三)によれば、喜田幸治が被告人種子田個人に、債務整理に関する委任契約により預けた、伊勢化学工業株式八九万〇、四〇〇株を、被告人種子田が旭硝子に売却したことにより精算請求として一九億三、二八九万四、四〇〇円のうち五億円を請求する趣旨であり、これに対する昭和六〇年四月八日付答弁書(第一六回公判被告人本人尋問調書添付資料七八の一)では、請求の棄却を求め、請求の原因に対する答弁は留保し、原告の主張する債務整理に関する委任契約の内容の明細、五億円請求の法的根拠等について釈明を求めていたものであって、査察着手時は、右民事訴訟に関して被告人種子田と訴訟代理人である関根合同法律事務所との間で事実関係についてその打合せが継続し、対策が協議されている最中であったことは明らかである。

したがって、この民事訴訟との関連において被告人種子田のいうように、右伊勢化学株式を、喜田幸治から被告人種子田個人が預かり、同個人が旭硝子に売却したことを認める供述をするならば、直接或は、間接的に右民事訴訟において、五億円の請求は勿論一九億余りの請求に対して不利になると被告人種子田が認識したことは極めて当然であったと言わなければならない。

さらに、国税局による調査段階における被告人種子田の質問顛末書(乙第三四号証ないし同四八号証)を検討してみると、まず昭和六〇年四月一六日付(乙第三四号証)、同年四月一七日付(同三五号証)、同年五月一四日付(同第三六号証)の三通から同年九月一九日付四通め(同第三七号証)までの間に約四ケ月間の空白期間が存在すること、そして同年九月一九日は被告人種子田が法人税法違反事件に切り換えて貰うために提出したという答弁書(弁第三七号証)の作成年月日である昭和六〇年九月一八日の翌日であり、かつ同年九月一九日付質問顛末書の内容から、右答弁書に拠って、問、答のかたちで顛末書が作成されていることは明らかである。すなわち問三及びその答えは、答弁書(1)の「株券を喜田幸治氏から取得した理由及び経緯」に対応し、問四及びその答は、答弁書(2)の「中央産商有限会社で株券を取得しなければならなかった理由」に対応し、問五、問六、問七、問八、問九、問一一及びその各答は、答弁書(3)の「中央産商有限会社から、種子田他四名に株券を売却した理由、経緯」と、同(4)の「旭硝子に株券を売却するに至った理由、経緯」に対応し、問一〇及びその答えは答弁書(5)の「伊勢開発の負債を整理しなければならなかった理由、経緯」に対応するのである。

ここで重視すべきは、弁第三六号証のメモの存在である。このメモは東京国税局の用紙に記載されており、国税局担当官が作成したものであることは容易に推認し得るものである。このメモの1から5までの項目と右答弁書の1から5までの項目は、順序が一部異なるものの、その内容は、全く同一であることは明らかであり、答弁書がメモによって作成されたものであることは疑う余地がない。そうだとすれば、そのメモの存在自体、被告人種子田にかかる所得税法違反から法人税法違反事件への切り換えの懇請に応じて、国税局担当者がクリアーすべき問題点を示してくれたことを窺わせる。

そして、同年九月一九日付より後の質問顛末書は、同年九月一九日付質問顛末書の内容の更に詳細な補充ないしは確認に終始し、昭和六一年二月二二日付の質問顛末書に至り各てん末書の冒頭に表示されるけん疑事実が種子田益夫の所得税法違反から中央産商有限会社の法人税法違反に変更されるのである。

右各事実に徴すれば国税局調査段階で所得税法違反から法人税法違反に切り換えてもらったとの被告人種子田の本公判における供述は、まさに真実を述べるものであることは明らかである。

ところで、所得税法違反のけん疑で強制調査に着手した東京国税局が、そう簡単に法人税法違反けん疑に切り換えるということは通常そもそも考えられないことであり、しかも、その変更は、前述した如く被告人種子田が提出した答弁書によってなされたことは明らかであり、国税局担当者が、被告人種子田個人からの法人税法違反への切り換えの懇請について、配慮してくれた結果であり、そしてこのことは、被告人種子田においても十分認識したところであって、したがって、第二点として被告人種子田がいうように、担当官とのやりとりの場面において、将来、また法人から個人に覆さないとの「約束」が交されたことは推認するに難くないところであり、被告人種子田と国税局担当官とのこの「約束」を、その後の検察庁取調段階及び認否変更前の本件公判において、信義的にも覆えすことができなかったものであることも理解し得るところである。

さらに、被告人種子田は第三点として保釈の点を挙げている。ここにおいて弁護人も現在の刑事裁判手続における保釈の運用の現実について一言せざるを得ない。すなわち、第一回公判におけるいわゆる罪状認否の段階で、被告人種子田及び弁護人が公訴事実を争わず、検察官請求証拠に同意しない限り、まず保釈は許可されないというのが最近一〇年ほどの保釈運用の一般の現実であると言っても過言ではない。

この点については、刑事訴訟法八九条の権利保釈の除外事由である罪証湮滅のおそれの有無の判断の問題として議論がなされているところである(筑摩書房、刑事手続上一一、「勾留、保釈」二五九頁以下)が、議論はさておき、本件の如き、公訴事実上脱税金額も多額の脱税事件において、被告人種子田なり弁護人が第一回公判において公訴事実を争えば、保釈の可能性は全くなかったことは、事前においてすでに明らかであった。牛久、大阪、高知、八幡、小倉と六つの病院を、ワンマンとして実質的に経営し、従業員数八九〇名を抱える被告人にとって勾留期間が1ケ月でも長引けば、資金繰等に致命的な打撃を蒙ることは明らかであり、被告人種子田にとっては、それはまさに社会的、経済的面から企業的に死を意味するものであり、ベット数一、五〇〇の患者、八九〇名の従業員、その家族の将来を考えれば、保釈になることは、唯一絶対の選択肢であったことは容易に理解されるところである。

以上、検討してきたところによれば、被告人種子田の供述の変遷については、その局面、局面において、供述を変更する必然性と合理的理由が存在することが明らかであり、訴訟の引きのばしや、裁判の公正な判断を阻害する目的でなされたものでは、決してないものであることが理解されよう。以下、以上に述べたことを詳述する。

4 「否認のための否認」ではない

(一) 被告人種子田の供述は、第一審公判審理の途中の段階に至って初めて主張されたというようなものではない。

一見すると、第一三回公判において突然否認に転じたようにみえるが、被告人の供述の変遷を査察調査の段階まで遡って慎重に吟味し直せば、右否認の内容たる現在の供述というものは、第一三回公判において初めて言い出されたものではなく、詳細後記5記載のとおり、査察調査の比較的初期の段階において被告人種子田と査察官との間で深く論議が交わされた内容なのであり、かつ、同論議を経て、同被告人が、詳細後記5記載の経過及び判断の下に、「答弁書」(弁第三七号証)を提出するなどして、虚偽の自白(昭和六〇年九月一九日付以降の同被告人の質問てん末書乙三七号証以下及び検察官調書・乙第三号証以下の各供述)へと進展して行く基になっているものなのである。

(二) 被告人種子田の供述は、喜田幸治の主張・証言に乗ろうとするものでは断じてない。

右(一)に記載したとおり、被告人種子田の供述は、査察調査の比較的初期の段階で既に議論されている内容なのであって、公判審理の途中で、苦しまぎれに喜田幸治の従前の主張や証言に乗ろうとしたというような軽薄なものでは断じてない。

(三) 質問てん末書(乙第三四号証以下)を通じ、被告人種子田は、終始、喜田幸治から株式を購入したのは被告会社であることを認めているかのように、一見すると感じられなくもないが、この点も詳細後記5記載のとおり、その内容を掘り下げて検討すればそのように単純なものではない。

5 査察調査開始時の供述から本件公訴事実(検察官の冒頭陳述内容)に沿う虚偽自白をなすに至る(昭和六〇年九月一九日)までの間の被告人種子田の供述の変遷状況

(一) 本件査察調査開始当時における被告人種子田の基本的認識

(1) 昭和五五年五月乃至六月当時、喜田幸治・被告人種子田間においては、本件伊勢化学の株式は、担保的意味合いを含めつつ暴力的債権者対策の趣旨の下に寄託されたに過ぎないものであったが、同寄託の右のような目的から必然的に右両者間以外の他の者に対する関係においては、右の事実は秘匿され、本件株式譲渡契約書が真実であるかのように振る舞われていた。

その後、既述の経緯の下に、旭硝子にこれが売却されるに至ったが、喜田としては、被告人種子田に対するその当時までの債務を直ちに返済すべき目途が全く立たなくなっていた状況の下にあり、しかも、同被告人が、喜田にとって一連の負債整理等で恩義を強く感じるため頭が上がらなくなっていた人物であると共に、その言動等から発する無言の威圧感が存したことの故に、その申入れに対し抗し切れないとの心情及び旭硝子に所有しておいてもらった方が将来買戻しをする可能性もあって他所に処分されるよりも良いとの甘い期待(坂部専務からそのように言われた)から、右売却に際しこれを承認した。以後売却代金の精算へと話が進み、被告人種子田から五億円の精算・支払いをしたい旨の申出を受けることになって、右喜田は、その時点では、一連の負債が一切帳消しになるとの認識の下で、一応これで満足する気持となり、ここに、暗黙のうちに、被告人種子田が喜田幸治に五億円を支払うことによって両者間の関係の一切を精算する旨の合意が成立し、右喜田は、その支払いを受けるべく支払方法ないし支払形式につき交渉を継続するところとなった。

(2) 右のような次第であったので、被告人種子田としては、対外的には、即ち喜田幸治以外の者に対する関係においては、本件伊勢化学の株式は、被告会社が購入したものであるとのポーズを取り続け、このポーズのまま被告会社が右株式を旭硝子に売却するという形式でこれを貫き通し、同会社の公表帳簿等もその段階に至って初めてそのように改ざんして符節を合わせ、その旨の申告手続内容まで急拠これに沿う処理をしてしまった。

