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広島高等裁判所 昭和62年(ネ)274号 判決 1990年10月25日

昭和六二年(ネ)第二四八号事件控訴人、同第二七四号事件被控訴人(以下、一審被告という。)

山口県

右代表者知事

平井龍

右指定代理人

橋本良成

外九名

昭和六二年(ネ)第二四八号事件被控訴人、同第二七四号事件控訴人(以下、一審原告という。)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

清水茂美

井貫武亮

内山新吾

於保睦

坂元洋太郎

田川章次

三浦諶

吉川五男

秋山正行

下田泰

臼井俊紀

主文

一  原判決中一審被告敗訴部分を取消す。

二  右取消に係る部分の一審原告の請求を棄却する。

三  一審原告の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも全部一審原告の負担とする。

事実

一  一審被告訴訟代理人は主文第一、二、四項同旨の判決を求め、一審原告の控訴に対し主文第三項同旨並びに「控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

一審原告は「原判決を次のとおり変更する。一審被告は一審原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五八年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも一審被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、一審被告の控訴に対して「本件控訴を棄却する。控訴費用は一審被告の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、一審被告において、別紙一のとおり本件留置の継続の適法性に関する主張の補充及び別紙三のとおり一審原告の補充主張に対する反論を、一審原告において別紙二のとおり本件逮捕及び留置の違法性に関する主張の補充をそれぞれするほかは、原判決事実適示のとおりであり、証拠関係は、原審及び当審記録中の各書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一当裁判所は、一審原告の請求は理由がなくこれを棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、次のとおり改めるほかは、原判決説示(原判決理由の一ないし四)のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一六枚目裏三行目の「第一一号証」を「第二三号証」に、同四行目の「甲第一号証」を「甲第二号証、乙第二七号証ないし第三七号証、第三九号証」に改め、同五行目の「同三浦一浩」を「原審及び当審における証人三浦一治」に訂正し、同行目の「並びに」の次に「原審及び当審における」を加え、同一八枚目表二行目の「否認し、」の次に「他に違反車があったと主張して」を、同二〇枚目五行目の「三浦警察官は、」の次に「逮捕の際領置された」をそれぞれ加え、同裏一〇行目の「偽違反車作り(偽の目撃証人の作出)などの」を「他の目撃者等に働きかけて違反車は別の車であったなどという偽りの供述をさせるなどして警察官の現認の証拠価値を減殺するような」に改め、同二一枚目表五行目の「その後」の次に「午後四時二五分」を加え、同六行目の「二〇分」を「四五分」に改め、同九行目の次に改行のうえ次のように加え、同一〇行目の「認められ、」の次に「乙第一号証の記載」を加え、同行目の「及び」を「並びに原審及び当審における」に改める。

「 この間、防府署においては、三浦警察官の指揮の下に右一審原告に係る道交法違反被疑事件につき、一審原告の取調べのほか、別紙一の二の2の(一)及び(三)ないし(七)記載のとおりの捜査活動を行なった。」

2  原判決二二枚目裏四行目の「右の」から同七行目の「そして」までを削り、同二三枚目表五行目の「前記の」を「大量の同種事犯を限られた人員で適正かつ迅速に処理しなければならないという交通法令違反事件の」に改め、同八、九行目の「無理からぬところであり、」の次に「反面、違反者としては、なるほど法律上は免許証提示の義務がない場合であるにせよ、道交法違反のような軽微な事件においてこれを警察官に示すことに通常は特段の差障りがあるわけではないし、それどころか捜査当局から自己にかけられた逃亡や罪証隠滅の嫌疑を速やかに晴らし得るところであるのに、」を加え、同裏一行目の冒頭から同五行目の末尾までを削り、同二四枚目表七行目の「なお」を「もっとも」に、同末行から同裏一行目にかけての「しかし」から同裏六行目の末尾までを次のように改める。

「 しかし、前認定のとおり、一審原告はいちおう「コウノ」と名のっていたとはいうものの、タクシー内部に備え付けられた乗務員票の乗務員名は「山田」と記載されていて一審原告の名のる名前とは明らかに異なっていたのであるから、その間の事情を全く知らない警察官としては、一審原告が故意に名を偽っているものと疑ってかかるのはやむを得ないところであり、これに加えて、一審原告は免許証の提示を拒んでいたのであるから、一審原告の身元の確認の手段として構内タクシーに電話で照会する等の方法が考えられないではないとしても、本件の場合、現に捜査に当っている警察官としては、「それだけでは会社の記録等に誤りがないとは断じ難いので身元確認の方法としては不十分である。」と判断し、あるいは「会社の記録そのものに誤りはないにしても、前示の一審原告の態度に照らせば、会社に身元の確認をしただけで簡単に一審原告を解放した場合においては、その後において一審原告が会社(構内タクシー)の担当者に働きかけて当日の会社の記録(運転日報等)には誤りがあったと認めさせる等の工作をするなどして罪証隠滅をはかる(罪体と行為者との結び付きを不明にさせる)などの挙に出るおそれがある。」ものと判断して、構内タクシーに対する電話照会その他の身元確認等の手段を構ずることのないままに、「免許証の提示がない以上一審原告の人定事項の確認をすることはできず、従って逃亡及び罪証隠滅のおそれがある。」ものと判断したものと推認されるところ、右判断は、右認定のような情況においては相当であったものというほかない。」

