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大阪高等裁判所 平成3年(ネ)563号 判決 1991年10月16日

控訴人

岩田満智代

岩田晋一

岩田純二

岩田諭子

右控訴人ら訴訟代理人弁護士

山田俊介

被控訴人

串本町

右代表者町長

岸谷昇

右訴訟代理人弁護士

水野八朗

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  申立て

一  控訴人ら

原判決を取り消す。

被控訴人は、控訴人岩田満智代に対し三五二七万三六九四円、同岩田晋一、同岩田純二及び同岩田諭子に対し各一一七五万七八九八円並びに右各金員に対する昭和六一年七月二〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

控訴費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同じ。

第二  主張

当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

一  控訴人ら

1  岩田利武の溺水地点は、原審証人芝田啓三の証言によれば、出発点から一三九五メートルの地点であるといえる。次に、救急車出動要請時刻が午前一〇時四四分であるから、これから、救助から救急措置開始、連絡までに要する時間約一分三〇秒、溺水から発見まで時間約三〇秒をさかのぼり、利武の溺水時刻は一〇時四二分前後と考えられる。

そうすると、利武の泳ぎの平均速度は分速19.375メートルとなる(競技開始時間が午前九時三〇分であるから溺水まで七二分、右一三九五メートルを七二で除したもの)。本件大会の完泳者のうち最も記録の悪かった中川大学でさえ分速23.53メートルであるから、利武の泳ぐ速度が相当遅かったことがわかる。

ところで、原審証人宇井晋介の証言によれば、同証人が利武に声をかけ、利武が手を上げた地点は、一三五〇メートルの地点で、宇井は利武が一三七五メートル付近まで泳ぐのを三ないし四分間見送ったというのであるが、これによれば、利武の泳ぐ速度は、右見送った時間を三分とすれば分速8.3メートルとなり、四分とすれば分速6.26メートルとなる。

このように、利武が宇井に手を上げた直後の泳ぐ速度は極端に遅かったということができるが、分速6.26ないし8.3メートルというのはほとんど泳いでいないに等しい速度である。利武の前記平均速度の半分から三分の一、前記中川の三分の一から四分の一の速度である。これによれば利武が如何に疲労困憊していたかが浮彫りになっているというべきである。また、低体温症のため手足が次第に麻痺して泳ぎにくくなっていることが十分窺える。競技時の水温は二二ないし二三度であったが、これは相当な低温であり、低体温症に陥る可能性は極めて高かったといわなければならない。このような状態で、利武は麻痺しつつある左手を、手首の上ぐらいを辛うじて海面から出し、手を上げたのである。

2  これらの状況に、利武が手を上げた地点より四五メートル泳いだ地点で溺水していること、時間的には手を上げてから五ないし六分後に溺水していることを考慮すれば、利武が手を上げたのは救助を求める意思表示であったというべきである。原判決は、手を上げたのを救助を求める意思表示ではないと解する理由として、救助してくれるのを待たなかったことや、救助を求める意思なら更に手を振るなど何らかの合図をした筈であるというが、利武の当時の状況を無視した苛酷な要求であり、机上の空論である。海中で停ろうとすれば、相当な労力を要するし、低体温症で身体が冷え切り、手足が麻痺しかけており、疲れ切っておれば、更に手を振る等全く無理な話である。また、原判決は利武がどういう意思で手を上げたかについては何ら認定していないが、声を掛けられたので単に挨拶程度に手を上げたとでもいうのであろうか。しかし、前記のほとんど漂っているといっていい状態を考えれば、救助を求めるために手を上げたと断言できる。

3  原判決は、利武に救助を求める意思表示か単なる応答か紛らわしい動作があったことを認めながら、それについては明確な意思確認を行うとか、引き続きその動静を充分に監視するとかの配慮が望ましいといい、宇井がその後終始監視を続けなかったことについてはやや適切を欠いた憾みがあるというにすぎない。しかし、ことは生命にもかかわる重大事態であるのに、単にそのような配慮が望ましいとか、やや適切を欠いた憾みがあるという程度で済ませられる問題ではない。最後尾の方の極めて遅い速度で泳いでいる泳者が、ルールどおり片手を上げたのであるから、仮にそのままゴール方向に泳ぎ続けたとしても、救助を求める意思表示と受け取られる余地がある以上、宇井には更に明確な意思確認を行う法的義務があったと解するべきである。

