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山口地方裁判所 昭和48年(ワ)8号 判決 1979年3月22日

原告

中谷康子

右訴訟代理人

中平健吉

今村嗣夫

小池健治

中川明

河野敬

被告

右代表者法務大臣

古井喜實

右指定代理人

筧康生

外九名

被告

隊友会山口県支部連合会

右代表者

堀田赳

右訴訟代理人

堀家嘉郎

右訴訟復代理人

松崎勝

右訴訟代理人

満田清四郎

主文

一、被告らは各自原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一月三〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告隊友会山口県支部連合会に対するその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は原告に生じた費用を二分しその一を原告の負担、その余を被告らの連帯負担とし、被告隊友会山口県支部連合会に生じた費用を二分しその一を原告の負担、その余を被告隊友会山口県支部連合会の負担とし、被告国に生じた費用を全て被告国の負担とする。

事実

(原告の申立)

一、被告隊友会山口県支部連合会は同被告が昭和四七年四月頃訴外宗教法人山口県護国神社に対して訴外亡中谷孝文につきなした合祀申請手続の取消手続をせよ。

二、主文第一項同旨。

三、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

四、右二、三、項につき仮執行宣言。

(被告隊友会山口県支部連合会の本案前の申立)

一、原告の訴を却下する。

二、(予備的申立)原告の申立一項の訴を却下する。

三、訴訟費用は原告の負担とする。

(被告両名の本案についての申立)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする<以下、事実省略>。

理由

第一被告県隊友会(以下本項においてはたんに被告という)の当事者能力について本案前の主張に対する判断

一まず或る団体乃至人の集団が権利能力のない社団といわれうるためには一般的に「団体としての組織をそなえ、そこには多数の原則が行なわれ、構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、しかしてその組織によって団体の代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定していること」を要すると解される。そこで被告が右要件を備えているかについて検討する。

二<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  原告の本案前の主張中第一項の事実

2  社団法人隊友会及び被告の各組織と事業については、隊友会本部が定めた社団法人隊友会定款、評議員選出等に関する規則、隊友会地方組織に関する規則、会費徴収等に関する規則及び弔慰金及び見舞金贈呈に関する規則並びに被告が定めた社団法人隊友会山口支部連合会細則が規定するところであり、これらのうち本件に関係ある内容は次のとおりである。

(一) 定款によれば隊友会本部の会員は自衛隊及びその前身である警察予備隊等の退職者である正会員その他三種の会員からなり、最高の意思決定機関として正会員を構成員とする総会をおき、ここで会長、副会長、理事及び監事を選出する。地方組織として市町村及び職域を単位とする支部及び府県毎に支部連合会をおく。会員の資格要件、入会及び退会手続並びに除名の事由及び手続が定められている。

(二) 府県の支部連合会は、府県を代表し、下部の支部を総括、指導、調整するとともに、本部との連繋にあたり、本部に対しその責を負う。支部連合会の役員として会長、副会長、理事、監事及び評議員をおく。評議員は支部長の互選による。理事及び監事は当該支部連合会の正会員の中から評議員会で選出する。会長及び副会長は理事会が理事の中から選出し、これに基づき隊友会本部会長が委嘱する。会長は隊友会本部の方針に基づき支部連合会の業務を掌理する。評議員会及び理事会は会長が招集し、定足数を過半数とする。

(三) 支部は隊友会の基本単位として事業活動及び親睦の実践の核心となるとともに、その下部に部会を育成し、これを指導する。支部の役員として、支部長、副支部長、理事、監事及び評議員をおく。評議員は部会長の互選によるほかその他の役員の選出及び会議の機能、運営等については支部連合会の定めに準ずる。

(四) 支部にその下部機構として部会をおく。部会の役員として部会長、副部会長及び会計監事をおく。部会長は部会員の互選による。(以上(二)ないし(四)については、隊友会地方組織に関する規則による)

(五) 会費徴収等に関する規則は、正会員の会費につき次のように定める。会費は原則として支部連合会が徴収する。会費は三口(三〇〇円)を基準として、支部連合会の定める金額とする。支部に対する割戻しの比率及び支部に納入された会費の連合会への送付要領は連合会長が定める。連合会は会費の三パーセントを本部に納める。

(六) 社団法人隊友会山口県支部連合会細則は、定款、地方組織規則、会費規則に定めなき事項及び特則事項として次の事項を定める。

(1) 連合会の事務局の所在場所。

(2) 入会申込書等を連合会長に提出すべきこと。

(3) 支部役員の定数、支部評議員は部会長が兼務すること。

(4) 評議員会の議決事項として、事業計画の決定、事業報告の承認、予算及び決算の承認、細則の改廃等。理事会の議決事項として、評議員会で議決された事項の執行に関する事項、評議員会の付議事項等。評議員会及び理事会につき、出席員の過半数により議決すべきこと及び議事録を作成すべきこと。

(5) 正会員の会費を一口(一〇〇円)とすること、会費のうち九〇パーセントを支部のものとすること。

(6) 連合会長は毎会計年度に、翌年度の事業計画及び収支予算案を作成し、理事会及び評議員会の議を経て、本部会長に報告すること並びに収支決算書及び事業概要を理事会の議を経て監事の監査を受け、評議員会の承認を得た後本部会長に報告すること。

(7) 連合会には、会員名簿、役員名簿、会議々事録、経理関係諸帳簿、備品台帳等の簿冊を備えるべきこと。

3  隊友会本部及び被告における業務の執行及び組織の運営は概ね右2項に認定した定めによつて実施されたが、そのうち、被告の評議員会と理事会の開催は通例それぞれ年に一回及び三、四回であり、昭和四六年当時の正会員数は約八〇〇名、その年間会費は五〇〇円位、その他の寄付金等を含めて事業活動に使えた予算額は一四、五万円であり、対外的な業務は会長が行なった。

4  隊友会本部は前記認定のとおり昭和三五年に設立されたものであるがこれは前年の七月九日にそれまで各都道府県でそれぞれ別個に活動していた「防衛協会」、「隊友会」、「県郷友会」、「郷土自衛会」、「鳩友会」などが発展的解消をして全国的な団体である隊友会が結成された後、法人格を取得したものである。

三前項に認定した事実によれば、被告は権利能力のない社団として肯認されるための前記要件のうち、総会の運営についての定めを除いては全てこれを備えていることが明らかである。そこで総会について考える。被告には会員全員が出席する総会が存在しないため、これの運営についての規定も存しないのであるが、全員が出席する総会に代るものとして評議員会が存し、会員の意思は評議員である支部長を選出することを通して、即ちいわゆる間接民主々義の方法によつて、被告の業務の執行等に反影される仕組みとなつている。権利能力のない社団の要件として総会の存することが一般に要求されることは前記のとおりであるけれどもこれは民法の規定する社団が総会を置くべきことを要件としていることに対応しているものと考えられるところ、畢竟権利能力のない社団なるものは社団性の強い団体に一定の法主体性を認めるべしとする理論によつて認められるものであつて、そのような団体には種々の態様が存するわけであり、要件の存否の判断は形式的にではなく、実体に即して行うことが要請されるものと考えられる。そうして、前記認定の評議員の選出方法及び評議員会の権限並びに被告の組織、運営、事業活動からすれば、評議員会は権利能力のない社団の要件として一般に要求される総会とこれを同視しうるものというべきである。

