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山形地方裁判所 昭和38年(わ)5号 判決 1963年9月30日

被告人 松田喜美男

昭一二・六・八生 会社員

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、亡父愛之助の長男として出生し、中学校卒業後約六ヶ月間を東京都内のプレス工場に住込み工員として働いたが、健康を害して帰郷し、その後、陸上自衛隊に入隊して約二年間新潟県新発田市に勤務し、除隊後、昭和三一年四月大型自動車の第二種運転免許を受け、暫くタクシーの運転手などをしていたが、同三六年七月から山形市宮町所在山形富士電気製品販売株式会社に外交員として雇われ、爾来家庭電気製品の修理と販売を担当して、殆んど毎日自動車の運転に従事していたものであるが、

第一、同三八年一月二日午後七時三〇分頃、普通貨物自動車(トヨペツトライトバン山形四せ六九七七号)を運転して、時速約四〇粁で山形県東村山郡中山町大字長崎地内の国道(二級国道一一二号線)を北進中、同町大字長崎二番地手前附近に差しかかつた際、車内ヒーターによる暖房のため前面ガラスが曇り、前方がよく見えなくなつたので、その曇りを拭き取ろうとしたのであるが、このような場合、自動車運転者としては、前方に対する注視が疎そかになり、道路上を通行中の人や車に自車を衝突させる危険が予想されるので、何時でも停車できる程度に徐行するか或いは一旦停車した上で右の措置をとるなどして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らずこれを怠り、左手で前面ガラスを拭きつつ、それに気を奪われて前方に対する注視を怠つたまま同一速度で漫然進行した過失により、折柄、道路左側を同一方向に歩いていた佐藤勇平(当三〇年)を同人の後方約九・五米の地点に接近して初めて発見し、慌ててハンドルを右に切ろうとしたが及ばず、自車の左前部附近を同人に激突させて、同人を左斜め前方に跳ね飛ばし、因つて、同人に対し、全治約一〇日間を要する左頬部擦過症兼臀部打撲症の傷害を負わせた

第二、右日時場所において、右佐藤勇平と共に同人の右側を歩いていた武田修一(当二九年)にも同時に自車の前部中央辺を激突させたため、同人を自車の前部下方に引かけた状態にしたが、これに気付かないまま、事故の発覚を恐れて、同所から同人を引摺つて同国道上を寒河江市内方面に向け逃走中、同日午後七時三〇分すぎ頃、同所から北方へ約三・八粁離れた寒河江市大字寒河江字古河江所在羽前木工株式会社前附近に差しかかつた際、ハンドルが著しく左右にとられ始めたこと及びその約二・七粁前からトツプギアーでは走れないような状態になつていたこと等から、ことによると、前記長崎地内で衝突させた右武田が車体の下に引かかつているかも知れないと考え、もし、そのような場合、そのままの状態で更に運転を継続するときは、或いは同人を死亡させる結果になるかも知れないことを認識したが、唯一途に逃走したい考えのもとに、右の如き事態及び結果の発生を何ら意に介せず、敢えてそのまま時速約三〇粁で運転を続け、右羽前木工株式会社前附近から北方へ約一・二粁離れた同市大字寒河江甲二、八四四番地附近まで走行した際、自動車で追尾して来た渡辺茂より停止を求められたため、運転を断念し、同所附近に停車したのであるが、右第二の衝突並びに運転継続による一連の行為により、右武田に対し、入院加療一〇四日間を要する頭蓋骨骨折、右顔面挫滅傷等の傷害を負わせた(右傷害は、被告人の殺意の生ずる前後いずれの行為によるものであるか明らかでない。)のみで同人を殺害するに至らなかつた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(本件殺人未遂罪について未必の故意を認定した理由)

一、まず、被告人がその運転する普通貨物自動車を武田修一に衝突させてから、寒河江市内で停車させるまでの経緯について観察するに、佐藤勇平、石山リヱ、成田時男及び阿部敏朗の検察官に対する各供述調書、渡辺茂の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の昭和三八年一月九日付実況見分調書、司法警察員作成の同年同月一四日付実験報告書、検察官作成各実況見分調書当裁判所の検証調書、証人成田時男に対する受命裁判官の尋問調書被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する同年同月三日付(二通)、同年同月四日付、同年同月一〇日及び同年同月一一日付各供述調書、被告人の検察官に対する各供述調書を綜合すると、

