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岐阜地方裁判所大垣支部 昭和41年(わ)99号 判決 1967年10月03日

被告人 大橋勇男

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

本件公訴事実中、殺人未遂の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四一年九月九日午後七時五〇分ごろ、岐阜県海津郡南濃町松山四四番地先町道において、普通乗用自動車(岐五ぬ六六〇号)を運転し、

第二、第一記載のとおり、運転免許を受けていないのにかかわらず、昭和四一年一月ごろから、自宅にある右普通乗用自動車を継続反覆運転し、もつて、自動車運転の業務に従事していたものであるが、同年九月九日午後七時四〇分ごろ、右自動車を運転して帰宅途中、右南濃町松山水谷自転車店前付近道路上において、足踏自転車を運転して反対方向から来た伊藤静雄(当時三〇才)とすれちがつた際、両車が衝突しそうになり、その場は互いに言葉をやり合つて行き過ぎたが心が納まらず、さらに、右伊藤静雄を詰問しようとして右自動車の向きを変え、約四〇〇メートル余同人を追いかけ、第一記載の場所付近に至り追い付いたのであるが、その際、前方を自転車で同一方向に向け進行中の同人の直前に自車を進出させて同人の進路をさえぎり同人を停止させようとしたが、当日は闇夜で右付近は暗く、しかも前記道路の幅員はわずか約二・九メートルで非常に狭く、かつ道路西側には幅約四メートルの山除川が流れておりしたがつて右のような行動に出た場合右自転車と追突接触するおそれが多分にあつたから、このような場合、自動車の運転者としては、右のような行動は事故発生の危険があるので厳につつしむべきであり、また、かりに敢行するとしても、相手方の速度、進路その行動などを十分考慮に入れ、追突、接触することのないように右自転車と自車との距離間隔に留意し、これを誤ることなく慎重に自動車を操縦し、もつて衝突などによる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然安全に進路をさえぎることができるものと軽信し、前記のような行動に出たのみならず、その際自車の前方を進行していた右伊藤静雄の自転車が同所付近西側の山除川にかかるコンクリート橋の東詰に進入しようとしたのを発見し、その進路直前に出ようとしてハンドルを左に切つたのであるが、その際右自転車と自車との距離間隔の目算を誤り、急制動をかけたが間に合わず、自車の前部左側バンバー付近を右自転車の後部泥よけ付近に追突させ、その衝撃により、同人を自転車諸共右橋から約二・三メートル下の右山除川に転落させ、よつて、同人に対し同年一一月四日まで入院加療、その後昭和四二年二月一日まで通院加療を要した右臀部腰部挫傷ならびに右骨損傷の傷害を負わせ、

第三、第二記載の交通事故が発生し、右伊藤静雄に右傷害を与えたのに、

一、第一記載の日時、場所において、直ちに運転を停止して負傷した同人を救護する措置を講じなかつた、

二、同日時、場所において、そのまま運転を継続し、その事故発生の日時、場所等法令の定める事項を、直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた。

ものである。

(証拠の標目)<省略>

(本件第二の主たる訴因(傷害)に対する判断)

本件第二の主たる訴因の要旨は、「被告人は、判示日時、場所において、橋の袂に避譲した伊藤静雄の自転車後部に自己の自動車の前部を追突せしめて、右伊藤を自転車諸共右橋から山除川に転落させ、よつて、同人に対し全治三ケ月を要する右臀部腰部挫傷等の傷害を負わせた。」というのであるが、本件各証拠によると右の外形事実を認めるに十分であるが、犯意については、被告人は「追突すると思つたので夢中でブレーキを踏んだのであって自転車に当てようという気持はなかつた」と終始これを否定しているのであつて、司法警察員作成の実況見分調書等により認められる本件現場の状況ことに当時約一八メートル(直線で約一三・六メートル、右斜めに約四・三メートル)にわたつて被告人の自動車のスリツプ痕跡が判然として認められる点は右弁論に照応するのみならず、水谷自転車店前における被害者との口論の状況、被告人の性格、平素の行状等からみて、右犯行の故意を認定するには動機として薄弱であると考えられるし、本件全証拠によるも被告人に犯行の故意があつたと断定することはできないので、主たる訴因については結局犯罪の証明がないことに帰するのであるが、予備的訴因について判示のとおり有罪の認定をしたものであるから主文において無罪の言渡をしない。

(殺人未遂の点が無罪の理由)

本件公訴事実中殺人未遂の点の要旨は、

「被告人は、昭和四一年九月九日、本件交通事故により、伊藤静雄を水深約五〇センチ・メートルの山除川に転落させ、重傷を負わせたが、同人を救助せず放置するにおいては死に至るべきを予見しながら、救助措置を講ぜず逃亡したものであるが、それを知つた伊藤善朗、山田武の両名において救助したため死亡するに至らなかつた。」

というのであり、本件各証拠によると右外形事実を認めるに十分である。

本件はいわゆる不真正不作為犯の殺人罪として起訴されたものであるが、被告人は自己の過失により被害者の自転車に自動車を追突させ川中に転落させてその結果被害者に判示の重傷を負わせそのまま放置して現場を離脱したものであり、かつその際被害者を被告人において救護することは可能であつたのであるから不作為の殺人罪の客観的要件としての作為義務はそなわつているというべきであるが、この場合主観的要件としては結果発生の積極的意欲が必要であるか或は未必の故意で足るかは法解釈上の一つの問題ではあるが、未必の故意で足るものと解するとしても、構成要件に該当する外形的且積極的な行為自体において通常殺意の表動が認められ、従つて行為自体殺意の推定をもたらすとともに犯意(殺意)認定の保障的機能を果しているとみるべき定型的作為による殺人犯の場合と異なり、「放置して現場を離脱した」という不作為(いわゆる「ひき逃げ」)それ自体には通常殺意の表動が認められる(従つてそれが殺意の推定をもたらす)という性質のものとはいえないのであるから未必の故意による殺意の認定は具体的事情を十分検討して慎重にこれをしなければならないと考える。

