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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)558号 判決 1980年12月24日

控訴人

附帯被控訴人(以下控訴人という) ダイハツ工業株式会社

右代表者代表取締役

大原栄

右訴訟代理人弁護士

平田薫

山田忠史

被控訴人、附帯控訴人(以下被控訴人という)

北方龍二

右訴訟代理人弁護士

松本健男

(他五名)

主文

1  従業員地位確認、第二次出勤停止処分無効確認請求に関する本件控訴及び本件附帯控訴をいずれも棄却する。

2  賃金支払等請求に関する本件控訴に基づき、原判決主文第四項を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金四五二万〇九〇八円及び昭和五一年四月一日以降毎月二五日限り九万七七二〇円の金員を支払え。

被控訴人のその余の金員支払請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人のその余を控訴人の負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人

1  原判決主文第一、第二、第四項を取消す。

2  被控訴人の右取消部分に関する請求をいずれも棄却する。

3  本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも全部被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  原判決主文第五項中「被控訴人のその余の請求を棄却する」との部分を取消す。

3  控訴人が被控訴人に対し昭和四六年一二月二〇日付でした出勤停止処分は無効であることを確認する。

4  控訴人は被控訴人に対し金七一万五六一九円を支払え。

5  訴訟費用は第一、二審とも全部控訴人の負担とする。

6  4項につき仮執行の宣言

第二主張、証拠(以下事実略)

理由

一  控訴会社は、トヨタグループの自動車製造会社であって、池田(本社)第一、第二工場(従業員数各三〇〇〇名)、西宮工場(同約千数百名)及び京都工場(同五〇〇名)を有していること、被控訴人は、昭和四五年三月二五日控訴会社に技能員として雇用され、池田第二工場製造第三部組立課(以下単に組立課という)に所属し組立工として勤務していたこと、控訴会社は、被控訴人に対し、<1>昭和四六年一二月二〇日被控訴人が就業規則七三条四号「正当な理由なしに職務上の指示命令に従わない者」に該当するとして同月二一日から昭和四七年一月二一日まで二〇日の出勤停止処分(以下第一次出勤停止処分という)をし、<2>昭和四七年一月二一日前同様の理由で同月二二日から同年二月一五日まで二〇日間の出勤停止処分(以下第二次出勤停止処分という)をし、<3>昭和四七年三月三〇日被控訴人が就業規則七三条四号(前同)、五号「勤務怠慢又は素行不良で会社の風紀秩序を乱した者」、一二号「故意又は重大な過失により会社に損害を与えた者」及び一三号「その他諸規則に違反し、又は前各号に準ずる行為をした者」に該当するとして懲戒解雇に付したことは当事者間に争いがない。

被控訴人は右各処分はいずれも無効であると主張し、控訴人はこれを争うので、以下検討する。

二  第一次出勤停止処分について

1  (書証・人証略)に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一)  被控訴人は、昭和四六年一一月一四日(日曜日)東京都内で行われる「沖縄返還協定批准阻止、佐藤内閣打倒」のデモに参加するため、同月一三日直属上司である西阪組長に同月一五日の慰労休暇(控訴会社では年次有給休暇をこのように呼んでいる)届を出して承認を受け、さらに当時この種デモにおいては参加者の逮捕が頻発していたので、そのような不測の事態にそなえ同月一六日以降の休暇届を作成し、これを地元の友人に万一被控訴人が一六日以降も出勤せず、何の連絡もなければ控訴会社に届けてほしい旨依頼して預けておいた。前記デモに参加した被控訴人は、同日東京都内において兇器準備集合罪、重過失傷害罪、鉄道営業法違反等の被疑事実により逮捕され引き続き勾留されたため、同月一六日以降出勤できず、自ら欠勤届を出すこともできなくなった。控訴会社は、被控訴人の一六日以降の欠勤について直ちにこれを無届欠勤とせず、被控訴人の有給休暇があと四日間残っていたので暫定措置としてこの有給休暇を右欠勤にあてる取扱いにしていたところ、前記友人から同月一七日午後四時頃池田第二工場北門(通用門)の警士を通じて西阪組長宛に被控訴人が同月一六日から一九日まで慰労休暇をとりたい旨の届が出され(翌一八日狭間職長がこれを受取る)、さらに慰労休暇の期間が満了する同月一九日午前一一時過頃被控訴人の姉と称する女性から電話で「被控訴人は都合により一一月二〇日から一二月中旬頃まで欠勤させてほしい」旨の連絡が控訴会社にあった。控訴会社では従業員が引き続き三日間以上欠勤する場合は、労務担当の課員が本人のもとをたずね欠勤理由等について事情聴取をする慣行になっていたが、一一月一九日組立課長から右のような事情で被控訴人の勤怠が異常であるとの連絡を受けた勤労部労務第二課(池田第二工場の現場の労務担当)は直ちに課員を被控訴人のもとに派遣して事情聴取を行おうとしたところ、同人は住所であるダイハツ春日寮にはこのところずっと不在であることが判明し、保証人である両親に事情を聞こうとしたが、被控訴人が控訴会社に届出ていた住所から既に転居しており、探し当てた両親は被控訴人の現在の所在及び欠勤の理由はもちろん近況すら知らない状態であったので、労務課員は、両親から姉の住所を聞き出し、被控訴人の姉(埼玉県浦和市在住)宛に被控訴人の欠勤理由を明らかにしてほしい旨の電報を打った。被控訴人は、一一月二一日留置先に接見に来た弁護人に自分が署名、指印し西阪組長の宛名だけを記載した書面を預け、これを休暇届に完成させて控訴会社に提出するように依頼し、同弁護人は被控訴人から託された欠勤理由の要旨を記載して別紙一のとおり休暇届を完成させ、これを控訴会社に郵送したので、右休暇届は同月二四日控訴会社に到達した。さらに被控訴人は、事前に「欠勤届」という表題、「西阪組今村班」という肩書に自分の署名、押印をしただけの欠勤届を姉に預け、被控訴人の姉は、被控訴人から託されたとおりの内容の欠勤理由を記載して別紙二のとおりの欠勤届を完成させ、これを同月二二日控訴会社に郵送したので、右欠勤届は同月二五日控訴会社に到達した。しかし、この二通の欠勤休暇届は控訴会社が従来から使用すべきものとしていた正規の届とは様式が異なり、欠勤の期間の明示もなく、かつその一通には届の日付もなかったので、控訴会社は、友人を通じて提出された休暇届及び姉の電話連絡等を合せても被控訴人がどのような理由でいつまで欠勤するのかの判断ができず、これらを正規の届として認めるわけにはいかないとの態度をとった。ことに欠勤の理由が官憲による逮捕勾留という異常なことであるので労務担当者を驚かせたうえ、被控訴人の姉が代筆したとされる欠勤届(別紙二)に記載された欠勤理由は控訴会社にとって極めて過激で穏当を欠く文言が用いられているように思われた。控訴会社は、被控訴人が具体的にどのような理由で逮捕勾留されているのか、そのような状態がいつまで続き欠勤が続くことになるのか、その間の詳しい事情を知るため東京にある被控訴人の弁護人の事務所に電話で照会したが、何ら説明を得ることはできなかった。