(一)  被告人は、昭和三八年一月二日午後七時三〇分頃、山形県東村山郡中山町大字長崎二番地手前附近路上において、判示第一の事実の如き状況のもとに、その運転する普通貨物自動車を、武田修一及び佐藤勇平に激突させ、その際、佐藤の右横を歩行中の武田には車体の左前部中央辺が当つたが、同人は、衝突直後被告人の自動車の前部下方に引かかり、被告人の視界から消え去つたこと、

(二)  被告人は、右衝突後も停車することなく運転を継続したが、衝突後約一五米北進した附近から、数十米の間に亘つて、断続的に二、三回叫び声を聞いた。この声は車体に引かかつた右武田が「止まれ止まれ」と叫んでいたものであつたが、被告人には「オーツ」というように聞えただけで、しかも、それは車体の後方から聞えて来るように思われたこと、

(三)  被告人は、そのまま北進を続けたが、衝突現場から約一粁北方の同町大字長崎字桜町六、一七七番地山下吉用方前附近に至つた際、急に車体が重くなつたように感じ、三、四回ギアーをトツプとセカンドの間で切り換えつつ、尚も運転を継続したこと、

(四)  しかして、更に約八五〇米北方の長崎橋を渡つて間もなくの地点に至つて、今度は車体の後部が振り、若干ハンドルも取られるようになつたこと、

(五)  しかし、そのままの状態で尚も運転を継続していたところ、更に北方へ約一・九粁進んだ寒河江市大字寒河江字古河江所在羽前木工株式会社前附近に至つて、急にハンドルが左右にとられるようになり、しかもそれが連続的になつたこと、

(六)  その後約五〇〇米北進した株式会社遠藤油店寒河江給油所前附近において、後方から、小型四輪自動車を運転して来た渡辺茂が約五〇米前方を蛇行しながら走つている被告人の自動車を発見して、不審を抱き、その約四、五米後方まで接近して、被告人の自動車の車体前部下方に人間のようなものが引かかつているのを認め、右給油所から更に約四〇〇米北進した附近で、被告人に停車を求めて警音器を鳴らしたが、その当時、被告人の自動車の速度は時速約三〇粁であつたこと、

(七)  そこで、被告人は、同日午後七時三〇分すぎ頃、右渡辺より停止を求められた地点から更に約三〇〇米北進した、寒河江市大字寒河江甲二、八四四番地附近に停車したこと、

(八)  (三)、(四)及び(五)に記載したような車体の変調は、被害者武田が車体前部下方に引かかつていたことに起因するものであつたこと、

以上の事実が認められる。

二、そこで、更に進んで衝突後停車までの間における被告人の認識について考察するに、

被告人の当公判廷における供述、第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の司法警察員に対する昭和三八年一月三日付(二通)、同年同月四日付、同年同月一〇日付及び同年同月一一日付各供述調書、被告人の検察官に対する各供述調書を綜合すれば、

(一)  被告人は、前記一、(二)の武田の叫び声を聞いた時には、単に衝突した際、左方へ逃げた男の一人が自分を呼び止めているように思つていたこと、次いで、前記一、(三)、の地点で急に車体が重くなつたのを感じた時には、ガソリンが切れたためかと思つたが、ギアーをセカンドに入れると普通に走るので、ガソリンのためではないことがわかり、そのまま、不思議に思いながら運転を続けたこと、そして、前記一、(四)、の地点で車体の後部が振り、ハンドルがとられるようになつた時には、ただおかしいと思つたけれども、衝突事故を起して逃走して来たという気持が強かつたため、ハンドルと道路ばかりに注意して運転を続け、その原因については考えず、従つてまた、自動車から降りてみようとも思わなかつたこと、ところが前記一、(五)、の地点に至つて著しくハンドルがとられるようになつたので、最初はパンクかと思つたが、被告人の運転経験からして、パンクの場合には、パンクした方向にのみ、絶えずハンドルをとられる筈であるのに、この場合は、左右にとられるし、また暫く真直ぐに進行する場合もあつたので、パンクではないことがわかつたこと(被告人がパンクではないかと考えた地点について、前掲各証拠中には、前記一、(四)の地点と認めるべきものもあるが、当裁判所は前掲各証拠を綜合判断した結果、これを前記一、(五)、の地点と認定したものである。)

