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大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)1120号 判決 1971年5月27日

控訴人(附帯控訴人) 有限会社中島材木店 外一名

被控訴人(附帯控訴人) 福島八十吉 外一名

主文

本件附帯控訴を棄却する。

控訴にもとづき、原判決を次のとおり変更する。

控訴人ら(附帯被控訴人ら)は各自、各被控訴人(附帯控訴人)それぞれに対し各金二二一、二二二円及びこれに対する昭和三七年一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人ら(附帯控訴人ら)のその余の請求を棄却する。

訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を控訴人ら(附帯被控訴人ら)の負担、その余を被控訴人ら(附帯控訴人ら)の負担とする。

この判決は被控訴人ら(附帯控訴人ら)の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人と略称)ら訴訟代理人は、控訴につき「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人(附帯控訴人、以下被控訴人と略称)らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決、附帯控訴につき附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴代理人は、控訴につき控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として「原判決中被控訴人ら敗訴部分を取消す。控訴人らは各自被控訴人両名に対しそれぞれ金六〇万円及びこれに対する昭和三七年一月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実に関する主張及び証拠の提出援用認否は、

被控訴代理人において、

(一)  控訴人らの後記無過失の主張は否認する。いわゆる自動車の便乗は、長距離を運転する自動車運転手であれば常識として知つていることがらであり、本件のように冬の夜一一時四〇分頃、他の交通機関の利便も乏しいところにおいては、自動車運転手には同乗させる法律上の義務がないとはいえ、むしろ求めに応じるのが通例であるから、訴外功の行動をすべて非難することはできない。訴外村中は、訴外功が便乗を求めているのを察知しながら、便乗させては面倒と考え、これに応じなかつたのであるが、便乗を拒むのであれば、訴外功の動向に注意し、警笛を吹鳴するなどして同人に警告し、それを拒む意思を表示し、すでに主張したような(原判決引用部分)事故防止のための措置をとるべきであつた。ところが訴外村中は、これらの措置をとらなかつたばかりか、接触後の救護の措置すらとらなかつたものである。

(二)  損害額について

1、功の得べかりし利益の損害に関する原判決四枚目表二行目の「労働大臣」から同裏四行目末尾までの主張を、次のとおり改める。

「年令の推移に応じ、少くとも総理府統計局編第一五回(昭和三九年)日本統計年鑑第二二一表「年令階級産業および企業規模別給与額」記載の全産業平均の男子労働者の給与額と同額の給与、すなわち二八才から二九才までの一年一一箇月間は毎月二一、三六一円(計四九一、三〇三円)、三〇才から三四才までの五年間は毎月二六、六六九円(計一、六〇〇、一四〇円)、三五才から三九才までの五年間は毎月三〇、九五六円(計一、八五七、三六〇円)、四〇才から四九才までの一〇年間は毎月三四、六三三円(計四、一五五、九六〇円)、五〇才から五九才まで(六〇才に達する日まで)の一〇年間は毎月三三、〇三四円(計三、九六四、〇八〇円)、以上合計一二、〇六八、八四三円の収入を得ることができ、これを得るのに必要な功の生活費は、同人が東京都において働くことを希望していたし、かりにその希望どおり就労できないとしても、同人はいわゆる「跡取り」ではなく、以前神戸市で就労していた事実もあるから、都市において就労することは確実であるから、同年鑑第二四八表「勤労者世帯平均一か月間の収支」記載の人口五万以上の都市における昭和三七年の実支出額が、世帯人員四・一七人につき四三、二二六円であることからみて、一人当りの生活費はゆるやかに推計しても一二、一〇〇円以内とみることができ、三一年一一箇月間では合計四、六三四、三〇〇円となり、これを前記総収入額から差引くと、純収入額は七、四三四、五四三円であつて、これから次の算式により年五分の割合による中間利息を控除した昭和四六年一月末現在の価額を算出すると金三、四五七、九二七円となる。

