大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(行ツ)125号 判決 1988年12月15日

神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目一六番三四号

上告人

川崎一

右訴訟代理人弁護士

苅部省二

日浅伸廣

東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番九号

被上告人

日本橋税務署長

野見山雅雄

右指定代理人

植田和男

右当事者間の東京高等裁判所昭和六一年(行コ)第九二号各所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和六三年四月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人苅部省二、同日浅伸廣の上告理由について

本件課税処分を適法であるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、また、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨はいずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大堀誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ッ谷巖)

(昭和六三年(行ツ)第一二五号 上告人 川崎一)

上告代理人苅部省二、同日浅伸廣の上告理由

原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな所得税法第五一条第二項、同法第六四条一項の解釈適用を誤った違法があり、かつ、被上告人の上告人に対する課税処分は禁反言ないし信義則の法理に違反し、更正権の濫用に該当するので、憲法第二九条、同法第三一条に違背するところである。

第一(貸倒れについて)

一 原判決は「法五一条二項又は法六四条一項の貸倒れ等の場合の意義についてであるが、いずれの条項についても債務者につき所在不明破産又は和議の手続き開始、事業の閉鎖債務超過の状態が相当長期間継続して事業が衰微しその事業の債権の見通しが立たないことその他これに準ずる事情が生じたことにより、債権の回収の見込みがないことが確実となった場合をいうものと解される」と判示している。

債権について債務者の資力、財産状態によりその回収が不能になったときのみならずその回収が不能となるおそれが生じた場合も直ちに回収不能金額を算定し貸倒れとして処理すべきである。これは会計上の通説であるとともに昭和三七年法律第八二号商法の一部を改正する法律(商法第二八五条の四第二項)によっても確認れたところである。金銭債権は取立を目的としているのでその不能の見込みによるときは将来の危険に備えてあらかじえその見込額を控除した額で評価するのが適正である。所得税法は所謂権利確定主義を採用し、現金主義を採用していないため債権についてはその回収以前にこれを収入として計上することになるが現実にはこれら債権のうち実際に回収された部分のみが真実の収入を構成するのであり回収不能額は収入金額を総額において計上する以上その収入金額に対応する費用として控除しなければならない性質のものである。判例も「もともと所得税は経済的な利得を対象とするものであるから究極的には実現された収支によってもたらされる所得について課税するのが基本原則であり、ただその課税にあたって常に現実収入のときまで課税できないとしたのでは納税者の恣意を許し課税を期しがたいので徴税政策上の技術的見地から収入すべき権利の確定したときをとらえて課税することとしたのでありその意味において権利確定主義なるものはその権利について後に現実の支払があることを前提として所得の帰属年度を決定するための基準であるものにすぎない」としている(最判「第二小法廷」昭和四九年三月八日、税務訴訟資料第七四号七〇五頁)

原判決は「債務の行方不明……等、債権の回収の見込みがないことがその年中に確実になった場合」というがいかなる時点で回収不能の事実が確実になったか否かは結局程度の差異にすぎない。右判例が示すように権利確定主義が徴税政策上の見地から採用されている以上法五一条二項あるいは法六四条一項の適用において最も重要な点は債務者の側に回収不能の事実が確定的になったか否かではなく貸倒れ処理の対象となった債権について債権者が確定的に請求権を喪失していること及びそれが客間的且つ明白であるか否かである。もしかかる場合であれば納税者の恣意を許さず課税の公平を期することが出来るからである。

上告人は昭和五二年乃至同五七年分の各賃料債権について(原判決が摘示している如く昭和五三年三月一一日、同五四年一一月一六日、同五五年一月一六日、同五六年五月二八日、同五七年二月二日、同五八年一一月一日)金額を明示して債務者訴外川崎地所に対し書面により各債権放棄をしているのであるから、債権者たる上告人は右放棄した債権については確定的に請求権を喪失していること及びそれが客間的かつ明白である。

右のように判断することが右判例のいう「客間的には実現された収支によってもたらされる所得について課税するのが基本原則であり………その意味において権利確定主義なるものは、その権利について後に現実の支払があることを前提として」との趣旨に合致するものである。