3  原判決二五枚目裏三行目の「そして」から、同九行目の末尾までを次のように改める。

「 すなわち、司法警察員は、被疑者の留置の必要があると認めたときは、その身柄拘束時から四八時間内に、これまで収集された証拠を整理し、これに加えて更に必要な捜査を行ったうえ、被疑者の身柄を検察官のもとに送致するか、それともそのまま釈放すべきかを決定することが要求されているところ、司法警察員が右のいずれの措置をとるか決定するまでの間、被疑者の逃亡又は罪証隠滅を防止するためその身柄を留置するのであるから、一旦司法警察員において引致された被疑者に逃亡又は罪証隠滅のおそれがあり、したがってその身柄を留置する必要があると認めたときは、その後における捜査の結果検察官のもとに被疑者の身柄を送致する必要がなくなったとか、反対に身柄送致に必要な捜査資料は既に十分調っているのに早急にこれを送致することを怠った等の特段の事情がない限り、留置の必要性は消滅せず、したがって法の許容する時間の範囲内での留置の継続である限り、原則として違法にはならず、捜査官としては、右被疑者の留置の期間を利用して右の必要な捜査をすることができ、その捜査の中には身柄拘束中の被疑者の取調べも当然含まれるところであるというべきである(刑訴法一九八条参照)。」

4  原判決二五枚目裏末行の「受ける」の次に「精神的苦痛、」を加え、同二六枚目表一行目の「右にいう留置の必要性の有無に関する資料の」を「右の」に、同六行目の「各種資料の収集」を「捜査、取調べ」にそれぞれ改め、同末行の「有った旨の」の次に「被疑事実とは相容れない事実の」を、同行目の「であるから、」の次に「後日、公判手続等でなされるおそれのある一審原告の右の趣旨の弁解等に備えて、被疑事実の固めの捜査をなすとともに、一審原告の右弁解事実についての」をそれぞれ加え、同裏四行目の「ただ」から同二七枚目表二行目の末尾までを次のように改める。

「 すなわち、前認定のとおり、一審原告が防府署に引致されたのは、同月一六日の一九時五九分であって、同人は弁解録取手続の後三浦警察官から第一回の取調べを受けたがその被疑事実を否認し、他の車両の違反行為であったかのようにほのめかしただけで全く取調べには応じなかったこと、そこで捜査当局としては、検察官への身柄送致や更にはその後の公判手続等に備えて、一審原告の逃亡や罪証隠滅行為等を防止しつつ、一審原告の被疑事実を固めるための捜査等を遂げるため、一審原告を引き続き留置する必要があったこと、翌一七日も前認定のとおり、前に引き続き一審原告の身柄を検察官に送致する等のため必要な捜査(指紋採取、写真撮影、勤務先の営業課長の取調べ等被疑者の人定事項関係、タクシーの実況見分、速度メーターの検査等被疑者が速度違反を否認しているところから被疑事実を固めるための捜査、身上調査照会など情状関係等の資料収集)を行い、併せて午前中(第二回)及び午後三時半頃(第三回)の二回にわたり一審原告を被疑者として取調べたが、一審原告は依然として被疑事実を否認したままであったことが認められるところ、右認定の事実によれば、本件にあっては一審原告が防府署に引致された時から翌一七日午後四時過ぎに防府区検察庁の検察官のもとに身柄を送致されるまでの間、終始一審原告を留置し、これを継続する必要があったものと認めるのが相当である。

もっとも、<証拠>によれば、一審原告の身柄の送致を受けた防府区検察庁の検察官は、身柄の送致を受けた一審原告を取り調べたものの同人が被疑事実を否認するまま同日五時四五分一審原告の身柄を釈放したことが認められるが、右のような措置を検察官がとったのは、前認定のとおり防府署において一審原告の身柄を留置して同人の逃亡と罪証隠滅とを防止しつつ、その間に裏付捜査を遂げて、同人が否認をしても公判維持に耐えられる程度に証拠固めができているところから、もはや罪証隠滅等のおそれはないものと判断した上であったと推認されるのであるから、一審原告の身柄の送致を受けた検察官においてこれを勾留請求することなく、そのまま一審原告の身柄を釈放したということから逆に、本件留置の必要性やその継続の必要性までなかったものと断ずることはできないものといわなければならない。」

二以上の次第で、一審原告の本訴請求を一部認容した原判決はその限度で相当でないから原判決中一審原告の請求を認容した部分を取り消して右部分の一審原告の請求を棄却することとし、一審原告の控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠清 裁判官宇佐見隆男 裁判官矢延正平は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官篠清)

(別紙一)

一 留置の継続の必要性の判断について

刑事訴訟法二一六条、二〇三条によれば、被疑者に弁解の機会を与えた段階でこれを留置する必要が認められれば、被疑者が身体を拘束された時から四八時間以内に限り、留置を継続できるのを原則とし、しかも、右制限時間内における被疑者の取調べ等を含め捜査の方法、程度ないし範囲をいかにすべきか、更には右の捜査の結果を受けて被疑者を釈放するか、それとも検察官に送致するか、また、いずれの時点でこれを行うのかにつき、担当捜査官の合理的な裁量に委ねていると解すべきである。

すなわち、被疑者に弁解の機会を与えた段階で、留置の必要性が認められる場合(逃亡、または罪証隠滅の虞が存在し、これを防止するため更に身柄拘束を継続する必要性が認められる場合)には、その後被疑者が身体を拘束されてから四八時間以内は、捜査機関において、その時々の具体的状況に応じて、如何なる捜査をするか、また、被疑者を釈放するか否か、検察官へいつ送致するかを自ら決定できるようにし、その判断を当該事件を含め多数の事件の捜査に従事しなければならない捜査機関の合理的な裁量に委ねることによって捜査機関をして十分な捜査活動を行うことを可能ならしめるとともに、他面四八時間以内という時間的制約を設けてその限度で被疑者の身柄拘束が不当に長時間にわたることのないように右の裁量に歯止めをかけ、もって捜査の必要性と被疑者の人権保障との調和を図ったのが法の趣旨と解されるのである。

