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広島地方裁判所呉支部 昭和56年(ワ)141号 判決 1989年8月31日

主文

一  亡柏村毅がした広島法務局所属公証人加藤輝作成昭和五三年第一二三九号公正証書による遺言は無効であることを確認する。

二  甲事件被告堀向正恵は、別紙遺産目録記載1、2の土地の共有持分六分の一、同記載3の建物の共有持分六分の一及び同記載4の建物の所有権について広島法務局呉支局昭和五六年一月二八日受付第一七七二号昭和五五年一二月二一日遺贈を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  甲事件被告堀向正恵は、甲事件原告柏村直子、同三浦由香志、同柏村享子に対し、それぞれ金八万五〇六八円及びこれらに対する昭和六二年六月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  甲事件原告柏村直子、同三浦由香志、同柏村享子らのその余の請求及び丙事件原告堀向正恵の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、全事件を通じ、これを五分し、その四を甲事件被告乙事件被告丙事件原告堀向正恵の負担とし、その余は、甲事件原告柏村直子、同三浦由香志、甲事件原告乙事件原告丙事件被告柏村享子らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(甲事件、乙事件)

一  主位的請求の趣旨

1  主文一項同旨

2  主文二項同旨

3  甲事件被告堀向正恵は、甲事件原告柏村直子、同三浦由香志、同柏村享子に対し、それぞれ金三〇八万三四六二円及びこれらに対する昭和六二年六月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は甲事件被告堀向正恵の負担とする。

二  予備的請求の趣旨

1  乙事件被告堀向正恵は、別紙遺産目録記載1、2の土地の共有持分六分の一及び同記載4の建物の所有権について広島法務局呉支局昭和五六年一月二八日受付第一七七二号昭和五五年一二月二一日遺贈を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

2  訴訟費用は乙事件被告堀向正恵の負担とする。

三  請求の趣旨に対する答弁

1  甲事件原告ら及び乙事件原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は甲事件原告ら及び乙事件原告の負担とする。

(丙事件)

一  請求の趣旨

1  丙事件被告柏村享子は、丙事件原告堀向正恵に対し、別紙遺産目録記載4の建物を明渡せ。

2  丙事件被告柏村享子は、丙事件原告堀向正恵に対し、昭和五六年一月二八日から右建物の明渡し済みまで一か月金五万円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は丙事件被告柏村享子の負担とする。

4  1、2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  丙事件原告堀向正恵の請求を棄却する。

2  訴訟費用は丙事件原告堀向正恵の負担とする。

第二  当事者の主張

(甲事件)

一  請求原因

1 相続の開始

柏村毅(大正六年二月一七日生、以下、毅という。)は、昭和五五年一二月二一日に死亡したところ、その相続人は、妻の甲事件原告柏村直子(以下、原告直子という。)、長女の甲事件原告三浦由香志(以下、原告由香志という。)、次女の甲事件原告乙事件原告丙事件被告柏村享子(以下、原告享子という。)の三名であり、その相続分は、各三分の一である。

2 遺言公正証書の存在

遺言者毅の嘱託による広島法務局所属公証人加藤輝昭和五三年一二月二六日作成昭和五三年第一二三九号遺言公正証書(以下、本件公正証書という。)が存在し、同公正証書には、毅の遺言(以下、本件遺言という。)として別紙遺言目録のとおりの条項の記載がある。

3 遺言の無効-その1(方式違反)

(一) 本件公正証書の作成については、公証人は、左記二名の証人の立会をもって遺言者からその遺言の趣旨の口授をうけてこれを筆記し、これを遺言者及び証人に読聞かせたところ、三名とも筆記の正確なことを承認して署名捺印したとされている。

歯科医師 檜垣正男

明治四一年一一月一四日生

歯科医師 大下健吉

大正三年一月三日生

(二) しかし、右両証人は、毅が公証人に遺言の趣旨を口授する際には、口授の席から約七メートル離れその中間に公証人の書記二名がテーブルで執務しているのを挟んだ控者テーブルに居て、口授の内容が聞取れていなかった。

