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山形家庭裁判所鶴岡支部 昭和41年(家)559号 審判 1966年9月29日

申立人 権たき(仮名)

主文

山形県東田川郡○○村役場備付の本籍山形県東田川郡○○村大字○○字○○一〇四番地、筆頭者山田一雄の戸籍および同上同番地筆頭者山田一雄の除籍中、同籍たきの身分事項欄の権丁仁との婚姻年月日昭和二一年四月一日とあるのを昭和三〇年一二月二五日と訂正し、「昭和二一年四月一日中国権丁仁と婚姻により国籍喪失兄戸山三太郎届出昭和四〇年三月四日受附除籍」とある記載を消除することを許可する。

理由

一、本件申立の要旨は申立人は、大正七年九月八日山形県東田川郡○○村大字○○字○○○四六番地において出生、昭和一四年九月二七日山田一雄(昭和二一年三月二二日死亡)と婚姻、同年一〇月同人と共に渡満して、満州国浜江省珠河県六道河子第七次開拓団敷島区で開拓移民として生活していたが、昭和二一年四月一日中国籍の権丁仁と同居生活をはじめ、昭和三〇年一二月二五日中華人民共和国内蒙古自治区満州里市人民法院に婚姻の登録をし、同人との間に斗全(昭和二四年一一月二六日生)、先全(昭和二六年一〇月一九日生)なる二児をもうけた。

二、申立人は昭和三九年一〇月二八日前記二児とともに門司に入港し、山形県鶴岡市に引揚げてきたが、昭和四〇年二月五日山形県東田川郡○○村役場に、権丁仁との婚姻届をなすに当り、事実婚の日である昭和二一年四月一日に婚姻が成立した旨の過つた結婚証明書を添付したため、届出に錯誤が生じ、同日正式に婚姻した如く戸籍に登載された、そしてこれに基ずき昭和四〇年三月四日申立人の兄戸山三太郎から申立人に対する国籍喪失届がなされるに至つた。

しかし申立人が中国方式により権丁仁と適式に婚姻し、その登録を済ませたのは昭和三〇年一二月二五日であるから主文記載のような戸籍訂正の審判を求めるというのである。

三、そこで按ずるに、本件記録に添綴された筆頭者山田一雄の除籍謄本、原戸籍謄本、戸籍謄本、中華人民共和国満州里市人民法院公証員宋紹如発行の一九六四年六月一九日付結婚証明書写、同人発行の一九六六年三月一四日付結婚証明書、引揚証明書写、並びに家庭裁判所調査官の調査報告書および被審人権丁仁の審問の結果を綜合すると、前記申立人主張の事実並びに、申立人は昭和二一年四月一日中国籍の権丁仁と同居生活をはじめたが、当時前夫一雄の生死が不明であつたため、同人の婚姻関係がなお継続しているものと考え、権丁仁との間に適式な婚姻手続をせず、同人と同届生活を続けていたところ、その後右一雄の死亡したことを知つたので一九五五年(昭和三〇年)一二月二五日中国哈尓浜道裡十四街の権良孔において証人曽二清、宋申立立会のうえ、同郷の住民一〇数名が集り、公開の儀式をもつて権丁仁との結婚式を挙行し、同日満州里市人民法院に行つてその婚姻の登録手続を済ませた事実を認めることができる。

四、法例第一三条第一項によれば婚姻成立の要件は各当事者につきその本国法によつてこれを定めその方式はもつぱらその挙行地の法によらしめているから、本件婚姻の方式も、その挙行地である中国の法律によるべきところ、同国には現在中華民国政府と中華人民共和国政府とが互いに自己を中国全域を支配する政府であると主張して対立し、中華民国政府は民国一九年一二月二六日公布の国民政府制定中華民国法を、中華人民共和国政府は一九五〇年五月一日公布の中華人民共和国婚姻法を施行しているので、そのいずれを採るべきかにつき論争がないわけではないが、わが国は中華民国国民政府を中国における正当政府として承認し昭和二七年四月二七日同国政府との間に、「日本国と中華民国との間の平和条約」を締結しているのであるから、中華民国政府の施行する前記中華民国法に依るのを相当としなければならない。

五、よつて前記認定事実に国民政府制定中華民国法第九八二条を照合してみると、本件婚姻が適式に成立したのは、申立人が権丁仁と同届生活を始めた一九四六年(昭和二一年)四月一日ではなく、曽二清等の証人立会の下に公開の儀式を挙行した一九五〇年(昭和三〇年)一二月二五日であるとするのが正当である。されば本件婚姻が昭和二一年四月一日に成立したことを前提として旧国籍法第一八条を適用してした申立人に対する前記国籍喪失の届出もまた錯誤にもとづくものであるといわなければならない。よつて本件申立を正当の事由あるものと認め戸籍法第一一三条を適用して主文のとおり審判する。

(家事審判官 野原文吉)

正誤表<省略>

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