大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和54年(ワ)137号 判決 1984年8月31日

昭和五四年(ワ)第一三七号事件原告

昭和五八年(ワ)第四五六号事件反訴被告

合資会社呉藝南病院

右代表者

平田清人

右訴訟代理人

幸野國夫

昭和五四年(ワ)第一三七号事件被告

昭和五四年(ワ)第五〇号事件原告

山田正和

右昭和五四年(ワ)第五〇号事件訴訟代理人

斉藤勘造

増田次郎

昭和五四年(ワ)第一三七号事件被告

末森清治

昭和五四年(ワ)第一三七号事件被告

昭和五八年(ワ)第四五六号事件反訴原告

共栄火災海上保険相互会社

右代表者

高木英行

右山田、末森、共栄火災海上保険相互会社訴訟代理人

江口保夫

新田義和

昭和五四年(ワ)第五〇号事件被告

上垣内隆志

昭和五四年(ワ)第五〇号事件被告

上垣内秀敏

昭和五四年(ワ)第五〇号事件被告

村上恒秋

右被告人ら三名訴訟代理人

石角一夫

主文

一  昭和五四年(ワ)第一三七号事件について

1  被告山田正和、同末森清治、同共栄火災海上保険相互会社は各自原告合資会社呉藝南病院に対し、金一九万七四〇〇円及びこれに対する被告山田正和、同末森清治については昭和五四年二月二二日から、被告共栄火災海上保険相互会社については同年二月二三日からいずれも支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  原告合資会社呉藝南病院のその余の請求を棄却する。

二  昭和五八年(ワ)第四五六号反訴事件について

1  反訴被告合資会社呉藝南病院は反訴原告共栄火災海上保険相互会社に対し、金一三万八二四〇円及びこれに対する昭和五八年五月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  反訴原告共栄火災海上保険相互会社のその余の請求を棄却する。

三  昭和五四年(ワ)第五〇号事件について

1  原告山田正和の被告上垣内隆志、同上垣内秀敏、同村上恒秋に対する、昭和五二年五月一日午後二時五五分頃呉市幸町一丁目海上自衛隊呉集会所先路上における交通事故により右被告らが受傷したことによる損害賠償債務は、右被告らそれぞれの合資会社呉藝南病院における一週間分の入院料相当額各金六万五八〇〇円を超えては存在しないことを確認する。

2  原告山田正和のその余の請求を棄却する。

四  全事件について

1  訴訟費用はこれを一〇分し、その五を昭和五四年(ワ)第一三七号事件原告昭和五八年(ワ)第四五六号事件反訴被告合資会社呉藝南病院の、その三を昭和五四年(ワ)第一三七号事件被告昭和五八年(ワ)第四五六号事件反訴原告共栄火災海上保険相互会社の、その一を昭和五四年(ワ)第一三七号事件被告昭和五四年(ワ)第五〇号事件原告山田正和の、その一を昭和五四年(ワ)第五〇号事件被告上垣内隆志、同上垣内秀敏、同村上恒秋の各負担とする。

2  この判決は、一項の1、二項の1につき仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一昭和五四年(ワ)第一三七号事件請求原因2項中、原告病院主張の交通事故があり、隆志ら三名が原告病院で診療を受けたこと同三項中被告山田と被告会社が原告主張の自動車保険契約を締結していること、昭和五八年(ワ)第四五六号反訴事件請求原因1、2項の事実、昭和五四年(ワ)第五〇号事件請求原因1、2項の事実及び同三項中被告隆志ら三名の入院費を除くその余の全損害の内容が原告山田主張のとおりであることは、それぞれの当事者間で争いがない。

二本件交通事故の発生とその状況等

右当事者間に争いのない事実のほか、<証拠>によると、次の事実が認められ<る。>

1  被告山田(当時四五才、タクシー運転手)と被告隆志(当時三二才、タクシー運転手)とは、ともに安全タクシーに勤めていた関係からの知り合いであるが、昭和五二年五月一日被告山田は、被告山田、被告隆志とその弟被告秀敏(当時三〇才)及びその友人被告恒秋(当時二八才、タクシー運転手)らと車で音戸ロッジに食事などに行つた後、被告山田はその所有の普通乗用自動車をその助手席に妻悠紀子を乗せて運転し、また被告隆志は普通乗用自動車をその助手席に被告恒秋、その後部左座席に被告秀敏を乗せて運転し、音戸ロッジを一緒に出発し、被告隆志運転の自動車が先行して帰路に着いた。

