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大阪高等裁判所 昭和42年(う)639号 判決 1967年10月06日

本店所在地

大阪市東淀川区下新庄町二丁目二一二番地

東洋プラスチツク株式会社

右代表者

中川泰治

小林信助

本店所在地

群馬県太田市大字小舞木六〇番地

東洋樹脂株式会社

右代表者

中川泰治

本籍

京都市下京区柳馬場綾小路下る永原町一五六番地

住居

吹田市大字下新田四一の一

会社役員

中川泰治

大正一〇年四月四日生

右各被告会社及び被告人に対する法人税法違反被告事件について、昭和四二年三月三日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、右各被告会社及び被告人の原審弁護人鬼追明夫から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官西川伊之助出席

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は弁護人鬼追明夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

論旨は各被告会社及び被告人につき何れも量刑不当を主張するのであるが、記録及び当審における事実調べの結果を精査し案ずるに、本件各犯行の罪質は国家歳入の確保に悪影響を及ぼし国家の法益を侵害する犯罪であり、犯行の態様も各種の不正手段を弄したものであり、その逋脱金額も相当の高額に上ること、両被告会社の規模も左程小さなものではないこと、被告人中川は両被告会社において名実共に主宰者の地位を占めてきたものであること等にかんがみると、本件逋脱の動機その他所論の各情状(もつとも所論は本件逋脱の動機が両被告会社の余力を蓄積するためであつたものと主張するもののようであるが、本件における簿外資産から被告人中川その他の役員及び管理職への裏賞与も支給されているから、右の者等の個人的利益も図つていたものと認められる)を参酌しても、両被告会社及び被告人中川に対する原判決の各刑が重過ぎるとは考えられない。

よつて本件各控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江上芳雄 裁判官 今中五逸 裁判官 木本繁)

昭和四二年五月三〇日

弁護士 鬼追明夫

大阪高等裁判所

刑事第六部 御中

控訴趣意書

被告人 東洋プラスチツク株式会社

同 東洋樹脂株式会社

同 中川泰治

右の者にかかる法人税法違反被告事件について弁護人は左記の通り控訴の趣意を陳述する。

本件控訴の理由は、原判決の各被告人に対する刑の量定が次に述べる諸般の情状からして重きに失することにある。

第一、両社の沿革、規模及び営業内容について

一、東洋プラスチツクについて 同社は昭和三〇年五月資本金五〇万円をもつて設立されたプラスチツク製品の製造販売を目的とする会社である。(会社登記簿謄本)当初は主として照明器具カバー、プラスチツク製看板を主力製品としていたが昭和三一年頃業界に先んじてプラスチツク板の真空成形法を採用して発展の一途を辿り特に昭和三三年には弱電大手メーカーの三洋電機(株)向けの冷蔵庫部品を生産するに至り、現在、資本金五、〇〇〇万円従業員約一三〇名を擁して業界における中堅メーカーとしての地歩を確立しつつある会社である。主力製品としては、前述の冷蔵庫部品、照明器具の外にアクリル樹脂製浴槽(アクリルバス)プラスチツク製化粧棚(ウオールキヤビネツト)等の新規の建築用製品も開発し、なお企業の多角化のため新規製品の開発に努力している(中川の各供述書、証第一八、証第四の二以下「証」というのは弁護人提出の証拠である)

二、東洋樹脂について 同社は昭和三五年五月資本金二五〇万円をもつて設立され東洋プラスチツクの姉妹会社もしくは子会社として出発した会社である。(会社登記簿謄本証第四の二)その設立自体が三洋電機の東京進出に伴つてなされたものであり従つて主力製品はやはり三洋電機向け冷蔵庫部品である。設立当初は冷蔵庫の扉パネルの製造のみを予定していたが原材料が従来の塩化ビニールから耐衝撃性スチロールに代つたのを機会に扉パネル、内箱を共に製造することとなり、そのため急激に企業規模が拡大し現在資本金三、〇〇〇万円、従業員約一二〇名を擁するに至つた。(中川の各供述書、証第一八)

