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大阪高等裁判所 昭和49年(く)41号 決定 1974年8月22日

少年 B・N(昭三一・一二・二二生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年が提出した抗告申立書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、少年は、精神的に病気もなく、身体も悪くなく、したがつて医療少年院における矯正教育を受ける必要はないので、少年を医療少年院に送致した原決定の取消を求める、というのである。

そこで関係記録を調査検討するのに、本件窃盗は、被害額も多いとはいえず、被害も全部回復されているけれども、少年の資質、性格、行状、経歴、保護者の保護能力、及び本件について家庭裁判所調査官の観察に付され補導委託された後の経過等諸般の事情を考慮すると、原決定の説示するとおり、少年に対し非収容的処遇を行つたのでは、今後少年が非行を反覆するのを防止し矯正教育の効果をあげることは困難であつて、この際少年に対し収容保護を行うことはやむをえないといわなければならない。ところで、少年は、知能的には準普通知を有するが、不幸な生育史のうちに根深く形成された人格の偏倚が大きく、情動面の発達に強い障害があり、発揚的な落着きのない性格で、忍耐力自制心に乏しく衝動的短絡的に行動し、強気を装うが内心小心憶病で人に受けいれられることを強く望みながら対人不信感が強く、社会との適応が困難で、不安定な精神状態にあり、このような少年の精神状態にかんがみると、少年は、少年院法二条五項にいう心身に著しい故障のある者に該当すると解することができ、このような人格の偏倚のために、少年については、一般少年院における処遇の困難も予想され、拘禁に伴なう軽躁反応を呈するおそれもあり、また個別的な心理療法などの治療を施すことが有効な矯正の手段となり得る場合のあることは、原決定の説示するとおりであつて、少年を医療少年院に送致した原決定が著しく不当であるとは認められない。してみると本件抗告は、その理由がないことが明らかであるから、少年法三三条一項、少年審判規則五〇条により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 原田修 裁判官 石松竹雄 長谷川俊作)

参考二 少年B・N作成の抗告申立書

抗告の趣旨

僕は、昭和四十九年六月二十五日に鑑別所で審判を受けました。一回目は、ある会社の人で、時計、金、ラジオなどを盗りました。そして、僕は、鑑別所へ入りました。僕は、取つた品物は、質屋にいれ、お金にかえました。全部で壱万円です。僕は、自分のお金で、品物は、警察から全部会社の人に返してもらいました。試験観察という形で僕は、コツク見習いとして働きました。一ヵ月ほどたつた時、僕は、体みをもらつて映画に行き、一一時頃会社に帰りました。明日の仕事は、一〇時に始まります。先輩のある人が明日は、六時に起きろと僕に言われた。仕事は、一〇時なのに六時には、起きられませんと言うと「好きにせえ」と怒りながら言われた。僕は、仕事がいやではないのです。理由なしに、言われた事に腹が立ち寮を出ました。一週間ほど僕は、寮へ帰りませんでした。次の日、僕は、寮へ帰りました。寮の人に見つかり僕は、理由を言いました。すると専務が見えて訳を話しました。でも一方的に僕をせめるのにやけになり、お金を盗り逃げました。一〇日ほど逃げた日、あやべ警察につかまりました。鑑別所に入り、昭和四十九年六月二十六日に審判を受けました。医療少年院という決定です。精神的に病気もなく、身体も悪くないのに、医療少年院とはと抗告を書きました。僕は、医療で見てもらう事などありません。できれば再審をお願いします。医療少年院でなければ、すなおに少年院へ行きます。どうか、お願いいたします。

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