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最高裁判所第一小法廷 昭和52年(オ)558号 判決 1980年12月04日

上告人

高浜迪子

上告人

高浜樹代

右両名訴訟代理人

藤森龍雄

外二名

被上告人

高浜ふさ

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人藤森龍雄、同坂速雄、同曽我乙彦の上告理由第一点及び第二点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第三点について

民法九六九条一号は、公正証書によつて遺言をするには証人二人以上を立ち会わせなければならないことを定めるが、盲人は、同法九七四条に掲げられている証人としての欠格者にはあたらない。のみならず、盲人は、視力に障害があるとしても、通常この一事から直ちに右証人としての職責を果たすことができない者であるとしなければならない根拠を見出し難いことも以下に述べるとおりであるから、公正証書遺言に立ち会う証人としての適性を欠く事実上の欠格者であるということもできないと解するのが相当である。すなわち、公正証書による遺言について証人の立会を必要とすると定められている所以のものは、右証人をして遺言者に人違いがないこと及び遺言者が正常な精神状態のもとで自己の意思に基づき遺言の趣旨を公証人に口授するものであることの確認をさせるほか、公証人が民法九六九条三号に掲げられている方式を履践するため筆記した遺言者の口述を読み聞かせるのを聞いて筆記の正確なことの確認をさせたうえこれを承認させることによつて遺言者の真意を確保し、遺言をめぐる後日の紛争を未然に防止しようとすることにある。ところで、一般に、視力に障害があるにすぎない盲人が遺言者に人違いがないこと及び遺言者が正常な精神状態のもとで自らの真意に基づき遺言の趣旨を公証人に口授するものであることの確認をする能力まで欠いているということのできないことは明らかである。また、公証人による筆記の正確なことの承認は、遺言者の口授したところと公証人の読み聞かせたところとをそれぞれ耳で聞き両者を対比することによつてすれば足りるものであつて、これに加えて更に、公証人の筆記したところを目で見て、これと前記耳で聞いたところとを対比することによつてすることは、その必要がないと解するのを相当とするから、聴力には障害のない盲人が公証人による筆記の正確なことの承認をすることができない者にあたるとすることのできないこともまた明らかである。なお、証人において遺言者の口授したところを耳で聞くとともに公証人の筆記したところを目で見て両者を対比するのでなければ、公証人による筆記の正確なことを独自に承認することが不可能であるような場合は考えられないことではないとしても、このような稀有の場合を想定して一般的に盲人を公正証書遺言に立ち会う証人としての適性を欠く事実上の欠格者であるとする必要はなく、このような場合には、証人において視力に障害があり公証人による筆記の正確なことを現に確認してこれを承認したものではないことを理由に、公正証書による遺言につき履践すべき方式を履践したものとすることができないとすれば足りるものである。このように、盲人は、視力に障害があるとはいえ、公正証書に立ち会う証人としての法律上はもとより事実上の欠格者であるということはできないのである。

そうすると、本件公正証書による遺言につき証人として立ち会つた高浜和郎は、盲人であつたが、証人としての欠格者であるということはできないところ、原審の確定するところによれば、右和郎は、公証人が読み聞かせたところに従い公証人による遺言者高浜雄二の口述の筆記が正確であることを承認したうえ署名押印したというのであつて、その間右雄二の口授したところを耳で聞くとともに公証人の筆記したところを目で見て両者を対比するのでなければ公証人による筆記の正確なことを確認してこれを承認することができなかつたというべき特段の事情が存在していたことは窺われないのであるから、右和郎が証人として立ち会つた本件公正証書による遺言に方式違背はなく、右遺言は有効であるといわなければならず、これと同趣旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官本山亨、同中村治朗の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官本山亨の反対意見は、次のとおりである。

わたくしは、上告理由第三点について、中村裁判官の反対意見に同調する。

裁判官中村治朗の反対意見は、次のとおりである。

私は、上告理由第三点については、多数意見と異なり、盲人は公正証書による遺言において証人となる資格を有しないとの見解をとるものであり、したがつて、これと異なる見解に立つ原判決には法令の解釈を誤つた違法があるとしてこれを破棄するのが相当であると考える。以下に、その理由を述べる。

一民法九七四条は、遺言の証人又は立会人となることができない者を列挙しているが、これらのいずれにも該当しない者であつても、民法が各種の遺言につきそれぞれ証人又は立会人として果たすべき責務として定めているところをその趣旨、目的に沿つて果たすことができない者は、当該遺言における適法な証人又は立会人としての資格を欠き、かかる証人又は立会人の関与のもとになされた遺言が法定の方式に適合しない遺言としてその効力を否定されることとなる場合がありうることは、おそらくこれを認めざるをえないであろう。しかし、いかなる者が右のような証人又は立会人としての資格を欠く者にあたるかについては、もとより一律にこれを論定することはできず、各種の遺言のそれぞれの場合につき、そこで証人又は立会人の果たすべき責務として要求されている事項を適切に遂行する能力ないし資格を有するかどうかによつてこれを決するほかはない。