2  右帰宅途中、同日午後二時五五分頃、被告山田は右自動車(以下「山田車」という)を運転して時速三五キロメートルで呉市幸町一丁目海上自衛隊呉集会所付近道路上を東方から西方に向け進行中、右方の建物を見ながら前方の注視を欠いたまま進行したため、前方道路に信号に従い一時停止した被告隆志運転の前記自動車(以下「隆志車」という)を約八メートルに接近してはじめて発見し、危いと思い急制動するとともにハンドルを右に切つたが間に合わず、同車右後方に山田車左前部を衝突させ(隆志車は1.5メートル押し出されて停車)、よつて、被告隆志、同秀敏及び同恒秋に、当初の後藤病院の診断書によると、いずれも治療期間約一週間の頸部捻挫(もつとも被告秀敏については更に左前胸部挫傷)の傷害をそれぞれ負わせた。

3  右事故により、山田車は、左前部のボンネット・フェンダー・バンパー・エプロンが凹損し、若干の板金修理をし、また、隆志車は、右寄後部のトランクケース・フェソダー・バンパーが凹損したが、その程度は少しへこんでいた程度であつた。なお、被告山田は右事故により業務上過失傷害として罰金八万円の略式命令を受けた。

三本件事故後の診療経過と保険金の受領その他の状況等について

1  前記当事者間に争いのない事実のほか、<証拠>によると、次の事実が認められ<る。>

(一)  被告隆志は、本件事故後、

(1) 昭和五二年五月一日、一日後藤病院に通院して診療を受け、

(2) 昭和五二年五月二日から同年一一月一二日まで一九五日間原告病院に入院し、同年一一月一三日から昭和五三年四月七日までの間実通院日数五八日原告病院に通院して診療を受けた。

別紙診療費明細書第一記載のとおり、右原告病院における入通院中の診療費合計は二五三万〇四一〇円であるが、そのうち純然たる入院料一六七万九〇七〇円(室料差額を含む以下同じ)を除く入通院中の治療費合計は八五万一三四〇円(診断書料、明細書料を含む、以下同じ)で、昭和五三年九月一六日すでに支払ずみである。

(二)  被告秀敏は、本件事故後、

(1) 昭和五二年五月一日、一日後藤病院に通院して診療を受け、

(2) 昭和五二年五月六日ないし同年一一月二日まで一八一日間原告病院に入院し、同年一一月三日から昭和五三年四月七日までの間実通院日数五八日原告病院に通院して診療を受けた。

別紙診療費明細表第二記載のとおり、右原告病院における入通院中の診療費合計は二一七万六九二〇円であるが、そのうち純然たる入院料一五六万〇六四〇円を除く入通院中の治療費合計は六一万六二八〇円で、昭和五三年九月一六日すでに支払ずみである。

(三)  被告恒秋は、本件事故後、

(1) 昭和五二年五月一日、一日後藤病院に通院して診療を受け、

(2) 昭和五二年五月二日ないし同年八月二六日まで一一七日間原告病院に入院し、同年八月二七日から同年九月一〇日までの間実通院日数六日原告病院に通院して診療を受けた。

別紙診療費明細表第三記載のとおり、右原告病院の入通院中の診療費合計は一三七万六九八〇円であるが、そのうち純然たる入院料一〇二万一七六〇円を除く入通院中の治療費合計は三五万五二二〇円で、昭和五三年九月一六日すでに支払ずみである。

2  <証拠>によると、次の事実が認められ<る。>

(一)  被告隆志は、本件事故当時安全タクシーに勤めていて、その月給与手取り一〇万円程度であつたが(もつとも妻も会社に勤めていた)、当時、

(1) 呉郵便局の保険(養老、疾病傷害付)、昭和五一年九月二七日契約、保険料一か月一万四四〇〇円に加入していて、本件事故により昭和五二年九月五日一四四万円の支払いを受けた。

(2) 住友生命の「長寿保険一〇倍型」、昭和五一年一二月一日契約、保険料年額一八万六五〇〇円に加入していて本件事故により、昭和五二年一一月八日二四〇万円の支払いを受け、

(3) 明治生命のダイヤモンド保険、昭和五一年一〇月一日契約、保険料月額一万八〇〇〇円に加入していて、本件事故により昭和五二年一一月五日二四〇万円の支払いを受け、

(4) その他朝日生命の保険にも加入していた。

(二)  被告秀敏は、本件事故当時、屋台営業手伝いで月一〇万円その他の収入を得ていたが、当時、

(1) 明治生命の「ダイヤモンド保険」、昭和五一年一月二五日契約、保険料月額六〇〇〇円に加入していて、本件事故により昭和五二年九月一七日一八万円の支払いを受けた。

(2) その他、横路郵便局、朝日生命の保険に加入していた。

(三)  被告恒秋は、本件事故当時呉交通株式会社にタクシー運転手として勤務し、月給与手取り一一万ないし一四万円を得ていた(もつとも母も働いていた)が、当時、

(1) 住友生命の「しあわせ保険一〇倍型」、昭和五一年一一月一日契約、月保険料一万一一三〇円に加入していて、本件事故により昭和五二年一一月八日一一七万円の支払いを受け、

