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最高裁判所第一小法廷 平成元年(オ)1093号 判決 1993年3月11日

上告人

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

加藤和夫

外一一名

被上告人

尾村裕司

右訴訟代理人弁護士

吉田恒俊

佐藤真理

相良博美

坪田康男

北岡秀晃

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

右部分について被上告人の控訴を棄却する。

被上告人は、上告人に対し、金六四万九三〇三円及びこれに対する平成元年六月一五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴費用及び上告費用並びに前項の裁判に係る費用は、被上告人の負担とする。

理由

上告代理人岩佐善巳、同鈴木芳夫、同堀嗣亜貴、同一杉直、同星野英敏、同赤塚信雄、同田中清、同細井淳久、同山口一成、同紅野康夫、同今中一寿、同河本省三、同橋本稔の上告理由第一点について

一原審の適法に確定した事実関係は次のとおりである。

1  被上告人は、商品包装用等の紙箱の製造加工業者であるが、昭和四六年分ないし同四八年分(以下「本件係争各年分」という。)の各事業所得につき、奈良税務署長に対し、所得金額を同四六年分につき一一五万五一三六円、同四七年分につき七三万一二八三円、同四八年分につき九六万八〇九八円として確定申告(ただし、同四六年分については、修正申告)をしたところ、奈良税務署長は、同五〇年三月一日付けで、所得金額を同四六年分につき二一七万六五四一円、同四七年分につき一三七万八五六五円、同四八年分につき六四六万四三二〇円とする各更正(以下「本件各更正」といい、各別には「四六年分更正」等という。)をした。

2  本件各更正に至る経緯は、以下のとおりである。

奈良税務署長は、被上告人の本件係争各年分の所得税の調査のため、昭和四九年一一月二二日以降数回にわたり部下の税務職員を被上告人方に赴かせ、帳簿書類の提示を求めさせたが、被上告人は、奈良民主商工会の事務局員の立会いを要求してこれに応じようとしなかった。右税務職員は、同五〇年一月二三日、被上告人に対し、申告書記載以外の収入が発覚していることを告知した上、同日以降も数回にわたり、右事務局員の立会いなくして、調査に協力するよう説得したが、被上告人は右要求に固執し、これが認められるのでなければ、帳簿書類の調査に応ずることはできないとの態度に終始したため、結局右調査をすることができなかった。

そこで、奈良税務署長は、被上告人の得意先、取引銀行を反面調査して、本件係争各年分の被上告人の収入金額を同四六年分につき五七五万五六三八円、同四七年分につき五一七万六二〇一円、同四八年分につき一〇六五万六六〇四円と把握し、右各収入金額から被上告人の提出に係る申告書記載の申告額どおりの売上原価その他の必要経費を控除して、本件各更正の基礎となる本件係争各年分の所得金額を算定し、本件各更正をした。

3  被上告人は、本件各更正に対して、異議申立て及び審査請求を経て、本件各更正の取消しを求める訴訟(以下「本件取消訴訟」という。)を提起したところ、一審では請求棄却の判決を受けたが、控訴審では、昭和五八年六月二九日、所得金額において、同四六年分につき一二八万八九〇九円、同四七年分につき八六万三五四七円、同四八年分につき一五七万四七〇一円を超える部分の本件各更正を取り消す旨の一部認容の判決(以下「本件取消判決」という。)を受け、同判決は、上告がなく確定した。

4  本件係争各年分の事業所得に係る収入金額及び売上原価その他の必要経費についての被上告人の申告に係る額、更正に係る額、本件取消訴訟における奈良税務署長の主張額及び被上告人の主張額は、原判決の別表に記載のとおりであって(ただし、昭和四七年分更正額の項の④経費計の欄に「―」を、所得の欄に「1,378,565」をそれぞれ加え、同四六年分判決額の項の消耗品費の欄の「469,364」は、「469,384」の、所得の欄の「1,286,909」は、「1,288,909」のそれぞれ誤記と認める。)、本件取消判決において本件係争各年分の所得金額につき本件各更正に係る所得金額を下回る金額が認定されたのは、収入金額については、いずれも本件各更正に係る収入金額を上回る金額が認定されたが、売上原価その他の必要経費のうち、(1)同四六年分の接待交際費、消耗品費、減価償却費、給料賃金、支払利子、雑費、(2)同四七年分の接待交際費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、支払利子、(3)同四八年分の売上原価、租税公課、水道光熱費、通信費、接待交際費、修繕費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、支払利子、雑費について、本件各更正に係る金額(すなわち、被上告人の申告に係る金額)を上回る金額が認定されたことによるものである。

二原審は、右事実関係の下において、次の理由で、本件各更正のうち四八年分更正については国家賠償法上の違法性が認められるとし、被上告人の本件損害賠償請求を一部認容した。

1  本件各更正に係る本件係争各年分の収入金額は、反面調査の結果に基づくものであり、右収入金額の認定については過大認定の過誤は存在しない。

2  事業所得の金額を算定するに当たり収入金額から控除すべき売上原価その他の必要経費のうち、売上原価、消耗品費及び給料賃金を除くその余の費目については、必ずしも売上の増加がその各費目の増加を伴うことが自明であるとまではいえず、また右各費目について申告額を故意に過少申告することも通常考えられないから、帳簿等の調査を遂げないまま更正をすることが許される状況の下では、右各費目について申告額をそのまま採用したことは著しく不合理な認定方法とはいえず、右各費目の過少認定が所得金額の過大認定に反映した部分は、いまだ奈良税務署長の過失に基づくものとはいえない。

3  しかし、売上原価、消耗品費及び給料賃金については、売上の増加に伴い通常それらの出費も増加していることが考えられる。したがって、収入金額につき申告に係る額の約二倍の額を反面調査によって把握し、これを前提とする更正をする場合に、売上原価、消耗品費及び給料賃金につき、申告どおりの金額を採用すれば実額把握の理念に程遠いものとなることは、税務職員が職務経験則上容易に想到すべきところである。

4  本件において、四六年分更正及び四七年分更正については、申告に係る収入金額に対する更正に係る収入金額の増加率は、それぞれ約1.215倍及び約1.143倍にすぎないから、売上原価、消耗品費及び給料賃金につき比例的増額推計をしなかったことは、いまだ職務上の注意義務に著しく違反し、不合理な方法を選択した違法な処分と評価することはできない。しかし、四八年分更正については、右の増加率は約二倍であったのであるから、右更正のうち、売上原価、消耗品費及び給料賃金につき申告どおりの金額を採用したことによって右各費目の金額が過少認定となり、それが所得金額の過大認定に反映した部分は、奈良税務署長が職務上通常尽くすべき義務に著しく違反したことによる違法な処分というべきである。

三しかしながら、原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  税務署長のする所得税の更正は、所得金額を過大に認定していたとしても、そのことから直ちに国家賠償法一条一項にいう違法があったとの評価を受けるものではなく、税務署長が資料を収集し、これに基づき課税要件事実を認定、判断する上において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と更正をしたと認め得るような事情がある場合に限り、右の評価を受けるものと解するのが相当である。

2  ところで、所得税法は、納税義務者が自ら納付すべき所得税の課税標準及び税額を計算し、自己の納税義務の具体的内容を確認した上、その結果を申告して、これを納税するという申告税制度を採用し、納税義務者に課税標準である所得金額の基礎を正確に申告することを義務付けており(所得税法一二〇条参照)、本件のような事業所得についていえば、納税義務者はその収入金額及び必要経費を正確に申告することが義務付けられているのである。それらの具体的内容は、納税義務者自身の最もよく知るところであるからである。そして、納税義務者において売上原価その他の必要経費に係る資料を整えておくことはさして困難ではなく、資料等によって必要経費を明らかにすることも容易であり、しかも、必要経費は所得算定の上での減算要素であって納税義務者に有利な課税要件事実である。そうしてみれば、税務署長がその把握した収入金額に基づき更正をしようとする場合、客観的資料等により申告書記載の必要経費の金額を上回る金額を具体的に把握し得るなどの特段の事情がなく、また、納税義務者において税務署長の行う調査に協力せず、資料等によって申告書記載の必要経費が過少であることを明らかにしない以上、申告書記載の金額を採用して必要経費を認定することは何ら違法ではないというべきである。