そうとすれば、右の四八時間の間は、捜査機関としては、留置が不当に長時間にわたることがないように可及的速やかに罪体だけでなく情状の点も含めた資料の収集を行うほか、必要に応じ被疑者の取り調べを行うなど捜査の進捗に努めるべきではあるけれども、留置の継続それ自体が違法になることは原則としてはなく、留置の必要がないことが誰の目から見ても明白であるのに留置したなどといった裁量権のゆ越・濫用にわたると認められる場合にのみ、当該留置が違法となると解すべきである(このことは、刑訴法がその規定上捜査機関に対し弁解録取の段階で留置の要否につき検討判断することを求めるにとどまっている(二〇三条、二〇四条参照)ことからも、さらに、逮捕後の留置には、勾留取消しに相当する制度がなく、準抗告の途も認められていないことからも明らかといってよい。)。

けだし、弁解録取手続の段階で留置の必要が認められた被疑者についてその後も絶えず留置の必要性につき検討判断することを求めることは、初期段階における捜査の実際からみて現実的な措置であるとは言いがたいし、他面、右のような留置の必要性についての検討判断を要求しなくとも、被疑者の身柄拘束がその開始時から最大限四八時間という短時間に制限される以上被疑者の人権保障という法の趣旨にもとるものではなく、また、いったん逮捕の段階において司法審査を経て、又はこれと等置し得る現行犯逮捕の要件を充たしており、これに引き続く留置そのものによって新たに人権を侵害する恐れは少ないばかりか、更には逮捕後の留置は、逮捕の事後手続としての側面とともに、その後に想定される勾留手続を控えて同手続に移行することの当否を判断するための捜査資料収集手続、検察官送致のための事務手続としての側面をも有しているところ、右裁量権行使の判断は勾留の当否という将来の展望を踏まえながら捜査の進展につれて変化し得る流動的なものであって、右の判断をする前提となる捜査にも相応の時間を要するからである。

したがって、四八時間以内に釈放すべき義務が生ずるのは、ただその間に捜査機関において例えば他の身柄事件の捜査に時間を要したといった首肯すべき理由がないのに、通常の捜査におけるよりも殊更に当該事件の捜査手続きを遅滞せしめその結果捜査機関に与えられた裁量の範囲を逸脱していることが明らかであるとか、その後のいかなる捜査によっても勾留の必要が生ずるとは到底考えられないと認めるに足りる特段の事情が存する場合に限られるべきことになる。

そして、本件のように限られた陣容で大量な事件を迅速かつ適正に処理することが要請される交通事犯処理の局面においては、右の裁量権はより尊重されるべきである。

二 本件留置の適法性について

而して、一審原告が逮捕、引致されてから、翌一七日午後五時四五分に釈放されるまでの捜査経過は次のとおりであって、後述のとおりの当時の防府警察署交通課の事務処理体制からして、これ以上に早く捜査を遂げ、被疑者である一審原告に対する捜査当局としての処分方針を決定することはできなかったのであり、その間一審原告には逃亡又は罪証隠滅のおそれは終始あったのであるから、一審原告の身柄を留置しておく必要性は同人が釈放されるまでの間継続して存在したことは明らかであり、従って本件身柄の留置は全体として適法であったといわなければならない。

1 逮捕当日の捜査経過等

(一) 防府署への引致

一審原告は、昭和五七年一二月一六日一九時四五分現行犯逮捕されて一九時五九分防府署に引致された。

(二) 弁解録取手続

一審原告は同日二〇時一七分まで同署で司法警察員大西警部補から弁解の機会を与えられたが、その際、井貫武亮弁護士と清水茂美弁護士を弁護人として選任する旨告げただけで質問には応じなかった。

(三) 被疑者の身元確認

そのころ、逮捕の際押収した免許証によって、一審原告の氏名住所の確認ができ、照会の結果構内タクシーに勤務していることも判明した。

(四) 第一回取調べ

三浦警部が同日二〇時一八分から二〇時四〇分まで、一審原告を取り調べた。その際、一審原告は、反則告知書の受領を拒絶するとともに、検挙当時、同時に停車を命ぜられた他の車があったこと、及び一審原告は違反をしていない旨述べただけで、その他の質問には答えなかった。

(五) 留置室への収容

一審原告は、留置されることになり、入室手続きを経た上同日二〇時四五分留置室に収容された。

(六) 弁護士との接見

一審原告は、同日二三時〇五分弁護士井貫武亮と一〇分間接見し、その後は就寝した。

2 逮捕翌日(一七日)の捜査経過等

(一) 指紋採取、写真撮影等の鑑識作業

中澤巡査部長が、午前九時一〇分から午前九時五〇分までの間、刑事課取調室及び写場において実施した。

(二) 第二回取調べ

土井警部補が、午前一〇時四〇分から午前一二時までの間、刑事課取調室において実施した。

一審原告は右の取調べに対し、違反事実を否認し、「十分でないかも知れないが気分がすぐれないのであとで話す。」と供述していたものである。

(三) 押収したタクシーの実況見分

小川巡査部長ほか二名が、午前九時から午前九時四〇分までの間、警察署東側広場において実施した。

(四) 勤務先の営業課長の取調べ

坂井巡査部長が一審原告の勤務していたタクシー会社の営業課長若村敏に出頭を求め、午前九時三〇分から午前一一時までの間、参考人として取調べを実施した。

(五) タクシーの速度メーターの検査

横田巡査ほか一名が、午前一〇時から午前一一時までの間、押収したタクシーを防府市内の山口トヨペット防府営業所に搬送して、同タクシーの本来の運転手である山田哲男(乗務員票に記載してあった「山田」本人)の立会を得たうえ、速度メーターの検査を実施した。