従って、本件公正証書は、民法九六九条の定める証人立会の要件を欠いて無効であり、従ってまた、本件遺言も無効である。

4 遺言の無効-その2(公序良俗違反)

(一) 毅と原告直子は、昭和二二年八月八日婚姻し、昭和二三年一月二〇日に長女の原告由香志を、昭和三一年三月二三日に次女の原告享子をもうけた。

毅は、昭和三三年ころから原告直子と別居し、昭和四〇年初めころ、離婚訴訟(広島地方裁判所昭和四〇年(タ)第三号、以下、単に離婚訴訟という。)を提起したが、昭和四五年一〇月三〇日、請求を棄却され、控訴審(広島高等裁判所昭和四五年(ネ)第三七五号)でも、昭和四七年六月二六日、控訴を棄却され、上告審(最高裁判所昭和四七年(オ)第九一七号)でも、昭和四七年一二月二六日、上告を棄却され、(以下、これらの判決をそれぞれ一審判決、控訴審判決、上告審判決という。)、同日、一審判決が確定した。

(二) 毅は、原告直子と別居したところから被告と情交関係を持ち、昭和四一年六月ころから被告と同棲し、昭和五五年一二月二一日死亡するまで継続した。

(三) 毅は、離婚訴訟において、婚姻関係は破綻し、婚姻を継続し難い重大事由があると主張したが、一審判決では、毅が女性関係を清算して再び原告直子と同居生活をすれば、夫婦関係は円満に継続し得るとしてこれを否定され、控訴審判決、上告審判決でもこの判断が維持された。

(四) 毅は、昭和四八年九月二八日、左記条項を内容とする公正証書遺言(広島法務局所属公証人光野勇作成昭和四八年第一二七三号遺言公正証書、以下、この公正証書を第一次公正証書、この遺言を第一次遺言という。)をした。

1 遺言者は、その遺産を包括して左記受遺者に遺贈する。

呉市本通二丁目九番四号

受遺者(内妻) 堀向正恵

2 遺言者の葬儀執行ならびに爾後の祭祀は前記内妻を主宰者に指定する。

3 遺言者の母松枝の葬儀に際しては、妻直子及びその子の会葬を相続人等において拒否するよう希望する。

(五) 毅は、昭和五三年一二月二六日に至って本件遺言をしたところ、その内容は、第一次遺言の1を取消し、毅の遺産のうち有限会社柏村ビルの出資金の各三分の一を原告ら三名に相続させるが、その余は全て被告に遺贈するというものである。

(六) しかし、毅の遺産は、別紙遺産目録(以下、単に遺産目録という。)記載のとおり多種多額であるに比し、右出資金の口数は二〇〇口にすぎず、しかも、有限会社社員の持分の譲渡には制限があり、その価値は僅かであるから、本件遺言による被告への遺贈は、第一次遺言の包括遺贈と実質的に変わらない。

なお、右遺産のうち、登記簿上被告ないしその親族の所有名義となっている不動産も、全て毅の歯科医師としての多額の収入によって取得されたものであり、生命保険については、保険金の受取人を原告由香志、同享子とされていたものを、被告が、無断で自己に変更したものであるが、これらが本来の遺産ではないとしても、毅の収入によって取得されたものであることに変わりはない。

(七) 被告は、毅と同棲する以前から呉服商を自営しており、老後の生活に不安はない。

他方、原告らは、格別の財産もなく、原告直子は、生活の手段を持たず、原告享子は、未婚である。

(八) 毅は、一審判決の確定後も、被告との関係を清算しないばかりか、被告に生活の不安もないのにかかわらず、右確定の直後ともいうべき昭和四八年九月二八日に、一審判決を無視し、これに真正面から対抗して、第一次遺言をし、昭和五三年一二月二六日に、本件遺言に変えたが、それは、実質的に第一次遺言の踏襲であるから、本件遺言は、被告の老後の生活を保全するためのものではなく、一審判決で清算すべきものと指摘された不倫関係を維持強化するためのものであり、しかも、右遺贈は、原告らの生活の基盤を脅かすものである。

