大判例

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広島高等裁判所岡山支部 昭和36年(ネ)173号 判決 1965年6月30日

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、双方の申立て

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金四五万二八〇〇円および内金二〇万円に対する昭和三一年一一月二九日から、内金一九万八六〇〇円に対する昭和三二年一月八日から、内金五万四二〇〇円に対する同月一七日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は主文と同趣旨の判決を求めた。

第二、双方の主張と証拠

当事者双方の事実上および法律上の主張、証拠の提出・援用・認否は、左記のとおり付加するほか、原判決摘示に記載するところと同一である(ただし、原判決一枚目裏一三行目の「一一月二九日」を「一一月二八日」と、同二枚目表二行目の「一一月一日」を「一一月二日」と、同三行目の「一月八日」を「一月七日」と、同一一行目の「訴外吉川照男」を「吉川照道」と、同裏一行目の「昭和三三年」を「昭和三二年」と、同三枚目表一行目の「年六分」を「年五分」と訂正する)から、これを引用する。

控訴代理人は、

一、請負人は工事資材の購入資金、職人に対する賃金の支払にあてるため現金を必要とするので、一般に工事に着手したとき、或いはその一部が進捗したときに、注文主より請負代金のうち若干の金員の支払を受けるのであつて、その支払は通常現金または小切手によるのであるが、本件のように、手形の振出人(注文主)たる被控訴人において右の支払にあてる現金がないため、二カ月ないし三カ月先を支払期日とする約束手形を振り出した場合には、受取人(請負人)をしてこれを割り引き現金を取得させることにより、現金の支払をしたのと同一の効果を得させたことになるので、右手形は現金の支払に代えて振り出されたものということができる。

二、被控訴人は訴外有限会社大倉鉄工所、同広田美男に工事を請け負わせ、その請負代金の支払につき、本件各約束手形を同会社らにあてて振り出したのであるが、手形は流通証券であるので、受取人たる大倉鉄工所らより第三者に転転譲渡されるものである。したがつて被控訴人は大倉鉄工所らより右請負代金の請求を受けたとしても、後日右手形を譲り受けた第三者より、その手形金の請求を受ける場合のあることを考慮し、その手形との引替えなしには、同会社らに右請負代金を支払うことはない。

また受取人たる大倉鉄工所らは、右各手形を他で割引譲渡することにより、請負代金相当額を入手しているのであるから、更に振出人(注文主)たる被控訴人に対し請負代金を請求することもありえない。

そうすると、右各手形が請負代金の支払について振り出され、しかも他へ割引譲渡されている場合には、被控訴人は常に手形のみによつて決済する意思(少なくとも暗黙の意思)でこれを振り出し、鉄工所らとの間に、右振出しと同時に請負代金債務を消滅せしめる合意(少なくとも暗黙の合意)があつたものということができる。

したがつて、被控訴人は本件各手形を振り出したときに、大倉鉄工所らに対する請負代金の支払を免れ利得したものであつて、控訴人に対してその利得を償還する義務がある。

三、被控訴人より工事を請負つたのは大倉鉄工所らであつて控訴人ではなく、また控訴人は同鉄工所らより右請負代金債権を譲り受けたこともないので、被控訴人に対しては、ただ手形上の権利があるのみで請負代金債権を有しない。したがつて、右の手形上の権利と請負代金債権とが併存していることを理由に、被控訴人は手形振出しの原因関係においてなんらの利得をえていないとする見解は当たらない。

と述べた。

証拠(省略)

被控訴代理人は

一、控訴人の右一の主張につき

もともと手形の営む経済的機能は、信用取引を主とする現在の取引界において、金銭支払に関する時間的間隔を超克し、信用取引の用具として利用されることにある。すなわち、約束手形はその支払が確実であり、しかも流通性をそなえているので、資金を必要とする者により原因関係上生じている既存債務を決済する手段として振り出され利用される。そして右手形を受け取つた債権者は、銀行その他の第三者より割引を受けて請負代金債権を回収し、もしくは他の債権者に対する自己の債務の支払のために裏書譲渡等して、前者に対する代金債権を実質上回収することができる。したがつて振出人に現金がなく、受取人をして他で割り引かせ現金を取得させることを目的として約束手形を振り出すのは、手形振出しの際に通常みられる形態であつて、これによりその手形が「支払に代えて」振り出されたものと推定することはできないし、またそのような特別の合意があつたものとみることはできない。むしろ既存債務につき約束手形を振り出したときは、右債務の支払のためになされたものと推定すべきであつて、このことは判例・学説のひとしく承認するところである。