算式 7,434,543円×1/(1+0.05(32-9))= 3,457,927円

かりに、生活費の算定が右の方式によるべきでないときは、生活費を収入の二分の一と主張する。これによるときは、功の得べかりし純収入額は総収額の一二、〇六八、八四三円からその二分の一を控除した六、〇三四、四一二円となり、前同様の算出方法により昭和四六年一月末現在の価額を算出すると、金二、八〇六、七〇七円となる。

2、亡功の喪失利益の損害賠償請求権の相続分の残額につき、原判決四枚目裏八行目に「各金八七万九、八二五円」とある主張を「各金一、五〇二、〇四六円、かりにそうでないとしても金一、一七六、四八六円」と改める。

3、被控訴人らの慰藉料の額を「各金二〇万円」と主張していた(原判決四枚目裏終りから二行目)のを、「各金三〇万円」と改める。

4、功は、中学卒業後、家業である農業に従事し、農閑期を利用して、日雇に出ていた。これは都市近郊農家の常態であり、これをもつて生業らしい職業についていなかつたとする控訴人らの主張は誤りである。同人が東亜外業株式会社に就職したのは将来の計を立ててのことであり、昭和三六年九月頃に退職したのは、被控訴人の家庭に不祥事が突発し、家業の農業経営のために同人の帰宅、就労を必要としたからであつて、同人が勤労意欲に乏しかつたとの控訴人らの主張は否認する。

(三)  被控訴人らは、功の過失を考慮したうえ、右功の得べかりし利益の喪失による損害金の各相続分の残金各金一、五〇二、〇四六円、かりにそうでないとしても各金一、一七六、四八六円のうち各金五〇万円と、被控訴人ら各自の慰藉料のうち各金一〇万円の合計各金六〇万円及びこれに対する事故の翌日の昭和三七年一月一〇日から支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めるものである。

と述べ(証拠省略)、

控訴代理人において

(一)  かりに控訴人中島が民法第七一五条第二項の代理監督者にあたるとしても、同法条による代理監督者の責任は、使用者に代つて事業の監督をしていたことによる責任であり、あくまでも使用者に代位する責任と解すべきであるから、同条第一項の責任と第二項の責任は重畳的なものではなく、択一的なものであつて、使用者が責任を負うときには、代理監督者の責任はこれに吸収される関係にあるものというべく、使用者である控訴会社に対しても同時に損害賠償の請求がなされている本訴の場合、控訴人中島に対する請求はその理由がない。

(二)  本件事故は被害者功の一方的な重大な過失により発生したものであり、訴外村中にとつては、不可抗力による事故というべく、同人に過失はない。すなわち、本件事故は、深夜の午後一一時五〇分頃、右訴外村中が大型貨物自動車(本件自動車)に木材六トンを満載して時速約四〇キロで進行し、道路前方右側に佇立していた被害者功の手前約一三米に接近した際、突然同人が手をあげて道路中央に走り寄つてきたため、右村中において危険を感じ左にハンドルを切つてこれを避けようとしたのであるが、功がなおも執拗に運転台後方のアングルにつかまろうとしたために、同人が本件自動車の右側に接触し、路上に転倒して本件自動車の後車輪に轢かれたものである。右速度で進行していた本件自動車は、急停車の措置をとつても停止するまでに一七メートル以上の距離を要するから、前方約一三メートルの地点から突然走り寄つてきた功を避けることは、不可能であつた。なお、功が本件自動車に便乗する意思をもつていたとしても、村中運転手にはこれに応じる法律上の義務はなく、深夜に何びととも知れぬ者を同乗させるのは危険でもあり、村中がこれを避けようとしたのは当然である。

(三)  信頼の原則

かりに本件事故が不可抗力によるものではないとしても、午後一一時五〇分頃、時速約四〇キロで進行中の車両の前方約一三メートル附近の暗い路上から、車両をめがけて突進してくることは、運転者として危険について予見可能性が極めて薄いものであつて、本件の場合には信頼の原則の適用があり、訴外村中に責むべき過失はない。

