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大阪高等裁判所 平成5年(ネ)495号 判決 1996年11月13日

神奈川県逗子市久木五丁目四番三二号

控訴人・附帯被控訴人(甲・乙事件第一審被告)

龍村晋

右訴訟代理人弁護士

寺島健造

米林和吉

右訴訟復代理人弁護士

保田眞紀子

右輔佐人弁理士

中山伸治

京都市中京区壬生森町二九番地

被控訴人・附帯控訴人(甲・乙事件第一審原告)

株式会社龍村美術織物

右代表者代表取締役

龍村元

右同所

被控訴人・附帯控訴人(甲事件第一審原告)

有限会社龍村織寳本社

右代表者代表取締役

龍村元

右両名訴訟代理人弁護士

野嶋董

土肥原光圀

龍村全

(以下、控訴人・附帯被控訴人を「被告」、被控訴人・附帯控訴人株式会社龍村美術織物を「原告美術織物」、被控訴人・附帯控訴人有限会社龍村織寳本社を「原告織寳本社」といい、右原告両名を「原告ら」という。なお、その他の略称は、原判決のそれによる。)

主文

一  被告の控訴に基づき、原判決中被告敗訴部分のうち、同主文第二、三、五項を次のとおりに変更する。

1  被告は、原判決別紙第四ないし第七被告製品目録記載各(一)の裂地及び同記載(二)の各裂地による製品を製造、販売又は販売のための展示をしてはならない。

2  原告美術織物の原告意匠権侵害行為に関する差止・損害賠償請求及び原告織寳本社の損害賠償請求をいずれも棄却する。

二  原告らの附帯控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも原告美術織物に生じた費用の二分の一を同原告の、原告織寳本社に生じた費用の二分の一を同原告の、原告らに生じたその余の費用と被告に生じた費用を被告の各負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴事件

1  被告

(一) 原判決中被告敗訴部分を取り消す。

(二) 原告らの請求をいずれも棄却する。

(三) 訴訟費用は第一、二審とも原告らの負担とする。

2  原告ら

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は被告の負担とする。

二  附帯控訴事件

1  原告ら

(一) 原判決中原告美術織物の不正競争行為による損害賠償請求に関する部分を取り消す。

(二) 被告は、原告美術織物に対し、金一二八八万円及びこれに対する昭和六三年四月二二日(甲事件訴状送達の日の後で乙事件訴状送達の日の翌日)から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 原判決中原告織寳本社の敗訴部分を取り消す。

(四) 被告は、原告織寳本社に対し、原判決で支払いを命じられた金員のほかに金二〇万円及びこれに対する昭和六三年二月二一日(甲事件訴状送達の日の翌日)から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(五) 訴訟費用は第一、二審とも被告の負担とする。

(六) 仮執行宣言

2  被告

(一) 主文第二項同旨

(二) 附帯控訴費用は原告らの負担とする。

第二  事案の概要

一  原告らの請求の概要

本件は、

1  原告美術織物が被告に対して、

(一) 不正競争防止法(平成五年法律第四七号による改正後のもの。右改正前のものを「旧不正競争防止法」という。以下同じ。)二条一項一号、三条一項に基づき、原告第一ないし第七製品との混同行為(被告第一ないし第七製品の製造、販売又は販売のための展示行為)の差止め、

(二) 意匠法三七条に基づき、原告意匠権の侵害行為(被告第八製品の製造、販売又は販売のための展示行為)の差止め、

(三) 著作権法一一二条に基づき、原告著作権の侵害行為(被告説明書の複製、頒布)の差止め、

(四) 右(一)の混同行為につき不正競争防止法四条に基づき損害賠償金一二八八万円、右(二)、(三)の侵害行為につき民法七〇九条に基づき損害賠償金一五二万円、以上合計一四四〇万円と内金一二八二万円 ((1)被告第一、第二製品の製造販売に関する-不正競争行為による-損害金八五〇万円、(2)被告第四ないし第七製品の製造販売に関する-前同-損害金二八〇万円、(3)被告第八製品の製造販売に関する-意匠権侵害による-損害金一〇二万円、(4)著作権侵害による慰謝料五〇万円の合計)につき甲事件訴状送達の日の翌日(昭和六三年二月二一日)、内金一五八万円((5)被告第三製品の製造販売に関する-不正競争行為による-損害金)につき乙事件訴状送達の日の翌日(昭和六三年四月二二日)から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払い(但し、当審で不正競争行為による損害についての遅延損害金の起算日はすべて昭和六三年四月二二日からと減縮した。)を、

2  原告織寳本社が被告に対して、

(一) 商標法三六条に基づき、原告商標権の侵害行為(被告標章(一)、(二)の使用)の差止め、

(二) 民法七〇九条に基づき、右侵害行為による損害賠償金一五〇万円と甲事件訴状送達の日の翌日(昭和六三年二月二一日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、

それぞれ求めた事案である。

二  原判決の概要

原審は、原告美術織物の(一)、(二)請求を認容、(三)請求を棄却、(四)請求のうち(3)の意匠権侵害による損害賠償請求のみを認容、その余を棄却し、原告織寳本社の(一)請求を認容、(二)請求を一三〇万円とその遅延損害金の限度で認容、その余を棄却する旨の判決をした。

三  当審の審理対象

本件控訴は、原判決中被告敗訴部分を取り消し、原告らの請求を棄却することを、本件附帯控訴は、原判決中原告美術織物の不正競争行為による損害賠償に関する請求を棄却した部分を取り消し、同原告の(四)請求のうち(1)、(2)及び(5)の損害賠償金合計一二八八万円及びこれに対する昭和六三年四月二二日(甲事件訴状送達の日の後で乙事件訴状送達の日の翌日)以降の民法所定の割合による遅延損害金の支払い(遅延損害金につき請求の減縮)と、原判決中原告織寳本社の敗訴部分を取り消し、同原告の(二)請求のうち棄却された損害賠償金二〇万円及びこれに対する昭和六三年二月二一日(甲事件訴状送達の日の翌日)以降の民法所定の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求めるものであって、原告美術織物は、原判決中の同原告の著作権侵害に関する(三)及び(四)(4)請求に係る部分につき附帯控訴していないから、当審の審理対象は、前記原告らの請求のうち、原告美術織物の著作権に関する請求を除く、その余の原告らの請求に係る部分である。

第三  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及びその代表者の身分関係等

(一) 亡龍村平蔵(以下「初代平蔵」という。)は、明治時代に織物業を始め、織物の研究等に功績を残すとともに高級帯地の製造に力を注ぎ、昭和三一年に芸術院恩賜賞を、昭和三三年には紫綬褒賞を受けた。初代平蔵の二男が亡龍村謙(以下「訴外謙」という。)であり、三男が被告、四男が昭和六三年当時の原告織寳本社の代表者龍村徳(以下「龍村徳」という。)、六男が原告美術織物の代表者龍村元(以下「龍村元」という。)である。

(二) 初代平蔵の事業は、戦前より右事業に従事していた訴外謙により承継され、同人は昭和二三年に至り龍村織物株式会社を設立したが、同社は昭和二四年秋ころ経営危機に陥った。龍村徳や龍村元は、昭和三〇年一二月、原告美術織物を設立して、訴外謙の事業を承継・再建し、創業以来、高級帯地や裂地を製造販売している。同原告の昭和六三年当時の年商は約二〇〇億円である。

(三) 原告織寳本社は、原告美術織物に密接に関連する会社であり、不動産、商標権の所有、賃貸、管理、運営を行う会社である。

(四) 被告は、織物、室内装飾品、袋物、和装小物、帯及び帯地の製造販売を営むものである。

2  被告の不正競争行為

(一) 帯地メーカーとしての原告美術織物の著名性

(1) 原告美術織物製の帯地は、初代平蔵の長年にわたる研究の成果を基盤に、伝統のある京都西陣の地において、熟練した技術者の手織りで製織されており、その販売は、百貨店の高島屋グループとその他の業者の二つの流通経路によっている。

(2) 高島屋グループへの帯地は、タレの部分に「龍村平蔵製」の商標と商品名が金色で横書きされており、関係者はこれを「錦帯」(キンタイ)と呼んでいる。他の業者への帯地には、タレの部分に「龍織」、「龍村製」、「たつむら」などの商標と商品名が金色で横書きされており、原告美術織物内ではこれを「龍織」(タツオリ)と呼んでいる。この帯地は、原告美術織物から関西、関東の大手の卸売業者に販売されるほかに、直接全国の百貨店その他の小売業者にも販売されている。「錦帯」も「龍織」も柄数は五〇〇を越え、地色の違いを数えると、いずれも一〇〇〇を越える図柄・模様(以下、単に「模様」という。)がある。

(3) 原告美術織物製の帯地や帯は、このようにして高島屋の各店や三越、伊勢丹、大丸、松阪屋などの一流百貨店や全国の多数の有名呉服店で展示販売されてきた。高島屋をはじめこれらの百貨店の主要店舗では毎年定期的に、その他では随時、原告美術織物の帯地の展示会を開き、同原告もまた毎年定期的に東京、京都、名古屋で展示会を開き、広告宣伝に努めてきた。

(4) 原告美術織物製の帯地は質的に極めて優れており、龍村一族で他に帯地の製造に携わるものはなかったので、原告美術織物や取級店の営業活動と相まち、同原告は設立後数年を経ずして、初代平蔵の技術と業績を承継する唯一のものとして広く知られ、同原告製の帯地は、一般需要者の間でも「龍村の帯」として高く評価され愛用されるようになり、その後も時の経過とともに評価を高め、一般需要者の間に広く浸透し、原告美術織物は帯地メーカーとして益々有名になった。ちなみに、昭和三五・三六年、昭和四五・四六年には、各種出版物(甲二三~二六、五五)によりその旨が紹介された。

(二) 原告美術織物の代表銘柄としての周知性

(1) 原告美術織物製の帯地の中でも、代表銘柄ともいうべき特に人気の高いものが十数銘柄あり、その中に原告第一製品-袋帯地「威毛錦」-、同第二製品-袋帯地「千代の冠錦」-、同第三製品-丸帯地「大牡丹印金錦」-がある。原告第一ないし第三製品は、いずれも原告美術織物設立当初からの製品で、高島屋グループにより販売される錦帯である。

