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大阪高等裁判所 昭和32年(う)425号 判決 1965年7月31日

被告人 吉田繁太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は右検察官作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

所論は、原判決は、本件公訴事実は被告人が夢の中の行動として無意識下に犯したのではないかという合理的な疑を払拭することができないから、犯意の点につき証明がないことに帰するとして無罪の言渡をしたが、右は事実を誤認したものである。

すなわち、

一、本件公訴事実は、司法警察員作成の実況見分調書、関西電力株式会社枚方営業所長作成の「絶縁測定結果報告」書、旭消防署長作成の「消火活動状況について」と題する書面、原審証人柴野義一、吉田みすゑ(第一回)、吉田正通の各証言吉田正通、野村とみ江、田中八重子、大砂佐一、原田政吉の各司法巡査に対する供述調書、吉田タケの検察官に対する供述調書、吉田みすゑ、柴野好子および被告人の各検察官並びに司法警察職員に対する供述調書の各記載を総合して優に認められるのである。殊に、

(一)  被告人の捜査官に対する自白は、合理的な疑を挾む余地のないもので、原判決の疑問としている点も自白の信憑性に影響がない。犯行の原因たる借金関係につき客観的事実とそごするところがあるが、これは被告人の妻が交渉して借入れたものであるから、負債額に若干のずれがあつても自白の信憑性を云々するほどではない。また動機である火災保険金詐欺についても、原判決は「被告人の知能から見て、火災保険を締結した翌日放火することはおかしい」というているが、結果論であつて、もし隣家の柴野が目ざめなかつたら被告人方も全焼し、漏電ということになつて被告人は保険金を入手できたのである。従て火災保険契約締結の翌日放火したとみるのは性急かつ軽卒であるとはいわれないのである。つぎに被告人の行為について考えてみるのに、被告人は検察官に対し「夜中の三時頃便所に起きましたが、西から北へ風が吹いていて、よく晴れておりました」と述べているのに対し、原判決は「実況見分調書中の写真や図面によると小便所から風向まで判定するのは困難」としているが、同便所は家の西北隅にあり、西風があれば便所への通路になる奥二畳の間の西窓に風があたるのである。被告人はこれをみて判断したのである。また実父吉田正通方への延焼について供述がないのは、被告人の性格および実父母との仲違いによるものであつて、不自然なこともないのである。原判決は「被告人の執拗な放火意思が二回目の点火後急に消滅し、被告人が大声を発して火勢の状況について顧慮することなく、家族を起し、かつ消火の措置に出た」とするのは首肯し難いという。しかし点火行為が二回あつたことをとらえて「執拗な放火の意思」とみるべきかどうかは疑問であり、被告人が自宅へも放火したのは予定外のことで、隣家に放火したが家人が起きてきたので、急いで自宅三畳の間に降りたが、その際棚の上の揮発油瓶をひつくり返したので、早く自宅を焼かねばならんとあわてて揮発油に点火したところ、棚の上の紙類に燃え移つたので、妻を起したものであつて、それを「執拗な犯意」を急に放棄したもので不自然であるとするのは事態の現実を離れた論である。

要するに、原判決が疑問として指摘した点も自白の信憑性についてなんらの支障を与えるものではないのである。

(二)  被告人の捜査官に対する自白は、真実に合致するものである。被告人の右自白は逮捕直後にえられたもので、強制も誘導も加えられていない。原判決は、「被告人は当初橋本巡査に対し無意識で放火したものであると弁解していた」ものと認めたが、被告人を最初に取調べたのは丸山巡査である。要するに右自白は犯行の方法および状態につき詳細かつ具体的であつて、実況見分調書の記載とも完全に一致し、誘導によつては録取しえない事実が供述されているのである。

二、被告人の原審公判廷における供述は、客観的事実と一致せず、不合理であつて明らかに虚偽の弁解である。

(一)  右弁解は客観的事実と一致しない。すなわち弁解では天井裏へは油を一回かけたことになつているが、実況見分調書によると柴野方三畳間と押入の天井裏二箇所へ別々に油を流した形跡がある。また被告人は自宅三畳間の天井板を元通りにしたか否かについて説明せず、そのまま放置していた趣旨と解せられるが、これまた実況見分調書によると天井裏からおりる際一たん取除いた天井板を元通りにした後箱棚付近に点火したものであることが明らかである。被告人は、天井裏から自宅三畳間におりる際棚上の揮発油瓶を倒し何かと思つてマツチをすつたところ揮発油に引火したと弁解するが、実況見分調書によれば、棚の下には茶だんすがあり、その手前に仕事用の机がおかれ、机の上には時計修理用の器員類が拡げられており、天井からおりた際この机上に立つたままマツチをすつたとは考えられないから、机の手前(北)の板縁上でマツチをすつたものと認定されるが、該位置でマツチをすつた場合、棚付近の揮発油の流れたものに引火することは物理的に不可能である。