従って、本件遺言は、公序良俗に反し、無効である。

5 遺贈の登記

(一) 遺産目録記載1、2の土地、3の建物について毅が有していた共有持分六分の一及び同記載4の建物について毅が有していた所有権について、広島法務局呉支局昭和五六年一月二八日受付第一七七二号昭和五五年一二月二一日遺贈を原因とする毅から被告への所有権移転登記がなされている。

(二) なお、遺産目録記載1、2の土地は、相続開始当時は左記のとおり一筆であったが、昭和五七年九月二七日に分筆された。

呉市本通二丁目九番二

宅地 八一二平方メートル二九

6 相続債権の受領

(一)(1) 毅は、遺産目録記載23のとおり広島県歯科医師会に対し会館建設負担金一〇万円を納付していた。

(2) 毅は、昭和五五年一二月二一日に死亡したところ、本件遺言によって遺言執行者に指定された檜垣正男は、昭和五七年六月二六日、同医師会から右負担金一〇万円の返還をうけ、これを被告へ交付した。

(二)(1) 毅は、遺産目録記載21のとおり金一五万五二〇五円の郵便貯金をしていた。

(2) 被告は、昭和五六年一月一二日、右貯金全額の支払いを受けた。

(三)(1) 毅は、遺産目録記載24のとおり安田信託銀行広島支店に団体信託積立金一四九万四七二二円をしていた。

(2) 被告は、右積立金全額の支払いを受けた。

(四)(1) 毅は、遺産目録記載19のとおり広島銀行本店で広島県歯科医師貯蓄組合積立預金一〇一四万一二〇一円をしていた。

(2) 被告は、昭和五七年六月二六日、右積立預金から毅の広島銀行本店での広島県歯科医師貯蓄組合からの借受金の残額金二六四万〇七四〇円を控除した残額金七五〇万〇四六一円の支払いを受けた。

7 請求

よって、原告らは、

(一) 本件遺言の無効であることの確認、

(二) 所有権に基づき、被告に対し、前記5の所有権移転登記の抹消登記手続をなすこと、

(三) 被告は、前記6の(一)ないし(四)のとおり法律上の原因なくして毅の遺産合計金九二五万〇三八八円を取得し、原告らは、これと同額の損失を受けたから、不当利得返還請求権に基づき、被告に対し、原告らへそれぞれの相続分(各三分の一)に応じた各金三〇八万三四六二円及びこれらに対する不当利得返還請求拡張の日の翌日である昭和六二年六月五日から完済まで民法所定年五分の割合による利息を支払うこと、

を求める。

二  請求原因に対する認否

1 1は認める

2 2は認める。

3(一) 3の(一)は認め、(二)は否認する。

(二) 毅が公証人に対し遺言の趣旨を口授する際、証人檜垣正男、同大下健吉の両名は、終始立会してこれを確認した。

4 (一) 4の(一)ないし(五)は認め、(六)ないし(八)は争う。

(二) 遺産目録記載6ないし11の不動産は、真実それぞれの所有名義人の所有である。

遺産目録記載6の土地は、被告が、昭和三四年一〇月七日に買受けた。この土地の隣地にあったマーケットの売場三区画の売却代金を購入資金にした。

遺産目録記載7の建物は、株式会社東伸ビルが、昭和四六年一二月二〇日に新築した。建築費は、住友銀行から合計金二〇〇〇万円を借入れた。

遺産目録記載8の土地は、堀向憲治が、昭和四三年六月二一日に買受けた。憲治は、被告の従兄で、静岡市在住の開業医であるところ、歳をとったら呉市に帰るつもりで右土地を購入したが、その後、静岡市に永住することにしたので、後日堀向洋治が買取る予定である。