4  仮に、宇井に明確な意思確認を再度行うという法的義務までなかったとしても、少なくとも目を離すことなく監視すべきであったし、被控訴人としては、異変があれば直ちに救助できる距離を保ち、救助態勢を整えて目を離すことなく監視すべき注意義務があったというべきである。また、宇井は、自己が監視できないなら他の監視者に利武が手を上げたと言う事実を告げて、同人の動静を充分に監視できるようにすべき義務があったのに、宇井は、このような注意義務を果すことなく、ブイ撤去のために移動して利武から目を離した。他の監視者が見ているから問題がないというかもしれないが、宇井は他の監視者が見ていることを確認して目を離したものであるとは到底言い難いし、手を上げたことについて他の監視者に注意を喚起しておかないと、どうしても異常に気づくのが遅れることになる。また、他の監視者が見ているといっても、実際は二〇メートルから二五メートル離れていたのであって、監視として充分でなかった。

二  被控訴人

1  控訴人らの利武の救助地点、泳ぐ速度等の主張はいずれも争う。右主張は、全く机上の空論である。溺水時刻は特定できず、一〇時四五分ころというほかない。水泳速度については、潮の流れもあるし、泳者は必ずしも一直線上を一定の速度で泳いだものではない。

2  控訴人らの、利武が救助を求める意思で手を上げたとの主張は否認する。宇井が声をかけ、これに手を上げて応答した人物が利武であるかどうかは疑問があるが、その人物は船の方へ来るでもなくゴールへ向かって泳いで行ったのであって、同人を救助すべき何らの理由もなかった。

3  控訴人らの、利武に対する意思の確認義務及び監視義務についての主張はいずれも争う。控訴人らの主張は、複数の監視者が利武の泳ぎを目撃している中、利武が突然泳ぎを停止し、その直後に救助されたこと、その直前まで何ら異常を示す行動がなかったとの事実を無視するものである。

4  被控訴人には利武の死亡と因果関係のある安全配慮義務違反あるいは注意義務違反は存在しない。

利武は、本件大会直前までかなり強行な運動、日常生活を続け、これによる身体的疲労があり、また、初めてのトライアスロン参加、特に得意でもない水泳競技に対する精神的緊張が加わって疲労が蓄積していたものと推測される。しかし、利武は、その性格上競技を途中で棄権することをいさぎよしとせず、完泳を目指したものと思われる。そのため、利武は体調の不調に気づきながら泳ぎ続け、突然反射性喉頭痙攣か心臓停止を引き起こし、結局死に至ったものである。本件事故は被控訴人にとって不可抗力というべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者、利武の本件大会参加、事故の発生

1  争いのない事実等

控訴人満智代は亡利武(昭和二年五月一〇日生)の妻であり、控訴人晋一、同純二及び同諭子はいずれも亡利武の子である。

利武は、昭和六一年七月二〇日和歌山県下の串本町、古座町及び古座川町内において行われた被控訴人主催の本件大会(水泳2.0キロメートル、自転車走30.1キロメートル及び長距離走17.5キロメートルの所要時間の合計を競う競技)に参加し、その最初の種目である右串本町所在の橋杭海水浴場及びその沖合において実施の本件水泳競技において、同日午前一〇時四四分の少し前ころ(この点については次項のとおり)、右競技コースの出発点から約一四〇〇メートル付近の海面においてうつ伏せになり動かず浮かんでいるところを、本件水泳競技の監視に当たっていた本部船等の監視員に発見され、急行した同船から飛び込んで救助に赴いた山口正悟によって同船に引き上げられた(<証拠>)。そして、利武は、同船の乗組員らによって救急措置を施されつつ陸上まで搬送され(<証拠>)、午前一〇時五四分ころ救急用自動車で串本病院に収容され(<証拠>)、治療を受けたが、同月二四日午前四時二三分、同病院において死亡した。