第二、逋脱の動機

一、逋脱当時の企業実態 両社の従事するプラスチツク製造業は比較的新規な産業であり、それだけに両社ともその企業体質(資本金利益率、固定資産構成比率、自己資本構成比率、売上高経営利益率等の諸要因から判定される)は強固とはいえず特に東洋樹脂についていうと昭和三七、八年度(第三、四期)にはやつと創業当初一カ年間の欠損状態から脱却したばかりであつて一応の売上高の伸長はみたものの利益率は低水準を示し(証一二)当時予想されていた景気の下降に対処するだけの資金余裕は全くなかつたのである。この事実を証するものとして中川、浅野の供述等のほか東洋棉花(株)化学部合成樹脂課課長永井鉄郎の検察官調書にも「プラスチツクの加工及び製品の業界というのは本当に不安定な業界であつてそういう意味では明日でもどうなるか判らないという危険不安があつた……」との供述がある。かような状態に加えて両社に共通した次の要因からして両社とも自己資本の蓄積が焦眉の急とされていた。

1 両社の三洋電機(株)・東京三洋電機(株)への高依存度 両社はその沿革等の項で述べた通り共に三洋電機(東京三洋を含めて併称する)向けの冷蔵庫部品を主力製品としており本件逋脱当時(東洋プラスチツクの37・4~38・3=第八期38・4~39・3=第九期、東洋樹脂の36・12~37・11=第三期37・12~38・11第四期を指す)両社の総売上高中、三洋電機への売上高の占める比率は、東洋プラスチツクについて五五・六%から五四%東洋樹脂について九六・五%から九三・一%という極めて高い比率を示していた。(証第三、第四の一)従つて両社とも典型的な中小企業でしかも下請企業の立場にあつたのである。

2 当時の弱電業界の動向と見通し 前述のように両社とも、その三洋電機への依存度は極めて高かつたのであるが中川をはじめとする会社首脳部は弱電器特に冷蔵庫の需要は昭和三八年頃を境に下降するであろうことを予測し、やがて遭遇する不況に対処するため新規製品を開発して経営の多角化を図り三洋電機への依存度合を低下せしめ危機を回避しなければならないとの見解をもつていた。この中川等の予測通り弱電業界は今次の大不況の中でも最も大きな影響を受け家庭用電気機器の工業生産の伸びは昭和四〇年度において著しく鈍化した。(証第五、白書五頁、五二頁)勿論両社ともそのあおりをまともに受け昭和四〇年度には対三洋の売上高は激減し(証第三、第四の一)かつまた売上高経常利益率も減少した(証第一一、第一二)

3 東洋樹脂の企業体質と両社の関係 中川等は既に昭和三六、七年当時から冷蔵庫部品を主力製品とすることに強い危惧の念をもち既に東洋プラスチツクにおいては新規製品開発と販路の拡張に努力していたが、このことは創業後六、七年を経過していた同社にして可能なことであつて創業後一、二年しかたつておらずまた当初より宗全な三洋電機の下請、協力企業として出発した東洋樹脂をして直ちに同様の措置をとらしめることは時間的、資金的にみて不可能なことであつた。こうした東洋樹脂の状態によつてその親会社もしくは姉会社にある東洋プラスチツクは自社のみの危機を回避する方策を樹立するだけではなく東洋樹脂自身に自己資金の充実を図らせるとともに東洋樹脂の危機に全面的に資金援助等をすることができる余力を蓄積しておくことも肝要となつた。そして東洋プラスチツクからの援助をつなぎとして東洋樹脂自体の体質改善を図ることを策定したのである。(中川の供述)勿論、企業の不況対策としては、製造販売活動の拡大強化、生産合理化、原材料の低額購入、冗費の節減等の措置によつて増収増益を計り自己資金の蓄積に務めることが鉄則となつている。しかしながら両社とも後述するような三洋電機の厳しい下請管理の下にあつてかような方法によつて「公表利益」を増加せしめ自己資金の蓄積を図ることが不可能な状態におかれていたのである。