(四)  訴外功は、中学校卒業以来、日雇の土工をしたり生業らしい職業につかず、昭和三五年一一月神戸市所在東亜外業株式会社に就職したが、翌三六年九月には退職し、その後本件事故に至るまで、職業も収入もなかつたものであり、勤労意欲の乏しい性格の持主であつた。従つて、同人の得べかりし収入は、多くとも月二万円を超えない。またその生活費は収入の増加に伴い増加する筈であるし、将来世帯主となるべきことを考慮すると、世帯の支出額を世帯員数で等分したものを直ちに亡功の生活費とすることはできない。また、亡功が平素から酒を好むことや、前記性格を考慮すると、少くとも月収の六〇パーセントを要するものと考えられる。

(五)  亡功は、前記のような性格で酒癖が悪く、そのため被控訴人らの家庭においても平素から同人に困惑していたのであつて、被控訴人らが功の将来に大きな期待をかけていた事実は全く存しない。従つて、被控訴人らが功の死亡によつて精神的損害を受けることはありえない。

(六)  被控訴人らは、従来功の得べかりし利益を金二、二一三、四八五円、被控訴人らの慰藉料を各金二〇万円と主張していたのを、昭和四四年二月一三日付被控訴人ら準備書面(同日提出、昭和四五年三月三〇日陳述)により、その額をいずれも増額して主張するに至つた。右増額された主張は、請求の趣旨の拡張ではなく、主張の拡張にとどまるにしても、その増額部分については民法第七二四条の規定により消滅時効が完成したから、右主張は理由がない。

と述べ(証拠省略)た

ほかは、原判決事実摘示と同一(但し、原審被告中島宣二に関する部分を削除)であるから、これを引用する。

理由

一、訴外村中昭三が材木商を営む控訴会社に自動車運転手として雇われていたこと、昭和三七年一月九日午後一一時五〇分頃兵庫県揖保郡新宮町香山の県道上で、同人の運転する訴外中尾哲司所有の大型貨物自動車(本件自動車)と訴外福島功が接触し、同人が路上に転倒して本件自動車の後車輪に轢かれ、この結果同人が死亡したことは当事者間に争いがない。

