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大阪家庭裁判所 昭和41年(家)5960号 審判 1966年9月30日

申立人 松本明(仮名)

相手方 松本治(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人は、「相手方は申立人に対し昭和四一年九月一日から同年一〇月二〇日までに金六、〇〇〇円を支払え。申立等の費用は相手方の負担とする」との審判を求め、その理由の要旨は、「申立人と相手方外一名間の大阪家庭裁判所昭和四〇年(家イ)第二一九六号親族間不和調整調停事件の調停において、相手方は、申立人に対してできるだけのことはすると申述したので、申立人は、上記調停の申立を取り下げた。しかるに、相手方は、その後何等誠意なく、上記申述のとおり実行せず、全責任を上記事件の相手方松本永子に転嫁して今日に至つている。申立人は、昭和四一年一〇月二〇日過に刑期満了し、帰省費用等金六、〇〇〇円を要するので、相手方に対し民法第八七七条により昭和四一年九月一日から同年一〇月二〇日までに帰省等の費用として金六、〇〇〇円の扶助を(分割支払いでもよい。)求める。」というのである。

本件申立は、民法第八七七条に基くものであることが申立人の主張により明らかであるから、申立人が相手方に対し扶養義務の履行を求めるものとして判断することとする。

当裁判所昭和四〇年(家イ)第二一九六号親族間不和調整調停事件の記録、本件についての相手方の審問の結果、当裁判所の調査嘱託による網走刑務所長の回答書の記載、その他本件調査の結果によると、次の事実を認めることができる。

申立人は、亡松本村太郎と松本ための三男で、相手方は、申立人の実兄である。申立人は、昭和四〇年九月二二日当裁判所に対し、相手方とその実妹松本永子を相手方として、親族間不和調整の調停申立をし、調停申立の月から衣類や更生資金として一ヶ月金五〇〇円ずつの貸与を求めたが、昭和四一年五月一六日付取下書を提出し、同取下書が同月二七日受理され上記申立は、取下となつた。上記松本永子は、申立人に対し、同年五月九日に郵便小包一個(シャツ・ズボン等二〇点価格金四、〇八〇円相当のもの在中)を、同年五月一九日から同年八月二六日までの間五回に金一万円ずつ合計金五万円を、同年九月一二日に郵便小包一個(替ズボン一着・丸首毛糸セーター一着と相手方が買い受けた旅行用洗面具一式チューインガム・タバコ等、以上合計金五、六〇〇円相当のもの在中)を送付した。申立人は、目下網走刑務所に服役中で、昭和四一年一〇月二五日に出所する予定である。申立人は、出所の際帰住等の費用金六、〇〇〇円を要すると主張する。しかし、同刑務所は、現在申立人所有の現金五万円及び衣類等を領置しており、申立人の出所の際には申立人に対し、上記現金及び衣類を還付するのは勿論作業賞与金六、〇一四円と帰住旅費とを支給する予定(上記のとおり衣類はあるので、支給されない。)となつている(この点は、同刑務所長の回答により明らかである。)。

相手方は、妻と高校三年生の長女と中学三年生の二女とを兵庫県○○郡○○町○○○○番地に残して大阪市に出て昭和四一年三月から同市○区○○○丁目○○番地○○○輸送株式会社に勤務し、月給金五万円を得て、内金三万五、〇〇〇円を妻子の生活費として送り、残金一万五、〇〇〇円を生活費として同市○区○○○町○○所在の○○荘という同会社の寮に居住していたが、同年九月一七日同会社を退職して妻子のいる現住所に帰り、目下失業中である。

民法第八七七条第一項に、兄弟姉妹は、互に扶養をする義務があると規定されているが、兄弟姉妹間の扶養義務は、いわゆる扶助義務であつて、扶養を受くべき者が自己の資産又は労務によつて生活することのできない状態におり、かつ扶養をすべき者が扶養するに足る余力のある場合に発生するものと解するのを相当とする。上記認定事実によると、申立人は、本件において請求している帰住等の費用金六、〇〇〇円をはるかに超過する現金と衣類等を所有し、かつ出所に当つては、上記のとおり帰住旅費と作業賞与金との支給を受け得る予定であるから、申立人の請求する帰住等の費用に困るような状態でないことが明らかである。のみならず、現在まで服役中であつて、出所後の将来のことは予測することはできないが、現在においては生活をすることができないような状態にあるということはできない。

そうすると、本件申立は、理由のないことが明らかであることから、これを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 岡野幸之助)

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