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大阪高等裁判所 平成3年(う)904号 判決 1995年7月19日

目次

主文

理由

(本件控訴の趣意および答弁)

(訴訟手続きの法令違反の主張〔控訴趣意書第一点一2(六)(6)、第二点二1〕について)

(所得税法違反について)

近藤病院および関連法人の概要

収入について

1 患者からの謝礼金(控訴趣意書第一点二1)について

2 貸倒金(控訴趣意書第一点二2)について

3 割戻金(控訴趣意書第一点二3(五)について)

必要経費について

1 医薬品の仕入(控訴趣意書第一点一2(四)および二3(一)ないし(六))について

2 人件費(控訴趣意書第一点二3(七))について

(一) ミヤコトラベルへの支払いについて

(二) 近藤一、近藤千鶴への給与の支払いについて

(三) 当直医雑給について

(四) 藤田千代子への支払いについて

(五) 近藤千里への給与および退職給付引当金について

3 青色申告取消益(控訴趣意書第一点二3(七)、平成六年三月二八日付控訴趣意補充書)について

4 医療材料費(控訴趣意書第一点二3(八))について

5 医療消耗品費、研修費、事務用品費、接待交際費(控訴趣意書第一点二3(九))について

6 福利厚生費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

7 保守料(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

8 支払手数料(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

9 調査費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

10 諸会費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

11 雑費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

(一) 簿外の諸雑費の額について

(二) 昭和五三年の湯山製作所関係の二五万七〇〇〇円について

(三) 汚水排水協議会に対する支出について

(四) 前切正に支払った三九三万六〇〇〇円について

12 特別必要経費の変名支出(控訴趣意書第一点一2(五))について

被告人の犯意(控訴趣意書第一点一2(五))について

数理の無視と捜査段階の供述の重視という主張(控訴趣意書第一点一3)について

その他

まとめ

(詐欺について)

法令適用の誤りの主張(控訴趣意書第二点一)について

事実誤認の主張について

1 被告人の犯意(控訴趣意書第二点二)について

2 定例委員会の審査終了後小委員会に回す前のレセプトの中に別口にしたレセプトを差し込んだ場合(控訴趣意書第二点三)について

3 個々の差込み(控訴趣意書第二点四)について

(一) 吉田福司の診療分(控訴趣意書第二点四1)について

(二) 前中克己の診療分(控訴趣意書第二点四2)について

(三) 鶴間勇雄の診療分(控訴趣意書第二点四3)について

4 その他(平成五年九月一〇日付控訴趣意補充書第三の五5、6)

5 (結論)

(自判)

(原判示罪となるべき事実第一の各事実に代えて当裁判所が新たに認定した事実)

(右認定事実についての証拠の標目)

(確定裁判)

(法令の適用)

(量刑の理由)

【別紙】

1 修正損益計算書(昭和五二年分)

2 修正損益計算書(昭和五三年分)

3 修正損益計算書(昭和五四年分)

4 脱税額計算書(昭和五二年分)

5 脱税額計算書(昭和五三年分)

6 脱税額計算書(昭和五四年分)

7 貸倒検討表

8 神戸市病院等医薬品比率一覧表

9 近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)

10 近藤病院医薬品比率一覧表(原判決認定分)

11 近藤病院医薬品比率一覧表(当審認定分)

12 架空(変名)仕入病院計上額月別内訳表(昭和五四年四月以降分)

13 架空(変名)仕入一覧表(原判決認定分)

14 架空(変名)仕入一覧表(当審認定分)

15 医薬品仕入高算定表(原判決認定分)

16 医薬品仕入高算定表(当審認定分)

17 特別必要経費一覧表

18 特別必要経費集計表

19 増減科目等一覧表

本籍

神戸市北区道場町道場一六番地

住居

同区有野町有野二三六〇番地

医師

近藤直

昭和一二年一〇月二九日生

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件について、平成二年一二月一二日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 東巖 出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を当裁判所認定の判示第一の一および二ならびに原判決認定の原判示第二の一および二の原判決別紙(八)一覧表番号1ないし3の罪につき懲役一年一〇月および罰金一億二〇〇〇万円に、当裁判所認定の判示第一の三および原判決認定の原判示第二の二の同一覧表番号4ないし13の罪につき懲役一年二月および罰金六〇〇〇万円に処する。

右各罰金を完納することができないときは、それぞれ金三〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用のうち、証人岸本敏夫に対し第六回公判期日出頭分として、証人木元美文に対し同公判期日出頭分として、証人井上重由に対し第九回公判期日出頭分としてそれぞれ支給したものを除くその余の費用は、被告人の負担とする。

理由

(本件控訴の趣意および答弁)

本件控訴の趣意は、弁護人大槻龍馬、同石原鼎、同浅野芳朗共同作成の控訴趣意書、平成五年九月一〇日付および平成六年三月二八日付各控訴趣意補充書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官山田廸弘作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決は、近藤病院の名称で病院を経営する被告人が、同病院の監理局長木元美文および経理部長奥山昌明と共謀のうえ、昭和五二年ないし五四年分の所得の一部を秘匿して兵庫税務署長に対し虚偽の所得税確定申告書を提出し、不正の行為により、昭和五二年分の所得税三億四五九五万七八〇〇円、昭和五三年分の所得税四億〇〇〇九万一一〇〇円、昭和五四年分の所得税二億五一五二万三五〇〇円をそれぞれ免れ(原判示第一の一ないし三)、兵庫県国民健康保険団体連合会に対し診療報酬を請求するにあたり、診療報酬明細書の一部について審査を受けずに不正に診療報酬の支払いを受けようと企て、同病院の診療報酬の請求に関し被告人の相談に与っていた塩郷永治、同連合会業務第二課長井上重由および木元と共謀のうえ、昭和五二年九月一九日ころから昭和五三年八月二一日ころまでの間、一二回にわたり、同連合会に診療報酬を請求する際、請求書に添えて提出する診療報酬明細書の一部を除外しておき、同連合会設置の兵庫県国民健康保険診療報酬審査委員会の定例委員会の審査終了後、請求書添付の診療報酬明細書の中に密かに差し込むなどして、同連合会の係員および常務理事に、診療報酬明細書全部につき審査を終えたものと誤信させ、太陽神戸銀行三田支店の被告人名義の普通預金口座に右差込みにかかる診療報酬明細書分の診療報酬として合計一億四一二六万七二六八円を振込入金させて財産上不法の利益を得(原判示第二の一)、木元、塩郷、同連合会業務第一課長補佐兼甲表係長事務取扱坂本哲也(昭和五四年一〇月一日から業務第三課長補佐兼第一係長事務取扱)と共謀のうえ、昭和五三年九月二〇日ころから昭和五五年一月下旬ころまでの間、一三回にわたり、前同様の方法により右被告人名義の普通預金口座に差込みにかかる診療報酬明細書分の診療報酬として合計一億六四四一万二二八三円を振込入金させて、財産上不法の利益を得た(原判示第二の二)という事実を認定したが、原判決には、所得税法違反について判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反ないし事実誤認があり、詐欺についても判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りおよび事実誤認があるというのである。

そこで、次項以下において、所論にかんがみ記録および原審で取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討する。

なお、以下の各項目の標題のかっこ内に対応する控訴趣意書および控訴趣意補充書の標題の番号を記載しているが、平成五年九月一〇日付控訴趣意補充書については、控訴趣意書の主張内容を敷衍する箇所の標題の番号の記載は省略し、控訴趣意書で主張していない内容が記載されている箇所の標題の番号のみを記載した。また、本判決において証拠に付したかっこ内の記載のうち、「検」は検察官請求の証拠であることを、「弁」は弁護人請求の証拠であることを、漢数字は標目番号を表す。当審という表示がないものはすべて原審で取り調べた証拠である。但し、証拠物については原審押収番号の符号のみを記載した。

(訴訟手続きの法令違反の主張〔控訴趣意書第一点一2(六)(6)、第二点二1〕について)

論旨は、被告人は、本件所得税法違反により、昭和五六年二月一二日に逮捕され引き続き勾留されたところ、逮捕勾留は初めての体験であり、前年の北神営繕株式会社に対する兵庫税務署の特別調査から本件査察まで長期間続いた調査後の寒さの強いときに逮捕勾留されて、心身ともに疲労し体調を崩していたうえ、本件査察があることが事前に分かっていたことから、万一の場合は、父母や第三者に迷惑を掛けるような発言を一切せずに、自分一人が責任をとって病院を守るということを関係者と打ち合せていたため、検察官に対し、その捜査方向に迎合し真実を歪めて供述したものであり、詐欺についても、真夏に勾留されたことにより心身ともに極度に疲労困憊している状態で、検察官に対し供述したものであるから、被告人の各検察官調書には任意性がないにもかかわらず、これを証拠として採用した原審の訴訟手続きには判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるというのである。

記録によれば、被告人は、所得税法違反により、昭和五六年二月一二日に逮捕され、同月一四日から神戸拘置所に勾留されて同年三月一三日に保釈されるまでの間、検察官の取調べを受けて検察官調書二四通(検二四七ないし二七〇)が作成され、保釈後も検察官の取調べを受けて検察官調書三通(検二七一ないし二七三)が作成され、更に詐欺により、同年七月一六日に逮捕され、翌一七日から同拘置所に勾留されて同年八月七日に保釈されるまでの間、検察官の取調べを受けて検察官調書八通(検七六四ないし七七一)が作成されたことが認められる。そして、回答書(弁一八九)、「ご連絡」と題する書面(弁一九〇)等関係証拠によれば、被告人は、所得税法違反により勾留されていた間、同年二月一六日、感冒様の症状を訴え、咽頭に発赤が認められたことから二日分の投薬を受け、七日間にわたって横臥を許されたこと、同年三月二日、学生時代心臓発作を起こしたことがあると申し出て、心電図検査を受け、特に著明な変化は見当たらなかったものの、血圧が最高一六〇、最低一〇〇と上昇していたため、強心剤と降圧剤の投与を受けたこと、同月四日には慢性腎炎の前歴があると訴えて、右のほかに利尿剤の投与を受けたこと、同月六日には、右眼の視力減少と脱力感を訴えて、右眼底検査を受けたがおおむね正常であったこと、同月八日右側頭部の痛みを訴え、同月一一日には下痢を訴えて上痢剤を投与されたことが認められ、詐欺により勾留された際は、同年七月一七日の受診時に、以前右脳血管撮影をしたところ動静脈変形があり、精神的安静が必要であるという診断を受けており、偏頭痛があると訴えたが、血圧は最高一四〇、最低九〇であり、検尿の結果は蛋白陽性、糖擬陽性であったこと、同月一八日には肛囲の痛みを訴えて治療剤の投与を受け、同月二〇日と二二日には頭痛を訴えているが、血圧は最高一二〇、最低九〇であったこと、同月二四日には下痢を訴え、同年八月三日には、入所前より空腹時の痛みがあり、食事をすると痛みが治まっていたと申し立てていることが認められ、被告人は、勾留中様々な体の不調を訴えているところ、被告人の供述(第一一回、第一六回各供述書〔弁二二一、二二九〕、原審第一二三回公判等)によれば、被告人の言い分を検察官に理解してもらえなかったが、体調が悪かったため、検察官の主張を認める内容の供述をせざるをえなかったというのである。

しかし、被告人の体調については、右のとおり、拘置所において被告人の訴えに応じた措置を講じており、被告人も、拘置所が種々の配慮をするなど非常に優遇してくれたことを認めているうえ(原審第一二二回公判)、被告人の供述によれば、検察官と論争しながらも、供述調書に一行でも自分の主張が記載されるように終始頑張った(第一六回供述書〔弁二二九〕)、特別経費については、支出した相手先に迷惑をかけないようにするために、査察前から考えていた内容を検察官に述べた(第二回供述書〔弁二〇九〕)、体調の問題とかがあるから検察官の取調べのときにすべてを認めたというのではなく、やはりある程度の本筋を喋らなければいけないと思うことは、喧嘩をしながらでも喋った(原審第一五三回公判)というのである。そして、被告人の各検察官調書の内容をみると、各種の弁解も十分録取されていること、当審で取り調べた被告人の査察官に対する質問てん末書七通(当審検一ないし七)には、被告人が任意に供述した内容が録取されていることが明らかであるところ、所得税法違反事件の被告人の検察官調書の内容は、右質問てん末書の内容とほぼ同じであることも併せ考えると、被告人の各検察官調書は、その任意の供述を録取したものと認められ、後記のとおり、その信用性については一部疑わしい点があるものの、所論のいうような任意性に疑いを生じさせるような事情は窺われない。

従って、被告人の各検察官調書を採用した原審の訴訟手続きに法令違反はない。論旨は理由がない。

論旨は、原判決の事実認定のうち、原審弁護人河村澄夫ほか三名共同作成の「検察官の冒頭陳述書添付の『ほ脱所得の内訳明細表』に対する意見」と題する昭和五七年一二月一日付書面に反する部分は、すべて事実誤認であるというのである(なお、所論は、事実誤認を主張する中で、審理不尽ないし訴訟手続きの法令違反も主張しているところ、それらはいずれも、原判決が認定した事実については、それを認定するに足りる十分な証拠がないとか、原判決は、証拠の評価を誤ったため事実を誤認しているという趣旨の主張であって、結局は事実誤認を主張しているものと解される)。

まず、近藤病院および関連法人の概要をみたうえで、所論が各論(控訴趣意書第一点二)として特に強調する事項から順次検討する。

一  近藤病院および関連法人の概要

関係証拠によれば、以下の事実を認めることができる(本判決の以下の記載は、特に断らない限り、昭和五二年ないし五四年の事柄に関するものである)。

被告人は、昭和四二年九月神戸市北区有野町で近藤病院を開設した(近藤病院は、法人格を有しないのであるが、以下においては、病院という組織体として表示する場合は、「被告人」と表示せず「近藤病院」と表示する)。近藤病院の診療科目は、外科、脳神経外科、整形外科、産婦人科、小児科、内科、放射線科、麻酔科、リハビリテーションからなり、被告人は、主として外科関係の診療にあたり、被告人の妻近藤千里医師が産婦人科と小児科を担当し、別に常勤の医師一名が内科を担当するほか、非常勤の医師二三名が診療にあたっている。非常勤の医師は主として兵庫医科大学教授伊藤信義の世話により派遣されているもので、同教授も、近藤病院の手術を手伝い、被告人の相談相手になっている。また、被告人の父近藤一と母近藤千鶴も医師であり、同区道場町で近藤医院を開設しているところ、千鶴医師は、昭和五三年六、七月ころまで、毎週被告人が休診する木曜日には近藤病院で医療に従事し、その後、外科の医師がパートで来るようになったため、被告人やパート医師に支障があるときのみ同病院での診療にあたっていたが、昭和五四年五月以降は、同病院での医療活動をしていない。近藤病院のベッド数は一〇九床あり、従業員は、看護婦が三、四〇名、薬剤師が四名、技師が六、七名のほか、職員が八〇名位おり、木元美文は同病院の監理局長を、奥山昌明は経理部長をしている。

被告人は、近藤病院の関連法人として、昭和四六年八月北神営繕株式会社を、昭和五一年一〇月有限会社二千商事を、昭和五三年一月有限会社ボブキャットを、同年一一月有限会社丸一薬局(昭和五四年一月、商号を有限会社北神中央医療薬局に変更)を、昭和五四年四月社会福祉法人万亀会をそれぞれ設立した。北神営繕は医薬品および医療器具の販売、ビルの清掃管理等を、二千商事は医療器具の販売およびリース、不動産賃貸等を、ボブキャットはレストラン経営等を、北神中央医療薬局は医薬品販売および調剤薬局の経営をそれぞれ目的とする会社であるところ、被告人は、右各会社の取締役には就任せず、千鶴、千里、奥山らが、各会社の取締役に就任し、かつ代表者になっている。また、万亀会は、千鶴が理事になり、加古川市内において特別養護老人ホーム万亀園を設置し経営している。

近藤病院では、麻薬等医師でなければ購入できない医薬品を除き病院で使用する医薬品のほとんど全部を北神営繕から薬価基準で購入している。

なお、被告人は、昭和四七年一二月に査察を受け、昭和四五年および四六年の所得につき所得税法違反により起訴されて、昭和五三年二月一七日神戸地方裁判所で、懲役一年および罰金二五〇〇万円に処する(懲役刑については三年間執行猶予)旨の判決を受け控訴したが、昭和五四年三月一六日控訴を棄却され、上告期間の経過により右判決は確定した。

二  収入について

原判決は、被告人の事業所得に関し、昭和五二年については、公表金額の一五億二五八一万五〇七四円のほか患者からの謝礼金一一九四万七六六〇円の収入が、昭和五三年については、公表金額の一六億六七九三万〇九五四円のほか患者からの謝礼金一一九七万円および北神営繕からの割戻金八一〇六万六五六三円の収入が、昭和五四年については、公表金額の一五億六九九二万五七六八円のほか患者からの謝礼金一二三三万五〇〇〇円の収入があり、かつ、同年においては、収入金額から治療代の貸倒金額を除外しているところ、そのうち三一九七万三五一九円は貸倒金ではないから、その額を収入額に加えるべきであるとして、被告人の収入は、昭和五二年が一五億三七七六万二七三四円、昭和五三年が一七億六〇九六万七五一七円、昭和五四年が一六億一四二三万四二八七円である旨認定している。

1  患者からの謝礼金(控訴趣意書第一点二1)について

所論は、近藤病院には医師全員により互助親睦を目的として組織された近友会という団体があり、同会は、法人格を有しないが、団体としての組織を有し、代表者をおいて、統一された意思のもとに、その構成員の個性を超越して活動を行うものであり、病院経営者である被告人といえども、その運営や資金管理の権限を全く有していなかったものであるところ、同会においては、近藤病院の患者からの謝礼金は、会員の共済資金として積み立てる旨規定していたから、患者からの謝礼金は、同会に帰属し同会会員の合有であって、被告人の収入ではない旨主張する。また、所論は、患者からの謝礼金を入れたのし袋に宛名が書いてある場合は、当該患者や家族は、その宛名に記載した医師に謝礼金を贈る意思であり、相手の医師も、謝礼金を自己の所有にする意思のもとに受け取り、これを近友会に提供すべき義務もなければ、被告人に譲渡すべき義務もないのであるが、同会の規定に従い、受け取った謝礼金を同会に提供しているのであるから、謝礼金が当然に被告人の収入になるということはできず、仮に近友会についての主張が認められないとしても、謝礼金のうち、それを入れたのし袋に宛先が書かれていないものすべてが被告人に贈られたものであると断定することはできないし、被告人に贈られたものと、その他の医師に贈られたものとの区別もできないのであるから、全額を被告人の収入ではないものとすべきであるというのである。

まず、患者からの謝礼金の性質について考えるに、謝礼金は、医療機関で受けた医療行為に対する感謝の気持ちを表すために授受されるものであるから、患者側が謝礼金を誰に交付する意思であるかによって、それを受領すべき者は自ずから定まるものである。そして、謝礼金は、医療行為の直接の対価ではないが、医療機関での医療行為に伴い授受されるものであるから、患者側が、相手を特定する意思を表示しないで謝礼金を出す場合には、それは当該医療機関に対し交付されたものと解される。従って、患者からの謝礼金は、本来、患者側が相手を特定した場合は、その特定された者に渡されて、その者の収入になり、患者側が右の意思を表示しない場合は、医療機関すなわち本件においては近藤病院に渡されて、同病院を経営する被告人の収入になるというべきである(なお、患者側が相手を特定したのに、何らかの理由により、その相手には渡されず近藤病院に渡されて、そのまま同病院において使用する金銭の中に組み込まれてしまったときは、税法上は、同病院を経営する被告人の収入になったものとみざるをえない)。所論は、近友会の規定に従い、謝礼金は同会の収入になる旨主張するのであるが、近友会という団体が実在するか否かについては後に検討するとして、関係証拠からは、近藤病院の患者は、そのような団体があることを知らないことが窺われるから、患者の側に、近友会に謝礼金を渡そうという意思が生じる余地はなく、同会に渡す意思を明示的にはもちろん黙示的にも表示する筈がないから、謝礼金は、患者側が特定した医師か近藤病院すなわち同病院を経営する被告人に渡されたものと認められ、仮に近友会が存在するとしても、同会が患者側から直接受領することはなく、謝礼金が同会の収入になるとすれば、それは、謝礼金を取得した被告人や他の医師から拠出を受けるためである。

ところで、被告人は、患者からの謝礼金および近友会について以下のとおり供述している(原審第一二五、一二六、一五三回公判。質問てん末書〔当審検七〕)。すなわち、近友会は、近藤病院の医師の親睦会として作られたものであるが、医師が大金を必要とするときに備えて、患者から受け取る謝礼金を会として保管管理することも会の目的の一つである。謝礼金を近友会で保管するようになったのは、昭和四七年に査察を受けたとき、患者からの謝礼金は、課税対象にしないけれども、誰に帰属するのかは明らかにしなければならないということを査察官から言われたことから、伊藤教授が公認会計士等に相談して、同会で保管することにし、昭和四八年八月の同会の総会で、謝礼金を同会が保管管理することについて各医師の了承を得た。そして、黒木輝夫医師を近友会の代表者とし、伊藤教授が、同会の金銭出納簿を管理して収支をチェックし、各医師が受け取った謝礼金は、被告人が取りまとめて入院外来ともマツオカケイコ名義で野村證券のファミリーファンドに入金していたが、昭和五四年七月ころ、第一勧業銀行山手支店に近友会黒木輝男名義の預金口座を設け、入院患者分の謝礼金と製薬会社からのデータ料をまとめて預け入れたというのである。

たしかに、関係証拠によれば、近藤病院が主催するゴルフコンペのときや同病院の医師の親睦旅行のときなどに、近友会という名称が用いられていたことが認められ、「近友会特別資金規定」と題する書面綴(弁二〇〇)によれば、患者からの謝礼金について被告人が供述するような内容の規定を記載した近友会特別資金規定と題する書面が存することも認められる。しかし、以下に説示するとおり、近友会というものが、ゴルフコンペ等のときの単なるグループ名である以上の存在であり、被告人が供述するような団体であったと認定することはできない。

まず、近友会が、団体としての組織をもった存在であり、患者からの謝礼金を会として保管管理していたということを供述しているのは、被告人とその妻千里のみであり、被告人の供述によれば近友会の代表者である筈の黒木医師は、近友会の存在も、自分が代表者になっているということも知らないし、自分名義の預金口座があることも知らない旨供述しており(同医師の検察官調書〔検一一八〕)、被告人の供述とは全く食い違っているところ、この点について、被告人は、黒木医師が近友会の代表者に選ばれたのは、本人がいない席でのことなので、本人にそのことを伝えた者がいなければ、黒木医師は自分が代表者になったことを知らなかったかもしれないと供述するのであるが、代表者を選出しておきながら、その本人に誰も代表者選出のことを伝えないということは考えられず、右供述はそれ自体まことに不自然かつ不合理である。また、医科大学の教授であり、国内有数の外科医であるという伊藤教授が、いかに被告人と親しい関係にあったとしても、金銭出納簿を保管して、一個人病院の患者からの謝礼金の収支を管理するというのは、実際の金銭の取扱いを近藤病院の職員にさせていたとしても不自然である。更に、昭和四八年の近友会の総会で、医師が患者から受け取った謝礼金を同会において保管管理する旨決めたということを供述しているのは被告人のみであって、近友会特別資金規定が作成された経緯も明確ではなく、かつ、同年に右規定を定めたというにもかかわらず、謝礼金を預金等するにあたり、近友会という名称を使わず、マツオカケイコ名義で積み立て、右総会から六年後の昭和五四年七月になって初めて、それまで貯めていた入院患者の謝礼金を近友会代表者黒木輝男名義で預金し(この預金名義は黒木の名「輝夫」を「輝男」と間違えたものである)、しかも、そのことを黒木本人には伝えていないというのも(被告人の検察官調書〔検二六五〕)、まことに不自然である。そして、「近友会特別資金規定」と題する書面綴(弁二〇〇)、査察官調査書(検一一六〇)、のし袋の写一綴(弁二〇一)、被告人の検察官調書(検二六八)を総合すると、近友会の関係で、第一勧業銀行山手支店において、昭和五四年七月一九日一〇〇〇万円の自動継続定期預金が無記名でされ、同月二八日近友会黒木輝男名義の普通預金口座が開設されて二八五一万三〇〇〇円と一五〇〇万円が預けられたうえ、同日一五〇〇万円、同年八月二四日一一〇〇万円がそれぞれ同普通預金口座から引き出され、同月三一日には、同口座から一〇〇〇万円が引き出されて近友会代表者黒木輝男名義で定期預金されていること、同年九月二一日には右定期預金二口がいずれも満期前であるにもかかわらず解約され(解約利息合計三万〇二七四円)、かつ、右普通預金口座から八二万五六一四円が引き出され、同月二九日には同口座から太陽神戸銀行三田支店の近藤一名義の預金口座へ六三七万四八〇〇円が送金されていること、右のし袋の写一綴の裏に書かれた金額の合計は右七月に預金された合計五三五一万三〇〇〇円に一致すること(右のし袋の写に書かれた金額は一部不鮮明で判読し難いものもあるが、判読できるものの合計は五三四〇万五〇〇〇円であり、被告人の検察官調書〔検二六八〕と併せ考えると、右のとおり認定できる)、前掲書面綴(弁二〇〇)中の「査察に関する整理分」と題するメモには、右金額は昭和四七年七月から昭和五一年七月までの分である旨記載されているところ、右メモの記載は右期間中の入院患者からの謝礼金や製薬会社からのデータ料の合計であるという趣旨に解されること、同書面綴(弁二〇〇)中には被告人名義の近友会宛借用書五通(このうち三通は「借用金証書」と題するもの。なお、昭和五四年八月二三日付借用書は同月二四日付借用書と同一の金銭についてのものと認められる)が綴られており、その借用金額は、昭和五四年七月二八日付が一五〇〇万円、同年八月二四日付が一一〇〇万円、同年九月二一日付が六三七万四八〇〇円と二〇八五万五八八八円の合計五三二三万〇六八八円であって、この金額は、近友会関係で預金された前記合計五三五一万三〇〇〇円に、同年八月二〇日までの普通預金利息二万三七四八円および前記二口の定期預金解約利息合計三万〇二七四円を加えた額から、同年九月二九日現在の普通預金残額三三万六三三四円を差し引いた額と一致すること、被告人は、同月二一日に昭和四六年度の所得税の修正申告分の本税四九八五万五八八八円を納付しているところ、同書面綴(弁二〇〇)中の国税納付書・領収証書の写の余白には、右納付金の内訳は、現金二九〇〇万円、定期解約二〇〇三万〇二七四円、普通預金八二万五六一四円である旨のメモが書かれていることが認められる。右の事実によれば、被告人は、近友会が入院患者からの謝礼金等を預金していた中から借入れをして右税金を納付したようにみえないではない。しかし、近友会の存在については、前記のとおり不自然な点があること、被告人が近友会に差し入れたという前記借用書は、奥山が、被告人から、近友会から借入れをしたと聞かされて作成したものであり、多額の貸借であるにもかかわらず、同会の代表者であるという黒木は、右貸借について全く知らず、右借入れをしたということを供述しているのは被告人のみであること、右多額の借入金の返済については何ら明らかにされていないこと、近藤病院では、入院患者からの謝礼金が月平均一五〇万円位ある(被告人の検察官調書〔検二五一〕)というのであるが、近友会代表黒木輝男名義の預金口座を開設し、それまでたくわえていた入院患者の謝礼金を入金したというにもかかわらず、口座開設の翌月である昭和五四年八月以降、同預金口座に入院患者からの謝礼金が全く預金されていないこと、所得税の審査請求書三通、審査請求取下書、更正通知書三通の各写(弁一五〇ないし一五二、一五四、一五六ないし一五八)、証人權世顔の供述(原審第一〇九回公判)によれば、被告人は、前回の査察を受けたとき所得税の修正申告をし、前回の刑事裁判確定後、減額の更正を請求し、その理由がない旨の処分を受け、異議申立も棄却されたため、国税不服審判所へ審査請求し、一方では国税庁の幹部と交渉した結果、審査請求取下を条件に国税庁が所得税の減額に応じることになったことから、右口座開設前の同年七月五日に審査請求を取り下げ、同年八月二日付で所得税の本税および加算税を減額する旨の通知を受けていることが認められること、被告人は、患者の謝礼金が入っていたというのし袋に記載された金額は、自分が、製薬会社からのデータ料を加算して修正したもので、前記近友会関係の預金総額に合致するように、謝礼金やデータ料の実際額とは無関係な金額に書き直したと供述していること(検察官調書〔検二六八〕)、被告人は、患者からの謝礼金は、事業所得ではあるが、現実には課税されることはないと考えていたことが窺われることを総合すると、近友会は実体のない書類だけの団体であるという被告人の供述(検察官調書〔検二七〇〕)を待つまでもなく、近友会という独立した団体は存在しておらず、同会関係名義の預金口座は、被告人が、前記税金を納付するにあたり、その納付金を患者からの謝礼金等をたくわえていた中から捻出したように装うために、開設されたのではないかとの疑いを抱かざるをえない。