二、被控訴人らは、控訴会社は本件自動車の保有者として、控訴人中島は、控訴会社の事業の執行としてその被用者村中が運転中に起した本件事故につき、控訴会社の代理監督者として、いずれも本件事故により功あるいは被控訴人らに生じた損害を賠償する義務があると主張し、これに対して控訴人らは、本件自動車の所有者は訴外中尾哲司であり、控訴会社が同訴外人に木材の運送を依頼したところ、中尾方の運転手が欠員のため、村中を貨したにすぎず、村中は右中尾のために、同人の業務の執行としての運転中に本件事故を起したのであるから、控訴人らには責任がない旨抗争するので、まずこの点について判断するに、成立に争いのない甲第三号証、第五号証、原審証人中尾哲司の証言とこれにより成立を認める甲第九、第一〇号証、原審証人石井寛二(一部)、同山野真砂子の各証言とこれにより成立を認める乙第四号証の一、二、三、第五号証、第六、七号証の各一、二、及び原審における被告本人としての村中昭三、控訴人中島薫本人(一部)の各尋問結果に弁論の全趣旨を綜合すると、本件自動車は、昭和三六年一一月末頃訴外中尾哲司が訴外烏取いすず自動車株式会社から所有権留保約款付割賦販売により買受け、自動車登録原簿上は同人が使用者として登録を受けていたものであるが、同年一二月一二日同人方の運転手が右自動車で死亡事故を起して、以後右自動車に乗務するのを嫌つたことと、経営状態が思わしくなくなつたことから、その後間もなく、中尾と控訴会社との間で、控訴会社が本件自動車を買受けることとする話がまとまり、同年一二月下旬ないしは翌三七年一月上旬頃から、その車体には「中尾木材店」と記載したままであつたが、専ら控訴会社がこれを使用し、村中を同車の専属運転手として、その運転にあたらせてきたこと、村中は、本件自動車の具体的運行については、雇主である控訴会社の指揮監督のみを受け、中尾からはなんらの指図をも受けていなかつたこと、運行に必要な燃料油は、控訴会社が他から直接買入れて、その代金も控訴会社が支払つていたこと、控訴会社は、本件自動車を使用して運送した本材等の運送代金を、いわゆる相場によつて算出し、これから運転手や助手の賃金、食事代等と、燃料油代を差引いたものを、「運賃」の名目で、中尾に支払つていたこと、しかし中尾は、本件自動車の具体的運行にはなんら関与しておらず、毎日の具体的運行状況や、控訴会社のどの従業員がその運転にあたつているか等についても、当時は何も知らないといつた情況で、控訴会社から「運賃」として支払われる金員をそのまま受領するにすぎなかつたこと(中尾の側から「請求書」等を発行した形跡はなく、具体的運送行為や経費を把握できない立場におかれていた中尾が、積極的に具体的金額を算定して請求することは、むしろ不可能であつたと推測される)、本件事故当日も、村中は控訴会社の命により控訴会社の角材、板等を本件自動車に積んで、控訴会社の工場から大阪市浪速区の大五木材株式会社まで運送する途上において本件事故を惹起したものであること、本件事故の数日後の昭和三七年一月一三日、村中が秘していたため事故の発生を知らなかつた控訴会社は、鳥取いすず自動車株式会社に対する割賦金の第二回分の支払に窮していた中尾に対し、とりあえずその支払資金として金額一三万円の小切手一通を振出して貸し与え、右小切手は同月一八日に支払われたこと、同年二月一〇日頃、控訴会社は中尾と、当初から予定されていたように、本件自動車を買受ける契約を正式に締結して、代金一五五万円を支払い、同月一二日使用者の名義を変更する登録手続を経たこと、控訴人中島は控訴会社の代表取締役であつて(他に同控訴人の父中島宣二も代表取締役をしていた)、会社の日々の業務を現実に執行しており、具体的業務について直接従業員を指揮監督し、本件自動車で木材等を運送するときにも、本件事故当日の場合を含め、控訴人中島が、村中その他の担当従業員に直接指図をして木材等を自動車に積み込ませ、運転手に送付先を指示して運行を命じていたこと、以上の事実が認められ、原審証人石井寛二、原審における控訴人中島薫本人の各供述中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定の事実関係のもとにおいては、たとえ本件自動車が事故当時なお訴外中尾において月賦買受中のものであつて、控訴会社が「運賃」名下で中尾に対価を支払つていたという事実があるにしても、右「運賃」は、これを実質的にみるならば、中尾がその責任において運送契約を履行し、その運送代金が支払われた、というような性格のものではなく、将来の売買を予想して控訴会社が本件自動車を借受け、その使用の対価としてこれを支払つていたもので、ただその算定方法として実際の運送内容を基礎とする方式がとられていたにすぎないとみるのが相当であり、本件自動車の運行については、控訴会社が全面的にこれを支配していたことが認められるから、控訴会社は自動車損害賠償保障法第三条にいう「自己のため本件自動車を運行の用に供する者」にあたると解せられ、また村中は、中尾のためではなく、控訴会社の事業の執行として本件自動車を運転し、本件事故を起したものであり、かつ控訴人中島は民法第七一五条第二項にいう「使用者に代つて事業を監督する者」にあたると認められる。

控訴人中島は、民法第七一五条第一項の使用者責任と第二項の代理監督者の責任は択一的で、使用者が責任を負うときは代理監督者の責任はこれに吸収されるから、使用者である控訴会社に対して同時に損害賠償の請求がなされている本件の場合には、控訴人中島に対する請求はその理由がないと主張するけれども、

民法第七一五条第二項の規定は、代理監督者に対し、被用者が使用者の業務の執行につきなした不法行為について、代理監督者が使用者に代つて事業を監督する地位にあることに着目して、同条第一項による使用者と並んで、独立の損害賠償責任を負わせたものと解せられる。