2  本件事故の発生場所、時刻

控訴人らは、本件事故は昭和六一年七月二〇日午前一〇時四二分前後に出発点から一三九五メートルの地点で発生したと考えられると主張する。本件事故発生時刻については、<証拠>に午前一〇時四五分との記載があるものの、これらは正確性を欠くので、正確なものと認められる救急車出動要請時刻が午前一〇時四四分である(<証拠>)ことからすると、前述の溺水から本部船に救助され、連絡が取られるまでの時間をさかのぼって溺水時刻を推認しようとする試みは理解できないではないが、溺水から右連絡までの時間を確定することができないので、結局、右溺水時刻としては午前一〇時四四分の少し前ころというよりほかないところである。ただし、<証拠>には、利武の救助前に棄権した参加者の救助時刻について午前一〇時四〇分と記載するところ、この記載は必ずしも正確といえないが、これを記載した原審証人山田建造によれば、これに大きな誤差があるともいえないので、右溺水の時刻は概ね同時刻より後であるといってよいといえる。また、溺水場所については、<証拠>によれば、出発点から競技コース上の一四〇〇メートルの位置に設けられていた一四番ブイの手前(一三番ブイ側)であったということはできるものの、その付近という以上に正確に認定できる証拠はない。なお、原審証人山田建造は溺水地点を一四〇〇メートルを超えたところと述べるが、<証拠>に照らし採用しない。

3  利武の死亡に至る経過

山口が利武を本部船に引き上げたときの利武の状態は、既に呼吸が停止しており、頸動脈に脈拍が触知されず、瞳孔は左右とも散大し、顔色は蒼白ないし白に近い色で、唇に血の気はなく、入歯が外れて唇が口腔内に入り込んだようになっており、本部船上で気道確保に心掛けつつ心臓マッサージ、レスバック装置による人工呼吸がなされた(<証拠>)。本部船上における救急措置の際、利武は、口から泡状のものを出しただけで、水はあまり吐き出さなかった(<証拠>)。串本病院収容時からその死亡までの容体、治療経過については、原判決三三枚目裏一一行目の「利武は」から三七枚目裏二行目末尾までを引用する(<証拠>)。

<証拠>によれば、水没すると、まず呼吸停止(息ごらえ)あるいは喉頭痙攣が生じるため、吸気運動が起きても肺内に水を吸引しないが、進行すると喉頭が弛緩し、水没の一ないし三分後に吸気努力が始まって肺内に水を吸引し、また、嚥下運動も起こって水を飲み込むようになると認められるところ、右認定の事実に鑑みるに、利武は気管に海水をあまり吸引していなかったし、飲んだ海水の量も少なかったといえるが、これらを総合すれば、利武は泳いでいる際、さほど海水を飲むこともなく水没し、喉頭痙攣あるいは突然の心臓停止を生じ、水没から概ね三分以内に救助されたものの、既に心臓が停止しており、串本病院に収容されてから、一旦蘇生したものの、同月二四日に再度心臓停止に至って死亡したものと認めることができる。

二本件競技契約

控訴人らは、利武が、被控訴人の募集に応じて、本件大会に参加を申し込み、被控訴人は利武の参加を承認したので、利武と被控訴人との間に無名契約たる本件大会の競技実施に関する契約が成立したと主張し、被控訴人は、本件大会を実質的に運営したのは被控訴人とともに本件大会を主催した串本町観光協会であり、右観光協会が権利能力なき社団である「LOVE太平洋本州最南端串本トライアスロン」大会本部(本件大会本部)を構成し、これが本件大会の企画運営に当たっていたので、本件競技に関し、利武との間に何らかの契約が成立するとすれば、本件大会本部との間に成立するものであって、利武と被控訴人との間には何らの契約関係もないと主張するところである。

