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大阪高等裁判所 昭和48年(う)1004号 判決 1977年2月14日

主文

原判決中、被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實に関する部分を破棄する。

被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實を各罰金二万円に処する。

右被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實からそれぞれ金七、一〇〇円を追徴する。

原審における訴訟費用中、証人藤本弘、同佐伯稲男、同藤原十二、同田畑久司、同但見一彦に支給した分の各七分の一ずつを被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實の負担とする。

被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實に対し、公職選挙法二五二条一項の選挙権および被選挙権を有しない期間をそれぞれ一年に短縮する。

被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實に対する各起訴状記載の公訴事実第三(供与および事前運動)の点につき右被告人らはいずれも無罪。

被告人根来佐太郎、同住谷利三郎、同松本夘之助、同牧野博の本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人戸田善一郎、同藤田八郎連名作成の控訴趣意書および控訴理由補充説明書各記載のとおりであるから、これらを引用する。(ただし、弁護人戸田善一郎は、「控訴理由第二点は撤回する。同第四点および第五点中、原判決は証拠理由にくいちがいがあるとの点は、事実誤認の控訴理由の事情として主張するものであり、独立の控訴理由として主張するものではない。控訴理由第一点および第六点ならびに控訴理由補充書記載の点は、要するに、(1)原判示第三の一ないし三の各事実は本件訴因に含まれていないから、原判決は審判の請求を受けない事件について判決をしたものである。(2)かりに右の点が右の絶対的控訴理由に当らないとしても、訴因の追加変更の手続を経ないで訴因に含まれない事実を認定したことが、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反に当る。(3)かりに原判示第三の一ないし三の各事実が本件訴因に含まれているとしても、原裁判所が検察官に釈明を求めてこれを明らかにすることなく、また、被告人および弁護人に対しこの点について意見の陳述を求めることなく原判決に及んだ点に、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反が存する旨主張するものである。なお、憲法三一条、三七条一項違反を指摘する点は独立の控訴理由として主張するものではない」旨釈明した。)

控訴理由第一点について

論旨は、要するに、被告人古石、同畑中、同坂本に対する各起訴状の公訴事実第三はポットスタンドの供与とそれによる事前運動の事実を記載したものであり、右記載における事前運動行為の内容は右供与行為のみであることが明らかであるところ、原判決は、右供与の点につき犯罪の証明がないとしながら、その判示第三の一ないし三において、右供与の報酬性の説明として記載された「梶原茂嘉のため投票並びに投票取纒めの選挙運動を依頼し」との部分を、それ自体独立した事前運動の訴因の一部とみて、その旨事実を認定し、これに事前運動罪の規定を適用して処断したのであり、訴因に含まれない事実を認定したものであるから、審判の請求を受けない事件について判決をした違法がある、というのである。

よって検討するに、被告人古石、同畑中、同坂本に対する各起訴状の公訴事実第三には、他と共謀のうえ、梶原茂嘉に当選を得しめる目的をもって、立候補届出前、選挙人に対し「梶原茂嘉のため投票並びに投票取纒めの選挙運動方を依頼しその報酬等として」ポットスタンド(ごみ容器)を供与し、もって立候補届出前に選挙運動をなしたものである旨の記載があり、その罪名、罰条として公職選挙法違反、同法二二一条一項一号、二三九条一号、一二九条との記載がある。これに対し、原判決は、その判示第三の一ないし三において、他と共謀のうえ、梶原茂嘉に当選を得しめる目的をもって、立候補届出前、選挙人に対し「業界代表で政治力があり、我々が推している福島に縁もある梶原茂嘉のため協力を願う旨など」(原判示第三の一)「近く行われる参院選挙には業界の政治力強化のため梶原会長の応援をしてもらいたい旨など」(原判示第三の二)「業界代表の梶原茂嘉を落すようなことがあっては米屋が不利になる。大阪では一〇万票とらねばならぬので協力を願う旨など」(原判示第三の三)右梶原のため投票ならびに投票とりまとめの選挙運動方を依頼し、もって立候補届出前に選挙運動をした旨の事実を認定し、これに公職選挙法二三九条一号、一二九条を適用して処断し、ポットスタンドの供与については、それが右梶原のため投票ならびに選挙運動をすることの報酬等として供与されたものであることの証明が十分でないと説示している。なお、原審各公判調書を調査しても、原審において検察官が、前記各起訴状の記載中「梶原茂嘉のため投票並びに投票取纒めの選挙運動方を依頼し」との部分が、それ自体事前運動罪を構成する事実として記載されたものかどうかにつき、釈明した形跡はなく、原裁判所がこの点につき検察官に対し釈明を求めた形跡も認められない。

ところで、右各起訴状には、その公訴事実第三として、いずれも前記のとおり、立候補届出前、選挙人に対し梶原茂嘉のため投票ならびに投票とりまとめの選挙運動を依頼し、その報酬等としてポットスタンドを供与し、もって立候補届出前に選挙運動をした旨記載されているのであるから、右各公訴事実中事前運動罪に関する部分は、文理上単にポットスタンドの供与行為のみを訴因として起訴したにとどまらず、右依頼行為をも訴因として起訴しているものと解する余地がないでもないようにも思われる。しかし、訴因を明示して行うこととされている起訴状における公訴事実の記載は、もとより検察官の行う意思表示であるから、訴因として起訴されている事実の範囲を判定するには、訴因の明示が裁判所に対し審判の対象を限定するとともに被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものであることを指標とし、その記載を可能な範囲で合理的に解釈してこれをしなければならず、その解釈に際しては、刑事訴訟法二五六条二項により、訴因を明示するには、できる限り日時、場所および方法をもって罪となるべき事実を特定してこれをすることが要求されていること、実務上起訴状における公訴事実の記載や有罪判決における罪となるべき事実の判示において、ある犯罪構成事実を表示するのに通常いかなる表現方法が用いられているかということなどが参酌されなければならず、公職選挙法二二一条一項一号所定の事前買収罪が成立するためには、金品の供与等が相手方の行為、すなわち投票または選挙運動に対する報酬としてなされることが必要であるというのが裁判実務の大勢であるのに伴い、同罪の訴因にはこのような報酬性の摘示がなされているのが通常であり、その報酬性を摘示するには、「選挙人または選挙運動者である何某に対し、何某のため投票ならびに投票とりまとめ等の選挙運動をすることの報酬として金品を供与した」と記載すれば足りるわけであるが、投票または選挙運動をすることの報酬として金品を供与する場合には、明示的にせよ黙示的にせよ、投票または選挙運動をすることの依頼がなされるのが通常であり、かつ、それは金品の供与と同時になされることが少なくないので、このような通常の事態に即して、「選挙人または選挙運動者である何某に対し、何某のため投票ならびに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として金品を供与した」という表現を用いて報酬性の説明をしても不自然ではなく、現に起訴状における公訴事実の記載においても、有罪判決における罪となるべき事実の判示においても、報酬性を摘示するのに実務上このような表現が用いられることが多く、それは、立候補届出前の供与罪(事前買収罪に関するもの、以下同じ)であると、法定選挙運動期間中の供与罪であるとを問わないのが通常であり、また、事前買収罪の相手方としての選挙運動者は、現に選挙運動に従事している者に限られず、特定の候補者のため選挙運動をなすことを依頼された者をも包含し、したがって有罪判決における罪となるべき事実の判示において、供与等の相手方が選挙運動者であることを摘示するにあたり、「何某に対し、何某のため投票とりまとめ等の選挙運動をなすことを依頼し、その報酬として金品を供与した」旨の記載があれば、相手方が選挙運動者であることの表示として欠けるところはないとされており(衆議院議員選挙法一一二条一項一号につき大審院判決昭和一一年四月七日刑集一五巻四四七頁、同昭和一一年六月一五日刑集一五巻八九七頁、なお、公職選挙法二二一条一項五号につき、最高裁判所判決昭和二九年一二月七日刑集八巻一三号二一一七頁)、実務上、公訴事実の記載においても、罪となるべき事実の判示においても、供与等の相手方が選挙運動者であることを摘示するにあたり、それが現に選挙運動に従事している者でない場合には、「選挙運動者」という用語を用いず、右のような記載をすることが少なくないものと思われ、以上の諸点に加え、供与罪を含む買収罪は、実質犯として選挙犯罪中最も悪質なものの一つであって法定刑も重いのに対し、事前運動罪は、形式犯として法定刑も遙かに軽く、したがって、供与罪が立候補届出前に行われた場合、供与行為が同時に事前運動にあたるため、供与罪のほか事前運動罪としても起訴される(観念的競合の関係にあるものとして)のが通例であるが、その場合も検察官の主たる目的は供与罪としての処罰を求めることにあるものと推測されることを考慮に入れて、前記各公訴事実をみると、それは、要するに、供与罪を通常の表現方法に従って起訴し、ただその供与行為が立候補届出前に行われているのでこれを同時に事前運動罪として起訴しただけであって、右各公訴事実中の「投票並びに投票取纒めの選挙運動を依頼しその報酬として」との記載は、供与罪の罪となるべき事実の記載にあたり、報酬性の説明および相手方が選挙運動者であることの摘示方法として通常用いられている慣用文句を使用したにとどまり、投票ならびに選挙運動の依頼行為を、できる限り日時、場所および方法をもって特定し、訴因として起訴する趣旨で記載したものではないと解する余地が十分にあるものと考えざるを得ない(右依頼行為の記載が事前運動罪の訴因の明示のために要求せられる最小限の特定性をも欠いているという趣旨ではない)。このような場合、検察官として、もし右依頼行為をも起訴する趣旨であるならば、すべからく、右依頼行為の方法を、原判決が罪となるべき事実として判示しているように具体的に記載するか、あるいは「投票ならびに投票とりまとめの選挙運動を依頼し、かつ、その報酬として」と記載する等の方法により、右依頼行為自体による事前運動罪をも訴因として起訴した趣旨を明らかにすべきであり、このような方法がとられず、右各公訴事実のごとき記載にとどまっている以上、その記載だけからは、供与行為による事前運動罪のほかに、右依頼行為自体による事前運動罪が訴因として明示されているものとは到底解し得ない。そして、このように解することは、所論の指摘するように、供与罪の訴因を二個以上続けて記載する場合は、立候補届出前の供与罪であって供与罪と事前運動罪とをともに起訴するときでも、実務上、一個目の訴因においては、「何某のため投票ならびに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として」と記載し、二個目以下の訴因においては、右記載にかえて、単に「前同様の趣旨で」と記載する例があることとも調和するものといわなければならない。してみると、前記各起訴状の記載のうち、「梶原茂嘉のため投票並びに投票取纒めの選挙運動方を依頼し」とある部分は、検察官による反対の釈明があれば格別、そのような釈明がない限り、単にポットスタンド供与の報酬性の説明、および供与の相手方が選挙運動者であることの摘示として記載されたものに過ぎず、右依頼行為自体をも事前運動罪の内容とする意味で記載されたものではないと解するのが相当であり、したがって、当該訴因に含まれているのはポットスタンドの供与とそれによる事前運動罪のみであり、右依頼行為自体による事前運動罪はこれに含まれていないものというべきである。