本検査は、本件速度違反が車両故障(スピードメーターの故障等)に起因するものではないことを確認するために実施したものである。

(六) 捜査方針の検討

本件交通事件の捜査に当たった警察官が集まり、午後一時から午後一時三〇分までの間、前日及び当日午前中に行った捜査結果を検討し、今後の捜査方針を決定した。

(七) 一審原告の身上調査照会書の作成及び回答書の取得

花村巡査部長が、当日、一審原告に関する身上調査照会書を防府市役所へ持参して照会し、即日回答書を得た。

(八) 第三回取調べ

花村巡査部長が、午後二時二五分から一審原告に対して交通反則制度について再度説明した後、土井警部補が午後三時五分まで取調べを実施したが、一審原告は依然として被疑事実を否認した。

(九) 検察官への送致

以上のとおり、罪証隠滅を防止するための捜査を終えた時点で、捜査主任官三浦警部は本件送致に関して署長の決裁を受け、送致書類等を準備させるとともに、所管検察庁の検察官に対して電話で身柄付送致についての了解を得た後、午後四時二五分に身柄付で送致した。

3 本件当時の防府警察署交通課の現状

警察署においては、事案の内容により主管課が決められており、交通課の場合、本件のような交通違反事件の捜査のほか、交通事故の処理(捜査)、運転免許事務の取扱い、道路使用許可申請の取扱い、車庫証明の取扱いなどの事務を担当している。

本件当時、防府警察署交通課の陣容は、三浦警部以下二〇名の体制であったが、交通課は、担当事務の性質上他の部門と比べて一般市民の来訪が多く、各窓口に人員を配置する必要があり、また、年末年始特別警戒取締り期間中でもあったことから、交通課員全員を本件捜査に投入することは事実上不可能であった。

このような状況の中で、当時の防府警察署としては、早急な事件処理を行うため、可能な限りの人員を動員して先に述べた所要の捜査手続を適正かつ迅速に行ったものである。

(別紙二)

一 本件逮捕の違法性

本件のような交通法令の違反事件は、一般市民のほとんど誰もが経験することであり、日常生活に直結する問題であるうえ、形式犯であり、かつ、一般に罪質も軽微であるという特性を有する。これは、誰もが日常的に被疑者になりうるということであり、また、犯罪の性質上、強制捜査(その一つとしての逮捕)の必要性が一般に少ないと解されることを意味している。そして、いうまでもなく、逮捕は人身の自由に対する重大な侵害である。したがって、交通事件については、逃亡その他の特別の事情がない限り、極力逮捕を避けるべきものと考えられる。犯罪捜査規範二一六条は、以上のことを注意的に規定したものである。

とすれば、交通事件においては、現行犯逮捕における逮捕の必要性要件をことさらにゆるやかに解してはならないのはもちろん、むしろ、交通事件においては、一般事件に比べて、逮捕の必要性が厳格に解されるべきである。

右の解釈は、刑事訴訟法二一七条が、軽微事件については、人権保障の観点から、現行犯逮捕の要件を限定的に定めていることからも首肯されよう。

したがって、「交通法令違反の事件においては、大量の同種事犯を限られた人員で、適正かつ迅速に処理しなければならず、このことから、取り締まり状況や、現場での取り調べの実状に特殊性が生じることも認めざるを得ない。」というような考え方から、交通事件についての逮捕の必要性の有無の判断を却ってゆるやかに解することは許されないというべきである。けだし犯罪捜査規範二一六条は、原判決が指摘するような交通法令違反事件の取り締まりの特殊性を考慮に入れたうえで定められたものと解されるし、また、右のような、いわば、抽象的な取り締まりの必要性をもって人身の自由の制約を合理化することは許されないからである。

したがって、交通法令違反について、取り調べに対して反抗的であるとか、違反の事実を否認しているだけで、警察官は、安易に現行犯逮捕することが許されないのであって、被疑者に罪証隠滅のおそれあるいは逃亡のおそれがあり、そのおそれが具体的かつ厳格に認定される場合にはじめて、警察官は交通法令違反事件について、被疑者を現行犯逮捕することができると解するのが相当である。それ故、警察官が、逮捕の必要性を判断する資料の蒐集を怠り、主観的な判断のみで必要性ありと断定した場合、逮捕は違法であると言わざるを得ない。

1 免許証の不提示と逮捕の必要性

まず、違反者が免許証の提示を拒み、ことさらに非協力の態度をとる場合は、逃亡その他特別の事情があると認められてもやむを得ないとする考え方は誤りである。

たしかに、逮捕の必要性の有無の判断において、氏名・住居が明らかであるか否かは重要な要素であるし、免許証は人定事項を簡易かつ正確に確認しうるものである。

しかし、免許証の提示は、あくまでも人定のための一手段にすぎないのであって運転者の人定事項を確認する手段としては、他に、口頭でその住所、氏名等の陳述を求める方法、特に本件のように特定の会社のタクシー運転手であることが乗っている車や着ている制服から明らかな場合には、タクシー運転手は、会社側の指示によって配車され、常時会社と無線で連絡を取り合っており、したがって、会社側はどの車に誰が乗務しているかを正確に把握しているのであるから、これに照会する方法などが考えられるのであって、免許証の不提示という一事をもって、逃亡その他特別の事情の存在を事実上推認するということは許されない。