一般に、競技会の主催者が参加者を募集し、これに応じた者に競技会への参加を承認した場合、特段の事情がないかぎり、右主催者と参加者との間には、右競技会の実施に関する契約が成立したものということができ、その契約に従い、参加者は、有料であれば参加費用の支払義務を負担し、主催者は競技会を実施すべき義務を負うこととなる。

<証拠>によれば、本件大会は、串本町観光協会において計画し、同観光協会の会長や理事のほか被控訴人の職員や、古座町、古座川町の総務課長等によって構成される実行委員会、すなわち本件大会本部を構成し、本件大会本部が本件大会の具体的な運営に当たり、参加者を募集し、その応募者の中から参加者を選別し、参加費用を徴収するなどしたこと、そして、参加申込書の宛先は本件大会本部となっていることを認めることができる。しかしながら、被控訴人が本件大会の主催者であったことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、串本町観光協会は、昭和三〇年ころ串本町地域の振興、観光事業の発展等を目的として設立され、右地域における観光事業の調査、宣伝、計画等の事業を行なっているもので、右町内の旅館、土産物店、交通関係その他観光事業に関わる業種の者が会員となっているが、被控訴人とはその事務所を被控訴人役場内に置き、被控訴人町長や議会議長が顧問となり、事務局長も被控訴人職員が出向し、その予算も年間予算の三分の一以上を被控訴人の助成金(昭和六一年度五〇〇万円、昭和六二年度七〇〇万円)によって賄うという関係にあったもので、本件大会について、大会長を被控訴人町長が引き受け、本件大会本部には、被控訴人の助役、総務課長、企画財政課長、経済課長、建設課長、水道課長等が参加し、参加費以外から賄う費用のうち半額を超える一六〇万円を被控訴人において負担したこと、そして、参加者に交付された本件大会の要領には主催者として被控訴人を表示し、参加を承認する旨の通知書には、大会長の表示の下に被控訴人町長との表示もしていることを認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。これらによれば、被控訴人は、本件大会に単に名前を貸したものではなく、実質的に主催した者であって、主催者として参加者である利武との間に本件競技に関する契約の成立を妨げる事由はないというべきである。なお、参加者と観光協会あるいは本件大会本部との間に同様に本件競技に関する契約が成立するとしても、これによって、被控訴人との契約成立が妨げられるものではない。

三安全配慮義務

1 競技を主催した者は、その競技に関する契約に基づき、参加者に対し、競技を実施する義務を負うことは前述のとおりであるが、これに付随し、その競技が危険を伴うものである場合には、その参加者が、安全に競技できるように配慮し、救助を要する事態が発生した場合には直ちに救助すべき義務を負うことはいうまでもないところである。そして、本件大会のように沖合で長距離を泳ぐというような水泳競技においては、競技者に溺れる者が出るなどの事故が発生する可能性を否定できないから、その主催者は、競技コースの設定に配慮するとともに監視者、救助担当者を配置し、救助機器を用意して救助態勢を整え、かつ、参加者に救助を要する事態が発生した場合や、参加者から救助の要請があった場合には直ちに救助する義務があるというべきである。

そこで、まず、本件水泳競技における海上の監視、救助態勢についてみるに、第一、第二ポイント船(いずれもヨット)を出発点から八〇〇メートルの八番ブイ及び同一三〇〇メートルの一三番ブイ付近に、警戒船九隻、第一ないし第九号(いずれも遊魚船)を競技者の進むにしたがって広がり、最も広がった時点では一七〇〇メートルの位置の一七番ブイから五〇〇メートルの位置の五番ブイの間を第一ないし第三号が概ね先頭の、第四ないし第六号が概ね中位の、第七号ないし第九号が概ね後位の競技者を監視する形(具体的位置は原判決別紙(二)のとおり)で、更に、救助船二隻、第一〇、第一一号、本部船一隻を配置し、各船には、救急措置の訓練を受けた消防署職員や串本海上保安署の海難防止訓練をうけた者らを乗り組ませていたことを認めることができるが、右態勢については臨機に対応されるべき事柄もあるから、以下、控訴人の主張に即し、具体的に検討を加えることとする。