3  以上によって本件をみるのに、被上告人は、本件係争各年分の所得税を申告するに当たり、必要経費につき真実より過少の金額を記載して申告書を提出し、さらに、本件各更正に先立ち、税務職員から申告書記載の金額を超える収入の存在が発覚していることを告知されて調査に協力するよう説得され、必要経費の金額について積極的に主張する機会が与えられたにもかかわらず、これをしなかったので、奈良税務署長は、申告書記載どおりの必要経費の金額によって、本件各更正に係る所得金額を算定したのである。してみれば、本件各更正における所得金額の過大認定は、専ら被上告人において本件係争各年分の申告書に必要経費を過少に記載し、本件各更正に至るまでこれを訂正しようとしなかったことに起因するものということができ、奈良税務署長がその職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と更正をした事情は認められないから、四八年分更正も含めて本件各更正に国家賠償法一条一項にいう違法があったということは到底できない。

四そうすると、右と異なる解釈の下に、四八年分更正につき国家賠償法上の違法性が認められるとした原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものであり、この違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。この趣旨をいう論旨は理由があり、他の上告理由について判断するまでもなく原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記説示に徴すれば、被上告人の本件損害賠償請求はすべて理由がないことに帰し、これと結論を同じくする第一審判決は正当であるから、右部分に対する被上告人の控訴は理由がなくこれを棄却すべきものである。

上告人の民訴法一九八条二項の裁判を求める申立てについて

上告人が右申立ての理由として主張する事実関係は、被上告人の争わないところであり、原判決中上告人の敗訴部分が破棄を免れないことは前記説示のとおりであるから、原判決に付された仮執行宣言が効力を失うことは論をまたない。そうすると、右仮執行宣言に基づいて給付した金員及びその執行のために要した執行費用に相当する金員並びにこれらに対する右支払の日の翌日である平成五年六月一五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める上告人の申立ては、正当として認容されるべきである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、一九八条二項、九八条、八九条に従い裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官橋元四郎平 裁判官味村治 裁判官小野幹雄)

上告代理人岩佐善巳、同鈴木芳夫、同堀嗣亜貴、同一杉直、同星野英敏、同赤塚信雄、同田中清、同細井淳久、同山口一成、同紅野康夫、同今中一寿、同河本省三、同橋本稔の上告理由

《目次》

第一点 国家賠償法一条一項の「違法」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法

一 原判決の認定判断

二 国賠法一条一項の「違法」と課税処分

1 国賠法一条一項の「違法」の意義

2 課税処分と国賠法一条一項の違法

3 課税処分の特質

4 課税処分と違法判断の基準

三 本件各課税処分に至る経緯等

1 被上告人の申告

2 被上告人に対する所得税調査(今回調査)

3 被上告人の所得認定の経緯

四 職務上の法的義務違背の不存在

五 結び

第二点 国賠法一条一項の「過失」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法<省略>

第三点 国賠法一条一項の「損害」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法<省略>

第四点 国賠法四条、民法七二四条についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法<省略>

第一点 国家賠償法一条一項の「違法」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法

原判決には、上告人(一審被告、原審被控訴人)の公務員である奈良税務署長が、被上告人(一審原告、原審控訴人)に係る昭和四八年分所得税の更正処分を行うに当たり、収入については反面調査により申告額の約二倍の売上げを把握した結果を採用したのに、売上原価、消耗品費、人件費については、被上告人の申告額をそのまま採用したことによって、右各費目の過少認定となり所得の過大認定を招いたことが違法であると判断した点において、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項の「違法」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決の認定判断

1 原判決は、本件について要旨次のとおり事実を認定している。

(一) 被上告人は、商品包装用等の紙箱の製造加工業者である。

(二) 被上告人は、昭和四六年分ないし昭和四八年分の各事業所得につき、原判決添付別紙(一)の各「申告」欄記載のとおり、奈良税務署長に対し、所得税の(修正)申告をしたところ、同税務署長は、昭和五〇年三月一日付けで同別紙(一)の各「更正処分」欄記載のとおり各更正処分(以下「本件各更正処分」という。)及び加算税の各賦課決定処分(以下本件各更正処分と併せて「本件各課税処分」という。)をした。これに対し被上告人は異議申立てをし、同別紙(一)の各「異議決定」欄記載のとおり異議決定がなされ、更に被上告人の審査請求に基づき同別紙(一)の各「裁決」欄記載のとおり裁決(以下「本件各審査裁決」という。)がなされた。

(三) しかし被上告人は、本件各審査裁決にも不服であったので、本件各課税処分の取消訴訟(以下「本件取消訴訟」という。)を提起し(奈良地方裁判所昭和五二年(行ウ)第八号)、第一審で請求棄却の判決を受けたが、控訴審(大阪高等裁判所昭和五七年(行コ)第三七号)は、昭和五八年六月二九日被上告人の請求を一部認容する原判決添付別紙(二)記載の主文の判決(以下「本件取消判決」という。)をなし、その後右判決は確定した。

(四) 本件各課税処分に係る各年分の収入、売上原価、経費各項目の被上告人の申告額、更正額、本件取消訴訟における奈良税務署長及び原告(被上告人)の各主張額、本件取消判決額はそれぞれ原判決添付別表記載のとおりである。

(五) 右によると収入金額については、本件取消訴訟において被上告人が自認した額(原告主張額)は各年分とも申告額及び更生額を上回るものであるところ、昭和四六、四七年分は被告主張額をそのまま認め、昭和四八年分についても争いはわずかな額にとどまっている。

そして、本件取消訴訟において収入金額が当事者間にほとんど一致をみたのは、被上告人において奈良税務署長がした具体的な反面調査の結果を争い得ないものとして事実上是認したことによるものと認められ、収入金額に関しては、本件取消訴訟における原告主張額、ひいてこれに満たない更正額は、客観的にもそれ自体としては過大認定となっていないものというべきである(なお、昭和四八年分中争いのある部分は、沢井紙器分六九万五四七五円のうちの五〇〇〇円と小切手入金二万円とであるが、いずれも判決額は被告主張額を肯認している。)。

(六) 一方収入から控除すべき売上原価及び経費のうち、本件取消判決により更正額(申告額)が過少であったと認められたものは、原判決添付別表に示すとおり、(1)昭和四六年分の接待交際費、消耗品費、減価償却費、給料賃金、支払利子、雑費、(2)昭和四七年分の接待交際費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、支払利子、(3)昭和四八年分の売上原価、租税公課、水道光熱費、通信費、接待交際費、修繕費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、支払利子、雑費である。このうち原、被告主張額に争いが生じ本件取消判決認定に持ち込まれたものについて、本件取消判決は、(1)昭和四六年分の(イ)接待交際費は昭和四七、四八年分と対比して原告主張額を採用し、(ロ)消耗品費は、一部塚谷からの購入実額を含め昭和四七、八年分の消耗品費の収入金額に対する各割合から推して、(2)昭和四七年分の(イ)接待交際費は証拠により同業者組合費二万四〇〇〇円、旅行会費一万円、広告費五〇〇〇円のほか、一か月一万円を推認し、(ロ)消耗品費は証拠により及び昭和四八年分とも対比して、(ハ)福利厚生費は証拠により、(3)昭和四八年分の(イ)消耗品費は、年中の購入分から年末在庫を差し引いたものと、昭和四七年末の残存中昭和四八年中の消費となるべき部分を推計したものを合わせ、(ロ)給料賃金(ただし、争いのあるアルバイト雇傭費五五万円部分)は証拠により原告主張額どおりに、それぞれ認定又は推計して原判決添付別表判決額どおりに認定(ただし、昭和四八年分修繕費は証拠による認定及び推計の結果、被告主張額に達しなかったため、被告主張額を採用)した。

(七) 以上によれば、本件過大認定の原因が本件取消判決により修正された売上原価(昭和四八年分)及び各経費について過少に査定したことによるところ、その原因がこれらの費目につき、奈良税務署長がいずれも申告額をそのまま採用したことによるものであることは上告人国の自認するところである。

(以上(一)ないし(七)につき、原判決二九丁表一〇行目から三二丁表五行目まで)

2 そして、原判決は、以上の事実を認定した上、奈良税務署長の行為が国賠法一条に該当するかについて要旨次のとおり判断している。

(一) 担当職員が資料の収集及びこれに基づく認定、判断において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさず、過大認定となることを予見しながら、又は予見し得べかりしにかかわらず、漫然と処分をなした場合に始めて国賠法一条の不法行為が成立するものと解する。

したがって、処分が限られた資料の下においてなされた結果、客観的に過誤を来たした場合には、処分当時、右限られた資料に基づいて処分するにつきやむを得ない事情があるときは、当該資料から通常職務担当者として何人も到達し得る判断に基づく限り、故意、過失ありとはいえないが、当該資料からも当然考慮すべき事実を安易に見逃してなされたときは、国賠法上も過失があるものといわなければならない(原判決三二丁裏一一行目から三三丁表一一行目まで)。

