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大阪高等裁判所 昭和40年(ラ)110号 決定 1965年6月29日

抗告人 根本三郎(仮名) 外一名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人等は「原審判を取消し、本件を神戸家庭裁判所に差戻す。」旨の裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書記載のとおり主張し、これに対する当裁判所の判断はつぎのとおりである。

抗告理由二改姓のやむを得ない理由第一、第二について、

身分行為に伴う姓の変更があつた場合には、本人その家族その他これらの者と何等かの交渉のある人々は、新しい姓に馴れるまでの暫くの間、殆んど例外なく抗告人が右第一、第二で主張するような不便、苦痛、不満、不快等を多かれ少なかれ味うものである。そして、この種不便等は、原則として、本人又はその家族等に対して堪え難い物質的損害や精神的苦痛を与える性質のものではなく、またその殆んどが、新しい姓に馴れるまでの過渡期のみに生ずる一時的変調であつて、一両年新姓を使用するうちに自然に消滅する性質のものである。したがつて、通常の場合には、身分行為に伴う姓の変更による不便等は、社会生活を営む者が当然にこれを忍受しなければならない性質のものである。

改姓、改名のやむを得ない理由とは、改姓、改名しないことによつて本人その他の関係者が受ける物質的損害乃至精神的苦痛が多大で、同人等にそれを堪え忍ばせることが酷であると客観的にも認められる事情があることを指称するから、前記のような身分行為等による姓の変更に伴う不便等は、それが本人又はその家族等に客観的にも堪え難いと認められる損害乃至苦痛を与える例外的な場合を除いて、通常改姓のやむを得ない理由にはならない。

本件の場合について見るに、抗告人等が第一、第二において主張する本件離縁による姓の変更によつて抗告人等及びその家族が受ける物質的損害乃至精神的苦痛は、いずれも同種の事案においてその関係人等が通常一般に忍受するものと同種のものであつて記録を精査しても、それらが右通常一般の場合に比較して質的又は量的に著しく堪え難いものであることは認められない。したがつて、右抗告人等主張の事由は改姓のやむを得ない理由には該当しない。

同第三について、

改姓、改名は、個々の事案として観察すれば、債務の免税犯罪歴の隠蔽、身分の詐称等良からぬ目的でされる例外的な少数の場合を除いて、改姓、改名を許したからと言つて他人に迷惑を及ぼし社会に害毒を流すおそれのあるものは殆んどない。しかしながら、これを制度全般として観察すれば、自分の姓名に多少の不満を持つ者は、世間におびただしく多数いるから、本人の希望によつて無制限に改姓、改名を許せば、その数もおびただしいものとなり、社会秩序に混乱をもたらす等その弊害は無視できないものになる。それ故にこそ、改姓、改名の要件として「やむを得ない理由」との積極的な制限を設けたのであるから、改姓、改名が個々の事案としてこれを許しても何等の害もないことは、これを許して差支えない理由にならない。抗告人等の本項の主張は、抗告人等が改姓しても何人の迷惑にもならないと言うに帰するから、それだけでは改姓を許して差支えない理由として不十分である。

抗告人等の抗告理由全般について、

以上のように、抗告人等が改姓のやむを得ない理由として主張するところは個々に検討すればいづれもこれを認容するに足りないものであるが、その全部を綜合しても、他の一般の同種事案の場合と異つて、本件の場合に限り改姓のやむを得ない理由があるとは認め難い。結局抗告人等の主張は採用できない。

そのほか記録を精査しても原審判に違法な点は見当らない。

よつて民訴法第四一四条第三八四条を適用し主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岩口守夫 裁判官 長瀬清澄 裁判官 安井章)

別紙

抗告の理由書

一、抗告人等の氏を「深水」に改めることにつき許可申立を為したるに対し神戸家庭裁判所は何等「やむを得ない事由」がないとして昭和四〇年五月一一日これを却下するとの審判をなした。

二、然し乍ら、本件申立は「やむを得ない事由」が次の通りあるから原審判は判断を誤つているものである。

第一、戸籍法第一〇七条第一項の「やむを得ない事由」という制限を設けているのは、紊りに氏を改めることに因る社会的混乱を防ぐるにある。

抗告人房子は結婚前より深水の氏を称し、抗告人三郎は昭和二八年の結婚以来深水の氏を称してこれにより公私の生活を為したものである。殊に三郎は多年にわたり県庁職員として各種文書帳簿に深水の認め印を押している。その押印の数は数万の多きに達している。

今若し根本の氏となつて改印すれば、後日その責任の所在につきとまどいを生ずるは勿論、その改印の説明を庁内は勿論、県下各市町村に対して為さねばならないので煩に堪えないことである。

右は印判についてのみ述べたが、氏を呼称する場合にも同様の混乱がある。

戸籍法第一〇七条の制限するところの立法趣旨が社会的混乱防止にあるに拘らず、本件申立を却下することにより混乱すること以上の通りであるからこれは許可せられる方が「やむを得ない事由」の趣旨に沿うものである。

第二、抗告人等の子供は誠に気の強い性質で、学校で教師や友人から呼び馴れた深水を根本に改めることは絶対に嫌であると言い張つている。これは子供の気ままとのみ言えない程度であつて、如何なる事態になるや抗告人等は深き憂慮をせしめられている。それは、かん癖の強い子供だからと医師や教師から特別の注意がある程度であるから、決してとり越し苦労とは言えないものである。

この童心を徹底的に傷け、不測の事態を引おこしてまで深水の氏を引続き使用せしめないという法意ではないと思われるから、本件の如き強き希望ある場合は「やむを得ない事由」ありとの判断が正当である。

第三、抗告人等は深水一男並にしまとは円満に離縁したものである。

従て、抗告人等の公私の立場に鑑みて、深水家に対して何等の迷惑をかける惧れは予想だに出来ない。のみならず、深水姓も相当に多いことであるから、深水家としても斯る心配は全然していない。

抗告人等は、甚だ迂遠なことであるが、離縁によつて旧姓根本の氏となることについて、深い思慮をめぐらし得なかつたので、公私上の混乱や、童心を傷けることの斯くも甚だしいことに驚き困惑している有様である。若し斯る結果となることを予測し得たならば斯く簡単に離縁するのではなかつたし、又、深水の氏を称し得るような処置を構じて離縁するような方法を考慮し得た筈である。この抗告人等の善良にして単純なる離縁という行為を為したことに対して、本申立程度の救済をせられることは法律全体の精神に合致するものと信じる。

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