人気銘柄については、地色に色変わりがあり、原告第一製品には白、黒、緑の三種があり、昭和六〇年以降に紫、金、サックスが加わった。同第二製品には白、黒の地色、同第三製品には白、黒、緑、朱の地色がある。

(2) 高島屋グループは、現在関東地方に東京、横浜、高崎、柏、玉川、大宮の六店舗、関西地区に大阪、京都の二大店舗、岡山、米子、岐阜に各一店舗等を有している。同グループでは、昭和三〇年の原告美術織物設立当初から、同原告の帯地の製造販売に極めて協力的で、東京店と大阪店の呉服売場の中に「錦帯」など原告美術織物製品のための特別コーナーを設けて、特別の優良商品として顧客にアピールし、数年後には京都店にも、また昭和五二年には横浜店にも同様のコーナーが設けられた。そして、東京店、大阪店、京都店では、昭和三〇年代から、その後横浜店でも、毎年定期的に「錦帯」の展示会を催し、毎回多数の顧客の来店を得て実績を積んできた。

(3) 原告第一ないし第三製品は、右特別コーナーや展示会で特に目につきやすい場所に展示され、印刷物にも掲載されることが多く、後記のように、原判決別紙第一ないし第三原告製品目録(以下、単に「第一原告製品目録」等という。その他の原判決別紙製品目録についても同じ。)に記載の特徴のあるそれぞれの模様で顧客の目をひき、これによって、高級帯地メーカーとして著名な原告美術織物製帯地である「龍村の帯」の中の代表銘柄としてよく知られるようになり、昭和四〇年代初めころまでには、帯等を扱う取引者はもちろん、東京圏と京阪神地区の一般需要者にも、これらの柄の特徴は原告美術織物製の帯地であることを示すものとして広く知られるようになり、それらの模様は、遅くとも昭和四〇年代半ばまでには全国的に周知となった。

(三) 被告の帯、帯地に関する不正競争行為

(1) 被告は、昭和五七年ころから被告第一ないし第三製品を製造販売している。これらのタレの部分には金色の篆書風書体で、「龍村晋謹製」との製作者名と、被告第一製品には「如源綾縅文錦」、同第二製品には「如源鵬冠錦」、同第三製品には「大牡丹唐草錦」の各商品名とが金色で横書きされている(昭和五九年までは、被告第一製品の商品名を「縅毛錦」、同第二製品の商品名を「千代之冠」としていた。)。

(2) 原告第一製品の模様と被告第一製品の模様

原告第一製品の模様は、第一原告製品目録記載<1>ないし<5>のとおりであり、このような構成により、全体として鎧の袖による若々しく華やかな日本的な美しさを巧みに織り出しており、特に<1>ないし<4>の点は一体となって観者に強い印象を与え、原告美術織物製の商品であることを示す模様の特徴として、遅くとも昭和四〇年代半ばまでに、帯等を扱う取引者はもちろん需要者の間にも広く知られるところとなった。

これに対し、被告第一製品の模様は、白地のものも黒地のものも、右<1>ないし<5>の点をすべて備えている。わずかに異なる点は、手先にも太鼓と同じ模様を配しており、かつ手先、腹紋、太鼓、替太鼓の四つの模様がすべて向きを同じくすることと、鎧の袖の配色等が多少違うだけである。

したがって、被告第一製品の模様は、原告第一製品の模様の広く知られた特徴をすべて備え、極めてよく似た模様であるから、被告が被告第一製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

(3) 原告第二製品の模様と被告第二製品の模様

原告第二製品の模様は、第二原告製品目録記載<1>ないし<6>のとおりであり、このような構成により、おめでたい鶴の王冠に美しい瓔珞(ヨウラク=インドの貴族男女が珠玉や貴金属を編んで頭、首、胸にかけた装身具)を配し、祝意を込めて調和のある麗しさを織り出しており、右<1>ないし<6>の点は一体となって観者に強い印象を与え、原告美術織物製の商品であることを示す模様の特徴として、遅くとも昭和四〇年代半ばまでに、帯等を扱う取引者はもちろん需要者の間にも広く知られるところとなった。

これに対し、被告第二製品の模様は、右<1>ないし<6>の点をすべて備えている。異なる点は、微妙な配色の違いと、太鼓と替太鼓の紋様の向きが同じであることと、極めてわずかな図形の違いであるが、その差異を見つけるのが難しい程である。

したがって、被告第二製品の模様は、原告第二製品の模様の広く知られた特徴をすべて備え、極めてよく似た模様であるから、被告が被告第二製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

(4) 原告第三製品の模様と被告第三製品の模様

原告第三製品の模様は、第三原告製品目録記載(一)及び(二)の<1>ないし<5>のとおりであり、このような構成により、牡丹の花の美しさと印金の手法と配色の妙により、絢爛豪華な美しさを織り出しており、右(二)の<1>ないし<4>の点は一体となって観者に強い印象を与え、原告美術織物製の商品であることを示す模様の特徴として、遅くとも昭和四〇年代半ばまでに、帯等を扱う取引者はもちろん需要者の間にも広く知られるところとなった。

これに対し、被告第三製品の模様は、右(二)の<1>ないし<3>の点を備えかつ図柄も酷似するうえ、同<4>の点についても印金の代わりに金糸を用い、よく似た配色により、簡略な手法によって類似点の多いものとしている。

したがって、被告第三製品の模様は、原告第三製品の模様の広く知られた特徴のうち右(二)の<1>ないし<3>を備え、同<4>についても類似し、全体としてよく似た模様であるから、被告が被告第三製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

(四) 龍村裂

(1) 原告美術織物製の裂地は、一二〇センチートルの広幅で先染紋織絹織物(経錦)であり、同原告設立当初は柄数もわずかであったが、早くから新製品の開発に努めた結果、最近では八〇を越え、柄の大小、地色の違いも数えると、その模様の数は二〇〇に達し、年間の総生産量は二万数千メートルである。

その模様は三つに大別でき、正倉院などに保存されている古代裂、それより新しく室町時代から江戸時代にかけて外国から入ってきたいわゆる名物裂、外国に保存されている古代の裂地その他の模様によるものがある。量的には正倉院のものが最も多く、名物裂によるものがこれに続く。いずれも応用品であるので、模様は原典の忠実な復元ではなく、色については特に現代向きに工夫を凝らし、原告美術織物の創作といってよいもので、時代を越えた美しく格調の高い模様である。

(2) 原告美術織物製裂地の約八〇パーセントは、自社で加工される。内訳は、テーブルセンターに約五〇パーセント、仕立帯に約二〇パーセント、ハンドバッグ、財布などの袋物、和装小物、ネクタイなどに約一〇パーセントが用いられる。テーブルセンターで最も多いのは縦五〇センチメートル、横三〇センチメートルのものであり、原反一メートルから八枚製造できる。財布などでは、さらに多くのものが製造できるので、加工された商品の数はさらに多くなる。

これらの商品は、いずれも模様の由来に関する原告美術織物名義の説明文を付して販売され、一般需要者は、原告美術織物の営業所、同原告が直接納入する各百貨店、卸売業者を通じて仕入れる小売店で購入する。主力商品であるテーブルクロスは、記念品などの大口注文が直接原告美術織物にくることが多いため、その約四〇パーントは、自社で直接需要者に販売している。

原告美術織物製裂地の残り約二〇パーセントは、原反のまま販売され、袋物、茶道具関係、ネクタイ、人形などの製造に用いられ、これらの商品の販売の際にも模様の由来に関する説明文が付されることが多い。また、模様によってはインテリヤ関係にもよく用いられる。

(3) このように、原告美術織物製の裂地は用途が広いので、同原告は、あらゆる機会を利用して各種の展示会に努めて出品し、また、多数の人が集るホテル等の建物内の常設の展示場にも数多く出品している。

(4) 原告美術織物製裂地の加工品は、全国的に広く販売され、また引出物や記念品等として、多数の人に配付されることも多く、中でもテープルセンターと茶道具関係では原告美術織物製の裂地を用いたもののシェアは八〇パーセント以上とされており、和装小物類においても相当高いシェアと推定されている。また、同原告製裂地は、海外においてもよく知られているので、海外に赴く人の土産物としても多く利用されている。

(5) このように、原告美術織物製の裂地とその加工品は、多数の人の目にとまり愛用される機会も多く、また、模様の多くは古代裂、名物裂などからとり、色数を多く使い、色調と配色に特別の工夫を凝らして、現代的な格調の高い優れた模様とした特徴のあるもので、模様の由来も明らかであり、このような裂地とその特徴を生かした加工品を常時多量に製造販売している業者は他にないので、原告美術織物製の裂地は、遅くとも昭和三〇年代の終わりまでには、その種の製品を扱う取引者はもちろん一般需要者の間にも、「龍村裂」として全国的に知られ、多くの愛好者を得るようになった。

(五) 個別銘柄の周知性

(1) 「龍村裂」の評価が高まり著名になったので、古くからの銘柄はいうまでもなく、新しく製造販売される銘柄についても、トップクラスのものでは販売開始後二、三年、中位のものでも四、五年で、その種の製品を扱う取引者はもちろん広く一般需要者にも、その模様が知られるようになった。

(2) 原告美術織物は、原告第七製品-先染紋織の絹織物裂地「唐花隻鳥長斑錦」-の中柄を同原告設立当初から、同小柄を昭和三六年から製造販売している。最も人気のある銘柄の一つであり、そのテーブルセンターは特に好評で、大きいものには中柄、小さいものには小柄の需要が多い。また、茶道具関係などでも好評であり、昭和三〇年代終わりまでには、後記のようにその模様について広く知られるようになった。

(3) 原告美術織物は、原告第五製品-先染紋織の絹織物裂地「鹿文有栖川錦」-を昭和三八年から、同第六製品-先染紋織の絹織物裂地「山羊花卉文錦」-の中柄ローズ地を昭和四一年から製造販売している。人気はともに中の上であり、テーブルセンター、茶道具関係などに人気がある。いずれも、遅くとも昭和四三年ころまでには、後記のようにその模様について広く知ちれるようになった。