(二) 本件各更正処分における収入金額の査定は、反面調査を遂げた結果把握したものであるから、収入の把握に関する限り見込課税とはいえないが、売上原価及び経費については、帳簿による調査をあきらめ、申告額そのままを採用した結果本件過大認定の過誤を招いたことは前認定のとおりである。

しかしながら、奈良税務署長が本件各更正処分をするに当たり被上告人の帳簿書類の調査を欠いて次善の手段である申告書の記載をよりどころとしようとしたことにはやむを得ないものがあったと認められる(原判決三四丁裏七行目から三五丁表七行目まで)。

(三) 更正処分は可能な限り実額を把握すべきものであり、かつその認定根拠の立証責任は処分庁たる税務署長に存するのであるから、右帳簿等の調査によらないことが許される場合でも、より実額に近い数値が把握できる合理的方法が選択されなければならず、資料の収集に納税者の協力が得られなかった場合といえども、右合理的推計の努力を捨てることは許されず、その方法によれば過大認定となることを予想し若しくは予想すべかりしにかかわらず、漫然とこれを選択したことにより著しく過大な認定となった場合には、国賠法上は注意義務違反による違法な処分となるものといわなければならない(原判決三六丁表八行目から裏七行目まで)。

(四) これを本件についてみるに更正額における認定が過少と判断されたもののうち、売上原価(昭和四八年分)、消耗品費、給料賃金を除くその余の費目については、必ずしも売上の増加がその各経費目の増加を伴うことが自明であるとまではいえず、またそれらの費目について申告額に故意に過少申告をすることも通常考えられないから、それらについて申告額をそのまま採用したことについては、著しく不合理な認定方法とはいえない(原判決三六丁裏八行目から三七丁表四行目まで)。

(五) 次に前示売上原価、消耗品、人件費については通常売上げの増加に伴い、それらの出費が増加していることが考えられるので、右売上原価については、その申告額は理解に苦しむところであり、右それ自体既に修正を要すると思われる数値をそのまま採用すれば実額把握の理念に程遠いものとなることは容易に気付き得たものといわなければならず、また消耗品費、人件費についても、二倍の売上げが把握された以上、その増加が見込まれることは、むしろ税務職員の職務経験則上容易に想到すべき事実であるといわなければならない(原判決三七丁表一二行目から三八丁表一行目まで)。

(六) してみれば、本件各更正処分(昭和四八年分)においても、まず売上原価を認定売上げ一〇六五万六六〇四円に対し、前二年の収入に対する売上原価の平均比率約0.10を乗じて一〇六万五六六〇円と推計し、これに消耗品費、給料賃金の合計二八〇万六二八〇円も単純に二倍にスライドさせて五六一万二五六〇円となしておけば合計で三六五万九六四四円の控除増となっており、それは過大認定額四八九万一六一九円の全額には及ばないにしても、その過大限度を相当程度圧縮し得たと考えられないでもない(原判決三八丁表九行目から裏一〇行目まで)。

(七) このようにみてくると、昭和四八年分において、売上原価、消耗品費、給料賃金の項において売上げの二倍の増加に基づき本件更正処分をなすにかかわらず、申告額そのままを採用したことによって、右各費目の過少認定となり、それが本件過大認定に反映した部分は、その処分に当たった担当職員が職務上通常尽くすべき義務に著しく違反した違法な処分であったとみなければならない(原判決三八丁裏一〇行目から三九丁表四行目まで)。

3 原判決は、以上のとおり認定判断して、本件各課税処分のうち昭和四八年分について国賠法一条一項の違法を肯認したものである。

4 しかしながら、原判決は、税務署長が課税処分を行うに当たって課せられる職務上の法的義務の内容及び課税処分に関する国賠法一条一項の違法性の解釈及び判断基準を誤り、違法判断の基礎となるべき事実の認定に当たって審理を尽くさなかった結果、本件における奈良税務署長の行為を違法と誤って判断したものである。

以下その理由を述べることとする。

二 国賠法一条一項の「違法」と課税処分

1 国賠法一条一項の「違法」の意義

国賠法一条一項は、公務員の公権力の行使に基づく国家賠償請求権の成立要件の一つとして「違法」を掲げているが、そこにいう違法が何を指すのかについては、同法制定当初から様々な定義がなされ論争が繰り返されている。特に右の「違法」と民法七〇九条所定の「権利侵害」が同義であるのか否か、換言すれば、両者における違法性の概念にいわゆる違法性の種差が存するのかどうかについては、かねてより見解の分かれるところである。

しかしながら、学説が今日到達したところによれば、国賠法一条一項に定める違法と民法七〇九条所定の権利侵害とは、立法の経緯に照らすと同義であるけれども、公権力の行使には本来的に一定の法益に対する侵害が予定されていることから、国賠法一条一項の違法を論ずるに当たっては、民法七〇九条にいう権利侵害とは多かれ少なかれ異なった特質を承認せざるを得ないとされている。

すなわち、民法七〇九条については、現今の通説的見解は権利侵害をもって違法な行為の一徴表に過ぎないと解し、右にいう違法性は被侵害利益の種類、性質と侵害行為の態様との相関関係において決せられるべきものと解している(相関関係説)。右のような理解は、固有の意味での権利侵害がなくとも不法行為的保護を与えるにふさわしい法益の侵害があれば、それをも民法七〇九条の適用領域に加えようとする考え方に由来しており、固有の意味における権利侵害があれば、私人相互間においては元来他人の権利を侵害することが許されていない以上、加害者側において特段の違法阻却事由を証明しない限り、不法行為責任を負うことは自明の理であるとされている。

これに対し、国賠法一条一項については、国又は地方公共団体と私人は治者対被治者の関係にあることが前提となっていることから、権利侵害即違法の図式は妥当しない。公権力の行使は、本来国又は公共団体の統治権に基づく優越的、高権的な意思作用であり、それを行使すればほとんど常に権利侵害を伴うものであるが、そのことは、公権力行使の根拠法令それ自体によって予定され、許容されている。刑事司法作用や刑務所収監作用を想起するまでもなく、公権力の行使は、生命、自由、財産のはく奪や制限という、私人相互間ではおよそ許容され難い重大な権利侵害が適法行為として予定されているのである。

それゆえ、国家賠償責任を論ずるに当たっては、権利侵害の事実をもって直ちに違法性評価の契機ないし基準とすることはできず、当該公権力行使の根拠規範(行為規範)の目的、内容に照らし、当該権利侵害が、法の予定している行為の種類、態様を逸脱しているか否かが違法性判断の基準とされるべきものである。換言すれば、国賠法一条一項の違法とは、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することをいうものと解すべきである(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二ページ)。

2 課税処分と国賠法一条一項の違法

これを課税処分についてみるに、課税処分が国賠法上違法であるか否かは、その根拠規範である関係租税法規等の目的、内容に照らし、法の予定する租税賦課処分の種類、態様を逸脱しているか否か、換言すれば、当該税務署長が、当該納税者に対して負担する職務上の法的義務に違背したかどうかによって判断しなければならない。

そして、税務署長が課税処分を行うに当たっては、納税者による確定申告の内容及び税務調査等により収集した証拠資料を基礎とし、これらを総合勘案して心証を形成し課税要件事実の存否を認定し、これに関係法規を解釈適用して処分を行うのであるから、課税処分が国賠法上違法となるか否かは、税務署長が、当該課税処分をなすにつき、証拠資料の収集及びこれに基づく認定判断において、納税者に対し負担する職務上の法的義務に違反したか否かによって決せられるべきものである。

しかして、右のような職務上の法的義務違背の存否を判断するに当たっては、以下に述べるような課税処分の特質、すなわち、申告納税制度の意義、税務調査の裁量性・困難性及び所得認定の相対的性格等を考慮し、処分時を基準として、いかなる場合に違法となるかについて慎重に検討されなければならない。

3 課税処分の特質

(一) 納税義務は、法律の規定する課税要件の充足によって自動的に成立するが、それは客観的・抽象的なものであって、その具体的数額は、課税行政庁又は納税者の一方が、課税要件事実を把握して関係法規を適用し、課税基準と税額を計算して相手方に通知することにより具体的に確定される。国税についての納税義務の確定は、国税に関する法律の定める手続により行われる(国税通則法一五条一項)。右法律の定める手続として、申告納税方式と賦課課税方式がある。