(二)  右弁解は、不合理であつて虚偽の弁解である。「無意識の点火である」との弁解は原審公判廷に至つて始めて出されたもので、不自然である。原判決は「取調の発端にこの程度の弁解をしていたものと認めざるをえない」というが原審証人橋本愛蔵はこれに符合する証言を後に訂正し、訂正の理由についてはなんらの尋問がなかつたのであるから右訂正は許容されたものとみるべきである。殊に被告人を最初に取調べたのは橋本巡査ではなくて丸山巡査であることは前にも述べたとおりである。そして被告人が「夢の中の行為」であるとしてその夢を具体的に述べたのは原審第五回公判であるが、その後原審長山鑑定人に述べた内容とは、放火の対象が自軍のテントから敵のテントに変つておるのであり、夢が虚偽であることを示している。被告人が自白を飜した動機についても、原審第八回と第一一回各公判廷において前後食い違つた供述をしており、措信できないのである。被告人は「柴野方天井裏で流した揮発油に点火した際その音で眼がさめた。周囲を見ますと天井に自分が上り、火をつけたことが分り、驚いて消し始めたのです」と弁解しているが、被告人は天井裏をおりて天井板を元通りになおしている。火を消したというのも箱棚付近の火を消した後のことである。また被告人は「当時電気が消えていて何を倒したか分らなかつたのでマツチをすつた」と弁解しているが、被告人方は定額灯で電気をつけたまま就寝することは被告人の妻も供述するところであるから反証ない限り当時電灯はついていたと認められ、かりに消えていたとするも、倒れた物の状態を見るならマツチをするより電灯をつけるのが自然である。また「寝惚け」の状態で、本件のような、前後脈絡のある、複雑かつ注意力の集中を要する行為が可能であるとは考えられない。原審鑑定人長山泰政の鑑定はもつぱら被告人の公判廷における供述および同鑑定人に対する供述を基礎としてなされ、捜査官に対する供述、犯行現場の状況等を顧慮しないものであることは鑑定書の記載自体から明瞭であるから、右鑑定が被告人の公判廷における弁解の真偽を決するには役立たないのである。また原審鑑定人有岡巖の鑑定も、犯行現場の状況を顧慮していない点において完全なものとはいわれないし、その結論においても被告人の弁解を支える力はほとんどないものといわねばならぬ。

以上要するに、本件は被告人の捜査官に対する供述こそ真実に合致し、法廷における被告人の供述は刑を免れるための虚偽の弁解である。本件公訴事実は証明十分であり、被告人に対しては有罪の判決を言渡すべきであるのに、原審は証拠の判断を誤り、放火罪の犯意につき証明がないことに帰するとして無罪の言渡をしたのは、明らかに事実を誤認したものであり、右の誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないというにある。

そこで所論に従つてまず被告人の捜査官に対する各供述調書における自供の真偽について検討することとする。

右供述中、「借金関係」については客観的事実と符合しない点のあることは所論も認めるところであつて、この点に関する原判決の認定は当裁判所も首肯することができるのである。しかし本件放火の直接の動機であるとする火災保険契約の締結に関する供述は、大砂佐一の司法巡査に対する供述調書、押収の月掛火災保険料領収証(証三号)の各記載とも一致し、なんら疑を挾むべき余地はない。問題はこの火災保険金詐取が動機となつたとする被告人の供述の信憑性である。原判決は「保険契約締結の翌日に放火を決意するというのは被告人の知能や性格(精神鑑定書二通証人吉田みすゑの第一回証言および同人の司法巡査に対する供述調書等参照)より考えてあまりに性急且軽卒にすぎる感がなくはないか」としている。なるほど右参照の証拠特に原審鑑定人長山泰政作成の鑑定書の記載によると、被告人の知能は略正常であり、几帳面、綿密、入念、整頓癖、徹底的、執拗、慇懃、杓子定規的正義観、剛情、信心深い等の特徴を有する粘着性格であることが認められるので、右の疑問も当然浮んでくるのであるが、出火の責任者とみられる者に火災保険締結の事実が判明すると保険金詐取を目的とする放火ではないかと一応疑われるのが通例であつて、契約日時が出火に近接していようといまいと、疑惑の程度にさ程のちがいがあるとは考えられないのである。まして被告人は右性格に加えて情緒的不安定性があり爆発的破壊的衝動の強い気質を有していることも右各鑑定書の記載により明白であるから、被告人が保険契約締結の直後に放火の決意をしたことをもつて性急かつ軽卒とも云い難く、この点に関する供述は本件放火の動機として信憑性がないとはいわれないのである。