ところで、被告は被告が隊友会本部の地方組織である旨を主張し、本件当時の被告代表者福田一清会長が社団法人隊友会々長木村篤太郎によつて任命された事実をあげる。証人福田一清の証言によつて真正な成立を認められる乙第四号証(委嘱状)によれば右事実(但し、任命ではなく委嘱)が認められる。しかし、これはさきに認定したとおり被告の理事会が選出した会長を隊友会本部の会長が委嘱するものであり、実質的な会長の選任権限は被告にあり、隊友会本部にあるのではない。次に被告は、被告会長福田一清外一名作成の「山口県護国神社における自衛隊殉職者の奉斎実施準則」第七条に「この準則の実施は、隊友会々長の責任とする」旨の定めがあることをもつて、社団法人隊友会と宗教法人県護国神社との間の準委任契約を結ぶについて、被告県隊友会々長福田が社団法人隊友会の代理人である旨が明らかであると主張する。しかし、<証拠>によれば、被告会長福田は本件合祀申請にあたつて山口県自衛隊父兄会連合会々長小沢太郎と右準則を作成したこと及び右準則には右条項が定められているけれども、同第五条によれば第七条の「隊友会々長」が隊友会山口県支部連合会長を指称することが明らかである。しかも、右証拠によれば、本件合祀は、「隊友会山口県支部連合会会長福田一清」の名義でもつて「山口県護国神社宮司殿」宛成作された奉斎申請書により申請されたことが認められ、右準則及び奉斎申請書には「社団法人隊友会」なる名称は何ら記載されていないことが認められる。してみると被告提出の右乙第五号証によつては、被告主張のような代理関係を認めることができず、かえつて被告が会長福田一清を代表者として本件合祀申請をなしたと認めることができる。

四以上に説示したところによれば、被告は形の上では隊友会本部の一組織となつているが、実質的にはこれから相対的に独立した社団とみるのが相当であつて、民事訴訟法四六条に定めるところにより訴訟法上の当事者となりうることは勿論のこと、不法行為能力を有するところの権利能力のない社団ということができる。よつて、被告の本案前の申立第一項は理由がない。

第二本案についての判断

一基本となる事実

1  請求の原因第一の一の事実、被告県隊友会が昭和四七年頃県護国神社に故中谷孝文を合祀(相殿奉斎)するよう申請し、同神社がこれを受けて同年四月一九日同人を祭神として合祀したことは、いずれも当事者間に争いがない。なお合祀とは、一般に神社神道において二柱以上の神を一社に合わせ祀ること或いは一柱の祭神を既設の神社に合わせ祀ることをいうが、<証拠>によれば、その意義、形式として狭義の合祀、配祀、(相殿奉斎)、併祀等がある。以下においてたんに合祀とはこれらを包括する意味内容を持つものとしての広義の合祀を指すことがある。

2  <証拠>によれば次の各事実が認められ<る。>。

(一) 隊友会本部は昭和三八年防衛庁から殉職自衛隊員の慰霊祭を実施するよう業務委託を受け、全国都道府県毎に五年間で行うこととなり、翌三九年一一月被告県隊友会が主催して自衛隊発足以来同年三月までに殉職した山口県出身者一二柱の慰霊祭を県護国神社において行なつたが、その慰霊祭のあとの直会(なおらい)の席上で出席した殉職自衛隊員の遺族の中から、殉職者を同神社に祀つて貰えたらよいとの希望が出された。これを受けて当時の被告県隊友会長であつた広津や昭和四五年二月まで同副会長で同月以降会長になつた福田一清は、県護国神社が催す春秋二回の大祭に招待された際などに同神社の宮司に殉職自衛隊員を祭神として合祀するよう要望してきたが、同神社が戦死者を祀る施設であり、殉職者は戦死者とは異なることを理由に同宮司の賛同を得られないまま年月が経過した。

(二) ところが、昭和四五年秋の県護国神社の例祭に出席した福田会長が同神社の長尾宮司から合祀実現が可能であるとの感触を得たので、翌四六年三月から六月頃の役員会(評議員会か理事会)で合祀申請を行うことを諮つて了承を受けた。他方福田会長は同年三月陸上自衛隊第一三師団の師団長和田曻治が広島県において開催した中国四国外郭団体懇談会(同師団の管轄区域である中国地方五県、四国地方四県の各県隊友会、自衛隊父兄会及び防衛協会の会長等によつて構成され、同区域内の自衛隊各県地方連絡部長の出席を要請することがある。)において、山口県における殉職自衛隊員合祀の進捗状況を報告したところ、席上和田師団長は、右合祀に賛意を表し、これを推進することを要望した。右慰談会には山口地連長峰部長も出席していたことから、その後同地連において総務課が所管する遺族援護業務の一環として被告県隊友会による合祀申請を積極的に推進する体勢がとられるに至った。

もつとも、福田、和田、長峰各証人は、右懇談会において、和田師団長が県護国神社への合祀を推進することを要望したことはない旨を証言し、長峰証人と粟屋証人は長峰部長が本件合祀に関し何らの指示を与えなかつた旨を証言する。しかし、山口県以外の県における各県出身の殉職自衛隊員の護国神社への合祀の状況についてこれをみるに、静岡県においては昭和三八年地連部長が隊友会や自衛隊父兄会と共催で近く合同慰霊祭を行なうこととなつており、近い将来必ず合祀したい旨の念願を表明し、福井県においては同年一二月地連部長と隊友会福井県支部連合会長が祭主となつて合祀慰霊祭を行い、香川県においては同三九年五月地連部長が祭主となって讃岐宮(神社)への合祀を行い、熊本県においては同年一二月英霊顕彰会長が中心となつて実現した合祀の合祀祭に県知事、方面総監、師団長が祭主格となつて参加し、鹿児島県においては同四〇年一〇月防衛庁長官が祭主となつて合祀(併祀)祭を行い、大分県においては同四三年一〇月地連部長の支援のもとに合祀(併祀)がなされ、佐賀県においては同四四年一〇月地連部長が同県護国神社併殉祭典委員長と協議して賛同を得、同神社及び同地連連名で作成した「自衛隊殉職者護国神社併祀準則」の手続に従い、また国費を祭典の一部経費として支出して合祀(併祀)が行なわれ、宮崎県においては同四五年三月地連部長や方面総監の努力により護国神社等の承諾を得て合祀(配祀)が行なわれ、また、右各合祀と昭和四〇年に富山、栃木両県で行なわれた合祀祭においては、自衛隊の幹部職員を含む自衛隊員が参列したり、自衛隊の音楽隊が参列するなどして支援した事実が認められ、更に<証拠>によれば、同四六年当時未だ合祀のされていない福岡県にあつては西方総監の意図もあり、四師団副師団長の積極的な活動もあつて同師団と同県地連が一体となつて同県神社の役員等を説得する等の努力を払っている事実が認められる。