申告納税方式とは、納付すべき税額が納税者の行う申告により確定することを原則とするのであり、申告がないか又は申告に係る税額の計算が国税に関する法律の規定に従っていなかった場合その他税額が税務署長の調査したところと異なる場合に限り、税務署長の更正又は決定により確定する方式をいうのである(同法一六条一項一号)。そして、納税義務が成立する場合において、納税者が、国税に関する法律の規定により、納付すべき税額を申告すべきものとされている国税が、申告納税方式により確定される(同条二項一号)。

申告納税方式は、課税要件事実を最もよく知しつしその具体的な把握が可能な立場にある納税者自身から課税の基礎資料を提供させることが正確かつ能率的に納税義務を確定させる上で有益であり、徴税効率を高める点においても優れていることから法制度として採用されたものである。それは、国民の納税義務の意識と正確な記帳に基づく自主的な納税協力及び課税行政庁と納税者との信頼関係の確立を理念的な前提とするものである。すなわち、申告納税方式が円滑に機能するためには、納税者が課税標準等、税額等を正確に計算するために必要な帳簿書類を備え付け、継続的に正確な記帳をするとともに正しい申告を行うことが要請されるのである。

しかしながら、現実にはすべて納税者が右のような自主的な納税申告をすることは期待し得ないのであって、不適正な申告(過少申告)や申告の懈怠(無申告)がなされるため、課税行政庁に対し更正等の課税処分を行う権限を付与し、もって公平、適正な課税を実現することとしているものである。このように、課税処分は、申告納税方式の下において申告納税を維持確立し、公平かつ適正な課税を実現するための補充的、担保的手段として機能するものである。

(二) 税務署長は、申告に係る課税標準等又は税額等がその調査したところと異なるとき、若しくは申告がない場合はその調査により、それぞれ課税標準等及び税額等を更正若しくは決定する(国税通則法二四条、二五条)。すなわち、税務署長は、課税標準及び税額等を認定するに当たって、自ら証拠資料を収集し、関係証拠を分析評価し、認定事実に租税法規を解釈、適用して更正、決定等を行うものである。税務調査は、納税者の周辺に生起した社会的事実のうちから課税要件に該当する事実を選別把握して証拠資料を収集し、事実を認定して法令を解釈、適用する一連の行為をいうのであって、課税処分の不可欠の前提手続として機能するものである。

税務調査において、いかなる証拠資料をいかなる方法でどの範囲まで限られた時間的制約の下で適確に収集するかについては、対象が種々様々の業態で複雑に営まれる経済活動であることに加え、租税の回避を目的とした諸取引が相当に行われている状況の中にあっては、極めて専門的、技術的な裁量判断が要請されることはいうまでもない。調査対象者の業種業態、帳簿書類の記帳状況、取引資料の保存状況、更には納税者の調査協力の程度等により、資料収集の方法、範囲、態様等が臨機応変に異なるものとなる。また、収集した資料については、各資料の突合、矛盾する資料の検討、所属業種の商況についての分析等、それぞれの事案に即した調査が行われるのである。

しかしながら、納税申告が大量に、毎年度反復して、しかも特定の時期に集中して行われるのに対応して、課税処分が大量かつ回帰的なものとなり、当初の処分が必ずしも十分な資料と調査に基づいてされ得ない場合があることは避け難いところであり、課税処分に対する不服申立制度もこれを前提としているのである。特に、税務調査によって収集し得る証拠資料の内容いかんは、納税者の税務調査に対する協力の有無、内容及び程度によって大きく影響を受けるものであり、税務調査はその性質上納税者側の事情による制約を受けざるを得ないのである。

換言すれば、税務調査においては、納税者からの継続的な記帳に基づく正確な資料の提供が最も強く要請されるのであって、万一納税者の協力が充分に得られない場合には、収集し得る資料の内容、程度は必然的に限られたものとなり、ひいては課税要件事実の認定に誤りを来す結果となるのである。しかも、税務署長は、税務調査に伴う権限として、いわゆる強制調査権を有していない。課税要件事実に関し関係者に質問し関係物件を検査する権限、すなわち質問検査権を有する(所得税法二三四条、法人税法一五三条等参照)が、これはいわゆる任意調査の範ちゅうにとどまるものであって、納税者の任意の協力、同意が得られない以上、税務調査の実効性は期し得ないのである。このように、税務調査においていかなる内容、程度の資料を収集し得るかは、納税者がいかに税務調査に協力するかにかかっているといっても過言ではない。

(三) 税務署長は、税務調査によって収集し得た限りの直接、間接の証拠資料に基づいて当該納税者の所得を認定し、課税処分を行う。そして、ここにいう「所得」とは、納税者の客観的な真実の所得を指向するものであることはいうまでもないが、現実には、税務署長の認定に係る所得は常に納税者の客観的な真実の所得に一致し得るものではなく、税務署長の所得認定の正確性、換言すれば客観的な真実の所得との比較における近似性(かい離性)は、課税処分時までに収集し得た証拠資料の内容及び程度に大きく左右されるものである。すなわち、税務署長の認定に係る所得は、収集し得た証拠資料の内容、程度がより完全であればある程客観的に真実の所得に接近するのに対し、それが限られれば限られる程真実の所得からかい離する可能性が大きくなるのである。

このように、税務調査に基づいて認定する所得は、客観的な真実の所得を指向するものではあるが、いわゆる実額課税、推計課税を問わず、実際には必ずしもこれと一致し得るものではなく、その正確性は課税処分時までに収集し得た証拠資料の内容及び程度との関係において相関的に定まらざるを得ないのであり、この意味において、税務署長による所得の認定は、相対的なものにとどまらざるを得ないのである。以下、この所得認定の相対的な性格について更にふえんして述べることとする。

(四) 右に述べた所得認定の相対的性格は、いわゆる推計課税においてはますます顕著となる。

税務署長は、推計により更正、決定をすることができる(所得税法一五六条、法人税法一三一条)。

この推計課税は、納税者が帳簿書類を備え付けず、帳簿書類の内容に信憑性がなく、あるいは納税者が調査に協力せず帳簿書類の提出を拒むことにより、所得の認定に必要と認めらる直接的資料を収集することができず、いわゆる実額課税を行うことが困難である場合に、例外的、補充的な所得認定方法として認められるものである。

推計による所得の認定は、税務調査により把握された一定の基礎数値(収入金額、必要経費の全体又は特定の項目の数値)を基に一定の合理的算式によって納税者の所得金額を推算する方法を用いて行うもので、より間接的な基礎資料に基づき間接的な認定方法によるものである点に特色がある。

しかしながら、推計課税といえども、所得の認定を行うためには、一定の基礎数値を把握するに足りるだけの基礎資料を収集しなければならず、その点において実額課税の場合と程度の差こそあれ異なるものではない。推計による所得認定の正確性も、いかなる内容の基礎資料を収集し得るか、ひいて納税者の納税調査に対する協力の程度に決定的に左右されるものである。殊に、納税者が調査に非協力であって基礎資料が極めて限定されざるを得ない場合の推計課税にあっては、一般に所得認定の正確性を期待することはできず、その認定に係る所得が真実の所得に一致するものでないことはむしろ自明の理であるといっても過言ではない。

このように推計による所得の認定はより間接的な資料と方法によって行うものであるため、右に述べた所得認定の相対的性格はますます顕著となるのである。

(五) 納税者の税務調査に対する対応は、調査に全面的に協力するものから、所得を隠蔽、仮装した上表面的には協力を装うもの、税務職員による帳簿書類等の調査を拒否はしないが積極的に協力もしないもの、民商事務局員等の第三者の立会いを要求して事実上調査を拒否するもの、さらに一切の調査を拒否するものまで様々である。

しかるところ、納税者の中には、あらかじめ税務調査に協力せず、税務署長による調査及び限られた資料に基づく更正処分の内容、結果をみて(修正申告のしょうようがある場合には、右しょうよう額をみて)、それが自己の意図する所得金額(通常、納税者の認識する実額を下回るのである。)を上回る場合には、異議申立て、審査請求に及び、逆の場合には右更正手続を受け入れるという態度に出るものが跡を絶たず、かかる不誠実な納税者を含め、調査に非協力な納税者に対する税務調査は困難を極める状況にある。