二、三洋電機の下請管理 三洋電機の下請管理は他の大企業の例にもれず極めて厳しいものがあつた。特に東京三洋電機は東洋樹脂に対して毎月の月次計算報告書の提出を義務づけ(証第一〇の一、二、三)また部品見積については原材料、所要寸法、一切寸法、所要量、屑量、製品量、材料費、屑費、純原価、利益見積単価、加工工程使用機械、日産加工数、所用時間、労務費等一切の原価計算を査定している(証第一四の一、二)そして下請企業が企業合理化に成功して利益が増加しまた生産合理化に努め例えば所要材料をすこしでも節減したり、また所用時間を短縮したりすれば直ちに製品単価の切り下げを要求するのである(証第九の一、二)つまり下請の利益増加のための努力はすべて親会社が吸収する仕組みになつているわけである。勿論、東洋樹脂と東京三洋電機との間で決定された単価は直ちに東洋プラスチツクと大阪の三洋電機との間でも適用される。また製造業者が材料持ちで製品を生産し販売する場合はできるだけ原材料を低額で仕入れ購入価額に一定の材料手数料(マージン)を加えて原価計算をするのが通常であるが両社の場合にはそれも許されない。両社は冷蔵庫部品の原材料であるスチロール樹脂板を東洋棉花、日綿実業の在阪有力商社から購入していたがこの価格の決定は次のようになされていた。商社扱いのスチロール樹脂板は商社が原材料メーカーの旭ダウ株式会社(日米合弁会社)から粒状のスチロールを購入しそれを加工業者に板状(シート)に加工させてから東洋プラスチツク等に売りつけるのであるが価格の決定は商社と需要者である東洋プラスチツク等との間でなされるのではなく三洋電機、旭ダウ、商社、シート加工者が年に一、二回価格協定会議をもちそこで旭ダウ対商社、商社対シート加工業者、商社対需要者の価格が決定されるのである。東洋プラスチツク等もその会合に出席はしても主として三洋電機、旭ダウ、商社が事実上決定権をもつている。(中川の供述書のほか浜崎幸吉検察官調書)このように三洋電機の下請管理は両社の購入する原材料の価格決定にまで及んでおり、従つて両社の企業努力によつて一定限度額以上に利益が増加すれば直ちに三洋電機の知るところとなり単価の切り下げを要求され結局両社としては適正な方法で利益の増加を見込むことが全く不可能な状態におかれていたのである。

三、逋脱動機の情状 以上一、二項で述べたように両社とも予想される不況に備えて一日も早く一銭でも多く自己資本を蓄積する必要に迫られていた反面厳しい下請管理の下にあつては正当な方法によつて公表利益を増大せしめることが全く不可能な状態にあつたわけである。そこで両社ともやむなく利益の秘匿を図ることによつて緊急の必要を充たそうとしたわけである。即ち合理化の結果、三洋電機に対する月次決算報告書に記載する利益が増大し単価の切下げを迫られる虞れのある都度架空仕入を計上して報告利益の減少を策し三洋電機の厳しい査定以上にスクラツプが出たものを売却してこれを売上から除外し、また旭ダウと商社に懇請して一旦決定された材料価格から仕入値引をして貰いこれを商社に対する材料の買掛債務の担保の意味をかねて商社預けとしたりしたものである。なお念のため附加すると両社は三洋電機傘下の下請企業の中では最も生産合理化の進んでいる会社の中に入り同一製品について同業数社の見積競合の時には常に製品原価が低いのである。勿論かように不正手段をとつて利益を秘匿することの違法性はもとより明白ではあろうがこの逋脱の動機たるや経営者の私腹を肥やすためのものではなく近い将来に予想される不況時に対応することのできるよう経済的に弱少な中小企業の維持、存立を図るためにあることに御注目ありたい。なおまた逋脱種別中比較的多額をしめる材料の架空仕入れと仕入値引の除外はすべて対三洋電機との取引に関連するものである。両社の材料購入はこれとは別に三菱レーヨンからも行なつているがこの取引は三洋電機とは関係がなく従つてこの関係の値引は公表帳簿に記載しかつ申告利益になつている。この点からも両社がいかに三洋電機の単価引下要求の対策に苦慮していたかが判然とする。

第三、各別口利益逋脱の犯情

一、架空仕入の計上について、両社ともその生産合理化によつて不良製品数の減少、材料の経済的使用方法の進歩をみ三洋電機の厳しい原価計算から算出される所要材料の量を下廻る量で所定の製品を製造することが可能になつたのであるが、このことを正確に公表すれば直ちに三洋電機の単価引下げ要求を受けることは必至であつた。そうすれば、生産管理向上のための努力と研究の成果はいうなればすべて三洋電機に吸収されてしまう結果となるのでやむなく三洋電機の査定の量に充つるまで架空仕入を計上したものである。

