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岡山地方裁判所 平成2年(ワ)709号 判決 1993年11月25日

原告

中村政子

被告

宮本三郎こと李錫均

主文

一  被告李錫均及び被告富士火災海上保険株式会社は、原告に対し、各自金四〇万九三三一円及びこれに対する被告被告李錫均については平成二年一一月一六日から、被告富士火災海上保険株式会社については同年一〇月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告被告李錫均及び被告富士火災海上保険株式会社に対するその余の請求並びに被告古元重光に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告と被告李錫均及び被告富士火災海上保険株式会社との間で生じたものはこれを二〇分し、その一九を原告の、その余を右被告両名の負担とし、原告と被告古元重光との間で生じたものは原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する被告宮本三郎こと被告李錫均(被告李)につき平成二年一一月一六日から、被告古元重光(被告古元)及び被告富士火災海上保険株式会社(被告会社)につき同年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件交通事故(本件事故)の発生

(一) 日時 昭和五四年五月七日午前一一時四五分ころ

(二) 場所 岡山県倉敷市児島稗田町一八二九番地先県道上(本件道路)

(三) 加害車両 普通四輪乗用車 岡三三な三一五六(被告李車)

保有者兼運転者 被告李

(四) 被害者 原告

(五) 事故の態様 原告が現場付近の本件道路の左端の歩行者帯を北に向けて歩いていたところ、被告李車が後ろより追突し、原告は、道路左端の側溝中に跳ね飛ばされた。

2  責任原因

(一)(1) 被告李は、前記加害車たる被告李車の保有者兼運転者であるから、自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償の責任がある。

(2) また、被告李は、昭和五四年五月一〇日、原告との間で、念書(甲六、本件念書)を交わし、本件事故により発生すべき損害について支払いを約束する損害金支払契約(本件損害金支払契約)を締結した。したがつて、被告李は、本件損害金支払契約に基づく損害賠償の責任がある。

(二) 被告古元は、昭和五四年五月一〇日、原告との間で、本件念書を交わし、被告李の原告に対する損害金支払債務につき保証する旨の保証契約(本件保証契約)を締結した。したがつて、被告古元は、本件保証契約に基づく損害賠償の責任がある。

(三)(1) (主位的請求)被告会社は、PAP約款六条一項若しくはBAP約款四条一項により、原告に対し、直接保険金を支払う義務がある。

(2) (予備的請求)被告会社は、民法四二三条一項により、加害者である被告李に代位して請求する原告に対し、保険金を支払う義務がある。

3  受傷の部位・程度、治療内容と経過、後遺症

(一) 全身打撲、頭部打撲傷、頸椎捻挫、腰椎捻挫(外科関係)

昭和五四年五月七日から同年一〇月二八日までの一七五日間、児島第一診療所へ入院、同月二九日から昭和五八年七月三〇日までの間(実日数四一二日)、同診療所で通院治療を受けた。

昭和五八年八月七日、頸椎、腰椎捻挫の後遺症の診断を受けた。

(二) 両眼球打撲、網膜振盪症、眼精疲労症(眼科関係)

昭和五四年七月二四日から平成元年八月八日までの間(実日数一〇四一日間)、医療法人聖約会佐藤眼科医院(佐藤眼科医院)で通院治療を受けた。

平成元年八月八日、両眼球打撲、網膜振盪症、眼精疲労症の後遺症の診断を受けた。

4  損害

(一) 治療費 二九万八六四七円

但し、佐藤眼科医院に対する治療費の原告負担分

(二) 入院雑費 八万七五〇〇円

一日五〇〇円として一七五日分

(三) 逸失利益 六三〇万円

原告は、本件事故当時、五七歳の家庭の主婦であり、一〇年間は就労可能であつたから、年間一七四万八一〇〇円(昭和五四年の賃金センサスによる)の収入を得ることができたものとみられ、これに一〇年間に対応するライプニツツ係数七・七二二を乗じると、原告の逸失利益が計算できるが、うち認定額は六三〇万円が相当である。