(1) 収入金額は、納税者が帳簿書類を提示しない場合、納税者の取引先に対する反面調査により把握するが、納税者の提出に係る申告書等には個別の取引先の記載がされないため、まず、右取引先の存在を把握するための端緒を得ることから始めざるを得ない。例えば、臨場現場である納税者の自宅、事業所等において、黒板のメモ、電話早見表(得意先の電話番号を抜き書きしたもの)、カレンダー、マッチ等目に触れるものから取引先、銀行取引などを把握する端緒を最大限の注意力をもって収集するのである。さらに、納税者の事業所等に出入りする者を観察し、あるいはその近所や同業者に対する聞き込みを行うなどし、出入りの業者や取引銀行の担当者を把握する等の方法を採らざるを得ないこともある。

このようにして取引先を把握した場合、次に、取引先に対する臨場調査や書面、電話による照会等いわゆる反面調査によって納税者に関する取引の時期、内容、金額、決済状況等を把握することとなるが、取引先の中には、帳簿書類が不備である等の理由でその把握が不可能であるものや、納税者との関係を重んじあるいは納税者からの圧力によって、回答を拒否したり、虚偽の回答をするものもある。

また、取引先をより完全に把握するため、反面調査により把握した取引のうち小切手、手形ないし銀行振込により決済が行われているものを抽出し、納税者の既把握の預金口座に入金となっていない小切手等の決済分につき当該小切手の振出銀行に対する反面調査を行い、その取立銀行及び取立預金口座を把握する。さらに、当該銀行に対する反面調査により当該預金口座に小切手、手形により入金がなされているものを把握し、その振出人を解明することによって新たな取引先を把握し、これらの繰り返しによって取引先、取引内容を解明していくのである。

しかし、取引先との決済が小切手等によらず現金により行われている場合は、その取引先の解明は極めて困難となる。たとえば、決済日と目される日に多額の現金入金があり、それが売上金額である疑いがあっても、取引先が判明せず、その確証が得られない以上、売上金額に算入することはできないのである。

さらに、仮名により売上げ等の取引や預金口座の開設を行う場合が往々にしてあるが、このような仮名取引は、銀行調査に際し、保存資料中に預金利息計算書等その把握の端緒となるべきものが混在していたり、実名預金口座から仮名預金口座への入金がある場合の入出金伝票の記載などから偶然に把握し得るほかは、それを把握する機会はほとんどないといってよい。これは、銀行側が、顧客である納税者の不利に働く事実を進んで税務官庁に開示することは期待し得ない現状にも起因しているところである。

(2) 必要経費については、納税者から一定の主張及び基礎資料の提供がなされ、その適否の判断をするにとどまる場合がほとんどであるが、納税者の申告のほかにその主張がなされない場合には、これを把握することは困難を極めることとなる。

まず、租税公課、通信費及び支払利子等については、支払先が官公庁等であるため、反面調査によりこれを把握することに格別の困難は伴わない。

しかし、荷造運賃、接待交際費、修繕費、消耗品費及び福利厚生費等不特定多数の支払先があるものについては、支払先が判明しない限り実額の把握は不可能であり、また、支払先が判明した場合でも、支払が掛払いの方法でなされ支払先でその旨記帳されているもの以外にはその把握は極めて困難となる。

次に売上原価、消耗品費については、その一部が期首、期末において在庫として残存するので、当該年分の仕入れ額に期首在庫高を加算し、期末在庫高を減算して当該年分の必要経費額を算定するのが相当であるが、中小の個人事業者の場合には、記帳慣習に乏しいため、在庫の計算自体正当になされておらず、右の方法による必要経費額の把握が不可能である場合がほとんどである。

また、人件費については、中小の個人事業者の場合、現金で支給されることが通常であり、従業員の就業状況及び現金出納の状況が正確に記帳されていない限りその把握は困難である。その場合には、従業員から直接現金支給の状況を聴取するほかはないが、当該従業員が過去の給与支払明細を所持している例はほとんどない上、そもそも従業員に対し現実の雇用主に不利に働くような事実を進んで税務官庁に説明するよう求めること自体望めないため、従業員からの聴取によってはその全貌を解明することは困難といわざるを得ない。

なお、中小の個人事業者の場合、給与等の支払に係る所得税の源泉徴収義務を負担するにもかかわらず、現実にこれを行わないものも多く、また、これらの従業員の中に所得税確定申告等を行うものもほとんどないため、これらの面から給与等の支払の事実を把握することも困難である。

以上、要するに、必要経費は、その支払を継続的かつ正確に記録した帳簿書類等によって初めて、その全貌を把握し得るものであり、納税者の非協力により右帳簿書類等が提供されない場合には、収入金額における場合よりも一段とその把握が困難となるのである。

(六) 税務署長は、以上の税務調査の結果に基づいて納税者の収入金額、必要経費を認定する。

まず「いわゆる青色申告決算書(青色申告書に添付すべき貸借対照表及び損益計算書、事業所得等の金額の計算に関する明細書若しくは純損失の金額の計算に関する明細書(所得税法一四九条、同法施行規則六五条一項一号ないし三号)を指す。)又はいわゆる収支内訳書(白色申告書に添附すべき事業所得等に係るその年中の総収入金額及び必要経費の内容を記載した書類(同法一二〇条四項、同法施行規則四七条の三第一項一号、二号)を指す。なお、同法一二〇条四項は昭和五九年法律第五号により追加されたもので、それ以前は収支内訳書の提出は任意的なものであった。)が提出されている場合には、当該明細書等に記載された収入金額、必要経費の数値を一応の前提として調査を行う。

そして、右数値について、真実納税者の帳簿書類等の基礎資料に基づいて記載されたものであるか否か、納税者の業種、業態等からみて妥当なものか否か等の諸点から検討を加えた上、信憑性があると判断される場合にはこれを是認し、信憑性が認められない場合には推計課税に移行することとなる。

この信憑性の判断は、右のとおり様々な観点から行われるが、例えば、一定の売上除外分を把握することにより、右明細書等に記載された収入金額の数値は過少であることが判明した場合、必要経費については、右売上除外分に対応すると考えられる金額が申告に反映されていないことが明らかであれば格別、そうでない以上申告額を是認するのが通常であり、なおこれを推計して申告を上回る金額を控除する扱いは一般の実務では採用するところではない。

けだし、納税者が調査に非協力であればある程、限られた資料に基づいて所得を認定せざるを得ず、所得認定の相対的性格は顕著となるのであって、納税者が全く帳簿書類等を提示しない場合に、自己の必要経費を最もよく知しつしているはずの納税者が自ら申告した数値にそれなりの信憑性が認められると判断しこれを採用することにも一応の合理性は認められるからである。

税務署長は、右の検討を経て、納税者の申告に係る数値に信憑性が認められないと判断したときは、推計により所得を認定するのである。

(七) 課税処分取消訴訟における所得に関する主張立証責任は原則として課税行政庁にあるとするのが通説的見解である。

しかし、近時、課税要件事実に関する証拠との距離を考慮に入れると、この原則には利益状況に応じて修正を加える必要があるとする見解が有力に主張されており(金子宏「租税法第二版」五六五ページ等参照)、必要経費に関する主張立証責任は原則として課税行政庁にあるが、特別経費(大阪高裁昭和四六年一二月二一日判決・税務訴訟資料六三号一二三二ページ、東京地裁昭和三三年二月一五日判決・行裁例集九巻二号一七三ページ、大阪地裁昭和四三年四月二六日判決・行裁例集一九巻四号七九六ページ、神戸地裁昭和五三年九月二二日判決・訟務月報二五巻二号五〇一ページ)や、簿外経費(高松高裁昭和五七年三月一八日判決・訟務月報二八巻六号一二二五ページ、東京地裁昭和五二年七月二七日判決・同二三巻九号一六四四ページ)については納税者の側に主張立証責任があると解すべき場合が多く、また、原告が課税行政庁の認定額を超える多額の必要経費の存在を主張しながらその内容を具体的に指摘しないため、課税行政庁がその存否及び金額について検証の手段を有しない場合(広島高裁岡山支部昭和四二年四月二六日判決・行裁例集一八巻四号六一四ページ、福岡高裁昭和六〇年八月二九日判決・行裁例集三六巻七=八号一二五二ページ)や、確定申告書記載の課税要件事実をその申告者が争う場合(最高裁昭和三九年二月七日第二小法廷判決・訟務月報一〇巻四号六六九ページ、広島地裁昭和三五年一月二五日判決・行裁例集一一巻一号八八ページ、高松地裁昭和五〇年七月一日判決・訟務月報二一巻九号一九六二ページ)にも主張立証責任は原告が負うものと解すべきであるとする裁判例も少なくない。

右の裁判例、学説は、自主申告制度を基本とする我が国税制のもと、証拠との距離、立証の難易等当事者間の公平の見地から一定の場合に課税行政庁が主張立証責任を免れることを認めようとするものである。