二本件における問題は、盲人が民法九六九条に定める公正証書による遺言(以下「公正証書遺言」という。)において証人となる資格を有するかどうかである。これにつき、多数意見は、盲人について右の資格を否定すべき理由はないとし、そのように解する理由として、公正証書遺言において証人が果たすべき職責として法が要求するところは、(1) 遺言者に人違いがないことの確認、(2) 遺言者が正常な精神状態のもとで自己の意思に基づいて遺言の趣旨を公証人に口授するものであることの確認、(3) 公証人による右口述の筆記が正確であることの確認と署名、押印の三点であるところ、このうち(1)と(2)は盲人でもすることができることは明らかであり、(3)の筆記の正確性の承認についても、法は、遺言者の口述内容と公証人の読み聞かせた内容とを耳で聞き、両者を対比して正確性の有無を確かめれば足りるとし、それ以上に筆記されたところを眼で見て右の対比を行うことまでは要求していないと解されるから、盲人でも十分に証人としての責務を果たすことができるとし、右のような口述内容と朗読内容との聞きくらべのみによつては筆記の正確性を識別することができず、更に眼で見てこれを確かめなければならないというような場合が仮にありうるとしても、それは稀有のことであろうから、その場合には、単に当該証人による筆記の正確性の承認が法定の方式に違背するとしてその特定の遺言の効力を否定すれば足り、更に進んで盲人の証人資格を一般的に否定する必要はないと論じている。この見解に対して私が疑問とし、かつ、賛同することができないのは、右(3)の筆記の正確性の確認については、遺言者の口述内容と公証人による読み聞かせの内容とを耳で聞いて両者を対比し、その間に相違がないかどうかを確かめれば足りるとして、これを前提にして事を論じている点である。

三確かに、民法九六九条三号によれば、公証人は、遺言者の口述を筆記したのち、それを遺言者及び証人に読み聞かせなければならないが、更にそのうえに筆記をこれらの者に示すことまでは要求されておらない。しかし、このことは、公証人に対して最小限右の読み聞かせをすることを要求しているというだけのことであつて、遺言者や証人が筆記を見せることを求めた場合にこれを拒絶することができることまでを意味するものでないことは当然であり、右の規定から直ちに、証人は、筆記の正確性を確認するにあたり、公証人の読み聞かせが筆記に即して正しくなされているかどうかを確かめる必要はないとする趣旨であると言い切れるかどうかは、大いに疑問である。すなわち、

(一) まず指摘すべき点は、正確性(すなわち遺言者の口述内容との一致)が求められるのは筆記内容であつて、公証人の朗読内容ではない、ということである(民法九六九条四号は、「筆記の正確なことを承認し」と言つている。)。遺言者の口述内容と公証人の朗読内容とを比較するのは、筆記の正確性を確かめるための一手段であつて、それ自体が目的ではなく、したがつて、公証人の朗読内容自体の正確性(すなわち筆記内容との一致)に疑問があれば、それを直接筆記そのものについて確かめる必要があるし、それがまた証人に要求されている責務であると思われる。法は証人にそこまでは要求していないというのは、肝腎の最後の詰めのところを甘くするものか、又は公証人は常に筆記内容を正しく朗読するものであるとの命題を前提とするものではないかと考えざるをえない。

(二) もつとも、公証人がことさら遺言者の口述内容と異なる内容を書面に記載しながら、読み聞かせの際には口述どおりの内容を読みあげるというようなことは、あるとしてもおそらく稀有のことであろうから、法はそのような稀有の場合をも念頭に置いて規定を設けたものと解することは合理的でないという議論も十分考えられる。確かに、公証人がそのような非違行為を行うがごときことは極めて異例に属するというのは、おそらくそのとおりであろう。しかし、そうであるからといつて、法は異例に属する公証人の非違行為についてはその存在の可能性を前提としないで規定をしていると考えるべきである、というのは相当ではない。法は、証人に対し、公証人の行動に対する監視の責務をも課しているのであり、このことは、民法九七四条が公証人と一定の身分関係等を有するにつき一般に証人又は立会人としての適格性を否定していることからも窺われるところであるし、更に、もし公正証書遺言における証人の関与に公証人に対する監視機能が含まれていないとすれば、このような場合における証人の関与そのものの意味ないし必要性は多分に失われることにもなろう。そして、このような証人の監視は、当然に公証人のすべての行為に向けられるべく、この場合、極めて異例に属するような非違行為については、そこまで監視の眼を向ける必要がないとする理由は、これを見出し難いと思われるのである。