被告人は、入院患者からの謝礼金が月平均一五〇万円あったほか、外来患者からの謝礼金が月平均一〇〇万円あったとしながら、原判決認定の謝礼金は外来患者からの謝礼金である旨捜査、公判を通じて一貫して供述するのであるが、右外来患者からの謝礼金というのは、毎月一〇〇万円に少し満たない額を、証券会社にほぼ定額で積み立てられていたものであるところ、入院患者が、病院に治療代のほかに謝礼をすることは世間一般に見受けられるところではあるが、外来患者が謝礼金を出すということは、いわゆる盆暮の儀礼的なものは別として余りないことであり、謝礼をするとしても、その治療との関係からみて、それほど大きな金額ではないと考えられるから、近藤病院の外来患者がいかに大勢であるとしても、その合計額が年一二〇〇万円程度に達するとは、にわかに信じ難く、毎月証券会社に積み立てられていた謝礼金というのは、原判決も、入院患者からの謝礼金と外来患者からの謝礼金とを区別せず、単に患者からの謝礼金と認定しているように、入院患者からの謝礼金と外来患者からの謝礼金とを合せたものの一部であって、これが毎月積み立てられていたものと認定するのが相当である。

以上、患者からの謝礼金が病院経営者である被告人に帰属するものと認定した原判決に事実誤認はない。

2  貸倒金(控訴趣意書第一点二2)について

(一) 所論は、患者が、支払能力があるにもかかわらず、治療代の支払いを一年以上も放置するということは、通常の場合ありえないことであるから、治療代が一年以上も支払われない場合は、支払能力がないものと判断するのが常識であるところ、被告人は、治療代の集金担当者がこのような常識のもとに執務し、その処理結果を集計して、奥山経理部長が、税理士の指導により貸倒に該当するか否かを正確に選別して申告手続きをするものと信じており、貸倒処理が可能なものはできるだけその処理をして、無用な税負担を軽くするよう大綱を指示したことはあるが、貸倒処理が不可能なものまで貸倒として処理するよう指示したことはなく、個々の患者の治療代について貸倒とするか否かの判断について関与する時間的余裕は全くなかったのであるから、貸倒金について被告人は全く犯意を有していない旨主張し、かつ、所得税法基本通達(以下、基本通達という)五一-一三は、債務者との取引を停止した時(最後の弁済期又は最後の弁済の時が当該停止をした時より後である場合には、これらのうち最も遅い時)以後一年以上を経過したときは、その債務者に対して有する債権の額から備忘価額を控除した残額を貸倒になったものとして、当該債権にかかる事業所得の金額の計算上必要経費に算入することができるとし、その注において、右にいう取引停止とは、継続的な取引を行っていた債務者につきその資産状況、支払能力等が悪化したため、その後の取引を停止するに至った場合をいうとしているのであるが、医療機関は、法律上診療を拒むことができないのであるから、当初から患者の資産状況、支払能力を考慮しないで治療をすることになり、かつ、患者の資産状況、支払能力等が悪化したからといって、その後の治療を停止することも許されないのであり、治療を受けた患者が支払能力があるにもかかわらず、治療代の支払いを一年以上も放置しておくようなことは一般的な常識として考えられず、このような場合は、原則として支払能力がないものと推認されるから、医療機関に対しては、基本通達五一-一三の注が適用される余地がないにもかかわらず、本件に右の注を適用した原判決は基本通達の解釈を誤ったものであるとして、原判決が貸倒金に該当しないとした二二口の未収金について、これが貸倒金でないというのは事実の誤認である旨主張する。

ところで、昭和五四年の所得税確定申告をするにあたり、近藤病院は、合計七二三八万五九六五円の貸倒があるとして、これを収入額から控除しており、原判決も、貸倒に当たるか否かを検討し、貸倒に当たると認定した額を収入額から控除しているのであるが、関係証拠に照らせば、本件において貸倒と称されているものの中には、昭和五四年一二月末日以前に弁済等の事由により既に診療報酬債権が消滅しているにもかかわらず、なお未収金として記帳されているため、帳簿上は債権が存在していることになっているものを会計帳簿から抹消したものと、基本通達に該当するとして貸倒処理したものとの二種類があることが認められるところ、当事者も原審裁判所も、右の点を区別せず等しく貸倒金と呼んで、その金額を収入額から控除しているのであるが、昭和五四年一二月末日までに消滅した債権については、その債権額相当の未収金は存在しないのであるから、その額を収入額から控除すべきであるが、基本通達に該当するとして貸倒処理したものについては、その金額を、必要経費として計上すべきであって、収入額から控除すべきではない。原判決は、本件所得税確定申告の内容に沿って、貸倒金額も収入額から控除したものと思料され、その方法によっても算定される所得額は同じであるが、別の勘定科目に計上すべき性質の異なる二つのものを、同一の呼称で呼び同一の勘定科目で扱うのは相当でないから、本判決においては、この点を区別して呼ぶこととする。

まず、基本通達について考えるに、所論は、患者が支払能力があるにもかかわらず、治療代の支払いを一年以上も放置しておくようなことは一般的な常識として考えられず、このような場合は、原則として支払能力がないものと推認されるから、医療機関に対しては基本通達五一-一三の注が適用される余地がない旨主張する。しかし、所論のいうように、患者の資産状況、支払能力等の悪化を理由に治療を停止することが許されないとしても、そのことから直ちに、支払能力のある患者が、治療代の支払いを一年以上も放置しておくようなことは考えられないということはできない。患者の中には、支払能力とは関係なく、治療代の支払について不誠実な対応をする者もいることは十分考えられるのであるが、それはさておき、例えば、交通事故であれば、治療代は、患者ではなく加害者側が負担するのが普通であり、その多くは自動車保険により確実に支払われるものであるところ、時に、保険請求手続きの遅れとか、治療内容に対する疑義等があるなどの事情から、治療終了後も治療代の支払いが遅れ、一年以上経過することがあり、そのような場合、医療機関は、治療代がしかるべき時期に支払われるであろうということについては特に不安をもたない筈である。まして、救急指定病院である近藤病院においては、交通事故の負傷者の治療を数多く行っているのであるから、治療後に治療代が支払われないまま一年以上が経過した場合であっても、加害者側が自動車保険に加入していれば、支払いの見込みについての不安はないということは、常識となっていたと考えられる。従って、治療代の支払いが治療打切りから一年以上遅れても、そのことから直ちに、患者に支払能力がないものと推認されるということはできないから、医療機関に対しては基本通達五一-一三の注が適用される余地がないと解することはできず、医療機関に対しても右の注が適用されるというべきである。但し、医療機関については、通常、患者の資産状況、支払能力等が悪化したからといって、その後の治療を停止することができず、治療を打ち切るのは、治療の必要がなくなったときか、あるいは患者が転医したときであることを考慮すると、債務者との取引を停止した後に、債務者の資産状況、支払能力等が悪化した時(最後の弁済期又は最後の弁済の時が当該取引停止をした時より後である場合には、これらのうち最も遅い時)以後一年以上を経過したときは、貸倒処理することができると解するのが相当である。

(二) 以下、所論の二二口の未収金について検討する。

所論は、以下の(1)ないし(12)、(14)について、取引停止後一年以上が経過しているから、貸倒処理できるというのであるが、単に一年が経過しただけで基本通達五一-一三に該当するというものではないことは既に説示したとおりである。

(1) 大柴敏光(原判決別紙(一〇)番号三一)について

未収入金明細表綴(昭和五四年一二月末〔符号二四三〕)によれば、大柴に対する治療代は、昭和五三年一二月末日において四五万八〇八〇円が未収であり、昭和五四年中は全く入金されていないことが認められる(同明細表八頁七行目)けれども、昭和五五年度未収金個人調査表綴(符号二六九)によれば、同人は交通事故により入院治療を受けたもので、昭和五〇年一二月、加害者との間で、治療費全額を加害者が支払う旨の示談が成立し、加害者運転車両にかけられた自動車保険により治療費は全額支払い可能であったところ、加害者が近藤病院に対し、治療費を加害者が支払うことを確認し、一〇万円を内入したうえ、保険会社への加害者請求手続きを近藤病院に依頼し、保険金の支払いがあり次第残額を支払う旨の昭和五三年一二月一二日付念書を差し入れ、その加害者請求手続きが同月一三日付でされていること、その後、加害者の代理人鍛治弁護士と保険会社との間で保険請求手続き等をめぐって交渉が続けられ、昭和五五年七月、保険金が支払われたことにより治療代残額が全部支払われたことが認められる。右事実に照らせば、大柴に対する債権は、債務者側の支払能力等の悪化により回収できなくなるとは考えられず、近藤病院においても、昭和五四年末ないし同年分の所得税確定申告時においては、債権が回収できるとの見込みのもとに、鍛治弁護士と保険会社との間の交渉結果を待っていたものであり、貸倒処理すべき債権であるとは全く考えていなかったと認められるから、貸倒処理することはできない。

(2) 久保義平(原判決別紙(一〇)番号三八)について

近藤病院貸倒損失一覧表(弁二四九)によれば、昭和五五年六月に久保の治療代一八四万九〇一〇円が支払われており、支払能力等が悪化していたとも認められないから、貸倒処理することはできない。

(3) 松永花子(原判決別紙(一〇)番号八一)について

前掲未収金個人調査表綴(符号二六九)によれば、松永は、昭和五二年一〇月一五日から一七日まで入院治療を受けたが、その治療代二万四六四六円を全く支払わず、昭和五四年中は、ほぼ毎月催告を受けながら支払わなかったことから、近藤病院においては、取立不能と判断したことが認められるところ、原判決は、支払能力等の悪化の事実が明らかでないというのであるが、右程度の治療代を二年以上も支払わず、催告を受けても放置しているのは、単に債務者が不誠実であるというよりも、所論のいうように、支払能力等の悪化が推定されないではないから、同人については、貸倒処理することができると認められる。

(4) 佐野淑子(原判決別紙(一〇)番号八五)について

未収入金明細表(符号二四三)には、佐野の債務額について、その一七丁目に、昭和五三年および五四年の各一二月末日の債務額はいずれも六万七五二九円である旨記載されているのに、その六〇丁目には、昭和五四年の請求高が八万三一二九円で、同年に一万円入金があった結果同年末の債務額は七万三一二九円となった旨記載されているうえ、未収金・入金明細書(符号二七〇)によれば、昭和五五年八月二五日にも五〇〇〇円が支払われていることが認められることに照らすと、同人は、昭和五四年中に近藤病院で診察を受けていると推認されるうえ、右のとおり債務の一部にせよ支払っているのであるから、同人については、取引停止または最終の入金があった日から一年以上が経過しているとはいえず、資産状況、支払能力等の悪化が推定されるともいえないから、貸倒処理することはできない。

(5) 田中誠(原判決別紙(一〇)番号九五)について

証人門長貫一(原審第九二回公判)は、田中に関する自動車共済保険を扱っている農業協同組合の担当者とけんかのような交渉をした結果、診療単価を自費の二〇円から健康保険の一〇円に切り換えて計算して、診療報酬額を減額することにより、残額四五万五六一六円は棒引きしなければならなかった旨供述しているところ、原判決は、台帳類には田中に対し債権がある旨記載されており、値引きについての記載がないから残債務を免除したことは認められないというのである。しかし、原判決が未収金の消滅を認めた他の患者についても、台帳に債権がある旨の記載が残っていたり、値引きについての明確な記載がないものもあることに照らすと、田中について、台帳類の記載のみから門長証言の信用性を否定することはできないと思料されるところ、同証言が具体的であることや、自賠未収入金台帳(抄〔弁一二〇〕)によれば、田中についての台帳の記載は、昭和五一年七月二一日以降の分の請求額を国民健康保険の家族扱いで計算する趣旨に解されることにかんがみると、同証言のとおり、田中については、残債務を免除したものと認めざるをえない。

(6) 柴田美幸(原判決別紙(一〇)番号一〇〇)について

未収入金明細表(符号二四三)によれば、柴田の昭和五三年および五四年の各年末の債務額はいずれも一五三万〇八七〇円であって、近藤病院貸倒損失一覧表(弁二四九)によれば、昭和五五年七月に一一四万八一五三円が入金されていることが認められるところ、たとえ一部であっても、一時に相当多額の入金がされていることに照らすと、同人については、昭和五四年末において、その資産状況、支払能力等が悪化していたとは認められないから、貸倒処理することはできない。

(7) 吉田孝子(原判決別紙(一〇)番号一〇五)、吉田正(同一〇六)、吉田美智子(同一〇七)、吉田貴代美(同一〇八)について

近藤病院貸倒損失一覧表(弁二四九)によれば、右四名については昭和五五年三月に入金されていることが認められるところ、所論は、右入金は全額ではなく、吉田孝子は一五七万三八五〇円のうち一四二万二九七〇円、吉田正は二〇六万二〇五〇円のうち一二七万六二九〇円、吉田美智子は七八万〇七〇〇円のうち三八万一一四〇円、吉田貴代美は七〇万八五二〇円のうち四四万四七二〇円であるというのであるが、たとえ一部であっても、一時に相当多額の入金がされているうえ、入金時期が昭和五四年分の所得税確定申告をするよりも前であることに照らすと、吉田ら四名については、昭和五四年末において、その資産状況、支払能力等が悪化していたとは認められず、かつ、近藤病院側も、同年末はもとより同年分の所得税確定申告をするときにおいても、右四名の支払能力等が悪化していると考えてはいなかったと認められるから、貸倒処理することはできない。

(8) 塩郷永治(原判決別紙(一〇)番号一〇九)について

所論は、塩郷は、診療を受けた昭和五二年当時、近藤病院の医事顧問として同病院の職員であったから、本来免除の対象になっていたのに、未収入金台帳に記載されたまま、消し忘れていたものであると主張する。しかし、証人塩郷永治の供述(原審第二七回公判)によれば、塩郷は、昭和四八年五月から昭和五四年三月末まで兵庫医科大学付属病院に勤務し、同年四月一日から社会福祉法人万亀会に就職し、万亀園施設長として勤務したものであることが認められるから、同人は、治療を受けた当時も、治療代債務を免除されたというときも、兵庫医科大学の職員であったものであり、当時、同人が、近藤病院に出入りしていたことを考慮しても、同病院の医事顧問として職員と同等の立場にあったとは認められないから、同人に対する債務免除は、近藤病院の必要経費であるとはいえず、福利厚生費でもない。

(9) 藤本寿勝(原判決別紙(一〇)番号一二六)について

所論は、原判決が、藤本につき、初診時から健康保険本人に切り替えており、収入と重複して計上したとは認められないと認定したのは、事実を誤認しているというのである。

自賠未収入金台帳(抄〔弁一二〇〕)によれば、藤本は、昭和五三年六月四日の初診時から健康保険本人として診察を受けているにもかかわらず、同人に対し近藤病院から治療代督促のはがきを出し、それが返送されていることが認められることに照らすと、近藤病院においては、藤本について、当初、自費診療と間違えて扱い、後日、健康保険本人として診療していたことに気付いたとも考えられ、同人の治療代については、健康保険から診療報酬の支払いを受けているにもかかわらず、それと重複して自費診療の未収分としても計上していたのではないかとの疑いを払拭することができないから、その額を未収金額から控除するのが相当である。

(10) 原田和枝(原判決別紙(一〇)番号一三〇)について

自賠未収入金台帳(抄・写〔弁一三四〕)等関係証拠によれば、同人は、延原敏夫の紹介により昭和五一年一二月から五二年三月まで入院したものであり、延原が、近藤病院に人間ドックの患者を紹介するなどしていたことから、木元監理局長との間で治療代の支払いについて交渉し、医療器械を代物弁済として提供する旨申し出ており、同病院においては昭和五六年七月に取立不能と判断したことが認められ、右事実によれば、昭和五四年末の時点では、債務者の資産状況、支払能力等が悪化してから一年以上が経過したということはできないから、貸倒処理することはできない。

(11) 前畑君代(原判決別紙(一〇)番号一三一)について

所論は、前畑からは、昭和五三年一〇月に京都市上京区の住居へ集金に行って、同人の老母から三〇〇〇円の支払いを受けたことがあるほか、原判決は、昭和五四年一月にも三〇〇〇円の入金があった旨認定しているが、近藤病院の未収入金明細書には右一月については入金減額の記載がないから、奥山経理部長が、これを横領して帳簿に記載しなかったことが疑われ、そうであれば雑損が発生したことになるところ、いずれにしても回収のための交通費や日当にも満たない小額の支払いが、老母によって年に一、二回行われるような状況は、債務者の行方不明や支払能力の悪化というべきであるというのである。

証人田口広一の供述(原審第九五、一〇一回公判)、未収金・入金明細書綴(符号二七〇)によれば、前畑の治療代については、昭和五三年一〇月から一二月まで毎月三〇〇〇円宛支払いがなされたほか、昭和五四年一月一三日にも三〇〇〇円が支払われていることが認められ、かつ、未収金・入金明細書の同月分の箇所にも、右各入金の事実は記載され、集金担当者である田口および木元監理局長の認印が押されていることに照らすと、昭和五四年一月についても近藤病院に入金されていることが認められる。そうであれば、同人については、同年一二月末において、最終の弁済があったときから一年が経過していないから、貸倒処理することはできない。

(12) 森哲也(原判決別紙(一〇)番号一三二)について

所論は、森は、昭和五三年八月に二〇五万六五三九円の未払金を残したまま退院し、以後昭和五五年九月一〇日に三万円を入金するまでの間、取引が途絶えていたから、昭和五四年末において貸倒処理することができるというのである。

しかし、単に期間が経過しただけでは貸倒処理することができないところ、自賠未収入金台帳(抄・写〔弁一三四〕)によれば、森は、昭和五五年九月一〇日以降毎月三万円宛支払っていることが認められ、右支払状況にかんがみると、それまで同人に対しては支払方法等をめぐって交渉が継続していたと推認され、その退院時期も併せ考えると、昭和五四年末の時点で同人の支払能力が悪化してから一年以上経過していたとは認められないから、同人について貸倒処理することはできない。

(13) 中山和久(原判決別紙(一〇)番号一四五)、田中幸子(同一五一)、藤原好文(同一五三)、野津美枝(同一五四)について

所論は、右四名は、いずれも昭和五四年に診察した傷害程度の軽い患者であり、被告人は、警察署、消防署、税務署等の幹部から懇請を受けて、これらの患者の治療代を免除したから、同年末には、債権が存在しなかったというのである。

しかし、右四名について、治療代を免除する理由があったことや、被告人が、所論のような懇請を受けたり、治療代を免除したりしたことを窺わせるような証拠は何ら存しないから、右四名に対する債権が消滅しているとはいえない。

(14) 河東ひとみ(原判決別紙(一〇)番号一四七)について

所論は、河東については、昭和五三年一〇月二五日に七五万六四三〇円の振込みを受けた際、残額八二万一四七〇円を免除したものであり、仮に免除が認められないとしても、昭和五四年一二月末においては取引停止から一年以上経過しているのであるから、貸倒処理ができるというのである。

たしかに、証人門長貫一(原審第九二回公判)は、河東に関する自動車保険を扱っている保険会社の担当者との交渉の結果、診療の単価を健康保険の単価に訂正したという名目で残額を免除した旨供述しているのであるが、原判決認定のとおり、台帳類には河東に対し債権がある旨記載されており、値引きについての記載はなされていないところ、同証言によっても、どの時点の診療から単価を訂正したのかは曖昧であり、自賠未収入金台帳(抄〔弁一二〇〕)の河東についての箇所にも、どういう種類の健康保険の扱いで計算したのかなど、単価訂正を窺わせるような記載が全くないことにかんがみると、同証言から、残債務を免除したと認めることはできないというべきである。また、河東について、取引停止後支払能力等が悪化してから一年以上が経過したとも認められないから貸倒処理することはできない。

(15) 今村至宏(原判決別紙(一〇)番号一五六)について

所論は、今村に対する債権は、昭和五四年九月二二日現在二二七万二一八〇円であったところ、同年一〇月五日一七四万八四四〇円の支払を受け、その後の治療継続により同年一一月二七日の債権額は一〇八万九三六〇円であったが、同月二八日、単価二〇円で計算していたのを単価一〇円で計算して、七〇万四〇四〇円の振込入金を受けるとともに、残額の三八万五三二〇円を値引したというのである。

しかし、証人門長貫一(原審第九三回公判)の供述によれば、今村については、昭和五四年一一月二八日現在の債務額三八万五三二〇円を翌年以降も引き続き請求する予定であったことが認められ、現に、自賠未収入金台帳(抄・写〔弁一三四〕)によれば、今村は、その後も引き続き治療を受け、昭和五五年三月七日から二三日までの間は入院していることが認められるのであるから、昭和五四年末の時点で同人に対する債権が存在していたことは明白である。

(16) 中根勝広(原判決別紙(一〇)番号一五七)について

所論は、中根は、昭和五四年六月一一日退院し、翌一二日、四四万六九七三円が振込入金され、残額五万二五四七円を免除したので、同年末には債権残額が存しないから、未収入金明細書に同年末の残高として計上されている四九万三五二〇円を貸倒として処理することは正当であるというのである。

しかし、証人門長貫一(原審第九三回公判)の供述および自賠未収入金台帳(抄・写〔弁一三四〕)によれば、中根は、退院後も昭和五四年一一月一六日まで通院して治療を受け、保険会社と交渉の結果四四万六九七三円が振り込まれたのは昭和五五年六月一二日であることが認められるから、昭和五四年末の時点で同人に対する債権が存在していたことは明白である。

(三) 以上説示したとおり、原判決が未収金からの控除ないし貸倒処理を認めなかった二二口のうち、松永花子(原判決別紙(一〇)貸倒一覧表番号八一)は貸倒処理することができ、田中誠(同九五)は、残債務免除により同人に対する債権が消滅しているから、その債権額を収入額から控除すべきであり、藤本寿勝(同一二六)については、もともと未収金債権として計上すべきでなかったものであるから、同人に対する債権額も控除すべきである。右三名については原判決は事実を誤認したものといわざるをえない。しかし、所論の他の一九口についての原判決の認定は正当である。

そして、被告人の検察官調書(検二五二)、証人奥山昌明の供述(原審第二五、第二八回公判)等関係証拠によれば、奥山や近藤病院の顧問税理士の權世顔らが、右一九口の債権額を収入額から控除したのは、被告人から、昭和五四年の所得税確定申告では、前回の査察のときの滞納している税金の納付資金とするために税金の還付を五〇〇〇万円位受けたいから、所得額を二〇〇〇万円台に抑えるよう指示されたためであると認めることができる。被告人は、未収の不良債権を償却する方法で十二分に税金の還付を受けることができるということだったため、その方法によったのであり、不正なことをしたのではない旨供述するのであるが(第二四回供述書〔弁二四四〕等)、確定申告のときは合計七二三八万五九六五円の貸倒債権があるとしながら、本件においては貸倒処理した債権額として合計五九九六万七七七四円(弁護人らの冒頭陳述)あるいは合計五五五八万六二六五円(近藤病院貸倒損失一覧表〔弁二四九〕)と主張し(原判決は、弁護人らの主張する貸倒債権額を五五三二万七四二四円としているが、原判決別紙(一〇)貸倒債権表の一六三口の債権合計額は五五五八万六二六五円である。また、同表には貸倒外債権合計額が一四九一万四九七八円とあるが、これは計算に誤りがあり、一四九六万六七四七円が正しい。従って、同表の貸倒債権合計額が四〇四一万二四四六円とあるのも計算間違いであり、四〇六一万九五一八円が正しい)、その中には右のとおり貸倒処理できないものや、当時、貸倒処理するつもりもなかった債権も含まれていることなどの本件審理経過および関係証拠に照らせば、昭和五四年の所得税確定申告において、未収金債権の償却をするにあたり、奥山らが、当審で検討した二二口はもとより、原判決が償却を認めた債権についても、それが、既に消滅しているにもかかわらず経理処理がなされていないため帳簿上残っているものか、あるいは基本通達により貸倒処理ができるものかということを厳密に検討しないまま、とにかく被告人が希望する額の税金の還付を受けることができるように、未収金債権を集計したことは明らかであり、奥山らが、そのような方法によったのは、被告人からの指示がそのようなものであったからであると認定せざるをえない。

(四) 以上認定したところに基づき、前掲近藤病院貸倒損失一覧表(弁二四九)等関係証拠により、原判決別紙(一〇)貸倒一覧表の債権について、債権が消滅しているものと貸倒処理すべきものとを仕分すると、別紙7貸倒検討表記載のとおりであるから、近藤病院が、昭和五四年分の所得税確定申告の際、収入額から控除した七二三八万五九六五円のうち、収入額から控除することができるのは同表の消滅欄記載の合計二八三六万八三一二円のみであり、その余の四四〇一万七六五三円は収入額から控除することができないというべきである。そして、同表貸倒(取引停止)欄および貸倒(回収不能)欄記載の合計一二七四万一九〇八円から基本通達五一-一三所定の取引停止による貸倒債権六三口分の備忘価額合計六三円を控除した一二七四万一八四五円を、必要経費の貸倒金額に加算すべきである。