右の見解は、前述した所得認定の相対的性格という問題、すなわち、所得認定の正確性は納税者の税務調査に対する協力の程度如何により左右されざるを得ないという問題を訴訟上の主張立証責任の場面に投影したものということができる。両者は、それぞれ実体上(所得の過大認定)又は訴訟上(主張立証責任の負担)、納税者が課税庁に対し非協力であることによって、一定の不利益を受忍しなければならない場合があることを承認する見解である点で軌を一にするからである。

したがって、右の見解の趣旨は、税務署長が課税処分を行う場面においても、同様に妥当するものというべきである。殊に、右最高裁判所昭和三九年二月七日第二小法廷判決が「申告納税の所得税にあっては、納税義務者において一たん申告書を提出した以上、その申告書に記載された所得金額が真実の所得金額に反するものであるとの主張、立証がない限り、その確定申告にかかる所得金額をもって正当のものと認めるのが相当である」旨判示していることを考慮すると、税務署長は、本件のように、納税者から申告に係る必要経費以外にその主張がなく帳簿書類の提示もない場合においては、申告を上回る必要経費はないものとして申告額をそのまま採用することも許されるものと解すべきである。

4 課税処分と違法判断の基準

税務署長は、課税処分を行うについて、所得認定の相対性の幅の中で、換言すれば税務署長に付与された所得認定の裁量の範囲内で、処分時までに収集し得た証拠資料に基づき、合理的な方法により所得を認定すべき職務上の法的義務を負担しているものと解される。

そして、右にいう所得認定の相対性の幅は、納税者の非協力によって処分時までに収集し得る資料が限られ、その認定の方法及び証拠資料がより間接的なものになればなる程拡大し、税務署長の負担する義務の内容、程度は、それに応じ、より縮小する関係にあり、かかる場合に、仮に所得の認定が結果的に過大であったとしても、それが右にいう相対性の幅の中で、すなわち証拠資料に基づき合理的な方法によりなされたものである以上、税務署長に職務上の法的義務違背は存しないといわなければならない。

これを違法判断の基準という観点からいえば、これまで述べた課税処分の特質、すなわち、申告納税方式の意義、税務調査の裁量性・困難性及び所得認定の相対的性格等に照らすと、税務署長のなした課税処分が国賠法上違法となるか否かは、納税者の申告内容、帳簿書類の正確性・信頼性、業種業態の性質、税務調査の内容、納税者の協力の程度及び証拠資料収集の難易等を総合的に考慮した上、税務署長として当然に要請される証拠資料の収集を怠り、あるいは明らかに不合理な証拠評価によって事実を誤認する等、通常の税務署長としてはおよそ許容することができない職務上の法的義務違背があったか否かを基準として判断すべきである。

以下、これを本件について検討することとする。

三 本件各課税処分に至る経緯等

本件各課税処分に至る経緯等は次のとおりである。

1 被上告人の申告

(一) 被上告人は、奈良県天理市<番地略>において「大和紙工」の屋号によりトムソン機による紙函加工の賃加工業を営み、所轄奈良税務署長から青色申告の承認を受けていた者であるが、同税務署長に対し、昭和四六年ないし昭和四八年分の所得税につき、それぞれ期限内の確定申告書(青色申告決算書添付)を提出した。

(二) なお、そのうち昭和四六年分については、奈良税務署長の所得税調査に基づく修正申告である(<書証番号略>)。

すなわち、奈良税務署長は、昭和四七年一一月、被上告人の昭和四六年分所得税調査を実施したところ、申告漏れ売上金額七一万四九二二円を把握し、本人より申立てのあった雇人費の圧縮分のうち一部を認容して調査を終了し、被上告人は、昭和四六年分所得税について右修正申告書を提出したものである(<書証番号略>)。

2 被上告人に対する所得税調査(今回調査)

(一) 奈良税務署職員である平林調査官(以下「平林」という。)ほか二名は、被上告人の昭和四六ないし四八年分所得税調査のため、昭和四九年一一月二二日から昭和五〇年二月一九日までの間、前後約一〇回にわたり、被上告人宅へ臨場し、被上告人に対し、右各年分の収入金額及び必要経費を明らかにし得る帳簿書類の提示を求めた。被上告人はこれに対し、その都度民商事務局員の加藤を同席させてその調査立会い方を要求したため、平林らは、右立会い要求を拒否するとともに(なお、右立会い要求の拒否が正当であることは、最高裁昭和四八年七月一〇日第三小法廷決定・刑集二七巻七号一二〇五ページ、最高裁昭和五八年七月一四日第一小法廷判決・訟務月報三〇巻一号一五一ページ、大阪高裁昭和五八年四月二二日判決・税務訴訟資料一三〇巻一七五ページ等の趣旨に徴しても明らかである。)、被上告人に対し、加藤を立ち退かせて帳簿書類を提示するよう繰り返し説得したが、被上告人は、平林らの右説得に全く耳を貸そうとはしなかった。そのため平林らは、当初の段階で被上告人に対し、①被上告人方の事業内容は紙箱の賃加工業であること、②売上げ及び仕入れの概況、③取引銀行の存在、④借入金の状況、⑤家族構成、⑥帳簿の備付状況及び原始記録の存在等につき聴取を行ったほか、⑦機械の台数及び稼働状況、⑧従業員数及び⑨原始記録である売上げに関する請求書控及び経費に関する領収書若干の存在等を確認したのみで、被上告人方の帳簿書類を検査することは全くできず、具体的な取引先を把握することができなかった(<書証番号略>)。

(二) そこで平林らは、被上告人に対する調査と並行して反面調査を行うこととし、まず金融機関調査を実施したところ、南都銀行天理支店、同銀行丹波市支店(現在は同銀行天理支店に吸収されている。)、中京相互銀行天理支店に被上告人名義の普通預金口座を、南都銀行天理支店及び同銀行丹波市支店には武田みどり名義の仮名普通預金口座を、中京相互銀行天理支店にも同じく武田真理子名義の仮名普通預金口座を、さらに、天理農業協同組合には、被上告人の娘の尾村枝里(昭和四六年八月三日生)名義の普通貯金口座を把握し、右各普通預貯金口座の日々の入出金状況を調査したところ、別表4の「取引先」欄記載の各取引先(売上先)が判明し、右売上先に対し、被上告人との取引金額(売上金額)について照会等をなしたところ、係争各事業年分の各取引先別売上金額は、同別表の「原処分」欄記載のとおりであることが判明した(<書証番号略>)。

(三) 平林らは、右のとおり金融機関調査によって売上漏れを把握していたため、それ以外にも売上除外が存在するのではないかと考え、被上告人に対し、帳簿書類の提出に応じ調査に協力するよう鋭意説得したが、被上告人はこれに応じようとしなかった(<書証番号略>)。

3 被上告人の所得認定の経緯

(一) 平林は、以上の調査に基づき、被上告人の昭和四六ないし四八年分所得税につき次のとおり所得金額の算出及び処分内容の検討を行った。

(1) 売上金額について

申告に係る収入金額を度外視し、前記仮名預金を含む普通預貯金口座を手掛かりに把握した売上先に対する反面調査により、零から売上額を積み上げていった結果、別表4の「原処分」欄記載の売上金額が把握された。

(2) 必要経費について

必要経費は、その支払を継続的かつ正確に記録した帳簿書類等によって初めて、その全貌を把握し得るものであるが、本件においては納税者である被上告人から帳簿書類等の資料の提示や説明がなされなかったため、被上告人の提出に係る青色申告決算書(<書証番号略>)に記載された必要経費額について検討したところ、次のとおり特に不審と思われる点は見い出せなかったことから、被上告人の申告額によることとした。

① 被上告人の営業は賃加工業であり、経験的にみても不正申告の形態としては一〇〇パーセント売上除外であり、経費の圧縮は考えられないこと(<書証番号略>)。

② 青色申告決算書には、経費は端数まで出されており、給与も年々増加していたこと(<書証番号略>)。

③ 前回の調査時(昭和四七年一一月に行った調査)においても、被上告人から帳簿書類に基づいて計算しているといわれており、今回の調査においても、資料は存在する旨いわれていたこと(<書証番号略>)。

なお、一般に所得はできる限り実額で把握すべきであり、相手方が非協力のため帳簿書類、原始記録の調査ができない場合でも、被調査者と全く同一規模の同業者の存在は考えられず、近似性の点で問題が生ずる場合がある上、現に奈良税務署管内で被上告人と同一の事業を営む者で事業規模の類似している者の検討を一応行ったものの、規模(収入金額)に類似同業者を見つけ出すことはできなかったため、推計による経費の認定は行わなかった(<書証番号略>)。