(4) 原告美術織物は、原告第四製品-先染紋織の絹織物裂地「天平双華文錦」-の赤地を昭和三二年ころから製造販売している。人気は中位であり、財布、人形、インテリヤ関係などによく用いられ、製造開始時期も早いので、遅くとも昭和四〇年代前半には、後記のようにその模様について広く知られるようになった。

(六) 被告の裂地に関する不正競争行為

(1) 被告は、昭和五〇年ころから第四被告製品目録記載(一)-「天平双華文錦」-、第七被告製品目録記載(一)-「天平唐花双鳥文長斑錦」-、昭和五二年ころから第五被告製品目録記載(一)-「有栖川錦」-、第六被告製品目録記載(一)-「山羊花卉文錦」-の各裂地を、いずれも群馬原下の業者に下請させて製造し、その大部分を使用してテーブルセンター、袋物、帛紗、和装小物など(第四ないし第七被告製品目録記載(二)の各製品)を製作して販売し、一部は裂地のまま販売している。

(2) 原告第四製品の模様と被告第四製品の模様

原告第四製品(赤地)の模様は、第四原告製品目録記載<1>ないし<7>のとおりであり、このような構成により、赤地に抽象化された白い六弁花文と緑色の菱形花文の形の整った二つの装飾模様を整然と配置し、配色の妙と相まって、天平時代の優れた錦に見られるような格調の高い美しさを織り出しており、特に右<1>ないし<5>の点は、その特徴の主要な点であって、一体となって観者に強い印象を与えるものである。この裂地は、遅くとも昭和四〇年代前半には周知となり、右<1>ないし<5>の点は、原告美術織物製の裂地であることを示す模様の特徴として、この裂地を使用して製作されたテーブルセンター、袋物、和装小物、茶道具、人形、インテリヤ関係などの需要者に広く知られるところとなった。

これに対し、第四被告製品目録記載(一)の裂地の模様は、右<1>ないし<7>の点をすべて備えており、わずかに異なる点は、微妙な色の違いの他は、肉眼では分からないほどの細かい点である。

したがって、第四被告製品目録記載(一)の裂地は、原告第四製品の模様の広く知られた前記特徴をすべて備えており、同目録記載(一)の裂地を用いて製作された同目録記載(二)の各製品は、原材料である裂地の模様の特徴をそのまま保有するので、原告美術織物製の同種の商品と混同されるおそれがあり、このような裂地及び製品、すなわち被告第四製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

(3) 原告第五製品の模様と被告第五製品の模様

原告第五製品の模様は、第五原告製品目録記載<1>ないし<6>のとおりであり、このような構成により、燈色の地に抽象化した特徴のある鹿とこれを囲む枠からなる極めて直線部分の多い図形を、中間色を多く用いて表わし、名物裂の図案を生かしながら、配色の妙により独特の面白さをもつ美しい模様を創作している。特に右<1>ないし<4>の点は、その特徴の主要な点であって、一体となって観者に強い印象を与えるものである。この裂地は、遅くとも昭和四三年ころまでには周知となり、右<1>ないし<4>の点は、原告美術織物製の裂地であることを示す模様の特徴として、この裂地を使用して製作されたテーブルセンター、茶道具、袋物、和装小物などの需要者に広く知られるところとなった。

これに対し、第五被告製品目録記載(一)の裂地の模様は、右<1>ないし<6>の点をすべて備えており、わずかに異なる点は、微妙な色の違いの他は、肉眼では分からないほどの細かい点である。

したがって、第五被告製品目録記載(一)の裂地は、原告第五製品の模様の広く知られた前記特徴をすべて備えており、同目録記載(一)の裂地を用いて製作された同目録記載(二)の各製品は、原材料である裂地の模様の特徴をそのまま保有するので、原告美術織物製の同種の商品と混同されるおそれがあり、このような裂地及び製品、すなわち被告第五製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

(4) 原告第六製品の模様と被告第六製品の模様

原告第六製品(中柄ローズ地)の模様は、第六原告製品目録記載<1>ないし<6>のとおりであり、このような構成により、落ち着いたローズ色の地に、動植物や瑞雲を表わす多くの図形からなる上下左右に対称な紋様をベージュ色一色で描いて、万物共存の喜びを表わすような調和と動きのある美しい模様を作り出している。特に右<1>ないし<3>の点は、その特徴の主要な点であり、一体となって観者に強い印象を与えるものである。この裂地は、遅くとも昭和四三年ころまでには周知となり、右<1>ないし<3>の点は、原告美術織物製の裂地であることを示す模様の特徴として、この裂地を使用して製作されたテーブルセンター、茶道具、袋物、和装小物などの需要者に広く知られるところとなった。

これに対し、第六被告製品目録記載(一)の裂地の模様は、右<1>ないし<6>の点をすべて備えており、微妙な色調の違いの他は、差異を見出すのは難しい。

したがって、第六被告製品目録記載(一)の裂地は、原告第六製品(中柄ローズ地)の模様の広く知られた前記特徴をすべて備えており、同目録記載(一)の裂地を用いて製作された同目録記載(二)の各製品は、原材料である裂地の模様の特徴をそのまま保有するので、原告美術織物製の同種の商品と混同されるおそれがあり、このような裂地及び製品、すなわち被告第六製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

(5) 原告第七製品の模様と被告第七製品の模様

原告第七製品(中柄及び小柄)の模様は、第七原告製品目録記載<1>ないし<6>のとおりであり、このような構成により、赤、青、朱、緑、紫、黄緑の太い縦縞地を黄色の細縞で明確に区切り、これに白で大きな花と双鳥を表わして、多くの色の太い縞からなる美しい模様としたものである。特に、右<1>ないし<4>の点はその特徴の主要な点であり、一体となって観者に強い印象を与えるものである。この裂地は、遅くとも昭和三〇年代の終わりには周知となり、右<1>ないし<4>の点は、原告美術織物製の裂地であることを示す模様の特徴として、この裂地を使用して製作されたテーブルセンター、茶道具、袋物、和装小物などの需要者に広く知られるところとなった。

これに対し、第七被告製品目録記載(一)の裂地の模様は、右<1>ないし<6>の点をすべて備えており、わずかに異なる微妙な色調の違いの他は、差異を見出すのは難しい。

したがって、第七被告製品目録記載(一)の裂地は、原告第七製品の模様の広く知られた前記特徴をすべて備えており、同目録記載(一)の裂地を用いて製作された同目録記載(二)の各製品は、原材料である裂地の模様の特徴をそのまま保有するので、原告美術織物製の同種の商品と混同されるおそれがあり、このような裂地及び製品、すなわち被告第七製品を製造、販売又は販売のために展示することは、不正競争防止法二条一項一号に該当する。

3  被告の意匠権侵害行為

原判決六丁表三行目冒頭から八行目末尾までに記載のとおり(但し、原判決意匠権目録記載一の意匠に係る物品の項に「織物他」とあるのを「織物地」と、同二1の「暈繝」を「暈繝」と、同第八被告製品目録記載(一)の「裂地花文暈繝錦」を「裂地花文暈繝錦」と各改める。なお、暈繝〔ウンゲン〕とは、同色系統の濃淡を断層的に表わし、さらにこれと対比的な他の色調の濃淡を組み合わせることによって、一種の立体感や装飾的効果を生み出してゆく彩色法である。)。

4  被告の著作権侵害行為

原判決六丁表一〇行目冒頭から同丁裏五行目末尾までに記載のとおり(但し、六丁表一〇行目の「原告第四商品」を「原告第四製品」と改める。)。

5  被告の商標権侵害行為

原判決六丁裏七行目冒頭から七丁表二行目末尾までに記載のとおり(但し、原判決原告商標目録記載(一)、(二)の各上段末尾に「更新登録日 平成三年九月二七日」を加える。)。

6  損害の発生及び数額

原判決七丁表四行目冒頭から八丁表四行目末尾までに記載のとおり。

二  請求原因に対する認否

1  当事者及びその代表者の身分関係等について

請求原因1(一)事実は認め、同(四)の事実は被告及びその関係会社(以下、個人及び法人両名をもって、単に「被告」という。)がしていることとして認め、同(二)、(三)の事実は知らない。

2  被告の不正競争行為について

請求原因2については、原告美術織物が原告第一ないし第七製品を製造販売していること、被告が被告第一ないし第七製品を製造販売していることは認め、第一ないし第七被告製品目録記載の模様が、これと対応する原告第一ないし第七製品の模様にそれぞれ類似していることはあえて争わないが、原告第一ないし第七製品の模様が原告美術織物の商品を示すものとして日本国において周知著名であるとの点は否認する。

【原告第一ないし第七製品の模様の商品表示機能について】

(一) 帯や裂地に織られた模様は、本来、帯や裂地に美感を与えまた高めるものであって、帯や裂地の出所を表示することを目的とするものではない。もっとも、右模様が副次的に自他商品の識別機能を持つことがあり、右模様が自他商品識別機能を持ち、ひいては出所表示機能を取得した場合に限り、右模様は商品表示たり得る。しかしながら、帯や裂地の模様が自他商品の識別機能を持ち特定の出所を表示するようになるためには、右模様には他商品と異なり特に奇想天外で独創的な特徴があるという顕著な特色があり、長期にわたり独占的・継続的に使用され、強力に宣伝広告されたというような諸事情の下に、右模様が周知著名なものとなり、他のものから区別される個性のあるものでなければならない。

(二) これを本件についてみるに、まず、原告第一ないし第七製品の模様は他者商品の模様と顕著に異なる特色や独自の特徴を持つものではなく、右各模様が原告美術織物によって長期にわたり独占的・継続的に使用された事実もない。その理由は、左記のとおりである。

(1) 原告第一製品の模様は、初代平蔵が創作し、同人もしくは龍村商店が製造販売していた帯の模様と同一である(乙五)。右模様は、鎧の袖四枚と桜花及びもみじが配されているところ、桜花及びもみじはごく普通のもので特殊性がなく、取引者・需要者の注意を引く要部は鎧の袖にある。鎧の袖はそれ自体古来から存在するものであり、右模様にある鎧の袖も抽象化されあるいは特殊な形に変形されたりしていない独創的要素のない写実的な形状であり、取引者・需要者は「並日通の鎧の袖」の形状と認識するに止まるものである。また、原告第一製品の他に、鎧の袖を模様とするものには、初代平蔵もしくは龍村商店が昭和一三年ころ製造販売していたもの(乙四の2)や、第三者の製品(乙三七の2~4、6、7、14、四〇の1~3)がある(別紙第一目録参照)。これらを比較すると、原告第一製品の模様は、他者商品の右各模様と顕著に異なる特色を有するものでないことが明らかである。