二、控訴人の前記二の主張につき

控訴人の法律上の見解は、結局、本件各手形が支払に代えて振り出されたものであるというに帰着するが、その採用できないことは前述のとおりである。しかも右見解は手形の受戻証券性、抽象証券性を忘れた謬論である。すなわち、手形債権は、手形が抽象証券であるため、請負代金債権(手形振出しの原因債権)と分離・独立しているので、手形が受取人たる大倉鉄工所らより第三者に裏書譲渡されたときには、手形債権のみが請負代金債権の移転の有無にかかわりなく独立して移転するものであり、したがつてこの場合にも両債権は併存し、大倉鉄工所らは振出人たる被控訴人に対し請負代金の請求ができないこともない。

三、控訴人の原審での自白(本件各手形が支払のために振り出されたものであるとの自白)の撤回については異議がある。

と述べた。

証拠(省略)

理由

一、被控訴人が昭和三一年九月二八日および同年一一月二日いずれも訴外有限会社大倉鉄工所にあてて、控訴人主張の本件約束手形二通((イ)額面金二〇万円、(ロ)額面金一九万八六〇〇円の各手形)を、同日訴外広田美男にあてて、控訴人主張の本件約束手形一通((ハ)額面金五万四二〇〇円の手形)を振り出したことは当事者間に争いがなく、手形の表面の部分はその成立に争いがなく、裏面の部分は当審証人安藤治浪の証言によつてその成立が認められる甲第一、二号証、手形の表面の部分はその成立に争いがなく、裏面の部分は当審証人広田美男の証言によつてその成立が認められる同第三号証、叙上各証人の証言、当審における控訴本人尋問の結果を綜合すると、前述の(イ)の額面金二〇万円の手形は昭和三一年一一月二九日に、(ロ)の額面金一九万八六〇〇円の手形は昭和三二年一月八日に、いずれも大倉鉄工所より控訴人に、(ハ)の額面金五万四二〇〇円の手形は、同月一六日広田より訴外吉川照道に、同日同人より控訴人にそれぞれ支払拒絶証書作成の義務を免除したうえ裏書譲渡され、控訴人が本件手形三通を所持するにいたつたことが認められる。

二、そして本訴の提起された昭和三五年七月一六日当時には、すでに本件手形三通の満期後三年以上を経過し、被控訴人の振出人としての右各手形債務が時効により消滅していたことは当事者間に争いがない。

三、控訴人は原審において、本件手形三通が控訴人主張の原因債務(請負代金債務)の支払のために振り出されたものであることを自白したが、当審にいたつてこれを翻し、同債務の支払に代えて振り出されたものであると主張し、右自白を取り消す旨の意思を表示したところ、被控訴人はこれについて異議を述べるので右自白の取消しが許されるか否かについて考察する。

1、控訴人の当審における一の主張について

約束手形が原因債務の支払のために(支払方法として)、或いは支払確保のために(担保のために)振り出された場合でも、手形の受取人は、満期の到来するのをまつて手形金の支払を受けることができるだけでなく、裏書禁止の約定がある等特別の事情のない限り、満期前においても銀行その他に割引を求めてその手形を現金化し、原因債権を回収したのと同一の経済的効果をあげることができる。したがつて、控訴人の主張するように受取人たる大倉鉄工所らが本件各手形の割引を受け、その額面に相当する現金を取得しているからといつて、直ちに、右各手形が原因債務の支払に代えて振り出されたものであるということにはならない。

2、控訴人の当審におけるこの主張について

約束手形の受取人は、前述のように当該手形を裏書その他の方法で対価を得て他に譲渡し、これにより振出人に対する原因債権を回収したのと同一の経済的効果をあげることができる。そして、かかる場合さらに振出人に対し原因債務の支払を求める必要はなく、かりに、これを求めたとしても、振出人よりその支払は手形の返還と引替えにする旨の同時履行の抗弁を提出されれば、結局その支払を受けえないことになる。この点は、まさに控訴人の指摘するとおりである。しかし、これは、右手形が原因債務の支払のために、或いは支払確保のために振り出された場合についてのみいえる(原因債務の支払に代えて振り出された場合には、これによつて右債務は消滅し、受取人より振出人に対しその支払を求めることは許されない)のであつて、右指摘の点からして、控訴人の主張するように、振出人は右債務の支払に代えて手形を振り出す意思を有していたものとすることはできない。

