大判例

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最高裁判所大法廷 昭和35年(オ)1023号 判決 1962年6月13日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差戻す。

理由

上告代理人村上秀三郎名義の上告理由について。

原判決は、被上告人青木ゑき、同青木京、同岩沢鈴子、同飯田と志枝、同青木梅子、同青木弘枝、同大村優子らの先代青木建二郎が上告人に対し支払つた判示(一)ないし(八)(但し(四)は四二四、〇〇〇円)の各金員は、同人が上告人に対する本件消費貸借債務の履行として支払つたものであること及び右のうち判示(一)、(二)、(三)、(五)、(八)及び(四)の一部二二四、〇〇〇円並びに(七)の一部二八八、〇〇〇円は、同人が被上告人近藤緑郎、同小西謙三郎、同渡辺儀作らの連帯保証のもとに締結した本件消費貸借契約において、上告人に対し支払いを約した期限後の損害金として、いずれも任意に支払つたものであることを確定しながら、右各金員のうち利息制限法所定の制限率に超過する部分の損害金支払いの契約は無効であり、その超過部分は、本来債務者に返還されるべき筋合のものであるが、同法一条、四条の各二項の定めがあるので、元本債権にして存在するならば、右支払額は当然元本に充当されるべきであるとし、原判示それぞれの計算によつて、結局本件消費貸借には残存元本が皆無となり、却つて七、〇〇〇円に近い過払いがある計算となる旨判示する。

しかし、金銭を目的とする消費貸借上の利息又は損害金の契約は、その額が利息制限法一条、四条の各一項にそれぞれ定められた利率によつて計算した金額を超えるときは、その超過部分につき無効であるが、債務者がそれを任意に支払つたときは、その後において、その契約の無効を主張し、既にした給付の返還を請求することができないものであることは、右各法条の各二項によつて明らかであるばかりでなく、結果において返還を受けたと同一の経済的利益を生ずるような、残存元本への充当も許されないものと解するのが相当である。

されば、本件において、青木建二郎の支払つた右各損害金のうちに、たとえ法定の制限率をもつて計算した金額を超える部分があつても、債務者が、契約上の損害金として、一旦これを任意に支払つたものと認められる以上、既にした右超過支払部分の残存元本への充当は、これを許容すべきものではないといわなければならない。

原判決は、右のような場合、元本債権にして残存するならば、超過支払部分は当然元本に充当されると解するのが、同法二条の法意に通じ、かつ高利金融に対して経済的弱者である債務者を保護しようとする同法制定の趣旨にも適合する所以であるというが、同法二条は、消費貸借成立時における利息天引の場合を規定したものであつて、債務者が、契約上の利息又は損害金として、法定の制限を超える金額を任意に支払つた場合につき規定した同法一条、四条の各二項とは、おのずからその趣旨を異にするから、同法二条がその規定のような擬制を許すからといつて、同法一条、四条の各二項も同一趣旨に解さなければならないとする理由とすることはできない。

また、利息制限法が、高利金融に対して経済的弱者である債務者を保護しようとの意図をもつて制定されたものであるとしても、原判示の如く、その充当を、元本債権の残存する場合にのみ認めるにおいては、特定の債務者がそれによる利益を受け得るとしても、充当されるべき元本債権を残存しない債務者は、これを受け得ないことになり、彼此債務者の間に著しい不均衡の生ずることを免れ得ない。

してみれば、原判決は、結局、利息制限法一条、四条の各二項の解釈適用を誤まつたものといわざるを得ず、その違法は判決の結果に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて民訴四〇七条に従い主文のとおり判決する。この判決は、裁判官河村大助、同下飯坂潤夫の補足意見及び裁判官横田喜三郎、同池田克、同奥野健一、同山田作之助、同五鬼上堅磐の反対意見があるほか、裁判官全員の一致によるものである。