原判決は法の解釈を誤ったばかりでなく、右判例にも違背している。

二 仮に百歩譲って、原判決のいう債権の回収の見込みがないことがその年中に確実になった場合に限られると解するとしても、以下の事実に鑑みれば昭和五三年、同五四年、同五五年及び同五七年の当該年度中に訴外川崎地所に対する放棄した債権について回収の見込みがないことが確実になったと判断できる。

(一) 昭和四八年に始まった所謂オイルショックの影響により、とりわけ建設業界が未曾有の不況におそわれ、その後右不況の波は当然貸ビル業界にも波及し、昭和五一年以後不況の渦中にあったことは周知の事実である。

(二) 被上告人は、訴外川崎地所が債権超過の状態にあることは認めているが、原判決は「訴外川崎地所について所在不明、破産和議の手続開始、事業の閉鎖といった事態はない」とし法五四条二項あるいは法六四条一項に該当しないとしている。

しかしながら訴外川崎地所は形式上は破産手続きの申立をしていないので破産等の手続は開始されていないが実質上は訴外川崎地所が負担している債務(原判決は銀行からの残債務合計金一億八七七〇万円及び工事代金のうち金一億八〇〇〇万円の未払債務を認めている)からすれば破産と同様の状態であった(甲第四号証乃至同第一〇号証の各一、二)。このような場合訴外川崎地所は銀行等担保権者から担保権の実行を受けるのが当然であるところ、上告人が担保権者に懇願して支払猶予を得たことにより担保権の実行(そうすれば訴外川崎地所の財産状態からすれば破産等の手続に移行せざるを得ない)を猶予してもらい取敢えず形式上の破産を免れているのである。

なお、原判決は「実態は破産同然であって代表取締役の控訴人が債権者であり担保権者である銀行から辛うじて支払猶予を得て破産を免れていたにすぎないといった事実はこれを認めるに足りる証拠がない」というが上告人が、銀行等に対し支払猶予を得ていたことは証拠上明らかであり(第二回原告本人尋問四四、四五)右債務額と訴外川崎地所の財産状態、経営状態(訴外川崎地所が担保権の実行を受ければ唯一の財産を失うことになる)からすれば事業の閉鎖、破産状態となっていたことについては立証が充分なされており、同判決が認めるに足る証拠がないとの判断は採証の法則に反する。

(三) 原判決は「逐次賃料収入の額が増加し、減価償却費および借入金の支払利息が減少の傾向にあり、事業損益も黒字となるに至っており、従って右債務超過は逐次改善されて行くものと考えられこれらのことは昭和五一年当時から見込むことができたものと解される。(第一回控訴人本人尋問の結果中、右の趣旨に反する部分は採用しない)」としている。

逐年賃料収入の額が増加している事実、減価償却費及び借入金の支払利息が減少の傾向にあるとの事実は偶々結果としてそのようになっただけであって本件にいう債権の回収不能か否かの判断は昭和五三年乃至同五七年の各年度ごとにその各年度中の事実を基礎にして判断しなければならない。当年度において次年度以降における右各事実(賃料収入の増加等)の徴表がなければならないはずであるが、このような徴表を見出すことは出来ない。(第一回原告本人尋問九八乃至一〇四)

また、第一回控訴人の本人尋問の結果中原判決の趣旨に反する部分は採用しないとの判断は右控訴人の本人尋問の結果を覆す明らかな証拠もなく単に結果から遡って過去の年度において債権の回収不能か否かを結論づけている点は採証の法則に惇るところである。かえって昭和五一年、五二年当時訴外川崎地所の債務超過の状態が逐次改善されていく見込みがないからこそ上告人は昭和五二年三月一〇日中里相談官に税務相談したのであり、中里相談官も債務超過の状態が逐次改善されていく見込みがないと判断したからこそ上告人に対し貸倒れ処理を始動したのである。(中里相談官との相談内容等については後述する。)