つぎに実行々為およびその前後の事情に関する供述につき考えてみる。

昭和二九年一二月二三日付司法巡査丸山三郎に対する供述調書においては「私は時計修理に使う揮発油を撒いて火を付け燃えやすくしようと思い玄関先にある三帖の板の間の東南の隅(西南隅の誤りと認める)に天井板が私の手をつき込んで入る位の大きさに穴が開いていたのでそれに手を入れて揮発油を撒いて火を付け様と思つてマツチをするといきなり揮発油の入つた瓶に火がつきましたので驚いて瓶を振るとお隣の柴野方の天井に火が飛びこれは駄目だと思つて居る内に私の家にも火がつきかけましたのでこれを消して居る最中にお隣の人も起きられて火を消して下さいました」と供述し、同月二四日付司法巡査橋本愛蔵に対する供述調書においては「この日私が眼を醒まして枕元の時計を見ましたら二三日午前三時でありました、それから一旦起きて小便を済ませて又元の寝床に這入つて横になりました………寝床の中で約三〇分間位考えた挙句前々日加入した火災保険金の四〇万円を貰うと決意しました、それで静かに寝床から起きて私は何時も寝る時に寝間着は着ずにシヤツとパツチとで寝て居りますのでそれから足袋を履いて綿ギヤバの作業ズボンを履いて六帖の間と三帖の板間との仕切は半間の障子が二枚で閉めてありましたので私はその障子を南に一杯開けて三帖の板間に行きました、この時は妻も子供もよく眠つて熟睡して居りました、この三畳の板の間の西南隅には高さ三尺位で奥行が一尺二寸位で横幅二尺八寸位の茶箪笥が置いてありその茶箪笥の上に約一尺三寸位空いて長さ三尺位、幅一尺二寸位高さが一尺三寸位の箱型の釣棚がその障子の上の敷居に設備してあります、この箱棚はラジオを入れたり又は本等を入れたりする為に作つたものであります、この箱棚の上の板は右側の敷居の上にその端をかけ左端は柱に取りつけてありますので、相当重い物を乗せても大丈夫に出来て居ります、私がこの時起きて三帖の板間に来た時はその茶箪笥の前に何時も私が時計の修繕する時に使う机が一つ置いてあります、私は宵にその場で時計の修繕の仕事をしたその侭の状態で机の上には時計修理の道具や時計の部品等が置いた侭になつて居りました、そして上の箱棚の上にはライター用の一合位這入つた揮発油の一合瓶が二本と時計のカタログが一冊と去年の年賀ハガキが二〇枚とリーダースダイジエストの小雑誌が六、七冊と現金出納簿が一冊とその一番左端に瀬戸物の電気の傘を置いてありました、そして一番右側にライター用の揮発油が置いてありました、この揮発油の一本の方はまだ全然使用しておらない新品でもう一本の方は口を開けて少し使つておりました、この揮発油のつめはキルクであります、私はこの三帖の板間に来て一寸の間何うして放火をしようかと考えました、かんな屑に火をつければ一番簡単でそれとも紙屑に火をつけようか等と考えて居りましたが差当揮発油が一番手取り早くてよいと直感をしました、それでこのライター用の揮発油を流してそれに燐寸で火をつけたら簡単だと思つて早速机の上に置いてあつた燐寸をズボンの左ポケツトに入れて私が先程申上げました様に南隣の柴野さん宅には常々何か困らせてやろうと考えて居りましたので先に柴野さん宅にガソリンで火をつけてそれから私宅に火をつければ両方から火が燃えればよく燃えると思つて先づ隣から先に火をつけるために箱棚の上に並べてあつた一合位這入つた揮発油の瓶を取る為に机の上から足をかけて茶箪笥の上に上りました、そしてその上の箱棚の上に並べてあつた新しい方の揮発油入の瓶を右手で取つてそれを左手に持ち代えてその瓶の蓋を開けてそのキルクの蓋とセロハン紙は下の板間に捨ててそしてその真上の隅の釣天井の板二枚位がずつと以前に天井の上で余り鼠が暴れるのでその個所を何回も突いた為にその個所の天井板の釘がはづれて居りました、それで私は先づそのはづれた天井板を上げれば天井の上に上る事が出来る事を考えて居りましたので私は口を開けた揮発油入瓶を左手で持つて茶箪笥を踏み台にして更に箱棚の上に這い上つて右手で天井板を上に上げて静かに天井の上の私方と隣の柴野さん宅の仕切りの壁の上へ這い上り南北に通つた天井上の横木に半かがみの状態になり柴野さん宅の三帖の間の押入れの天井の上に東西に通つた横木が天井から一尺位の高さで私の足元でつかに支えてあつたので私はその横木を持つてこの時この横木を持つた手は左手で揮発油の瓶はもうこの時は右手に持ち代えて居りました、そして柴野さん宅の三帖の間の天井裏にそのライター用の揮発油を流しました、この流した揮発油の量ははつきりと記憶ありませんが、早速左手で左のズボンのポケツトより燐寸を取り出して右手に揮発油瓶と燐寸と一緒に握つて左手で燐寸の軸を一本取り出してその燐寸の軸に点火するなりその点火した燐寸の軸を揮発油を流した柴野さんの天井裏に投げました、この時はヴアツと云う音が出て一ぺんにその揮発油に燃え移りました、この時火の大きさは幅二尺位で高さが二尺位の火でありました、そして私は慌てて又元の這い上つた天井板を上げて私方の三帖の間に降りる時にこの時持つて居つた揮発油の瓶に未だ少しの揮発油が残つて居つたので全部柴野さんの押入れの天井裏に撒いて降りました、そして私が上り降りしたその天井板を元通りに合せて居りました時に箱棚の上に置いてあつたもう一本のライター用の揮発油が私の足に引掛つたものか瓶の口の蓋が取れて大体九分通り這入つて居つた揮発油が全部その箱棚の上に流れて了いました、そして私が三帖の板間に降りたときは箱棚の上で流れた揮発油は隅の柱を伝つて茶箪笥の高さの少し上の辺迄流れて来て居りました、それで私は又早速ズボンの左ポケツトより燐寸を取り出してこの時は右手で燐寸をすつて火をつけてその流れて来て居つた隅の柱の揮発油に火をつけました、そしたらまたたく間にその火は上に燐え上り箱棚の上に置いてあつた紙類に燃え移りました、この時ヴアツと云う音を聞きました、それで私はびつくりして火事やあといつて大きな声を出して妻を起しました、そして私はこの時は天井の隅に火が燃え上つて居つたので何うすることも出来ないので暫くずつと見て居りましたが誰かが洗いだらいに水を汲んで来てくれましたので私はその水を天井や箱棚の上の燃えて居る火に向けて掛けました、そしたら火はすぐに消えかけましたので私は揮発油を撒いた処を知つて居りましたので早速一度上つた天井の板を突き上げてこの時隣の押入れの天井裏に私の流した揮発油に又燃え移りましたので私はこの火を両手でなで消しました、この時柴野の主人義一さんは同家の三帖の間の燃え穴から踏み台か何かの上に上つて水をかけて消火して居りました」と供述し、同月二七日付司法警察員本田実治に対する供述調書においては「本月二三日午前三時三五分頃私は仕事場にしている中三畳敷板間の仕事机の上にあつたABCの商標のついた小箱マツチをズボンのポケツトに入れその部屋の南西隅に置いてある茶ダンスの上に乗り茶ダンスの上に取付けたラジオ棚から二本並べて置いてあつたライター用揮発油入の一合入小瓶を左手に持ち右手で天井板をそらして持ち上げそこから天井裏へ這い上り南隣りの柴野義一さん方中三帖間の天井裏に揮発油をまき、持つていたマツチで火をつけますと物凄い勢いで燃え上りましたので残つた揮発油を柴野さん方押入の天井裏にまきながら這上つた処まで帰り自宅三帖間にすべり降り天井板を元通りにしていますと棚の上にあつた残り一本の揮発油瓶がひつくり返り栓が抜けて油が流れ出ていたので今度はそれに火をつけたのであります」と供述し、