(2) 明治生命の「ダイヤモンド保険」、昭和四六年一月六日契約、保険料月掛六七三〇円に加入していて、本件事故により昭和五二年九月九日一七万五五〇〇円の支払いを受け、

(3) その他、広郵便局、朝日生命の保険に加入していて、それぞれ本件事故により保険給付金の支払いを受けた。

3  <証拠>によると、次の事実が認められ<る。>

(一)  訴外上垣内卓郎(以下「卓郎」という)は、被告隆志、同秀敏らとの三兄弟の長兄で、タクシー運転手をしていたものであるが、昭和四九年六月五日、昭和五〇年八月一日、昭和五一年七月四日、昭和五二年夏頃、追突等の交通事故に遭い、頸椎捻挫等の受傷をして、いずれも原告病院に六三日ないし一二〇日間位入院し、右事故による郵便局及び生命保険会社の保険金並びに加害者との示談金等で、

昭和四九年の分につき 合計約一〇〇万円

昭和五〇年の分につき 合計約三〇〇万円

昭和五一年の分につき 合計約二二五万円

昭和五二年の分につき 合計約二一〇万円

を取得している。

(二)  卓郎は、後記詐欺被疑事件の警察での取調べで、右長期入院につき、いずれも「実際にはそれ位入院せずとも済んだ程度のもので、いずれも軽い打撲とムチウチ症でした。しかし、当時タクシーの運転手が軽い事故にあつただけでも、入院しておれば給料がもらえるし保険に入つていれば保険金も手に入り、寝ていても楽にもうけが出来るということで、」「私もムチウチ症になつたことにあやかりずるい気持があつて、少しでも長く入院してやろうと思い、そのようにしたのは事実であります。」と述べている。

(三)  卓郎は、外二名と一緒になつて昭和五三年一〇月三一日にわざと交通事故を起したうえ、保険金を騙し取つたとして逮捕され、警察、検察庁での取調べを受けているが、右経緯について、卓郎は警察で、昭和五二年の夏の事故で原告病院に入院していた際、先に交通事故に遭つたとして入院していた他の者から聞いた話などで、わざと交通事故を起して入院し保険金を騙し取ることを知り、保険金詐欺を考えるようになつた旨述べている。

(四)  卓郎は、本件事故の保険金請求(朝日生命)手続等の関係で、その交通事故証明書(昭和五二年五月一三日付)を取つたり、被告恒秋に代つて、右事故の保険会社との示談の相談に当つたりした。

4  <証拠>によると、次の事実が認められ<る。>

(一)  被告秀敏は、本件事故前の昭和五一年一二月二日にも、その同乗していた車が中央線を越えてきた他車と衝突する交通事故に遭つて受傷し、翌三日から昭和五二年四月二日まで約四か月間呉藝南病院に入院して治療を受けた。

(二)  右入院についての傷病名は、左前頭部挫傷、頸椎捻挫、腰部挫傷であり、入院当初の一二月三日の症状は、左前頭部腫脹、頭痛強度、気分不良、めまい、頸部痛強度、頸部運動制限、頸椎圧痛あり、胸鎖乳突筋及び肩の筋肉圧痛あり、腰痛、閉鎖神経圧痛あり、などであつた。

(三)  その後の右入院中の主要症状は、一二月六日腰痛強度、一二月一六日腰痛強度、頭痛、頸部痛、めまい、頸椎胸鎖乳突筋、僧帽筋緊張し圧痛あり、一二月二六日頭痛、頭重、気分不良、腰痛、両側上臀神経圧痛あり、その後、頭痛、頸部痛、腰痛、胸鎖乳突筋、僧帽筋圧痛などが続き、三月二四日に頸部、頭痛軽度となり、四月二日に退院に至つている。

四原告病院における診療費と本件事故との相当因果関係について

1  まず、被告隆志、同秀敏、同恒秋ら三名の本件事故後の診療内容についてみるに、前記各認定事実のほか、<証拠および>当裁判所の鑑定の結果(以下「森竹鑑定」という)によると、次の事実が認められ<る。>

(一)  被告隆志関係

(1) 本件事故後、同日呉市東中央一丁目八番二〇号所在の後藤病院(外科・整形外科)で診療を受けたが、その診療録の記載によると、既往症及び現症として、追突事故に遭つたこと、嘔吐一回(事故後診療時までのことか、診療時のことか不明)、主訴として項部痛、局所熱感ありとのみあり、頸椎レントゲン線(以下「レ線」という)所見に異常はなく、他にも異常な他覚的所見はなかつたようにみられる。右病院での診断病名は頸部捻挫であり、約一週間の安静加療を必要とするものとされている。