右の事実によれば、昭和三八年頃から本件合祀が企図された同四六年に至るまで自衛隊の幹部職員が各地における合祀の祭典の実施に公然と参画し、或いは合祀実現について積極的な言動をしてきた事実が認められ、これを憲法に定めた政教分離規定(憲法二〇条、八九条)の見地から疑問とする雰囲気はうかがかことができないのであつて、和田師団長、長峰部長、粟屋課長等においてもこれと同様の意識にあつたものと推認される。そうして殉職者の合祀は、殉職者を追悼する宗教上の心情の発露であるばかりではなく、後に判示するように現職隊員の士気の高揚にも少なからぬ効用を果すものであり、このことを認識していた和田、長峰、福田らにおいては本件合祀の実現を期待することは自然の成行であり、また後記自衛隊と隊友会の緊密な関係からして、被告県隊友会の合祀申請に対し物心両面の協力と支援を行う言動に出たことが十分に推認されるのである。ところで、<証拠>によれば粟屋課長が九州各県の地連職員にあてた照会文書の中で、和田師団長が山口県における合祀の推進方を要望している旨を記載した事実が認められ、粟屋証人は右事実を福田か長峰のいずれかから聞いた旨を証言する。以上に検討したところによれば、右文言が粟屋が事実にもとづくことなく勝手に創作したものとは到底みることはできないのであつて、言葉の表現方法はともかく、右文書に記載の趣旨の発言をしたと認定するのが相当であり、また、右の検討した事情と次項に認定した事実からして、和田の発言を受けた長峰部長の容認のもとに山口地連が被告県隊友会の合祀申請を積極的に推進する体勢をとるに至つたことは容易に推認しうるところである。

(三) その後、右援護業務の責任者である粟屋課長と福田は合祀実現の方策を検討したが、当時山口県における合祀については、護国神社においては戦死者ではない殉職者を合祀することに疑問を有しており、また殉職者の遺族の一部有力者の中には合祀よりも遺族に対する補償制度の強化を望む者がいる等の障害があつたので、これに対処するため、粟屋課長は同四六年五月二二日、既に殉職自衛隊員を護国神社に合祀していると聞知していた九州各県(長崎県を除く)の地連の総務課長にあてて、合祀実施の状況についての照会文書を発送した。右照会文書の内容は山口県における合祀実現のために地連としての方策決定に資することを目的とし、(1)合祀に対する賛否両論の主要論旨及び合祀を阻む問題点、(2)合祀に対する神社庁なり護国神社等の意向、(3)合祀に対する自衛隊遺族会等の関心度、(4)戦死者遺族(団体)の意向、(5)合祀済みであれば合祀に至る経緯、問題点及び今後の問題点についての各地連としての意見等を照会事項とするものであつた。右照会に対しては各地連の職員(部長、総務課長、援護室長等)から同年六月末頃までに詳細な回答が為された。

右回答の結果、福岡県を除く各県ではすでに合祀乃至併祀、配祀がなされていること、とくに宮崎県においては、当初同県護国神社の一部の責任役員は祭神を戦死者に限つていることを理由に反対していたが、戦死者祭神に合祀するのではなく、神殿内に新たに神体を配祀(併祀)して同時に祭祀するのは自衛隊員の士気を高揚するためにも実現させるべきであるとの意見が大勢を占め、配祀が決定されたことが明らかとなつた。そこで粟屋課長は右照会書の控えと回答書を編綴して長峰部長と福田会長に閲覧せしめ、更に福田会長が右回答結果をもとに長尾宮司と折衝することとなつた。

右の認定に対し、福田証人は右当時県護国神社が自衛隊員の殉職者を合祀することにつき支障がなかったこと、福田、粟屋各証人は九州各県の合祀状況の調査が個人的な依頼によること、粟屋、長峰証人は右照会書が粟屋の私的な文書であること、粟屋は照会書の発送を長峰部長に無断で(長峰の意向に反して)行なつたことなどを証言するが、いずれも採用しえない。次に、後にも認定するように、本件当時山口地連と被告隊友会は緊密な関係にあり、同被告の事務局が地連の建物内にありかつ専任の事務員はおらず福田会長が長門市に居住していたことから同被告の業務の大半を地連の職員が代行していたが、これは外郭協力団体への援助として公務とされ、上司による指示の下になされていたのであり、本件調査のみが公務ではなく福田の粟屋に対する私的な依頼として行なわれたとすべき特別の事情が認められないばかりか、粟屋課長が発送した照会文には正式の発翰番号が付されていないものの、「山口地連総務課長粟屋晧」から各県地連の「総務課長」に宛てて、「地連としての」「方策決定の資に供した」いので、「対外行事予定設定の関係もあり六月上旬中に御教示を賜」りたい旨の記載があり、かつこの照会書は粟屋の起案により地連の職員が勤務時間中にタイプしたことからすれば、右文書が粟屋の私的な文書ではなく、同人が公用に作成し発送したものであることが明らかである。そうであればこそ、同人と面識のない各県の地連総務課長等から詳細な回答書が寄せられたことを理解できる(なお佐賀地連からの回答書は、発翰番号を付し公印を押捺した地連部長作成名義のものであり、大分地連からの回答書は「業務連絡」との肩書を付したものである)。また本件照会書の重要性に鑑みれば、被告県隊友会の合祀申請を推進すべき立場であつた粟屋が右照会をなし、長峰部長もこれを容認していたことが推認されるのであつて、長峰証言及び粟屋証言の内右に反する部分は関係部分の不自然さから採用することができない。また、<証拠>からすれば、当時県護国神社が自衛隊員の殉職者を合祀するについては、戦死者ではないことを理由に一定の困難に逢着していたことは明らかである。