しかるに、原判決は、その判示第三の一ないし三において、右依頼行為自体による事前運動の事実を認定し、これに公職選挙法二三九条一号、一二九条を適用して処断したのであるから、原判決には審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるといわなければならない。原判決中、被告人古石長三郎、同畑中正一、同坂本實に関する部分はすでにこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

控訴理由第三点について

論旨は、要するに、後記各証拠は後記各理由により証拠能力を有しないものであるから、これらの証拠を罪証に供した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。なお、所論が証拠能力がないと主張する証拠のうち、被告人古石の昭和四〇年八月九日付、岩佐武夫の同年七月二九日付、同年八月四日付、被告人畑中の同年七月三〇日付、同年八月七日付、吉田幸男の同年同月五日付、同年同月七日付、大杉治の同年七月三〇日付、同年八月一日付、同年同月四日付、被告人坂本の同年八月八日付、吉村宗幸の同年同月同日付各検察官に対する供述調書(以下検面調書という)ならびに、被告人古石の同年七月一六日付、同年同月三〇日付各司法警察職員に対する供述調書(以下警面調書という)は、原判示第三の事実の証拠として挙示されているものであり、岩佐武夫の同年七月三一日付、大杉治の同年同月二八日付各検面調書は原判決のいずれの事実の証拠としても挙示されていないので、これらの証拠については判断しない。

一、所論は、まず、(一)東尾真次の昭和四〇年七月八日付検面調書は、検察官が、右東尾に対し「警察の調書に間違いないか」と尋ねただけで、同人の警面調書を見ながら罫紙に下書きをし、それを立会事務官に渡して清書させ、読み聞けもしないで東尾に署名押印(以下指印も含めて押印という)させたものであり、(二)川筋荒一の昭和四〇年七月二四日付、今井幸男の同年同月二八日付、吉田利明の同年八月一三日付、松谷広光の同年同月同日付、竹森豊喜の同年七月二二日付各検面調書は、これらの者が取調室に入る前にあらかじめそれぞれの警面調書を見て調書を記載しておき、右の者らに対しては「警察で述べたことは間違いないか」とのみ尋ね、または、なんら質問せず、読み聞けをし、または、しないで署名押印させたものであり、(三)被告人住谷の昭和四〇年七月二六日付、泉谷重一の同年八月八日付、水上朝日の同年七月一三日付、同年同月二二日付、同年同月二六日付、幡本敏雄の同年八月二日付、塩谷敏夫の同年七月二四日付、被告人牧野の同年同月二九日付、石橋文一の同年同月三一日付各検面調書は、いずれも、検察官が、右の者らに対しなんら質問せず、したがって、なんら供述をさせないで、それぞれの警面調書を見ながら立会事務官に口授して調書を記載させたうえ、読み聞けをし、または、しないで署名押印させたものであり、(四)西浦惣太郎の昭和四〇年七月一四日付、一色貞一の同年八月二日付各検面調書は検察官が、これらの者が供述しないことをほしいままに立会事務官に口授して調書に記載させ、読み聞けもしないで署名押印させたものであり、(五)六埜市治郎の昭和四〇年七月二一日付、被告人松本の同年同月二六日付各検面調書は、検察官が、右の者らに対し一、二度、あるいは、きわめてわずか質問したのみで、それぞれの警面調書を見ながら立会事務官に口授して調書を記載させ、読み聞けもしないで署名押印させたものであり、(六)幡本敏雄の昭和四〇年七月八日付検面調書については、同人が同日検察官の取り調べを受けた事実がなく、(七)以上(一)ないし(六)の各検面調書のうち、東尾真次の昭和四〇年七月八日付、川筋荒一の同年同月二四日付、被告人住谷の同年同月二六日付、西浦惣太郎の同年同月一四日付、六埜市治郎の同年同月二一日付、一色貞一の同年八月二日付、今井幸男の同年七月二八日付、被告人松本の同年同月二六日付各検面調書は、これらの者が供述調書の記載内容を知らされないまま署名押印したものであり、したがって、以上の各検面調書は、「検察官の面前における供述を録取した書面」ないしは「被告人の供述を録取した書面」といえず、あるいは、いわゆる記載内容の肯定確認を伴わないものであるから、すでにこの点において証拠能力を有しないものである旨主張する。

よって調査するに、大阪地方裁判所昭和四〇年(わ)第三、四九八号前田夘之松外七名に対する公職選挙法違反被告事件(以下別件という)の証人波山正、同中村信仁の各供述速記録(以下別件における供述速記録はすべて写)ならびに所論の各検面調書(被告人の分以外はすべて謄本、以下同じ)の形式および内容を併せ検討すると所論の各検面調書のうち、竹森、塩谷、牧野、石橋、松本の分は検察官中村信仁の、その余の分は検察官波山正の取り調べによる供述を録取したものであるが、右検察官両名とも、平素事件関係者を取り調べて供述調書を作成する場合は、被取調者に対し取調事項全般にわたって個々具体的に質問し、その供述を聞いてメモし、それに基いて供述内容を立会事務官に口授して調書に記載させ、これを自ら、または、立会事務官をして被取調者に読み聞かせ、それが供述内容と一致していることを被取調者において確認すれば、その署名押印を求めるという方法をとっており、前記各検面調書を作成する際も右のごとき方法をとったこと、したがって、その際、被取調者を面前におかないで調書の記載をしたり、被取調者に質問をしないで調書を作成したり、あるいは、被取調者が供述しないことを調書に記載するようなことはなく、調書の読み聞けを省略したこともなかったこと、また、波山検事において被取調者に対し「警察で述べたことは間違いないか」と尋ねただけで調書を作成したり、自ら調書の下書きをし、それを立会事務官に渡して清書させたこともなかったこと、ならびに、幡本が昭和四〇年七月八日大阪地方検察庁において波山検事の取り調べを受け、その際同日付の供述調書が作成されたことの各事実が優に認められる。所論の各検面調書の供述者の別件における供述速記録および原審公判調書における供述記載中右認定に反する部分は、前掲証拠に照らし措信できない。右の所論は理由がない。

