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最高裁判所大法廷 昭和43年(あ)1651号 判決 1969年6月18日

主文

原判決および第一審判決を破棄する。

本件を福岡地方裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意について。

原判決は、第一審判決が認定した被告人の判示第一(1)の行為、すなわち昭和四〇年一月二八日有印公文書である福岡県公安委員会作成名義の大型自動車運転免許証一通を偽造した事実と、同判示第一(2)の各行為、すなわち昭和四二年一〇月二二日から同年一二月一日までの間一九回にわたり、タクシー運転手として営業用普通自動車を運転した際右偽造運転免許証を携帯行使した事実との中間に、昭和四一年一月二六日宣告、同年二月一〇日確定の窃盗、有印私文書偽造、同行使罪による懲役一年の確定裁判があるにもかかわらず、前記有印公文書偽造罪と各同行使罪とを牽連犯として、最も重い昭和四二年一二月一日の偽造公文書行使罪の刑により処断した第一審判決を是認して、牽連犯の中間に別罪の確定裁判が介在してもなお科刑上一罪として処断すべきであると判断しているのであるから、右判断は所論引用の各高等裁判所の判例と相反するものといわなければならない。

しかしながら、牽連犯を構成する手段となる犯罪と結果となる犯罪とは、本来数罪として広義の併合罪に包含されるが、科刑上の一罪として罪数上は本来の一罪と同様に取り扱われ、刑法四五条の適用については数罪ではなく一罪であると解することに文理上支障はない。そして、牽連犯はその数罪間に罪質上通例その一方が他方の手段または結果となる関係があり、しかも具体的に犯人がかかる関係においてその数罪を実行した場合(昭和二三年(れ)第二〇六三号同二四年一二月二一日大法廷判決、刑集三巻一二号二〇四八頁、二〇五三頁参照)に科刑上とくに一罪として取り扱うこととしたものであるから、牽連犯を構成する手段となる犯罪と結果となる犯罪との中間に別罪の確定裁判が介在する場合においても、なお刑法五四条の適用があるものと解するのが相当である。これと同旨の原判決は正当であり、論旨引用の各高等裁判所の判例はこれを変更すべきものと認める。

ところで、職権をもつて調査するに、本件偽造公文書行使の各事実は、前記のように、被告人が自動車を運転した際に偽造にかかる運転免許証を携帯していたというものであるところ、偽造公文書行使罪は公文書の真正に対する公共の信用が具体的に侵害されることを防止しようとするものであるから、同罪にいう行使にあたるためには、文書を真正に成立したものとして他人に交付、提示等して、その閲覧に供し、その内容を認識させまたはこれを認識しうる状態におくことを要するのである。したがつて、たとい自動車を運転する際に運転免許証を携帯し、一定の場合にこれを提示すべき義務が法令上定められているとしても、自動車を運転する際に偽造にかかる運転免許証を携帯しているに止まる場合には、未だこれを他人の閲覧に供しその内容を認識しうる状態においたものというには足りず、偽造公文書行使罪にあたらないと解すべきである。

したがつて、被告人が自動車運転に際し偽造運転免許証を携帯した事実を認定しただけで、ただちに偽造公文書行使罪にあたるものとした第一審判決およびこれを是認した原判決は、法令の解釈適用を誤り、被告人の各行為が本件訴因の限度では罪とならないのに、これを有罪とした違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。そして、記録によれば、被告人が昭和四二年一二月一日に本件偽造運転免許証を警察官に提示した事実も窺われるので、これらの点につき更に審理を尽くさせるため、原判決および第一審判決を破棄し、本件を第一審裁判所である福岡地方裁判所に差し戻すこととする。

よつて、刑訴法四一一条一号、四三一条本文により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官長部謹吾の牽連犯の成否の点に関する意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官長部謹吾の意見は、次のとおりである。

わたくしは、多数意見が職権調査のうえ、本件偽造運転免許証の携帯事実を認定したのみで、ただちにこれを偽造公文書行使罪にあたるとした第一審判決およびこれを是認した原判決は、その訴因の限度においては違法であるとして、原判決および第一審判決を破棄して本件を第一審に差し戻すとした結論には賛成である。しかし、多数意見が、牽連犯の罪数に関し、原判決に判例違反があるという上告論旨について、原判決を正当とし、所論引用の各高等裁判所の判例はこれを変更すべきものであるとした法律の解釈には、賛成することはできない。以下、その理由を述べる。