したがって、交通法令違反事件における逮捕の必要性の有無の判断においては、仮に、免許証不提示という事情が存したとしても、免許証以外に人定事項確認の手段があるかどうか、が事実に基づいて厳格に判断される必要があり、本件の場合のように、それ以外の手段があるときには、原則として、逮捕は必要性を欠くというべきである。

ところが本件では住所、氏名等、具体的な人定質問を全くしていないのであって、免許証を提示しないから住所・氏名が分からない、だから逃亡のおそれがある、というのは、不携帯の場合を考えてみるだけで、おかしいのは明らかである。

また、仮に一審原告がエンジンの停止をしていなかったとしても、通常運転手としては、仮令警察官に停止を命ぜられても、車外に出るとき以外はエンジンを停止させないものであって、運転手がエンジンを停止させなかったことをもって同人に逃走の意思があったと推認することはできないというべきである。

2 また、一審原告が違反を否認していること、住所、氏名を明らかにしないこと等の状況から、一審原告が走り去ってしまうと、違反者が誰であったのかが不明になるおそれがあるということだけから、罪証隠滅のおそれを導き出すことはできないというべきところ、そもそも本件では、一審原告は、住所、氏名、勤務先等について、警察官から具体的には聞かれていないのである。住所、氏名等を口頭で具体的に尋ね、乗務員票と違っていたら、理由を尋ねるというのが、当たり前であるのに、警察官らは、これらを全くしていない。尋ねもしないで、住所、氏名等が明らかでないから罪証隠滅のおそれありとするのは、さかさまの議論である。

むしろ、比較的閑散な道路における取締りにおいて、違反者が逃亡や罪証を隠滅するなどの行為を何らしておらず、単に警察官の指摘した違反事実を否認し、免許証の提示を拒否したことのみをもって、住所、氏名を質すこともなく、他に人定事項の確認手段をとらないまま、直ちに現行犯として逮捕することは、逮捕の必要性の要件を充たしていないというべきであり、否認していることだけをもって罪証隠滅行為であるということはできないというべきである。

してみると、本件逮捕現場において、罪証隠滅のおそれと言われているものは、速度記録紙の確認を拒否し、違反事実を否認していたというものに尽きる。しかし、速度記録紙の確認義務はない。また、否認するのが罪証隠滅だというのは、自白を強制することに帰し、それだけで罪証隠滅のおそれありとするのは、現行法上認められない。

3 本件で、現場警察官のとるべき態度は、次のとおりであった。

(一) 一審原告が、記録紙の確認を拒否し、否認した時点で、刑事手続による可能性があるので、氏名、住所、勤務先を聞き、それを別の警察官に指示する等して、直ちに無線等で、所轄署を通じて、または直接、確認を求める。必要な問い合せ先は、公安委員会、会社及び駐在所くらいのものであろう。

(二) 一審原告の同僚が来ていたのであるから、その者に、運転者の氏名等を尋ね、会社からの回答とも照合し、本人であることを確認する。

(三) これらと並行して、免許証の提示を求め、人定確認ができれば、直ちに行う。免許証を渡せと言ってはならない。渡すのがいやなら、窓越しによく見えるように示してくれと言う。

(四) 免許証による確認ができない場合は、問い合せによる回答があるまで、現場にとどまるよう、運転者に言う。

(五) 否認であれば、反則手続によらず刑事手続によること、後日呼出しをすること、出頭に応じること、などを伝える。

これだけでよいはずである。本件の取締事情のもとで、この程度のことはいくらでもできる。このような訓練がなされず、否認は罪証隠滅につながるとか、速度紙確認義務があるとか、免許証提示義務があるとか、警察官が思い込んでいるところが問題である。本件では、警察官らは、これらの労を全くとろうとさえしなかったのである、これらの労をとって、それでも不明とかいうのであれば、逮捕はやむを得ないかも知れないが、そうではない。

4 結局、本件は、小川警察官らにおいて、逮捕の必要性を判断する資料の蒐集は容易にできたにもかかわらず、これを怠り、その結果、逮捕する必要のなかった一審原告を、違法に逮捕したものである。

二 本件留置の違法性について

かりに、逮捕そのものが適法であるとしても、警察官は逮捕直後に一審原告の運転免許証を取得して、その氏名・住居等の人定事項の確認ができたのであるから、そのころ(少なくとも、弁解録取の時点では)留置の必要性を欠くに至ったことは明白であるから、それ以後の留置は違法である。

1 刑訴法二〇三条の解釈

逮捕に引き続く留置の適法性要件をどう考えるかは、直接には、刑訴法二〇三条(現行犯逮捕の場合は二一六条により準用)をどう解釈するかの問題である。

そこには、①同条の「四八時間以内」という時間的制限の意味をどう理解するか②同条の「留置の必要」の意味及び判断基準をどうとらえるかという問題が含まれている。

2 留置時間「四八時間以内」の意味

(一) 同条は、「留置の必要」(後に述べるように、罪証隠滅のおそれまたは逃亡のおそれ、をいうものと理解する)がなくなれば、その時点で「直ちに」被疑者を釈放すべきことを命じた規定であり、その限りで、捜査機関の裁量が認められる余地はないと解する。

この点、一審被告は、「弁解の機会を与えた段階で留置の必要性が認められる以上、……四八時間以内は留置を継続できるのが原則であって、その間……被疑者を釈放するか否か……の判断は、……捜査機関の合理的な裁量に委ねられていると解するのが相当である」と主張しているが、以下の理由により、明らかに同条の解釈を誤ったものといわざるをえない。