3  割戻金(控訴趣意書第一点二3(五))について

所論は、北神営繕から近藤病院への割戻は、北神営繕の利益を減少させるために行われているものであり、近藤病院が、その受入処理をしなかったことが、所得税のほ脱行為に当たるというのであれば、その犯意について、北神営繕の経理担当者との間に通謀がなければならないが、そのような証拠はなく、近藤病院が、昭和五二年に北神営繕から購入した医薬品の代金につき割戻を受けながら、同年一月ないし六月分の割戻額を同年の原材料仕入高(医薬品仕入高)から控除せず、同年七月ないし一二月分の割戻額を昭和五三年の収入額に計上しなかったのは、経理担当者の単なる過失によるものであって、被告人は、診療で忙しく、そのような事項まで点検する余裕はなかった、また、原判決が、北神営繕が決めた割戻額を勝手に変更して認定しているのは、実体を無視したものである旨主張する。

權世顔の検察官調書二通(検一八五、一八六〔不同意部分を除く〕)等関係証拠によれば、北神営繕は、実質的には被告人が経営支配する会社であり、近藤病院とは一体ともいうべき極めて密接で特別な関係にあるところ、北神営繕の利益率が余りにも高過ぎることから、これを調整するために、医薬品代金の割戻が行われていたものであり、北神営繕の決算期が六月であるため、毎年六月三〇日付で割戻に関する北神営繕の取締役会決議がなされたことにして、即日近藤病院に対しその内容を記載した通知書が交付されていたこと、その決議内容をみると、昭和五二年は、同年一月から六月までの売上総額の三五パーセントである六八八九万八八五六円を、昭和五三年は、昭和五二年七月から昭和五三年六月までの売上総額の四六パーセントである三億四九八六万三七八〇円を、昭和五四年は、同年一月から六月までの売上総額の四八パーセントである一億七二七八万二八〇四円をそれぞれ割り戻すというものであること、他方、近藤病院においては、昭和五三年の原材料仕入高から、同年に通知を受けた割戻額のうち同年一月から六月までの分を控除し、昭和五四年の原材料仕入高から同年に通知を受けた割戻額を控除していながら、昭和五二年に通知を受けた割戻と、昭和五三年に通知を受けた割戻のうち昭和五二年七月から一二月までの分については、これを受入処理していないことが認められる。

右事実に照らせば、近藤病院においては、北神営繕からの割戻については、その額を原材料仕入高から控除する方法で受入処理をしていたことが認められるから、昭和五二年の原材料仕入高についても、同年一月から六月までの分として割戻を受けた額を控除すべきであり、同年七月から一二月までの分については、割戻の通知を受けたのが昭和五三年六月であるから、昭和五二年の原材料仕入高から控除することができないため、この場合は、昭和五三年の収入に計上して処理すべきである。

所論は、右のような受入処理をしなかったのは、経理担当者の単なる過失によるものであり、所得税ほ脱の目的で受入処理をしないことについて、北神営繕の経理担当者との間に通謀もないというのであるが、近藤病院の奥山経理部長は、北神営繕の経理も担当していたのであるから、同病院に対し割戻がされていることは十分承知していたと認められるうえ、前掲權世顔の検察官調書(検一八五)および証人權世顔の供述(原審第一〇九回公判)によれば、同病院と北神営繕との間では、昭和四九年五月一日付で医薬品等の売買に関する契約書が作成されており、これによれば、同病院の申出により、北神営繕は、その売渡価額から値引、割戻を行う旨定められていることが認められることに照らせば、同病院においては、北神営繕から割戻の通知を受ければ、当然に受入処理をすることになっていたものであり、受入処理をしなかったとすれば、それは、過失により処理を忘れたのでない限り、所得税ほ脱の意図でしなかったものというべきである。そして、前掲權世顔の検察官調書二通、近藤病院の昭和五四年度確定申告書綴(符号三)によれば、割戻の通知書は、一枚の紙に割戻をする取引期間とその間の売上総額ならびに割戻率および割戻額が記載されているだけであって、その内訳は記載されておらず、昭和五三年の割戻についても、単に昭和五二年七月から昭和五三年六月までの割戻総額しか記載されていないため、同年一月から六月までの分の割戻額は通知書だけからは判明せず、別にこの期間の原材料仕入高を調べて合計額を出し、それに割戻率を乗じて算定しなければならないところ、現に近藤病院の昭和五三年度確定申告決算資料綴(符号二)によれば、同年の所得税確定申告をするにあたり、右の作業をして、同年一月から六月までの割戻額を算定したうえで、これを原材料仕入高から控除していることが認められることを併せ考えると、近藤病院の経理担当者が、同年の割戻額を前年度分と当年度分とに分ける作業をして、その一方については受入処理をしていながら、同時に過失によって他方を計上するのを忘れるとは考えられず、昭和五二年の七月から一二月までの分の割戻額は意識的に収入に計上しなかったものと認定するほかない。また、昭和五二年の所得税確定申告をするにあたり割戻を受入処理しなかったのも、以下に説示するとおり、意識的なものであると認められる。すなわち、関係証拠によれば、近藤病院の会計は、いわゆる発生主義ではなく現金主義で処理され、医薬品代は翌月払いであるため、毎月、前月分の医薬品代の支払いが記帳されているところ、一月には前年の一二月分の医薬品代の支払いが記帳されており、二月には一月分、三月には二月分と、順次前月分の医薬品代の支払いが記帳され、一二月分の支払いは翌年一月に記帳されていることが認められる。このため、昭和五二年中に支払った医薬品代の合計額は、実は昭和五一年一二月から昭和五二年一一月までの医薬品代の合計額であるから、決算時には、その合計額から、同年一月に支払った昭和五一年一二月分の医薬品代を控除し、かつ、昭和五三年一月に支払った昭和五二年一二月分の医薬品代を加えなければならないこと、更に、割戻の受入処理をするためには、割戻額も控除しなければならないところ、関係証拠によれば、昭和四九年と昭和五一年にも割戻を受けて、その受入処理をしていることが認められること、近藤病院の昭和五二年度確定申告書綴(符号一)によれば、昭和五二年の原材料仕入高を出すにあたり、同年の医薬品代に、昭和五三年一月に支払った昭和五二年一二月分の医薬品代が加算されていることが認められるのであるが、このような処理をしながら、一か月分の医薬品代を上回る程多額の割戻額を控除するのを忘れるとは考えられないことなどを総合すると、昭和五二年のみ、経理担当者が、受入処理を忘れたとは認め難く、意識的に受入処理をしなかったと認定するほかない。

そして、奥山や權世顔税理士らが右のような処理をしたのは、原判決が、「所得税法違反に関する被告人及び弁護人らの主張について」と題する欄の第一の二Ⅲにおいて説示するとおり、被告人から、年間所得を低額に抑えるよう指示されていたためであると認定するのが相当である。

被告人は、割戻の受入処理をしていなかったことは、本件査察後に初めて知った旨供述するのであるが、原判決が前記第一の二Ⅲにおいて説示するように、所得額や所得税額を被告人の希望する程度に抑えるような税務処理を、權税理士らに指示していた以上、仮に、その具体的な方法まで認識していなかったとしても、被告人に脱税の故意があったと認めるのが相当である。

なお、所論は、原判決が、北神営繕の決めた割戻額を勝手に変更して認定したのは、実体を無視したものであると主張するのであるが、これは、北神営繕が決議し通知したままの割戻額を認定すべきであるという趣旨の主張であると解されるところ、右主張にかかる割戻額は、原判決認定の割戻額より高額であり、割戻額の増大は、医薬品仕入高の減少、収入増、所得税額増へと連なるから、右主張は、被告人にとって不利益な主張というべきものである。そして、公訴提起をした検察官および原審裁判所は、北神営繕が決めた割戻額は、架空の医薬品販売額も含めた売上総額に基づくものであるところ、証拠から認定できる医薬品代金額は、右売上総額よりも少なく、架空の医薬品売買については、医薬品の代金の授受というものもないのであるから、その代金を割り戻すということもありえず、従って、認定した医薬品代金額に割戻率を乗じた額を超える部分の割戻はなかったとするのが相当であるとしたものと解される。右のような処理の仕方は、被告人にとって利益でこそあれ不利益なものではなく、不合理ともいえないから、当裁判所も、証拠から認定できる医薬品代に基づいて割戻額を算定するところ、北神営繕が昭和五三年六月三〇日付で通知した額のうち昭和五二年七月から一二月までに相当するのは、この期間中の公表売上合計三億五四二七万八五八九円の四六パーセントである一億六二九六万八一五一円であり、この中には、後記のとおり、この期間中の架空(変名)仕入額二億〇九二七万六八〇〇円の四六パーセントである九六二六万七三二八円が含まれているから、まずこれを控除したうえ、当裁判所が後記のとおり認定したこの期間中の変名仕入額八三七一万〇七二〇円の四六パーセントである三八五〇万六九三一円を改めて加算した一億〇五二〇万七七五四円が、近藤病院において受け入れるべき昭和五二年七月から一二月までの割戻額であり、これは、昭和五三年の収入額に計上すべきものである。

三  必要経費について

1  医薬品の仕入(控訴趣意書第一点一2(四)および二3(一)ないし(六))について

(一) 原判決は、公表された医薬品仕入額(原材料仕入高)は架空の仕入額を計上するなどして水増しされており、その額は、昭和五二年が三億三九二三万三七九四円、昭和五三年が三億一四一三万九四八七円、昭和五四年が一億八四八一万三〇〇五円である旨認定しているところ、所論は、原判決が架空仕入と認定した分は、誤って計上した昭和五一年一二月分の医薬品代と、昭和五二年のみはら薬局分の架空仕入一〇〇〇万円とを除き、すべて現実に医薬品を仕入れている旨主張する。すなわち、近藤病院は、麻薬を除き使用する医薬品全部を北神営繕から購入しているところ、北神営繕は、現金で仕入れた分や無料で入手した分については、その仕入先を変名で処理しているが、この分は現実に仕入れて近藤病院に売り渡しており、北神営繕が変名で仕入れた医薬品も、近藤病院においては現実に仕入れているから、架空仕入ではない。仮に、医薬品の仕入高が公表どおりでないとしても、近藤病院の診療報酬に対する医薬品費の比率が三〇パーセントを下ることはないにもかかわらず、原判決が認定した収入に対する医薬品費の比率は、一四・一九パーセント(昭和五三年)ないし一九・六五パーセント(昭和五四年)であって、余りにも低過ぎるというのである。

(二) 関係証拠によれば、近藤病院の医薬品の仕入は、麻薬類を除き、全部、北神営繕が他から仕入れたものを購入する形になっており、その注文の仕方には、同病院の薬局長である吉野貞子が医薬品販売会社に注文する場合と、薬局長とは無関係に被告人が医薬品の現金販売業者に注文する場合との二種類があって、吉野薬局長が注文した場合、医薬品は、同病院の薬局または薬局の倉庫に直接搬入され、その納品書および請求書は北神営繕宛に作成されたものが同会社の経理担当者に回されるのであるが、被告人が注文した場合は、北神営繕宛に作成された納品書や請求書が同会社の経理担当者に回される点は同じであるが、その発行名義は、別の会社名を借用したり、全く存在しない会社名を用いるなどして販売業者の名を隠しており、医薬品は、被告人の自宅や被告人が診療をしている外科外来の診察室に搬入されていたことが認められる。そして、関係証拠によれば、近藤病院の医薬品仕入高の公表額は、昭和五二年が五億九六四六万七〇〇五円、昭和五三年が五億五六三七万四九二九円、昭和五四年が四億六八五三万二四四三円であるところ(原判決別紙(一)ないし(三)修正損益計算書)、各年度の公表の仕入高については以下の事実が認められる。すなわち、昭和五二年度の医薬品仕入高の計算においては、前記のとおり、決算時に、同年中に支払った医薬品代の合計額から、同年一月に支払った昭和五一年一二月分の医薬品代を控除するほか、昭和五三年一月に支払った昭和五二年一二月分の医薬品代を加え、かつ、北神営繕から同年一月から六月までの分として同年六月三〇日に割戻の決議通知を受けた六八八九万八八五六円も医薬品代から控除しなければならないにもかかわらず(なお、昭和五二年七月から一二月までの分の割戻一億六二九六万八一五一円は、昭和五三年一月から六月までの分の割戻と合わせて、同年六月三〇日に決議通知されているので、昭和五二年、五三年の医薬品代から控除することはできず、昭和五三年度の収入金額の勘定科目において計算すべきものであることは、二3「割戻金について」の項で検討ずみである)、昭和五三年一月に支払った昭和五二年一二月分の医薬品代が加算されているのみで、同年一月に支払った昭和五一年一二月分の医薬品代が控除されておらず、右割戻額も控除されていないうえ、公表の仕入高には、みはら薬局から仕入れたように仮装した架空の仕入額一〇〇〇万円が含まれている(被告人作成の第一五回供述書〔弁二二八〕および説明書〔弁二〇七〕参照)。また、昭和五三年の医薬品仕入高の公表額は、同年分の医薬品代として支払った合計額から、前記のとおり、北神営繕から同年一月から六月までの分として同年六月三〇日に割戻の決議通知を受けた一億八六八九万五四二七円を控除した額であり、昭和五四年の医薬品仕入高の公表額は、同年分の医薬品代として支払った合計額から、前記のとおり、北神営繕から同年一月から六月までの分として同年六月三〇日に割戻の決議通知をうけた一億七二七八万二八〇四円を控除した額である。

原判決は、公表の医薬品仕入高の中には架空仕入分が含まれており、他方、公表されていない簿外仕入も認められるというのであるが、原判決中の架空仕入や簿外仕入という用語に曖昧な点があることは所論指摘のとおりである。そこで、近藤病院は、麻薬類を除く医薬品全部を北神営繕経由で仕入れており、同病院の会計帳簿に記載された医薬品(麻薬類を除く)の仕入先は北神営繕だけであることを考慮して、原判決の用語を整理すると、原判決のいう架空仕入には、北神営繕および近藤病院の各会計帳簿に仕入があったように記載されているが、実は全く仕入の事実がない場合(以下、これを架空仕入という)、実際の仕入先や医薬品とは異なる仕入先や医薬品名が北神営繕の会計帳簿に記載されているが、その金額に見合うだけの医薬品が仕入れられている場合(以下、これを変名仕入という)および架空仕入と変名仕入とが混在している場合(以下、これを架空(変名)仕入という)の三つの場合が含まれている。また、原判決のいう簿外仕入には、実際には仕入があるのに、北神営繕および近藤病院の各会計帳簿に全くその旨の記載がない場合(以下、これを簿外仕入という)と、右の変名仕入の場合との二種類がある。原判決は、これらの区別をすることなく等しく架空仕入あるいは簿外仕入と呼んでいるところ、それがどの意味で用いられているかは、原判決の文脈から自ずから明らかではあるが、本判決においては、用語の曖昧さを避けるため、それぞれの場合を右のかっこ内に示した呼称で呼ぶこととする(従って、本判決においては、北神営繕および近藤病院の各会計帳簿に記載されている変名仕入は簿外仕入に含めないこととする)。なお、弁護人は、被告人の主張する医薬品仕入額の正当金額は、公表仕入額であって、この中には変名仕入も含まれるとし、かつ、公表仕入以外の簿外仕入の認容を求めるものではないとしている(控訴趣意書八四頁)。

(三) ところで、近藤病院においては、医薬品の一部を北神営繕を通じて現金で仕入れており、それは北神営繕が変名で仕入れた形になっているところ、所論は、現金仕入分は、たとえ北神営繕への納入業者が変名であっても、医薬品が実際に納入されているから架空仕入ではない旨主張し、変名仕入が存することの主要な論拠の一つとして医薬品比率を挙げているので、まず、医薬品比率についてみるに、所論は以下のように主張する。すなわち、公表額から近藤病院における診療報酬に対する医薬品費の比率を求めると(但し、昭和五二年については、架空計上分一〇〇〇万円と、誤って計上した昭和五一年一二月仕入分の価額を除く)、昭和五二年が三五・七パーセント、昭和五三年が三二・〇三パーセント、昭和五四年が三一・〇九パーセントであり、これは、近藤病院が救急指定病院であって交通事故等の重症患者が多いことや、公立病院である三田市民病院が三四・四二パーセント(昭和五一年)、神戸市病院(神戸市立中央市民病院、神戸市立西市民病院、神戸市立玉津診療所を集計したもの)が二八・一パーセント(昭和五九年)であることに照らすと、十分合理的な数字である。これに対し、原判決が認定した近藤病院の収入に対する医薬品費の比率は、昭和五二年が一六・九四パーセント、昭和五三年が一四・一九パーセント、昭和五四年が一九・六五パーセントであって、余りにも低過ぎ、これは、変名仕入の存在を一部しか認めなかったことに基因するというのである。

そこで、証拠に照らし検討するに、被告人は、公判および被告人作成の供述書において、近藤病院の医薬品比率は三五パーセント以上であり、日本医師会の顧問弁護士や高名な大学教授に意見を聞いたところ、妥当な数字だということであった、国税局の徴収部内でも、医薬品比率が検察側が主張するように低いということはありえないと言っている(原審第一二〇回公判)、昭和五六年九月に近藤病院が兵庫県と厚生省合同の医療監査を受けたとき、監査官に対し昭和五三、五四年の医薬品比率が三三ないし三四パーセントあると説明したところ、監査官は、その程度は当然の必要量であると反射的に言った旨供述し(原審第一五三回公判、被告人作成の第三〇回供述書〔弁二五四〕)、木元(原審第一五一回公判)および吉野(原審第六九回公判)も、近藤病院の医薬品比率は、三〇パーセント位と思うとか、診療報酬の三分の一位ではないかと供述し、他にも、医療機関の医薬品比率は通常三〇パーセント程度である旨供述している者がいる。そして、税理という雑誌の一九八三年一〇月号の写(弁一六八)の中では、病院経営にMS法人を活用することの節税メリットを算出するにあたり、薬品材料比率を三〇パーセントとして計算していることが認められ、兵庫県医師会報昭和六三年二月号の写(弁一八四)には、医療機関の薬剤費比率について、昭和五〇年三七・八パーセント、昭和五五年三八・二パーセント、昭和五八年三五・一パーセント、昭和五九年三〇・九パーセント、昭和六〇年二九・一パーセントと推移している旨記載されていることが認められるほか、昭和五一年ないし五九年の兵庫県三田市民病院事業会計決算書(弁一三九)および神戸市病院事業会計決算書(弁一四一)によれば、総合病院である三田市民病院および神戸市病院の昭和五一年ないし五九年の医薬品比率は、別紙8神戸市病院等医薬品比率一覧表記載のとおりであることが認められる(神戸市病院事業会計決算書では、昭和五八年度以降は、医薬品費の額が独立して記載されているが、それ以前においては、医薬品費が衛生材料費と合わせて医薬材料費として一括記載されているため、昭和五七年以前については医薬品費の額を確定することは困難であるが、昭和五八年度と五九年度の医薬品費の医薬材料費に占める割合を求めると、五八年度が八一・六パーセント、五九年度が八一・〇パーセントであって、ほぼ等しく、この割合は、それ以前の年度においてもさほど変動がないと考えられ、かつ、医薬品費の割合を高く認定する方が被告人に有利であることを考慮して、昭和五七年以前の年度については、医薬材料費の八二パーセントを医薬品費の額として医薬品比率を求めた)。この数値特に三田市民病院の医薬品比率に照らすと、公表額により算定した近藤病院の医薬品比率が所論のとおりであるとすれば、それは合理的な肯認できる比率であって、架空仕入を計上するなどして、医薬品費を実際よりも多額にしていると認定するのは相当でないと思料できないではない。

しかし、所論の近藤病院の医薬品比率は、以下に説示するとおり、その算定の仕方が相当でなく、所論の数値をもって三田市民病院や神戸市病院と比較するのは適切でないというべきである。すなわち、所論は、近藤病院の医薬品比率を算定するにあたり、原判決が認定した収入額を用いているのであるが、原判決が認定した収入額は、各年度とも診療報酬と患者からの謝礼金および営業外収入を合算した額であるうえ、昭和五三年度については昭和五二年七月ないし一二月分の割戻額を加算し、昭和五四年については原判決のいう貸倒金額を控除しているところ、患者からの謝礼金については、他の医療機関においても、医薬品比率を検討するうえでの収入としては含められていないと考えられ、特に公立の医療機関においては謝礼金額が公表されているとは考えられないから、医薬品比率を算出して、他の医療機関と比較する場合、患者からの謝礼金額は収入額から控除し、本来の診療報酬に限るのが相当であり、営業外収入も診療とは関係がないものであるから、原判決認定の収入額から控除すべきである。また、割戻は、北神営繕と近藤病院との特別な関係に基づいて行われているものであって、診療収入ではないうえ、右期間の割戻は昭和五三年の診療とは関係がないのであるから、医薬品比率を算定するうえでは、これを収入額に加えるのは相当でなく、貸倒金額についても、その年度の診療とは無関係に発生し処理すべきものであるから、医薬品比率を算定するうえで、これを収入額から控除するのは相当でないというべきである。そして、近藤病院の昭和五二年度確定申告書綴、昭和五三年度確定申告・決算資料綴および昭和五四年度確定申告書綴(符号一ないし三)によれば、近藤病院の営業収入の公表額は、昭和五二年が一四億九八七八万二三〇九円、昭和五三年が一六億六四八九万三四九二円、昭和五四年が一五億五七一七万五二二二円であるから、医薬品比率を算定するにあたっては、昭和五二年と五三年については右金額を収入額とし、昭和五四年については、右の金額に貸倒金として収入額から控除した七二三八万五九六五円を加算した一六億二九五六万一一八七円をもって収入額とする。他方、医薬品費について、所論は、昭和五二年の医薬品費につき、みはら薬局関係の架空計上分合計一〇〇〇万円と昭和五一年一二月分の四〇八一万八八〇一円を公表額から控除したほかは、公表額を用いて医薬品比率を算定している。しかし、昭和五二年の公表額を右のとおり修正すべきことは所論のとおりであるが、その余の年度についても、昭和五三年においては、北神営繕から同年一月ないし六月の購入代金合計額の四六パーセント相当額の割戻を受け、昭和五四年においては、北神営繕から同年一月ないし六月の購入代金合計額の四八パーセント相当額の割戻を受けたうえ、同年七月ないし一二月の仕入においては代金の二〇パーセントの値引を受けて、それぞれ公表計上しているところ、右の割戻および値引は、近藤病院と北神営繕との特別な関係に基づき行われたものと認められ、通常の病院、特に公立の医療機関においては、このような高率の割戻や値引を受けているとは考えられないうえ、医薬品の使用状況が医薬品費に反映されるのは、割戻や値引を受ける前の購入代金においてであると考えられるから、三田市民病院や神戸市病院と医薬品比率を比較する場合においては、割戻額や値引額を仕入代金から控除しない額をもって医薬品費とすべきである。そこで、近藤病院の収入および医薬品費の公表額に右の修正を加えて医薬品比率を求めると、別紙9近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)のとおり、昭和五二年が三六・六パーセント、昭和五三年が四五・一パーセント、昭和五四年が四六・〇パーセントとなり、三田市民病院や神戸市病院特に神戸市病院の医薬品比率に比較して、著しく高いことが一目瞭然である。

次に、原判決が認定した近藤病院の収入および医薬品費の額から医薬品比率を検討するに、原判決が認定した収入および医薬品費の額に右と同様の修正を加えるほか、昭和五三年および五四年の各医薬品費については、原判決に以下の計算ないし認定の誤りがあるので、その点を補正する必要がある。すなわち、昭和五三年の北神営繕経由のみはら薬局からの架空(変名)仕入分の病院計上額の合計は一億二六〇五万六六〇〇円であるのに、原判決は、計算を誤って一億二〇〇五万六六〇〇円とし(原判決別紙(一一の二)原材料仕入高認定表(五三年)1ア参照)、それに伴い変名仕入や割戻の額の算定も誤っているので、その点を補正する。昭和五四年の医薬品費については、原判決は、同年一月ないし三月までの北神営繕経由の架空(変名)仕入分の病院計上額は各月毎に認定し、四月以降については、当該期間中に北神営繕が現実に仕入れた数量よりも近藤病院に売り渡したという数量の方が多い医薬品について、その差が近藤病院の架空(変名)仕入分であるとして、四月から一二月までの間の架空(変名)仕入と認められる医薬品全部の病院計上額を合計し、その合計額を各月の病院の北神営繕からの仕入計上額に案分して四月から六月までの各月の病院計上額を算定し、その余の額を一括して七月ないし一二月までの分の病院計上額の合計として認定し、七月ないし一二月については各月の病院計上額を認定していないのであるが、四月以降も、架空(変名)仕入の医薬品の種類および数量は特定されているのであるから、それに応じて各月の架空(変名)仕入分の病院計上額を認定すべきであって、原判決の認定方法は、各月の架空(変名)仕入のために用いられた医薬品名と数量を無視している点において相当でない。現に原判決の方法によると、四月から六月までの各月の架空(変名)仕入分の病院計上額が、当月の北神営繕計上額や同年三月までの各月の病院計上額に比べて極端に多額になり(原判決別紙(一一の二)原材料仕入高認定表(五四年)1アないしオ参照)、不自然の感を免れない。そこで、四月から一二月までの各月の病院計上額を、原判決別紙(一一の二)原材料仕入高認定表(五四年)1アないしキの記載に対応する請求書(その写は被告人の検察官調書〔検二六一〕に添付)記載の医薬品について、北神営繕の納品書綴(符号二八五の三)および医薬品出入帳(符号二七五の一の1ないし5、符号二七五の二の1ないし6)により数量単位および価格を調査して仕入先別に求めると、別紙12架空(変名)仕入病院計上額月別内訳表(五四年四月以降分)のとおりである(同表の医薬品の数量単位は納品書綴記載の単位に従った)。従って、昭和五三年および五四年分の架空(変名)仕入の病院計上額は、別紙13架空(変名)仕入一覧表(原審認定分)のとおりである。そして、各年度の医薬品仕入高について、原判決認定額に以上の補正ないし修正を行うと、別紙15医薬品仕入高算定表(原判決認定分)のとおりであるから、医薬品比率は別紙10近藤病院医薬品比率一覧表(原判決認定分)のとおり、昭和五二年および五三年がいずれも二〇・一パーセント、昭和五四年が三二・三パーセントとなる。

