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大阪高等裁判所 昭和59年(う)616号 判決 1988年2月04日

本籍

大阪府堺市高倉台三丁一八番

住居

同市高倉台三丁一八番二号

医師

村田政勇

昭和四年八月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五九年二月二九日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 藤村輝子 出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月及び罰金一、八〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大槻龍馬、同門司恵行、同仁藤一、同玉生靖人共同作成の控訴趣意書(弁護人は、右書面記載の第一は、訴訟手続に関する法令違反を主張するものである旨釈明した。)、同補充書(一)及び同補充書(二)(補正申立書を含む。)各記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事高橋哲夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

そこで、各論旨につき、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せ考察し、以下のとおり判断する。

控訴趣意第一(法令の解釈適用の誤りないし訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、法令の解釈適用を誤ったため、いわゆる財産増減法(以下「財産法」という。)によって逋脱所得金額を計算し得ない本件において、これにより逋脱所得金額を計算し、逋脱税額を認定したものであって、原判決には、明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用の誤り、ひいては訴訟手続の法令違反があるというのである

そこで、所論にかんがみ検討するに、所論は、本件における逋脱所得金額の認定方法として財産法によることが許されない論拠として、所得税法二三八条一項は、所得税逋脱犯の実行行為を「偽りその他不正の行為により第一二〇条第一項第三号に規定する所得税の額につき所得税を免れ」ることと規定し、また同法一二〇条三号は「同項第一号に掲げる課税所得金額につき、第三章(税額の計算)の規定を適用して計算した所得税の額」と規定しているところ、その課税所得金額の計算につき同法第二編第二章、特に第二節第二款の所得金額の計算の通則として第三六条以下に規定されており、これによればいわゆる損益計算法(以下「損益法」という。)によることが明らかにされているのであるから、刑事訴訟手続においても逋脱にかかる所得金額の認定は原則として損益法によらなければならず、損益法によることが不可能であり、かつ、財産法による算出金額が実額(損益法により正しく算出されるべき所得金額)を上回ることのない保障があるという例外的場合に限り財産法が許されるにすぎないのに、本件は右例外的場合にあたらない旨主張する。右主張の点に関し、原判決は、所得税逋脱犯の所得金額計算につき所得税法上財産法と損益法のいずれかによることを原則としていると解すべき合理的理由は存せず、これは立証方法の適否の問題であって、いずれの方法によれば実額が正確に把握できるかを比較検討したうえでどちらの方法によるべきかを決するのが相当であるとの基本的見解に基づき、本件においては、損益法によるには会計帳簿が不備であり、かつ、これを補うに足る証拠が存しないのに対し、財産法による立証につき期首、期末の資産、負債の実額の把握に問題とすべき点は存せず、他人資産の混入も認められないから、財産法によるのが適切妥当である旨説示している(原判決の理由中の「弁護人らの主張に対する判断」((以下「原判決の判断」という。))の第一)ところであるが、当裁判所は、原判決の右基本的見解を肯認するものであり、これに所論のいうような所得税法の解釈適用の誤りがあるとは考えない。たしかに、所得税法は、各種所得の金額の計算方法を定めており、そのうちでも少なくとも事業所得については損益法を原則としていると解される(同法二七条二項参照)が、所得税逋脱罪の構成要件事実である逋脱所得税額を算出する根拠である逋脱所得は、右損益法により計算されるべき所得金額であるが、その認定方法は刑事訴訟手続における問題であって、右と同一金額を認定しうる他の方法が存するのに、これによることを許さず、損益法によるべきであるとし、あるいは損益法を原則とすべきであるとする法理はないと考えるべきである。最高裁第二小法廷昭和六〇年一一月一五日決定・刑集三九巻七号四六七頁も租税逋脱犯における逋脱所得金額の認定に財産法を用いることが許されるとし、損益法との関係において何らの条件も付していないところである。なお、付言すると、財産法による逋脱所得金額の認定も、実際所得を認定する一方法であり、その認定にあたっては実際所得金額を超えないことにつき合理的な疑いを容れない程度の確信を得ることが必要であるが、それをもって足りるのであって、所論のいうように損益法により正しく算出されるべき所得金額を上回ることのない保障を必要とするものではない。

なお、原判決の前記判断及び所論にかんがみ、本件において、検察官が損益法によらず財産法によって逋脱所得を立証し、原判決がその立証によって逋脱所得金額を認定したことが適切妥当であったかどうかを検討しておくこととする。関係証拠によれば、本件脱税の手段は、被告人経営の南堺病院(以下「病院」という。)における事業所得につき収入金を一部除外し、申告にかかる収入に対する経費を適当に計上していわゆるつまみ申告をしたものであるところ、被告人が病院の事務所(会計)を通さずに処理していた収支については、これを立証するに足る会計上の帳簿、伝票類は存しないこと、被告人が病院の経理を通さなかった自由診療収入のうち自賠責関係の収入については、各患者のカルテの点数を換算し、その全部を加算して収入金額を算出する方法があったが、国税査察当局において、その方法によっては収入金額確定の正確性を期しがたい状況にあったこと、被告人が病院の経理を通さず処理していた収支に関する書類としては、押収してある空封筒三綴(原審昭和五四年押第九七九号((当裁判所昭和五九年押第二五四号))符号五、以下押収証拠物につき同押号の符号のみを漢数字で示す。)、使用済手形帳半片六綴(一、二)使用済小切手帳半片三冊(六)などがあるが、これらは断片的なものであって右収支全部を立証するに足るものでなかったこと、被告人が病院の経理を通さずに支出した金員につき、被告人は国税査察官に対し、薬品の簿外仕入れ(バッタ買い)及び簿外給料に多額の支出をした旨主張しながら、証拠書類がなく、また相手方にも迷惑を掛けるので、これらを簿外経費として認めてもらわなくてもよい旨供述し、その経費全体の正確な捕捉ができなかったこと(なお、被告人は、犯則調査あるいは捜査段階では主張していなかったのに、原審において、簿外経費として医師確保対策費二八〇〇万円を支出した旨主張するに至ったが、相手方に迷惑がかかるとしてその氏名などを明かにしないため裏付けがなく、結局その支出は確定しがたいものであった。)、他方、国税査察当局が、本件について、期首、期末の資産、負債の実額を把握するに当たり、その証拠資料収集に特段の障害はなかったこと、以上の事実が認められる。右認定の各事実に照らすと、検察官が、本件における逋脱所得金額の立証につき損益法によらず財産法によったことは妥当であったというべきであり、これを許容し、その立証に基づき本件逋脱所得金額を認定した原判決の手続、方法も正当として肯認することができる。

その他所論が纓説する点につき、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討してみても、原判決に所論の法令の解釈適用ないし訴訟手続きの法令違反があるとは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二(理由不備の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、(1)本件につき財産法により得られた所得金額が、弁護人が主張、立証した損益法による所得金額より過大であるのに、その理由について何ら検討を加えることなく漫然と財産法による結果のみに基づき所得金額を認定した点、及び(2)財産法による所得計算に当たり、現預金その他の勘定科目において、過年分からの混入あるいは他人の財産の混入を疑わしめるものがあるのに、これらにつき厳格な検討を加えないで認定した点において、理由不備であるというのである。

所論にかんがみ検討するに、右(1)の点については、原判決は、財産法により逋脱所得金額を認定しているところ、その認定につき弁護人が主張、立証する損益法による所得金額と対比検討したことを何ら判示していないことが明らかであるが、財産法により逋脱所得金額を認定した場合には、その方法による認定を判示すれば足り、弁護人が主張、立証する逋脱所得金額と対比検討したことを判示しないからといって理由を付さない違法があるとはいえないから、原判決に所論の理由不備はないというべきであり、また、右(2)の点は、事実認定に関する問題であって、その主張自体から理由不備に当たらないといわなければならない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三(犯意に関する事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決が、(一)被告人に所得税逋脱の犯意があったと認定したこと、及び(二)本件確定申告に当たって支出金額につき一一〇〇万一二〇〇円の違算(過大計算)をしたことによる所得金額減少分についても逋脱の犯意を認定したことは、いずれも事実を誤認したものであり、それらが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

右論旨につき当裁判所は次のとおり判断する。

一  被告人の所得税逋脱の犯意について

所論は、原判決は、被告人の指示により本件昭和五〇年度の確定申告書中の収入金のうち自由診療収入に関し約二四〇〇万円の除外がなされたが、これは被告人が加藤俊雄に対する支出金が必要経費にあたらないところからこれを取り戻すために行ったのであって、被告人に逋脱の犯意があったことは明らかであると認定したが、被告人は、加藤に対する支出金が必要経費にあたると認識し、その処理を加藤に任せていたものであって、被告人には犯意がなかった旨主張する。

そこで、所論にかんがみ検討するに、関係証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

(1)  被告人は、加藤俊雄に対し、昭和五〇年中に、毎月の給料合計一六七万六〇〇〇円を支払ったほかに、合計一二五〇万円を支出していた。(なお、右一二五〇万円の支出をした理由、目的及びそれが税務対策費として必要経費にあたるものでないことは、後記控訴趣意第四に対する判断の七の3の(3)において判示するとおりである。)

(2)  しかるところ、被告人は、加藤俊雄への右一二五〇万円の支出につき記録を残さず、大雑把に二〇〇〇万円以上を支払ったと考えていたが、これを公表せずに処理するために、収入金のうちの自由診療収入分から一部除外することとし、昭和五一年二月ころ、病院の事務長の江頭傳之(以下「江頭」という。)に対し、昭和五〇年分の所得税確定申告につき「経費がかさんで困っているんだが、自由診療分から約二〇〇〇万円から三〇〇〇万円の範囲内で何とかならないか。」と収入の一部除外を頼み、これに対し江頭事務長から元帳を一年分書き替える労力が大変である旨言われたが、重ねて「加藤俊雄から自由診療分を何とかせよと言われて困っている。」旨告げて、江頭事務長にその処理方を承知させた。

(3)  昭和五一年三月一三日ころ、被告人、江頭事務長及び加藤俊雄が集まって、本件所得税確定申告をするについて相談をした。その際、江頭事務長が、病院事務所で集計した収入金明細(社会保険支払基金通知分、国保連合会通知分、国保連合会以外の単独の保険組合及び他府県国保分、労災保険収入分、自由診療収入分の別)を示したところ、加藤俊雄が、被告人に対し、右自由診療収入分から二四〇〇万円を除外するように告げ、被告人の指示で江頭事務長がその毎月分から平均して二〇〇万円ずつ合計二四〇〇万円を差し引いて自由診療収入分を訂正し、その結果により本件確定申告書(堺税務署長作成の証明書添付のものはその写)添付の五〇年分収入金明細表を作成した。また、支出に関しては、江頭事務長が事務所において集計した科目別の経費を一覧表にした支出計算書を被告人に渡したところ、被告人が、自分の管理する資金から病院事務所を経由せずに支出した経費を各科目のうちその一部について書き出し(証拠上その金額は不明である。)、これを加算した金額を算出して右支出計算書を訂正した。そして、被告人は、加藤俊雄に対し、右収入明細表と支出計算書を渡して、確定申告書の作成を依頼し、同人はこれら書類を持ち帰った。

(4)  昭和五一年三月一五日、加藤俊雄が、被告人に対し、同月一三日に作成した支出計算書とは異なる内容の経費一覧表を示して、そのとおりの支出計算書を書くように言ったので、被告人は、その支出合計額が同月一三日に算出した金額よりさらに三〇〇〇万円ないし四〇〇〇万円増額されていることを知ったが、その原稿に基づいて「昭和五〇年度支出計算書」(堺税務署長作成の証明書添付のものはその写)を作成し、その支出計算書及び同月一三日に作成されていた収入明細表に基づき、収入金額が五億一九六七万七一五五円、必要経費が五億〇五八三万七九二三円、差引所得金額が一三八三万九二三二円としたうえ、本件五〇年分所得税確定申告書(堺税務署長作成の証明書添付のものはその写)を作成したうえ、これを同日堺税務署に提出した。

以上の事実を認めることができる。そして、右認定に反する収税官吏作成の加藤俊雄に対する昭和五二年三月九日付質問てん末書(以下「加藤俊雄の何日付質問てん末書」というように略記する。)の供述記載部分、証人加藤俊雄の原審公判廷における供述部分及び被告人の原審及び当審公判廷における各供述部分は、いずれも信用することができない。

右認定事実によれば、被告人が収入金につき自由診療収入分から二四〇〇万円を除外して本件確定申告をし、所得税を逋脱する意志を有していたことは明らかであるといわなければならない。所論は、被告人は加藤俊雄に対する支出金が必要経費にあたると認識していたと主張し(したがって、経費として計上する代わりに、収入金から同額を減じて申告しても、所得金額は同一であるから、逋脱の犯意はなかった旨主張するものと解される。)、被告人も原審及び当審公判廷においてこれに沿う各供述をするが、前記認定のように、被告人が加藤俊雄に支出した金員は、一二五〇万円であるのに、これを正確に把握しておらず、二〇〇〇万円以上を支払ったと考えていたこと、そして、被告人は江頭事務長に対しては、約二〇〇〇万円から三〇〇〇万円の範囲内で自由診療分収入のうちから収入除外するよう依頼した経緯などに照らすと、被告人が加藤に対する支出金が病院経営の必要経費にあたると認識していたとは到底考えられず、被告人の右各公判供述はいずれも信用することができない。

なお、被告人の逋脱の犯意の及ぶ範囲につき付言するに、関係証拠によれば、被告人は、病院事務所で管理する経理を統括していたほか、自ら収入支出の一部を直接管理し、さらに資金繰りについても自らが直接行うなどしていたもので、病院の収支についておおむね把握していたことが認められること、また、被告人の昭和五〇年分の実際の総所得金額が一億円を超える多額なものであるところ、被告人が、その昭和五二年三月二五日付質問てん末書において、昭和五一年三月一五日に加藤俊雄から示された経費一覧表が、同月一三日に被告人の加算分を加えて算出した支出計算書の総額より三〇〇〇万円ないし四〇〇〇万円増額されていると思った旨供述し、さらにその検察官に対する昭和五四年三月九日付供述調書(欄外に証拠目録請求番号115号と記載のあるもの)において、昭和五〇年分の実際の所得は、その申告当時約四〇〇〇万円位はあると考えていた旨供述していることなどを併せ考えると、被告人は本件申告にかかる総所得金額一三八三万九二三二円が実際の総所得金額より著しく過少の金額であることを承知していたと認めるのが相当であり(被告人は、原審及び当審公判廷において、本件確定申告書は、加藤俊雄の原稿を書き写しただけで収支差引による所得金額について認識していなかったかのような各供述をするが、他の者が計算してきたところによってたしても、およそ自らが所得税の確定申告書を作成して、その申告をしようとする者が、その記載する所得金額につき認識しなかったということはありえないことであり、被告人の右各供述は信用することができない。)、そうだとすると、被告人は、右申告にかかる総所得金額以上の所得金額については申告の意志がなかったものであり、被告人の本件所得税逋脱の犯意は、江頭事務長に収入の一部除外を指示した二四〇〇万円の所得金額についての所得税に限らず、本件過少申告により免れた所得税額全部に及ぶというべきである。

二  違算による過少申告分に関する犯意について

所論は、本件所得税確定申告書添付の支出計算書に記載の支出合計額が五億〇五八三万七九二三円と記載されているが、同記載の各支出費目ごとの金額を合計すると四億九四八三万六七二三円となり、その差額一一〇〇万一二〇〇円は違算であり、被告人はその違算に気付かずに本件所得税確定申告をしたものであるから、被告人には、右違算部分にかかる所得税については逋脱の犯意は存しない旨主張する。

そこで、検討するに、本件の昭和五〇年分所得税確定申告書添付の昭和五〇年度支出計算書によれば、その記載の支出合計額が各支出費目ごとの金額の実際合計額より一一〇〇万一二〇〇円過大であることが認められる。そして、右支出計算書の記載だけから考えると、その記載の合計額は計算を誤ったものとみることができる。しかるところ、その違算が加藤俊雄によるものか被告人によるものかにわかに断定できないところ、仮に被告人が収税官吏の質問調査以来供述しているようにそれが加藤俊雄によるものであるとしても、もともと経費については病院事務所で集計した分は別として、被告人が病院事務所を経ずに支出したとして加算し、あるいは加藤俊雄が適宜加算した分については、その裏付けとなる証拠資料がなく、その正確性を確認できる方法がないのであって、そうすると、申告者である被告人としては、合計額が誤りであったと認めればそれまでであるが、そうではなく各費目の記載中に誤りがあったとして合計額のほうを正当金額と主張することも考えられるのである。このことに、前記一で認定したように被告人が所得税逋脱の犯意をもって収入金額から右支出計算書記載の合計額を差し引いた金額一三八三万九二三二円を総所得金額として申告したことを併せ考えると、被告人としては、支出計算書に違算があったか否かにかかわらず、右金一三八三万九二三二円を所得金額として申告する意思であって、同額以上の所得金額についての所得税はこれを免れようとしたものと認めるのが相当である。したがって、弁護人主張の一一〇〇万一二〇〇円の所得金額にかかる所得税についても、被告人の逋脱の犯意を認めるべきである。

以上のとおりであるから、原判決が、被告人に所得税逋脱の犯意を認定し、また、本件所得税確定申告書添付の支出計算書記載の支出合計額との同記載の各費目の実際合計額との差額一一〇〇万一二〇〇円についても逋脱の犯意を認めたことに所論のいう事実誤認は存しない。論旨(一)及び(二)はいずれも理由がない。

控訴趣意第四(各勘定科目に関する事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、各勘定科目の事実の認定を誤り、その結果逋脱税額を過大に認定した違法があって、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、所論主張の各勘定科目について原判決の事実認定の当否を順次検討することとする。(以下の項目は控訴趣意書のそれによった。)

一  現金について

所論は、原判決は、期首現金のうち被告人個人が管理していた手許現金を二〇〇万円と認定したが、右現金は五〇〇万円あるいは少なくとも三〇〇万円あったと認められるから、原判決の右認定には事実誤認があるというのである。

そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決が、期首現金のうち被告人が管理していた手許現金を二〇〇万円と認定したことを肯認することができ、また原判示(原判決の判断の第三の一)の右認定の理由も、おおむねこれを首肯することができる。なお、所論にかんがみ付言するに、被告人の昭和五二年一月二六日付質問てん末書添付のメモ中、昭和四九年一二月三一日現在の被告人管理の手許現金欄には、三〇〇万円の記載が抹消されて二〇〇万円に書き改められて訂正印が押なつされているところ、所論は、これは被告人が査察官(収税官吏)の最初の指示により記入した三〇〇万円をさらに二〇〇万円に書き替えるよう指示されて訂正したものであると主張し、被告人も原審公判廷において右主張に沿う供述をするのであるが、そのような主張及び供述がなされるより前の原審第一〇回公判において弁護人が陳述した補充意見書(昭和五六年一月二六日付)では、認否を留保していた期首現金高につき、被告人管理の手許現金が二〇〇万円であることを含めて検察官主張の金額を認めており、被告人もこれと異なる意見を何ら述べていなかったことに照らすと、右主張及び供述にかかわらず、右被告人管理の手許現金が二〇〇万円であった旨の捜査段階における供述は優にこれを信用することができ、これに反しその金額が五〇〇万円であったとする被告人の原審公判廷における供述は信用することができないというべきである。そして、その他所論が縷々主張するところを検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決の期首の現金の認定に所論の事実誤認は存しない。

二  定期預金について

1  堺市信用金庫登美丘支店の仮名分六口六〇〇万円について

所論は、右仮名分の定期預金は村田ウメ子に帰属するものであるのに、これを被告人に帰属するものであると認定した原判決には事実の誤認があるというのである。

所論にかんがみ検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、原判決が右仮名分の定期預金が被告人の設定したもので、被告人に帰属すると認定したことは、原判決の判断の第三の五の2において説示する理由とともにこれを肯認することができる。なお、右の理由を補足すると、原審証人寺口健夫の供述によれば、村田ウメ子は、本件仮名分設定以前に、被告人のものとは別に旧姓の石村梅子名義の定期預金を堺市信用金庫登美丘支店に設定していたが、いずれも新規のものとしては五〇-一〇〇万円ぐらいずつであり、一部現金による場合もあったが、大半は普通預金に溜めた分を振り替えていたものであって、本件仮名分として六〇〇万円もの現金をもって充てたことは、それまでの同女名義の定期預金の設定の仕方と流れが違うということであり、そのことも本件仮名分の定期預金が同女に帰属するものではなく、被告人に帰属するものであると認定すべき情況事実として評価できるというべきである。

所論は、被告人が、その検察官に対する昭和五四年三月八日付供述調書において、「五〇年中に堺市信金登美丘支店において発生している幸田栄次郎その他名義の定期預金が約一一〇〇万円程になりますが、これは私が病院の収入金中から定期預金にしたもので全部私の預金です。」と供述していることに関し、右約一一〇〇万円というのが石村梅子名義の分を含めどれを指しているか明らかでないから、本件仮名分についての自白として信用できない旨主張するが、関係証拠によれば、右供述にかかる幸田栄次郎その他定期預金約一一〇〇万円というのが、本件仮名分六口、すなわち幸田栄次郎名義分(八〇万円)、宇佐美茂雄名義分(一二〇万円)、河合一美名義分(一〇〇万円)、小寺安太郎名義分(一一〇万円)、大原弘名義分(七〇万円)、伊藤三郎名義分(一二〇万円)の六〇〇万円のほか、田中一二三名義分(一八〇万円)、中野美知名義分(一二〇万円)、辻川義己名義分(二〇〇万円)を合わせた九口分一一〇〇万円を指していることが明らかであるから、右供述は本件仮名分に関する自白として信用することができるというべきである。また、所論は、被告人は村田弘子を通じて昭和五〇年七月一五日に白鷺郵便局に村田千雅名義ほか三口で合計五〇〇万円の郵便貯金をしており、それが本件仮名分に充てられたとされている堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の普通預金からの引出し金五〇〇万円である可能性を否定できない旨主張するが、被告人の昭和五二年一月二六日付質問てん末書によると、被告人は、昭和五〇年七月の賞与資金の残額七八〇万円を岡本弘子(村田弘子)に保管させた旨供述しているのであり、これが右郵便貯金に充てられたと推認できるから、右郵便貯金をしていることをもって前記本件仮名預金の帰属の認定を動かすことはできない。その他所論を検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決の堺市信用金庫登美丘支店の仮名分六口六〇〇万円の帰属に関する認定に、所論の事実誤認は存しない。

2  尼崎浪速信用金庫上野芝支店の仮名分四口六五六万〇二四五円について

所論は、右仮名分の定期預金は、その設定当初から村田高秋に帰属するものであるのに、これが期末において被告人に帰属していたと認定した原判決には事実の誤認があるというのである。

所論にかんがみ検討するに、関係証拠によれば、原判決が原判決の判断第三の五の3において説示する理由により、右仮名分の定期預金が期末において被告人に帰属していたものであり、これが村田高秋のものとなったのは、昭和五一年二、三月ころ被告人がその定期預金証書を同人に渡したときであると認定したことを優に肯認することができる。なお、付言すると、所論は、右仮名分四口は、被告人が自己の預金とする意図ではなく、村田高秋に対する退職金及び同人からの借入金の返済金の支払いに代えて定期預金にしたものである旨主張するところ、当審証人村田高秋はこれに沿う供述をし、また被告人作成の供述書中にもこれに沿う供述記載があるが、右供述及び供述記載は、関係証拠によって認められる右仮名分四口とも被告人が自らの借入金の担保に提供していたこと、村田高秋が被告人に金員を貸し付けたのは、昭和五〇年七月の一五〇万円と同年一一月の一〇〇万円の二回であるが、その各金額が本件各定期預金の設定金額と符合しないこと、また退職金の金額が本件各定期預金の設定金額とも符合しないことなどに照らし、いずれもにわかに信用することができないといわざるを得ない。その他所論を検討しても右認定判断を動かすに足りない。

したがって、原判決の尼崎浪速信用金庫上野芝支店の仮名分四口六五六万〇二四五円の帰属に関する認定に所論の事実誤認は存しない。

三  未収入金について

1  天野文雄に対する貸付金一一〇〇万円の利息について

所論は、被告人は、その天野文雄に対する貸付金一一〇〇万円及びその利息につき、昭和五〇年一〇月一一日債務免除をしたので、期末においてはその元利とも債権は存しないのに、その利息債権が存するものと認定した原判決には事実の誤認があるというのである。

所論にかんがみ関係証拠を検討するに、原判決が原判決の判断の第三の七の1において説示する理由により所論と同旨の債務免除の主張を排斥したことは、優にこれを首肯することができる。なお、所論にかんがみ付言するに、所論は、本件貸付金の元利金債務の免除につき、天野文雄と被告人の間において、昭和四九年二月ころから交渉が始まり、昭和五〇年一〇月ころには話合いは相当煮詰っていたところ、被告人の妻ウメ子が死亡して、その通夜や葬式の準備に右天野が献身的な世話をしたことに被告人が感動し、その結果同月一一日に最終的な債務免除の意思表示をするに至った旨主張するが、原審証人天野文雄の供述によると、同人は、被告人が昭和四九年二月病院を建築した際、病院内で売店を経営させてもらうという約束を履行してもらえなかったため、病院の前に店舗を新築し、それに被告人から借り受けた金員を使い果たしてその返済ができなくなったので、その債務免除を申し入れたが、被告人に断られたままであったところ、昭和五〇年一〇月一一日被告人の妻の通夜のとき、被告人から右債務の免除を受けたというだけであって、所論の主張のように債務免除の交渉が続けられ昭和五〇年一〇月ころまでにその話合いが煮詰っていたという状況があったとは窺われないこと、また右証人の供述は、昭和五〇年一〇月一一日に被告人から債務免除を受けたときの被告人とのやり取りにつき、通夜を全部を切り回してやっていたら、被告人から「ふみちゃんありがとう」といって債務免除につき暗黙の了解をしたもので具体的に借りている金をどうするという話はなかったと述べた後、次には、被告人が「もういいよ、もうお金なんかいいよ。」と言った旨述べるなど極めてあいまい、不明確な供述をしているものであることにかんがみ、右証人の供述及びこれを肯定する被告人の原審公判廷における供述をもって被告人が右天野に対し債務免除をした事実を認めることはできないのみならず、その事実が存したことを疑わせることもできないというべきである。その他所論及び被告人作成の供述書を検討しても右認定判断を左右するに足りない。

したがって、原判決が、被告人の天野文雄に対する貸付金一一〇〇万円の元利金につき、昭和五〇年中における債務免除を認めず、その利息の期末残を認定したことに事実の誤認はないといわなければならない。