従って、被告人種子田としては、本件株式を喜田幸治から購入した者は、被告会社ではないこと、真実は寄託を受けていたに過ぎなかったものであること等を敢えて、弘中弁護士を含め外部に明らかにする必要性のないまま、時間が経過した。

(3) その後、昭和六〇年に至り、前記2記載のとおり、喜田幸治から民事訴訟を提起されるに至った。同訴訟における喜田の主張する事実関係は、その骨子において真実であったが、被告人種子田としては、その対応如何では一八億円余の支払義務を負担させられかねない心配があった。被告人は、前記合意の五億円の限度で支払いに応ずることはやぶさかではなかったが、右喜田の訴訟の構成が、一八億円余の請求権があるとの前提に立つものであったため、その対応に苦慮し、右喜田の主張する事実関係を真実であると認めることはできないと判断し、あれこれ検討するうち、結局、右喜田から買取ったものを旭硝子に売ったということであれば、右喜田に対する支払義務が生ずる余地は全くないことになるので、本件株式譲渡契約書を真実なりと強弁しようと判断するに至った。幸い、作成に立会った弘中徹弁護士はじめ、関係者は、譲渡契約書が仮装であることに気付いていないので、右強弁は、容易に看破されないものと見込まれ、しかも、右の如く強弁すれば、喜田幸治との取引当事者は、被告会社であったこととなり、右民事訴訟の被告は種子田個人であるから、訴訟戦略上も一石二鳥と考えられたのである。

右民事訴訟の被告代理人として依頼した関根栄郷弁護士には、右の線で虚偽の事実を真実なりと偽って説明し、応訴の手続を進めて行くことにした。

(4) 以上のような状況の下で、突然、本件査察調査が開始されたのである。

(二) 査察調査の初日に被告人種子田が供述した内容の検討

(1) 被告会社が喜田幸治から本件伊勢化学の株式を購入したものであることを認めている点についての検討

<1> 被告人種子田は、強制査察調査初日である昭和六〇年四月一六日、査察官に対し、被告会社が右喜田から伊勢化学の株式八九万〇、四〇〇株を九、三〇〇万円で買ったものである旨供述している(同日付質問てん末書乙第三四号証問五以下)。

<2> 右<1>の記載のとおり供述していることは事実であるが、これは、前記(一)記載の事情が存したことの故に、被告人種子田が自ら進んで偽り説明したに過ぎないものであり、到底真実ではない。

ところで、ここで特に留意すべきことは、査察官は、この時点においては、喜田幸治から株を取得した者が誰であるかという論点については問題意識を全くもっていなかった。査察官は、右当時、被告会社が伊勢化学の株式を所有していたことは当然の事実としてこれを全く疑わず、被告会社の先、即ち被告会社から旭硝子に売却されるまでの間の取引当事者として介在したのが誰であるかという点のみを問題にしていたからである。査察官は、強制調査開始前の内定調査段階において、関係者の税務申告書類を調査することは当然の事務処理であるから、被告会社及び旭硝子の各申告書類及び公表帳簿等を調べており、これらを点検すれば、右のように被告会社が株式を所有しこれを売却した旨の公表経理がなされているため、同経理処理を頭から信用して、これに何らの疑問を抱かなかった。

従って、査察官は、被告人種子田の前記供述を軽く真に受けてこれを真実なりと誤信し、質問てん末書に記載した。

以上の次第で、右供述記載は、十分なる吟味を全く経ることなく記載されたものであり、信用できないものである。

(2) 「伊勢化学の三工場の一つを株と引換えに分割を受けて経営してみてはどうか」と喜田幸治に言われた旨の供述についての検討

<1> 右のような工場分割に関する供述をなしていることは事実である(問五の答)。

<2> しかしながら、その内容を見ると、時期的には、株式の売買及株券の引渡がなされた後に出た話とされており、出来事の流れにおける位置付けとしては、株式購入の動機とは全く関連性のない位置付けとなっている。

即ち、その後の昭和六〇年九月一九日付質問てん末書以降検察官調書に至るまで一貫している自白内容は、宮崎工場の分割を受けてヨード製造事業に乗り出し自己の夢を実現するため、伊勢化学の四分の一の株式を購入した、という内容である。従って、同自白を正しいものと仮定すれば、宮崎工場を分割しようとの考え、喜田幸治とのその旨の話合いは、昭和五五年五月三〇日より前に存在していなければならず、かつ、右考え・話合いは、株式取得の動機として位置付けられなければならないのである。しかるに、被告人種子田の強制査察調査初日におけるこの点に関する供述は、その時期的順序もその位置付けも、右と全く異なる内容となっている。およそ、人間の記憶というものは、正直に答えようとしても時期については狂いを生じがちであるけれども、物ごとの流れというか、出来事の順序、筋道については、少なくともその大筋において間違えるものではない。

右のような観点から検討してみると、永年の自己の夢を実現するため宮崎工場の分割を受ける目的の下に株式を取得したということが真実であるならば、代金の金額が半端でないこと、男子一生の夢の実現に関することであること等の事情と相まって、宮崎工場の分割の話し・考えが株式取得の前に存したか、株式取得後に起こったことかにつき、勘違いや記憶違いが発生することは、一般正常人を基準とする記憶心理学上あり得ないことである。

右の一事をもってしても、強制査察調査初日の被告人種子田の供述は信用し難いことが明らかである。

(3) その他の明らかに不合理な供述についての検討

<1> 売買契約を締結したその席で株券は被告人種子田が受取って会社内の金庫に保管した旨の供述(問五の答)

<2> 代金九、三〇〇万円は、江戸の代理人池田に支払った旨の供述(右同)

<3> 株式取得後一三億円の借金があることが分かった旨の供述(右同)

<4> 右<3>記載の喜田の借金があることを知って驚き、株式を売却して喜田の借金を返済しなくてはと考えた旨の供述(右同)

<5> 右<4>記載の喜田の借金返済の一方策として、喜田から前記(2)の記載の工場分割の話がでたので旭硝子の友沢と交渉するに至った旨の供述(右同)

<6> 株式売却の理由は、喜田の借金返済のためであった旨の供述(問一〇の答)

目ぼしい不合理な供述を拾っただけで以上のとおりである。

前記<1>は

株式譲渡契約書作成の場で株券の交付は全くなされていない

との客観的事実と大きくくい違う全く虚偽の供述であり、同<2>は、

池田映一に支払った金額は八、〇〇〇万円である。

との客観的事実に明らかに反しており、同<3>は

伊勢開発に巨額の負債があることが突然判明しその善後策を巡って深夜まで激論をたたかわしても結論に至らず、話合い決裂、再相談等を繰返すうちに、株式譲渡契約書の作成に至った(福本メモ等)

との劇的な作成経緯を伴う客観的経過に著しく反しており、同<4>は、いかなる客観的事実にも符合しない理解不能な内容であり、同<5>は、前記(2)記載のとおり不合理であり、さらに同<6>は、

伊勢開発に対する援助資金、同会社のため立替えた負債整理資金の回収のために売却したものであって、喜田(伊勢開発)の借金返済は株式売却までにあらかた完了している。

との客観的事実に明らかに反している

何故に被告人種子田の供述が至るところ以上のように不合理だらけであるのかについて考察する。

同被告人の供述全体をみると、右にみたとおり、その物語の筋道において全く目茶苦茶であるが、筋道という観点を捨象して、話を構成する個々の出来事に分解すると、個々の出来事自体は、本件当時存在した事柄又はこれをアレンジした事柄であることに気付く。

即ち、被告人種子田は、過去に存した出来事の断片を実際の話の筋道とは異なる虚偽の筋道に沿って拾い出して供述しているのである。どのような虚偽の筋道かというと、株式は喜田幸治から買ったものであること、買ったのは被告会社中央産商であること、これをその後、被告人種子田が被告会社から買って旭硝子に転売したこと、喜田幸治関係の借金返済分八億円余りは株式売却益ではないこと、というような筋道である。

結局、被告人種子田は、ある日突然という形で出先から国税局に引張られ査察官から追求され、十分なる心の準備のないまま返答したという状況下において、

ア、前記(一)記載の心理の故に、本件株式は、喜田幸治から被告会社が買取ったものであること

イ、売却益が過大に認定されないため、伊勢開発絡みで出金した金員は原価と認めて貰いたいこと

の二点だけはこれを主張し、供述したのであり、これら二点をもっともらしく説明しようとして種々の事情を補足的に説明し、供述したのである。ただ、右アの点は虚偽であるので、本件当時における実際の事実経過をそのまま述べる訳に行かず、追及を受けながら苦しまぎれにできるだけもっともらしくなるよう心掛けてその場の作り話をしたものであろう。そうでなければ、いくら何でも前記のような余りにも不合理な供述をすることは考えられない。

右イの点については、被告人種子田は、従来その理論構成など考えたこともなかったことであったので、どのように理論構成ないし事実構成をすれば原価と認めて貰えるのか、全く経理・税理上の知識を欠いていた。従って、原価として認容され易い事実構成という考慮を全く加えることができないまま、右アについて前記のような筋書きを適当に供述してしまったのである。しかし、右イ自体の重要性は直観的に感じ取り、これを強く主張したのである。この点は、詳細後記する利益の帰属の主体に関する供述の変更をもたらす大きな要因となっているので、留意されたく、ここに一言付言しておく次第である。

(三) 喜田幸治から本件株式約八九万株を取得した者が被告会社であるとの点については、一見すると、質問てん末書中の供述は終始一貫しているかのような観を呈している。

(1) 質問てん末書中の株式が譲渡された当事者に関する供述記載の要点を図化すると、次のとおりである。

(昭和六〇年四月一六日付質問てん末書)

(同年四月一七日付右同)

右同

(同年五月一四日付右同)

右同

(同年九月一九日付右同)

以後これで一貫している。

(2) 右(1)記載の変遷状況を形式的に観察すると、供述が変化したのは、喜田幸治と被告会社との間の取引ではなく、被告会社から旭硝子に移転する部分だけである。従って、ややもすると、喜田幸治と被告会社との間の取引自体については、終始一貫していて供述の変化が全くなかったかのように見える。