(四) 入通院中の慰謝料 八一六万五〇〇〇円

入院 一二二万五〇〇〇円(一日七〇〇〇円として一七五日分)

通院 六九四万円(一日五〇〇〇円として一三八八日分)

(五) 後遺症慰謝料 四五〇万円

(1) 頸椎・腰椎関係 後遺障害等級九級

(2) 左眼関係 同一一級

複合で一〇級に該当

(六) 前記(一)ないし(五)の総計 一九三五万一一四七円

(1) 児島第一診療所関係 八七七万二五〇〇円

(2) 佐藤眼科関係 一〇五七万八六四七円

(七) 損害の填補

児島第一診療所の治療費と通院費(九七六日分)と後遺症(半分とみる)を除き、七一万五六六九円を被告会社から受領済みである。

5  よつて、原告は、被告らに対し、前記2の各責任原因に基づき、前記4(六)の総計から同(七)の填補額を控除した額の内金として、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する被告李につき平成二年一一月一六日から、被告古元及び被告会社につき同年一〇月三〇日(いずれも本件訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら共通)

1(一)  請求原因1(一)ないし(四)の各事実は認める。

(二)  同1(五)の事実は否認する。

2(一)  被告李

(1) 同2(一)(1)の事実は認める。

(2) 同2(一)(2)の事実は否認する。

(二)  被告古元

同2(二)の事実は否認する。

(三)  被告会社

(1) 同2(三)(1)のうち、保険約款四条一項に「……被保険者の行う折衝・示談又は調停若しくは訴訟の手続について協力又は援助を行います。」、同約款六条一項に「……損害賠償の支払いを請求することができます。」との規定があることは認めるが、右は、原告の被告会社に対する直接請求権を認めたものではないので、被告会社の責任は否認する。

(2) 同2(三)(2)は、被告李につき無資力要件が欠けるので、否認する。

3  同3(一)及び(二)の事実中、原告が治療を受けたことは認めるが、受傷の内容、程度及び本件事故との因果関係は否認する。

4(一)  同4(一)ないし(六)の事実は否認する。

(二)  同4(七)については、損害の填補額は、原告主張の児島第一診療所の治療費(二六七万九一一〇円)と内払金七一万五六六九円のほか、被告李が原告に交付した見舞金二〇万円の合計三五九万四七七九円である。

三  抗弁

1  消滅時効

(一) 傷害(外科関係・眼科関係共通)に係る損害(請求原因4(一)ないし(四)、但し(三)につき休業損害と解した場合)の請求について

(1) 本件事故発生日から、被告李及び被告古元については三年を経た昭和五七年五月七日の経過により、被告会社については二年(商法六六三条)を経た昭和五六年五月七日の経過により、すべて消滅時効が完成している。

(2) 被告らは、右各消滅時効をそれぞれ援用する。

(二) 後遺障害に係る損害(請求原因4(三)、(五)、但し、(三)につき後遺障害に基づく逸失利益と解した場合)の請求について

(1) 外科関係

症状固定時期とされる昭和五八年七月三〇日から、被告李及び被告古元については三年を経た昭和六一年七月三〇日の経過により、被告会社については二年(商法六六三条)を経た昭和六〇年七月三〇日の経過により、消滅時効が完成している。

(2) 眼科関係

症状固定時期が診断書上、平成元年八月八日になつているが、もつと早い時期(少なくとも本件事故後二、三年位の時期)に症状が固定していたものと考えられるので、右時期から、被告李及び被告古元については三年を経た昭和六〇年五月七日の経過により、被告会社については二年(商法六六三条)を経た昭和五九年五月七日の経過により、消滅時効が完成している。