二、次に、所論は、(1)東尾真次の昭和四〇年七月八日付検面調書は、取り調べに当って供述拒否権のあることを告げられず、検察官に対し警面調書の内容は事実と相違していると申し立てたところ、「警察で嘘をいったのか、警察の調書を変えることはできない」ときびしい言い方でいわれたため、真実を述べることができなかったのであるから、供述が任意にされたものでない疑いがあり、特信性がない。(2)被告人古石の昭和四〇年七月一七日付警面調書は、取調官から「他の者はこういっているではないか」といわれ、他の者と供述が一致しなければ釈放してもらえないものと考えて供述したものであるから、任意性に疑いがあり、同被告人の同年同月一三日付検面調書は、勾留が長くなることをおそれて真実を述べることができなかったのであるから、任意性に疑いがあり、特信性もない。(3)被告人根来の昭和四〇年七月二四日付警面調書は、取調官から「君がいくらいってもわかっている。皆こういっているではないか。」といわれ、こちらのいうことを聞いてもらえなかったのであるから、任意性に疑いがあり、同被告人の同年同月一四日付および同年同月二七日付検面調書は、検察官に真相を述べようとすると、「そんなばかなことがあるか。そんなことをいっていると今日は帰れんぞ。」と大声でどなられ、胃潰瘍にかかっていた胃が激しく痛み出し、さからって勾留されると生命にかかわると思い、真実を述べることができなかったのであるから、任意性がなく、特信性もない。(4)六埜市治郎の昭和四〇年七月二一日付検面調書は、供述拒否権の告知がなされなかったうえ、警察での取り調べで、宇治刑事から「他の者が述べているからいくらがんばってもだめだ。早く認めて早く出なさい。がんばっているといつまで入れておかれるかわからない。」といわれてできあがった警面調書の影響によるものであるから、特信性がなく、右六埜の同年八月四日付検面調書は、釈放後再び逮捕勾留されることをおそれて真実を述べることができなかったものであるから、供述が任意になされたものでない疑いがあり、特信性がない。(5)泉谷重一の昭和四〇年八月八日付検面調書は、供述拒否権の告知がなされなかったうえ、取り調べ当時身体のぐあいが著しくわるく、該調書に署名押印した直後検察官の目前で倒れたほどであったから、供述が任意になされたものでなく、特信性がない。(6)水上朝日の昭和四〇年七月一三日付、同年同月二二日付、同年同月二六日付各検面調書は、警察での取り調べの際、糖尿病であったにもかかわらず署い最中に身体を拘束されたため身体がひどく衰弱していたうえ、藤原刑事から「お前のようなしぶとい奴はなんぼでも放り込んでおいてやる。」といわれ、取り調べの際座る木製の椅子が次第に腰をおろす部分が小さいものと取り替えられて行き、最後には直径一〇センチメートルぐらいのものになり、座っているのが苦痛であったし、さらに、「どうせ罰金ぐらいですむのだからいうようになれ。」といわれ、いわれるとおりになって警面調書ができあがったのであるが、その影響を受けたものであるから、供述が任意になされたものでない疑いがあり、特信性がない。(7)今井幸男の昭和四〇年七月二八日付検面調書は、供述拒否権の告知がなされなかったうえ、代用監獄から検察官の取り調べを受けるため検察庁へ出向く途中、同行の警察官から「今日釈放されるだろう。」といわれていたのであるが、検察官の面前では、警面調書の内容と異なることを述べると釈放してもらえないものと思い、真実を述べることができなかったのであるから、供述が任意になされたものではなく、特信性がない。(8)松谷広光の昭和四〇年八月一三日付検面調書は、警察での取り調べの際「認めるまで帰宅させない。思い出すまで二、三日入るか。」などといわれ、いわれるとおりになって警面調書ができあがったが、検察官の面前では、警面調書の内容と異なることをいえば再び警察に戻されて取り調べられると思い、真実を述べることができなかったのであるから、供述が任意になされたものでない疑いがあり、特信性がない。(9)前田夘之松の昭和四〇年八月三日付検面調書は、警察での取り調べの際「大杉や岩佐は全部自白している。君が否認しているといつまでもあの人らを釈放できない。部下をかわいいと思わないのか。大杉や岩佐は君を逮捕しないでくれと涙を流して嘆願しているのに君は人情もなにもない奴だ。」といわれて警面調書ができあがったが、その影響によるものであるから、供述が任意になされたものでなく、特信性がない。(10)岩佐武夫の昭和四〇年七月二〇日付検面調書は、供述拒否権の告知がなされず、検察官から「そんなことをいっているといつまでも勾留しておくぞ。」といわれてできあがったものであるから、供述が任意になされたものではなく、特信性がない。(11)竹森豊喜の昭和四〇年七月二二日付検面調書は、警察での取り調べの際、橋本刑事から「皆がいっているのだから君もいいかげんにいったらどうか。いわなければ出るのが遅くなり、いえば早く出られる。」といわれ、あるいは「竹森まだいわんのか、いわんのならいうようにしてやる。」と机を叩いてどなられて警面調書ができあがり、検察官の面前では、警面調書の内容と異なることをいえば勾留が長くなるのではないかと思い、真実を述べることができなかったのであるから、供述が任意になされたものではなく、特信性がない。(12)被告人畑中の昭和四〇年七月二二日付、同年同月二八日付検面調書は、取り調べの際、検察官から「勾留が長くなるぞ」という趣旨のことをいわれて真実を述べることができなかったのであるから、供述が任意になされたものでない疑いがあり、特信性もない。(13)塩谷敏夫の昭和四〇年七月二四日付検面調書は、警察での取り調べの際「逮捕状を用意しているから認めなければ執行する。」といわれ、そのため検察官の面前でも逮捕されるのがおそろしくて真実を述べることができなかったのであるから、供述が任意になされたものでない疑いがあり、特信性がない。(14)被告人牧野の昭和四〇年七月一四日付、同年同月二二日付、同年同月二六日付警面調書は、取り調べの際「他の者が全員認めているから君だけ嘘をいっても通らない。認めなければいつまでも勾留しておく。」といわれてできあがったものであるから、任意性に疑いがあり、同被告人の同年同月二九日付検面調書は、勾留が長くなることをおそれて検察官に対し真実を述べることができなかったのであるから、任意性に疑いがあり、特信性もない。(15)被告人松本の昭和四〇年七月二三日付、同年同月二四日付警面調書は、高校二年生の一人娘が警察署に来て被告人に会わせてくれといって聞かなかったということを聞かされ、右娘のために一日も早く帰宅してやらなければならないと思い、かつ、取調官から「他の者は皆認めて帰っているのに、君だけそんなことをいっていると、いつまでも帰れない。」といわれて認めるに至ったのであるから、任意性に疑いがあり、同被告人の同年同月二六日付検面調書は、検察官の取り調べの際も、娘のため一日も早く帰宅してやらなければならないという気持は変らず、かつ、供述拒否権の告知もされず、否認したところ、立会事務官が「今日はやれんわ。今日はやめとこ。」といったので、勾留がさらに長びくことをおそれて真実を述べることができなかったのであるから、任意性に疑いがあり、特信性もない。(16)大杉治の昭和四〇年七月二六日付検面調書は、後記第一食糧所属の米穀小売商が片っ端から逮捕されて行き、小売商らが他の米穀卸業者に登録替えをする気配もあったため、第一食糧が崩壊することをおそれて検察官と妥協した供述をしたのであるから、供述が任意になされたものでない疑いがあり、特信性がない。(17)被告人坂本の昭和四〇年七月二二日付、同年同月二三日付警面調書は、猛暑で身体が弱っていたうえ、取調官から「他の者は皆認めているではないか。」といわれてできあがったものであるから、任意性に疑いがあり、同被告人の同年同月三一日付、同年八月一二日付検面調書は、検察官から前同様のことをいわれてできあがったものであるから、任意性に疑いがあり、特信性もない。(18)被告人住谷の昭和四〇年七月二五日付、同年同月二六日付警面調書は、宇治刑事から水上朝日の供述調書を示され、「水上はここまでいっている。認めたら今日明日中に釈放できるだろう。わずかな罰金ですむことだから、こちらのいうとおりにしたらどうか。」といわれて供述したものであるから、任意性に疑いがある。(19)一色貞一の昭和四〇年八月二日付検面調書および石橋文一の同年七月三一日付検面調書はいずれも特信性がない、と主張する。