なお、これに対しては、公証人の読み聞かせが筆記内容を正確に反映していないという疑いがあれば、証人は筆記の正確なことの承認を拒否することができるから、これによつて右の監視機能を果たすことができるとの反論があるかもしれない。しかし、このような疑いをもつこと自体がその場の状況に依存するのであつて、この状況を現実に眼のあたりにする者にして始めて右のような疑いを抱くことが可能となる場合も想定されるのであるから、右の反論は理由がないと思われるし、更に証人の立会、監視による公証人の非違行為の抑制効果をも無視することができないと考える。

(三) そればかりではない。法が公正証書遺言に証人の関与を求めているのは、右の証人の監視によつて現実に公証人の非違行為を防止する機能を果たさせるということのほかに、かかる証人の介在によつて公正証書遺言の正しい成立が担保されているという外形を作出し、これによつて公正証書遺言の信頼性を確保するという意味合をも有しているのである。すなわち、遺言は関係者の利害に深刻、重大な影響を及ぼすものであるが、それが問題となる時には遺言者はすでにこの世を去つていてその真意を直接確かめる術はなく、しかも事は密室内での出来事であるため、関係者はとかく遺言の真否に疑念を抱き、あるいはそれが深刻、陰湿な紛争の種となつたり、あるいは関係者に深い不信と不満のしこりを永く残したりすることとなる場合が少なくなく、法が遺言を要式行為とし、これに対して特に厳格に過ぎると思われるほどの厳しい形式の枷を施しているのも、この点に対する慎重な配慮の結果にほかならないのであるが、関係者の右のような疑念は、遺言に公証人が関与した場合には、その際の公証人の行為が適正であつたかどうかに対しても向けられるのであり、このような疑念を解消するためにも、公証人の非違行為を十分に監視、抑制することのできる証人がこれに立ち会い、そのような非違がなかつたことを確認したという形式上の担保が存在することが必要なのであつて、法はこのような配慮のもとに上記のような規定を設けたものと考えられるのである。そうすると、この観点からしても、遺言公正証書の作成に際しての公証人の行為には、異例のものであると否とを問わず、適正を欠く点は一切なかつたことが証人の監視によつて十分に保障されているという外形が作出されることが必要であるといわなければならないであろう。

私は、右のような理由から、証人が公証人による遺言者の口述内容の筆記の正確性を確認するについては、原則として口述内容と公証人の朗読内容とを耳で聞いて比較するのみで足りるとし、その前提のもとに盲人の証人資格を原則的に肯定する多数意見には同調することができず、反対に右の証人資格を否定すべきものと考えるのである。確かに、このような私の見解は、あまりにも形式にとらわれた解釈であり、事情の変化に伴つてある程度要式性の緩和が要請されていることに即応しないものであるとの批判があるかもしれない。しかし、要式性の緩和といつても、そこにはおのずから限度があり、法が現にとつている要式性の基本的趣旨と相容れないと思われるところまで緩和をはかることは、すでに解釈の限界を超えるものと考えざるをえず、多数意見のとつている緩和的解釈(私は一種の緩和的解釈だと思うのであるが。)の底にある考慮には同感するところが少なくないけれども、解釈論としてはどうしてもそこまで踏み切ることができないのである。

なお、民法九六九条四号の筆記の正確性の承認について私見のような厳格な解釈をとり、盲人の証人資格を否定するとすれば、勢い盲人による公正証書遺言の可能性をも否定することとならざるをえなくなつて不当である、との批判があるかもしれない。この点については、私は、両者を必ずしも同一に解する必要はなく、盲人の証人資格を否定することは、当然には盲人による公正証書遺言の可能性の否定につながるものではないとの考えをもつているが、ここではこれに立ち入ることを避けたいと思う。

以上の次第で、私は、盲人に公正証書遺言における証人資格を肯定した原判決には法令の解釈を誤つた違法があり、右違法が原判決の結果に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないと考える。

(藤崎萬里 団藤重光 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

上告代理人藤森龍雄、同坂速雄、同曽我乙彦の上告理由

原判決は次に述べるように判決に影響を及ぼすべきこと明らかな法令違背があるが、これを述べるに先立ち、上告人らはまず本件公正証書遺言の異常さについて指摘し、ついで具体的な理由を開陳する。

第一点 第二点<省略>

第三点 原判決は民法第九六九条及び民法第九七四条の解釈を誤り、その結果証人欠格者の関与した公正証書遺言を有効だと判断した違法があり、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかである。

一、原判決及びこれが引用する第一審判決(以下単に原判決という)は、本件公正証書遺言に立会つた証人二人の内一名が盲人であるから遺言の方式に違背して無効であるとの上告人の主張を排斥した。

二、しかしながら、原判決は民法九六〇条の「遺言はこの法律に定める方式によらなければこれをすることができない」との法意を誤り、その結果、民法九六九条及び第九七四条の解釈を誤つたものであるから破棄されるべきである。