昭和五一年以降は日本経済が慢性的不況(特に繊維業界が大不況であったことは周知の事実であり、本件ビルも繊維問屋の中に位置している)と現実にも訴外川崎地所の賃料収入が予定の三分の一しかなかった(第一回本人尋問三九乃至四一)との事実からすれば昭和五一年以降の各年度において債務超過の状態が逐次改善されていく見込みがなかったと判断すべきである。借入金の支払利息が減少している事実は、担保権者たる銀行に対する支払いは担保権の実行を回避するためのものであり再建型の倒産手続において、担保権を有する債権者が他の債権者より有利に扱われているのと同じであり、これを以って他の債権者の債権の回収が可能であるとは言えないのである。

第二(信義則、禁反言の法理、更正権の濫用)

一(一) 原判決は「税務担当職員の指導等につき納税者が信頼を抱いた場合において、納税者がそのような信頼を抱くことに最もな事情がああり、かつ、その信頼を裏切られることによって納税者が格段の不利益を被るなどその信頼を保護しなければならないとするに足るだけの特段の事情があるときは例外的にその信頼の保護が考えられねばならず他に適切な手段がない以上信義則ないし禁反言の法理によりその信頼に基づく確定申告等をそのまま是認しなければならないとすることも考えられないではない」として本件においても信義則ないしは禁反言の法理の適用の可能性を認めている。しかし原判決は「本件全証拠に徴しても中里は控訴人による所与の事実関係のもとでの税法解釈ないし指導をした域を出ないものと認められ、未だ前示の納税者が信頼を抱くことに最もな事情があったと言うをえず控訴人がその主張する如き信頼を仮に抱いたとしても、その信頼を裏切られたことにより控訴人が被る不利益は法律の規定に従った課税処分(本件係争年の更正)に基づく正当な税額を負担しなければならないという不利益に過ぎず、その信頼を保護しなければなないとするに足るだけの特段の事情があるとは認め難い。」としている。

上告人は昭和五一年分の所得税の確定申告書の作成に際し昭和五二年三月一〇日中里相談官に対し上告人の訴外川崎地所に対する本件土地賃貸借契約に基づく賃料債権について、訴外川崎地所の第四期確定決算報告書等を提示して今期についても訴外川崎地所の営業状況を説明し、相談した。即ち、上告人は中里相談官に対し、訴外川崎地所に対する未収賃料合計一七、〇八〇、〇〇〇円について如何なる内容の確定申告をすれば良いか相談したところ中里相談官は上告人に対し関係条文のコピーを交付し、上告人の場合は所得税法五一条二項もしくは同法六四条一項に該当するので所得税法基本通達五一-一一(4)により右賃料債権合計金一七、〇八〇、〇〇〇円の放棄をし、訴外川崎地所に対し書面による通知をすれば貸倒れとしての処理が認められる旨の指導をした。上告人は中里相談官に指導された通り訴外川崎地所に対し昭和五二年三月一五日賃料債権金一七、〇八〇、〇〇〇円を放棄し、その旨書面による通知をし、訴外川崎地所の経営状態が同様であったので、右と同様に昭和五三年乃至同五七年までの賃料債権についても第二項記載通りの債権放棄及び書面による通知を為してきた。

上告人は中里相談官に対し、訴外川崎地所についての全ての資料を提示して相談を受け、中里相談官も右資料を検討した上で貸倒れ処理の関係条文のコピーを交付し、上告人に対し貸倒れ処理を指導しているのであるから、原判決のいう「税法解釈ないし指導をした域を出ないものと認められ」との認定は明らかに誤りであり、上告人において中里相談官の指導につき信頼を抱き、信頼を抱くことに最もな事情があったというべきである。本件の如く貸倒れの可否については税務について素人である上告人が単独で判断することは不可能であるから上告人が中里相談官の指導を信頼したことは当然のことである。本件の貸倒れの可否の判断がいかに困難であったかについては後述する被上告人の職員たる田中調査官、佐藤調査官及び根森調査官の判断が変転した経緯が示しているところである。

