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岡山地方裁判所 昭和63年(ヨ)5号 決定 1988年12月12日

債権者

槙野年次

右訴訟代理人弁護士

奥津亘

佐々木齋

大石和昭

債務者

岡山電気軌道株式会社

右代表者代表取締役

松田基

右訴訟代理人弁護士

平松敏男

木津恒良

主文

一  債権者が債務者の従業員の地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、金二四〇万円及び昭和六三年一二月から本案第一審判決の言渡しがあるまで毎月二五日限り金二〇万円ずつを仮に支払え。

三  債権者のその余の申請を却下する。

四  訴訟費用は債務者の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  債権者の申請の趣旨

1  債権者が債務者の従業員の地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、昭和六二年一二月から本案判決の確定に至るまで毎月二五日限り金二八万〇八三二円ずつを仮に支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する債務者の答弁

1  債権者の申請をいずれも却下する。

2  申請費用は債権者の負担とする。

第二当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実

債務者が、岡山市内にある岡南営業所、津高営業所等を拠点として定期路線バス、観光バス等の旅客運送営業をなす会社であること、債権者が、昭和五四年二月一六日債務者と雇用契約を結んで債務者に自動車運転者として雇用され、当初は定期路線バスの運転者として労務に従事していたが、その後昭和六〇年七月一六日からは観光部観光課の専任運転者となり、観光シーズン中は観光バスの運転者として、シーズンオフの期間中は定期路線バスの運転者として労務に従事してきたこと、そして、昭和六二年一二月二日に、債権者が債務者に対して退職願(以下「本件退職願」という。)を提出したこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

二  地位保全の申請について

1  債権者は、第一に本件退職願については債務者が正式に受理承認する前である一二月三日(本件退職願を提出した日の翌日)、遅くとも一二月九日には債権者の撤回の意思表示が債務者に到達したこと、第二にそもそも本件退職願は債務者職制らの強迫及び詐術の下に提出したものであるから雇用契約の合意解約の申し出としては瑕疵ある意思表示として無効又は取り消し得べきものであることを主張して、従業員たる地位が存続するとするのに対して、債務者は、本件退職願は債権者の自由な意思に基づいて提出されたものであり、かつ、本件退職願が提出された当日である昭和六二年一二月二日に債務者によって承認されたものであるから、同日をもって当事者間の雇用関係は終了しており、それ以後にされた撤回は効力を生じる余地がない旨主張する。

2  そこで、まずこの点について判断するに、疏明資料並びに審尋の結果に前記当事者間に争いのない事実を総合すると、以下の事実が一応認められる。

(一) 債権者は、昭和六二年一一月末日までは観光部観光課の運転手として勤務し、同月二二日と二三日には三重県渡鹿野へ、又同月三〇日には鳥取県の吉岡温泉へ観光バスを運転し観光客を運んだが、同年一二月一日からはシーズンオフに入ったこともあって営業部岡南営業所に配属され、同日からその監督下にある津高営業所の定期路線バス運転手として勤務することになった。

(二) ところが、債権者には、右三重県渡鹿野に行った際、添乗員の業務を兼ねていたのに、<1>通常義務付けられている債務者の契約店(みやげ品等販売店)へ立寄券を渡してその店の確認印を貰うことをしなかった、<2>当日債務者会社から預託された予備費(必要経費準備金)のうち計二五〇円の支出について領収書の整備や観光部係員への報告を怠ったという順守事項違反があったほか、日ごろの勤務態度にも問題となる点があったため、債権者の上司らは、これらの点について問い質す必要があるとして、同一二月二日津高営業所に勤務していた債権者を岡南営業所に呼び出した。

すなわち、同日午後零時一〇分ころ出頭してきた債権者を、岡南営業所の新館二階ガイド勉強室に入室させたうえ、観光課観光主任小若尚嗣、営業部岡南営業所の運行管理代務者である実盛力、同斉藤幸治、同運行管理者である岩木勝行、同運行主任小野田正明及び観光係長木下賢四郎ら六名が、入れ替わり立ち代わりして、約二時間にわたってそれぞれの立場から、前記順守事項ないし日ごろの職務規律に違背する点について、事情を聴取するとともに指導注意をしたのち、観光部の総括責任者である三宅琢也常務取締役兼観光部長(以下「三宅常務」という。)の意向を受けて、渡鹿野へ乗務した際の前記問題点についてはその場で三宅常務宛の報告書を書くよう指示した。