(2) 右翌日(昭和五二年五月二日)、呉市阿賀中央の原告病院(外科・整形外科)に転医し、同日から昭和五二年一一月一二日まで入院し、翌一三日から昭和五三年四月七日まで実通院日数五八日間通院して診療を受けた。

(3) 原告病院における右入通院診療録の記載等によると、まず、入院時の所見は、悪心、頭痛があり、頸椎につき、第四、五棘突起軽度圧痛、両側傍脊柱筋やや緊張、腕神経叢圧痛、両側僧帽筋軽度疼痛緊張、脊部伸展にて嘔吐、側屈両側とも制限あり、腰椎につき、棘突起圧痛あり、とされ、レ線上、頸椎には特記すべき異常はないが、腰椎につき第四、五すべり症、前彎増強、第三上椎体縁ジグザグ骨棘あり、とされている。その後の症状の経過は、頭痛、項部痛、嘔気、頸部圧痛、傍脊柱筋緊張、上腕神経叢圧痛、頸部屈曲(前屈・後屈)制限、腰椎圧痛、腰痛などがあつて、同年五月三〇日に嘔気やや軽快し、同年六月一〇日に嘔気軽快とあるほか、その余は断続的にほぼ接続し、同年一〇月四日になつて頭痛やや軽快、同月三〇日腰痛低下、一一月二日頸部痛、頭痛やや軽快で同月一二日退院に至り、その後、前記のとおり通院した後、後遺症を残さず治癒した、とされている。

(4) 原告病院における検査所見では、レ線検査上第五腰椎分離症、第三、第五腰椎軽度変形性脊椎症などがあるとされるほかは、レ線上前記症状と結びつく異常所見はなく、その他も、本人の自覚的なものによらない客観的検査による他覚的所見は全くない。右原告病院での診断病名は、頸椎捻挫、腰椎捻挫(第五腰椎分離症)とされている。

(5) 原告病院の治療としては、頸椎固定、腰椎斜面持続牽引療法、腰椎間歇的牽引療法、頸椎間歇的牽引療法、血流改善剤(レオマクロデックス)の点滴静注、アリナミンF注射、頸部腰部のゼラップ湿布、消炎鎮痛剤(ソランタール、セデス、キモタブ)の内服等で、その具体的内容は、別紙診療報酬明細説明書(1)上垣内隆志分記載のとおりである。

(二)  被告秀敏関係

(1) 本件事故後、同日、後藤病院で診療を受けたが、同病院の診療録の記載によると、既往症及び現症として、追突事故に遭つたこと、左下胸部痛、呼吸運動による胸部痛の増強、項部痛、頭痛などの自覚症状があるとされ、胸部、肋骨、頸椎のレ線検査が行われたが、特に右症状と結びつく異常所見はない、とされている。右病院の診断名は頸部捻挫、左前胸部挫傷で、約一週間の安静加療を必要とするものとされている。

(2) 右後藤病院は一日だけで、その後五日を経過した昭和五二年五月六日原告病院に転医し、同日から同年一一月二日まで入院し、翌三日から昭和五三年四月七日まで実通院日数五八日間通院して診療を受けた。その診断病名は、後頭部挫傷、頸椎捻挫、左前胸部挫傷、両上肢不全麻痺である。

(3) 原告病院における入通院診療録の記載等によると、まず、初診時の所見は、後頭部軽度腫脹、頭痛強度、めまい、悪心、気分悪し、頸部痛、頸部運動(後屈)制限、左前胸部痛、右胸部圧痛、両側上肢のシビレ感、第三、四、五頸椎部圧痛著明、胸鎖乳突筋、僧幅筋緊張し圧痛あり、とされ、その後の経過は、頭痛、嘔気、頸部痛、項部痛、左前胸部痛、両上肢握力弱、頸部後屈制限、僧幅筋圧痛、頸部圧痛、上肢シビレ感などが断続的に持続し、同年一〇月一〇日に頸部前屈疼痛なし、となつた後、同月三〇日になつて項部痛やや軽快、僧幅筋それほど緊張していない、とされ、同年一一月二日退院に至り、その後前記のとおり通院して診療を受け、後遺症を残さず治癒した、とされている。

(4) 原告病院における所見のうち、後頭部腫脹のほかは、真の他覚的所見はなく、頭部、頸椎、肋骨の各レ線検査上も右各症状と結びつくような異常所見はない。

(5) 原告病院における治療としては、頸椎固定、頸椎間歇的牽引療法、血流改善剤(レオマクロデックス)の点滴注射、アリナミンFの注射、消炎鎮痛剤の内服、精神安定剤、消炎酵素剤の内服、局所の湿布、理学療法継続施行などで、その具体的内容は別紙診療報酬明細説明書(2)上垣内秀敏分記載のとおりである。