2  ウエットスーツ着用に対する配慮義務

控訴人らは、本件水泳競技の行われた橋杭水泳場の水温は、本件事件当日、利武が溺れた付近で摂氏二二ないし二三度であったから、被控訴人としては、参加者が体温低下によって溺れることのないように、体温保持のためのウエットスーツの着用を認めるべきであり、少なくとも五〇歳以上の高齢者や初心者にはこれを許可し、あるいはその着用を推奨すべきであったのに、一律に右着用を禁止したと主張する。

<証拠>によれば、本件大会本部が参加者に対して参加を承認する旨の通知とともに送付した本件大会日程及び注意事項書には、水泳競技においてウエットスーツの着用を禁止する旨記載されていたが、本件大会前日午後七時ころ開催の競技規則説明会で、スイムスーツとウエットスーツの違いが明確にならなかったことから、両者とも袖のあるものは認めないが、半袖、半ズボンのものは着用を認めるとされたことを認めることができる。右のように、当初禁止されており、前日の夜になってからその禁止を解いたところで、それからウエットスーツを用意することは困難であるから、実質的には競技者はその着用を制限されたといわざるをえない。しかしながら、本件水泳競技区域の水温については、<証拠>には二五度という記載があり、<証拠>には二二、二三度という記載があるものの、いずれもその測定の場所、時刻、方法が明らかでなく、これにより橋杭海水浴場の本件水泳競技当日の利武が溺れた地点付近の水温を認定することはできず、また、<証拠>によれば、参加者の中には水温をかなり冷たく感じた者があったことを認めることができるが、これによっても右水温を認定することはできず、他に右水温を認定するに足りる証拠はない。ただ、仮に右水温が摂氏二二度程度であったとしても、これをもって被控訴人にウエットスーツを着用せしめるべき義務があったとまでは認めることができない。すなわち、摂氏二二度という水温が必ずしも水泳競技に適切でないということはできないし、本件水泳競技においては、利武以外の参加者らに右水温が低かったことにより傷害が発生したということもなく、予めウエットスーツの着用を認めなければ危険であったというような状況は認めることができない。水温が低ければ、それだけ競技者に負担を与え、長時間泳ぐうちには、これがため低体温症となり、あるいは疲労が重なり、水泳を継続することが困難になることもあり得ないではないが、本件大会は、初心者も参加する規模の小さいトライアスロンであるといっても、耐久競技(鉄人競技と呼ばれることもある)であることには相違なく、しかも、その参加者は、水泳のできない者が強制的に参加させられているわけではなく、耐久競技であることを承知のうえで自ら希望して参加しているのであって、参加資格としてある程度の競技経験や心電図検査での異常のないことが要求されており、ことに、利武は、水泳暦一〇年、自転車暦一五年五か月、マラソン暦一〇年六か月あることを参加申込に際し、誓約書の参考資料欄に記入したうえ、昭和六一年五月末ころ、参加承認を受けた後の同年六月ころ負荷心電図検査の診断書を送付するとともに、大会事務局宛に大会参加を強く希望する旨の添書を送っているものであり、参加者は、相当の水泳技能、注意力、判断力を有していたと認められるところ(<証拠>)、このような競技会の主催者としては、参加者の水泳技能、注意力、判断力を前提に、その安全性の配慮をすれば足りるところ、参加者が低体温症あるいは疲労によって救助の意思表示ができなくなるまで泳ぎ続けるなどという異常なことまでも予想する必要はなく、競技者に水泳の継続が困難になった段階で競技中断の意思表示がされることを期待してよいというべきであり、そうであれば、結局、被控訴人においてウエットスーツの着用について、これを予め許可し、あるいは推奨すべき義務が存したとまでは認められない。

なお、水泳競技の主催者は、突発的な心臓停止等による事故に対する配慮も要するが、水温が二二度程度であればこのような突発的事故が生じる可能性が高いとまではいえないから、この点はウエットスーツの着用と関係がないというべきである。