債権者は指示にしたがい同日午後四時前ころまでかかって報告書(<疏明略>)を作成して提出したが、右報告書を閲読した三宅常務は、直接債権者から事情を聴く必要があるとして、同日午後四時ころから、新館一階応接間において、森安信次観光課長、前記木下係長、畑正志岡南営業所長、竹内一衛岡南営業所次長同席のうえ、引き続き債権者から事情聴取したが、債権者が長時間沈黙を続けるなどして期待するような回答が得られなかったため、同常務は一時中座するなどした。

(三) 以上の事情聴取を通じて、反省の情を示さない債権者の態度に悪感情を抱いた債務者関係者らから、債権者の順守事項違反行為が懲戒解雇事由に該当するかのように言われたり、三宅常務から「君が部下であることは残念だ」などと言われたりしたことから、債権者は、長時間にわたる事情聴取等の疲れもあって、懲戒解雇処分を受けて退職金まで失うことになるのではないかと思い、同日午後五時前ころ、自ら退職願を書くことを申し出た。そして、畑正志岡南営業所長が書いて示した書式に習って、その場で代表取締役社長松田基宛の本件退職願を作成したうえ、その間自席に帰っていた三宅常務のところに持参して手交した。

事情聴取の対象となった債権者の行為は、使用者である債務者側からみても解雇に値するほどのものではなく、債権者が退職願を提出するに至ったことは予想外の展開であったが、三宅常務は債権者を慰留することなく右退職願を受け取った。

(四) 債権者は、もともと右事情聴取のため呼び出しを受けた際、その所属する私鉄中国地方労働組合岡山電軌支部(以下「労働組合」という。)の岡南分会会長森下勇に立ち会って貰うことにしていたが、行き違いから立ち会って貰えず、やむなくひとりで事情聴取に臨んだのであるが、一時の感情から衝動的に退職願を提出したものの、何か割り切れない思いが強く残ったため、翌三日、労働組合の山本利正副執行委員長に本件退職願提出に至った事情を話して相談した。その結果、本件退職願は撤回すべきだということになり、債権者は、「退職願の撤回について御届」と題する書面(<疏明略>以下「撤回届」という。)を作成した。そして、同日午後四時三〇分ころ、債権者の依頼を受けた右山本副委員長が三宅常務の事務室に赴き、債権者の撤回の意向を伝えようとしたが、同常務が留守であったため、同副委員長は、同室に居合わせた岡田伍郎取締役兼営業部長に対してその旨を伝えようとしたところ、同取締役から、この件は本社に回っているとして申し出を取り上げてもらえなかったため、撤回届の手交を断念した。

(五) その後労働組合の幹部は、債務者に対し、債権者の退職願撤回を認めるよう要求して昭和六二年一二月四日、五日、八日、一五日と引き続き団体交渉をするなどの組合活動を展開したが、結局債務者側の容れるところとならなかった。

(六) その間、債権者は、同月九日に山本副委員長と共に撤回の意向を伝えるべく三宅常務のところに行ったが、この時も同常務が出張中であったため、持参した撤回届を同室の職員に手渡して同常務に届けるよう依頼し、ここに右届による撤回の意思表示は正式に債務者に到達した。

これに対して債務者は、同月一二日、債権者に対して、代表取締役松田基名をもって、本件退職願の件は同月二日の受理承認によって完了しており、今更撤回は認められない旨の通知書を発した。

以上の事実に基づいて考察するに、債権者の申し出た本件退職願は、その態様からして雇用関係終了のための合意解約申し込みの意思表示と解される。したがって、これに対して使用者が承諾の意思表示をし、雇用契約終了の効果が発生するまでは、使用者に不測の損害を与えるなど信義に反すると認められるような特段の事情がない限り、被用者は自由にこれを撤回することができるものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前示疏明事実を総合すれば、債務者は、昭和六二年一二月一二日の社長名による通知書を債権者に発したことによって初めて退職承諾の意思表示をしたものとみるべきであり、かつ、この承諾は、債権者がそれより前の同月九日に撤回届を提出し、合意解約申し入れの意思表示を撤回しているから、撤回後の退職承諾となってもはや法的意義を有しないといわなければならない。そして、債権者の撤回届の提出は本件退職願提出のときから一週間の日時を経過してはいるが、それは、退職願を提出した翌日山本副委員長が債権者に代わって撤回届を持参した際三宅常務が不在であったり、岡田伍郎取締役から相手にしてもらえなかったりしたこと、その後労働組合が債権者の撤回の意思を伝えて債務者と団体交渉を継続していたことなどの事情によるものと認められ、他に使用者である債務者に不測の損害を与えるなど信義に反するような特段の事情は見当たらない。