刑法は、第一編総則第九章として併合罪の題名のもとに四五条から五四条までの規定を設けている。これらの規定の順序構成をみれば、刑法は犯人が数個の犯罪を犯した場合には、これを併合罪として四六条以下の規定に従い処理すべきことを原則としていることは明白である。犯罪の手段または結果となる行為にして他の罪名に触れるときも、それぞれが犯罪を構成する数罪となり、四五条以下の併合罪として処理されるべきものであるが、刑法は特にその数罪の主観的客観的な緊密性に着目して、五四条により処断上の一罪として、併合罪処理の例外としたものと解すべきである。したがつて、もし牽連犯となるべき手段となる犯罪と結果となる犯罪との中間に他の犯罪の確定裁判が介在する場合には、確定裁判前に犯された手段となる犯罪は、確定裁判の際に同時に審判さるべきものとして、四五条後段の適用を受け、結果となる犯罪は、右確定裁判を受ける際同時に審判されることは不能であつたのであるから、別個独立の刑を受けるべきものとなり、両者は牽連犯として一罪の取扱を受ける利益を有しないものというべきである。このように解することこそ刑法の文理解釈として正当であると思う。

更に、実質的に何故に刑法五四条一項後段が牽連犯を処断上一罪としたのかという法の精神を探究してみる。

本来牽連犯を構成する手段となる犯罪と結果となる犯罪とは、複数の犯罪が競合する実質的数罪であり、広義の併合罪に包含せられるものであつて、ただ刑法五四条一項後段の規定により科刑上の一罪とされるものであることは、多数意見もこれを認めるところである。元来数罪であるべき牽連犯を科刑上一罪として取り扱うことにした所以は、多数意見の引用する当裁判所昭和二四年一二月二一日大法廷判決が判示するように、その数罪が客観的主観的に同一目的を指向する特性があることに着目して、これを数罪として処罰すべき場合よりも悪性の弱いものとして、最も重い罪の刑による処断をもつて他の軽い罪の処罰をも充足せしめる趣旨に出たものである。したがつて、その充足の認められないような場合は、もはや処断上一罪として取り扱う理由はなくなる。手段となる犯罪と結果となる犯罪との中間において、他の罪について一旦有罪の確定裁判を受け刑罰的評価を受けた場合に、国家は犯人に対して新たな人格態度を期待するのは当然である。もし、確定裁判の犯人に対するいわゆる感銘力を否定すれば、国家自ら刑罰権行使の意義目的を否定することになり、刑事政策の目的を失うことになるであろう。そして、一旦犯人が他の罪につき確定裁判を受けた後に(特にその刑の執行を終了した後に)結果となる犯罪を敢行するが如きは、もはや数罪として処罰を受ける場合よりも悪性の弱いものとは言い得ず、むしろ悪性の強いものといわざるを得ず、一罪としての処断上の利益を受けるに価しないものなのである。すなわち、牽連犯として取り扱う理由を失うことにより、元来あるべき数罪として併合罪の取扱を受けるのが至当である。

多数意見は、牽連犯が、実質的な数罪であり、本来一罪である常習犯や継続犯と全く趣を異にするものであるその本質の解釈を誤まるものであり、これを混同する原審の判断は謬論である。

これを本件について見るに、第一審判決によれば、被告人は昭和四〇年一月二八日有印公文書である運転免許証を偽造し、昭和四二年一〇月二二日から同年一二月一日まで右偽造公文書を行使し、その間、昭和四一年二月一〇日本件と別個の窃盗、有印私文書偽造同行使の罪により懲役一年の確定判決を受け同年一一月二六日その執行を終つたというのである。したがつて、もし本件が差戻後の第一審の審理において訴因変更の手続により偽造公文書行使の罪が認定されるならば、右公文書偽造と偽造公文書行使との間には、実に二年八ケ月余の期間があり、しかもその間他の罪について有罪の確定判決を受けてその執行を終えていたことになり、かかる場合に右の如き長期間を経て確定判決を受けた後に犯された罪をなお手段たる罪の結果たる罪であるとして、牽連犯として一罪の処分をすることは、牽連犯の定型性にとらわれた誠に不合理な結論といわざるを得ない。