(二)  池田第二工場では控訴会社の主要製品である軽四輪乗用自動車、小型乗用自動車の生産を行っており、同工場組立課の所属従業員約五九〇名は四組に分かれ、一、二組が軽四輪の担当であれば、三、四組が小型乗用車を担当するというように半数ずつに分かれ、奇数組と偶数組が昼勤(始業午前八時、終業午後三時四五分、休憩正午から午後〇時四五分まで)と夜勤(始業午後九時、終業翌日午前六時一〇分、休憩翌日午前一時から午前二時まで)とを一週間ごとに交替して勤務するという体制になっていた。組立課の作業内容は、板金(鈑金)、塗装工程を終えた車体に内装、外装の部品を取付ける艤装、エンヂン等駆動部門を取付ける組立等であり、最後に完成した車の総点検をする検査課に引き継がれるのであるが、これら板金、塗装、組立の各作業は大量生産を目的とし一貫したベルトコンベア方式による流れ作業によって行なわれた。被控訴人が所属する西阪組は、昭和四六年一一月当時この組立課艤装工程の終りの部分を担当し、構成員は二一名、内訳は組長一名、班長二名、スペアマン一名、西阪組が受持つ一五工程を担当する者が各一名ずつ一五名、余剰人員として長期欠勤者二名(そのうち菊地保武は一一月四日から出勤し昼勤だけについて他の従業員の補助程度の仕事に従事していた)であり、被控訴人は、前記工程の一つであるカウルトップ(エンヂン内に車外から水が入らないようにするためウインドガラスの下に取付ける細長いゴム)、フードモール(ボンネットの先端に取付ける装飾品)、アウターリヤーヒューミラー(バックミラー)、ヘッドライトの取付作業に従事していた。組長は現実の作業には従事せず組全般の作業の指揮監督、労務管理等を担当し、班長は組長を補佐するとともに未熟練者の補助指導、欠勤者があった場合の補充等を担当し、スペアマンは熟練工で専属の一工程を担当せず、欠勤者の補充、未熟練者の補助、作業員が一時現場を離れる場合の作業の代行等を行うものである。各組にはそのほかにも若干の余剰人員がある場合があって、専属の一工程を担当せず、普段は作業現場の整理整頓、各工程の前作業等に従事し、有給休暇をとる者や欠勤者が多くなったときその補充、他の組の応援にそなえていた。西阪組では、一一月一六日以降の被控訴人の欠勤について今村班長が被控訴人の作業を代行していたが、同月一九日被控訴人の姉と称する者からの電話により被控訴人の欠勤が長期に及ぶことが予測されると、班長の代行は臨時に過ぎないので組内での作業の編成替を行うことにし、同月二〇日から昼勤についてのみ被控訴人が担当していた工程を広岡組員が担当し作業に慣れるまで今村班長が補助し、広岡組員が担当していた工程を前記余剰人員であった菊地組員が担当しスペアマンの橋本谷が補助指導することにし、夜勤については菊地組員が病気欠勤あがりであって夜勤につけないので従前の臨時体制のままとしていたが、同年一二月七日菊地組員が通常勤務も可能と診断されてからは、夜勤も昼勤と同様の作業体制がとられた。このようなことで被控訴人の西阪組での専属の持場はなくなり、いつ出勤できるかもわからない被控訴人は、以前の菊地組員の場合と同様余剰人員として取扱われることになった。そして現場の労務を担当する労務第二課は、被控訴人の勤務をとりあえず昼勤に限ることとし、もし被控訴人が出勤してきたときには勤務につかせず、労務第二課に事情聴取を受けるよう出頭させることを現場の上長らに指示しておいた。

(三)  被控訴人は、昭和四六年一二月六日夜不起訴釈放され、翌七日午後二時頃地元へ帰り、この週の西阪組の勤務は夜勤であったので就労しようと思えば可能であったが、長期欠勤後の身辺の整理のためその日は欠勤し、翌八日午後九時前頃夜勤につくため西阪組に出勤した。そして西阪組長に対し「一二月六日釈放され七日に帰って来た。七日の夜勤は就労できたが都合で欠勤した。これからは就労できるので仕事をさせてもらいたい」旨告げて元の持場につこうとすると、西阪組長は、労務第二課の指示で被控訴人が出勤してきたら勤務につかせず労務第二課へ事情聴取のため出頭させるようになっている、欠勤中に編成替を行い被控訴人の持場はなく昼勤になっている、今夜の勤怠は出勤扱いにするから直ちに帰宅し明朝午前八時に労務第二課へ出頭するようにと指示した。被控訴人は、就労を禁止される理由が理解できない、勤務を勝手に昼勤に切替えたのは不当であると反論し、そこで西阪組長及び後に加わった狭間職長と押問答となり、同人らが控訴会社の意向を伝えようとしたが納得せず、そのうち職長、組長らが所用で席を外している間に同日午後一一時頃西阪組の元の持場へ行き、広岡組員が今村班長の補助を受けて作業をしているところへ、今村班長と交替して作業についた。被控訴人が作業につくについて上司あるいは同僚がこれを制止したことはない。ところで、各專属の工程は一人だけで作業するのが最も効率的ではあるが、これを二人で作業したからといって作業の円滑適切な進行を妨害するわけではなく、現に広岡組員のように他人の補助を必要とする場合もあり、被控訴人がこの日就労したことによって作業に混乱を生じたことはない。しかし、職長、組長らが九日午前〇時頃再度被控訴人を説得したところ、被控訴人は納得し、結局右の一時間程作業についただけで九日午前二時頃退社した。

被控訴人は、右のようなことで帰宅が深夜になったこともあって右九日指示どおり午前八時に労務第二課に出頭せず、午後二時頃出頭したが、「今日は労務に呼び出されたから来たのでなく、抗議に来たのである。誰が昨日の夜勤を昼勤に変えたのか。昨日の勤怠はどうなっているのか」等と問いただし、午後三時頃から事情聴取を行った船寺高志労務第二課長は、長期欠勤者を直ちに勤務につけるわけにはいかないこと、ことに夜勤は危険であること、被控訴人がこれまで提出した欠勤届では不十分であり、会社としては一一月二〇日から一二月七日まで一四日間に及ぶ欠勤等について説明を求めたいこと等を告げると、被控訴人は、欠勤理由については既に提出してある休暇、欠勤届で十分明らかであると主張し、欠勤理由について釈明することを一切拒否し、午後三時四五分の定時に退社した。

一二月一〇日午前八時被控訴人は労務第二課に出頭して、欠勤についての事情聴取を受けた。控訴会社では労働協約・就業規則上慰労(年次有給)休暇、特別休暇等各種の休暇が認められているほか、欠勤については「病気その他やむを得ない事由により欠勤するときは、その事由と日数を事前に、その余裕のないときは当日すみやかに、所属の上長に届出なければならない」(就業規則五二条一項)と定められ、所定の届出用紙を用意し、欠勤の理由によっては、例えば病気欠勤の場合、「病気欠勤が七日以上に及ぶときは、前項の届出に医師の診断書を添付しなければならない。この場合必要と認めるときは、会社の指定する医師の診断を受けさせることがある」(同条二項)と定められ、他の理由による欠勤と多少取扱いが異なるほか、「前二項の手続を怠ったとき、欠勤事由の認められないとき、又は虚偽の理由によると認められるとき、無届欠勤とする」(同条三項)と定められ、欠勤の理由あるいは手続如何によってはこれを正当なものと認めず、一時金、昇給等の成績査定に影響を及ぼし、場合によっては「正当な理由なしにしばしば欠勤した者、又は無届欠勤が引続き七日以上に及んだ者」(就業規則七三条三号)として懲戒を受けることにもなるのである。したがって控訴会社は、従業員の欠勤についてはその理由を知る必要があり、そのため控訴会社においては従業員が連続三日間以上欠勤した場合、必ず労務課員が本人から直接事情聴取することになっており、場合によっては欠勤者に適切な指導を行うこともあった。さらに成績査定の面のみならず、長期欠勤者が職場に復帰する場合、特に病気欠勤の場合に顕著なように、その者が心身共に職場復帰に適切な状態にあるかを確認するため、欠勤理由、欠勤期間中の生活状況等について本人から事情聴取する必要があり、長期欠勤者についてこのような事情聴取を経ずに直ちに勤務につけることは危険でもあったので、控訴会社では事情聴取を経ずに長期欠勤者を直ちに就労さすことはなかった。現に前記菊地組員は、職場復帰後直ちに就労せず、同年一一月二日控訴会社の健康診断を受けてB1(治療が必要、はげしい運動、残業、夜勤等不可)の判定を受け、専属の工程を担当させられなかったのである。労務第二課長船寺高志は事情聴取において被控訴人に対し右のようなことを説明して本件において被控訴人に対する事情聴取が必要であり、既に提出されている欠勤休暇届は正規の届とは認めらわず欠勤の具体的な事情が明らかでないこと、そのため事情聴取が終らなければ被控訴人を勤務につけるわけにはいかないことを縷々説明して欠勤について本人からの釈明を求めたが、被控訴人は、欠勤理由については既に提出してある届で十分であり、それ以上のことについて事情聴取を求めるのは被控訴人の私生活にわたる思想、信条調査となるので一切これに応じないとの態度を一貫し、事情聴取を打ち切って直ちに勤務につけるべきことを要求した。船寺課長は、このように双方の意見が平行線をたどり時間を空費するばかりであったので、被控訴人が未成年(昭和二七年三月一二日生)であることを考慮し、一度両親とも相談して明日出頭するように言渡して同日午後一時四五分頃被控訴人を退社させた。