よって調査するに、所論(1)については、東尾真次の別件における供述速記録には、波山検事から「警察の調書に間違いないか。」と聞かれたので、「違います」と答えると、「警察で嘘をいって来たのか。警察の調書はもう変えることはできない。」といわれたので、「そのとおりです。」と答えたところ、同検事は、他になんら質問せず、警面調書を見ながら罫紙に下書きをし、それを立会事務官に渡して清書させ、読み聞けもしないで自分に署名押印させたもので供述拒否権の告知もされなかった旨の記載があるけれども、その後半部分は、当該検面調書および別件証人波山正の供述速記録に照らし、まったく措信できないこと、別件証人高田義男の供述速記録によると、右東尾は、警察官の取り調べに対しても、二個の受饗応につき、その趣旨の点を含め、当初からすなおに自白していたことが認められること、「警察の調書を変えることはできない」ということは、検察官の発言としてはあまりにも非常識であると考えられること、所論(2)については、被告人古石の別件における供述速記録には、警察では「他の者はこういっているではないか。あんた一人がんばっても仕方ないではないか。」といわれ、一日も早く釈放されたい一心から認めた旨の記載、ならびに、検面調書につき所論と同旨の記載があるが、同被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書によると、同被告人は、原判示第一および第二の饗応の趣旨等につき、前記七月一三日付検面調書において自白し、同月一四日付および同月一七日付警面調書においてもほぼ自白しているが、右検面調書以前の警面調書においては自白していないことが認められるところ、右検面調書については、単に勾留が長くなることをおそれたというだけでは自白の任意性に疑いをさしはさむべき事由とはいい難く、記録を調査してみても、その自白が不当に長く拘禁された後になされたものであることや、不当な外部的圧力によってなされたものであることを疑うべき事跡は存しないこと、七月一七日付警面調書は、その後の取り調べによるものであり、別件証人但見一彦の供述速記録によると、右取り調べの際、同被告人は、饗応の趣旨の点を含め、当初から関係事実を自白していたことが認められること、所論(3)については、被告人根来の別件における供述速記録には、前記警面調書および七月一四日付検面調書について、所論と同旨の記載があり、七月二七日付検面調書については、取り調べの際拘束されることをおそれて真相を述べることができなかった旨の記載があるが、右供述速記録中、検察官および司法警察員の取り調べを受けた際の状況に関する部分は、不合理、不自然な点が多く、全体として信憑性が乏しいとみられること、七月一四日付検面調書においては、原判示第二の饗応の趣旨を否認し、その席では選挙の話は出なかったように思うと供述しており、七月二七日付検面調書においては、右饗応の趣旨を自白しているものの、「警察では、前田が、梶原を選挙で落とすことのないよう皆の協力をお願いする旨あいさつしたと述べているが、どうか」との問いに対し、「そのようなあいさつをしたような気もするし、聞かなかったような気もする。」と供述していること、別件証人波山正の供述速記録によると、七月一四日付検面調書につき、取調官たる同人が所論のような言動をとったことはなかったものと認められること(この点に関する西浦勝治郎の別件における供述速記録の記載内容は措信できず、医師大谷庄衛作成の診断書も右認定を左右するものではない)、七月二七日付検面調書に関し、単に本人が拘束されることをおそれたというだけでは、自白の任意性を疑うべき事由とはいえないこと、所論(4)については、六埜市治郎の別件における供述速記録には、七月二一日付検面調書に関し、所論にそう記載があるが、別件証人宇治義仁の供述速記録によると、右宇治が六埜を取り調べた際所論のようなことを申し向けたことはなかったものと認められ、八月四日付検面調書に関しては、所論にそう資料がないこと、所論(5)については、原審(阿倍野簡裁第二二回、第二三回)公判調書の証人泉谷重一の供述記載中には、所論にそう部分とともに、それと一体をなす供述として、検察官はなんら質問をせず、警面調書をみながら立会事務官に口授し、読み聞けもしないで署名押印させた旨の部分があるが、右後段の部分および供述拒否権を告げなかった点は、当該検面調書および別件証人波山正の供述速記録に照らし、明らかに措信できないこと、当該検面調書の記載内容には、右泉谷に有利な事実の供述もかなり含まれていること、前記証人泉谷重一の供述記載によると、同人は昭和四〇年七月二〇日から八月二〇日頃まで入院し、警察の取り調べは右入院先で臨床尋問によりなされたが、同人はその段階で自白していたこと、八月八日同人は検察官の取り調べを受けるため任意に検察庁へ出頭していること、取り調べの際目前で被取調者が倒れるようなことがあれば、取調官の記憶に残るのが普通であるのに、別件証人波山正の供述速記録によると、同人はそのようなことは記憶にないと述べていること、所論(6)については、原審(阿倍野簡裁第一二回の二、第一三回の一、第一五回)公判調書の証人水上朝日の供述記載中には所論にそう部分がみられるが、原審(大阪地裁第二〇回、第二三回)公判調書中証人田畑久司、同藤原十二の各供述記載によると、右水上を取り調べたのは藤原刑事であったが、同刑事が水上に対し所論のような発言をし、また、同刑事らが所論のように水上の座る椅子を取り替えて行くなど同人に対しむりな取り調べをしたことはなかったものと認められること、右水上に対する検察官作成の弁解録取書および裁判所書記官作成の勾留質問調書によると、水上は、原判示第一の事実につき、検察官の弁解録取および裁判官の勾留質問の段階から、饗応の趣旨の点を含め、ほぼこれを承認していた事実が認められること、所論(7)については、原審(大阪地裁第一四回)公判調書の証人今井幸男の供述記載中には、検察官の取り調べを受けるため、勾留されていた警察署から検察庁へ行く途中、同行の警察官から「検事の前でのあなたのいい方によっては今日釈放されるだろう。」といわれ、検察官の面前では、「警察で調べられたとおりか」ときかれ、警面調書の内容が事実と違うといえば釈放してもらえないと思い、勾留が長くなるのがこわくて「違う」といえず、「はい」と答えたところ、検察官はそれ以外のことはなんら質問せず、したがって、自分も供述せず、検察官が立会事務官に口授することもなく、調書の読み聞けもないまま署名押印させられた、調書の内容の記載はいつ誰がしたのかわからない、供述拒否権の告知もされなかった旨の部分があるが、そのうち、検察官の面前に至ってからの状況を述べた部分は、当該検面調書および別件証人波山正の供述速記録に照らし、措信できないことが明らかであること、原審(大阪地裁第二〇回)公判調書中証人但見一彦の供述記載によると、右但見は、検察官の取り調べを受けさせるため今井を検察庁へ連行した警察官であるが、連行の途中今井に対し同人の前記供述にあるようなことを申し向けたことはなかったものと認められること、右今井に対する検察官作成の弁解録取書および裁判所書記官作成の勾留質問調書によると、同人は、原判示第一の事実につき、検察官の弁解録取および裁判官の勾留質問の段階から、饗応の趣旨の点もを含め、ほぼこれを承認していたことが認められること、所論(8)については、原審(大阪地裁第一六回)公判調書中証人松谷広光の供述記載中には、原判示第二の「新東洋」における会合の際、途中から席を立って風呂に入っていたため、誰がどのようなあいさつをしたか知らなかったので、警察の取調(在宅取調)を受けた際、そのように述べたところ、「皆がいっているのだから君もいうまで帰さない。思い出すまで二、三日入るか。いえばすぐ帰す。」といわれたため、「皆のいっているとおりにしてください。」と述べた、検察官の面前では、なんら質問されず、したがって、なんら供述せず、入室後間なしに調書を読み聞かされ、警面調書と同じ内容だったが、もし事実と違うといえばまた警察に戻されていやな目にあわされると思い、早いことすませたかったので、異議を述べず署名押印した旨の部分があるが、右の検察官の面前における取調状況に関する点は、当該検面調書および別件証人波山正の供述速記録に徴し、措信できないことが明らかであること、当該検面調書中には「新東洋の案内状を受け取り、時期が時期なので梶原の選挙目当ての会合かも知れないと思い、第一食糧堺南営業所長に電話して会合の趣旨を問い合わせた」旨の供述部分があり、これは供述者本人が自発的に述べなければ現われて来ない事柄であること、後記認定のような「新東洋」における会合の経過に照らし、会合の途中から席を立って風呂に入ったという点も不自然であること、所論(9)については、原審(阿倍野簡裁第一九回、第二〇回)公判調書中証人前田夘之松の供述記載には、警察での取り調べの際、佐伯刑事から「大杉は自白している。理事長である君がこういう態度をとっていると、いつまでもあの人たちを出すことができない。忠海らは理事長だけは逮捕しないでくれといっているのに、君はそれでも人間か。」といわれ、また、黒川刑事から「忠海が自白した。」といわれたので、釈放された同人に会って聞いてみると、「他の者の調書がそうなっているといわれ、そういわなければ帰してもらえなかった。ポットスタンドの件で、これ以上米屋が引っ張られると組合がつぶれるので、波山検事にこれ以上捜査の範囲を広げないよう頼み、その旨約束してもらった。」といったので、その後の黒川刑事の取り調べの際、「他の者が述べているとおりにしてくれ。」