(3) 被告らは、右各消滅時効をそれぞれ援用する。

2  過失相殺

本件事故は、交通量の多い幹線道路において、道路反対側のバス停留所に行くため、道路を横断していた原告に被告李車が衝突したものであるところ、原告の急な飛び出しによつて、発生したものである。したがつて、原告に生じた全損害につき三〇ないし四〇パーセントの過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁1、2の事実は否認する。

五  再抗弁(抗弁1に対する権利濫用の主張)

1  被告李は、本件事故につき嘘の現場説明をなし、また、原告に対し見舞金を渡していないのに、二〇万円を渡したと言うなど、信義誠実を踏みにじつている。

2  被告古元は、医師であるのに、原告の症状について、本件事故後全く関心を払つていないなど、信義誠実に欠けている。

3  被告会社は、被告らの代理人としての立場で行動していたものであるが、当初の担当者若松が死亡したことを奇貨として、その後を継いだ社員が、眼科関係につき、本件事故との因果関係を否定したり、消滅時効の主張をしたり、原告の通院を打ち切るよう手続きを進めたりするなど、その対応が極めて不誠実であり、敢えて、原告に対する賠償の件を放置したものである。

4  したがつて、被告らの消滅時効の援用は、権利の濫用であつて、許されるべきではない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生と態様について

1  請求原因1(一)ないし(四)(本件事故発生)の事実は、当事者間に争いがない。

2  証拠(乙一、二、原告・被告李各本人)及び弁論の全趣旨によつて認定できる本件事故の態様は、次のとおりである。即ち、

本件道路は、幅員約六・五メートルの二車線(道路の両端には路側帯がある。)で、制限速度が時速四〇キロメートルの南北に走る道路である。本件事故当時、倉敷方面に向かう西側の車線は空いていたのに対し、児島方面に向かう東側の車線は、渋滞していた。

原告は、当時、本件道路の西側奥にある原告の娘夫婦方を出たが、本件事故現場の北方で、本件道路の東側にある児島方面行きのバス停留所でバスに乗車し、歯医者に行く予定であつた。そこで、原告は、娘夫婦方前から東西に伸びる狭い路地を通り、本件道路の西側車線の路側帯に出て、右路側帯の内側を数メートル歩いた後、後方の安全を十分確認しないまま、急に、反対側の車線に向かつて本件道路を斜めに横断し始めた。

被告李は、被告李車を運転して、本件道路の西側車線を時速約五〇キロメートルの速度で北進していたところ、原告が前記のように急に斜行して横断し始めたのを発見したが、急制動の措置を取る間もなく、本件道路の西端より約一・四メートルの地点で、被告李車の左前部を原告の身体に衝突させた。

原告は、一旦、被告李車のボンネツトに跳ね上げられた後、本件道路の西端の溝まで飛ばされ、溝の中に転落した。

以上のとおり認められ、本件事故当時の道路状況、原告の行き先の予定等に照らすと、原告本人の供述中、右認定に反する部分は採用することができず、他に、被告李車が、西側車線の路側帯に敢えて進入して進行した事実を認めるに足りる証拠は存しない。

二  責任原因について

1  請求原因2(一)の事実は、当事者間に争いがない。右事実によると、被告李は、原告に対し、自賠法三条に基づく損害賠償責任を負う。

2  本件損害金支払契約・本件保証契約の成否について

(一)  証拠(甲六、証人篠原順治、原告・被告李・被告古元各本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件念書(甲六)が作成された経緯は次のとおりである。即ち、

原告の娘婿である篠原順治(篠原)は、本件事故の加害者である被告李が日本国籍でなく、初対面であり、パチンコ業を営んでいること等に不安を抱き、同被告から損害賠償に関する念書を徴求することにし、併せて、被告李だけでは心配であつたため、被告李と親しくしていた被告古元にも責任を取つて貰おうと考えた。

