大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山形家庭裁判所鶴岡支部 昭和57年(家)371号 審判 1982年11月29日

申立人 土井高也

右法定代理人親権者 土井修 外一名

主文

申立人の名「高也」を「吉政」に変更することを許可する。

理由

一  本件申立の理由の要旨は、申立人の名「高也」は、申立人の母土井真佐江が申立人の父土井修の意思に反して命名し届出をしたものであるから、父母協議により、これを「吉政」に変更することの許可を求める、というにある。

二  当裁判所の調査の結果によれば、次の事実が認められる。

申立人の父母は昭和五三年九月二六日婚姻の届出をした夫婦で、婚姻後暫く東京都内に居住していたが、昭和五五年ころ父の出身地である山形県鶴岡市に転居した。ところが、母は昭和五六年二月五日都内の自分の実家にかつてに戻り、鶴岡市内に留まつた父との別居生活を始め、右別居中の同年七月二九日、都内で申立人を出産した。申立人の出産前から父は男子ならば「吉政」の名がよいと考え、母にこのことを手紙で連絡し、母も右「吉政」が気に入つていた。しかるに、申立人の出産後、母の兄が「高也」の名がよいと主張したため、母は、兄に出産費用を負担して貰うなど世話になつていた手前、同年八月七日、心ならずも「高也」の名で自ら申立人の出生届を出した。父は「吉政」の名が届け出られたものと思つていたが、同年一〇月ころ、「高也」の名で届出がされていることを知つた。同年一一月ころ、父母は話合いの末同居して遣り直すことに決め、その結果同年一二月五日母は申立人を伴い鶴岡市に移つて再び父と同居するようになつた。その後、父母は申立人を専ら「吉政」と呼び、申立人は「高也」と呼ばれても反応せず、「吉政」と呼ばれた場合のみ反応するようになつており、近所に対しても「吉政」で通しているもので、今般、父母において、申立人の名を「高也」から「吉政」に変更する旨協議・合意の上本件申立がなされた。

以上の事実が認められる。

三  そこで検討するに、一般に、出生した子の名の命名は父母の共同親権事項と解すべきであるが、出生届の届出義務者について戸籍法五二条一項が「父又は母」と定め、双方届出主義を採つていない関係上、父母の一方による他方の意思に反しての命名に基づく子の出生届がなされることも事実上起こり得ないではなく、そうした場合でも、ひとたび右届出が行われ戸籍への記載がなされた以上、これを前提として種々の法律関係が順次形成されていくものであることから見て、かかる届出の効力自体を否定するのは、もとより相当ではない。しかしながら、この場合、父母の協議により双方の合意に基づく名への変更の申立がなされたときは、従前の名が社会生活上未だ定着していないと認められる特段の事情がある限り、同法一〇七条二項の「正当な事由」があるものとしてこれを許すことができるというべきである。けだし、そうすることにより、法的安定を期しながらも、親権行使上の瑕疵を実質的に除去することができるからである。

そこで、本件を見ると、本件は申立人の母が父の意思に反して申立人の名を命名しこれが届出をしたものであり、本件申立は、申立人の父母の協議により双方の合意に基づく名への変更を求めるものであることが明らかで、しかも、申立人の年齢、現在の生育状況等に照らすと、申立人の従前の名が社会生活上未だ定着していないと認められる特段の事情があるものといえる。そうすると、本件申立は、同法一〇七条二項の「正当な事由」があると考えられる。

四  よつて、本件申立は正当であるからこれを認容することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 福岡右武)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例