(2) 原告第二製品の模様は、訴外謙が創作し、初代平蔵もしくは龍村商店が製造販売していた帯の模様と同一である(乙五)。右模様は、王冠と鶴と瓔珞が配されているところ、瓔珞はそれ自体普遍的なものではないとしても、取引者・需要者の注意を引く要部は王冠と鶴にある。また、初代平蔵もしくは龍村商店が昭和一三年ころ製造販売していたもの(乙四の2)や、第三者の製品(乙四〇の4の1~4)にも類似の模様が使用されている(別紙第二目録参照)。

(3) 原告第三製品の模様は、初代平蔵が創作し、同人もしくは龍村商店が製造販売していた帯の模様と同一である(乙五)。右模様は、牡丹の花及び唐草であるが、牡丹や唐草をモチーフとする模様は古来より数限りなく使用されてきた模様であり(乙一〇、一四、一五、三八、四七の1~3、四八~五一)、初代平蔵もしくは龍村商店が、昭和八年ころには右模様を付した商品を製造販売しており(乙四の1)、また、第三者も帯の模様(乙三七の3、4、6、9~13、15~32、四〇の5、6)として数多く使用している(別紙第三目録参照)。これらを比較すると、原告第三製品の模様は他者商品の右各模様と顕著に異なる特色を有するものではなく、取引者・需要者の意識下では埋没してしまうものである。

(4) 原告第四製品の模様は、正倉院に伝わる古代裂「赤地花文錦」(乙七の1、八)とほぼ同一であり、初代平蔵もしくは龍村商店が、昭和一三年には右模様を付した商品を製造販売しており(乙五)、また、第三者によって同一もしくは類似の模様(乙九、一七の31~34)が使用されている(別紙第四目録参照)。

(5) 原告第五製品の模様は、前田家に伝わる名物裂「有栖川錦(鹿文様)」(乙一〇、一三)とほぼ同一であり、初代平蔵が右原典に基づいて創作し、同人もしくは龍村商店が、昭和一三年には右模様を付した商品を製造販売しており(乙四の1、四三の1の1~3)、また、第三者によって同一もしくは類似の模様(乙一四、一六の42~50、一七の1~17、三一の11~13、三七の1、3、5、8、9、12、四〇の7、8、五四の1、2)が使用されている(別紙第五目録参照)。

(6) 原告第六製品の模様は、正倉院に伝わる古代裂「紫地山羊花文錦」

(乙七の2、八)と同一であり、第三者によって同一もしくは類似の模様(乙一七の35~39、三一の14、15)が使用されている(別紙第六目録参照)。

(7) 原告第七製品の模様は、正倉院に伝わる古代裂「花鳥文長斑錦」(乙七の1、八)とほとんど同じであり、初代平蔵もしくは龍村商店が、昭和一四年には右模様を付した商品を製造販売しており(乙四の3)、また、被告自身も昭和二〇年代には右模様を使用している(乙六の5)。更に、第三者によって同一もしくは類似の模様(乙一六の28~41、一七の18~30、三一の6~10、四〇の9)が使用されている(別紙第七目録参照)。

(8) 右(4)ないし(7)によれば、原告第四ないし第七製品の模様は、いずれも古来より長期間にわたり数多くの品に使用されてきた模様と何ら顕著に異なる特色もしくは独自の特徴を有するものではなく、取引者・需要者の意識下では埋没してしまうものである。

(三) また、原告美術織物は、特設売場、営業所、展示会、催事場で展示したと主張する。しかし、これらは商品を購入する者に対してのみなされる販売を前提としての展示であり、不特定多数に対する宣伝広告ではないし、しかも、販売のための展示といっても、原告第一ないし第三製品の模様の付された帯は高島屋グループに直接販売され、あるいは直営店で需要者に直接販売され、原告第四ないし第七製品の模様を付された商品は直営店や一流百貨店で販売されているのである。そうだとすれば、詰るところ原告美術織物は、その商品を愛用する限られた顧客に対してのみ販売するという企業方針に基づいて販売活動を行っているものと考えられ、原告第一ないし第七製品の模様が付された商品が強力に宣伝広告されたとはいえない。そして、右のように原告美術織物が独特の商品販売方法をとっている以上、原告第一ないし第七製品の模様が、多数の業者(呉服商等)及び一般需要者の目にふれることは少なく、その印象に残ることも少ない。

(四) 以上によれば、右各模様が周知著名なものとなり、他のものから区別される個性のあるものとなっているとは到底いえず、右各模様には自他商品識別機能も出所表示機能もないから、原告美術織物の商品表示たり得ない。【原告第一ないし第七製品の模様の他人性について】

(一) 仮に、原告第一ないし第七製品の模様が商品表示たり得るとしても、その主体は、原告美術織物ではなく「龍村」である。すなわち、初代平蔵は、大正から昭和にかけて、正倉院の宝物の裂地などを研究・復元し、それらの模様を自由に織り出す技法を得て、帯地や裂地を創作した。原告第一ないし第七製品は、いずれも初代平蔵の業績にかかる模様を基礎にしているところ、それらの模様を使った織物は、戦前から戦後にかけて、初代平蔵の製織にかかる「龍村の織物」として著名であった。そして、原告第一ないし第七製品の模様が織られた商品を最初に製造販売したのは、初代平蔵もしくは龍村商店もしくは龍村製織所(明治三九年開設)もしくは龍村織物美術研究所(昭和九年創設)もしくは龍村織物株式会社(昭和二三年設立)であるので、右各模様(商品表示)の付された商品に接した取引者・需要者が右商品の出所と認識するのは「龍村」というべきである。

(二) 初代平蔵は、訴外謙(二男)と被告(三男)を龍村家の事業承継者・継続者と定め、被告は、訴外謙とともに初代平蔵の薫陶を受け、昭和一五年以降、粉骨砕身「龍村」の事業の発展に寄与してきたのであって、右「龍村」には被告も当然包含されている。

(三) 原告美術織物が初代平蔵の事業の後継者として右「龍村」という商品表示の主体を承継したのと同様に、被告もまた初代平蔵の事業の後継者として、後記昭和二六年四月一日付合意(本件合意)により確認されているから、右「龍村」という商品表示の主体を正当に承継している。

(四) したがって、商品表示としての原告第一ないし第七製品の模様の主体は、被告にとって「他人」ではない。

【被告第一ないし第七製品製造販売行為について】

(一) 仮に、原告第一ないし第七製品の模様が原告美術織物の商品を表示するものとして、不正競争防止法の保護の対象になるとしても、後記(二)、(三)の理由により、被告が被告第一ないし第七製品を製造し販売する行為は、同法に違反しない。

(二) 被告の商品(被告第一ないし第七製品)とこれに対応する原告美術織物の商品との混同が生じることはなく、取引者・需要者が被告の商品を原告の商品と認識し購入するおそれはない。

すなわち、原告美術織物の商品のうち、原告第一ないし第三製品の模様が付されている商品には、「龍村平蔵製」もしくは「たつむら」、「龍村製」、「龍織」なる商標と商品名「威毛錦」、「千代の冠錦」、「大牡丹印金錦」が金色で横書きされており、原告第四ないし第七製品の模様が付されている商品には、「龍村織物美術研究所」の名称が記入されている。他方、被告の商品には「伝承名錦龍村晋製」の名称が商品名とともに記入されている。したがって、いずれの商品にも、その出所を明示する表示が付されており、取引者・需要者が混同することはない。

また、原告美術織物の商品は、前示の販売方法により、高島屋グループや同原告の商品のみを取り扱う自社直営店で販売されており、他方、被告の商品は、取引業者の特別注文や、適宜開催される展示会に展示販売されるのであって、両者の商品は、販売方法・販路が異なるため、取引者・需要者の層が異なり、彼我混在し相紛れることはない。

(三) 右のとおり、被告の商品と原告美術織物の商品との混同が生じることがないので、被告が被告第一ないし第七製品を製造販売することにより、同原告の営業上の利益が害されることはない。

3  被告の意匠権侵害行為について

請求原因3の事実は製造販売開始時期の点を除き認める。

4  被告の著作権侵害行為について

原判決一〇丁裏二行目の「同4」から九行目末尾までに記載のとおり。

5  被告の商標権侵害行為について

原判決一〇丁裏一〇行目の「同5(一)」から一一丁表三行目末尾までに記載のとおり(但し、一一丁表二行目の「商標として」の前に「出所表示としての」を加える。)。

6  損害の発生及び数額について請求原因6の事実は否認する。

三  抗弁

1  不正競争行為について

(一) 明示の承諾(乙一の合意=本件合意)

原判決一一丁表七行目の「被告は」から一二丁表一行目末尾までに記載のとおり(但し、一一丁表八行目の「龍村元と袂を別ったが」を「龍村元とは龍村織物株式会社の再建をめぐって意見を異にし所期の計画を全うできなかったので、東京にてそれなりに龍村家の事業を継続させるために袂を別ったが」と、同丁裏九行目から一〇行目にかけての「家業の承継についての事業分割の取決め」を「当時経営危機に陥っていた龍村家の事業再興を目的とする事業分担の取決め」と各改め、末行の「龍村徳も」の前に「同月二日、」を加え、末行の「本件合意」から一二丁表一行目末尾までを改行のうえ、「本件合意は、初代平蔵の後継者である訴外謙及び被告との間で、初代平蔵の事業を絶やすことなく継承発展させるためになされたものであり、具体的には初代平蔵及び訴外謙ないし龍村織物株式会社が創作製造したすべての商品のすべての模様について、訴外謙(二男)、被告(三男)、龍村徳(四男)の各々が使用してその製品を販売できるものの、特に販売先の中心であった高島屋への製品につき、訴外謙が手織りによる高級な美術織物を担当し、被告が機械織りによる大量生産品を担当するというものである。龍村元(六男)は、本件合意の当時二七歳であって教職に就いており、初代平蔵の事業には全く関与しておらず、本件合意成立の経緯を知り得ない立場にあったが、昭和二八年ころから家業を手伝うようになり、訴外謙や龍村徳が本件合意に基づき初代平蔵の事業を承継するために昭和二九年三月に設立した有限会社龍村美術織物(原告美術織物の前身)や原告らに深く関与している者であり、本件合意に拘束されるものである。被告は、本件合意に基づいて被告第一ないし第七製品を製造販売しているものであり、被告の右製造販売行為は、正当な行為である。」と改める。)。

