大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和63年(あ)1247号 判決 1990年4月23日

国籍

朝鮮

住居

岩手県北上市常盤台一丁目一番五九号

パチンコ店経営

金成萬

一九二二年八月一八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年一〇月一三日仙台高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人長谷川英雄、同東海林行夫の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巌 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平)

昭和六三年(あ)第一二四七号

○ 上告趣意書

被告人 金成萬

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、左記のとおりである。

昭和六三年一二月一九日

主任弁護人 長谷川英雄

弁護人 東海林行夫

最高裁判所第一小法廷 御中

一 原判決には、以下に述べるとおり、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、しかも、刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄されるべきである。

二 事実誤認

1 原判決は、弁護人が第一審判決中昭和五八年分逋脱額の認定部分(第一審判決判示第三事実)について、釜石店(岩手県釜石市所在の朝日会館をいう)における昭和五八年六月及至八月分の売上額の推計方法が不合理で過大な所得額の算定をしたことを指摘して事実誤認の主張をしたのに対し、弁護人主張の推計方式(いわゆる宗像方式)よりは第一審判決方式の方に、より合理性が認められるとして弁護人の主張を排斥し、第一審判決の認定した罪となるべき事実をそのまま是認して判決した。

しかして、原審の事実認定に援用された第一審判決認定事実中昭和五八年逋脱分にかかる判示第三事実の要旨は、

被告人は昭和五八年分の総所得金額が二億〇、三〇五万九、九三八円でこれに対する所得税額は一億三、六七四万〇、二〇〇円であったにもかかわらず、所轄税務署長に対し、総所得金額は二、八四六万九、七四〇円であって、これに対する所得税額は一、一〇一万五、九〇〇円である旨虚偽の確定申告書を提出し、もって所得税一億二、五七二万四、三〇〇円を不正に免れたものである。

というものである。

しかし、右事実認定には、以下に詳述するとおりの重大な誤りがあり、到底、承服することが出来ない。

2 第一審判決並びに原判決は、釜石店の昭和五八年六月及至八月の売上額確定につき、これを直接証明すべき証拠がないため、検察官の主張した推計方式を一部手直しのうえ採用し、次のような推計計算によりこれを確定した。

すなわち、

(一) 昭和五八年一月及至五月及び九月及至一二月分については、証拠に基づいて実際売上額を確定することが出来、一方昭和五八年中の全期間について被告人が売上として公表した金額(公表売上額)が明らかにされているので、一月及至五月及び九月及至一二月分につき、各月毎に、実際売上額から公表売上額を控除して売上除外額を算出する。

(二) この売上除外額を実際の売上額で除して、各月の売上除外率を算出する。

(三) 右各売上除外率のうち、繁忙期で売上が上り、売上除外額も多くなるであろう一月と一二月分及び売上除外率が特に高額な二月分を特別のものとして除外し、残りの六か月分(三月及至五月、九月及至一一月)の売上除外率を基礎として一か月当りの平均売上除外率二二・七パーセントを算出する。

(四) この平均売上除外率に基づいて、六、七、八月の各月の推計売上額を求めることとして、六、七、八月各月の公表売上額を一マイナス〇・二二七をもって除し、それにより得られた数値を各月の売上額として認定する。

このような推計方式により、第一審判決及び原判決は、釜石店の前記三か月の売上を、昭和五八年六月が六、一〇六万五、三〇〇円、七月が六、一八七万三、〇〇〇円、八月が六、一四六万一、四〇〇円である旨認定したのである。

これに対して、弁護人は、宗像方式、すなわち、証拠上確定し得る昭和五七年分の各月の実際売上額に基づき、一月分を一〇〇パーセントとした場合の他の各月の割合を売上指数とし、次いで昭和五八年一月分の実際売上額に昭和五七年六月及至八月の各売上指数を乗じてそれぞれ昭和五八年六月及至八月の各推計売上額を算出する方式を主張してきた。

しかし、弁護人は、このたび上告審の審判を受けるに当り、刑事訴訟における事実認定のあり方という観点から、改めて第一審判決並びに原判決の所得額認定の妥当性について検討を加えることとした。以下、その検討の結果を述べる。