(三)  被告恒秋関係

(1) 本件事故後、同日、後藤病院で診療を受けたが、その診療録の記載によると、既往症及び現症として、追突事故に遭つてむち打ち損傷を受けたこと、嘔気、項部痛の訴えがあつたこととされ、頸椎レ線上異常なし、とされている。右病院における診断病名は、頸部捻挫で、約一週間の安静加療を必要とするものとされている。

(2)翌日(昭和五二年五月二日)、原告病院に転医し、同日から同年八月二六日まで入院し、翌二七日から同年九月一〇日まで実通院日数六日間通院して診療を受けた。その診断病名は、頸椎捻挫、左上肢不全麻痺である。

(3) 原告病院における入通院診療録の記載等によると、まず、初診時の所見は、左上肢シビレ、悪心、頸椎第三、四、五圧痛、背屈・左回旋疼痛あり、上腕神経叢圧痛、左胸鎖乳突筋緊張、左僧幅筋圧痛、レ線上頸椎特記すべきことなし、とされ、その後の経過は、頭痛、嘔気、頸部痛、頸部運動(特に後屈)制限、項部肩筋緊張圧痛、頸椎圧痛、左腕神経叢圧痛、左僧帽筋圧痛、左菱形筋圧痛、左上肢シビレ握力低下などで、断続的に持続し、同年八月八日左僧帽筋、左菱形筋それほど緊張していない、同月二六日になつて菱形筋圧痛軽快、腕のシビレ感著しくない、とされて同日退院し、その翌日から前記のとおり通院し、診療を受けたが、後遺症を残さず治癒したとされている。

(4) 原告病院における右所見のうち、レ線検査上その他真に他覚的所見はない。

(5) 原告病院における治療としては、頸椎固定、頸椎間歇的牽引療法持続、血流改善剤(レオマクロデックス)の点滴静注、アリナミンFの静注、消炎鎮痛剤、消炎酵素剤の内服、局所のゼラップ湿布、その他などで、その具体的内容は別紙診療報酬明細説明書(3)村上恒秋分記載のとおりである。

2  そこで、右診療内容につき、更に本件事故との関連でその問題点について検討してみる。

<証拠>によると、次の事実が認められる。

(一)  被告隆志関係

(1) 原告病院における診療録によると、頸部屈曲制限の所見がみられる。しかし、これは後藤病院ではなかつた所見であるうえ、後藤病院及び原告病院における頸椎レ線フィルムを再検するも、そのような異常所見は見出されない。後藤病院におけるレ線上、前屈位、後屈位のフィルムからこの時点での頸椎の運動制限はなかつたものとみられる。

(2) 原告病院では、後藤病院ではなかつた腰椎捻挫(第五腰椎分離症)の病名が追加されている。事故当日受診した後藤病院では腰部症状は全く訴えられておらず、腰椎レ線も撮影されていない。しかるに翌日受診した原告病院では、腰部に圧痛が認められ、その後退院まで約六か月間も腰痛が持続している。

もつとも、原告病院における腰椎のレ線上は、第五腰椎分離症、第三、五腰椎軽度変形性脊椎症などが診断されている。しかし、腰椎捻挫は事故などの外傷により生ずる後天的なものであるが、腰椎分離症は先天的なもので、本件事故とは関係なく、正常でも存在するものとされ、無症状に経過することが多い、とされる。なお、右分離症の診断も、通常その診断に必要な腰椎斜位撮影レ線フィルムなしに付されている点に問題がある。

(3) 原告病院における診療録中同年七月二九日欄には両上肢握力低下のあることが記載されているが、握力計等による検査は行われていない。

(4) 原告病院の診療録によると、少くとも同年五月三〇日頃までは嘔気があつたようにみられるのに、その間入院中の食事は毎回全量摂取されている。

(5) 診療録によると、前記のとおり若干の症状の軽快を除きその余の主症状は昭和五二年一一月一二日の退院前、そして治療打切りの昭和五三年四月七日の前頃より急速な症状の軽快傾向がみられるが、このようなことは、森竹鑑定によると極めて稀で不自然と思われる、とされる。

(二)  被告秀敏関係

(1) 原告病院における所見では、しばしば頸部後屈制限があるとされている。しかし、後藤病院における頸椎レ線フィルムを再検するに、まず中立位で正常では前彎であるべき頸椎の配列が後彎となつており、第五、六頸椎に軽度の変形が認められるが、脊椎管の前後径は一六ミリメートル以上(正常下限は一三ミリメートル位)あり、骨棘形成もみられず、前屈は十分可能であり、後屈もわずかに制限されているといえなくもないといつた程度であり、また、原告病院における各レ線フィルム上も右症状と結びつく異常所見はない。