(二) 先使用(不正競争防止法一一条一項三号)

被告は、被告第一ないし第七製品を後記製造販売開始時期から現在まで継続して製造販売しているが、右各製品に使用されている模様に対応する原告第一ないし第七製品の模様は、初代平蔵もしくは訴外謙の創作にかかるもので(但し、訴外謙が創作したのは原告第二製品の模様だけであり、その余は初代平蔵が創作した。)、初代平蔵が後記使用開始時期、すなわち原告第一ないし第七製品の模様が原告美術織物(昭和三〇年設立)の商品表示として周知性を獲得する以前から使用していたものであって、被告は、昭和二六年四月一日に成立した本件合意により、機械織りの分野で初代平蔵の事業とともに模様の使用を承継したものである。そして、被告は、被告各製品の製造販売を開始するにあたり、本件合意により右各模様の使用を承諾されたものと認識しており、また、被告の商品(被告各製品)と原告美術織物の手織りによる高級な商品とは販路も販売方法も市場も異なり顧客が競合することがないから、被告には同原告と不正な競争をする目的もない。したがって、被告が被告第一ないし第七製品を製造販売する行為は、不正競争防止法二条一項一号に該当しない。

【製品・模様】 【被告の製造販売開始時期】【初代平蔵の使用開始時期】

被告第一製品 昭和四五~四六年 大正初め

被告第二製品 昭和四六~四七年 昭和一二~一三年

被告第三製品 昭和四五年 大正初め

被告第四製品 昭和二六~二七年 大正

被告第五製品 昭和二八~二九年 大正一二年ころ

被告第六製品 昭和二八~二九年 昭和一六~一七年

被告第七製品 昭和二六~二七年 昭和一四年

(三) 著作権(旧不正競争防止法六条)

(1) 原告第一製品、第三ないし第七製品の模様は、いずれも初代平蔵の創作にかかる著作物であって、その著作権は同人が所有していたところ、被告が昭和二五年一二月龍村商工株式会社を設立するにあたり、初代平蔵は、被告に対し右著作物を利用することを許諾するか、少なくとも黙示の承諾をした。昭和三七年四月一一日、初代平蔵が死亡したため、右著作権は、その子である訴外謙、被告、龍村徳、龍村元らが共同相続し、同時に被告に対する右著作物を使用させる債務も共同相続した。

(2) 原告策二製品の模様は、訴外謙の創作にかかる著作物であり、同人が著作権を所有していたところ、昭和五三年五月ころ、同人はその子龍村順に株式会社龍村光峰美術織物を承継させるにあたり、被告に順の後見をするよう依頼し、その際右模様の帯地・帯を製造販売することを承諾して、被告が右著作物を利用し複製頒布することを許諾した。同年一一月二八日訴外謙が死亡し、右著作権は順が相続し、同時に被告に対する右著作物を利用させる債務も相続した。

(3) 右各模様は、帯・布等の実用品に利用され、量産されることを目的とするいわゆる応用美術に該当するが、同時に感情的表現を顕現させ純粋美術としての絵画等に該当し美術性を具備しているから、美術の著作物に該当するものである。

(4) 旧不正競争防止法六条には著作権法による権利の行使については明記されていないが、著作権も排他的・独占的権利であり、その行使にも右条文を類推適用すべきである。

(四) 黙示の承諾

被告は、前記(二)の製造販売開始時期から被告第一ないし第七製品を製造販売してきたが、被告の動向を常に注視し争訟してきた原告美術織物としては、被告の行為を熟知し、同原告において被告各製品に対応する原告第一ないし第七製品の模様がそれぞれ同原告の商品表示として周知性を獲得したと主張している時期から時を経ずして本件訴訟を提起し得たにもかかわらず、その後二〇年以上被告の製造販売行為を放置してきた。すなわち、原告美術織物は、被告が右被告各製品を製造販売することを黙示的に承諾した。

(五) 権利の濫用・信義則違反

(1) 被告は、昭和一五年より初代平蔵の薫陶を受け、同人を兄である訴外謙とともに補佐し、昭和一六年から昭和二〇年まで応召していた訴外謙に代わり大黒柱となって「龍村の事業」を取り仕切り、その後も粉骨砕身働き続け、「龍村の事業」の発展に特別な寄与をした。原告美術織物は、被告が右のように維持し発展させた「龍村の事業」を承継したのであるから、同原告が、自らの存在の維持とその発展に寄与した被告に対し、その生計の基でありかつ生涯の事業である被告第一ないし第七製品の製造販売行為を差し止めることは信義則に反し、権利の濫用にあたり許されない。

(2) 初代平蔵は、自ら起こした研究や事業を一人自らのものとせず、その子や使用人らが仲良く継承することを望んでいた。右のような考えで事業を展開した初代平蔵の共同相続人である龍村徳や龍村元が代表者等である原告美術織物が、「龍村の事業」を承継するにあたり、代表者らの兄(初代平蔵の共同相続人)であり、兄弟子である被告が右事業を承継することができないようにすることは信義則に反し、権利の濫用にあたり許されない。

(3) 原告第四製品及び同第七製品の模様は、初代平蔵の創作にかかるものであるが、右各模様は、裂地に織り込んだ場合、織機の構造や織り方から全体的にぼやけ美的観点からは納得し得ないものとなり、また、重量もあって用途が限定されていた。そこで、被告は、商品としての需要を高める必要性を感じ、右各模様を鮮明化し布地を薄く軽量化するための改良に努め、昭和二二年ころにようやく現在製造されている地風の三重経による糸の組み方にたどり着き、その目的を達成した。この考案は、初代平蔵も称賛し、以後他の模様についても次々と導入していった。原告美術織物は、被告の考案にかかる右三重経による織り方を、被告の同意を得ないまま利用(盗用)し、原告第一ないし第七製品を製造販売している。盗用した被告の考案を利用して自己の商品を製造販売している原告美術織物が、被告に対し、被告第一ないし第七製品の製造販売行為を差し止めることは信義則に反し、権利の濫用にあたり許されない。

(六) 原典の複製・公知公用の模様の使用

(1) 原告第四、第六及び第七製品の模様は、いずれも正倉院に伝わる古代裂の模様と同一であり、同第五製品の模様は前田家に伝わる名物裂の模様とほぼ同一である(別紙第四ないし第七目録参照)。すなわち、原告美術織物の右製品の模様は、古代裂や名物裂(原典)の模様の複製にすぎない。そして、古代裂や名物裂のような公知公用の模様は、いかなる者もこれを複製し得るものであり、特定の者に、その複製や模倣を独占させ、その者の固有の権利とすることは、著しく正義に反し断じて許されない。

(2) 原告美術織物の右各製品に対応する被告第四ないし第七製品の模様は、右古代裂や名物裂の模様と同一もしくはほぼ同一である(別紙第四ないし第七目録参照)。すなわち、被告の右各製品の模様は、古代裂や名物裂(原典)の模様の複製にすぎない。しかるところ、古代裂や名物裂の模様は、創作者が所有していた著作権等の権利が消滅していることが明白なものであり、長期にわたり多くの者が繰り返し複製し使用してきたものであって、いわゆる先行技術の使用・実施にすぎず、適法なものであって、これを差し止めることは実質的正義に反し到底許されない。

2  意匠権侵害について

(一) 原告意匠は、正倉院御物の「七曜四菱文暈繝錦」として、古来日本国内において公然実施されてきた織物の模様(乙七の1、八、一二)とほぼ同じであり、また、その出願日(昭和五四年三月三日)前に、日本国内において頒布された刊行物(毎日新聞社昭和四四年一〇月二〇日発行「宮殿」・乙三二)に記載された意匠と全く同じであり(別紙第八目録参照)、意匠法三条一項一号及び二号に該当し、本来登録されるべきものではなかった。

(二) そうだとすれば、無効審判の確定をまたずとも、本件訴訟において、被告第八製品が原告意匠権を侵害するか否かを判断するに際しては、原告意匠権の範囲につき、出願前公知の部分はその意匠より除外して判断すべきであり、また、右出願前公知の部分につき第三者が実施しても原告意匠権の効力は及ばないというべきである。

(三) しかるところ、(1)原告意匠はその全部が出願前公知であり、また、被告第八製品の意匠は右出願前公知の意匠と同一のものである(別紙第八目録参照)から、(2)仮にそうでないとしても、原告意匠は、訴外謙が創作したものであり、龍村元が冒認出願した意匠として、意匠法四八条一項三号に該当するから、(3)右のとおり、原告意匠は訴外謙の創作にかかる美術の著作物であり、同人が著作権者であるところ、被告は、訴外謙からその著作権使用許諾を得ているから、いずれにせよ、原告美術織物は、被告に対し、原告意匠権に基づいて、被告第八製品の製造販売を差し止めることも、原告意匠権侵害を理由とする損害の賠償を求めることもできない。

3  商標権侵害について

原判決一三丁表二行目冒頭から七行目末尾までに記載のとおり(但し、一三丁表四行目の「慣用的表現であるから」を「慣用的表現であり、何ら特別顕著性を有しないものであるから」と改める。)。

四  抗弁に対する認否

1  不正競争行為について

原判決一三丁表九行目の「抗弁1(一)の事実」から一四丁表二行目末尾までに記載のとおり(但し、一三丁表九行目の「同1(二)ないし(四)の主張」を「同1(二)ないし(六)の主張」と、同丁裏四行目の「昭和二五年」を「昭和二六年」と、四行目から五行目にかけての「分割する」を「分担する」と、一〇行目から末行にかけての「原告美術織物が独自に商品化したものである。」を「原告美術織物が独自に商品化したものである〔但し、原告第七製品の中柄は同原告の前身である有限会社龍村美術織物が商品化したものを、同原告が承継したものである。〕。」と各改め、一四丁表二行目と三行目の間に「被告の本件各製品は、そもそも『美術の著作物』に該当しないので、著作権に関する主張は理由がない〔後記意匠権侵害についての抗弁2(三)も同じである。〕。」を加える。)。