(四) 福田会長は同四六年七月以降長尾宮司に右回答結果によつて九州各県における合祀実施の状況を説明して県護国神社においても合祀されたい旨を重ねて折衝した結果、同年秋に至つて同宮司から基本的に了解を得、更に同人の依頼により合祀の請願書を提出した。かくて福田会長は合祀実現が軌道に乗り始めるや、右請願書の提出と前後して合祀申請を準備するために自衛隊父兄会山口県支部連合会々長小沢太郎と交渉して、同年末頃までの間に自衛隊殉職者奉賛会を設け、小沢が会長に、福田が副会長に就任した。奉賛会では翌四七年の県護国神社の春季例祭に合祀することを目途に準備を進めることとなつたが、会長の小沢は東京に居住していたので、奉賛会の業務は福田が執行することとなり、引続き長尾宮司と折衝を重ねながら、殉職者を県護国神社の鎮座されるべき祭神として更に追加奉斎すること、そのための資格要件と手続及び奉賛会の対外的な業務は被告県隊友会の名義と責任において行うこと並びに申請に必要な費用の捻出のために右父兄会連合会および被告県隊友会の各会員と山口県出身の現職自衛隊員から寄付金を募ること等を小沢と取決め、費用の点を除く右合意事項を文書化すること及び募金の趣意書の作成配布と寄せられる募金の管理を安田事務官に依頼した。安田は右依頼により宮司と打合せを重ねながら「山口県護国神社における自衛隊殉職者の奉斎実施準則」を起案し、昭和四七年三月二四日小沢と福田がこれを認証した。また、安田が依頼により関係者に寄付金を募つたところ、後記合祀申請ないしは合祀行為の頃までに約八〇万円が寄せられた。

(五) 右経緯によつて福田会長は昭和四七年三月当時の山口県出身殉職自衛隊員として故孝文を含む二七名全員を合祀申請することとし、前記準則に従つて県護国神社への合祀申請に必要な書類として殉職者名簿、殉職者の経歴書、戸籍謄本、公務認定(写)等を取揃えることとし、これの事務を安田事務官に依頼した。右依頼を受けた安田は各殉職者の遺族を通じて殉職者の除籍謄本と殉職証明書の交付を受けるべく、山口地連内にあつて自衛隊員の募集業務を行う山口地区班長及び各出張所長に対し、各管轄地域内に居住する殉職者の遺族から右書類を取寄せることを依頼した。山口地区班長宮園達夫は右依頼により山口市を担当する事務官阿武豊広報員に山口市に居住していた原告から故孝文についての右書類の交付を受けるべきことを指示した。

阿武は右指示を受けた日から二、三日後である三月二三日原告方を訪ずれ、原告に対し使用の目的を明らかにしないまま故孝文の除籍謄本の取寄せを依頼した。原告は不審には思いながらも同人とは一度面識があつたので、一週間後に取寄せておく旨を答えたがこれを失念していたところ、同人は四月三日に再度原告方を訪ずれ、原告の質問に対してやはり目的を明らかにしないまま今度は故孝文の殉職証明書の取寄せを依頼した。同人と原告はともに殉職証明書を発行する機関を知らなかつたものの、故孝文が死亡当時勤務していた岩手地連ではないかと推察し、ここにあてて右証明書の交付を申請することとした。ところが、阿武は同月五日になつて不在中の原告方を訪ずれ、勤務先から帰宅した原告に故孝文の位階と勲章の有無を明らかにするものがあつたらみせて貰いたいと依頼した。そこで原告が故孝文の位記と勲章をみせたところ、同人がこれをメモした。不審に思つた原告が同人に来訪の目的を尋ねると、同人はここにはじめて故孝文を県護国神社に祀ることになり、その資料の収集のために訪問した旨を答えた。これに対し驚いた原告において自らがキリスト教を信仰していること、故孝文の遺骨を山口信愛教会の納骨堂に納めて同教会の永眠者記念礼拝にも出席していることを明らかにして、県護国神社へ祀ることを断る旨を告げた。これを聞いた阿武は上司にその旨報告すると告げて原告方から地連へ帰つた。

その直後に原告は、後記県護国神社宮司長尾と被告県隊友会々長福田の連名による殉職自衛官の鎮座祭の斎行等の通知と参拝の案内状を入れた郵便封筒(発信人名義は福田会長)が配達されているのを発見したので、前記教会の林健二牧師に電話で相談したうえ、地連の阿武に架電して再度合祀を断る旨を伝えた。<証拠判断省略>

(六) これより先福田会長は三月三一日頃故孝文を含む山口県出身の殉職者二七名について、故孝文以外にも添付すべき書類が整なわないまま県護国神社に合祀申請し、これを受けた同神社は、四月一九日に右二七柱を新しい祭神として合祀(相殿奉斎)する鎮座祭の斎行と直会の儀の挙行及び翌二〇日に春季慰霊大祭の斎行を行うことを決定し、四月一日に右二七名の遺族に対する右斎行の通知と案内の書面を郵便で送付する手続をなした。原告への書面は、県護国神社が原告の転居前の住所地に宛てて差出したため、転送により前項のとおり同月五日に至つて原告方に送達されたものである。その後福田は四月一〇日頃になつて、安田から原告がキリスト教を信仰していることを理由に故孝文の合祀に反対している旨の連絡を受けたが、同人についての合祀申請を撤回せず、また自衛隊の機関が殉職を証明する文書を発行しないことが明らかとなつたので、安田をして防衛庁が発刊している殉職者の顕彰録から該当箇所の写しを作成せしめ、また同人に故孝文の除籍謄本を取らせてこれらを県護国神社に交付した。そこで県護国神社は当初の予定どおり故孝文を含む殉職者二七柱の合祀と慰霊大祭を斎行した。

(七) 福田の依頼により募金事務に携っていた安田事務官のもとには合祀の頃までに合計約八〇万円の募金が寄せられたが、福田はこのなかから祭祀料(御帳台の製作費)として約三〇万円、同年秋の大祭の費用として約五万円を支出し、その余は国旗掲揚台の奉納の費用と雑費に充てた。

(八) その後県護国神社宮司長尾は、原告に宛てた「御祭神中谷孝文命奉慰のため御篤志をもつて永代神楽料御奉納相成り感佩の至りに存じます今後毎年一月一二日の祥月命日を卜して命日祭を斎行しこれを永代に継続いたします」との書面を同年六月一日付をもつて作成し、安田事務官が七月五日これを原告方に届けた。帰宅して右通知書をみた原告は、故孝文が合祀されなかつたと思い込んでいたため、地連職員への不信感を募らせ、翌六日地連に電話をして原告が拒否したにもかかわらず故孝文を祀つたことに抗議し、合祀の取り下げを要請した。これに対し応待に出た安田は、故孝文は国のために死んだのであるから県護国神社に祀るのは当然である、自衛隊員に誇りをもたせるために遺族の宗教に関係なく善意で祀つた、原告が拝むことを強制するわけではない、一人を取り下げるとしめしがつかなくなる等の趣旨を答え、原告の取り下げの要請を翻意するよう説得した。故孝文の合祀の取下げを容れられないことを知つた原告は林牧師と相談し、同月二二日同人の牧師館から再度安田に電話をして、苦衷を訴えながら合祀の意図を質すと、安田は殉職自衛隊員は忠臣と同じ位の資格があり、遺族の宗教には関わりなく現職隊員の死生に誇りをもたせるために奮起して祀つた等、前回とほぼ同趣旨の回答をした。そこで林牧師が原告の意を体して同月二七日地連に安田を訪ねて合祀の取下げを要望したところ、安田は護国神社は公の宗教であり、日本人は家庭での宗教とは別に公には護国神社に祀られるのが当然である旨を答えた。