そこで本件につき未必の故意による殺意が認められるか否かにつき、まず被告人の供述(調書)につき検討するに、被告人の司法警察員に対する供述調書では「川の中へ自転車と一緒に転落したので相当の怪我を受けられたと思いますがとつさの出来事で恐ろしくなつたのと無免許で事故を起したのがばれると思うと恐ろしくて夢中で逃げた」旨述べていて殺意の点は触れていないが、その後取調べられた検察官に対する各供述調書によると、「橋から川面まで二メートル半か三メートル位あるので、高い所から自転車に乗つたまま川の水のある中へ落ちて行つたので怪我して死んだかも判らんと思うと恐ろしくなり、又無免許がばれるのをおそれてそのまま逃げたものである」旨未必の故意による殺意を認めるかの如く供述している。ところが、当公判廷では「そのときは、なにしろ恐ろしいのと、無免許のばれることがこわくて逃げてしまつたので、ひよつとすると死ぬかもしれないというような気は全然なく、また考えもしませんでした」と弁解している。

右殺意を肯定する供述が被告人が自発的に犯行当時の自己の意識をありのままに述べたものであるか或は捜査官の理詰めの取調をうけた結果後から考えた理屈ないしは反省を述べたものであるかについては、さらに諸般の事情を検討しなければならない。

そこで、本件犯行の状況を検討する。本件各証拠を総合すると、

(イ)  山除川は前記町道の西に沿い、ゆるやかに流れる幅約四メートルの小川であつて川底は砂利混りの砂であり、伊藤静雄が転落した橋の高さは、判示のとおり、川底の一番深いところからでも約二・三メートルであり、同所付近の犯行当時の水深は約五〇センチ・メートルで水質は透明であつたこと。

(ロ)  同所付近の山除川の東岸はゆるい傾斜の堤防となつて前記町道に接しており、西岸は石垣になつているが右橋の南端には川面から地上にのぼれる石段があること。

(ハ)  伊藤静雄の転落場所のすぐ近くには人家が三棟あり、そのうちの山田重一方で当時入浴中であつた山田博が自動車の異様なスリツプ音をきくとともに自転車に乗つたままの状態で人が山除川に転落するのを目撃し、家族とともに直ちに救助に赴き、被害者伊藤静雄を川から引揚げて救護の措置をとつたものであること。

(ニ)  伊藤静雄は川に転落するや、しやがんで西岸の石垣に寄つてゆき、右手に持つていた傘を石垣のつつじの木の下辺りに放り、石垣に両手を上げてもたれたような格好になつていたところを救助されたものであつて、(右石垣下の水深は当時約二五センチ・メートル)転落した際顔は水についたがすぐ顔を上げたので水は飲んでおらず、又失神してしまつたものではないこと。

(ホ)  同人は転落により判示の如き傷害を受けたのであるが、頭部打撲傷や、骨折、多量の出血等はなく、骨損傷も比較的軽度のものであり、重傷ではあるがいわゆる瀕死の重傷という程重症とは認められないこと。

(ヘ)  被告人の自動車は停車寸前に被害者の自転車に追突したものであり、自動車、自転車とも大きな損傷はないこと。

(ト)  被告人は前に三、四回本件現場を通つたこともあり、又近郷に住んでいるので、同所付近を流れる山除川の水深、幅、川底の土質等の状況は大体知つていたこと。

(チ)  被告人は追突の結果、伊藤静雄が自転車諸共橋上から山除川に転落したことは目撃したがその直後逃走したので川の中の被害者の状況は見ていないこと。

以上の諸情況が認められるのであつて、伊藤静雄を被告人において直ちに救護せず逃走したとしても、死亡の結果発生の蓋然性が高度のものであつたとまでは認め難く、又その認識を被告人が有していたとは認め難い。もつつとも前記認定のような状況で転落すれば被害者が相当の負傷をするであろうことは通常一般に予見できる範囲に属し、被告人もこの点の認識は自認しているのであるが、被告人としては被害者が自転車諸共橋上から川に転落したことは予想外の出来事でもあり、かつ無免許のことでもあり、驚愕、恐怖の念にかられて夢中で逃走したという被告人の供述する当時の心理状態も十分肯認できるところであり、又同人の死亡を認容して逃走しようとするだけの明かな動機も認められないことを考え合わせると前記未必的犯意を肯定する供述は、検察官から理詰めで追求された結果、後から考えて犯行当時死を予見することも可能であつたという趣旨を供述したのではないかとの疑いが濃い。したがつて被告人の前記供述のみによつて、ただちに被告人に未必的故意による殺意があつたと認定することはできないし、前記認定の事実および諸情況からもこれを認め難く他に右殺意を認めるにたりる証拠はない。

そうだとすると、本件公訴事実中、殺人未遂の点については、結局、犯罪の証明がないことになるから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、道路交通法一一八条一項一号、六四条に、判示第二の所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項に、判示第三、一の所為は、道路交通法一一七条、七二条一項前段に、判示第三、二の所為は、同法一一九条一項一〇号、七二条一項後段に、それぞれ該当するところ、道路交通法違反の各罪については、所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、判示第二の罪については所定刑中禁錮刑を選択するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第三、一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処することとする。

なお、訴訟費用については刑訴法一八一条一項を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 水谷富茂人 牧田静二 大津卓也)

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