昭和三〇年一月七日付検察官石岡敏夫に対する供述調書においては、「この保険に入つた翌日か翌々日かの事ですが、夜中の三時頃便所に起きましたが西から北へ風が吹いていてよく晴れておりました、私は寝床へ帰つたもののそれ迄毎日のように家内から借りておる借金の返済を相談されて返す見込みもないし正月は迫つて来ますしどうしようかと思つて眼が冴えて寝付かれず色々金の工面を考えているうちに前申しました保険の事を思い付き私の家が焼けたら保険金が入ると思うといつその事火をつけてやれという気になりました、それで私は最初父が隣りで大工をしておるのでかんな屑がありますからそれを天井裏にほり込んでそれに火を点けようかとも思いましたが夜中のことで取りに行くのもおつくうでしたしふとライター用の揮発油一合入り瓶が二本残つておるのを思い出してそれを天井裏にまいて火を点けることにして私方の三帖板の間の天井が二枚程めくれておりましたので茶箪笥を踏台にしてめくれている天井板を押し上げその前に口を切つておいた揮発油瓶を持つて天井裏にはい上り風向きのことを考えて南隣りの柴野義一方の押入の上辺りの天井裏にその揮発油をまいて更に残りの一部を私方の天井裏にもまいてポケツトに入れていたマツチを一本すつて最初揮発油をまいた柴野方の押入の上の天井裏に点けましたところボツと一度に火が出たので私はびつくりして元の茶箪笥の方へ引返しましたがその時その音に驚いて眼を醒ましたのか柴野方で誰か起きる様な物音が聞えますし天井裏から降りる拍子にもう一本の方の口を切つて幾らか使つた揮発油瓶をひつかけて壁や障子に揮発油がかかりましたので私は早く家を焼くつもりで又マツチをすつてその揮発油のかかつている辺りへ火を点けましたら又ボツと一時に火を発しました、私はあわてゝ家内を起しましたら家内は子供を抱いて表へ出て私は降りるとき一旦元通りにしておいた天井板を外ずして天井裏に上り燃えているところを手でなで消しましたが隣りの天井板はベニヤ板で巾一尺位長さ二尺五寸位の穴ができて焼け落ちましたがその時には既に柴野義一も同人方の天井裏に上つておりました」と供述している。