これと同じ日に新聞記者が、同月一六日頃地連部長に赴任した山根勝己部長に本件合祀問題について電話で取材したのに対し、同人は被告県隊友会が合祀をしたことであるが、故人はすでに公のもので遺族だけのものではなく、勝手に合祀したのも護国神社に祭ることは宗教的な行事ではないと考えたからではないかとの回答をした。山根部長は事態が深刻になるのを憂慮して、同日安田をして原告に電話させ、夕刻に原告と会いたい旨を伝えさせたが、原告の都合がつかなかつたため、日時まで決めるには至らなかったところ、同日夕刊の新聞紙面に本件合祀の記事が掲載報道された後、山根は同日夕刻原告に電話をして、中央から合祀を取下げるよう指示があったから少し面談を待つて貰いたい旨を伝えた。

他方防府市に居住する故孝文の父中谷之丞は右報道によつてはじめて本件合祀の事実と原告がこれに反対をしていることを知つたが、故孝文が合祀されたことを非常に嬉しく思い、翌二八日地連に電話をかけ、合祀を維持されたい旨を伝えた。そこで山根部長はその頃竹下康雄副部長と安田を同人宅に派遣し、事情の説明と意向の聴取をなさしめるとともに、原告との面談を取りやめにした。その後之丞の意を受けた原告の父小川三郎が原告方を訪ずれ、合祀取下げを断念するように説得したが、原告はこれを拒否した。原告は山根が合祀取下げを約束していながら、地連の職員に之丞を訪問させたことを知り、之丞が小川を通じて原告の説得にあたつたと考えて地連に対する不信感を強め、同月三一日内容証明郵便を山根に送付して事態の釈明を求めた。これに対して山根は同日原告に電話をして、之丞と話し合って貰いたい旨を伝え、更に八月二日山根は原告と会えない、福田会長と会つて貰いたい旨を伝えた。かくして同月四日原告は林立会のもとで福田と面談したが、同人は被告県隊友会としては善意でやったことであり、之丞は合祀に賛成しているのだから親子でよく話し合つてほしい旨を述べた。その後之丞は故孝文の弟妹を招集して話し合つた結果、連名で故孝文の合祀についての原告の希望を容れないで貰いたい旨の八月一四日付の嘆願書を作成し、これを福田会長に送付した。福田は同月一七日これの写しを記載し、原告の意向を打診する書面を原告に郵送した。<証拠判断略>

(九) 原告は山口県に居住していた昭和三三年三月四日日本キリスト教団山口信愛教会において林健二牧師により洗礼を受け、以来今日までキリスト教を信仰している。

原告は翌三四年一月一日自衛隊員であつた中谷孝文と宗教行為の伴わない結婚式を挙げ、夫の勤務地である岩手県盛岡市で婚姻生活を営むこととなつたが、同地においても林牧師から紹介を受けた日本キリスト教団下の橋教会に通つた。その後昭和三八年から三九年にかけて故孝文が福岡県久留米市と静岡県御殿場市にある自衛隊の幹部学校に入校していた約一年半の間を除いて、同人が死亡した同四三年までの九年間を盛岡市で同人と婚姻生活を営み、同人死亡後は一時防府市にある同人の父中谷之丞宅に身を寄せたが之丞との関係が必ずしもしつくりせず、同人方を出て同四三年八月から山口市に居住し、今日に至つている。この間原告は終始教会に通い信仰を心のよりどころとして生活してきた。

他方故孝文は宗教を信仰することはなかつたが、御殿場市に居住していた半年足らずの間、原告が神癒を重んずる純福音教会に通つて熱心な伝導生活を送つていた際原告の信仰に苦言を呈し、原告と激しい口論を交わしたり原告の聖書を切裂いたりした時期を除いては信仰についてのいさかいをすることはなく原告の信仰を容認しており、夫婦関係は円満であつた。原告は同人が死亡した直後岩手地連の準備により同地連において喪主として仏式の葬儀を行い、之丞が防府で行った仏式葬儀に参列した。同人は故孝文に戒名を付して貰い遺骨を仏壇に安置した。約二ケ月後原告は之丞に分家を願い出たが、長男である故孝文の妻が家を出ることは仏と親を捨てることであると反対されたため、故孝文の遺骨の一部をもつて之丞宅を出て別居し、同人の気持を考慮して仏壇と位牌を置き僧侶を呼んで読経をして貰つたが、二、三ケ月後仏壇を取払い、その後昭和四四年山口信愛教会の納骨堂に遺骨を納め、毎年一一月同教会の行う永眠者記念礼拝にも子敬明とともに毎回出席している。以来原告はキリスト教の信仰のもとに日曜日には教会で礼拝し、亡夫の死の意味を求め、追悼し、キリスト教の信仰を心のよりどころとして生活している。

二被告両名に対する金一〇〇万円の請求の当否

1  国家賠償法の適用

まず、原告は被告国が山口地連の職員の行為につき、国家賠償法一条一項もしくは民法七一五条によつて損害賠償責任を有すると主張するので、この点につき検討する。防衛庁設置法四条は、「防衛庁は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うことを任務とする。」と定め、自衛隊法二四条は防衛庁本庁に置く陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の機関として地方連絡部を置くことを定め、同法二九条は地方連絡部が自衛官の募集その他長官の定める事務を行うことを定める。してみれば、地連職員が公行政作用を行う公務員であり、被告国の公権力の行使に当る公務員であることは明らかであるから、地連の職員の行為に関し法定の事実関係があれば被告国において国家賠償法一条一項により賠償の責に任ずべきものである。

2  被告らの共同行為

次に、原告は被告両名の行為が共同不法行為にあたると主張するので、両名が共同行為者であるか否かを検討する。

第一に、国家賠償法による責任を負う国と民法による責任を負う私人とは、民法七一九条の共同不法行為の責任を負う場合があると解されている。

第二に、同条は一項で数人が共同の不法行為をなすことをその要件としているが、同条二項は、教唆者と幇助者を共同行為者とみなしているところよりすると、直後の加害行為を担当しない共謀者も共同行為者とみなされることは明らかである。