といって警面調書を作成してもらい、八月三日の波山検事の取り調べの際も、反撥して同検事の反感を買うと組合がつぶれると思い、反撥できなかった、検面調書の主要な部分は自分が述べていないのに同検事が勝手に書いたものである、という趣旨の部分があるが、右最後の点は、別件証人波山正の供述速記録および当該検面調書に照らし、明らかに措信できず、また、右供述においては、波山検事にこれ以上ポットスタンドの捜査の範囲を広げないことを約束してもらったのは忠海だというのであるから、そのことのために前田が黒川刑事や波山検事に対し右供述のように迎合せねばならぬとは考えられないこと、しかも原審(阿倍野簡裁第一五回)公判調書中の証人忠海秀二郎の供述記載中には、同人が波山検事と右のような約束をしたのは七月一九日であり、同人は同月三一日釈放された際、すでに右約束が破られていることを知った旨の部分があること、前記証人前田夘之松の供述記載によると、同人は、捜査機関の取り調べを受けた際、身体を拘束されていなかったし、取調官から自白しなければ身体を拘束するというようなことをいわれたこともなかったことが認められること、所論(10)については、原審(阿倍野簡裁第九回の一、第一〇回の一)公判調書の証人岩佐武夫の供述記載中には所論にそう部分が見当らず、他に、当該検面調書について所論のような事情があったことを疑わせる資料は存しないこと、また、当該検面調書中には本人に有利な供述もかなり見受けられること、所論(11)については、竹森豊喜の別件における供述速記録には所論にそう部分があるが(ただし、橋本刑事から「竹森まだいわんのか。いわんのならいうようにしてやる。」と机を叩いてどなられたという点は、これにそう資料がない)、同時に、検察官から別にきつい取り調べを受けたこともなく、勾留が長びくようなことをいわれたこともない旨の記載部分もあること、当該検面調書では、読み聞け後ささいな点についても追加供述がなされ、これが録取されていること、原審(大阪地裁第二一回)公判調書中証人藤本弘の供述記載によると、竹森の取り調べを担当した藤本刑事も、所論の橋本刑事も、竹森に対し所論のようなことを申し向けた事実はなかったことが認められること、所論(12)については、被告人畑中の別件における供述速記録および原審(大阪地裁第一七回)公判調書中同被告人の供述記載中には、中村検事の取り調べを受けた際、同検事から「饗応の趣旨の点を認めなければ六〇日間勾留する。」といわれたので、やむなく妥協的な供述をしたという部分があるが、別件証人中村信仁の供述速記録によると、同検事が、同被告人に対し、右のようなことを申し向けたり、饗応の趣旨の点を認めるよう強制したりしたことはなかったものと認められること、所論(13)ついては、塩谷敏夫の別件における供述速記録および原審(大阪地裁第一二回)公判調書中同人の供述部分には、泉大津署で小池刑事の取り調べを受けていた際、竹森を取り調べていた刑事が、部屋に入って来て、原判示第一の会合におけるあいさつの内容に関し、所論のようなことをいったので、やむなく、他の者の供述のとおり調書を書いてくれといった、中村検事は、なんら質問せず、警面調書を見ながら立会事務官に口授したが、そうではないといえば逮捕されるのではないかと思い、黙っていた旨の記載があるが、当該検面調書および別件証人中村信仁の供述速記録によると、右後段の部分は明らかに措信できず、むしろ、塩谷は、中村検事の取り調べに対し始終すなおに供述し、同検事から最後に有利なことを述べるよう促されて独自の事情を述べたことが認められること、原審(大阪地裁第二一回)公判調書中証人藤本弘の供述部分によると、右藤本は、泉大津署で竹森を取り調べた刑事であるが、同署において小池刑事の調室へ入って行き被疑者に対し所論のようなことを申し向けたことはなかったことが認められること、所論(14)については、被告人牧野の別件における供述速記録には、警察での取り調べの際、原判示第一および第二の会合におけるあいさつの内容につき、藤本刑事から所論のようなことをいわれて、やむなくいわれたとおりの事実を認め、検察官の面前では、真実のことをいえばさらに勾留が長くなると思い、いえなかった旨の記載があるが、原審(大阪地裁第二一回)公判調書中証人藤本弘の供述部分ならびに被告人牧野の司法警察員に対する供述調書二通および弁解録取書、裁判所書記官作成の同被告人に対する勾留質問調書によると、同被告人は、警察での取り調べの際、藤本刑事に対し、当初から、原判示第一および第二の会合につき、あいさつの内容の点をも含めて事実をすべて承認しており、同刑事が同被告人に対し所論のようなことを申し向けたことはなかったことが認められること、前記供述速記録中、検察官の取り調べ方法についての供述部分には、著しい矛盾、撞着がみられ、また、当該検面調書には、最後に有利なことを述べよといわれて述べた部分や、読み聞け後の有利な追加供述の部分も存すること、所論(15)については、原審(大阪地裁第一七回)公判調書中被告人松本の供述部分には、検察官から供述拒否権のあることを告げられたかどうか記憶がないという点以外は、所論にそう記載があり、原審(大阪地裁第二四回)公判調書中証人大久保清一の供述部分を併せると、同被告人が泉大津署に勾留されていた際、同被告人の弟と妹婿と娘の三人が同被告人に面会すべく同署に赴いたこと、ならびに、同被告人がこのことを聞知したことが認められるが、このことは単に同被告人の個人的事情に過ぎないものというべく、これを取調官が故意に利用した形跡は証拠上認められないから、これによって同被告人が不当な外部的圧力を受けたものとはいえないし、原審(大阪地裁第二四回)公判調書中証人高田義男の供述部分によると、同被告人を身柄拘束中取り調べた警察官は右高田であり、同人が同被告人に対し所論のようなことを申し向けたことはなく、饗応の趣旨の点をむりに承認させたようなことはないことが認められ、また、別件証人中村信仁の供述速記録によると、検察官が同被告人を取り調べるに際し、供述拒否権のあることを告知しなかったり、立会事務官が所論のようなことを申し述べたことはなかったものと認められること、所論(16)については、原審(阿倍野簡裁第一一回の一)公判調書中証人大杉治の供述部分には、第一食糧所属の米穀小売商が多数身柄を拘束され、第一食糧の組織が動揺していたので、これを抑えるため早く出監しなければならない状態にあったところ、検察官から「水上らの供述とくいちがうので長い間入ってもらわなければならない。」といわれたため、調書のことは検察官に任せた旨の記載があるが、当該検面調書の内容と水上朝日の検面調書の内容とは、原判示第一の会合におけるあいさつの内容や昭和四〇年二月中頃の選挙対策打ち合わせ会のこと等重要な点で必ずしも一致しておらないこと、原裁判所の証人稲田繁司に対する尋問調書によると、検察官は、大杉の取り調べに際し、同人の前記供述にあるようなことを申し向けたことはなかったものと認められること、所論(17)については、被告人坂本の別件における供述速記録には、検察官の取り調べの際、原判示第一および第二の饗応の趣旨につき、選挙には関係がないとくり返し述べたが、他の者が認めているから君だけそういってもだめだといってどうしても聞き入れてくれないので、やむなく調書にそのように記載することを承認した旨の記載があるが、別件証人稲田繁司の供述速記録によると、検察官は、同被告人を取り調べるに際し「他の者はこういっているぞ」というようなことを申し向けて供述を押しつけたことはなかったものと認められること、同被告人の司法警察員に対する各供述調書によると、同被告人が警察において自白したのは反省悔悟した結果であることが窺われること、所論(18)については、被告人住谷の別件における供述速記録には、所論にそう記載があるが、別件証人宇治義仁の供述速記録ならびに被告人住谷の検察官に対する弁解録取書および裁判所書記官作成の同被告人に対する勾留質問調書によると、宇治刑事が同被告人を取り調べた際、水上朝日の供述調書を示したり、所論のようなことを申し向けたことはなく、同被告人は、七月二四日の検察官による弁解録取および裁判官による勾留質問の際、原判示第一の事実につき、ほぼこれを承認していたことが認められること、以上の諸点を参酌し、かつ、別件証人波山正、同中村信仁、同稲田繁司の各供述速記録によって認められる右各検察官の被疑者取り調べの一般的状況、証拠上窺われる各供述者の身柄拘束の状況のほか、本件および別件の被告人以外の者は、公判廷で供述した当時は、もはや当該事案により罪責を問われるおそれのない状態にあったが、同人らは、いずれも、本件および別件の被告人らとは大阪府下の米穀業界において密接な関係にある者であり、右被告人ら、なかんずく、地方議会議員たる被告人らが有罪となるおそれのある事実については供述をはばかる状況にあったこと、各供述調書の内容は、おおむね供述者に不利益な事実の承認であり、しかも、それを他の関係証拠と対照しながらつぶさに検討してみても、任意性および特信性に疑いを抱かせるような不自然、不合理な点は格別見当らないこと(後記事実誤認の控訴趣意に対する説示参照)、これに対し、右各供述者の公判廷における供述は、それ自体不自然、不合理な部分、他の証拠に照らし明らかに措信できない部分、あるいは、弁護人の極端な誘導尋問による部分等が処々に存在し、各人の供述調書の内容に比しおおむね信憑性が乏しいものと認められること等の諸事情を併せ考えると、所論の各供述調書は、いずれも任意性に疑いがなく、かつ、検面調書については特信性に欠けるところがないものというべきである。この点の所論もまた理由がない。