しかし、これは正しくない。実際には、質問てん末書に直接表わされていない取調べ状況・供述の変遷が隠されているのである。それは、質問てん末書が飛んでいる昭和六〇年五月一四日から同年九月一八日までの間の取調べの中にある。右期間は約四か月間と比較的長期間であるが、この間被告人種子田の質問てん末書が全く作成されていない。しかし、査察官の被告人の呼出し、取調べは、この間も頻繁に続行されていたのである。

(3) 後記(四)以下に右期間中の取調べの状況および内容について述べるが、その前提として、予め左の点を指摘しておくので留意願いたい。

<1> 昭和六〇年四月一六日には、本件株式譲渡契約書は発見されるに至っておらず、従って押収されていないこと。

<2> 右株式譲渡契約書は、翌四月一七日、被告人種子田により任意提出されて領置されるに至っていること。

<3> 昭和六〇年四月一六日(第一回)、同月一七日(第二回)、同年五月一四日(第三回)の各取調べの結果たる質問てん末書には、いずれも伊勢開発(喜田幸治)の負債整理等に支出した金員相当額はこれを株式売却益から控除されたい旨の被告人種子田の再三かつ執拗な申出の供述記載があるのに、昭和六〇年九月一九日以降の質問てん末書には、これがないこと。

<4> 右<2>記載の任意提出に係る書類中には、伊勢開発(喜田幸治)の債務一覧表が含まれていること(質問てん末書末尾添付の資料参照)。

<5> 昭和六〇年九月一八日には、被告人種子田は、査察官に対し、「答弁書」と題する一種の上申書を提出していること(弁第三七号証)。

<6> 本件公訴事実の立証には不必要である筈の伊勢開発勘定調査書と題する調査書が査察官によって作成され本件公判廷に書証として提出されていること。

(四) 被告人種子田の供述は、決して、喜田幸治から本件株式を購入した主体が被告会社であるとの点で首尾一貫していたものではない。

(1) 被告人種子田は、昭和六〇年四月一六日付質問てん末書においては、前記のとおり、本件株式は、喜田幸治から九、三〇〇万円で買ったけれども、これを売却した理由は、喜田幸治(伊勢開発)の借金を返済するためであったこと、従って、自分のもうけのうち喜田幸治の借金返済分八億円余りは自分の利益とは考えていないので考慮されたい旨(問一〇、一一の答)申出ているが、これは、伊勢開発に対する資金援助・負債整理として支払済みの金員を回収するために本件株式を売却したという厳然たる事実があり、実質上右支出済みの金員が株式売却益の計算上控除項目(原価)に該当するという考え方が被告人種子田の中に一貫して存続していた関係上なされた供述であり、同主張には強いものがあった。

(2) 同月一七日には、前記債務一覧表が任意提出されたが、これは右原価性につき査察官に十分なる認識を得さしめようとして提出されたものである。

(3) 査察官は、同月一七日以降約一か月をかけて押収証拠品等各種資料や被告人種子田の供述等を総合的に検討した後の同年五月一四日、被告人種子田を呼出して取調べをなしているが、同日付質問てん末書によると、同日の取調べの要点は、

ア、九、三〇〇万円は安過ぎないか(問一二)

イ、被告人種子田が負債整理等で実際に負担したのは、伊勢化学から五億〇、四〇〇万円を喜田幸治を通して受領しているので、八億前後ではないか(問一三)

ウ、旭硝子から追加で支払われている五億円の理由(問一七)

エ、負債整理は、売買の条件か(問二一)

といったような点であった。右要点を中心に質問調査をなしているということは、被告人種子田が査察調査初日から執拗に主張していた負債整理等に支出した金員の原価性について、これを真正面から検討課題として取上げざるを得なくなったということを物語る。九、三〇〇万円という金額が余りに安過ぎ、被告人種子田主張の負債整理が事実とすれば、これを原価と考える余地があることは否定し切れなかったためと推認される。

しかし、この時点では、被告人種子田は、なお株式の流れにつき、喜田幸治→被告会社→被告人種子田→旭硝子という線を維持している。

(4) 同年五月一四日以降、査察官は、精力的に、被告人種子田の負債整理の実態解明に乗り出している。

検察官提出の甲号証である伊勢開発勘定調査書は、右調査の結果を取りまとめたものであるが、同調査書の末尾に表示されている同調査書作成の根拠となっている証拠の作成日付等を検討すると、同年七月、八月ころの日付のものがかなり見られる。特に、回答書は、照会から回答まで時間を要すること、特に本件では、当時から更に五年前の事象についての照会回答であることを考え合わせると、同年五月ころから右解明に精力的に着手したものと思われる。

右解明に注がれた査察官の努力には敬意を払うべきものがある。対象が、非常に多数に上がる関係者であり、しかも帳簿等が完備している一流大企業ではない零細業者、暴力団筋の金融業者等種々雑多な関係者であり、更に五年前の古い取引を調べようとするのであるから、非常に気の重い、骨の折れる作業であったことは、想像に難くない。

この間、被告人種子田の取調べは、連日のようになされた(被告人種子田の第一審公判廷における供述)。

(5) 右実態の解明が少しずつ進み、被告人種子田の取調べも同様に進むに従って、査察官も、本件株式の流れを含む全体像を認識するに至ったと思われる。喜田幸治の提起していた民事訴訟の内容も十分に検討したと思われる。

右全体像を認識するにいたって、査察官は、

本件株式は、喜田幸治から被告会社に売却されたというのは本当か、代金は本当に九、三〇〇万円なのか、それでいいのか、被告会社から被告人種子田に本当に売られたのか。そうではない。右のような流れではなく、喜田幸治から被告人種子田に売却されたのではないか、その場合代金はいくらか、それとも、喜田幸治から被告人種子田に預けられたのか、あるいは譲渡担保であったのか

というような、本件の基本的事実関係の把握の仕方に問題意識を抱くに至った。

一方、被告人種子田は、右のようなことに拘泥することなく、単純に負債整理等のため支出した金員を原価に見て欲しい旨を主張し続けていた。

査察官側からすれば、被告人種子田主張の右金員を原価として認容することは、当初の事実構成、即ち昭和五六年一月になってから被告会社から被告人種子田が本件株式を買って、同年二月これを旭硝子に売却したという構成の下では困難であった。その理由は、負債整理資金等を支出した主たる時期は昭和五五年であり、かつ、負債整理資金等を出金した主体は被告人個人と見るのが自然で、被告会社をその主体とみることは実態に合致しないという事実関係が次第に判明したためである。伊勢開発勘定調査書を仔細に分析することによって、右の次第を看取することができる。

(6) そして、同年八月から九月にかけて、査察官が到達した心証、結論は、次のようなものであった。

即ち、負債整理等のため支出した金員(但し、実際負担額)は、本件株式売却益の原価に取り込まざるを得ない。しかし、右金員の大半を支出したのは被告会社ではない。それは、被告人種子田個人であるとみざるを得ない。しかも支出の時期は、その多くが昭和五五年中である。事犯の全ぼうを観察するに、担保その他取得の名目・性質の点はともかくとして本件株式を喜田幸治から取得したのは被告人種子田個人である。旭硝子に売却したのも同被告人個人である。被告会社は本件株式取引に無関係である。被告会社は、九、三〇〇万円すら出金していない、というようなものであった。

右は、本件真相に肉迫する相当程度に正しい理解を含むものであった。査察官をして、ここまで理解するに至らしめたのは、被告人種子田の前記原価性の主張が執拗であったためである。

しかし、被告人種子田は、原価性の認容を求めていただけであって、喜田幸治から取得したのが被告人個人であるように認定されたい旨求めていたつもりはなかったので、査察官が右のような心証を形成したことは、同被告人にとって誠に意外なことであった。現在、我々弁護人が冷静に検討すれば、右原価性を主張すればするほど論理的帰結として右のような心証に至るべきものであることは分かるが、素人である当時の同被告人は、そこまでの頭の整理がなされていなかったと思われる。

(7) いずれにせよ、同被告人にとっては、査察官から右のような心証である旨の披れきを受け、これが真相ではないかとの追及を受けて困惑しつつも、仮に右のとおり自白した場合の利害得失を検討した。

右のように認める自白をすると、喜田幸治との民事訴訟に敗訴する危険性が高くなるが、仮りに敗訴すれば、本件脱税はなかったことになるのか否かにつき、そのころ被告人種子田が尋ねたところ、査察官は、仮に敗訴して一〇数億円を支払うこととなっても、申告期が異なるので、昭和五六年二月の株式売却による事実上の所得自体が遡って消失することはあり得ず、従って、敗訴しても脱税は成立し、被告人種子田にとってダブルパンチを受けることの危険性は否定し得ない旨の説明をなした。また、査察官の右の如き心証に基づく事実を基にして仮に税額を計算してみると、負債整理等の原価として数億円を認容されると仮定しても、その税額は、所得税の税率が高いこともあって、本件公訴事実よりも高額になる危険性があることが判明した。その他、前記3記載のとおりの諸事情もあった。

そこで、結局、あらゆる角度から検討して、その時点において、被告人種子田が最も得であると判断したことは、被告会社が喜田幸治から本件株式を九、三〇〇万円で購入し、これを同被告会社が旭硝子に転売したものと構成することであった。被告会社が被告人種子田に一億二、六〇〇万円で売却し、同被告人が旭硝子に転売したと構成することも、同被告人個人に課される所得税額を試算すると巨額となり過ぎ著しく不利であった。

右のように構成すると、被告会社の名においては負債整理等に殆ど金員を支出していないため、これを原価として認容される途を閉ざすことになるが、法人税率は、所得税率より相当低いので算出される税額は結果的には低くなること、前記ダブルパンチの危険が除去されること等の利点が存した。