裁判官河村大助の補足意見は次のとおりである。

一、利息制限法所定の制限を超える利息、損害金を任意に支払つた場合(一条二項、四条二項)に、右超過支払分は元本債権の存する限り当然これに充当されたものとみなすべきであるとの見解は、同法の解釈上到底賛同し難いところであつて、その理由は後にこれを詳述するが、ここでは先ず、右元本充当説が、高利金融に対し経済的弱者の地位にある債務者を保護するという社会的背景を根拠とする点につきいささか省察を試みる。勿論利息制限法が、債務者保護を基調とし、兼ねて社会の経済秩序を維持するという目的の下に制定されたものであることに異論はない。しかし、借手が常に経済的弱者であると断定することは我国庶民金融の実体に照らし到底承服できないところである。周知のとおり、貸金業界に依存する中小企業並びに零細融資の需要者たる庶民大衆は、質草もない無担保金融に依存するものが多く、経済上の需要供給及び焦付きの危険度等から自然高利金融を生む結果となつて、貸金業者の届出利率も制限利率をはるかに超過する日歩二〇銭を下らない高利取引が公然と行われているのが現在の実状である。そして貸金業界の行う消費貸借はその用途が大体において、生産資金と消費資金とに分れるのであるが、現在の金融取引の圧倒的多数を占める前者の場合は借手が必ずしも経済的弱者であるとはいえない。すなわち借入金を生産資金に回して企業の利潤から利息を払うことができるからである。元来利息は、企業の利潤によつて賄われるのが原則であるから、利潤が合理的な利息決定の基礎となるものであつて、その利息が利潤の範囲内における相当額である限り、制限超過の利息だからといつて、経済的には不合理な高利とはいえないのである。国より特定の一企業にとつて、その金利が利潤の範囲を超える不当な高金利である場合もあり得るのであるが、しかし、金融市場の一般的水準とされている金利そのものは、その時における貨幣資本の需給を平衡させているものであるから、一般的に不当な金利であるとみることはできない。唯消費資金の貸付はその需要が概ね困窮に陥つた者の借入れであつて、その高利は苛酷な性質を帯びる場合が多いのであるから、本来は別に公の金融施策が望ましいことであるが、その実現の容易でない今日においては、異種の性格をもつ消費貸借を一律に規制するのは止むを得ないところであろう。法が超過部分を一応無効としながら、その任意支払を敢て禁止しないという弱い統制から、出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律第五条の強い統制迄の中間区域の高利取引を、事実上当事者の自由に放任したのも、前述のような庶民金融の実態から見れば、理解することのできる措置といえよう。すなわち、立法者もにわかに強い統制を加えることは、決して金融秩序を維持する所以でないとの結論に到達したものと思料される。然るに若しも今日の金融取引において、利息、損害金の制限超過部分の任意支払を以て、元本へ充当したものとみなすにおいては、貸金業界に恐慌を来たし、金融の梗塞を招来するおそれなしと何人が断言できるであろう。

二、同法一条二項及び四条二項の規定は、民法の不当利得に関する規定の特則として設けられたものであつて、債務者はその超過部分の契約が無効であることを知つていると否とを問わず、苟くも一旦任意に支払われた以上その返還を請求することができないものとして定められたものと解すべきである。旧法の「裁判上無効」とするとの規定には解釈上争いがあつたが、判例は一貫して債権者は裁判上請求し得ないが、債務者が任意に弁済したときは、その返還を請求することができないとの解釈をとつていたので、改正法も右判例によりつちかわれた慣行を更に強化し明文化したものと見られる。従つて同条の超過部分の任意支払を債務の弁済と解することはできないにしても、少くともその超過部分の任意支払を債権者に帰属させ、これが利得の保有を許したものと解せられるから、債務者に返還請求を許したと同一の経済的利益を与えることは許されないものと解するを相当とする。

超過部分の任意支払を元本への充当に変更するが如きことは、明文に根拠のないこと明らかであるのみならず、各法条の解釈からも当然に導き出されるものではなく、却つてかかる解釈は、利得の保有を許した各条の規定と矛盾するものである。原判決は超過部分の任意支払を以て、同法二条において、貸借成立の際に天引した超過利息を元本の支払に充てたものとみなす旨規定している法意に通ずるという見解を採つているが、天引した超過利息を元本へ充当することにしたのは、現金の授受のない名目的の元本と名目的の支払利息の双方を打消すことにしたものであつて、実質的には消費貸借の要物性を欠く部分に消費貸借の成立を否定したのと同一結果になるものである。すなわち同条は、金銭の授受を伴わない消費貸借の部分について、当事者の合意と異る充当を擬制した規定であるが、他方同法一条二項は、現実に金銭の授受が行われた場合の規定であつて、両者は全く類似性をもたない事項である。従つて前者に対する法則を後者に類推適用することは、類推解釈の限界を逸脱するものといわなければならない。