2  加藤俊雄分(稗田)六〇万円について

所論は、昭和四九年一二月三一日の事業主貸中加藤俊雄分六〇万円については、被告人が集金を委任したことがないのに、加藤俊雄が昭和四九年中に病院の患者である稗田から診療代六〇万円の支払いを受け、これを無断で費消したものであり、そのことを被告人が知ったのは昭和五〇年二月であるから、加藤俊雄が稗田から六〇万円を受領したことをもって被告人が受領したことにはならず、期首においては、なお被告人の経理上は六〇万円の未収入金が存したと認めるべきであるのに、これを認めなかった原判決には事実の誤認があるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、原判決が、原判決の判断の第三の七の2において、加藤俊雄が取り立てた稗田の治療代を昭和四九年の事業主貸として処理すべきものであると認定判断していることは、正当としてこれを肯認できる。なお、所論にかんがみ付言するに、被告人の昭和五一年一〇月二七日付質問てん末書によれば、被告人は、加藤俊雄から稗田の診療代を集金して使ったので直接同人に請求しないよう念を押されていたところ、昭和四九年中に同人から診療代の入金がなかったので、加藤俊雄に対する支出金として処理したこと、及び右六〇万円を含め加藤俊雄、加藤幸雄の兄弟に対し昭和四九年中に支出した金員の集計をしてメモを作成したのは昭和五〇年二月二四日であったが、右六〇万円を加藤俊雄に対する支出金として処理すべきであることは昭和四九年中に知っていたことが認められる。

したがって、原判決が期首における未収入金として稗田の治療代六〇万円を認定しなかったことに所論の事実誤認はないというべきである。

四  仮払金及び支払手形について

所論は、要するに、原判決は、期首において、大末建設株式会社(以下大末建設という。)に対する仮払金二〇〇〇万円及び同社への支払手形三〇〇〇万円の存在を認定したが、右仮払金は存在せず、また右支払手形は、大和銀行堺支店に対する関係で支払期日が昭和四九年一二月三一日の手形五〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円分につき手形書替え(いわゆるジャンプ)を仮装して振り出した見せかけのものであって真実の支払手形は存しないから、原判決には事実誤認があるというのである。

そこで、所論にかんがみ検討するに、関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  被告人は、病院の建築代金として大末建設に約束手形を振り出していたが、そのうちの一通は、支払期日昭和四九年一二月三一日、金額五〇〇〇万円であった(以下右手形を「本件五〇〇〇万円の手形」という。)。

(2)  被告人は、昭和四九年一二月三〇日付堺市信用金庫登美丘支店支払いの金額二〇〇〇万円の小切手を大末建設に振り出し、大末建設は同月三一日に右小切手金を取り立てた。そして、大末建設では、右二〇〇〇万円を預り金として経理上の処理をした。

(3)  被告人は、大末建設に対し、いずれも振出日昭和四九年一二月三〇日、支払場所大和銀行堺支店の次の約束手形七通(以下「本件手形七通」という。)を交付した。

(ア)  支払期日 昭和五〇年一月三一日 金額四〇〇万円

(イ)  〃 同年二月二八日 右同

(ウ)  〃 同年三月三一日 右同

(エ)  〃 同年四月三〇日 右同

(オ)  〃 同年五月三一日 右同

(カ)  〃 同年六月三〇日 金額五〇〇万円

(キ)  〃 同年七月三一日 右同

そして、右各手形は、いずれもその支払期日に大和銀行堺支店で決済された。

(4)  大末建設は、被告人に対し、小切手五通(昭和五〇年一月三一日、同年二月二八日、同年三月三一日、同年五月一日、同月三一日各振出、金額はいずれも四〇〇万円。以下「本件小切手五通」という。)を交付し、被告人は、これらをいずれも堺市信用金庫登美丘支店から取立てに回して決済を受けた。そして、被告人は、本件小切手五通の各受領につき、大末建設あてに、預り金返却、返済分、先渡し返済分などとそれぞれ記載した領収書を作成して交付している。

(5)  大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金の出入として、昭和四九年一二月一九日住友生命から二九一五万一七八一円入金、同月二一日堺信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金へ九四三万六九六八円出金、同日大和銀行堺支店の被告人名義の通知預金へ二〇〇〇万円出金、同月三〇日三〇〇〇万円入金(証拠上明らかでないが大末建設からの入金と推認できる。)、同月三一日大末建設への支払手形五〇〇〇万円決済のための出金があった。

(6)  堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金の出入として、昭和四九年一二月一四日同金庫から手形貸付の一九七〇万一六四五円入金、同月二一日大和銀行堺支店当座預金から九四三万六九六八円入金、同月三一日大末建設へ二〇〇〇万円出金があった。

以上の事実が認められる。

しかるところ、原判決は、大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金への昭和四九年一二月三〇日の三〇〇〇万円の入金は大末建設から支払われたものであり、右三〇〇〇万円と住友銀行からの融資中の二〇〇〇万円をもって本件五〇〇〇万円の手形が決済され、また、同月三〇日堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金から大末建設に支払われた二〇〇〇万円は、堺市信用金庫からの借入金中の一〇〇〇万円と住友生命からの融資中の一〇〇〇万円により支払われたと認めたうえ、被告人から大末建設へ支払われた二〇〇〇万円は、仮払金であり、本件手形七通は本件五〇〇〇万円の手形金のうちの三〇〇〇万円のジャンプであると認定している。

右認定に対し、所論は、被告人が本件五〇〇〇万円の手形の決済をするにつき、融資銀行である大和銀行堺支店は、当時のオイルショックによる金融規制のため融資が困難となり、右手形金のうち三〇〇〇万円をジャンプするよう被告人及び大末建設に申し入れ、大末建設では病院の建築が同銀行の紹介によるものであったことから、被告人とともに表面上は右申入れに従うこととし、昭和四九年一二月三〇日大末建設から大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金に三〇〇〇万円を入金するとともに、同月三一日被告人から大末建設に対し本件手形七通が振り出されたが、右手形ジャンプは仮装であり、実際には、被告人は、大和銀行堺支店に内密に手持現金一〇〇〇万円と堺市信用金庫登美丘支店からの借受金二〇〇〇万円の合計三〇〇〇万円を大末建設に支払い、その後、被告人は、本件手形七通につきいずれもその支払期日に決済したが、見せかけであるため、その都度大末建設から右手形金と同額の金員の返還を受けた旨主張し、被告人は、原審公判廷において、右主張に沿う供述をしている。そして、当時大末建設の経理課長であった寺岸庸光は、証人として、原審公判廷では、大和銀行から被告人への融資ができなかったため、本件五〇〇〇万円の手形につき三〇〇〇万円をジャンプした旨供述し、それが仮装である旨の供述はしていなかったところ、当審公判廷では、右手形のジャンプは見せかけであり、その金員(ただし、三〇〇〇万円かどうか記憶していない。)を被告人が大末建設に持って来られた記憶があるし、大末から毎月四〇〇万円を五回返済したことを知っている(あと五〇〇万円二回の返済については分からない。)旨供述している。ところが、被告人が昭和四九年一二月三一日大末建設に支払ったとする手持現金一〇〇〇万円については、被告人の供述のほかにこれを証するに足りる客観的証拠は存しないし、また、本件手形七通のうち支払期日昭和五〇年六月三〇日及び同年七月三一日の各金額五〇〇万円の手形二通に見合う大末建設からの返済についても、被告人の供述のほかにこれを認めるべき客観的証拠は何ら存しない。したがって、所論主張のように、手形のジャンプが仮装であり、また仮払金はなかったことを積極的に認定するには証拠が不十分であるといわなければならない。

しかしながら、他方、所論は、被告人と大末建設との間における建築請負代金の支払いについては手形による延べ払いをしているが、いずれも金利が加算され、また手形をジャンプするときにも金利を手形で支払っており、本件五〇〇〇万円の手形のうち三〇〇〇万円についても真実ジャンプがなされたのであれば、当然金利が支払われているのに、その支払いの事実は存しない旨主張するところ、証人寺岸庸光の当公判廷における供述、同人作成の金利計算書(写)、森岡弘雄作成の確認書によれば、右主張のように、被告人の大末建設への建築請負代金の手形による延べ払い及びその手形のジャンプにはすべて金利が付いていること、しかるに本件五〇〇〇万円の手形のうち三〇〇〇万円のジャンプをしたとされる分についての金利は支払われていないことが認められる。そうすると、本件五〇〇〇万円の手形のうち三〇〇〇万円がジャンプされたのであれば、なぜこれに対し金利が支払われなかったのかという疑いが生じるが、その疑問を解明すべき証拠はない。

右の点に加え、被告人が昭和五〇年一二月三〇日堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金から大末建設に支払われ、大末建設が預り金として処理した二〇〇〇万円が、どのような原因によるものであるかに疑問がある。すなわち、被告人が右二〇〇〇万円を支払ったについてはそれなりの原因がなければならない(特に手形ジャンプが真実であればなおさらである。)が、その点につき、大末建設に対する調査もなされておらず、検察官も原審において、右二〇〇〇万円支払いの原因関係が不明であるとしていて全く解明がなされないままである。そうすると、右二〇〇〇万円の支払いが、所論の主張するように手形ジャンプを見せかけるため大末建設から被告人に支払われた三〇〇〇万円の見返りに支払われたものである疑いが残るところである。

以上を総合して考えると、所論主張のように期首において二〇〇〇万円の仮払金及び三〇〇〇万円の支払手形が存在しないとまでは認められないけれども、反対に検察官が主張するように手形のジャンプが真実なされたものであって、期首において右仮払金及び支払手形が存在するとまで認定するにはなお合理的な疑いがあるといわざるを得ない。してみると、結局は、疑わしきは被告人の利益にとの原則に則り、期首における右仮払金及び支払手形の存在は否定されるべきである。

したがって、原判決が期首における右仮払金二〇〇〇万円及び右支払手形三〇〇〇万円が存すると認定したことには事実の誤認があるといわなければならない。

五  貸付金について

1  加藤幸雄に対する一〇〇万円について

所論は、原判決は、期末において、加藤幸雄に対する貸付金一〇〇万円を認定したが、被告人が昭和四八年九月一日加藤幸雄に貸し付けた一〇〇万円は、同人が病院を退職した昭和五〇年二月に、同人に支払うべき退職金一〇〇万円と相殺し、期末には、右貸付金は存しなかったから、原判決の右認定には事実の誤認があるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、被告人が、昭和四八年九月一日、加藤幸雄に対し、同人の弟の加藤俊雄を通じて一〇〇万円を貸し付けたこと、加藤幸雄は昭和五〇年二月病院を退職したこと、その後、加藤幸雄は、加藤俊雄を通じて被告人に退職金を要求し、昭和五一年五月ころ、被告人から四〇万円の支払いを受けたことが認められるところ、被告人は、原審公判廷において、昭和五〇年二月に加藤幸雄が退職した直後に加藤俊雄から加藤幸雄の退職金の話があり、その時点では貸し付けていた一〇〇万円と相殺するということで話がついた旨供述するのであるが、右供述は、加藤幸雄及び被告人の各質問てん末書、証人加藤幸雄の原審及び当審公判廷における各供述において、同旨の供述がなされていないことに照らしてにわかに措信することができず、ほかに、被告人が右貸付金につき昭和五〇年中に加藤幸雄に対する退職金一〇〇万円と相殺した(黙示の意思表示による相殺を含めて)ことを窺わせるような証拠はない。したがって、期末において、右貸付金一〇〇万円は存在していたと認めるのが相当である。その他所論が縷々主張するところを検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決が期末の加藤幸雄に対する貸付金一〇〇万円を認定したことに所論の事実誤認はないというべきである。

2  天野文雄に対する一一〇〇万円について

所論及びこれに対する判断は、前記三の1において右金員の利息についての所論及びそれに対する判断と併せて説示したとおりであり、原判決が期末における天野文雄に対する貸付金一一〇〇万円を認定したことに所論の事実誤認は存しない。

3  寺岸庸光に対する二四五万円について

所論は、被告人は、昭和五〇年五月ころ、病院の建築を請け負わせていた大末建設の経理課長寺岸庸光(以下「寺岸」という。)の仲介で、被告人の取引銀行である大和銀行堺支店副長永田宗次郎(以下「永田」という。)から同人所持の約束手形二通(額面合計三二〇万円)の割引を依頼されてこれを割り引いたところ、寺岸は右各手形の裏書をしているので、その手形上の債務ないし手形外の保証債務が発生したが、被告人が右手形割引を承諾した時点で、被告人と寺岸、永田両名との間において、寺岸、永田両名には何らの債務をも負担させない旨の暗黙の合意があったものであり、仮に右合意の事実が明確でないとしても、右各手形が不渡りとなった時点において、被告人は、寺岸、永田両名に対し、右各手形に関する一切の債務を免除したものであるから、原判決が、右三二〇万円のうち返済分七五万円を控除した二四五万円につき期末における貸付金である旨認定したことは、事実の誤認であるというのである。

所論にかんがみ検討するに、被告人の昭和五一年一一月一七日付質問てん末書、証人寺岸、同永田及び被告人の原審公判廷における各供述によれば、被告人は、昭和五〇年五月ころ、病院の建設工事を請負わせてた大末建設の経理課長の寺岸から被告人の取引銀行である大和銀行の永田(もと同行堺支店副長であり、当時は本店に勤務していた。)に対し、三二〇万円の貸付けをしてほしい旨依頼されてこれを承諾し、その支払いのため、割引名下に水口真弓美振出の約束手形二通(一通は金額一〇〇万円、支払期日同年八月三一日、他の一通は金額二二〇万円、支払期日同年一〇月二日。以下「本件手形二通」という。)の交付を受けて、三二〇万円を貸し付けたこと、寺岸は、被告人に対し、永田の右借受金につき保証する旨を約し、本件手形二通に各裏書をしたこと、その後、本件手形二通はいずれも不渡りとなったが、被告人から寺岸にその支払いの催促がなされ、さらに同人から永田に対し同様の催促がなされた結果、永田から被告人に対し、同年九月ころ五〇万円、同年一二月末ころか昭和五一年一月上旬ころに二五万円の返済がなされたが、、その残金は未返済であること、永田は、原審公判廷において、なお右未返済分の債務を負担していることを自認していること、以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。右認定事実に照らすと、所論主張のように本件手形二通の手形割引をした時点で、被告人と寺岸、永田両名との間において、寺岸、永田両名には何らの債務をも負担させない旨の暗黙の合意があったこと、及び本件手形二通が不渡りになった時点で、被告人が寺岸、永田両名に対し、債務の免除をしたことはいずれも否定されるべきことが明らかであるといわなければならない。なお、証人寺岸は、原審公判廷において、本件手形二通が不渡りになって大分経ってから被告人から保証人としての債務を免除するような話があった旨供述するが、前記認定事実に照らすと、仮にそのような話があったとしても、それは昭和五〇年中ではなかったと認めるべきである。また、同証人は、当審公判廷において、被告人から債務免除の話があったのは手形が不渡りになった一か月後くらいであった旨供述するが、前記認定事実に照らし措信できない。その他所論が縷説するところを検討しても、右判断を動かすに足らない。

したがって、原判決が、検察官の期末において寺岸に対する三二〇万円の貸付金があった旨の主張に対し、昭和五〇年中に右のうち七五万円が返済されたことを認め、これを控除した二四五万円を期末における貸付金である旨認定したことは相当であり、原判決に所論の事実誤認は存しない。

なお、付言すると、仮に弁護人主張のように被告人が昭和五〇年中に寺岸及び永田に対し債務免除をしたとしても、病院の経費となるべきものではないから、被告人の事業所得金額の計算上では、事業主貸勘定に計上すべきものであって、その所得金額には増減は発生しないものである。

4  阪井誠道に対する三〇〇万円について

所論は、被告人は、阪井誠道(以下「阪井」という。)に対し、昭和四七年から昭和四八年にかけて三回にわたって合計三〇〇万円を交付し、貸付けの形態をとっているが、これらは各交付の時点で同人が自治会長として病院の土地の買収交渉などで被告人に協力してくれたことに対する謝礼として贈与したものであるから、原判決が、期首及び期末のいずれにおいても右貸付金三〇〇万円が存したと認定したことは、事実を誤認したものであるというのである。

しかし、阪井誠道及び被告人(昭和五一年一一月二六日付、昭和五二年一月一九日付)の各質問てん末書によれば、被告人は、昭和四五、六年ころから昭和四八年ころまでの間に、阪井誠道に対し、数回にわたりいずれも小切手で合計三〇〇万円を貸付けたこと、同人は、収税官吏に対し、昭和五二年二月一九日現在でなお右三〇〇万円の債務が存在していることを自認していることが認められるのであり、これに反し、被告人は、原審公判廷において、所論に沿うかのような供述をしているが、右供述は前記各質問てん末書に照らして信用することができず、ほかに右認定に反する証拠はない。右認定事実によれば、期首及び期末のいずれにおいても、被告人の阪井誠道に対する貸付金三〇〇万円が存したことが明らかである。

したがって、原判決が期首及び期末における阪井誠道に対する貸付金三〇〇万円を認定したことに所論の事実誤認はないというべきである。

なお、付言すると、右認定のように期首及び期末ともに貸付金三〇〇万円が存したときと、所論のいうように期首及び期末ともにそれが存しないときのいずれであっても、当期所得金額に増減はないものである。

六  薬品棚卸高について

所論は、薬品棚卸高は、期首及び期末とも二八五〇万円であるのに、原判決が期首のそれを二〇〇〇万円と認定したことは、事実を誤認したものであるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、原判示(原判決の判断の第三の一〇)のとおり期末の薬品棚卸高が二八五〇万円であると認められる(右金額につき、弁護人及び被告人は、原審では二〇〇〇万円であるとして争っていたが、当審では二八五〇万円と認めている。)ところ、菖蒲孝夫の質問てん末書によれば、同人は、病院に薬品を納入していた薬品会社の社員として、昭和四七年ころから毎年三月と一一月又は一二月の二回、病院の薬品棚卸を手伝っていたが、昭和四九年一一月終わりころその棚卸をしたときは約二〇〇〇万円の薬品があった旨供述していること、被告人は、その昭和五一年一一月二六日付質問てん末書において、昭和四九年一二月三一日現在の薬品棚卸高は二〇〇〇万円で、昭和五〇年一二月三一日現在のそれは二八〇〇万円くらいである旨供述し、また、その検察官に対する昭和五四年三月九日付供述調書(欄外に証拠目録請求番号116号と記載のあるもの)において、昭和四九年分について菖蒲孝夫に薬品の棚卸をしてもらったら約二〇〇〇万円であるということだったが、昭和五〇年一一月ころ同じく菖蒲に見てもらったらもう少し多くなっているということであったと供述したうえ、その増額につき、昭和五〇年七月からベット数が増え診療規模が大きくなったから薬品類の在庫が増えているのは当然と思った旨供述していること、などに徴すると、期首の薬品棚卸高は二〇〇〇万円であると認めることができる。所論は、被告人は昭和四九年一〇月以降多量の薬品を購入したので、同年末の棚卸高は、昭和五〇年末のそれとほぼ同額である旨主張し、被告人も、当審で取り調べた供述書中において、右主張のとおりである旨供述するが、右主張事実を裏付けるべき証拠はなく、前記認定の各証拠に照らし、右供述は信用することができず、ほかに前記認定を動かすに足る証拠はない。

したがって、原判決が期首の薬品棚卸高を二〇〇〇万円と認定したことに所論の事実誤認はないというべきである。

七  事業主貸について

1  村田弘子関係について

所論は、原判決は、検察官主張の村田弘子(旧姓岡本)関係の一〇九六万三九六一円の事業主貸につき、そのうち八一三万三九六一円を事業主貸であると認定したが、右認定にかかる分は、村田弘子に対する給料であって事業主貸にあたるものでないから、原判決の右認定には事実誤認があるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、原判決が、被告人から村田弘子への授受金員八一三万三九六一円につき事業主貸であると認定したことは、その説示する理由(原判決の判断の第三の一一の1の(一))を含めこれを肯認することができる。なお、所論にかんがみ付言するに、所論は、押収してある賃金台帳(四)は、病院の公表帳簿であるが、これには事務員の村田弘子に対し昭和五〇年中に支給し、源泉所得税及び社会保険料控除の対象ともなっている賃金九六万一五七五円が記載されているのであるから、少なくとも右金額は事業主貸ではない旨主張するが、関係証拠によれば、村田弘子が右賃金台帳記載の賃金を現実に病院の経理を通じて支給を受けたことはなく(右賃金台帳が公表帳簿である以上は、その支給があったとすれば、現実に毎月その記載どおりの金員が病院の経理から支払われるべきものである。)右賃金台帳上の同女に対する賃金支給は架空のものであると認められる(所論は、被告人から同女に渡した金員の一部がこれにあたると主張するものと解せられるが、その渡した金員の趣旨は生活費であるから、右の主張は採ることができず、また所論は、源泉所得税及び社会保険料が支払われているから、賃金の支払いがあった旨主張するが、仮に源泉所得税及び社会保険料が支払われていても、そのことから現実に賃金の支払いの事実が認められるわけのものではない。)から、右九六万一五七五円について事業主貸から除外すべきものとは認められない。その他所論を検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決が被告人の村田弘子への支給金八一三万三九六一円につき事業主貸と認定したことに所論の事実誤認はない。

2  西峯幸関係について

所論は、原判決は、被告人が西峯幸に支給した二七一万円が生活費であるとして事業主貸の認定をしたが、そのうちの一六五万六〇〇〇円は給料として支給されたものであるから、原判決の右認定には、事実の誤認があるというのである。

所論にかんがみ検討するに、関係証拠によれば、被告人は、西峯幸に対し、昭和五〇年中に二七一万円を支給していることが認められるところ、西峯幸の質問てん末書(二通)及び検察官に対する供述調書並びに押収してある家計簿四冊(七)のうち昭和五〇年分によれば、右金員は、同人及び同人と被告人の間の二人の子供の生活費として支給されたものであると認められる(なお、西峯幸の検察官に対する供述調書によれば、同女が病院の仕事を手伝っていたことが認められるが、右手伝いが雇用関係に基づくものであるとは認められない。)これに対し、押収してある賃金台帳(四)によれば、その賃金台帳の上では、西峯幸に対し、給与の支給があったように記載されていることが認められるが、原判示(原判決の判断第三の一一の2)のとおり右賃金台帳中の同女に関する分は偽造されたものであり、これをもって同女に給与の支給があったことを認めることはできない。また、証人村田幸(旧姓西峯)は、原審公判廷において、昭和五〇年当時病院から給料をもらっていた旨供述し、被告人も原審公判廷において、西峯幸に渡した金員の一部が給料である旨の供述をするが、これら供述は、前記西峯幸の質問てん末書及び検察官に対する供述調書に照らし信用することができない。ほかに前記認定を動かすに足る証拠はない。

したがって、原判決が被告人の西峯幸への支給金二七一万円につき事業主貸と認定したことに所論の事実誤認はない。

3の(1)、(2)(九の1)ビデオテープ及び浮世絵全集購入代金について

所論は、原判決は、ビデオテープ(購入代金三三万四四三〇円)及び浮世絵全集(購入代金六三万円)は、いずれも被告人の個人的用途のために購入したもので、その各購入代金を事業主貸と認定したが、右ビデオテープは医師向けの専門のテレビ放映を録画するためのもので業務用として購入したものであり、また浮世絵全集は病院の装飾用として購入したものであるから、原判決の右認定は、事実を誤認したものであるというのである。

しかしながら、原判決が、右ビデオテープ及び浮世絵全集がいずれも被告人の個人用として購入したものであり、その各購入代金を事業主貸と認定判断したことは、その説示(原判決の判断の第三の一一の4及び5)とともにこれを肯認することができる。所論指摘のようにこれらが病院内に保管されていたことを考慮しても、右認定判断を動かすに足らない。

したがって、原判決がビデオテープ及び浮世絵全集の各購入代金を事業主貸と認定したことに所論の事実誤認はない。

3の(3)(九の2)加藤俊雄関係について

所論は、被告人が加藤俊雄に支出した一二五〇万円につき、その一部は、被告人の税務対策に関する報酬又はこれに必要な経費であり、その余は、これを支出しなければ、同人から如何なる妨害あるいは攻撃を受けるかも知れない危険を避けるためのやむを得ない出費であり、病院経営のために必要な経費と認められるべきものであるのに、原判決は、右一二五〇万円が必要経費にあたらないとして事業主貸と認定したもので、右認定には事実誤認があるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、被告人は、加藤俊雄に対し、昭和五〇年中において、合計一二五〇万円(以下「本件一二五〇万円」という。)を支出したほか、毎月一五万円の給料を支給したことが認められるところ、被告人の昭和五一年一〇月二〇日付及び同月二七日付各質問てん末書その他関係証拠によれば、本件一二五〇万円の支出の趣旨、目的に関し、次の事実を認めることができる。すなわち、被告人は、昭和三六、七年ころから、税経新聞社を経営していた加藤俊雄に税務のことを相談し、税務署との折衝などをしてもらったりし、それに対しいくらかの謝礼をしていたこと、その後、昭和四二、三年ころからは、加藤俊雄の方から税務対策として税務署関係の人への中元、歳暮、せん別、接待費などが必要であると申し出があり、被告人は、その言い成りに金員を支出していたが、その要求金額が次第に高額となり、昭和四七、八年ころには、同人の税務対策のために金員が必要であるというのが口実に過ぎないとの疑いを抱くようになったこと、そのため、被告人は、加藤俊雄への金員の支出をできるだけ現金ではなく、小切手又は手形によることにし、小切手帳又は手形帳の半片に同人の金員要求の口実をメモ書きして証拠に残していたこと、そして、被告人は、昭和五〇年二月ころ、加藤俊雄から確定申告書の提出時期も近づいたので金を出してほしいと言われてこれを断ると、同人から被告人の税務の面倒を見ることをやめるが、税務調査をされると病院が成り立たなくなると言われ、その後も加藤俊雄の要求に応じて金員を支出していたこと、本件一二五〇万円のうちには、税務署長転任のせん別として三〇万円、同新任に対するあいさつ料として六〇万円、税務署長、副署長への中元として一一〇万円のほか、税経新聞社への寄付として二〇〇万円、税経新聞社移転費用分担金として二〇〇万円などの口実で支出されたものがあること、以上の事実を認めることができる。(なお、加藤俊雄は、同人の昭和五二年一月二七日付質問てん末書中及び原審公判廷において、本件一二五〇万円は、すべて被告人に使途を告げずに税経新聞社の運転資金の援助としてもらったものである旨各供述するが、前掲の被告人の各質問てん末書に照らし、信用することができない。)しかるところ、関係証拠を検討しても、加藤俊雄が本件一二五〇万円のうちから病院の経費として認められるべき支出をしたこと、あるいは毎月一五万円の給料と別に報酬をもらうべき病院の事務をしたことを認めることはできない。

前記認定事実に照らすと、結局、本件一二五〇万円は、被告人が、自らの所得や資産内容あるいは税務処理の状況などを税務当局に知られることをおそれて、加藤俊雄に対して支出したものと認められ、これが病院の事業遂行上必要な経費であるとは到底認めることはできない。その他所論を検討しても右認定判断を左右するに足らない。

したがって、原判決が被告人の加藤俊雄への支出金一二五〇万円につき事業主貸を認定したことに所論の事実誤認はないというべきである。

八  (九の4)未払金について

所論は、原判決は、被告人が従業員に支給した給与にかかる所得税の源泉徴収洩れ分五六六万九二〇五円につき、これは被告人が負担すべきものでないとして、未払金の計上を否定したが、右源泉徴収洩れ分の給与は、当初から手取額として支給する約定のものであったから、被告人がこれらの者に対し源泉徴収洩れの支払請求をすべき根拠がないものであり、したがって経費として未払金に計上されるべきものであって、原判決の右認定には、事実の誤認があるというのである。