(8) そこで、被告人種子田は、そのころ、早速、査察官に対し、右のような事実構成をされたい旨を強く働きかけ、陳情した。しかし、前記経緯の下に心証を形成していた査察官は、おいそれとこれに乗ってこなかった。それでも同被告人は、なお陳情をくり返した。同被告人個人名義ではさしたる資産がないので納税できないが、被告会社であれば如何なる金策措置をとっても納税するしその見込みもあること、将来再び原価性の主張はしないこと、被告人個人が預かった、又は取得した旨の主張もしないこと、右を固く誓約すること等の条件も示した。査察官としても、前記心証の下にはあったが、その証拠固めを遂げるには、債務整理資金の流れの解明、同金員の負担者の確定、これら金員の金策上の経費額の確定、個々の実際支払額の確定等の詳細につき、すべて裏付資料を取り揃えねばならず、この作業を完成させるには、なお相当の手間と期間を要するだけでなく、果たして手間をかけても完全に事実関係を詰め切れるものか否かにつき確たる見通しがないという心配が存した。

そこで、結局、査察官も妥協し、被告人種子田の右誓約を信用して、同被告人の前記陳情を受け入れることに決し、同被告人に対し、喜田幸治から本件株式を購入したのが被告会社であることを十分納得させられるだけの事実を整理して記載した書面を出すように求め、同書面作成の要点をメモした国税局の名称入りの罫紙を渡した(弁第三六号メモ・資料)

(9) 右罫紙に記載されたメモを受けて、被告人種子田は虚実取り混ぜて、虚偽のストーリーを完成し、これを「答弁書」(弁第三七号証)に取りまとめて、昭和六〇年九月一八日に、査察官に提出した。そして、これが最終的には検察官調書へとつながって行くのであり、検察官の冒頭陳述へと発展するのであるが、このストーリーは、右のような経過で考え出された虚構なのである。

ところで、右罫紙のメモ及び「答弁書」でじっくり分析して頂きたい。力点はどこに置かれているであろうか。本件株式を被告会社で取得したことについてはそうしなければならなかった理由があること、本件株式を喜田幸治から取得したのはヨード事業経営の目的が全てであって賃金・立替金の担保というような性質は全くなかったこと、伊勢開発の負債整理と本件株式の取得は無関係であること等の点に重点が置かれていることは、明らかである。喜田幸治から取得した者は被告人種子田ではないのか、取得理由は売買ではなく担保ではないのか、あるいは単に預けられただけではないのか、といったような問題意識が査察官に存しなかったとするならば、右のようなメモを介して右のような答弁書が完成する筈がないのである。右答弁書は、比較的論理的に整理されており、昭和六〇年四月~五月ころの質問てん末書の内容とは、著しくストーリーが異なっている。「宮崎工場の分割を受けてヨード業界に進出する」との野心・計画が根幹に据えられ、だから株式は純粋に買い切ったものであって、担保ではなく、賃金や負債整理と直接の関係がない、あるいは、だから、中央産商で買わなければならなかった等の結論を導いているのである。逆にいえば、このような結論を導きたいがために、右のような根幹を設定したのである。要はこの根幹が虚偽だということなのである。

即ち 右の根幹に関するストーリーは

嘘……宮崎工場の分割を受ける

右分割が株式取得の目的である。

実……株式譲渡契約書作成の何か月か後に、喜田幸治が伊勢化学を二つに分割してその一つを同人において取得したいと言い出し、旭硝子とその旨の交渉に被告人種子田も後半において関与したことがある(このころ弘中弁護士にその旨の話をやや誇張して話したこともある)というような嘘と実を取り混ぜて作られた創話なのである。

(10) 査察官も、右虚偽のストーリーを妥協的に受入れて、翌九月一九日からその旨の質問てん末書を作成するに至った。しかし、査察官は、被告人種子田が将来供述を変えることを心配してか、その後、色々工夫を加えて、将来供述変更をなし難くするための質問を意識的に随所に織り込んでいる。

(11) 以上に述べたことが、供述変遷の要点である。被告人種子田が、第一審第一六回公判及び第二〇回公判において供述しているところ、および、乙号証の全体並びに関係する他の証拠をあらゆる角度から慎重に分析、総合した結果、以上が真相であると確信している。

特に、右指摘した「メモ」「答弁書」及び被告人のこれに関する供述は、本件事犯の真相の糾明に絶対不可欠ともいうべき重要な論点であるにも拘わらず、検察官は、全くこれにつき反対尋問を行なおうとしなかったことが明らかであるが、これは、一体何を意味すると解するべきであろうか。右の論点に関する弁護人らの主張が真実であり、この点を探究すればするほど、検察官の描く構図が虚偽であることが明確になるからであろう。

更に、伊勢開発勘定調査書が作成されたこと自体が重要な論点の一つであると考える。検察官が冒頭陳述において主張する事実関係が正しいものとすれば、右調査内容は、単なる情状に過ぎないものであり、一つの独立した調査書として作成されるべきものではないのである。にも拘らず、同調査書が作成されているのである。しかも、査察官の調査書中、作成に最も時間と労力を要したものが、同調査書なのである。ここまでの努力を傾注して同調査書を作成したということ自体が、査察官が本件を単純な売買とは見ていなかったことを如実に物語ると言って過言ではないと考える。

四 証拠により認定されるべき事実

1 取調済みの関係証拠により認定される本件の一連の事実の経過は、次のとおりである。

(一) 被告人と喜田幸治との出会い

被告人は、昭和五四年ごろ、福元公成から喜田幸治を紹介されて知り合うようになった。

福元公成は、同五五年一月当時、伊勢化学工業株式会社(以下伊勢化学という)の宮崎工場長をしており、かねて喜田幸治から伊勢開発株式会社(以下伊勢開発という)の資金繰りが苦しいとの話を聞かされており、喜田幸治がしかるべき融資先を物色していることを知っていたこと、他方、被告人が金融関係の仕事もしていて、かなりの金を動かしていることを知っていたことから、被告人に伊勢開発への融資等支援を依頼することを目的として、喜田幸治および被告人の両者を改めて引き合わせた。

(二) 被告人の喜田幸治および伊勢化学に対する認識

被告人は、従前より伊勢化学が地元の優良企業として新聞等で度々紹介されていたこと等から、伊勢化学の名前はよく知っており、伊勢開発支援を機会に伊勢化学および喜田幸治に接近し、将来の商取引上の有利な地位をつくり出したいという考えを持つに至った。

(三) 昭和五五年一月当時の伊勢開発の経営状況

伊勢開発は、昭和五三年三月、伊勢化学の希望退職者の受皿会社として設立されたものであるが、同五五年一月当時には、伊勢化学との資本関係はなく、伊勢開発の全株式は代表者喜田幸治が実質上所有し、喜田幸治の個人会社となっていた。

喜田幸治は、伊勢開発を土木工事請負を中心とした会社として発展させようと意図していたが、手掛けた足利寺の墓地造成工事および共輪寺納骨堂建設工事等でかなりの出費をしていたものの、これに関する入金は殆どなく、経営事情は火の車の状態であった。

そのため喜田幸治は、各種物品販売に手を出し、何とか伊勢開発の窮状を打開しようと図った。しかし、この物販の計画も悉く失敗に終り、その日その日の資金繰りのために次々と手形を乱発する状態であった。

(四) 被告人が、伊勢開発ないし喜田幸治に融資するに至った経緯

そこで喜田幸治は、昭和五五年一月中旬ごろ、被告人を東京の事務所に訪ね、被告人に伊勢開発への融資の申込をした。その際、喜田幸治は、前記のような伊勢開発の経営の実情を秘匿し、伊勢開発は伊勢化学の子会社であり、伊勢化学は年間二〇億円からの経常利益を出している会社であるから、その返済に心配はない旨を話し、被告人を安心させて融資の申込をした。

これを受け、被告人は、そのような優良な親会社があるのなら、そちらから援助を受ければよいのではないかと考えないわけではなかったが、大会社にはそれなりの種々の事情があるのだろうと考え、この際伊勢化学および喜田幸治らに接近しておく方が得策と考えて、この話に応じ融資をすることにした。

その結果、被告人は、自己の経営する丸益産業株式会社、被告人個人等の名義で、同五五年一月三〇日から同年四月ごろまでの間に、合計一億五、〇〇〇万円余を融資したものである。

(五) 第一回目の株券寄託

被告人は、前記一億五、〇〇〇万円余のうち、昭和五五年四月に貸付けた五、〇〇〇万円の貸付に際し、従来喜田幸治より何らの債権担保処置をとっていなかったことから、喜田幸治が所有または管理する伊勢化学の株式の一部約四〇万株(株式数については必ずしも正確ではない)を事実上の担保として預かりたい旨を申入れ、喜田幸治もこの申込を受けて、被告人に伊勢化学株約四〇万株を預けることとし、たまたま右株式が有賀延興のところに保管されていたことから、有賀延興に連絡し、右株式を持参させ、右株式を被告人種子田に引渡した。

なお、この際喜田幸治は、有賀延興が所有する伊勢化学株七、〇〇〇株についても、有賀延興をして持参させ、被告人に引渡しているものである。

被告人と喜田幸治との、この株式の引渡についての法律的意味は、両者において必ずしも明確に表示されていないため正確ではないが、被告人の、伊勢開発および喜田幸治に対する、現在および将来の債権の担保の趣旨で寄託されたものと言える。

(六) 被告人の伊勢開発等に対する追加融資資金等の調達

被告人は、既に喜田幸治および伊勢開発に対して約一億五、〇〇〇万円余の融資をしているのみならず、今後も喜田幸治および伊勢開発に相当の追加融資をせねばならない状況もあり、且つ、自己の運転資金も必要となり、これらの資金を調達するため、自己の取引先である武蔵野信用金庫から資金を調達しようと考えた。

しかし、被告人は、自己の経営する丸益産業株式会社等の名義で借入をするとそれだけ同信用金庫からの資金調達の枠が狭まり、後日資金調達が困難になるとの判断から、この際伊勢開発名義をもって借入をおこし、その資金を利用しようと考え、昭和五五年五月七日武蔵野信用金庫江古田支店に伊勢開発名義で借入申込をなし、被告人個人および丸益産業株式会社がこれを保証し、担保を差入れる融資方法で同信用金庫の承諾をとった。