三、次に制限超過部分の利息、損害金の契約は、無効であるから、その部分の弁済は民法四九一条により当然元本に充当されるとの見解は、傾聴に値するものであるが、わたくしは賛同できない。同条の法定充当はいうまでもなく弁済者又は弁済受領者が同法四八八条に基づく充当指定権を行使しなかつた場合に適用あるものであつて、弁済者が特定の利息又は損害金の弁済に充当すべく指定した場合においては、たとえその債務が無効であり、また同法四八八条三項の充当の意思表示も無効であると解せられるにしても、その弁済が不当利得として返還請求権を有するかどうかの問題を生ずるに止まり、充当すべき特定の債務を指定した当事者の意思に反し、他の債務に充当することは許されないものと解すべきである。特に利息制限法一条が超過部分の契約を無効としつつ任意支払の場合は返還請求をすることができないとしたのは、取りも直さず、債権者に利得の保有を許す趣旨と解せられるから、当事者の指定に反する他の債務の弁済に充当するが如きことは、同法一条二項の趣旨と矛盾するものである。従つて法定充当説もとるを得ない。

裁判官下飯坂潤夫は右河村大助裁判官の補足意見に同調する。

裁判官横田喜三郎の反対意見は、つぎのようである。

利息制限法一条二項は、債務者が同条一項の利息制限を超過した部分を任意に支払つた場合に、その返還を請求することができないことを定めているだけであつて、その部分を債権者が制限超過の利息の弁済として取得しうることを定めているのではない。もとより、他方で、その部分を元本の支払に充当すべきことを定めているのでもない。一条二項の規定は、規定そのものとしては、この点に関して、いずれとも定めていないのであつて、法の不備であるといわなければならない。

このような場合には、立法の趣旨に照して解釈することが法の解釈の基本原則である。いつたい、利息制限法は、いわゆる社会立法に属するもので、その根本の立法趣旨は、なによりもまず、経済的弱者の地位にある債務者を保護することにある。このことは、国会における本法の審議に当つて、政府委員がくりかえして説明したところである(第一九回国会衆議院法務委員会議録第四六号<昭和二九年四月二七日>一頁、二頁参照)。他方で、金融の円滑を期することも必要ではあるが、経済的弱者の保護という目的にくらべれば、第二次的のものといわなければならない。そうしてみれば、利息制限を超過する部分については、経済的強者である債権者利益のために、これを制限超過の利息に充当するよりも、経済的弱者である債務者の利益のために、残存する元本の支払に充当することこそ、利息制限法の根本の立法趣旨に合するといわなければならない。

そればかりでなく、国会における本法の審議のさいに、政府委員は、くりかえして、元本が残存する場合には、利息制限を超過した部分は元本の支払に充当されるべきことを明言した(同会議録第二八号<昭和二九年三月二六日>五頁、九頁参照)。これに対して、いかなる反対または異議も議員から述べられなかつた。この点から見れば、立法の趣旨は、明らかに、利息制限の超過部分は、残存元本の支払に充当されるべきことにあるといわなければならない。

もとより、立法者の考えた立法の趣旨は、法の解釈においてかならずしも絶対に決定的なものではない。しかし、その趣旨が不合理なものでなく、十分に理由のあるものであるならば、それにしたがつて解釈すべきことは、当然のことといわなければならない。民主主義の原則に従い、国民を代表する国会によつて制定された法律については、とくにそうである。利息制限法は、いわゆる社会立法であつて、上述のような立法趣旨は、十分に理由のあるものであり、しかも国民を代表する国会によつて民主的に制定されたものであるから、その立法趣旨を無視するような解釈は、決して正当なものということができない。

以上の理由のほかに、利息制限法二条からも、制限超過部分を残存元本の支払に充当すべきことは裏づけられる。この点については、奥野、五鬼上両裁判官の反対意見で述べられているところに同調する。

裁判官池田克の反対意見は、次のとおりである。

金銭が生産的な投資のための貸付資本として利用される生産信用の面においては、利息は、原則的には金融市場における貸付貨幣資本の需要供給の関係によつて定まり、これが調整については、臨時金利調整法(昭和二二年法律一八一号)が一応その機能をはたしつつあるものとされているところであるが、しかし、他方、庶民金融における消費信用や融資の系列から除外された中小企業者の生産信用の面をみると、周知のように高利貸信用に求める者の数が決して少なくないのであり、高利貸信用に依存するものにとつて高率の利息、損害金は、おおむね債務者の財産からの不当な収奪たる性質をもつものとされているところであつて、利息制限法は、正にかかる経済的不利から債務者を保護するための社会立法に外ならない。

すなわち利息制限法を通観すると、法は、金銭を目的とする消費貸借上の利息、損害金の契約につき、それぞれその元本に対する割合の最高限を定め、超過部分については、裁判上たると裁判外たるとを問わずこれを無効として私法上の効果を認めない(一条、四条各一項)こととすると共に、利息の天引、みなし利息等の制限規定(二条、三条)を設けて利息、損害金の制限の潜脱を抑圧しようとしているのであつて、経済的弱者たる債務者の保護のための骨子をなすものであることが十分に理解されるところである。