これらの供述はいずれも詳細かつ具体的であり、司法警察員作成の実況見分調書の記載、特に天井裏とのいききに利用したという仕事机、茶ダンス、箱棚の状況、焼燬の場所および同所における揮発油の残存臭、天井板の取除き状態、揮発油瓶およびマツチ箱の発見等に関する記載によつて十分裏付けされているものであり、また現実にかかる行動を意識して行つた者でなければとうてい供述しえないと思われるものがある。もつとも原審証人橋本愛蔵の証言によると、橋本巡査は「現場を見る前に被告人を取調べてその供述が真相かどうか確かめるため現場を見てその結果自供と現場の模様が一致していたのでそれから調書を作成した」旨供述しているが、それ故に右調書は同巡査の誘導により録取されたものと疑うべき証拠はない。さらに被告人は原審公判廷において、検察官に対する前記の供述は、警察における供述どおり陳述してもらわねば困ると同巡査からいわれたのでこれに従つたまでであると弁解するが、検察官に対する供述中「夜中の三時頃便所に起きましたが西から北へ風が吹いていてよく晴れておりました」「風向きのことを考えて南隣りの柴野義一方」へ放火した旨の件があり、この部分は従来の警察官に対する供述にみられなかつた事柄である。被告人の弁解はすでにこの点において辻褄が合わないのであるが、原判決はこれに関し「実況見分調書中の写真や図面によると小便所から風向まで判定することは困難なのではないか、仮に右便所ということを形式的に解することなく子供の勉強部屋等よりして風向きが判定することができたとしても、実況見分調書の図面及び写真によつて建物の構造をみると、被告人方も柴野方も間口一間半で奥行五間半以上であり、すぐ北側に接する実父吉田正通方も大差ないものと認められるから、三戸の幅を通じてもなお奥行が長いこととなるが、かような長屋建において火勢が柴野方と被告人方に止まるという保障は何処にもないではないか、即ち当然実父吉田正通方への延焼を予想するのが自然であるのに、この点についての供述が欠けているのは稍合理に反するのではないか」としてこれを信用しないのである。しかし右供述によると、便所に行つた時風向きを知つたというのであつて便所の内部でこれを知つたということではないし、右実況見分調書によると、被告人方の便所は同家奥二畳の間の西北にあつて、そこに赴くためには右二畳の間を通るようになつていることが認められ、同間の「西側は床上〇、九米より幅一、八米の腰窓があり硝子戸二枚が嵌められ」て、その外(西)は空地となつているのであるから、西風が吹けばこの窓に当り、便所に行く際には風向とか天気模様とかは当然判る筈であり、被告人の隣家に住む実父吉田正通も当夜「二時半頃尿意をもよほし小便に立ち再び寝ようとしましたが裏戸ががたがたと風に揺れ音がしたりして眠れず」(吉田正通の司法巡査に対する供述調書)と供述しているのであるから、被告人がこの風を西風と判断しても少しも怪しむに足りないのである。事実、大阪管区気象台発表によると当日午前四時現在「西の風、風速五、七米」であつたことが認められるのである(旭消防署長作成「消防活動状況について」と題する書面)。もつとも「西から北へ吹いていた」というのは奇異な感がしないでもないが、これも被告人がそう感じたというのであるから強いて論理的にあげつらうほどのこともないと思われる。また隣家である実父吉田正通方への延焼の予想に関する供述がないことは、検察官の取調が足りなかつたことにはなるかもしれないが、この点に関する記載がないということから直ちに被告人がかかる予想はしなかつたと論証することはできないし、これに関する供述が録取されないために他の供述が特段に信憑性を害されるとは考えられないのである。原判決はまた右検察官調書中の「私はいやがらせに柴野方の天井裏に火を点けたのですが柴野の家を焼こうとか柴野の家が焼けるとかいうようなことについては考えませんでした」との供述を捉えて、「被告人の真意の録取という観点からみるならば前記建物の構造より考えて通常の心理に反する」とするのであるが、右供述の趣旨は単に「柴野の家を焼くのが目的ではなかつた」との意味にとれ、被告人の本心を吐露しているとみるべきであつて通常の心理にも反するものではない。つぎに原判決は「既に柴野方で異常を覚知されたことを知り乍ら残りの揮発油を撒き、天井から降りて後も自家に火をつける程執拗な意図を持つていたとされる者が、何故に二回目の点火直後驚愕して大声を発し、火勢の状況について一向顧慮することなく家族を起し且つ消火の措置に出たか」として、「放火の意思の消滅が突発的に過ぎる」との不審感を投げかけている。しかし被告人が二回目に点火したのはその供述によると揮発油がこぼれた偶然な出来事によるのであつて、必ずしも放火の「執拗な意図」を証明することにはならぬのである。そして被告人が点火後急に意図を飜して消火に努めたことも犯行後の犯人の行動としてはよくあることで、その時の犯人の心理状態としては様々な場合が考えられるのであつて、一がいには断定し難いのである。