控訴人中島は、使用者の責任と代理監督者の責任が択一的である根拠として、代理監督者の責任は使用者に代位する責任であると主張するが、代理監督者の責任が被用者の不法行為について法により課せられた直接の独立の責任であり、被用者の不法行為につき使用者が負担する責任についてさらに代理監督者の責任を認めたものではなく、この意味において、代理監督者の責任が被用者の不法行為についての代位責任であるということはできても、使用者の責任に対する代位責任ではないことは、同条第三項が、代理監督者の被用者に対する求償権のみを規定し、使用者に対する求償権についてはなんら規定するところがないことからも理解しうるところであるし、しかも、仮に代理監督者の責任が使用者の代位責任であると想定してみても、そのことから直ちに、被害者が使用者と代理監督者のいずれか一方に対し択一的にしか損害賠償の請求ができないとしなければならない理由もない。即ち、不法行為をした被用者本人、使用者及び代理監督者の各損害賠償責任は、互に不真正連帯の関係にあるため、そのいずれかが弁済等により現実に満足されたときには、他の者の責任もその限度において消滅する関係にあるにとどまるのであつて、現実の満足がなされていない以上、単に、本訴において、代理監督者である中島に対するのと同一内容の損害賠償が、使用者である控訴会社に対しても同時に請求されているというだけでは、控訴人中島の責任が免責されるいわれはなく、これと見解を異にする控訴人中島の右主張は採用できない。

次に、控訴人らは村中の選任監督につき相当の注意をしていたから、損害賠償の義務はない旨の抗弁について考えるに、被控訴人らと控訴会社との関係では、被用者たる運転者の選任監督につき相当の注意を払つていたとしても、そのこと自体は、自動車損害賠償保障法第三条所定の保有者の責任の免責事由となるものではないから、右抗弁は主張自体失当であり、控訴人中島との関係においては、本件全証拠によるも、控訴人中島においても、控訴会社においても、村中の選任監督につき相当の注意を尽していたと認めるに足りないから、右抗弁は理由がない。

三、控訴人らは、免責の抗弁として、本件事故は被害者功の一方的な重過失によるもので、村中運転手にとつては不可抗力の事故であり、同人には過失がないと主張するのに対し、被控訴人らはこれを争い、村中の過失によつて生じた事故であると抗争するので、この点について判断するに、成立に争いのない甲第二号証、第四号証及び当審証人池田虎雄、同村中昭三(一部)の証言によると、本件事故現場は幅員六・八メートルの歩車道の区別のないアスフアルト舗装道路であつて、右村中は、六トン積の本件大型貨物自動車に、柱、板等の材木を満載し、深夜で他に通行する車両もなかつたため、右道路の中央部やや左寄りを、車体の右端から道路の右端(西側)まで約二・九メートルの距離を保ちながら、時速約四〇キロの速度で北から南に向つて進行し、本件事故現場附近に差しかかつたところ、約一三メートル前方の、道路の向つて右端の通常歩行者が通行する部分よりも少し道路中央部寄りの地点に、亡福島功が佇立し、本件自動車を凝視しているのを発見したのであるが、このような場合、本件自動車を運転する村中としては、深夜のことであり、亡功が歩行しないで、佇立して本件自動車を凝視していること、しかもその位置が通常歩行者が通行する部分よりも道路の内側に入つた地点であることに鑑み、同人の動静に十分注意しつつ、減速、転把等、危険を避けるための適切な措置を構じ、さらに、便乗を求めて近づく気配を察知したときには、これに応じる義務はないにしても、これに応じないのであれば、警笛を吹鳴し、あるいは大きく左に転把する(道路の状況からみてその余地は十分にある)等の方法により便乗に応じる意思のないことを功に知らせて、接近しないよう安全な方法で警告を発するとともに、一層同人の動静に注意し、危険を感じたときには直ちに急停止して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、村中はこれを怠り、功の前方約八メートルに接近するまでに、同人は道路右端から約一・八五メートルの地点にまで近寄つてきていたのに、村中はこの間に、功が便乗を求めているのではないかと考えながら、前示のような事故防止のための措置をなんらとることなく、漫然と同一速度で進行を続け、功の前方約八メートルに接近したとき、同人が便乗を求めるべく手を挙げて走り寄るのを認めて、同人が便乗を求めていることを明確に認識したが、これに応じるのは面倒と考え、衝突の危険を感じながらも左に転把するのみで同人の前方を通過できるものと軽信し、僅かに左に転把したのみで、さらに同一速度のまま進行を続け、同人が運転台の右後方にあるアングルにつかまろうと走り続けてくるのを現認しながら、なおもそのまま進行を続けたために、本件自動車の右側荷台前部附近を同人に接触させ、同人を路上に転倒させたうえ、右後車輪で轢過し、事故発生を察知しながら、そのまま運転を続け、いわゆる轢き逃げをしたこと、本件事故の約二箇月後に、警察官が実験のため、本件事故現場において、本件自動車を時速四〇キロの速度で運転し、功が手を挙げて走り寄るのを村中が発見した地点で急制動の措置をとつたところ、本件自動車の後車輪は本件衝突地点の二・六メートル手前で停止したこと(もつとも右実験のときには、後輪の四本のタイヤのうち一本が事故後に新品と取り替えられており、積荷もなかつたが、これらによる影響が二・六メートルを超えるほどの極端なものとは考えられない)、従つて、事前の減速、より適切な転把、その他前記のような事故防止のため運転者に要求される適切な措置を村中が講じていたならば、後車輪による轢過はもとより、接触により功を転倒させること自体も未然に防止することが十分可能であつたこと、以上の事実が認められ、当審証人村中昭三の供述中右認定に反する部分は前掲各証拠に対比して措信できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。すると、本件事故を目して、右村中にとり全く不可抗力による事故であつたとすることはできず、本件事故は同人の過失によつて生じたものというべきである。