3  標識ブイ等に関する配慮

控訴人らは、参加者がどこで競技を中断しても標識ブイまたはロープにつかまって危険を避けることができるようにすべきであったと主張する。本件水泳競技については、ほぼ一〇〇メートルごとに標識ブイが設置され、その間にロープは張られていなかったことが認められるところ(<証拠>)、一般に長距離の水泳競技においては途中で棄権するなど競技を中断する参加者が生じることは容易に予測されるので、水泳コース設定に当たっては、参加者が競技を中断した際に、休息しやすい設備を設けて置くことは望ましいことであるが、本件水泳競技は耐久競技であり、コースを泳ぎ切って次の競技に進むことが予定されており、その参加者は初心者も混じっていたというものの、いずれも相当の経験を有する者が多数の希望者の中から選ばれており、しかも、中断の場合には本部船一隻、警戒船九隻、救助船二隻等の船艇が待機し、救助態勢が取られていたのであり、救助の主たる役割はこれらの船艇に期待されるものであるうえ、一〇〇メートル毎とはいえそのブイに掴まって休むことができたものであって、未だ、右ブイの設置およびロープのなかったことをもって、安全配慮義務を欠いたとまではいえないところである。

4  医師、看護婦配置義務

控訴人は、本件水泳競技場の海浜に医師や看護婦を待機させたいわゆるメディカルテントを設置し、また、監視船に医師を乗り組ませるべきであったと主張する。確かに、本件大会のような競技会においては、生じ得べき事故に備えて医師及び看護婦を待機させ、必要な治療をなしうる設備を設けるべきである。右競技場の近くに串本病院が存在していることは認められるけれども、同病院に搬入するまでに九分程度の時間を要することもあり(<証拠>)、これでは緊急の場合に対処し得ないことも予想し得るのであって、右病院があるからといって、医師、看護婦を待機させ、必要な治療をなし得る設備を設けなくてよいとはいえないところである。ところで、本件利武の事故は、既に呼吸停止状態で救助されたものであるが、このような重篤な溺水患者に対しては、呼吸管理、循環管理等高度な医療が必要であり、そのための設備を病院外に設置することは困難であり、このような患者に対する措置としては、応急措置をするとともに、海浜に搬送用の車両を待機させるなどして、速やかに右設備の整った病院へ収容しうる態勢を整えれば足りるというべきである。利武については、救助直後から人工呼吸等の措置を受け、偶々他の参加者を収容する目的で右競技場の海浜まで来ていた救急自動車によって速やかに串本病院に搬入されたが、これによれば、右医師、看護婦の配置を欠いたことと、利武の死亡との間には相当因果関係がないというべきである。監視船に医師を乗り組ませることについては、重傷患者については、その救助態勢を監視船に備えることは困難であり、そうでない患者については海浜までさほど時間を要せずに搬送できるのであるから、監視にあたる船には応急措置ができる者を乗り組ませることで足りるというべきであり、本件においては、救護活動について指導を受けた消防署員等を乗り組ませており、現実に人工呼吸等の応急措置が可能であったのであるからこの点については、安全配慮義務を欠いたということはできない。

5  手漕ぎボート等による監視

控訴人らは、競技者にできるだけ接近して監視するため、手漕ぎボート、ゴムボート、サーフボート等参加者に接近できるものに監視者を乗り込ませて監視すべきであったと主張する。確かに、競技者に接近するには、通常の船艇より手漕ぎボート等が勝れているということができるが、競技中、競技者に接近することは、競技に影響を与えたり、接触するなどかえって危険を生じることもあり、手漕ぎボート等による監視が常に必要とまではいえない。しかし、競技開始から長時間を経過しても泳ぎ続け、相当疲労していると予想される最後尾付近の競技者については、手漕ぎボート等によって、競技すなわちその競技者の水泳に影響を与えない程度の距離を置いて追尾したり、傍らを漕行することが望ましいといえよう。しかしながら、要は、競技者が救助を求めたり、救助を要する事態となった場合に速やかに救助しうる態勢にあれば足りるのであって、必ず手漕ぎボート等による監視が必要であるとまではいうことができず、手漕ぎボート等による監視がされていなかったことをもって、安全配慮義務を欠いたとまではいえないところである。