そこで検討するに、所論主張のように源泉徴収洩れ分の給与につき、これを手取額として支給する約定があったことを認めるべき証拠はない。しかし、右給与は、もともと裏給与であるから、そもそも支給者及び受給者らにおいて、所得税を源泉徴収して納付することは考えられていなかったことが推認でき、そういう意味では、その給料の支給は手取額であったということもできるにしても、仮にその裏給与につき所得税を源泉徴収して納付すべき義務が税務当局に明らかになった場合に、その所得税を支給者たる被告人が負担すべきものとは認められない。すなわち、所得税法一三八条によれば、給与等の支給をする者は、その支払いの際、所得税を源泉徴収する義務を負担しているにとどまり、給与所得に対する納税義務はその所得者にあることが明らかであり、裏給与についての源泉徴収洩れの所得税も、その支給を受けたものが負担するのが当然であり、給与支給者にその負担義務は生じないというべきである。

したがって、所論主張のように源泉徴収洩れ分が昭和五〇年において未払金として計上されるべきものであるとは認められず、原判決の認定に所論の事実誤認はない。

九の3 建物の減価償却について

所論は、被告人が従業員用に購入した白鷺ビューハイツ四〇三号室、七〇四号室については、租税特別措置法一四条一項に規定する割増償却の適用があるのに、原判決が、その適用をしないで右建物の減価償却費を認定したことは、法令の適用を誤った結果、事実を誤認したものである旨の主張であると解せられる。

しかしながら、所論主張の白鷺ビューハイツ四〇三号、七〇四号室について昭和五一年法律五号附則三条七項により同法による改正前の租税特別措置法一四条一項の割増償却の適用がないことは、原判示(原判決の判断の第三の一二)のとおりである。

したがって、右割増償却の適用をしないで減価償却費の認定をした原判決に、所論の法令の適用の誤りないし事実誤認は存しないというべきである。

以上の次第であって、結局、控訴趣意第四については、原判決が認定した各勘定科目の金額のうち、前記四の仮払金及び支払手形につき事実の誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は右限度で理由がある。

よって、量刑不当の論旨について判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、大阪府堺市大野芝町二九二番地において、南堺病院の名称で病院を経営しているものであるが、自己の所得税を免れようと企て、自由診療収入の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五〇年分の実際総所得金額が一億〇八六六万九三一二円(別紙(一)修正貸借対照表参照)あったのにかかわらず、昭和五一年三月一五日、同市南瓦町二番二〇号所在の所轄堺税務署において、同税務署長に対し、昭和五〇年分の総所得金額が一三八三万九二三二円で、これに対する所得税額は三八三万九〇〇〇円であるが、源泉徴収税額が一五〇八万五二一一円であったので、差引き納付すべき所得税額はなく、還付を受ける所得額が一一二四万五六七一円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五一〇六万二七〇〇円と右還付税額の合計額である所得税額六二三〇万八三〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

原判決挙示の各証拠を引用するほか、次の各証拠

一 証人寺岸庸光の当審公判廷における供述

一 寺岸庸光作成の金利計算書写

一 森岡弘雄作成の確認書写

(修正貸借対照表の各勘定科目についての補足説明)

一 右各勘定科目の金額のうち検察官の主張する金額を増減したもの(ただし、仮払金、支払手形見返を除く。)について、その増減の計算根拠は、原判決の判断の第三に記載されたとおりであるから、これを引用する。

二 当審において、検察官主張の金額につき、期首における仮払金二〇〇〇万円を認定せず、また期首における支払手形のうち三〇〇〇万円が見せかけのもので真実でないと認定したこと(前記控訴趣意第四の四)に関し、修正貸借対照表の勘定科目上どのように処理するかが問題であるが、この点については、被告人が手形を振り出している事実及びその手形金がいずれも被告人の預金口座から取り立てられ決済されているという外形的事実に照らすと、検察官主張の仮払金勘定の過年度金額(借方)から二〇〇〇万円減額し、支払手形勘定はそのままとし、その対照勘定として支払手形見返勘定を設けて過年度金額(借方)に三〇〇〇万円を計上し、当該手形が外形的には期中に決済されていることから同勘定の当期増減金額(貸方)に同額計上し、さらに仮払金減額分との差額は元入金勘定の過年度金額(貸方)及び差引修正金額(貸方)に追加計上する方法(結局、当期事業所得は一〇〇〇万円減額される。)が相当であると考え、その方法により処理した。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては右改正後の所得税法二三八条一項に各該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定の懲役と罰金を併科し、かつ、情状により所得税法二三八条二項を適用し、その所定の刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一〇月及び罰金一八〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項を適用し、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、原審及び当審における各訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山中孝茂 裁判官 高橋通延 裁判官野間洋之助は転補につき署名押印できない 裁判長裁判官 山中孝茂)

別紙(一)

修正貸借対照表

昭和50年12月31日現在

<省略>

別紙(二)

税額計算書

<省略>

○控訴趣意書

所得税法違反被告事件

被告人 村田政勇

右事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五九年八月三十一日

主任弁護人 大槻龍馬

同右 門司惠行

同右 仁藤一

同右 玉生靖人

大阪最高裁判所

第一刑事部 御中

第一 原判決には、法令の解釈適用に誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかな、違法がある。

一 原判決の論旨

原判決は、原審弁護人が「本件に於ては財産増減法による立証は許されない」旨主張したのに対し、「所得計算につき財産増減法によるべきか、損益計算法によるべきかについては、所得税法上いずれかを原則とすべきものと解すべき合理的理由は存しない。むしろこれは、脱税事件における立証方法の適否の問題であって、いずれの方法によれば、実額が正確に把握できるかを、比較検討したうえで、どちらの方法によるべきかを、決するのが相当である。」旨判示したうえ、本件に於ては財産増減法によるのが適切妥当であるとし、財産増減法による各勘定科目を検討して、所得の額を認定した。しかしながら、かかる解釈は所得税法第二三八条一項同第一二〇条第一項第三号の解釈を、誤って適用したものであり、右誤りは、脱税額算出の基礎となる所得金額の算出に影響するものであるから、ひいて判決に影響を及ぼすべき違法となることは明白である。以下その理由について述べる。

二 損益計算法によるべきことが原則であることについて

1 所得税法二三八条第一項は、所得税逋脱犯の実行々為を、「偽りその他不正の行為により第一二〇条第一項第三号に規定する所得税の額につき所得税を免れ」ることと規定している。そして同法一二〇条第一項第三号は、「同項第一号に掲げる課税所得金額につき、第三章(税額の計算)の規定を適用して計算して所得税の額」と規定している。

したがって、構成要件として主要事実となるのは課税所得金額ならびに所得税の額であることは明らかである。而して、課税所得金額の計算については、同法第二章に規定されているところであるが、特に第二節第二款の所得金額の計算の通則として、第三六条以下にこれを明記しており、これによれば損益計算原理により、収入金額から必要経費を差引いた金額をもって、課税所得金額としていることは明らかである。

2 所得税法が、右のように損益計算原理を採用し、これによって課税所得金額を算出すべきものとしている以上、他の計算方法により所得金額を算出することは、租税法律主義(憲法八四条)に違背して許されないものといわねばならない。しかしこの点については、同法はその例外として、同法第一五六条の規定を置き、税務署長が更正または決定をする場合につき、一定の推計方法を用いることを許すものとしているから、損益計算法のみが、唯一許された方法とまでいうことは出来ず、右法条に該当するときは、その例外というべきである。而して、右の場合すなわち法一五六条の場合とは、その規定上明らかに「税務署長のなす更正または決定」について認められるものであり、刑事訴訟手続において課税所得金額の立証に直ちに適用しうるものでないことは、明らかである。したがって所得税法の規定からみるならば、刑事訴訟手続に於て課税所得金額を立証するためには損益計算法によるべきことを義務づけているものと解することができる。

3 ところで、最高裁昭和五四年一一月八日第二小法廷決定は、すでに租税逋脱事件に於ても、間接証拠による認定を、適法とする判断を示している。

しかしながら、右判例は刑事裁判に於ける間接事実による主要事実の推認が許されるとする、一般的な理論を肯定したにすぎず、直接に財産増減法の問題を論じたものではない。したがって右最高裁決定にしたがい、刑事手続に於ても、損益計算法による立証以外の方法によることが許されるという立場に立って、如何なる場合に、財産増減法その他の推計方法が許されるかを、刑事訴訟の諸原則に照し考究しなければならないこととなるが、その前に、行政事件に於て所得税法一五六条による推計が、許される条件について考察してみる。

4 行政事件に於て一般に右一五六条の計算が許されるのは、<1>帳簿書類が存在しないか<2>帳簿書類が不備であるとか<3>納税者が調査に非協力である等の理由により、実額が把握できない場合にかぎると解されており、このような要件を推計課税の前提要件ないし許容条件と呼んでいる。この前提要件については、法令に別段の定めはないが従来の通説判例は、ほとんど例外なく、推計課税が許されるためには右の要件のいずれかを充足することが必要であると解されてきた。ただそれが、法的要件(効力要件)なのか行政指針(訓示要件)にすぎないかについて説が岐れている。国税当局は、従来「更正処分に実額計算による更正処分と推計計算による更正処分という二種類の更正処分があるわけではない。更正処分はあくまで一つであり、推計々算によるか、実額計算によるかは、所得額の認定が直接証拠によるか、間接証拠によるかという事実認定の方法の相違にすぎず、推計課税の要件は、更正処分自体の要件ではない」として行政指針説をとってきた。

しかしながら、行政事件についての大多数の判例は、効力要件説をとり、(例外的に行政指針説をとるものに神戸地裁昭和三七年二月二三日判決がある)その理由として、例えば東京地裁昭和四八年三月二二日判決は、「租税法律主義のもとにおいては、課税標準等の認定は、調査実額によるのが本則であり、推計に基づく課税処分が許されるのは、納税者が信頼できる帳簿その他の資料を備付けておらず、課税庁の調査に対して、資料の提供を拒否するなど、非協力的な態度をとる等のため、課税庁において、直接所得の実額を把握しえない場合に限られるものであって、右の要件を満たさないのに、推計を基礎としてなされた課税処分は、その結果が実額と符合するかどうか等の内容の適否を論究するまでもなく、それ自体違法な処分として取消しを免れないものというべきである。」と判示している。

このような解釈は、法一五六条の法文には必ずしも明示されてはいないけれども、同条の規定内容及び同条の規定されている法典上の位置(第七章更正及び決定の項に規定されている)等に照らし、当然の解釈として是認せらるべきであり、このことは、右更正または決定の当否を争う行政事件に於ても通説判例として是認されているところである。

5 行政処分に於ては、その目的、性質、内容に応じて適正な内容を実現することが要求されるのであり、その当否につき司法判断を求められる民事裁判に於ても、右の目的にそう限度に於て、その立証は一応の蓋然性の程度をもって足りるとされ、近似値計算の本質上、算出された金額が実額を上廻ることも、一応許容されているということができる。

これに反し刑事々件としての所得税逋脱事犯の事実認定においては、実在する所得額を合理的な疑を容れる余地のない程度に立証する必要があることはいうまでもないところであり、民事々件のように、算出された金額が実額を上廻るような推計の方法によることは、絶対に許されないところである。

したがって、逋脱事犯の事実認定にあたっては、所得金額の算出は、あくまで損益計算によることが原則であり、それ以外の方法が許されるのは、損益計算が不可能な例外的な場合に限定されるのであり、かつこれによる場合に於ても、これにより算出された金額が、実額を上廻ることのない保障が必要である。けだし算出金額が実額と一致するときは、まさに実額そのものが認定されることとなり、実額を下廻るときは実額の一部を認定することとなって、ともに実額による認定と言いうるのに対し、実額を上廻るときは、その上廻った分については実在しない架空の所得金額によって、被告人を処断することとなるからである。(東京地裁昭和五五年一二月二四日判決参照)

6 したがって、刑事手続に於て、財産増減法等の推計々算を許容するためには、(1)被告人が調査に非協力であり、(2)帳簿書類が存在しないか著しく不備で、その他の証拠書類等によっても、正確な所得金額の算出が不可能である場合に限られるというべきであり、かつ財産増減法による算出金額が、実額を上廻らないための保障が必要であるということができる。右の通り所得税逋脱事件に於て、その課税所得金額認定のために、財産増減法を用いることを許す場合は、極めて例外的限定的な場合であると解すべきであるのに、原判決はかかる点について何らの顧慮も払うことなく、前記のように「所得計算につき損益計算法によるべきか財産増減法によるべきについては、何れを原則とすべきかについて合理的理由がなく、単なる立証方法の適否の問題である」とし、どちらが実額を正確に把握できるかを比較して決すべきであるとし本件に於て前記のような財産増減法によるべき要件の存否を判断することもなく漫然と財産増減法を採用したことは、明らかに所得税法の前記規定の趣旨を、誤って解した結果に外ならないのであり、重大にしてかつ基本的な誤りを犯すものというべきである。

三 本件に於ては、財産増減法による所得金額の認定を許しえない理由について

本件に於ては、財産増減法による立証が許されないとする理由については、原審弁論要旨一九四頁ないし二一二頁に詳述したところであるから、これを援用すると共に、つぎの点を付加する。

1 本件に於ては、損益計算書を作成するに足る会計帳簿が存し、かつ会計帳簿の不備な点についてはこれを補うに足りる他の証拠が存在する。

(一) 原判決は損益計算法による立証が許容されるためには、右の如き帳簿又は他の証拠の存することが不可欠であるとし、本件に於てはこれらが存在しないから損益計算によりえないことは明らかであると判示する。

しかしながら、そもそも前記のように、所得税法は損益計算法によるべきことを原則とし、財産増減法その他の推計々算を許す場合は、例外的場合としているのであるから、帳簿及びこれを補うに足りる証拠が存する場合には、損益計算によるべきであり、原判決のいうように損益計算法による立証を許されるためには、正確な会計帳簿あるいはこれを補うに足りる証拠がある場合に限られるというものではない。原判決は原則と例外とを逆に考えているのであって、ここに原判決の発想に基本的な誤りがあるというべきである。

(二) 原判決は本件に於てはその収支を証するに足りる帳簿その他の証拠書類が存しないとする事実として、

(1) 病院事務所を通過した収支を記帳した元帳三冊が不完全である。

(2) 被告人自身が事務所を通さずに処理した収支については、これを証するに足りる帳簿類は存しない。

(3) 昭和四九年分の帳簿類については、村田高秋が既に処分しており全く存しない。

との事実を挙げるが(1)の元帳三冊は通常の会計原則に則り日々克明に記帳された帳簿であり、極めて信用性が高いものである。何れの点をとらえて不完全であるというのか、その理由が全く明らかでない。もし一部誤記あるいは記帳洩れがあるというのであれば、これらの点は他の証拠により、一見明白に補正しうる程度のものであり、不完全な帳簿と評価さるべき理由は全くない。

(2)事務所を通さずに、被告人自身が処理していた収支については、なる程原判決の指摘するように帳簿は存しない。しかしながら、昭和五〇年度中に収入した総金額は、極めて正確に計算されていることは、原審弁論要旨二一二頁から二三二頁迄に詳論した通りであり、ここにこれを援用する。総収入が正確に算出されており、事務所の会計を通じた収入も、元帳により明確に算出されるのであるから、これとの差額が、被告人の手許で処理された収入の額であり、その総額の正確であることは論ずる迄もない。

ただ、これから支出した経費については、帳簿はないが、一応そのメモというべき空封筒の記載があり、かつこれを証するに足りる領収証等も存する。また被告人の扱った支出について、弁護人は少なくとも右の如きメモあるいは小切手、手形の半片あるいは領収証その他銀行元帳によって確認できた経費等のみを拾い上げてこれを計上したにすぎないから、領収証を徴しえなかった経費等については、計上洩れとなっているものもあることは十分に予想しうる。

したがって、これら計上不能の経費等を加えると実所得金額は、もっと少なくなることも予想しえないではない。

したがって、もしこれにより算出された金額が、財産増減法によって算出された金額より多い場合には、これら計上洩れと考えることができるのであるから、このような場合には財産増減法による結果が、より実額に近いものということができるであろうか、財産増減法により算出された金額より少ない場合には、財産増減法による算出金額は、実額に遠いものとして排斥されるべきである。理想としてはこの両方法による算出金額が一致すべきであるが、これらが合致しないときは右の方法により、より実額近いものを採用すべきである。財産増減法による計算と対比しつゝ、右の限度に於て損益計算法によるべきであることは、理の当然というべきである。

(3)原判決はまた、昭和四九年度の帳簿が村田高秋によって処分されていることを、損益計算法によりえないことの理由の一つに挙げているが、本件は昭和五〇年度の所得金額の算定について争われているのであるから、昭和四九年度の帳簿の不存在は、全く無関係というべきである。しかるに右帳簿の不存在を、損益計算法によりえない理由の一つに掲げる、原判決には理由のくい違いともいうべき重大な判断ミスがあるということができる。

以上のとおり原判決は、法令の解釈を誤ったため本来財産増減法にはよりえない本件に於て、財産増減法による所得金額を基礎として、脱税額を算出した違法があり、これは明らかに判決に影響を及ぼす違法ということができる。

第二 原判決には理由不備の違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決の理由不備

原判決は、財産増減法による各勘定科目についての判断中に、左記のとおり理由不備の違法があると共に、損益計算法の結果と、大差のある所得金額につき、何らの検討をも加えず、漫然と財産増減法の結果のみに基き所得金額を認定したことは、理由不備の違法があるということができる。

二 財産増減法によりえられた所得金額が損益計算法の結果と対比して過大であるのに、その理由について何らの検討を加えることなく漫然と財産増減法による結果のみに基き所得金額を認定したことは、理由不備の違法があるものといわなければならない。

1 原判決は、原審に於て弁護人が主張・立証した損益計算法による損益の各勘定科目については、直接に何らの判断を示していない。しかし財産増減法による貸借の各勘定科目についての判断の中に、損益の各勘定科目についての弁護人の主張立証についての、判断を示している部分があり、これを総合すると別紙(一)記載のとおりとなる。

これによると、損益各科目中損金であることを否認するものの総計は、三九、〇九五、〇八〇円であり、弁護人主張の損金よりも、多い金額を認定するものの合計は、六五、〇四〇円であるから、総経費額は弁護人主張の額より三九、〇三〇、〇四〇円少ない金額となる。弁護人計算の総経費額は五四三、八〇五、六五八円(最終経費一覧表合計欄右端の金額より昭和五八年一一月二一日付申立書第一項の金額を修正した額)であるから、経費の総額は五〇四、七七五、六一八円となる。さらに原判決によれば昭和五〇年期末の薬品棚卸高が弁護人主張金額より八五〇万円増加するから、これらを差引して、総収入金額より差引いた金額は六八、一五九、七八九円となる。

右金額は、弁護人主張の昭和五〇年度の収入金額が正しいものとした場合、原判決によって損金性を否定された損金を、控除してえた、昭和五〇年度の損益計算の結果による所得金額を示すものである。すなわち、弁護人主張の損金を、原判決の判断に従って、修正した結果の所得金額であるが、この金額は、原判決が財産増減法により認定した一一八、六六九、三一二円より五〇、五〇九、五二三円少ないのである。もし原判決の認定が、正しく昭和五〇年度所得の実額を認定するものであるとすれば、弁護人主張の収入金額が過少であるか、あるいは損益科目の何れかゞ、さらに過大であるかの何れかでなければならない。

2 いうまでもなく、財産増減法によってえられた所得金額は、損益計算の結果と理論上一致すべきものではあるが、それは結果として一致すべきものというにとどまり、損益の実態を示すものではなく、あくまでも間接的補充的な計算結果を示すに過ぎないのである。

ところで所得税逋脱犯の事実認定においては、実在する所得額を、合理的な疑いを容れる余地のない程度に立証する必要があることは、いうまでもないところである。したがって、民事裁判におけるように、一応の蓋然性の程度をもって足り、かつ近似値計算の本質上、算出された金額が実額を上廻ることも許容されるような推計も許されるというものではない。したがって財産増減法による算出金額が、実額(損益計算により正しく算出されるべき所得金額をいう)を上廻ることがないことの保障が必要である。けだし算出金額が実額と一致するときは、まさに実額そのものが認定されることになり実額を下廻るときは実額の一部を認定することになり、ともに実額による認定と言いうるのに対し、実額を上廻るときは、その上廻った分については、実在しない架空の所得金額によって被告人を処断することになるからである。(東京地裁昭和五五・一二・二四判決参照)

したがって帳簿その他の証拠書類により損益計算法により一応の所得金額の算出が可能である場合には、これによりえられた結果と、財産増減法によりえられた結果とを比較して前者の金額が、後者より少ない場合には、その損益計算の各科目の算出方法が誤りであることが検証され、その結果財産増減法による所得金額が、損益計算法による結果に等しいか、あるいはこれより少ない金額となることの検討が必要となる筈である。そのうえで更に財産増減法による真正貸借対照表の各勘定科目の金額が、すべて実額によって算出されているか否か、各勘定科目中に過年分からの持込がないか否か、等の検討が必要とされるものというべきである。

3 本件に於ては、前記1に述べたとおり、帳簿その他の証拠に基き、損益計算法により算出された所得金額が、主張立証されており、その金額が、財産増減法により認定された所得金額より約五〇五〇万円も少ないのであるから、原審としては弁護人の主張する損益計算について検討を加え、その計算の結果が誤りであり、その誤りを訂正すれば、財産増減法によりえられた結果と一致するか、あるいは少なくともこれを下廻る結果となることを確かめた後でなければ、容易に右財産増減法の結果を肯認すべきではない。

原判決は、損益計算法によりえない理由の一つとして、被告人自身が、事務所を通さずに処理した収支については、これを証するに足りる帳簿類がないことを挙げるが、前述のとおり本件PL計算においては昭和五〇年度中に収入すべき金額については、極めて正確に算出されており、右金額よりも実収入が少なかったおそれがあるとは言えても多かったことを疑うに足りる証拠は全く存しないし、検察官もそのような主張をしていない。

経費については、一応証拠により立証しうる金額のみを計上したものであり、領収証その他の証拠が初めから存しないか、あるいはこれが失われたものもあることは、十分に考えられるが、むしろそれは、被告人にとって不利な事実で、もしそれらがあれば、さらに経費の総額はふくらむことも十分に予想しうる。しかし今仮にこれらの点を、全部捨象してみても、前記のとおり、原判決認定の所得金額より損益計算法による金額は約五、〇〇〇万円少ないのである。したがって、原審としては、当然その差が何に起因するかを検討し、少なくとも右五、〇〇〇万円の差額について、納得しうる理由を判示するのでなければ、軽々に財産増減法という、推計々算の結果を信用すべきものではない。しかるに原判決はこの点につき何らの検討も判断も行っていないのであり、明らかに理由不備の違法ありというべきである。

4 さらに前述のとおり推計々算によらざるをえない場合においても、財産増減法は、期首期末の純資産の増減額を算定して、期中における財産の増加額を知ろうとするもので、その増加の原因を、直接に知ることはできないのであるから、期首期末の、資産、負債の各項目について厳密な実額が認定されなければならない。そのためには財産の中に他人の資産、あるいは過年分からの持込資産が混入することは許されないところである。しかるに本件に於ては、後に事実誤認の項で指摘するように、現預金その他の項目に於て、過年度分からの混入あるいは他人の財産の混入を疑わしめる項目が極めて多いのであり、これらの点についての原判決の認定は、極めて安易であり到底厳密な検討を加えたものということはできない。

5 以上二点につき、原判決の理由不備の違法は明らかであり、判決に影響を及ぼす明らかな違法があるというべきである。

別紙(一)

<省略>

第三 原判決には事実誤認があり判決に影響を及ぼすことが明らかな違法がある。

一 原判決が、被告人には、所得税逋脱の犯意があったと認定した点は、事実を誤認するものである。

1 原判決が犯意を認定した論理。

原判決は、つぎの理由を挙げて、被告人に所得税逋脱の犯意があったと認定した。

(一) 自由診療収入分から、二、四〇〇万円を除外したが、これは加藤に対する、昭和四九年及び五〇年の支出金が必要経費に当たらないところから、これを取戻す趣旨で行ったもので、加藤の関与も否定できないが、被告人自から十分承知のうえで行ったものと解される。としその理由として、

(1) 収入の一部除外の動機は、加藤に対する支出金を表に出さずに処理することにあったと認められるが、

(2) 具体的には昭和五一年二月頃、被告人から江頭事務長に対し、帳簿の書替を指示し、帳簿の書替が大変なので、これに反対したが、結局被告人の指示に従い、約二、四〇〇万円収入を除外して申告し、元帳の書替えには同年六月末頃迄要した。

(3) 昭和五〇年中に加藤に支出した一、二五〇万円については、被告人自身、昭和五〇年当時税務申告に必要な出費として支出したものではなく、被告人自身必要経費に当たるものでないことは、十分承知していた。

(4) 右二、四〇〇万円中には、昭和四九年支出分を含むもので、これを昭和五〇年度の申告で処理したもので、税法上許されないものである。したがって被告人の当公判廷の供述を前提としても、やはり不正な方法がとられているといわざるをえない。

としている。

(二) 申告所得額が、実際所得額よりかなり低いものであることを、被告人も十分承知していたと認められること。その理由として

(1) 被告人は、自賠責収入の管理、預金の管理、経費の支払、資金繰等の経理面を、自ら掌握しており、病院の収支についてはかなり通暁していた。

(2) 被告人は、昭和五〇年度の所得も、五、六千万円はあったと供述していること。

(3) 実際の総所得金は、一億一、八六六万円余の多額に及ぶこと。

をあげている。

2 加藤に対する支出金は、必要経費に当たらないことを、被告人も認識していた旨の認定について。

前項(一)の点の認定は、原判決が犯意を認定した理由の骨格をなすものであり、その中心的な問題点は、被告人自身、加藤に対する支出金が必要経費と認められるものと考えていたか否かの点にある。よって以下にこの点を中心として、原判決の結論の不当性を指摘することとするが、その前に、まず原判決が結論に到達するために認定した前提事実の誤りについて述べる。

(一) 前提事実の認定の誤りについて

(1) まず第一に、原判決は、収入の一部除外の動機は、加藤に対する支出金を表に出さずに処理することにあったものと認められると認定しているが、右の「表に出さずに」の意味が、極めてあいまいである。被告人の公判廷に於ける供述によると、二千四百万円を、加藤に対する支出金として経費に計上せず、収入からこれを差引くことにした理由は、加藤が、江頭事務長にこれを知られたくないので、そうしたいと希望したために、このような処理をすることになった(第二九回公判の供述30~35丁)ものである。被告人としては、加藤に対する支出金を、税務署に隠すという目的で、表に出さずに処理しようとしたものではない。この点について原判決の認定の措辞は、当を得ないものと言わなければならない。

(2) また原判決は、昭和五一年二月頃被告人から江頭事務長に対し、「経費がかさんで困っているんだ、自由診療分を何とか出来ないか、二、〇〇〇万円から三、〇〇〇万円の範囲内でしてくれ。」と言われ、江頭は元帳の書替えが大変なので、これに反対したが、結局被告人の指示に従い、約二、四〇〇万円収入を除外して申告し、元帳の書替えには同年六月頃まで要したという事実を認定しているが、右事実の認定も、証拠に照し正確な認定ではない。