2  意匠権侵害について

抗弁2(一)前段の事実は否認し、中段・後段及び(二)、(三)の主張は争う。

3  商標権侵害について

抗弁3は争う。

第四  当裁判所の判断

一  不正競争行為について

1  請求原因1(一)(当事者とその身分関係等)、(四)(被告の営業)の各事実及び、同2のうち原告美術織物が原告第一ないし第七製品を製造販売している事実、被告が被告第一ないし第七製品を製造販売している事実は、いずれも争いがない。

右争いがない事実、並びに証拠(甲一、二~四の各1~5、五・六の各1~3、七の1、2、八の1~3、一二~一四の各1~5、一五の1、2、一六の1~4、一七・一八の各1、2、二〇、二一・二二の各1~4、二三~三〇、三五~三七、四〇~四二、四五、四八、四九の1、2、五一~五六、五七の1、2、五八~六〇、六三・六四の各1~3、六五の1、2、六六~七八、八一~八三、八五~八八、乙二の1~5、四の1~3、五、七の1・2の各1、2、八~一一、一三、二〇の1、二一~二三、二四の1、2、二七の1、2、二九、三〇、三四の1、2、三九の1、2、四一、四三の1、2、四四、四五の1、2、四六、五四の1、2、五五~五七、六二の2、六五、六六、検甲一~一七、二〇~二二、証人小野修市、同上宮敬一、同細野敏弘、同宇津木守昭の各原審証言、原告ら代表者龍村元本人、被告本人の各原審供述〔但し、甲五六、乙二の2、二一、二七の1、2、三〇、三四の1、2、五七、六六、被告本人の原審供述については、いずれも後記認定事実に反する部分を除く。〕)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告らの設立経過等について

原告らの設立経過等は、次のとおり訂正等するほかは、原判決一五丁裏七行目冒頭から一八丁裏四行目末尾までに示されているとおりである。

【原判決の訂正等】

(1) 一六丁表四行目から五行目にかけての「戦中に右研究所の経営に加わり、経理を担当していた。」を「昭和一五、一六年ころに右研究所の経営に加わった。」と、七行目から八行目のかけての「自ら九〇パーセント以上の株式を引き受け」を「自己所有の不動産等を現物出資することにより九〇パーセント以上の株式を引き受け(龍村一族の持株数は全株数の九三パーセント)」と各改める。

(2) 一七丁表六行目から七行目にかけての「昭和二九年三月」の次に「五日」を、八行目から九行目にかけての「昭和三〇年一二月」の次に「三日」を、同丁裏末行の「新聞広告」の次に「朝日新聞東京本社版(朝刊)に」を各加える。

(3) 一八丁表三行目から四行目にかけての「その勝訴判決を得て右明渡しの強制執行をした。」を「昭和三八年二月二〇日、同裁判所(東京地方裁判所)は右明渡請求を認容する旨の判決を言い渡したが、被告らは東京高等裁判所に控訴した。その後、昭和四三年五月七日、同裁判所において訴外謙と被告らとの間に右判決を前提とする和解が成立し、同年七月三一日ころ右和解条項が履行され、右紛争は解決した(もっとも、被告は、昭和三八年四月ころには、その事業の本拠を織宝館から他へ移転していた。)。」と改める。

(4) 一八丁表五行目の「被告」から六行目の「(東龍織物)は」までを 「被告は、龍村商工株式会社の製造工場として、昭和三〇年ころに東龍織物株式会社を設立し、更に、龍村商工株式会社の販売部門を独立させるため、昭和四〇年七月二七日に株式会社タツムラ、昭和四五年四月二〇日に株式会社龍村織宝を設立し、昭和四八年二月一三日には有限会社龍村織物を設立するなどしている。そのうち、龍村商工株式会社と東龍織物株式会社は、」と、末行の「現在」を「平成元年四月現在」と各改める。

(二) 原告第一ないし第三製品について

(1) 初代平蔵は、大正年間に古今東西の著名な織物を研究複製するとともに、その成果を応用した帯等を製作することで評価され、更に昭和一三年にベルリン第一回世界博覧会に出品した丸帯地「威毛錦」が金賞を受賞したことから著名となり、その後、前示のとおり昭和三一年に芸術院恩賜賞を、昭和三三年に紫授褒賞を受け、同年秋には、東京と大阪の高島屋で朝日新聞社主催の「平蔵翁回顧八十年・龍村織物芸術展」が開催されたことから、更に著名となった。

(2) 原告美術織物が初代平蔵の技術と業績を承継する帯地メーカーとして著名であることは、請求原因2(一)(1)ないし(4)のとおりであり(なお、「錦帯」は同原告の自社工場で製造され、「龍織」は外注により製造されるものであって、両者に同じ柄のものはない。)、原告第一ないし第三製品が原告美術織物製の帯の中でも人気の高い製品として一流百貨店の特別コーナー等で販売されてきたことは、請求原因2(二)(1)、(2)のとおりである。

(3) ちなみに、週刊「生きる女性」昭和三五年九月一日号(実話出版発行)の「またお美しくなった美智子さま」と題する記事の中では、「昭和三〇年五月に芸術院恩賜賞を受けた竜村平蔵氏(84)の株式会社竜村美術織物が、こと帯に関しては最高の権威で、独走している」と記載されるとともに、黒地の「威毛錦」の写真が掲載されており(甲五五)、昭和三六年一〇月八日から翌昭和三七年一月二七日まで一〇七回、朝日新聞に連載された川端康成の小説「古都」の中では、「竜村はんの帯」として話題にされている(甲二三)。また、直木賞作家の津村節子は、昭和四五年発行の社内誌「三菱重工」に京の伝統工芸に関する一文を載せ、西陣織の項で「帯といえば西陣、西陣といえば龍村、女でその名を知らぬ者はあるまい。」、「龍村は帯だけ織っているのでは無論ない。・・・研究所では、古代裂の研究複製をしており、これが仕事のバッグボーンになっているという。」、「初代龍村平蔵氏は明治二七年織物業を創業、三三年に織物の発明改良に関する功により、紫授褒賞を受けた。四一年、龍村謙氏が二代目龍村平蔵を襲名。五か所に工場があるが、烏丸工場は手織機ばかり四十五台集めているそうで、これは世界にも類がないという。」と紹介している(甲二四)。そして、昭和四五年ぺりかん社発行の楠本憲吉編「日本の一流品」では、帯の項で「錦地の袋帯といえば、京都の龍村、川島織物の両者を挙げなければならない。龍村の豪華絢爛たる色彩と文様。川島の重厚格式ある地風と色調。いずれをとるかは、個人の好みによるしかない。」として取り上げられた(甲二五)ほか、昭和四六年講談社発行の週刊現代イヤーブックス「これが新しい一級品だ」の和服の部の帯の項では、「つづれ帯の一級品は、帯の川島か竜村の帯かといわれるほど、優れた帯を製作している川島と竜村、それに高度な技術を誇る松居織物の製品が逸品。・・・竜村の帯は厚手でふっくらとしており、重厚な手ざわりがある。」と記載されている(甲二六)。

(4) ところで、原告第一製品は、初代平蔵が創作し前記ベルリン博で金賞を受賞した丸帯地「威毛錦」の模様を基礎に、原告美術織物が袋帯地として製品化したものであり、同第二製品は、訴外謙が昭和二八、二九年ころ創作した模様を基礎に、原告美術織物の前身である有限会社龍村美術織物が製品化し、これを同原告が承継したものであり、同第三製品は、初代平蔵が昭和初期に創作した模様を用いた丸帯地であるところ、原告美術織物は、昭和三〇年一二月の設立当初から原告第一ないし第三製品の製造販売を開始し、現在まで、右各製品の模様や製法を変えていない。こうしたことや右(1)ないし(3)にみてきたところに照らすと、遅くとも昭和四〇年代後半ころまでには、帯地等を扱う取引者や需要者の間に、原告第一ないし第三製品の模様のある製品をみれば、右製品は原告美術織物製の帯地であるとの認識が広く生じるようになり、原告第一ないし第三製品の模様は、そのころまでに原告美術織物の帯地であることを示す商品表示として、出所表示機能を取得したものと認めるのが相当である。

(三) 原告第四ないし第七製品について

(1) 原告美術織物製の裂地が遅くとも昭和三〇年代終わりまでには、その種の製品を扱う取引者(加工業者等)や一般需要者にも「龍村裂」として広く知られるようになったことは、請求原因2(四)(1)ないし(5)のとおりであり(なお、同原告が製造する裂地は、機械織りであるが、織り上げる前に糸の段階で染める、いわゆる先染めの絹の高級品である。)、原告第四ないし第七製品の製造販売開始時期やその人気は、請求原因2(五)(2)ないし(4)に示されているとおりである。

(2) ちなみに、前記川端康成の小説「古都」の中には、「正倉院ぎれをおもに、古代ぎれなどの、写し織りが、まんなかの部屋や、そして、廊下にかけてあった。これらが竜村である。・・・、竜村のいくどかの展観や、また、もとの古代ぎれや、その図録を見て、頭にあるし、その名をみな知っているが」と記載されている(甲二三)。

(3) ところで、原告第四、第六、第七製品は、いずれも正倉院に伝わる古代裂の模様を、原告第五製品は、前田家に伝わる名物裂の模様を基礎にするものである。そして、右各製品は、初代平蔵が右の古代裂や名物裂の模様を研究ないし復元したものを基礎に、原告美術織物において訴外謙が中心となって、実用に適した模様や配色を考案したうえで製品化・量産化したものであり、初代平蔵が研究・復元したものそれ自体とは配色や模様の大きさ、織りの組織等の点で違っている(但し、原告第六製品の模様に対応する古代裂「山羊花卉文錦」の模様については」初代平蔵が研究・復元した形跡はなく、また、同第七製品の中柄を製品化したのは、同原告の前身である有限会社龍村美術織物である。)。