そこで、篠原は、本件事故の三日後である昭和五四年五月一〇日、被告李が原告に対して、一切の損害賠償その他について責任を取る旨タイプで打ち出した念書(本件念書)を被告李に示し、もし被告李の保険で支払いがなされない場合の身元確認の意味で、右念書に署名押印するよう要求した。被告李は、事故を起こした身であるから、被害者の言うとおりにすべきであると考えて、本件念書の加害者欄に署名押印した。その際、被告李は、既に原告を二回見舞つていたものの、原告の詳しい病名、治療方法、治療費の明細等については原告側から告げられていなかつた。

他方、被告古元は、当時、下山内科病院の内科担当医であり、被告李は、以前からの患者であつたところ、前記同日、被告李は、篠原から要求されて、同病院に本件念書を持参した。そして、被告李は、被告古元に対し、本件念書を示し、自分は任意保険にも入つているので、迷惑を掛けないから保証人になつて欲しい旨依頼したところ、被告古元は、右念書末尾の保証人欄に署名押印した。その際、被告古元は、本件事故につき発生場所しか聞いておらず、原告やその関係者に会つたことはなく、原告の傷病名も知らなかつた。

以上の事実が認められ、証人篠原順治の証言及び被告李の供述中、右認定に反する部分は採用することはできない。

(二)  前記(一)によれば、本件念書は、本件事故発生後まもなくの時期に、原告側が主として、被告李の身元確認、身元保証の趣旨で、未だ原告に生じた損害の程度・内容・額等につき双方で確認することもなされないまま、加害者である被告李及びその知人で医師の被告古元が、被害者側に請われるままに署名押印することにより作成されたものであることが認められ、右のような本件念書作成の時期・目的、被告李及び被告古元の当時の認識内容等に徴すると、被告李及び被告古元が本件念書に対する署名押印に応じたことをもつて、原告と同被告らとの間に、法的効力を有する損害金支払契約ないし保証契約が成立したものと評価することはできないというべきである。

(三)  したがつて、請求原因2(一)(2)(本件損害金支払契約の成立)及び同(二)(本件保証契約の成立)の事実は、いずれもこれを認めることはできない。そうすると、原告の被告古元に対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。

3  被告会社に対する直接請求の可否について

被告李が被告会社との間で締結した保険契約を規律する保険約款の六条一項には、「……損害賠償請求権者は、当会社が被保険者に対してん補責任を負う限度において、当会社に対して第三項に定める損害賠償の支払いを請求することができます。」との規定(一部PAP約款の同条同項により補充)が存在することは、当事者間に争いがない。そして、右規定は、被害者たる原告の被告会社に対する直接請求権の根拠となり得るものと解されるから、被告会社は、原告に対し、本件事故によつて原告が被つた損害賠償責任を直接負担するというべきであつて、原告の被告会社に対する請求原因2(三)(1)の主位的責任原因は、これを認めることができる。

三  原告の受傷の部位・程度、治療経過及び後遺症等(請求原因3)について

1  原告の外科関係及び眼科関係の治療経過については、当事者間に争いがない。

2  外科関係の受傷と後遺症について

証拠(甲二、乙三、五、六、証人難波進、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故により、全身打撲、頭部打撲、頸椎捻挫の傷害を負い、本件事故当日から昭和五八年七月三〇日まで入通院治療を受け、同年八月七日、主治医の難波医師より、同年七月三〇日症状固定、頸椎捻挫による頭重感、項痛等の後遺症の診断を受けたこと、右後遺症については、当時、自賠責保険の後遺障害等級一四級一〇号の認定を受けていたことが認められる。