右のとおり、昭和五四年の医薬品比率は、他の年度に比べてかなり高いのであるが、その理由としては次の二つが考えられる。すなわち、近藤病院では、昭和五四年四月一日からレセプト(診療報酬明細書)の処理や医薬品購入に関する経理事務処理にコンピューターを導入したことに伴い、同日以降は、レセプトに使用した医薬品として記載された医薬品を、レセプト記載の使用量だけ北神営繕から購入したことにすることとしたのであるが、その際、同年三月三一日における近藤病院の医薬品の在庫を北神営繕に戻す措置をとらず、そのままにしていたため、同年四月一日以降に以前からの在庫分を使用した医薬品も、同日以降に北神営繕から購入したように記帳され、その医薬品については二重に仕入が計上されることになり、その分医薬品仕入高が実際よりも多額になったことが右の理由の一つである。もう一つの理由は、原判決が、被告人の検察官調書(検二五四、二五七、二六一)に、医薬品の架空(変名)仕入とされているものの中にも、現実に仕入をしたものも含まれており、架空(変名)仕入額の中の変名仕入額の割合は、昭和五二年が二〇パーセント、昭和五三年が三〇パーセント、昭和五四年が四〇パーセントであると記載されているのに従い、被告人が一〇〇パーセント架空仕入であるとした分や具体的に右以外の変名仕入額の割合を示した分以外の架空(変名)仕入については、右検察官調書に記載された変名仕入額の割合を乗じて各年度の変名仕入額を算定したため、別紙15医薬品仕入高算定表(原判決認定分)記載のとおり、昭和五四年度の変名仕入額が、他の年度よりも一桁多くなったことである。

ところで、架空(変名)仕入とされた分の中の変名仕入の割合が、昭和五二年二〇パーセント、昭和五三年三〇パーセント、昭和五四年四〇パーセントであるというのは、被告人が、感覚的に右程度の割合であると検察官に供述したものであり、帳簿等を検討して算出された厳密なものではなく、おおよその数値であるところ、被告人がなぜ右のような割合を挙げたのか、その根拠は全く明示されていない。被告人の検察官調書のとおり、変名仕入の割合が毎年一〇ポイント宛増加していったとすれば、それなりの原因があるものと思料されるところ、架空(変名)仕入のために支出された額のうち現実に変名仕入に支出されたという額は、別紙15医薬品仕入高算定表(原判決認定分)記載のとおり、昭和五二年は六一八九万一七八二円(同表同年<8><9>の合計額)、昭和五三年は五二四一万八〇二八円(同表同年<7><8>の合計額)、昭和五四年は一億四七五四万〇二〇一円(同表同年<10>ないし<13>の合計額)であって、たしかに昭和五四年の変名仕入額は昭和五二年の約二・四倍となっているのであるが、昭和五三年はむしろ前年よりも減少しているにもかかわらず、なぜ、被告人は、架空(変名)仕入中の実際の変名仕入の割合が前年よりも増加していると記憶していたのか、昭和五四年の変名仕入の額は前年の約二・八倍に増加しているにもかかわらず、被告人が、変名仕入の割合の増加をなぜ約一・三倍と記憶していたのか疑問に思われるところであるが、この点についての説明は全くなされていない。また、変名仕入額が右のように昭和五四年になって突然多額になるというのも不可解である。この点について、被告人の質問てん末書(当審検五)によれば、被告人は、昭和五六年一月一四日に大阪国税局において、同月一〇日に奥山らと話し合ったとき同人が作成したメモを示され、その記載内容について供述しているところ、その供述によれば、北神営繕経由の架空(変名)仕入を計上して作った裏資金のうち三〇パーセント程度は実際に医薬品を現金で購入するのに使用し、残りの七〇パーセント程度が全くの架空であると奥山は思っているということをメモしたものであり、被告人自身は、架空(変名)仕入の計上金額は年々増加しているが、昭和五二年から五四年にかけて架空(変名)仕入額中の変名仕入の割合が漸次増加傾向にあり、昭和五四年以前の三年間を平均すると三〇パーセント程度と思う旨供述していることが認められ、かつ変名仕入の割合が漸増傾向にあったといいながら、その増加の程度については具体的な供述がされていないことも併せ考えると、被告人の検察官調書に記載された架空(変名)仕入中の変名仕入の割合、特に、昭和五二年が二〇パーセントであり、昭和五四年が四〇パーセントであるというのは、右質問てん末書の記載に基づき、架空(変名)仕入額中の変名仕入の割合が漸増傾向にあり平均で三〇パーセント程度となる数値としては、おおよそこの程度であろうということで供述されたものと推認される。そして、昭和五四年の近藤病院の架空(変名)仕入中の変名仕入の割合を四〇パーセントとして算定した場合の医薬品比率は三二・三パーセントになるところ、これを同じ年の神戸市病院等の医薬品比率と比較すると、神戸市病院および三田市民病院のいずれの医薬品比率をも上回ることに照らすと、昭和五四年の架空(変名)仕入中の変名仕入の割合を四〇パーセントとみて医薬品仕入額を算出した原判決の認定は、得られた算出結果からみて不合理不相当とはいえない。それとともに、前記昭和五二年から五四年にかけての架空(変名)仕入額中の変名仕入の割合が漸次増加傾向にあって、その三年間のうちでは昭和五四年が最も高い割合であったということからすると、昭和五二年および五三年の架空(変名)仕入中の変名仕入の割合が、各年とも四〇パーセントを超えることはないことになる。他方、前記のとおり、被告人が、検察官調書で述べた各年の架空(変名)仕入中の変名仕入の割合に基づき算出した変名仕入金額は、昭和五二年、五三年の金額と昭和五四年の金額との差が余りに大きく、果たしてそれほどの差があったのかどうか、変名仕入の金額そのものの差は、それほど大きくはなかったのではないかとも思料され(ちなみに、後記のとおり、昭和五二年の架空(変名)仕入中の変名仕入の割合を昭和五四年と同じ四〇パーセントとすると、昭和五二年の変名仕入の額は昭和五四年とそれほどの差がなくなる)、これらを総合考慮すると、昭和五二年、五三年の架空(変名)仕入中の変名仕入の割合が二〇パーセント、三〇パーセントというのは低過ぎるのではないかとの疑念が生じざるをえない。

そして、後記(四)で詳述するとおり、被告人の公判および供述書における供述が信用できないことに加えて、以上検討してきたところに照らして考えるに、架空(変名)仕入中の変名仕入については、真実の実額いわゆる全体実額を確定することが望ましいことはいうまでもないが、これを明らかにすべき正確な記載のなされた帳簿、納品書等の書証や信用性のある証言はなく、これを直接認定できない事情のもとでは、被告人が、査察、捜査を通じて、架空(変名)仕入中の変名仕入の割合を供述している以上、これに依拠して推認するほかなく、かつ、租税ほ脱犯におけるほ脱所得金額の認定にあたっては、真実の実額いわゆる全体実額を把握できないときは、その一部を認定するいわゆる部分認定をもって実額とすることも許されると解され、この場合の部分実額は、真実の実額いわゆる全体実額を超えないという保障がなければならないから、本件の変名仕入額の認定においては、昭和五二年、五三年、五四年の各年度につき、架空(変名)仕入中の変名仕入の割合を四〇パーセントと認定すれば、過大の変名仕入を認定することにはなっても、過少に認定したとはいえないから、被告人の利益のために、右割合をもって相当であると認定せざるをえない。そして、右のとおり認定する以上、昭和五四年の架空(変名)仕入のうち、被告人が変名仕入の割合を四〇パーセントよりも少なく供述しているもの(原判決別紙(一一の二)原材料仕入高認定表(五四年)1オ)についても、なぜ低い割合なのか理由が不明であるから、変名仕入の割合を四〇パーセントと認定せざるをえない。但し、右の割合は、架空(変名)仕入についてのものであって、被告人が、一〇〇パーセント架空仕入であるとしているものについては、その供述どおり、その支出は変名仕入に用いられておらず一〇〇パーセント架空であると認定する。また、被告人が、変名仕入の割合が四〇パーセントよりも多い旨特定して供述している架空(変名)仕入については、その供述を覆すに足りる証拠がないので、被告人の供述する割合の変名仕入を認定するほかない。そうすると、昭和五二年の変名仕入額は原判決認定額の二倍になり、昭和五三年および五四年の変名仕入額は別紙14架空(変名)仕入一覧表(当審認定分)記載のとおりとなるから、各年度の医薬品仕入高は別紙16医薬品仕入高算定表(当審認定分)記載のとおりである。なお、昭和五四年については、三月末日における近藤病院の医薬品の在庫をそのままにしていたため、四月一日以降に以前からの在庫分を使用した医薬品については二重に仕入が計上されていると思料されるのであるが、三月末日の同病院の医薬品在庫を明らかにする証拠がないから、二重計上分を特定し補正することはできないところ、医薬品仕入高が多額になるのは被告人にとって有利であるから、二重計上分も含めて医薬品仕入高を認定した。

右認定した医薬品仕入高により近藤病院の医薬品比率を求めると、別紙11近藤病院医薬品比率一覧表(当審認定分)記載のとおり、昭和五二年が二四・二パーセント、昭和五三年が二一・一パーセント、昭和五四年が三三・三パーセントである。所論は、個人病院の方が公立の病院よりも医薬品比率が高いと主張するのであるが、右主張を認めるに足りる証拠は何ら存しないところ、医薬品比率は、使用薬品の購入価格と使用量により影響されるものであり、病院が公立か私立か、法人経営か個人経営かなどの経営形態や、病床数等病院の規模、診療科目、その病院の治療方針により、使用薬品および量が異なること等から一定したものではなく、一般に公表されている各種医療統計によれば、医薬品比率は、公立病院の方が個人病院よりもむしろ高いことが窺われること、関係証拠によれば、医療機関の医薬品比率は、所得税確定申告に基づいて算定した場合と査察結果に基づいて算定した場合とでは、後方の方が前者よりも低くなっていることが窺われること、右認定にかかる医薬品比率は、神戸市病院と比較すると、昭和五四年については近藤病院の方が高く、昭和五二年および五三年は若干低いが、右三年の医薬品比率の平均値でみると、近藤病院のそれは二六・六パーセントであり、神戸市病院のそれは二五・八パーセントであることを総合考慮すると、右の当審認定の医薬品比率は、決して不合理なほど低いとはいえない。

(四) 前記のとおり、被告人は、公判および供述書において、近藤病院では公表どおり医薬品を仕入れて使用しており、その医薬品比率は三五パーセント以上であり、昭和五六年九月の医療監査のとき、昭和五三、五四年の医薬品比率が三三ないし三四パーセントであると説明し、監査官の納得を得た旨供述し、右に関連して、同病院が仕入れて使用した医薬品は北神営繕の医薬品出入帳に記載されているとおりであり、この医薬品出入帳は、同病院の医療状況と医薬品の使用状況を説明するために必要な資料であって、現に、右監査を受けたとき、監査官は、大変興味のある資料であると言って、北神営繕の医薬品出入帳を見ながら現金仕入の核心に近いところまで質問し、医薬品出入帳の内容は、自分達の得ていた監査用情報と合致するし、自然であると言った、この監査は、厳しく慎重な監査であったが、同病院にほとんど不正はなく、特殊な高度医療と保険点数が高いこととの関係は、十二分に理解を得た旨供述する(第一一回、第一四回、第二六回、第三〇回各供述書〔弁二二一、二二六、二四六、二五四〕。原審第一二一回公判)。そして、所論は、原判決が、北神営繕の医薬品出入帳について、判断の対象として掲げながら、これについての判断をしていないのは重大な判断遺脱であるというのである。

たしかに、原判決は、北神営繕の医薬品出入帳について判断を示していないのであるが、医薬品出入帳については、被告人の公判供述および供述書の信用性を判断するために必要な限りにおいて判断すれば足りるうえ、後記のとおり、医薬品出入帳が、近藤病院の実際の医薬品使用状況を反映しているとは認められず、被告人の右供述も信用することができないのであるから、医薬品出入帳について判断しないまま、被告人の右供述の信用性を否定した原判決の判断は、結論において正当であり、所論のいうように重大な判断を遺脱したものとはいえない。

そこで、被告人の右供述の信用性について検討するに、関係証拠によれば、右医療監査においては、兵庫県国民健康保険団体連合会への診療報酬請求について診療報酬明細書(以下、レセプトという)の一部を、審査ずみのレセプトに紛れ込ませていると指摘されたほかは、些細な誤りを指摘された程度であって、診療内容や医薬品の使用に不正や不審な点があるという指摘はされていないことが窺えるのであるが、医療監査の結果が右のとおりであっても、被告人の右供述は、以下に説示するとおり信用することができない。

被告人が供述する北神営繕の医薬品出入帳は、昭和五四年のものしか証拠として取り調べられておらず、その取調べずみの医薬品出入帳(符号二七五の一の1ないし5、符号二七五の二の1ないし6)も、四月以降の医薬品の出入しか記入されていないため、それより前の医薬品の出入については、果たして医薬品出入帳が存在するのかどうか、存在するとしても、どのような記帳がなされていたのか不明であるが、その点については、証拠として取り調べた医薬品出入帳と同じであるとして、被告人の供述について考えるに、取調べずみの医薬品出入帳は、医薬品毎に北神営繕が仕入れた数量と、販売した数量を単価と共に記入したものであるところ、被告人の供述によれば、医薬品出入帳に近藤病院へ販売した旨記載されている医薬品は、全部現実に売買されたものであるというのである。しかし、昭和五三年二月から昭和五四年七月まで近藤病院で内科医として勤務した晴木光の質問てん末書(検一二六)によれば、同医師が昭和五四年二月に診察した大西徳司のカルテの指示簿には、同医師が投与を指示した筈のないグロベニンが点滴された旨記載されていること、昭和五三年四月から八月まで入院し同医師の診察を受けた岡田静男のカルテの指示簿のうち同医師が指示した分の一部が処分されていると考えられること、そのほかにも、同医師担当の患者のカルテの指示簿に同医師が指示していない注射薬が記入されていたことがあり、同医師が看護婦に理由を尋ねたところ、院長の指示によるものだと言われたことが認められる。また、黒木輝夫医師の検察官調書(検一一八)によれば、同人は、神戸市立中央市民病院の外科部長兼消化管外科部長であり、近藤病院開設後間もないときから、月三回程度、同病院で診療にあたっていたものであるが、昭和五三年ないし五四年に同医師が診察した患者七名について、カルテに、同医師が処置ないし指示をしていない点滴注射や薬が書き加えられたり、同医師の指示と異なることが記載されていたり、手術録の記載とカルテの指示簿の記載とが異なっていたりしていることが認められる。そして、関係証拠によれば、近藤病院では、被告人が診察した患者のカルテの指示簿には、診察時に鉛筆で記入し、後日それをボールペンで書き直していたこと、右指示簿の書直しは、単なる清書というようなものではなく、鉛筆で記入されていた薬品名を別の薬品名に書き換えたりすることもあったことが認められること、桜橋渡辺病院の経理を担当し、昭和五三年からは事務次長をしている木下正和の検察官調書(検四一)によれば、同病院の医薬品の仕入代金は月平均二〇〇〇万円であることが認められるところ、被告人の当審公判供述によれば、桜橋渡辺病院は、近藤病院よりも規模の大きい総合病院であり、救急指定病院でもあることが認められるにもかかわらず、近藤病院の公表の医薬品仕入高は、割戻や値引をした後の額をみても、月平均三九〇〇万円(昭和五四年)ないし四六〇〇万円(昭和五三年)であって(別紙9近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)参照)、桜橋渡辺病院の約二倍であることも併せ考えると、近藤病院のカルテないしレセプトには、実際に使用したのとは異なる種類、数量の医薬品が記載されていたことが認められる。そうすると、北神営繕の医薬品出入帳に、近藤病院へ販売した旨記入されている医薬品の中には、実際には同病院で使用せず、購入もしていないものが含まれていると考えざるをえないから、医薬品出入帳が、同病院の実際の医薬品使用状況を反映しているとは認められない。

被告人は、第六回供述書(弁二一六)で、黒木医師の供述に触れて、近藤病院の入院患者の多くは開業医から送られてくる場合が多く、特に土曜日の黒木医師の回診後は、他の医院の主治医から、電話や患者の見舞いがてら来院したときに、意見や治療方針を聴取して取り入れていたから、黒木医師の供述がちぐはぐになっている旨供述している(原審記録四九分冊一三四一四丁)。しかし、黒木医師の前掲検察官調書によれば、同調書に記載されている患者七名について、同医師が処置ないし指示をしていないにもかかわらずカルテに書き加えられた点滴注射や薬のほとんどは、弊害はないが不必要な類のものであることが認められるから、わざわざ他の医院の主治医から意見を聞いて追加しなければならないような薬であるとは考えられない。また、前掲検察官調書によれば、同調書記載の患者のうち、福田勉は交通事故で負傷し当日近藤病院に搬送された患者であり、熊野信一も自転車の転倒事故による救急外来の患者であるから(同調書添付の回診録等の写〔原審記録一六一二丁、一六二一丁〕参照)、他の医院の医師から意見や治療方針を聞くということはありえないし、黒木医師が手術をした松本寛子のカルテの指示簿は、手術録の記載と異なっており、手術中の点滴について同医師が処置していない医薬品が付け加えられていることが認められるところ、手術中の点滴は手術担当医の指示に従って行われるものであって、後に他の医院の医師から意見を聞いて書き加えるという性質のものではない。以上のとおり、黒木医師の供述について被告人が第六回供述書(弁二一六)で供述するところは、まことに不合理であって信用できないというべきであり、この点についての被告人の当審公判供述も、その内容が第六回供述書(弁二一六)と異なっているばかりか、不合理であって信用することはできない。

また、前掲北神営繕の医薬品出入帳および納品書綴(符号二八五の三)に照らせば、右医薬品出入帳には割戻や値引については何も記載されていないことが認められる。従って、前記医療監査のとき、北神営繕の医薬品出入帳から算定される近藤病院の医薬品仕入高は、別紙9近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)の医薬品仕入の項の数値に割戻分および値引分を加えた数値であり、医療監査においては、同病院の医薬品使用状況を調べるため、医薬品の棚卸高についても当然調査している筈であるから、監査官が把握する同病院の医薬品費および医薬品比率は、同表の医薬品費の項および医薬品比率の項の数値であると思料される(但し、監査では、昭和五二年の医薬品仕入および医薬品費の同表記載の額にみはら薬局分の一〇〇〇万円が加算されるから、医薬品比率は三七・〇三パーセントとなる)。そして、各年度の医薬品費を比較すると、同表医薬品費の項に記載のとおり、昭和五三年と五四年の医薬品費は、いずれも昭和五二年よりも約二億円多く、約一・三七倍であって、本件起訴にかかる三年間の中では、昭和五二年が、医薬品費および医薬品比率のいずれにおいても最も低いことになる。

ところが、被告人は、右とは逆に、昭和五二年は、医薬品費が五億九九七三万七三六九円で、医薬品比率が三九・九九パーセントと、他の年に比較して医薬品比率が高くなっているとし、その説明として、昭和五二年に兵庫県では神戸大学医学部と近藤病院にCTスキャンが設置されたことから、県下の多くの病院が抱えていた脳神経疾患患者でCTスキャンを施行する必要がある患者を相当数預かって入院させたところ、患者を近藤病院に預けた病院の主治医が、その後の治療指針の関係で、当該病院で使用していた重要な医薬品を、医薬品メーカーのプロパー等を通じて、試供品名目で北神営繕に送り届けて来るケースが多く、このような脳神経疾患患者治療の特異性から医薬品比率が高くなった、昭和五六年九月に医療監査を受けたとき、右の事情を説明したところ、監査官は、既に事実関係を詳しく知っており、「近藤病院は、他の病院の患者で金儲けして、CTスキャンの三〇パーセントを償却したというもっぱらの噂ですよ。これくらいの患者は全部ただのサービスをしておいたら、こんな事件は起こっとりませんわ」と言った(第一五回供述書〔弁二二八。原審記録第五一分冊一三七九八丁〕)、同年の北神営繕の医薬品出入帳記載の近藤病院に対する医薬品販売合計額を薬価基準に換算しても五億四五六八万六二七七円であるが、この年は、前記のとおり、他の病院の主治医等が、医薬品会社と相談のうえ、依頼治療のため試供品やサンプル等の名目で医薬品を大量に北神営繕経由で近藤病院に送付し、北神営繕においては、その記帳処理について混迷し、結果的には、近藤病院に納入された医薬品を北神営繕の医薬品出入帳等を参照してチェックし、被告人が他の病院の主治医やプロパー等から連絡を受けて作成した納品医薬品メモを中心に、被告人と病棟管理課の職員二、三名で医薬品の納入状況を整理したところ、近藤病院から北神営繕に支払った代金は薬価基準で算定して五億九九七三万七三六九円であり、医薬品比率は約三九パーセントである(第二八回供述書〔弁二四八。原審記録第六一分冊一七一〇九丁〕)などと供述している。被告人の右供述は、他の病院からプロパー等を通じて北神営繕に届けられた医薬品も、近藤病院が北神営繕から購入した結果、昭和五二年の同病院の医薬品仕入高が、他の年よりも多額になり、医薬品比率も高くなったというものであり、当然、医薬品の使用量も、昭和五二年が他の年よりも多いということを述べているものである。しかし、被告人が供述する昭和五二年の医薬品費の額は、同年の医薬品仕入高の公表額に原材料棚卸高の期首と期末の差額を加えた額であり、かつ、昭和五三年と五四年については、公表の医薬品仕入高(同年分の医薬品代として支払ったという合計額から、同年一月から六月までの分として決議通知を受けた割戻分を控除した金額)を前提に被告人が右供述をしているものであるところ、昭和五二年の公表の医薬品仕入高には、前記のとおり、みはら薬局分の架空計上と昭和五一年一二月分の仕入高が含まれているのであるから、その合計五〇八一万八八〇一円は仕入高から控除すべきであり、かつ、原材料棚卸高の期首と期末の差額三二七万〇三六四円も昭和五二年に北神営繕に対し支払われたものではない。そうすると、同年の公表の医薬品仕入高のうち実際に近藤病院が北神営繕に代金を支払った医薬品仕入高というべき額は、別紙9近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)の医薬品仕入の項のとおり五億四五六四万八二〇四円であって、これは、昭和五三年の公表の医薬品仕入高よりも少ない額であり(同表昭和五三年の医薬品仕入の項参照)、昭和五二年の医薬品費について、被告人と病棟管理課の職員二、三名で医薬品の納入状況を整理したところ、近藤病院から北神営繕に支払った代金は薬価基準で算定して五億九九七三万七三六九円であったという被告人の前記供述は明らかに虚偽である。また、各年度の公表の医薬品仕入高は、前記のとおり、昭和五二年は、架空仕入分と前年度の仕入高の一部を計上し、他方では割戻を計上しておらず、昭和五三年および五四年は、それぞれ割戻を計上し、かつ、昭和五四年の七月から一二月までは値引きを受けているのであるから、近藤病院が公表どおりに医薬品を仕入れていたとしても、公表の医薬品仕入高は、仕入れた医薬品の量に対応した額になっていないため、医薬品の仕入量を仕入高によって比較するのであれば、これらの点を修正したうえでしなければならないし、医薬品の使用量を医薬品費の額で比較するのであれば、医薬品仕入高に原材料棚卸高の期首と期末との差額を加えた額でみるべきである。そして、右の補正をしたうえで各年度の医薬品費を比較すると、前記のとおり、被告人の右供述とは反対に、昭和五二年が最も医薬品の使用量が少ないのである。同年の医薬品の使用量が最も多ければ、医療監査のとき、被告人が供述するような対応を監査官がしたかもしれないが、公表額に基づき算定される医薬品費および医薬品比率は右のとおりであり、昭和五三年および五四年と昭和五二年とでは医薬品費も医薬品比率も極端に異なり、特に、昭和五二年と五三年とでは不自然なほどの差があることを思うと、被告人が供述するように、医療監査のとき、監査官が、昭和五三、五四年の医薬品比率が三三ないし三四パーセントであるという説明を納得したり、北神営繕の医薬品出入帳の内容が、予め得ていた情報と合致し自然であると言ったり、昭和五二年は、脳神経疾患患者治療の特異性から医薬品比率が高くなったということを詳しく知っており、他の病院の患者で金儲けしたという噂があるというようなことを言ったりしたとは到底考えられない。右のとおり、医薬品の使用状況に関する被告人の供述には矛盾があるところ、被告人は、原審および当審の公判や供述書において、自分は、近藤病院の院長として、同病院の医薬品の使用状況については最も詳細に知っており、自分だけが同病院全体の医薬品使用状況を把握しているということを度々強調しているものであり、脳神経疾患の診療は被告人の担当であるから、他の病院の脳神経疾患患者を相当数預って入院させたことが原因で昭和五二年の医薬品の使用量が多くなったとすれば、それに使用した医薬品の種類や量について被告人が誤ることはない筈であって、同年の医薬品の使用状況についての被告人の供述が、勘違いによるものであるということはありえない。しかも、被告人作成の第一五回供述書(弁二二八)は、作成日付が原審第一三九回公判期日である平成元年五月一一日であり、第二八回供述書は、作成日付が原審第一五二回公判期日である同年一二月一八日であるから、被告人は、これらの供述書を作成するにあたり、それまでに取り調べられた証拠や多数の資料を十分検討し、弁護人や税理士等とも協議を重ねていた筈であって、曖昧な記憶や不十分な資料に基づいて供述書を作成したのではないと認められることや、第一五回供述書(弁二二八)作成よりも前の昭和六三年一二月に作成した前掲説明書(弁二〇七)には、昭和五二年の医薬品費のうち、みはら薬局分の一〇〇〇万円は、特別経費支出のために架空の仕入を計上したものである旨記載していながら、その後作成した第一五回および第二八回各供述書(弁二二八、二四八)では、これと矛盾する内容の供述をしていることをも併せ考えると、真実を述べようという気持ちが果たして被告人にあったのかどうかも疑わしいというべきである。

また、被告人が、公判および供述書において供述するとおり、医薬品の変名仕入をしていたとすれば、その近藤病院の仕入額は、昭和五二年が三億〇九四五万八九一〇円、昭和五三年が四億八五一二万九六一〇円、昭和五四年が三億八一〇五万六二〇〇円であり、これが各年度の医薬品費(別紙9近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)参照)に占める割合は、昭和五二年が五六・四パーセント、昭和五三年が六四・六パーセント、昭和五四年が五〇・八パーセントに達するところ、これは、被告人が近藤病院の薬局を通さずに直接注文しているものであり、吉野薬局長は、関与していないのであるから、その保管管理は被告人が行わなければならないことになるのであるが、同薬局長の勤務状態に被告人が供述するような問題があったとしても、近藤病院のように規模の大きな病院で、その使用する医薬品の五〇ないし六〇パーセントについて薬局長ないし薬局が関与していないということが果たしてありうるのか、はなはだ疑問である。