一二月一一日被控訴人は、午前八時労務第二課に出頭し、両親とも相談したが、自分の考えは変らない旨告げ、事情聴取に対しては従来同様一切これに応じない態度を示し、例えば「東京では一体どういうことをしたのか」という質問には沈黙したまま答えなかった。午前一〇時頃からは現場の上司である谷口組立課長が代って事情聴取を行ったが同様であった。そのうち控訴会社労働組合が、被控訴人の欠勤の取扱いについては組合としても利害関係があるという理由で被控訴人からの事情聴取を申し入れ、組合も同日午後三時過頃から被控訴人と面接したが、被控訴人は、会社に対すると同様組合の事情聴取には応ぜず、組合が会社側と同様のことをすると不満を述べた。船寺課長は被控訴人に対し一二月一三日(月曜日)も労務第二課に出頭するように指示したが、被控訴人は、事情聴取はもはや不必要であるので月曜日からは勤務につく旨告げて退社した。

一二月一三日この週の西阪組の勤務は昼勤であったので、被控訴人は、午前八時出勤して労務第二課に出頭せず西阪組の元の持場に就労した。西阪組長、狭間職長、谷口課長らは、被控訴人に対し労務第二課から事情聴取を求められていること、被控訴人の持場は編成替によってなくなっていること、現場としては労務の事情聴取を終えないかぎり、作業につけるわけにはいかないことを説明して、労務第二課への出頭を促したが、被控訴人はこれに応ぜず、労働組合の代表らも現場へ来て再度被控訴人に事情聴取を求めたが同様であった。そこで控訴会社は、これまでの被控訴人の態度は何らかの懲戒処分の対象となると判断し、同日午前一一時五〇分頃被控訴人を労務第二課へ呼び出し、何らかの処分があるまで自宅待機するように、その間の就労を禁止する(ただし賃金は支払われる)旨課長を通じて申渡した。被控訴人は、そのような命令には従えないとして午後三時四五分の定時まで西阪組で就労したが、これによって特段作業に支障がなかったことは一二月八日の場合と同様である。

(四)  一二月一四日午前七時三五分被控訴人は、前日の自宅待機命令を無視して出勤し、池田第二工場北門(これが従業員の通用門である)から構内に入り、門の東側にある更衣室で作業着に着替えて現場に向かおうとしたところ、待機していた労務課員及び警士らに発見され、警士ら数人につかまえられて門西側にある警士詰所に連行され就労を阻止されたので、同日午前一〇時三〇分過ぎ退去した。

一二月一五日午前七時三〇分被控訴人は、就労要求のゼッケンをつけて北門前に現われて入構を試み、これを阻止するため門前に立ちふさがった数人の警士らともみ合いになったが、午前八時過ぎ退去した。

一二月一六日午前七時三〇分頃被控訴人は、前日同様北門前に現われて入構を試み、警士の隙をついて構内にはいり組立課まで行き、谷口課長が帰るように説得してもこれに応じないので、警士ら五名が被控訴人を担いで構外に出した。

一二月一七日午前七時三〇分頃被控訴人は、北門前に現われ、これを阻止するために門前に並んだ警士らと入構を求めてもみ合った。この時はじめて「工場ゲリラ」と称する者三名が門前で被控訴人を応援するビラをまいた。

(五)  労務第二課は池田第二工場の現業従業員の労務管理を担当するものであるが、従業員に対する懲戒処分は全社的な労務管理を担当する同じ勤労部の勤労課がこれを担当することになっていた。また控訴会社では労働協約上労働組合員を懲戒解雇に付する場合は労働組合の同意を必要とすることになっており(労働協約二八条)、そのため労使で構成される懲戒委員会が開かれることになっていたが、この懲戒委員会は、労働組合の同意を要しない他の懲戒処分(譴責、日給切替、減給、出勤停止)についても開催される慣行になっていた。労務第二課から連絡を受けた勤労課では被控訴人の処分を検討し、調査のうえ一二月一七日懲戒委員会を開いた。懲戒委員会には、勤労部長、同課長、各工場の労務担当(本件では労務第二課長)、被処分者の所属上長(本件では組立課長)、労働組合本部、支部から代表各一名が出席し、会社側は被控訴人の当日までの行動は懲戒解雇に相当すると提案したが、組合側がこれに反対して同意を与えなかったため、処分を一段おとして出勤停止処分に付するということで全員が一致した。出勤停止処分は前記のとおり労働組合の同意を得ずに発令できるのであったが、控訴会社では、組合代表が一旦懲戒委員会の結論を持ち帰り、執行委員会の了承を得て正式に組合の意見を返答するという手続が慣行としてとられていたので、本件においても控訴会社は直ちに処分を発令せず、一二月二〇日組合からの返答を受けて、同日被控訴人を労務第二課に呼び出して本件第一次出勤停止処分を言渡した。その処分理由は、辞令(書証略)によれば、就業規則七三条四号「正当な理由なしに職務上の指示命令に従わない者」に該当するということであった。

以上の事実が認められ、(人証略)中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  以上の事実によれば、本件第一次出勤停止の具体的処分事由は、被控訴人が一二月八日、一三日の就労禁止命令に反して就労したこと、一二月九日、一三日いずれも労務第二課へ事情聴取のため出頭を命ぜられたにもかかわらず出頭しなかったこと(もっとも、一二月九日は命ぜられた時間より遅れて出頭している)、一二月一四日以降自宅待機命令を無視して連日入構、就労しようとしたことが「正当な理由なく職務上の指示命令に従わない者」に該当すると判断されたからと認められ、控訴会社の主張を勘案しても、被控訴人が提出した欠勤届が正規のものとは認められず無届欠勤とみなされること、強行就労により控訴会社が主張するような実害が生じたこと、被控訴人が事情聴取において欠勤理由を明らかにしなかったこと等が第一次出勤停止処分の直接の理由となっているとは認められない。

そこでまず一二月八日の就労禁止命令について検討するに、控訴会社が長期欠勤者を直ちに作業につけないようにしていることは、長い間現場から離れていた者をすぐ作業につかせると適切円滑な作業の進行が期待できないことがあるばかりか、場合によっては事故発生の危険すらあるからであり、長期欠勤者を夜勤からはずすことも同様の理由からと認められる。したがって、長期欠勤者が独自の判断で就労の能力があるといって就労を求めても、使用者としては健康診断あるいは事情聴取によってそれを客観的に確認したうえでなければ作業につくことを認めないというのは当然の措置である。前記認定の事実によれば、一二月八日の就労禁止命令は、欠勤中の被控訴人の生活環境等を把握し、作業につかせるのに適切な状態にあるかとの点についての会社の事情聴取を経なければ就労してはならないという趣旨で発せられたものと認められ、その意味では正当な理由に基づくものであり、これに反した被控訴人は、「正当な理由なく職務上の指示命令に従わない者」に該当すると認められる。ことに本件では、被控訴人の長期欠勤に対処するため、西阪組内で編成替を行い、被控訴人が担当していた工程は既に広岡組員が担当することになり、被控訴人は専属の一工程を持たない余剰人員として扱われていたのであるから、このような職場配置を無視して長期欠勤後いきなり出勤してきて就労の意思も能力もあるといって職場上長の命令に反して元の持場で就労するなどということは許されないことであり、当時広岡組員が未だ今村班長の補助を受けて作業している状態であったので、被控訴人が今村班長と交替して作業についても現実には何ら実害はなかったという事実を考慮にいれても、被控訴人の右行為が正当な職務上の指示命令に違反した不当なものであるとの右判断を左右するものではない。