(2) 被告秀敏が原告病院で受診したのは事故後六日目であるが、後藤病院の所見にない後頭部挫傷の病名が追加されており、原告病院の初診時に後頭部腫脹があつたとされている。しかし、この所見は、後頭部皮膚の腫脹が外傷後六日以上も残存していたことになり、外力がかなり高度で皮膚挫傷の程度が強かつたか、血管断裂により皮下血腫を形成したものと推定されることとなるが、受傷当日の後藤病院では右病名に関する訴えや他覚的所見に関する記載は全くなく、もとより病名にも加えられていない。更に、受傷後もつとも疼痛、腫脹の高度となると思われる二、三日目には受診せず、受傷六日目になつてはじめて症状を訴えている点疑問があり、自覚的症状が病像の主体を占める頸椎捻挫の患者においてはこのようなことはむしろ稀であると考えられる。

(3) 原告病院では、両上肢不全麻痺の病名が追加されている。そして、これは、診療録によると、両上肢のシビレ感などの主訴のみによつて付されているものとみられる。しかし、元来、頸椎捻挫に伴う上肢不全麻痺は通常このような主訴のみから診断されることはなく、上肢麻痺が疑われた場合は、症状が末梢神経分布に一致した知覚障害及び放散痛、筋力低下、反射異常など神経根症状として表われているか否かを調べ、更に、筋電図や、ミエログラフィーなどの客観的検査結果が症状に一致した異常を示した際にはじめて上肢不全麻痺あるいは完全麻痺と診断されるのが普通であり、ところが、診療録によると、右のような追求はなされてなく、上肢握力低下の所見についても握力計による計測が一度もなされていないことからも、検査不十分のまま右診断に至つたものとみられ、上肢不全麻痺の診断は適当でないといえる。

(4) 原告病院での主訴として嘔気があるとされながら、診療録によると、入院中ごく一部の時期を除き食事はほぼ毎回全量摂取されている。

(5) 原告病院の診療録ではほぼ七日ないし一〇日間隔位で前記1(二)(3)記載のごとき多彩な症状が記載され、ほとんど軽快の徴はみられないが、退院間近になつた昭和五二年一〇月末頃には疼痛は軽快しはじめ、そしてその後外来通院を続けているが、その後持続していた症状も昭和五三年三月下旬から四月はじめには急速に軽快しており、同年四月七日で治療は終了している。森竹鑑定によると、このように数か月も訴えていた症状が退院や治療打切り前に急速に軽快することは極めて稀で、不自然といわざるを得ない、とされている。

(三)  被告恒秋関係

(1) 原告病院における所見では、頸部運動(後屈)制限があるとされている。しかし、後藤病院における頸椎レ線フィルムを再検するに、ごくわずか第五、六頸椎間で角形成を認めるも、脊椎間前後径は一五ミリメートル以上であり、前屈、後屈写真も含め、まず正常所見と診断され、また、原告病院における頸椎レ線上も特に右症状をうかがわせる異常所見は認められない。

(2) 原告病院では、左上肢不全麻痺の病名が追加されている。しかし、この診断が適当でないことは前項(二)被告秀敏関係(3)記載のとおりである。握力低下の所見があるとされながら握力計による計測すら行われていない。

(3) 原告病院においては、嘔気があつたとされながら、入院中、八月七日から同月一四日までの間を除き、右症状があつたとみられる時期にも毎回ほぼ全量の食事が摂取されている。

(4) 診療録によると、昭和五二年八月二六日の退院及び同年九月一〇日の治療終了を前にした頃より、それまで数か月軽快の徴のなかつたと思われる頭痛等頸椎捻挫に特有の諸症状が急速に軽快あるいは消失してきているようにみられるが、森竹鑑定によるとこの点に疑問が残るように思われる、とされる。

(四)  レォマクロデックスの投与について

原告病院では、被告隆志ら三名にその治療としてレオマクロデックス五〇〇の点滴静注を、被告隆志及び被告恒秋について各一〇日間、被告秀敏について七日間いずれも連用している。そして、原告病院が証拠として提出した学会雑誌(昭和四三年)中の(1)「鞭うち損傷の病態生理仮説と、それに対するレオマクロデックスの臨床応用とその薬理」及び(2)「いわゆる頸椎鞭打ち損傷におけるレオマクロデックスの使用経験」と題する各論文、また、中部日本整形外科災害外科学会雑誌(昭和四三年)中の(3)「鞭打ち症に対するレオマクロデックスの使用経験」と題する論文では、臨床上レオマクロデックスの頸椎捻挫への有効性が主張されており、特に右(2)の論文では、臨床使用の結果急性例のみならず亜急性、慢性例のすべてに有効であつたとされている。