<1> まず昭和五一年二月ごろ、被告人から江頭事務長に「経費がかかって困っているんで、自由診療分から何とかしてくれないか」という話があり、金額については二、〇〇〇万円から三、〇〇〇万円という漠然とした話であったことは、江頭の第二五回公判証言に照し一応認められるところである。しかしながら、右のように被告人が江頭に頼むに到った理由については、前記江頭の証言、及び被告人の第二九回公判供述等によると、つぎのとおりであったと認められる。すなわち同年二月頃、被告人が加藤の家で、本年度の申告についての話をした時に、被告人の方から加藤に支出した金員について、「昭和四九年度分については全然経費として計上できていないが、昭和五〇年度分も二、〇〇〇万円以上あると思うが、これをどういう形で経費に計上してくれるのか」と問うたところ、加藤は「それはもういつも言っているように、当然まあ経費として計上できる人件費、交際費とそういう項目で入れて貰ったらよい」と言ったので、被告人は「それじぁあ江頭事務長に加藤の方からそう言ってくれ」と言ったところ、加藤は「それやったら江頭事務長に、加藤に出ている金額が全部分ってしまうから具合が悪い」と言い暫く考えたうえで、自由診療分の収入状況などをただしたうえで、「それなら自由診療収入分から二、〇〇〇万円引いて計算してくれ」と言ったので、「それを加藤から事務長に言ってくれ」と言ったところ、「それは院長から言って貰ったらそれでいいよ」と言われたのである。そこで被告人としては非常に言いづらいが、江頭事務長に頼んでみることにしたが、それが加藤に渡した金員の経費に該当するものであることを、あからさまに江頭に言うわけにはゆかないため、「経費が嵩んで困るので何とかして貰えまいか」と極めて漠然とした言い方で頼んだものである。

ところがこれに対し、江頭は、帳簿の書替えは大変なことであるという理由で、これを渋ったのである。そして江頭は、五〇年度の申告の打合せを行った時、すなわち五一年三月十三日には、正規の帳簿に基いた、正しい自由診療分の金額を計算して、院長に提出しているのであり、その時点では帳簿の書替えは行っておらず、申告後に六月迄かかって書替えたものである。申告後に、改めて被告人が、帳簿の書替えを江頭に指示したという事実はない。

<2> また三月十三日の打合せの際、二、四〇〇万円を自由診療分から差引くことになった事情は、前記各供述によるとつぎの通りである。前述のとおり、江頭は正当な計算を行った自由診療分の計算書を提出したところ、加藤は事務長に、「この計算書は、室料差額、自賠責関係を全部拾ってあるんだな」と念を押したうえ、事務長に対し、「それではここから二、五〇〇万円引いて下さい」と指示したところ、江頭は加藤に対し、「二、五〇〇万円では十二で割切れませんから一ヶ月二〇〇万円の十二ヶ月分二、四〇〇万円でいゝですか」と聞き返し、加藤が「それでいゝ」と返事をしたので、江頭はその場で各月の自由診療分の金額を訂正し、これをメモに記したうえ、後日江頭は元帳を書替えたのである。したがって被告人も同席している席上ではあるが、二、四〇〇万円を差引くことにしたのは、加藤の指示によるものであり、江頭もこれによって申告する以上は、元帳を書替えざるをえないと判断して、六月迄かかってこれを行ったものである。

(3) さらに原判決は、右二、四〇〇万円には昭和四九年分を含むもので、これを昭和五〇年度の申告で処理したもので、税法上許されないものである旨認定し、被告人の当公判廷の供述を前提としても、やはり不正な方法がとられていたものといわざるをえないとしている。しかしながら、右二、四〇〇万円には昭和四九年分も含むものであるという認定は、一体どの証拠によってなされたのであろうか。被告人の前記公判供述によると、被告人は当時、昭和五〇年度中に加藤に対し支出した金員の総額を計算していたわけではなく、ざっとした計算で二、〇〇〇万円以上はあるとの認識を持っていたという(二九回公判33丁)のであり、「その分を今年は何とかしてくれるのか」と加藤に話をしたというのであり、第三十三回公判に於てこの点についての検察官の質問に対する応答をみても(同公判調書25丁)被告人としてはこの二、四〇〇万円は、昭和五〇年度分の経費と考えていたことは明らかである。

原判決は、「被告人の当公判廷における供述によっても昭和五〇年度の加藤に対する支出は、二、〇〇〇万円以上というにとどまり収入除外した二、四〇〇万円よりは少ない訳であり、被告人も昭和四九年支出分もあわせて、昭和五〇年度の申告で処理したいと思ったと述べている」旨認定している。しかしながら被告人が公判廷に於て、昭和四九年支出分もあわせて昭和五〇年度の申告で処理したいと思ったと述べている部分は、原審の公判調書の記載には全く見当たらない。

なる程被告人は昭和五〇年度分については二、〇〇〇万円を下らないという認識であったのであるから、二、四〇〇万円を差引くことは、四〇〇万円分について、余計に差引いたことになるということは言えても、被告人はこの点について、二月中頃加藤の家で話をした時には、二、〇〇〇万円位と言ったか、三月十三日の時点で、加藤が二、五〇〇万円を差引けと言ったのは、それ迄に加藤が自分で計算して、それ位になったのかなと思ったと述べているのであり、(三三回公判供述)被告人の当時の認識に於ては、二、四〇〇万円は、全額昭和五〇年度に加藤に支出した金額であると考えていたものということができる。

したがって被告人は、前年度の支出を、当年度の支出として計上するという認識があったわけではないから、これに反する事実を前提として、不正な方法がとられていたと結論づける原判決の判断は誤りと言わざるをえない。

(二) 被告人は、加藤に対する支出金が必要経費に当ると認識していた点について

原判決は、前項で指摘したように、結論の前提となるべき事実についての認識に基き、被告人も加藤に対する支出が必要経費にあたるものではないことは、十分承知していたと認定している。この結論的認定が誤りであることは、その結論の前提となった事実についての認定を誤っているのであるから、それだけでもその結論的認定が誤りであることは明らかであるが、ここではいわゆる加藤問題に対する被告人の認識について、とりまとめて事実関係を検討することにより、右原審の結論的認定部分が、誤りであることを論証したい。

(1) 加藤俊雄が、被告人と知り合い、病院の税務申告手続へ介入するようになった経緯、及びその手口、実情などについては、原審弁論要旨二五頁~三八頁に記載したとおりであるから、ここにこれを援用する。また昭和四九年度分及び昭和五〇年度分の各税務申告について、加藤の関与した態様経過についても、右弁論要旨三八頁末行から五八頁迄に詳述したので、これもここに援用する。右の事実関係を通じての両者の関係を要約すれば、被告人の加藤に対する誤った信頼を利用した、加藤の詐欺または恐喝的な金銭騙喝取の歴史であるということができる。右の経過を通じてみられる被告人の加藤に対する態度は、余りにもお人良しの行為の連続であり、常識的には一見通常人の理解を超えると思われるものもないわけではないが、しかし何故被告人が数千万円もの金を加藤の言うままに支出したかという理由を、真に理解するためにはつぎの事実を正当に認識すべきであると思われる。

(2) 加藤俊雄は同人の第十一回第十二回第十四回公判の各証言によると、つぎの経歴を有する。

加藤は、呉三津田高校を中退後、一時岡山の協同印刷に勤めたことがあったが、昭和三一年春頃から荒川某の経営する税務経済新聞社(大阪市東区京橋三ノ六〇天満ビル)に入社し、昭和三四年頃から荒川らが出て行ったあとの右新聞社を、税経新聞社という商号で加藤自身が経営することになった。その間昭和三二年に右新聞社の一〇周年記念号の発刊をめぐって、刑事々件を起し静岡地裁沼津支部で有罪の判決を受けている。

加藤が経営することになった税経新聞は、年一回国税局の広報から出る資料をもとにして、税務職員録を発行するのが主たる仕事で、その他不定期に税務解説書等も出していたというのであるが、どの程度のものをどれ位出していたのかは明らかでない。その職員録も発行部数は一〇〇~二〇〇部で非売品であり、その費用は広告収入で賄っていたという。しかもその広告収入たるや、年間三〇〇万円ないし四〇〇万円であり、その過半を職員録の印刷費とし、残りは広告をとった営業マンの、歩合に充てられていたというのであるから、二ないし三名いたという女子事務員の給料、ビルの賃料、加藤自身の給料などは、全く右収入から支弁することができない状態であった。加藤の供述によると、その不足分は被告人からの援助によってまかなっていたというのであるが、昭和四八ないし五〇年頃はとも角、それ以前は、被告人から出させた金員で賄われていたことは考えられず、他にも被告人と同様、加藤の餌食になっていた者が、相当あるのではないかと考えられる。右の経歴からも、ただちに推察しうるように、加藤には税務に関し専門的知識があったとは到底考えられないが、税経新聞という名前を利用し取材等の口実を作って、広く国税当局に出入りして、職員に顔と名前を売り、それを利用して民間企業等の中から広告主を掴え、あるいはこれらの中からいろいろな名目をつけて口ききし、これをネタに金銭をたかる等いわゆる典型的な新聞ゴロとして、生活していたものと推察できるのである。加藤にとっては、被告人は初めからそのようなタカリの対象の一人、しかも有力な顧客の一人であったと思われるのである。

(3) ところが、これに対し被告人は右のような加藤の実態を最後迄知らず、加藤を税務の専門家として信頼し、加藤の言う通りにしておれば、間違いがないものと信じていたのである。被告人の経歴ならびに南堺病院の業況の推移については、原審弁論要旨五頁から一五頁迄に詳述した通りであるから、ここにこれを採用する。

右経歴にみられるとおり、また被告人名義の原審最終陳述書一、二項にみられるように、被告人は真に患者のことのみを思い、日夜診療に励むことのみに専念し、他の世事を省みる暇がなかったのである。ことに税金の申告については勤務医専業当時は勿論、自分で確定申告を行ったことはなく、昭和三五年七月から、上田好治医師と共同で夜間のみの診療所を開設した後も、昭和三五年度三六年度の申告は、何れも、上田医師の友人の税理士に一任しており、被告人自身は全く関与しておらず、昭和三七年度分について、初めて加藤の関与のもとに申告をした時も、原審弁論要旨二六~二八頁に記載の通り、すべて加藤が処理し、被告人は実質上何らの関与もしなかったのである。爾来昭和四八年度迄の申告についても、同様加藤がすべて申告の実務を行い、被告人は、実質的には何らこれに関与することなく過ぎてきており、その間税務署からの調査に対しても、すべて加藤がその衝に当って解決してきたのである。しかし被告人にとっては、それがどのような接渉により、どのように解決されてきたのか、その実態を全く知ることもなくその間約十年間税務申告は加藤に一任のまま過ぎてきたのである。しかもその間、加藤に対する謝礼は、申告の都度五万円か一〇万円位を封筒に入れて渡すだけですんでおり、(第三〇回五三丁)それ以外何の要求もなかったのである。したがって、被告人としては、加藤を税務の専門家として信頼し、税務申告についての一切を任せてきたことは決して無理からぬことであった。だからこそ被告人は加藤に気を許し、昭和四一年春頃堺市高松所在の分譲地に住居を移した時に、加藤も一緒に移転し、隣り合わせに居住して親しく交際することになったのである。

他方昭和四五年一二月八日大野芝診療所が火災で焼失し、この頃から被告人は病院建設に向けて具体的な計画に入ったのであるが、これを知った加藤の態度は、徐々に変化し、被告人を喰い物にしようという計画を、ひそかに進めていたものと推測される。まずその手始めに、加藤俊雄の兄幸雄が、和歌山相互銀行を昭和四六年九月に病気のため退職したのを機に、同人を事務長として雇ってほしい旨要請し、同人と同人の元部下であった増井利行を、医事会計係として送り込むことに成功し、病院経理の中枢を押さえることとなり、その後の税務申告は、加藤兄弟と増井の手によって行う仕組にし、申告に当っては、被告人の三文印を使って申告書を作成提出するという状況となったのである。また加藤はその頃から、被告人に加藤自身を、病院に在籍させて給料を支給し、かつ健康保険の適用を受けられるよう要求してこれを実現するなど、(その事実関係については原審弁論要旨二九~三〇頁を援用する)着々と病院内に自己の勢力を張り、病院を喰い物にする基盤を作っていったとみることができる。しかし、昭和四六年四七年当時は、申告時の謝礼として、要求も五〇万ないし一〇〇万円程度で、それ以外の要求も多額のものはなかったのである。(第三〇回五六丁)

(4) 加藤が被告人に対し、税務対策費という口実で、多額の金を要求し出したのは、病院の工事が始まりかけた昭和四七年秋頃からである。その口実は

「病院になれば、規模も大きくなりそれにしたがって税金の申告額も大きくなる。その時にこちらの言い分を最大限認めて貰うためには、自分のようなキャリアがなければならないし、普段から幅広い交際が必要だ。そのための交際費を持たせて貰わないと困る」

というふうな言い方であった。そのように、一方では自分の身内を内部に入れて経理面を固め、被告人が病院建設をして、これから病院の規模を拡大しようという時期を見計って、言葉巧みに、交際費名目の金銭を要求し出したのである。

被告人としては、それ迄の経緯から、加藤を信頼もしており、一応筋の通った言い方でもあったし、当初はそれ程大きな金額でもなかったので、加藤の言うなりに出金に応じたのである。

被告人としては、当時経理または税務面の知識は、皆無と言っても良い状況であり税務申告の一切をあげて加藤に一任するなど全面的に信頼していたので、加藤の言を深くも考えずに信用して、その甘言に乗ることになったものとみることができる。

(5) ところが、昭和四八年頃になると、その金額は次第に増えて年間七、八〇〇万円位となり、被告人としてもそろそろこれはおかしいぞと感じだしたのであるが、特に大きな疑問を持ったのは、昭和四九年二月頃であり、そのきっかけとなったのは、つぎのような事実があったことによる。その頃病院の建物の引渡しをめぐり、銀行からの融資が難行し、今月の資金繰りにも困っている時に、加藤が病院にやってきて、交際費の支出を要求した。これに対し被告人は今はそれどころの状態ではないことを説明して、これを拒否したところ、加藤は、「自分の言う事を聞けないなら、今後一切病院から手を引く。これ迄は院長の都合の良いように申告をしてきたが、今後税務署がどういう事を言ってきても、自分が出て説明をするということはしない。税金は五年前に遡って調べられるし、自分なら説明のつくところも、説明はつくまい。そうなったら病院は困るのではないか。また調査に来られれば随分時間がとられるし、そうなればその間、院長は仕事ができなくなるぞ。自分の貰った金は、領収証を出していないから、これも税務署は経費とは認めないぞ、そうなればたちまち院長が困るのではないか」と言い、あたかも加藤が手を引けば、すぐにでも税務署の調査をうけることになるぞ、と言わぬばかりの脅しをかけたのである。

被告人としては、全面的に信頼して長年税務申告を一任してきた加藤が、今になって手を引けば、直ちに税務署の調査を受け、それに対しては院長では説明の出来ないものがあるぞと言われ、かつそのために時間も沢山とられるうえ、加藤に支出した金も領収証がないから最終的には経費としては認められないことになるなど(その当時被告人としては加藤に出した交際費名目の金は経費として申告されていると信じていた)忽ち税務面で大きな問題にぶつかることになるおそれがあることを知らされ、かつそれに対し、一体どのような申告がされているのかその内容すら知らず、これに対応するための何らの知識も経験もないところから、大きな不安と、いわれなき恐怖を感じたとしても、決して無理からぬものがあったというべきである。被告人がもし、それ迄の税務申告の際、少しでもその内容にタッチし申告内容についての認識があったのであれば、申告の正当性についての自信も持つことができたであろうし、そうであれば、この程度の脅しに容易にのることもなかったのであろうが、被告人はそれ迄の申告内容について、全くタッチしていなかったため、すべてを一任して任せ切っていた加藤から、あたかも過去の申告について問題があるかのように言われ、それを税務署につつかれても加藤は一切知らぬそうなれば院長が説明しなければならないことになるが自分ではとても説明が出来ないことになると言われれば、ただでさえ税務知識のない被告人としては、これは大変なことになると感じたのは、当然のことと思われるのである。信頼し切っていた者からの、突然の裏切りとこれに伴う思わぬ難問の到来をほのめかされて、怖れを感じない者は少ない。しかも当時被告人は、病院の完成を間近に控えて、金繰りの面で大変な苦労をしていた時期でもあり、かつは医療法人の申請を真剣に考えていた時期で、もし加藤のいうような事態に陥った場合に銀行からの融資をうる面や、行政当局の医療法人の認可に与える影響は計り知れない程大きく、そうなれば、折角の病院建設の完成ならびにその後の病院運営にも、重大な支障となることなどを考え併せると、今ここで加藤の言い分を拒否する判断は到底できず、困難な資金繰りの中から、加藤の言う交際資金の支出に応ぜざるをえなかったのである。

(6) このような事実があって、それ迄加藤に対して抱いていた被告人の信頼は大きく揺らぐことになったのであるが、実はそれ以前に起ったつぎのような事件があり、事件の当時は気がつかなかった加藤への不信感、あるいは何をされるか分からないという恐怖感を、改めて感じ出したのである。その事実はつぎのような事実であった。

昭和四八年の夏、看護婦の一部が、法外な給与ベースの引上げ、夏期手当の高額支給、休日及び夜間診療の廃止、業務時間の短縮等の要求をかかげて、総員十二・三名の看護婦のうち八名が、職場を放棄し、看護婦寮からも姿を消すという事件が突発した。被告人としては、突然の出来事で、直ちに診療に支障を来たすのと、その状態が何時迄続くか分からないので、臨時に手伝ってくれる人を総動員して、取敢えずの診療を続けながら、八方手を尽くして看護婦の居場所を探したのである。ところがその夜夜診が終った頃、加藤幸雄が「この件の収拾については自分に一任してくれ」と言い、自分以外の者では収拾出来ないと言わぬばかりの自信に溢れた態度で申し入れてきた。また翌日加藤俊雄が診療所に顔を出して、「大変な状況になったものだ」などと言って、如何にも被告人に同情するような様子であった。ところが昼頃になって、従業員の中から当の看護婦達の居場所が分かったとの報告が入り、被告人は直ちにその場所、すなわち職員宿舎用に借りていた堺市福田一〇八四の二にある四DKの建物二戸に赴き、説得して連れ戻したのである。その時の看護婦達の話から、後日判明したところによると、加藤幸雄と増井利行(前述加藤幸雄の旧部下で同人の紹介により採用した)らが、あらかじめその計画や隠れ場所を知っていたのであった。

その後右看護婦のうちの小グループが、再度ストライキをし、三日間職場放棄をするという事件があり、そのリーダー格であった看護婦二名が退職したが、その際被告人に、「加藤兄弟にはくれぐれも気をつけて下さい」と言い残して去って行ったのである。(以上の事実は当審に於て立証する予定である)

右のような事実に加え、加藤幸雄を事務長にしろという加藤兄弟の要求も、日増しに激しくなったが、被告人としては、右の事実や、加藤幸雄の勤務態度、弟である俊雄の前記のような豹変ぶり等から、加藤兄弟に対する警戒心と不安感とを募らせて行ったのである。

(7) その頃、すなわち昭和四九年二月、病院の建物が完成して、南堺病院として発足した。その時点で被告人としては、加藤兄弟と増井の三人が会計と税務を担当することはよくないと考え、病院経理の経験者で、事務長として押えのきく人を求めていたところ、各地の国立病院の事務長の経験を持ち、当時国立大阪病院の検査学校の講師をしていた江頭伝之を知って、これを事務長として迎えることになった。しかし江頭の方の都合で、昭和四九年一年間は、取敢えず週一回出勤の、非常勤事務長として事務をみて貰うことになった。被告人が、江頭を事務長に据えた理由は、病院になると同時に、医療法人の認可申請の準備をしなければならず、そのためには経理も病院経理の原則に則った公正なものにする必要があり病院経理に長年の経験を持つ江頭が是非必要であると同時に、加藤兄弟らに対する、押えにもなってもらいたいという気持があったのである。

(8) ところが、昭和四九年中は病院発足直後のことでもあり、人員設備の拡充、その他の業務に忙殺されたこと、江頭事務長は週一回の勤務で、真に事務局の要としての役割を果たすことができないなどの事情もあり、早急に加藤兄弟の問題を解決することは、困難な状勢であったこと、同年七月には加藤の紹介によって、津村税理士を顧問に迎えたことなどの事情から加藤に対する不信感を抱きながらも加藤に頼らざるをえない状況に置かれていた。ところが昭和四九年末には増井が辞め、翌五〇年二月には加藤幸雄が辞め、これを不満として加藤俊雄は、今年は自分は税務申告のことは知らんと言われ、被告人と江頭とが苦労して申告の準備をし、一部差額ベットの取扱いについて、加藤の指導を受けて申告を済ませたのである。したがって、この時期が後から考えれば、加藤と手を切る一つのチャンスであったということができる。

(9) そこで被告人は、昭和四九年度の申告が終った昭和五〇年四月頃江頭事務長と共に府庁を訪れて、医療法人の認可をうるための指導を受けたところ、病院発足後二年前の実績が必要であることが判った。そこで被告人は、加藤問題を含めて、今後の経理問題について江頭事務長と相談したところ、江頭はあと一年待てば法人にすることができるから、その時は税務面を含め、経理の顧問として上西公認会計士を迎え、これを理由にはっきり津村税理士及び加藤と手を切ることにしましょう。それ迄は、大事な時期であるから、加藤といざこざをおこさないようにした方がよいと言われ、被告人もその意見に従うことにしたのである。

(10) 被告人が、江頭を事務長に迎え、加藤の干渉介入を排除しようとしていること、そのために加藤の金銭的要求にも、なかなか応じようとしない態度を示し始めていることは、当然加藤もこれを察知し、あらゆる手段を弄して、それ迄通りの金をせしめようと図ったのである。まず加藤は四九年度の税務申告は、俺は知らんと言って突き放せば、院長は頭を下げてくると見ていたが、そうではなかったため、今度は一転して「昭和四九年度の申告を放置したのは済まなかった。昭和五〇年度分は、津村税理士の実務担当者として、すべて自分が責任をもってやるから任せてほしい」と申出て、被告人の歓心を買って接近してきたのである。被告人としては、前述の江頭の勧告もあり、もう一年の辛抱と思って、加藤の申出を敢て拒否する態度には出なかったのである。このような経緯であったから、被告人としては成可くなら、加藤の要求を最少限度に押さえたいと思うのは当然のことであり、加藤の申入れを拒否したことは再三であった。しかし加藤は、その都度まことしやかな口実を作って金の支払を要求し、被告人がこれに応じないときは、被告人につきまとって診療が出来ない状態に置いたり、自分の家に呼びつけて、夜遅く迄執ように要求するようになった。被告人としては加藤の口実については、全部が全部嘘であるとも思わないが、それよりも長時間にわたって執ように言われるため、診療に差支えること、さらにはこれを断れば、どんな報復を受けるかも分からないという不安があること。(税務面だけでなく看護婦のストライキを煽ったりするおそれも、十分に考えられた。)法入申請をするためには、来年春迄事を起こしたくない気持ちなどから、病院の、より重大な損失、困難を防ぐために、致し方がないと考えて、渋々これに応じてきていたものである。したがって昭和五〇年度中に、加藤に支出した金の名目口実中には、税経新聞社の移転費用分担金などという、南堺病院の業務とは無関係なものもあるが、被告人にとっては、これらは単なる口実にすぎないものであり、要するに、これを断れば、病院経営に対して、如何なる妨害、あるいは攻撃を受けるかもしれない危険を避けるための巳むをえない出費と考えて出金したものである。すなわち、加藤に出した金員の一部は、加藤の税務に関する報酬またはこれに必要な経費であり、その余は病院の診療行為に、不測の支障を生ずるような事態を避け、かつ医療法人認可に支障を来さないための、巳むをえざる出費としての性格を持つもので、少なくとも病院経営とは無関係の被告人個人の私的な出費ではない。したがって、これらは病院経営のために必要な経費であると認められるべきものであり、当時被告人もそのように認識していたものである。勿論当時被告人としては、税法上の知識は殆ど皆無に等しい状況であったから、明確に右のような認識までは持っていなかったかとも考えられるが、被告人が税法の専門家と考えていた加藤も、これは当然経費として認められると言明していたので、少なくとも経費に認められるものであることについては、寸分の疑を持っていなかったものである。

3 申告所得額が、実際所得額よりもかなり低いものであることを、被告人が認知していた旨の、原判決の認定の誤りについて

(一) 被告人は病院の収支について可成り通暁していた旨の認定について

原判決の認定のように、被告人は、銀行口座の一部自賠責関係、室料差額中現金として収入するもの等、収入の一部を直接管理していたことは事実であるが、それらは収入の一部にすぎず、かつ支払についても、医師に対する特別の給与、薬品の仕入等、医師が直接タッチしなければならないものについて、関与していたに過ぎないもので、これまた経費の一部にタッチしていたに過ぎない。したがって、被告人は、保険関係を含めての総収入がいくらで、総支出が幾らであるか等についての認識があったとは到底考えられないのである。特に税法上の所得金額の算定のためには、各種資産の減価償却の計算等も必要であり、それらの金額によっては大きく所得額も異なってくるのであって、それらについて被告人が、正当な認識を持っていたと認められる証拠はない。被告人としては、前述のとおり昭和四八年度の申告迄は、全部加藤に任せ切りで、各年度の所得金額がおよそ幾ら位であったかすら、認識がなかったものである。ただ昭和四九年度分は、被告人と事務長とで、初めて所得金額の計算をしたのであるから、その計算によると、昭和四九年度の所得金額が、六二六万円余となったことについては認識があったというべきである。而して被告人としては、昭和四九年度の申告については、正しく申告したという確信を持っていたのである。(収入より五〇〇万円を差引いて申告した事実はあるが、これは差額ベット数の取扱について、病院側で最も不利な案で申告するのであれば、そうしてもよいとの加藤の指示に従ったもので、それは正当な取扱いであると信じていた。)昭和四九年は同年六月から病院のベット数は五〇年度と同様一〇〇床になっていたこと、病院の収入は概ね入院患者数によって左右されるものであること等の常識的な判断からすれば、昭和五〇年度の総収入が昭和四九年度より若干多くはなっても倍を超える程の収入があったと迄は到底考えられなかったところである。したがって昭和五〇年度の所得金額として昭和四九年度の所得金額の倍以上の一三、八三九、二三二円を申告したのであるから、被告人としては、昭和四九年度の申告と比べても、右金額は過少な金額であるという認識をもっていたものとは到底思えないところである。右金額は被告人が集計に約一千万円の違算に気がつかず、結果としてそれだけ低い金額で申告してしまったことになるのであるが、被告人が右の違算に気がつかなかったのも、昭和四九年の金額に比し、右金額が過少であると気が付く程少ないものでないことが、一つの理由ではなかろうかと考えられる。