(二) 原判決は「この点控訴人において放棄した賃料債権について仮に貸倒れが認められないとすれば民事上その請求権を喪失して弁済を受けられず所得税のみ負担するという不利益を受けることになる旨主張するが、右主張は右の賃料債権が回収不能即ち無価値化に基づく貸倒れ等に当たるとの前提に立つものであるが、そうとすれば右債権を喪失するということ自体無意味であるのみならず上來説示したとおりその前提が認められないのであるから所詮採用の限りではない」としている。

しかしながら上告人は、中里相談官の指導に従って賃料債権を放棄し債権を喪失したこと自体を不利益と主張したのである。即ち、中里相談官は上告人に対し貸倒れ処理が認められるがその手続きとして債権を放棄しなければならない旨の指導をしたので、上告人としては貸倒れ処理が認められるとの前提(その限りで所得税を負担しない)で債権を放棄したのである。

二 原判決は「右の措置を認めると第一次の更正等には法の要求を充足しない理由付記をしておいて審査請求又は訴訟に及んだものに対してのみ法の要求を充たす理由付記を追完することを許すことになる旨主張するが一般論としても原告主張のような運用がなされるとは必ずしも考えられず、また本件全証拠によるもそのような運用がされていること又はされる可能性があることといった事実を認めることはできない。それ以上にそのような運用をしてはいないことを被控訴人に立証することを求める筋合はない。」としている。

被上告人は上告人に対し昭和五六年三月一一日、昭和五二年分、同五三年分、同五四年分所得税の各更正処分及び各過少申告加算賦課決定を行った(以下第一次処分という)が、第一次処分はその理由として「必要経費に算入されない金一九、二一五、〇〇〇円川崎地所株式会社に対する賃貸料九ヶ月分が貸倒れとして記載されていますが当該金額は債権放棄する合法性が認められず必要経費とは認められません」とのみ付記され、帳簿書類の記載以上に信憑力のある資料を摘示して処分の具体的根拠を明らかにしておらず(甲第一号証乃至甲第三号証の各一、二)更正の理由の記載がないのに等しいものである。被上告人の上告人に対する第一次処分は被上告人において法の要求を充足しない理由付記によるものであることを認識したうえで為されたものである。被上告人は第一次処分に至るまで上告人に対し左の通りの調査を行っているのであるから第一次処分について法の要求を充たす理由付記が為し得た筈である。

即ち、被上告人の田中調査官は昭和五五年一二月一六日訴外川崎地所に於いて、上告人及び訴外川崎地所に対し昭和五一年分乃至同五四年分の賃料債権の貸倒れ処理について調査をしその結果同年同月一八日、田中調査官は上告人に対し賃料を現実に受け取っていないのだから課税の問題は起こらないとの回答をした。しかし田中調査官は昭和五六年二月五日再び訴外川崎地所に於いて同社の帳簿類を調査し同年同月一四日には田中調査官及び佐藤調査官が右帳簿類を調査し同年同月二四日田中調査官は上告人に対し昭和五一年分以降四年間分の確定申告について修正申告するように求めた。上告人は田中調査官の右要求に対し質問をするなどして応じないでいたところ被上告人の法人部門の根森調査官が上告人に対し、上告人が地代の一部を放棄することによって訴外川崎地所は実質的に年八%相当の地代を支払っていないことになり、これは地上権の贈与に該当するので約三億円の権利金が認定課税されその時期は地代の支払われなくなった昭和五一年六月である旨通知した。ところが同年同月同日根森調査官は上告人に対し個人(上告人)及び法人(訴外川崎地所)に対する課税関係は発生しない旨通知した。上告人は被上告人の右調査については、総ての資料を提示して調査に応じている。被上告人は第一次処分を為す前提として昭和五五年一二月から同五六年三月まで税務調査を行い充分な資料を収拾していたのであるから法の要求を充足する理由付記が為し得たはずであり、しかも被上告人が法が要求している理由付記の程度内容を知らないはずはなく、従って第一次処分が「第一次の更正処分には法の要求を充足しない理由付記をしておいて審査請求又は訴訟に及んだものに対してのみ法の要求を充たす理由付記を追完するとの運用」の意図で為されたことは明らかである。

このような被上告人の処分が憲法第三一条に定める適正手続の保障に違反することは明らかである。

以上

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