これを要するに、被告人の前記各供述は内容に別段の矛盾撞着もなく、客観的事実にもよく合致するところがあり、原判決の疑問とするところも右供述の信憑性を弾劾するには至らないのである。

次に被告人が原審公判廷において、捜査過程での自白を飜した供述が、果して客観的事実に一致せず不合理であつて明らかに虚偽の弁解であるかどうかにつき確めてみる。

被告人は原審第一回公判期日において「放火の点も無意識にやつたのでありまして天井裏に火がついて気がつき私が手でもみ消しに努めた程です」とはじめて事実を否認するに至り、同第五回公判期日において「私は昭和一九年に軍隊に行き茨城県の磯浜から四里位離れた夏目村という処におりました、そしてその頃B29が連日爆撃に来まして本件の時には子供を寝かしてから午後一二時半頃私も寝ましたのですが、今述べました茨城県に居たときの事を夢見ていました、そしてその夢の中で米軍が上陸したので自分達の泊つていたテントを焼払つて撤収せねばならないと戦友がいいましたので火をつけたのです、すると燃える音がしましたので眼が醒めました、それで周囲を見ますと天井に自分が上り天井に自分が火をつけた事が分り、驚いて消し始めたのです」と前回の無意識放火の内容を具体的に説明し同第八回公判期日においてその夢の内容を「昭和一九年ナツメ村というところに私の中隊がおりました、そこへ米軍が艦砲射撃の末上陸して来てテントを張りました、それで夜そのテントに火をつけることになつて火をつけて廻りました」と供述し、同第一一回公判期日においては「茨木県石岡のナツメ村という処に私の聯隊がありまして当時米軍が敵前上陸して来ました、艦砲射撃もありまして米軍がテントを張りましたがそれを私達四、五人で火をつけました、マツチでテントの裾の方につけたのですがその際ボーツと音がしたので目がさめたのです」そして気がついたら「高さ二尺位の真赤な焔が上つており焔の小さい部分だけ自分で消し天井裏から降りて家内を起しましたが天井裏から降りる際箱棚の上に揮発油入りの瓶があり、それに足が触れガチンと音がして倒れましたので当時電気が消えていて判らなかつたので私は何だろうと思つて机の上にあつたマツチを取りマツチをすつてみますと燃え上つたのです」と供述している。

ところで原判決は被告人が本件放火を「無意識」に犯したものであると供述したのは原審第一回公判廷において卒爾として持ち出されたものではなく、橋本巡査の取調に際してもかような主張のあつたことを認めたのであるが、原審証人橋本愛蔵の証言によるも後に右事実に関する証言を訂正しているのであるから、原審第一回公判前に被告人からかかる主張がなされたことについては当裁判所としては十分な心証をうることができない。しかし「無意識」の内容である「夢の話」については警察署における取調においても供述しなかつたことは被告人も原審第一一回公判廷において自認するところであるから、本件が「夢の中の行為」であると主張されたのは、原審公判廷における審理以後、特に具体的に夢の内容が供述せられた原審第五回公判期日以後である。ところが被告人の自供にもとずく夢の内容において放火の対象が自軍のテントから敵のテントに変更されていることはさきに引用した被告人の供述自体から明らかであり、このことから夢そのものの供述の真否が疑われるが、「何れのテントに点火したとはいえ、兎に角、テントに点火した夢をみたと考えざるをえない。点火テントが何れのものであつても、かかる点に関する夢の系統立てが不充分であつたと考えうる。その点火対象が何れであつても、精神医学的には矛盾が存在するとはいい難い。むしろ夢内容を詳細にかつ具体的に説明せざるをえない今回のごとき対権威的事態における人工的産物の発生する可能性を認めなければならない。夢内容が個々の事柄につき全く明瞭に関係づけられており、又そのように体験され、又それらの個々の事柄が明確に関係づけられて想起されねばならぬとする科学的根拠は全くない。」(原審鑑定人有岡巖作成の鑑定書)とすると、右矛盾から直ちに被告人の夢に関する供述が虚偽であると断定するわけにはいかないのである。