なお、被告人は、当審公判および当審提出の供述書(当審弁六三)において、昭和五六年一月一〇日に奥山らと話し合ったとき、同人が作成したというメモについて、同人は、北神営繕経由の架空(変名)仕入を計上して作った資金のうち七パーセント程度が全くの架空であると思っていると言い、その内容をメモに残したものであるが、国税局の査察官は、そのメモに書かれたパーセント記号の左側の丸を数字の零と間違えて、その記載を七〇パーセントと読み誤り、架空(変名)仕入のうち、三〇パーセントが変名仕入で、七〇パーセントが架空仕入だという内容の質問てん末書(当審検五)を作ろうとしたので、自分は、査察官の誤読に気付いたが、それに合わせる内容の供述をした旨供述している。しかし、右メモ(その写が当審検五に添付)の記載をみれば、七〇パーセントと書かれていることは明らかであり、これを七パーセントと読み誤るとは考えられないうえ、被告人が供述するところが真実であるとすれば、それは、被告人の記憶に深く印象されている筈であり、被告人の当審公判供述によれば、右質問てん末書が作成された経緯は、弁護士に伝えたというにもかかわらず、原審では、右のような主張も供述も全くなされておらず、当審において右質問てん末書が取り調べられた後初めて、被告人が右のような供述をするに至ったというのは、まことに不自然である。そして、被告人の原審公判供述および各供述書によれば、奥山は、医薬品の仕入関係については詳しくないというのであるが、そうであれば、七〇パーセントというように、一〇パーセント単位の切りの良い数字を挙げるならともかく、医薬品の仕入関係に詳しくないにもかかわらず、七パーセントという中途半端な数字を挙げるというのも不自然であることを考えると、右奥山のメモに関する被告人の供述は信用できない。

そのほか、被告人は、変名でした現金仕入については、全部真実の仕入先名等をメモして残していたが、本件査察があることを事前に知ったことから、現金仕入先が明らかになれば、以後、現金販売業者から医薬品を安く仕入れることができなくなり、病院経営に支障を来すと判断し、弁護士らと相談のうえ、現金仕入についてのメモは、査察の七日位前に焼却し、現金問屋が被告人不在のとき残した領収確認メモは池田税理士に渡した旨供述するのであるが、被告人が供述するようなメモが存在していたとすれば、それは、実際の医薬品仕入の状況を明らかにする極めて重要な証拠であるところ、当時、被告人は、所得税法違反の罪により刑の執行猶予中であったうえ、査察の対象となる期間には、前回の裁判が係属していた時期も含まれているのであるから、再び同種の罪により刑事責任を問われることになれば、実刑に処せられる可能性が極めて高いことは、専門家でなくとも十分予測できた筈であり、ましてや弁護士に相談したというにもかかわらず、被告人の必要経費の実際の支出額を証明する第一級の証拠を焼却してしまうというのは、まことに不自然であり、かつ、池田税理士に渡したというメモも、その存在が不明であることも考慮すると、被告人が供述するようなメモが実際に存在したのか疑わしく、仮に、被告人が、本件査察前に何らかの書類を焼却したとすれば、むしろ被告人に不利な証拠となるようなものを焼却したと考える方が自然であるから、メモに関する被告人の供述は信用できない。

以上説示したところに照らせば、医薬品の使用状況や仕入に関する被告人の右供述は、到底信用できないというべきである。

そして、原判決説示のとおり、被告人のほかにも現金での変名仕入について供述している者がいるのであるが、これらの者の供述から、医薬品仕入に関する被告人の公判供述や供述書の信用性が認められるものでないことは原判決が説示するとおりである。

(五) 以上の次第であるから、医薬品仕入高については、別紙16医薬品仕入高算定表(当審認定分)のとおり認定した。なお、割戻額は、当裁判所認定の仕入額に北神営繕からの割戻通知に表示された割合を乗じて算定した。

(六) 所論は、昭和五二年の医薬品仕入高の中に昭和五一年一二月分の医薬品代が含まれているのは事務上の誤りであって、仕入額を過大に計上しようという意図は全くなかった旨主張する。

そこで検討するに、昭和五二年については、前記のとおり、決算時に、同年中に支払った医薬品代の合計額から、一月に支払った昭和五一年一二月分の医薬品代を控除しなければならないにもかかわらず控除されていないところ、昭和五三年一月に支払った昭和五二年一二月分の医薬品代は加算されていることに照らすと、奥山や權税理士は、決算時には前年度および当年度の一二月分の医薬品代について清算しなければならないことを十分知っていたものであり、昭和五二年一二月分の医薬品代を加算しながら、他方では昭和五一年一二月分の医薬品代の控除のみ忘れるとは考え難いことにかんがみると、これは、被告人から所得額を一定額以下に押さえるよう言われていたため、右のとおり控除しなかったものと認定するのが相当である。

2  人件費(控訴趣意書第一点二3(七))について

所論は、原判決が、人件費のうち、株式会社太平洋クラブミヤコトラベル(以下、ミヤコトラベルという)への支払い、近藤一、近藤千鶴への給与の支払いおよび当直医雑給が架空計上であり、藤田千代子への支払いが過大計上であると認定し、近藤千里の給与および退職給与引当金がいわゆる青色申告取消益として犯則所得になるとしたのは、事実を誤認したものであるというのである。以下、所論の項目別に検討する。

(一) ミヤコトラベルへの支払いについて

近藤病院では、ミヤコトラベルへの支払いは、そのうち六九パーセントを人件費に計上し、三一パーセントを福利厚生費に計上しているところ、所論は、右支出に関しては被告人作成の供述書の内容が事実であるのに、原判決は、これと異なる捜査段階での被告人および関係者の供述の方を信用したため、誤った事実を認定したというのである。そして、被告人作成の供述書(第九回〔弁二一九〕)によれば、原判決認定の各年度のミヤコトラベルに対する架空支払いとされたもののうち、昭和五二年の二三〇万九九四一円は実際に旅行のために支払ったものであり、昭和五三年の一二二万四七五〇円は、インドネシア旅行のとき医師の慰労のためにミヤコトラベル以外に実際に支払ったものであり、昭和五四年の五〇万〇三一九円は医師団の旅行の追加費用として支払ったというのである。

しかし、國澤恒彦(検一〇九)および被告人(検二五一、二五三)の各検察官調書によれば、昭和五二年にミヤコトラベルに支払ったというもの(原判決別紙(一二)人件費増減内訳五二年1)のうち、八月二日付の八四万五八四〇円および九月二日付の二一万九〇〇〇円は、被告人夫婦および父母と子供三名のグアムへの家族旅行の費用としてミヤコトラベルに支払われたものであり、八月三日付の一三八万五四〇〇円および同月一九日付の八九万七五〇〇円はミヤコトラベルに支払われたものではないこと、昭和五三年五月四日にミヤコトラベルに支払ったという一七七万五〇〇〇円(原判決別紙(一二)人件費増減内訳五三年1)および昭和五四年一月一二日にミヤコトラベルに支払ったという七二万五一〇〇円(原判決別紙(一二)人件費増減内訳五四年1)は、いずれもその領収証には医師団の旅行費用とされているが、実際にはそのような旅行がされた事実はなく、その金額がミヤコトラベルに支払われてもいないことが認められる。

右のうち被告人の家族旅行の分については、利益処分というべきであって、被告人が病院開設者であり、被告人夫婦および父母が医師であることを考慮しても、病院業務遂行上必要なものとはいえないから、これを必要経費とすることはできない。そして、昭和五二年八月一九日付の八九万七五〇〇円については、被告人作成の領収証台紙および特別現金支出伝票(その写は検二五一に添付)には、グアム旅行の追加費用と記載されているところ、國澤恒彦(検一〇九)および被告人(検二五一)の各検察官調書によれば、このグアム旅行というのは前記の家族旅行であることが認められるから、これについても必要経費とすることはできない。

また、昭和五二年八月三日付の一三八万五四〇〇円が架空の支出であることは被告人も自白しているところである(被告人の検察官調書〔検二五一〕)。所論は、被告人の自白には信用性がないというのであるが、右支出に関する被告人作成の領収証台紙および特別現金支出伝票(その写は検二五一に添付。國澤の前掲検察官調書によれば、この支出に関する領収書は、近藤病院側の求めにより、個人的に購入した領収書用紙に、ミヤコトラベルのゴム印、社印を押して、金額と日付を空欄のままにして交付したものを利用したものであり、後記の昭和五三年五月四日付、昭和五四年一月一二日付の各領収書も、同様のものを利用したことが認められる)には、一〇周年記念の慰安旅行のとき、参加しなかった医師一〇名および過去一〇年間病院の運営に関して世話になった者八九名に種ヶ島の名産および記念品を送った費用である旨記載されているところ、そうであれば、その品物を購入した店で領収書の発行を求めれば、これを得られた筈であり、しかも、被告人は、前回の査察を受けて以来、支出関係の訂憑を確保することには気を遣っていたという趣旨のことを、供述書等で繰り返し述べているのであるから、当然、領収書の発行を求めている筈であるにもかかわらず、そのような方法をとらず、右のような白紙で受領した領収書を利用して特別現金支出伝票をおこすという処理をしたというのは、架空の支出であるのを真実支出されたもののように糊塗したものであることを窺わせるに十分であるから、右架空支出である旨の自白は信用できるというべきである。

次に、昭和五三年五月四日付の一七七万五〇〇〇円は、被告人ら近藤病院医師団が昭和五三年四月下旬にバリ島旅行したときの費用等で、現地の旅行社に支払った分について領収書が取れなかったので、ミヤコトラベルの領収書を使ったというのであるが(被告人の検察官調書〔検二五九〕および原審第一二六回公判供述、被告人作成の説明書〔弁二〇七〕)、右旅行を取り扱ったとされるミヤコトラベルの國澤恒彦は、そのような説明を全くしていない。更に、昭和五四年一月一二日付の七二万五一〇〇円について、被告人は、北区医師会の旅行における二次会、三次会の費用であり、そのとおり支出したから交際費であるというのであるが(検察官調書〔検二六一〕、説明書〔弁二〇七〕)、医師会の旅行で、二次会、三次会の費用を被告人が負担すべき理由が不明であり、また、一流の店に入り、人数も多く、費用がかさんだというのであれば、実際に二次会、三次会をした店が何かの形で領収書を発行することを拒むとは考えられない。そうしてみると、右各金額が実際に支出されたかどうかについてはもちろん、その使途についても被告人の供述は信用できず、他に、これが、人件費、福利厚生費、交際費等の必要経費に使用されたことをうかがわせるような証拠もない。

(二) 近藤一、近藤千鶴への給与の支払いについて

所論は、近藤一は、近藤病院の会長という地位にあり、木元監理局長から病院の状況について報告を受け、被告人に対し病院経営に有益な助言をしたり、被告人に代わって医師会の会合に出席したりしていたほか、自己の所有地を同病院の敷地の一部に提供していたのであるから、人件費という費目で給料の支給を受けるのは当然であり、近藤千鶴についても同様であるから、右両名に対する給与は必要経費であるというのである。

関係証拠によれば、近藤一は、近藤病院の組織図の上では会長という地位にあり、その所有地が同病院の敷地の一部になっていたが、本件期間中、同病院での医療行為には全く従事していなかったこと、木元監理局長が、一時期毎週のように近藤一方に立ち寄り、同人と千鶴に同病院の状況等を話していたことが認められる。しかし、近藤一の検察官調書(検一一九七)、証人木元美文の供述(原審第五五、一五一、一五二回公判)等関係証拠によれば、近藤一は、近藤病院の組織図の上だけでの会長であって、会長としての権限もなく、同病院の運営についての助言を被告人から期待されてもいなかったこと、木元が近藤一方へ立ち寄っていたのは、通勤経路の途中に同人方があったことから、近藤病院から帰る途中寄っていたものであって、そのとき同人や千鶴に同病院の状況等を話してはいるものの、それは、同人らから意見を求めたり、指示を受けたりするためのものではなく、単なる雑談的な報告であり、木元の訪問は、被告人の父母に対する儀礼的なものであったこと、本件期間中、近藤一が被告人の代りに医師会の会合に出席したことはないことが認められ、また、近藤一の所有地を病院の敷地に使用することについては、その賃料等の対価について何の約束もされていないことが認められるから、その利用関係は使用貸借であると認定すべきであること、右に認定した事実ならびに近藤一(検一一九七)および近藤千鶴(検一一九八)の各検察官調書に照らせば、同人らが、近藤病院の運営について時に助言的なことを言ったことがあったとしても、それは、親子間の思いやりに基づくものであり、これに対価を支払うべき経済的関係があったとは認められない。以上説示したところを総合すると、仮に近藤一に対する支出があったとしても、それは、子の親に対する贈与金とみるべきもので、利益処分行為にあたり、給与その他名目の如何を問わず必要経費であるとは認められない。

次に、近藤千鶴について、原判決は、昭和五三年七月まで近藤病院での診療に従事していたと認定しているのであるが、近藤千鶴(検一一九八)および被告人(検二五三)の各検察官調書、証人威徳寺悦子の供述(原審第一〇三回公判)等関係証拠に照らせば、千鶴は、同年八月以降も、それ以前に比べて回数が減ってはいるものの、毎月近藤病院での医療に従事しており、同病院での診療に従事しなくなったのは昭和五四年五月からであると認定する余地がある。そうすると、千鶴に対し昭和五三年八月から昭和五四年四月まで毎月一二三万円宛支払われた給与すなわち昭和五三年分六一五万円、昭和五四年分四九二万円については、必要経費であると認定すべきであって、原判決は、この点において事実を誤認しているといわざるをえない。

(三) 当直医雑給について

所論は、被告人作成の供述書の内容が真実であるのに、原判決は、これと異なる捜査段階での被告人および関係者の供述の方を信用したため、誤った事実を認定したというのである。

しかし、証人木元美文(原審第五一、五三、五四回公判)、被告人の検察官調書(検二五〇)等関係証拠によれば、木元は、被告人から裏金を作るよう指示されて、近藤病院での当直に予定されていた医師が実際には来なかったときも、その当直分の給与を支出したことにして、その額の金を別にたくわえており、このことは当然被告人も知っていたことが認められるから、これが必要経費でないことは明白である。

(四) 藤田千代子への支払いについて

所論は、被告人作成の供述書の内容が真実であるのに、原判決は、これと異なる捜査段階での被告人および関係者の供述の方を信用したため、誤った事実を認定したというのである。

関係証拠によれば、近藤病院で救急事務を担当していた藤田千代子の給与は、木元が受け取って同女に渡していたところ、木元は、実際に同女に渡す金額よりも多い額の給与を近藤病院から支払わせて、これを木元が管理している同女名義の預金口座に入れ、同病院から受け取った額よりも少ない額の金員を別途調達して、これを同女に給与として渡し、その差額を自分のものとしていたこと、右差額の年度毎の金額は、昭和五二年が四万四〇〇〇円、昭和五三年が三九万三三三〇円、昭和五四年が三七万〇八〇〇円であることが認められる。この藤田の給与の水増しについて、被告人は、木元が、同人用の裏金を作るためにしたもので、被告人自身は、そのことを知らなかったが、木元の交際範囲は広いので簿外経費が必要であったことは理解できる旨供述し(原審第一一七、一二一回公判等)、木元は、藤田の給与の水増しで浮かした金を、奥山経理部長に渡したことがあるとか、昭和五五年八月に藤田名義の預金口座を解約し、同口座にあった預金は、被告人に返還するために安東世顔名義の預金口座に入金した旨供述しながら(原審第五一回公判)、被告人から裏金を作るよう指示されたが、藤田の給与の水増しのことを被告人は知らないとも供述しているところ(原審第五一、五四回公判)、木元の捜査、公判を通じての供述全体をみると、同人が、藤田名義の預金口座の預金を被告人に返還するために同口座を解約したのは、たまたま北神営繕に対する税務調査のときに右預金口座の存在が被告人に発覚したためであって、藤田の給与の水増しは、後記の苗村関係の清掃代の場合と同様に、被告人との共謀に基づくものではなく、木元が、近藤病院とは関係なく、同人自身の用にあてる金員を捻出するために行ったものであり、被告人としては、藤田に対し給与として支払った額全部が同女に渡っているものと信じていたのではないか、はたまた、近藤病院が支払った藤田の給与の一部を木元が密かに渡したのではないかとの疑いを払拭することができない。従って、近藤病院の関係においては、藤田の給与は、その水増し分も含めて、全額必要経費として支出されているものと認定せざるをえない。

(五) 近藤千里の給与および退職給付引当金について

所論は、近藤千里の給与等は、被告人が青色申告取消処分を受けたために青色申告取消益にはなるが、犯則所得ではないにもかかわらず、これを犯則所得であると認定した原判決は、法令の解釈適用を誤ったことにより(所論は、法令違反というのであるが、訴訟手続きの法令違反を主張するのではなく、法令の解釈適用の誤りを主張しているものと解する)、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認をしたというのである。

しかし、次に項を改めて説示するとおり、青色申告取消益は犯則所得であると解されるから、この点に関する原判決の認定判断は正当である。

3  青色申告取消益(控訴趣意書第一点二3(七)、平成六年三月二八日付控訴趣意補充書)について

所論は、青色申告取消益は、犯則所得ではなく、原判決が引用する最高裁判所昭和四七年(あ)第一三四四号昭和四九年九月二〇日第二小法廷判決・刑集二八巻六号二九一頁の趣旨を踏まえた情状的事実に過ぎない旨主張する。すなわち、所得税ほ脱の罪は、偽りその他不正の行為により納付すべき税額を申告納付しないで、納付の期限を経過したときに成立するものであり、犯罪の成否および量(ほ脱税額)は、右の時点における納付すべき正当な税額と確定申告にかかる税額との差額によって決まるところ、青色申告承認が、当該事業年度開始の日にさかのぼって取り消されることが法で定められていても、それは、後日、所得税法の規定により所轄税務署長が行う裁量処分であるから、承認を取り消さないという処分がなされたときは、青色申告の特典が失われず、取消益も発生しないため、この部分についてほ脱の罪が成立する余地がなく、そうすると承認を取り消さないという税務署長の処分は、一旦成立したほ脱罪を消滅させるということになり、あるいは、青色申告の承認を取り消された場合だけが、さかのぼって犯罪を構成するということになるのであるが、後になって犯罪でなかった行為が犯罪となったり、既に成立した犯罪の量が増減したりすることは刑罰法規の解釈上ありえない。それにもかかわらず、原判決が、青色申告取消益を犯則所得と認定したのは、青色申告取消益に関連するすべての勘定科目において、法令の解釈適用を誤ったことにより、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認をしたというのである。

しかしながら、青色申告取消益が犯則所得であることは、所論引用の判例が明言するところである。

所論は、青色申告書提出承認の取消の有無により、犯罪でなかった行為がさかのぼって犯罪となったり、一旦成立したほ脱罪が消滅したりすることになるというのであるが、所得税ほ脱の罪は、青色申告取消益を含む当該年度の全所得について一個成立するのであって、青色申告取消益について別に独立してほ脱の罪が成立するのではないから、所論のうち、青色申告取消益についてのほ脱罪の成否をいう部分は、主張自体失当である(なお、所論は、青色申告承認取消処分のほかに、承認を取り消さないという処分があるかのような主張をしているが、承認を取り消さない場合は、取消処分が行われないだけであって、取り消さないという行政処分が行われるのではない)。次に、所論は、ほ脱税額は、所得税ほ脱の罪が成立するとき、すなわち偽りその他不正の行為により納付すべき税額を申告納付しないで、納付の期限を経過したときにおける納付すべき正当な税額と確定申告にかかる税額との差額によって決まるから、その後、青色申告承認が取り消され、その効果が当該事業年度開始の日にさかのぼるとしても、既に成立した犯罪の量が増減することは刑罰法規の解釈上ありえないというのである。しかし、ほ脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の所得税額についてほ脱行為をする以上、当該事業年度の確定申告にあたり右承認による税法上の特典を享受することはできないというべきである。たしかに、青色申告承認取消は、所轄税務署長が行う裁量処分であり、青色申告承認を受けていながらほ脱行為をした者すべてに対し右取消処分が行われるとは限らないのであるが、そのことから、青色申告承認を受けた者が、ほ脱行為をしながら、青色申告承認による税法上の特典を享受することが違法でないとはいえず、また、後に右承認を取り消されることはないであろうと予想することも許されないというべきである。そして、ほ脱行為の結果として、後に青色申告の承認を取り消されるに至るかもしれないことは、行為時において当然認識できることなのであるから、青色申告の承認を受けた者が、ある事業年度において所得税を免れるためほ脱行為をした場合、ほ脱罪は、後に青色申告承認を取り消されれば、当該事業年度開始の日にさかのぼって青色申告の承認がないものとして計算した所得税額から申告にかかる所得税額を差し引いた額がほ脱額になり、右承認取消処分を受けることなく経過すれば、青色申告承認による税法上の特典に基づいて計算した所得税額から申告にかかる所得税額を差し引いた額がほ脱額になるものとして成立すると解するのが相当である。すなわち、所得税法は、所得税ほ脱罪の構成要件を、後日青色申告承認が取り消されれば、その取消益もほ脱額に含まれ、取り消されなければ、当然取消益は生じないのであるから、ほ脱額に含まれることはないものとして定めていると解することができる。

従って、所論の主張する意味において、所得税ほ脱罪が既遂となり、ほ脱額が一旦確定しながら、後日、その額が増減するというものではないから、所論は採用できす、原判決が、青色申告取消益を犯則所得と認定したことに誤りはない。

4  医療材料費(控訴趣意書第一点二3(八))について

所論は、原判決は、昭和五四年にいわしや中塚関係で支出した三六万円、四二万五〇〇〇円および二九万六〇〇〇円の合計一〇八万一〇〇〇円以外の医療材料費としての支出について、被告人および弁護人が架空の支出であると主張している旨判示しているが、弁護人も被告人も、架空の支出であると主張しているのではなく、病院の経費として支出したが、経理上の処理においては、品名や支払先を変えたものであると主張しているのであって、架空計上を認めたものではない、また、原判決は、右一〇八万一〇〇〇円が手術室の機器の購入費であるとしても、それは什器備品の取得費用であるから経費に計上することができないとしているが、被告人は、税理士から、救急病院である近藤病院の手術室の機器は、損耗も激しく、感染予防のために使い捨てなければならないものや、技術の急速な進歩のため短期間に時代遅れとなってしまうものもあり、実質的には消耗品と変わりがないから、消耗品として処理してもよいと聞き、経理担当者に、そのような処理をさせていたところ、救急病院の手術室の機器や装置は、通常の使用時間を超えて使用されるものであり、いわゆる増加償却を行えば一年以内に減価償却が完了するのであるから、その使用可能期間は一年未満であり、取得価額が五〇万円にも満たないような多数の手術機器につき、減価償却資産として計上しないで、煩瑣な手続きをとることなく必要経費に算入することは、日常の税務調査においては容認されているというのである。

まず、原判決が、いわしや中塚に支払った合計一〇八万一〇〇〇円以外の医療材料費としての支出について、被告人および弁護人が架空の支出であると主張している旨判示しているという点についてであるが、原判決は、弁護人らが、架空ではあるが、別途、病院の特別経費として支出した旨主張していると判示しているのであって、架空計上を認めている旨判示しているのではなく、特別経費を変名で支出した趣旨の主張であると解していることは明白である。なお、特別経費として支出した旨の主張については、他の名目で支出したという特別経費の分も含めて、後出の12の「特別経費の変名支出について」の項において判断する。

次に、救急病院の手術機器で、使用可能期間が一年未満であり、取得価額が五〇万円にも満たないものについては、減価償却資産として計上しないで、医療材料費として必要経費に算入することが日常の税務調査においては容認されているから、いわしや中塚関係の支出は医療材料費として必要経費になるという主張について検討する。

この点について、被告人は、右主張に沿った供述をしているのであるが(原審第一二五回公判、第一二回供述書〔弁二二四〕等)、右のような供述をしているのは被告人のみであるところ、税理士であり、医療機関一〇件位の税務をみているという証人境一燦は、医療機器については本来資産処理すべきだが、それでは煩瑣なため、経費的支出扱いという処理をしているところもある旨供述しながら(原審第一〇八回公判)、他方では、経費的支出扱いをする例は少額資産についてであり、自分が医療機器の経理処理について相談を受けたときは、資産処理しなければならないと答えている、短期間で廃棄する医療機器を経費的処理をした場合、税務署が認容してくれるかどうかは事実関係の内容による旨供述しており(原審第一〇八、一一〇回公判)、かつ、被告人も、税務署側は一〇万円以下の備品についてのみ経費的取扱を指導している旨供述している(第三〇回供述書〔弁二五四〕)ことに照らすと、いわしや中塚関係の一〇八万一〇〇〇円の支出について必要経費と認めることはできないとした原判決の説示に誤りがあるということはできない。

5  医療消耗品費、研修費、事務用品費、接待交際費(控訴趣意書第一点二3(九))について

所論は、右勘定科目のうち原判決が架空計上または過大計上と認定したものについて、被告人が、それらは別途必要経費に支出した旨供述書において詳述しているにもかかわらず、原判決が、単に架空計上または過大計上と認定しただけで、必要経費に支出したか否かについて審理せずに、ほ脱の事実を認定したのは、審理不尽により事実を誤認したものであるというのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決が、右の勘定科目について、その別紙(一四)ないし(一七)記載のものを架空計上、過大計上と認定したのは正当であるところ、このうち、被告人が、別の費目の必要経費に使用したと供述しているものについて、原判決は、別に「所得税法違反に関する被告人及び弁護人らの主張について」と題する項の第一の一八の「特別必要経費について」の項において、当該支出が必要経費であるか否かについて検討し判断しているのであるから、所論は、原判決の内容を誤解し、誤った前提に基づいて原判決を論難しているものである。そして、原判決が右の「特別必要経費について」と題する項において説示するところは、後記12のとおり正当であるから、原判決に所論の事実誤認はない。

6  福利厚生費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

所論は、昭和五二年のミヤコトラベル関係の支出は、医師の旅行団に家族が随行したもので、日夜多忙な医療に従事している被告人夫妻や両親であるため、日頃家庭において犠牲になっている家族達を偶々の旅行の機会に慰労し、事業についても認識を与えるため同行したわけであり、このような場合費用全額を必要経費として取り扱うのが常識であり、被告人は、税理士からそのように聞いていたから犯意がないというのである。

所論のミヤコトラベル関係の支出は、前記人件費についての項で説示した支出の三一パーセントを福利厚生費として計上したものであるところ、同項において説示したとおり、昭和五二年のミヤコトラベル関係の支出のうち被告人の家族が関係するのはグアム旅行のみであり、これは、被告人の家族のみによる旅行であって、医師の旅行団に家族が随行したというものではないから、所論は、その前提を欠くうえ、前記のとおり、家族旅行の費用は、利益処分行為に該当するにすぎず、必要経費とすることができないことは前記説示のとおりである。

7  保守料(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

所論は、北神営繕が、近藤病院の清掃を請け負い、その代金を契約で定めた額以上に水増請求し、同病院が、これを支払った分について、原判決は、木元監理局長が、被告人の指示を受けて裏金を作るために右のような操作をして、北神営繕が受け取った水増分を被告人または奥山経理部長に渡していたのであるから、右操作は税法上の不正の手段である旨認定判示したが、木元が右のような操作をしたのは、北神営繕のためであって、被告人のためではなく、仮に、木元が右操作により手元に残した裏金が近藤病院のものであったとしても、それはすべて同病院の変名による簿外必要経費に用いられているので、租税ほ脱の対象とはならないというのである。