故に、わたくしは、本件の如き手段たる犯罪と結果たる犯罪との中間に他の罪の確定裁判のある場合には、もはや牽連犯として一罪として処断すべきではなく、確定裁判を経た罪とその裁判確定前に犯した罪とを刑法四五条後段の併合罪として処断した上、確定判決後に犯された偽造公文書行使の罪が認定されるならば、これについては別個の主文を言い渡すべきものと思料する。しかるに、原判決は、前記確定判決が存するのにもかかわらず、本件公文書偽造罪と同行使罪との間には刑法五四条一項後段の牽連関係があるものとして一罪として処断した第一審判決を是認しているのである。論旨引用の各高等裁判所の判例は、原判決に先だつて言い渡されたものであるから、原判決は、右各高等裁判所の判例と相反する判断をしたこととなり、刑訴法四〇五条三号後段に規定する最高裁判所の判例がない場合に、控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたことになるものといわなければならない。そして、既に説示したように、右各高等裁判所の判例は、なお維持すべきものであつて、これを変更する必要を認めない。そうすると、原判決には、この点につき判例違反の違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。(石田和外 入江俊郎 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)

検察官の上告趣意

原判決は、牽連犯に関する刑法第五四条第一項後段及び併合罪に関する同法第四五条後段の解釈適用につき、昭和四一年三月二九日東京高等裁判所その他高等裁判所の屡次の判例と相反する判断をなし、法令の解釈適用を誤つた違法があり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであると認められるから、刑事訴訟法第四〇五条第三号、第四一〇条第一項に規定する事由に該当し、とうてい破棄を免れないものと思料する。

すなわち、

一、原判決は、一審判決と同様、被告人が昭和四〇年一月二八日有印公文書(大型自動車運転免許証)を偽造し、昭和四二年一〇月二二日から同年一二月一日までの間一九回に亘り福岡市等において営業用普通乗用自動車を運転し、その都度、右偽造にかかる運転免許証を携帯して行使した事実及び右一九回の道路交通法違反(無免許運転)を犯した事実を認定したうえ、被告人の右偽造行為と各行使行為との間に昭和四一年二月一〇日確定した窃盗、私文書偽造同行使の罪による懲役一年の確定判決が介在することを認めながら、本件公文書偽造の罪と各同行使の罪とは刑法第五四条第一項後段の牽連犯に該るとし、牽連犯を構成する手段たる行為と結果たる行為は本来は数罪として広義の併合罪に包含されるが、科刑上は一罪として罪数処理上本来の一罪と同様に取り扱われ、各行為は刑法第四五条の適用上では数罪ではない、牽連犯の手段たる行為と結果たる行為の中間に別罪の確定裁判が介在するとしても、牽連犯を二個の罪に分断してその手段たる行為についてだけその確定裁判を経た罪と併合罪の関係にあるとして処断すべきではないとし、被告人を懲役一年六月に処する旨一個の刑を言渡した一審判決を支持した。

二、この点に関しては最高裁判所の判例は見当らないが、原判決は

(一) 昭和四一年三月二九日東京高等裁判所判決(高裁集一九巻二号一二頁五以下)

(二) 昭和二八年一二月一九日札幌高等裁判所函館支部判決(高裁刑特報三二号八八頁以下)

(三) 昭和四一年四月一四日広島高等裁判所判決(高裁集一九巻三号二九六頁以下、判例タイムズ一九一号一五九頁以下)

(四) 昭和四二年九月二三日福岡高等裁判所判決(同年(う)第四五五号)

(五) 昭和四二年一〇月二四日福岡高等裁判所判決(同年(う)第五三五号)(被告人上告申立、最高裁判所第一小法廷係属中――昭和四二年(あ)第二五五六号)

の各高等裁判所の判例と相反する判断をなしたものである。

三、右二、(一)掲記の昭和四一年三月二九日東京高等裁判所判決は

原判決の認定するところによれば、被告人の原判示第一の所為中自動車運転免許証偽造は昭和三九年九月四日の犯行であり、該偽造免許証行使は昭和四〇年六月一七日の犯行であるが、原審で証拠調を経た交通事件原票によると、被告人は、昭和四〇年三月一九日横浜西簡易裁判所において道路交通法違反の罪により罰金四千円に処せられ、右裁判は同年四月三日確定したことが明らかであるから、右偽造行為と行使行為との間に確定裁判が介在しているわけである。