ところで、さきに、認定したように本件合祀申請は、被告県隊友会(以下たんに相被告という)の発意により、相被告の費用をもつて、相被告の名義によつて為されたものである。また、証人安田柾及び同粟屋晧の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、従来地連が被告国の主張するような物的、事務的な援助を業務として隊友会に与えてきたことが認められる。しかし、関係係官の行為をつぶさにみると、粟屋課長は、本件合祀が一定の困難に逢着していた当時、福田会長の具体的な依頼もないままに、自らの知見にもとずいて、問題点を的確に剔出した照会書を作成、発送し、回答書を得てこれを同人に交付した。この回答書がその後県護国神社の関係者に合祀受諾を決意せしめる有力な資料となつたのである。安田事務官は、福田から依頼を受けて合祀申請に必要な経費のための募金全般をとりしきり、宮司と折衝しながら奉斎準則を起案した。阿武事務官を含む山口地区班や地連出張所の係官は、福田から安田を介しての依頼により合祀申請に必要な書類を取寄せた。これらの行為は、本件合祀申請を準備するうえで、それぞれの時期における最も重要な行為であり、かつ準備行為のほとんど大半を占めているばかりか、照会書の作成、発送と奉斎準則の起案は、各係官の裁量のもとに為されたのである。そうして右各行為は地連が相被告の合祀申請を推進するとの態勢のもとになされたのであつた。このようにみてくると、係官の各行為は、相被告のための一般的、補助的な手伝いにすぎない行為乃至は相被告の合祀申請を側面から援助する行為とみることはできないのであつて、当時の相被告の力量では事実上なしえないところの、本件合祀申請に向けられた、個別的で積極的で核心的な行為であり、かかる地連の一連の行為がなければ、本件の如くに合祀申請に至つたとはみられない状況にあったのである。地連係官がこのように本件合祀申請に積極的に関与してきたのは、本件合祀申請が協力団体である相被告の業務であるとの一般的な事情もさることながら、むしろ殉職者の合祀が自衛隊員の社会的地位と士気を高める効果をもたらすものであり、地連自身も是非合祀の実現を図りたいと考えていたからと推認される。このような地連職員の意識は<証拠>によつてもある程度うかがうことができるが、<証拠>によって一層明確に推認することができる。要約すれば、地連は本件合祀の実現について相被告に劣らないだけの利益を有していたのであつて、そうであるが故に地連職員と相被告は本件合祀実現を相謀り役割りを分担しつつ準備して、相被告の名義をもって合祀申請に及んだものである。さればこそ、地連が原告から本件合祀申請についての抗議を受けるや、係官らは被告らの行為を積極的に正当化し、原告の翻意を求め、部長自らが原告との折衝に乗り出そうとしたのである。係官らが相被告の行為を補助し手助けしたにすぎず、責任は全て相被告にあるというのであれば、先ずその旨を明らかにし、原告を相被告に仲介したはずである。本件合祀申請は、県護国神社へ申請した一点をとらえれば、相被告の単独の行為ではあるけれども、これを一連の経緯の中でとらえれば、地連職員と相被告の共同の行為とみることができる。

3  権利侵害の有無

(一) まず民法七〇九条にいう「権利を侵害」するとは、法律上何々権として明定されたものを侵害することの意味に限定すべきものでなく、法的な保護に値する利益を違法に侵害することを以て足るものと解され、また国家賠償法一条の「違法に他人に損害を加えたとき」との定めも法的な保護に値する利益の違法な侵害をとらえたものと解される。

そこで信教の自由について考えるに、これがすべての国民に保障された基本的人権に属することは憲法二〇条一項前段の明定するところであり、また憲法一三条によつて「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされる「自由及び幸福追及に対する国民の権利」には基本的人権の一つである信教の自由が含まれ、同条にいう「立法その他の国政」には司法作用が含まれるものと解される。

このようにして信教の自由はその違法な侵害に対して裁判上の救済を求めうべき法的利益を保障されたものとして、私法上の人格権に属するものというべきである。もしこれを消極に解するならば、国民は私人による信教の自由の侵害に対し何等の法的救済を受け得ないこととなり、かくては国民は自らの信仰を全うし得ないこととなるからである。

ところで或る人間の死に際会しで生存者がその宗教的立場乃至宗教的意識からこれに如何様に対応するかの具体的態様は、個々の宗教、宗派の教義およびこれらに属し或いは属しない各人の宗教的に信ずるところに応じて異なることのあり得るものであるが、右にのべた理由からしてこれらの異なる対応のいずれについても、それが宗教的なものである限りは各人の信教の自由の実現行為として、従つて人格権に基づく宗教行為として、法的に保護されるべきものと解される。

かくして、一般に人が自己もしくは親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情と思考を巡らせ、行為をなすことの利益を宗教上の人格権の一内容としてとらえることができると解される。人が自己の死に対してこのような人格権を有することは明らかであると考えられるが、他人の死に対してもこれを肯定しうるかは一応問題となる。しかし、人は現世において自己に最も近い者として配偶者と共同の生活を営み、精神生活を共同にするものであるから、配偶者の死に対しては自己の死に準ずみ程の関心を抱くのは通常であり、従つて他人に干渉されることなく故人を宗教的に取扱うことの利益も右にいう人格権と考えることが許されると解される。このことは、著作権法が著作が死亡した後における著作者人格権等の侵害に対する差止請求等を遺族に認め、かつ配偶者をその第一順位と定めていることによつても正当であると考える。

(二)  そこで本件合祀申請行為が原告の信教の自由乃至人格権を侵すものであるか否かを検討する。

(1)  前記認定のとおり原告は夫孝文の死亡当時より遡ること約一〇年以来キリスト教を信仰し、同人の不慮の死に遭つてのちはこの信仰によって同人を記念、追悼し、その死の意味を求め、現世において分たれた共同生活を精神的な面では保持し続けて来た。原告のかかる信仰生活の営みは他人には容易に窺い知ることのできない複雑微妙なものがあるものと推察されるのであるが、原告にとつて信仰を深め実践して行くうえで何よりも大切にしたいことはまず自らを宗教的な平穏裡に置くことであろうと考えられる。

これに対して相被告と地連職員は故孝文を県護国神社の祭神として奉斎されるよう申請し、これを受けた同神社は孝文を祭神として合祀、鎮座し、永代に亘つて奉斎すると共に公衆礼拝の対象とするに至つたものである。

もとより県護国神社はいうまでもなく、相被告も地連職員も原告に祭神としでの孝文を神道に従つて礼拝するよう強制しているわけではない。しかしながら原告が自己の信ずるキリスト教により教会に通うなどして孝文を前記のとおり記念し、その死の意味を探ろうとしているとき、他人によつて勝手に孝文を神社神道の祭神として祀られ、原告にも関係のあるものとして鎮座祭への参拝を希望され、更には事実に反して原告の篤志により神楽料が奉納されたとしてこれを原告に通知のうえ、永代に亘って命日祭を斎行されるに至ることは決して些細な事柄ではない。孝文は県護国神社によつて国家公共のために尽した者として祭神に祀られたのであるから、妻としてキリスト教信仰の立場から夫の死の意味を深めようとする原告にとつて、静謐な宗教的環境のもとで信仰生活を送るべき法的利益――人格権――を妨げられた面のあることはこれを否定することができない。

ここで或いは、信仰心を有する者は自己に対する強制に亘るわけではない他人の宗教行為を無視するだけの精神的な強さを求められており、従つて他人の宗教行為との関係における法的救済を云々すべきではないとの考えもあり得ないわけではない。しかしながら人の信仰心の強固さは様々であり、信仰を求めながらなお他人のなす宗教行為のために精神的な静謐を乱され、自己の純粋な信仰の探究に軽視できない妨害を受ける場合もあり得ると考えられる。信仰は時により死をも怖れないものであるが、また極めて傷つき易いものであると考えられる。このような意味において、信仰者に精神的な強さを要求して法的保護を否定する考え方はこれをとることができない。