控訴人らは、いわゆる信頼の原則により、村中には過失がなかつたと主張するけれども、本件の場合には、前認定のように村中は先ず進路右斜前方約一三米の道路上に佇立する亡功を発見しているのであり、前認定のようなその際の同人の態度とその後の動静と、村中の本件自動車の運転情況からみて、村中には危険を予測することも可能であつたし、現に危険が迫つた後も、なお接触を阻止ないし回避する余地が残されていたのであるから、同人には依然、事故の発生を未然に防止するため、前認定のような措置を講ずべき義務があつたものというべく、控訴人らの右信頼の原則の主張は採用できない。

従つて、控訴人らの村中運転手の無過失による免責の抗弁は理由がない。

しかしながら、およそ走行中の自動車に便乗を求める通行人としては、その進路を妨げることなしに、運転者に合図を送り、好意的な停車、便乗を求め、その承諾と停車を確認してからこれに接近すべきであつて、その進路内に立入つて安全な進行を妨害し、停止を余儀なくさせることが許されないのはもちろん、みだりに走行中の自動車に接近すべきでないことはいうまでもないのに、前認定の事実によると、亡功は、たとえ便乗を求めるためであつたにせよ、進行中の本件自動車の進路内に走り寄り、便乗の応諾や減速のきざしがないにもかかわらず、危険をかえりみないで、強引に接近して接触するに至つたのであり、本件事故に陥る危険状態は功自身が自ら招いたものとさえ言い得るのであつて、加うるに、当審証人池田虎雄の証言及び弁論の全趣旨によると、同人は本件事故当時飲酒していた事実が認められ、このことが同人に右のような無謀な行動をとらせた一因をなしたとも推測せられ、本件事故は、亡功のこれらの過失にも原因の重要な一部があるものというべく、しかもその過失は、村中の前記過失に比較して、かなり大であつたといわねばならない。