結局、原判決が以上の各証拠を罪証に供したことについてはなんら違法とすべき点はなく、論旨は理由がない。

控訴理由第四点および第五点について

論旨は、要するに、原判示第一および第二の事実につき、原判決は、料亭「銀翠」および料理旅館「新東洋」における酒食の饗応は、梶原茂嘉に当選を得しめる目的をもって、同人のため投票ならびに投票とりまとめの選挙運動をすることの報酬等としてなされたものであると認定したが、「銀翠」での饗応は、大阪府米穀小売商組合連合会(以下大米連という)が、同府下の米穀業界出身の地方議会議員に対し、大米連が抱えている商権確保(人口の増加により大阪府知事から新たな米穀小売商が認可されることを防止し、在来の米穀小売商の商権を擁護しようとすること)や業務監査の簡素化(大阪府による米穀小売商に対する業務監査を簡素化し、業者の自治監査への移行を促進しようとすること)等の問題につき、なおいっそうの協力方を依頼する趣旨で、同議員らおよび慣例に従って招待した大阪府米穀卸協議会(以下卸協議会という)所属の米穀卸売業者をもてなしたものであり、「新東洋」での饗応は、大阪府下の米穀業界出身の地方議会議員と、大米連および卸協議会の各幹部とが、前記の商権確保や業務監査の簡素化の問題等について話し合い、米穀業界の発展に寄与することを目的として、「大阪府米穀親和会」を結成するため、会合を開き、会則の審議や役員の選出等を行ったのち、懇親会を催したものであって、いずれも、選挙とはまったく関係のないものであり、この点において、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

よって、検討するに、まず、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、次のような事実が認められる。

すなわち、梶原茂嘉は、米穀卸売業者の組織である全国食糧事業協同組合連合会(以下全糧連という)の会長であり、昭和二八年以降連続して、米穀業界を地盤とし、その支援を受けて参議院(全国選出)議員に選出され、昭和四〇年七月四日施行の同議員選挙(以下本件選挙ともいう)に三たび出馬して当選したものであり、米穀業界出身の唯一人の国会議員であったこと、米穀業界における右梶原の選挙母体としては、前記全糧連のほか、米穀小売業者の組織である日本米穀小売商組合連合会(以下日米連という)等があり、右全糧連の傘下に大阪第一食糧事業協同組合(以下第一食糧という)が、また右日米連の傘下に大米連があったこと、第一食糧は、大阪府下に五〇有余の営業所を設置して米穀卸売等の業務を営み、同府下の米穀小売業者の約八割がこれに所属し(大阪府下には第一食糧のほかに米穀卸売業を営む会社が三社あり、以上四者で卸協議会を構成していた)、本部役員として、理事長(全糧連理事)前田夘之松、専務理事(阿倍野営業所長)大杉治、常任理事、総務部長忠海秀二郎、常任理事、商事部長岩佐武夫らがおり、なお、有力な営業所長として常任理事、豊中営業所長で大阪府議会議員の一色貞一、常任理事、泉大津営業所長で同府議会議員の泉谷重一、常任理事、福島営業所長で大阪市議会議員の被告人坂本、常任理事八尾営業所長で八尾市議会議員の被告人畑中がいたこと、大米連は、大阪府下の米穀小売業者が五十有余の地区別に組織している米穀小売商組合の連合体であり、幹部として、会長水上朝日、副会長川筋荒一、同六埜市治郎、同今井幸男、同被告人住谷、専務理事被告人松本らがいたこと、梶原は、米穀業界の代表者的立場にあり、米穀卸、小売業者のいわゆるマージン値上げ等の問題につき同業界のため尽力していたこと、本件選挙に関し、大米連は昭和三九年五月二九日開催の総会において、全糧連は同年一〇月頃開催された理事会において、第一食糧は昭和四〇年二月一二日開催の臨時総代会において、それぞれ梶原を推せん候補とする旨決議し、同人自身も右全糧連理事会等において立候補の意思を表明していたこと、大米連の水上会長は、かねてから、大米連の政治的発言力を強め、米穀小売業者の利益の増進を図るため、大阪府下における米穀業界出身の府、市、町議会議員(以下地方議員という)を招いて懇親会を開き、業界の諸問題について協力を依頼し、地方議員との連携を密にしたいと考えていたが、さらに、次期参議院議員選挙に備え、各地区の有力者で、各自の選挙地盤と支持票を有し、選挙運動にも長けている右地方議員らに対し、前記梶原に対するいっそうの支援を求めるためにも、右懇親会を開こうと考え、昭和四〇年二月初頃開かれた大米連の三役会議(会長、副会長四名、専務理事ら出席)において、「業界の諸問題について協力を要請するとともに、梶原のための選挙運動を依頼するため、業界出身の地方議員との懇親会を開きたい」旨提案したところ、出席者全員がこれに賛同したこと、次いで、同月中頃、第一食糧幹部と大米連幹部との選挙対策打ち合わせ会が開かれ、第一食糧から前田、大杉、忠海、岩佐、一色、坂本、泉谷、畑中らが、大米連から水上、川筋、六埜、今井、住谷、松本らが出席し、梶原のための選挙運動の基本方針を協議し、梶原の当選が必ずしも楽観を許さない情勢にあることを確認するとともに、第一食糧と大米連の双方が一致協力して選挙運動を推進して行くこと、大阪府下で一〇万票、米穀小売店一店舗当り三〇票獲得を目標とすること、大米連が主となって米穀業界出身の地方議員に働きかけ、その地盤と支持票を梶原のため活用すること等を申し合わせたこと、さらに、その頃、水上から忠海に、忠海から大杉らに、それぞれ前記趣旨のもとに業界出身の地方議員を招待して懇親会を開くことを相談し、賛同を得たこと、そこで、水上らは部下に対して会場の手配と案内状の作成送付方を指示し、大米連会長水上朝日名義で「今後の業務運営につき指導配慮を賜りたく懇談会を催したい」旨記載された案内状を大阪府下の米穀業界出身の地方議員(一色、坂本、泉谷、畑中以外の者はすべて米穀小売業者)全員に送付したこと、原判示第一の「銀翠」においては、大米連の水上、川筋、六埜、今井、住谷、第一食糧の大杉、岩佐、他の卸売業者たる会社の者二名、ならびに原判示第一の地方議員一六名(いずれも本件選挙の選挙人でもある)が出席し、今井の司会により、まず、水上があいさつに立ち、業界の発展のため協力を要請する旨の発言とともに、「梶原には昨年のマージン値上げ要求の際にも非常に世話になった。今後業界の政治力をいっそう強化するためにも、われわれは一致団結して梶原を擁立して行かねばならぬ。次の参議院議員選挙で梶原を落とすようなことは絶対あってはならぬ。そのためには地方議員の皆さんの力をお借りしなければならない。梶原をよろしく応援していただきたい」旨の発言をし、次いで、一色が地方議員を代表して招待を受けたことについての謝辞を述べるとともに、「今後とも業界の発展のため協力して行きたい。自分は、これまでの選挙では一松定吉の応援ばかりして来たが、今度は一松が出馬しないので梶原を応援することができる。他の地方議員の人々と力を合わせて梶原のため尽力したい。」旨述べ、さらに、畑中および坂本が簡単にあいさつした後、酒宴(代金一人前約二、五〇〇円相当のもの)に移ったこと、その間、所論のいう商権確保や業務監査の簡素化等の問題について具体的に話し合いがなされたことはなかったこと、右宴会の費用は全額大米連から支払われたこと、水上は、梶原のための選挙運動に格別熱心であったので、その後本件選挙が近づくにつれ、再び前記「銀翠」での会合と同様な会合をもち、大米連、第一食糧等の各幹部と業界出身の地方議員との親睦を深め連携を密にするとともに、右地方議員に対し重ねて梶原のための支援を依頼しようと考え、同年四月終頃か五月初頃、忠海に対し「もう一度地方議員との会合をもち、梶原のことを頼みたい」旨申し入れたところ、忠海もこれに賛同し、同人から地方議員の中の有力者である泉谷、一色に相談をもちかけた結果、同人らも水上の意図を察知したうえ、これに賛同し、結局、泉谷と忠海が中心となって会合の準備に当ることとなり、さらに、水上は松本、住谷、六埜らに、忠海は前田らに、それぞれ「銀翠でしたのと同じような地方議員との懇親会をもう一度開く」旨伝えて賛同を得たこと、そして、忠海の発案で、大米連および卸協議会の各幹部と業界出身の地方議員全員を構成員とする「大阪府米穀親和会」なる会を結成することとし、泉谷が会場の手配を、忠海が会則案や案内状の作成送付等の手配をし、「(仮称)大阪府米穀親和会」の名義で「平素の親睦をいっそう深めるため第二集会を設けたい」旨記載した案内状を構成員となるべき者に送付したこと、原判示第二の「新東洋」においては、大米連の水上、川筋、六埜、住谷、松本ら、第一食糧の前田、忠海、他の卸売業者たる会社の者二名、ならびに一色、泉谷ほか原判示第二の地方議員一一名(いずれも本件選挙の選挙人でもある)が出席し、泉谷の司会により、まず大阪府米穀親和会(以下親和会という)の会則案を出席者に配布し、これを読みあげて賛同を得(会費を月額五〇〇円とするか、一〇〇〇円とするかで両意見があったが五〇〇円とすることに決められた)、次いで、親和会の役員を選出することになり、これを一任された泉谷があらかじめ用意していた腹案を披露して賛同を得た後(副会長に選出された古石が、先輩を差し置いてなることはできないと辞退したが、説得されて受諾した)、会長に選出された一色および相談役となった前田がそれぞれ就任のあいさつをしたが、その際、前田は「今度の選挙では梶原のためいっそうの応援を頼む」旨述べ、続いて酒宴(代金一人前約四、六〇〇円相当のもの)に移ったこと、右宴会の費用は当日大米連から支払われたが、同宴会費の負担については、案内状にはなんら記載がなく、会場においても、徴収はもちろん、なんらの説明も質問もなされず、本件選挙後、買収事犯として検挙されるに至るまで、世話人側から請求したことも、出席した者から支払を申し出たこともまったくなかったこと、なお、「新東洋」での会合の招待を受けた地方議員のうち、塩谷敏夫、石橋文一、西浦惣太郎、幡本敏雄は、銀翠での会合と同じく梶原の選挙運動のための会合であろうと推察し、選挙違反の罪に問われることを慮って出席しなかったこと、以上の各事実が認められる。