この資金借入は、法形式上は伊勢開発が債務者であるが、実質上の借主は被告人であり、同五五年五月二四日同信用金庫江古田支店から二億五、〇〇〇万円の貸付を受けて、これを被告人が受取り、被告人においてのその一部を伊勢開発へ貸付するなどして使用し、後日被告人において弁済を完了している。

なお、この融資の際、喜田幸治は前記の伊勢化学の株式約四〇万株を同信用金庫に担保提供することを了承し、被告人は、同年五月二四日ごろ、丸益産業株式会社および被告人名義で同信用金庫にその株券を担保差入れ(質権設定)をしている。

(七) 株式譲渡と契約書作成の経緯

(1) 喜田幸治は、昭和五五年五月に入っても、被告人に対し融資の申込をしてきた。

被告人としては、それまでにもかなりの額を融資をしているのにも拘らず、次々と融資申込のあるのに驚き、事情を聞きたいと考えて、喜田幸治に対し福元公成と一緒に来るように申し向けた。

これを受けて喜田幸治は、五月上旬ごろ、福元公成および上原鹿蔵常務を同行して、被告人の事務所を訪ねた。この席上、被告人は「一体いくら位あれば伊勢開発は立直ることができるのか」と質問したところ、上原常務が「約三億六、〇〇〇万円位あれば大丈夫」との答弁をなし、被告人もそれを信じて資金繰りを考えてみたが、その後五月二一日ごろ、物販関係で手形を乱発し、その手形を詐取されているとの事実も明らかにされた。そこで、この手形を詐取された件については、弘中弁護士に依頼して刑事告訴の手続をとることにした。

(2) 被告人としては、喜田幸治らが説明する三億六、〇〇〇万円位の資金援助はやむを得ないと考えていた。

ところが、同五五年五月二六日ごろ、被告人が伊勢開発の事務所に立寄った際、偶然、経理担当の三橋の机の中に振出済みの多数の手形の耳があることを発見した。被告人はこれを見て、喜田幸治らが伊勢開発の会社の実情をまだ正直に説明していないと直感し、早速これを集計させてみたところ、未決済手形と借入金の合計が全く予想外の一〇億円余の金額に達することが判明した。

そこで、被告人は、五月二七日ごろ、急遽、福元公成を上京させ、被告人、福元公成、喜田幸治、弘中弁護士を交え、深夜二時頃まで対策を協議した。その際、被告人は、伊勢開発を倒産させる以外に解決の方法をないことを主張したが、自己の体面を慮る喜田幸治は、何らの対策を示さぬまま被告人の主張にも賛同せず、ただ協力を依頼するだけの曖昧な態度に終始していた。

そのため、この会議では結論が出ず、翌二八日午前八時三〇分ごろから伊勢開発の事務所において、被告人、喜田幸治、福元公成の三者において話合を継続した。しかし喜田幸治がなお前夜と同じように曖昧な態度をとり続けたため、被告人は、これ以上の援助はできないものと判断し、立腹して、一切手を引く旨の発言をして退席し、自己の事務所に帰った。

これに困惑した喜田幸治、福元公成は、被告人の事務所を訪問し、被告人をなだめ、援助に関する種々の条件を提示した。喜田幸治は、この時、被告人に対し、債権者との交渉は被告人に一切依頼したい、債務整理に必要な資金を被告人において立替えてほしい、喜田幸治が個人保証をしているものを優先的に整理してほしい旨依頼し、且つ、被告人に立替えてもらう金員については、必ず喜田幸治および同人の息子が連帯の上、被告人が回収した手形や借用証書の額面で返済すること、また、喜田幸治が江戸英雄に八、〇〇〇万円借入れた際、担保として預けてある伊勢化学の株券四九万株については、被告人において江戸英雄に八、〇〇〇万円返済してくれれば、右株券を被告人に預けることなどを申し向けた。

喜田幸治は、江戸英雄から昭和五四年一一月一九日に三、〇〇〇万円、一一月三〇日に三、〇〇〇万円、一二月四日に二、〇〇〇万円の合計八、〇〇〇万円を借入れており、その担保として伊勢化学の株式約四九万株を差入れていた。

被告人は、喜田幸治のこの申入れに対し、このまま伊勢開発の負債を放置したまま倒産させてしまえば、喜田幸治は当然伊勢化学の社長の地位を失脚するであろうし、従来融資していた金員の回収もできないのではないか、仮に今後自分が喜田幸治から伊勢開発の債務整理に関する全権の委任を受けるなら、同会社の債務等につきその真実の実情を把握できるし、喜田幸治から伊勢化学の株式を全て預かっておいて、伊勢開発の負債の手当をなして喜田の失脚を防げば、従来伊勢開発に融資していた金員も、これから伊勢開発のために出す債務整理資金も、伊勢化学等から回収することが可能ではないか等との判断のもとに、喜田幸治の申入れを受入れることとし、喜田幸治に対し伊勢化学株を預かる旨を申し述べて承諾し、ここに伊勢化学株約四九万株につき、被告人において、江戸英雄に対する弁済金八、〇〇〇万円の追加融資をすること、および、それと引換えに約四九万株の交付を受けることを条件にした寄託契約が成立した。

以上の次第で、被告人は、伊勢開発に対する援助ないし負債整理に協力することを継続することとなり、喜田幸治および福元公成は被告人の事務所を退室した。しかし、伊勢開発を倒産させるか否かはなお結論に至らないままであった。

なお、本株式の処理については、被告人は、債務整理の進展に応じて、今後喜田幸治と相談して決定しようと思っていた。

(3) ところで、被告人は、一人になってから今後の事態の推移等につき総合的に思索をめぐらすうち、喜田幸治から既に預かっている約四〇万株、および今後預かる約四九万株の合計約八九万株の伊勢化学株式について、株は自分が預かっているだけでは安全ではなく、他の債権者から株を守ることを考えると、自分が買った形をとっておいた方が安全であると考えついた。そこで被告人は、同月二九日ごろ電話で喜田幸治に対し、債権者から伊勢化学を守るためには架空の売買契約書を作成しておいたほうがよい旨提案したところ、喜田幸治も一も二もなく賛同し、内容を含めて、その契約書の作成方を被告人に一任した。被告人は、喜田幸治との右合意に基づき、同日、弘中弁護士に株式の譲渡契約書の作成方を依頼したが、売買期日ならびに株数は空欄にしてもらった。

なお、被告人は、右約八九万株の株式の買受名義人につき、架空の契約書であったところから、法人名の方がもっともらしいと考え、思いつくままに被告会社名義とした。

被告人は、五月二九日、喜田幸治とこの譲渡契約書の株数の欄に「八九万株」と書き入れて、株式目録空欄のまま喜田幸治が署名捺印し、被告人が中央産商のゴム印を押し、その名下に社印を捺印して書面を作成した。この書面を作成した時は、既に夜になっていたため、被告人は、その翌日、社員に書面を公証人役場に持参させ、確定日付をとった。また、売買期日欄はその日に鉛筆で記入している。

さらに、右売買契約書上の売買代金欄の九、三〇〇万円は、喜田幸治の江戸英雄に対する返済分八、〇〇〇万円と、とりあえず当面の伊勢開発の手形決済資金一、三〇〇万円分の、合計九、三〇〇万円を記載したものに過ぎない。

なお、売買契約書は仮装のものであるため、印紙を貼付せず、二通作成したものの、被告人がその二通とも保管することとした。

(八) 会社整理についての基本合意

被告人は、前途のとおり、本件株式約八九万株を預かったところから、伊勢開発を倒産処理するか否かはともかくとして、その債務整理を行うこととした。

そして、昭和五五年六月二日ごろ、被告人および喜田幸治は、被告人が債権者から手形小切手等を回収した場合は、被告人が出捐した金額を問わず、回収した手形、借用証書の額面で喜田幸治が責任を負う旨の合意をなし、喜田幸治はその旨の書面を被告人に差入れた。

(九) 破産宣告に至る経緯

被告人は、伊勢開発の債務整理について喜田幸治から全権の委任を受けたものの、その整理全般については、伊勢化学および伊勢開発の株主であり有力者の一人である江戸英雄の了承を取らなければならないと考え、昭和五五年六月二日ごろ、喜田幸治、福元公成を同道し、江戸英雄を訪問した。

その際、喜田幸治は、江戸英雄に対して、自己の所有し、または管理する伊勢化学株を被告人に寄託して被告人に伊勢開発の債務整理を依頼すること、伊勢開発の事務所を、その整理の遂行上、被告人に事務所として使用させること、および江戸英雄に対する八、〇〇〇万円の債務については被告人が肩代わりして返済すること、等を報告し了承を求めたところ、江戸英雄も被告人がこの整理にあたることに賛同し、これを了承したものである。

被告人は、いよいよ伊勢開発の債務の整理を遂行しようと考えたものの、負債総額が一〇億円以上にも上っており、しかも債権者数もかなりの数にのぼり、手形が輾転流通するものである上、これを把握することも難しく、また、かなりの割合の伊勢開発振出の手形等が悪質な債権者に流れていることが予想されていたため、伊勢開発の事業を継続し、不渡を出さないで債務整理を進めることは事実上困難と考え、債務整理を行う便法として、伊勢開発につき破産手続をすることによって整理しようと考えた。

被告人が右のような決意をしたのは、同年六月四日ごろであり、被告人は直ちに弘中弁護士に破産申請手続を依頼した。

そこで弘中弁護士は、伊勢開発の社員等に手伝わせて破産申立書を作成したが、他方、それと並行して、被告人は、伊勢開発と伊勢化学との対外的な混同を避けるため、伊勢開発の商号をエー・ビー・シー土木株式会社と変更することにし、六月六日同登記を了した。

なお、伊勢開発は、第一回不渡を昭和五五年六月一〇日、第二回不渡を同月一四日に出して銀行取引停止処分を受けた。

弘中弁護士は、エー・ビー・シー土木株式会社につき、同年六月一六日、東京地方裁判所に破産の申立をなした。これに対し、同月一七日代表者審尋がなされた後、同月一八日、同裁判所昭和五五年(フ)第八六号事件として破産宣告がなされた。その後、被告人は、伊勢開発の事務所に丸益産業株式会社の看板を出して、伊勢開発の債務整理にあたったものである。