関係証拠によれば、近藤病院の清掃は北神営繕が請け負い、その代金については、北神営繕が下請業者に支払う清掃料に三パーセントの利益を上乗せした額とする旨契約で定められており、この約定に従えば、北神営繕は、昭和五二年ないし五四年の各年度において、原判決別紙(二一)の保守料増減内訳の2の額の代金を請求すべきであるのに、1の額の代金を請求して小切手で受け取り、木元が、これを関西信用金庫芦屋支店の末吉一裕という架空名義の預金口座で預金化し、その中から清掃の下請業者である苗村市郎に下請代金を渡し、約定の代金額との差額は、そのまま預金して管理していたこと、右1の額と2の額との差額は、昭和五二年が四三六万七〇〇〇円、昭和五三年が四二七万四五〇〇円、昭和五四年が三三九万九〇〇〇円であることが認められる。この清掃代金の水増しについては、前記藤田に対する給与の水増しと同じく、被告人は、木元が、同人用の裏金を作るためにしたもので、被告人自身は、そのことを知らなかった旨供述し(原審第一一七、一二一回公判等)、木元は、清掃代金の水増分の預金を降ろして奥山経理部長に渡したことがあるとか、昭和五五年八月に末吉名義の預金口座を解約し、同口座にあった預金は、被告人に返還するために安東世顔名義の預金口座に入金した旨供述しながら(原審第五一回公判)、被告人から裏金を作るよう指示されたが、清掃代金の水増しのことを被告人は知らないとも供述しているところ(原審第五一、五四回公判)、木元の捜査、公判を通じての供述全体をみると、末吉名義の口座に預金された清掃代金の水増分は、将来、木元が、近藤病院とは無関係に会社を設立するときの資金として、密かに預金していたものであり、同人が、末吉名義の預金口座の預金を被告人に返還するために同口座を解約したのは、たまたま北神営繕に対する税務調査のときに右預金口座の存在が被告人に発覚したためであって、清掃代金の水増しは、被告人との共謀に基づくものではなく、木元が、同人自身のために密かに行ったのではないかとの疑いを払拭することができない。従って、北神営繕が受け取った清掃代は、近藤病院との契約に反した高額なものではあるが、これは、北神営繕が過大な利益をあげたのであって、近藤病院の関係においては、北神営繕に支払った清掃代全額(原判決別紙(二一)保守料増減内訳1の金額)が必要経費として支出されたものと認定せざるをえない。

8  支払手数料(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

所論は、支払手数料についても変名支出があり、額が過大な分はすべて必要経費に使用されているから、架空計上、過大計上であるというだけでは、税のほ脱にならないところ、被告人は、井本訓右が県議会議員選挙に立候補したとき、選挙資金として約一〇五五万円と約七〇〇万円とを寄付したほか、同人から現金と引き換えに預った合計約一四〇〇万円の手形を同人に返還し、同人の広範な活動に対する報酬として処理しており、これらは必要経費である、また、同人以外の支払手数料について、原判決は、支払手数料の勘定科目で支出の経理処理をしておきながら現実にはその支出先に支払っていないから、その支出が支払手数料としては架空であることをもって不正経理であり、税のほ脱行為であるとしながら、他方では、支払先も支払年月日も示さないで、検察官主張のほかに昭和五三年の簿外支払手数料一〇〇万円を認めているのは論旨の一貫性を欠くというのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠に照らせば、原判決が「支払手数料について」および「特別必要経費について」と題する項において正当に説示するとおり、原判決が認定した額以上の支払手数料が近藤病院の経費として必要であったとは認められない。

なお、原判決が昭和五三年の簿外支払手数料一〇〇万円を認めたのは論旨の一貫性を欠くとの主張は、右簿外支払手数料の認定自体は、被告人に有利な事実を認定したものではあるが、支払先も支払年月日も特定しないで必要経費であることを認めるのであれば、他の支払手数料として支出したが、その名目上の支出先には支払われていないものについても、その使途を究明して必要経費であるか否かを判断すべきであり、当該経理上表示された支出先には支払われていないということをもって必要経費ではないと判断するのは不当であるという趣旨の主張であると解される。しかし、支払手数料として経理処理してはいるが、現実にはその支出先ではなく別の相手に支払っており、特別必要経費を変名で支出したものであると被告人が供述するものについて、原判決は、「支払手数料について」と題する項のほかに「特別必要経費について」と題する項において、十分に検討したうえで必要経費ではないと認定しているのであって、経理上表示された支出先が架空であることのみをもって、その支出が支払手数料としては架空であり、税のほ脱行為であると認定しているのでないことは明白である。また、昭和五三年の簿外支払手数料については、被告人の各供述書や公判供述が、はなはだ信用性に乏しいにもかかわらず、原審裁判所が、その供述内容を虚心に検討し証拠を精査して、右簿外支払手数料の存否について疑わしい点があるものの、被告人の利益を考え敢えて簿外支出を認定したものであることは、原判決ならびに記録および証拠から十分窺うことができる。以上説示したとおり、原判決には何ら論旨の一貫性に欠けるところはなく、所論は、原判決を十分理解することなく、いたずらに論難しているに過ぎない。

9  調査費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

所論は、被告人が井本に手形と引き換えに渡した現金は、同人から病院経営に必要な経費として具体的な使途を示して要求されたとき、その使途を監視するために手形を預って渡したものであって必要経費であり、その他の原判決が架空の調査費であると認定した支出は、調査費としては架空であっても別途必要経費に支出したものであるというのである。

しかし、証人井本訓右(原審第七〇、七一、七九、八一、一四〇、一四一回公判)の供述によれば、同人は、自分自身が必要とする資金を得るために、同人の後援会関係者が振り出した手形を借り、これを担保として被告人に差し入れて融資を受けていたものであることが認められ、かつ、そのような手形を被告人が所持することによって、井本に渡した金銭の使途を監視することができるとも考えられないことにかんがみると、被告人が手形を預って井本に渡した現金は近藤病院の必要経費ではないと認定することができる。

その他の調査費名目で支出したという必要経費については、後記12の特別必要経費についての項で判断する。

10  諸会費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

所論は、被告人が、昭和五三年一月二四日、前田隆英に対し医療装置の部品代金として八四万円を渡したことは、同人が、原審第一三二回公判において、宣誓のうえ明確に証言しているにもかかわらず、原判決が、そのうち八〇万円について授受を認めなかったのは事実を誤認したものであるというのである。

しかし、所論のいう八四万円のうち四万円は、神戸大学医学部麻酔科の開講十周年記念準備委員会宛に昭和五三年一月二三日付で郵便振込により送付された寄付金であることは、丸川征四郎(検一一七一)および被告人(検二六〇)の各検察官調書から明らかであり、現に、原審第一三二回公判調書中の証人前田隆英の供述部分のどこをみても、八四万円を被告人から受け取ったとは一言も供述していないし、被告人から金銭を受領したという日付についても明確な供述はしていない。所論は、右公判調書等関係証拠を十分検討せずに原判決を論難しているのであるが、それはさておき、所論のいう八〇万円は、関西医科大学第一病理学教室研究会前田隆英名義の同月付領収証により経理処理されており、同領収証には、右八〇万円につき国際病理学会経費立替分と記載されているところ、関係証拠によれば、被告人は、当時右のような学会の経費を立替払いしていないことが認められる。この点について、被告人は、右教室に顕微測光装置を寄贈したところ、同教室の教授である前田から、昭和五二年一二月二〇日ころ、右装置の付属部品を追加して寄付してほしいと依頼され、翌五三年一月二一日、被告人方へ前田を夕食に招待し、同人が帰るとき玄関で現金八〇万円を渡した旨供述し(第九回供述書〔弁二一九〕)、前田は、被告人方を訪ねたとき、金額についての記憶は薄いが現金八〇万円位を受け取った、右領収証記載の八〇万円は、時期的にも金額的にも顕微測光装置の追加した部品の代金に相当するように思われる旨供述している(原審第一三二回公判)。右のとおり、被告人も前田も、右八〇万円が、顕微測光装置の部品代として被告人から前田に渡されたものであるという趣旨の供述をしているようにみえる。しかし、他方、被告人は、近藤病院が保管していた関西医科大学第一病理学教室研究会前田隆英名義の領収証は右八〇万円のものも含めて一四通あり、検察官は、これが顕微測光装置の経理処理と関係しているかのごとく考えているが、同装置の代金は、近藤病院から購入先のオリンパスアダチ株式会社に振り込み、その領収証を同会社から直接もらっているから、右領収証一四通は顕微測光装置とは全く関係がないとも供述しており(第九回供述書〔弁二一九〕)、装置本体の代金は、近藤病院から購入先に直接支払って、その領収証をもらっていながら、その追加の部品代は、近藤病院から購入先に支払わず、右装置の寄贈先の教授に渡すということはまずありえないから、右領収証記載の八〇万円は、顕微測光装置の部品代ではないということになる。特に、被告人の供述によれば、右のように大学の教室に対する寄付金を教授に渡した場合、顕微測光装置部品代ないし寄付金という名目での領収証をもらうことができないので、他の名目または名義の領収証を用意しなければならないということにかんがみると、顕微測光装置部品代を直接教授に渡すというのはまことに不自然であるから、右八〇万円は、部品代ではないという方が自然である。そして、被告人は、捜査段階では、右八〇万円は、その領収証に書かれているとおり国際病理学会の経費を立て替えたものであると供述しているところ(検察官調書〔検二六〇〕)、右検察官調書の内容は全くの虚偽であること、前田の供述(原審第一三二回公判)によれば、同人は、昭和五六年二月に検察官から取調べを受けたときは、右八〇万円を受け取った記憶がないと供述していたことが窺われること、被告人は、他にも右病理学教室の経費を支出した旨供述しているが(検察官調書〔検二六二〕等)、その内容は具体的でなく信用性が乏しいことも併せ考えると、右八〇万円については、前田に渡されたとは認め難く、かつ、他の何らかの必要経費に充てられたとも認められない。

11  雑費(控訴趣意書第一点二3(一〇))について

所論は、諸雑費が年間一三〇〇万円というのは、被告人が、取調べを受けた際検察官の示唆によって供述したものであって、具体的な根拠が全くなく、自己の体験によって述べたものとは到底考えられない、原判決が架空計上と認定した昭和五三年の湯山製作所関係の二五万七〇〇〇円を預け入れていた神戸市北農業協同組合有野支所の普通貯金口座は、一旦特別必要経費として変名で支出し、その後不要になったりしたものを、公表勘定に戻し難いことから預け入れていたものであって、税ほ脱の目的をもって裏金としたものではない、被告人が汚水排水協議会に二一〇万円を支払ったにもかかわらず、同会の代表者である加藤敏秋が右授受を認めないことから、原判決が、右支出を架空計上であると認定するのもやむをえないというのは、疑わしきは罰せずという刑事訴訟の根本原則に反し、税法事件でこのような乱暴な事実認定をされては、被告人はたまったものではない、前切正に支払った三九三万六〇〇〇円について、原判決が、被告人が、前切から土地を購入するにつき、不動産譲渡に対する所得税を肩代わりするため公害補償金に仮装したものと認定したのは事実誤認であり、仮に、右支払いが公害補償金に仮装した土地代金であるというのであれば、被告人は、少なくとも前切に対する同額の損害賠償債務を負っているから、これを損金として認容すべきであるというのである。

(一) 簿外の諸雑費の額について

被告人は、検察官の取調べを受けた際、近藤病院の簿外の諸雑費として年間一三〇〇万円程度みてもらえば十分である旨供述しているところ(検察官調書〔検二五一、二六八〕)、右検察官調書の内容にかんがみると、右金額は、被告人が、会計帳簿等を点検して供述したものではなく、感覚的な数字として供述したものであり、そのような供述をするに至るまでには、簿外の諸雑費について検察官との間で種々のやりとりがあって、検察官からも、この程度の金額ではないかという形での質問ないし示唆があったであろうと推認されるのであるが、右供述は、任意にされたものであるところ、既に説示し、後にも説示するとおり、特別経費その他変名による必要経費についての被告人の供述は信用し難いこと、公表の雑費のほかに年間一三〇〇万円というのは、簿外の諸雑費として少なくない額であり、むしろ多めな額を被告人が供述し、検察官もそれを容認したと認められることを考慮すると、簿外の諸雑費として被告人の検察官調書記載の額を認定した原判決の判断は正当であって、不当であるとはいえない。

(二) 昭和五三年の湯山製作所関係の二五万七〇〇〇円について

この支出について、被告人作成の経費項目詳細説明書(当審弁一一)には、奥山経理部長が延原に渡した旨記載されているのであるから、所論のいうように一旦変名で支出し、その後不要になったりしたものを預け入れたものではないことは明白である。そして、関係証拠によれば、原判決が「雑費について」の項で説示するとおり、右二五万七〇〇〇円は、湯山製作所に支払ったように仮装して支出したものを、近藤病院の経理事務員の濱中壽一が、神戸市北農業協同組合有野支所の普通貯金口座に入金したものであり、同人が右のような貯金をするのは、被告人の指示に基づいて、裏金を捻出するためであったことが認められ、これについても同病院の必要経費に使用されたとは認められないから、被告人の故意および不正行為との因果関係があると認定した原判決は正当である。

(三) 汚水排水協議会に対する支出について

被告人作成の説明書(弁二〇七)および経費項目詳細説明書(当審弁一一)には、二一〇万円を汚水排水協議会に対し支払う予定にしていたが、支払いを中止したので、濱中が神戸市北農業協同組合に貯金し、後日、井本の簿外経費として支出した旨記載されていることに照らせば、原判決が、汚水排水協議会に対する支出を架空であると認定したのは当然である。たしかに、原判決は、加藤敏秋が金銭の授受を否定しているから、架空計上であると認定するのもやむをえない旨説示しているのであるが、これは、被告人の検察官調書(検二六〇、二六三)には、加藤に二一〇万円渡した旨記載されているのに対し、右説明書(弁二〇七)には、右のように支払う予定にしていたが支払を中止したと矛盾した内容となっているところから、金銭の授受を否定する加藤の検察官調書(検一六〇)に照らして支払いの有無を検討した結果として、右のような表現をしたもので、二一〇万円の実支出の心証を抱いていることを前提とした表現ではないと思料され、原判決の認定が刑事訴訟の根本原則に何ら反するものでないことは明白である。所論は、自ら提出した証拠と矛盾する内容を主張するものであって、果たして証拠内容を十分検討して主張しているのかはなはだ疑わしいうえ、右矛盾した主張を殊更している点からも、右二一〇万円を井本の簿外経費として支出したという被告人の供述自体疑わしいというべく、かつ、後に説示するとおり、右二一〇万円の支出が、井本の簿外経費として必要経費であると認定することもできない。

(四) 前切正に支払った三九三万六〇〇〇円について

関係証拠に照らせば、被告人が、前切から土地を購入するにつき、不動産譲渡に対する所得税の肩代わりを強く求められたことから、その税金相当額である三九三万六〇〇〇円を公害補償金に仮装して支払ったことが認定できることは、原判決が、「雑費について」の項で詳細に説示するとおりである。付言するに、所論は、前切正の母前切英子の原審公判供述が信用できるというのであるが、原判決は、同女の公判供述も併せ考えて右のとおり認定しているところ、当裁判所も、同女の公判供述を十分考慮しても原判決の認定は正当であると考える。被告人は、右三九三万六〇〇〇円が公害補償金であり、これを支払うについては税理士、弁護士とも相談し、前切正との間で昭和五四年五月二二日付で弁護士の示した書式に従い示談書を作成した旨供述するところ(原審第八九回公判)、右示談書には、近藤病院浄化システム工事に伴う損害を賠償する旨記載されており、右工事を原因とする損害の賠償であれば、右三九三万六〇〇〇円の支払いをもって全額が弁済されたことになる筈である。ところが、前切正からの土地購入は六筆の土地を、昭和五三年以降毎年二筆宛購入する方法で行われ、右三九三万六〇〇〇円は、昭和五三年の土地売買に対する税金額に等しいところ、同人および前切英子の各原審公判供述によれば、前切正は、昭和五四年の土地売買に対する税金の納付書・領収証書も近藤病院に持参して、その支払いを求め、近藤病院から、右税金額を直ぐには渡されなかったことから、同女が、近藤病院へ交渉に行き、その結果、原判決認定のとおり、被告人が、迷惑料の名目で一〇〇万円を同女に支払ったことが認められるのであって、右事実に照らせば、土地代金とは別に前切正に渡した右金銭は、その税金を肩代わりするために、公害補償金に仮装して支払われたものと認められ、原判決に事実誤認は認められない。

なお、所論は、公害補償金と認められないのであれば、公害に対する損害賠償債務として損金に計上できるというのであるが、関係証拠を検討しても、以上の経緯に照らすと、被告人と前切正または英子との間で、近藤病院が前切らに与えた公害による損害が問題になっていたとは認められないし、ましてや、その損害額が算定可能であったとも認められないから、損金として必要経費に計上することもできない(基本通達三七-二参照)。

12  特別必要経費の変名支出(控訴趣意書第一点一2(五))について

所論は、最新医療設備導入のための情報収集、研究開発等に必要な費用、最高の医療陣容を備えるための諸費用、医療行政の推移および病院環境の変化に対応するための費用等の経費については、支払先を明らかにできないものが、かなり多額に及ぶため、被告人は、やむなく、支出名目や支出先を変え、これにみあう領収証を備え付けるという経理処理をしていたから、これら書類上の支払先に照会しても、領収証にみあう取引や金銭授受があったという回答は得られないが、そのことをもって、右の支払いが架空のものであると認定した原判決は、事実を誤認しているというのである。

しかし、関係証拠に照らせば、原判決が「特別必要経費について」の項で説示するところは、藤田千代子関係の人件費、苗村関係の保守料に関するものを除き、すべて正当であって、原判決に所論の事実誤認はない。付言するに、特別必要経費の変名支出について供述しているのは被告人のみであり、その供述を裏付けるに足りる証拠がないことは原判決が説示するとおりであるところ、被告人の供述とりわけ公判供述と供述書は、その内容自体からも、信用し難いというべきである。

まず、被告人が特別必要経費の変名支出であると供述するもののうち、藤田千代子関係の人件費、苗村関係の保守料に関するものと、原判決が、他の勘定科目において特別必要経費の変名支出であると認定したものを除くその余のものを、各年度別に、原判決がした一三の分類に従って整理すると、別紙17特別必要経費一覧表記載のとおりであり、その各分類項目毎の合計額を集計すると別紙18特別必要経費集計表記載のとおりである(但し、分類項目<4>の農水路公害対策については、その支出が認定できないから、表に記載しない。なお、昭和五三年の原材料仕入高の一部が特別必要経費の変名支出であるという原判決別紙(一一)1アについては、前記のとおり、その四割を医薬品の変名仕入額と認定したから、六割が特別必要経費に支出されたものとして計算した。また、複数の分類項目にまたがって支出されたというものは、便宜分類項目番号の小さいものの方に計上した)。そして、別紙18特別必要経費集計表をみると、特別必要経費の年額が、昭和五二年は七一一四万四〇九四円、昭和五三年は一億一二三五万九六九六円と非常に多額であるにもかかわらず、昭和五四年は一七八三万八四三四円と激減しており、そのように激しく額が変動した原因は、分類番号<1>の厚生省関連の中央情報収集、政治家との接触費用、<2>の医療について指導協力を受けている大学教授等への謝礼および<3>の建設関係等の費用が極端に変動しているからであるが、情報収集や建設関係の経費等は、その時々の必要性に応じて額が変動することがあるとしても、継続して活動している病院において、如何に特別な必要経費であるとはいえ、それが、年によって右のように大きく異なるとは考え難いというべきである。しかも、分類番号<2>の大学教授等への謝礼や<7>の医師会、警察、消防、医療保険機関に関する経費(交際費と思われる)、特に<7>の経費は、もし実際にそのような支出がなされているとすれば、年によって、その額が大きく変動することはない筈のものであるが、<2>の謝礼は、昭和五二年と五三年とではそれほど変動していないものの、昭和五四年の額は前年の一六分の一以下になっており、<7>の経費は、昭和五二年が四〇〇万円であったのが、昭和五三年には四分の一以下の九〇万円になり、昭和五四年には更にその八分の一以下である一一万二〇〇〇円になっているというのは不可解である。仮に昭和五四年の額が通常のものであるとすれば、<2>の謝礼は、昭和五二年と五三年に通常よりも約二三〇〇万ないし二六〇〇万円余計に必要であったことになるが、これらの年に、コンピューターや全身用CTスキャンの導入、検査棟の建設等で平素よりも多額の謝礼が必要であったとしても、なぜそれほど多額になったのかについて首肯するに足りる説明はなされていない。逆に、昭和五二年や五三年の額の方が通常であるとすれば、なぜ昭和五四年は極端に低い額で良かったのか全く不明である。そして、これは<7>についても同様であり、こうしてみると、特別必要経費に関する被告人の供述は信用できず、実際にはそのような支出は行われておらず、そうであるからこそ右のように年によって額が不自然に変動しているのではないかと考えざるをえない。

更に、<12>の旅行というのは、昭和五三年に被告人の子(当時小学生)三名と付添一名とのスイス旅行であるところ、被告人は、その旅行によって、全身用CTスキャンが一億円値引されたというのであるが、子供が旅行に参加して二三八万余円の旅行代を支払ったことにより、高価な医療機器が一億円も値引されるとは常識的にも考えられず、その因果関係については何の立証もないうえ、被告人の当審公判供述によれば、右全身用CTスキャンを購入したのは、近藤病院ではなく北神営繕であるというのであるから、これが、同病院の必要経費でないことは明白である。

被告人は、近藤病院では特別経費の支出が多かったと述べ、その理由として、病院を田舎の田畑の上に建設したため、公害問題が続出した、医療過疎地で近代的なトップレベルの医療を行うためには、情報収集、開発経費等に多くの特別経費を必要としたなどと供述するのであるが(第二回供述書〔弁二〇八〕等)、近藤病院が公害問題を起こして、そのために損害賠償をするのであれば、それは公表処理できる筈であるから、特別経費として変名で支出する必要がなく、現に、本件全証拠をみても、公害の賠償金を特別経費として変名で支払った事実は見当たらないし、被告人が、公害関係の賠償金ないし補償金の名目で支出をしたのは、前切から土地を購入したときのみであるから(但し、前記のとおり、これは賠償金とは認められない)、被告人の供述中、公害問題の続発が特別経費を必要とした理由の一つであるという箇所は明らかに虚偽である。

また、被告人は、自分自身が関与して変名で支出した特別経費については全部、その本当の支出先をメモし、伊藤教授を経由して支出した分についても、時には同教授から支出先を聞いて記録していたが、特別経費の大半は、処理者に一任して相手方の確認はせず、金銭が第三者に渡ったことだけを、後日、小切手の裏書の筆跡等から確認していたところ、右メモは、本件査察の七日前に全部焼却した旨供述している(第二回供述書〔弁二〇八〕)。しかし、右供述にいう処理者に一任していたという特別経費は、例えば、分類番号<1>の情報収集や政治家との接触費用、<2>の大学教授等への謝礼等が、これに当たると思料されるのであるが、これらの支出が現実になされていたとすれば、その性質上、相手方には、金銭の流れが追跡可能な小切手ではなく現金が交付されていたと考えるのが自然であり、領収証も発行していないというのであるから、目的とする相手方に実際に渡されたかどうかを確かめる術はないところ、右<1><2>の特別経費の合計額は、最も多い昭和五三年においては約八〇〇〇万円と巨額であるにもかかわらず、相手方に金が渡ったことを確認するに十分な方法を講じないまま支出するというのは、まことに不自然であり、果たして右のような特別経費が実際に支出されていたのか疑わしいというべきである。そして、支払先を書いたメモを査察前に焼却したという点については、「医薬品の仕入について」の項で説示したとおり、必要経費の実際の支出額を証明する第一級の証拠を焼却してしまうというのは、まことに不自然であって、被告人が供述するようなメモが実際に存在していたのか疑わしく、メモに関する被告人の右供述も信用できない。

右のとおり、特別必要経費についての被告人の供述には、疑わしい点が存するところ、このほかにも、被告人の供述には、近友会(「患者からの謝礼金について」の項参照)、黒木医師が治療をした患者のカルテの記載、昭和五二年の医薬品の仕入高、奥山のメモに書かれた架空仕入の割合を示す数字(「医薬品の仕入について」の項参照)、その他これまでに適宜説示したとおり信用し難い点がいくつも存する。

また、所論が、重要な証拠であると主張する手帳五冊(符号二三八ないし二四二。以下、木元日誌という)について、被告人は、本件査察後に右手帳の存在を知って、木元からその内容について詳しく聞いた旨供述しているにもかかわらず(原審第一二一回公判)、その記載内容について明らかに事実とは異なる供述をしている。若干の例をあげると、木元の供述(原審第一五一回公判)および木元日誌の体裁に照らせば、木元日誌は木元の個人的な備忘録であると認められるにもかかわらず、被告人は、監理局長としての公的日誌であると供述し(第二八回供述書〔弁二四八〕)、昭和五三年の木元日誌(符号二三八)の三月一四日の欄の「夕七時迄」という記載について、被告人は、確定申告に関する税理士をまじえての検討会を夕方七時までしたということを記載したものであると供述しているが(原審第一二二回公判)、これは、木元の供述(原審第一五二回公判)によれば、検討会が七時まで行われたという旨の記載ではなく、検討会とは別のことで、保育所の職員に七時まで残業をさせたという記載であることが認められる。また、昭和五一年の木元日誌(符号二四一)には、アストリア浦谷という記載が五月一二日、六月一八日、二五日、二八日、七月七日というふうに頻出していることについて、被告人は、桜橋渡辺病院にはアストリアという立派なMS法人があり、浦谷は、なかなかのやり手でベテランであるから、近藤病院でもMS法人を経営するについて、木元に頼んで浦谷の意見を聞いてもらい、最後には自分も浦谷と会って意見を調整し、六月二八日は近藤病院およびMS法人の大体の経営方針がまとまったということを記録したものである旨供述しているのであるが(原審第一二二回公判)、同日誌の五月三日、一七日、一八日、二〇日、二五日、二七日、六月一七日、七月一六日、八月三日の各記載に照らせば、被告人またはその関係者が、山内某からの土地購入を希望し、木元がアストリアの浦谷にその交渉を依頼していたため、同人に関する記載が頻繁になされたものであると認められ、かつ、木元の供述(原審第一五一回公判)によれば、アストリアは桜橋渡辺病院のMS法人ではあるが、浦谷は、木元が同病院の事務長をしていたころ、学校を卒業して同病院で見習をしたものであって、木元が相談に行くような相手ではなかったことが認められる。右のとおり、被告人は、木元日誌の内容について事実と異なる供述をしているところ、被告人質問において供述したい事項と関連のある箇所を木元日誌から抜粋したという被告人作成の「木元美文の日記抄」と題する書面(弁一七三)には、アストリア浦谷に関する箇所として、五月一二日、六月一八日、二五日、二八日、七月七日の記載だけが抜粋されており、しかも、木元日誌には記載されている六月一八日欄の「山内土地の件」、同月二八日欄の「金額申出済、今月中に通知」、七月七日欄の「土地の件急がず」という各文言が、右「木元美文の日記抄」には記載されていないことを考慮すると、被告人の右供述は、単に自分に都合の良いように勝手な解釈や説明をしたというよりも、意識的に虚偽の事実を捏造しようとしたものと認定せざるをえない。