右のように、被告人は、病院の経理の一部については、直接これにタッチしていた事実はあるが、病院全体の経理について通暁していたという程のものではなく、また年に一度の総決算ともいうべき税務申告についても、昭和四八年度迄はすべて加藤任せで、全くこれに関与していなかったこと、さらに被告人が、初めて直接申告にタッチした、昭和四九年度の申告額に比し、昭和五〇年度の申告額は約二倍で、病院発足一年目の、四九年度と二年目の五〇年度とでは、入院患者数、許可ベット数等に左程大きな変動がないこと等から考えると、右申告額が、過少に過ぎると認識していたとは到底考えられないところである。原判決はこれらの点を看過し、被告人が病院経理の一部に通暁していたとの一事をもって、昭和五〇年度の申告が過少なものであることを認識していたと速断したことは、重大な誤りである。

(二) 被告人は昭和五〇年度の所得も五・六千万円はあったと供述している旨の認定について

(1) 原判決の右認定は、被告人の検察官に対する昭和五四年三月八日付供述調書第七項の供述記載を証拠とする認定と思われるが、三月九日付検面第二項では右金額を四、〇〇〇万円位と訂正しており右訂正の部分だけが信用できないとする、格別の理由もないのであるから、もし検面調査の供述を証拠として認定したのであれば、被告人の認識していた所得金額は四、〇〇〇万円と認定すべきところであり、原判決はこの点に於ても、証拠をよく検討していない欠陥を露呈するものということができる。

(2) ところで、被告人が検察官に、五〇年度の所得について、当初五・六千万円位あると思っていた旨の供述をした状況は、次のとおりである。被告人としては、検察官から、申告当時どれ位の所得があると考えていたのか言えと問つめられ、当時としては申告書のとおりであると思っていた旨答え、少くとも、脱税と言われる程の所得の差があるとは思ってもいなかった旨答えた。しかし検察官は、査察が調べたところ、九、三〇〇万円にものぼる大きな脱税をしたことから考えて、そんなことは考えられない。所得がいくら位であろうと考えていたかについて、正確に言えないにしても、頭の中でザット計算してみて、どれ位の所得になると思っていたのかを答えろと言われ、被告人としては頭の中で申告額一、三八〇万円、違算分一、一〇〇万円、減価償却分約二、一〇〇万円、合計四、五八〇万円になりますから、それ位の所得があると考えていたのでしょうかと答えたところ、加藤の分一、二五〇万円があるだろう、それを加えると幾らになると聞かれ、それは経費になると思いますと、反論したが検察官に、それは認められない、したがってそれを加えると約五、七八〇万円になるだろう。だから加藤の分を加えると約六、〇〇〇万円加藤の分を除くと約五、〇〇〇万円、ざっとそれ位であったと考えていたのだろうと言われ、やむなくこれを承知したのである。右の答弁をした当時、被告人は減価償却費は、それだけ財産が残るのだから、利益になると錯覚して、右のように述べたのであるが、検察官はその結論部分だけをとって、五・六千万円と記載したのである。ところが病院に帰って皿山税理士に聞いてみると、減価償却費は利益ではなく経費であると言われ、それなら右五・六千万円という数字を訂正しなければならないと考え、翌日の調べの際に五~六千万円と行ったのは、三~四千万円の誤りであるから、訂正してほしい旨申入れたところ、四千万円の数字だけをとって、四千万円と訂正する調書をとり、その理由として「所得というものについて一部私が錯覚していましたから」と記載したのである。右の錯覚とは、前記のような被告人の錯覚をいうのであるが、検察官はこれを具体的に書かず、右のような抽象的な記載にとどめたのである。

しかしながら、いずれにしても、四千万円、あるいは五・六千万円という数字自体については、申告当初そのような認識があった訳ではなく、取調べの段階で、無理にこじつけた、極めて大雑把な数字であり、これをもって当時被告人は、実所得額が四千万円あるいは五~六千万円と、認識していたと認定する証拠とはなし難いものといわなければならない。

したがって、被告人の検面供述の記載を根拠に、被告人が当時申告額よりも、相当多額の所得があったと認識していたとする認定は、事実を誤認するものである。

二 原判決が、一、一〇〇万一、二〇〇円の違算につき、これが単純な誤記誤算の結果であって、犯意が存しない旨の弁護人の主張を排斥したことは、明らかな事実誤認であり、判決に影響を及ぼすことが明らかな違法がある。

1 誤算の生じた経緯について

昭和五〇年度支出計算書記載の支出合計額と、各支出費目の実際の合計額との間には一、一〇〇万一、二〇〇円の差額があることは、原判決もこれを認めるところである。ところで右の差額が生ずるに到った事実の経緯については、原審弁論要旨一二〇頁ないし一二七頁に詳述した通りであるから、ここにこれを援用するが、なお簡略に事実を摘記すれば、つぎのとおりである。

昭和五一年三月十三日夜、院長室に江頭事務長、被告人及び加藤が集り、江頭事務長は、事務局を経由した経費の一覧表と、収入一覧表を作成し、被告人は事務局を経由せずに、院長が直接取扱った経費を、各費目ごとに集計し、この両者を合せて、昭和五〇年度支出一覧表を作成した。この段階では、支出の各費目ごとに、帳簿その他の証憑書類に基き、正確に計算された金額が記載され、その合計額にも違算はなかった。被告人はそこで作成された収入一覧表、支出一覧表並びにその基礎となった集計書類と、申告書の用紙並びに、支出一覧表の費目名のみを記載し数字を書込む前の用紙のコピー三部を、加藤に手交し、これによって申告してくれるよう依頼した。翌三月十四日は日曜日であったが、翌々日すなわち三月十五日の朝加藤が来院し、加藤は院長に対し、十三日夜同人に手交しておいた、支出一覧表の集計に計算間違いがあった、違算部分を訂正しておいたので清書するように言いながら、加藤が自分の筆跡で違算を訂正して書直したという、支出一覧表を被告人に手渡したのである。被告人は、したがって右一覧表は単なる計算違いを訂正しただけのもので、前々日の支出一覧表と、中身は同一のものであると信じ、単に機械的にこれを書移し、これを本件申告書に添付して申告したものである。

ところが、本件申告書に添付されている「昭和五〇年度支出計算書」によると、その合計額は金五〇五、八三七、九二三円と記載されているが、各費目ごとの金額を合計すると、その金額は四九四、八三六、七二三円となり、そこに一一、〇〇一、二〇〇円の違算があることが明らかである。しかし被告人としては、右のとおり、加藤の示した計算書を、単に機械的に書写しただけであったから、右違算に気づかずに、そのままこれを添付し、支出の合計を、五〇五、八三七、九二三円として、申告したものである。

右の違算があることは、同年五月中頃、江頭事務長が医療金融公庫への事業報告書提出の際に、もう一度右計算書を検算して発見し、これを被告人に報告した。被告人は、早速加藤に電話し、計算違いがあるようだから、早速税務署へ報告して、善処しておいてくれるよう依頼したところ、加藤は、近く税務署へ行く用事があるから、その時にちゃんとしておくから心配いらないと言ったので、被告人は安心していたのである。(第三〇回供述13~16丁質問てん末書93号問八)

違算の点に関する事実の経過は右の通りであり、これに反する事実を認むべき証拠は全くない。

2 違算について被告人に故意がないことについて

右の事実関係からみれば、被告人が申告当時、故意に合計額を一、一〇〇万一、二〇〇円多く記載したという事実は勿論、違算があることに気がつきながら、敢てこれをそのままにして、申告したと認めるべき証拠も、合理的な根拠も全くない。このような単純な集計ミスは、税務署に於ては再計算すれば、直ちに誤りであることが判るのであるから、そのようなミスを、故意に見逃して申告するとは、到底考えられないからである。したがって、違算の点については、被告人は全く気がつかずに、本件支出計算書を提出したものと認めざるをえないのである。しかるに原判決は、この点について誤記誤算である旨の、被告人及び証人江頭の各供述は、到底措信できないと判示する。しかし原判決も、客観的に明白な誤算があることは認めているのであるから、もし、この点についての、被告人及び江頭の各供述を、措信しないというのであれば、右の誤算が、いかなる事実の経緯によって生じたのかという点について右と異る積極的な事実を認定するかあるいは故意に違算のまま申告したと考えられる合理的な理由を判示しなければならないと思われるのに、何らそのような判示がなく、単に前記証言を措信しないというのみである。

原判決のこの点の証拠判断は、何ら合理的な理由がなく、明らかに誤りであると言わざるをえない。

3 原判決のその他の理由について

(一) 原判決は、違算の点に犯意が存しないことを排斥する理由として、前記のほかつぎの理由を挙げている。

<1> 本件の申告においては、明らかに収入の一部除外が、被告人の指示で行われている。

<2> 経理面は、被告人が自から掌握していたこと。

<3> 申告前日までに、被告人の予定する申告収入額支出額が計算されており、当然申告予定所得額も判明していたと解すべきであり、その数字より一、〇〇〇万円以上も低い申告所得金額を、被告人が全く看過していたものと、解することは不自然であること。

<4> 原判決認定の実際総所得金額から考えると、申告支出額が実態から著しく遊離していたことは、被告人自身十分熟知していたものと解するのが相当であること。

(二) しかしながら、原判決の挙げる前記理由中、<1><2>及び<4>は何れも、被告人に脱税の犯意があったか否かについての、判断の理由とはなりえても、違算の点に、故意があったか否かの点について、これを肯定する理由となりうるものではないし、そもそもかかる認定が誤りであることは、前記一に於て詳述したところから明らかである。特に前記<4>のうち、申告支出額が、実態から著しく遊離していたことは、被告人がよく熟知していた云々という点は、一体何を根拠にこのような認定が出来たのか、理解に苦しむところである。

原判決はその認定した実際総所得金額と、右申告支出額とを比較すると、右支出額が著しく遊離しているというのであるが、原判決の認定した所得金額一一八、六六九、三一二円と、右申告にかかる支出金額五〇五、八三七、九二三円とを単純に比較してみても、それだけでは右申告支出金額が、実態から著しく遊離しているという判断は、全く出てこない筈である。原判決のように、右申告支出金額が、実態を著しく離れたものであるというためには、総所得金額の算定に当って、実際の支出金額を算定し、これと比較しての判断がなければならない筋合いである。しかるに、原判決は、財産増減法によって所得金額を認定しているのみで、総収入金額や、総支出金額、あるいは個々の支出金額を、認定しているわけではないから、申告支出金額が、実態から著しく遊離しているか否かを比較するべき支出金額の実態は、明らかにされていないのである。したがって右のような結論を出しうる筈はないのである。これに反し、弁護人が、原審に於て主張立証した損益計算法による支出金額の総額は、五四三、八八九、一六八円であり、その中から原判決が経費であることを否認するものを除いた、総経費額は前記のとおり、五〇四、七七五、六一八円である。したがって、これと右申告に当って算出された、申告支出金額との差は極めて少ないのであるから、申告支出金額が、実態から著しく遊離していた旨の認定が、誤りであることは明らかである。原判決の右認定は証拠に基かない独断というほかはない。

(三) また前記<3>の、申告前日までに申告予定所得額も判明していたと解されるから、その数字より一、〇〇〇万円以上も低い申告所得金額を、被告人が全く看過していたものと解することは不自然である旨の認定についても、つぎの理由から到底左袒するわけには、ゆかない。

(1) まず三月十三日(申告の前日ではなく前々日である)の夜院長室で算出した金額は、総収入金と、総支出金額のみであり、これに引続いて更に申告所得額迄計算したわけではない。申告所得額を算出しこれにより納付すべき税額等を算出して申告することは、加藤に一任したのである。したがって、被告人が三月十三日に、目にした金額は、総収入金額と、その内訳、総支出金額と、その内訳だけであり、これから算出されるべき、所得額がいくらになるかは、全く知らなかったものである。すなわち所得額を計算すべき資料を、加藤に提供したのみであったから、申告所得額が、いくらになるかという点について、三月十三日夜の段階では、被告人は全く認識がなかったものである。

(2) 三月十五日の朝、加藤が被告人に清書を命じた時に、加藤が言った言葉は、「事務長が普段偉そうなことを言っているが、集計の計算が間違っているよ」ということだけで、幾ら間違っているかということは言っていないのである。加藤は、三月十三日夜、事務長と被告人とが計算して算出した、支出金額一覧表の、適宜な科目に、勝手に増減を加えて、これを変更し(ただし総合計の金額は、略々原案の金額に近い金額であった)て、書替えたのであるが、その際加藤は、その金額の集計に於て、一、一〇〇万一、二〇〇円の計算違いをしたものである。したがって、加藤自身は、自分の計算に、右のような違算があることは、当時気がついていないのである。したがって、一、一〇〇万一、二〇〇円の計算違いがあったと、被告人に告げる筈はないのである。被告人は、加藤から単に前々日事務長のした支出金額の集計に、違算があったと告げられただけであり、税務の専門家であると信じている加藤に、そのように言われてみれば、それを疑う余地もなく、信じて清書したであろうことは、十分に推認しうるところであろう。

(3) もし仮に、原判決認定のように前々日の計算の結果として、約二千四百八十万余円(申告額一、三八〇万円に違算額を加えた金額)が課税所得になるという計算が出ていたとしても、専門家であると信じている加藤が、前々日の計算には違算があったから、これを修正しておいたよと言われれば、まさか違算を指摘する当の本人が、違算をしているとは考えないのが自然で、何の疑問もなく、これを信じたとしても、決して無理からぬところである。原判決は前々日の計算の結果として、昭和五〇年度の所得金額が出ていた筈であるから、これから更に一、一〇〇万円も低い所得金額になることを、全く看過していたと解することは、不自然であると言わねばならない。もし仮に、被告人が前々日の計算の結果、昭和五〇年度の所得額が実申告額の一、三八〇万円に違算額を加えた約二、四八〇万円と出たことを、認識していたとしても、その金額が正しい筈だという認識、あるいはおよそそれ位の金額になる筈だという点について、他に何らかのよりどころがあったというのであれば、これより約一、〇〇〇万円も少なくなる計算に疑問を持って検算してみるということもありえようが、もともと被告人には、昭和五〇年度の所得がいくらになる筈だという認識などありえよう筈はないし、また前々日の計算の結果が、二、四八〇万円であると認識していた、と認定しうるに足りる証拠もないのである。

したがって税務の専門家であると信じていた加藤から、違算があったのを修正した結果、こうなったと言われれば、前々日の数字よりも一、〇〇〇万円以上も低い金額になるという認識すらなしに、出された計算の結果を信用して、単にこれを清書したとしても決して不自然ではない。

(4) 仮に被告人が、加藤の計算結果に違算があることを認識しながら、故意にその支出計算書を作って提出したものとすれば、それはまさしくお話にならない愚行というべきものである。専門家が計算すればすぐその違算に気がつき修正の申告をしなければならなくなること位は三才の童児も之を知りうる筈である。そんな馬鹿げたごまかしをするとは到底信じられないところである。もし原判決のように被告人のこの点についての供述が信用できないというのであれば被告人が何故そのような馬鹿げた申告をしようとしたかの点について首肯しうるに足りる理由を示すべきであろう。この点について何らの判断を示すことなく単に措信できないの一言で切り捨てていることは原判決の自信のなさを示すものというべきであろう。

三 まとめ

以上のとおり原判決が被告人に脱税の犯意があったと認定した部分および支出金額について一一、〇〇一、二〇〇円の違算があった結果その分だけ過少に申告する結果になった点につき被告人の犯意を否定した部分はいずれも著しい事実誤認であり判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第四 原判決には各勘定科目の事実の認定に誤りがありその結果逋脱額について過大の額を認定した違法がある。

弁護人は前述のとおり本件に於ては財産増減法による立証は許されないと考えるのであるが、原判決は財産増減法により総所得金額を認定しているので一応これに従って右財産増減法による各勘定科目についての原判決の事実誤認を指摘し、かつ原審に於ける損益計算法による勘定科目にも関係する原審の判断の誤りについて以下に述べることとする。

一 現金の事実誤認について

1原審における現金勘定科目の争点は、期首現金のうち、被告人個人が管理していた手許現金は二〇〇万円であるという検察官の主張に対し、弁護人被告人は右手許現金は五〇〇万円であったから所得計算上三〇〇万円減額さるべきであると主張していた。

右に対し原判決は次のとおり判示して検察官の主張をそのまま認容し弁護人の主張を排斥した。

この点についての証拠は、被告人の捜査段階及び公判廷における供述しか存しないので、右各供述の信用性の判断が問題となる。

被告人個人の管理していた期首手許現金について、捜査段階においては次のように供述している。すなわち、収税官吏の被告人に対する質問てん末書(一〇五)では二〇〇万円と述べており、同人の検察官に対する供述調書(一四)においても同旨の供述をしている。更に一〇五には被告人作成のメモも添付されている。

これに対し、当公判廷では五〇〇万円と述べているが、具体的には「五〇〇万円と主張する根拠は、はっきりと資料があるということじゃなくて、その当時それくらいは現実に手持現金として持っておったという信念で申し上げているのです。」

と供述している(第三二回公判)。

更に、前記メモについても、既に検察官の作成したメモに基づいて作成したものであって、被告人の記憶によるものではないと弁解する。

そこで検討するに、前記の如く手持現金については被告人の供述のほかにはこれを認むべき証拠は存しないのであるから、被告人の供述を抜きにして査察官がメモを作成することは到底考えられず、その記載内容からしても被告人のこの点に関する弁解は措信し難く、右メモは被告人の記憶により作成したものと解するのが相当である。更に、手持現金を前後の各期と比較すると、被告人が当公判廷で述べるように期首五〇〇万円と解すると異常に高額で他の期に比べ何故このように高額であったかの合理的説明のなされていない点をも考慮すると、被告人の当公判廷での供述は不自然、不合理といわざるをえず俄かには措信し難い。これに比し、被告人の捜査段階における供述は、他期との比較においても合理的であり、十分信用するに足りるものと解する。

従って、期首の手許現金は二〇〇万円、現金総額は八一五万円であると解するのが相当である。

2而して、前記手許現金の額を認定すべき証拠は、国税査察官の被告人に対する質問てん末書(一〇五)ならびにこれと全く同旨の検面調書及び、被告人の原審公判廷における供述以外にはなく、そのいずれか信用度の高いものに従うことになるのは原判示のとおりである。

ところで弁護人は原審において、前記質問てん末書(一〇五)の内容が信用できない事情について次のとおり弁論した。

(一)財産増減法による立証を目的とする捜査において、捜査官が最も難渋するのが簿外現金及び簿外たな卸の金額確定である。

その理由は客観的にこれを確定する資料がないか、たとえあってもこれによって金額を確定できるほどの有力な資料が乏しいことからおのずから被疑者の供述に頼らざるを得ず、しかもそれは三年以上も以前の一時点における手持現金や在庫量を単なる記憶によって述べさせることになるからである。

従って捜査官が真実発見に良心的かつ真摯に取組もうとするには供述者に十分熟考の時間を与え、できる限り正しい記憶を蘇らせるようにすべきであり、供述者の主張する額が他の状況に比して不合理ではなく供述者において期首現金の額を故意に多く主張したり、期末現金の額を故意に少く主張して増差所得の減少を図ろうとするような意図が見受けられないかぎり、その供述内容は体験者の供述証拠として尊重されるのが筋道である。

(二)本件における現金勘定の争点は、昭和四九年一二月三一日現在における被告人管理の現金のうち、手許現金の額について検察官は被告人の質問てん末書(一〇五、問九)を証拠として二〇〇万円を主張される。

これに対し、被告人は実際は五〇〇万円が正しく、右質問てん末書に添付されているいわゆる現金有高表は被告人作成とはなっているが、池田査察官が作成して来た原稿を引写しさせられたものであって、この表でさえ、昭和四九年一二月三一日現在の手許現金額を当初三〇〇万円と記載されていたのが何ら理由もなく二〇〇万円に書き変えさせられ、訂正印を押捺させられたものであると述べている。

検察官はその論告において被告人の右主張に対し、被告人が供述しないかぎり査察官は推定のしようがないのであるからその主張は信用できないといわれる。(三丁)

果たしてそのように単純に言い切れるであろうか。

(三)本件査察強制調査は、昭和五一年九月二日に行われ、前記05の質問てん末書は、昭和五二年一月二六日に作成されているが、それまでに作成された一四通の質問てん末書では期首手持現金については全く触れていない。

このことは洵に奇異に感じられるところである。

これより約半月前に作成された同年一月一二日付質問てん末書では

問五 あなたはあなたの所得金額を計算する際、収支計算によるか資産負債の差額によるかいずれの方法が合理的と思いますか。

答 私の場合、事務所で管理している分と私が管理している資産の動きが別々であり事務所で管理している収支は正しく処理され記録されていますが、私が管理している分につきましては断片的な記録のみで、継続して記録を残しておりませんので収支による方法よりもむしろ資産から負債を引いた方法による方が合理的であると考えます。

の問答があり、従来行われて来た損益計算法を主軸とする質問の形態がこの時点において急遽財産増減法を主軸とする尋問の形態に切り替えられていることが見受けられる。

当時の被告人は経理会計に関する知識は皆無といってよく後の昭和五四年三月における検察官の取調当時ですら減価償却費を利益と解釈していたほどである。

さきの一〇五の被告人の質問てん末書に次いで作成されている一〇六の質問てん末書の問四には、「当局が調査した結果四八年分の所得金額については、資産から負債を差引きした金額より収益から経費を差引いた金額の方が少なく、(註B/Sによる所得の方がP/Lによる所得よりも多い意)四九年五〇年分の所得金額については、資産から負債を差引いた金額の方が収益から経費を差引いた金額よりも多くなっていますが(註この場合もB/Sによる所得の方がP/Lによる所得よりも多い意となる)説明して下さい。」とあり、このように査察官自身が混乱して問を発しているくらいであるから被告人がこれに対して正常な答弁をすることは不可能であったといえる。

以上の経過から考えると本件期首における被告人の手許現金に関する調査段階における供述は信用し難く、公判廷における供述に従って五〇〇万円と認定すべきが妥当であり、検察官主張の二〇〇万円と認定することは許されない。

蓋し、税務上所得金額の正確な計算方法は損益計算法によって行い貸借対照表によって検算するのが妥当と解せられるところから財産増減法は損益計算法と並んで所得立証のひとつの手段ではあるが財産増減法においては推定計算は許されず被告人の実際所得金額が少なくともこれ以下ではないという最少限度が算出認定できない限り、その立証は十分とは言えないからである。

3原判決は、右弁論に対する見解を示さず「被告人の供述を抜きにして査察官がメモを作成することは到底考えられず」とか「被告人の捜査段階における供述は、他期との比較においても合理的であり十分信用するに足る」と判断している。

しかしながら原判決は、この種事件の調査過程において査察官がどのようにして現金有高を定めて行くかについての認識を全く欠如するものであって、前記質問てん末書(一〇五)末尾添付の昭和五二年一月二六日付村田政勇作成名義の「大野芝診療所及び南堺病院に関する現金有高については次のとおりです。」と書かれた一覧表を見ても、そのうち物的証拠などによって確定できるものは「窓口釣銭用」及び「自賠責収入による封筒に入れたもの」だけで、他はすべて被告人の供述によることが明らかであるが、このような供述は査察官が他の勘定科目の金額が概ね確定した段階で、一応の金額を仮定したうえ被告人に答えを求め、その答えが査察官の思惑と大きく異なるときは、自己の数字を押しつけるようなことは他の事案でよく見受けられるところであって本件においても被告人の供述によれば、昭和四九年一二月三一日現在の手許現金は、最初の指示によって記入した三〇〇万円をさらに二〇〇万円に書き変えを命ぜられたというのであり、右一覧表をみるとなるほど被告人の言うとおり書き変えられ、被告人の訂正印が捺されていることがわかる。

しかも、手許現金は、右変更の結果昭和四八年一月一日も、同年一二月三一日も、昭和四九年一二月三一日も、年末手許現金を二〇〇万円とするような慣行があったわけでないのに、一律にすべて二〇〇万円ということになっており、これが査察官や検察官の主張の根拠となっているのである。

被告人は、査察官から手許現金有高を尋ねられたとき、正確には覚えていないが昭和四九年末はかなり多かったと答えたところ、そんな筈はないと押問答となり、最終的には池田査察官が自ら作った表にパズルの枠を埋めていくように書き込んで行き、これを被告人に写させたもので、一〇〇万円単位で書き込むようなことは査察官が考えたことであるというのである。

これでも、「被告人の供述を抜きにして査察官がメモを作成することは、到底考えられず」とか「被告人の捜査段階における供述は、他期との比較においても合理的である」と言えるであろうか。

原判決は、あまりにも捜査段階における供述を信じ過ぎるきらいがあり、公判審理も捜査段階の再現復習の範囲を出ようとしなかったところに前記のような事実誤認の根源が存するものと思われる。

而して本件における期首手許現金は被告人の原審公判廷における供述どおり五〇〇万円或いは少なくとも一覧表に書き替え前の三〇〇万円と推定さるべきである。

二 定期預金の事実誤認について

1堺市信用金庫登美丘支店の仮名分六口六〇〇万円の事実誤認について

(一)原判決は右六〇〇万円の預金は、村田ウメ子の所有に帰属するものであって、被告人に帰属するものではないとの弁護人の主張を次のような判示をもって排斥した。

検察官は、同支店の被告人名義の普通預金から五〇〇万円を引出して手持の一〇〇万円を加えて六口に分けて設定したものであり、いずれも被告人に帰属すると主張する。弁護人は、村田ウメ子は当時かなり資産を有しており、しかも昭和五〇年七月一五日には店主貸とされている郵便貯金五〇〇万円が発生していることから考えると、当時被告人が医療収入から一一〇〇万円もの資金を定期預金に振り向けることは困難であって、右仮名分はいずれも村田ウメ子に帰属し、被告人に帰属しない旨主張する。

証人寺口健夫の当公判廷における供述によると、寺口が村田ウメ子から帯封入りの現金六〇〇万円を受取り仮名にしてくれといわれたので三回に分けて六口分の仮名を設定したことが認められる。又、調査報告書(八)によると、同支店の被告人名義の普通預金から昭和五〇年七月一〇日五〇〇万円が引出されており、更に被告人の検察官に対する供述調書(一四)によれば、その頃被告人が仮名を設定した旨供述していることを考えあわせると、被告人が右普通預金から引出した五〇〇万円に手持ちの一〇〇万円をあわせて仮名分を設定したものと認めるのが相当である。弁護人主張の点は、いずれも推測にすぎず、当時村田ウメ子の資産から六〇〇万円出金されたものと認めるに足りる証拠は存しないのであるから、前記認定を左右するものではない。

従って、仮名分はいずれも被告人に属するものと解する。

(二)ところで原審において、弁護人は堺市信金/登美丘における定期預金に関し次のとおり弁論した。

(1)昭和四九年一二月三一日現在高における争点

検察官主張の定期預金のうち

堺市信金/登美丘(一)石村梅子名義(49・6・27設定一〇一五九二)

一〇〇万円

(二)石村梅子名義(49・9・28設定一〇二五七九)

五〇万円

(三)石村梅子名義(49・12・25設定一〇三六一五)

一〇〇万円

(四)石村梅子名義(49・8・1設定一〇二一二七)