3、当審証人安藤治浪、同広田美男、控訴本人は、本件手形三通はいずれも被控訴人より大倉鉄工所および広田に対する請負代金につき、現金でその支払をする代わりに振り出されたものであると供述するが、右供述は当審証人熊本公平の証言と対比して措信できない。

4、そうすると、控訴人の自白が真実に反しかつ錯誤に出たものであるとの主張は認めがたいので、これを取り消すことは許されず、本件手形三通はいずれも原因債務の支払のために振り出されたものということができる。

四、右に認定した事実のほか、当審証人安藤治浪、同広田美男の各証言、当審における控訴本人尋問の結果の各一部を綜合すると、被控訴人は、大倉鉄工所に対して岡山駅西口拡張工事、日本映画劇場改修工事を請け負わせ、その請負代金債務の支払のために、前述の(イ)(ロ)の本件手形二通を振り出し、また広田美男に対して同映画劇場の屋根工事を請け負わせ、その請負代金債務の支払のために、前述の(ハ)の本件手形一通を振り出したこと、控訴人は、被控訴人が右のように大倉鉄工所らとの間に工事の請負契約を結ぶにあたつて両者の間を斡旋し、同鉄工所らに対し被控訴人より確実に請負代金の支払がなされることを言明していたこと、そのため控訴人は、本件手形三通が不渡りになつた後(ただし支払拒絶証書作成期間経過前)、右(イ)(ロ)の各手形については大倉鉄工所に対し、右(ハ)の手形については吉川を経て広田に対し、それぞれ右手形三通の額面に相当する金額を支払つてこれを譲り受けたことが認められる。

五、以上認定した事実関係からみると、控訴人は大倉鉄工所および吉川より本件手形三通を譲り受けたが、同人らとの間の原因関係においてなんらの債権も取得していないばかりでなく、振出人である被控訴人と直接手形の授受をしたものではないから、被控訴人に対し手形振出しの原因債権を取得しているものでもない(本件において控訴人が大倉鉄工所らより右債権を譲り受けたことを認めうべき証拠はない)。

そして大倉鉄工所および広田は、被控訴人に対して本件各手形債権のほか原因債権を有していたが、その後、前述のごとく控訴人に(前記(ハ)の手形については吉川を経て控訴人に)右各手形を裏書譲渡し、控訴人からその額面に相当する金額を受領することにより、被控訴人に対する請負契約上の義務履行についての対価を実質的に回収したもので、重ねて原因債権の行使を認める必要はなく、この点において被控訴人に利得が発生したものとしてその償還義務を認める見地もありえないではないと思われる。

そして手形法第八五条の利得とは、約束手形の振出人についていえば、原因関係上、現実に振出しの対価をえていることをいうのであつて、その対価たるや積極的に金銭その他の財産権を取得し、財産の増加をきたした場合のみならず、消極的に既存債務の支払を免れた場合をも包含するものと解すべきところ、大倉鉄工所および広田が前述のように本件各手形を裏書譲渡した段階では、同鉄工所らは控訴人らに対し裏書人としての償還義務を負担しているのであるから、これにより被控訴人に対する原因債権(請負代金債権)が消滅し、被控訴人においてその支払を免れたものと解することはできないし(被控訴人が控訴人主張のように手形振出しと同時に原因債務を消滅せしめる合意をしたことも、これを認めうべき証拠はない)、大倉鉄工所らは前述のように一応、被控訴人に対し原因債権を行使する必要がないとしても、償還義務者としての責任を追求された結果、これを行使したときには、被控訴人として原因債務の履行を免れることはできないので、被控訴人に利得が発生したものとする前述の見解は、結局、採用しがたい。

もつとも、大倉鉄工所および広田の控訴人に対する償還義務が満期後一年の時効期間経過で消滅することにより、大倉鉄工所らが控訴人よりえた対価の取得は決定的なものとなりその結果被控訴人に対する原因債権もまた消滅し、被控訴人は原因債務の支払を免れるにいたつたものというべきであるが、これによる利益の享受は、大倉鉄工所らの償還義務の時効消滅という被控訴人による本件各手形の振出しとは直接関係のない別個の法律上の原因に基づくものであるから、手形法第八五条に定める利得にあたらない。

六、そうすると、被控訴人に対し同条に基づき利得の償還を求める控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきであり、これと同趣旨の原判決は相当である。

よつて、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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