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広島地方裁判所 昭和33年(わ)747号 判決 1959年4月07日

被告人 大津寄悟志 外六名

主文

被告人二上義人を懲役四年に

同吉野正行・同浅野間輝昭を各懲役二年六月に

同大津寄悟志を懲役九年に

同南原正之を懲役八年に

同高下隆重を懲役四月に

同粟田清を懲役六月に

各処する。

被告人大津寄悟志に対する未決勾留日数中一〇〇日を右刑期に算入する。

押収に係るスコツプ一挺(証第三号)はこれを没収する。

理由

(事実)

被告人二上義人は、広島市及びその周辺を地盤とする有数の暴力団と目されている的屋村上組の二代目親分として同組配下の者を掌握するかたわら、大竹市内に特殊下宿油見ホテルを経営していたもの、同吉野正行・同浅野間輝昭・同高下隆は同組幹部で常に被告人二上方に出入りして同人を援けていたもの、同大津寄悟志・同南原正之は同組幹部三浦兼一の子分で、特に被告人大津寄は三浦方に止宿して養われていたものである。

昭和三一年四月頃、被告人二上は、当時岡山刑務所を出所して右三浦方に止宿していた村田国夫(当時四三年)を、三浦のあつせんによつて前記油見ホテルの帳場係として働かせることとしたが、その仕事振りに信頼して次第に広く金銭出納の業務を任せるようになつていたところ、同人がこれを利用して約二五万余円を費い込み、同年六月頃逃走したので痛く立腹し、同人を探し出して被害金を取り戻し、かつ、子分達への見せしめのために制裁を加える必要があると考え、直ちに、広く同組配下の者に手配してその行方を探索していた。

更に、その頃三浦のあつせんで、右油見ホテルに止宿させて宮島競艇場予想屋より集まるいわゆるかすりの集金に当らせていた亀田道秋も、集金したかすりの一万円余を持ち逃げしたのでその行方をも探すこととなつたが、右両名共三浦のあつせんによるものであるうえ、偶々、その頃被告人二上は三浦との間に感情上の行き違いを生じていたため、或は三浦も費い込みについて右両名と意を通じているのではないかとの疑を持つようになり、三浦を呼び寄せて厳しく問責したうえ破門を言い渡し、その場に居合せた被告人吉野が三浦を殴打する等のことがあつた。

そのうち、同年七月二三日、かねて村田の探索を依頼してあつた橋本太郎等が、宇品海水浴場附近で村田を捕えた旨の連絡を得たので、被告人二上は、当日は宮島管絃祭のため配下の者が宮島に渡つているところから、直ちに村田を宮島へ連れて行くよう指示したうえ、同組配下の者を召集し、

第一、被告人二上、同吉野・同浅野間・同粟田は他数名の村上組配下の者と共謀のうえ、同日正午頃、広島県佐伯郡宮島町亀井山厳島神社境内千畳閣西側松林中において、右村田国夫に対し、制裁と腹癒せのため、裸体にして正坐させたうえ、「やくざ者の社会において不義理をすればどのようになるか知つておらう」等と言ひ乍ら、手拳・松枝及び革バンド等でその全身を代る代る殴打し、或は靴履きのまま足蹴りにする等の暴行を加え、そのため失神した村田に冷水を浴せて更に同様の暴行を加える等これを数回に亘つて繰り返し、よつて同人に対し、独立の歩行困難と認められる程度の全身打撲の傷害を与え、

たうえ、被告人二上が、居合せた三浦に対し、村田の身柄の確保と被害金の弁償に責任を持つことを申し渡してその身柄を引渡した。

三浦は、被告人大津寄、同南原と共に村田を自宅に連れ帰つて自家治療を加え看護に努力するかたわら、金策に奔走したが一向に金策がつかず苦慮していたところ、先に被告人二上の金を持ち逃げしていた亀田道秋が三浦方に戻つて来たのでこれをも自宅に匿まつておくこととなつた。