遺産目録記載9の建物は、堀向洋治が、昭和五三年七月二二日に新築した。建築費金八六〇万円のうち、金三八〇万円を住宅金融公庫から、金三〇〇万円を三和銀行から各借入れた。

遺産目録記載10の土地は、被告が、昭和三九年一二月二四日に約一一〇万円で買受けた。資金は、被告が相続した呉市松本町の土地の共有持分二分の一を妹岡本房枝へ譲渡した対価金一〇〇万円をあてた。

遺産目録記載11の建物は、被告が、昭和四〇年に新築した。建築費約金一〇〇万円は、被告の実父(被告の母と離婚し、再婚して東京に住んでいた。)が昭和三三年に死亡し、昭和三九年ころ父の再婚先の相続人が不動産相続登記のための相続分放棄を求めにきた際に受領した金一〇〇万円をあてた。

(三) 毅と原告直子との夫婦関係は、昭和三〇年ころ破綻して、別居し、毅と被告は、昭和三二年ころから同棲し、昭和五五年一二月二一日に毅が急死するまで継続した。その間、歯科医師で呉歯科医師会長の要職にも就いた毅に被告も同伴されて公式行事に出席したりして、毅と被告は、周囲の多くの者から夫婦として接しられた。また、毅は、同じ呉市に住む原告直子とは交渉を持とうとしないまま二〇年を経過し、毅と原告直子の夫婦関係が修復される見込みはなかった。そして、本件遺言による遺贈は、右長期間の同棲生活を前提とし、毅が被告の老後の生活を保全するためになされたものである。

他方、毅は、原告享子の大学学資と生活費及び原告直子の生活費を毎月送金していた。そして、原告らは、本件遺言によって有限会社柏村ビルの出資金二〇〇口を相続することとされたところ、これは同会社の全出資口数五〇〇口の一〇分の四に相当し、同社は、坪当たり金三〇〇万円の価値ある土地一〇〇坪とその地上の四階建ビルを所有しているから、被告への遺贈は、原告らの生活の基盤を脅かすものではない。

従って、本件遺言は、公序良俗に反するものではない。

5 5の(一)、(二)は認める。

6(一) 6の(一)の(1)、(2)は認める。

但し、この負担金については、毅によって被告が第一受領権者に指定されていた。従って、この負担金返還請求権は、被告固有の権利であって、毅の遺産ではない。

(二) 6の(二)の(1)、(2)は認める。

(三) 6の(三)の(1)は認め、(2)は否認する。

(四) 6の(四)の(1)は認め、(2)は争う。

被告は、遺産目録記載25の明治生命グループ保険金一五〇〇万円及び遺産目録記載19の広島県歯科医師貯蓄組合積立預金一〇一四万一二〇一円の合計金二五一四万一二〇一円から遺産目録記載39の広島県歯科医師貯蓄組合借入金の昭和五七年六月二六日現在の残債務金一七六四万〇七四〇円を差引いた残額の金七五〇万〇四六一円を受領したものである。

なお、遺産目録記載25の明治生命グループ保険については、保険契約において被告が保険金受取人に指定されており、遺産目録記載19の広島県歯科医師貯蓄組合積立預金については、毅によって被告が第一受領者に指定されていた。従って、これらは、被告固有の権利であって、毅の遺産ではない。

(乙事件)

一  請求原因

1 毅は、遺産目録記載1、2の土地の共有持分二分の一及び遺産目録記載4の建物の所有権を有していた。

2 毅は、昭和五五年五月、原告享子に対し、右土地の共有持分二分の一及び右建物の所有権を贈与した。

3 右土地建物について、甲事件請求原因5の(一)のとおりの所有権移転登記がなされている。

4 よって、原告享子は、甲事件請求の趣旨1、2の請求が認められないな場合、予備的に、被告に対し、右所有権移転登記の抹消登記手続をなすよう求める。

二  請求原因に対する認否

1 1は認める。

2 2は否認する。

3 3は認める。

(丙事件)