(二) 根拠

(1) 憲法三三条、同三四条によれば、憲法は、身柄の拘束については、人権保障の観点から、裁判官による事前抑制を行うことを求めており(いわゆる令状主義)、その内容として、身柄の拘束が令状により行われることを要求するのみならず、身柄を拘束された者を裁判官のもとに迅速に引致すべきことを要求していると解される。

(2) 憲法三八条一項が黙秘権を保障していること、同条二項及び刑訴法三一九条一項が任意性のない自白の証拠能力を否定していることから、身柄拘束中の被疑者には、供述しない自由のみならず、取調べそのものを拒む自由があると解される。

したがって、逮捕の目的を、被疑者取調べのためと解することはできない。

(3) 刑訴法六〇条一項各号が、勾留の必要性要件として限定的に掲げている事項から判断して、被疑者勾留は、将来行われる公判に備えて、被疑者の身柄を確保し、罪証の隠滅を防止することを目的として行われるものであって、被疑者の取調べはその目的ではないと解されるところ、勾留の前段階にあたる逮捕の目的についても、同様に解される(刑訴規則一四三条の三)。

(4) たしかに、法が警察段階で、最高四八時間もの留置時間を許容していることから、一見、右(1)ないし(3)の要請は厳格には貫かれておらず、捜査の必要性についても配慮がされているとも見うけられる。

しかし、刑訴法制定過程において、逮捕後早期に被疑者を裁判官に引致させる法規定を求めた占領軍総指令部側に対して、日本側は、当時の交通事情から、検察官のもとに被疑者を送致するのに四八時間は要する、と主張し、それが認められて現行規定となった、という経緯がある。つまり、少なくとも、立法過程においては、「四八時間」というのは、検察官送致のために物理的に必要な時間、と解されていたのである。

したがって、現在の交通事情のもとでは、右立法の前提たる事情が変わったことは明らかであるが、だからといって、留置時間の意味を捜査の必要性という観点から変質させることは、憲法の要請に低触するものであり、許されないというべきである。

(5) 以上の帰結として、捜査機関側の取調べその他捜査の必要性から、留置の継続を認めることはできず、逃亡のおそれまたは罪証隠滅のおそれという必要性要件が継続して存する限りにおいて、留置の継続が適法となると解する。

留置の必要性のチェックを原則として「弁解の機会を与えた段階」だけに限定し、その後は、釈放の可否を含めて捜査機関の裁量を認めようとする一審被告の解釈は到底とりえない。

3 留置の必要性の要件の内容、判断基準について

(一) 留置の必要性とは、逃亡のおそれまたは罪証隠滅のおそれのあることをいうと解する。逮捕の必要性要件と同様である。逮捕自体も、それに引き続く留置も、いずれも、将来の公判に向けられた制度である点で、別異に解する理由はない。

(二) したがって、留置の必要性の有無の判断にあたっては、逮捕の必要性について、一審原告が主張したところがそのままあてはまる。

すなわち、速度違反のような交通法令違反事件については、一般市民誰もが経験しうる形式犯で罪質も軽微であるうえ、罪証隠滅の可能性も一般的には考えられないものである。したがって、留置の必要性は厳格に判断されるべきであり、逃亡のおそれまたは罪証隠滅のおそれが具体的かつ厳格に認定される場合にはじめて、留置を継続しうると解すべきである。

(三) そして、速度違反事件においては、一般には、罪証隠滅のおそれは考えられないので、逃亡のおそれの有無が問題となるところ、被疑者がタクシー運転手である場合には、その氏名、住居等人定事項が判明すれば、特段の事情のない限り、逃亡のおそれもない、つまり留置の必要性を欠くと解される。

(四) したがって、逮捕後においては、逮捕前の交通違反現場での取調時とは異なり、単に被疑者の氏名、生年月日等が判明しただけでは直ちに留置の必要が消滅したとは解しがたく、被疑者の供述内容及び供述態度のほか、その家族関係、勤務状態等より広範な資料を総合して留置の必要性の有無(特に無いこと)を判断すべきものであり、各種資料の収集に必要な捜査時間は留置されるのもやむを得ないといわざるを得ないとする考え方は誤りである。

すなわち、

(1) なぜ「逮捕後においては」身柄拘束の必要性判断を、逮捕時と別異に解するのか、その理由がない。

(2) 留置の必要性を判断するに際して、右のとおり人定事項以外の諸事情を考慮すべきものと解したとしても、その資料収集に必要な時間内は留置されるというのば理解しがたい。なぜなら、右の見解では、「留置の必要があるから留置を認める」のではなく、「留置の必要があるかないかわからないから留置を認める」ということになるからである。これでは、結局、捜査の必要のため留置を認めることになりはしないか。留置の必要性は、その判断の時点で明らかになっている事実(資料)をもとに判断されるべきである。

(3) この点、本件と同じく速度違反の事例において、逮捕後弁解録取が終わった時点で、留置の必要性がなくなったと判断した事件(福岡地裁久留米支判・昭和六一年五月二六日・乙二六号証)が参考になる。

(4) かりに「被疑者の供述内容及び供述態度」が留置の必要性判断の際に考慮されるとしても、「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」とどう結びつくかを明らかにすることなく、「ただ、逮捕の前後を通じて被疑事実を否認していたのであるから、裏付け捜査のためさらに一審原告から詳細な供述を求める必要があり、そのため一審原告の黙秘権を侵害しない限度で説得のために有る程度の時間が必要であ(る)」というような、あたかも取調べ目的のために強制処分たる逮捕を利用できるかのような理由をもって本件留置を正当化することは、憲法及び刑訴法の原理から許されないというほかない。