(二) 以上により、平林は、被上告人の昭和四六ないし四八年分の所得税調査結果に基づき、収入金額については取引先等に対する反面調査の結果により把握された金額を、また、必要経費については被上告人の提出に係る青色申告決算書に記載された金額をそれぞれ採用することとして、別表1ないし3の「更正額」欄記載のとおり所得金額を算定した。

そして、奈良税務署長は、右調査結果に基づき、昭和五〇年二月二七日付けで所得税法一五〇条一項一号により被上告人の昭和四六年分以降の所得税の青色申告承認の取消処分をするとともに(<書証番号略>)、同年三月一日付けで本件各課税処分をしたものである。

四 職務上の法的義務違背の不存在

1 奈良税務署長は、前述のとおり、被上告人の業態が紙箱製造の賃加工業であり、経験的にみても不正申告の形態は売上除外によるものがほとんどであり、経費の圧縮によるものは考えられないこと、被上告人は青色申告の承認を受けて青色申告書を提出した者であって、帳簿書類の記録、保存義務を負っており(所得税法一四八条一項)、本件における税務調査に対して帳簿書類を提示しなかった場合でも、その記帳自体は励行しているはずである上、被上告人の提出に係る青色申告決算書に記載された数値をみると、必要経費は端数まで記載され、給与の額も年々増加しており、前回の調査時においても、被上告人から帳簿書類に基づいて計算している旨の申立てがあり、今回の調査においても、被上告人から資料は存在する旨の説明があったこと等から、右青色申告決算書は被上告人が記帳、保管する帳簿書類に基づいて記載されたものと判断されたこと、被上告人は、担当官平林から仮名預金等の売上除外分が把握された旨知らされていたにもかかわらず(<書証番号略>)、必要経費に関し何らの申立てもしていないこと等の事実を考慮し、被上告人の申告に係る右数値に信憑性が認められるものと判断し、これを採用したものであって、右判断には合理性が認められるというべきである。

2 これに対し、原判決は、前述のとおり、「売上原価、消耗品、人件費については通常売上の増加に伴い、それらの出費が増加していることが考えられるので即ち、右売上原価については、その申告額は(中略)右それ自体既に修正を要すると思われる数値をそのまま採用すれば実額把握の理念に程遠いものとなることは容易に気付き得たものといわなければならず、また消耗品費、人件費についても(中略)その増加が見込まれることは、むしろ税務職員の職務経験則上容易に想到すべき事実であるといわなければならない。」(原判決三七丁表一二行目から三八丁表一行目まで)旨判示するが、右判断は、次に述べるように紙箱の賃加工業という被上告人の業種業態の特殊性を看過し、税務職員の職務経験則自体に対する理解を誤ったものといわざるを得ない。

(一) 売上原価について

被上告人の営む紙箱の賃加工業は、取引先(注文主)から材料として印刷済みのダンボール箱の提供を受け、トムソン機なる機械によりこれを裁断加工し、その手間賃を報酬として受け取ることを一連の業務内容とするものであるところ(<書証番号略>)、かかる賃加工業は、自ら材料仕入れを行わず加工処理によって利益を得る業態であるから(行政管理庁発行・昭和五九年一月改訂「日本標準産業分類」八八ページ参照)、そもそも売上原価(仕入材料費)というものは想定されないものであり、被上告人の業態も、現に右のような形態の取引が大半を占め、紙込みで売る、すなわち材料仕入れを伴うものは約一割に過ぎなかったことが認められる(<書証番号略>)。

このように、主として賃加工業を営む業態の場合には、売上原価が売上金額に比例して増減するものでなく、また、右のように売上原価を一般に想定することができない賃加工業において過少申告を企図する場合、売上除外の手段により収入金額を圧縮することが容易であって、必要経費を圧縮する必要性に乏しいため、その圧縮は通常考えられないとするのが課税実務上の経験則である。ちなみに、別表1、2記載の被上告人の昭和四六、四七両年分の申告額、更正額、判決額を対比すると、収入金額が、昭和四六年分につき申告額四七三万円余、更正額五七五万円余、判決額六五一万円余と、昭和四七年分につき申告額四五二万円余、更正額五一七万円余、判決額六七九万円余といずれも順次増額されているのに対し、売上原価は申告額と同じ各四五万円余と五三万円余のままとされており、売上額と売上原価との間に比例関係が存するものとはされていないのである。

(二) 消耗品費について

被上告人の営む紙箱の賃加工業においては、消耗品は機械の替刃及び工具程度であり、まとめ買いによる在庫ということも考えられ、年度によって偏ることもあるため、消耗品費が必ずしも売上金額に比例して増減するものではないということができ(<書証番号略>)、またその金額自体少額であるので、圧縮する意味自体ないのが通常である。

この点、別表1ないし3の各「判決額」欄記載の収入金額と消耗品費の対応関係をみると、昭和四六年分は収入金額六五一万円余に対し消耗品費四六万九三八四円(対収入金額比約7.20パーセント)、昭和四七年分は収入金額六七九万円余に対し消耗品費三九万七六〇一円(同約5.86パーセント)、昭和四八年分は収入金額一〇八四万円余に対し消耗品費九二万五七七六円(同約8.53パーセント)となっており、その比率は一定でなく、また消耗品費の絶対額も比較的少額である。

(三) 人件費について

奈良税務署長は、被上告人の提出に係る青色申告書(<書証番号略>)の「給料賃金の内訳」欄記載の雇人別の給料賃金額を検討し、同欄に氏名、年齢、合計支給額が記載されていたこと、担当職員平林の当時の給料と比較し、また被上告人の営業地が農村地帯であり所得水準は都市部に比較して低いことを考慮し、妥当なものと思われたこと、昭和四六年から四八年にかけて各人分は順次昇給していたこと等から、右数値に特に不審は認められない旨判断したものであり(<書証番号略>)、そのほか、賃加工業者の場合、事業規模に変化がない以上雇人の増加も想定し難いところ、右青色申告決算書の「減価償却費の計算」欄の記載によれば昭和四六年から四八年までの間、機械類の増加が全く認められないことも考慮されたことがうかがわれる。

また、中小の個人業者の場合には、事業主本人やその家族によるものが労働全体に占める割合も高く、雇人費が増加しない場合であってもこれらの者の時間外労働により収入の増加をもたらす場合もある(<書証番号略>)。この点、被上告人方では、忙しい時には被上告人の妻も仕事を手伝い(<書証番号略>)、被上告人一人で夜遅くまで残ることもあり(被上告人の原審における昭和六二年九月八日付け本人調書(<書証番号略>)一八項)、被上告人もその妻も夜中の一時、二時まで残業したこともある(<書証番号略>)というのである。

さらに、昭和四八年にはいわゆる第一次オイルショックが発生し、紙製品が高騰したことは公知の事実であるところ、被上告人の同年分の売上額が増加したのはオイルショックによって紙製品が飛ぶように売れたためであり(<書証番号略>)、また、担当官平林もオイルショックによる紙製品の異常な高騰のため被上告人の同年分売上高も異常に高くなったものと認識していたものである(<書証番号略>)。

以上を要するに、このような状況の下においては、必ずしも右人件費が売上額に比例して増加するものということはできないのである。

これに対し、原判決は、「被控訴人は人件費については家内労働であって、その努力で生産性を向上でき得ることも考えられると主張するが、控訴人の業態についての具体的調査結果に基づかない推論に過ぎず、むしろ控訴人の業種(賃加工、手間賃による製箱業)では売上げの増加の裏には職人の手間賃の増加が考えられるから、右主張は売上げが二倍にも増加する場合においては失当とせざるを得ない。」(原判決三八丁表一行目から八行目まで)旨判示するが、右判示は、以上に述べた奈良税務署長による被上告人の人件費の認定の根拠に思い至らないもので失当といわざるを得ない。

3 さらに、奈良税務署長は、被上告人の昭和四八年分売上原価、消耗品費及び人件費につき被上告人の申告に係る数値をそのまま採用する方法以外に合理的な経費認定の方途を有していなかったものである。