右のとおり、被告人の供述、特に公判供述および供述書は、その内容に信用し難い点が多いばかりでなく、昭和五二年の医薬品の仕入高や木元日誌についての供述のように、客観的な証拠に明らかに反する内容を供述するなど、真実を述べようとする姿勢が乏しいといわざるをえないことも考慮すると、その全体について信用性が著しく低いと認めるほかない。そして、特別必要経費についての被告人の供述は、それを裏付けるに足りる証拠がないのであるから、被告人の供述のみからは、特別必要経費が支出されたのではないかとの合理的な疑いは生じないというべきである。

四  被告人の犯意(控訴趣意書第一点一2(五))について

所論は、近藤病院では、大阪国税局や兵庫税務署の幹部職員であった税理士が顧問に就任しており、これら顧問税理士団の指導は、税務行政における永年の経験をもとに、同病院の存続発展を考慮し、かつ脱税行為にならないことを配慮した適切なものであったということができ、これに従った被告人の行為には脱税の犯意が微塵も見受けられないというのである。

記録および関係証拠によれば、被告人は、本件査察および捜査段階では、査察官および検察官に対し、犯意の点も含めて脱税したことを認める供述をし、原審第一回公判期日においても、「脱税したことは認めますが、金額はそれ程多くありません」と陳述し、犯意については特に争う姿勢を示していなかったものの、その後、犯意だけではなく、脱税したことを全面的に争うに至ったことが認められる。被告人は、原審第一回公判期日における右陳述について、所得の帰属主体について述べたわけではなく、右陳述をした段階では、近藤病院のことと二千商事や北神営繕等関係法人のこととを一緒にして述べたが、所得の帰属主体は被告人個人ではないなどと供述している(原審第一二七回公判)。しかし、北神営繕等の関連法人を被告人が設立した目的の一つは、これら会社等と被告人とは法人格を異にすることを利用して、被告人が節税をすることにあったところ、被告人は、公判や供述書において、近藤病院と北神営繕や二千商事等の関係法人とでは会計処理を厳格に区別して行っていたという意味の供述をしているうえ(第一一、三〇回各供述書〔弁二二一、二五四〕等)、本件捜査に先立つ査察において、同病院の会計処理等について詳細に説明し、査察官から、問題があるのは、被告人の所得税確定申告ではなく、北神営繕の法人税確定申告の方だから、北神営繕の方が修正申告すべきだという趣旨のことを言われた旨供述しているのであるから(供述書〔当審弁六三〕)、被告人は、本件公訴を提起されたとき、近藤病院である被告人個人と北神営繕等の関連法人との法人格の違いを十分知っていた筈である。しかも、本件は、北神営繕等の関連法人ではなく、被告人個人を所得税法違反で起訴したものであるから、被告人が、同法違反の公訴事実について、個人と法人とを一緒にして考え、原審第一回公判期日において右のとおり陳述したとは到底認められない。右陳述を後に被告人が変更したことについては合理的な理由が全くないというべきである。

そして、所得税ほ脱の犯意は、所得税確定申告をするにつき、申告にかかる所得額が実際の所得額よりも少ないことを認識していれば、これを肯認することができるところ、既に説示したとおり、被告人は、多額の医薬品の架空仕入や特別必要経費と称する使途不明金を計上したりしていること、これらの使途不明金については、それに対応する領収証の発行名義人に対する調査が行われれば、必要経費として認められる筈がないことは、容易に認識できること、関係証拠によれば、被告人は、これらの使途不明金を実際に必要経費として支出したように装うため、近藤病院に出入りする業者から金銭の授受に関係なく金額白地の領収証を受け取ったりするなど、ほ脱のための準備工作を積極的にしていることが認められること、權世顔(原審第一〇七、一〇九、一一一回公判)および奥山昌明(原審第二三回公判等)の各供述等関係証拠によれば、近藤病院においては、毎年三月一〇日前後に、被告人および木元監理局長、奥山経理部長、顧問税理士らが集まって申告についての検討会を開き、被告人が、申告する所得について、今年はこの位の額にするよう希望を述べ、他の病院の申告額等を推定し、被告人が希望する程度の所得額を申告した場合是認されるかどうかを考慮して、申告する所得額を決めていたことが認められ、実際の必要経費の額について十分検討したうえで、申告所得額を決めていたとは認められないこと、後記のとおり、当裁判所が認定した被告人の所得額は、その申告にかかる所得額の約六倍ないし一〇倍であることにかんがみると、被告人が、申告所得額をもって実際の所得額であると考えていたというのは不自然であることなどを総合考慮すると、犯意に関する被告人の査察官に対する質問てん末書および検察官調書は信用でき、被告人の公判供述および供述書のうち、ほ脱の犯意を否認する部分は信用できないというべきである。

従って、被告人がほ脱の犯意を有していたことは、優に認定することができる。

五  数理の無視と捜査段階の供述の重視という主張(控訴趣意書第一点一3)について

所論は、本件では、被告人の所得を損益計算法により算出しているところ、本件の三年間について、原判決が、架空計上であって支出の事実がないと認定した額は合計一〇億五六三四万五〇三〇円であるのに、その期間中に増加した被告人関係の預金額の合計は、北神営繕帰属分の三億三一八八万四一〇八円および被告人の両親帰属分を含めても四億三七五〇万五六一七円でしかなく、その差額六億一八八三万九四一三円がどこに蓄積されているのか立証されていないため、損益計算法による所得計算結果を裏付けるに足りる財産の増加が存在しないことになるから、本件所得計算が誤っていることは明らかであり、このことは、原判決が主たる証拠とした被告人の検察官調書(自白調書)が全く信用できないことを明確にするものである、また、原判決が、変名で支出した特別経費について、その支出先が、捜査官に対し、金銭の受領を認める供述をしていないことを理由に、支出そのものを否定しているところ、そうであれば、原判決が否定した特別経費は、被告人のもとに裏金として蓄積されていることになるが、そのような事実は立証されていないのであるから、これら特別経費の支出先の供述内容は真実ではないという疑いが生じるにもかかわらず、原判決は、損益計算法の内容が財産増減法による検算結果と大きな開きがあることに目をつむり、被告人の公判供述はすべて単なる弁解であり、捜査段階の供述が真実であるという前提に立って判断したため、事実を誤認しているというのである。

まず、所論のうち、原判決が、架空計上であって支出の事実がないと認定した額に相当する財産を、被告人が蓄積していることの立証がないという主張について検討するに、原判決は、特別経費の変名支出と称して、領収証の発行名義人とは別の相手方に支払ったと被告人が供述するものについて、その領収証の名義人はもとより本来の支出先であるという相手方にも支払われた事実が認められないということを認定しているだけであって、その変名支出とされる額の全部が、被告人のもとに残されて蓄積されているということまで認定しているのではなく、所論のいう原判決が支出の事実がないと認定した額と被告人関係の預金の増加額との差額が、被告人のもとに残されているのか、または何らかの形で別の支出にあてられたのかについて、原判決が何も認定判示していないことは、その判決文から明らかである。所論は、特別経費としての支出が認められないものについては、当然被告人のもとに残されているということを前提にした主張であるが、被告人が供述する特別経費の変名支出が認定されないからといって、当然にその額が被告人のもとに残されているということはいえないから、損益計算法による所得計算結果に対応する額の財産の増加の存否を理由に本件の損益計算法による所得計算が誤っているという所論は、その前提を欠いており失当である。

また、所論は、損益計算法の計算結果を財産増減法により検算することができるということを、その主張の前提にしているところ、たしかに、近藤病院の収支の全部について、正規の簿記の原則に従い、正確な会計帳簿が作成されていれば、一切の資産、負債、資本の増減、収益、費用の発生が一定の原則により記帳されるので、その結果算出される純利益の額は、会計理論上は損益計算法と財産増減法のいずれによっても一致する筈である。しかし、本件のように、近藤病院に医薬品を納入する北神営繕の帳簿には、実際には存在しない薬品業者が仕入先として記載されていたり、同病院においても、特別経費であると被告人が供述する多額の支出が、本来の相手方ではない別の相手方に支出されたように装って、その多くが本来の使途とされるものとは別の勘定科目に記帳され、しかも、その支出に対応するという領収証は、木元監理局長らが、実在もしくは架空の名義を勝手に用いて作成したり、あるいは同病院に出入りする業者から金銭の授受に関係なく被告人らがもらった金額白地の領収証を利用したものであって、実際に支出があったことを裏付けるに足りる領収証とは到底いえないうえ、特別経費の支出等についての被告人の供述が、前記のとおり信用し難く、正確な会計帳簿が作成されているとは認められない場合においては、財産増減法により算出される純利益の額が、損益計算法により算出される純利益の額とは、当然一致しないから、財産増減法によって、損益計算法の計算結果を検算することはできない。所論は、本件の損益計算法による所得計算を、その検算となりえない財産増減法の計算結果をもって、論難するものであって失当である。

従って、被告人の検察官調書や、特別経費の支出先とされた者の捜査官に対する供述の信用性は、所論のいう損益計算法の計算結果に対応する財産の増加が存在しないことや財産増減法の計算結果を理由に左右されるものではない。また、被告人の公判供述および供述書が信用できず、その検察官調書の方が信用できる理由は、既に説示したとおりであって、原判決が、被告人の公判供述をすべて単なる弁解であるとし、捜査段階の供述の方が真実であるという前提に立って判断しているのでないことは、その判決文および関係証拠に照らし明白である。

六  その他

以上個別に検討した事項以外の各勘定科目の中の項目についても、所論は事実誤認をいうのであるが、それらの項目のほとんどは特別経費に関するものであって、それについては既に説示したとおりであり、その他の項目についても、原審で取り調べた証拠に照らせば、原判決の認定は正当であって、所論の事実誤認はない。

また、所論は、奥山をはじめとする関係者の供述について、所論に沿わない部分は信用性がない旨主張するのであるが、本件で公表処理を否認した事項は、いずれも、当該収入に応じた会計処理がされていないことが明らかであったり、帳簿上の支出に対応する領収証が金銭の授受に関係なく作成されたものであることが、その作成名義人の取調べにより明らかになり、それについて、被告人は、変名支出と称しているものの、真実の支出先および名目について肯認するに足りる合理的な説明をすることができなかったものである。たしかに、奥山の近藤病院在職中の行動には不審な点があり、何らかの不正をはたらいていたのではないかという疑いを禁じることができないから、その供述の信用性については慎重に判断すべきではあるが、公表処理を否認した事項については、会計処理が適正でないことが明らかであったり、帳簿に記載された支出先に対し実際には金銭が支払われていないことを被告人自身が認めているものであるから、奥山の供述のうち、伝聞にわたる部分や、不自然不合理な部分等、信用性に乏しいと思料される部分を除いても、十分判断することができるというべきである。そして、その余の関係者の供述については、特に信用性を問題にすべき者はみあたらない。

なお、その他にも、所論は、総論(控訴趣意書第一点一)として、本件の特質に関する理解の欠如、本件査察および捜査の特異性等を主張するのであるが、所論にかんがみ記録および原審で取り調べた証拠を調査して検討しても、以上の判断は左右されない。

七  まとめ

以上説示したとおり、原判決は、勘定科目の金額のうち別紙19増減科目等一覧表記載の勘定科目については事実を誤認したものであり、その金額は同表の当審認定額欄のとおり変更すべきである。そうすると、被告人の総所得金額、所得税額およびこれから源泉徴収税額を控除した差引所得税額ならびにほ脱税額は、同表記載のとおりとなり、いずれも原判決の認定した額よりも減少するところ、ほ脱税額の減少額は、昭和五二年が四四〇二万二八〇〇円、昭和五三年が二三万二四〇〇円、昭和五四年が四一四四万八九〇〇円であって、その合計額は八五七〇万四一〇〇円である。原判決が認定したほ脱税合計額は九億九七五七万二四〇〇円であるから、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

論旨は、右の限度で理由がある。

(詐欺について)

一  法令適用の誤りの主張(控訴趣意書第二点一)について

論旨は、原判決が原判示第二の各事実につき刑法二四六条二項を適用したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りであるというのである。すなわち、債権者が債務者を欺罔して債権を回収しても詐欺罪が成立しないところ(大審院大正二年一二月二三日判決・刑事判決録一九輯一五〇五頁参照)、国民健康保険法四五条四項の保険者が審査を行う旨の規定は訓示規定であって、審査により療養取扱機関の正当な債権を消滅させたり削減したりするものではなく、同条項に違反した場合の罰則も定めていないのであって、いわんや療養取扱機関が、審査を通さずに診療報酬を請求し、そのことを知らない保険者から支払いを受けた場合、これが詐欺罪になることなど全く予期していない規定であるにもかかわらず、詐欺罪が成立するというのは罪刑法定主義に反する。原判決が引用する最高裁判所の判例は恐喝罪に関するものであるから、手段方法の質が全く異なる詐欺罪に、そのままあてはめて考えるのは不適当である。また、兵庫県国民健康保険団体連合会(以下、連合会という)が審査するレセプトは毎月約八〇万枚あり、これを国民健康保険診療報酬審査委員会(以下、審査委員会という)の六〇ないし七〇名の委員が五日間で審査するところ、毎月のレセプトの約半数については、審査を受けたことにして、実際には審査を受けずに請求どおり支払われているというのが実状であるから、右のようにして審査を受けずに支払いを受けたレセプトと、本件差込みにより審査を受けずに支払いを受けた近藤病院のレセプトとの間には何らの差異も認められないというべきであり、しかも、審査には一定の審査基準がなく、審査委員によって審査結果は千差万別であるから、本件差込みにかかるレセプトが、審査を受けていたとしても、果たして減点されたかどうかは全く不明であって、むしろ九九パーセントは審査を通過する可能性が高いのであるから、被告人が、このように名ばかりで不統一で杜撰な審査を通さずに診療報酬を受け取っても、それは、正当なものであり、不法な利益とはいえないし、財産罪の成立には、通常財産上の損害が発生することが必要とされているが、減点されるか否か不明なまま診療報酬が支払われた本件のような場合、果たして財産上の損害が発生したといえるか疑問であるというのである。

まず、債権者が債務者を欺罔して債権を回収しても詐欺罪が成立しないとの主張について考えるに、たしかに、所論引用の大審院大正二年一二月二三日判決は、他人から財物または財産上の利益を領得すべき正当の権利を有する者が、その権利を実行するにあたり欺罔手段を用いて、義務者から正数以外の財物を交付させまたは正数以上の利益を供与させたときは、右権利の範囲外において領得した財物または利益の部分についてのみ詐欺罪が成立する旨判示しているのであるが、右判例は、預金債権者が、銀行から預金の払戻を受けるにあたり、行員を欺罔して預金額を超える額の払戻を受けたというもので、欺罔手段を用いたのは預金額を超える額の払戻を受けるためであって、払戻を受けた額のうち預金額に相当する部分については、何らの欺罔手段も用いていない事案に関するものであるから、債権者が、その債権を実行するにあたりどんな欺罔手段を用いても、その債権の範囲内で財物を交付させまたは利益を供与させたものであれば詐欺罪は成立しない旨判示しているとはいえない。そして、原判決が引用する最高裁判所昭和二七年(あ)第六三九六号昭和三〇年一〇月一四日第二小法廷判決・刑集九巻一一号二一七三頁の趣旨に照らせば、債権者が、債権取立のためにとった手段が、権利行使の方法として社会通念上一般に許容すべきものと認められる程度を逸脱した欺罔手段である場合には、債権額の如何にかかわらず、右手段により債務者から交付を受けた金員または得た利益の全額につき詐欺罪が成立すると解すべきである。

そこで、レセプトについて、保険者の審査を受けていないにもかかわらず、受けたように装って診療報酬を請求することが、社会通念上一般に許容すべきものと認められる程度を逸脱しているか否かについて検討する。

国民健康保険法四五条四項所定の審査について考えるに、療養取扱機関の診療報酬請求権は、個々の診療行為が行われる都度、法規の基準に従い当然発生するものであり、保険者ないしその委託を受けた国民健康保険団体連合会の行う審査は、支払いをする前段階において、右の点をいわば点検、確認する措置に過ぎず、減点減額査定をしたからといって、診療報酬請求権自体までを否定する性格のものではなく、これによって請求権の存否に消長を来たすべきものでないことは所論指摘のとおりであるが、同法は、保険財政の健全な運用を図るために、保険者に、療養取扱機関が算定して請求した額が、厚生大臣の定める算定方法に基づいて算定された適正なものか否かについて審査をする義務を課したものと解されるから、右審査は、ただ漫然と行うのではなく、また恣意的にするのでもなく、療養の給付の取扱方針および療養の方針ならびに算定方法等の定めによって行わなければならないのであって、同法四五条四項が所論のいうように訓示規定であるということはできず、保険者ないし国民健康保険団体連合会が、審査をしないで療養取扱機関に診療報酬を支払うことは違法であるといわなければならない。たしかに、同条項に違反した場合の罰則は定められていないのであるが、同条項は、保険者が審査すべき義務を定めた規定であり、療養取扱機関から請求された額が適正なものか否かを審査するのは、保険者の利益にこそなれ、不利益になるものではないから、同法は、保険者が審査を怠った場合の罰則を定めていないものと解される。そして、同法は、療養取扱機関が診療報酬を請求する場合、その請求書を提出するのはもとより、請求額の算定根拠を示すレセプトを当然提出するという信頼のもとに、保険者の審査義務を定めたものであり、本件のように、療養取扱機関が、診療報酬を請求するにあたり、一部のレセプトを提出せず、審査終了後、別にしていたレセプトを審査ずみのレセプトの中に密かに差し込み、請求書も差し替えて、審査を受けずに診療報酬を受領しようとすることなど全く予期していなかったと解するのが相当であって、右のような行為が詐欺罪の欺罔行為に当たらないとしているとは到底解されないから、右のような行為が犯罪となるか否かについては、一般の刑罰法規に従って決すべきである。本件の場合、国民健康保険制度の前提である療養取扱機関に対する信頼を裏切り、巧妙に審査を受けたように装って、診療報酬を受領したものであり、かつ、審査により減点査定された場合、診療報酬請求権の存否には消長を来たさないとはいうものの、その減点分の診療報酬は、事実上支払いを拒まれることも併せ考えると、被告人が、診療報酬債権取立のためにとった手段が、権利行使の方法として社会通念上一般に許容すべきものと認められる程度を逸脱した欺罔手段であることは明白であるから、被告人が、審査を免れたレセプト分の診療報酬として振込を受けた全額につき、詐欺罪が成立するというべきである。

次に、レセプトの約半数については、定例委員会の審査を受けずに請求どおり支払われているから、審査を受けずに支払いを受けたレセプトと、本件差込みにかかるレセプトとの間には何らの差異も認められないという主張について検討するに、関係証拠によれば、連合会が行うレセプトの審査は以下のとおりであることが認められる。すなわち、審査委員会は、毎月五日間開催されるところ、それに先立ち、連合会事務局職員により、レセプトの枚数確認等の事務審査がされ、療養取扱機関をその請求合計点数により二五万点以上(一類という)、一五万点以上二五万点未満(二類という)、一五万点未満(三類という)の三つに分類する。審査委員会の中には、診療報酬再審査部会(以下、再審査部会という)、小委員会が置かれているところ、審査の一日目は、再審査部会の委員一二名が、二類と三類に分類された療養取扱機関のレセプトを二日目以後の審査に付するかどうかの選別をし、二日目と三日目は、定例の審査委員会(以下、定例委員会という)において、右選別により審査に付すべきであるとされた療養取扱機関と一類に分類された療養取扱機関のレセプトについて審査が行われる。四日目は、小委員会と再審査部会が開かれ、小委員会は、定例委員会がした査定内容を検討し、再審査部会は、療養取扱機関または保険者から再審査の申立があったレセプトについて審査する。そして、五日目は、全委員による合議が行われる。連合会に提出されるレセプトは毎月約八〇万枚あり、このうち約半数が一類に分類され、残りが二類と三類に分類されているところ、このうち審査一日目の選別により定例委員会の審査に付されるのは約三パーセントであり、定例委員会の審査に付されなかったレセプトについては、その後の審査を受けることなく、請求どおりの診療報酬に支払われている。なお、近藤病院は請求点数が多いため、そのレセプトは、本件で後に差込みをしたものを除き、毎回、審査一日目の選別にかけられることなく定例委員会の審査に付されていた。

右事実に照らせば、再審査部会の委員が一二名しかいないとはいえ、連合会に提出されたレセプトについては、全部定例委員会の審査に付すべきか否かを検討のうえ、その必要がないと判断されたものについて、定例委員会の審査を経ないで診療報酬が支払われているというべきである。右選別は、無差別的に行われているのではなく、請求点数等一定の基準に基づいて行われているのであるから、レセプトの約半数が、審査を受けずに請求どおり支払われているというのが実状であるとはいえない。そして、近藤病院のレセプトは、この基準により定例委員会の審査に付されているのであるから、定例委員会の審査を受けなければならないにもかかわらず、本件差込みにより審査を免れたレセプトと、右選別により定例委員会の審査を経なかったレセプトとを同列に論じることはできない。

また、所論は、本件差込みにかかるレセプトが、審査を受けたとしても、減点されたかどうかは全く不明であり、名ばかりで不統一で杜撰な審査を通さずに診療報酬を受け取っても、それは、正当なものであり、不法な利益とはいえない、財産罪の成立には、財産上の損害が発生することが必要であるところ、減点されるか否か不明なまま診療報酬が支払われた本件のような場合、財産上の損害が発生したといえるか疑問であると主張するところ、右主張は、国民健康保険法が保険者に審査義務を課した目的および健康保険制度の運用を全く無視した暴論というべきであるが、それはさておき、審査委員会の審査においては、審査にあたる委員によって多少の個人差があることはやむをえないことであり、審査委員の数に比べて審査すべきレセプトの数が多過ぎるため、いきおい緻密な審査をすることが困難であることも窺われるのであるが、そのことから所論のいうように名ばかりの審査であるということはできない。そして、本件差込みにかかるレセププトが、審査を受けた場合減点されたかどうかについては、これを証明する確たる証拠はないというほかないが、療養取扱機関が、保険者に対しレセプトを提出せずに診療報酬を請求したとすれば、保険者は、健康保険制度の手続きに従った任意の支払いを拒まざるをえないから、療養取扱機関は、民事訴訟手続きによって診療報酬の支払いを求めるしかないにもかかわらず、そのような手数をかけずに、本件のように欺罔手段を用いて直ちに支払いを受けた場合、その受領した額は不法の利益にあたるというべきであり、他方、保険者は、それにより財産上の損害を蒙ったものと認めるのが相当であり、その額は、前記欺罔手段の逸脱の程度にかんがみ、支払った全額であると解される。

以上説示したとおり、論旨は理由がない。

二  事実誤認の主張について

1  被告人の犯意(控訴趣意書第二点二)について

所論は、被告人が、木元、塩郷、井上とレセプトの差込みを共謀したこともなく、かつ、レセプトの差込みが行われていることも知らなかったのであるから、詐欺の犯意がなかったにもかかわらず、原判決が、被告人には詐欺の犯意があったと認定したのは、証拠の価値判断を誤ったことによる事実誤認であるというのである。

しかし、被告人が、木元、井上らとレセプトの差込みを共謀し、かつ、レセプトの差込みが行われていることを知っていたことは、原判決が、「詐欺に関する弁護人らの主張について」と題する項の第二において詳細かつ正当に説示するとおり、関係証拠から優に認めることができるところ、所論は、被告人、木元、塩郷、井上の各検察官調書の信用性を争うので、この点に関し付言する。

まず、関係証拠によれば、審査委員会の審査に付されるレセプトは、療養取扱機関毎に紐で綴られており、一つの療養取扱機関のレセプト綴りが分厚いときには、分冊されていることが認められるところ、本件差込みにかかるレセプトの枚数は、月四枚ないし三六枚であることにかんがみると、これを別に一綴りにして、正規の手続きどおりに提出されたレセプトの綴りとは別に、審査の甘い委員に回すということは、別口レセプトの綴りが余りにも薄過ぎるため、直に不審を招くことが容易に予想される。従って、井上が、レセプトを別口にして審査の甘い委員に回すということを提案することもなければ、提案されても応じることはないと思料されるから、井上が、近藤病院の関係者と同病院の減点対策を協議したとき、本件のような方策をとることが話題になったというのは自然であるというべきである。そして、正規の手続きに従って提出せずに審査を免れたレセプトを、後から密かに差し込むということは、連合会の職員にとって重大な背信行為であり、発覚すれば懲戒免職という極めて重い処分を受けるおそれがあることは、井上は、十分承知していた筈であるところ、そのような危険な行為をするについて、同人が、被告人とは全く相談せず、木元や塩郷と共謀しただけで、実行を決意するというのは如何にも不自然である。他方、木元や塩郷にとっても、レセプトを別口にして審査後に差し込むというような重大なことを、被告人に相談もせず、同人らだけで決意するというのも不自然である。そうしてみると、井上が、本件差込みを決意するについては、被告人のいる場でレセプトを別口にして差し込む話が出て、被告人もこれを了承し、あるいは被告人から井上に依頼したと考える方がはるかに自然である。

また、原判決認定のとおり、井上が本件差込みをしていた期間中および坂本が差込みをすることを承諾した昭和五三年の一二月からは(原判決に昭和五二年とある〔原審記録第六分冊一七三八丁〕のは誤記と認める)、被告人の指示により、同人らに対する近藤病院からの歳暮や中元に現金五万円が添えられ、毎月二万円位が渡されるなどしていたほか、井上重由の公判供述(原審第二九回公判)等関係証拠によれば、被告人は、昭和五二年五月九日の敷爐屋での会合の二か月位前に、井上から一〇〇万円の貸付を依頼され、右会合の翌日、同人に一〇〇万円を貸し付けているのであるが、右一〇〇万円については、同年六月に木元を通じて返済に関する話をしたことがあるものの、その後、井上がレセプトの差込みを実行してからは、全く返済の請求をせず、同人から返済されないまま経過し、本件が問題となった後の昭和五六年になって初めて二〇万円が返済されたことが認められることに照らすと、貸借とはいうものの、実質的には贈与されたものであると認められるところ、井上や坂本に対する右のような現金の交付や原判決認定の接待は、本件差込みに対する謝礼として行われていたと認めるのが相当である。

被告人は、昭和五二年九月下旬ころ、近藤病院の職員から、連合会に提出するレセプトの一部が、別口にされ、審査後に差し込まれているらしいと初めて聞かされて、そのようなことが行われているのかと思い不安になったため、昭和五二年一〇月二一日に井上に確認した旨供述するのであるが(第六回供述書〔弁二一六〕)、被告人の供述によれば、被告人に右情報を伝えたという職員は、レセプトを連合会に届ける際の状況等から推測して、差込みが行われていると判断したというのであるところ、本件差込みは密かに行われているのであるから、何度か差込みが行われた後であれば、諸々の状況等から右のような判断に至るということも考えられるのであるが、本件差込みが最初に行われたのが同年九月であるのに、その最初のときから、詳しい事情を知らない筈の職員が、差込みに気がつくというのは、余りにも不自然であって首肯し難く、職員から言われて初めて差込みが行われているのかと思ったという被告人の供述は信用できないというべきである。