(一〇) 江戸英雄に対する喜田幸治の債務の支払および株券の授受、第二回目の株券寄託

被告人は、昭和五五年六月七日、喜田幸治および江戸英雄との約定に従い、喜田幸治が江戸英雄から借入れた八、〇〇〇万円について、江戸英雄の代理人である池田映一に現金にて支払をなし、それと引換えに伊勢開発の株式約四九万株、および喜田幸治名義の江戸英雄に対する借用証三通の引渡を受け、これを被告人名義で武蔵野信用金庫に保管していた。

なお、右八、〇〇〇万円の捻出および支払方法について一言すると、前記のとおり、同金員は被告人の喜田幸治に対する貸付金であって、被告会社の株式購入代金ではなかったことから、被告会社においてこれを金策することをまったくせず、被告人個人の立場において、三代目小桜一家本部長吉田得次から借入れた五、六四〇万円、および当時被告人が宮崎銀行東京支店に小林一郎なる仮名にて設定していた普通預金口座の残高、ならびに丸益産業株式会社が平和相互銀行池袋支店に有していた普通預金口座の残高等をやりくりして捻出したものであり、しかも右八、〇〇〇万円の支出に際しては、当然のことながら、その当時、被告会社の預金口座を全く介していないし、被告会社の伝票および帳簿等に経常する手続を何らしていないものである。

(一一) 被告人の債務整理の遂行状況について

被告人は、喜田幸治との約束に基づき、破産宣告後、引続き伊勢開発の事務所に常駐し、債権者との折衝にあたり、次々と債務の整理を遂行した。その後、同五五年一〇月一八日に至り、被告人は、これまで回収した手形等につき、社員にその金額の集計をさせ、弘中弁護士に借用証書の文案を作成してもらった上、喜田幸治に回収手形等の原本を示して確認させ、右借用証書に署名捺印させた。なお、その金額は一〇億二、八四八万四、三二七円であり、当然のことながら、右金額の中には本件株式売買代金とされている九、三〇〇万円の債権も包含されているものである。その後も被告人は、約定に従って債務整理の業務を遂行し、その業務は昭和六一年ごろまで継続しているものである。

(一二) 伊勢化学の分割計画について

昭和五五年七月ごろ、喜田幸治は、伊勢化学を旭硝子と喜田幸治とに二分割してこれを経営していけば、その利潤によって被告人が援助および債務整理のためこれまで支出し、且つ、将来支出するであろう金員を返済し、同人に預けてある株式も取戻せると考え、その旨を江戸英雄に話して了承をとり、旭硝子の坂部武夫専務に会社の分割を申入れた。

喜田幸治が考えていた伊勢化学の二分割とは、喜田側が宮崎工場、新潟工場、千葉工場の一つの合計三工場を経営し、旭硝子側が千葉の五工場を経営する内容のものであった。

同五五年九月から一〇月にかけて、被告人も喜田幸治の依頼を受けて旭硝子に赴き、伊勢化学の前記の分割案に基づき交渉したが、後述のとおり、一〇月下旬に至り坂部武夫より、含み資産が多いこと、税務上の損失が多大であること等を理由に分割ができない旨、拒絶された。

なお、被告人は、旭硝子と分割についての交渉をする直前に、喜田幸治と共に江戸英雄を訪ねて相談した結果、被告人において、旭硝子に対し、強力に次のようなことを要請しようという話合がなされた。

第一は、伊勢化学の役員増員問題であり、第二は、伊勢化学の分割の問題、第三は、分割が不可能の場合、喜田幸治の進退問題がおこるが、その時は同人を取締役会長に推すこと、さらに旭硝子が分割に応じない場合は、被告人がこれまで負担し、将来負担するであろう債務整理資金等を旭硝子側に出捐させる方法について等であった。

(一三) 被告人が大和久正己、柘植竹子から伊勢化学の株を買取った事実

被告人は、喜田幸治の依頼により、昭和五五年六月、大和久正己が所有する伊勢化学の株式四万二、六〇〇株を二、一三〇万円で取得しており、また同五六年一月ごろ、同じく柘植竹子の所有する株式二万株を一、〇〇〇万円で取得している。

被告人は、大和久正己より買受けた四万二、六〇〇株につき、昭和五五年七月、名義を自己が経営する西日本開発株式会社、ひまわり商事有限会社、および被告人の子供達に名義変更手続をしている。

また、柘植竹子より買受けた二万株につき、昭和五六年七月、丸益通商株式会社、富山勝治、古里盛雄、多田静夫、中物産業株式会社等に名義変更手続をしている。

(一四) 株式売買の経過

(1) 被告人は、それまで旭硝子に対し、喜田幸治の代理人として企業分割等の交渉を行ってきたものであるが、旭硝子の坂部武夫から明確に分割を拒否され、その後何の進展もないことから、自己が単に喜田幸治の代理人もしくは喜田幸治、伊勢開発等に対する債権者としての立場にとどまらず、伊勢化学の四分の一の株券を現に所持する立場にある者であることを示すため、前記株式譲渡契約書を坂部武夫に見せて、その反応を探ったものである。

一方、坂部武夫は、本件株式が喜田幸治の所有にあり、被告人は単に預かっているものであることは、友澤潤次郎より報告を受けて熟知していたが、被告人と喜田幸治との間においてこのような株式譲渡契約書が作成されていることを知り、これを奇貨として、喜田側から本件株式を旭硝子側に取得しようと企図した。これは、伊勢化学の株主構成が、従来、旭硝子側と喜田側とで五〇パーセントずつの力のバランスが保たれており、旭硝子の完全支配ができなかったからである。

そのため坂部武夫は、被告人に対し、自分は近々旭硝子の社長になる予定であること、年商八〇〇億円程度の機械輸入の商権を与えられる可能性のあること、旭硝子の不動産関係を任せることができる可能性があること等々、旭硝子と協力していくことのメリットを強調し、被告人を説得し、本件株式を取得しようとしたものである。

(2) 他方、被告人としては、旭硝子と組めば将来種々のメリットがあると考え、坂部武夫の申出に応ずることとし、その条件として、

<1> 喜田と喜田の息子を役員で残すこと

<2> 被告人が伊勢開発の債務整理資金等として出捐していた一〇億円余の資金を返済してもらうこと

<3> 宮崎県清武町に設定した鉱区(試掘権)を買取ってもらうこと

等を提示したところ、これに対して坂部武夫は、これらの問題については極めてあっさりと承諾した。

(3) その際、株式譲渡にかかる課税問題が話題となったが、坂部武夫は、二〇万株未満に分けて売却すれば税金がかからないという税務上の特例があるから税金はかからないとして、その方法について具体的に被告人に教示したものである。

右のような方法があることを知らなかった被告人は、坂部武夫が教示した、二〇万株未満に分けて売却すれば税金がかからないという特例は真実であるか否か心配になったため、昭和五五年一一月末ごろ、宮崎の牟田司法書士および妹婿が税理士をしている社員の落合教示にそのことを確認してもらったり、さらに日本橋税務署にも確認をとり、間違いがないことを知った。

坂部武夫の教示した方法が真実であると判ったため、被告人は、坂部武夫の申入れてきた株式売買に応じようと決意した。

(4) 坂部武夫は、被告人が株式売買の決意をするや、直ちに喜田幸治のところに電話をかけ、「種子田が伊勢化学の株を売りに来ているが知っているか」と言って喜田幸治の様子を探り、喜田幸治が「預けてあるだけで売る気はない」と言って、必ずしも株式売買について賛成できない態度を示すや、これに対し「そんなことを言っても株の場合は通用しない。持っているものが権利者だからな。種子田はどこへ売るか判らない。旭硝子が取得しておいた方がよいのではないか」等と申し向け、喜田幸治をして株式売却を承諾させているものである。

一方、坂部武夫は、この株式の権利者が実際は喜田幸治であることを知っていたため、喜田幸治との後日の紛争を防止しようと考え、被告人に対し、喜田幸治の委任状をとってくるように要求している。

(5) 昭和五六年一月中旬、坂部武夫から株式売買についての値が決定したという連絡があり、その値段は一株約一、六〇〇円で約一五億円というものであった。被告人は、自分が想像していたよりも高額の値がついたことから、これを受入れた。

その際、実際の取引当事者は、売主被告人、買主旭硝子であるにも拘らず、外形上、前記株式譲渡契約書を利用しようという合意が成立したものである。

外形的形式を整えるため、坂部武夫は被告人に対し、被告会社より譲受けることにする五つの名義を用意するように指示し、被告人が、<1>丸益産業株式会社、<2>昌和商事株式会社、<3>西日本開発株式会社、<4>ひまわり商事有限会社、<5>種子田益夫の五つの名義を用意したところ、坂部武夫は、被告人に対し、「被告会社から右の五つの名義に株を分けて譲渡したという売買契約書を作るように」と指示し、且つ、被告会社の帳簿、伝票等をそれに合わせて作り直すように指示した。被告人はその指示に従い、五つの名義に株を分けて譲渡する形の契約書を作成し、同五六年一月二七日、旭硝子の応接室に赴いた。

なお、そのころ被告人は、被告会社の伝票、帳簿等を遡って変更し、あたかも喜田幸治より被告会社が本件株式を買入れたかのように処理した。

旭硝子側は、坂部武夫、友澤潤次郎、田澤潔の三人が同席し、この席上、田澤潔が「法人だと二〇万株に達しなくとも課税される」旨の発言をなし、坂部武夫は再び被告人に、個人で五つの名義を用意するように指示した。

被告人は、<1>種子田昭吾、<2>古里盛男、<3>種子田フジノ、<4>落合教示、<5>種子田益夫の五つの名義を伝え、坂部は被告人に契約書作成上の注意点を教え、契約日を二月四日とするとの指示をした。