四救助義務

1  利武が手を上げた時点での救助義務

控訴人らは、利武が宇井に向かって手を上げたのは、その時点で利武の泳ぐ速度が著しく遅く、疲労困憊していたといえること等から考えて、救助を求める意思表示であったと主張する。<証拠>によれば、救助船第一〇号に乗り組んでいた宇井は、一三番ブイと一四番ブイとの中間付近で、最後尾から二番目をゆっくりと平泳ぎで泳いでいた競技者に、約一〇メートルの距離から「まだ泳ぎますか。」という趣旨の声をかけたところ、その競技者が左手の手首の上くらいまでを海面から出して応答したことを認めることができるところ、その競技者の位置が最後尾から二番目で、一三番ブイと一四番ブイの間であったことに、宇井の乗る救助船が同競技者から離れて数分後に利武の溺水が発見されたという時間的関係(<証拠>)、利武の溺水の少し前に最後尾の競技者が棄権し、利武が最後尾となったこと(<証拠>)、前述の利武の溺水地点が一四番ブイの手前であったとの位置的関係を考えれば、右応答した競技者は利武であったと推認できる。そこで進んで、利武の手を上げた行為が救助を求める意思表示であったか否か検討するに、控訴人ら主張の利武の泳ぐ速度が分速6.26ないし8.3メートルとする点は、その計算の根拠が<証拠>に基づくものであるが、その供述は、特に宇井の見ている間に利武が泳いだ距離については正確といえないから、右主張のように明確に計算できるものではない。ただ、利武の泳ぐ速度がかなり遅かったことは認めることができるものの、その付近では潮の流れも相当あったことが認められ(<証拠>)、水泳速度が遅かったということから、直ちに、利武が救助を要する状態であったとはいうことができない。そして、<証拠>によれば、宇井は、利武の手を上げた行為が救助を求める趣旨かどうか判断がつかなかったことから、その場で、三ないし四分間、同人を監視していたところ、同人は宇井の乗る救助船へ向かって来ず、ゴール方向へ泳いで行き、更に合図をすることもなかったこと、そこで、宇井は右利武の応答を救助を求める意思表示ではなかったと判断したこと、そして、その直後、同救助船はスタート地点と第一コーナーの間の標識ブイの撤去のためにその場を離れたことを認めることができる。これに鑑みるに、利武が救助を求める意思であったとすれば、その救助を待ち、また、救助に来る様子がなければ、更に合図して救助を求め、救助船に接近したと考えられる。控訴人らは、利武は疲労困憊していたので、そのような要求は苛酷な要求であるというが、前述のように、利武はゴール方向へ泳いで宇井の乗る救助船から遠ざかったのであり、救助を求める意思であれば、少なくとも船の方向へは来ることができたはずである。以上によれば、利武には、救助を求め、あるいは棄権して競技を中断する意思はなかったと認められ、この点に関する宇井の判断は是認できるものであり、この時点で利武を救助しなかったことをもって救助義務違反ということはできない。

2  利武に対する意思確認義務

控訴人らは、利武が手を上げた行為が救助を求める意思であったかどうか紛らわしかったから、これを現認した宇井としては、利武の意思を確認すべきであったと主張する。しかしながら、宇井は、右行為の後数分間見守って、利武がゴール方向へ泳いで行くのを見て、救助を求める意思ではなかったと判断したのであり、右判断が是認できることは前述のとおりであり、これに重ねて意思を確認する義務があったとまではいうことができない。