被告人吉野・同浅野間は、被告人二上より村田の身柄の監視と被害金弁償の督促方を依頼されていたので、同月二六日頃三浦方を訪れたところ、三浦が不在であるうえ、手配中の亀田を発見したので、亀田・村田の両名を大竹市大竹町八区油見ホテルの被告人二上方に連行したところ、被告人二上は、弁償が得られないうえ、丁度その頃、村田が帳場係をしていた当時、被告人二上の名前を利用して同人の知人より腕時計を詐取していた事実を聞き知つて立腹していた折であつたので、再び村田に制裁を加えようと考え、又亀田に対しても同様制裁を加えるため、右両名を同ホテル二階ホールに連れて行き、

第二、被告人二上・同吉野・同浅野間は竹島一郎・棚田千之等と共謀のうえ、同日午後四時頃、前記油見ホテル二階ホールにおいて、村田・亀田両名に対し、制裁を加える目的で、裸体にして正坐させたうえ、手拳・棒切れ、及び青竹等で代る代る全身を殴打し、更に村田の頭髪を手荒く刈り取る等の暴行を加え、よつて右両名に対し、それぞれ右第一記載同様の傷害を与え、

たうえ、再び急拠駈けつけた三浦に右両名の身柄を引き渡した。

三浦及び被告人大津寄・同南原は、村田を連れ帰つた後前同様自家治療に努め乍ら金策に奔走し、村田を救うべく腐心していたが、その間も被告人二上・同吉野・同浅野間以下数名が三浦方に弁償の督促に訪れ、その際村田が同人の妹に窮状を訴えた書状を作成しているのを発見されたため、官に訴え出るものと誤解されて殴打される等三浦の立場は益々苦しいものとなつていつた。ところが同年八月八日、突然三浦が恐喝の疑で逮捕され引続き勾留されるにいたつたので、被告人大津寄・同南原は村田の保護と弁償問題の処理を持て余し、種々相談した結果、被告人二上等の村田に対する苛酷な制裁、更に村田・亀田の費い込みによつて三浦と二上等との関係が一段と悪化している事実等を考え併せ、弁償の見込みが全くない現在此のまま放置すれば村田は二上等の相次ぐ制裁によつて結局は死に追いやられるであろうし、そのときは親分三浦の立場も尚一層苦しいものとなるであろうから、むしろ此の際自分等の手で村田を殺害して、そのことを被告人二上に報告しその宥恕を乞い、三浦に対する疑いと破門を解いて貰おうと決意するに至り、

第三、被告人大津寄・同南原は同月一一日午後八時過頃、病臥中の村田国夫を突然三浦方より行先並びに用件も告げずに友人吉川正俊の運転する小型乗用車に乗せてその後部座席中央にすわらせ、両名がその左右を囲んで監視しながら広島市外戸坂町字千足附近の人家の絶えた県道上まで連れ出し、同自動車内において、村田に対し「上からの命令だから往生してくれ」などと告げたうえ準備して来た綿製細引を同人の首に巻き付け、その両端を双方から強く引張つて首を締め付け、よつて窒息により同人を右車内で即死させて殺害し、

た後、死体の処理につき右両名相談の結果、かねて計画したとおり村田の首を切り落して被告人二上のもとに持つて行こうとしたが、ことの残酷さに思い至つてこれを取り止め、死体を二上等に見届けて貰うことにして広島駅附近まで引き返したところ、たまたま同所に居合せた被告人浅野間に出会い右死体を同人に示してこれを確認して貰つた後、更に右死体を該自動車に乗せて同市外安佐郡安佐町飯室幕ノ内峠旧国道まで運び同道路下の暗渠内に一時隠して再び広島市内に引き返した。

被告人大津寄・同南原が村田を殺害したことを聞き知つた被告人二上は、意外な事態の発生と、ことの重大性に驚いたが、直ちに善後処置を講ずるため同月一二日被告人吉野方に配下の者を召集し、協議を重ねた結果、一応被告人大津寄を官に自首させることに決したが、翌一三日、再び協議した結果自首させることを取り止め、死体を他に知られないように遺棄して罪責を免れさせることに決し、その間、完全犯罪を企図して種々な方法が提議されたが結局、