一五〇万円

合計 四〇〇万円

は、被告人の預金ではなく、名義人の石村梅子(村田ウメ子)の預金である。

右のうち四は、昭和四七年七月設定された一五〇万円の定期預金が継続しているもので、右預金利息は前記同支店における石村梅子名義の普通預金口座(口座番号〇二六〇〇六)に継続の度毎に預け入れられているのであるから被告人の預金ではなく、又(一)(二)(三)の各預金は検察官主張のように右石村梅子名義の普通預金からの払戻金をもって設定されているが、そのことが被告人の預金であることの証左となり得ないし、また同女が昭和四九年三月二三日同支店から借入れた五〇〇万円の行方が明らかでなく、その一部がその後前記(一)(二)(三)の同女名義の定期預金に変化した可能性もあるのでこの点からもこれらの預金が被告人に帰属するとの主張は全くその裏付けを欠くものである。

(2)昭和五〇年一二月三一日現在における争点

(一)堺市信金/登美丘分

検察官主張の定期預金のうち

(イ)石村梅子名義(50・6・27継続一〇五八四二)

一〇〇万円

(ロ)石村梅子名義(50・9・29継続一〇六九〇三)

五〇万円

(ハ)石村梅子名義(49・12・25設定一〇三六一五)

一〇〇万円

(ニ)石村梅子名義(50・3・29設定一〇四八四二)

一〇〇万円

(ホ)石村梅子名義(50・7・1設定一〇五八六八)

一〇〇万円

(ヘ)石村梅子名義(50・8・1設定一〇六二二〇)

(ト)石村梅子名義(50・8・1継続一〇六一一九)

一五〇万円

(チ)石村梅子名義(50・9・29設定一〇六九四〇)

一〇〇万円

(リ)幸田栄次郎名義(50・7・11設定一〇五九八〇)

八〇万円

(ヌ)宇佐美茂雄名義(50・7・11設定一〇五九七五)

一二〇万円

(ル)河合一美名義(50・7・11設定一〇五九七八)

一〇〇万円

(ヲ)小寺安太郎名義(50・7・12設定一〇一〇二四)

一一〇万円

(ワ)大原弘名義(50・7・12設定一〇一〇二五)

七〇万円

(カ)伊藤三郎名義(50・7・14設定一〇六二〇六)

一二〇万円

は、被告人に帰属するものではなく、村田ウメ子のものであってその理由は次のとおりである。

(イ)の預金は、前記(一)の預金の継続でありロの預金は前記(二)の預金の継続であり、(ハ)の預金は前記(三)の預金の継続であり(ト)の預金は前記(四)の預金の継続であるからこれらが被告人に帰属するものでない理由については前述のとおりである。

(ニ)(ホ)(ヘ)(チ)の各預金が前記石村梅子名義の普通預金口座からの払戻金から発生していることは認められるが、右普通預金は本来被告人に帰属するものでないことは、既述のとおりであって前年期中に発生した前記(一)(二)(三)の合計二五〇万円と右(ニ)(ホ)(ヘ)(チ)の合計三五〇万円を加えると六〇〇万円で、同女が昭和四九年三月二三日登美丘支店から借入れ行方が解明されていない五〇〇万円の元利が形を変えたものとの推測も可能である。

(リ)ないし(カ)の六口合計六〇〇万円の預金については、前記登美丘支店の得意先係であった寺口健夫は村田梅子から一度に現金六〇〇万円を受取り、表に出したくないとの同女の意向によって、金額を一定しない六口の架空名義定期預金口座を作り三日間に分けて設定した旨証言しており(第二七回)、前記豊田三枝は村田ウメ子が生前において、金額は明らかにしなかったがかなりの金員を隠し持っていたこと、同女の死亡後、同女が日頃使用していた整理ダンスの下のハカマの奥から定期預金証書を発見し被告人に手渡した旨証言しており(第二七回)被告人は右証言に符合する供述をしているほか右預金証書につき本名の定期預金は額面にして約七五〇万円位、仮名と思われる定期預金も約六〇〇万円位あったと供述している。(54・3・9付検面調書第三項)

而して前記(リ)ないし(カ)の預金六〇〇万円が発生した昭和五〇年七月一一日ころには被告人の預金のどこからもこれに見合うような払戻の事実はないばかりか、同年七月一五日には検察官が被告人の店主貸と主張されている白鷺郵便局における

村田千雅名義二〇〇万円

村田弘子名義二〇〇万円

村田聡名義一〇〇万円

合計 五〇〇万円

の郵便貯金が発生しているのであって、被告人の医療業務における収入金の中から当時合計一、一〇〇万円もの資金を預金に振り向けることは損益計算法の観点に立っても勿論説明不可能である。

以上の理由により前記(イ)ないし(カ)の各定期預金は被告人に帰属するものではなく、村田ウメ子の所有である。

(三) 而して原判決は弁護人主張のうち石村梅子名義のものについてはその主張を認め、前記(リ)ないし(カ)の六口六〇〇万円についてはその主張を排斥したわけである。

原判決は、右六〇〇万円は、村田ウメ子が堺市信金/登美丘の得意先係寺口健夫に対し、仮名預金にしてくれと言って帯封のかかった現金六〇〇万円を渡し、同人が三回に分けて六口分の仮名預金を設定したものであることを認めるとともに、右現金は同支店における被告人名義の普通預金から五〇〇万円が引出されていること、及び被告人の検面調書(一一四)にその頃被告人が仮名を設定した旨供述していることと合わせて、右引出しにかかる五〇〇万円に手持ち一〇〇万円をあわせたものであると認定している。

而して、被告人の検面調書(一一四)では「五〇年中に堺市信金登美丘支店において発生している幸田栄次郎その他名義の定期預金が約一、一〇〇万円程になりますが、これは私が病院の収入金中から定期預金にしたもので全部私の預金です。」というのであるが、被告人の原審における供述によれば、右検面調書については、内容が事実と相違する点が多々あったので、中靏検事に対し増減変更の申立をしたところ「明日訂正してやる、いやしくも検事が約束を破ることはない。」というのでこれを信用し、翌日その訂正を求めたが訂正してもらえなかったというような事実があるばかりでなく、右検面調書の約一、一〇〇万円というのは前記(イ)ないし(カ)(合計一、三五〇万円)のうちどれを指しているのか明らかでなく、同調書では「全部私の預金です」との自白があるのに、原判決は(イ)ないし(チ)の八口合計七五〇万円については村田ウメ子の預金であると認定しているのである。

転勤を前にして事件の処理を急いでいた中靏検事が預金口座のひとつひとつを確認することもなく、強引に被告人に帰属するものと自白させたからこそ、自白偏重の原判決でさえ、石村梅子名義の(イ)ないし(チ)については自白を真実と認めなかったものと考えられる。

(四) 村田ウメ子は、昭和四年三月二日生(検甲一一七号)で昭和四三年五月二四日被告人との婚姻届出がなされているので、当時既に三九才であって、この時点までに同女が看護婦として蓄えて来た金員は相当多額であったものと考えられ(原審第二七回豊田三枝の証言)将来被告人との間に子供の出生を期待できなかった同女が右金員を大切に保存し適当な利殖を図ろうと考えていたとの推測は十分に可能である。

同女の堺市信金/登美丘における預金口座が昭和四三年五月二四日以前に開設されたものか、それ以後に開設されたかについて査察官は調査していないが、いずれにしても被告人と結婚後も旧姓の口座を使っていたことが右の推測を一層可能ならしめるのである。

村田ウメ子が昭和四九年三月二三日堺市信金/登美丘より金五〇〇万円の手形貸付を受けていることは明らかである。

しかし右手形貸付記入帳(検甲一三九号)によれば、債務者は石村梅子名義であり、保証人がなく同女の定期預金が担保に供せられている。

当時同女の定期預金として把握し得るものは、昭和四七年七月二七日設定の金額一〇〇万円四口と昭和四八年一二月二七日設定の一〇〇万円一口合計五〇〇万円(いずれも石村梅子名義)であってこれが右借入れの担保に供せられているのである。

そしてこれら五口の定期預金は昭和四九年四月二日、中途解約され前記手形貸付金の返済に充当されているが、さきの同年三月二三日に貸付を受けた五〇〇万円については行方不明であって、被告人も全く知らない。

そうだとすると前記(リ)ないし(カ)の六〇〇万円は、村田ウメ子が、被告人の知らない資金を預金したもので、これらの預金証書が同女の死亡後整理ダンスの下のハカマから発見されたわけである。(弁護人作成の預金系統図参照)

他方、昭和五〇年七月一五日、村田弘子は被告人から受け取った現金五〇〇万円を、白鷺郵便局において、村田千雅名義二〇〇万円、村田弘子名義二〇〇万円、村田聡名義で一〇〇万円に分けて預け入れていることが明らかであるから、もし原判決のいうように昭和五〇年七月一〇日引出した五〇〇万円が前記(リ)ないし(カ)の六〇〇万円の預金となったとすれば、被告人が村田弘子に渡し、郵便貯金となった五〇〇万円はどこから都合したものか説明ができない。

また、被告人が尼崎浪速信金/上野芝で同年七月二四日、被告人名義で一〇〇万円、七月二九日、織田幸夫名義で一、〇〇四、四四〇円の各定期預金を村田高秋のため設定しているのであるから前記六口六〇〇万円の預金をする余裕があったかどうか疑わしい。

ただ、村田ウメ子が寺口健夫に六〇〇万円を渡した日が、五〇〇万円引出日である七月一〇日の翌日にあたる七月一一日であり、被告人が村田弘子に五〇〇万円渡した日は不明ではあるが、預け入れの日は五日後の七月一五日である点において疑問が抱かれるが、被告人が村田弘子に金を渡す日は引出日と必ずしも接着していなかったのであるから郵便貯金五〇〇万円と七月一〇日引出された五〇〇万円との結びつきを否定できる資料とはならない。

なお、被告人が仮名預金を設定するときは、必ず銀行の担当者に直接申込みをしており、妻ウメ子に仮名預金設定の手続を代行させたことは一度もない。

以上述べたとおり、前記(リ)ないし(カ)の六口六〇〇万円の預金は村田ウメ子に帰属するものであり、少なくとも被告人に帰属すると認めるべき明らかな証拠がないのにこれを被告人に帰属すると認めた原判決は事実を誤認している。

2尼崎浪速信金/上野芝の仮名分四口六五六万二四五円の事実誤認について

(一)原判決は、右四口の預金は、村田高秋に帰属するものであるとの弁護人の主張を次のような判示をもって排斥し、被告人に帰属すると認定した。

検察官は、少なくとも期末においては被告人に帰属しており又は仕訳では右金額に対応する分を借方として退職金未払分四〇〇万円、借入金二五〇万円と計上しているので所得計算上は増減をきたさないと主張するが、弁護人は右預金設定当初から村田高秋に帰属すると主張する。

収税官吏の村田高秋(一三)、被告人(九二)に対する各質問てん末書及び被告人の当公判廷における供述を総合すると以下の事実が認められる。すなわち被告人は村田高秋から二五〇万円を借入れ、高倉台の自宅の建築資金を借入れた際の担保に供していたこと、村田高秋は被告人の病院を退職し、退職金を支払うこととなっていたが未払となっていたこと、被告人は、村田高秋に対し、担保に供した定期預金六五〇万円のうち二五〇万円は村田高秋からの借入れ金の返済に、四〇〇万円は退職金の支払にあてる予定であると述べていたこと、昭和五一年二、三月頃右定期預金の証書四枚を被告人が村田高秋に渡したことが各々認められる。

右認定事実によれば、右定期預金が村田高秋のものとなったのは昭和五一年二月以降であり、昭和五〇年の期末においては未だ被告人に帰属していたものと解するのが相当である。

(二)しかしながら、原判決の引用する収税官吏の村田高秋に対する質問てん末書(一三)によれば、村田高秋は昭和五〇年九月頃、被告人より退職金四〇〇万円を出すが、尼崎浪速信金/上野芝からの借入金の担保として差入れる定期預金にしておくと聞いており(第二問答)、右預金の内容は、

(あ)織田幸夫名義(50・7・29設定一一〇二一七三)

一、〇〇四、四四〇円

(い)織田正仁名義(50・9・23設定一一〇二四五九)

三〇〇万円

(う)鈴木和雄名義(50・10・27設定三四〇〇五八九)

一〇〇万円

(え)鈴木洋二名義(50・11・13設定三四〇〇六〇〇)

一、五五五、八〇五円

であって、被告人は設定の時点において、自己の預金とする意図はなく、村田高秋に対する退職金及び同人からの借入金の返済金としてその支払にかえて定期預金としたもので、同人名義にしなかったのは、当時同人は妻と離婚調停中であったことから、本人名義にしないように希望があったからである。

原判決は、被告人が右定期預金証書を村田高秋に渡した昭和五一年二、三月頃をもって預金債権が被告人から村田高秋に移転したものと解しているが、右定期預金は尼崎浪速信金/上野芝における被告人の借入金の担保に供せられ、預金証書は同支店に差入れねばならなかったから、設定当時権利者である村田高秋に渡すことができず、そのため被告人から担保に供したことを告げられたという前記村田高秋の質問てん末書は十分この事情を証明づけるものである。

定期預金証書の交付の時点をもって預金債権の移転と解した原判決は、形式論にこだわり、実態を無視し事実を誤認したものである。

三 未収入金に関する事実誤認について

1天野文雄に対する貸付金一、一〇〇万円の利息関係

(一)原判決は天野文雄に対する貸付金一、一〇〇万円の未収利息四、八〇二、七〇〇円につき、次のように判示して弁護人の主張を排斥した。

弁護人は、昭和五〇年一〇月一〇日死亡した村田ウメ子の通夜の際被告人は右天野に対して貸付金及びその利息を免除したものであって、期末残は存しない旨主張する。

証人天野文雄及び被告人の当公判廷における各供述は、大旨右主張にそうものであるが、通夜の席において債務免除の意思表示がなされたと解することは、はなはだ唐突かつ不自然のそしりを免れない、更に差押てん末書(八七)、収税官吏の被告人に対する質問てん末書(一〇四)等によると右貸付金については公正証書がまかれており、右公正証書は昭和五一年九月二日被告人の病院の院長室から差押えられたことが認められる。

しかも被告人は捜査段階において右貸付金、未収入金の存在を認めており、仮りに弁護人主張のように免除をしたとすればはなはだ特異な体験であり、捜査段階においてこれを失念して供述をしなかった合理的理由を見出すことは困難である。

以上の点から考えると、証人天野及び被告人の当公判廷における供述は措信し難く、弁護人主張のような免除の意思表示はなかったものと解するのが相当である。(なお、弁護人主張のように仮に免除があったとしても、もともと事業主借として利息分が計上されているので、事業所得の計算上増減をきたさない主張であることを付言しておく。)

(二)右利息については、被告人が貸付金とともに債務免除をしたものであって原審において弁護人は、右事実をふまえて貸借対照表上期末においては、検察官主張の貸付金及び未収利息が存在しないことを総合的に主張したのであり、原判決が利息分が店主借として計上されているので、未収入金との関係では事業所得の計算上増減をきたさない主張であるというのは、弁護人が主張する事実を表現する貸借対照表の全般に対する理解を欠いたものでなる。そこで念のため弁護人の原審における弁論の要旨を次に掲げることとする。

被告人は天野文雄に対する貸付金一、一〇〇万円及びこれに対する利息について以下述べるようにその債務を免除したので昭和五〇年末には元利ともに存在しない。

(1)検察官は、合理的な論拠によらないで「通夜の場で借金の棒引きの話を持ち出すこと自体不見識・・・妻の突然死の通夜に貸付金の返済を免除したと供述するに到っては常識以前の問題であり、到底措信できない・・・」などといって、債務免除の事実を否定しようとしている。しかしこれは短絡的な志向によって実体を見誤ったものである。以下にのべるとおり、証拠を正しく評価すれば弁護人の主張どおり、昭和五〇年一〇月一一日貸付金元利合計金一四、五九八、二〇〇円(検察官が昭和五〇年一二月三一日の元利合計を一五、八〇二、七〇〇円として計算されているもの)につき債務免除の事実は、容易に推認し得るのである。

(2)弁護人請求番号一〇、同一一(不動産売買契約書)、同一二(契約書)、同一三(土地建物売買契約書)、同一四(領収証)、同一五(土地建物売買契約書)、同一六(領収証)、同二〇(図面二葉)証人天野文雄及び被告人の供述によれば次の事実が認められる。

イ被告人の経営する大野芝診療所は、昭和四五年一二月火災によって焼失したが、被告人はその頃からこれに隣接する土地を買収して、その地上に大規模な病院を建設する計画を持っていた。そして昭和四七年一〇月からその建設に着手し、昭和四九年二月これが完成したが、その後も病院及び付属施設の増設計画をもっていたこと。

ロこれらの計画を実現するためには<1>その隣接敷地を買収確保すること<2>その建設について、地元近隣住民の合意をとりつけることが必須の条件であったこと。隣接地は殆どが天野文雄の父儀一の所有であり、近郊農業を営む同人は、その土地を手放すことに猛反対であったこと。地元自治会長は阪井誠道であり、隣組長は天野文雄であったこと。従って被告人としては前記病院建設計画、増設計画を実現するためには、天野文雄を通じて、父儀一を説得して前記<1>の条件を、また、隣組長である天野文雄を通じて近隣住民を説得して前記<2>の条件を、それぞれ果たす必要があったこと。

ハ天野文雄はよく被告人の要請に応え父儀一を説得しまた近隣一六戸を戸別に訪問するなどして協力した結果これが功を奏して病院用地の買収確保ができ、その建設工事も進捗し、病院建設が順調に実現したうえ新館増設の敷地の確保もできたこと。

ニ天野文雄の被告人に対するこのような協力の労に報いるため、被告人は天野文雄に対し、病院完成後は、その建物のうち一室約五六m2(約一七坪)同人に無償で提供し、売店などの営業を独占的にやらせることとし、当時者間にその旨の約束があったこと。

しかし、昭和四九年二月、建物が完成し、南堺病院として発足したが、右一室は事情により、前記自治会長阪井誠道に使用させることになったため、天野文雄との前記約束が実現せず、これに違背する結果となったこと。その頃から当事者間に本件貸金元利金棒引き(免除)の話合が続けられて来たこと。

ホ被告人は、昭和三九年大野芝診療所を新築して以来、隣地に居住する天野文雄と親しく付き合うようになり同人を「ふみちゃん」と呼ぶ程の親密であったこと。昭和五〇年一〇月一〇日被告人の妻ウメ子が死亡し、その通夜や葬式に当たっては、同人は前記の事情があったにも拘わらず献身的な世話を尽くし、被告人に大きな感動を与え、その日被告人は右天野に対し、「ふみちゃん、ありがとう、もういいよ お金なんかいいよ またこれからも頼むよ・・・」と話したこと。

ヘ利息弁済期(毎月末日)元利弁済期(昭和四八年一二月末日)に一度も弁済がなされたことがなく、その後これを被担保債権とする抵当権、仮登記担保権が、いずれも抹消されていること。

(3)以上によれば、被告人と天野文雄間において、同人の被告人に対する前記のような病院建設に関する用地の買収や建設工事についての貢献、病院における売店等営業違約の補償および将来の病院新館用地の買収確保のための協力などと対価的に本件貸付元利金債務を免除すべきことについて交渉があり、交渉は南堺病院が完成した昭和四九年二月頃からはじまりその話合いは翌年五〇年一〇月頃には両者間に相当煮詰まっていたものと認められ、その結果前記の通り被告人妻ウメ子の死亡を契機として、その通夜や葬式の準備における献身的な世話に感動し、最終的な債務免除の意思表示に至ったものと認められる。そして、前記の事実関係のもとにおいては、このように判断するのが最も合理的である。

(三)右のように弁護人は原審において、被告人が妻ウメ子の通夜の席において天野文雄に対し、債務免除(元本及び利息一切)の意思表示をした事情を証拠に基づいて詳述しているに拘わらず、原判決は、弁護人主張の事情の有無を全く判断しないで、右のような意思表示がなされたと解することは甚だ唐突かつ不自然のそしりを免れないと判示している。

右のような判示は、裁判所の公平不偏の判断を期待する被告人、弁護人を納得せしめるものではない。

原判決は、前記貸付金に対する公正証書が昭和五二年九月二日の本件査察調査の当日、院長室において差押えられていること、被告人が捜査段階において右貸付金及び未払利息についてその存在を認めていること、被告人が仮に債務免除をしたのであれば特異な体験として失念する筈がないことなどの理由から債務免除の事実の主張については、合理的理由を見出すことは困難であると判示しているが、前記一、一〇〇万円の内訳は

昭和四六年一〇月一二日 五〇〇万円

同年一二月一七日 三〇〇万円

昭和四七年六月五日 三〇〇万円

であるが(一〇四の第二問答)、被告人は、その後天野儀一(文雄の父で右貸付金に対する担保提供者であり、連帯保証人であった。)から約六五坪の土地を単価二〇万円で購入し、その代金は、

昭和四八年二月二〇日 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.六七八七七小切手)2/21決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.六七八七八小切手)2/22決済

昭和四八年四月一一日 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇二小切手)4/12決済

〃 四、三六八、〇〇〇円

(No.八一八〇八小切手)4/14決済

〃 五三〇、五〇〇円

(No.八一八〇九小切手)4/13決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇三小切手)5/1決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇四小切手)5/1決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇五小切手)5/10決済

昭和四八年一二月二六日 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一七八九小切手)12/26決済

合計 一〇、九九八、五〇〇円

を小切手をもって支払っている。(九八の第一一問答及び四参照)

本来被告人はこの段階で右代金と前記貸付金とを相殺できた筈であるが、天野父子には右貸付金を返済しようという態度が見受けられず、むしろ被告人の病院経営に対する協力を恩に着せ債務免除を得ようとする気配が濃厚で約条を無視して利息の支払は全くしないまま経過しているのであって父儀一も老境に入り、さらに天野父子の病院経営に対する協力につき知悉している村田ウメ子の死亡に遭遇した文雄が、その通夜に債務免除を申し入れたとしても決して唐突不自然なものではない。

被告人は、本件債務免除を突然言い出したのではなく、既に査察官にそのことを話したのに拘らず、査察官は公正証書が存在しているとの理由で一切取り上げないばかりか、質問てん末書にも記載してくれなかったのである。

被告人の捜査段階における供述は、捜査官の恣意、選択によるものと思われる点が多く存しており、原判決が被告人のものではなく、妻村田ウメ子のものであると認定している中谷澄子に対する貸付金についても、被告人は「利息は貰わないことになっております。」と述べ恰も自分の債権のごとく供述しているのである。

以上の理由により被告人の天野文雄に対する債権の元本及び利息につき債務免除がなかったとする原判決は事実を誤認するものである。

2患者稗田分の六〇万円分について

(一)右につき原判決は次のとおり判示している。

弁護人は、昭和四九年一二月三一日の事業主貸中加藤俊雄分(稗田)六〇万円については、稗田の治療代六〇万円を加藤が被告人に無断で取立たものであって、期首において未収入金六〇万円を計上し、当期において横領による雑損控除として処理すべきであると主張する。

収税官吏の被告人に対する質問てん末書(九六)によると、被告人は昭和五〇年二月二四日現在で昭和四九年中に加藤兄弟に支出した金額をメモ書として作成したが、その中にヒゲタから加藤が治療費を集金して使った六〇万円が計上してあり、被告人も加藤に対する支出金として扱っていたことが認められる。右認定事実によれば、稗田の治療費代を加藤が取立てたのは昭和四九年であり昭和四九年の事業主貸として処理すべきで、昭和五〇年には関係しないと解するのが相当である。弁護人の右主張は採用しない。

(二)ところで被告人は加藤俊雄に対し、患者稗田の治療費の集金を委任した事実は存しない。

然るに加藤は、被告人から集金を委任されたように装って昭和四九年中に稗田から六〇万円の交付を受け、これを被告人に無断で使ってしまったもので、そのことを被告人が知ったのは昭和五〇年二月である。

従って昭和四九年一二月三一日現在では、被告人は、右事実を全く知らなかったから、加藤が稗田から六〇万円を受領したことをもって被告人が受領したことにはならないので、被告人側の経理処理としては六〇万円の未収金が存在し、昭和五〇年三月加藤の不正を発見した被告人がやむなくこれを加藤に対する支出として追認したわけである。

このような事実関係であるのに、右六〇万円を昭和四九年末の未収入金と認めず、同年の事業主貸と認定した原判決は、加藤の集金に関する法的権限や税法における期間計算を無視し、事実誤認に陥ったものである。

四 仮払金及び支払手形に関する事実誤認について

1まずこの事実に関する原審における弁論の要旨は次のとおりである。

検察官の訴因変更の原因となっている大末建設に対する期首仮払金二、〇〇〇万円は存在しない。

検察官は当初被告人が大末建設(株)に対して振出していた

(ア)支払期日五〇・一・三一(五三六九三)四〇〇万円

(イ) 同 五〇・二・二八(五三六九四)四〇〇万円

(ウ) 同 五〇・三・三一(五三六九五)四〇〇万円

(エ) 同 五〇・四・三〇(五三六九六)四〇〇万円

(オ) 同 五〇・五・三一(五三六九七)四〇〇万円

(カ) 同 五〇・六・三〇(五三六九八)五〇〇万円

(キ) 同 五〇・七・三一(五三六九九)五〇〇万円

合計七通三、〇〇〇万円の手形は建物(借方)に対する支払手形(貸方)であり、昭和五〇年二月一日から同年五月三〇日までの間に四〇〇万円宛五回合計二、〇〇〇万円を借入金として主張していたが、その後弁護人の釈明請求により前記七通合計三、〇〇〇万円は被告人が昭和四九年一二月末日振出手形を決済することができず、いわゆるジャンプをしてもらったものであり、また二、〇〇〇万円を大末建設において、預り金として処理しているということからあらたにこの二、〇〇〇万円につき被告人の大末建設に対する仮払金との主張に変えこれに見合う訴因変更をされた。

検甲八号及び検甲四号総勘定元帳(貸借)によると次の各事実が認められる。

被告人は、南堺病院の建築総代金及び延払利息として昭和四九年二月四日大末建設(株)に対し、次のとおり支払手形合計八通を交付した。

(A)支払期日昭49・5・31三〇、〇〇〇、〇〇〇円(A八三六三三)

(B) 同 49・6・30三〇、〇〇〇、〇〇〇円(A八三六三四)

(C) 同 49・12・31五〇、〇〇〇、〇〇〇円(A八三六三五)

(D) 同 50・12・31一五、〇〇〇、〇〇〇円(A八三六三六)

(E) 同 49・5・31一五、一七八、八三八円(A八三六三七)

(F) 同 49・5・31 二、七一八、〇〇〇円(A八三六三八)

(G) 同 49・12・31 四、三八〇、〇〇〇円(A八三六三九)

(H) 同 50・12・31 二、六二八、〇〇〇円(A八三六四〇)

右八通の手形番号はA八三六三三ないしA八三六四〇の連続番号となっており、(F)の二、七一八、〇〇〇円は建築代金中、六、〇〇〇万円に対する金利、(G)の四、三八〇、〇〇〇円は五、〇〇〇万円に対する金利、(H)の二、六二八、〇〇〇円は一、五〇〇万円に対する金利に相当するものであり、(D)(H)の二通は右のように支払期日が昭和五〇年一二月三一日となっていた。