4 これを本件について見れば次のとおりである。

(一) 一審原告を逮捕した警察官は、現場で免許証を押収し、それだけで直ちに人定事項の確認ができた。一審原告が、逮捕前に名乗っていた名前と同一であることが確認できたわけである。

また、実際に照会等により、勤務先、住居地の確認等もできた。事件そのものは交通反則事件であるということも明らかになった。つまり、軽微な形式犯であることが明らかになったわけである。

これらの事情に判明した時点で、留置場に一泊させるべき理由はなく、改めて任意出頭を求めるなどの方法で取調べを継続すべきであり、以後の留置は違法である。

(二) 逮捕当日、人定事項の確認ができた時点では、既に、逃亡のおそれなしと判断するに十分であった。

逮捕翌日の捜査は、一審原告に対する取調べ、車両の見分、メーター検査など車両に関わる捜査、若村敏の取調べ、警察官の捜査報告書等書類作成といったものである。これらのうち、一審原告の逃亡を防止するための捜査というものはない。既に、前日のうちに済んでいるのである。

(三) 罪証隠滅のおそれについても、最初から無かった。検察官は、取調べ後、一審原告が、速度に関しては被疑事実は認めていなかったにもかかわらず、釈放する手続をとったが、これは罪証隠滅のおそれが無かったということであろう。

一審原告が隠滅することのできた証拠とは一体何なのか。勾留、保釈請求却下などされて、準抗告や抗告で覆される例を見ると、想像を逞しくして実際にはできないことを如何にもありうることとして、罪証隠滅の「おそれ」に結びつけているが、「偽違反車づくり」だという本件もその類である。

速度違反の立証の必要な証拠は、すべて警察の手元にあった。車両は、警察に押収され、その車両に一審原告が乗車していた事実は、勤務先への確認、車両内にあって一緒に押収した運転日報から証明しうるものである。

一審被告は、「偽違反車づくり」と言うが、一審原告が積極的に、別の違反車を仕立てるというのは、実際不可能であるし、そのような意思も認められなかった。

他に違反車両があったとして、違反を否認する場合、捜査官側としては、実況見分調書、現認警察官の供述調書等で立証するのが通常で、それ以上に立証はしないし、他に違反車両がなかったことの証拠として十分だと考えられている。本件でも、その程度の証拠のみで、他に目撃者の供述調書は予定されていなかった。これらの証拠はいずれも一審原告においておよそ隠滅不可能なものである。

よって、「偽違反車づくり」を根拠に罪証隠滅のおそれありとした警察官の判断は、架空のできごとを想定した主観的なものにすぎず、住所、氏名、職業、勤務先、免許証、違反歴等が判明した時点で、罪証隠滅のおそれなしとして釈放すべきであった。

5 以上のとおり、仮に、逮捕を適法と解したとしても、人定事項の確認ができた時点で、逃亡のおそれ、罪証隠滅のおそれありとする相当な理由はなく、それ以後留置した行為は違法である。

(別紙三)

一 現行犯人逮捕の要件としての逮捕の必要性について

1 現行犯人の逮捕については、逮捕の必要性をその要件とすべきではない。

すなわち、現行犯逮捕にあっては、その者が現に犯罪を行い、又は現に罪を行い終わった場合であるとか、あるいは、一定の要件の下で罪を行い終わってから間がないと明らかに認められる場合であるため(刑訴法二一二条)、その者が犯人であることが明白であって、誤認逮捕を生じるおそれがなく、かつその処理には急速を要することから、令状主義の例外として、「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。」とされたものであり(刑訴法二一三条)、このような現行犯の性格にかんがみると、犯罪制圧の見地からも一般に逮捕の必要性は優に肯定できるところであるため、法は、軽微な罪の現行犯逮捕(刑訴法二一七条)の場合を除き、逮捕の必要性について規定せず、犯罪の明白性のみを逮捕の理由として掲げたものと解されるのである。そして、法が現行犯人については、私人にもこれを逮捕する権限を与えたのも、右の趣旨によるものであり、逮捕の必要性を逮捕の要件とする解釈が誤っていることは、その判断の前提として少なからず法律知識を必要とすることからも明らかであるといってよい(井上正治「逮捕手続における警察官の違法行為と公訴提起の効力」ジュリスト三七三号三五二ページ)。

この点につき、東京高裁昭和四一年一月二七日判決(下刑集八巻一号一ページ)が、「現行犯人の逮捕については逮捕の必要性の有無を判断する余地はなく、……」としているのは、正鵠を射たものというべきである。

2 仮に現行犯人の逮捕において逮捕の必要性が要件となるとしても、本件逮捕はなお右必要性をも充たした適法なものであったことは疑いの余地がない。

けだし、証拠上明らかなように、

(一) 一審原告は、誰の眼にも明らかな速度違反を否認し、速度記録用紙の確認をするようにとの説得にもまったく応じる気配がなく、

(二) 免許証(これが交通事件の処理において有する役割については、原判決が正当に指摘するところである。)の提示をするようにとの説得に対しても同様に応じる気配がなく、

(三) 右説得は、複数の警察官によって、約一八分間に及んだ、

(四) 一審原告がいうところの、免許証の「提示」とは、せいぜい左手でわしづかみの状態のままその左脇腹の付近でチラチラさせただけで、その記載内容は警察官のよく確認しうるところではなかった、