もっとも債務者は、三宅常務は常務取締役観光部長として、営業部、観光部、整備部の主任以下の従業員について退職承認を含む人事権を与えられており、一二月二日の本件退職願を受理したとき、直ちに承諾の意思表示をした旨主張し、<疏明略>(三宅琢也の陳述書)、<疏明略>(栖村普典の陳述書)、<疏明略>(いずれも畑正志の陳述書)中には、右主張に添う「三宅常務は包括的人事権を与えられていた」又は「債権者が退職願を提出したとき、同常務は、わかりました、認めて処理します、と述べ退職を承認した」旨の記載部分がある。

そこで、果たして三宅常務が債務者が主張するような人事権を付与されていたかどうかについて検討してみるに、以下のとおりこれを認めることはできないのである。

一二月二日の事情聴取が一段落した際債権者が作成提出した報告書(<疏明略>)は三宅常務宛であるが、その後で畑岡南営業所長が示したひな型に基づいて作成された本件退職願は、常務宛ではなく社長宛となっていることは前認定のとおりである。

また、<疏明略>によれば、債務者には会社組織上労務部が置かれており、その「職務分掌規定」には明文をもって、従業員の求人、採用、任免等に関する事項は労務部の分掌とされていること、労務部には栖村普典部長以下の職員が配置されており、その統轄役員は三宅常務ではなく吉永元二常務取締役であること、しかも、右職務分掌規定には、分掌の運用に当たっては、その限界を厳格に維持し、業務の重複及び間隙又は越権を生じし(ママ)めてはならない旨規定していること(第三条)が一応認められ、これによれば、三宅常務が統轄する観光部、営業部、整備部に所属従業員の任免に関する人事権が分掌されていたとは解し得ない。

さらに、債務者主張の人事権委任に関する規定等がこれまで疏明資料として提出されていないところからすれば、これを明文で定めた文書は存在しないものと推認される。

以上のとおり、職務分掌規定の上からも、運用の実体の上からも、三宅常務に自己に所属する従業員の任免についての人事権があったとはにわかに認められないし、債権者に対する事情聴取の態様と本件退職願が提出されるに至った経緯に照らせば、三宅常務が代表取締役社長(松田基)や専務取締役(石津俊夫)との協議を経ることもなく単独で即時退職の承認の可否を決し、その意思表示をなしえたか疑問である。

なお、三宅常務が本件退職願を債権者から受け取ったとき、直ちに退職承認の意思表示をした旨の前記陳述記載部分については、<疏明略>(いずれも債権者の陳述書)に照らしてにわかに措信できず、他にこの点に関する債務者主張事実を認めるに足る疏明資料はない。

3  以上のとおり、昭和六二年一二月九日の撤回届の提出をもって本件退職願は有効に撤回されたものというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、債権者はいまだ債務者の従業員たる地位を有するということができ、債権者の地位保全の申請は、これを争う債務者の態度に照らせば必要性も認められるところであって、理由がある。

三  賃金仮払いの申請について

債権者が従前債務者から毎月二五日に平均給与二八万〇八三二円を支給されていたことは当事者間に争いがない。

そして疏明資料によれば、債権者は昭和六一年七月から県営住宅に居住し妻と一〇歳になる長男を抱え、右債務者から受ける給与を家計の主たる収入源として生活を支えてきたもので、債務者が雇用契約の終了を理由に債権者を就労させず給与を支払わなくなった昭和六二年一二月以降は、借入金などで生活費をまかなっていることが一応認められる。したがって、賃金の仮払いを求める申請についてもその必要性は認められる。

しかしながら、債権者の妻はパートの作業員として働き一か月六万円ないし八万円の収入があることは、本件申請書において債権者の自陳するところであるから、給料全額に相当する金員の支払いがなければ債権者とその家族の生活が成り立たないものとは認めがたい。当裁判所は、これら一切の事情を勘案し、賃金仮払いの申請については昭和六二年一二月以降一か月当たり二〇万円の限度で仮払いの必要性があるものと認める。

四  よって、本件仮処分申請は主文第一、二項の限度で理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容し、その余の部分については保全の必要性を認めるに足りる疏明がないし、事案の性質上保証を立てさせて疏明に代えるのも相当でないから失当として却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書をそれぞれ適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 日浦人司 裁判官 香山高秀 裁判官 生田治郎)

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