3 所得税法第一五六条は、実額課税により得ない場合について推計課税によることを認め、合理的な推計方法による限り、それによって算出された金額が真実の所得額(以下、実額という)の近似値であるとの蓋然性がありさえすれば、実額と合致するか否かを問わず、これを課税標準額とすることを許容している。

しかしながら、税務行政上の処分や民事裁判の場では、実額の近似値を実額そのものとして扱うことが許容されるにしても、刑事裁判において、犯罪の構成要素としての金額を認定するにあたっては、あくまでも実在する金額が合理的な疑いを容れる余地のない程度に立証される必要のあることはいうまでもないことであり、租税逋脱犯の逋脱所得の認定についてもその例外ではあり得ない。

したがって、租税逋脱犯の逋脱所得の金額をいわゆる推計の方法によって認定するには、算出された金額が実額と同額であるか、あるいは実額を下廻るもので実額の一部に過ぎないという点についての保障のあることが絶対に必要なはずである。けだし、その保障が認められないとすれば、算出金額が実額を上廻るときは、その上廻った分については実在しない架空の所得金額について被告人を処断することとなるからである。

4 ところで、原判決の採用した一審判決方式は、前に詳述したとおり売上除外率等が特に高額な月を除き、三月及至五月及び九月及至一一月の六か月分の各売上除外率から平均売上除外率を求め、これを基準として六月及至八月各月の推定売上額を算出するというものであるが、結局のところ、これは平均の法則を応用したものに過ぎない。

果たして、このような方式によって、実額及至部分実額即ち決して実額を上廻るものではないという保障のある売上額を推計することが出来るものであろうか。

その答が否定的なものであることは、別紙一の売上除外率の欄(月別決算集計メモ・昭六〇押四五号の三一、収支決算メモ・同号の三五、現金出納帳・同号の二三)を見るだけでも明らかとなる。即ち、第一審判決が推計の基準とした平均売上除外率は、二二・七パーセントであるが、六及至八月の前後の月の売上除外率を見ると、四月が二〇・四パーセント、九月が一九・一パーセント、一〇月が一九・五パーセント、一一月が一七・八パーセントであっていずれも平均売上除外率を下廻り、しかも、第一審判決が平均をとった六か月の内四か月もの月毎売上除外率が判決の基準値を下廻っているのである。してみれば、六月及至八月の真実の月毎売上除外率が平均売上除外率二二・七パーセントを下廻る蓋然性は相当高度であると考えざるを得ず、平均売上除外率に基いて算出した数値をそのまま売上額とする第一審判決とこれを認容した原判決の認定には、実額を超過する金額を売上額として認定したのではないかという合理的な疑いを容れる余地が十分に存在するのである。

5 結局、六及至八月の売上額を売上除外率に基き、しかも実額を超えないように推認しようとするのであれば、各月の売上除外率の内最低の数値を基準として推計するしかあるまい。そうすれば、推計された売上額が実額を超える証拠売りのおそれは払しょくされることになるからである。

このような考え方(新弁護人方式)に基いて六、七、八各月の実際売上額を推認すれば、証拠上明らかな月毎売上除外率の内最低の数値は一一月の一七・八パーセントであるからこれを基準にとり、六、七、八月各月の公表売上額を一マイナス〇・一七八をもって除し、それによって得られた数値を各月の売上額として推認することとなる。

この推計方式によって右三か月の売上額を推計すれば、別紙一のとおり、六月が五、七四二万五、一八二円、七月が五、八一八万四、七九三円、八月が五、七七九万七、六八八円となる。したがって、昭和五八年分の総所得金額は、別紙二のとおり一億九、二〇六万七、九〇一円となり、これに対する所得税額は、別紙三のとおり一億二、八四九万六、二〇〇円となるから、被告人が不正に免れた所得税額は一億一、七四八万〇、三〇〇円となるのである。しかして、本項冒頭に述べたところからは、これが本件において認定されるべき昭和五八年分の総所得額並びに逋脱所得税額であったことが明らかであると言わざるを得ない(別紙二及び別紙三は、大蔵事務官作成の修正損益計算書及び脱税額計算書を訂正して作成した)。

しかるに、原判決及び第一審判決は、単なる近似値計算によって得られたに過ぎない数値をそのまま実際売上額として認定する誤りを犯した結果事実を誤認し、本来認定されるべきであった金額より、昭和五八年分総所得額を一、〇九九万二、〇三七円も多く、また、逋脱所得税額を八二四万四、〇〇〇円も多額に認定する誤りを犯したのである。