被控訴人は、就労禁止命令及び労務第二課への出頭命令は欠勤理由についての事情聴取を前提とするものであり、この事情聴取は何ら合理的理由がなくむしろ被控訴人の思想調査を目的とするものであり、このような不当な事情聴取を前提とする右命令は正当でない旨主張する。労働の提供と賃金の支払を基本とする労働契約関係においては他の契約関係以上に強く信義誠実の原則が作用し、使用者は、継続的に安定した労働の提供を受けられるとの前提のもとに労働者を雇用し、これを適切に配置して企業の効率的妥当な運営をはかるのであるから、労働者は、信義則に従った労働の提供義務があるのであって、欠勤は、単に労働不提供に対する賃金不払という債務不履行の効果を生ずるのみならず、その理由如何によっては、使用者の右正当な期待を裏切り故なく企業秩序を乱したとして懲戒あるいは成績査定の事由となり得るのである。したがって、使用者は、労務管理を適切に行うために労働者の欠勤理由を知る必要があり、労働者は、信義則に従った労務提供義務があるから、可能な限り欠勤についてその理由を明らかにすべき義務があるといえる。もっとも労働者は労働の提供について使用者の指揮監督に服するといっても、労働時間と労働場所を離れて無制限に使用者の干渉を受けることはなく、そのような私生活上の領域のことについてはたとえ欠勤理由を明らかにするためであっても無制限に報告義務があるとはいえない。しかし、欠勤理由はもともと私生活上の領域に関することが多く、労働者は原則としてそのような私生活上のことについて使用者に報告を強制されることはないといっても、使用者として欠勤前と変りない労働の提供が受けられるかどうかにかかわる労働者の長期欠勤中の生活環境、これに伴う心身の状態等については、労働者はできる限りこれを明らかにすべきであって、もし正当な理由なくこれを明らかにしない場合は、そのこと自体をもって「正当な理由のない欠勤」との評価も甘受すべきである。そうすると、欠勤理由についての事情聴取は、報告を強制しプライバシーを侵害したと認められない限り、合理的理由に基づくものであり、違法、不当ということはできない。被控訴人は、欠勤理由については既に提出してある欠勤届で明らかであり、もしその届で不十分であるなら事情聴取に応じない態度を示していることをもって処分等の対象とすれば足り、事情聴取を続ける必要はない旨主張する。前記事実によれば、被控訴人の欠勤は一一月一九日まで慰労(年次有給)休暇として処理され(その後この取扱いが変更されたとの事実は認められない)、一一月二〇日から一二月七日まで(実欠勤日数一四日間)の欠勤については弁護士及び姉を通じて二通の休暇、欠勤届が出されていることが明らかである。しかしこれら欠勤届に記載されている欠勤理由は沖縄返還協定批准阻止のデモに参加し不当にも逮捕勾留されたという簡単なものであり、当時の社会情勢及び報道等を合せ考えると被控訴人がどのようなデモに参加したかは想像がつかないわけではないが、およそ欠勤理由が犯罪の嫌疑をかけられて身柄を拘束されているという異常な理由であり、被控訴人が具体的にどのような行為をしたから犯罪の嫌疑がかけられ現実にどのような犯罪を犯したことになるのか、欠勤期間中本当に身柄拘束されていたのか、身柄を釈放されたとはいえ刑事処分はどうなったのか、将来捜査、公判への出頭の可能性があるのか等については全く明らかでなく、控訴会社は、欠勤の種別を判定して成績査定の資料とし、場合によってはこれに対する処分を検討し、将来の労務提供の可能性を判断するために被控訴人からの事情聴取が必要であったと認められる。現に(書証・人証略)によれば、控訴会社は、刑事事件を犯した従業員に対しては必ず事情聴取を行い、情状により懲戒解雇その他の処分をしているのである。本件において控訴会社は、前記のような点を明らかにするため被控訴人に事情聴取を行おうとしたのであって、そのことは極めて当然のことであって、この事情聴取をもって違法、不当ということはできない。むしろ、被控訴人が官憲によって逮捕勾留され自己の意思に反して欠勤を余儀なくされたという事情を考慮しても、とにかく自己がそのようなデモに参加した結果長期欠勤をせざるを得ず、会社に何がしかの迷惑をかけたことは否定できないのであるから、信義則に従った労務の提供義務という点からいえば、他人を通じて提出した別紙一、二の届で事足りるとせず、自ら進んで欠勤についての事情を釈明し会社の了解を得るのが常識にかなった行動といえる。仮にデモに参加した行動が思想信条にかかわることで行動の具体的内容について説明したくないのであれば、思想信条にかかわりのない事柄について可能な限り欠勤理由を明らかにすべきであって、控訴会社は、前記二通の欠勤届がどのような経緯で作成、提出されたのか、その記載内容の真否すら確認できない状況にあったのであるから、少なくとも右のような点については本人の口から直接釈明する義務があったといえる。被控訴人は、欠勤理由が欠勤届及びその他諸般の事情から明らかであれば、敢えて本人から事情聴取をする理由も必要もない旨主張するが、欠勤届等により一応欠勤理由が明らかであっても、いやしくも長期欠勤者に対し欠勤者本人から直接欠勤理由の確認を求めることは不当なことではなく、むしろ企業秩序の維持、適切な労務管理上必要なことである。以上のとおり、欠勤理由についての本件事情聴取は使用者として正当な権限の行使であり、前記事実に照してもこれがもっぱら被控訴人の思想、信条の調査を企図したものとは認められず、この点の被控訴人の主張は理由がない。そして、控訴会社が一二月九日、一〇日、一一日に行い、さらに同月一三日に行おうとした事情聴取は長時間にわたるものであるが、前記のとおり被控訴人が事情聴取を頑なに拒否し、欠勤届記載の欠勤理由で十分であるとの態度をとっているのに対し、時間をかけて説得を続けていたものであって(途中から労働組合までこれに加担している)、これをもって欠勤理由の報告を強制したとは認められない。また被控訴人が事情聴取には一切応じない態度を示している以上、事情聴取を実施することは無意味であり、そのような被控訴人の態度自体を評価して直ちに適当な処分あるいは成績査定をすれば足りるとの主張もあるが、使用者としては、労務管理上長期欠勤者が一片の欠勤届を提出しただけで欠勤理由についての事情聴取に一切応じないという従業員の態度を放任できないとすることも理解できるのであって、右のような被控訴人の態度にもかかわらず行われた事情聴取を不当ということはできない。そうすると本件事情聴取には被控訴人が指摘するような違法、不当な事由は認められず、これを前提に発せられた前記就労禁止及び出頭命令は正当なものである。これに対し被控訴人は、控訴会社が行う事情聴取は必要でなくもっぱら被控訴人の思想信条調査を意図したものと独断し、一二月八日の就労禁止命令を無視して就労し、翌一二月九日には指定の時間よりはるかに遅れて出頭したうえ、労務の呼出に応じて出頭したのではないなどといって出頭命令を無視し、一二月一三日には控訴会社がなおも事情聴取の必要があるとして命じた就労禁止及び労務第二課への出頭命令を無視して西阪組で就労しており、このような被控訴人の行為は、まさに「正当な理由なく職務上の指示命令に従わない」ものそのものといわなければならない。

一二月一三日発せられた自宅待機命令は、被控訴人に以上のような懲戒処分に値する事由が認められたので、控訴会社が処分を決定するまでの間賃金は支払うが一時就労を禁止するというものであり、懲戒事由該当者に対しこのような処分をすることは、職場秩序の維持のためにも合理的な理由に基づくものであり、正当な措置と認められる。被控訴人は、被控訴人の同日までの行為を処分の対象とするのであれば事実は明白であり、直ちに処分すれば足り、本件で自宅待機命令を発する必要はない旨主張するが、一見明白な事由に基づく懲戒処分といえども社内の手続を要し最終的には懲戒委員会を開催して労使の協議を経なければならないのであるから、その間の暫定措置として自宅待機命令は必要である。そうすると、被控訴人が一二月一四日以降の自宅待機命令の期間中入構しようとした行為は、第一次出勤停止処分の理由となった就業規則七三条四号の懲戒事由に該当する。

3  以上によれば被控訴人に第一次出勤停止処分の理由となった就労禁止、出頭命令違反及び自宅待機命令違反の事由があったことは明らかである。そして被控訴人がこのような行為を敢てしたことについて納得のいく理由は、前記認定の事実その他本件各証拠によっても見出し難く、控訴会社がこれに対し出勤停止二〇日間の処分をもって臨んでも必ずしも過酷な処分とはいえず、懲戒権の濫用とは認められない。そうすると本件第一次出勤停止処分は適法であって、これを違法とする被控訴人の主張は理由がない。