しかし、森竹鑑定によると、レオマクロデックスは血管内赤血球集合による血流障害を改善する目的で開心手術、血管外科の際に用いられており、また捻挫性損傷、心筋梗塞をはじめとする梗塞症、塞栓症、血栓症などの治療、予防のためにも投与されるが、しかし、頸椎捻挫に対する治療の目的で使用されることは通常ないといつてよい、とされる。前記各論文は、後述するように頸椎捻挫にやみくもに種々の治療が行なわれていたころの発表であり、(1)(2)の論文の発表誌はレオマクロデックスの製造発売元であるミドリ十字株式会社のものであり、これらの論文が主張するごとく有効なものであれば、その後頸椎捻挫の治療法として確立されていた筈であるが、本件発生の昭和五二年頃は勿論、現在も、そのような治療法は全くといつてよいほど行なわれていない。一般的に使用されない理由の一つには本薬剤には腎機能障害などの副作用の問題があるためで、本薬剤に添付された使用説明書には「本剤は長期連用を避けること(できるだけ短期間にとどめ、五日以内とする)」と記されている、とされている。

(五)  その他治療方法、治療期間

(1) 森竹鑑定によると、頸椎捻挫における症状は必ずしも受傷直後には現われず、二、三日あるいは一週間後にかけて増強することがむしろ多く、本症の治療の重点が初期治療に置かれるべきであるとの治療の原則から、本疾患を疑つたら症状の軽重にかかわらず、まず安静を保たせ、一週間前後の安静期間に経過を観察するとともに、症状に応じて頸部固定、薬剤投与、局所罨法などの治療を施す。しかし、受傷後三週間を過ぎ慢性期に入つた頃に依然症状を訴える者に対しては、心因性、自律神経性の要因がこの頃より大きく関与してくるといわれていることから、むしろ、治療からの離脱をはかり、社会復帰への方向にもつてゆくべきで、ただ、治療を中止するに際しては、頸椎X線撮影を再検査するとともに、頸椎断層撮影、筋電図検査などで、特別本症に関係した異常所見のないことを確認しておくことも必要である、とされ更に、このような頸椎捻挫の治療方針は、受傷後早期の重点的治療が十分確立されておらず、患者の訴えに対し慢然と長期にわたる治療をおこない、本症の心因性要因をかえつて助長し、社会復帰を困難にしたと思われる昭和四三年代前半期の治療の結果に対する深い反省に基づくものであつて、本件発生時期には、前記治療方針がすでに確立されていたものと考えてよい、とされる。

(2) そして、右考えなどからして、森竹鑑定によると、本件事故程度の場合の通常の入・通院(治療)期間としては、被告隆志、被告秀敏につき、入院約一週間、通院約二週間、長くて三か月ぐらいとされ、また被告恒秋につき治療期間が長すぎる、とされる。

3 以上各認定したところを総合勘案し、被告隆志、同秀敏、同恒秋らの原告病院における診療内容と本件事故との相当因果関係について考えてみるに、前認定の本件事故の態様、その衝撃の部位程度(事故前後の経緯、状況、前認定の診療上の多くの問題点、本件事故当時における頸椎捻挫の一般的治療方針、状況、その他の諸事情に照らした場合、被告隆志ら三名につきその病状は通常の頸椎捻挫の域を超えるものとは認めがたく、原告病院における治療方法、治療期間のうち、特に、入院治療の期間が長期にわたつていること、またレオマクロデックスの点滴静注が施行されていることにつき、医師としての個別の治療行為における裁量的な幅といつたものを十分考慮に入れるとしても、なお通常の治療方法、期間としての合理的な必要性を肯認しがたく、前記各認定の諸事情に照らした場合、被告隆志ら三名につき、いずれも、少なくとも一週間を超えての入院(入院中の診療行為は除く)及びレオマクロデックスの使用については、本件事故との相当因果関係を肯認しがたいものといわざるを得ない。そして、その他の診療内容(入院中の診療行為も含む)については、たしかに、過剰診療の感もないではないが、前掲証拠からしてうかがわれる頸椎捻挫の治療行為の特殊性、個別性、また医療行為のある程度の裁量性等を考慮に入れるとき、本件事故との相当因果関係を否定することは困難なものといわざるを得ない。

そして、<証拠>によると、被告隆志ら三名の当初の各一週間分の入院料(入院中の診療費を含まない)及びレオマクロデックスの費用は左記のとおりそれぞれの算式により認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  入院料(一週間分)

被告隆志、同秀敏、同恒秋につき、いずれも左記算式により各金六万五八〇〇円(三名計金一九万七四〇〇円)。

(二)  レオマクロデックス五〇〇の注射料

被告隆志分 金五万一二〇〇円

被告秀敏分 金三万五八四〇円

被告恒秋分 金五万一二〇〇円

(右計金一三万八二四〇円)