しかも、右の誤りは、金額の誤差の大きさ故に判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認にあたり、これを破棄しなければ著しく正義に反することも明白であると認めざるを得ない。

以上詳述したところにより、原判決は、刑事訴訟法第四一一条第三号に基いて破棄を免れ難いものと思料する次第である。

三 量刑不当

原審裁判所は、第一審判決を破棄したうえ「被告人を懲役一年二月及び罰金五、〇〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。原審における訴訟費用は被告人の負担とする。」旨の判決を言渡した。

しかしながら、原判決の右量刑は、本件の犯情にかんがみ、被告人に対して執行猶予を付さなかった点において、重きに失して甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

以下、その理由を述べる。

1 被告人の経歴により同人が真面目な社会生活を送ってきた善良な市民であることが認められる。

被告人は、昭和一〇年、一二才の時に、生れ故郷の朝鮮を離れ、父親の知人を頼って日本に入国し、働きながら千葉市内の旧制中学を卒業して明治大学に進学、同校中退後は、職を転々とするなど異国の地で苦労を積み重ねた末、昭和二七年ころ、青森県弘前市にパチンコ店を開店し、以来、精励して事業を発展させ、現在に至っている。

被告人は、前科も前歴もなく、その生活歴に何らの汚点も認められないのみならず、本業に精進する傍ら、釜石遊技業防犯協会理事長、釜石遊技業協同組合理事長、岩手県遊技業協同組合常任理事外三団体の理事を務めるなど地域社会や同業者らの共通の利益のために尽力している。

このような経歴から、被告人が真面目で誠実な人柄であることと同業者らの信望を得るに十分な社会的良識を備えていることがうかがわれる。

2 被告人の動機にはなお酌量の余地が認められる。

被告人は、専ら個人的な利益を得るため本件に及んだものではあるが、少年時に故国を離れ、寄る辺のない異郷の地で辛酸をなめつつ、独力で生活を築き上げて来た経歴を考えれば、一家の生活や事業の安定のために資産の確保に努めたことも、心情としては、必ずしも理解し得ないものではなく、本件を、ただ単に自己中心的性格の発露であるとか、遵法意識の欠如に由来するものと断定することが当を得たものとは思われず、その動機には、なお、酌量の余地が認められるものと思料する。

3 本件脱税事犯は、手口が比較的単純で、周到さにも欠けており、犯行態様が悪質であるとは認め難い。

被告人は、売上金の一部を除外して仮名預金口座に預け入れたり、自ら持ち帰ったりして所得を隠匿する傍ら、経理担当者に指示して売上額から除外額を控除した金額を帳簿に記入させたり、証憑類を処分するなどして、これが隠蔽に努めていたもので、一応は、その手口が巧妙でかつ周到であるかのように思われないでもない。

しかし、翻って考えれば、脱税犯は、納税義務者が偽りその他不正の行為により租税の納付を免れることを構成要件とする犯罪であって、この種事犯に所得隠蔽のための何らかの作為が伴うことは極く自然なことであり、逋脱額が高額になればなる程複雑かつ巧緻な隠蔽工作が施されるのが通常である。

ところが、本件の手口は、何ら真新しいものがなく、極くありふれた単純な方法と認められるうえ、コンピューターデータ、金銭出納帳及び月別決算メモなど一部の重要な証拠をそのままにして、後日、これを押収されるなど、計画的犯行にしては、到底、用意周到とは認め難い。

したがって、本件には、その所得秘匿行為の態様において、模倣性と伝幡性をうかがう程の悪質性を認めることは、困難である。

4 本件は、高額脱税事犯であり、逋脱額の点で伝幡性のうかがわれる犯罪であるが、検挙された後、被告人が極めて重大な制裁と所々の打撃を受け、著しい苦境に陥入る事態となったことにより、本件の伝幡性も既に相当薄められ、誠実な納税者らの納税意欲を阻害する程度も大幅に減少したものと思料される。