第四、被告人二上・同吉野・同浅野間・同高下・同大津寄・同南原は共謀のうえ、右村田の死体を前記幕ノ内峠の山中に深く埋没して遺棄することに決し、同日深夜被告人大津寄・同南原はこれが埋没作業に直接あたり、又同浅野間・同高下はこれが指揮監督のため右四名は相共に前記幕ノ内峠旧国道暗渠の隠匿場所に至り、右死体を一旦引出した上、更に同所から約四〇〇米離れた同町飯室字引幕通称「杉の曲」の山中に移し運び、所携のスコップ(証第三号)等を使用して同所にこれを埋没して以て遺棄し、

第五、被告人大津寄は、その後被告人二上が実質上の経営者である中央タクシー株式会社堀川町営業所に事故係として勤務中、昭和三二年一月頃、右営業所の自動車と山陽建設工事株式会社の自動三輪車が衝突し、そのため右営業車の修理を要することとなつたので、右会社社長大野浦太郎に交渉してその修理代の実費弁償方の確約を得るに至つたが、実際には修理代として六、五〇〇円を要したにすぎないのに五五、〇〇〇円を要した旨虚構の事実を告げてこれを請求したため同人がこれを疑い修理先を調査したりなどしたところから、むしろ同人を恐喝して右金額を取得しようと考え、同年五月一〇日頃、広島市堀川町喫茶店ボニーにおいて、右大野に対し、「修理会社を調べたりして恥をかかせた。もう金は要らん。その代りこのお礼は必ずする。」等と怒鳴りつけ、若し右金員支払の要求に応じなければどのような危害を加えるかも知れないような威勢を示して同人を畏怖させ、よつて同人をして修理代金名下に金三万円の支払を約束させたうえ、同月一五日頃同市宇品町四八九の右会社事務所で同会計係河原義一を介して同会社振出名義額面三万円の小切手一通の交付を受けてこれを喝取し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(累犯となる前科)

被告人二上義人は、

(一)昭和二六年一二月二五日広島高等裁判所で傷害並びに恐喝罪により懲役八月(同二七年政令第一一八号減刑令により懲役六月に減軽)に、(二)昭和二八年四月一七日広島地方裁判所で銃砲刀剣類等所持取締令違反罪により懲役一年に各処せられ、当時何れも右刑の執行を終了したもの

被告人吉野正行は、

(一)昭和二六年一月二九日広島地方裁判所で賍物寄蔵罪により懲役六月及び罰金一、〇〇〇円懲役刑につき三年間執行猶予(前記減刑令により懲役四月に減軽、昭和二八年五月八日執行猶予取消)、(二)昭和二六年四月一八日広島高等裁判所で窃盗罪により懲役八月以上二年以下(前記減刑令により五月一〇日以上一年四月以下に減軽)、(三)昭和二八年六月一一日広島地方裁判所において銃砲刀剣類等所持取締法違反罪等により懲役二年に各処せられ、当時いずれも右刑の執行を受け終つたもの、

被告人浅野間輝昭は、

(一)昭和二九年五月一八日広島地方裁判所で脅迫罪により懲役一年に、(二)昭和三〇年一一月一六日広島地方裁判所で暴行罪により懲役三月に各処せられ当時いずれも右刑の執行を受け終つたもの、

被告人大津寄悟志は、

(一)昭和二七年四月一六日安芸西条簡易裁判所で窃盗罪で懲役一年四月間執行猶予(前記減刑令により懲役九月に減軽、昭和二九年一一月一〇日右執行猶予取消)、(二)昭和二九年五月二八日広島簡易裁判所で賍物牙保罪により懲役六月及び罰金一、〇〇〇円に各処せられ右懲役刑は当時同時執行を受け終つたもの、

被告人高下隆重は、

昭和二六年二月一三日広島簡易裁判所で傷害罪により懲役一年六月に処せられ当時右刑の執行を受け終つたもの

である。

以上の各受刑事実は右被告人等の当公判廷における各供述並びに前科調書によつて明かである。

(被告人大津寄・同南原の弁護人の主張についての判断)