三  第二次出勤停止処分について

(書証・人証略)に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一)  昭和四六年一二月一八日午前七時三〇分頃被控訴人は、北門前に前日同様ゼッケンをつけて現われ、就労を要求して入門を試みこれを阻止するために門前に並んだ数人の警士らともみ合った。この時刻は昼勤の現業員の出勤の最盛期であったため、混乱を避けるため警士らは門の西側にある詰所に被控訴人を連行し出勤時が過るのを待った。しかし被控訴人は、警士の隙をついて詰所の外に飛び出し鈑金工場付近まで行ったが、警士らに取り押えられ、午前八時五分頃退去した。その際被控訴人とのもみ合いで亀田警士の腕時計が破損し、村上、金岡警士が発赤ができる程度の負傷をした。

一二月一九日(月曜日)西阪組のこの週からの勤務は夜勤となったので、被控訴人は、午後八時三〇頃北門前に従前と同様ゼッケンに運動靴を着用して現われ、就労を要求して入門を試み、これを阻止しようとする警士らともみ合い、警士らに会社の手先であるなどと暴言をはき、出勤時を過ぎた午後九時一〇分頃退去した。その際芝行田警士が前胸部打撲傷の傷害を受けた。

(二)  被控訴人は、第一次出勤停止処分を受けるやこれに対し不当で承服できないと反撥し、その期間中主に北門前で西阪組の出勤時に合せて別表四のとおりビラを配布した(このビラ配布の事実は当事者間に争いがない)。ビラ配布は、当初被控訴人一人で行っていたが、やがて控訴会社従業員の中で被控訴人に同調する者達が「北方君を守る会」を結成してこれを応援し、「守る会ニュース」という名称で連日ビラ配布を行い、さらに控訴会社の従業員のみならず他企業の従業員、被控訴人の友人らで「ダイハツ北方君不当処分撤回闘争支援連絡会」(以下支援連絡会という)が結成され、被控訴人を支援した。このビラの内容は、主として被控訴人に対する自宅待機命令、第一次出勤停止処分の不当を訴え、就労を要求するものであったが、さらにはこれを通じて控訴会社の労務政策一般に対する非難も含まれていた。被控訴人は、第一次出勤停止処分期間中もっぱら従業員の出勤退社時に合せてビラ配布のみを行い、就労要求についてはビラあるいは口頭で訴えるだけで自宅待機命令期間中のように実力をもって入門するようなことはしなかった。そして昭和四七年一月一八日には八〇名余の者が集って被控訴人の処分に対する抗議集会を開き、加えて当時予想された第二次処分に反対の意思を表明し、そのうち多数の者が第二工場北門へ押しかけ、門前でデモを行った。

(三)  「工場ゲリラ」と称する集団は、控訴会社において昭和四六年初め頃から活動をはじめていたが、その構成員、組織等は全く明らかでなかった。ただこの集団が発行している「工場ゲリラ」と題する機関紙によると、「反帝労働運動」などを標榜し、控訴会社の労務政策を労働条件の悪化をもたらすものと激しい言葉で批判し、当時のダイハツ労働組合に対しても「御用組合」などときめつけて厳しくその各行動を批判していた。この工場ゲリラグループは、沖縄返還協定に反対し、これと同じ態度をとっていた被控訴人のことを昭和四六年一二月六日付機関紙「工場ゲリラ」ではじめてとりあげ、以後ことあるごとに控訴会社の処分を非難し被控訴人を支援する記事を掲載し、一方被控訴人も、工場ゲリラグループが自分を支援していることを同年一二月中旬頃ビラ等で知り、自ら手紙を工場ゲリラグループに送って応援を訴え、この手紙が工場ゲリラの機関誌に掲載されたこともあった。被控訴人あるいはこれを支援する守る会と工場ゲリラグループとは、配布されたビラの内容等で判断する限り、控訴会社の経営方針、労務政策を労働者の利益に反するものと激しく批判し、当時のダイハツ労組に対しても批判的である等多くの点で主義主張が一致する傾向にあったが、被控訴人自身は工場ゲリラ集団に所属したことはなく、したがって被控訴人が第一次出勤停止期間中北門前等でビラ配布をしていた際、偶々工場ゲリラグループと一緒になり、あるいはこの者達が被控訴人を支援するためにかけつけたことはあったが、被控訴人と工場ゲリラグループが常に共同行動をとり、一体となって行動していたわけではない。

(四)  控訴会社は、第一次出勤停止期間中の被控訴人の行為に対し再度懲戒処分を検討し、被控訴人が未成年者であることを考慮し父親に出頭を求めたが応じてもらえず、第一次出勤停止処分の際と同様の手続で昭和四七年一月一七日懲戒委員会を開いた。控訴会社は、第一次出勤停止処分は正当な処分であったにもかかわらず、被控訴人が右期間中控訴会社の右処分が不当であると訴え、あまつさえ配布されたビラの中には故なく控訴会社を中傷誹謗する内容が含まれており、このような被控訴人の行為は第一次出勤停止処分に対する反省の色がなく、正当な理由なく職務上の指示命令に従わないものに該当するとして懲戒解雇処分を再度提案した。しかし労働組合側は右処分に反対したため、懲戒委員会では出勤停止処分に付することで一致し、前記同様組合側の正式回答を待って同年一月二一日被控訴人を呼び出して第一次出勤停止処分と同様の理由で第二次出勤停止処分を言渡した。

以上の事実が認められ、(書証・人証略)中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

控訴人は、被控訴人が第一次出勤停止の期間中ビラ配布のみならず別表一のとおり就労を要求して強行入門をはかった旨主張し、当審(第一一回口頭弁論期日)において右主張にそう(書証略)を提出した。(人証略)によれば、(書証略)は最後の一枚(記号の説明)は勤労課長が作成し他はすべて竹本厳警士長が作成したということであるが、竹本証人は(書証略)を通じ、昭和四六年一二月一四日から同年一二月一九日まで及び昭和四七年二月一六日、同月二三日の被控訴人の行動については詳しく供述しているが、第一次出勤停止処分期間中の被控訴人の行動についてこのように詳細に具体的な供述をしたことはなく、むしろよく記憶にないとさえ証言していること、本件において被控訴人の行動をつぶさに観察し報告を受けていた(人証略)にもこのような具体的供述がないこと、(書証略)の提出の時期、その様式その他前掲各証拠に照し(書証略)の記載内容は措信できない。

2 ところで、控訴人は、第一次出勤停止処分通告前の一二月一八日、一九日の行為も第二次出勤停止処分の事由となっている旨主張するので考えるに、およそ懲戒処分のような不利益処分は、已むを得ない事由のない限り処分時までに処分権者に明らかとなった事由はすべて一括して処分の対象とすべきであり、これを適当に分断して重ねて懲戒処分の対象とし、被処分者に不当に不利益な結果を招来せしめることは許されないと解すべきところ、さきに認定した被控訴人の一二月一八日、一九日両日の行為が前記の自宅待機命令に反撥した同月一四日以降の一連の同種行為とみられるので、もし控訴会社において右両日の被控訴人の行為を右一四日以降の行為と一括して処分の対象としたとしても、なお第一次出勤停止処分程度の懲戒処分が相当と認められる本件においては、右の立論はそのまま妥当とするといわなければならない。そこで、次に果して被控訴人の右両日の行為を改めて懲戒処分の対象とすることにつき已むを得ない事由があったかどうかにつき検討するに、(書証・人証略)及び前記二1認定の事実によると、控訴人が一二月二〇日の第一次出勤停止処分時において、一二月一八日、一九日の被控訴人の行為について警士あるいは労務課員の報告によって十分知っていたことが認められるが、控訴人においてもし被控訴人の右両日の行為を従前の行為と一括して処分の対象とするため再度懲戒委員会を開催し、そのため処分を遅らす事とすると、被控訴人は一二月一四日以来控訴会社の発した前記自宅待機命令に反抗し、就労要求、入構行為を反覆継続していたのであるから、その間右のような職務命令違反行為がくり返えされることが容易に予測され、控訴人としては一刻も早くそのような行為を中止させるため処分の通告をしなければならない事情にあったことが窺える(現に前記認定の事実及び後記のとおり、被控訴人は出勤停止処分の通告を受けてからは、入構行為をやめている)。そうすると控訴人が一二月一七日までの行為を第一次出勤停止の処分事由としてとにかく処分を通告し、処分時に明らかであった一二月一八日、一九日の行為を改めて処分の対象とすることについて、已むを得ない合理的理由があると認められるので、被控訴人の右行為を処分の対象としたからといって、そのことから直ちに第二次出勤停止処分を懲戒権の濫用と断定することはできない。なるほど被控訴人の一二月一八日、一九日の行為については、前記認定のとおり警士に発赤程度の負傷を与えたこともあるが、控訴人は当時これが懲戒条項に該当するというのではなく、自宅待機命令を無視して就労を要求し入構を試みた行為が職務上の指示命令違反に該当するとして第二次出勤停止命令を発したのである。しかしこのような就労要求、入構行為は、第一次出勤停止処分の対象となった一連の行為とその目的、態様等において異るところはなく、その続きにすぎないこと、そして、後記のとおり控訴会社が第二次出勤停止処分の理由として主張する事実のうちで右両日の行為以外に懲戒事由に該当する事由が認められないことから考えると、第二次出勤停止処分は、被控訴人にとって不当に過酷な処分であり、その合理性を認めることはできない。