(五) 運転車両のエンジンはきらないで、室内灯を消し、運転席側ドア以外の三つのドアをすべてロックし、さらに運転席側ドアも再三にわたって閉めようとした、

(六) 終始、運転席に坐ったままで降車しようとせず、

(七) タクシー内の乗務員証(「山田」)と異なる氏名(「コウノ」)を名乗り、そのくいちがいの理由を明らかにしようとしていない、

(八) 終始、警察官に対して非協力的な姿勢で、ことさらに紛糾させるような態度があきらかであった、

以上の諸点から考えて、担当警察官らが一審原告について、逃亡及び罪証隠滅のおそれがあると判断したのはまことに当然であるといわねばならない。

3 一審原告は、免許証の提示などさせなくとも、会社に問い合せるなどの方法により、十分人定事項を確認し得た旨主張する。

しかし、さきにみたように、本件における一審原告の言動や態度は、通常のこの種事件の違反者と著しく異なっていたから、果たしてその言うところのどこまでを信用して照会すべきものか疑わしく思えたとしても無理からぬことであって、しかも、仮に右照会で本件タクシーの運転者の氏名が判明したところで、その者が現に運転している者であることをみとめるに足りる的確な資料がないのであるから、結局、右方法によっては運転者の人定事項を確認することはできないものといわざるを得ない。

4 のみならず、運転免許証の交通事件の処理において有する役割について付言すると、当時は(昭和六二年の法改正によって、現行法は異なる。)、その記載によって過去一年以内に免許の効力の停止処分を受けたことがあるかどうかの確認をしており、これは反則行為としての処理が可能であるかどうかという手続決定の前提事実として重要であった。このように、道路交通法が運転者に常に免許証の携帯をすることを義務付け、一定の場合にその提示義務を課しているのは、交通法令違反事件の大量迅速処理の要請から、免許証それ自体から、当該本人の住所、氏名、免許の種類、処分歴等を確認できるよう図っていると考えるべきである。

したがって、本件における一審原告のように免許証を提示しない交通違反者にあっては、交通反則制度を適用しての処理あるいは任意捜査といった通常の交通違反者と同様の事件処理を行うことはできず、一審原告を現行犯逮捕した上で事件処理を行ったことにつき何ら違法な点はない。

二 逮捕直後の留置の適法性について

1 留置の必要性とは、逃亡又は罪証隠滅のおそれが存在し、これを防止するためさらに身柄の拘束を継続する必要性があることを意味するものと解されるところ、既に一審被告が主張しているとおり、犯罪捜査規範一三〇条三項では、「被疑者の留置の要否を判断するに当っては、その事案の軽重および態様ならびに逃亡、罪証隠滅、通謀等捜査上の支障の有無ならびに被疑者の年齢、境遇、健康その他諸般の状況を考慮しなければならない。」とされているところである。

2 ところで、一審原告は、「仮に、逮捕そのものが適法であるとしても、警察官は逮捕直後に一審原告の運転免許証を取得して、その氏名・住居等の人定事項の確認ができたのであるから、そのころ(少なくとも、弁解録取の時点では)留置の必要性を欠くに至ったことは明白で、それ以後の留置は違法である。」と主張し、さらに、「速度違反事件においては罪証隠滅のおそれは考えられないので、逃亡のおそれの有無が問題となるところ、被疑者がタクシー運転者である場合にはその氏名・住居等人定事項が判明すれば、特段の事情のない限り、逃亡のおそれもない、つまり留置の必要性を欠くと解される。」と主張する。

3(一) しかしながら、速度違反事件の被疑者について、直ちに逃亡又は罪証隠滅のおそれがあるため留置の必要があると言い得ないとしても、本件の場合には、一審原告の態度や供述が一般の被疑者の場合とは全く異なっていたことから、その留置が必要であった。

(二) すなわち、一般の被疑者の場合には、警察官の求めに応じて免許証を提示して人定事項を明らかにし、速度記録紙に印字された速度を確認して押印(指印)し、交通反則者の場合は反則切符の供述書欄に署名押印(指印)して反則告知書を受領するのが通常である。

ところが、一審原告の逮捕前後の言動は、先にも指摘したように、

① ことさらに違反事実を否認して速度記録紙の確認を拒否し、

② ポケットから免許証を出してはいたが、警察官に記載事項が読み取れないようにして、人定事項を明らかにしないまま、

③ 降車しないままエンジンも切らず運転席以外のドアをロックし、

④ 無線で同僚運転手に応援を求め、

⑤ 弁解録取の段階で違反事実を黙秘しただけでなく、「同時に止められた車両があった」旨当時交通取り締まりに当たっていた担当警察官の認識とは明らかに食い違う内容の供述をして、反則告知書の受領を拒否した、

というものである。

(三) 右の経緯から、捜査機関は反則事件ではなく刑事事件として処理していたが、その時点では一審原告の取調べを含む捜査は未だ十分には行われていないし、右のようなその言動から判断して、そのまま一審原告を釈放すれば、今後の出頭確保が困難となり、仮に出頭したとしても、罪証を隠滅するおそれがあると思科されたので、留置を要すると判断したのである。

したがって、本件では、不明であった被疑者の氏名・住所が判明したというだけで、直ちに逃亡又は罪証隠滅のおそれが解消したと即断することはできない。すなわち、これらが解消したかどうかは、被疑者の供述の内容及びその態度、家族関係、勤務状況、前科前歴等広範な事情を総合して判断すべきことである。

(四) すなわち、逮捕後においては、逮捕前の交通違反現場での取調時と異なり、単に被疑者の氏名、生年月日等が判明しただけでは直ちに留置の必要が消滅したとは解しがたく、被疑者の供述内容及び供述態度のほか、その家族関係、勤務状況等より広範な資料を総合して留置の必要性の有無(特にないこと)を判断すべきものと解するのが相当であって、捜査機関においてもはや留置の必要性がないものと判断されない限り、これを継続しても留置は適法であるというべきである。

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