被告人は、被告会社から前記五名義人への売買契約書を作成し、同五六年二月四日、これを旭硝子に持参し、坂部武夫、友澤潤次郎立ち会いのもとに売買契約書に調印し、被告人は株券の全部を交付し、これと引換えに農林中金の預手で一四億九、二八〇万円を受領した。

(6) 坂部武夫は、被告人との株式売買契約の条件として、被告人が伊勢開発の債務整理資金等として出捐していた一〇億円余を返済する旨の約束があったところから、伊勢化学の湯原副社長に、被告人に一〇億円を出す方法を検討させていた。

しかし、法的にその方法が発見できず、昭和五六年三月中旬ごろ、坂部武夫は被告人に対し、税務対策上、一〇億円余の金員を出す方法がない、仕方ないので五億円については、手取額が五億円になるように調整して株式売買代金にこれを上乗せするという形で支払い、残五億円について、伊勢化学から喜田幸治の仮払金勘定の名目下に支出し、被告人種子田に支払われている五億四〇〇万円と相殺して処理しよう、と提案した。これに対し被告人は、坂部武夫の要求を受入れた。

なお、その際、坂部武夫は帳簿処理上直ちに仮払を処理できないので、被告人の関係会社で五億円を借りた形にしてほしいと依頼し、被告人はこれに応じ、ひまわり商事有限会社と伊勢化学との間で架空の金銭消費貸借契約を締結した。そして、後日この契約書により支払請求を受けることを防止するため、伊勢化学代表者の喜田幸治から、右金銭消費貸借契約が架空のものである旨の念書を受領しておいた。

被告人は、同五六年三月下旬ごろ、旭硝子の応接室で農林中金の預手で五億八万八、〇〇〇円を受領し、旭硝子との株式売買契約書を坂部武夫の指示どおりに作成し直した。

(一五) 喜田幸治の民事訴訟の提起と和解

喜田幸治は、被告人が寄託中の本件株式を売却した後においてその精算を要求している。被告人も五億円程度なら精算義務に応ずる旨の態度を示していたものの、その税務処理等の問題で解決がつかないまま時間が経過し、喜田幸治は昭和六〇年三月四日に至り、被告人を相手どって、精算義務履行請求の民事訴訟を東京地方裁判所に提起した。

その後、弁論、証拠調べを経たのち、裁判所の和解勧告に従い、平成元年一月二二日、裁判上の和解が成立した。

和解の内容は、被告人が喜田幸治に対して和解金として一〇億円の支払い義務のあることを認め、和解の席上五億円を支払い、残五億円については、伊勢化学の株式五万株をもってこの支払に充てるものとするというものであった。

そして、被告人は、右和解条項どおり、それを履行した。

2 以上の事実が公判廷に顕出された証拠により、経験則上認定されるべき事実であって、それがまた本件の真相であり、これに反する第一審及び原審判決の事実認定は、経験則を無視したものであって重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと信ずる。

第二 原判決は、喜田幸治・被告会社間に伊勢化学の株式八九万余株につき売買ありとしたうえ、その売買がいわゆる譲渡担保であるにもかかわらず単なる売買であるとした点において判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認及び審理不尽の違法があり原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと考える。

以下その理由を述べることとするが、このような主張をすることとなった経緯を説明し裁判所の了解を得たい。

本件は、伊勢化学の株式九三万三、〇〇〇株の旭硝子(株)に対する売却益の帰属が問題とされた事件である。

右九三万三、〇〇〇株中八九万四〇〇株は喜田幸治の所有または管理していたもので、喜田から被告会社または被告人を経て旭硝子に入ったものである。他の四万二、六〇〇株は別のルートで旭硝子に入ったようであるが、論点の関係上ここでは一応除外して考える。

八九万四〇〇株(以下便宜上八九万株という)は、検察官の主張によれば、喜田から昭和五五年五月被告会社へ代金九、三〇〇万円で売却され、翌五六年二月約一四億(後に約五億円が追加されているのでその時を基準にすれば「三月約一九億円」ということになる)で旭硝子に転売されたことになるが、被告側の主張によれば、右八九万株は喜田から被告人が預り、喜田の了解を得て旭硝子(中間に個人数人が介在するが、税務当局によれば架空の介在で脱税の手段にすぎないといわれるので、ここではそれらの個人は一応除外する)に売却したというのである。一、二審とも検察官の転売の主張を正しいとした。その理由は、昭和五五年五月三〇日付で作成された喜田幸治・被告会社間の株式譲渡契約書を文字通り正しいものとしたためと思われる。契約書には喜田から被告会社に八九万株を代金九、三〇〇万円で譲渡したと記載されていて、一見、単純な売買の形式となっている。弁護人らは、八九万株が喜田の手を離れ、被告人の手を経て旭硝子に売却されたことまで否定することなく、八九万株が喜田から被告会社に九、三〇〇万円で譲渡されたというのは仮装にすぎないと主張して来たが、裁判所の容れるところとはならなかった。しかしこの裁判所の認定にはなお納得し難いところがあるので、原判決の判示に即し、かつ、焦点を絞り、われわれの従来の主張を展開したのが、前掲第一の論点である。

しかし、われわれは喜田・被告会社間の八九万株の譲渡契約は否定するものの、喜田所有または管理にかかる八九万株が被告人の手を経て他の株とともに旭硝子に売却されたことまでは否定せず、喜田から八九万株が被告人側に渡ったのは担保目的であったと随所に述べて来ているので、ここでは視点を変え、喜田・被告会社(または被告人個人)間の売買は譲渡担保として再構成することも可能であるという立場から所見を述べることとしたい。以下本論に入る。本論においては、各所に被告会社を喜田株の買主であるかの如く取扱った部分があるが、弁護人側にとって、それはあくまでも、そういう仮定の上に立った議論であることを念のため申添える。

一 まず、喜田・被告会社間の売買はその成立の過程に照らし譲渡担保とみるべきものと考える。

被告人は、伊勢化学の宮崎工場長をつとめていた福元公成の紹介で喜田を知り、喜田の要請により、昭和五五年一月以降数回にわたり一億円余を伊勢開発のため融資した。同年四月に至り更に五、〇〇〇万円の融資を求められたので、被告人は喜田に担保の提供を求めた。その結果喜田より伊勢化学の株式四〇万株の提供があった。

ところで、伊勢化学という優良企業の系列会社として設立され、それなりの信用性があるものと思われていた伊勢開発は、その後間もなくかなり経営の悪化していることが被告人にもわかってきた。そこへ伊勢開発の社長たる喜田より被告人に、伊勢開発の債務整理を一任したい、その委任事務遂行に必要な費用は喜田側で負担するとの申出があり、その旨の念書も提出されたので、被告人はこれを承諾した。

被告人は、さきに担保として預っていた伊勢化学の株式四〇万株を、喜田の了解を得て、武蔵野信用金庫江古田支店に担保として差入れ、二億五、〇〇〇万円を借用した。この時の借主は伊勢開発で、丸益産業(株)(被告人の率いる丸益グループ内の一企業)と被告人とが保証人となっている。

ところで、同年五月下旬になって、伊勢開発の経営が予想以上に乱脈で、一〇億円を越える未済手形のあることがわかり、その処理に苦慮した喜田は、当時江戸英雄に八、〇〇〇万円の債務の担保のため渡してあった伊勢化学株四九万株を右八、〇〇〇万円の債務を立替え支払ってくれれば、前の四〇万株を加えて担保として提供する旨申し出たので、被告人はこれを了承した。

この段階で本件の伊勢化学の株式八九万株が喜田幸治の被告人に対する委任事務遂行により生ずる債務の担保に当てられることになった。そして伊勢開発の債権者の追及を免れるため、担保提供の形式を売買とすることになり、喜田幸治を売主、被告会社を買主とする伊勢化学株式八九万株の株式譲渡契約書が作成されたのである。

この経緯からして、喜田・被告会社間の喜田株八九万株の売買は担保目的の売買、すなわち譲渡担保であったことは明らかである。

二 次に、売買代金とされる九、三〇〇万円は、普通の売買代金としてはいかにも安いということである。

伊勢化学の株は未公開である。従って客観的な市場価格はない。売買の対象となるのは八九万株であるから、九、三〇〇万円とすれば一株当り一〇四円余となり、非常に安い。

原判決は、非常に安いという弁護人の主張に対し、喜田と被告人の信頼関係及び力関係によって決定されたもので、純粋な利益追求を目的とした取引の場合と比較して価格の当否を論ずること自体相当でないばかりでなく、被告人や喜田の、金融機関では額面でしか評価してくれないというぼやきに似た供述とか、弘中弁護士が随分高いといったというような感想めいた供述を有利に援用して、必ずしも極めて安いものとは被告人も喜田も認識していなかったと判示したあと、仮に客観的に見て低額であったとしても売買事実を否定することはできないという。

しかし、原判決も引用する控訴趣意書や本上告理由書第一で指摘の事例に比較すると、通常の売買価格としてはいかにも安い。原判決は、仮に安いとしても売買事実を否定しなければならないほど安いとはいえないという。この「売買事実を否定しなければならないほど安くはない」という意味がよくわからないが、仮にそれを文字通りにとるとしても、いまここで主張するのは、喜田・被告会社間の売買を通常の売買ではなく、担保目的の売買であるというのであるから、九、三〇〇万円は売買代金というより差し当りの被担保債権額ということになる。そうすれば、九、三〇〇万円という金額は、喜田・被告会社間の売買という名の契約を譲渡担保契約と解する根拠として援用できる金額といえよう。

それに、九、三〇〇万円という金額の出て来たのが、江戸英雄に対する喜田の債務の八、〇〇〇万円と差し迫って融資を必要とする手形金一、三〇〇万円を合計した額であるという。もしそうであれば、このような代金のきめ方はない。むしろ差し当り必要とする融資金額が九、三〇〇万円であったということで、喜田・被告会社間の売買という名の契約が、被担保債権のなお増額することを予定した、いわゆる「根」譲渡担保契約であったことを示す金額というべきである。