ところが被告人は前記Bの三、〇〇〇万円の手形の決済資金のうち一、五〇〇万円の調達ができたが、不足分一、五〇〇万円については、いわゆるジャンプしてもらうことになり、大末建設(株)より手形書替資金として一、五〇〇万円を大和/堺の当座預金口座に振込んでもらったうえ前記(B)の手形三、〇〇〇万円の手形を決済しあらたに大末建設(株)に対し次の手形を振出し交付した。

(I)支払期日昭49・8・31一〇、〇〇〇、〇〇〇円(D三九九一〇)

(J) 同 49・9・30 五、〇〇〇、〇〇〇円(D三九九〇七)

(K) 同 49・7・31 三七八、〇〇〇円(D八三六五〇)

なお(K)の三七八、〇〇〇円は、(I)の一、〇〇〇万円に対する七月一日から八月三〇日までの利息、(J)の五〇〇万円に対する七月一日から九月三〇日までの利息の合計額である。〔四の総勘定元帳(貸借)支払手形大和/堺No.3ないしNo.9〕

以上の経過を辿り、被告人は昭和四九年中に決済すべき(A)(B)(C)(E)(F)(G)(I)(J)(K)の手形はすべて決済を了えており、大末建設(株)に対する支払手形として本件起訴対象年度に持越した手形は前記(D)(H)の二通以外には存在しない。

大末建設(株)のいうジャンプについては、前記(B)の手形の半額を(I)(J)に書き替え、その利息をKの手形で支払っている事実はあるが問題の(C)の五、〇〇〇万円の手形については被告人は、堺市信金/登美丘の当座預金から引き出した二、〇〇〇万円及び手持現金一、〇〇〇万円などで決済しており、そのうち三、〇〇〇万円をジャンプしてもらったという事実はなく、大末建設(株)側では(B)の手形の場合とすり替えて説明しているものと考えられる。

もし、大末建設(株)側の説明どおり、Cの五、〇〇〇万円の支払手形のうち三、〇〇〇万円を前記(ア)ないし(キ)の七通の約束手形に書替えたというのであれば、大末建設(株)としてはこれに対する利息の支払を請求しないでいることは従来の例によってもあり得ないと思われのに利息支払のための手形は一切振出されていない。

検甲八号の大和/堺の当座預金口座では、昭和四九年七月一日大末建設(株)から三和/本店を通じて、手形書替資金一、五〇〇万円が振込まれているが同年一二月三〇日の三、〇〇〇万円は、被告人が入金したものであるから大末建設(株)からの振込の事実はなく従って備考欄にそのような記載もない。

右のような経過によっても被告人が昭和四九年末において大末建設(株)に対し、二、〇〇〇万円を預けるというようなことは、全く辻褄の合わないことであり、およそ第一部証券市場に上場している会社の経理処理とは考えられないのに拘らず、本件査察調査において、査察部は調査部所管の一部上場会社に対する疑問点追及を遠慮したものか極めて不徹底に終わっているのである。

大末建設は被告人振出の手形が支払期日にはすべて決済されているのに、大和銀行に対しては、三、〇〇〇万円の手形ジャンプしたように見せかけるため被告人に依頼して前記(ア)ないし(キ)の約束手形を借り受け、これを大和/堺の被告人の当座預金口座で取立てるとともに、大和/堺にわからないようにその都度これに見合う金額を被告人のもとに届けていたのである。

従って検察官主張の二、〇〇〇万円の仮払金は存在せず(検察官は仮払がいつどこでいかなく支払手段をもってなされたかについての釈明に対し回答出来ない)。

また、(ア)ないし(キ)の約束手形は本来支払義務のないものであるから支払手形に計上すべきものではない。もし検察官主張のようにこの三、〇〇〇万円の手形は、現実に振出されているので支払手形として貸方計上するのが当然なりというのであれば、これに対応する支払手形の返還請求を借方として計上しなければ理に合わない。

2右主張に対し原判決は次のように判示してその主張を排斥した。

検察官は、期首において、大末建設株式会社に対する仮払金二、〇〇〇万円が存し、昭和四九年一二月三一日支払期日の手形(額面五〇〇〇万円)中三〇〇〇万円をジャンプして昭和五〇年一月から七月までの各月末支払期日の手形(額面合計三〇〇〇万円)を振出したものであり、三〇〇〇万円の支払手形を計上すべきものと主張する。これに対し弁護人は、手形のジャンプは存在せず、大和銀行あるいは大末建設の都合により手形のジャンプが仮装されたものであって、昭和四九年一二月三一日支払期日手形(額面五〇〇〇万円)は被告人の資金により決済されており、他に仮払金も支払手形も存しないと主張する。

調査報告書(八、七三)等によると以下の事実が認められる。すなわち大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金の出入をみると、昭和四九年一二月一九日住友生命から二九一五万一七八一円が入金となり、同月二一日、九四三万六九六八円が堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金へ出金され、又同日大和銀行堺支店の被告人名義の通知預金へ二〇〇〇万円出金となり、同月三〇日、三〇〇〇万円が入金となり、同月三一日、大末建設取立の手形五〇〇〇万円の決済がなされている。次に堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金をみると、同月一四日手形貸付により、一九七〇万一六四五円が入金となり、同月二一日、前記の大和銀行からの九四三万六九八円が入金となり、同月三一日大末建設へ二〇〇〇万円出金となっている。又被告人が昭和四九年一二月三一日振出した七通の手形(額面合計三〇〇〇万円)はいずれも大和銀行堺支店で各支払期日に決済されており、大末建設振出の小切手五通(昭和五〇年一月三一日付、同年二月二八日付、同年三月三一日付、同年五月一日付、同月三一日付、各額面四〇〇万円)は被告人に渡され、堺市信用金庫から取立に回され、各々決済されている。被告人は右各小切手については大末建設宛に預り金返却、返済分、先渡し返済分と記入した領収証を交付している。以上の事実が認められる。

右認定事実を前提に被告人の弁解を検討するに、被告人の当公判廷における供述の要旨は以下のとおりである。

すなわち、昭和四九年一二月三一日支払期日の手形五〇〇〇万円については住友生命からの融資三〇〇〇万円と堺市信用金庫からの借入金二〇〇〇万円で決済をすることとし、大末建設は大和銀行との関係上右五〇〇〇万円中三〇〇〇万円については、見せかけのジャンプとするため、被告人に三〇〇〇万円交付したが、被告人は大和銀行にわからない形で手持ち現金一〇〇〇万円と堺市信用金庫からの借入金二〇〇〇万円の合計三〇〇〇万円を大末建設に支払、ジャンプした形の手形七通はいずれも大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金で決済したが、大末建設からは現金合計三〇〇〇万円(四〇〇万円五回、五〇〇万円二回)を受取ったということである。

右被告人の弁解と前記認定の資金の流れとを総合すると、まず昭和四九年一二月三〇日大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金への入金三〇〇〇万円は、大末建設から被告人に支払われたものと認められる。従って年末支払の五〇〇〇万円の手形は、住友生命からの融資中の二〇〇〇万円と大末からの三〇〇〇万円により決済されたものと認められる。又同月三〇日大末建設へ支払われた二〇〇〇万円の手形は、堺市信用金庫からの借入金中の一〇〇〇万円と住友生命からの融資中の一〇〇〇万円により支払われたものと認められる。また昭和五〇年に大末建設からの支払はいずれも小切手で合計二〇〇〇万円なされているが、その余の出金のなされた形跡は証拠上認められない。

以上の点から考えると被告人の手形五〇〇〇万円決済の予定とされた堺市信用金庫からの借入金二〇〇〇万円中約一〇〇〇万円は他で費消されており、結局一〇〇〇万円の不足が生じ、もともと手持ち金一〇〇〇万円の余裕が存したのであればこのような借入をおこす必要もなかったわけであって、この点被告人の弁解に不自然さが存するのみならず、手持ち金一〇〇〇万円については被告人の供述のほか他にこれを証するに足る客観的証拠は全く存しない。しかも被告人の弁解によれば昭和五〇年中に大末建設からは前記の二〇〇〇万円のほかに六月末、七月末各五〇〇万円の入金がなければならないわけであるが、これについても被告人の供述のほかこれを窺わせるに足る証拠は何ら存しない。又捜査段階においては被告人は何らの弁解をしていない。従って、被告人の弁解はかなり不合理といわざるをえない。

これに反し証人寺岸庸光の供述によると、昭和四九年末三〇〇〇万円の手形のジャンプをしたと述べており、三〇〇〇万円の手形のジャンプが存したとすると、前記の被告人、大末建設間の資金の流れとも完全に符合する。

又調査報告書(七三)中の領収証等の記載文言からすると、大末建設の預り金は三〇〇〇万円ではなく二〇〇〇万円であったと解するのが相当である。

以上の判示から明らかなように被告人の当公判廷における弁解は措信し難く、昭和四九年一二月三〇日堺市信用金庫登美ケ丘支店の被告人名義の当座預金から大末へ支払われた二〇〇〇万円は大末建設への仮払金であり、又三〇〇〇万円の手形ジャンプが真実行われたものと解するのが相当である。

3(一)そこで考察するに、原判決はまず本件における調査、捜査及び公判立証の経過を無視して、検察官の最終段階における主張だけに焦点をしぼり、これに見合う証拠をとり上げて、その是非を検討しようとしたものである。

ところが、この種事件においても、被告人と利害関係の存する相手方の供述や事務処理については、その真偽を確かめるため十分な詮索をしなけばならないのは当然のことであって、相手方が一部上場の会社であるとか、金融機関であってその供述や事務処理に誤りはないという前提のもとに証拠の価値判断をするならば、事案の底流への洞察力を欠き誤った結論に陥ってしまうわけである。

(二)原審において弁護人は、昭和五一年一月二五日付釈明請求書(別添一)のとおり、検察官に対し「支払手形」「借入金」につき釈明を求めたところ、検察官から、同年三月二一日付釈明書(別添二)により釈明がなされた。

ところが弁護人は右釈明ではなお理解できなかったので、昭和五五年一一月二七日付再釈明請求書(別添三)を提出したところ、検察官から同年一二月二三日再釈明書(別添四)が提出されたが、その内容は昭和四九年末の仮払金が二〇〇〇万円増額となり、そのため昭和五〇年分の所得金額が二〇〇〇万円減額される結果となる。大末建設(株)振出の小切手五通(昭和五〇年一月三一日、近畿相互/本店宛、同年二月二八日、住友/天王寺駅前宛、同年三月三一日、近畿相互/本店宛、同年五月一日、住友信託/今里宛、同年五月三一日、三和/本店宛)が被告人に渡っているのは預かり金の返却であるが、大末建設(株)が被告人から預かり金をするのに至った理由は不明であるというのである。

弁護人が出した一片の求釈明書によって、所得税が二〇〇〇万円も減額された例は恐らく他にないであろう。

それほど本件の調査も捜査も杜撰である。

而して検察官は、右釈明内容について昭和五五年三月一〇日付大蔵事務官丸尾真一作成の査察官調査書の取調を求めているが右調査は弁護人のさきの釈明請求書によって急遽再調査したもので課税当局は右調査結果に基づいて、昭和五五年三月、時効寸前に被告人の昭和四九年度における所得金額を二〇〇〇万円増額する旨の更正決定処分をして来たのである。

抑々一部上場会社で大阪国税局調査部の所管となっていてその記帳内容が最も信用できる筈の大末建設が被告人から二〇〇〇万円もの多額の預かり金を計上し、その発生理由が不明であるというような不条理不自然の事実が肯認し納得できることであろうか。このような会社が査察官の再調査によって証明の内容を変更することも不可思議である。

そして原審証人丸尾真一も大末建設のすべての資料を調査したわけではないと供述している。

然るに課税当局は、本件公判継続中に右不条理不自然な大末建設側の説明に加担し、時効ぎりぎりに被告人の前年度の所得金額の増額更正をしているのであるから、結局において検察官の最終的主張は課税当局の横暴を支援しようとするものである。

そして原判決は右のような経過や事情の洞察を全く欠いているのである。

(三)そこで、被告人の供述内容を纒めると、被告人は大末建設(株)に対して支払うべき建築代金は、昭和四九年一二月三一日現在ではすべてを支払済であった。(但し前記のD及びHの約束手形は期日未到来のため決済は未了)ところで本件で問題になっている前記Cの手形(49・12・31支払期日の五〇〇〇万円)の決済については、被告人は大和/堺からの融資金によって返済するつもりでいたところ、丁度オイルショック突入による金融規制のため、大和/堺は一部について融資を認め、大末建設に対し、五〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円をジャンプしてやれと申し入れた。大末建設では南堺病院の建築は大和/堺の紹介によるものであり、大和/堺は被告人の主要取引銀行であったところから、表面上、大和/堺に敬意を表し、右申し入れを聞き入れたように装い、ジャンプの形態をととのえるため、昭和四九年一二月三〇日大和/堺における村田政勇名義の当座預金口座(No.八〇九〇一六)に三〇〇〇万円を入金するとともに、被告人から前記(ア)ないし(キ)の合計七通金額合計三〇〇〇万円の約束手形(いずれも支払場所は大和/堺)を受領し、他方大和/堺に内密で、被告人から堺市信金/登美丘の銀行保証小切手二〇〇〇万円及び現金一〇〇〇万円の交付を受けた。

原判決は、右三〇〇〇万円の支払につき、そのうち現金一〇〇〇万円の支払事実を否定するにあたり、二〇〇〇万円についても、前後矛盾する認定をしている。

すなわち、「次に堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金をみると、同月一四日手形貸付により、一九七〇万一六四五円が入金となり、同月二一日、前記大和銀行からの九四三万六九八円が入金となり、同月三一日、大末建設へ二〇〇〇万円出金となっている。」(二五丁表)と判示しながら「又同月三〇日大末建設へ支払われた手形は、堺市信用金庫からの借入金中一〇〇〇万円と住友生命からの融資中の一〇〇〇万円により支払われたものと認められる。」(二六丁裏)と矛盾する判示をしたうえ「堺市信用金庫からの借入金二〇〇〇万円中約一〇〇〇万円は他で費消されており、結局一〇〇〇万円の不足が生じ、もともと一〇〇〇万円の余裕が存したのであれば、このような借入をおこす必要もなかったわけである。」と判示しているが、約一〇〇〇万円が他で費消されているというのは、他の何に費消したというのか、そのことを認定できる証拠は全く見当たらない。

いうまでもなく被告人は、昭和四九年一二月三一日現在大末建設に対する預け金など全くなく、ただ実質上債務の存在しない前記(ア)ないし(キ)の約束手形七通三〇〇〇万円(いずれも支払期日は昭和五〇年)を預けていたのであるが、この七通については、前記三〇〇〇万円につき、手形のジャンプがあったものと信じている大和/堺に対するカムフラージュのため同支店における被告人の当座預金を通じて決済しなければならず、そのため右手形は昭和五〇年一月末から七月末にかけてすべてその決済をなし、他方大末建設ではその都度同額の金員を被告人に返還し、大和/堺に感づかれることなく裏処理が終了したのである。

被告人にとってみれば、大末建設が昭和四九年一二月三一日、被告人から受取った三〇〇〇万円のうち、二〇〇〇万円は銀行保証小切手であったところから、これを隠し切れずこの二〇〇〇万円を預かり金として処理し、現金一〇〇〇万円については、これを隠してその処理から外し、被告人への五〇〇万円二口合計一〇〇〇万円の返還についても証拠を残さない巧みな操作をしているものと理解している。

大末建設の決算期は、毎年一二月三一日で、従来の資本金三六億円を、昭和五〇年一月、一対〇・一の割合による無償増資をしているので、その直前の昭和四九年一二月三一日終了事業年度の決算(オイルショック直後)では利益粉飾の可能性があり、そのため前記三〇〇〇万円の被告人から借受けた約束を受取手形として資産計上していたものと思われ、その後弁護人の求釈明で昭和五〇年に入ってから被告人に返金したことが、銀行の資料で把握され言い逃れのできない二〇〇〇万円についてのみこれを預かり金とする言いわけを考えついたものと思われる。

査察官は、再調査において、公表帳簿特に得意先元帳の南堺病院口座などの確認をせず、いつでも書直しのできる伝票類のコピーを大末側から提出させているのである。(当審で会社四季報及び大末建設の得意先元帳の取調を求める予定)

かようなところから大末建設としては、すべてを正直に述べないかぎり、預かり金につき、これを預かった合理的な理由の説明が出来ないのは当然であり、これによって大末建設の寺岸庸光が原審法定でジャンプがなされたと虚偽の証言をしなければならなかった立場も首肯できるである。

寺岸の虚偽の証言を原判決は見破るだけの深い洞察をしていない。

(四)原判決はいとも簡単に五〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円のジャンプがあったと認めているが、五〇〇〇万円の支払期日は、昭和四九年一二月三一日であって、三〇〇〇万円に相当する差替え手形は前記のとおり

(ア)支払期日 五〇・一・三一(五三六九三) 四〇〇万円

(イ) 同 五〇・二・二八(五三六九四) 四〇〇万円

(ウ) 同 五〇・三・三一(五三六九五) 四〇〇万円

(エ) 同 五〇・四・三〇(五三六九六) 四〇〇万円

(オ) 同 五〇・五・三一(五三六九七) 四〇〇万円

(カ) 同 五〇・六・三〇(五三六九八) 五〇〇万円

(キ) 同 五〇・七・三一(五三六九九) 五〇〇万円

であるから、もし真実のジャンプがなされたものであれば、昭和四九年一二月三〇日以降各支払期日まで月三歩に相当する利息分を別途約束手形で徴求するのが、従来の大末建設のやり口であるのに(前記(F)(G)(H)(K)の各約束手形、検甲4、使用済手形帳半片綴中の被告人筆跡のジャンプとの記載参照)右三〇〇〇万円については、原審における弁論要旨でも強調したように一切支払期日延期による利息支払の形跡がない。

原審証人寺岸庸光は、弁護人より、「この三〇〇〇万円ジャンプするについては延滞金がつくわけですか。」と尋ねられ「はい金利はいただきます。」と答えている。(第二四回一〇丁)、弁護人はその具体的支払方法を尋ねるべきところ尋ねていないので尋問は不十分に終わっているが、被告人がこれを支払ったという事実は全くない。(当審において寺岸庸光に対しその点を確認したい。)

大末建設が、三〇〇〇万円もの大金につき、いかに得意先といえどもこのような甘い処置をとる筈がないと考えるのが、経済取引社会の常識であって、原判決は、このような常識に反して、たやすく寺岸証言を信用してジャンプの存在を認めるばかりか検察官が理由は不明であると釈明している預かり金二〇〇〇万円の存在をも肯認したのは明らかに事実を誤認したものである。

五 貸付金に関する事実誤認について

1加藤幸雄に対する一〇〇万円

(一)原判決は右の件につき次のとおり判示している。

弁護人は、昭和四八年九月一日被告人が加藤に一〇〇万円貸付けたが、同人が昭和五〇年二月に退職し、退職金支払の要求があったので、右貸付金一〇〇万円を退職金と相殺したものであって昭和五〇年末には存しない旨主張する。

収税官吏の加藤幸雄に対する質問てん末書(一一、六七)、証人加藤幸雄の供述によると、同人は被告人から相殺の意思表示を受けておらず、昭和五一年五月頃に退職金約四〇万円を受取っていることが認められる。

以上の事実によると、仮に被告人に相殺の意思が存したとしても右加藤にその旨の意思表示がなされていないのであるから民法五〇六条一項により相殺の効力は認められないので、弁護人の右主張は採用しない。

(二)ところで被告人は、本件査察強制調査の際、退職金について、加藤幸雄二〇〇万円、村田高秋三〇〇万円、村田ウメ子(死亡)三〇〇万円合計八〇〇万円であると供述していたが、(九一の第九問答)、その後、右は誤りであって、村田高秋四〇〇万円、村田ウメ子四〇〇万円合計八〇〇万円と供述を変更しているので(一〇六の第七問答)この段階では加藤幸雄に対する退職金は全く無かったことになっているが、その供述変更の理由は述べられていないので調査は不十分に終わっている。

これは、被告人としては、加藤幸雄に退職金一〇〇万円のほか、追加約四〇万円、その他合わせて二〇〇万円位(無断欠勤後も暫く給料名下で金を渡していた。)を支払っていたので査察官に退職金二〇〇万円と答えたが、その後加藤俊雄からそのような答え方をするなと言われて変更したものである。

この段階では、まだ被告人は加藤俊雄の指導を受け査察調査に臨んでいたのである。

他方加藤幸雄は、昭和四六年九月大野芝診療所当時に就職し、昭和五〇年二月一〇日南堺病院を退職している。

同人はこの間において、昭和四八年九月一日、自宅新築資金として本件一〇〇万円(大和/堺宛小切手)を借り受けたが、南堺病院の新築に努力しているのでこの程度のものは貰っても当然である旨査察官に供述している。(一一の第五、第六問答)

右供述は、昭和五一年一一月一八日になされているが、南堺病院が発足したのは昭和四九年二月であるから、加藤幸雄が前記一〇〇万円につき、貰っても当然であると考えるようになったのは勿論病院新築完成以後のことであるといえる。

ところで、被告人は、昭和五一年五月頃、加藤幸雄の代理人である加藤俊雄の要求により、幸雄の退職金として約四〇万円を渡しているが、この約四〇万円は前記一〇〇万円の追加として渡したものである。

加藤幸雄は、昭和四九年分の所得税の確定申告期限が近づいた昭和五〇年二月、突如無断で欠勤しはじめ、自然退職となったもので、翌五一年五月まで退職金を要求もしないで過ごすような人物ではなく、退職の際、自ら前記一〇〇万円を退職金に充当するつもりで退職金支払を求めずにいたものであり、(前記のように査察官に対しても南堺病院新築の際の努力の対価として貰うのが当然と供述している)被告人も同人の心中をそのように解してあえて返済を求めず、弟の加藤俊雄もそのつもりでおり、互いに暗黙のうちに相殺を認める結果となり幸雄に対する退職金は解決していたのである。

然るに昭和五一年五月、被告人は、さきに加藤幸雄の仲介により、松本より池尻所在の土地に根抵当権を設定して五〇〇万円を借り受けたことがあり、既にこれを返済したに拘らず登記が抹消されていなかったので加藤俊雄を介し、加藤幸雄に登記抹消方を申し出たところ、幸雄は退職金が少なかったので只ではこれに応じられないと言い、被告人は仕方なく退職金の追加という名目で約四〇万円を渡したのである。

かような経過から加藤幸雄に対する退職金は合計一四〇万円であって、原判決の判示するように一〇〇万円は貸付金として残存し、退職後約一年三ヶ月も経過してから支払った約四〇万円だけが退職金だとするのはあまりにも不合理であり、このような少額の退職金の支払だけで引退がるような加藤兄弟ではないから、その後さらに支払要求がある筈であるが、そのような事実はない。

以上の理由により原判決の前示判断は事実を誤認したものである。

2天野文雄に対する一一〇〇万円

被告人が妻村田ウメ子の通夜の際、天野文雄に対する貸付金一一〇〇万円及びこれに対する未収入利息について、その債務金額を免除したことについては、前記未収入金に関する事実誤認の項で詳述したとおりである。

3寺岸庸光に対する三二〇万円に関する事実誤認

(一)原判決は右の件につき次のように判示している。

検察官は貸付先が寺岸庸光であったか永田宗次郎であったかは別として三二〇万円の貸付金の存していたことは明白であると主張する。これに対し弁護人は、寺岸の持ち込んだ約束手形二通を被告人が割引き、割引料二三万八九三三円を受領した事実は存するが、被告人と寺岸、永田間において債務を負担しない旨の合意が存したか、不渡時に債務の免除があり、その余の裏書人いずれも所在不明あるいは支払能力を欠くので二九六万一〇六七円は貸倒となり雑損失として計上すべきと主張する。

水口真弓美振出の約束手形二通、証人寺岸庸光、同永田宗次郎及び被告人の各供述によると、以下の事実が認められる。すなわち被告人は、昭和五〇年頃寺岸の仲介で永田から水口振出の約束手形二通(額面合計三二〇万円)の割引を依頼されて割引を行い割引料二三万八九三三円を受領したこと、永田から昭和五〇年九月頃五〇万円、昭和五〇年一二月末か昭和五一年一月上旬に二五万円の各返済を受けたが、その余は未済であること、永田は法的な債務を被告人に負担しているが手元不如意で支払の出来ないことが各々認められる。他面弁護士人指摘の被告人と永田らとの関係を考慮しても被告人と永田、寺岸間で法的責任を負わない旨の合意は成立していず、不渡後も昭和五〇年中に債務免除の意思表示がなされたものとは到底解されないので弁護人の右主張は採用しない。

前認定のとおり二五万円の返済時期は明確でないが、昭和五一年になってからであるとの立証はないので、被告人に有利に解し昭和五〇年中に支払われたものとして処理するのが相当である。従って、期末における貸付残高は返済分七五万円を控除した二四五万円と解する。

(二)そこで念のため原審における弁護人の弁論を次に掲記してみる。

弁護人請求証拠番号第一七及び第一八(約束手形)、証人寺岸庸光、同永田宗次郎及び被告人の各供述によれば次の事実が認められる。

(1)昭和五〇年五月頃、被告人は病院の建設工事を請負っていた大末建設株式会社の経理課長寺岸庸光の仲介で、取引銀行の株式会社大和銀行堺支店副長永田宗次郎から同人が所持する約束手形二通、額面合計金三二〇万円(<1>額面金一〇〇万円支払期日同年八月三一日、<2>額面金二二〇万円、支払期日同年一〇月二日、振出人はいずれもグリル大和、水口真弓美)の割引を依頼されて、これを割引き、利息(割引料)金二三八、九三三円を受領したこと。

(2)前記<1>の手形には、石橋宏、千葉寛、永田フミ、寺岸庸光、前記<2>の手形には、右石橋及び千葉を除く他の二名の各裏書が順次なされていたこと。

(3)右永田宗次郎が副長をつとめていた大和銀行堺支店は、被告人の主力銀行であり、病院建設に当たって当時多額の融資を受けており、新館増築に当たっては、さらに相当多額の融資を受けなければならない関係にあり、他方右寺岸庸光が経理課長をつとめていた大末建設に対しては、病院の建築工事に関する多額の請負代金未決済手形があるうえ、病院建物の修補、保守問題をかかえていたこと。

(4)右手形は、いずれも不渡となったが、被告人からは、その際右寺岸に対して一度だけ督促があっただけで、その後同人はもちろん右永田に対しても全然何の連絡もなかったこと。そして振出人水口は所在不明であり、手形債務中、右永田及び寺岸を除く他の債務者は、いずれも所在不明か、また支払能力皆無であること。

以上によれば、右寺岸の手形上の債務ないし手形外の保証債務は、いずれも一応これを認めることができる。

しかし、当時における被告人と右寺岸及び永田との間に存在した前記特段の事情のもとにおいては、被告人が本件手形の割引を承諾した時点において、被告人と右両名間に被告人から右両名に対しては、何等の債務をも負担させないことについての暗黙の合意があったものと判断するのが相当である。仮に、右合意の事実が明確でないとしても、不渡となった時点において、被告人が右両名に対して本件手形に関する一切の債務を免除したことが明白である。