しからば被告人が真実夢をみていたとすればどういうことになるのであろうか。「もしこの事が事実とすればその前後の事情から本件犯行は『寝惚け』か『夢中遊行』中の行為と想定される」のであり、「『寝惚け』は睡眠から覚醒する時の障害として現われる一種の朦朧状態であつて、運動能力は既に恢復しておるが、精神(意識)の恢復が充分でなく、意識朦朧状態下でいろいろの行動をなし、遂に醒めるものである。『夢中遊行』は睡眠中に生ずる半覚醒的な意識朦朧状態にして夢と異り表象が運動を誘発し、強い刺戟を加えられぬ限り再び就床し、睡眠する。覚醒後その間のことは追想を全然欠如する。」から「被告人の犯行は『夢中遊行』というより『寝惚け』中の行為と言える。」「被告人を粘着性格、爆発性、痙攣素質等を綜合して『癲癇素質者』と想定し、本件犯行時における被告人は『寝惚け』の状態(意識朦朧状態)を発呈し、本件犯行は該状態において発起したものと思料」され(原審鑑定人長山泰政作成の鑑定書)「被告人が臥床より起き上り放火に至るまでの行動は夢中遊行症の状態において行われたものであるとする可能性がある。」(原審鑑定人有岡巖作成の鑑定書)、また「現象としては夢中遊行であるとの可能性を否定し難い。」(当審鑑定人中脩三作成の鑑定書)こととされるのである。いずれにしてもこの場合被告人の行為に関する弁別能力が障害されていることは右三鑑定人の一致する意見であるから、被告人の本件犯行に対する責任はある程度否定されることになるであろう。

しかし右各鑑定の結果はいずれも被告人の夢に関する供述が嘘言でないことを前提としてなされたものであり、もし当審鑑定証人中脩三の証言するごとく「被告人の陳述というものがそもそもあやしい」ということになると、夢中遊行論も一挙に崩壊するのである。

そこで被告人の右供述が果して嘘言であるかどうかにつき審究しなければならないが、まず被告人が夢から醒めて後の行動に関する供述につき考えてみる。この供述をまとめると「気がついたら天井裏に上つており真赤な焔がでていたので一部分を手で消し、天井からおりたが、おりるとき棚の上の揮発油入りの瓶が足に触れて倒れ、電気が消えていて判らなかつたので何だろうと思つて机の上にあつたマツチをとりすつてみたら揮発油が燃え上つた」というのにつきるのである。ここで問題となるのは所論も指摘するとおり、電灯が消えていたかどうかということと、天井裏からおりて後めくつていた天井板をいかに始末したかということである。

吉田みすゑの司法巡査に対する供述調書によると、「電灯は定額のため表板の間に一つあり夜通しつけています」と供述しており本件出火当時電灯が消えていたような供述は全然なく、また前顕実況見分調書に被告人の当審および原審公判廷における供述を総合すると、右表板の間とは被告人が天井裏に昇降した部屋であり、被告人は当夜ここで十二時頃まで時計分解の仕事をし、起きればすぐ仕事ができるようズボンとカツターシヤツのような仕事着を着たまま隣の六畳間で仮眠したことが認められ、当夜は少くとも被告人が天井裏からおりるまでは同部屋の電灯はつけたままであつたことを十分に推測しえられるのである。もつとも原審証人吉田正通の証言によると、同人が火事ときいてかけつけたとき被告人方は電灯が消えていたというのであるが、発火後時間も経過していると考えられるので右推測を覆えすには足りない。かりに右電灯が消えていたとしても、右実況見分調書の記載添付写真、図面及び被告人の供述によると、同板の間南西隅には高さ〇、九一米、南北巾〇、三五米、東西巾〇、六八米の茶ダンス、その北側に高さ〇、四五米、南北巾〇、五米東西巾〇、八五米の作業用座机が並べられて、その上には時計修理用具等が散乱しておかれてあり、右茶ダンスの上方床上一、三七米の部位と同一、七四米の部位に二段の六分板で奥行〇、三米の木棚が設けられ、床上二、三三米の高さにある天井は木棚西南隅の真上から北へ〇、四米東へ〇、五米の天井板が取除かれてあり、これが被告人の天井裏への昇降口と認められるのであるが、被告人の当公判廷における供述によると同板の間にある電灯一個は電気スタンドに接続され右仕事机の上においてあつたというのであるから、足に触れて倒れたものが何であるか見るためには、暗闇の中で「机の上のマツチ」をとるよりは電灯のスイツチに手を伸ばす方がはるかに容易であると思われるがそれはさておき、被告人は原審第一二回公判廷において、天井裏で極く短時間燃えている火を手で消してから降りて妻を呼び起し、それからマツチをとつてすつたところこぼれていた揮発油に火がついたと供述しており、揮発油のこぼれた個所は右木棚の上段であつて、その下には茶ダンスおよび仕事机が置かれてあり、同部屋の燃焼痕も同木棚側壁から天井にかけてである(西側障子も火粉の飛により一部焼失)ことも右実況見分調書により認められるから、机の手前でマツチをすつたとすれば右棚上とは相当の距離があり、しかく簡単にこれが揮発油に点火するとは考えられないし、雑然と物が置いてある仕事机の上か茶ダンスの上に上り同棚上にマツチを近づけてすつたとすると、極めて不安定な姿勢をとることになつて何が倒れたか見るためのものとしては不審な挙動であり、被告人の当公判廷における供述によると、同棚上に揮発油入りの瓶を置いていたことは被告人も知つていたと認められるので、かかる危険な動作は被告人が放火につき故意を有していたと推定しない限り納得し難いものが残るのである。