三 喜田・被告会社間の喜田株譲渡契約を譲渡担保契約と解することは、通常の売買契約と解する場合説明の必ずしも容易であるとはいかない契約成立後の喜田の言動の説明も比較的容易となる。もちろん売買契約をなかったと解することができればより容易であるが。一、二審判決は売買契約は有効に成立したものとしたのであるから、右の点の説明は、二審判決の判示にも現れているように、かなり苦しい。二審判決は、喜田は売却後も買戻しが可能であると考えていたので、なお伊勢化学の実力社長としてのみ可能な言動(それがどういうことかは別に論じられているのでここでは省略する)に出ることができたと判示する。しかし買戻しが可能であるという保証はどこにもない。われわれのように売買の形式をとった担保であると見れば、喜田が担保提供後も依然として大株主である実力社長としての言動に及んでも少しも不思議はないのである。

四 このように喜田・被告会社間の伊勢化学株式八九万株の授受を被担保債権額の未確定な譲渡担保と解することとなると、結局被担保債権額はいくらになるのかとか旭硝子への売却益は誰がどのように取得することになるかという問題を考えなければならないことになる。これまでの審理の過程で譲渡担保的発想は随所に現われていたが、喜田・被告会社間の伊勢化学株の譲渡契約が譲渡担保であるとの主張が正面からなされていなかったので、そこまで審理が進んでいなかった。しかし、喜田・被告会社間の契約の不存在または無効の主張の否定された現在、もう一度記録を丹念に検討して見て、そこに現われた諸事情を総合し、仮に喜田・被告会社間に譲渡契約が存在したとしても、それは通常の売買ではなく担保目的の売買、すなわち譲渡担保であると主張することも、従来の主張の法律的再構成として、許されて然るべきものと考える。

もし、この主張が許されるならば、これまでの手続では被担保債権が確定されず、利益の分配の基準も明らかにされていないという審理不尽の瑕疵があることになる。記録には、喜田の被告人に対する一〇億円余の昭和五五年一〇月一八日付借用証があり、被担保債権はその段階で一〇億円余であったとも見られる。また、喜田から被告人を相手方とする精算義務履行請求の民事訴訟が提起され、平成元年一月三一日裁判上の和解が成立しているのであるが、その内容を見ると、被告人は喜田に対し和解金として一〇億円の支払義務があることを認め、うち五億円は即金で、残り五億円は伊勢化学株五万株で支払うというものであり、相互の間にはそれ以外に債権債務のないことが確認されている。これは喜田と被告人個人間の訴訟であり和解であるが、これと本件における喜田・被告会社間の伊勢化学株譲渡契約との関係は詰められていない。

一方東京国税局係官作成の伊勢開発勘定調査書によれば、被告人が伊勢開発の負債整理資金として喜田側から受取った金員は負債整理のため使った金員を上廻るという。

しかし、これらの数字は被担保債権額確定の参考になりそうな数字で目についたものを拾い出しただけで、それ自体厳密な検討を要する数字であるばかりでなく、被担保債権とどういう関係があるかも改めて調べてみなければならない数字である。

五 譲渡担保説をとる場合、もう一つ考えておかなければならない問題がある。譲渡担保も担保権の設定であるから、設定段階、ここでは喜田・被告会社間の売買契約段階では譲渡所得課税の問題を生じない。被告会社が旭硝子へ売却した段階で譲渡所得が発生し課税の問題を生ずるが、この場合、喜田・被告会社間の譲渡と被告会社・旭硝子間の譲渡という二つの譲渡が同時に発生するのか、喜田・旭硝子間の譲渡のみが発生するのかの問題がある。

法人税基本通達二-一-一八によれば、固定資産を譲渡担保に供した場合について、次のように規定されている。

「法人が債務の弁済の担保としてその有する固定資産を譲渡した場合において、その契約書に次のすべての事項を明らかにし、自己の固定資産として経理しているときは、その譲渡はなかったものとして取扱う。この場合において、その後その要件の何れかを欠くに至ったとき又は債務不履行のためその弁済に充てられたときは、これらの事実の生じた時において譲渡があったものとして取扱う。

(1) 当該担保に係る固定資産を当該法人が従来どおり使用収益すること。

(2) 通常支払うと認められる当該債務に係る利子又はこれに相当する使用料の支払に関する定めがあること。」

この規定は、明文上からも固定資産の譲渡担保にのみ適用があるのであり、当局の解説(税務研究会出版局刊、国税庁法人税課長監修のコンメンタール法人税基本通達)も、有価証券についても譲渡担保の目的とされることが考えられるが、有価証券の場合には、目的たる証券により担保権者と設定者との間に種々の複雑な権利関係が生ずるのでこの取扱いの対象から除外されているとしている。

所得税基本通達もほぼ同様であるが、法人の場合は固定資産に限られているのに個人の場合は資産一般にまで広げられている反面、個人の場合担保のみを目的とした形式的の譲渡である旨の債務者債権者連名の申立書の提出を要することとされている点に違いがある。しかしこれは実質的な違いではないと思う。

これらの通達は、形式上売買であっても実質が担保である限り、また担保である間は、売買とせず担保として取り扱うという当然のことをいったに過ぎないとも見られる。担保性が消え、売買が本来の姿を現わせばその段階で売買として取り扱うというのであって、右通達は売買として取り扱う時期ないし要件をきめたものとも見られる。

喜田・被告会社間の喜田株譲渡契約も譲渡担保と見る限り契約時に譲渡があったと見ることはできない。担保設定にすぎないからである。

それでは何時売買となるか。恐らく喜田株が旭硝子へ売却された時に、喜田・被告会社間、被告会社・旭硝子間の二つの売買が同時に成立すると考えるべきではなかろうか。喜田・旭硝子間に売買が成立し、被告会社は仲介的存在に過ぎないという見方は本件の実態に添わないのではなかろうか。そして売買代金は、被告会社・旭硝子間のものはその間の契約通りであるが、喜田・被告会社間のそれは確定した被担保債権額によるということになろう。

六 仮に二つの売買が成立しそれぞれの売買代金がきまったとしても、前述したように、第一の売買(本件では喜田・被告会社間の売買)と第二の売買(本件では被告会社・旭硝子間の売買)との売買代金の差額の帰属の問題が残るように思う。本件の場合第一の売買と第二の売買との関係はいわゆる転売の関係になるので、通常であれば、差額はすべて転売者(本件では被告会社)のものとなるが、譲渡担保の場合もそうなるのか、それとも何らかの分け前を担保提供者(本件では喜田)に支払わなければならないということになるのか、検討を要するのではなかろうか。転売といっても担保物の処分だからである。現に、本件の場合旭硝子への売得金の分配をめぐって喜田・被告人間に争いがあり、被告人が喜田にも五億円ぐらいは渡さなければなるまいといったと伝えられるのも、暴利という問題以前に、次項で述べるように本件譲渡担保を限りなく売買に近いものと考えてもなお問題が残ることを示すものではなかろうか。

七 譲渡担保制度は周知の通り自然発生的に形成され、判例の中に定着するに至ったものであるから、一口に譲渡担保と言っても実態は千差万別である。限りなく担保に近い売買から限りなく売買に近い担保に至るまでの間に存在する灰色の世界は多様である。本件は対象が有価証券中最も流通性の高い株であること、喜田と被告会社を含む丸益グループの主導者である被告人との間の伊勢開発をめぐる取引の実情など諸般の事情に鑑みると、限りなく売買に近い譲渡担保であると考える。そう考えた結果、喜田株が旭硝子へ売却されたときに喜田・被告会社間、被告会社・旭硝子間の二つの売買が同時に成立すると考えたのである。

八 喜田株に関しては喜田・被告会社間に譲渡契約があったかどうかを争点として来た訴訟において、上告審になってから契約はあったがそれは担保目的のものであったと主張することは、ある意味で訴訟を振り出しに戻すことを求めることになるが、もし真相がそうであり、しかも訴訟の過程で随所にその主張の可能な状態が現われていたとすれば、真実追及を使命とする刑事裁判においては、事件をもう一度原審に差し戻して、被担保債権の確定はもちろん、旭硝子への売却利益が喜田・被告会社または被告人間にどのように配分されるべきかにつき審理を尽し、被告会社に対する課税の範囲程度をきめ、その上で、被告会社及び被告人の刑事責任の有無に言及すべきものと信ずる。

第三 原判決の量刑は不当に重く、原判決を破棄しなければ、著しく正義に反するものと思料する。

原判決はわれわれの第一審判決の量刑不当の主張を排斥した上、「当審における事実取り調べの結果によると、被告人は、原判決の言渡し後、甲状腺の疾患により手術を受け、今後の健康に不安が残る状況であること、自己の一連の行為に対して反省の態度を示し、贖罪の趣旨で、法律扶助協会及び日本赤十字社に各五、〇〇〇万円、北里研究所及び茨城県牛久市に各二、〇〇〇万円、広島県比婆郡東城町に一、〇〇〇万円(以上合計一億五、〇〇〇万)を寄付したことが認められ、これらの諸般の事情を考慮して、被告人に対する量刑につき再考すると、前叙の犯情に鑑み、懲役刑の執行を猶予することは相当でないものの、被告人に対する原判決の科刑をそのまま維持することは明らかに正義に反するものと認めざるを得ない。」

として第一審判決を破棄して被告人を懲役二年に処した。

ところで、原判決は事実認定において「被告人が坂部らに教示されて初めて売却益秘匿の方法を知ったものであることは、所論のとおりであってこれを否定する坂部・田澤ら旭硝子関係者の供述は、到底措信できないところである」(原判決三四丁裏)と明確に判断しており、第一審判決が、この点につき「同被告人側の発案にかかるのか、旭硝子側の発案にかかるのかはともかくとして」として「本件犯行の動機にはなんら酌むべき事情はない」としたことに対比すれば、原審の右判断は被告人の量刑の場面でも大きく斟酌されなければならないものである。しかしながら原判決は、量刑の場面においてこの点を看過しているものというべく、この点を更に評価すれば、原判決の量刑はなお不当に重きに過ぎるものであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例