次に被控訴人が第一次出勤停止処分期間中行った行為は前記認定のとおりビラ配布行為のみであり、控訴人が主張するような強行入門、入構の事実は認められない。この配布されたビラの内容は処分の不当、就労要求を訴えるものであり、このように処分を受けた者が処分を不当であると主張すること自体は当然、許されるべきことであって、表現の自由に属することとさえいえる。第一次出勤停止処分は前記のとおり正当な処分であって、控訴会社は被控訴人がその処分を正しく理解し自己の非違行為を認めて反省することを期待したとしても、出勤停止処分自体は被処分者の非違行為を理由に使用者が労働の提供を受けることを一方的に拒否しその間賃金の支払を拒絶する処分であって、使用者といえども労働者に対する指揮監督権に基づいて被処分者が処分の効力を争いその不当を主張することを禁止するまでの権限を有するものではない。したがって被控訴人が第一次出勤停止期間中した前記行為は第一次出勤停止処分に反するとはいえず、その他何ら職務上の指示命令に反するとはいえない。また被控訴人が配布したビラの中には控訴会社の経営方針、労務政策一般を過激な表現で非難するものも認められるが、処分の不当を訴えるのと関連して会社の労務政策一般を非難することもある程度已むを得ないことであり、控訴会社がこれをいわれなき中傷誹謗であり名誉、信用を傷つけられたと不快感を抱いたとしても、そのことは職務上の指示命令違反とは別個のことであり、第二次出勤停止処分の直接の理由とは関係のないことである。

控訴会社は、第一次出勤停止期間中被控訴人は常に工場ゲリラグループと行動を共にし、過激な行動をくり返した旨主張する。しかし被控訴人と工場ゲリラグループとが一体でないことは前記認定のとおりであり、工場ゲリラグループの行動をもって直ちに被控訴人の行為と同視し、これを処分の対象とするのは相当でない。

3 以上によれば、控訴人が主張する第二次出勤停止処分の処分理由のうち、第一次出勤停止中の行為としてはビラ配布行為しか認めることができず、この行為は控訴人が主張する懲戒事由に該当するとはいえず、第一次出勤停止処分前の一二月一八日、一九日の行為を対象としては、第二次出勤停止処分は結局不当に過酷なものであり、無効なものといわなければならない。

四  懲戒解雇処分について

1  (書証・人証略)に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一)  被控訴人が所属していた西阪組では前記のとおり組内での配置替を行い、被控訴人の出勤停止期間中も被控訴人が就労しなくても差支えない作業体制を確立していた。控訴会社の現場での作業内容は、精巧な機構を有する自動車を製造するものであり、ベルトコンベア上を四・五メートル間隔で数分おきに移動して来る自動車に所定の作業を施すのであるから、一定の高度の技術を要するが、他面各従業員の作業内容は作業手順書、作業要領書によって細く分断され、極めて単純化されていたので、新しい工程には熟練者の補助を受けるなどしてせいぜい一〇日ないし一五日を要すれば単独で作業することができる程度のものであった。そしてこの作業内容は車種の変更、ベルトコンベアの速度の変更、編成替等によりしばしば変更されることがあり(現に被控訴人は昭和四六年一月から前記工程を担当していた)、また多数の従業員をかかえる各工場では常時慰労休暇あるいはその他の理由による欠勤者が出ることは避け難いことなので、班長、スペアマンのほか専属の工程を持たない余剰人員を各作業現場に配置し、その補充にあてており、作業内容が他人をもって代替することの困難なものとはいえなかった。被控訴人の第二次出勤停止期間は昭和四七年二月一五日に終了することになっていたが、控訴会社は、西阪組には被控訴人が作業につくような持場は既になく、他にも適当な職場がないという理由で、二月一一日付郵便で被控訴人を呼び出し、二月一五日被控訴人の新しい職場が見つかるまで当分の間自宅待機するように命じた。被控訴人は、そのような自宅待機命令は不当であるので、翌日から出勤する旨告げて帰宅した。

(二)  昭和四七年二月一六日その日の西阪組の勤務は夜勤であったので、被控訴人は、午後八時一〇分頃池田第二工場北門前に現われ、そこへかけつけた工場ゲリラグループ一〇名(後に一七名位に増える)と就労要求の抗議集会を門前で開いた。前年一二月の自宅待機命令期間中は被控訴人が門前に現われると入構を阻止するため警士ら数名が門前に並んでいたが、当日は門の両脇に警士二人が立っているだけで他の者は詰所の中からこの模様を見ているだけであったので、被控訴人は、午後八時四〇分頃北門から工場内に入り、これを制止するためかけつけた警士を振り切って南側突き当りの組立課二階の西阪組作業現場へ行った。被控訴人は、西阪組で控訴会社の処分が不当であることを同僚に訴えたが、さらに始業(午後九時)まで時間があったので組立工場二階の他のふた組、さらには一階に降りて他の従業員達にも同趣旨のことを訴えて回ったが、その間上司あるいは警士らによって右行動を阻止されたことはなかった。しかし始業五分前の予鈴が鳴り被控訴人が組立工場一階から中二階の見学通路を通って二階の西阪組に向おうとすると、狭間職長が階段の上に立ち塞がってこれを阻止し、西阪組に被控訴人の持場はないこと、自宅待機命令中であるので作業をせずに帰るよう説得し、なおも西阪組に向おうとする被控訴人を数名の警士らが一階に降そうともみ合った。右階段は一人がやっと通れる程の狭い勾配の急な鉄製のものであったので、そこで多勢がもみ合うと、既に一階で開始している作業に危険であり、谷口組立課長の命令でベルトコンベアが午後九時一一分から午後九時一四分まで三分間停止した。被控訴人が激しく抵抗し一階に降すことは困難と判断した警士らは、逆に被控訴人を中二階の見学通路に押し上げると、被控訴人は、一時西阪組と同方向であるため素直にこれに従ったが、見学通路から西阪組と逆の方向の建屋外に連れ出そうとされると再び足を踏んばったり手すりを掴んだりして激しく抵抗し、警士ら数人がかりで午後九時二五分頃被控訴人を建屋外に担ぎ出した。建屋外に出ると被控訴人は抵抗をあきらめたが、北門前ではなお工場ゲリラグループが抗議集会を開いていたので、警士らは午後九時四五分頃西門から被控訴人を構外に出した。

右もみ合いで、竹本警士長は胸部打撲傷、福井警士は面部裂傷、井川警士は頸部挫傷の傷害を受けた。またその際ベルトコンベアが停止したが、ベルトコンベアの停止は珍らしいことではなく、機械の故障、取付けた部品の品質が悪く取替の必要があるとき、作業員の怪我、特にある作業員の作業の遅れによりベルトコンベアを数分間停止することは時々あり、いわゆるラインの稼動率は九六ないし九八パーセント、時間にして毎日八分ないし一六分のラインストップがあり、さらに生産調整のため約三〇分間程度ベルトコンベアが停止することも稀にはあった。