公文書偽造行為と該偽造公文書行使行為とは、牽連犯の関係にあり科刑上一罪として取り扱われる。ところで牽連犯は競合犯の一態様であり、実質的には数罪であつて、それぞれ別個の構成要件的評価を受けるものであるにかかわらず、これを科刑上一罪として取り扱う所以のものは、その数罪間にその罪質上通例一方が他方の手段又は結果となるという経験上の類型的関係があり、したがつて、犯人がかかる関係において数罪を犯した場合は、全く関係のない独立の数罪を犯した場合に比し概して道義的非難の程度において軽く、構成要件的評価の面においても、一方の構成要件が他方のそれに該当する行為をある程度予想しており、当該犯人につき犯行目的の単一性が認められるのを通常とすることを考慮すると、これを包括的に評価することが妥当であるとの観点から、これか一罪として最も重い罪につき定めた刑をもつて処断するをもつて足り、数罪として処断するまでの必要がないものと認めたことにあるものと解される。(昭和二四年一二月二一日最高裁判所大法廷判決、刑集三巻一二号二〇五三頁及び昭和三二年七月一八日同第一小法廷判決、刑集一一巻七号一八六三頁参照)。

しかしながら、本来牽連犯たるべき手段たる行為と結果たる行為との間に別罪による確定裁判が介在する場合には、叙上の趣旨はもはや妥当しないものと考えられる。すなわち、犯人が手段たる行為を行つた後別罪による確定裁判によつて、いつたん刑罰的評価を受ければその後は新たな人格態度が期待されるのであつて、それにもかかわらず犯人があえて結果たる行為を行つた場合、その確定裁判前後の両行為については、形式的には類型的関係がなお存在するにもせよ、道義的非難の点においても、構成要件的評価の面においても、前叙のごとき一罪として取り扱うべき実質的理由はほとんど失われたものというべきであり、したがつて右両行為をおのおの別個独立の行為と見てこれを二罪として処断するのが相当である。叙上の見解は、実質的な一罪たる性質を有する継続犯若しくは常習犯について、確定裁判の介在によつて二罪に分断されるべきでないとした最高裁判例(昭和三五年二月九日第三小法廷決定、刑集一四巻一号八二頁、昭和三九年七月九日第二小法廷決定、刑集一八巻六号三七五頁)の趣旨に牴触するものではないと解すべきである。されば原判決が原判示第一の自動車運転免許証偽造行為と該偽造免許証行使行為について、その間に確定裁判が介在するにかかわらず、これを牽連犯であるとし一罪として処断したのは法令の適用を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

と判示し、その他前掲二、の(二)、(三)、(四)、(五)の各高等裁判所判決はいずれも同種事案につき同趣旨の判断をしているのである。

四、思うに、刑法第五四条第一項後段の規定するいわゆる牽連犯は、手段たる行為または結果たる行為がそれぞれ別個の犯罪構成要件に該当してそれぞれ犯罪を構成するもので、この意味において実質的には数罪であるところ、刑法第五四条第一項後段は、科刑すなわち行為の刑罰的評価にあたつては、そのうちの最も重い罪につき定めた刑をもつて処断すべきことを定めたものと解される。同条項の設けられた理由については種々考えられるところであるが、要するに両行為の類型的牽連性に着眼し犯人の刑事責任評価の観点から、そのうちの最も重い罪につき定められた刑をもつて処断することをもつて足りるとの判断に出でたものということができると考える。

従つて両行為は、いわゆる科刑上の一罪として取り扱うべきものであつて、本件のように、犯行が両行為の中間において別罪を犯し確定裁判を受けたような場合においてまで、これを一罪として取り扱うべき理由のないことは、前掲東京高等裁判所の判示するとおりであつて、このような場合には、両行為のみが確定裁判を受けた罪と併合罪の関係に立ち、結果たる行為は、これとは別個に処断すべきものといわなければならない。(この関係は実質的に一罪を構成するいわゆる継続犯または常習犯の場合と異なることはいうまでもない。)

よつて原判決が本件につき刑法第五四条第一項後段を適用して右両行為を一罪として処断したことは法令の解釈適用を誤つたものであると思料する。

五、以上述べたところによつて明らかなごとく、前記原判決は前掲各高等裁判所の判決にかかる事案と同様牽連犯の手段たる行為と結果たる行為との間に別罪の確定裁判の介在する事案に対し各高等裁判所の判例と全く相反する判断をなし、法令の解釈適用を誤り、適用すべき法令を適用せず、適用すべからざる法令を適用した違法があり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、とうてい破棄を免れないものと思料する。

よつて、刑事訴訟法第四〇五条第三号、第四一〇条第一項に則り上告申立に及んだ次第である。 以上

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