一  請求原因

1 毅は、遺産目録記載4の建物を所有していた。

2 毅は、本件公正証書によって本件遺言をして、右建物を被告に遺贈した。

3 毅は、昭和五五年一二月二一日に死亡した。

4 原告享子は、遅くとも昭和五六年一月二八日から右建物を占有している。

5 右建物の賃料相当額は、一か月金五万円である。

6 よって、被告は、原告享子に対し、右建物の明渡し及び昭和五六年一月二八日から右建物明渡済みまで一か月金五万円の割合による損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1 1は認める。

2 2は認める。

しかし、本件遺言は、甲事件請求原因3、4の理由で無効である。

3 3は認める。

4 4は認める。

5 5は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

第一  甲事件について

一  遺言の無効(方式違反)

1  請求原因1、2及び3の(一)の事実は当事者間に争いがない。そこで、本件公正証書作成時の口授の状況について検討する。

右口授の状況についての証人檜垣正男の証言の要旨(以下、檜垣証言という。)は、次のとおりである。

「檜垣正男と大下健吉が公証人役場へ行った時には、もう大体の書類が書きかけてあって、毅が事務員に対し、ああだ、こうだと言っていた。檜垣と大下は、続いて毅と事務員が質問や話合いをするのを脇部屋で聞いていたが、細かい事は檜垣らが口出しすることもないので黙っていた。いちいち直したり確かめたりしてやっていた。檜垣は、毅と事務員が二人で相当長い間話をしているのを脇部屋で聞いていたが、随分と時間がかかるんだなあ、公正証書はああやって作るんかいなあとおもっていた。公正証書を読んだとき、こういう風に分けたんだなあと思った。」

そして、<証拠>によれば、証人檜垣正男の言う事務員とは公証人のことであり、加藤公証人役場の執務室は、一個であってこれに脇部屋というべきものはなく、証人檜垣正男の言う脇部屋とは、公証人の執務机から約七メートル(約四間)離れたところに在る控者テーブルのことであり、このテーブルと公証人の机の間には、現に二人の書記が執務する机二個があったことが認められる。

2  証人加藤輝は、遺言公正証書作成手続について法定の要件を欠くことはないと供述するが、他方、公証人在任中の一〇年間に二千数百件の遺言公正証書を作成しており、本件公正証書作成時の具体的状況は全く記憶していないとも供述しているから、同証人の証言は、檜垣証言を否定し得ない。

証人大下健吉は、毅が公証人の机の前に立って遺言の趣旨を口授する際、大下健吉と檜垣正男は、毅の右側と左側にそれぞれ立って、終始立会していた。大下と檜垣が控者テーブルへ移って待ったのは、口授が全て終わって後、毅から、清書(公証人による公正証書書面への口述の筆記)するのに暫らく時間がかかるから、向こうで休んでくれと言われたからである旨供述する。しかし、同証人は、大下と檜垣が控者テーブルにいるとき、毅は、公証人の机の横にいて、公証人の問いにずっと答えていたとも供述しているところ、これは、両立会証人と離れた所で口授がなされつつあったことを意味するのであって、右供述は、信用できない。

3  そして、前記の檜垣証言と公証人執務室の状況に、本件遺言の内容は、別紙遺言目録記載のとおり複雑で多岐にわたっていることを合わせれば、本件遺言の両立会証人は、口授が始まってから公証人役場に着き、しかも、毅が公証人に口授しているのを、約七メートル離れたところで、十分聞取れないまま傍観者的に耳にしていただけであって、毅のする口授の内容を具体的正確に確認し得ていないと認めざるをえない。あるいは、少なくとも、遺言公正証書が方式に従って作成されたことについての立証責任は、その有効成立を主張する者の側にあるところ、右のとおり口授の内容を具体的正確に確認し得ていないとの疑いが極めて大である。

