大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(し)25号 決定 1969年6月11日

主文

本件抗告を棄却する。

理由

弁護士角南俊輔の抗告趣意のうち、憲法三七条三項違反をいう点について。

公訴提起後における私選弁護人の選任は、弁護人になろうとする者と被告人とが連署した書面を差し出してしなければならないことは、刑訴法三〇条一項、刑訴規則一八条の明定するところであり、ここに連署とは、弁護人になろうとする者と被告人とがそれぞれ自己の氏名を自書し押印することであることは、同規則六〇条によつて明らかである。そして、法が弁護人の選任を右のように要式行為としている理由は、手続を厳格丁重にして過誤のないようにしようとするためであり、被告人が訴訟の主体として誠実に訴訟上の権利を行使しなければならないものであることは、同規則一条二項の明定するところであるから、氏名を記載することができない合理的な理由もないのに、被告人の署名のない弁護人選任届によつてした弁護人の選任は、無効なものと解するのが相当である。そして、このように解釈しても、被告人としては、署名をして有効に弁護人を選任することができるのであり、なんら弁護人選任権の行使を妨げるのもではないから、憲法三七条三項に違反しないことは、昭和二四年(れ)第二三八号、同年一一月三〇日大法廷判決の趣旨に徴し明らかである。

そうすると、これと同旨に出て、弁護士角南俊輔を被告人の弁護人とは認められないとした原決定は正当であつて、所論は理由がない。

同抗告趣意のうち、憲法三七条一項違反をいう点について。

公訴提起後第一回公判期日までの間の勾留に関する処分は、裁判官がするのであつて(刑訴法二八〇条一項参照)、所論のように受訴裁判所がするわけではないから、所論違憲の主張は、前提を欠き、刑訴法四三三条所定の抗告の適法な理由にあたらない。

同抗告趣意のうち、憲法三八条一項違反をいう点について。

所論は、原決定のいかなる点がいかなる理由によつて憲法三八条一項に違反するかを示していないから、刑訴法四三三条所定の抗告の適法な理由にあたらない。

弁護士古瀬駿介、同栂野泰二、同斎藤浩二、同石川博光、同大塚勝、同葉山水樹、同小泉征一郎の抗告申立について。

右弁護士らは、原決定後に被告人から選任された弁護人として、本件抗告の申立をしているのである。ところで、同弁護士らが提出した弁護人選任届の被告人の署名欄には、「菊屋橋一〇一号」という記載と指印があり、右指印について、「右は本人の指印であることを証明する」旨の東京拘置所看守杉山ことの認証文言およびその署名押印があるだけで、被告人の署名は存在せず、しかも被告人に自己の氏名を記載することができない合理的な理由があるものとは認められないから、右弁護人選任届によつてした弁護人の選任は、さきに弁護士角南俊輔の抗告趣意について述べたと同様の理由で無効であり、同弁護士らは被告人の弁護人とは認められない。

そうすると、同弁護士らのした本件抗告の申立は、法令上の方式に違反するものというべきである。

よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(大隅健一郎 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠)

被告人 氏名不詳(警視庁菊屋橋分室留置第一〇一号の女)

弁護士角南俊輔の抗告趣意

申立の趣旨

原決定を取消す。

東京地方裁判所刑事第一四部裁判官生島三則のなした保釈請求却下決定(昭和四四年(わ)第八三三号)を取消す。

申立の理由

一、被告人は、昭和四四年二月一〇日兇器準備集合、建造物侵入罪として東京地方裁判所に起訴されたものであるが、同月一九日同地裁に対し右被告事件につき弁護士角南俊輔を弁護人に選任する旨の弁護人選任届を提出し、同日同弁護士が被告人の保釈の請求をしたところ、同年四月二日同裁判所裁判官生島三則が右選任届には被告人の署名がないから無効であり右弁護人は適法に選任されていないとの理由で、右保釈請求を不適法として却下した。

右弁護人はこの却下決定に対し準抗告を申立てたところ、同月一四日、右準抗告を棄却する旨の決定が東京地方裁判所においてなされた。

二、原決定の棄却理由は、「刑事訴訟規則一八条によれば、起訴後における私選弁護人の選任は、被告人が弁護人と連署した書面を差し出してしなければならない要式行為であり(連署には各自が自己の氏名を自署し押印することは同規則六〇条により明らかである。)、氏名を記載することができない合理的な理由がないのに署名のない弁護人選任届によつてした被告人の弁護人選任届が無効であることは最高裁判所の判例(昭和四〇年七月二日第三小法廷決定)とするところである。ところが本件弁護人選任届には、被告人署名欄に「菊屋橋署一〇一号」の記載と指印があり、該指印につき「右は本人の指印であることを証明する」旨の東京拘置署看守の認証文言ならびに署名押印があるほか、弁護士角南俊輔の署名押印があるけれども被告人の署名は存在せず、かつ被告人が右選任届に自己の氏名を記載することができない合理的な理由を認めるに足る疎明はない。だから本件弁護人選任行為は、前記規則の方式に違反するから無効である。」

というにある。

三、「刑事被告人は、いかなる場合にも資格を有する弁護人を依頼することができる」(憲法三七条三項)。だから、本件の如く、被告人の氏名が明らかでないために、検察官が起訴状に被告人の氏名を記載せず単に被告人を特定するに足る事項だけを記載して起訴した場合は、被告人が作成提出する弁護人選任届における被告人の表示は、必ずしも被告人の氏名を記載することを要さず、起訴状と対照して当該の被告人であることを特定できる事項を記載すれば足りるのである。