そうだとすれば、その余の手形債務者は、前記の通り所在不明ないし支払能力皆無となったこと、まことに明白である。

(三)原審における証人寺岸庸光、同永田宗次郎の尋問段階では弁護人らは、これらの人物が、第一部上場会社の大末建設の社員であったり、大和銀行の行員であるという一応の信頼を抱いていたために、疑惑の観点に立った尋問は不十分に終わっている。この両名が知り合ったのは、昭和四九年一二月における前記見せかけの三〇〇〇万円のジャンプが仕組まれた時のようであり世間知らずでお人よしの医者である被告人が、この二人の狐と狸のだまし合いの間でうまく利用されたのがそれである。

本件手形割引においても、被告人は両名からの信頼に対する義理立てと僅かな割引手数料(二三八、九三三円)の餌につられてこれに応じたものであるが、寺岸、永田両名とも右手形二通の振出人である大阪市東区瓦町一丁目一三番地グリル大和水口真弓美なる人物も、同女の信用度も全く知らないまま、寺岸庸光本人や永田の妻永田フミの裏書をして被告人に割引を依頼しているのである。

このようなことは、この両名の社会的地位、職業経験に鑑みて右手形が不渡になった時、自ら最後までその法的責任を負うべき覚悟をきめて裏書をなし、被告人に割引を依頼したものとは到底考えられず、万一不渡による支払不能となったときは、人のよい被告人にその損害を被らせようという意図があったものとしか考えられない。

そうでなければ、自己の被告人に対する責任の履行を全うするとともに、これが担保できるよう振出人、裏書前者に対する債権確保を図っておくことが両名の社会的地位、職業経験からして当然に想定される帰結であるが、それが一切なされていない。而して両名はいずれも本件債務についてこれを履行する能力すら見受けられず、返済の意思もなかったものと認められる。

証人寺岸庸光は原審第二四回公判で検察官の誘導的尋問に対して次のように答えている。

検察官

それからあなたに対して院長のほうから、この三二〇万円の件については、もうあなたの保証人としての債務、これを免除しますと、そういう正式なお話も別にないわけですね。

寺岸

あの、そういうあとでですね。そういうらしきような話が一度あったと思うんですけれどもね。しかし、まあ私も保証人になっておるもんですからあまりありがとうございますとも何も言わなかったように思うんですけれども。

検察官

正式にはそういう話は聞いてないわけですか。

寺岸

はい。そういう話があったように思います。

検察官

それはいつのこと。

寺岸

それは、不渡になってから、それから大分たってからの話だと思いますけれどもね。

右によって、被告人が本件債権を免除した事実があったことは明らかであって、その時期は手形不渡になってから大分経てからということで、証言自体からはその時点は特定できないが、支払期日は昭和五〇年八月三一日及び同年一〇月二日であるから、被告人の供述するように昭和五〇年一二月三一日までに債務免除がなされたとみるのが至当であり、原判決はこの点において明らかに事実を誤認している。

なお本件について振出人水口真弓美らから真実の事情が聴取できるならば、被告人は、寺岸庸光、永田宗次郎らが間接正犯である詐欺被害を受けた可能性が考えられ、その場合には被告人の所得計算上では雑損控除による損金が計上され、B/S上の資産とはならない。

いずれにしても本件を資産と認め被告人の犯則所得に加算することはゆるされない。

4阪井誠道に対する三〇〇万円に関する事実誤認

(一)原判決は右の件につき次のように判示している。

弁護人は、金員の授受については争わないが、阪井が被告人の病院土地の買収に協力してくれた謝礼であって、貸付金でないと主張する。

被告人は、当公判廷で右主張にそう供述しているが、収税官吏の阪井誠道に対する質問てん末書(一五)によると、阪井自身被告人から昭和四六年に二〇〇万円、昭和四八年に一〇〇万円を借受けたが、未だ返済していないことが認められ、債務者が債務の存在自体を自認していることに鑑み、被告人の弁解は到底措信し難く、三〇〇万円の貸付金が期首、期末いずれも存したものと解する。(なお、弁護人の主張によっても所得計算上増減をきたさないことは言うまでもない。)

(二)阪井誠道に対しては、昭和四七、八年にかけて三回に亘って二〇〇万円、六〇万円、四〇万円合計三〇〇万円を貸付けた形態はとっているものの、同人は自治会長として病院の土地の買収交渉等終始一貫して被告人に協力してくれたため、被告人は各時点において同人に協力に対する謝礼として渡したつもりでおり、従って右金員については、返済の請求をしたこともなければ、勿論利息を請求したことも受領したこともない。

したがって右貸付金は本件の期首期末とともに存在しない。

被告人は、昭和五二年一月一九日、国税査察官に対し、阪井誠道に対する貸付金は、昭和四五-六年に二〇〇万円、昭和四八年一〇月ころ一〇〇万円合計三〇〇万円で、この外に昭和四七年一一月三〇日、二一五万円、同年一二月三〇日、三二五万円の各貸付につき阪井振出の約束手形二通(支払期日は昭和四八年一一月三〇日及び同年一二月三〇日)を受取っているが、右約手分については実際の金員の授受はなく、加藤幸雄が医療金融公庫からの融資を有利に運ぶため作ったものであると述べている。

被告人と阪井誠道との関係は、右のように親しく、現実に金銭の受渡しのあった、前記三〇〇万円については、被告人は各時点で同人の病院建設への協力に対する謝礼として贈与したもので、阪井としても贈与税のことを慮り貸借の形態をとり、期間の経過を見て各時点における贈与の確認を得るつもりのものであったから当然利息の支払もなく長年月を経過して来ているのである。

このようなわけで、被告人は査察官に対し貸付と説明し、阪井もその後の昭和五二年二月一九日、国税査察官に被告人からの借入金であると符節を合わせて供述しているが、これは実体に反するもので原審公判廷において弁護人は右阪井の質問てん末書を不同意となし、同人から証人としての真実の証言を求めようとしたが、その後死亡したためその目的が遂げられなかったものである。

以上の理由により原判決にはこの点につき事実誤認がある。

六 薬品棚卸について

(1)原審において弁護人は薬品棚卸につき次のとおり弁論した。

検察官の昭和五〇年末在庫二、八五〇万円の主張に対し二〇〇〇万円を主張する。

検察官の主張は、被告人の昭和五一年一一月二六日付質問てん末書における「昭和四九年末、昭和五〇年末ともに実地棚卸はしていないが、昭和四九年末二〇〇〇万円、昭和五〇年末二八五〇万円位と推定する」との供述が根拠となっているが、被告人は右供述をなすに至った経緯について「妻村田ウメ子が死亡して少し落着いた昭和五〇年一一月ころ、薬品業者を集めて今後薬品の仕入は自分がやって行きたい、価格についても勉強したいから私を通じるように申入れた。そのとき明快薬品の菖蒲が現在の棚卸をやってみましょうと言ってやってくれた。その時聞いた額が、二八〇〇万円から二九〇〇万円だったので二八五〇万円位と答えた旨」説明している。(昭和五二年二月二五日付質問てん末書第六問答)

ところが菖蒲孝夫は、昭和五二年二月一四日付質問てん末書(検察官請求番号一六)において「二〇〇〇万円を超えていたように記憶する」というだけで八〇〇万円も九〇〇万円も超えていたとか三〇〇〇万円近くあったとは述べていない。

なお被告人の一一六の検面調書一項の2では「五一年三月の時点で病院の事務所のもので在庫を調べたところ約二八〇〇万円位になっていたという資料が残してありましたから五〇年一二月末現在の在庫は約二八〇〇万円少々という風に推定されました。正確な金額はわかりませんが大体その程度の在庫はあっただろうと思っていました。」とあるが、昭和五〇年一一月ころ、菖蒲孝夫によってなされた実地棚卸の結果は前述のとおりであるばかりでなく、被告人の一〇七の質問てん末書の問六に対する答えの「五一年になってから菖蒲さんから聞いたのですが薬局長の嶋田さんに倉庫に業者が出入りしてはいけないと言われたので五〇年一一月以降たな卸はしていないという事です」及び被告人の九九の質問てん末書問二に対する答えの「五一年六月一九日の時点のたな卸金額は合計しましたところ約七千万円位あったことになります。ですがこの時のたな卸金額は通常のものより異常に多かったことが言えます。何故かと言いますと薬品会社は夏前に薬品を特売と称して値引販売するのが通例でして今年もその時期に相当量(約四、五千万円)の買込みをしましたからです」によれば、昭和五一年三月の時点に約二八〇〇万円位の在庫があったという資料が存在する筈はなく、一一四の検面調書に対する被告人からの増減変更の申立を聞入れず翌日訂正すると約束して署名捺印させたうえ、翌日になって訂正をしないで一気に作り上げられた一一五及び一一六の検面調書が如何に信用性を欠くものであるかを如実に示すものである。

(2)右に対し、原判決は次のとおり判示して弁護人の主張を排斥した。

検察官は、期末在庫高は二八五〇万円であると主張するが、弁護人は二〇〇〇万円であると主張する。

弁護人指摘の如く収税官吏の被告人に対する質問てん末書(一〇七)の問六は、収税官吏の菖蒲孝夫に対する質問てん末書(一六)と対比すれば、その前提事実に誤りがあり、その信用性は認められない。

しかしながら、被告人の検察官に対する供述調書(一一六)の一項の2は、昭和五一年三月の事務所で調べた在庫が約二八〇〇万円少々であった旨供述している。

押収してある51・3・10薬品類棚卸関係書類一綴(二八)調査報告書(一七)、差押てん末書(八七)等によると、昭和五一年三月一〇日実施の棚卸高は、二八四五万六五九四円となることが認められ、右事実を前提とする被告人の検察官に対する供述調書の信用性は極めて高いものと解される。従って、期末在庫は二八五〇万円と認定するのが相当である。

(3)ところで薬品棚卸に関し被告人の弁護人に対する説明に錯誤があったため、原審における期首在庫と期末在庫に関する主張が誤っているのでこれを訂正し、あらためて御判断を仰ぎたい。

昭和四九年一〇月六日、中東戦争勃発により急に襲来したオイルショックのため、医薬品にも価格の騰貴と品不足に対する思惑が働いていた折柄、被告人は当時一年サイトの約束手形で薬品を買うことができたのを幸に多量の薬品を買い、病院倉庫に格納するとともに一部は薬品メーカーに預けることにした。

かようなことから被告人の感じとしては、昭和四九年末と昭和五〇年末との薬品棚卸高は略々同額であり、符二八号によって確認できる昭和五一年三月一〇日の実施棚卸は、病院倉庫及び薬品メーカーへの預け品のすべてを完全に把握したものであることを思い出した。従ってこの時期においても昭和五〇年末の在庫と略々同額であることを確認することができたのである。

以上の理由から薬品棚卸高は期首期末とも二八五〇万円と認定されるべきである。

七 事業主貸に対する事実誤認

1村田弘子(旧姓岡本)関係

(一)原判決は、右の件のうち村田弘子に支給された給料につき、次のとおり判示している。

(1) 検察官は、泉州銀行白鷺支店の被告人名義の普通預金払戻金一五〇万円を公共料金及び生活費として、同支店の村田弘子、岡本ヒロ子名義の普通預金及び白鷺郵便局の村田弘子、村田聡、村田千雅名義の郵便貯金により九四六万三九六一円を生活費ほかとして、各々事業主貸として計上すべきであると主張する。これに対し弁護人は、村田弘子は被告人の病院の事務の手伝をしており、被告人から月約一五万円の給料を支給されていたのであるから事業主貸として計上すべきでないと主張する。

証人村田弘子(第二一、二二回)及び被告人の当公判廷での各供述の要旨は、被告人が夜村田弘子方に来訪した際村田弘子が病院の書類作成をほぼ毎日手伝い、給料を被告人から受取っていたが、正確な額は同女自身知らず、又被告人の病院へ出勤して勤務をしたことはないということである。しかながら、収税官吏の同女に対する質問てん末書(二七)、同女の検察官に対する供述調書(二八)と対比すると、同女が被告人の病院のため毎夜の如く書類作成等に従事していたとの前記供述は俄かに措信し難い。

給料支払の点も賃金台帳(四)にはその旨の記載があるが、前掲各証拠により認められる金員授受の時期、方法、額並びに同女が出勤して勤務をした事が認められないこと(収税官吏の被告人に対する質問てん末書(一〇一)参照)に鑑みると、給与支給の実質は認められず、生活費として手渡したものと解するのが相当である。

同女の検察官に対する供述調書(二八)によると、同女が被告人の書類作成の手伝を一部していたことは認められるもののいわゆる内助の功の域を出ず、被告人との間に雇用契約に基くものとは解されない。

以上の次第であるから、被告人から同女への金員の授受はあくまでも給与ではなく、生活費と解すべきであり、事業主貸として計上するのが相当である。

弁護人の右主張は採用しない。

(2)岡本弘子(村田弘子)は、当時殆ど毎日被告人が作成する証明書の下書き、病名印の手渡し、カルテ転記時の氏名、住所、保険証番号の記入などをしており、被告人より右労務の対価として毎月約一五万円を支給されていたものである。(第二一回、第二二回公判における岡本弘子の証言)

その支給方法としては当初は毎月末又は翌月初に一五万円ないし一六万円が大和/堺の被告人の当座預金から泉州/白鷺の岡本弘子の普通預金口座に振替送金されていたが、その後資金ぐりの都合などから保険治療関係の受取小切手を渡すこともふえるようになり、定期に定額を支給する形は変わったものの概ね月額一五万円を目途として支給されていた。(検甲八号)

支給内容は、昭和四八年中、1/17三〇万円、2/14・3/14・4/3・4/25・5/25・6/25各一五万円、7/25・8/25・10/25一六万円12/29三〇万円、昭和四九年中、1/26一六万円、2/25一五万円、5/25・6/25各一六万円と規則的であったが、病院建設後は資金ぐりのため、不規則となっているが月額概ね一五万円となっている。

公表帳簿である賃金台帳(符四号)によっても同女に対しては事務員として昭和五〇年中には合計九六一、五七五円の支給額に対し社会保険料四九、三五二円、所得税等三三、五三五円が控除されており、前記一五万円との差額はいわゆる簿外給与であるから、事業主貸の借方においてこの分についても当然減額されなければならない。

少なくとも右の賃金台帳に記載し、社会保険料、源泉所得税控除の対象となっている九六一、五七五円が事業主貸となる筈はない。

右のように客観的に真実性を表現する預貯金関係及び物的証拠(符四号)と背反する同女の国税査察官に対する質問てん末書及び検面調書は信用性が乏しい。

原判決は、右の社会保険料や源泉所得税は賃金台帳に記載しているだけで納付していないと認めているのであろうか。もしそうであれば証拠によらない独断といわねばならない。

原判決が、村田弘子の内助の功を認めながら、これに対する被告人からの対価の支払いをすべて事業主貸と認定しているのは明らかに事実を誤認したものである。

(二)原判決は、

(1)白鷺郵便局の村田千雅名義の普通貯金に昭和五〇年一月一三日入金の一五、〇〇〇円及び同局の村田聡名義の普通貯金に同日入金の五〇〇〇円

(2)昭和五〇年一月一四日、同局の村田聡名義の普通貯金に入金の八一万円

(3)昭和五〇年一月三一日、同局の岡本ヒロ子名義の普通貯金から出金した二〇〇万円

につき、(1)(2)は被告人の店主貸に加うべきものではなく、(3)は被告人の店主貸より減額するべきものであると弁護人の主張を容れ検察官の主張を排斥した。

村田弘子関係の事業主勘定は査察官によって「公共料金及び生活費」と「生活費ほか」に分けられ、その処理が極めて杜撰であるが、検察官はこれを整理することもなく原審はこれの整理を命ずることもなく、経過した。

検察官は、前記「公共料金及び生活費」に属する事業主貸として泉州/白鷺の被告人名義の普通預金からの出金合計二、三二三、五三五円から、昭和五〇年二月一〇日、白鷺郵便局の村田聡名義の普通貯金に入金した一〇〇万円のうちに含まれるものと認定した八二三、五三五円を差引いた一五〇万円を計上し、さらに「生活費ほか」に属する事業主貸として、泉州/白鷺の被告人名義の普通預金への入金、白鷺郵便局の村田千雅、村田聡、村田弘子、岡本聡の各名義の郵便貯金への入金合計額より大和/堺の被告人の当座預金や他へ支出した合計額を差引いた九、四六三、九六一円を計上し、村田弘子関係の店主貸は、合計一〇、九六三、九六一円という巨額の主張をしているのである。そこで弁護人は、これらの口座の入金のすべてにつき入金伝票及び出金伝票を作成し、これを日付順に並べて帳簿式に纏め原審でその取調を求めたのである。

これによって弁護人は漸く前記(1)(2)(3)の諸点につき、検察官主張の欠陥を見出して指摘し、原判決はこれを認容することになったわけであるが、なお問題点は皆無とは言い切れない。

2西峯幸関係

原判決は、西峯幸に対する事業主貸二七一万円を検察官主張どおり認定している。

しかしながら原審証人村田幸(旧姓西峯)の供述によれば、同女は看護婦の資格を有し、昭和五〇年中は一ヶ月七-八回の割合で日曜日など看護婦が時々休んで来ない者があったときその補充として看護婦の仕事に従事したり、夜中まで保険証の照合をする事務に従事していたことが明らかである。

昭和五〇年一〇月村田ウメ子死亡前は、右労務に対する給与は簿外で支給されていたが、同月以降一二月まで月額一二〇、五〇〇円、同年一二月一五日賞与二一万円合計五七一、五〇〇円が公表上支給され、これに対し社会保険料二五、四四〇円、源泉所得税一三、六五〇円が徴収されていることは、昭和五〇年分の同女の所得税源泉徴収簿によって明らかである。

従って同女の昭和五〇年中の給与は少なくとも一二〇、五〇〇円の一二ヶ月分と年末賞与二一〇、〇〇〇円(夏期賞与は明らかでないので省く。)の合計一、六五六、〇〇〇円であるから、前記事業主貸の額二、七一〇、〇〇〇円からこれを差引いた一、〇五四、〇〇〇円となる。

弁護人は、西峯幸に対する簿外給与の状況ならびにこれと生活費との関係につき、従来の経過について同女の供述を求めようとしたが原審裁判官は昭和四九年以前の尋問を制限し、これに対する異議をも却下したうえ強引に検察官主張の金額を事業主貸と認定したものであって、右は明らかに事実を誤認したものである。

3事業主貸に関する原判決認定事実のうち

1. ソニー電化製品(ビデオテープ) 三三四、四八〇円

2. 浮世絵全集 六三〇、〇〇〇円

3. 加藤俊雄関係 一二、五〇〇、〇〇〇円

の各事実の誤認については、損益計算法による事実認定の項において述べる。

八 未払金の事実誤認について

1原判決は、弁護人の未払金の主張に対し、次のとおり判示して右主張を排斥している。

弁護人は、被告人が従業員に支給した給与のうち源泉徴収洩れ分については、いずれも手取額として給与したものであり、これに対する源泉徴収税額の徴収は事実上不可能であり、被告人が負担すべく、支給した手取額に対応する徴収税額を加えた金額を総支給金額として税額を計算した五六六万九二〇五円を未払金として計上すべきであると主張する。

弁護人主張の計算額自体の当否はさておき、先ず、源泉徴収額の負担者について検討するに、所得税法一八三条により被告人は源泉徴収義務を負っているにとどまり本来給与所得を得た者(従業員)が負担すべきである。

しかも収税官吏の被告人に対する質問てん末書(一〇五)によると、昭和五二年一月二六日当時被告人が源泉徴収税額を従業員から徴収する意思を有していたことが認められ、弁護人主張のように源泉徴収洩れの分の給与を手取給と解するのは相当でない。従って、被告人が源泉徴収すべき税額を強制徴収されたのであればその時点において同法二二二条により徴収されるべき者に対して支払請求等をすれば足りるのであって、弁護人主張のように昭和五〇年において未払金として計上すべき筋合のものではない。

2さて、所得税法一八三条一項は「居住者に対し国内において第二十八条第一項(給与所得)を規定する給与等の支払をする者は、その支払の際、その給与等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。」と規定している。

そして医療関係の従業員中、医師の給与については、一般の例と異なり、手取額をもって契約するのが通例であり、この場合名目上の支給額は現実の支給額(即ち手取額)に源泉徴収税額を加えたものとなるわけである。

従って支給の時点において、支払者は手許に残った源泉徴収税額を所定の手続によって納付すべき義務を負うことになり、これが相手方との関係では預り金という性格を帯びることになるわけである。

原判決は、医療関係における右に述べたようなしきたり(このしきたりは最近漸次減少しているようであるが、源泉徴収さえ厳格に行われるならば非難さるべきものではない。)に従っていた被告人の行為ならびにこれに関する弁護人の主張に対する理解を欠いたため、争点とかけ離れた判断をなし、もって事実を誤認したものである。

そもそも正式の源泉徴収手続をしないで給与を支給するのは、いわゆる裏給与の支給であり、その場合、支給者の方では将来これが発覚したときは、自己において源泉徴収税額分は余分に負担すべきことを覚悟のうえ、勤務努力、能率増進を期待して支給するものであり、受給者においてもそのことを十分承知して受領するものであって、将来受給金の中から源泉徴収分を返戻しなければならないと考えるようなものはない。

支給者が、源泉徴収すべき税額を強制徴収されたとしても、受給者に対して支払請求のできる筋合いではなく、右の預かり金は当然昭和五〇年末において被告人の未払金として計上されなければならない。

然るに弁護人主張の計算額の当否をも検討せず、前記のような理由で弁護人の主張を排斥した原判決には明らかに事実の誤認がある。

九 損益の勘定科目に関連する事実誤認について

1ソニー電化製品(ビデオテープ)三三四、四八〇円及び浮世絵全集六三〇、〇〇〇円について

原判決は右は何れも被告人の個人的用途のために購入したものであるとして、その経費性を否定する。しかしながらビデオテープは当時すでに行われていた医家向けの専門のテレビ放映あるいは学術用のビデオテープを購入してこれにより医学の進歩に遅れないよう勉強するためのものであり、浮世絵全集は病院の装飾用である。これらは何れも病院内に保管されていたものであり、もし被告人が個人的な娯楽、趣味等のため購入したものとすれば当然自宅に保管されていて然るべきものである。病院に於ける被告人の勤務状況はまことに繁忙の一語に尽きるものであり、これらを病院内で趣味あるいは娯楽として楽しむような暇は全くない。原判決の認定は明らかに誤りである。

2加藤俊雄関係 一二、五〇〇、〇〇〇円

右が病院の経費として認められるべきであることは、前記第三に詳述したとおりであり、この点についての原判決の認定は明らかに事実を誤認するものである。

3建物の減価償却について

原判決は白鷺ビューハイツ四〇三号七〇四号室について租税特別措置法一四条一項に規定する割増償却の適用を否定したが右判断は誤りである。その理由については後に補充書をもって述べる。

4未払金(源泉徴収洩れ分)五六六万九、二〇五円について

原判決は右については被告人がこれを負担すべきものではないとして、未払金に計上すべきでないとして、その経費性(損益勘定の諸税公課)を否定する。しかしながらこれらの源泉徴収洩れ分については当初から手取額として支給する約定のもので、被告人にこれらの者に対し支払請求をすべき根拠がないものである。したがってこれは当然に経費として認められるべきもので、原判決の認定は誤りである。

第五 原判決の量刑は不当である。

原判決は、被告人に対し懲役一年及び罰金二、一〇〇万円に処するとし、右懲役刑については三年間の執行猶予としたものである。しかしながら本件事案は、被告人が初めから計画的に脱税しようとした意図のもとになされたものではなく、悪質な新聞ゴロであたかも税務専門家であるかの如く装い、その実自分のために大金を騙し取ろうと図った加藤俊雄の甘言に乗せられ、加藤の要らざる細工によって惹起された事件ともいうべきものである。

これに加うるに被告人の経歴、医師としての真面目な献身的な仕事振り、その他の情状に鑑みれば、原審の量刑は重きに過ぎると言わなければならない。

釈明請求書

所得税法違反

被告人 村田政勇

右被告事件につき検察官より取調べがあった昭和五二年二月一〇日付丸尾真一作成の査察官調査書(請求番号4)に対する意見陳述に必要なため、検察官に対し左記事項を釈明されたく請求する。

昭和五五年一月二五日

主任弁護人 井下治幸

大阪地方裁判所第一二刑事部

四係 御中

第一点「支払手形」No.11の頁に、

昭和四九年一二月三〇日

大末 B九三 50・1・31 建物 四、〇〇〇、〇〇〇円

〃 B九四 50・2・28 〃 四、〇〇〇、〇〇〇円

〃 B九五 50・3・31 〃 四、〇〇〇、〇〇〇円

〃 B九六 50・4・30 〃 四、〇〇〇、〇〇〇円

〃 B九七 50・5・31 〃 四、〇〇〇、〇〇〇円

〃 B九八 50・6・30 〃 五、〇〇〇、〇〇〇円

〃 B九九 50・7・31 〃 五、〇〇〇、〇〇〇円

とあるが、右に記載されている「建物」とはどの「建物」を指すのか。

なお、昭和五一年九月二日付、大末建設(株)大阪支社森岡弘雄の確認書を開示されたい。

第二点「借入金」No.1の頁に、

<1>昭和五〇年二月 一日 六五四 C 建物 四、〇〇〇、〇〇〇円

大末建設 近相/本店・小切手

<2>昭和五〇年三月 一日 六五四 他手 建物 四、〇〇〇、〇〇〇円

大末建設 住友/天王寺・小切手

<3>昭和五一年四月 二日 六五四 他手 建物 四、〇〇〇、〇〇〇円

大末建設 約手 近相/本店・小切手

<4>昭和五一年五月 七日 堺市信金/登美丘 当座預金 四、〇〇〇、〇〇〇円

<5>昭和五一年五月三〇日 六五四 他手 建物 四、〇〇〇、〇〇〇円

大末建設(株) 一、〇〇〇、〇〇〇円 三和/ 小切手

とあるが、

1 右のうち<1><2><3><5>の小切手(<3>については約手か小切手か不明)の各裏書人を明らかにされたい。

2 右のうち<4>の入金は、如何なる形態によってなされたか。

3 大末建設(株)振出の小切手、もしくは手形が、被告人に渡っているのは如何なる理由によるのか。

以上

<省略>

再釈明請求書

所得税法違反

被告人 村田政勇

右被告事件につき、昭和五五年一月二五日付主任弁護人の釈明請求書に対し、検察官より同年三月二一日釈明書の陳述がなされたが、求釈明事項第一点につきさらに左記事項を釈明されたい。

昭和五五年一一月二七日

主任弁護人

弁護人 大槻龍馬

大阪地方裁判所第一二刑事部

四係 御中

一 支払手形七通の相手方勘定が建物でないとすれば一体何か。

二 いわゆるジャンプ前の手形の内容を明らかにされたい。

三 「右支払手形の相殺勘定が為されている」というが如何なる債権と相殺したのか。

以上

<省略>

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