従つて、これらの法意の存するところを推し進めると、債務者が制限超過の利息、損害金を任意に支払つたときは、それらの金額それ自体債務者には帰属できないとしても、それだからといつて債権者に帰属するいわれもないのであるから、かかる事態を合理的に解決することが要請されるものというべく、そのためには、衡平の原理に照らして妥当な結果が得られるように考えなければならないところである。解釈の任務は、ここにある。とすれば、右の場合において、元本債権が残存しない限り事実上債権者の利得する結果となることはやむを得ないところであるが元本債権が残存する限りこれに充当されることとなるものと解するのが最も合理的な解決となり、衡平の原理にもそう所以であつて、いな、むしろこれが法の全趣旨に基づく当然の論理的帰結であると思料する。

しかるに、法一条、四条各二項が右の場合には、一条、四条各一項の規定にかかわらず債務者はその返還を請求することができないとしていること、また、法二条が元本への充当を利息の天引の場合について規定していることから、利息を天引した以外の場合においては、残存元本への充当が許されないものと解することは、衡平の原理にそわず、論理的にも首肯しがたいものといわなければならない。

なお、念のため附言すると、法の定めている利息、損害金の限度は、消費貸借における使用対価、危険の保険料等が十分に参酌されているものであること、しかも、その最高限を超えても、更にこれを著しく上回る高率の利息、損害金を契約しまたは受領した場合(出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律五条)でない限り取締の対象とされないで、いわゆる闇高利、闇金融として放置されていること等を考えあわせると、前記の如く残存元本への充当を積極的に解しても、そのためにいわゆる庶民金融を梗塞するおそれがあるとはいえず、そのような政策的考慮によつて折角の社会立法を力の弱いものとする解釈は、採るを得ないところである。

裁判官奥野健一、同五鬼上堅磐の反対意見は次のとおりである。

債務者が特に利息、損害金の支払と明示せず支払をしたときは制限超過部分の支払は元本の残存する限り当然これに充当され、制限超過部分の利息、損害金の支払に充てられるものでないことは殆ど争のないところであろう。けだし、制限超過部分の利息、損害金は無効であり、かかる債務は存在しないのであるから、その部分の弁済は民法四九一条により当然残存元本に充当されるべきであるからである。

問題は、債務者が特に利息、損害金の弁済と指定して支払つた場合であるが、元来制限超過の部分は強行法規たる本法(利息制限法)一条により無効とされており、その部分の債務は存在しないのであるから、その部分に対する弁済は不可能である。従つて債務者が仮令利息、損害金と指定して弁済しても、その制限超過部分に対する指定は不可能な弁済の指定であつて、法律上その指定は無意味であり、結局その部分に関する指定がないのと同一であるから、当然民法四九一条が働き、残存元本に充当されるものと言わざるを得ないのである。すなわち、利息制限法は強行法規であり、その禁止にかかる無効な制限超過の利息、損害金の部分については、仮令当事者の一方又は双方の指定によつても有効な債務の弁済となし得ざるや明白であるからである。

成程本法一条二項には超過部分を任意に支払つたときは、その返還を請求することができない旨を規定しているが、これを以つて制限超過部分の支払が残存元本に充当されることを禁止している趣旨と解することはできない。けだし、右一条二項の趣旨は旧利息制限法「裁判上無効」とするとの規定に関する大審院判例に従つて、債務者が任意に支払つた制限超過部分については民法七〇三条又は七〇八条但書によつて不当利得としてその返還を請求することを得ないものとしたに止り、それ以上に債権者に利益を与える趣旨のものではないと解すべきである。すなわち、本法が制限超過の利息の契約を禁止した以上、それにも拘らずした弁済について裁判所がその返還につき積極的に助力を与えないこととしたに過ぎないのである。殊に「裁判上無効」とした旧利息制限法の規定が「裁判外は有効」であると解せられる余地があつたのに反して、本法は「超過部分につき無効」と規定し、裁判外であると裁判上であるとを問わず常に無効であることを明白にしたのであるから、仮令制限超過の利息を裁判外において支払つても常に無効の弁済であり、裁判外の任意の支払であるからといつて有効な弁済と解する余地はなくなつたのである。それ故本条二項を創設したからといつて、既に一条一項によつて無効とされている制限超過部分が有効な債務又は自然債務となり、これに対する弁済が有効となるものと解したり、元本債務が残存する場合にもこれに対する法的充当を否定する趣旨と解すべき何らの根拠にもならないのである。そして元本の残存する限り制限超過部分の支払がこれに充当されるものと解しても、制限超過部分の返還を認めるのと同一結果となるものでないことは言うを俟たないところである。