五昭和五四年(ワ)第一三七号事件請求原因5(被告山田、同末森の診療費支払債務の連帯保証)について

<証拠>によると、たしかに、昭和五二年五月二日(被告秀敏については原告病院へ入院する四日前)付で被告隆志、同秀敏及び同恒秋の三名についての原告病院での診療費につき、被告山田、同末森の両名が原告病院に対し、右支払の連帯保証を誓約する旨の書面を作成してその頃原告病院に提出している事実が認められるが、しかし、被告山田は本件事故の加害者でその損害賠償義務を負担する立場にあつたことから、被告秀敏、同恒秋とは格別の知り合いでもないのに、右賠償金が被告会社の保険金で支払われることを当然の前提に、右保証に至つたものとみられ、被告末森も、被告隆志ら三名と格別な関係もないのに右被告山田と同様の気持ちで右保証に至つたものとみられ、いずれも、被告山田の負担する賠償義務として被告会社の保険金で支払われることとなる金額の範囲内で右連帯保証したものと認められ、原告病院も、これらのことは了知していたものと推知される。

そうすると、原告病院の主張する右保証は、被告会社の保険金支払義務の範囲内に限られ、それを超えての保証の主張は失当といわざるを得ない。

六結論

以上各認定説示したところからして、各請求について以下判断する。

1  昭和五四年(ワ)第一三七号事件について

原告病院が被告隆志、同秀敏、同恒秋ら三名に対して原告病院主張のごとき別紙診療費明細表第一ないし第三記載の診療費残額(入院料)請求債権を有することは明らかであるところ、右被告ら三名は、そのうちそれぞれの一週間分の右入院料各金六万五八〇〇円計金一九万七四〇〇円相当の金額の範囲内では、被告山田に対し本件事故による損害賠償請求債権を有すること、それとともに、被告山田は被告会社に対し自動車損害賠償責任保険契約に基づき右金額相当の保険金請求債権を有すること、また、被告山田、同末森は原告病院に対し、被告山田の右損害賠償債務の範囲内で被告隆志らの診療費支払債務につき連帯保証していること、が認められる。そしてなお、<証拠>に照らすると、右被告らはいずれもその資力が右各請求債権の弁済に十分でない事実を認めることができ<る。>なおまた、原告病院主張の右未払診療費の支払請求の事実はこれを認めるに足りる証拠がない。

そうすると、結局、原告病院の診療費請求債権に基づき、被告山田については被告隆志らの損害賠償請求権の代位行使として、被告会社についてはさらに被告山田の保険金請求権の代位行使として、また被告末森に対しては診療費の連帯保証債務の請求として、被告山田、被告末森、被告会社は各自(不真正連帯)、原告病院に対し、金一九万七四〇〇円及びこれに対する、少なくとも、被告山田、被告末森については本訴状送達の翌日であること一件記録上明らかな昭和五四年二月二二日から、被告会社については本訴状送達の翌日であること一件記録上明らかな昭和五四年二月二三日からいずれも支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払うべきで、原告病院の前記請求は右の限度で理由があるからこれを認容すべく、原告病院のその余の請求は失当であるからこれを棄却すべきである。

2  昭和五八年(ワ)第四五六号反訴事件について

原告病院の本件診療費につき被告会社が本件事故の賠償責任保険金の支払いとして別紙診療費明細表第一ないし第三の入金欄記載のとおり支払つていることは当事者間に争いがなく、かつ、前認定の被告隆志ら三名についてのレオマクロデックスの注射料は右既払診療費のうちに含まれているとみられるところ、前認定のとおり、右レォマクロデックスの使用は本件事故と相当因果関係のないものであるから、したがつて、被告会社には右使用料金相当の保険金支払義務はなく被告会社は誤つて支払つたこととなり、すなわち、被告会社は法律上の原因なくして右支払いをなし、原告病院は同相当の利得をしたものというべく、結局、右不当利得返還請求として原告病院は被告会社に対し、右レオマクロデックスの使用料計金一三万八二四〇円相当の金員及びこれに対する本反訴状送達の翌日であること一件一記録上明らかな昭和五八年五月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきで、被告会社の右請求は右限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。

3  昭和五四年(ワ)第五〇号事件について

被告山田が被告隆志、同秀敏、同恒秋ら三名の本件事故による損害賠償として、被告隆志ら三名の原告病院における入院料のほかはすべて支払ずみであることは当事者間に争いのないところ(なお、弁論の全趣旨により、右入院料が全額損害となるかどうかについては争いのあることが明らかである)、前認定のとおり、右入院料のうち被告隆志ら三名それぞれについての当初の入院料相当額各金六万五八〇〇円の範囲ではなお右損害賠償債務が存在するものというべく、結局、昭和五二年五月一日発生した本件事故による被告山田の被告隆志、同秀敏及び同恒秋に対する損害賠償債務は、右被告隆志ら三名のそれぞれの原告病院における一週間分の入院料相当額各金六万五八〇〇円を超えては存在しないことを確認すべく、被告山田の右請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。<以下、省略>

(渡辺伸平)

診療費明細表<省略>

診療報酬明細説明書<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例