《証拠判断省略》そして、右認定にかかる諸事実、なかんずく、梶原と本件関係者ならびに本件関係者相互の関係、水上が地方議員との懇親会を企画した事情、大米連三役会議ならびに大米連および第一食糧各幹部の選挙対策打ち合わせ会の内容、その他、「銀翠」での会合を開くに至るまでの経緯、同会合における水上および一色のあいさつの内容、「新東洋」での会合を開くに至った経緯、とくに、関係者の説明や案内状の文面にあらわれた会合の趣旨は、要するに、「銀翠」での会合と同様の地方議員との懇親会をもう一度開くということであったこと、「新東洋」での会合における前田のあいさつの内容、同会合の費用は大米連が支出し、これを出席者に負担させる意図、あるいは、出席者においてこれを負担する意図が本件検挙に至るまで表明されなかったこと、その他、本件選挙と本件各饗応との時期的関係、地方議員と選挙との関係等を総合し、さらに、原判決が判示第一および第二の事実の証拠として挙示する各検面調書中、饗応の趣旨、目的、あるいは、その知情についての直接の自白部分を併せ考えると、原判示第一および第二の事実は、饗応の趣旨、目的およびその知情の点を含め、これを認定するに十分であるというべく、右各事実の饗応の趣旨に所論のような面が含まれていたことは肯認しうるけれども、同時にまた、右各饗応が梶原に当選を得しめる目的と同人のため投票ならびに選挙運動をすることの報酬たる趣旨を具有していたことも認めざるを得ないのである。

所論は、原判決が、判示第一において、第一食糧の専務理事(大杉)が同じ第一食糧の常任理事(一色、畑中、坂本、泉谷、なお、同人らは選挙対策打ち合わせ会に第一食糧の幹部として出席し選挙運動の基本方針の協議に関与したことにさえなっている)を、判示第二において、第一食糧の常任理事ないし理事長(一色、泉谷、忠海、前田)が同じ第一食糧の常任理事(坂本、畑中)を、いずれも、第一食糧が選挙母体となっている梶原のため投票および選挙運動を依頼して饗応した旨認定した点、ならびに、「銀翠」および「新東洋」での会合は、趣旨、目的が同じであるとしながら、一色および泉谷が、「銀翠」での会合では受饗応者、「新東洋」での会合では饗応者であると認定した点は、はなはだ不自然、かつ、不合理である、そもそも、右二つの会合の出席者は、すべて、かつて辛苦を共にし団結の堅さを誇ったいわゆる営団一家の者であり、その代表者たる梶原のため投票や選挙運動を依頼して饗応したり、されたりする間柄ではない、と主張する。

そこで、考えてみると、前記認定のとおり、「銀翠」および「新東洋」での会合は、大米連の会長であり、梶原の選挙運動に格別熱心であった水上が、米穀業界出身の地方議員との連携を密にして同業界の利益の増進を図る目的と、各地区の有力者で各自の選挙地盤と支持票を有する右地方議員に梶原のための支援をとくに依頼する目的のため、大米連および第一食糧の幹部と計って右地方議員を饗応したものであり(なお、「新東洋」での会合は、忠海の発案による親和会の結成のための会合としての面もあった)、一色、坂本、泉谷、畑中は、いずれも第一食糧の常任理事であって、営業所長の中でも有力者と目されていたものであるが、同時に地方議員でもあり、「銀翠」での会合においては、右四名とも地方議員として招待され出席したのであって、その点が第一食糧の幹部でありながら受饗応者と認定される所以である。なるほど、右一色らは大米連と第一食糧の各幹部の選挙対策打ち合わせ会に出席し、その席では梶原のための選挙運動の基本方針が協議され、そのひとつとして、大米連が主となって業界出身の地方議員に働きかけることが申し合わされているけれども、右地方議員の中には右一色らも含まれているわけであり、現に、被告人坂本の昭和四〇年七月三一日付検面調書によると、右選挙対策打ち合わせ会の席上、水上が一色や坂本に対し「選挙のときにはあなたがたの力をお借りしたいのでよろしくお願いします。」と申し述べたことが認められ、また、「銀翠」での会合における一色のあいさつをみても、水上のあいさつにおける梶原のための応援依頼の趣意に対し、地方議員を代表して協力を約し、同時に、他の地方議員に対し、互いに梶原のため尽力しようと呼びかける趣旨のものであったと解されるのであって、この会合においては、右一色、泉谷らは、投票ならびに選挙運動を依頼され饗応を受ける立場にあったものと認定するのが相当である。ところが、「新東洋」での会合に関しては、前記認定のような経緯により、一色、泉谷の両名は、地方議員でありながら、大米連および第一食糧の本部役員とともに、会合の開催に参画し、その準備に当るなどして、世話人側の立場に立っていたのであるから、饗応者と認定すべきものであり、その他の地方議員は、畑中、坂本を含めて、「銀翠」での会合の場合と同じ趣旨で招待を受ける立場に立っていたのであるから、受饗応者と認定すべきものであって、以上と同旨の原判決の認定に不自然、不合理な点はない。なお、梶原は全糧連の会長であり、全糧連および日米連を選挙母体とする者であったから、米穀業者たる本件各受饗応者の中には、つとに右梶原支持の意向を有していた者も少くなかったものと考えられるが、本件各饗応は、そのような者に対しても、梶原支持の意向をいっそう強化し、梶原への投票はもちろん、地方議員として有する選挙地盤と支持票を活用して梶原のための選挙運動をすることをとくに依頼する趣旨であったものと認められる。また、原審で取り調べた証拠によると、かつて米穀の配給業務が食糧営団によって行われていた当時、遅配、欠配の解消のため、役職員が協力して米穀の運搬等に当ったことがあったことは認められるけれども、現在の米穀業界が、本件のごとき饗応ないし受饗応があり得ないほど、団結が強固で統制の厳格なものであるとはとうてい認められない。該所論は理由がない。