二、スクラツプの売上除外について、両社は元来零細企業であつた東洋プラスチツクが逐年発展して現在の規模に至つたものであるが、会社規模の小さい時期においてはスクラツプの売上額もさしたる金額にはならなかつたため会社規模が拡大した段階においても経営者のスクラツプ売上に対する認識が甘くこれを簿外処理とすることにさほどの抵抗を感じなかつたことも一つの原因となつている。

三、減価償却費(東洋プラスチツクの昭和三七年度分のみ)について、東洋棉花(株)を通して昭和三八年四月一二、一三日に東洋プラスチツクに入荷した株式会社○○研究所製の真空成形機(冷蔵庫部品用)一台について昭和三七年決算に金四、八三四、二四九円の減価償却を行つたものである。これは当初昭和三八年三月中に入荷の予定であつたため東洋プラスチツク昭和三七年度決算において減価償却をすべく考えていたところ納期が遅れてしまつたわけであるが予定通りの処理をしないと昭和三七年度の公表利益が過大になつてしまうためあえて同年度内に入荷したこととして処理した次第である。しかしこの減価償却費は昭和三八年において所轄税務署より指摘されて修正申告の際に自己否認をし結局昭和三八年度の法人税申告の際あらためて減価償却費として計上した。この時は税務当局もこの件を犯則事犯としては取り扱わず法人税額の修正と過少申告加算税の納付で処理されたのである。従つてこの件が犯則事犯として成立するにせよ東洋プラスチツクの昭和三七年度の利益秘匿額の中にこの減価償却分を算入することは同一事案を再度取り上げたという意味においていささか妥当性を欠くものと考えられる。

四、仕入値引の除外について

1、その動機と態様、両社としては対三洋電機との単価決定にあたつて材料手数料としてのマージンを加算することができなかつたことは前述の通りであるが東洋棉花、日綿実業よりスチロールシートを購入しはじめた昭和三六年頃には既に将来の景気変動を見込して含み資産を必要としていたので商社に懇請して仕入値引をして貰うよう取りつけたものである(中川の供述等の以外に浜崎幸吉、永井鉄郎の検察官調書そして仕入値引金はいずれも両商社に預託するという方法をとり両社の商社に対する買掛債務の担保の趣旨もかねたわけである。本件摘発まで現実にはこの預託金は一銭の払出も受けておらない。

2、適正処理の困難さ、中川等としても当初この仕入値引きを交渉する時には相手先がいずれも、一流の商社であるため相手方の公表帳簿に記載するのは当然であるからこれを別口で処理することは考えていなかつた。ところが予期以上に値引額が累増しこれを公表利益として計上するとすればたちまち三洋電機より強硬に単価を引き下げられる虞れがあつたため三洋電機への依存度が低下した時点に計上する考えであつたわけである、もつともこの値引金を申告しなかつたことについては次に述べるような実際上、技術上の困難も介在していた。第一に両商社に対しては当初一キログラムあたり一〇円の割合による値引を依頼し両商社ともこれを承諾したのであるが、その後原材料メーカーの仕切り価格の変動等のため商社側において、一方的に値引率を五、六円の割合にまで低下せしめかつ両社に対しこのことの連絡を十分にとらなかつた。第二に両社はスチロールシートを枚数によつて仕入れるわけであるが値引率の建て方はキログラム当りの重量計算でなされるため両社が自発的に値引額を確認しようとすればシート枚数を重量に換算しなければできなかつたのである。第三に両社とも両商社より値引金額に関する正式な通知を受けていなかつた。もつとも経理担当の浅野正市が二・三度両商社の担当者に非公式に照会して金額を確認したことはあるが両商社とも本件摘発時までは東洋プラスチツクと東洋樹脂に対する値引分を一括して記帳してあり、これを自発的にそれぞれの両社毎に計算するには前述の第一、第二の理由により困難であつたし、また両商社の担当者にこの仕分けを依頼するのも元来値引金の預託が担保的な側面をもつていたのと、両商社との経済的な力関係が隔絶しているため強く要求できなかつたのである。第四にこれは摘発後判明したことであるが日綿実業では同社の期末決算時に帳簿上両社よりの値引預り金を同社に対する売掛金と相殺した形で受入勘定として決算書を作成し翌期首には再び預り勘定に戻入れをするという操作をしていた。このことから推定されるように両社とすくなくとも日綿との間では値引金の支払に関する権利義務の発生時期を必ずしも明確にしていなかつたことが窺われるのである。かように両社において各年度における値引金の合計金と明細を計算するには実際上、技術上の困難があつたわけであるが勿論これらの困難を克服して値引金額とその明細を確認すべきであつたしまたそのための方法も全く無かつたわけではない。しかし前述のように当初の予想に反して多額になつた値引金を公表すればたちまち三洋電機の単価引下げ要求に直面しなければならなかつたためいずれはこれを申告しなければならないと考えつつ日を過ごしたことによつて今回の事態を迎えたものであつて、中小企業、下請企業の立場としてまことにやむを得ないものがあつたと思われる。