つぎに右実況見分調書によれば、「取り除かれた二枚の天井板は該部東側の天井裏に重ね置かれてあつたから原形に返し良く検するに前記南西隅上段棚上より角柱及びその側壁を伝つて天井への焼焦痕があり該部の廻りぶちには該隅より東へ〇、五米北へ〇、四米取り除かれてあつた天井板には該点を結ぶ三角形に焼焦痕が明瞭に認められた」と記載されてあり、これによると被告人は天井裏から降りて後取除かれた天井板を復元し、昇降口を塞いだことが明白である。被告人は天井裏で正気に返つたところ、同所が燃えていたので、天井裏で小さな焔は手で消したが大きな焔はそのままにして天井裏から降りたというのであるから、被告人としては家人に急を告げると共に、即刻右天井の昇降口を利用して消火活動に努めるのが理の当然であるのにかゝわらず、わざわざ天井板を復元して昇降口を塞いだということは、「放火は無意識」であるとする被告人の弁解とは裏腹に不可解な事実であり、被告人においてこれにより消火の意思のないことを表明したものといえるのである。

以上の検討により、「被告人が誤つて揮発油をこぼし、電灯が消えていて分らなかつたからマツチをすつたところこれに引火した」との右供述は真実に反し嘘言と断ぜざるをえない。そしてこれが嘘言と認められる以上被告人の夢に関する供述も信をおくことができないことになり、被告人の捜査官に対する自白こそ真実に合致し疑問の余地がないものといわねばならぬ。原判決が被告人の捜査官に対する自白を排斥し、原審公判廷における供述を採用して、本件は被告人に放火罪の犯意の点につき証明なしとして無罪の言渡をしたのは、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れず、論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条一項三八二条により原判決を破棄し同法四〇〇条但書によりつぎのとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は大阪市旭区北清水町二五番地の自宅において時計修理業を営んでいたが、妻子五人を擁して収入も月一万円程度に過ぎず、妻も内職をして家計を助けていたが、知人よりの借金も合計七万円に達し、その返済に苦慮していた折柄、昭和二九年一二月二三日午前三時過頃用便に起きたものの容易に寝つかれず、年の瀬を控えて生活苦や借金のことを思い煩つているうち同月二二日に日動火災海上保険株式会社との間に建坪約一〇坪の自宅家屋並びに家財を目的として合計四二万円の火災保険契約を締結したことに想い到り、右保険金を取得するため、棟続きの南隣柴野義一方の天井裏に放火して自宅を焼燬することを決意し、一合入りのライター用揮発油瓶一個を携えて、自宅三畳板の間より天井裏に出て、柴野方天井裏に揮発油を注ぎ、所携のマツチで点火し、また自宅三畳板の間の木棚上にこぼれた揮発油にも右マツチで点火し、よつて人の現住する柴野方天井板の一部(直径〇、一五米位の円形部分)および被告人方天井板の一部を焼燬したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人は本件犯行当時心神喪失又は心神耗弱の状態にあつた旨主張するが、その然らざること前段に詳細説示する通りであつて右主張は採用の限りではない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一〇八条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、同法六六条六八条三号により酌量減軽し、その刑期範囲内で被告人を懲役三年に処すべきも、本件は天井板等の少部分を焼燬したに止り被害軽微であつたこと、事件発生以来すでに十年余を経過しその間被告人は真面目に生活し再犯の事実もなかつたことが認められるので、刑法二五条一項を適用し三年間右刑の執行を猶予することとし刑事訴訟法一八一条一項但書により訴訟費用の負担を免除し、主文二、三項のとおり判決する。

(裁判官 山田近之助 藤原啓一郎 石田登良夫)

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