ここで被告らの主張のうち、原告が喪主となって仏教方式による部隊葬を行ない、之丞の行なつた仏教方式の葬儀に参加、礼拝し、同人宅を出た後仏壇を買い求めて同人を祀つた事実によれば、原告には宗教的意識の雑居性が顕著にみられるから、本件合祀が原告の宗教上の法的な利益を侵害しない(相被告)、或いは原告が他の者により他の宗教により祀られることを容認してきたから本件合祀により害されるものはない(被告国)との点について検討する。先ず、原告が部隊葬の喪主となつた点であるが、これは故孝文が死亡した直後におけるあわただしい雰囲気の中で、部隊が実質的に準備した葬儀の形式的な喪主となつたにすぎないのであつて、仮りに仏教方式で行うことについて原告の同意があつたとしても(この点についての立証はないが)、当時原告が右葬儀を自らの行うものと意識していたかははなはだ疑問であり、これに参列することを拒否しうるような事情にあつたとみることはできないのであつて、右の点から、原告が仏教に親和性を有し、キリスト教の信仰があいまいであつたとすることは相当ではない。次に、故孝文の実父である之丞の行なう仏式の葬儀に妻として参列することは、原告の信仰の如何にかかわることではなく、之丞の行う仏式による供養を容認したからといつて、原告の信仰があいまいであるとし、遺族以外の者によつて勝手に故孝文が祭祀されるのを容認したとし、或いはこのような祭祀によつて原告の信仰に何ら害されるところがなかつたとすべき事情にあたるとみることはできない。

けだし、故人の実父之丞にも祭祀を行いたいとするそれ自体尊重すべき宗教感情がある以上、原告において同人との相互関係をめぐる具体的情況に応じてこれをどのように尊重するかは、原告において自らの信仰を保持しつつ別の面から自主的に判断決定し得る事柄であるからである。また原告が仏壇と位牌を置き僧侶に読経させたのは、さきに認定した事情によるものであり、原告が之丞との精神的な軋轢を和らげるためのいわば苦肉の策であつて、真実の信仰心によるものではなく、従って二、三ケ月後にはこれを取り去つたものと推認される。かえつて、原告がかかる行為まですることにより之丞と融和することを努力していたにも拘わらず、後に判示するとおり、本件合祀によつて同人との間に容易に埋め難い精神的な溝を設けられるに至つたのである。以上、被告らの主張には理由がない。

以上検討したところより、本件合祀申請は原告の宗教上の人格権を侵害したものである。

4  本件合祀申請行為の違法性

(一)(1)  まず本件合祀申請行為乃至はその結果として合祀の実現した事実が原告において自己の信仰に基づき亡夫を記念する信仰上の行為を外的に制止妨害等する行為乃至事実でないことは明らかである。県護国神社はもとより相被告および地連職員において原告に神道に従つた礼拝を強制しているものでもない。

のみならず相被告は、孝文の死とのかかわり合いにおいて自らの信ずるところに従い宗教的行為をする自由を有する。宗教上の人格権はその性質上自然人の内面に渕源するものではあるけれども、社会的活動には、その構成員の宗教上の人格権を総合的に社団として実現させる宗教行為と目すべきもののあることが明らかであり、これに対する法的保護を否定すべき理由はなく、相被告の本件合祀申請行為が右のような宗教行為であることは前記認定事実によつて明らかである。

(2)  このようにして原告と相被告との関係では、問題は自由と自由との衝突と見るべきものである。

この点に関し、内面を重視する信仰に立つ者の宗教行為の方が外面を重視するものより法的保護の上で優位を与えられるべきだとすべき根拠はなく、一方の外面を重視する宗教行為が他方の重視する内面的宗教生活の平穏を侵すことがあつても、そのことのみでこの行為を当然に違法とすることはできない。

(3)  また亡孝文との関係における原告および相被告それぞれの親近度乃至人間的密接度に従つて両者の間に差等を設けるべき理由も見出し難い。

まず原告は孝文の妻としてこれとの間で全人格的結合関係の下に生きて来たものであるが、これに対して相被告は生命のある個人ではなくまた宗教的活動を本来の目的とする団体でないのはもとより、孝文を構成員として取りこんだ団体でもなく、孝文の生存中所属していた自衛隊の外郭団体として山口県出身の退職自衛官および殉職自衛官の遺族などの援護等の目的との関係において、孝文との間では間接的に且つ退職或いは殉職等の将来の出来事とのかかわりで関係を持つていたにすぎず、相互の間に全人格的結合乃至これに準ずべき関係はなかつたものである。

このような相互関係にあることからして、孝文の霊を宗教上いかに取扱うかについてはまず妻たる原告の意思を尊重し、その意に反して他人である相被告によつてなされる宗教行為はこれを差控えるべきだとするのが常識に合致すると考えられないではない。

しかしながら密接度の濃い側が相手方のなす宗教行為によつて宗教上の人格権に侵害を受けるとしても、これが密接度の薄い相手方において自己の信仰に基づく宗教行為をしたことによるものである場合、このような結果はそれぞれの信仰の相異に基づいて生ずるものであり、いずれの行為にも元来信仰の自由の行使として憲法上の保障がある以上、一方の行為が他方に対する制止強制にわたり乃至は公序良俗に反する等の事情のない限り、これらの法的保護につき順位を決すべき法的規準は見出せず、故人の妻の行為を密接度の薄い他人の行為に優先させるべしとする条理も見出し難い。

(4) なお、原告は本件合祀申請が現職自衛隊員の士気を鼓舞する等の現世的目的に出たにすぎないと主張するけれども、宗教が窮極的に魂の救済に関するものとはいえても、現世の事柄にかかわる目的を有する宗教行為がこの目的のあることから当然に宗教行為としての本質を欠くに至るものとすることはできず、またこのような宗教行為に対する法的保護を劣後させてよい理由はない。相被告が故孝文の奉斎という宗教的な目的に出たことの認められる本件にあつては、右現世的目的の存否をもつて本件合祀申請の違法性を云々することはできない。また、被告らは、故孝文が生前原告のキリスト教信仰を嫌悪し、自衛官たる者死して護国の鬼となるとの精神をもつていたから、本件合祀が同人の意思に合致し、従つて本件合祀申請が違法ではない旨を主張する。しかしながら、被告らが援用する乙第六号証と証人中谷之丞の証言をもつてしては、被告ら主張の事実はこれを認めることができない。他方原告は、故孝文が死後のことについて原告の好きなように葬うように言つていた旨を主張するが、これに添う原告本人の供述のみによつては直ちにこれを認定することができない。本件証拠上本件合祀が同人の生前の意思に添うとも添わないとも確定的に判断することはできない。よつて故孝文の生前の意思の点を右優劣を決する規準とすることはできない。