例えば、原告第五製品では、第五原告製品目録記載<5>のように、鹿は一段毎に右向き、左向きと体の向きを変えてあるが、初代平蔵が研究・復元ないし製品化したもの(甲二九に掲載の名物裂「名物鹿文有栖川錦」や乙四の1に掲載の「有栖川錦 袋帯」)では、鹿はすべて右向きである点、原告第七製品では、第七原告製品目録記載<3>の太い縞地の中で縦方向に繰り返される二つ一組の双鳥の配色が変えてあるが、初代平蔵が昭和一四年にテーブルセンターとしたもの(乙四の3に掲載の「唐花雙鳥長斑錦 卓被」)では、右にいう双鳥の配色が同じである点等が異なっている。

そして、原告美術織物が昭和三〇年一二月の同社設立当初から原告第七製品の中柄を、昭和三二年ころから同第四製品を、昭和三六年から同第七製品の小柄を、昭和三八年から同第五製品を、昭和四一年から同第六製品の中柄ローズ地をそれぞれ製造販売してきたことや、右(1)、(2)にみてきたところに照らすと、遅くとも昭和四〇年代後半ころまでには、原告第四ないし第七製品のような裂地やこれを使用した商品(加工品)を扱う取引者や需要者の間に、原告第四ないし第七製品の模様のある製品(裂地及びその加工品)をみれば、右製品は原告美術織物製のものであるとの認識が広く生じるようになり、原告第四ないし第七製品の模様はそのころまでに原告美術織物の製品(裂地及びその加工品)であることを示す商品表示として、出所表示機能を取得したものと認めるのが相当である。

(四) 被告第一ないし第七製品について

(1) 被告は、昭和二九年ころから室内装飾裂地を主体として、カーテン、テーブルセンター等を、昭和三八年ころから和装小物、茶道具関係を、昭和四〇年代から帯地の製造販売していたが、昭和五〇年代初めころから、織物業者に依頼して機械織りの被告第四ないし第七製品を、昭和五七年ころから、織物業者に依頼して機械織りの被告第一ないし第三製品を製造し、関連会社等のショールームや東京近辺の百貨店等で販売するようになった。被告は、平成二年当時で三〇〇〇本ないし四〇〇〇本の帯を販売した旨説明しており、被告第一、第二製品の小売値は、平成元年の時点で一本五八万円、同第三製品は一本三八万円である。

(もっとも、被告は、昭和二〇年代後半から被告第四ないし第七製品の、昭和四〇年代後半から被告第一ないし第三製品の製造販売をそれぞれ開始した旨主張し、被告の別件における証人調書〔乙二七の1〕及び上申書〔乙三〇〕中には右主張に副う証言や記載部分がある。そして、被告提出の納品伝票等〔乙三三・枝番号省略〕によれば、被告が昭和三一年には「唐花雙鳥長斑錦」、昭和三九年には「有栖川錦」と称する商品を取り扱っていたことが窺われる。しかしながら、右納品伝票等自体からは、その商品の模様がどのようなものであったのか判然としないこと、被告自身が昭和二〇年代に使用していたという「唐花雙鳥長斑錦」の織物・裂見本〔乙六の5〕の模様は、そこに示されている双鳥の配色が同じであり、双鳥の配色を変えている被告第七製品の模様とは違っていること、被告が昭和二八・九年に手掛けたという「鹿文有栖川錦」の模様は、鹿が一方向を向いたものであり〔乙二七の2〕、一段毎に向きを変えている被告第五製品の模様と同じものではないこと、そして、被告自身、被告が使用していたのは初代平蔵が手掛けたものと同じ模様であるとしていること〔乙二七の1、三〇〕や前示(三)(3)でみたところに照らすと、右証言や記載部分のほかに的確な資料のない本件においては、被告が昭和二〇年代後半から使用していたと認め得る模様があるとしても、それは右乙六の5や乙二七の2に示されているものにとどまるといわざるを得ず、被告第四ないし第七製品そのものを昭和二〇年代後半から製造販売していたとする被告の右主張はたやすく採用できない。)。

(2) 被告第一ないし第七製品の模様がこれに対応する原告第一ないし第七製品の模様にそれぞれ類似していることは、請求原因2(三)(2)ないし(4)及び同(六)(2)ないし(5)の各前段・中段のとおりである(なお、被告は、右原告・被告各製品の模様が類似していること自体は争っていない。)。

2  以上によれば、被告が被告第一ないし第三製品を製造、販売又は販売のために展示することは、これに対応する原告第一ないし第三製品との混同を、被告が被告第四ないし第七製品(裂地及びその加工品)を製造、販売収は販売のために展示することは、これに対応する原告第四ないし第七製品(裂地)及びその加工品との混同を生じさせ、原告美術織物が営業上の利益を侵害されるおそれがある。

3  ところで、帯地や裂地に織られた模様は、第一義的には、商品であるそれ自体及びその加工品に美感を与え、これを高めるためにあるものであって、自他商品の識別機能を果たすためのものではないし、商品の出所である主体を表示するものではないから、ある商品の模様が出所表示機能を取得するためには、通常、同種の商品の模様とは異なるものがなければならない。この点につき、被告は奇想天外で独創的な特徴が必要である等として、原告第一ないし第七製品の模様は、いずれも出所表示機能を取得しておらず、原告美術織物の商品表示たり得ない旨主張するが、右にいう特異性は被告のいうような奇想天外なものであることまでは必要ではなく、他の同種商品の模様との関係で相対的にみて特異なものであれば十分であり、結局、模様の特色、もしくは、商品の長期間にわたる独占的使用、あるいは、短期間における強力な宣伝を通じる等の事情により、その模様が、他のものから区別された個性のあるものとして、特定人の出所を指標するに至れば、出所表示機能を取得したものとみてよい。

そうだとすれば、前示の原告第一ないし第七製品の模様の特徴や、原告美術織物が著名な初代平蔵の技術と業績を承継して、帯地、裂地メーカーとして著名となり、原告第一ないし第七製品が同原告の代表的銘柄となった経緯等に照らすと、被告が指摘する別紙第一ないし第七目録記載の模様との関係を考慮しても、原告第一ないし第七製品の模様は、相対的にみて特異性を有しているということができ(なお、被告が第三者の製品だとするもの〔乙一六、一七、三一、三七、四〇・いずれも枝番号省略・以下同じ〕のうち、乙三七には原告美術織物のものも含まれており、乙一六、一七、三一、四〇は、その写真撮影年月日によれば、すべて製造販売時期が昭和六二・三年以降と推認されるものである.)、前示のとおり昭和四〇年代後半ころまでには同原告の商品であることの出所表示機能を取得したものと認めるのが相当である。被告の右主張は採用できない。

4  被告は、仮に原告第一ないし第七製品の模様が商品表示たり得るとしても、右商品表示の主体は原告美術織物ではなく、被告を含む「龍村」であるから、右模様は、被告にとって他人の商品表示でない旨主張するが、右主張は、既にみてきたように、彼告は、昭和二五年暮ころ、初代平蔵や訴外謙などの兄弟から離れ独自に事業を行うことにして東京に出ており、また、後記本件合意に関する判断において示すように被告主張の合意は認め難いのであるから、たやすく採用できない。

5  被告は、被告の商品と原告美術織物の商品との混同は生じず、同原告が営業上の利益を害されることはない旨主張する。

しかしながら、既に説示したところによれば、少なくとも東京近辺においては両者の販売地域が競合し、両者が同種の商品(帯地・帯及び裂地・その加工品)を扱っており、対応する商品の模様が類似しているばかりか、両者の商品やその包装に付される出所表示のための標章中に「龍村」という、少なくとも称呼(タツムラ)を同じくする部分が存在するのであるから、被告が指摘する販売方法・販路の点を考慮しても、両者の商品の間に混同(商品主体の混同ないし両者の間に何らかの関係があるのではないかとの誤信)が生じ、原告美術織物が営業上の利益を侵害されるおそれがあるとするのが相当である。被告の右主張は採用できない。

二  抗弁(不正競争行為関係)について

1  被告は、明示の承諾すなわち本件合意に基づいて被告第一ないし第七製品を製造販売しているものであり、被告の右行為は正当な行為である旨主張(抗弁1(一))する。

そして、被告の経歴書(乙二の2)、陳述書(乙二一、五七)、上申書(乙三〇)、別件における証人調書(乙二七・三四の各1、2)及び被告本人の原審供述によれば、被告本人がそこで述べるところの要旨は、「(一)本件合意は、初代平蔵の意を体した訴外前沢源造(初代平蔵の妻の弟、以下「訴外源造」という。)が、昭和二五年暮ころ、融資銀行団の管理下におかれていた龍村織物株式会社の再建に関し、訴外謙と意見を異にし東京へ出て独立の事業を始めていた被告と、当時、京都にあって、初代平蔵を中心とする龍村家の代表というべき立場で、龍村家と龍村美術織物株式会社の間に生じた問題等の処理にあたっていた訴外謙との間に入って、仲介の労をとった結果成立したものである。(二)本件合意は、いわば初代平蔵ないし龍村家の家業というべき織物に関する事業の分担に関する合意であって、本件に関連する部分の趣旨は、(1)手織りによる高級な帯・帯地等を中心とする美術織物(いわゆる一部商品)の製造販売は訴外謙の側で行い、(2)動力織機による機械織物(いわゆる二部商品、大量生産品)の製造販売は被告の方で行うことを約したものであり、右約旨は、その性質上、当然のことながら、右のような形態で龍村家の事業を分担、承継する被告が、その分担する機械織物の分野において、従来から龍村家の事業において使用されてきた模様を使用することを許諾、承認する趣旨を含むものであった。(3)そして、訴外源造は、右仲介の過程で合意に達した事項について、順次、鳩居堂で販売されていた和綴じの冊子に記入し被告や訴外謙に署名させたりしていたが、現在その原本の所在が不明なので手許に残されていたコピー(乙一・枝番号省略・以下同じ)等を使用して復元したのが、本件で提出した和綴じの冊子(乙三五)である」というにあると認められる。