以上の事実が認められ、それによると、被告人は、右の段階において、車体が重く、かつハンドルをとられるという変調には、充分気づいていたが、いまだ、それらの変調を共に満足させるべき原因として被害者武田が車体に引かかつていることには思い及ばなかつたことが認められるので、被告人には、右の段階において、いまだ、本件殺人未遂罪の基礎となりうる認識の存在したことはこれを認めることができない。

(二)  しかし、被告人は、右一、(五)、の地点で、変調の原因がパンクでないことがわかつてからのことを、検察官及び司法警察員に対して次のように供述している。

即ち、昭和三八年一月一二日付検察官調書には、

「車の重くなつたのもガソリンが無くなつたためでもなかつたし、又ハンドルのとられるのが、パンクでないことも判つたので、何か引かかつている以外には考えられなかつたのです。然し、何かが引かかつているにしても、ぶつつけたあとはずーつと雪道で何も引かかるような物はなかつたし、引かかつているとすれば、さつきぶつけた人ではないかと考えたのです。然し、その半面、まさかこんな遠くまで引かかつてはこないだろうという気もありました。然し、車を止めて確めたりしていれば、捕まつてしまうような気がしましたし、何かに追かけられているような気がしましたので、そのまま、確めもせず走つて行つた」旨、

同年同月二四日付検察官調書には、

「その時、初めて、若しかしたら自分がぶつつけた人が車の何処かに引かかつているのではないかと考えたので、余程車から降りてみようかと思つたのです。然し、人を轢いて逃げて来たという気持があつたし、捕まつたりしたらまずいと思つたので、それ迄通り逃げて行こうという気になつたのです。然し、こんな遠くまで引かかつて来ることもないだろうし、引かかつていなければよいがなあと思つてはみましたが、若し人が引かかつているのに、このまま逃げて行けば、或いは引かかつている人が死ぬかも知れないということは判つたのですが、逃げたい一心から深くも考えず、その儘走つて行つた」旨、

また、同年同月三日付司法警察員調書(九枚綴)には、

「パンクか、人を轢いているのでその轢かれた人か、丸太のような物かと思いましたが、追われているような気持で逃げよう逃げようという考えで走り続け」た旨、

同年同月四日付司法警察員調書には、

「若しかしたら、その時ぶつかつた人が車の前の方のどこかにくつついているのかも知れないと思つたのです。それで、若し、ぶつかつたときの人が車のどこかにくつついているとすれば、此のまま自動車を走らせれば、ぶつかつたとき以上に大怪我をさせるかも知れないし、或いは殺すようなことになるかも知れないので、自動車を停めて見て見ようと思いましたが、また一面では事故を起したのは長崎の入口の方であるし、こんなに遠くまで引いてはこないだろうという気持もありましたし、それよりも、とにかく逃げようという気持が強くありましたので、若しここで車をとめて人かどうかを確めたりしていると、後から追いかけてくる人に捕まつてしまうと考えましたから、左右にハンドルを取られ蛇行しながら(中略)自動車を走らせ」た旨、

同年同月一〇日付司法警察員調書には、

「若しかすると、これまで来る途中の自動車の変化と今このようにハンドルが取られるという状態から判断して、長崎町で衝突した時に、被害者が自動車の一部分に引かかつて轢摺つて来たのではないかと思つたのです。このように私は思う反面、まさかこんな遠くまで引かかつて来る筈はないだろうという単に私の希望的考えでこれらの事実を否定しながら、なおも運転を続けていた」旨、

同年同月一一日付司法警察員調書には、

「『自動車を運転して寒河市の羽前木工会社附近まで来た時、自動車が左右に取られ蛇行した時、何故停車して点検しないか』との問に対し、『昨日も申上げたように自動車の操行装置かどこかに被害者を引つかけて来たとしても、まさかこんな遠くまで引つかけて来るとは思わなかつたももの、反面にひよつとしたら、長崎の事故の時に被害者を引つかけて来たと思つたのですが、どうせ逃げて来た以上、殊に国道でもあり、他の人から見付けられては具合が悪いという気持から、そのまま、引摺つたままに運転した』」旨、