右事実によると、原告の外科関係の傷害は、遅くとも昭和五八年七月三〇日に症状が固定し、頸椎捻挫による頭重感、項痛等の後遺症が残つたものと認めるのが相当である。

3  眼科関係の受傷と後遺症について

(一)  受傷の有無と因果関係

証拠(甲三ないし五、乙七、八、乙九の一ないし四、乙一〇ないし二五、乙二六の一ないし三、乙二七、二八、鑑定の結果、証人渡辺好政、同田淵昭雄、原告本人)によれば、原告は、昭和五四年七月一四日ころ、左眼に中心暗点感を訴え、同月二四日、佐藤眼科を初受診し、両眼眼球打撲、両眼網膜振盪症、眼精疲労症(本件眼科症状)の診断を受けたこと、当時の原告の具体的眼症状は、左眼に視力障害(矯正視力で〇・三)と中心視野検査での中心暗点が存在し、左眼黄斑部に異常所見があつた(網膜振盪症後の変化と推定される)こと、ところで、鑑定医の田淵医師は、初診時の前記症状は、初期老人性白内障では認められない症状で、かつ、右症状及びその後の原告の左眼の視力の変遷からすれば、原告につき、眼科的には強い視力障害に関連するような既往症はなかつた(軽度の屈折異常(近視性乱視)はあつたが、無視してもよく、また、初期の老人性白内障があつたかもしれないが、視力に影響する程度ではない。)としていることが認められる。

右事実に、本件全証拠によつても、本件事故後前記初診時までの間に、原告の左眼が前記異常所見をもたらすような外傷を受けた事実は窺われないことをも併せ考えると、本件眼科症状は、原告が本件事故時に溝に落下して顔面部を打撲したことにより生じたものと推認することができる。

(二)  本件眼科症状の固定時期と後遺症の有無・程度について

前記(一)の証拠によれば、本件眼科症状は、眼球打撲による中程度の網膜振盪症によるものであるところ、一般には、視力予後は様々で症状の変動があり、長期にわたつて眼科的管理を要する疾患(但し経過観察が主体)であり、その治癒時期を判定するのは困難であるとされていること、原告には、長年月にわたつて視力の動揺と中心暗点の出没があり、本件眼科症状は、約一〇年間にわたり一進一退を繰り返していたが、平成元年八月八日ころには、左眼の視力は概ね〇・五(矯正視力)に落ち着いたこと、原告の主治医の渡辺医師のみならず、鑑定医の田淵医師も、結論として、本件眼科症状の固定時期は、平成元年八月八日であるとしていること、そして、右固定時期における原告の眼科関係の傷病名は前記(一)の初診時のものと変わらず、結局、原告には、左眼の視力障害(矯正視力で〇・五程度)と中心暗点の存在という後遺症が残つたこと、なお、原告の両眼につき、眼位、両眼視機能、周辺視野等はいずれも正常であつて、本件眼科症状以外に異常は見られないことが認められる。

右事実によると、本件眼科症状の固定時期は平成元年八月八日ころとするのが相当である。また、原告には、結局、一眼の視力が〇・六以下になつたものとして、自賠責の後遺障害等級一三級(一号)程度の後遺障害が残存しているものと認めるのが相当である(なお、後遺障害等級一三級二号の「視野変状」とは、暗点のうち、いわゆる絶対暗点のみを取りあげるものとされている(乙三〇)ところ、原告に残つた中心暗点は、完全に中心が見えないのではなく、中心がぼーつとかすむ状態をいう(鑑定の結果)ので、右二号の障害には当たらない。)。なお、鑑定の結果中には、診療録に白内障の記載がある昭和六二年七月一一日後の原告の視力低下は白内障(老人性のもの)が関与しているかもしれないとの記載部分も存在するが、結局、本件全証拠によつても、原告の後遺症たる視力低下に対する右白内障の寄与割合を確定することはできないというべきである。