そこで、検討するに、前掲各証拠や乙第一号証の存在並びに弁論の全趣旨に照らすと、訴外源造は、被告のいう事業分担のようなことも念頭において、訴外謙と被告との間に生じている種々の問題を解決すべく仲介の労をとっていたことは窺えるが、本件合意の成立を否定する趣旨の証拠(甲六五の1、七五、原告ら代表者龍村元の原審供述)のほか、以下のような点を考慮すると、被告主張のような合意が確定的に成立したとは断じ難い。

すなわち、右各証拠によれば、訴外謙と被告との問には、被告が、成立した合意点を記載した書類のコピーであるとする書面(乙一)に記載された事項以外にも解決されるべき問題があり、訴外源造は、これらを全体的に解決すべく仲介の労をとっていたものと認められるが、それらの問題全部について、右書面に記載されている昭和二六年三月二五日から同年四月二日までの間に合意が成立したとは認め難いこと、そうすると右書面(乙一)に記載されている事項については、一応合意に達したとみるにしても、それが右のように全体的合意の成立の認め難い状況でなされたものであることを考えると、果して、確定的なものであったかどうかについては疑問をはさむ余地があること、少なくとも右書面(乙一)に記載されている事項のうち、関係者の署名があるものについては、その関係者の確定的な意思が表示されているとみるべきであるとしても、本件合意の成否に密接に関連する事項が記載されていると認められる部分(昭和二六年四月一日のところに書かれている、「一、所謂第一部商品即帯地を中心とする美術織物の製造、販売は龍村謙自身で行う。一、所謂第二部商品(大量生産品)の製造、販売は龍村商工株式会社で行う」旨の記載部分)には、訴外謙と被告のいずれの署名もなく、右部分に関する合意の成立を認定するには多大の疑問が残ること、また、右時点において、被告のいう本件合意が成立していたのであれば、被告としては、その後時を経ずして初代平蔵や訴外謙の考案した模様を使用して機械織物の製造販売を開始していたはずであり(被告はそのように主張する。)、そうであれば、本件において、いま少し、その状況が資料により裏付けられ明らかにされてもよいと考えられるのに、そのような事実を認めるに足りる証拠は十分でないこと、もし、訴外謙と被告との間で被告のいう本件合意が成立していたとすれば、その後、訴外謙や龍村元との間に新たな紛争が生じたとも認められないのに、何故、前示のような事柄すなわち昭和三一年に初代平蔵が上京した際の被告と龍村徳・龍村元とのいさかい、同年の新聞広告、昭和三四年の明渡訴訟等が起こったのかにわかに理解し難いものが残ること等に照らすと、被告の右供述記載部分等はたやすく採用し難く、他に本件合意の成立を認めるに足りる証拠はない。

2  また、これまでにみてきたところに照らすと、先使用に関する被告の抗弁(同1(二))は、被告において、原告第一ないし第七製品の模様が周知性を獲得する以前から被告第一ないし第七製品の模様を使用していたとは認められない点において、黙示の承諾に関する被告の抗弁(同1(四))は、被告第一ないし第七製品の製造販売開始時期が被告主張のとおりであるとは認められない点において、いずれもその前提となる事実関係を欠くというべきであるから採用できない。そして、権利の濫用・信義則違反に関する被告の抗弁(同1(五)(1)ないし(3))のうち(1)、(2)は、被告主張の事情をそのとおりのものとして考慮しても、原告美術織物の本訴請求を専ら被告の事業の挫折だけを目的とするものであるとは認め難いので採用できず、同(3)も、たとえ被告主張の工夫があったのは事実であるとしても、その盗用の事実までは認定し難いので、採用できない。

3  著作権に関する被告の抗弁(同1(三))は、以下の理由により採用できない。

そもそも旧不正競争防止法六条(無体財産権の行使行為の除外規定)がそこにかかげられた特許権等の行使行為を適用除外の対象としていたのは、それらの権利が国(特許庁)の審査、登録といった公的な手続を経て発生するものであることを考慮してのことであると考えられるのに対し、同条が著作権法上の権利行使については、これを適用除外の対象としていなかったのは著作権が著作物の創作により、格別、審査、登録等の公的な手続を経ないで発生するものであり、その権利発生の過程を異にすることを考慮してのことであると考えられることに照らすと、著作権の権利行使に対しては旧不正競争防止法六条を類推適用する余地はなかったとするのが相当であり、右抗弁は採用できない。

4  原典の複製・公知公用の模様の使用に関する被告の抗弁(同1(六)(1)、(2))は、そもそも不正競争防止法二条一項一号の保護法益は商品表示の出所表示機能であり、商品表示の創作性ではないし、しかも、前示のとおり原告第四ないし第七製品の模様はいずれも単なる原典の複製・公知公用の模様の使用ではなく、その主張の基礎となる事実関係が認められないから採用できない。

三  意匠権侵害について

証拠(甲九の1ないし4、乙三二、五三、六四)によれば、原告意匠権には被告主張の意匠法三条一項二号の登録無効事由があると認められるから、これに基づく請求はいずれも許されないものと解するのが相当である。

四  商標権侵害について

1  請求原因5(一)の事実は争いがなく、証拠(甲二〇、証人小野修市の原審証言、被告本人の原審供述)によれば、被告は、昭和六〇年秋以降、「傳匠名錦 龍村晋」と題する帯のカタログ(被告製作にかかる帯を掲載した図録)に被告標章(一)、(二)を附し、これを展示又は頒布していたことが認められる。

2  証拠(甲三七、五八、乙一三~一五、三八、五二)及び弁論の全趣旨によれば、被告標章(一)、(二)のうち「名物(めいぶつ)」は名物裂に由来することを示す一般名称であり、被告標章(一)のうち「錦(にしき)」及び同(二)のうち「金襴(きんらん)」は織物の種類を示す一般名称であることが認められる。そうすると、被告商標(一)のうち取引者・需要者の注意を引く中心部分(要部)は「有栖川鹿手(ありすがわしかで)」であり、同(二)の中心部(要部)は「二人静(ふたりしずか)」であって、しかも、右各要部は、それぞれ原告商標(一)、(二)と称呼を共通にするから、被告標章(一)、(二)は、それぞれ原告商標(一)、(二)に類似するものであるといわなければならない。

そうだとすれば、被告標章(一)、(二)を被告製作にかかる帯のカタログに附している被告の行為は、原告商標(一)、(二)に類似する商標を原告商標(一)、(二)の指定商品につて使用する行為に該当する。

3  被告は、原告商標(一)、(二)は、いずれも古来から日本に伝わる裂地の図柄・模様の由来を説明・表現するための普通名詞ないしは慣用的表現であるから、商標登録の要件を欠く旨主張(抗弁3)する。

しかるところ、前掲証拠(甲三七、五八、乙一三~一五、三八)によれば、「有栖川錦」とは、前田家に伝わる名物裂の中で独特の幾何文様を有するものの名称で、「鹿文様」(鹿の模様)、「雲竜文様」(翼を持つ竜が雲の中を飛行する文様)及び「馬文様」(馬の模様)の三種類があること、「二人静」とは、足利義政ゆかりの同題名の能に使用される衣裳の模様を表わす名称であることが、いずれも名物裂の研究者等の専門家の間ではよく知られていることが認められ、被告が指摘する使用例「有栖川鹿手錦」(乙四の1)、「有栖川錦馬手」(乙一四、五二)、「鹿手有栖川 林」(乙五四の1)及び「鹿手纐林」(乙五四の2)によれば、「鹿手」が鹿の模様を示す語として使用されていることが認められる。

しかしながら、本件全証拠によるも、「有栖川鹿手」及び「二人静」なる表示(標章)が多数の織物製造・販売業者の間で自由に特定の図柄・模様からなる織物について使用されてきたとまではいえず、右各表示(標章)が特定の織物の普通名称であるとは認められないし、また、右各表示(標章)が不特定多数人が自由に使用し得る意味における商品の慣用商標ないし商品に附された慣用の商標であるとも認められない(ちなみに、前示の「有栖川鹿手錦」や「鹿手有栖川 林」は、いずれも初代平蔵ないし龍村商店の使用例である。)。したがって、被告の抗弁3は採用できない。

五  原告らの損害について

原告ら主張の損害額、すなわち原告美術織物主張の不正競争行為に関する被告第一ないし第七製品の販売量及び右販売により被告が得た利益、原告織寳本社主張の商標権侵害に関する被告標章(一)、(二)を附した帯の販売量及び右販売により被告が得た利益については、いずれもこれを認めるに足りる証拠はなく、認定できない。

もっとも、小野修市作成の「帯地、裂地、袋物などの製造販売による龍村晋の利益に関する陳述書」(甲五六)によれば、原告らは業界の実情と原告美術織物で調査した被告の営業に関する資料に基づいて、被告の販売量及び利益を推定した旨が記載されているが、これを裏付ける的確な資料の提出のない本件においては、右推定を根拠に原告ら主張の損害を認定するのは相当でない。

六  結論

以上によれば、原告美術織物の不正競争防止法二条一項一号、三条一項に基づく、原告第一ないし第七製品との混同行為(被告第一ないし第七製品の製造、販売又は販売のための展示行為)の差止請求、原告織寳本社の被告に対する商標法三六条に基づく、原告商標権の侵害行為(被告標章(一)、(二)の使用)の差止請求はいずれも理由があるが、原告美術織物の意匠法三七条に基づく原告意匠権の侵害行為(被告第八製品の製造、販売又は販売のための展示行為)の差止請求、不正競争防止法四条に基づく損害賠償請求、民法七〇九条に基づく原告意匠権侵害に関する損害賠償請求、及び原告織寳本社の同条に基づく原告商標権侵害に関する損害賠償請求は、いずれも理由がない。

したがって、被告の控訴に基づき、右と一部結論を異にする原判決を主文第一項のとおり変更し、原告らの附帯控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法第九六条、八九条、九二条、九三条を適用して主文第三項のとおりの負担とし、主文のとおり判決する。

(なお、商業登記簿によると「龍村元」は「龍村元」と、「龍村徳」は「龍村徳」と表記するのが正しいが、本判決中では、「龍村元」、「龍村徳」と表記してある。)

(裁判長裁判官 上野茂 裁判官 長井浩一 裁判官竹原俊一は転補につき署名押印することができない。 裁判長裁判官 上野茂)

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