(三)  二月一七日も西阪組の勤務は夜勤であったので、被控訴人は午後八時三七分頃北門前に現われ、就労を要求して入構を試み、これを阻止しようとする警士らともみ合ったが、午後九時一〇分頃一旦退去した。そして翌二月一八日午前一時三〇分頃再び北門前に現われ、警士の隙をついて池田第二工場内にはいり、夜勤の休憩時間中(午前一時から午前二時まで)の西阪組の作業現場へ行き、控訴会社の処分が不当であることを訴えたが、同日午前一時四五分頃警士らによって構外へ連れ出された。そして二月一八日午後八時二〇分頃西阪組の出勤時に合せて北門前に一人で現われ、就労を要求して入構を試み、しばらく警士らともみ合った後午後九時一〇分過頃退去した。

(四)  二月二三日西阪組の勤務は昼勤であったので、被控訴人は午前七時二〇分頃北門前に五名(うち二名が女性)の仲間と共に現われた。警士らは、この日も門の両側に二名が佇立しているだけで、被控訴人が紙袋を持っていたので従来どおりビラ配りをするものとこの様子を見ていた。ところが被控訴人は、この警士の隙をついて北門から第二工場内に駆け込み、南側の突き当りにある組立工場内へ走って行った。竹本警士長の指示で黒田、畑の両警士が被控訴人の後を追い、組立工場一階にいた被控訴人を黒田警士が背後から腰の付近に抱きついて掴え、これを振りほどこうと激しく抵抗する被控訴人を畑警士も来て取り押え、そこへ数人の警士が駆けつけて被控訴人を組立工場の建屋外に連れ出した。警士らは、竹本警士長を含め合計六名で被控訴人を北門から構外へ出そうとしたが、被控訴人はこれに激しく抵抗し、当時昼勤の現業従業員の出勤の最盛期であったため、これらの者の目を避け混乱を避けるため被控訴人を東側鈑金工場内に一旦連れ込み、始業(午前八時)五分前の予鈴が鳴った後鈑金工場から建屋外に連れ出し、午前八時一〇分頃北門から構外へ出した。

被控訴人ともみ合った際、黒田警士は両膝打撲傷、両上肢(指)擦過傷の傷害を受け、翌二月二四日から三月一八日まで歩行困難という理由で二四日間(この年は閏年)欠勤した。黒田警士は、昭和九年八月三日生(当時三九歳)、身長一メートル六〇センチメートル、体重七〇キログラム、かつてボディービルをしたことがあるほどの頑健な身体をしていたが、他面、昭和四六年八月頃からリューマチの病名で月一、二回通院して膝の治療を受け、昭和四七年一月末にも通院治療を受けていた。他方被控訴人は、身長一メートル七五センチメートル、痩身であり、当日はいつもと同様アノラックに運動靴を着用するという服装であった。

(五)  被控訴人は、昭和四七年二月二日、大阪地方裁判所に対し第一次、第二次出勤停止処分及び昭和四六年一二月二二日付でされた退寮処分(被控訴人は当時ダイハツ春日寮を住居としていた)が無効であると主張して仮処分の申請をし、昭和四七年二月二七日第一次出勤停止処分中の未払賃金の支払(第二次出勤停止中の分は請求していなかった)及び寮の違約金の返還を求める限度で仮処分勝訴の決定を得た。被控訴人は、昭和四七年二月一六日以降前記各行為のほか、第一次出勤停止期間中と同様守る会あるいは支援連絡会の応援を得て第二工場北門、第一工場第一通用門、本社正門等でビラを配布するなどして処分の不当を訴え控訴会社を非難し、工場ゲリラ集団もこれに賛同して時折ハンドマイクを使用し激しいジグザグデモを門前でくり返したが、被控訴人と工場ゲリラグループとが必ずしも共同行動をとっていなかったことは前記三1(三)と同様である。

(六)  控訴会社は、二月一六日以降の自宅待機命令を当初前記(一)のような理由で発令したが、被控訴人が前記二月一六日、二三日の行為をするに及び、懲戒処分を検討するため自宅待機命令をそのまま維持し、三月二四日前記と同様の手続で懲戒委員会を開き三度び被控訴人を懲戒解雇に付することを提案したところ、今回は労働組合も被控訴人のこれまでの行動、特に労働組合員の一員である黒田警士に負傷させたこと、組合を批判して組織を攪乱しようとしたことなどを取りあげて会社の提案に同調したので、三月二八日組合からの正式の回答を得て同月三〇日被控訴人に対し懲戒解雇の処分を言渡した。右処分の言渡は労務第二課長がしたが、その処分理由は、被控訴人の昭和四七年二月一六日(前記(二))及び同月二三日(前記(四))の行為が就業規則七三条四号、五号、一二号、一三号に該当するということであったが、被控訴人は、それ以外の行為について懲戒解雇の理由となる説明を控訴会社から受けたことはなかった。

以上の事実が認められ、(書証・人証略)中、右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。被控訴人は、懲戒解雇処分の対象事由は二月一六日、二三日の行為に限らず別表二のとおり工場ゲリラグループと帯同した一連の行為をも含むと主張し、これにそう(書証略)が存するが、この(書証略)作成の経緯は前記三1末尾に記載のとおりであって、これを作成したという竹本厳は、原審での証言及び仮処分における審尋において懲戒解雇事由について二月一六日、二月二三日の行為について詳細に供述しているが、これ以外には二月一七日、一八日の前記行為について述べているだけで別表二のような行為については全く触れていないこと、本件において被控訴人の行動について最も関心を持っていたと思われる(人証略)すら右と同様であること、その他(書証略)の提出の時期、その様式等に照らすと、(書証略)の記載内容はその全部が真実とは受けとれない。

2  右認定の事実に照らすと、本件懲戒解雇処分の対象となった事由は、被控訴人の二月一六日、二月二三日の行為をもっぱら中心とし、これに二月一七日、一八日の行為が加えられたものと認められる。控訴人は、右の行為のほか二月一六日から三月二四日(懲戒委員会が開催された日)までの間工場ゲリラグループを伴った一連の行為(別表二)も処分事由に含まれていると主張するが、控訴人のそのような主張は、仮処分手続及び原審においては全く主張されず、懲戒解雇処分について控訴人が敗訴した後である当審においてはじめて主張されたことは本件記録上明らかであり、これに前記認定の処分に至る経緯等を考慮すると、本件懲戒解雇は、被控訴人が二月一六日強行入構しベルトコンベアを停止せざるを得ない行為に及んだこと、二月二三日にも強行入構しこれを制止した警士の一人に長期欠勤せざるを得ない傷害を負わせたことが主な理由であり、これに二月一七日、一八日の入構行為が処分の対象になったと認めるのが相当である。また前掲証拠及び事実に照らすと、その間工場ゲリラグループが被控訴人を支援し、控訴会社門前で多少過激な行動に及んだことが窺えないわけではないが、工場ゲリラグループの行動を被控訴人の行為と同視しこれを処分事由とすべきでないことは前記三2のとおりであって、仮に別表二記載のような工場ゲリラグループの行動があったとしても、これを本件懲戒解雇の事由とするのは許されない。