被告人大津寄・同南原の弁護人は、判示第三の殺人の点につき、被殺者の村田国夫は当時死を承諾していたものであるから、右は普通殺人(刑法第一九九条)ではなく、承諾殺人(同法第二〇二条後段)であると主張する。

なるほど、被告人大津寄・同南原の当公廷における供述及び同被告人等の検察官に対する供述調書等によると、同被告人等は判示のように村田を連れ出し犯行現場に赴く途中の自動車内において、更に又同車内で判示殺害行為に出る寸前に村田に対し「上からの命令だから死んで貰わねばならぬ、往生してくれ、命日には必ず線香を上げてやる」などと申し聞けたのに対し、村田は「判つております。有難う御座います」などと答え何等抵抗するところがなかつたことが窺知できるけれども、本件殺人の動機・経過・犯行場所への連行の状況等は判示の如くであつて、前記問答の如きは単に殺害の直前いわゆる因果をふくめて覚悟を促したに過ぎず、村田も又逃れられずと観念し覚悟のほどを示したに過ぎないものであつて、これを以て殺人に対する承諾があつたと認めるべきものではない。

仮にこれを承諾であるとしても、刑法第二〇二条後段の承諾殺人における承諾は、自由な真意に基いたものであることを要するところ、判示の如き状況の下において為された右承諾の如きは到底自由な真意に基いたものとは認め難いから右の主張は理由がない。

なお、同弁護人等は、被告人等の属するようないわゆる「やくざ」の社会には、本件のような不義理をしたときはその制裁として生命を奪われても致し方がないという掟があり、前記村田国夫もこれを知つて右の社会に入つていたのであるから、すでにこの時においてあらかじめ殺人に対する承諾があつたと認めるべき旨主張するけれども、私的制裁として人命を奪うというが如きことは、著しく違法な内容を持つものであつて如何なる意味においても拘束力を有するものではないから、右の主張は到底採るを得ない。

(法令の適用)

被告人二上・同吉野・同浅野間・同粟田の判示第一の傷害の点及び被告人二上・同吉野・同浅野間の判示第二の各傷害の点はいずれも刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条、第二条、刑法第六〇条に、被告人大津寄・同南原の判示第三の殺人の点は同法第一九九条第六〇条に、被告人二上・同吉野・同浅野間・同大津寄・同南原・同高下の判示第四の死体遺棄の点は同法第一九〇条第六〇条に、被告人大津寄の判示第五の恐喝の点は同法第二四九条第一項に各該当するところ、右各傷害罪については所定刑中いずれも懲役刑を、殺人罪については所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し、被告人二上・同吉野・同浅野間・同大津寄・同高下にはいずれも前示前科があるので各罪につき同法第五六条第一項、第五七条に従つて再犯加重をなし(被告人大津寄の殺人罪については同法第一四条の制限に従う)、更に被告人二上・同吉野・同浅野間の各傷害罪及び死体遺棄罪、被告人大津寄の殺人罪・死体遺棄罪及び恐喝罪、被告人南原の殺人罪と死体遺棄罪はそれぞれ同法第四五条前段の併合罪であるから、各同法第四七条本文第一〇条に従い、被告人二上・同吉野・同浅野間についてはいずれも最も重い判示第一の傷害罪の刑に、又被告人大津寄・同南原についてはいずれも最も重い判示第三の殺人罪の刑に、同法第一四条の制限に従い併合罪加重をしたそれぞれの刑期範囲内で、被告人二上を懲役四年に、同吉野・同浅野間を各懲役二年六月に、同大津寄を懲役九年に、同南原を懲役八年に、同高下を懲役四月に、同粟田を懲役六月に各処し、なお被告人大津寄に対し同法第二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を右刑期に算入し、押収にかかるスコツプ一挺(証第三号)は判示第四の犯行の用に供したもので犯人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第二号・第二項、第四九条第一項に従いこれを没収することとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 尾坂貞治 小木曾茂 川上正俊)

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