四  被告李及び被告会社の消滅時効の抗弁及びこれに対する原告の権利濫用の再抗弁の成否について

1  不法行為の被害者が不法行為に基づく損害の発生を知つた以上、その損害と牽連一体をなす損害であつて当時においてその発生を予見することが可能であつたものについては、すべて被害者においてその認識があつたものとして、民法七二四条所定の時効は、前記損害を知つたときから進行を始めるものと解すべきである。しかし、被害者につきその不法行為によつて受傷したときから相当の期間経過後に右受傷に起因する後遺症が現れた場合には、右後遺症が顕在化したときが同条にいう損害を知つたときに当たり、後遺症に基づく損害であつて、その当時において発生を予見することが社会通念上可能であつたものについては、すべて被害者においてはその認識があつたものとして、当該損害の賠償請求権の消滅時効はそのときから進行を始めると解するのが相当である(最高裁第三小法廷昭和四二年七月一八日判決及び最高裁第一小法廷昭和四九年九月二六日判決参照)。

2  これを本件についてみると、まず、原告は、外科関係及び眼科関係の傷害については、遅くとも本件事故発生日である昭和五四年五月七日に各傷害の事実を知つたものと認められるから、原告が請求する損害のうち、傷害に係る損害(請求原因4(一)ないし(四)、但し、(三)につき休業損害と解した場合)については、すべて右時点で牽連一体をなす損害として、当時においてその発生を予見することが可能であつたものといえる。したがつて、右傷害部分の損害賠償請求権は、本件事故日の翌日である同月八日から消滅時効の進行が開始し、被告李に対する請求については、三年を経た昭和五七年五月七日の経過とともに、被告会社に対する請求については、二年(商法六六三条参照)を経過した昭和五六年五月七日の経過とともに消滅時効が完成したものというべきである。なお、右時効の援用の事実は、当裁判所に顕著である。

3  次に、後遺障害に係る損害(請求原因4(三)、(五)、但し(三)につき後遺障害に基づく逸失利益と解した場合)の請求のうち、外科関係の後遺障害に係る損害については、外科関係の症状が固定した昭和五八年七月三〇日に右後遺障害が顕在化したものと認められる(なお、証拠(乙三、五、六)によれば、昭和五八年五月一〇日ころ、株式会社セトウチ災害調査の担当者が原告と面接して、原告に対し、治療打切交渉を行つた際、原告は、治療打切に同意し、併せて、後遺障害診断書の作成について医師と相談し、診断書を取り付けて被告会社宛に送付するよう言われて、これを了承していたこと、その後、まもなく、主治医の難波医師により、外科関係の症状固定日を昭和五八年七月三〇日とする後遺障害診断書が作成されていることが認められ、右事実によると、原告は、そのころ、外科関係の症状が固定したことを認識していたものというべきである。)から、翌日の昭和五八年七月三一日から消滅時効の進行が開始し、被告李に対する請求については、三年を経た昭和六一年七月三〇日の経過とともに、被告会社に対する請求については、二年を経過した昭和六〇年七月三〇日の経過とともに消滅時効が完成したものというべきである。なお、右時効の援用の事実は、当裁判所に顕著である。

これに対し、眼科関係の後遺障害に係る損害については、眼科関係の症状が固定した平成元年八月八日に右後遺障害が顕在化したものと認められるから、翌日の同月九日から消滅時効の進行が開始するところ、原告が本件訴訟を提起したのが平成二年一〇月五日であることは、当裁判所に顕著であるから、被告李及び被告会社に対する損害賠償請求権は、いずれも消滅時効が完成していないというべきである。

4  原告は、被告らによる消滅時効の援用は、権利の濫用であつて許されない旨主張する。

しかし、まず、原告が、被告李につき権利の濫用を基礎付ける事実として主張する再抗弁1の事実は認めることはできず、また、本件全証拠によつても、被告李が本件事故に関し、原告に対し信義誠実を踏みにじつたような事実は見出し難い。