被告人は、所轄税務署より更正処分と重加算税の賦課決定処分を受け、昭和五六年度及至五八年度分の本税、重加算税、利子税及び延滞税として合計四億九、四五七万三、六〇〇円を課税され、地方税の更正額も相当高額に昇り、しかも、本税の未納分については、年一四・七パーセントもの延滞税が加算されることから、永年に渉り粒々辛苦して築いた全財産を処分して納税資金を調達する必要に迫られる事態となったのみならず、それだけでは、税金を完納することが出来ないため、残り少ない人生を納税のために働いて過ごさざるを得ないという誠に哀れな立場に置かれるに至った。

更に、被告人は、本件検挙、公訴の提起、実刑判決の宣告と続いた一連の処分とマスコミによってこれが報道された結果、社会的には既に犯罪者としての烙印を強く押され、来日以来、五十数年の歳月をかけて築いた社会的信用や名誉を一挙に失墜するに至っている。

また、被告人は、本件逮捕後長期間にわたって身柄を拘束されているが、前科も前歴もなく善良な市民であった被告人にとって、この間の苦悩は極めて重大であり、事実上十分な制裁としての意味を持ち、深く反省する機会を与えられたものと思料される。

このような被告人の苦境や苦悩を勘案すれば、たとえ、被告人に対して執行猶予の恩典を与えたとしても、誠実な納税者らに、正直者だけが馬鹿を見るとか、脱税は発覚しても金を払えばそれですむといった法軽視の風潮を生む恐れは、全くないものと確信する。

5 被告人は、前記の租税について、可能な限りの支払をした他、残額を完納するため所有する全ての不動産や店舗の売却を図るなど、世に与えた被害を回復するため、為し得る限りの努力を続けている。

被告人は、一切の預金を解約するなどして、前記の国税の内本税二億六、一一八万五、七〇七円と利子税九万五、四〇〇円、合計二億六、一二八万〇、七〇七円の支払をしたが、残りの国税や地方税は、財産の換価が思うにまかせず、事業も不振を来して収入が減少したため、未だ完納の目処が立つに至っていない。

しかし、被告人は、自宅の土地家屋を含む全ての不動産と山田町のパチンコ店「ニュー朝日」や北上市のパチンコ店の売却に努めたり、融資先を探すなどして納税資金の調達に奔走し、国や地方自治体に与えた被害を補うための真摯な努力を続けている。

ところで、控訴趣意書や被告人の上申書に援用された青森地方裁判所及び秋田地方裁判所の判決の事案は、いずれも税金を完納している点で本件と相違しているが、判決以前に完納出来るか否かは、納税資金の調達に成功するか否かという多分に偶然なり運不運なりに左右される事柄にかかっているのであるから、この点を量刑上の決定的な基準とすることは、必ずしも相当であるとは思われない。

したがって、被告人が、二億六、一二八万円強の納税を済ませ、残額については、早期に納付すべく真剣な努力をしていることも有利な情状として十分に斟酌されるべきものであると思料する。

6 被告人は、本件検挙を契機として、深く反省して納税倫理の重大さを自覚するようになり、税理士を依頼して経理を改善するなど誠実な納税のための措置をとっているので再犯のおそれは認められない。

7 被告人は、原判決で科せられた五、〇〇〇万円に昇る罰金については、未だ納付の目処が立っていないため、金一〇万円を一日に換算した期間の労役場留置処分を科せられる恐れにさらされている。

したがって、被告人を懲役一年二月の実刑に処するとすれば、身柄拘束の期間が、最長の場合で約二年六か月もの長期にわたるおそれがあり、その場合は、余りにも量刑が苛酷にわたるものと思わざるを得ない。

8 その他、被告人には、実刑に処せられた場合にその事業に著しい困難を来たすおそれがあること、六五才の老齢であること、既に家族らに多大の心痛を及ぼしていることなどの同情すべき情状が認められる。

右の被告人に有利及至同情すべき情状を総合勘案すれば、本件については敢えて被告人を実刑に処するまでもなく、一般予防の目的も特別予防の目的も十分達せられるものと思料されるので、原判決は、執行猶予を付さなかったのは不当であり、その刑の量定は甚だしく不当で正義に反するものであるから到底破棄を免れないものと思料する。

よって、更に適正妥当な裁判を求めるため、本件上告に及んだ次第である。

以上

別紙一 新弁護人方式による推計計算表

<省略>

別紙二 修正損益計算書

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例