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徳島家庭裁判所 平成元年(家)655号 審判 1989年11月17日

申立人 太田正之

事件本人 太田和子 外2名

主文

本件申立てを却下する。

理由

一  申立ての趣旨、実情申立人らは、「事件本人(養子となる者)矢野健司(以下健司という)を申立人らの特別養子とする」との審判を求め、その理由として次のとおり述べた。

1  事件本人(養子となる者の父)藤村俊輔(以下俊輔という)は、健司出生後、多額の借金を申立人(兼養子となる者の母)太田和子(以下和子という)に押しつけて行方不明となり、健司の養育費すら支払っていない状態にあるから、今後健司と俊輔との間に親子の関係が存続していると、将来健司が俊輔から金銭その他諸々のことで迷惑や被害を受ける可能性がある。

2  そこで、健司と俊輔との親子関係を断絶しておく必要があるので、本件特別養子縁組の申立てをする。

二  当裁判所の判断

1  本件事件記録によると、以下の事実が認められる。

(1)  さつきは、昭和61年3月19日俊輔と婚姻届出をして結婚し、同年10月12日両者の間に長男健司が生まれたが、昭和63年12月19日、健司の親権者を和子と定めて協議離婚の届出をして離婚した。

(2)  俊輔は、和子と知り合った昭和60年ころ○○県高等○○専門学校の事務局長をしていたが、放浪癖があり、給料を受けとると無断欠勤を重ね、結局退職せざるを得なかった。また賭け麻雀が好きで、女遊びもした。このような生活態度は、和子との婚姻及び健司の出産によっても改まらず、次第に家の物を持ち出し、遂には健司のものまで持ち出すようになり、和子との間で紛争が激化し、昭和62年5月ころ、和子の留守中のアパートから俊輔の親が荷物を運び出すことによって、和子と俊輔は別居するに至り、昭和63年12月上記協議離婚をするに至った。俊輔は、健司出産後殆ど家におらず、健司の世話をすることもなく無関心で、上記別居以来電話を1度もかけてきたことがなく、現在は行方不明の状態である。

(3)  和子と申立人太田正之(以下正之という)は、昭和63年夏ころ知り合い、正之が和子と健司を食事に誘ったり遊園地に連れて行ったりするうちに、健司が正之を「お父さん」と呼ぶようになった。そして、3か月くらいして正之と和子、健司とは同居して家庭生活が始まり、平成元年6月22日婚姻届出を済ませた。正之は、子供好きで、健司をよくかわいがるが、他方然るべきときには叱りもしている。

なお、和子は現在正之の子を懐胎中で、平成元年12月中に出産の予定である。

(4)  正之と和子は、本件申立てが認められないときは、正之と健司との間において普通養子縁組をする心算であるが、正之は、健司の父である俊輔が借金まみれの人間であるから、将来俊輔の債権者が健司に対し俊輔に対する債権の取立てに来る可能性があり、また今度出生する子と健司との間に養子、実子の差をつけたくないと考え、本件申立てをした。

和子も、健司は正之を実の父と思っているし、学校への届出や健康保険の関係で、自分が養子である旨を健司に知られても困るとして、健司を申立人らの特別養子にすることを希望している。

2  そこで検討するに、本件は和子の連れ子である健司を和子と正之とが特別養子にしたいというものであるところ、和子についてみれば、従前と同様今後も引き続き健司を養育する訳であり、また俊輔は、健司出生後その養育に無関心であってこれを和子1人に押しつけ、現在は行方不明の状態にあり、健司の養育に対し悪らつな干渉や妨害をすることもないのであるから、結局民法817条の7に定めるところの「父母による養子となる者の監護が著しく困難又は不適当であることその他特別の事情がある場合」という特別養子縁組許可の条件には当らないというべきである。

なるほど、正之と和子は、俊輔の借金のことで健司が迷惑を被ることのないように、またやがて生れてくる実子との関係において健司がひけ目を感じたりすることのないように等考えて、本件申立てをしたものであって、健司の幸福を願う申立人らの心情は家事審判官にもよくわかるけれども、上記の特別養子縁組許可の条件を充たさない以上、本件申立てはこれを認めることができない。

3  よって、本件申立ては理由がないのでこれを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 重吉孝一郎)

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