五、秘匿利益金の使途、両社の各年度別別口損益計算書及び浅野の供述によつて明らかなように両社ともその秘匿金額はそれぞれ別註加工費、従業員賞与、福利厚生費、旅費交通費、接待交際費(極めて少額である)等に使用されたのと別口役員賞与として昭和三七年度(37・4~38・3)に金三、二三七、三〇〇円昭和三八年度(38・4~39・3)に金三、三六〇、五八五円を利益処分しているに過ぎず大部分はすべて銀行預金の方法により社内に留保していた。このことからも両社の逋脱動機が自己資本の蓄積以外のなにものでもなかつたことが明らかである。

第四、摘発後の情状

一、逋脱税額等の納入状況、本件摘発後両社は税務当局の指示に従つて直ちに所轄庁に修正申告をしそれぞれの更正通知及び加算税の賦課決定通知(証第一五の一乃至四)によつて法人税、過少申告加算税、重加算税、法人事業税、重加算税、法人住民税及び延滞金のすべてを別表(一)(二)の通り納付した。このうち東洋プラスチツクの昭和三七年度分の法人税逋脱額が公訴事実では金八、九六五、一四〇円となつており修正納付額が金七、三〇五、三八〇円で約一六六万円の差があるのは前述した同社三七年度分の減価償却費中機械分金四、八三四、二四九円については当時修正しこの金員の損金不算入によりこれに対する税額は既にその当時支払済であることによつて生じた差である。また東洋プラスチツクの昭和三八年度法人税逋脱額が公訴事実では金六、四〇四、五四〇円であるのに修正納付額が金一一、四八五、九〇〇円であること及び東洋樹脂の昭和三七年度(36・12~37・11)法人税逋脱額が公訴事実では金六、八二三、八三〇円であるのに修正納付額が金九、八六〇、九七〇円であるのは、いずれも法人税法第一二七条の青色申告承認取消(証第一六の一、二)によつて各種引当金、特別減価償却費、価格変動準備金等(青色申告の場合は損金算入が認められる)の損金算入が認められない結果、青色申告時の逋脱額が(控訴事実記載の金額)と修正納付額との間にこれだけの差が生じたのである。

二、摘発後の企業努力、本件法人税逋脱の摘発は昭和四〇年六月頃であつた。昭和四〇年度は家庭用電気機器の需要は停滞し(証第五、白書五頁)弱電メーカーの不況も甚だしいものがあつて両社も当然その影響を受け特に東洋樹脂の三洋電機に対する売上は三億円を割り(証第四の一)売上高利益率は一%にもみたない(証第一二)という苦境に追いやられていたのである。こうした危機に役立てるためにあえて秘匿した資金を利用できなくなつた東洋樹脂は当然のこととはいいながら企業の存立さえあやぶまれる状態に立ち至つた。しかし両社は労使一体となつて懸命の努力を傾注し、建材用プラスチツク製品の販路拡張に努めやつと今日まで倒産という最悪の事態を回避しえたのである。昭和四一年度後半はやや景気も回復のきざしを見せはじめ三洋電機に対する東洋樹脂の売上も再び三億円台になつたが最近の傾向として増収減益の事実は否定すべくもなく未だ安定した実績を上げることができない有様で今後一層の努力が望まれるという現況である。