次に、所論は、梶原が自由民主党所属であったにもかかわらず、「銀翠」および「新東洋」での会合には革新系議員である石橋文一や東尾真次が招待されて出席しており、この点からも、右二つの会合が梶原の選挙運動のためのものであると認定するのは不合理である、と主張する。

よって検討するに、なるほど、石橋文一および東尾真次の各検面調書および別件における供述速記録によると、右石橋および東尾は社会党員であることが認められる。しかしながら、前記認定のとおり、右二つの会合には、米穀業界出身の地方議員との連携を密にして同業界の利益の増進を図る目的と、来るべき参議院議員選挙に備え右地方議員に梶原のための応援を依頼する目的とが併存していたところ、前者の目的の関係においてはもちろんのことであるが、後者の目的の関係においても、米穀業界出身の唯一人の国会議員であり同業界の利益代表ともいうべき梶原を引き続き中央政界に送り込むため、大阪府下の同業界出身の地方議員全員に対し右梶原への応援を依頼して饗応しようとしたのであるから、主催者あるいは世話人側としては、招待する地方議員の所属党派や保守革新の別などは格別顧慮していなかったものと推測され、現に、水上朝日の昭和四〇年七月二二日付および同月二六日付各検面調書によると、同人は、米穀業者として利害を共通にする地方議員全員を招待しようとしたもので、各議員の所属党派や保守革新の別まで考えず、かつ、知らなかったことが認められるのである。該所論もまた理由がない。

次に、所論は、「銀翠」での会合は、大米連の正規の機関である理事会の決議に基づいて開催され、その費用の支出についても、昭和三九年度収支決算報告の一部として、正規の機関である理事会および総会で承認されたものであるから、これを梶原への応援を依頼して饗応をした会合とみるのは不合理である、と主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、右会合は、米穀業界出身の地方議員との連携を密にして同業界の利益の増進を図る趣旨と、来るべき参議院議員選挙に備え右地方議員に梶原のための応援を依頼する趣旨とを兼ね備えたものであったところ、六埜市治郎(昭和四〇年七月二一日付)、今井幸男、被告人松本、塩谷敏夫の各検面調書によると、昭和四〇年二月一〇日頃の大米連定例理事会において業界出身の地方議員との懇談会を開催することが提案され、承認されたが、その際、会合の趣旨については、業界の諸問題につき地方議員に協力を要請するためとのみ説明され、来るべき参議院議員選挙に関係のある会合であることはなんら説明されなかったことが認められ、また、大米連作成の第八回通常総会関係書類によると、右会合の費用の支出につき、昭和三九年度収支決算報告の一部として、大米連理事会および同総会の承認を得た際にも、単に「業界選出地方議員懇談会」とのみ表示していたことが認められるので、右会合の開催ないし費用の支出が大米連の正規の機関によって承認されていることと、原判決における右会合の趣旨の認定とは、なんら矛盾するものではない。該所論もまた理由がない。

次に、所論は、原判決は、「銀翠」における饗応の趣旨の認定資料として一色、畑中、坂本のあいさつの内容をあげているが、右饗応の趣旨の認定に役立つのは主催者側の水上のあいさつの内容のみであり、招待を受けて出席した右一色らのあいさつの内容が右趣旨の認定に役立つ道理がない、と主張する。

しかし、右一色のあいさつは、主催者側(招待者側)の代表である水上のあいさつに引き続き、その答礼として、招待を受けた地方議員を代表してなされたものであるから、その内容を右水上のあいさつの内容、ひいては、その場における饗応の趣旨を認定する資料の中に加えることは、いっこうに不合理ではない。該所論もまた理由がない。

また、所論は、原判示第二の事実に関し、被告人住谷、同松本は、「新東洋」での会合の開催につき事前になんら参画しておらず、同人らを共謀共同正犯と認定すべき証拠はまったくないのであるから、原判決が右両名を共謀共同正犯と認定したのは明らかに誤りである、と主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、右被告人両名は、大米連の本部役員であり、大米連の本部役員は会長たる水上を先頭に率先して梶原を支援すべき立場にあったところ、右水上から事前に「銀翠」での会合と同じような地方議員との懇親会をもう一度開く計画を告げられ、「銀翠」での会合の趣旨を知悉しながら、これに賛同し、かつ、現に主催者側の一員として該会合に出席したのであるから、該会合における饗応につき、共謀共同正犯としての責を問われてもやむをえないものといわなければならない。該所論もまた理由がない。

さらに、所論は、「新東洋」での会合の費用は、親和会の会費を徴収して支払う予定のもとに大米連が一時立て替えた後、昭和四〇年八月、親和会が会員から徴収した会費をもって大米連に返済したものであり、この業界における各種の会の会費は、半年分または一年分を一括して納入するのが慣例になっており、右の場合も、その慣例に従い、昭和四〇年五月から昭和四一年四月までの一年分が一括して納入されたので、これをもって立替金の返済に当てたものである、と主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、「新東洋」での会合の費用の負担については、同会合の案内状にも記載されておらず、当日会場においても、その徴収がなされなかったばかりでなく、後日徴収するとか、親和会の会費として徴収した分から支出するとかの説明もまったくなされず、出席者からこの点について質問したり、支払いを申し出たりしたこともなく、さらに、その後も、買収事犯として検挙されるに至るまで、世話人側から請求したことも、出席した者から支払いを申し出たこともなかったこと、ならびに、親和会の会費が一括して徴収されたのは、買収事犯として関係者が捜査機関の取り調べを受けるようになってからのことであること等の点に徴すると、右会合当時、親和会の会費を徴収して会合の費用に当てることは予定されておらず、その他、会合の費用を出席者に負担させる意図、あるいは、出席者においてこれを負担する意図はなかったものと認めるのが相当である。該所論もまた理由がない。

その余の所論は、大部分、原審において取り調べた証拠のうち措信できないもの、もしくは、措信できない部分のみを取りあげ、あるいは、いわゆる総合認定に用いた証拠ないし間接事実の一部のみをとらえて、原判決の事実認定を非難するものであるが、それら縷述の所論にかんがみ関係各証拠を精査しても、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認は存在しない。論旨は理由がない。

以上の次第により、被告人根来、同住谷、同松本、同牧野の本件各控訴は、理由がないから刑事訴訟法三九六条とよりこれを棄却することとし、原判決中被告人古石、同畑中、同坂本に関する部分は、同判示第三の一ないし三の点において破棄を免れないところ、原判決は、右被告人らに対し、右の事実と同判示第一および第二の各二の事実につき一個の刑を言い渡しているので、原判決中右被告人らに関する部分は、その全部を破棄することとする。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三七八条三号後段により原判決中右被告人らに関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

右被告人らの原判示第一および第二の各二の所為は、いずれも、昭和五〇年法律六三号附則四条により、同法による改正前の公職選挙法二二一条一項四号(一号)に該当するので、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、右各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で、右被告人らをそれぞれ罰金二万円に処し、罰金不完納の場合の労役場留置につき刑法一八条を、追徴につき公職選挙法二二四条を、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を、選挙権および被選挙権の停止期間の短縮につき公職選挙法二五二条四項を各適用して主文三項ないし六項のとおり定め、なお、右被告人らに対する各起訴状記載の公訴事実第三(供与および事前運動)の点は、当審における職権調査の対象とならないと考えられるので、この点については調査をしないで原判決の判断に従うこととし、刑事訴訟法三三六条後段により右被告人らに対し無罪の言い渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 角敬 青木暢茂)

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