それぞれ供述しており、

三、以上一、二によれば、次のように認定することができる。

被告人は、はじめ、前記車体の変調が、歩行中の武田の背後に自車の前部中央辺を衝突させた際、同人が車体前部下方に引かかつたために起つたことに気づかなかつたが、右車体の変調は、右衝突直前まで全くなく、(被告人の当公判廷における供述)衝突後逃走中にもその原因となるような事態に遭わず、衝突直後ころから突如として生起したものであり、また、被告人は逃走中絶えず継続していた変調の原因につき、ガソリンの欠乏か或いはパンクかとの疑念を抱いたが、自己の運転経験とギアーの切り換えによる試みにより、確実にこれを否定し得たのであるから、永年の運転経験のある被告人としては、車体の変調は、衝突事故と何らかの関係があるのではないかと考えた筈であると一応推認し得るところ、右の如き衝突事故の場合に、自動車の車体と地上との間隔が狭くても、被衝突者が車体の下部に引かかる可能性のあることは予想されるので、被告人も当然この可能性を考慮したであろうし、被告人は衝突の際、衝突させた被害者武田の姿を見失つていることでもあるから、重量のある異物が車体に引かかつた場合、一般に本件のような車体の変調が生起することを運転経験から知つていたと窺われる(証人成田時男に対する受命裁判官の尋問調書等)被告人が、本件車体の変調の考え得る唯一の原因として右各供述記載に言う如く、衝突事故の際、右武田が車体の前部下方に引かかつたことの可能性に思い及んだのは極めて合理的で、被告人が被害者武田の引かかりの可能性を認識していたことは疑をいれる余地はない。従つて、右各供述記載は充分これを措信するに足り、被告人のこれに反する当公判廷における供述は単なる弁解で信用するに足りない。なお、右各供述記載中、被告人には、まさか、衝突した武田がこんなに遠くまで引かかつてはこないだろうとの気持があつたというのであるが、被告人がこのような気持を抱いた際にも、車体の変調はなお依然として継続していたのであるから、右の気持は武田が引かかつているかもしれないと考えた被告人のそうでなければよいのにと願う単なる希望にすぎないか或いは、そのような単なる希望でないとしても、一旦生じた右引かかりの可能性の認識を未だ全面的に否定し得たものとはとうてい認められないし、また右認識を単に軽微な可能性の認識の程度に至るまで打消し得たものとも認めることができない。

四、ところで、司法警察員作成の昭和三八年一月二日付実況見分調書(立証趣旨が、被告人が停車した位置及びその状況に関するもの)によれば、被告人が停車した附近の路面は、約二糎の積雪があつて、諸車の通行により堅く踏み固められて平垣になつていた事実が認められるので、右道路に接続し、距離的にも近い前記一、(五)、の地点から右停車地点までの路面の状態は、右停車地点の状態と同様であつたと推認できるところ、被告人は、前記一、(六)で認定したように、時速約三〇粁で本件自動車を運転しているのであるから、右の如き路面上を、右の如き速度で走る自動車の下に人が引かかつて引きずられて行つた場合、その人が死亡する可能性のあることは、経験則上通常一般的に予見せられ得る範囲に属するものといわなければならない。

五、以上を綜合すれば、被告人は、前記一、(五)、の地点以後において、車体前部附近に、前記武田が引かかつているのではないかと考え、仮りに引かかつていた場合、そのまま、運転を継続すれば、同人が死亡するかも知れないと思つたが、唯一途に逃走したい気持からそのような事態と結果が発生するのを意に介せずにそのまま、運転を継続したものと認めるのが相当であるから、被告人には殺人の未必の故意があつたものといわなければならない。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示第一の所為は刑法二一一条前段罰金等臨時措置法二条三条に、判示第二の所為は刑法一九九条二〇三条に、それぞれ該当するところ、判示第一の業務上過失傷害罪については所定刑中禁錮刑を選択し、判示第二の殺人未遂罪については所定刑中有期懲役刑を選択することとするが、右は未遂であるから同法四三条本文六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文一〇条により重い殺人未遂罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、その全部を被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡本二郎 安国種彦 西尾幸彦)

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