第五、その他の情状

一、不況時における中小企業、下請企業の立場、わが国近年の不況は戦後最大と称され中小企業の倒産件数は未曾有のものとなつたことは周知の通りである。(証第五、白書一六頁)。中小企業が不況時において最もその影響と被害を受けるのは現象的には過剰な設備投資や放漫経営等を理由にあげることもできるのであるがやはり中小企業における自己資本の過少性という企業体質のぜい弱さが最大の原因として指摘されねばならない(証第五、白書、三頁、五一頁)さらに不況の過程においては金融機関の中小企業向け貸出しが減退することも圧迫の一因であるし(証第五、白書一〇頁)特に今次の不況では過去の高度成長政策の結果、従来中小企業に有利とされていた人件費が著増し大企業との賃金格差がせばまつてきたことも特筆せねばならない要因である。因みに企業における対売上高人件費比率は昭和三六年の八・七%から三九年度には一一・二%に上昇しているのである。(証第五、白書一四頁、三五頁以下)こうした中小企業一般のもつ企業条件の劣悪に加えて下請企業の立場は常に大企業の収奪の対象にされる。不況時における下請企業の経営悪化の第一の要因は親企業からの受注減少である。この受注減の原因をさらに分析すると親企業の活動沈滞からもたらされるところも大きいが親企業の不況打開策としての生産調整や自社生産(内製)が大きな影響を及ぼしておりその結果下請企業の事業活動は親企業以上の停滞がもたらされている(証第五、白書五二、五三頁、三〇三頁)こうした受注減少に加えて親企業の単価切下げが下請企業の悪化に拍車をかけることになる(証第五、白書五六頁)弱電業界以外の業界における中小・下請企業の実情は証第七の一乃至三の経済誌の報ずる通りであり、財界首脳者をして「……それで結局犠牲を関連産業ないし下請産業に転嫁してくる、相手方の適正な収益を収奪することによつて自分の企業が生きることを考える。その悪循環が起つているのが日本のいまの現状といつても過言ではない」とまで発言せしめている状態なのである(証第六エコノミスト四二頁)、藤井丙午氏発言部分は以上に述べたような中小企業、下請企業のおかれている企業環境は勿論東洋プラスチツク、東洋樹脂についても例外ではないのであつて既に詳述した通りそのままあてはまることなのである。従つて両社が自己資本の蓄積に急な余り法人税逋脱の路を歩ゆんだことも必ずしも両社の極端な悪性に由来するものではなく個々の企業の良心や順法精神だけでは解決のつかないわが国の産業構造なり現下の経済情勢に起因するところが大きい。

二、両社の再犯の虞れのないこと、前述の客観情勢が両社をして不正な手段をとらしめる大きな原因となつていたのであるけれども両社としては摘発後かような方法によらずして正当にしてかつ合法的な企業努力によつて利益の増大を図つておりまた親企業である三洋電機も今次の不況によつて傘下の下請協力企業の経営悪化があまりにも著しい現実の事態を認識し除々にその下請管理を適正な方向に戻しつつある。両社の経営者一同も今回の不祥事は深く反省しているので今後再び同様な犯則を犯すことはありえない。