三、まず、公正証書遺言を作成するにつき、民法第九六九条は次の要件を定めている。

1 証人二人以上の立会があること

2 遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること

3 公証人が右口述を筆記し、これを遺言者と証人に読み聞かせること

4 遺言者と証人は筆記の正確を承認した上、各自これを署名捺印すること

5 以上の方式に従つて証書が作成された旨公証人が付記して署名押印すること

四、更に、民法第九七四条は証人となりえない者として、未成年、禁治産者、推定相続人、受遺者及びその配偶者並びに直系血族、公証人の配偶者、四親等内の親族、書記及び雇人を明記しているが盲人は含まれていない。

五、しかしながら、証人の任務ないしは使命との関係でこれをみれば証人は遺言者に人違いのないこと、精神状態の確かなこと、作成された遺言が真実に成立したものであることを証明するとともに、他面公証人の職権濫用を防止する目的も有するものであるから、右の能力を独自に備えていない者が証人となりえないことは民法九七四条の趣旨及び民法九六九条から明らかである。

六、これを本件にあてはめて具体的にみると、盲目である和郎は(1)遺言者雄二が公証人上坂広道に対し、遺言の趣旨を口授し、(2)これを同公証人が筆記し、かつ(3)遺言者及び証人に読みきかせ、(4)証人和郎は以上の手続に終始立会つていて、右三点全てについてこれを監視し、(5)その結果、筆記の正確なことを承認すること、すなわち公証人によつて読み聞かせられたものが、さきの口授と一致していることを耳だけでなく、まさに目でもつて明確な遺言証書そのもので確認するという各点でその能力を欠いていること明らかである。

さらにまた、和郎は盲目であるが故に現に公証人上坂に対して遺言の趣旨を口授している人物が真実雄二本人であつたか否かを独力で確認することは困難であるともいい得るのである。以上の諸点から盲人は公正証書遺言の証人として欠格者だと解さなければならないのである。(なお、盲人が公正証書遺言の証人欠格者であることは通説である。参照に供するため学説の抜粋を添付する)。

1 有斐閣 家族法大系Ⅶ相続(2)中川善之助教授還暦記念一六八頁(執筆者佐藤隆夫)

2 有斐閣 法律学全集相続法中川善之助著三二八頁

3 有斐閣 注釈相続法(下)注釈民法全書(4)中川善之助責任編集六〇頁(執筆者山畠正男)

4 日本評論社 別冊法学セミナー基本法コンメンタール6民法Ⅲ親族法、相続法中川善之助、島津一郎編二七六頁(執筆者加藤永一)

七、原判決は、この点「遺言の内容が読み聞かせられたものと一致していることを眼で見届けることはむしろ第二義的な問題というべきであつて特に遺言者の口授の内容が複雑大部にわたらず、簡単明瞭な事項にとどまり、従つて公証人の筆記するところもこれと同様である場合には、読み聞かせられた内容とさきの遺言者の口授の内容との一致の有無の判断は容易であり、あえてこの内容を筆記のひとつひとつと照合し読み合わせるまでもないことになるので、このような場合には、盲人が証人に立会つたとしても、かかる盲人に証人欠格があるとするのは相当でない」と判示するが、これは民法が特に「遺言はこの法律に定める方式によらなければこれをすることができない」(第九六〇条)という明文を設け、遺言を厳格な要式行為として遺言者の意思を確保しようとした法意を没却し、とくに民法九六九条が定めた二人以上の立会証人が筆記の正確を承認するという要件と公証人が読み聞かせることの要件を混同し、その機能と目的についての考察を怠り、単純に、証人の使命と必要性を読み聞けと口授とが一致しておることを確認すればよいと解し、最も重要な書面である遺言証書それ自体によつて確認することを要しないという誠にもつて重大な要件を看過する誤りを犯していることになるといわなければならない。

八、換言すれば、民法が厳格な要式行為として遺言者の真意確保に努めようとした法意から遺言の要件を便宜的にみだりに緩和することは許されないこというまでもないが、原判決の根本的な誤りは、民法が遺言はすべて書面によらなければならないとし、書面以外には、如何なる効力をも認めていないことを看過し、証人は右証人の読み聴けで確認すればよく、遺言証書それ自体によつて遺言者の口授と遺言証書とが一致しているか否かまでを確認する必要はないという点に存するのである。

九、したがつて、盲人である和郎が証人として立会つた本件公正証書遺言は民法第九六九条の要件を欠き無効であるから、結局、原判決は民法第九六九条の解釈を誤つたか民法第九七四条の解釈を誤りその結果判決に影響を及ぼすべきこと明らかな法令に違背しているので、原判決は破棄されるべきであると思料する。(添付書類省略)

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