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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(オ)632号 判決 1969年12月11日

主文

原判決を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人林周盛の上告理由について。

営業譲渡契約には、特別の方式を要しないから、当事者間の合意のみによつて成立する。しかして、営業譲渡契約は、客観的意義における営業をその同一性を維持しながら移転することを約するものであるから、特段の契約上の定めがないかぎり、営業に属する一切の財産は、譲受人に移転すべきものと推定すべきである。もつとも、その第三者に対する対抗要件は、個々の財産について個別的に履践すべく、譲渡人の債権についていえば、債務者に対する債権譲渡の通知を必要とするけれども、債務者において、この事実を了知し、債権譲渡を承認するときは、かかる対抗問題を生ずる余地はないのである。

ところで、本件においてこれをみるに、原審に提出された乙第一号証によれば、被上告人は、昭和三九年九月付をもつて、その取引先に対し、同人と長男政夫の氏名を記載した一葉の挨拶状を送り、これには、被上告人の挨拶として「就而私儀昭和二年四月ブルースカイ印メリヤスの卸売を開業以来三十八年間の永きに渡り、無事営業を継続出来ましたことは、一重に皆様方の御支援の賜のと厚く御礼申し上げます。八月末日を以て現営業を引退致し、長男政夫に営業の実権を継承致しましたから、尚一層の御指導御鞭韃を賜ります様宜しく御願い申し上げます。」と記載し、続く政夫名義の挨拶として「前略 前文にて申し上げました通り、私儀政夫九月一日より青木政夫商店と改名致し、営業の全権を委任され新たなる構想と十数年の体験を基に開業致すことになりました。就而して事務引継等にて皆様方に色々と御迷惑御掛け致す事がありますが、其の節は何卒の御配慮を賜わります様御願い申し上げます。」とし、続いて、「尚店名営業所を左記に改めます(九月中旬頃移転の予定)」としたうえ、従来の「青木商店」なる被上告人の商号を、「青木政夫商店」なる新商号に変更する旨を記載していることが明らかであり、一審における右政夫の証言および被上告人(原告)の本人尋問の結果中にも、営業主の交替、営業用商品の譲渡等右記載の事実を裏付けるに足りる供述があるのである。のみならず、被上告人は、その主張に従えば、当時既に弁済期の到来していた本件報奨金債権を、その後も本訴の提起に至るまで請求した形跡はなく、その事由として、一審における被上告人(原告)の本人尋問の結果中には、右債権を請求した場合に、上告人から政夫との取引を停止されることをおそれたためであるとの供述がみられるのである。このような事情に徴すれば、被上告人と長男政夫との間には、右挨拶状の出された当時営業の譲渡がなされたものと推認するに難くないのであり、さらに他に特段の事情のないかぎり、本件報奨金債権も、このとき政夫に譲渡されたか、あるいは少なくとも、右債権を政夫と上告人との間の新規の取引の担保として、上告人のために留保せしむべき暗黙の合意がなされたものと推認するのが相当である。

しかるに、原審は、右乙第一号証はその意味するところが不明瞭であり、その書面の体裁等からみて単なる挨拶状と認められるとして、営業譲渡または債権譲渡の事実が認められないとし、さらには本件債権を上告人と政夫の取引の担保とする旨の合意も認められないとして、上告人の主張をすべて排斥しているのであつて、この認定判断は、前記説示に明らかなとおり、経験則に反するものといわなければならない。しかして、この誤りは、原判決の結論に影響すること明らかであるから、論旨はこの点において理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、さらに右の点について審理をする必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条を適用して、裁判官全員一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠 裁判官 大隅健一郎)

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