三、両社の罰金負担能力 別表の納税状況一覧表(一)に記載の通り東洋プラスチツクが既に納付した修正法人税、地方税等は昭和三七年度分で合計金一四、一八二、九五〇円、昭和三八年度分で合計金二〇、八六五、八三〇円この総計金三五、〇四八、七八〇円にのぼつている。これらの修正分を滞りなく納付しえたのも秘匿利益の大半を社内に積立ていたからである、もつとも同社の昭和三七・八年度の秘匿利益は総計金四〇、四二四、一六九円であり修正分納付額を差引いても約五、〇〇〇、〇〇〇円は残存せる計算となる。しかし昭和三七、八年度において同社は東洋樹脂と共通の常勤取締役である中川(社長)小林(専務)浅野の三名に二カ年で金六、五九七、八八五円を役員賞与として秘匿金の中から支出しておりこれらの役員はいずれも右賞与に対する所得税を支払つている(証○○但し中川関係の証拠)、従つてこの一部社外流出分は既に現存しないのであるから東洋プラスチツクは秘匿利益金をすべて使用済である。東洋樹脂についていうと、別表納税状況一覧表(二)記載の通り既に納付した修正法人税、地方税等は昭和三七年度分で金一八、七五五、一九〇円、昭和三八年度分で金一三、五〇五、四〇〇円この総計金三二、二六〇、五九〇円であり同期間中の秘匿利益金は合計金三五、五八五、三六七円であるから約金三、〇〇〇、〇〇〇円の未使用利益金が残つているに過ぎない。しかも両社は他の製造業界よりも機械化、合理化がすすんでいるプラスチツク成型を主営業としており、従つて比較的設備投資の少い商業部門や他の製造業に比して青色申告承認取消による打撃を深刻に蒙つた。即ち昭和四一年二月に昭和三七年度に遡つて青色申告承認を取消されたため昭和三七年度以降昭和四一年度までは青色申告をすることが不可能であり従つて青色申告によつて認められる法人税法上の各種引当金(退職、貸倒れ等)や価格変動準備金、特別減価償却費(中小企業合理化機械について認められる)等の損金算入を認められないため五カ年間にわたり多額の税負担に腐心せねばならない。因みに両社の昭和三七年度以降昭和四一年度迄の青色申告承認取消に伴う損金否認による増加税額は別表「青色申告取消による課税増加額一覧表(一)(二)」記載の通り東洋樹脂において累計金一七、一七四、九八〇円東洋プラスチツクにおいて累計金一〇、九七七、八六〇円にのぼつているのである(控訴審において証拠調を請求する証第一九第二〇)かように両社は税逋脱に対する税法上の行政罰は既に十分受けておりまた青色申告承認取消にともなう経済上の制裁も受けているのであつて名目的には秘匿利益の一部が残つたにせよ、事実上はむしろ逋脱により相当の損失を蒙つているのである。元来国税通則法上の重加算税はその課税要件や負担の重さからみて刑罰的性質を有しておりその意味では刑事裁判における罰金刑と重複する側面を有している。(国税庁税務調査所刊国税通則法三七年度版八八頁)それはさておいても原判決の量定した罰金全額を納付するものとすれば、そうでなくとも前述した莫大な、逋脱本税、重加算税、地方税等を完納しかつ、青色申告承認取消によつて多額の増加税額を納付した結果、疲弊した両社はたちまち運転資金の枯渇を招き一旦は最悪の事態を避け得た両社の財務状態が再び悪化し将来の発展どころか企業の存立ひいては両社約二五〇名にのぼる従業員の生活にも重大な影響を及ぼす結果になる。何卒この点を十分に御参酌賜わりたい。

第六、中川泰治の情状

一、中川の両社に占める地位、同人は昭和一九年九月大阪商科大学(現在大阪市立大学)を卒業したが卒業前の昭和一八年一二月海軍予備学生として軍務に服した。昭和二〇年八月復員後建設会社、繊維会社に勤務し昭和二八年に当時全くの新規産業であつたプラスチツク業界に入り独立して事業を営み昭和三〇年東洋プラスチツクを設立するに至つた者である。同人は近代的な経営感覚に富み例えば社員にも積極的に自社株を保有させ(別口利益を別口賞与として社員にも配分しこれを払込金とさせていた)いわゆる労働者の経営参加の方策をとつて自己資本の充実につとめるとともに労務管理の一助ともしている(北風武夫、小田格の質問てんまつ書)当初、零細企業に過ぎなかつた同社をして一応、中小企業の中堅的地位につかしめ東洋樹脂を擁するまでになつたのは従業員等の協力も勿論のことであるが中川個人の力量、識見に負うところが最も大きい。それだけに業界金融筋においても会社の信用もさることながら同人の個人的信頼度が極めて高いのである。従つて原判決のようにその執行は猶予されているものの同人に懲役刑を言渡された結果業界、金融筋の信用度は下落し、会社の従業員に与える影響も大きく極めて憂慮すべき事態に立ち到つている。

二、中川の将来性、中川はその手腕、力量、識見からして同業者の信望も厚く昭和四二年五月一五日には関西プラスチツク板成形工業会(任意団体)の会長に選任された。(控訴審において取調請求予定の証第二一)一零細企業に過ぎなかつた東洋プラスチツクをともかく今日の状態にのしあげた中川の能力、人格は業界はもとより財界の刮目するところであり、中川が一私企業の長たるにとどまらず、ひろく、財界で活躍する日も近いことと思われる。