3  被控訴人の前記1(二)ないし(四)の行為は、控訴会社が二月一五日に命じた自宅待機命令に反抗した一連の行動であり、実力をもって就労を要求し入構した行為は職務上の指示命令違反(就業規則七三条四号)、ベルトコンベアを停止せざるを得ざらしめた行為は会社に損害を与えたこと(同条一二号)、警士に負傷させ工場内で混乱を生じさせたことは会社の秩序を乱しその他これに準ずる行為をしたこと(同条五号、一三号)にそれぞれ該当すると一応いえる。しかし、そもそもこの自宅待機命令は、前年一二月に発せられたものと異り、さして合理的理由のあるものとは思われない。というのはこの自宅待機命令の理由は前記のとおりであるが、およそ既に認定したような控訴会社の規模及び被控訴人の作業内容に照らせば、被控訴人に第二次出勤停止期間満了後何らかの職場を与えることは容易なことと認められ、職場配置上被控訴人を直ちに作業につけることは困難であったという控訴会社の主張は到底首肯し難い。ことに被控訴人が出勤日を予測できない長期欠勤後いきなり出勤したのであればともかく、被控訴人の欠勤は控訴会社の出勤停止処分に基づくものであり、被控訴人が何日から出勤するかは処分の時から明らかなことであって、西阪組では被控訴人の欠勤中編成替を行い元の職場に戻すことができないとしても、これに代る職場を見つける余地と余裕は十分あり、それは容易に可能であったはずである。しかもその作業内容は一定の技術を要するとはいえ他の者をもって代替することが困難なわけではなく、一旦作業配置を決めれば一切変更を許さないというものではなく、現に前記認定のとおり作業内容は必要に応じてしばしば変更され、各作業現場には余剰人員が配置され欠勤者の仕事を代替して行っているのである。したがって被控訴人を西阪組に戻し、あるいは他の新しい職場に配置し、少くとも常時ある欠勤者の補充に臨時につけることはできたはずであり、このことは前記二1認定のとおり西阪組の長期欠勤者である菊地組員が一旦西阪組の余剰人員として配置されていたことに照らしても明らかである。被控訴人が西阪組以外(例えば西宮工場)への配転に反対する態度を示していたことは前掲証拠によって窺えないわけではないが、そのことをもって被控訴人を当面池田工場の新たな職場に配置しない理由と認めるわけにはいかず、仮に被控訴人の一連の行為に対し、当時、現場作業員の反感が多く被控訴人の受入れを拒否する態度を示していた(本件証拠によるもそのような事実は明らかでない)としても、右認定の事実から考えると、このことをもって被控訴人に直ちに職場を与えない理由と認めることはできない。そうすると前記自宅待機命令は正当な理由なくなされたものであり、これに対し被控訴人が前年一二月の自宅待機命令、第一次、第二次出勤停止処分と引き続き就労を拒否されたことに焦燥を感じ、強行入構をはかり前記の行為に及んだとしても、あながち被控訴人を一方的に非難することは相当でないといわなければならない。二月一六日ベルトコンベアが停止したことによって作業の進行が一時阻害されたことは否定できないが、前記事実に照らすと被害の程度は微々たるものに過ぎない。二月二三日被控訴人を制止しようとした黒田警士が休業せざるを得ない程の傷害を受けたことは重大であるが、前記事実によるとその傷害の内容について疑問な点がないわけではなく、果して被控訴人の行為によってそれ程長期間欠勤する程の傷害を受けたかについては過大愁訴の疑さえある。そのほか二月一六日、二月二三日の行為によって制止にあたった警士らの数名が負傷したが、これらは実力をもって就労しようとする被控訴人とこれを制止しようとする警士がもみ合っているうちに偶々発生したことであり、控訴人が主張する程悪質なものとは認められない。また控訴会社を批判するビラを配き、処分の不当を訴えることが処分事由とならないことは前記三2のとおりである。そして以上の懲戒事由該当行為は、前記のような不当な自宅待機命令に反抗して行われたものであり、労働者にとって実力をもって就労するまでの権利は認められないにしても、このような行為に及んだ被控訴人にもかなり同情の余地があるといわなければならない。

4  そこで以上のことをかれこれ勘案すると、被控訴人の前記認定の行為は一応控訴人の主張する懲戒事由に該当する。そして、被控訴人としては自己の立場を主張、貫徹するにしても、企業組織の一員として自ずから守るべき節度があり、既に詳細に認定した本件懲戒解雇言渡に至るまでの被控訴人の行動とこれに対する控訴会社の対応を通観すると、被控訴人の行為は身勝手に過ぎることは否定できず、控訴会社が昭和四六年一二月以来一貫して反抗的な態度を示してきて被控訴人を企業秩序の維持、適切な労務管理を徹底する見地から企業外に排除しようとした意図は理解できないではない。しかしながら、前記事実からも窺われるように、控訴会社は、第二次出動停止処分の期間が満了するにもかかわらず、いわゆる労務と現場との間で被控訴人の処遇に関して意思の疎通が十分でなかったため速やかな措置をとらず、日時を徒過し、いたずらに被控訴人の反撥を助長したとの指摘を受けても否めないところがあり、加えて被控訴人が当時未だ思慮の定まらない未成年者であったことなどを考慮すると、被控訴人に対し前記認定の行為をもって懲戒解雇処分に付することは遇酷な処分といわざるを得ず、懲戒権の濫用にあたり、右懲戒解雇を無効というべきである。

五  賃金債権について

1  第一次、第二次出勤停止期間中の未払賃金が合計七万六五七六円であることは当事者間に争いがなく、第二次出勤停止期間中の未払賃金はその半額の三万八二八八円であると認められる。

2  被控訴人の昭和四七年以降の賃金月額及び夏期、冬期一時金の額は、原判決中「本訴請求原因に対する被告の答弁」(原判決九枚目裏一三行目から同一〇枚目表一行目まで)記載の限度で当事者間に争いがない。原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、控訴会社における昇給及び一時金算定の基礎となる成績査定の係数は〇・八から一・二までの幅があることが認められ、被控訴人は、控訴会社が主張する被控訴人の右賃金及び一時金の額はその成績査定を最低の〇・八と評価して算出しているので不当であると主張し、成立に争いのない(書証略)(給料計算書)は控訴会社が仮処分事件で提出した資料であるが、同号証によれば被控訴人の賃金の昇給及び一時金を〇・八の成績査定を前提に算出し、控訴会社の前記主張金額とほぼ一致している。昭和四七年四月以降の被控訴人の成績評価は現実に就労していないので不可能であり、この場合成績査定の平均をとって一・〇と評価しこれを基準に賃金等を算定すべきであるとの被控訴人の主張は一面もっともなものであるが、控訴会社における賃金、一時金の算定は複雑な係数等を用い、本件証拠によるもどのような計算方法によるべきか正確にこれを算定する資料はなく、被控訴人が主張するような金額の算出根拠も明らかでなく、結局控訴会社が認める賃金、一時金の額をこれを下回ることはないとして認定するほかはない。そうすると、被控訴人が支払を受けるべき第二次出勤停止期間中の未払賃金、昭和四七年四月以降の賃金、一時金は左記のとおり認められる。

(一)  第二次出勤停止期間中の未払賃金 三万八二八八円

(二)  昭和四七年四月から昭和四八年三月までの賃金(一カ月四万八五二〇円) 計五八万二二四〇円

(三)  昭和四八年四月から昭和四九年三月までの賃金(一カ月六万〇二四〇円) 計七二万二八八〇円

(四)  昭和四九年四月から昭和五〇年三月までの賃金(一カ月七万八三五〇円) 計九四万〇二〇〇円

(五)  昭和五〇年四月から昭和五一年三月までの賃金(一カ月八万八九五〇円) 計一〇六万七四〇〇円

(六)  昭和五一年四月以降 一カ月九万七七二〇円

(七)  昭和四七年夏期一時金 一〇万五八〇〇円

冬期一時金 一一万〇一〇〇円

(八)  昭和四八年夏期一時金 一二万一九〇〇円

冬期一時金 一三万〇四〇〇円

(九)  昭和四九年夏期一時金 一三万三七〇〇円

冬期一時金 一五万一一〇〇円

(一〇)  昭和五〇年夏期一時金 一九万九八〇〇円

冬期一時金 二一万七一〇〇円

以上合計四五二万〇九〇八円及び昭和五一年四月以降毎月九万七七二〇円宛(控訴会社の賃金支払日が毎月二五日であることは当事者間に争いがない)。

六  以上によれば、被控訴人の本訴請求のうち、第一次出勤停止処分は有効であるのでその無効確認を求める部分は理由がなくこれを棄却すべきであり、第二次出勤停止処分及び懲戒解雇処分は無効であるので第二次出勤停止処分の無効確認及び従業員たる地位の確認を求める部分は理由がありこれを認容すべきであり、右第二次出勤停止期間中及び懲戒解雇後の賃金、一時金等の支払を求める部分は前記五の限度で理由があり、その余は失当として棄却すべきである。そうすると本件各控訴中第二次出勤停止処分の無効確認及び従業員の地位確認請求に関する部分は理由がなく、賃金、一時金の支払に関する部分はこれと異なる原判決を前記のとおり変更すべきであり、第一次出勤停止処分が無効であること及び前記五認定以上の賃金等支払請求権が存することを前提とする本件附帯控訴は理由がない。よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 朝田孝 裁判官 大石一宣 裁判官川口富男は転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 朝田孝)

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