(一) 原判決は、右申告額に代わるべき合理的経費認定方法について、「本件処分(四八年分)においても、先ず売上原価を認定売上一〇六五万六六〇四円に対し、前二年の収入に対する売上原価の平均比率約0.10を乗じて一〇六万五六六〇円と推計し(さすれば判決額のそれとほぼ等しいものとなり得た。)、これに消耗品費、給料賃金の合計二八〇万六二八〇円も単純に二倍にスライドさせて五六一万二五六〇円となしておけば合計で三六五万九六四四円(右売上原価推計額一〇六万五六六〇円と同申告額二一万二三〇六円の差額八五万三三六四円に、消耗品費、給料賃金の推計増加額二八〇万六二八〇円を加えたもの)の控除増となっており、それは過大認定額四八九万一六一九円の全額には及ばないにしても、その過大限度を相当程度圧縮し得たと考えられないでもない。」(原判決三八丁表九行目から裏一〇行目まで)旨判示し、いわゆる本人率により経費を推計する方法を対置しようとする。

しかしながら、原判決に対する根本的な疑問は、原判決の理由説示に照らし、原判決が国賠法一条一項の違法についていわゆる結果違法説の考え方に立脚しているのではないかと推察される点であって、仮にそうであるとすれば、既にこの点において同項の違法に関して法令の解釈、適用の誤りを犯しているというべきである。右の点はおくとしても、原判決の前記判示部分は、あくまでも単純極まる結果論であって、判示のような本人率による経費推計方法は、比準年度(本件にける昭和四六、四七の両年度)の収入金額及び必要経費がいずれも適確な資料に基づき実額によって把握され、信頼性ある本人率が算出された上、推計の基礎数値となる当該年分の収入金額もまた実額により把握された場合に初めて合理性を認められるものである。

しかるところ、本件の場合、被上告人の昭和四六ないし四八年分の収入については、前述のとおり、確定申告書及び青色申告決算書にはいずれも売上先の住所氏名の記載がなく、また、税務調査に対して被上告人から帳簿書類の提示がなかったため、担当職員が金融機関調査により発見した仮名預金を含む普通預貯金口座を手掛かりとして突き止めた売上先に対する反面調査によって把握し得た限りの売上金額を採用したものであるが、右三年間における被上告人方の営業規模には特段の変化が認められず、昭和四八年分にいわゆるオイルショックが発生したことによる売上高の増加を想定しても、なお同年分の把握売上額に比して昭和四六、四七年分の把握売上額が格段に少なく、また、日時が経過すればするほど銀行調査等による売上先の把握及び売上先に対する反面調査による売上げのそ及的な把握が困難であることから、昭和四六、四七年分の売上げについては把握漏れの存在が強く疑われたのであり(現に、別表1ないし3の「更正額」欄と「判決額」欄記載の各収入金額を対比すれば、昭和四六年分につき八〇万円弱の、昭和四七年分につき一六〇万円強の、昭和四八年分につき二〇万円弱の把握漏れ額が認定されている。)、右の本人率により経費を推定する方法が合理性を有しない場合であったことは明らかである。なるほど奈良税務署長は、昭和四六、四七年分につき反面調査によって把握された限りの売上額を収入金額として更正処分を行っているが、それは、少なくともこのような更正処分をしない限り、不当な申告をそのまま是認する結果となってしまうからであって、右更正処分に係る売上額を基礎数値とする本人率により昭和四八年分の所得を推計すべきであったとするのは、真実よりも著しく低い所得額による課税処分を強いるに等しいものといわなければならない。

したがって、原判決の対置する右本人率による推計方法は、奈良税務署長としては、到底採用するに由ないものであったのである。

(二) 翻って、本件のような場合、いわゆる同業者率により経費を推計することは往々にしてあり、前記のとおり、担当職員の一人である平林も現に右同業者率により推計を行うことを検討したが、本件各課税処分時には、奈良税務署管内に被上告人に比定できる程の類似同業者が存在しなかったのである。

もっとも、本件各審査裁決は、被上告人の昭和四六ないし四八年分の一般経費につき奈良税務署管内を越えて大阪国税局管内から比定同業者を抽出した上、同業者率によりこれを推計しているが、課税処分の大量かつ回帰的性質及び不服申立制度の存在、機能にかんがみ、本件各課税処分時に所轄税務署管内を越えて同業者の選定に当たるべき職務上の法的義務までを要求するのは相当でないというべきである。なお、本件各審査裁決は、被上告人が、本件各課税処分時とは異なり、経費に関する証拠資料を審査請求段階に至って初めて提出し経費額に関する具体的主張を行うに至ったため、それに対応して同業者率による推計の方法を採ったものである。

4 ところで、奈良税務署長の採用した経費認定方法の合理性は、その結果である所得認定金額が当時の具体的状況に照らし一応妥当なものと認められる点からも首肯し得るものである。

すなわち、奈良税務署長は、別表3記載のとおり、被上告人の昭和四八年分所得金額を六四六万円余と認定し昭和四八年分の本件更正処分を行ったものであり、右金額は被上告人の同年分申告額(九六万円余)及び前二年の更正額(昭和四六年分二一七万円余、昭和四七年分一三七万円余)に比し高額となっているが、右所得金額は、被上告人方の家族構成(四名)や被上告人の妻も稼働していた事実から推察される被上告人方の生活規模、昭和四八年には、前述のとおりいわゆるオイルショックが発生し、紙製品の売上高の増加が容易に想定される状況にあったこと(<書証番号略>)、さらに前二年分の所得金額は、前記のとおり売上げの把握漏れが強く疑われ、客観的な真実の所得を反映したものとは認められないものであったこと等を考慮すれば、なお税務署長の合理的な認定判断の範囲内にあるというべきである。

5 以上に加えて、本件各審査裁決及び本件取消判決が、本件各課税処分の所得認定を過大であるとして取り消した理由及びその審理の経過からすれば、奈良税務署長が被上告人の昭和四八年分必要経費につき申告額をそのまま採用したことに合理性が存するということができる。

(一) 本件各審査裁決は、まず、昭和四八年分につき、被上告人から、初めて収支計算表、賃金支払帳及びカレンダー等の必要経費に関する資料が提示されたため、右資料に基づき、仕入材料費、給料賃金及び減価償却費を実額で認定したが、他の経費項目については右資料によって認定し得る額はその主張額の二分の一にも満たず、個々の証拠についての具体的な説明が行われなかったため実額による認定を断念し、同業者率により一般経費を推計した。

また、昭和四六、四七年分については、ほとんど資料が提出されなかったため、雇人費に関する資料(賃金支払帳)に基づき給料賃金を認定し、これを基礎に昭和四八年分の給料賃金の対収入金額比を用いて収入金額を推計するとともに、さらにこれを基礎として昭和四八年分の仕入材料費の対収入金額比を用いて仕入材料費を推計した。

(二) 本件取消判決は、昭和四八年分給料賃金について、被上告人が審査請求段階に至り初めて主張したものの、同年分本件審査裁決及び本件取消訴訟の一審判決がいずれも認めなかったアルバイト料五五万円につき、控訴審における被上告人本人尋問の結果に基づきこれを認めた。

(三) すなわち、奈良税務署長は、被上告人から右のような必要経費に関する主張及び資料の提出が一切なされない状況下において本件各課税処分を行わざるを得なかったのであり、本件各課税処分のうちの相当部分が本件各審査裁決等により取り消されたとしても、このこと自体によって奈良税務署長の所得認定の合理性がいささかも揺らぐものではないのである。

6 以上述べたとおり、奈良税務署長は、本件各課税処分を行うについて、被上告人が調査に非協力であるため必要経費に関する資料をほとんど収集することができないという状況下において、被上告人の提出に係る青色申告決算書に記載された必要経費額をそのまま採用し、被上告人の所得を認定したもので、右認定には合理性が存する上、他に合理的な経費認定の方法も存在せず、かつ右認定の合理性は結果としての所得認定金額の妥当性、本件各審査裁決及び本件取消判決の審理、判断の経緯に照らしても首肯し得るものである。

以上のとおりであって、奈良税務署長としては、自らに付与された所得認定の裁量の範囲内において本件に係る所得を合理的判断に基づいて認定したものであるから、本件各課税処分は適法であるというべきである。したがって、本件各課税処分に通常の税務署長として許容することができない職務上の法的義務違背が存在しないことは明らかであり、本件各課税処分には国賠法上の違法性はないというべきである。

五 結び

以上のとおりであるから、原判決には、国賠法一条一項の違法ついての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。第二点 国賠法一条一項の「過失」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法<省略>第三点 国賠法一条一項の「損害」についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法<省略>第四点 国賠法四条、民法七二四条についての法令解釈、適用の誤り、審理不尽ないし理由不備の各違法<省略>

別表1ないし5<省略>

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