四、次に、本件事故により生じた損害について判断する。

(一)  功の得べかりし利益の喪失による損害

成立に争いのない甲第一三号証と当審証人福島義美、同白岩重三郎の各証言(いずれも一部)及び原審における被控訴人福島フサ本人の尋問結果(一部)によると、功は事故当時満二八才(昭和八年二月一〇日生)の健康な男子であつて、昭和三五年一一月からは神戸市にある東亜外業株式会社で電装工の手伝をしていたが、二人の兄が刑事事件を起して身柄を拘束されたので、とりあえず昭和三六年九月二五日同会社を退職して、肩書住所地で農業を営む被控訴人らのもとに帰り、二人の兄にかわつて、農業を手伝い、近くまた東京方面にでも働きに出る予定をたてていた矢先きに本件事故に遭つたことが認められ、右認定に反し、功が電装工の技術をそなえ、事故のときには就労のため東京に向う途上であつたとの原審証人福島義美、原審での被控訴人福島フサ本人の各供述部分は、当審証人白岩重三郎の証言に照らし措信できない。そして、厚生大臣官房統計調査部編の第一〇回生命表によると、二八才の男子の平均余命は四一・四七年であるから、功は本件事故に遭わなければ、なおこの平均余命年数は生存することができたものと推認すべく、このことに前認定の事実を綜合すると、功は事故後程を経ないときから六〇才に至る頃まで、少くとも三一年一一箇月間は一般労働者として稼働し、その間年令の推移に応じて、総理府統計局編「第一五回日本統計年鑑」第二二一表(成立に争いのない甲第一四号証の二)による昭和三六年(本件事故の前年)の男子労働者の全産業平均年令階級別月間給与額と同額である被控訴人ら主張のとおりの金額(合計一二、〇六八、八四三円)の収入を毎月得ることができたものと推認することができ、当審証人白岩重三郎の証言もこの認定を動かすに足りるものではなく、他に右認定を左右する証拠はない。

次に、この収入を得るために必要な生活費として、被控訴人らは、「第一五回日本統計年鑑」によると、人口五万以上の都市における平均実支出額が、世帯人員四・一七人につき四三、二二六円であることを根拠として、ゆるやかに推計しても月一二、一〇〇円以内であると主張するけれども功の収入が年令の推移に応じて増減すること、功は将来世帯主となることが推認され、世帯主として、収入を得るために必要な生活費が、全世帯員のための生活費を単純に世帯員数で除したもの、ないしはそれに近似する額にとどまらないことは、経験則上顕著であり(最高裁判所第三小法廷昭和三九年六月二四日判決参照)、被控訴人らの右主張は採用できない。

そこで、生活費を収入の二分の一とする被控訴人らの予備的主張について按ずるに、功が前認定の収入を得るために必要な生活費は、「第一五回日本統計年鑑」第二四八表(成立に争いのない甲第一四号証の四)により認められる勤労者世帯平均一箇月間の年度別、実収入階級別の支出額に照らし、将来世帯主となるべきことや、年令、収入の変動等の諸事情を考慮しても、被控訴人らにおいて自認する収入額の二分の一を超えないものと推認することができる。

よつて、前認定の収入額一二、〇六八、八四三円からその二分の一に相当する生活費を差引いた純益六、〇三四、四二一円(円以下切捨)を、被控訴人ら主張の方式により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故の日(昭和三七年一月九日)の現価に換算すると(被控訴人らは事故後の昭和四六年一月末日現在の価額を主張するが、昭和三七年一月一〇日以降の遅延損害金を併せて請求しているから、採用できない)、合計金二、三二〇、九三一円(円以下切捨)となる。

算式6,034,4211円×1/(1+(0.05×32))= 2,320,931円

ところで、本件事故については、功にも前示のような大きな過失があるので、これを斟酌すると、七割の過失相殺をなすのを相当とするところ、

いわゆる一部請求がなされた場合にあつても、過失相殺の対象とすべき損害額は、原則として当該訴訟における請求額とするのが相当であるけれども、原告において過失相殺がなされるべきことを自認したうえ、いわばその残額請求とでもいうべき方法で訴を提起することまでをも否定すべきではないから、このような場合には、請求額ではなくて、請求原因を確定するために主張された損害額を過失相殺の対象とし、その結果算定された額の限度において(その額が請求額を超えるときは請求額を限度として)、請求を認容することができるものと解せられ、