3  その後の監視義務

控訴人らは、その後の利武については、目を離さずに、異変があれば直ちに救助できる距離を保ち、その態勢を整えて監視すべきであったと主張する。ところで、宇井が利武が手を上げて応答してから数分は監視していたことは前述のとおりであり、宇井の乗る救助船第一〇号はブイ撤去のために利武から離れたが、一方、利武の後方を泳いでいた最後尾の競技者が棄権し、警戒船第六号に引き上げられ、また、利武の前の競技者がコースを泳ぎ切って、利武が最後の水泳競技者になったところ、一七番ブイのゴール寄りから一三番ブイ付近に向かっていた救助船第一一号に乗っていた松原、一四番ブイの外側にいた警戒船第四号の芝田が、利武の泳ぐのを監視していたこと、利武は一三番ブイから一四番ブイに向かって泳ぎ、その泳ぎは遅かったものの異常があるとは見えなかったこと、芝田は警戒船第四号が風や潮に流されないように船の位置に注意を向けつつ、利武を見ていたのであるが、利武がうつ伏せのまま頭を海面から出さずに動かなくなったのに気づき、また、松原も利武から目を移して他の警戒船等がブイを撤去する状況を一瞥して、利武を振り返ったところ、同人が手を伸ばしてうつ伏せになり、流されるような状態になっているのに気づいたこと、更に、「あっ」というような声が上がったため、第二コーナー付近の内側にいた本部船に乗っていた山口もその方を見て、利武の異常に気づいたこと、このとき、利武の位置から、警戒船第四号は二〇メートルないし二五メートル、救助船第一一号は約五〇メートル、本部船は右警戒船より離れた位置にいたが、これより近い距離から利武を監視していた者はなかったこと、右各船はいずれも利武の方に急行し、前述のとおり山口によって利武は本部船に引き上げられたことを認めることができる(<証拠>)。

以上に鑑みるに、まず、宇井が利武の監視を続けなかったことは、利武が異常なく泳いでいたこととその監視の担当が他の警戒船(一四番ブイ付近は警戒船第四号の監視区域であった)であり、一四番ブイの外側に警戒船第四号がおり、他に監視する船も存在したことからするとこれをもって注意義務を欠いたとはいえず、また、控訴人ら主張の、手を上げたことを他の監視者に告げてから他に赴くべきであったという点も、手を上げたことが救助を求める意思表示でない以上は、そのことは格別意味があるわけではないから、これを告げなかったことをもって、注意義務違反ということはできない。ただし、利武が最後尾の水泳競技者であって、競技開始から一時間以上経過し、他に競技者がいない状況になっていたことからすれば、その監視に当たる者は、遠くても一〇メートル程度の距離から、継続的に監視すべきであったといわなければならない。しかるに、救助船第一一号の松原が目を離していたことは前述のとおりであるし、警戒船第四号の芝田も、ほんの四、五秒は目を離した可能性を否定しないところ、その供述によっても利武が動かなくなる直前の様子については曖昧であるから、利武が動かなくなる直前については見ていなかった、あるいは十分注意を向けていなかったといわざるを得ず、しかも最も近かった警戒船第四号も二〇ないし二五メートル離れていたのであって、これによればその監視は不十分であったといわざるを得ない。

しかしながら、芝田及び松原が利武から目を離した時間はごくわずかであると認められることと前述の利武が水を少ししか飲んでいなかったことからすれば、利武が溺れそうになってもがいていた時間は殆どなく、ほぼ突然に水面上に顔を伏せ、両手を伸ばして浮かんでいるような水没状態になったと推認できるが、以上を総合すれば、ほぼ突然に水没状態に陥った利武は、そのわずか後には芝田、松原、山口ほかに発見され、それから直ちに救助されたと認められ、その救助に警戒船がやや離れていたことも、それによって特段救助が遅れたともいえない。してみれば、右警戒船がやや離れた距離にあったこと及び芝田、松原が監視中に目を離したことが利武の救助に重大な影響を与えたとはいえず、結局、この点は、利武の死亡に相当因果関係を持つものではないというべきである。

五不法行為責任

控訴人らは、その主張の注意義務違反について、不法行為が成立するというのであるが、利武の死亡と相当因果関係のある注意義務違反がないことは前項までに述べたとおりであり、控訴人ら主張の不法行為の主張は失当といわなければならない。

六結論

以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、控訴人らの請求は理由がないから、これを棄却した原判決は相当である。そこで、本件控訴はこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官柳澤千昭 裁判官東孝行 裁判官松本哲泓)

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