(5) このようにして、相被告の本件合祀申請行為を独立にとらえて権利濫用等の違法事由あるものとすることには疑問がある。

(二)  次に、さきに認定したとおり相被告と地連職員は、共同行為者として本件合祀申請行為をなしたものである。県護国神社の行なう合祀は故孝文の霊を祭神として祭祀するものであるからこれが宗教行為であることは明らかであるが、更に合祀申請行為も、右合祀が行なわれるための前提をなすものとして基本的な宗教的意義を有しており、且つ県護国神社の宗教を助長、促進する行為であるから、これが憲法二〇条三項によつて国およびその機関がなすことを禁止された宗教的活動に該当することも明らかである。このようにして本件合祀申請行為は憲法の右条項に違反するものである。

憲法の右条項の定めについては、これをいわゆる制度的保障の規定と解すべきか否かに関し、原告と被告国との間に争いがあるが、右条項が国およびその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない旨を定める以上、この定めに反した地連職員と相被告との共同による行為は憲法に違反することより我が国社会の公の秩序に反するものとして、私人に対する関係で違法な行為というべきである。

なお原告は、地連職員らの行為は国が県護国神社に、憲法二〇条一項後段で禁止された特権を与えたものであると主張するけれども、同条にいう特権とは一般国民や他の宗教団体に較べて特殊の利益を与え、優遇することを意味すると解されるところ、本件事実のみによつては本件合祀申請が右の特殊の利益の付与に該るとは断定しえないから、右主張は採用しえない。

5  損害

さきに権利侵害の項で検討したとおり、原告は被告らの行為により意に反して故孝文を県護国神社の祭神として合祀され、信仰を続けるうえで静謐を著しく侵害され、多大の精神的苦痛を蒙つたことが認められる。また、本件合祀の取下を要求して後、福田会長からは中谷之丞とよく話し合つてくれといつて責任を転嫁され、地連の職員から権限もなく合祀を納得させられかかり、合祀に賛同する之丞との間でも従来にも増して不和を増大させられたこと等による精神的葛藤によりお互いの信頼感が損なわれ、これによる精神的損害も発生している。更に、<証拠>によれば、本訴請求が社会的に伝えられる中で、原告は世間から非国民だとか外国へ出てゆけと非難され、白眼視されてきた。また、弁論の全趣旨によれば、原告が本件訴を提起し、維持していくうえでの労苦も小さいものではなかつたものと推認される。これらの諸事情を勘案すれば原告の受けた精神的損害の額は金一〇〇万円を下まわることはないと認められる。

6  過失

被告らが本件合祀申請行為に及んだ昭和四七年三月三一日当時は、故孝文の合祀が原告の権利を侵害するに至る事情を認識していなかったけれども、これを認識することができ不注意のためこれを認識しないで合祀申請したのであるから福田及び地連の職員には過失がある。

7  よって原告の本項請求は全て理由があるから正当としてこれを認容することとする。

三原告の相被告に対する合祀申請手続の取消手続の請求について考える。

1  訴の適法性

(一) まず原告は相被告の行為が不法行為であるとして合祀申請手続をなすべき旨を求めるが、或る行為が不法行為を構成する場合、そのことを理由に被害者が当該行為の排除復元を行為者に対して請求できるものとすることには民法の解釈上疑問がある。

(二) ところで原告は請求の法的構成につき民法の不法行為に関する条文をあげるが、他方また権利の濫用を許さずとする民法一条三項をあげ、憲法二〇条一項後段、三項をあげて、宗教上の人格権の侵害された事実を主張する。これらの点と弁論の経緯とを併せ考えれば、原告の請求は人格権に対する違法な侵害を理由に、人格権に基づく妨害排除乃至原状回復として合祀申請の取消手続を求める趣旨を含むものと解すべきである。なお原告の求める取消手続の内容は、すでに実現した合祀についての相被告と県護国神社との間における準委任契約関係の存在を前提に、合祀申請のなかつたと同様の状態を現出するための方法として、神社に対する申請行為撤回の意思表示乃至は契約の合意解約申入の意思表示をなすべきことを求めるにあると解されるほか、更に故孝文に関する合祀申請書の抹消等の事実行為をも求めるものと解する余地があるが、いずれも訴自体は適法であるから、相被告の本案前の申立二項には理由がない。

2  請求権の存否

相被告は、本件合祀申請をして県護国神社との間で合祀を目的とする準委任契約を締結することにより、同神社の合祀を介して、原告の人格権を侵害したものであるが、前記認定のとおり故孝文は同神社の祭神として、且つ将来永代に亘つて毎年命日祭を斎行されるべきものとして鎮座されたものであつて、この意味において原告の人格権に対する侵害は本質的に継続的な性質を有する。他方このような結果を招いた合祀申請行為自体が前項に判断したとおり憲法に違反するものであるから、右申請行為及び契約には高度の違法性が存する。してみれば、合祀によって人格権を侵害され損害を受ける原告においては、相被告に対してこのような合祀のなされた状態による妨害の排除乃至原状回復を求めうべきものである。ところで、相被告は合祀そのものを為したのではなく、その申請、契約の申込みをした一方当事者であるから、原告が右妨害排除乃至原状回復として相被告に求めうるのは、相被告として故孝文の合祀を目的とする準委任契約の効力を解消するに足るだけの行為、すなわち申請行為の撤回の意思表示乃至は契約の合意解約申入の意思表示にとどまると解せられる。

しかしながら原告は、相被告会長福田が八月、一〇月二二日及び一一月一日の三回に亘つて県護国神社へ故孝文の奉斎取り下げ方の要請を行なったことを自陳しており、かつ右事実は<証拠>によつてこれを認めることができる。右要請は故孝文の合祀申請の撤回乃至契約の合意解約の申入の意思表示とみられるから、相被告はすでに原告のために原状回復の義務を履行したものである。また相被告の原告に対する人格権侵害が法律行為によつてなされ、且つこれにつき撤回乃至合意解約の申入の意思表示がなされた以上、相被告としては原状回復のために自らなしうべきことを果し終えたものというべきであり、合祀申請書が提出時の状態のまま神社の手許に置かれている事実があるとしても、そのこと自体から原告の人格権に対する相被告の侵害行為が残存継続しているものとすることはできず、原告の求めるところがこの申請書に関する抹消その他の事実行為の請求を含むとしても、その請求は理由がない。 なお、原告は本件合祀申請が故孝文の信教の自由を侵害したと主張して右と同様の請求をなすところ、仮りにこの侵害の事実が認められるとしても、これの権利の回復として相被告に求めうる行為の内容とその義務の履行がなされたことは右に判示のとおりであるから、この主張に基づき右請求を理由ありとすることはできない。

3  よって、原告の本項請求は理由がなく、棄却すべきものである。<以下、省略>

(横畠典夫 杉本順市 和田康則)

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