5  次に、被告会社につき権利濫用の有無につき検討する。

証拠(甲七、八、乙三、証人篠原順治、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告に対する賠償に関する被告会社の当初の担当者若松は、原告に対し、「目を大切に」などと言つたり、昭和五五年六月四日ころ、原告宛に、もし症状が固定しているようであれば、後遺症の診断書を作成するよう医師と相談することを依頼したのに対し、医師は、原告の症状が一進一退であつたため、診断書を書くのを留保していたこと、若松は、本件事故の二、三年後死亡し、その跡を被告会社の社員中川が引き継いだこと、中川は、原告に対し、本件事故と原告の眼科関係の症状の因果関係を否定したり、時効である旨告げたりして、右治療費の支払いを拒否したため、原告は、眼科関係の治療費を自己負担してきたこと、なお、原告は、昭和五八年五月一〇日に行われた株式会社セトウチ災害調査による前記治療打切交渉の際、今後の治療費は個人負担することに同意していたことが認められる。

右事実関係に徴すると、眼科関係の傷害については、因果関係が一見明らかとはいえず、また、外科・眼科関係を問わず、傷害の程度に比し、治療が、一般の事例により長期化した本件において、被告会社の担当者が、因果関係を否定したり、消滅時効を援用したり、治療の打切交渉を行つたりするなどしたことは、客観的に見ると、あながち著しく不誠実であるとまではいえず、また、眼科関係の後遺障害以外の損害につき、右のような被告会社社員の対応により、原告が当時、被告会社に対し、正規の請求手続を取ることの妨げになつたとみることもできない。そうすると、原告の被告会社の消滅時効の援用に対する権利濫用の再抗弁も採用することができないというべきである。

6  従つて、原告の眼科関係の後遺障害に基づく損害以外の損害賠償請求に対する被告李及び被告会社の消滅時効の抗弁は理由があり、結局、原告が被告李及び被告会社に対して請求することができるのは、眼科関係の後遺障害に基づく損害のみということになる。

五  損害額

1  後遺症に基づく逸失利益について

原告の請求原因4(三)の請求を後遺症に基づく逸失利益と解するとしても、右主張自体からして、原告が請求しているのは、本件事故日以降一〇年間の逸失利益であることは明らかである。ところで、原告の眼科関係の症状が固定したのが、右一〇年経過後の平成元年八月八日であるから、結局、原告が請求できる眼科関係の後遺障害に基づく逸失利益はこれを認めることはできない。

2  眼科関係の後遺症に基づく慰謝料について

前記三3の原告の眼科関係の後遺症の内容、程度に徴すると、右後遺症に基づく慰謝料は一五〇万円とするのが相当である。

3  過失相殺

本件事故の態様(前記一2)に徴すると、原告には、車両が通行する歩車道の区別のない本件道路を、後方の安全を十分確認しないまま、急に斜め横断した点に過失があり、他方、被告李には、前方注視が足りず、制限速度を約一〇キロメートル超えて被告李車を運転した過失がある。右双方の過失の態様に照らすと、本件事故発生に至つた過失割合は、原告二割五分、被告七割五分とするのが相当である。

そこで、前記2の損害額につき二割五分の減額を行うと、原告が請求できる損害額は一一二万五〇〇〇円となる。

4  損害の填補

原告が、本件で請求している損害の填補として、被告会社から七一万五六六九円を受領済みであることは当事者間に争いがない。

被告らは、被告李が、本件事故の見舞金として二〇万円を交付した旨主張し、被告李の供述にはこれに沿う部分が存するが、これを証する客観的な証拠が存しないことや、これを否定する証人篠原順治の証言内容に照らし、採用することはできない。

従つて、填補額は七一万五六六九円のみとなり、これを前記損害額一一二万五〇〇〇円から控除すると、被告李及び被告会社の賠償すべき損害額は四〇万九三三一円となる。

六  結論

以上の次第で、原告の被告李及び被告会社に対する請求は、同被告らが連帯して四〇万九三三一円及びこれに対する本件事故日の後である被告李については、平成二年一一月一六日から、被告会社については同年一〇月三〇日(いずれも訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、原告の被告李及び被告会社に対するその余の請求並びに被告古元に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 徳岡由美子)

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