また、このことは本法二条からも裏付け得るものと思う。すなわち、同条に言う利息の天引とは利息の前払の意味であつて、本条は債務者が任意に利息の前払をしても制限超過部分の利息の有効な支払とは認めず、これを元本の支払に充てたものとみなし、当事者の一方又は双方の意思によつても制限超過部分に対する有効な弁済となり得ないこととしているのである。そしてこの理は仮令利息の天引をしないで借主が一応元本全額の交付を受け、即座に利息の前払として制限超過部分の支払をしたとしても、矢張り制限超過部分の利息の支払は元本の支払に充てたものとみなされるべきことは同様である。けだし、然らざればこの方法により容易に同条の免脱を図ることができるからである。然らば、後日に至つて制限超過部分の利息を支払つた場合でも、民法四九一条によりその部分の支払を残存元本の支払に充当することを否定しなければならない理由はないのである。すなわち、若し本法が制限超過の利息の支払を絶対に元本に充当することを否定する趣旨であるとすれば、何故に制限超過の利息の前払に限つて元本に充当されるものとしたか理解することができないところであり、同条は制限超過の利息の支払が性質上元本に充当し得ること及びこれを元本に充当しても、制限超過部分の返還の請求を認めないことと矛盾、抵触するものでないことを前提としてこれを擬制しているものと解するのが合理的である。そして元本充当を否定する消極説をとると債務者は本法の禁止する制限超過の利息、損害金を支払わせられながら、いくら払つても元本は何時までも残り、債務者は救われないことになり、本法の高利貸的搾取から経済的弱者を保護しようとする本法の趣旨に副わないことになる。この意味において原判決が「元本債権にして存在するならば右支払額は当然元本に充当されるものと解するのが相当であり、かく解することが本法二条の法意にも通じ、且つ高利金融に対し経済的弱者たる債務者を保護せんとする本法制定の趣旨に適合する所以である」とした判示も首肯できるのである。

論者は、積極説をとると高利貸が金融をしなくなり、経済的弱者の金融梗塞を来し、却つて弱者に不利となるというが、経済的弱者の金融については別途庶民金融等の社会政策的見地に基づく施策によつて解決すべきであつて、本法の解釈によつてこれを解決せんとするが如きは筋違いというべきである。よつて原判決は正当であり、本件上告は理由がない。

裁判官山田作之助の反対意見は次のとおりである。

わたくしは、奥野、五鬼上両裁判官並びに横田(喜)裁判官の反対意見に同調する。しかして、何故に多数説に同調し得ないかについてのわたくしの見解を左のように述べる。

多数説は、昭和二九年旧利息制限法が廃止され現行利息制限法となつた今日においても、なお、所謂超過利息について、債務者が超過利息と指定して(明示のときは勿論黙示の場合でも)支払つたものについては、そのまま超過利息として債権者が取得し得るとの旧利息制限法時代大審院の古くから採つている態度(明治三五年一〇月二五日言渡、判決録八輯九巻一三四頁、昭和三〇年二月二二日言渡最高裁判所第三小法廷判決、集九巻二〇九頁)を結果においてそのまま維持せんとしているのである。その根拠は改正後の現行利息制限法においてもなおその一条二項において『債務者は前項(利息の最高制限)の超過部分を任意に支払つたときは前項の規定にかかわらずその返還を請求することができない』と規定しておる所以のものは、この点に関しては新法は旧利息制限法をその基盤において踏襲しているのである。この二項の規定が存する以上、旧利息制限法についての大審院以来の判例は現行利息制限法についてもこれを変更する必要がないとするのである。惟うに、現行法が一条一項において超過利息についてはこれを無効としながらその二項において超過利息を意識して支払つたときは、債務者は債権者にたいしてその返還を求めることが出来ないとしているのは、法条としては首尾一貫しないものというべきであるが、かかる首尾一貫しない立法がなされているのもまた社会的理由がこれを要求しているからである。であるから旧利息制限法が「裁判上無効とする」としていたのを現行法が「無効とする」としたのは高利息制限の理想に一歩前進したものと解すべきであり、従つて、現行法上少数説の主張しているとおりの解釈が条文上の根拠がある以上、一歩理想に副うべく法を解釈すべきは当然であると考える。所謂金融の円滑を期する点を高調するあまり、法規の条文が改正されておるにもかかわらず、なお旧法時代と同様な考え方の基礎の上に、旧法のときの判例と同様の結果となるように新法を解釈することはわたくしの採らないところである。

(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐)

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