いうまでもなく刑事訴訟は起訴状の提出に始まり、各種の訴訟行為もこれを基礎に行われる。そこで刑訴法二五六条二項一号は、起訴人に被告人の「氏名」その他被告人を特定するに足る事項を要求し、勾留状、勾引状、差押状、逮捕状等に適用ないし準用される同法六四条二項(氏名を必要としない)とは扱いを異にしている。このように明らかに起訴状には被告人の「氏名」が要求されているにもかかわらず、実務においては被告人の氏名が明らかでないときは、通称、あだ名、体格、人相その他被告人を特定するに足る事項を記載すれば足ると拡張して解釈され、結局は同法六四条二項と同じ扱いをしている。

そして起訴状に被告人の氏名を記載して起訴した事件においては、左記(イ)、(ロ)、(ハ)に掲げる各種の訴訟書類はすべて、被告人の氏名を記載している。

しかし前記拡張解釈にもとづき、起訴状に被告人の氏名を記載せず、被告人を特定するに足る事項だけを記載した事件においては、

(イ) 裁判所側の作成する弁護人選任に関する通知書、国選弁護人選任書、公判期日被告人召喚状、公判調書、決定書、判決書等すべての書類。

(ロ) 検察官の作成提出する公判期日変更申請書、冒頭陳述書、証拠調請求書、証人尋問事項書、控訴申立書等のすべての書類。

(ハ) 国選弁護人の作成提出する公判期日請書、公判期日変更申請書、証拠調請求書、証人尋問事項書、控訴申立書等のすべての書類。

に被告を特定するに足る事項のみを記載しており、一般にこれは適法と解せられ、実務上もこれに従つている。

ちなみに本件被告人の勾留理由開示公判には、本件弁護人角南は、弁護人として出席し(昭和四四年三月二四日午後二時二〇七号法廷)、裁判所も弁護人として取扱い、調書にも弁護人とし、記載されている。

以上に述べた一見明文には反するかのごとき実務上の取扱いは、十分な合理的根拠を持つものとして肯認されるべきである。しかるにこの理が、ひとり被告人の私選弁護人選任にのみ適用されないというのはいかにも不当である。

現に最高裁第一小法廷(昭和二九年一二月二七日、集八巻一三号二四三五頁)は、被告人の表示として「戸塚九郎こと氏名不詳者」と記載した弁護人選任届を有効と解している。

この被告人は、戸塚警察署監房九号室に勾留されていたが終始黙秘し続けた。だから戸塚九郎という表示は、監房番号に他ならず(本件では「菊屋百一子こと氏名不詳者」とでも言おうか)、本件と何ら変りはない。

また名古屋高裁昭和三九年八月一九日第五刑事部判決(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕一六八号、一二七頁参照)は、「名古屋拘置所一八三番」とのみ表示のある弁護人選任届を有効と解している。

さらに、大阪地裁決定昭和四〇年七月一四日(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕一七九号、一七六頁参照)は、「刑訴規則一八条は、本来弁護人選任の意思を確定することのみが眼目なのであるから、署名に拘泥することは本来を顛倒するものであり、また弁護人選任届の如きは一般に事件の極く初期の段階でなされるものであるから、氏名の黙秘が許されるかどうかが判明しない場合も当然予想されるところであつて、右規則がそのような区別を予定していると解すべきいわれはない」として、単に「メガネをかけた花田」と自署し指印した弁護人選任届を有効とした。

以上述べた如く、被告人の署名がなく単に被告人を特定するに足るだけの事項を記載した起訴状の場合、裁判所にとつて、あえて被告人の氏名を知ることを必要とする理由はどこにも無いのであるから、このような場合、被告人の署名の無い弁護人選任届を無効とし被告人の弁護人選任権を空洞化してしまう解釈は、明らかに憲法三七条三項に違反する。

四、原決定が援用し、その理由としている前記昭和四〇年最高裁決定も「氏名を記載することができない合理的な理由」(例えば氏名等の記憶喪失者の場合)があり、「被告人が誠実に訴訟上の権利を行使すること(刑訴規則一条二項参照)」を要件として、例外的に被告人の署名のない弁護人選任届が有効となる場合のあることを認めているのであるが、本件のように起訴状に被告人を特定するに足る事項だけを記載した事件においては、その起訴のときから第一回公判期日までに、被告人を特定するに足る事項だけを記載した弁護人選任届が提出されるのがむしろ普通であり、しかも、起訴状一本主義の原則上、右の段階においては、裁判所には何の資料も存在しない筈であるから、このような時、裁判所が氏名を記載することができない合理的な理由の有無、および誠実に訴訟上の権利を行使しているか否か、したがつて、被告人の署名のない弁護人選任届を有効とみるべき場合に該るかどうかを被告人について判断するためには、被告人を呼び出したり、検察庁や警察署などに照会するなどして資料をあつめ、取調べをするほかないが、裁判所がそのような調査をするならば起訴状一本主義の精神に反するものというべきである。

けだし、被告人側のそのような事情は、犯罪事実その他被告人に不利益な事実と密接不可分の関係にあるばあいが多いと考えられるからである。

裁判官の予断排除を制度的に実現した起訴一本主義は、周知の如く、憲法三七条一項の「公平な裁判所」の一内容をなす。だから被告人を特定する事項だけを記載して起訴された場合に、右のような被告人側の事情を裁判所が判断することを当然の前提とするがごとき原決定は、明らかに憲法の右条文に違反し、この点からも取消しを免れないものである。

五、さらに、原決定は憲法三八条一項に違反している。           以上

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