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宮崎地方裁判所延岡支部 昭和33年(わ)231号 判決 1959年6月17日

被告人 河村哲男

昭四・四・七生 事務員

山本武士

昭七・九・一生 左官

主文

被告人山本武士を懲役六月に処する。

但し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人河村哲男は無罪。

理由

被告人山本武士は昭和三三年一〇月二九日午後八時三〇分頃飲酒の上宮崎県延岡市中島通り一丁目七〇番地の六池田耕作方店舗土間において、高倉百太郎と口論中、附近廊下の上からこれを制止した同店々員河野哲男をその襟首に掴んで土間に引き下したが、却つて同人に突き飛ばされて左上下眼瞼等に創傷を受けたことに憤激し、同店附近のみはらし食堂こと佐竹シズエ方炊事場より刺身庖丁一挺(証第一号)を持ち出し携帯の上、右河村を刺すべく前記池田方店舗土間に立ち戻つたところ、偶々同所に居合せた塩月栄及び井上茂の両名に制止されるや、これに激昂し、所携の右庖丁をもつて同人等に斬りつけ、よつて塩月に対し約二週間位の通院加療を要する左上腕切創、左耳殻部切創、左顔面切創を、井上に対し約一〇日間の通院加療を要する顔面多発切創をそれぞれ加えたものである。

(証拠略)

法律に照すと被告人山本武士の塩月栄及び井上茂の両名に対する判示各所為はそれぞれ刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条第三条に該当し、いずれも所定刑中懲役刑を選択すべきところ、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条第一〇条により犯情の重いと認める塩月栄に対する傷害罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内において同被告人を懲役六月に処するけれども諸般の情状を考慮し、同法第二五条第一項を適用して、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予すべきものとする。

被告人河村哲男に対する公訴事実は、同被告人は昭和三三年一〇月二九日午後八時三〇分頃宮崎県延岡市中島通り一丁目池田耕作方店舗土間において、高倉百太郎と山本武士が酒気を帯びて口論していたのを制止したところ、右山本から却つて喰つてかかられたことに立腹し、手拳をもつて同人の顔面を数回殴打し、同人に対し治療五日間位を要する左上下眼瞼擦過創兼打撲症等左手背切創を加えたものであると言うのである。

よつて按ずるに、裁判所の証人高倉百太郎、同山本武士及び同池田カネに対する各尋問調書並びに検証調書を綜合すれば、昭和三三年一〇月二九日午後六時頃から延岡市中島通り一丁目七〇番地の六菓子卸業池田耕作方において、同店の新築祝の酒宴が催され、同酒宴が終りかけ招待客が帰りかけた午後八時二〇分頃、同店事務室内東端において招待客の一人建具製作業高倉百太郎がその妻に電話中これも招待客の山本武士が酩酊して右高倉よりその受話器を取り上げようとしたが、同人がこれにかまわず電話をかけ終つて、同地点から約三米離れた箇所で同事務室の西北端において同室に接し、奥の間に通ずる同室床上より三八糎ほど高い廊下に上ろうとした際、同人の背後より山本がその背広の上衣を引張り、同人をその場に転倒させた事実が窺われる。

裁判所の証人山本武士に対する尋問調書中右認定に抵触する記載部分は裁判所の高倉百太郎に対する尋問調書の記載に照して到底信用できない。

更らに前掲各証拠に、被告人河村哲男の当公廷における供述、司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに医師大島純三作成の山本武士に対する診断書を綜合して考えてみれば、被告人河村は午後八時三〇分頃招待客を送つて前記事務室に接する廊下に出た際山本と高倉との間に前叙のようないざこざがなされているのをみたので、直ちにこれを制止したところ、山本がこれに憤慨し、やにわに廊下に飛び上り、同被告人の襟首を掴んで事務室に引きづり下したため、同被告人は一旦倒れかかつたが、直ちにその体勢をたて直し、突嗟に同人を突き離すため手拳をもつて数回同人の顔面、胸部等を突いて突き飛ばし、そのため同人は同地点より東南方約二、五米離れた箇所に置かれてあつた高さ七六糎の事務用大型机にうち向けに倒れかかつて左上下眼瞼擦過創等の傷害を負うに至つたが、同被告人は右の如く山本を突き飛ばすや、直ちに廊下を通つて奥の方に立ち去つたこと、しかもその争はほんの寸刻の出来ごとであつたことが認められる。

果してそうであるならば右山本の被告人河村に対する行為は、同被告人にとつて急迫不正の侵害であること明かであるから、次に同被告人のこれに対する反撃行為が果して防衛のため止むを得ずなされたものであるかどうかについて考えてみるに、同被告人は当時の模様をその検察官に対する供述調書で「私も一杯気色ではあつて、しやくに障つたので、山本を突き離すため、手拳で同人の顔や胸のあたりを数回突いて突き飛ばした」旨述べているが、同被告人に山本を突き飛ばした際、しやくに障つてと言う気持が働いていたとしても、これは防衛の意思と併存し得ないものでもなく、前記認定の如く同被告人は突嗟に山本を突き飛ばしただけで、その場を立ち去り、特に追い討ちをかけたと言う事実の認められない本件においては、同被告人には積極的に出て相手をやつつけてやる意思の毛頭なかつたものと言わなければならぬのであつて、同被告人の本件反撃行為は自己の身体の安全を防衛する意思の下に突嗟に止むを得ずしてなされたものと認定するのが相当であり、本件反撃行為により前叙の如き傷害を山本に負わせたとしても、刑法第三六条第一項所定の正当防衛行為として罪とならないものと断じなければならないから、被告人河村に対しては刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡をするべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 江藤盛)

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