三、犯則の動機と個々の逋脱行為への関与度犯則の動機は既に「第二逋脱の動機」の項で詳細に述べた通りである。同人が好況時に既に景気の変動を敏感に感じ取つていたのとプラスチツク業界の不安定ひいては自社のぜい弱さを十分自覚し、不況時の対策を真剣に考慮していたことは、それ自体責任ある経営者としての優れた特性を有しているとさえいえよう。同人の景気変動に対する見通しが正しかつたことは最近の大不況とそれに伴う倒産会社の続出という事態で証明されている。同じプラスチツク業界でも大手とされる児玉化学が弱電不況のあおりを正面から受けて一億二五、〇〇〇、〇〇〇円の赤字を出し三菱樹脂の経営参加を仰いでいるのとはまさに対照的ともいうべきである(証第八)ただ自社の安全を慮るあまり、税逋脱の挙に出たのが非難されねばならないのであるが、これとても逋脱行為そのものに直接関与していたわけではなく実務的処理はすべて浅野常務に一任していた。中川と浅野の供述調書を対比すると中川が逋脱の実際面については、殆んど知らないことが明瞭である。仕入値引きの問題についても中川は当初東洋棉花、日綿実業にキログラム当り一〇円の値引の設定と商社に預託することについて交渉したのみでその後のことについては殆んど関与しておらないのである。かように犯則の動機、態様、経済状態等をすべて考えた場合、本件事案は近時新聞紙上をにぎわした森脇将光やミカド観光の脱税事件とはその本質を異にするものであつて中川に懲役刑を科するのは過酷に失すると思料される。

四、中川個人の経済生活 中川が両社から取得する取締役報酬は一般の給料生活者の所得よりも相当多額であることは事実である。しかし同人はあくまで会社の自己資本充実を図る方針から従業員にも株式保有による経営参加をすすめ自らも毎月一定金額を将来の増資払込資金として積立てておりそれに多額の給与源泉徴収と市府民税の支払(昭和四一年度では市府税月額金一三〇、〇〇〇円以上になる。証第一七の四、それ以前の住民税は証第一七の一乃至三)をすると家計費には名目額の三分の一にも満たない金額しか使用しえないのである。もつとも中川は秘匿利益の中から二カ年度にわたつて約金四、〇〇〇、〇〇〇円を賞与として受取つている。これも自己の独断でひとり私腹を肥やしているのではなくすべて浅野常務に任せて同常務の決定した額を受領したのである。なおこの四、〇〇〇、〇〇〇円の中に中川の自宅の改造費約一八〇万円が含まれているが、同人は昭和二一年頃に建築した建坪約一五坪程度の小家屋に家族五人で居住していたのであるが昭和三七年頃迄は事業関係で全資金を注ぎ込んでいたため手狭な自宅も改築できないでいた。しかし約二五〇名の従業員を使用する会社の社長の地位にあると度々従業員の家族の訪問を受けるしまた取引先の者を招待せねばならないため、昭和三七年に応接間、子供屋部、ガレージを増築することとした。むしろ会社が一応の成功を見ているのであるから、同人がそれまで自宅を増・改築なり新築しなかつたことが珍しい程でありどれだけ同人が事業の発展充実にのみ意を注いでいたかが判る。このように中川は事業に、多くの私財を投入している一方同人の二男晴夫(満八歳)が先天性の身体不自由児であるところから昭和三八年に岡山県邑久郡牛窓町の海岸に約五〇坪の土地と同地上約三〇坪の家屋を買い求め休暇・休日に二男ばかりではなく二男の在学する大阪整肢学園の身体不自由児を多数この海の家に赴かしめて不遇な少年少女に暖い援助をしている。また中川は「肢体不自由児を育てる会」「吹田市肢体不自由児父母の会」のそれぞれ副会長として福祉事業にも挺身しているのである。幸い中川には現在約二〇〇万円程度の預金があるので(中川の公廷における供述)これまで詳述したすべての情状を酌んでいただいたうえその範囲内での罰金刑を切に希望する次第である。

以上

納税状況一覧表(一)

東洋プラスチツク(株)

<省略>

納税一覧表(二)

東洋樹脂(株)

<省略>

青色申告取消による課税増加額一覧表(一)

東洋プラスチツク(株)

<省略>

青色申告取消による課税増加額一覧表(二)

東洋樹脂(株)

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