そして、民法九六九条一号が証人の立会を遺言公正証書作成の一要件としたのは、証人に遺言者の口授を耳で聴かせ、その後公証人による公正証書の読上げを聴かせ、この両者の比較によって証書の記載が口授のとおりであるかを確認させることによって、遺言書作成の適正を担保するためであるところ、右の状況では、檜垣と大下は、口授と証言の内容が一致するか否かを確認するに由がなく、同法条の定める証人立会の要件を実質的に欠くといわざるをえない。従って、本件公正証書は、その作成の方式に違背して無効であり、従ってまた、本件遺言も無効である。

よって、原告らの本件遺言無効確認請求は理由がある。

二  遺贈の登記抹消

請求原因5の(一)、(二)の事実は当事者間に争いがないところ、前認定判断したところから明らかなとおり、被告への遺贈は無効であり、遺産目録記載1ないし4の土地建物の共有持分ないし所有権は原告らが共同相続したこととなるから、原告らの被告に対する所有権移転登記抹消登記手続請求は理由がある。

三  不当利得返還

1  請求原因6の(一)の(1)、(2)の事実は当事者間に争いがないところ、毅によって被告が会館建設負担金返還請求権の第一受領権者に指定されていた事実を認めることのできる証拠はなく、被告への遺贈は無効であるから、被告は、法律上の原因なくして会館建設負担金一〇万円を受領して利得し、毅の相続人である原告らは、同額の損失を負ったこととなる。

2  請求原因6の(二)の(1)、(2)の事実は当事者間に争いがないところ、被告への遺贈は無効であるから、被告は、法律上の原因なくして金一五万五二〇五円を利得し、毅の相続人である原告らは、同額の損失を負ったこととなる。

3  請求原因6の(三)の(1)の事実は当事者間に争いがないが、<証拠>によっては、被告が団体積立金一四九万四七二二円を現実に受領したと認めるに足りず、他に右受領の事実を認めることのできる証拠はない。(<証拠>によれば、右積立金は、「諸費引当基金」として広島県歯科医師貯蓄組合に留保されたことが窺える。)

4(一)  請求原因6の(四)の(1)の事実(毅が遺産目録記載19のとおり広島銀行本店で広島県歯科医師貯蓄組合積立預金一〇一四万一二〇一円をしていたこと)は当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

イ 毅は、広島銀行本店の広島県歯科医師貯蓄組合から昭和五五年五月一日に金二一〇〇万円を借受けていたところ、その残債務は、昭和五七年六月二六日現在で金一七六四万〇七四〇円であった。

ロ 毅は、昭和五五年四月、明治生命保険相互会社との間で、左記内容のグループ保険(歯科医師の団体定期保険)契約を締結した。

被保険者 毅

保険金額 金一五〇〇万円

保険金受取人 被告

ハ 広島県歯科医師貯蓄組合は、本件遺言の遺言執行者檜垣正男の申出に基づき、昭和五七年六月二六日、右イの債務と右(一)の積立預金とを対当額で相殺処理し、右イの残債務金七四九万九五三九円は、毅の死亡により被告が契約で指定された保険金受取人として受領する右ロのグループ保険金一五〇〇万円から支払を受け、保険金の残額金七五〇万〇四六一円を被告へ交付したことが認められる。

(三)  右認定事実によれば、被告が金七五〇万〇四六一円を受領したのは、被告固有の権利の行使としてであることが明らかであるから、右保険金は毅の遺産ではない。

5  よって、原告らの不当利得返還請求は、右1、2の合計金二五万五二〇五円の各三分の一である各金八万五〇六八円及びこれに対する原告らが請求拡張申立によって不当利得の返還請求をした日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和六二年六月五日から完済まで民法所定年五分の割合による利息の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

第二  丙事件について

毅が遺産目録記載4の建物を所有していたことは当事者間に争いがないところ、被告は、本件遺言による遺贈によって右建物の所有権を取得したと主張するが、本件遺言は、前説示のとおり無効であるから、被告の丙事件の請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がない。

第三  結論

よって、原告らの甲事件の請求を、遺言無効確認請求、遺贈の登記抹消請求と不当利得返還請求のうち第一の三の5の限度で認容し、その余は棄却し、被告の丙事件の請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 仲渡 衛)

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