これを本件の場合についてみると、被控訴人らが功にも過失のあつたことを認めたうえ、過失相殺がなされてもなお残存するであろう損害額の内金を請求するものであることは、その主張に徴して明らかであるから、功が喪失した得べかりし利益金二、三二〇、九三一円の全額を過失相殺の対象とすべきこととなり、これに七割の割合で過失相殺を行うと、控訴人らが功に賠償すべき金額は金六九六、二七九円(円以下切捨)となる。

(二)  被控訴人らの相続と損益相殺

前記甲第一三号証によると、被控訴人らは功の両親であり、かつ功には妻子のなかつたことが認められるから、被控訴人両名は、功の右損害賠償請求権を各二分の一の割合で、金三四八、一三九円(円以下切捨)ずつ相続したものというべきであるが、被控訴人両名が自動車損害賠償保障法により金四五三、八三五円の保障を得て、これを平分して右損害金に充当したことは被控訴人らの自認するところであるから、結局被控訴人両名は各自金一二一、二二二円(円以下切捨)の功より相続した損害賠償請求権を有することになる。

(三)  慰藉料

前認定の本件事故の態様に、本件各証拠によつて認められる被控訴人らの家族の状況、とりわけ被控訴人両名の年令、職業、被控訴人らが四男の功に寄せていた期待の程度、その他諸般の事情を綜合すると、被控訴人らが本件事故により功を失つたことによつて受けた精神的損害の慰藉料は、各自金一〇万円をもつて相当とする。

五、すすんで控訴人らの時効の抗弁について判断する。

控訴人らはまず、被控訴人らが本訴において当初は功の得べかりし利益を金二、二一三、四八五円、被控訴人らの慰藉料を各自金二〇万円と主張していたのを、のちに増額して主張した点をとらえて、右増額の主張は、たとえ請求の拡張でなくても、増額部分については消滅時効が完成しているから、右主張は理由がない旨主張するけれども、被控訴人らの請求する訴訟物が、本件事故による功の死亡により、功に生じ、被控訴人らが相続した、功の喪失利益の損害賠償請求権のうち各自金五〇万円、被控訴人らに生じた慰藉料請求権のうち各自金一〇万円ずつであることについては、終始変更がなく、右主張の変更は、訴訟物たる請求権の同一性(その発生原因及び範囲において)に変動を及ぼさない程度の、訴訟物たる権利の発生、存在を理由づける攻撃方法の変更、すなわち請求金額の算定の経過についての主張の変更にすぎないから、これについて消滅時効を問題とする余地はなく、控訴人らの右主張はそれ自体失当である。

控訴人中島は、さらに、被控訴人らは本件事故による損害と加害者を遅くとも昭和三八年一月九日には知つていたのに、控訴人中島に対しては、その日から三年を経過したのちにはじめて請求権の行使をしたにすぎないから、消滅時効を援用する旨主張するけれども、

代理監督者の責任が法によつて認められた独立の責任であることは前説示のとおりであり、その消滅時効は、被害者が損害の発生及び直接の加害者(被用者)のほか、加害者と使用者の使用関係と代理監督者の代理監督関係の存在を知つたときから進行する

のであつて、控訴人中島に対する本訴提起の日であること記録上明白な昭和四二年六月一八日よりも三年以上前の時点において、亡功あるいは被控訴人らが控訴人中島の代理監督関係の存在を知つていたことについては、主張も立証もないから、控訴人中島の右時効の抗弁は理由がない。

六、そうすると、被控訴人らの請求は、控訴人らに対し、各控訴人につきそれぞれ、功の喪失利益の損害金の相続分残金一二一、二二二円と慰藉料金一〇万円との合計金二二一、二二二円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和三七年一月一〇日から完済まで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由があり、正当として認容すべきであるが、その余の部分は失当としてこれを棄却すべきであるから、この限度を越えて被控訴人らの請求を認容した原判決は、控訴にもとづいて、これを変更することとし、附帯控訴は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮川種一郎 林繁 平田浩)

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