以上説示したところと原判決の説示するところとを総合すると、被告人、木元、塩郷、井上の各検察官調書は優に信用でき、これら供述調書と関係証拠を総合すれば、本件差込みにつき、被告人が、木元、塩郷、井上と共謀し、犯意を有していたことは十分認定できる。

2  定例委員会の審査終了後小委員会に回す前のレセプトの中に別口にしたレセプトを差し込んだ場合(控訴趣意書第二点三)について

所論は、原判決は、原判示第二の一の別紙(七)一覧表番号1ないし10のレセプト合計一五九枚については、近藤病院が連合会に提出したレセプトが、定例委員会の審査を受け終わって、小委員会の審査に回される前の段階で、その中に差し込まれた旨認定しているところ、この場合、右一五九枚のレセプトも、小委員会の審査とその後の合議に付されているのであるから、審査委員会の審査を受けたことになるにもかかわらず、審査の中核は定例委員会であり、その審査を逃れれば、審査委員会の審査を免れたものということができると認定したのは事実を誤認したものであり、仮に、定例委員会を通らなければ審査を受けたことにならないというのであれば、審査一日目の再審査部会委員の選別により、定例委員会の審査に付されず、そのまま診療報酬が支払われている毎月約四〇万枚のレセプトも審査を受けていないというべきであるが、このように多量のレセプトが審査を受けずに支払いを受けている実状のもとで、本件のように月々わずか四枚ないし二〇枚前後(三六枚が一回あるのみ)に過ぎないレセプトの差込みをとらえて、欺罔により審査を免れたとして、詐欺罪の成立を認めるのは、法的にも取扱上も著しく公平を欠き、全く無意味であり、違法性が阻却されるのではないかというのである。

たしかに、所論の一五九枚のレセプトは、審査四日目および五日目においては、審査を受けるレセプトとは別にされているのではなく、小委員会および合議の審査を受けるレセプトの綴りと一緒にされているのであるから、審査委員会の審査を受けたかのようにみえることは否定できない。しかし、関係証拠によれば、実際には、小委員会は、定例委員会が、減点査定したレセプトのうち小委員会での検討が必要であるとしたものについて、その減点査定が適正であるか否かを検討するのみで、全部のレセプトについて査定をするわけではなく、合議は、小委員会の報告を聞く程度であることが認められるから、定例委員会の行う審査こそが、審査委員会の審査の中核であり、定例委員会の審査を受けなければ、減点査定されるおそれはないということができる。従って、別口にしていたレセプトを定例委員会の審査終了後に差し込めば、減点査定を受けるおそれはないところ、もともと本件差込みをしたのは、減点されるのを避けるためであるから、小委員会前にレセプトを差し込む方法でも、審査を免れるという目的を十分達することができるというべきであるから、所論の一五九枚のレセプトについて詐欺罪が成立するとした原判決の認定は正当である。

次に、本件については違法性が阻却されるのではないかという主張について考えるに、所論は、多量のレセプトが定例委員会の審査を受けていないというのであるが、前記のとおり、これらのレセプトは、審査一日目に再審査部会委員の選別作業によって、審査に付する必要がないと判断されたものであり、近藤病院のレセプトは、その点数の関係から定例委員会の審査を受けなければならないにもかかわらず、審査を免れているのであるから、同列に論じることができないことも、既に説示したとおりである。しかも、本件差込みにかかるレセプトは、枚数が少ないとはいえ、その請求点数の合計は、最も枚数および点数の少ない昭和五三年三月差込分の四枚においても合計四三万三五四九点あり(原判決別紙(七)番号7参照)、この四枚だけでも一類に分類されて定例委員会の審査に付される点数を超えているのであるから、本件を詐欺罪に問うことは、何ら不公平なことではなく、むしろ、正直に審査を受けている他の療養取扱機関との関係を考えると、本件の刑事責任を問うことこそ公平にかなうというべきであり、本件について違法性が阻却される事由があるなどとは到底いえない。

3  個々の差込み(控訴趣意書第二点四)について

(一) 吉田福司の診療分(控訴趣意書第二点四1)について

所論は、原判決が認定した原判示第二の一の別紙(七)一覧表番号1の振込入金額には患者吉田福司の昭和五二年八月診療分の診療報酬一〇八万三九二二円が、同表番号2の振込入金額には同人の同月診療分の診療報酬九二万八三三三円が含まれているところ、同一患者について同じ診療月に二通のレセプトが作成され診療報酬を請求するようなことは常識上ありえないことであるから、本件公訴のうち、吉田の昭和五二年八月分の診療報酬については二重起訴であり、原審裁判所は、判決をもって一方の公訴を棄却しなければならないにもかかわらず、起訴状を鵜呑みにして不法に公訴を受理し、両事実について有罪を認定した違法もしくは事実誤認があるというのである。

しかし、捜査報告書(検一一一六)等関係証拠によれば、吉田の昭和五二年八月診療分については、連合会に対し、同年九月に所論の診療報酬一〇八万三九二二円に対応する請求点数一五万四八四八点のレセプトが提出され、かつ同年一〇月にも所論の診療報酬九二万八三三三円に対応する請求点数一三万二六一九点のレセプトが提出され、それぞれについて支払いがなされているところ、右九月に提出されたレセプトについては、同年一一月八日付で返戻依頼書が提出され、同月分の支払額の中で差引調整されていることが認められる。なお、所論は、厚生省と兵庫県の合同監査では、吉田の右八月分を支払分として取り上げず、近藤病院から返還すべき金額中に算入していないと主張するのであるが、右のとおり八月分については、既に清算ずみであるから、合同監査において、右の措置をとったのは当然であって、そのことが本件詐欺罪の成立に影響するものではない。

従って、吉田の昭和五二年八月診療分については、各別の月の二個の請求と支払いがなされたことは明らかであり、本件公訴は、右事実に即したものであって、同人の右診療分について二重に起訴したものではないから、原判決には所論の違法も事実誤認もない。

(二) 前中克己の診療分(控訴趣意書第二点四2)について

所論は、原判決が認定した原判示第二の二の別紙(八)一覧表番号6および10の各振込入金額には、いずれも患者前中克己の昭和五四年五月診療分の診療報酬七五万四二二二円が含まれているところ、同一患者について同じ診療月で振込金額まで一致しているのであるから、この分についても二重起訴であり、原判決の違法もしくは事実誤認は明らかであるというのである。

しかし、意見書(検一一〇九)、捜査関係事項照会回答書(検五九六ないし五九八)、報告書(弁二五)等関係証拠によれば、前中の昭和五四年五月診療分については、そのレセプトを同年六月に連合会に一旦提出したものの、同年七月一二日付で返戻依頼をして、同年八月に返戻を受け、右診療報酬は既に支払いずみであったため、同年七月診療分の支払いの際差引調整された後、改めてレセプトを作成して同年一〇月下旬に再度連合会に提出し、診療報酬の振込を受けたことが認められる。

従って、本件公訴も、右事実に即したものであって、同人の右診療分について二重に起訴したものではないから、原判決には所論の違法も事実誤認もない。

(三) 鶴間勇雄の診療分(控訴趣意書第二点四3)について

所論は、原判決が認定した原判示第二の一の別紙(七)一覧表番号3の犯行の振込入金日は昭和五二年一二月二七日であり、その振込入金額には患者鶴間勇雄の同年一〇月診療分の診療報酬一五八万一九八一円が含まれているとされているのであるが、報告書(弁二五)には、同人の右診療分が同年一二月に返戻された旨記載されているところ、返戻と振込との関係が不明であるから、同人の分については詐欺罪の成立を確定することができないというのである。

しかし、捜査関係事項照会回答書等(検三九四ないし三九七)関係証拠によれば、所論の鶴間の一〇月診療分については、近藤病院が連合会に対し、昭和五二年一二月九日付返戻依頼書を提出し、連合会から同人のレセプトを近藤病院に返戻したが、そのときには既に当該レセプトにかかる診療報酬は支払いずみであったことが認められるところ、関係証拠から認められる連合会の事務処理状況に照らせば、右返戻依頼書がその日付の日に提出されたとしても、そのときには既に診療報酬の支払準備が進められており、同月分の支払額を変更することはできなかったと思料される。所論は、鶴間については保険者が明石市の社会保険であるから、連合会が診療報酬を振り込む筈がないというのであるが、右一〇月分の診療報酬については、国民健康保険の適用があるとして、連合会が請求を受けて支払っていることは、前掲関係証拠から明らかである。

従って、同人の分についても振込がされたと認定することができるから、同人の分についても詐欺罪が成立する。

4  その他(平成五年九月一〇日付控訴趣意補充書第三の五5、6)

弁護人らが控訴趣意書では主張せず、控訴趣意書差出期間経過後に提出された平成五年九月一〇日付控訴趣意補充書で主張している事項があるので、以下、職権により検討する。

(一) 所論は、原判決別紙(七)の被診療者である槌谷辰章(番号9)、躬場長治郎(同8)、北本三夫(同4)、田村一郎(同6)、百生普慈徳(同10)、原判決別紙(八)の被診療者である溝口澄男(番号2)について、レセプトの差込みがなされたかどうか疑わしいうえ、その保険者である食品衛生、建設国保、全国土木において更に審査がなされる筈であるから、その診療報酬が、連合会から、他の分と同時に一括して振り込まれたとする原判決の認定は誤っている旨主張する。

右六名の各カルテ(符号一〇五、九三、一三〇、七五、八七、一一四)、荻野佳子の検察官調書(検六八二)等関係証拠によれば、右六名の保険者である神戸市食品衛生国民健康保険組合(槌谷関係)、兵庫県建設国民健康保険組合(躬場、溝口関係)、全国土木建築国民健康保険組合(北本、田村、百生関係)は、いずれも連合会に対し診療報酬の支払事務を委託していることが認められるから、右六名の診療報酬請求については、これら組合が審査するのではなく、連合会において審査し、他の分の診療報酬と一括して振り込むのであって、この点について原判決には何の事実誤認もない(右六名につき差込みが認定できることは後期(三)のとおりである)。

(二) 所論は、北本の昭和五二年一一月分の診療報酬として振り込まれた額は四四万二九七四円であるのに、原判決は六三万二八二〇円である旨誤った認定をし、溝口の昭和五三年一〇月分の診療報酬として振り込まれた額は一四一万五三五〇円であるのに、原判決は一四一万六九六〇円である旨誤った認定をしているというのである。

まず、北本の右診療報酬についてみるに、捜査関係事項照会回答書(検四二二)によれば、保険者である全国土木建築国民健康保険組合が右診療報酬として支払った額は四四万二九七四円であることが認められるところ、同組合は、連合会に対し診療報酬の支払事務を委託しているのであるから、同組合が右金額を支払った相手方は、連合会であって近藤病院でないことは明白である。そして、右回答書(検四二二)、荻野佳子の検察官調書(検六八一ないし六八三、六八六)、北本のカルテ(符号七五)、例規集(符号一八)等関係証拠によれば、北本は、明治三八年九月生まれの老人(当時七二歳)であるから、老人福祉法の規定により、その医療費の一部は地方自治体が負担するため、同組合は、診療報酬の七割である四四万二九七四円を連合会に支払ったことが認められ、かつ、当該自治体も連合会に支払事務を委託していることが認められるところ、捜査関係事項照会回答書(検四二三)によれば、連合会が、北本の同月分の診療報酬として近藤病院の預金口座に振り込んだ額が六三万二八二〇円であることは明白である。原判決に所論の事実誤認はない。

次に、溝口の右診療報酬についてみるに、捜査関係事項照会回答書(検五三三)によれば、保険者である兵庫県建設国民健康保険組合が右診療報酬として支払った額は一四一万五三五〇円であることが認められるところ、これも北本の場合と同様、同組合が右金額を支払った相手方は、連合会であって近藤病院でないことは明白である。そして、右回答書(検五三三)および捜査報告書(検五四四)によれば、連合会は、昭和五三年一二月に近藤病院の預金口座に右診療報酬として一四一万六九六〇円を振り込んだ後、同組合から連合会に対する昭和五三年二月分の過誤依頼により、右診療報酬の点数を一六一点減じる過誤調整をしたため同組合が支払うべき額は一四一万五三五〇円となり、これについては昭和五四年一月分の診療報酬の支払の際差引調整されていることが認められるところ、これは、被告人が、既に振込を受けた後の出来事であるから、原判決の事実認定に誤りはない。

(三) 所論は、前期3(一)なしい(三)、4(一)の患者らについて二重の起訴や診療報酬の支払い自体が存在しないものの起訴が明らかとなったばかりか、本件差込みにかかるレセプトの検察官による特定も全面的には信頼できないことが明らかとなったところ、本件公訴にかかるレセプトの中に、審査を受けずに差し込まれたものとそうでないものとが混在し、その区別がつかないときには、全部について差込みがあったと認定することには問題があるというのである。

しかし、前記患者らについての所論が認められないことは右に説示したとおりである。また、審査を免れて差し込まれたレセプトは、その後、審査を受けたレセプトとともに、連合会事務局職員による計数整理等の事務的な点検を受けるのであるから、返戻等の措置が取られたものがあっても、そのことから直ちに差込みが行われなかったということはできない。

そして、岸本敏夫(原審第七、一〇、一二回公判)および杉山久子(原審第二二、二三回公判)の各供述、岸本敏夫の検察官調書添付一覧表の写(検一〇五四、一〇五五)および杉山久子の検察官調書添付の表の写(検一一〇二ないし一一〇八)等関係証拠によれば、差込みをするために別にしたレセプトの写やメモで近藤病院に残っていたものに基づいて、差し込むために別にしたレセプトの患者名および点数を抽出し、更に、連合会に対する毎月の診療報酬請求書の控、連合会にある総括票等に基づいて、レセプトを差し込む前の診療報酬請求書記載の点数とレセプト差込後に差し替えた診療報酬請求書の点数との差を求め、これと右抽出した患者および点数とを対照しながら、本件公訴にかかるレセプトを特定したことが認められ、かつ、所論指摘のレセプトについても、前記のとおり格別の問題が見当たらないことに照らせば、本件公訴にかかるレセプト全部について、審査を免れるために差し込まれたものであると認定した原判決に誤りはないというべきである。

5  以上説示したとおり、論旨は理由がない。

(自判)

よって、原判決には、所得税法違反について判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるので、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を全部破棄し、同法四〇〇条ただし書により、直ちに当裁判所において自判すべきものと認め、更に次のとおり判決する。

(原判示罪となるべき事実第一の各事実に代えて当裁判所が新たに認定した事実)

第一  被告人は、昭和四二年九月一日から昭和五六年二月一七日まで、神戸市北区有野町有野二三七八番地において近藤病院の名称で病院を開設し経営していたものであるが、同病院の監理局長木元美文および経理部長奥山昌明と共謀のうえ、自己の所得税を免れようと企て、

一  昭和五二年分の実際の総所得金額が四億七二五六万九六〇九円(別紙1修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が三億四〇六六万六七一五円となり、既に納付された源泉徴収税額三〇九二万三〇一三円を控除すると三億〇九七四万三七〇〇円(別紙4脱税額計算書参照)であるにもかかわらず、架空の仕入および経費を計上し、これによって得た資金を仮名の定期預金とするなどの行為により右所得の一部を秘匿したうえ、昭和五三年三月一五日、同市兵庫区水木通二丁目一番四号所在の兵庫税務署において、同税務署長に対し、昭和五二年分の総所得金額が七〇一四万七七〇六円で、これに対する所得税額が三八七三万一七三二円となり、既に納付された前記源泉徴収税額を控除すると七八〇万八七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の所得税三億〇一九三万五〇〇〇円を免れ

二  昭和五三年分の実際の総所得金額が六億二一三七万九七二四円(別紙2修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が四億五一〇五万一八六三円となり、既に納付された源泉徴収税額三六七四万三五〇六円を控除すると四億一四三〇万八三〇〇円(別紙5脱税額計算書参照)であるにもかかわらず、前同様の行為により右所得の一部を秘匿したうえ、昭和五四年三月一五日、前記兵庫税務署において、同税務署長に対し、昭和五三年分の総所得金額が八七二一万一〇〇〇円で、これに対する所得税額が五一一九万三一九二円となり、既に納付された前記源泉徴収税額を控除すると一四四四万九六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の所得税三億九九八五万八七〇〇円を免れ

三  昭和五四年分の実際の総所得金額が三億三三三〇万五一五六円(別紙3修正損益計算書参照)で、これに対する所得税額が二億一九五三万二九二九円となり、既に納付された源泉徴収税額三三三一万四九七三円を控除すると一億八六二一万七九〇〇円(別紙6脱税額計算書参照)であるにもかかわらず、前同様の行為により右所得の一部を秘匿したうえ、昭和五五年三月一五日、前記兵庫税務署において、同税務署長に対し、昭和五四年分の総所得金額が三二〇〇万六四一三円で、これに対する所得税額が九四五万八二五〇円となり、既に納付された前記源泉徴収税額を控除すると二三八五万六七二三円の還付を受けることになる旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の所得税二億一〇〇七万四六〇〇円を免れた。

(右認定事実についての証拠の標目)

被告人の質問てん末書七通(当審検一ないし七)を付加するほかは、原判決の挙示する原判示罪となるべき事実第一の各事実に対する証拠と同一である。

(確定裁判)

原判決の確定裁判欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(法令の適用)

罰条

当裁判所認定の前記第一の一ないし三の各所為

平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項

原判決認定の原判示第二の一および二の各所為

右改正前の刑法六〇条、二四六条二項

刑種の選択(当裁判所認定の前記第一の一ないし三の各罪)

懲役刑と罰金刑(罰金の額は、情状により右改正前の所得税法二三八条二項を適用)を併科

併合罪の処理

前記確定裁判を受けた罪と当裁判所認定の前記第一の一、二、原判決認定の原判示第二の一および二の原判決別紙(八)一覧表番号1ないし3の各罪につき

右改正前の刑法四五条後段、五〇条、四五条前段、四七条本分、一〇条、四八条一項二項

懲役刑は、刑および犯情の最も重い原判決認定の原判示第二の一の前記一覧表番号9の罪の刑に法定の加重罰金刑は、所定の罰金額を合算

当裁判所認定の前記第一の三および原判決認定の原判示第二の二の前記一覧表番号4ないし13の各罪につき

同法四五条前段、四七条本文、一〇条、四八条一項懲役刑は、刑および犯情の最も重い原判決認定の原判示第二の二の前記一覧表番号12の罪の刑に法定の加重

宣告刑

当裁判所認定の前記第一の一、二、原判決認定の原判示第二の一および二の前記一覧表番号1ないし3の罪につき懲役一年一〇月および罰金一億二〇〇〇万円

当裁判所認定の前記第一の三および原判決認定の原判示第二の二の前記一覧表番号4ないし13の罪につき

懲役一年二月および罰金六〇〇〇万円

換刑処分 同法一八条

原審の訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、病院を経営する医師である被告人が、所得税法違反と詐欺の罪を犯したという事案である。このうち所得税法違反の犯行は、三年間にわたり所得税合計九億一一八六万余円をほ脱したものであって、その額は巨額であり、正規税額(実際所得金額に対する算出税額から源泉徴収税額を控除した金額)に対するほ脱税額(正規の税額から申告税額を差し引いた金額)の割合であるほ脱率も、昭和五二年が約九七・四パーセント、昭和五三年が約九六・五パーセント、昭和五四年が約一一二・八パーセントと高率である。被告人は、病院の幹部職員と共謀したほか、ほ脱にかかわる事務等に病院の職員を加担させ、更に病院に出入りする業者等に架空の領収証を発行させるなどして、関係の取引先をも利用したものであって、本件ほ脱の態様ないし手口は、まことに計画的で大規模なものである。しかも、被告人は、昭和四五年および四六年分の所得税合計一億六六六七万余円をほ脱した罪により、昭和四九年に公訴を提起され、昭和五三年に懲役一年および罰金二五〇〇万円(但し懲役刑は三年間執行猶予)に処せられ、昭和五四年三月に右裁判が確定したものであるにもかかわらず、右事件の審理係属中から執行猶予期間中にかけて本件のほ脱を行ったものであるところ、本件ほ脱の犯行は、右裁判が確定した事件よりも、ほ脱額はもとより手口においても規模が大きくなっており、被告人は、適正な納税をしようという意識が乏しいというべきである。また、詐欺の犯行は、約二年四か月の間に前後二五回にわたって、連合会に診療報酬を請求する際、実際にはレセプトの審査を受けていないのに受けたかのように装って、合計約三億円という巨額の不法の利益を得たものであり、その手口は、まことに大胆で巧妙である。そして、本件詐欺事犯も、右裁判が確定した事件の審理係属中から執行猶予期間中にかけての犯行である。以上のほか、本件各犯行が、申告納税制度や国民健康保険事業の適正な運用を阻害する悪質な行為であり、医師や医業に対する社会一般の信頼を損なう行為であること、被告人は、本件各犯行が発覚するや関係者に虚偽の供述をするよう働き掛けるなど罪証隠滅工作に及び、裏付けのできない弁解や筋のとおらない言逃れに終始するなど、反省の態度が全くみられないことなども総合考慮すると、被告人の刑事責任は重いというべきである。

従って、所得税法違反については、被告人は、当時、病院施設の改善を要請されるなどしていたことから、病院経営のために多くの資金を必要としていたこと、詐欺については、本件差込みにかかるレセプトが審査を受けていれば、本件の診療報酬額のうち相当額は、適正なものとして被告人に支払われた可能性があるところ、被告人は、連合会との間で、本件詐欺により振込を受けた額のうち返還を請求された九五八二万余円について返還義務を認め、その一部を診療報酬債権と相殺し、残額に遅延損害金を付して支払うことで和解し、二二五九万余円を支払って右和解条項をすべて履行したこと、被告人は、近藤病院を開設して以来、神戸市北区およびその周辺での有数の医療施設として社会に貢献してきたこと、その他本件証拠から認められる被告人のために斟酌すべき事情や、本件犯行から既に一六年が経過し、前記執行猶予期間も満了していることなどを被告人のために最大限考慮しても、本件は、刑の執行を猶予すべき事案ではなく、主文程度の刑に処するのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

平成七年九月一四日

(裁判長裁判官 朝岡智幸 裁判官 楢崎康英 裁判官菅納一郎は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 朝岡智幸)

別紙1

修正損益計算書

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

<省略>

(注)勘定科目2~14は医療原価

別紙2

修正損益計算書

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

<省略>

(注)勘定科目2ないし14は医療原価

別紙3

修正損益計算書

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

<省略>

(注)勘定科目2ないし13は医療原価

別紙4

脱税額計算書

昭和52年分

<省略>

資産所得合算のあん分税額計算書

<省略>

(注)主たる所得者 近藤直

合算対象世帯員 近藤千里

別紙5

脱税額計算書

昭和53年分

<省略>

資産所得合算のあん分税額計算書

<省略>

(注)主たる所得者 近藤直

合算対象世帯員 近藤千里

別紙6

脱税額計算書

昭和54年分

<省略>

資産所得合算のあん分税額計算書

<省略>

(注)主たる所得者 近藤直

合算対象世帯員 近藤千里

別紙7

貸倒検討表

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

(注)この表で、取引停止貸倒とは基本通達51-13にいう貸倒をいい、回収不能貸倒とはその世の事由による貸倒をいう。

別紙8

神戸市病院等医薬品比率一覧表

神戸市病院

<省略>

三田市民病院

<省略>

別紙9

近藤病院医薬品比率一覧表(公表分)

<省略>

(注)医薬品比率=医薬品費÷収入×100%

昭和52年と53年の収入額は営業収入額に等しい。

昭和54年の公表営業収入額は、実際の営業収入額から貸倒金額を控除した額であるため、公表営業収入額と貸倒金額とを合算して、実際の営業収入額を求めた。

医薬品費は、医薬品仕入(原材料仕入)の公表額に以下のとおりの修正を加えて算定した。

昭和52年

医薬品費=期首棚卸-期末棚卸+医薬品仕入-架空計上分(みはら薬局分)-過大計上分(昭和51年12月仕入分代金)

割戻については、受入処理をしていないので、医薬品費算定に当たり、割戻分の加算修正をしない。

昭和53年

薬品費=期首棚卸-期末棚卸+医薬品仕入-割戻分

昭和54年

医薬品費=期首棚卸+医薬品仕入+割戻分+割引分

別紙10

近藤病院医薬品比率一覧表(原判決認定分)

<省略>

(注)医薬品費=医薬品仕入+(期首棚卸-期末棚卸)+割戻分+値引分

医薬品比率=医薬品費÷収入×100%

別紙11

近藤病院医薬品比率一覧表(当審認定分)

<省略>

(注)医薬品費=医薬品仕入+(期首棚卸-期末棚卸)+割戻分+値引分

医薬品比率=医薬品費÷収入×100%

別紙12

架空(変名)仕入病院計上額月別内訳表(昭和54年4月以降分)

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

別紙13

架空(変名)仕入一覧表(原判決認定分)

昭和53年(北神営繕経由)

<省略>

<省略>

昭和54年(北神営繕経由)

<省略>

<省略>

別紙14

架空(変名)仕入一覧表(当審認定分)

昭和53年(北神営繕経由)

<省略>

<省略>

昭和54年(北神営繕経由)

<省略>

<省略>

別紙15

医薬品仕入高算定表(原判決認定分)

昭和52年

<省略>

(注)<4>は、1月から6月までの公表仕入額(196,853,876円)から<2>を控除した金額に35%を乗じて算出。

昭和53年

<省略>

昭和54年

<省略>

別紙16

医薬品仕入高算定表(当審認定分)

昭和52年

<省略>

(注)<4>は、1月から6月までの公表仕入額(196,853,876円)から<2>を控除した金額に35%を乗じて算出。

昭和53年

<省略>

昭和54年

<省略>

別紙17

特別必要経費一覧表

(注)支払名目欄の勘定科目および2ウなどの表示は、原判決別紙(一一)ないし(二五)の各勘定科目の増減内訳表の表示と同一である。

昭和52年

<省略>

<省略>

<省略>

昭和53年

<省略>

<省略>

<省略>

昭和54年

<省略>

別紙18

特別必要経費集計表

<省略>

<省略>

別紙19

増減科目等一覧表

昭和52年

<省略>

(注)増減した勘定科目欄の番号は、別紙1の修正損益計算書(昭和52年)の勘定科目の番号に同じ。

昭和53年

<省略>

(注)増減した勘定科目欄の番号は、別紙2の修正損益計算書(昭和53年)の勘定科目の番号に同じ。

昭和54年

<省略>

(注)増減した勘定科目欄の番号は、別紙3の修正損益計算書(昭和54年)の勘定科目の番号に同じ。

平成三年(う)第九〇四号

控訴趣意書

所得税法違反・詐欺

被告人 近藤直

右の者に対する頭書被告事件につき、平成二年一二月一二日、神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

平成四年六月二九日

弁護人弁護士 石原鼎

同 大槻龍為

同 浅野芳朗

大阪高等裁判所第三刑事部 御中

目次

<省略>

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